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Archive for 運営スタッフ

イベント・企業紹介

カンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ『GTОリバイバル』制作発表

2024年3月2日(土)東京・フジテレビ湾岸スタジオにて、カンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ『GTOリバイバル』制作発表会見が行われました。1998年に放送された連続ドラマ『GTO』が26年ぶりに、一夜限りのスペシャルドラマとして復活する今作。 制作発表会見には、出演者の反町隆史さん、岡崎紗絵さん、小手伸也さん、八木莉可子さん、畑芽育さん、日向亘さんが登場。MCは山崎裕太さんが務めました。 いよいよ放送日となる4月1日が迫るなか、キャストの皆さんに出演が決まった時の心境や撮影現場でのエピソード、本作の見どころなどを詳しく伺いました。 ◼︎26年ぶりに鬼塚を演じることについて、心境を教えてください。 反町さん:これまでにも何度か、「『GTO』の復活どうですか?」というお話をいただくことはありました。ただ、26年経った今だからこそ、言いたいことを言うというか、僕自身もより多くのことを語れるなと思ったんです。子供たちにとって1番大切な時期に、鬼塚なら今どんなメッセージを届けられるのか、僕自身も凄く興味がありました。 ◼︎出演が決まった時、どんなことを感じましたか? 八木さん:私は『GTO』の放送時、まだ生まれていなかったのでリアルタイム視聴はできませんでしたが、再放送やDVDでよく視聴していた作品でした。そんな作品に私が生徒役として出演できるなんてと、光栄ながらも恐れ多いというのが、正直なところでした。ですが、撮影現場では常に鬼塚先生が鬼塚先生として居続けてくださり、私も安心して飛び込んでいけました。 小手さん:出演が決まった時は純粋に嬉しかったです。今回は、鬼塚先生が赴任する高校の教頭を演じるということで、前作のインパクトに負けないくらい個性を意識して頑張りました。撮影中は反町さんとディスカッションしながら、お互いのキャラクターをうまく確立していけたと感じています。 ◼︎役を演じてみての感想は? 岡崎さん:教師役を演じるのは今作が初めてで、正直かなり緊張していました。それと同時に、少し前までは生徒役だった私が、「ついに教師役をやるようになったか……」と少し感慨深さを感じる瞬間もありました。撮影現場では、常に鬼塚先生がリードしてくださり、キャスト全員何度も支えられたと思います。 日向さん:僕は鬼塚先生が赴任することとなる、私立相徳学院高校の生徒役を演じました。元々『GTO』という作品を知っていたので、撮影中は鬼塚先生とお芝居できているということに、とにかく興奮しっぱなしでした。ただ、教師と生徒という立場で対立するシーンもあったので、その撮影中はグッと堪えて、緊張感を持って演じていましたね。 ◼︎どんな学生時代を過ごしていましたか? 反町さん:僕は小学2年生から、サッカーに明け暮れる日々を過ごしていました。当時は喉が渇いていても水を飲んではいけない、という風潮があり……。真夏の試合中などでも水分補給することができず、トイレの洗面台の水にお世話になっていたという思い出があります(笑)。 岡崎さん:私は行事を全力で楽しむ学生でした。文化祭や体育祭では、率先して自主練習をしたり、ミシンと睨めっこしながら衣装作りを頑張ったりしていました。どんな些細なことでも楽しむ気持ちを忘れずに、こちらから楽しんでやるという思いで、学生生活を送っていました。 学生新聞オンライン2024年3月2日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 ■ドラマ『GTO』、『GTOリバイバル』について『GTO』は、藤沢とおる氏による同名漫画が原作で、元暴走族の高校教師・鬼塚英吉が、破天荒な行動で生徒や学校の問題に体当たりでぶつかっていく学園ドラマ。立場や損得とは無縁の教師・鬼塚が、本音をぶつけ合い、命がけで生徒に向き合うことで、社会の裏側にくすぶっている問題を解決していく。1998年の放送当時、大きな話題を呼んだ。反町隆史さんが作詞し、歌いあげた主題歌「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」も大ヒットとなった。『GTOリバイバル』は、かつてグレート・ティーチャーと呼ばれた鬼塚が問題だらけの高校に教師として赴任し、悩みを抱えた令和の高校生たちに鬼塚流の熱血授業を繰り広げる物語。 4月1日(月)午後9:00~10:48 放送カンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ

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ノイルイミューン・バイオテック株式会社 代表取締役社長 玉田 耕治

いまだに治療法のないがん患者さんを助けるために新しい薬を開発したい ノイルイミューン・バイオテック株式会社 代表取締役社長 玉田 耕治(たまだこうじ) ■プロフィール1992年九州大学医学部卒業。1998年から米国で10 年以上にわたってがん免疫研究に取り組み、ジョンズホプキンス大学医学部、メリーランド州立大学医学部にて Principal Investigator(主任研究者)として研究室を主宰。2011年に帰国し、山口大学医学部免疫学教授として就任。2015年にノイルイミューン・バイオテック株式会社を創業。2020年に同社代表取締役社長に就任。 最新のがん免疫療法を介して、これまで有効な治療効果を示すことのできなかった固形がんに対する治療薬を開発する事業に取り組む大学発ベンチャー企業であるノイルイミューン・バイオテック株式会社。同社代表の玉田耕治社長は、安全かつ有効な治療法をすべてのがん患者さんに届けるため、長年に渡り最先端の技術を研究してきた。玉田社長にこれまでの軌跡を聞いた。 大学では医学部に入学しました。入学当初は学業だけでなく、テニスなどで友人との楽しい時間を過ごし、家庭教師や単発のイベント運営のアルバイトも経験しました。ただ、医学部では基礎医学や臨床医学に関する多くの授業や試験があり、卒業時には医師国家試験もあるため、学年が上がるにつれて勉強に打ち込むようになりました。 ■現実の医療現場を見て、新たながんの治療法をめざす 医学部を卒業して医師国家試験に合格し、医師の肩書を得ても、すぐに患者さんを診れるようになるわけではありません。車の免許を取得したばかりのペーパードライバーと同じように、医師としての技術はまだ不十分であり、一人前の医師になるにはたくさんの臨床経験が必要になります。最初の2年間は研修医として診療に従事し、医師としての一般的な知識や技術を学びました。その際、多くの患者さんを診察する中で、当時の最先端の医療方法を駆使しても治療することができず、亡くなっていくがん患者さんを何例も目の当たりにしました。そのような経験から、もっと治療効果の高いがん治療法を自分で創り出したいという想いが高まっていきました。そこで免疫の力を利用してがんを治す方法の研究に注力するため、大学院への進学を決めました。 ■渡米後は、ノーベル賞に関係する研究にも取り組む 大学院在学中には、努力の甲斐もあり、新しい治療法につながるようなアイディアをたくさん出すことができました。ところが、アメリカやヨーロッパなどの世界のトップレベルのがん研究に目を向けると、日本の大学に在籍しながらできることには限界を感じました。私はなんとしても、トップレベルのがん免疫研究に携わり、1人でも多くのがん患者さんに提供できる治療法を創り出したいと思い、大学院を3月に卒業した後すぐに渡米し、博士研究員として現地の大学へ留学しました。その後、アメリカでの私の研究は13年に及びました。渡米して数年後には自らが主体となって研究室をマネジメントし、がんにおける免疫チェックポイント機構やその阻害薬に関する研究に深くかかわるようになりました。当時の研究内容について少し説明しますと、私たちの体の中にある免疫システムは、自分たちの身体を危険にさらすような細胞を排除する力を備えています。しかし、がん細胞は免疫チェックポイント機構という力を利用して、免疫からの攻撃を無効にする術をもっていて、そのために治療が難しいのです。そこで、免疫チェックポイント機構を阻害する薬剤(=免疫チェックポイント阻害薬)を開発し、免疫のがん細胞への攻撃を強化するための研究を行っておりました。世界中の研究者がそのような研究に取り組んでおり、2018年には京都大学特別教授であった本庶佑先生が免疫チェックポイント機構の発見や免疫チェックポイント阻害薬の開発にてノーベル医学生理学賞を受賞されました。 ■人類をがんから救う可能性となる新たな治療法を見つけたことが、起業のきっかけ 2011年に日本へ帰国してからは、アメリカで研究していた時とは別のメカニズムによるがん免疫療法について研究を始めました。遺伝子組み換え技術によって攻撃力を高めたT細胞の一種にCAR-T細胞と呼ばれるものがあります。CAR-T細胞の技術自体は既に開発されていて、血液がんと言われるがんには非常に効果が高い一方、がんの大部分を占める固形がんに対しては効果が不十分であることが知られていました。そこで、私の研究チームはCAR-T細胞を改良してその攻撃力をさらに増強させ、固形がんに対しても効果を発揮できるようにするための新たな技術を創り出しました。こうした新たな技術に基づく治療法を薬として実用化するためには大学だけでは不十分であると考え、当社を起業いたしました。当社は世界的な最先端技術をベースに、大手製薬会社とも連携しつつ、実際に治療薬として有効かどうか確認するための臨床試験を進めています。 ■ほしい人材は、失敗してもチャレンジを継続できる人 管理部門においては、応募書類が丁寧な方は非常に印象が良く、「この人は仕事においても丁寧に対応頂けるのでは」と思います。もちろん、書類だけで採用を決めることはなく、面接での受け答えなどを拝見しながら採用を判断します。一方で研究者の採用については、天才肌の人も多いので一概には言えないのですが、譲れない条件を上げるのであれば、人がやらない研究に積極的に挑戦し、失敗しても新たなチャレンジを継続できる人がいいですね。また、部門に関わらず、私たちの使命である「効果の高いがんの治療法を一刻も早くがん患者の方へ届けること」を目標に、常に熱意を持って業務に取り組んでいただける方と是非一緒に働きたいと思っています。 ■夢は、一人でも多くのがん患者さんを治すこと 私が目指しているのは、大学卒業後に研修医としてスタートした時から変わらず、1人でも多くのがん患者さんに治療を提供することです。そのために会社として、研究と技術開発に焦点をあてて邁進し、その結果として創薬を行い、収益を得ながらそれをもとに新たな研究を進めて、さらに新しい薬を創るというサイクルを回していくことを目指しています。日本の大学には、新しい薬の種になるアイディアがたくさんあります。私たちがそれらを実用化し、日本の医療における開発力や創薬力を世界へ誇れるようにしたいですね。また、研究開発の成果を出し、この会社ならしっかり事業に取り組んでいるから信頼できると、皆さまから認知していただけるように、日々の研究に励んでいきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 私はこの仕事を30年以上やっていますが、できることはまだまだあると感じていますし、挑戦し足りないことばかりだと考えています。このように思えるのは、紛れもなくこの仕事に魅力を感じているからです。そして、研究開発が自分の好きなことであり、その仕事ができる環境に身を置くことができているから、同じ仕事を継続できるのだと確信しています。そんな仕事を選ぶためにも、大学生の皆さんにアドバイスしたいのは「一見、大変なことに思えても、自分にとっての価値を自分の頭でよく考えてみることが大事」ということです。そして、何事にも自分の意思をもって積極的に挑戦すること、その積み重ねこそが豊かな人生を作ってくれるのではないかと私は思います。   学生新聞オンライン2023年10月20日取材 日本大学1年 大森雨音

