流山市長 井崎義治
良質な住環境、快適な都市環境を実現し住み続けたい街に
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流山市長 井崎義治(いざきよしはる)
■プロフィール
1954年東京都杉並区生まれ。立正大地理学科卒、サンフランシスコ州立大学大学院修士課程修了(地理学専攻)。米国で地域計画、交通計画、環境アセスメントに従事。89年に帰国後、流山市民に。都市計画コンサルタントを経て、2003年から流山市長。現在6期目。全国市長会副会長、千葉県市長会長、健康都市連合日本支部支部長などを歴任。著書に「ニッポンが流山になる日」など多数。
「都心から一番近い森のまち」がキャッチフレーズの千葉県流山市。人口増加率が全国トップクラスで、自治体で初めてマーケティング課を設置するなど、異色の街づくりが行われている。そんな流山市の子育て政策やブランディング戦略、今後の展望について井崎市長にお伺いした。
子どもの頃から街の姿やそれがどのように変化していくのか興味があって、大学では都市地理学の勉強をしていました。大学院に行ってもっと勉強したいと思っていたのですが、日本でこのまま都市地理学を学んで大学院を出ても、やりたい街づくりの仕事はできないと考えて、アメリカの大学院に行くことを決めました。大学院時代は人生で最も勉強した時期でしたね。州立の大学に入ったのですが、州外の人は成績が悪いと追い出されてしまうので、必死に勉強をしていました。厳しい環境ではありましたが、勉強するとはこういうことなんだなと実感することができました。様々なことがありましたが、アメリカでは面白い経験をたくさんさせてもらいました。
■日本への帰国、そして流山市長に。
永住権も取得していたので、そのままアメリカ人として住み続けるつもりでした。しかし長女が生まれたことをきっかけに、妻の希望もあって、日本への帰国を決めました。帰国してどこに住むかについては、やはり都市計画や地域計画をやってきた人間としての沽券にかかわるので、徹底的にリサーチをしました。アメリカでは地域ごとに社会的・経済的な格差が大きく、教育の質もかなり異なっていて、居住地は特に重要でした。日本はそうではないことは分かっていましたが、住む場所にはかなりこだわり、最終的にはサンフランシスコのように緑や坂が多い、ただし自分が歳をとっても登りきれそうな緩やかな坂のあるまちの、流山を選びました。このように流山の環境の良さと可能性に惹かれて移り住みましたが、残念なこともありました。素晴らしい環境なのに、街の可能性を潰すような安易な都市計画によって、周りの付加価値を下げてしまうような開発が横行していたからです。
可能性に満ち溢れた街の魅力を引き出せないのは、とても悲しいことですよね。流山の可能性をどうやって引き出して形にできるか考えた延長線上に、市長という仕事がありました。私は元々市長や政治家を目指していた訳ではありません。あくまでも市長になったのは、流山の可能性をかたちにするための手段なんです。ですから私は自分自身を政治家というよりも、「自治体経営者」だと考えています。
■マーケティングからブランディングへ
自治体の経営者として、マーケティングにも力をいれてきました。全国の地方自治体でもマーケティング課やシティセールス課を設置する所は増えてきましたが、それらがみんな上手くいっている訳ではありません。マーケティングとは経営戦略です。他と差別化されたミッションがあって、それを実現するための戦略や戦術があります。組織のトップに根本的な問題意識や、その解決のためのビジョンがなければ、いくらマーケティング課を設置しても、職員に丸投げでは機能しません。そうならないように、流山市では月に1回、私とマーケティング課職員でミーティングを続けながら、私のビジョンと戦略を共有し、その実現に向けた戦術を練ってきました。特に、宅鉄法により市域の約18%もの範囲で計画されていたつくばエクスプレス沿線の土地区画整理事業で、新たに供給される大量の宅地が売れ残った場合、市の財政上大きな赤字になってしまうという危機的な状況でした。当時、流山市自体の知名度がとても低かったので、どうやって認知度を高めて家を買う人たちに訴求するかが大きな課題でした。しかし、努力の甲斐あって今は土地区画整理事業の土地もほぼ売り切り、今後は、流山に魅力を感じ、住みたいと思って転入してくる人が、転出物件数を常に上回る状態にすることが目標です。そうすることで空き家もできませんし、地域コミュニティも経済も持続的に発展していきます。そのような構造を作り出すために、これまでの「家を売るためのマーケティング」から、「住み続ける価値の高いまちへのブランディング」へとステージが変わってきています。
■子育て支援は安さ競争ではない
流山市では子育て施策にも力を入れていますが、最近では他にも多くの自治体が様々な施策を行っています。しかし残念ながら、例えば医療費、保育料、給食費などを無償化するという、限られた税金による安売り競争になってしまっている状況があります。しかし、流山市ではそれがメインではありません。「仕事をしながら子育てができる環境」を実現するための社会環境やインフラの整備に力を入れています。このような施策の効果もあり、出生数はこの7〜8年、人口の1%前後を維持しています。小学生や中学生が増え、今後、人口のピークがやってきます。今までは保育園や小中学校を新設し、量の確保に力を入れてきましたが、これからからは今まで以上に教育の質も高めていこうと考えています。結果的には、それが街のブランディングにもつながっていくからです。具体的にはカナダのメソッドである「答えのない教室」や、IT企業などの民間企業と連携した「未来の教室」の実施によって、児童・生徒が当事者意識を持って主体的に学ぶ環境整備を進めています。他にも現在の課題の1つに障害児の受け入れがあります。障害のある児童・生徒が、地域の学校でも円滑に受け入れられ、安心して学校生活を送れるように、インクルーシブ教育の拡充を進めているところです。今後モデル校で導入し、さらに全校に広げていこうと思っています。このようなきめ細かい市民サービスの提供と、厳格な規制に適合したまちの価値を押し上げる開発によって、良質な住環境と快適な都市環境の両立をして、住み続ける価値の高い流山市を実現したいと考えています。
■大学生へのメッセージ
自分の可能性について、自分で枠をはめないで欲しいですね。社会が枠をはめているように感じるかもしれませんが、それを打破できるのはあなた自身です。今までの常識が崩れて何でもありの時代に向かっているので、みなさんの可能性はどこに開けてくるか分かりません。将来大きく成長するための土台をしっかりと築いて、裾野を広く持つことができるように、色々なことに挑戦して一生懸命取り組んで欲しいと思います。
学生新聞オンライン2025年10月3日取材 法政大学3年 島田尚和

津田塾大学3年 石松果林/法政大学3年 島田尚和


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