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株式会社 サカタのタネ 代表取締役社長 坂田宏

めざすのは、日本の種苗販売におけるトップシェアとグローバルな海外展開 株式会社 サカタのタネ 代表取締役社長 坂田宏 (サカタヒロシ) ■プロフィール 1974年、慶應義塾大学卒業、株式会社第一勧業銀行(現・株式会社みずほ銀行)入行。カリフォルニア大学デービス校にて農園芸、種苗について学び、1981年、坂田種苗株式会社(現・株式会社サカタのタネ)入社。国内営業を経験後、オランダ現地法人総支配人、取締役社長室長、広報宣伝部長、経営企画室長、常務取締役管理本部長などを歴任し、2007年、代表取締役社長就任 創業から110年という長い歴史を持つ、国内最大手種苗メーカーのサカタのタネ。プロの農家さんにおける支持率ナンバー1をめざし、日々品種開発を行なっている。現在は12カ国に研究開発拠点を持ち、世界23か国で事業を展開している。今回は同社の代表取締役社長の坂田宏様にお話を伺った。 学生時代は、勉学のみならず、テニスサークルの活動に力を入れていました。3、4年はゼミに入って、かなり熱心に活動していた記憶があります。当時、日本は高度経済成長の時期で、私自身が経済学部だったこともあり、企業に強い興味を持っていました。「社会を幅広く見たい」という気持ちがあったことから、様々な業種と関わり、学びが多い業界を志望し、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行しました。祖父が当社の創業者で、父も社長を務めていたものの、当時は種苗業界を意識することはあまりありませんでしたが、金融業界にいる中で種苗業界やその将来性を知り、「面白い業種だな」と感じてサカタのタネへの入社を決断しました。しかし、私には農業や園芸の知識がなかったため、カリフォルニア大学のデービス校へ2年間留学し、英語の勉強と基本的な農業の知識を学びました。入社後は、農場や国内営業、海外営業、ヨーロッパ支社の立ち上げ、管理部門など、幅広い部署を経験しました。社長に就任してからもその経験がいきています。大変なことはたくさんありましたが、苦労と思うことはほとんどなかったですね。 ■110年の歴史を活かし、ニーズに応える 当社は、花と野菜の品種の研究開発を行なっています。今は「F1(エフワン)」と呼ばれる、遺伝的に異なる形質の固定種を親に持つ子世代の品種を開発しています。新しい品種の開発は、世の中にないものを新たに作り出す仕事なので、非常にチャレンジングです。例えば、トマトひとつにしても、国内で販売する当社品種だけでも20品種以上あります。当社の種苗販売の約90%が生産者向けです。種苗店に卸して、種苗店からプロの生産者へ販売されます。プロの生産者は、農業のプロです。彼らが使うものはナンバー1のものだけです。選んでもらえる品種になるよう、常にオリジナリティを追求しています。110年の歴史の中で脈々と受け継がれてきたオリジナリティというDNAが他社との差別化につながっています。一つの品種が完成するまでには10年から15年かかりますが、その上で、流通過程のニーズと消費者のニーズを先取りして、品種を開発していきます。毎年種を蒔き、その中からニーズに合ったものを選んで掛け合わせていく。そして、掛け合わせを続けることで、求める形質を持った親品種を作る。掛け合わせに使う為の親を長い時間をかけて作り、それらをかけ合わせることで雑種強勢の仕組みでよい形質をもった品種を作り出すことができます。それ以外の試交品種は、全部捨ててしまいます。9割は捨てることになりますが、より良いものだけを残し、残りは潔く捨てることが肝心なのです。 ■世界へ羽ばたく食料の種を生み出すために サカタのタネは、世界12か国に研究拠点があります。各国に研究拠点を作った理由は、世界の食文化や園芸文化のニーズに合わせる必要があるからです。海外には14カ所の研究拠点を持っていますが、それぞれの拠点ごとに開発する野菜や花の種類が異なります。国によって環境が違うので、その拠点の風土に合った品目を選ぶことも肝心です。国や地域によって、土も違うし、栽培方法も違うし、全部違います。たとえば、アメリカの場合は、西海岸か中西部か東海岸かという大まかな場所だけでも気候や土壌が大きく異なります。これは、日本でも同様ですね。こうした気候差や土壌の違いも加味した上で、品種開発は行われています。また、日本で作った種を海外に持っていくためには、植物防疫のハードルも越える必要があります。サカタのタネで共に働く従業員には、情熱を持ち、何事も積極的、かつ前向きに取り組んでほしいと伝えています。また、海外の拠点も多いので、グローバルな思考も持っていてほしいと思っています。国内外で常に新しいことへ挑戦していることから、チャレンジ精神も忘れないでほしいです。野菜と花のカテゴリーの中で、まだ当社がトップシェアを取れていない品目もあるので、そのシェアNO1を目指して国内外で、共に挑戦していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は社会人に比べると、自分の自由にできる時間が多いと思います。その時間を使って、ぜひご自身の見聞を広めてほしいです。また、その中で、自分が集中できることを見つけてほしいです。あと、学生時代にぜひ実践してほしいのが、日本を外から見つめる機会を持つことです。日本だけに居ると、なかなか周囲と自分を客観的に比較することが難しくなってしまいます。だからこそ、ぜひ世界から日本を見てほしいなと思います。また、以前に比べれば、格段に情報を入手しやすい時代になってきています。多種多様かつ膨大な情報の整理ができるように、日頃からトレーニングしていくことも大切ですね。 学生新聞オンライン2023年12月13日取材 國學院大學1年 寺西詩音

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株式会社BOOSTRY 代表取締役CEO 佐々木 俊典

ブロックチェーン技術を活用し、「直接金融」の実現へ 株式会社BOOSTRY 代表取締役CEO 佐々木 俊典(ささきとしのり) ■プロフィール 筑波大学大学院システム情報工学研究科卒後、SAPジャパンで金融ITコンサルに従事。2008年から野村證券IB部門で資金調達業務を経験。2016年から野村グループ内で新規事業開発部署に所属、野村ホールディング子会社のN-Villageに所属し、ブロックチェーンを活用した資金調達の調査研究等に従事。2019年9月にBOOSTRYを立上げて現職。P2P金融とマーケティング×金融の実現に取組中。 ブロックチェーンを通じた、新たな資金調達モデルを提供する株式会社BOOSTRY。挑戦者とファンを繋ぎ、世の中に新しい価値を生み出すことをビジョンに掲げる。半数は野村総合研究所からの出向メンバーで構成された25人の少数精鋭の社員たちと共に、新たな金融市場開拓を進める同社の佐々木俊典社長に、その想いや今後の展望を伺った。 ■IT×金融の可能性を模索し、会社を設立 「これからの時代は、人工知能かバイオテクノロジー産業が伸びる」。そう考えたとき、生物は苦手だったので、AIの研究をするために筑波大学に進学しました。プライベートの時間も含めて研究室に足を運ぶほど、AIの研究に没頭していました。就職を考えた際には、ITとビジネスが分かるコンサルタントになりたいと考え、ドイツのソフトウェア会社の日本法人の会社に入社。IT導入プロジェクトやシステム開発を通じて、企業向けのITサービスに関する幅広い知見を学ぶことができました。その後、企業のビジネスに直結する金融の勉強をするために、野村證券に入社しました。野村證券では投資銀行部門で企業や自治体等の資金調達業務や、さまざまな金融商品による資金調達の実務を経験しました。転機となったのが、2016年です。グループ内に新設されたFintechの新規事業開発部で公募があり、異動を決意。そこでの新規部署や別会社の立ち上げで経営や戦略に携わったのち、「自分のやりたいことを実現したい」という想いから、2019年に野村ホールディングスの傘下としてBOOSTRYを設立しました。 ■目指すのは、金融機関がいない世界 私たちはブロックチェーンを活用して有価証券の管理ができるプラットフォーム「ibet」を提供しています。従来、株式や債券といった有価証券の権利者になるためには、証券会社を介する必要がありました。そこで、我々が考えたのが、これまで証券会社が担っていた機能を、ブロックチェーン技術で再定義することで、証券会社を通さない証券取引の仕組みです。ブロックチェーンとは、簡単に言えば情報をみんなで共有するシステムのこと。この技術を応用することで、有価証券の権利者が誰なのか、一瞬で分かるようになりました。ブロックチェーン上では、全員で情報を共有するため、セキュリティが高く、悪用されにくいとの利点もあります。また、「ibet」の利用は無料なので、様々な企業がネットワークに参加することで、日々システムの機能がアップデートされ、利用しやすいものになります。特定の企業に依存せず、オープンかつ無料なブロックチェーンの仕組みを提供している点が他社サービスとの差別化となっています。 ■挑戦者と応援者を結ぶ ibetの利用者のニーズは大きく分けて2つあります。1つ目は、資金調達。社債や不動産の証券化品の発行により、資金を調達できる点です。2つ目は、ファン創りです。アプローチが難しい個人投資家との交流をibetのプラットフォームで実現できます。大企業をはじめとする挑戦者とファンである投資家との繋がりを強化できるのが、我々のサービスの強みです。そして近年、このような仕組みを使った社債は個人投資家のニーズだけではなく、法人の投資家のニーズも高まってきています。これはいわゆるグリーンボンドといった環境事業の資金調達で発行される債券に注目が集まっているためです。このように時代に即したサービスを提供するには、ibetのようなオープンソースのプラットフォームが最適だと言えます。そんなibetのネットワークを利用して、有価証券ではないもので私たちが提供するサービスの1つにibetアプリというスマホアプリがあります。このアプリを使うと、企業が発行する会員権やチケットなどの売買が、アプリ上で完結しますし、優待のようなチケットを受取れます。また、電子上の権利を流通させられる仕組みを、クレジットカードだけで取引を完結させられます。なお、金融機関向けサービスの運営を行う際、有価証券の発行者の集客までは自社で行なっていません。なぜなら、社員が25人と少人数なので、全部を自分たちでカバーするのは難しいからです。代わりに、有価証券を買った投資家に優待をデジタルチケットで配布したいという要望に対してアプリを提供し、投資家とのリレーション作りをサポートなどをしています。 ■金融機関がいない世界を目指して BOOSTRYのメンバーとして来てほしいのは、好奇心とバランス感覚を持った人です。好奇心がないと人は成長しませんし、成長し続けることが成功に繋がると考えているからです。また、入社後は、与えられたことだけではなく、好奇心をもって、様々なことを吸収してほしいですし、一つのことだけに興味を持つのではなく、バランスよく物事に関心を持ってほしいです。そのためには、アンテナを高く張り巡らせて、専門領域外の周辺の事にも興味を持ち引き出しが増やすことが重要です。自分の仕事だけではなく、組織についても語れる人を社内で増やしたいですね。あと、仕事のスタンスとして、私が社員によく言っているのが「何事も楽しむこと」です。仕事は真剣に取り組んでほしいですが、楽しくないと吸収は遅くなってしまいます。ですから、私たちは進め方ややり方は個人の裁量に任せ、会社としての方針だけ定めています。社員に任せる文化だからこそ、新しい事業が生まれやすくなります。実際に、法人の財務部向けに作ったインベスターズというサービスは、現場レベルの課題を抽出して、事業化したものですが、これも社員に任せる風土があったからこそ、生まれたものだと思います。今後の展望は、今あるサービスで市場を広げていくことです。大企業の中にあるベンチャー企業なので、自分たちの収益を増やすより、市場をひろげ、その市場の中で活動する企業にに貢献したいと考えています。そして、究極的には、金融機関がいない世界を作りたい。そんな真の直接金融の社会を実現させるために、ブロックチェーンの参加者や活用事例を増やし、挑戦者と支援者の繋がりをさらに強固にしていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 学生のみなさんへ伝えたいのは、自分が好きになったことには、全力で取り組んでほしいということです。「将来の役に立つ」とか「仕事に活かせそう」とかは気にせず、自分が本気になれるものをいくつか見つけて取り組んでほしいです。そのとき得たものは、社会に出てからきっとあなたの力になります。 学生新聞オンライン2024年2月5日取材 明治大学大学院1年       酒井躍

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株式会社USEN 代表取締役社長 貴舩靖彦

店舗DXを推進することで人にしかできないことを。 株式会社USEN 代表取締役社長 貴舩靖彦(きふねやすひこ) ■プロフィール 1995年に株式会社大阪有線放送社(のちのUSEN)に営業職で入社し、その後、支店長・支社長・営業企画部長を経て、2012年に海外事業立ち上げで上海に駐在。2016年に日本へ帰国後、事業推進統括部長・営業本部長・執行役員・取締役を歴任し、2023年9月に株式会社USEN 代表取締役社長に就任。 創業より60年以上、店舗向けにBGMを届ける音楽配信サービスで国内シェアNo.1※を誇るUSEN(USEN-NEXT GROUP)。BGMだけでなく、開業支援から運営サポートまで総合的なサービスを展開。店舗の持つ真の価値創出の実現を目指すUSENはどのような戦略や思いで事業を展開しているのか。代表取締役社長である貴舩靖彦氏にお話を伺った。 ※2023年8月期 統合報告書よりhttps://usen-next.co.jp/ir/integrated_report.html 高校ではゴルフ部に所属しており、ゴルフ中心の高校生活を過ごしていました。周りは進学する中で、大学に行って勉強をするのではなく、プロゴルファーになるために研修生となり、夢を追いかけていました。ゴルフは個人戦です。自分自身の技量を上げるだけでなく、どうマインドを変えていくかが大切であり、当時培った経験は今でも活きています。その後、就職を選択したのですが、人とのコミュニケーションが苦手だったため、自分を変えたいという思いが強くありました。そこで、苦手を克服するために営業ができる会社を志望することにしました。営業はどの会社にもありますが、音楽が好きだった私は、音楽に携わる仕事がしたいと思うようになりました。そして、あらゆる店舗で音楽配信サービスが使われているUSENに入社することを決めました。 ■コミュニケーション下手を克服したい想いから重ねた、お客様との対話 営業配属後、なるべく多くのお客様と話すことを心掛けました。話す際に意識したことは、お客様の店舗状況を理解して最適なサービスを提案できるかです。その後、USENでは営業職だけでなく、様々な職種、事業、企画などを担当しました。特に今に活きていると思うのが、海外での営業経験です。上海に駐在して音楽配信事業のスタートアップの投資に携わったのですが、その際、中小企業のCOOとして参画して初めて、会社のすべての部門が一つにつながっていることに気づきました。そこで経営の思考を学んだことが、今の仕事につながっています。当時は慣れない海外でしたが、海外にも音楽配信事業を広げるという使命が自分を突き動かしてくれましたね。社長になった今では、様々な事業に携わったことで見える角度も変わり、多くの経験が仕事に活きていると思います。 ■店舗DXによってお店の未来を創造する USENは人出不足と業務効率の改善につながるサービスを提供することで、空き時間を店舗の未来に向けた有益な時間に使ってほしいという思いで事業を展開しています。店舗運営の場合、効率化されることで、その時間をオーダー促進、メニュー説明といった本来の接客業務に専念できます。その結果、業務効率の改善だけでなく店舗に集う人が笑顔になれる空間創り、すなわち店舗の持つ真の価値創出の実現につながると考えています。そのために力を入れているのが、店舗に必要なサービスのプロダクト開発です。今までは音楽配信サービスが中心でしたが、現在は開業支援、開店準備、販売促進、運営サポートといった店舗のあらゆる課題に対応する総合的なサービスをサブスクリプションで展開しています。サブスクリプションはお客様の信頼を失ってしまうとすぐに解約につながってしまう可能性があります。そのため、どのサービスでもすぐにメンテナンスサポートができるよう全国に約1,000名のフィールドエンジニアを約135拠点に配備し、いつでも保障や修理、24時間体制のサポートを維持しています。また、自社でプロダクトを開発しているからこそ、お客様の声を聞きながら開発できるというメリットもあります。一つのサービスだけだと差別化が難しいのですが、複数のサービスをパッケージで提案することで業務ごとのアフターケアを一元化できるので、お客様も「USENに頼めば大丈夫」と考えていただけます。 ■目標は400万店舗以上への導入と各サービスのNo.1 そのほか、グループ会社25社と連携して、様々な業界、店舗にサービスが届くようにと意識しています。現在は約82万店舗にサービスを導入していますが、いずれは400万店舗以上に導入したいと思っています。そのためにも弊社のリソースだけでなく、協力会社を増やしアプローチできていない店舗に展開することで、新たなニーズを獲得したいと思っています。音楽配信サービスでは国内シェアNo.1を取れていますが、POSレジなどの部門ごとではNo.1を取れていないので、部門ごとのサービスでNo.1を取ることで、シェアを拡大できると思っています。これを目指すにはお客様が使いやすく、売り上げにつながるものでなければならないため、製品を開発して終わりではなくお客様の声を聞きながら改善していきたいです。 ■音が人に与える影響も研究中 USENでは音が人に与える影響を大学などの研究機関と共同研究しています。ただBGMを流すのではなく、どの音楽をどこで流すと人に変化が起きるのかを研究することで、オフィスや学校など目的に応じて音楽を活用することができます。かつて約440チャンネルを提供していた時代は、お客様がなかなかチャンネルを変えず、流れる曲を固定する店舗が多くありました。そこでAIを活用して、店内にいるお客様の層に合わせてプレイリストを自動作成するなど、それぞれの店舗ごとに店内に合いそうなBGMを選曲できるようになりました。「こういったサービスがあったらいいよね」というお客様の声を聞きながら、新しいサービスやコンテンツを展開できるのがUSENの強みだと思います。 ■大学生へのメッセージ 自分の夢にチャレンジできたからこそ、今の自分があると思っています。大学生のみなさんは、率先的に行動してみてください。インプットも大事ですが、アウトプットも意識してほしいです。また大切なのが素直さです。世の中の動きや人に言われたことに対して真摯に受け止めながら自分に落とし込める人が大きく成長すると思います。時代が大きく進んでいく中で、吸収しよう、アウトプットしようという能動的なアクションやチャレンジ精神を、ぜひ大事にしてほしいです。 学生新聞オンライン2024年1月12日取材 法政大学3年 島田大輝

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株式会社スピークバディ 代表取締役CEO 立石剛史

いちばん強くパッションがある領域で戦いたい 株式会社スピークバディ 代表取締役CEO 立石剛史(たていしつよし) ■プロフィール 慶應義塾大学在学中に会計士二次試験当時最年少合格。外資系投資銀行で上場企業の資金調達やM&Aアドバイザー業務に従事、香港駐在も経験。就職内定当時TOEIC280点だったことから、業務上必要な英語レベルに達するのに大いに苦労し、その経験が現在のサービス開発に繋がった。現在はTOEIC満点・英検1級。 累計300万ダウンロードを突破し、App Store教育ランキング1位を獲得したAI英会話「スピークバディ」。中学生の頃から大の英語嫌いで、全く話せなかったという立石剛史さんが、なぜ英会話アプリの開発に至ったのか。そこには、自身の挫折経験とそこから生まれたパッションがあったのだとか。 ■史上最年少で会計士試験に合格 高校時代は内部進学だったこともありほぼ勉強せず過ごしていましたが、大学に入ってからは、公認会計士の勉強に多くの時間を費やしました。きっかけは、高校3年生の時、父の経営していた会社が倒産し、生活が一転したことです。「これからは自分で稼がなくては」と思い、本屋で仕事図鑑を読み漁っては、自分の力で稼げて結果の出せる仕事を探しました。そこで見つけたのが、経営コンサルタントです。経営コンサルタントになるには、会計士の資格が有利だと知り、商学部への進学を決めました。 大学1年の冬から会計士の資格勉強を始め、1日14時間みっちり勉強し、勉強の邪魔になるからと携帯電話から友人の連絡先を消したり、テレビの電源コードを抜いたりするほどでした。大学3年生の時、その努力がついに実を結ぶこととなります。会計士の試験に史上最年少で合格したんです。それまで小学校から内部進学で、あまり勉強してこなかった自分でしたが、この時初めて「自分もやればできる」と思えました。 ■人生の転機は大病の経験から 大学卒業後は、外資系投資銀行に就職しました。ただ、外資系ということもあり業務には英語が必要。でも先ほどもお伝えしたようにほとんど中高で勉強していなかったこともあり、ただでさえハードな仕事に加えて、英語で本当に苦労しました。 人生の大きな転機となったのは、20代半ばで大病を患ったこと。現在は完治していますが、当時は突然死の可能性もあると告げられて、自分の人生を振り返りました。やりたいことをやって成果も出せたことに満足してはいましたが、死の瀬戸際に立たされた時、ふと「世の中に自分が生まれた意味があっただろうか」と思ったんですよね。私はその問いにはっきりYesと答えることはできませんでした。もし手術が成功して生きられるのであれば、今度は世の中の役に立つことがしたい。それで社会にインパクトを残したい。それで起業することを決意しました。 ■友人の一言で英語学習アプリ開発へ 起業すると決めた上で、どんなサービスを展開するか。もともと「世の中にこんなサービスが有るべきなのでは」とよく考えていたこともあり、アイデア自体はいくつも浮かびました。そんな中、帰国子女の友人から「英語アプリを作ったらどうか」と提案されたんです。でも私は昔から大の英語嫌い。英語だけはするものかと、断固拒否という状態でした。実際、外資系の企業で働いていた当時、私自身が話せないコンプレックスを抱えながら必死に勉強を頑張っていたのですから。 でもまあ、ものは試しにやってみるか、とアプリを作り始めてみたら、とめどなくアイデアがあふれて来たんです。そして素人ながらに作った英語学習アプリが、2014年のApple年間ベストアプリになり、マインクラフトに続いて第2位を獲得しました。ユーザーの反応を見て、英語を学びたい人はこんなにたくさんいるんだと驚きましたし、同時に自分がこんなにも語学習得にパッションを持っているんだとも気づきました。 そこからの数年、機能を増やしていったり、他にも幾つかアプリをリリースしました。ただ、それぞれヒットはしたものの、「これで英語を話せるようになった」という声は聞こえてきませんでした。自分と同じように英語習得に励んでいるけれど、話せなくて苦労している人を助けたい。であれば、もっと画期的なもの・よりインパクトを与えられるものを出さなくては、と思いました。その一心で、再びアプリ開発に奮闘し、新たに生まれたのがAI英会話「スピークバディ」です。 ■人ではなく、AIで学ぶ言語学習 私は英語学習に5000時間・500万円以上と、膨大な時間とお金を費やしたんです。だからこそ、もっと効率良く学べて英語が身に付くサービスが必要だと強く思っていました。でもAI英会話アプリを起案した当初は周りからは反対の声がたくさん挙がりました。音声認識技術もまだ発達し始めた頃で、スムーズに会話できるレベルではなかったこともあります。ですが、以前金融機関でIT関係の仕事を担当していたこともあり、音声認識やAIの分野はどんどん進化していくであろうと確信していました。そして何より、英語を話せるようになりたい人の役に立ちたかった。オンライン英会話をはじめ人間の講師との英会話は、高価で予約をとるのが大変だったり、講師が変わると英語レベルの確認に時間がかかったりして非効率だと感じていました。そして、間違えるのを恥ずかしく感じたり、気をつかったりもする。その点、AI相手だと気楽です。スピークバディは言語習得をサポートする会社として、人ではなく、AIで学ぶ社会を目指しています。今後も、人と区別がつかないくらい流暢に会話ができて、人よりもっと効率的・効果的に言語習得できるAI英会話の開発に取り組んでいきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 自分自身のキャリアを選択する際は、稼げるだけではなく、自分が情熱を持って取り組めるかどうかも非常に大事だと思います。「ikigai」という概念をご存知でしょうか。「得意なこと」「好きなこと」「世の中が必要とすること」「お金をもらえること」の4つが全て重なることで人は生きがいを感じられる、という考え方です。私も初めは金銭面を第一に考えていましたが、いま取り組んでいる事業は、この4つが重なることだと強く感じています。ぜひ、皆さんにも学生生活を通して、自分が情熱を感じるものを見つけてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年1月23日取材 上智大学2年 白坂日葵

大川知

弥生株式会社 代表取締役 社長執行役員 前山貴弘

中小企業を支え日本をより良くしたい 弥生株式会社 代表取締役 社長執行役員 前山貴弘 (まえやまたかひろ) ■プロフィール 1977年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)及びシンガポール国立大学の経営大学院修了。プライスウォーターハウスクーパース税務事務所(現 PwC税理士法人)にて国内およびクロスボーダーの税務コンサルティングに携わる。2007年弥生株式会社入社、2011年退社。その後、デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社にて日系企業の海外子会社再建、国内事業再編等の支援業務に従事。2020年に再び弥生に入社し、取締役管理本部長に就任。2023年より代表取締役 社長執行役員。税理士・公認会計士資格を保持。 会計初心者でも簡単にできる会計ソフトウェアの開発、販売、サポートを行う弥生株式会社。起業・開業や事業支援などを通じ、会計ソフトの枠を超えたサービスを展開している。前山社長は新しい弥生を「挑戦」と表現し、進化を目指す。2度弥生に入社された「出戻り組」である前山社長に、会社と製品の魅力、そして目指す弥生の未来について伺った。 ■ゼミに熱中した大学時代 大学はゼミ中心の生活でした。内閣府の顧問なども務めていた島田晴雄先生の経済学部のゼミに所属していました。先生は、1人の人間として社会を生きるためには、複雑な世の中を体感し、様々な観点から物事を見るべきだとよくおっしゃっていました。そのため、ゼミでは理論を学ぶだけではなく、イベントにも積極的に参加して世の中の流れを理解することに努めていました。                        実家が会計事務所であることから、会計にはもともと興味があり、公認会計士の資格を取得しました。公認会計士に合格した人の多くは監査法人に就職しますが、私は違う道を進みたいという思いから、プライスウォーターハウスクーパース(現 PwC税理士法人)の税務部門に就職を決めました。 ■弥生へ2度、入社した理由 実は2007年と2020年に弥生に入社しているんです。初めての入社はPwCで出会った先輩の紹介がきっかけでした。その後、一度弥生でのキャリアを中断し、海外留学をして経営を学びました。将来、言葉による制限で、やりたいことが制限されることがあったら嫌だと感じていたことが留学を決めた理由です。語学の面では結構苦労しましたが、会計という自身の強みで人とのつながりを築くよう努力しました。2度目の入社は、前社長に戻ってこないかと声をかけていただいたことがきっかけです。二つ返事で引き受けました。その理由は、私が会社として弥生を好きだったからです。同時に、弥生の事業と親和性のあるバックグラウンドを活かし、以前とは違った形で会社に貢献できるのではと思ったからです。私は会計事務所の家で育ち、実際に弥生の製品を使っていたため、ユーザー視点での改善に役立ちたいと考えていました。また。馴染みのあり仲間とまた一緒に仕事ができることにも、魅力を感じていました。最初はCFOという財務責任者として入社しました。会社の数字を管理し、レポートすることや、社内外で適切なコミュニケーションを行うことが求められる仕事です。経営陣の一員であるCFOになるにあたり、公認会計士としてのアプローチや、留学で培った経営の知識を活かし、会社の課題を解決したいという思いがありました。入社後は、予想外の苦労もありました。例えば、親会社を含むステークホルダーとの調整です。自分たちがやりたいことを主張しながらも、関係者がが求めることを理解し、バランスを取ることは想像以上に難しかったです。 ■弥生ならではの魅力 弥生の社員に共通していることは、愛社精神とプロダクトへの愛情です。また事業を通じて、中小企業を支援して、日本や経済を良くしたいという想いを持っていますね。熱い想いを持っている社員が揃っている会社は珍しいと思います。製品に関しては、専門家である会計事務所の方だけでなく、会計初心者の事業者の方にも使いやすいというフィードバックをいただいています。製品そのものだけでなく、購入いただいた後のサポートにも力を入れています。特に、カスタマーセンターは年間120万件のお問い合わせがあり、多くの方に利用いただいています。インタラクティブなやり取りをタイムリーにできるカスタマーセンターの存在は、お客様に安心感を持っていただいているのではないでしょうか。 ■莫大なユーザー数を活かしたサービス 我々の1番の強みは、310万以上という登録ユーザー数と蓄積されたデータです。我々のソリューションは、多くの中小企業の方に使っていただいています。中小企業は日本の経済を支えています。私たちは、そんな中小企業のお客様が、幸福感を持ち元気になれるようお手伝いしたいと思っています。今までは、お客様の業務を効率化することにフォーカスをあてて、その中で幸福感を実現する努力をしていました。しかし、お客様の幸福度を上げ続けるには、業務の効率化だけでは限界があるため、事業自体の成功を支えることも必要だと感じています。我々が目指しているのは、ユーザーにマッチした情報を提供していく取り組みです。Googleが個々のユーザー情報を得て、広告に反映させているのと同じようなイメージです。弊社ソリューションは中小企業の多くの方に使っていただいており、クラウド上には全国の中小企業の業務データが一円単位で保存されています。データを読み解くことで彼らの経済活動を把握することが可能です。中小企業は大企業と比べて、競合企業で何が起きているか把握しづらく、競合との業績の差の理由がわからないことも多い。そこで、我々が共有している多くの経済データを参考に、中小企業の方々に経営情報をフィードバックし、次のアクションに生かしてほしいという展望があります。 ■大学生へのメッセージ 大学生のときしかできないことは本当にたくさんあります。自身の興味関心の赴くままに、楽しいと思えることを見つけて一生懸命取り組んでほしいです。採用の際には、物事に対して前向きに取り組める人かどうかを重視しています。新しい環境でも積極的に学びながら主体的に成長しようという意識を持った方と一緒に働きたいですね。 学生新聞オンライン2024年1月15日取材 津田塾大学4年 大川知

コラム

テリー伊藤 コラムVol.19 「無駄遣いの王様インスタ」始めました

遅まきながらインスタ始めました。食わず嫌いだったのか、興味がなかったのか、仲間はやっていてもまったく触手が動かなかった。今日何食べた、何処へ行ったとインスタで毎日報告する気がしない。面倒くさいのです。一番はプライベートを余り知られたくない。そんな事から縁遠い存在のはずが、ある日起きたら突然「インスタ始める!」…そこからのスタートです。 とは言っても食事など日常生活を写真に撮っても、皆さんきっと興味がないはず。第一、私、食に貪欲では無く、好物がカレーライスやハンバーグ、鍋焼きうどんにパスタと子供達が好きな料理と変わらない。グルメでもない。行きつけのお店も数店しかない。これでは2週間で終わってしまう。地元鎌倉の人気スポットを今更紹介しても皆さんの方が詳しいだろうから新鮮味もない。車は大好きだけどYouTubeチャンネル『お笑いバックドロップ』で毎回お宝中古車を紹介しているので同じことをやっても始まらない。TBSラジオ『テリー伊藤、昭和モーレツ天国』で一緒にやっている吉竹史ちゃんに話したところ「絶対にファションが良い!毎日出掛ける時に着る服を紹介したら。」のアドバイス。確かに洋服は呆れる程クローゼットにあるけれど、日常は身近にある同じような服を着ているのが現状。毎日替えるのもプレシャーになりそう。スタートする前からこんな調子。 悩みました。考えました。決めました!長年に渡り買い続けた摩訶不思議な、意味のないお宝を紹介していきます。何たって “無駄遣いの王様” の異名を持つ私ですから。これなら納戸の扉が閉まらない程持っている。「これ最高」と購入してきたが、多くは一般の方が全く興味の無い物ばかり。例えば、レディ・ガガが愛用して話題になった日本人デザイナー舘花さんが作った靴。あまりの格好良さに私もお願いして作って貰った作品。実際に履くと大変なのですが、そこは気合で。1894年生まれのシルクハットは何とも哀愁漂う佇まい。1970年代の名作ハリウッド映画『イージーライダー』で、あのピーター・ホンダが被っていた星条旗柄のヘルメットの同型を所有。人間の大きさ程ある不気味な木製昆虫…などなど。 早速インスタに挙げたので是非見て笑って下さい!ですがフォロワー数が笑っちゃう位少ないのです。現在204名。「人気ない」と冷やかされています。こうなったら面白いインスタにする決意!! 皆さん是非「テリー伊藤 インスタ」に登録お願いします!! 笑って下さい。とは言っても飽きっぽい性格なので〈シーズン1〉と称してすぐインスタ止める可能性あり。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

SRSホールディングス株式会社 代表取締役執行役員社長 重里政彦

現場のニーズを察して、日本一の和食レストランへ導く SRSホールディングス株式会社 代表取締役執行役員社長 重里政彦(しげさとまさひこ) ■プロフィール 大阪府生まれ。大学卒業後、総合商社で海外勤務、M&Aなどを経験した後に2008年当社に入社。「和食さと」で食べ放題メニュー「さとしゃぶ」の発売、キッチンや店内の改革を断行し、業績回復を果たした。2017年に代表取締役執行役員社長(現職)に就任。「明るく仕事をする」をモットーに、外食・中食を地域に欠かせないインフラとすべく取り組んでいる。 父の急死によって兄が家業を継いだ際、商社で勤務をしていた重里さんは、父の飲食業界を継ぐことは全く考えていなかったという。そんな重里さんが、なぜ父の会社に関わるようになったのか。和食レストランチェーンとして大成功を収めるまでの道のりをお伺いした。 ■研究職から商売の道へ 大学時代は、農学部獣医学科を選択しました。私はもともと「医者になりたい」と思っていたのですが、実は大学受験の際、父からは医学部への進学に反対されていたからです。「医学部に入ったら学費は出さない」とまで言われてしまったんですよね。(笑)我が家の家業は、和食外食チェーンの運営です。今思えば、その頃、癌が発覚していた父にとって、そう長くはないと感じた自分の後継として仕事を手伝ってほしかったのだと思います。獣医学科で専攻した実験動物学研究室では、主にあるウイルスにより、発症させた疾患モデル動物を利用して、その疾患を解析する研究をしていました。ですが、やればやるほど研究職が自分とは肌に合わないのではないかと感じるようになりました。実験が上手くいくかどうかではなく、研究職では達成感を得られないのではと迷うようになったんです。大学6年生(獣医学科は6年制)で就職活動を始め、いろんな会社を目の当たりにしたら、もっと広い世界で学びたいという気持ち強くなりました。当時新しいブランドや商品が世界から日本へどんどん入ってきた時代ということもあり、商売に興味をそそられたんですよね。リクルーターの先輩たちの話を聞いていく上で、1番楽しそうに仕事をしていて魅力を感じたのが商社でした。 ■父と兄の会社を継ぐ 商社に入ってからは、アメリカで日本のメーカーの商品を開発し、販売につなげる仕事をしていました。5年間の海外勤務を終えて帰国する直前に、自社と他の総合商社が合併することとなり、実質的には私の会社が吸収される側になりました。私がいた部署はファンドに売却されたこともあり、それまでとは違った経営が進められました。わかりやすく言えば数字至上主義という感じでしょうか。その後、さらにファンドからファンドへ売却されることが決まった39歳の時に、これを繰り返すことに抵抗があり転職を決意します。念の為、父の死後、会社を継いだ兄にも報告しようと連絡を入れたところ、人生で初めて2人で食事をすることになりました。そこで、兄から「うちの会社を手伝ってくれないか」と言われたんですよね。外資系の製薬会社などからも誘いはあったのですが、これまで自分を育ててくれた亡き父親への感謝もあり、今まで積み重ねてきたことが少しでも会社の役に立てばと思い、家業を手伝うことに決めました。 ■現場のニーズを汲み取る 当初は、商社出身ということもあり、海外戦略や仕入の部分を期待されて入社しましたが、リーマン・ショックによる打撃を受け、急遽、会社の立て直しに向き合うようになりました。そこでまず着手したのは、自社のメインブランドである「和食さと」の改革です。同ブランドのトップに立ち、業務改革だけではなく商品開発も行いました。全店長他社員250人ほどにインタビューして現状を把握し、街中を歩き回って、世の中で支持されているお店の特徴を探しました。そこで、自社の得意なことでできることを考えた時、「さとしゃぶ」が生まれたんです。天ぷら商品のバリューアップやドリンクバーの導入など、できることは全てやってみました。他にタッチパネルの導入も考案したところ、当初は経営層はじめ多くの社員からは大反対を受けました。社員たちからすれば、従来通り注文を受けるというやり方を大切にしたいという想いがあったのでしょう。ただ、目の前にいるお客様と対峙しているのは現場であり、私たち事業のトップではありません。そんな現場のニーズは、お客様とのコミュニケーションでしか分かりません。私は外から飲食業界に飛び込んだ立場でしたが、客観的に「現場のニーズや時代にあった要望をくみ取ることが大事」と感じたからこそ、タッチパネルの導入を実施しました。結果的に、現場の負担が減り、売上にも貢献するように。大胆な考案で会社のピンチを救うことができたのは、大きな成果だと思っています。 ■お客様の数=社会貢献度 近年はコロナの影響により、お客様のライフスタイルは大きく変わったように思います。夜21時頃までのお客様は多く戻ってきていますが、それ以降の時間帯のお客様はかなり減りましたね。大人数での宴会も減り、仕事が終わると家に帰るというスタイルが浸透しているのでしょうか。これまでは宴会の需要が高かった時代でしたが、ご家族でも楽しめるようにと、大部屋のあった多くの店舗を少人数で利用できる、半個室に改装しました。このように、時代の流れに合わせた変化が、お客様にどれだけ足を運んでもらえるかの鍵となります。よく社員にも伝えていることですが、お客様の数が社会貢献の指標になると私は考えています。お客様が楽しそうに食べている姿を見られるのは、何よりのモチベーションです。和食レストランとしてお客様に満足していただけるよう、これからは日本だけではなく、海外で、そして最終的にはアメリカでのブランド展開も目標にしています。 ■大学生へのメッセージ 就職活動においては、「どこの会社の給料が高くて人気」といった情報をたくさん目にすると思いますが、給料や労働環境、福利厚生などは二の次だと私は思います。まずは自分に正直になってほしいと思います。キャリアを積むにしても、長い人生なので、自分にとって楽しいと思える仕事が良いですね。自分は何をしたらイキイキとしていられるか、学生生活で得た経験をもとに考えてみてください。楽しい仕事であれば、苦労があっても乗り越えられるものです。 学生新聞オンライン2024年1月12日取材 上智大学2年  白坂日葵

DX・WEBマーケティング

大塚製薬株式会社 ニュートラシューティカルズ事業部 eコマース部 金澤...

苦もなく続けられることを仕事にして会社と健康に貢献する 大塚製薬株式会社 ニュートラシューティカルズ事業部 eコマース部 金澤慎太郎(かなざわしんたろう) ■プロフィール 1987年生まれ。新潟県出身。米国ネバダ州立大学ラスベガス校教育学部卒業。2010年4月、大塚製薬株式会社入社。ニュートラシューティカルズ事業部福岡支店、MBA留学(米国ワシントン大学)、事業戦略室を経て、2017年3月から現職。 ポカリスエットやカロリーメイトなどの誰もが知る人気商品のほか、医療用医薬品を展開し、世界の人々の健康に貢献する大塚製薬。なかでもeコマース部はデジタルマーケティングを行い、仮説を基に大塚製薬の売り上げを支えている。そんなeコマース部の金澤係長に、同部署の具体的な取り組みや、仕事の魅力・やりがいなどを伺った。 私は、アメリカの大学に進学したのですが、現地の医療費はとても高い印象があり、高額請求が怖くて病院には一度も行きませんでした。とはいえ、当然具合が悪くなることもあり、そんなときはいつも、日本から持参したポカリスエットの粉末に助けられていました。アメリカでの就職も考えましたが、現地で知り合った日本人のビジネスマンの方に「日本企業はビジネスの基礎を新卒社員に丁寧に教えてくれるから、まずは日本の企業に入ったほうが良い。」とアドバイスをいただきました。就職活動の時期になり、ボストンキャリアフォーラムという留学生向けの就職イベントに参加したところ、大塚製薬がブースを出していました。いつもポカリスエットの粉末に助けられているお礼を言いたいという思いでブースに行ったところ、まだ面接の募集をしており、運良くその場で面接をすることになりました。ポカリスエットに何度も助けられたエピソードを熱く語ったのが良かったのか、縁あって内定することができました。入社して4年間は、佐賀県で営業を担当しました。ドラックストアやスーパーに赴き、自社商品の陳列場所やスペースの拡大、新商品の提案などをおこなっていました。通常の営業活動に加えて、様々な経験をすることができました。たとえば、高齢者の割合が高い佐賀県では老人会や高齢者大学などの組織が活発に活動しており、健康に関する勉強会を実施する機会を頻繁にいただきました。目の前にお客様がいて、正直なフィードバックを日々いただいたこの経験は今の仕事にも生きています。その後、幸いなことに社内のMBA留学の選抜に選ばれました。シアトルのワシントン大学で学んだ後、日本に戻ってきてからは品川の事業戦略室で市場調査の仕事を約1年行いました。その後、今のeコマース部に異動しました。佐賀、シアトル、品川と様々な場所で幅広い仕事の機会をいただけたことは、本当に良い経験になったと思っています。 ■結びついた新たな習慣と仕事 もともとデータを元にした根拠づくりが好きなので、今のeコマース部の仕事はとても楽しいです。根拠づくりが好きになったきっかけは、MBA留学で学んだ「人の行動の背景には全て理由があり、それをデータとして分析する」という統計学的なマーケティングの考え方に面白さを感じたからです。それ以降、日々の自身の行動を振り返り、「なぜ商品Aではなく、商品Bを選んだのか…」など、自分の行動を振り返る習慣がつきました。例えば、社内のメンバーと行くランチの場所や天候、メンバー構成などを日々Excelに入力し、自分たちのランチの選択にどの様な傾向があるのかをデータを基に分析したりしてみました。この習慣は、今の仕事に結びついていると感じます。eコマース部では、自社通販サイト「オオツカ・プラスワン」の管理運営を行なっています。サイトへの集客のためのweb広告や新聞の折り込み広告などのプロモーションや、メールやDMを送って商品を購入して頂いた方との関係を構築するCRM(顧客管理システム)なども、仕事の一部です。それ以外に各ブランドのデジタルマーケティングのサポートも行っています。 ■返ってくる仕事に感じるやりがい Webのマーケティングを組み立てるときに、まず初めに仮説を立てます。データを分析した上で「こういう人にこういうことを訴求したら買ってもらえるのでは」と仮説を立てるのですが、デジタルの場合、全て結果が数字で返ってきます。仮説通りに商品が売れて、会社の売り上げに貢献できた時は本当に嬉しいですし、やりがいになります。また、アンケートやメールでお客様から喜びの声を頂くと、自分の仕事が誰かのためになり良かったと感じます。仮説を立てることに加えて、社外の様々なパートナーから最新のテクノロジーや潮流の話を伺い、新たな施策を試しています。日々テクノロジーが進化していますし、お客様へのメッセージのより良い伝え方は変わっているからです。成長を感じるのは、仕事をしていて、関わる人がどんどん増えているときです。あとは、責任の範囲が広がると、自然と「成長しなきゃ」と感じますね。 ■大学生へのメッセージ 自分が「何が好きなのか?」を見つけることです。私の場合は、たまたまMBA留学で見つけることができましたが、もっと早い時期に見つけていたら、キャリアが違っていたかもしれません。苦もなく楽しんで続けられることは、キャリアを考えていく上で基準になっていくのではないでしょうか。色々なことに挑戦できる大学生時代に、好きなことを見つけられたら素敵だと思います。他の人から見たら変わっていたり苦痛なことだとしても、自分なら夢中になってできることを探して、それが仕事に結びつけられれば、きっと人生はもっと楽しくなるはずです。 学生新聞オンライン2024年1月11日取材 津田塾大学4年 大川知

イベント・企業紹介

全方位美人Beauty Festival 2024トークショー

2月11日(日)に野村コンファレンスプラザ日本橋(東京都中央区日本橋室町2-4-3)にて、『全方位美人BeautyFestival2024』が開催されました。歳を重ねるごとに、おしゃれをする機会が少なくなり、元気がなくなる大人の女性も少なくありません。こうした女性の方々のために「参加するだけで外見も内面も美しく元気になる!」をコンセプトに、美容のプロのブース出展やセミナーを通して、文字通り「全方位美人」を目指せるイベントとなりました。今回のテーマは「美の冒険」。“新しい自分に出会う旅。”美の魔法で始まる冒険”をテーマに、本イベントの主催であり、MAKEUPプロデューサー兼YouTuberとして活躍の場を広げ、一般社団法人・美意識コンシェルジュ協会代表理事も務めるSHOKOさんが、全方位から綺麗になれる秘訣について語りました。またスペシャルゲストとして、俳優の石野真子さんと奥菜恵さんが登壇し、本イベントに華を添えました。 主催者:MAKEUPプロデューサー・一般社団法人美意識コンシェルジュ協会 代表理事SHOKOさん 私は長年ヘアメイクアップアーティスト活動してきました。現在は講演会など美容を通じて、「綺麗になりながら生涯現役で活躍できる女性」の育成に力を入れ、社会貢献を目指しています。遅咲き人生何度でも。老いゆく自分に嘆くのではなく、人生経験が豊富になった今だからこそ活躍できるチャンスがあるということを女性に知っていただきたいです。このイベントで美しくなりたい女性が増えるきっかけになれば嬉しいです。 捨て活マスター 山崎悦子さん 私たちがよりよい人生を送りたいと思ったときに、多くの方が「何かを足していく」という大きな勘違いをしがちです。しかし、それは本当の人生を豊かにすることとはかけ離れてしまいます。本当の意味で人生を豊かにするということは、99%の無駄なものを排除し、本当に大事なたった1%にフォーカスをあてることです。今までの古い価値観、概念、信念をリリースして本当の新しい自分や、新しい未来を獲得していただきたいです。 石野真子さん 康・美容の情報は現場でメイクさんに聞いたり、雑誌を読んだり、YouTubeでSHOKOさんの動画を見たりしています。SHOKOさんが傍にいて教えてくださる感じなのでいろいろとチェックして楽しませていただいています。日々の生活で気を付けていることは、体を動かすことや、アマニ油やナッツなど、体に良い食事を意識しています。あまりルールは決めず、体に聞いてみて好きな時に好きなものを食べていますね。毎日ごきげんでいられるように、口角を上げて頑張っていきましょう。 奥菜恵さん SHOKOさんのチャンネルが目から鱗で、自分が今まで真逆のことをやってしまっていたのだなと。(笑)説明も分かりやすいので、実践しやすいです。日々の生活では、元々アレルギー体質で食べるものに気を使っていたのですが、数年前からピラティスなど運動を始めたことで調子が良くなりました。前向きな気持ちにもなれたので、これからも続けていきたいなと思います。今回のイベントを通して、年齢に限りはないのだなと感じました。一人ひとりが自分の内側にある感情を大切に楽しんで生きられたら最高だなと思います。 学生新聞オンライン2024年2月11日取材 共立女子短期大学2年 猪本玲菜/上智大学短期大学部2年 大野詩織

コラム

テリー伊藤 コラムVol.18 今年のジャイアンツは!

日本のプロ野球、いよいよ春季キャンプに突入!各球団がそれぞれのキャンプ地で4月の開幕、10月の優勝、を目標に連日熱い練習を行っている。ファンにとってこの時期が一番楽しい季節かもしれない。勝ち負けの心配をする必要がないからだ。聞こえてくるマスコミ報道から、好きな球団の今シーズンのポジティブ戦力分析をすれば良い。私はもちろんジャイアンツに注目。去年はクライマックス・シリーズにも残れず、残念の4位。原監督も辞めて落ち込んでいたが、年が明けて阿部新監督のもと、気を引き締めて応援することに。 ドラフト1位で獲得した西舘勇陽投手(中大)が相当良いらしい。YouTubeを見ると、素早いクイックから投じる球の速いこと。衝撃の速さだ。(クイックボールとは投手が投球動作を小さく素早くすることで盗塁を防ぐ投法)おそらく今のプロ野球で1番ではないか。更に凄いのは、ダルビッシュ有(パドレス)や山本由伸(ドジャース)張りの強力カッターを投げることだ。(カッターとは、直球と大きく変わらないスピードで打者の手元で小さく、鋭く変化するのが特徴)新人離れした西舘投手のピッチングを見て、最年長の長野外野手もゲージの後ろで驚きの表情をしていた。公式戦では先発で行ってもらいたいが、守護神大勢が打ち込まれた時は西舘の抑えも考えられる。去年は12球団ワーストの防御率、救援陣の再建が急務だ。阪神から補強したケラーと馬場の二選手にも大いに期待。 打撃陣は、右翼のレギュラー候補にメジャー通算178本塁打のルーグネット・オドーア(パドレス)が加入したが、昨シーズンの打率が2割少しなので、コントロールの良い日本の投手の球に翻弄されるかも。早くもチームのリーダー的な存在になっている2年目の門脇選手には期待したい。去年まで打撃コーチを担当していたデーブ大久保に先日話を聞いたところ「巨人の主力選手、岡本、坂本は学生時代にキャプテン経験がないのでマイペース。その点門脇は高校、大学とキャプテンをやっていて、団体行動の中で率先して練習している。」と高く評価していた。負けが続く時もある。その時こそ門脇が必要になってくる。秋広は昨シーズン後半失速したが2割7分3厘。10本塁打、41打点は立派な数字。今季は25本塁打は行ける。それにはミスの多かった外野の守備力をもっと付けないと。。。いけない!シーズン始まっていないのに早くもジャイアンツを心配している。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社クラダシ 代表取締役社長 関藤 竜也 

ブランドイメージをつけ、フードロス問題の解決へ繋げる  株式会社クラダシ 代表取締役社長 関藤 竜也 (せきとう たつや) ■プロフィール 1971年大阪生まれ。1995年総合商社入社。高度経済成長期の中国駐在を経て独立。戦略的コンサルティング会社取締役副社長を経て、2014年フードロス問題を解決するため、株式会社クラダシを設立。「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー 2021 ジャパン」関東地区代表選出。国連WFP協会評議員。食品ロス・廃棄に関する国際標準化対応国内委員会メンバー及び国際委員会メンバー。 フードロスによって起こった社会問題を目の当たりにし、「この社会課題を解決したいと感じた」という株式会社クラダシの関藤竜也社長。戦略的コンサルタント会社を経て、2014年に同社を設立。フードロスに対する社会風潮の変化や仕組みを作るまでの軌跡を伺った。  高校1年生の時から、将来は商社マンになりたいと考えていました。普通は就職活動といえば大学3年生の夏くらいからリサーチを始める人が多いと思うのですが、なりたいものがはっきりしていたので、僕は大学1年生のときから動いていました。就活は、無料でいろんな業界を見ることができるし、様々な社会人の方にお話を聞ける絶好のチャンスだと感じていたからです。様々な業界の考え方や社風、また、自分がなりたいイメージと重なるかどうかも確認していました。たとえば、ホテル業界のセミナーに行った時、接客業は何か一つのことに秀でている人の方が向いているように感じました。僕自身は、何かひとつに秀でているというよりは、なんでもそつなくこなせるタイプだったので、「接客は合ってないな」と判断したりしていましたね。そして、結果的には、高校時代からの夢だった商社に入社したのですが、就活している間も「いつか機会があれば、起業したいな」とずっと考えていました。 ■社会風潮は一人でなくてみんなで仕組み化するもの 商社に入社した後、中国へ駐在する機会をいただきました。そのとき、フードロスが生まれる社会問題の原型を見て、大きな衝撃を受けました。中国は労働人口が安いのが最大の魅力なので、世界の工場がより安くより良いものを探して、中国で大量生産を行っていました。その例にもれず、僕の中国での仕事も、アパレル工場での生産管理でした。ただ、大量生産を行うと、規格外品などがどうしても発生してしまいます。まだ着ることのできる服を大量に廃棄しなければならないという実情があったのです。これは、フードロスと同じような構造です。食べ物を大量生産するものの、消費しきれず、食べられるものも廃棄しなければならない。こうした構造をなんとか変えられないかと思うようになりました。最初はまったく相手にされませんでしたが、次第にSDGsなどの考えも広がるにつれて、声に耳を傾けてくれる人も少しずつ増えていきました。そこで、「いまが起業のタイミングではないか」と思い、会社を創業しました。 ■クラダシだから良いよね!という信用にブランドイメージをつける 皆さんは、食品の流通における「3分の1ルール」はご存知ですか? 食べ物には製造日と賞味期限が書かれていると思いますが、賞味期限のその3分の1の期間が過ぎたら小売店などに納品できないという商慣習(ルール)です。このルールがあると、通常の販路では販売する場所がなく、まだ食べられる商品を捨てなければならない可能性があるので、フードロスに繋がります。そこでクラダシでは、「1.5次流通」という通常の流通ルートを毀損しない新しいマーケットをつくり、ソーシャルグッドマーケット「Kuradashi」で、フードロスの危機にある商品を販売をしています。例えば、ワインには賞味期限がありません。でも、次の年には大体処分されてしまいます。その原因は、パッケージの変更や保管料がかかるからです。Kuradashiではそうした商品を事業者側から買い取り、お得な価格で販売しています。また売り上げの一部を社会貢献活動団体への寄付や支援に充てています。、事業者側にとっても廃棄することなく社会的な貢献活動に繋がり、付加価値を高めることができます。双方に利益があることに加え、フードロス削減への活動に賛同しているというブランドイメージを高めることができます。もちろん、在庫の量や賞味期限の短さによっては、売れ行きが怪しい時もあるのですが、その時にもフードロスが絶対に起きないように価格を下げたりし早い段階でメールマガジンに掲載するなどしロスがないようににしています。 今後も世の中に山積するフードロスをはじめとした社会課題解決を目的に、続け、社会性、環境性、経済性に優れた活動をしていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 自分の可能性を信じて、型にハマらない行動をしてほしいなと思います。様々な意味で多様な時代になってきています。情報社会に溺れるような感覚があるかもしれませんが、本質を知ること、見ることが大切です。見えている部分だけでなく、中で動いているような仕組みを知ることが大切だと思います。物事の判断は自分の知見の中でしかできないので、調べた情報からではなく自分の興味がある方向でアクションやチャレンジをして、失敗したことから学んで成長していってください。 学生新聞オンライン2023年10月4日取材 立教大学 4年 須藤覚斗  

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株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド
代表取締役社長 社長...

世界中の人に選ばれる、グローバルホテルチェーンをめざして 株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド 代表取締役社長 社長執行役員 金田佳季 (かねだ よしき) ■プロフィール 1961年生まれ。コーネル大学ホテル経営学部修士課程修了。㈱東急ホテルズ・インターナショナル、パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ㈱(シンガポール本社)財務部長、パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ アメリカ㈱取締役副社長執行役員などを歴任し、2010年㈱西武ホールディングスに入社、23年西武ホールディングス 取締役、西武・プリンスホテルズワールドワイド 代表取締役社長 社長執行役員(いずれも現任)。座右の銘は「挑戦なくして前進なし」。趣味は、スポーツ観戦と旅行。 業界で最大級の事業規模を誇るホテル運営会社㈱西武・プリンスホテルズワールドワイド。お客様の生涯に寄り添うホテルとして、たくさんの人に愛され続けている。代表取締役社長の金田佳季さんに、これまでのグローバルな経験、そして同社の多彩なビジネス展開や、今後目指していく姿についてお話を伺った。 学生の頃から旅行が大好きで、アルバイトでお金を貯めては、外国に旅行していましたね。大学3年生の時に、海外で勉強してみたいと思い、休学してマレーシアに留学しました。マレーシアの大学では、異文化間コミュニケーションを学んでいました。将来は海外で仕事をしたいという思いがあったので、就職活動では、海外で働ける仕事を探しました。その当時、海外勤務が多いイメージがあったのはメーカー企業だったのですが、「他の人とは違った仕事がしたい」「ホスピタリティに携わる仕事がしたい」と思い、ホテルに就職しました。初めの一年は、日本でマネジメントの基礎について学びました。二年目からは海外のホテルで実務経験を積みました。そこから20年ほど、いろんな国で働きましたね。新しいことに挑戦することや、知らない環境での毎日はとても刺激的でした。もちろん大変なことも沢山ありました。日本語でも、相手の思っていることが分からなかったり、こちらの気持ちが伝わらなかったりしますよね。外国語だと、円滑なコミュニケーションをとるのはさらに難しいです。国の文化に合わせたコミュニケーションが大切だということを、身をもって学びましたね。これらの経験から、どんなに大変な時でも諦めないという気持ちを常に持つようにしています。相手との交渉が上手くいかない時でも決して諦めない。相手の言葉の裏まで読み取り、常に相手の立場になって考えてみることを大切にしています。 ■ブランド力を活かした多彩な経営展開 ㈱西武・プリンスホテルズワールドワイドは、国内で運営するプリンスホテルブランドにおいてラグジュアリー層をターゲットにしたフラッグシップブランド「ザ・プリンス」をはじめ、「グランドプリンスホテル」「プリンスホテル」、宿泊特化型の「プリンス スマート イン」、また海外ではプリンスホテルブランドのほかラグジュアリーブランドの「The Prince Akatoki」をはじめ、「Policy」「Park Regis by Prince」「Park Proxi」「Leisure Inn」とマルチブランドで展開しています。お客様のあらゆるニーズに合わせて、最適なおもてなしを提供できるのは、当社ならではの魅力だと思います。また、国際的なビジネスイベントを中心とするMICEビジネスにも注力しています。これまで日本で開催される大きな国際会議はいくつかのホテルが協力して行っていたのですが、2023年5月の先進国首脳会議(G7)については広島サミットをはじめ、札幌の気候・エネルギー環境大臣会合や長野県軽井沢の外務大臣会合などを当社が単独で運営しました。チェーンという強みを生かしたホスピタリティや運営ノウハウは、外務省の方からも好評をいただきました。そのほか、海外研修や、将来の総支配人育成プログラムなど、経験を積むためのプログラムにも力を入れています。サービスを提供するホテル業では、「人」がとても重要な資源です。人が成長するには、たくさんの経験を積むことが必要ですし、刺激的な環境に身をおかれると、次第に適応力が身について、人は成長できます。当社には様々な経験に挑戦できる環境があるので、いろんな事に興味がある人にはぴったりの環境だと思います。チャレンジなくして成功はありません。ポジティブ思考を常に持ち、新しいことにチャレンジすることに前向きな人を採用したいですね。ホテル事業以外に、アミューズメント施設を数多く運営しているのも、当社の強みです。スノーリゾートやゴルフ場など、宿泊ビジネスと多彩な経営資源を融合させ、固有な体験価値を提供できるかを追求しています。それにより、お客様の満足度をあげ、リピートにつなげたいと考えています。 ■日本発のグローバルチェーンを確立したい! 将来的には、日本発のグローバルホテルチェーンを目指していきたいです。当社は、2017年から積極的に海外展開を始めました。オーストラリアを中心にホテルを展開しているステイウェルの事業を取得し、10エリアに28店舗を展開しています。(2024年1月現在)。2024年度には、タイ、エジプト、ドバイなどに新しくホテルを開業予定です。今後も海外への積極的な展開は行っていきたいですね。インバウンドの観光客は、外資系のホテルへの宿泊が多いのが現状ですが、これからは当社が運営するホテルを海外のお客様にも喜んでいただけるホテルにしていきたいです。観光は、これからの日本の経済を支えていく重要な産業だと思っているので、インバウンド獲得に力をいれ、海外のお客様にも選ばれるホテルを目指します。 ■大学生へのメッセージ 学生のうちに、いろんな事に興味をもち、行動範囲を広げてください。国内外問わずいろいろな場所に旅行すると、新たな発見があったり、視野が広がったりします。近年、日本という国の存在感が薄れているように感じます。学生のうちにたくさんの学びを得て、尊敬と信頼ある日本人であると言うことに誇りを持ち、グローバルで活躍できる人材を目指してほしいです。 学生新聞オンライン2023年11月21日取材 立教大学3年 緒方成菜  

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株式会社ABABA 代表取締役CEO 久保駿貴

結果だけでなく、過程も評価される社会へ 株式会社ABABA 代表取締役CEO 久保駿貴 (くぼ しゅんき) ■プロフィール 兵庫県明石市出身。岡山大学理学部卒業。4年次に「就職活動のプロセスを評価する」をミッションに最終面接での「お祈りメール」を「エール」で応援し、他社の最終面接まで進んだ方を採用できるスカウト型サービスABABAを創業。教員免許保持。経済産業大臣賞、SDGs日本賞受賞。東京MX「堀潤モーニングFLAG」にてコメンテーターも務める。 最終面接まで進んだ就活生のみが登録できる新卒特化のダイレクトリクルーティングサービス「ABABA」を提供する株式会社ABABA。結果だけでなく、就職活動の過程が評価される社会の実現を目指す同社代表取締役CEOである久保駿貴さんに、創業の経緯や事業展開、そして将来の目標についてお伺いした。 ■見聞を広げるために英会話の勉強と海外でのバックパック生活 最初は関西大学に入学したのですが、2年間通った後、3年生から岡山大学に編入しました。以前から興味のあった気象や天気の勉強をしたいと思ったからです。大学ではE.S.Sの部活に入っていて、英語でのスピーチ大会に出場しました。他にも部活の先輩の話に影響されて、長期休みの期間は東南アジアでバックパッカーもしていました。 ■二度の失敗と友人の姿をみてABABAを創業 大学入学当時は会社を経営するビジョンは、強く持っていたわけではありませんでした。そんな中、大学2年生のときにオリンピックに向けて通訳ガイドの法律が改正されたんです。以前は有資格者だけしかガイドはできませんでしたが、資格なしでもできるようになりました。そこで「通訳ガイドのマッチングサービスを作ってみたら面白そうだな」と思って、チップ型の通訳ガイドのマッチングサービスを始めたのです。その後、コロナの影響で外国人観光客が全く来なくなってしまい、事業展開はできませんでしたが、よい経験になりました。その後は一般社団法人を立ち上げ、コロナで打撃を受けた飲食店向けのクラウドファンディングのサービスを提供しました。しかし、既存のサービスとの差別化がうまくできなかったこと、サービスのデザインが良くなかった影響などで、こちらもひっそりと閉鎖されました。そして、大学4年生の6月頃、仲の良い友人が希望していた企業の最終面接で落ちて、鬱病に近い状態になってしまいました。その友人の姿を見て、「最終面接まで行けたことを評価してくれるサービスがあると良いな」と思い、現在のABABAのサービスの開発をスタートしたんです。ABABAという名前はその友人が選考に落ちた際に、「あばばばば」と実際に言っていた(ラインで送られてきた)ことから困っている人の気持ちを忘れないようにとそのまま社名にしました(笑)。 ■「経過」を付加価値に変えて、人材のサイクルを生み出す ABABAは最終面接まで進んだ学生と企業をマッチングさせるサービスです。今までは企業の最終選考に落ちてしまうと「落選した」という結果だけしか残らなかった。しかし裏を返せば、最終選考まで残れるほど優秀な人とも捉えられます。つまり選考に落ちた際に送られるお祈りメールが、一種のお墨付きに変わるんです。選考した企業は学生への負担を減らせるし、他の企業側からすれば優秀な学生をすぐに見つけられるし、学生側は今までの努力や時間が無駄にならないというWIN-WIN-WINのサービスとなっています。また、このサービスは、長期的な人材の流動性を生み出すサービスにもなります。企業は新卒採用で送られてきたデータは個人情報になるので、最終的には破棄されます。データが破棄されれば、その人達との縁が途切れてしまいます。しかしABABAを通していただければ、データを一旦預かれるので縁が途切れません。企業側も新卒で別の会社に入った学生が、成長してその会社と再び縁に恵まれる可能性を作れますし、学生も最終選考まで残った思い入れのある企業とまた関われるという循環が作れるのです。現在の日本は少子高齢化ということもあり、人材不足が大きな問題となってきています。その問題をカバーするためにも、企業が退職者を大事にする文化が出てきており、ただ「会社を辞めた人」と認識するのではなく、またどこかで一緒に仕事をできるようにと縁を保てるような仕組み作りが進んでいます。ABABAはそういった時代の流れにもあったサービスになっているのではないでしょうか。 ■学生だからこそできるアピールを活用 ABABAのサービスを採用してもらうための営業は、全てTwitter上で行いました。困っている就活生を助けたいというサービスなので、メッセージを送る際には、テンプレの文章を送るのではなく、気持ちを込めて一人一人に合わせた文章を書きました。創業当時は自分自身も学生だったので、「自分も学生ですが、がんばってます!」というアピールをしたり、人事部の方のTwitterを1年分調べて、学生の熱意に答えてくれそうな人にアプローチするなどの取り組みも行いました。また、マネタイズに関しては成果報酬型で行なっています。導入の障壁を減らすため、利用料でお金をいただくというよりは、企業が学生を採用できたら報酬をもらう形を導入し、より多くの企業さんに使っていただければと思っています。 ■チームに来てほしいのは、何事もポジティブに物事を見られる人 ABABAとしては、苦しいことがあってもポジティブに変換できる人と一緒に働きたいです。私たちはベンチャー企業ですが、苦しくても頑張らなければならない状況もあります。ネガティブな発言や他人の悪口を言う人はチームの雰囲気を悪くしてしまうので、何事もポジティブに物事を考えられる人がほしいです。そういった人を見極めるためにもABABAでは面接のフローに「飲み会」があります。飲みの場だと「つい」の発言が多くなるので、見極めにはうまく使えますね。また、就活生には「最終面接に落ちても道があるよ」と伝えたいので、SNS運用や宣伝ができる人に来てほしいですね。 ■地方学生の起業先駆者として国に貢献できる企業を創る 株式会社ABABAは、将来的には1兆円企業を創ること目標にしています。日本を代表する企業であるTOYOTAが時価総額30兆円と言われる中、TOYOTAさんに続くくらいのグローバルで戦える企業を作りたいと思っています。自分は兵庫県の明石市出身で、両親は共に一般人で経営とは全く関係ありません。そんな起業とは無縁だった人でも起業ができるのは、日本に生まれたからでもありますし、これまでの先人の皆様が日本経済を支えてくれたからこそだと思います。自分が起業するチャンスを与えてくれた日本という国に貢献するためにも、時価数兆円を超える企業を自ら作って、税金を収めていきたいですね。それに加えて、地方の大学から起業する人の挑戦を潰さない環境を作りたいと常に考えています。学生起業をする人の中には、私のように岡山大学などの地方大学出身者が起業するケースは、ほとんどないと思います。ありがたいことに、地元では地方大学の学生起業家として僕をロールモデルにしてくれています。ただ、期待が高い一方で、失敗してしまうと次世代の地方からの挑戦者にも迷惑がかかってしまうので、今後も、失敗しないように最後までやり続けていきたいですね。 学生新聞オンライン2023年11月14日取材 武蔵野大学4年 西山流生

大野詩織

アップコン株式会社 代表取締役社長 松藤 展和

イチからウレタンを学び、無限大の可能性を切り拓く アップコン株式会社 代表取締役社長 松藤 展和 (まつどう のぶかず) ■プロフィール武蔵工業大学(現東京都市大学)卒業後、ニューヨークのプラット・インスティテュート大学院に入学。卒業後は、オーストラリア・シドニーの大手建築設計事務所に勤務。その後設計から施工を一貫して請け負う建築設計事務所を立ち上げる。現地でウレタンの沈下修正工法と出会い、外資系土木会社の日本法人を設立。その後、環境に影響を与えないウレタン樹脂を使用した独自の沈下修正工法アップコン工法を確立し、2003年6月アップコン有限会社を設立。翌2004年2月アップコン株式会社に組織変更。日本で初めてウレタン樹脂を使用して沈下修正を行った第一人者。 独自の工法を用いて、地震や地盤沈下で傾いてしまった建物構造物のコンクリート床の傾きを、独自に開発した硬質発泡ウレタン樹脂を使用して短工期で修正する「アップコン工法」の施工及び、ウレタンを使った新規応用分野への開発に取り組むアップコン株式会社は、スタッフは文系と理系が半々という建築業界には珍しい構成の中、新人への教育にも力を入れている。同社代表の松藤社長に、会社の魅力や手厚い教育システムについて伺った。 小さい頃から親の転勤の関係で引っ越しが多く、部屋の家具の配置を考えるのが好きな子どもでした。その延長で建築に興味を持ち、大学では建築学科で古建築を専門に学び、自宅の基本設計は自ら行いました。 実際に様々な経験をするなかで、設計に1年、建設に2年などと長期間かかる建設に関わるよりも、短期間でスピード感のある仕事のできるインテリアデザインに魅力を感じ、大学3年生の時には大学公認のインテリアデザインの研究会を設立しました。その中で、インテリアデザインについてアカデミックに説明できるようになりたいと思うようになったんです。でも、当時日本にはインテリアを学問として学べる学校がなかったため、世界のトップの学校を調べ、ニューヨークにあるプラット・インスティテュートに通いました。語学学校と大学院を両立した時期もあり、生涯で一番勉強した2年間だったと思います。大学時代は勉強以外では、テニス同好会に所属し、テニスコーチのアルバイトをしていましたね。 ■環境に安全な材料で沈下修正を アップコンは3社目の会社として20年前に作った会社となります。1社目はオーストラリアで建築の設計施工を一貫請負する設計事務所、2社目は外資の沈下修正(※地盤沈下によって傾いた建物を、水平に戻す作業)の会社。そして、3社目であるアップコンは、環境に安全なウレタン樹脂を使った沈下修正の技術を日本で発展させるために設立しました。インテリアデザインの設計から、土木の分野へ転換していますが、広い意味では建設業界なので、建築の知識が役に立っています。設計事務所では100点満点の設計、施工をすることは私にとっては当たり前でした。沈下修正の事業は、修正によって新築の状態まではいかずとも80点まで回復することで、とても喜んでいただけるのでこの道に進みました。 ■施工者兼研究開発者となる アップコン工法は、地震や軟弱地盤の影響で沈下したり傾いた建物を、「硬質発泡ウレタン」という特殊なウレタン樹脂を床下に注入するとすぐに化学反応で、ウレタンが発泡・膨張する力で傾きを修正する工法です。この工法は、傾いた建物の床下から床を壊すことなく押し上げ、コンクリート床をフラットに修正します。今までの方法では、建物を壊さないと修正できなかったり、商業施設などは営業の制限があったりというマイナス面があったために、沈下修正を躊躇する方が多かったのですが、アップコン工法ならば、既存の床を壊さずに短工期で修正できるので、よりお客様の喜びを引き出すことができます。また、新工法の研究開発も同時に行っています。一般的には開発は専任で行うと思いますが、当社の技術部員は施工者であり研究開発も行うことが特長です。 ■イチからの学びを手厚くサポート アップコンでは、特許も取得しており技術のノウハウもありますが、当社の一番の自慢は、技術部の新入社員の教育システムです。ウレタンについて教えている大学は世界にも無いため、文系理系問わず、会社に入社してから初めてウレタンについて学ぶことになります。そんな中、入社後3年間は基本から学べるマニュアルをはじめ、先輩のサポートや社長との面談など手厚く面倒を見てもらえる環境を整えています。だから、誰でもイチから学ぶことが可能です。入社2、3年目の社員を責任者などに抜擢することもあるし、4年目からは先輩たちと同列で競争できます。これらの経験を通して、新入社員が即戦力へと変わっていく瞬間が見られるのは面白いですね。社長の責任は、自分がいなくても未来永劫に成長し存続していくような、会社が回るシステム作りをすることだと考えています。 ■成長戦略 経営における今後の成長戦略として3つ挙げています。1つ目は、認知度を上げるをことです。特に中京・関西地域に対しては、昨年の12月名古屋証券取引所に上場したことをフックに、新規のお客様を開拓することで全国まんべんなく売上を上げようとしています。2つ目は、新しい市場を自ら作り、独占企業となることを目標とする研究開発に力を入れています。3つ目は、提携会社のあるベトナムを軸として、将来的には東南アジアだけでなく、先進国であるアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなど、グローバル展開を考えています。 ■勉強して成長するサイクル  社員に対しては、「勉強する→成長する」というサイクルを大切にしています。なぜなら、お客様と同じ目線で接するためにも、絶えず進化し、絶えず勉強する必要があると考えているからです。大学を卒業したら勉強は終わりではなく、当社は卒業後が勉強のスタートとなります。アップコンでは、入社後10年で10個の資格を取ることを目標としています。日本では、35歳の時に10個以上の資格を持っている人は100万人中2000~5000人であるという統計があるため、社員には0.5%の人間になれるようサポートしています。社会人にとって仕事をすることは当たり前ですが、自由な時間の一部を勉強に使うなどメリハリも大切にしています。 ■メッセージ 学生時代は、将来の進路に迷う時期だと思います。そして、就職活動が始まったら、ぜひ悔いなくやってほしいと思います。その中で、私からひとつアドバイスがあります。せっかく就職活動をするならば、中途半端ではなく徹底的なリサーチを心がけてみてください。仮に面接などに行く時には、その会社のことを深く調べてみてほしいのです。もちろん事前に企業の下調べをして面接に臨む就活生がほとんどだと思いますが、そのリサーチ時間は5分や長くて10分ということが多いのです。電車に乗っている時間を使って30分ほどホームページを見ると、その会社がどんな会社なのか、何を大切にしているのかが見えてくると思います。その知識は、面接の受け答えひとつにも活きてくるので、就活において他の人と差別化する武器になるはずです。 学生新聞オンライン2023年11月17日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

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株式会社神戸物産 代表取締役社長 沼田博和

どんなに遠くても行きたいと思わせる業務スーパーの秘訣 株式会社神戸物産 代表取締役社長 沼田博和(ぬまたひろかず) ■プロフィール 1980年兵庫県生まれ。2005年京都薬科大学大学院を修了後、同年大正製薬に入社。2009年神戸物産入社。2010年STB生産部門・部門長を経て2011年に取締役に就任。2012年から現職。2018年から外食事業推進本部の担当役員でもある。 日本全国に業務スーパーをフランチャイズ展開している神戸物産。業者や一般家庭はもちろん、学生の文化祭・学園祭での需要も高く、幅広い世代に愛される理由は、フランチャイズの仕組みを持ちながら、圧倒的な低価格とプライベートブランドで魅力あるスーパーに成長させているからこそ。株式会社神戸物産の沼田社長に、その経営方針や学生時代のお話を伺った。 大学生時代は薬剤師の資格を取るため、「人生で一番勉強した」と言えるくらい勉強をしました。大学院時代は実験が多くて自分自身でタイムスケジュールを組めたので、薬剤師の資格を取ってからは24時間営業の薬局で深夜アルバイトをして、昼間は大学院の実験に打ち込んでいました。薬剤師になろうと考えていたのですが、大学院の研究室で薬剤学の実験を楽しいと感じたことから思考の幅を広げようと就職活動をし、大正製薬に就職しました。そこから結婚を機に転職を考えました。2人とも地元が関西だったことと、大学生の時に業務スーパーを身近に感じていたことから、悩んだ結果、新しいことに挑戦しようと思い神戸物産に入社しました。4年間、社会人の経験をしたものの全くの異業種だったので、考え方の違いがあり、ゼロベースでやらないといけないので苦労しました。31歳で社長になったのですが、その時点では社長になるスキルは全く備わっていなかったと思います。経験しながら学ぶことで、危機感も感じながら、よりスピーディに成長出来たと思います。準備を整えてからではなく、一歩を踏み出したからこそ分かったこともあると強く感じました。 ■100m先の競合店を越えて1km先の業務スーパーに来てもらう 神戸物産のビジネスモデルは、小売業ではなく、主に卸売業と食品製造業です。プライベートブランドに位置付けている自社グループ工場で製造したオリジナル商品や自社輸入商品に加えて、メーカーが作るナショナルブランド商品をフランチャイズ運営している業務スーパーに卸しています。フランチャイズの仕組みを持っている点が特徴で、業務スーパーに加盟したいと思っていただけるように、魅力的なプライベートブランドの商品開発を行っています。また、日本にいる外国人の方々にも、日本にいながら自国の味を食べてほしいとの思いから、世界各国から直接輸入している商品の取り扱いも多いです。食品スーパー業界では、プライベートブランドの売上構成比率が約10%ですが、弊社では約30%ですので、他社と比較してもプライベートブランドの売上が突出しているといえますね。業務スーパーは安く買えることが、お客様にとってのメリットです。安く販売するために、弊社で注目しているのが販売管理費です。ちょっと難しい言葉かもしれませんが、これは売上原価以外の人件費や水光熱費などの費用を意味します。業務スーパーはダンボールのまま陳列されていることが多いのですが、ダンボールでの陳列を行うことで、バックヤードから商品を持ってくる手間をなくし、人件費も抑えられるようにしました。そのほか、生鮮食品より冷凍食品が多いことも販売管理費を抑える秘訣ですね。冷凍食品は賞味期限が長いので、食品ロスの対策も行いやすく、販売価格を抑えることができています。昔は交渉力がなかったので、ナショナルブランド商品はトップブランドの商品は高く買うしかなく、結果的に自分たちが満足できる価格でお客様に提供できず、取り扱いできないことも多かったです。でも、今は1,000店舗以上のスケールメリットにより交渉力もついて、一部のトップブランドをお客様に対して自信を持って出せる価格で提供できるようになりました。基本的に目指しているのは、100m先の競合店を越えて1km先の業務スーパーにお買い物に来ていただけるような店舗づくりです。そのためには、独自性のあるプライベートブランド商品の開発や商品の安さに徹底的にこだわり、業務スーパーでしか提供できない価値をお客様にお届けし、お客様の来店頻度を上げることも大事にしています。 ■日本だけでなく世界の人の胃袋を満たす 目指しているのは「食の総合企業」です。1億人の胃袋を満たすのはもちろん、海外の方にもっと日本の食材に興味を持ってもらえるよう、海外のニーズに応えたいです。今、日本食が注目されてきているので、海外ユーザーの方にも品質と価格をベストな状態で商品をお届けするための方法を突き詰めようと考えています。いまは海外に業務スーパーの店舗を少しずつ増やして、現地の方がどういうものを求めているかをリサーチしている状況です。新卒採用では、学業よりは内面的な点を重視しています。特に素直、真面目、謙虚、前向きという四つはとても大切ですね。神戸物産の業務スーパー自体が、業界でもだいぶ変わった考え方を持っている会社なので業界経験者でも即戦力にならないこともあります。だからこそ内面がちゃんと整っていて、素直に吸収できて前向きに知識経験を求めながら、一緒に成長できる人が良いですね。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は社会に出る前の準備期間だと思います。もちろん学部での勉強はすごく大事だと思いますが、そこに留まらずこの今の時期だからこそできる経験とかをたくさんして欲しいと思っています。お金などの面もあるので好き勝手何でもできるわけじゃないと思いますが、遊びも含めていろんな経験ができる時期なので、アグレッシブに経験を重ね、その中でいろんな知識を得てほしいです。 学生新聞オンライン2023年11月30日取材 國學院大學1年 寺西詩音

コラム

テリー伊藤 コラムVol.17 去年よりずっときれいになった

私の2024年のテーマが決まった。ズバリ!「去年よりずっときれいになった」です。これで行くことにする。この言葉はイルカさんのヒット曲『なごり雪』(1975年・作詞作曲伊勢正三)に使われている。 なごり雪汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしている季節はずれの雪が降っている東京で見る雪はこれが最後ねとさみしそうに君はつぶやくなごり雪も降る時を知りふざけすぎた季節のあとで今春が来て君はきれいになった去年よりずっときれいになった 東京での男女の別れの情景を切なく描いている。私は冬が来るたびにこの歌を思い出す。何と言っても「去年よりずっときれいになった」ここがいいのだ。1年間どう生きるか、どう暮らすか、立ち振る舞うかがポイントになる。もちろん容姿も含まれる。事業で大成功しても人相が悪いと、あの人悪い事して儲けているんじゃないかと思ってしまう。 そう言えば、中古車販売店で笑顔で対応しているが目が笑っていない社長を知っている。これではきれいとは思えない。真面目に1年間寝る間も惜しんで働き、会社の業績を上げて、課長に昇進し、家族の為に稼いでも、暴飲暴食で身体を壊してしまったら残念ながらきれいになったとは言われない。毎日の通勤途中「おはようございます!今日もご苦労様です。」と周りに爽やかな声で挨拶しても、猫背でうつむいて歩いてはきれいになったとは思われないだろう。後輩が人生に悩んだ時、的確なアドバイスをして感謝されても、相談中ずっとつばを飛ばして相手の顔に掛かっていたら、きれいではない。リストラになった親友からお金を工面して欲しいと言われ、返済日も聞かず貸す男気を見せても、虫歯だらけだったらきれいになったとは言われない。更に、涙目で礼を言う親友から颯爽と立ち去ろうとした後ろ姿のスラックスの上にお肉がたっぷり乗っていては…「去年より君はずっときれいになった」はとにかく大変なんです! 私、チャレンジします!「きれい」は自分が決めるものではなく他人が判定します。目標!・自分がどんな逆境におかれても面白いことしか言わない ・健康の自己管理 ・他人の悪口は言わない ・世間に迷惑をかけない ・高齢者に優しくする ・甘いものは控え目に(少しは食べますが) ・出来る範囲の社会貢献  出来るかな。2024年「テリー伊藤!去年よりずっときれいになった」と言ってもらえるかどうか分からないが、面白そうなのでやってみます。判定お願いします! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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第60回ゴルフ日本シリーズJTカップ

大会名称:第60回ゴルフ日本シリーズJTカップ開催期間:2023年11月30日(木)~12月3日(日)開催場所:東京よみうりカントリークラブ東京都稲城市坂浜685競技方法:72ホール・ストロークプレー出場資格:出場総人数 30名主催:報知新聞社、読売新聞社、日本テレビ放送網主管:日本ゴルフツアー機構後援:日本ゴルフ協会、稲城市、よみうりランド、読売テレビ特別協賛:JT協賛:日産自動車、ブリヂストンスポーツ、二階堂酒造、エアトリ、アメリカン・エキスプレス運営協力:博報堂、博報堂DYメディアパートナーズ、博報堂DYスポーツマーケティング <ゴルフ日本シリーズ JTカップについて>1963年にスタートし、2023年で60回目の開催を迎えた「ゴルフ日本シリーズ JTカップ」(通称:JTカップ)。JTカップは国内男子ゴルフツアーの最終戦として、毎年12月第1週に名門「東京よみうりカントリークラブ」で開催され、これまで幾多の名勝負・名場面が生まれているメジャー大会です。その年の国内男子ゴルフツアー優勝者や賞金ランキング上位者など、本大会への参加条件は厳しく、選ばれたトッププレーヤー30名のみが、この最終戦の大舞台・JTカップでプレーすることができます。 2023年で60回目の開催を迎えた「ゴルフ日本シリーズ JTカップ」。12月2日(土)大会3日目に選手の皆様にゴルフを始めたきっかけや魅力についてお話を伺った。 ■選手インタビュー 7位タイ 石川 遼(いしかわ りょう) ■JTカップの魅力は?1年間のシーズンを通していいプレーをした人しか出場できないので、出場できたということが、今シーズンの誇りですね。30人しか出場できないという貴重な大会なので、他の大会とはまた違った雰囲気があります。 ■プロを目指したきっかけは?小学校6年生のときに観に行った大会で、憧れだった宮里藍選手に「頑張ってください」と伝えたら、目を見て「ありがとう」と言ってくださったんですよね。その出来事がとても嬉しくて、今でも鮮明に記憶に残っています。宮里藍選手の人柄やオーラは、ジュニアゴルファーの憧れでした。プロを目指したのは、そんな宮里藍選手やタイガー・ウッズ選手のようになりたいと思ったことがきっかけです。プロゴルファーになりたい、上手くなりたいというよりは、素敵な人になりたいという感覚でした。 ■ゴルフの魅力は?やっていることが如実に表れるというところですね。ゴルフを続けていくことは、必ずしも楽しいことだけではありません。自分の成長過程や、頭で考えたことに対して、トライ・アンド・エラーを繰り返していくことで少しずつ成長します。プレーにその人の根本的な性格が出てくるところも面白いと思います。ゴルフは、メンタルが試される瞬間がたくさんあるスポーツです。コントロールできない時も受け入れないといけないなど、人として試されている場面が多いと感じます。自分たちプロでも、上手くいかない瞬間が多いです。だからあえて楽しい!とは言いません。しかし、そういう部分も含めて面白いのだと思います。 ■困難の乗り越え方は?上手くいかない時は、原因を細分化し、自問を5回くらい繰り返します。考えられる原因の中で、自分が原因のものとそうでないところを分けて、その中で自分が悪かったことについて深掘りします。身ぐるみを剥がされていくようで恥ずかしい気持ちになりますが、克服するために、細かいステップを一歩一歩踏みたいと思っています。だからこそ、ほんの少しの成長でも満足することを大切にしています。自分の悪い部分を振り返る時間が長い分、少しでも上手くいったら、「この程度のこと」などと思わずに自分を思いっきり褒めてあげます。目標を達成するまでの階段を細かくしていき、1ミリの紙を重ねていくという感覚でゴルフをしています。一日単位でみると、ほぼ何も変わっていないのですが、それを毎日重ねていける人は、強いなと感じます。自分もそう思われるような、分厚くてしぶとい人になりたいです。一日に何枚も積み重ねていこうと思ってはいけません。確実に一枚を重ねていくことが、何よりも大切だと思っています。 ■大学生へのメッセージ自分が没頭できることを見つけてほしいです。それが人と違っても全く気にしないでください。好きなものは人と違って当たり前です。他人と過ごす時間が増えていく中で、他人に行動を制限されたり、他人によって行動が変わったりしますよね。だからこそ、自分のために使う時間が、いつか心のよりどころになります。自分のことだけを考えることは決して悪いことではありません。1分でもいいので、「自分のための時間」を守り続けると、きっとその時間の大切さに気づける時が来ると思います。 執筆者:立教大学 3年 緒方成菜 7位タイ 小木曽 喬 (おぎそ たかし) 選ばれた30人しか出ることのできないJTカップは誰もが目標にする場所なので、出場できてとても嬉しく思います。父の影響で小学1年生の時にゴルフを始めました。高校生になってから、ジュニアの大会で上位に入るようになりました。高校2年生の時にプロの大会に出たことがきっかけで、プロゴルファーになりたいという思いが強くなりました。今後は日本で初優勝を挙げ、何勝もできるようなプロゴルファーになりたいです。ゴルフの1番の魅力は年齢問わず誰でもプレーができ、世代を超えて交流ができることだと思います。大学生のみなさんには遊ぶ時間を持ちながらも、目標に向かって頑張って欲しいです。 執筆者:津田塾大学4年 大川知 15位 片岡 尚之(かたおか なおゆき) JTカップは出場人数が限られていて、上位の選手しかチャンスがない大会ということで、出場できてすごく嬉しいことですし、見ごたえのある試合だと思います。父がゴルフ関係の仕事をしていたことがきっかけで、僕は2歳のころからゴルフをやっていました。ゴルフの魅力は、きれいな景色の中スポーツができるところと小さい子からお年寄りの方まで楽しめるところにあると思います。どの世代でも関わりの多いスポーツです。大学生のみなさんにはぜひやりたいことを見つけてほしいですね。やりたいことを仕事にするのは難しいけれど、趣味や楽しめることを1つでも持って生活できることが人生を楽しむコツだと思います。 執筆者:上智大学2年 網江ひなた 12位タイ 阿久津 未来也(あくつ みきや) JTカップはその年の優勝者と賞金の上位者しか出られないということで良い意味で独特の雰囲気がありますし、プロゴルファー全員の目標になっている舞台だと思います。3歳になる前から家にあるゴルフのおもちゃを振り回していたのが始まりで、祖母と祖母のゴルフ仲間とゴルフをするようになり、その後マンツーマンでゴルフに打ち込むようになりました。子供とおじいちゃんおばあちゃんが一緒にできるスポーツは中々ないので幅広い世代が楽しめるところがゴルフの魅力です。日本だと四季を楽しめたり、土地によって違う景色を楽しめたりするのも大きな魅力です。課題でもテストでも何でもいいので「最後までやりきる!」ということを学生のうちにしっかり身につけてほしいです。 執筆者:上智大学2年 網江ひなた 18位タイ 杉浦 悠太(すぎうら ゆうた) JTカップは今年いい成績を残した30人しか出場できないという点で、出場を誇れる大会です。まさか今年出場出来るとは思っていませんでした。勢いのある選手の中でプレー出来ることが本当に嬉しかったです。ゴルフは、父に3歳の頃から打ちっぱなしなどに連れて行ってもらっていたことをきっかけに始めました。そこから、石川遼選手などの活躍する選手をみて格好いいと思い、小学校の頃からプロを目指し始めました。小さい子どもから大人まで、親子で楽しめるスポーツというところがゴルフの素敵なところだと思います。まだプロ1年目ですが、今後は上手いだけではなく、たくさんの人に応援される選手になりたいです。同じ大学生として、お互い夢に向かって頑張りましょう! 執筆者:立教大学 3年 緒方成菜 22位タイ 岩﨑 亜久竜 (いわさき あぐり) JTカップの魅力は、30人しか出ることのできない、今シーズン最後のメジャートーナメントという特別感です。ゴルフ好きな親の影響でゴルフを始め、小学生の時からプロゴルファーの存在を意識し始めました。本格的にプロゴルファーを目指し始めたのは大学生の時です。ゴルフの醍醐味は、同じ状況がほとんど起こり得ないところです。1つ1つの状況に臨機応変に対応しなければいけないのは難しくもありますが、楽しいです。大学生のみなさんには、ぜひゴルフをやってみて、その楽しさに気づいてもらいたいです。最初は好きなように思いっきり打ってみてください! 執筆者:津田塾大学4年 大川知 学生新聞オンライン2023年12月2日取材:津田塾大学4年 大川知 / 立教大学3年 緒方成菜 / 上智大学2年 網江ひなた 

コラム

テリー伊藤 コラムVol.16  宇宙人に会えなくても大谷選手には会える!

学生新聞読者の皆さんあけましておめでとうございます本年もよろしくお願いします 今年はいい年になりそうですね!なんたって大谷選手がドジャースに入団してくれたのですから。大谷選手は6年間在籍したエンゼルスに対する感謝の気持ちを語っていたように、ファンにとってもエンゼルス愛が生まれていたので、どこか残留して欲しい気持ちもあったが、笑顔のドジャース入団会見を見た時これで良かったと感じた。各球団が大谷選手の誘致合戦をしている間、もしかしたら東海岸に行ってしまうのでは・・・と気が気ではなかった。結局それは杞憂に。大谷選手にはやっぱりカリフォルニアの青い空が似合う。プロスポーツ史上最高の契約総額10年7億ドル(約1015億円)に世界中が驚愕した。日本のワイドショーでは1000億円で「東京ドーム3個建つ」「国民全員にうまい棒66本買える」などの下世話な話題で大盛り上がり。早くもドジャース入団の経済効果は絶大だ。 かつて日本プロ野球界は多くのスーパースターを輩出してきた。古くは川上哲治、金田正一、長嶋茂雄、王貞治、松井秀喜、イチローなど、いつの時代もこれ以上出て来ない不世出な選手と思っていたものだ。私にとって長嶋茂雄はまさにそうだ。青春を共に過ごしどれだけ勇気を貰ったことか。そして今、大谷選手こそ日本人にとって二度と出会うことのない圧倒的存在なのではないか。今シーズン、物凄く活躍するに決まっている。ドジャー・スタジアムでポカスカホームランを打ちまくるに決まっている。打って、走って、笑って、悔しがってのパフォーマンスを見せてくれる今世紀史上最高、100年に一人の存在。嬉しいニュースが続き、オリックス山本由伸選手のドジャース入団も決定した。まさに「盆と正月が一緒に来た」感じに成って来た。春から縁起が良すぎる。絶対に優勝だ。 私、考えました。宇宙人には会えないけれど大谷選手には会える!ドジャー・スタジアムに行けば会えるのだ!これって素晴らしいことじゃないですか。100年先になって身内に「家の爺ちゃん若い時に大谷選手のホームラン見たんだよ。」と伝説話になる。こうなったら私も伝説話に乗らなくては。私ロスに応援に行きます!心配なのはチケットが手に入るのか! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry