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Archive for 運営スタッフ


東京都立墨東特別支援学校

ミュージシャン DJ KOO
正解だけが正しい答えではない、自分に合った道を進む ■プロフィール 1961年8月8日生まれ、東京都出身。トータルCDセールスが2100万枚を超え、今なお多くの人に愛される続けているダンス&ボーカルグループTRFのDJ、リーダー。 ソロとしては、“触れ合う人々をエネルギッシュに!元気に!笑顔に!”をモットーに、ダンスクラシック、EDMから、J-POP、アニソン、ゲーム音楽まで幅広い音楽をDJスタイルにてプレイし、共感、賛同を得ている。 2017年から日本の文化である“お祭り”“盆踊り”とのコラボレーションをエンターテイメント型ジャパンカルチャーの発信として、国内外において精力的に活動を行っている。バラエティー番組にも多数出演。幅広い層のファンを獲得している。 TRFのDJとしてデビューしてから30年たった今もなお多くの人に愛されているDJ KOOさん。音楽だけではなくバラエティー番組やラジオなどマルチに仕事をこなしていく。今年の8月には健康本「DJ KOO流 心・体・脳の整え方」も出版。テレビなどではわからない仕事や音楽にかける思いなどのお話を伺った。 ■自分の居場所として見つけたDJ 小学生の頃に沢田研二さんに憧れて音楽家を目指すようになりました。最初はギタリストになりたかったのですがこの頃は専門学校もなくプロへのなり方がわかりませんでした。自己流でも難しく、音楽でプロを目指すのが一番難しい時代だったんじゃないですかね。その後はギタリストを諦めてラグビーとロックが中心な生活を送るようになり、やりたいことを探すために専門学校に行きました。18歳になってから遊びに明け暮れるようになりクラブに行き始めたのですが、そこで初めてDJという職業に出会い、自分の居場所をもっているということに惹かれDJになりました。 ■小室さんとの出会い DJになったものの、当時はとてもDJだけでは生活ができず清掃業のバイトをしていました。ある時小室哲哉さんがイベントをするのにDJが必要ということで横浜ベイサイドからお話をいただきました。イベントで集められたメンバーと小室さんに挨拶に行ったとき自分の人生観がその一瞬で大きく変わりました。小室さんは「みんなが楽しんでくれるということがカッコいい」「どれだけ多くの人を感動させられるかが大事だ」という世界を強く持っていて、自分との大きな差を感じました。それから半年間毎日小室さんのところに通うようになり、小室さんの活動に参加させてもらうようになり、段々とTRFのメンバーとしての僕自身の認知も広がってくようになりましたね。 ■自分のした選択に誇りをもって楽しく コロナで活動が制限され、ヒット曲が生まれにくくなっています。イベントでどの曲をかけるか考える時は、自分のした選択に対して誇りをもつように心がけています。正解だけが正しい答えではありません。DJの仕事はスキルも大事ですが、時代やリアルタイムに寄り添うことも大切です。現場でDJをやることが基本だからこそ、感覚は危険です。クラブに来る人達の目的はDJではなく、遊ぶこと・楽しむことです。その時々の空気感やお客様は毎回違うので、ピークを作るタイミングなど、いろんな選択をしていかないといけません。だからこそいろんなものに触れたり、セッションしたりするようにしています。踏む込んでみるからこそ、うまれるものに気づくこともあります。あと、娘には流行りの音楽を教えてもらうようにもしていますね(笑)。主役はお客様だからこそお客様が「明日も頑張るぞ」という顔をしてくれるように、DJという仕事を日々行っています。 最近はバラエティーの仕事も増えましたが、最初はどこにいていいのかがなかなかわかりませんでした。でも、バラエティーはチームワークで作っているので自分もそのチームに入らないといけないと思い、自分から関わっていくようにしました。格好いいと思っていることがかっこ悪いことに気づかされましたね。そうした積み重ねから、人との繋がりが環境をつくっていくと痛感することが多いです。先生や友達、本心から話せる人がいる場所で勉強をしていく環境は、自分を成長するために非常に大切なものですね。 ■新刊「DJ KOO流 心・体・脳の整え方」 一時期は不健康がカッコいいと思っていたのですが、五年前に脳動脈瘤をわずらった時に、家族と一緒に「いただいた命を大事にしないといけない」と感じました。それと同時に、自分の体を大事に管理することは仲間や仕事を大切にするのと同じだと気付かされました。そこで、みんなが元気になれるようにという思いから、本を出版することになりました。この本は全体を含めて、「こうしないといけない」のではなく、「こういうのはどうかな?」という提案ベースになっています。よくある自己啓発書とは異なり、すべてマスト的な感じではなく、「こういうやり方があるけど、とにかく無理しないでください」といった思いが込められています。無理をしすぎた結果、すべてを諦めてしまうより、無理せずに次のことを考えられる方が次の会話も増えますよね。正解はひとつだけではありません。みんなの考えや合うものは違うからこそ提案ベースの本になったのだと思います。 ■一個一個の積み重ねが形になる 今は盆踊りを盛り上げたいと考えています。昔は海外にコンプレックスがあったのですが、今の時代は海外に対してコンプレックスがそこまでないと思います。アニメのように海外が注目している日本のコンテンツが沢山ありますよね。そこでこれから盆踊りを新しいものとして世界に発信できたら面白いなと思っています。日本人が愛してきた伝統文化だからこそ歴史を調べて、J-popをかけたり、若者が踊れるような振り付けを考えたりしています。しっかりと掘り下げながらやっていくと、次はこうしようというアイデアが広がっていくので、その積み重ねです。急ぐと取りこぼしがあるからこそ丁寧にひとつひとつ行っていきます。物事を形にしていくうえで、スケジュールや工程がおさまらなくても大丈夫です。はみ出てもブラッシュアップしてつくっていくことが大切になります。 ■massage コロナの影響で普段とは違う状況で大学生をやっているとおもいますが、コロナでも楽しむこと、元気になれることを見つけてほしいなと思います。また、社会に出るときは潔くしてみてください。社会の先輩たちは色々な経験者だからこそ、受け止めてくれます。周りの目を気にしたり、自分は大丈夫かと思うことがあると思いますが、自然体の自分をだせればきっと見方や接し方も変わってくると思います。失敗や不安、体裁とか自分の器とかも気にしなくて大丈夫です。自分の気持ちをぶつけてみてください。 学生新聞オンライン2022年8月10日取材 國學院大學3年 島田大輝 タイトル:あと10歳若くなる! DJ KOO流 心・体・脳の整え方 著者:DJ KOO(TRF) 発売日:2022年8月3日 発行:株式会社PHP研究所 池谷敏郎氏(医学博士)推薦!!「医師の理想とKOOさんらしさの絶妙な“落とし所“が満載!」“夜にウォーキング!?”“SNSを使いこなす”……バラエティーで大活躍・還暦超えアーティスト元気の秘訣。仕事/メンタル/食事/睡眠/人生/人間関係・・・全部に効く!54の「小さなルーティン」収録

株式会社龍角散 代表取締役社長 藤井隆太
自社の強みに注目し、40億の借金から200億円企業へ ■プロフィール 1959年東京都生まれ。1984年桐朋学園大学音楽学部研究科修了後、小林製薬に入社。三菱化成工業(現・三菱ケミカル)を経て、1994年龍角散入社、1995年代表取締役社長に就任。 世界で初めて開発した服薬補助ゼリーや「龍角散ダイレクト」「龍角散ののどすっきり飴」の投入などで累積赤字を一掃。売上を就任時の5倍まで伸ばす。また、フルート奏者としてコンサートへの出演や後進の指導にもあたっている。 「ゴホン! といえば龍角散」のキャッチコピーでお馴染みの、株式会社龍角散の代表取締役である藤井隆太さん。社長就任約20年間で売上を5倍に伸ばした敏腕経営者として知られる藤井社長に、学生時代から現在に至るまでの軌跡やこれからの世の中でありたい企業の姿まで、幅広いお話をお伺いしました。 ■音楽だけに没頭していた学生時代 幼少期は、両親が音楽を好きだった影響を受け、3歳からバイオリンを始めました。高校からフルートに転向し、大学は音楽を極めるために桐朋学園大学音楽学部へ進学しました。龍角散はオーナーカンパニーなので、周囲は私が跡を継ぐものだと考えていたと思います。しかし、大学に入った時に父からは「会社経営はやらなくてもいい。音楽に没頭して。ただ、手を抜くことだけは許さない」と言われました。 桐朋学園では一般学科は勿論、音楽関係の授業や実技のレッスン、アンサンブルやオーケストラの授業に加えて、先輩方や師匠から回してもらえる演奏の仕事を積極的に受けていたため本当に忙しかったです。在学中に何とかプロとして食えるようになっていなければならないという大変な危機感がありました。音大を卒業しても雇ってくれる企業はありませんからね。 ただ、父から「会社を継がなくていい」と言われたとはいえ、大学時代は世の中に色々な仕事があるなと感じることも増えていきました。たとえば、コンサートをすればチケットを売らなければならない。これがなかなか簡単に売れず、「需要と供給がミスマッチを起こしているときに売るにはどうしたらいいのか」といったマーケティングを考えるようになりました。この経験から、音楽以外の仕事も知っておきたいと感じるようになったのです。 そして、フランス留学では、音楽は「自分の人生観を表現する文化芸術文学」だと言うことをあらためて思い知らされたのち、小林製薬や三菱化成工業(現三菱ケミカル)で働きました。そんな折に、社長である父の病が発覚したため、いよいよ龍角散へと入社することになったのです。 ■「再建は諦めるべきだ」と思うほどひどかった当時の経営状態 私が入社した当時は、龍角散の売上も落ちており、経営は非常に危険な状態でした。売り上げ40億円に対して、借金も40億円。コストは上がるばかりで、今後3年間経営が続くかもわからない状況でした。調べるほどに想像以上に状況が悪いことが判明し、何度事業を諦めようと思ったかわかりません。しかし、会社を続けるのも大変ですが、会社を潰すこともとても大変です。だったら少しずつでも借金を返し、周りに迷惑をかけずにやめようと考えるようになりました。そんなときに妻がこう言ってくれたのです。 「私は社長夫人になりたいわけじゃないから逃げてもいいんだよ。でも、これまでにお世話になった方やお客様に恩返ししなくていいの?」 そう言われたとき時、「一生借金を払い続ける人生でもいい、やるか」と心に決めて、会社の経営を引き継ぐことを決意しました。 ■強みを伸ばすことが、ヒット商品開発につながる 改革するにあたって、まず初めに行ったのが龍角散の強みを知ることです。龍角散の強みを知るため、個のニーズを掘り下げようと、愛用者の方々にグループインタビューなどを行いました。すると、龍角散は強い薬を服用できない妊婦さんや産婦人科医などから「ちょっとのどの調子が悪いときに安心して服用できる生薬・漢方由来の薬」であるとして、支持されていたことが判明したのです。 「弱いところをカバーするよりも、強いところを伸ばすことが大切だ」と考え、弱点を見るのではなく「生薬・漢方専門」「のどに強い」という強みを生かそうと方向転換したのです。 そして、のどの専門メーカーとして、選択と集中をして商品開発やマーケティングを進めた結果、売上5倍、そして借金もゼロの200億円企業へと変わっていきました。おそらく、日本でこれだけ喉に特化している会社は他にはありません。これが私たちの強みでもあります。だからこそ、うちの製品を使って下さった方が満足したと喜んでくださる声が嬉しいですし、やりがいでもあります。 必ずしも「大きい会社だから強い」ではない 会社をもっと大きくしないの?」とよく聞かれます。ただ、私が思うに、大きい組織は新しいことに挑戦するのが苦手です。 一方、中小企業の強さは斬新さと迅速性です。「小さい=弱い」ではないし、大きくすればいいというものでもありません。また、「利益よりも当社の企業活動の結果、お客様が少しでも健康になれるかどうか」いう点が経営判断のポイントです。ですから上場など考えたこともありません。今くらいの社員100人前後の規模がちょうどいいと感じています。 そして、将来的にみた時、社会に必要とされないのに、今後100年、200年と会社を続ける必要はないとも感じています。我々を取り巻く環境はどんどん変化していますが、当社が進化できず社会的使命を果たせなくなれば、もはや存続する意味はないので、その時は退場すれば良い。それだけです。逆に言えば、自ら進化して、常に社会に貢献できる企業を目指し続けていきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ 人生で挫折を経験した人は強いです。さらに、その挫折を経験した上で努力した人は、やはり違います。龍角散では新卒の定期採用はしていませんが、「自分で社会を変えてやる!」という勢いを持つ人に魅力を感じます。 あと、大学生のみなさんにはもっと「健康は自らが作るべき」との意識を持ってほしいです。せっかく親から頂いた体なので、ありがたく大切に使わせていただくという考えを忘れないでください。「健康は自ら作るもの」です。いくら健康保険があったとてしても、誰も大病を患ったり寝たきりにはなりたくないでしょう。是非若い時から将来の自分を意識して「セルフメディケーション」を心掛け、長く健康を維持して、人生をおおいに満喫してほしいものです。 学生新聞オンライン2022年8月27日取材 法政大学1年 佐伯桜優

衆議院議員 山本 左近
F1と福祉の仕事での経験を活かして日本をより良く 衆議院議員 山本 左近(やまもと さこん) ■プロフィール 1982年7月9日生まれ40歳。愛知県豊橋市出身。豊橋南高校卒業、南山大学。11歳よりレーシングキャリアスタート。19歳で単身渡欧、24歳当時日本人最年少F1ドライバーデビュー。30歳で帰国後、医療・介護・福祉の世界に。2019年参議院通常選挙(比例代表)に自民党公認で立候補し落選。2021年衆議院総選挙(東海ブロック比例代表)に自民党公認で立候補し初当選。8月12日より 文部科学大臣政務官 兼 復興大臣政務官。 ※2022年9月12日現在 昨年、衆議院選挙に当選した元F1ドライバーの山本左近氏。10代の時から「人間は自己実現不可能な夢は思い描かない」という言葉を胸に目標を達成し続けている山本氏に、政治家になるまでの経緯やCEO/DEOとして活動されているさわらびグループでの仕事について伺った。 ■11歳の時に両親に土下座して始めたレース レーシングキャリアをスタートさせたのは、小学校5年生だった11歳の時に、元F1選手の中嶋悟さんのスクールに自ら申し込んだのがきっかけです。両親からはスクールに通うことを大反対されました。ですが、土下座してお願いをし続けたところ、根負け、1年間という期限付きで許されました。スクールに通い始めたと同時に、F1ドライバーになる年齢を10年後の22歳と定めました。そして、22歳から逆算した上で目標を紙に書き出し設定していきました。F1ドライバーになるため未来から逆算して今なにをすべきか明確になったことでよりはっきりと夢を思い描くことができました。もちろん上手くいかないことの方が多く大変な事もありましたが多くの皆さんに支えていただき、24歳になる時、当時日本最年少のF1ドライバーとしてデビューすることができました。 ■さわらびグループの魅力 30歳になりたまたま日本に一時帰国したタイミングで、さわらびグループの仕事を視察する機会がありました。それまではF1という激しい超競争社会でレースを通じ自分の命に向きあってきましたが、医療や介護、福祉といった他の人の命に向き合う仕事に価値を見出し、30歳を区切りとしてさわらびグループの経営に携わることを決めました。 さわらびグループは豊橋にある、医療や福祉、介護を一体的に運営している法人です。この法人は高齢社会になる前の時代に父と母が立ち上げ、今年60周年になります。グループが運営するさわらび会福祉村は先見の明がある父により、1977年、今に換算すれば約100億円をこえるだろう34億円という事業規模で考案されスタートしました。民間の町医者であった父が34億円もの大金をかけて一大施設を作り上げることは誰にも考えられないことでした。医師会や病院の職員には大反対を受けたそうです。ですが、父は人々が幸せに暮らせる場所を作ることを目指しやり遂げました。福祉村は気が良く、訪れると別世界にいるかのような感覚に陥ります。その気の理由は、障害や病気の有無にかかわらず幅広い年代の方々が同じ空間にいて、お互いに助け合う仕組みがあるからだと思います。この仕組みによって、グループの「みんなの力で、みんなの幸せを」という理念を実現しています。私たちのグループより規模が大きい法人は多くあります。ですが、一つの場所にいくつもの機能がある福祉村のような場所は一つのモデルとして近年注目をあびています。 ■落選しても日本を変えたいという気持ちで目指し続けた政治家 昨年秋には衆議院議員選挙に出馬し、比例代表東海ブロックで衆議院議員に当選をしました。政治家を志したきっかけの一つが、19歳から30歳までヨーロッパに住み、世界中を回り、日本を外から見た経験です。この2002年から2012年を通じ、日本は世界からプレゼンスが落ちていきました。その光景を見るたび、悔しさを感じていました。例えば、2002年に欧州の街中にあった日本の企業の看板が2012年には海外の企業に取って代わられる姿です。また、さわらびグループで医療や介護の施設に関わる仕事をしていると、超高齢化や人口減少といった日本全国共通の課題が見えてきました。そのような多くの課題を抱えている日本を政治から変えていきたい。これらの日本が衰退していく様子や日本の課題を見ていく中で、政治に自分が入っていき、世の中を変えたいという思いが芽生えました。 3年前の参議院選挙でも立候補し、全国を回り、政策を訴えかけさせていただきました。その時は78,236票を集めたのですが落選してしまい、苦しい気持ちも味わいました。ですが落選してからも、この国を良くしたい、未来の日本人、子どもたちにしっかりとした日本を残したいという気持ちを強めていき、政治を諦めることはありませんでした。この諦めない気持ちが、今回の当選につながった大きな要因です。また、有権者の方々に共感していただけたのも当選した要因の一つです。私はレーシングドライバーとしての経験を活かし、東海地方の自動車産業という地場産業の強みを残しつつ、カーボンニュートラルを実現するための政策を訴え続けていました。それに新しさを見出した有権者の方々に共感していただき、今まで以上に支援いただけたのだと思います。 ■massage 14歳の時から座右の銘にしているのが、スクールの先輩に教えていただいた「人間は自己実現不可能な夢は思い描かない」という言葉です。私はこの言葉を信じ、世界で20人と狭き門でもF1ドライバーになるという夢を目指し挑戦し続けてきました。皆さんには、自分の目指していることがあれば諦めずに挑戦してほしいです。目指していることが実現可能かどうかは誰にも判断できないことです。皆さんには可能性があります。その可能性をどうすれば実現できるかを、考えた上で実行することが大切です。そのために、将来像を描き今なすべきことを毎日悔いなく実行してください。辛いことや壁にぶち当たることもあると思います。そういった時に支えてくれる身の回りの人を大切にしてほしいです。 学生新聞オンライン2022年7月30日取材 津田塾大学 4年 大川知 津田塾大学 4年 大川知
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『LIVE STAND 22-23 OSAKA』開催!ミルクボーイ 特別インタビュー
大阪の漫才師としての誇りを胸に、漫才を究め続ける 芸人 ミルクボーイ 駒場孝(こまばたかし) 内海崇(うつみたかし) ■プロフィール 大阪芸術大学・落語研究会で出会った内海崇と駒場孝によるコンビ。2007年7月、baseよしもとのオーディションに合格し正式にコンビを結成。2019年の M-1グランプリ で「コーンフレーク」ネタが史上最高得点を叩き出し優勝、瞬く間にその名は全国区へ。2022年には第57回上方漫才大賞・大賞受賞を果たし、現在も大阪を活動拠点に全国の舞台やテレビ・ラジオで活躍中。 「M-1グランプリ2019」で史上最高得点を記録し優勝を果たしたミルクボーイ。コンビ結成から15年、たくさん寄せられるようになったお客さんからの「本当に元気が出ました」という言葉で、日常の嫌なことを忘れられるお笑いのパワーに改めて気付かされたという。そんな二人のこれまでの軌跡、お笑いや相方に対する想いなど、お話を伺った。 ■大学の落語研究会での出会い 内海:僕は元々シナリオライターになりたいと思って大学に入学して、部活はアイスホッケー部に入ろうと思っていました。でも全然滑れなくて(笑)6月から落研に入ったんです。そこで駒場と出会いました。人数が少なく、先輩に誘われてライブに出ていました。 駒場:僕は小さい頃から芸人になりたかったんです。いとこから借りた新喜劇のビデオを見て最初は新喜劇に入りたいと思っていたんですが、小学生の頃漫才バトルを見て、漫才のおもしろさに惹かれるようになりました。特にダウンタウンさんのかっこよさに憧れてコンビを組みたいと思いましたね。大学に入って落研に入りましたが、芸人としてやっていこうという同級生がいなくて…6月に内海が入ってきて声を掛けました。 内海:大学を卒業したらNSCに入ろうと思っていたんです。就活したくないと思ってましたし(笑)そうしたら、在学中にオーディションに合格して、養成所に行かずに吉本に入れたんです。NSC入っている人達とは差があるので「負けへんぞ」という気持ちが強く、自信と勢いだけで挑んでいました。この頃は尖ってたし、いい意味でナメてたなと思います(笑) ■原動力は“笑い”と“仲間の存在” 駒場:もちろん苦労もたくさんありました。後輩が先に売れていくのはやっぱり嫉妬心もありましたし、なによりお金がないので大変でした。ジムやデパート、ラウンジなどいろんなアルバイトをしていました。お客さんの悪ノリに嫌気がさしそうにもなりました。 内海:僕は100円ショップや深夜のオペレーター、出前などのアルバイトをしてました。親からの仕送りにも助けてもらっていましたね。 駒場:それでもネタがウケれば頑張れました。笑ってもらったら嬉しい、それに尽きます。 内海:仲間の存在も大きいです。周りが本当にいい人ばかりでした。そのおかげで続けられたのかもしれません。笑い飯さんが雑誌のインタビューでおもしろい芸人として名前を挙げてくれたこともあり、直接じゃなくてもおもしろいと思ってくれているということが励みになっていました。 駒場:いつも意識しているのは自分がミルクボーイを見に行って面白いと思えるネタをやるということです。とにかく面白くないと思われたくないので、自分を客席に置いてみて、面白くなかったらやらないという感じで、客観的視点を大切にしています。 内海:M-1の時にも部屋に張り紙をして自分を奮い立たせていたんですよ。その中で「今ある不満はすべて自分のせい」というのに行き着きました。ウケなかったら自分のせいでしかないですし、少しやりたくないなと思う仕事をしているのも自分の今のポジションのせい。嫌なら抜け出すために頑張ろうと思ってやってきました。 ■相方とは一生の付き合い 内海:大学の落研で誘ってもらわなかったらやってないと思うし、あの時誘ってもらったから、M-1を獲ることも出来たので、感謝しています。駒場のいいところは優しくて真面目なところですかね。サボってしまいがちなところでもサボらない精神はすごいと思います。 駒場:僕が思う内海のいいところはサボる精神ですかね(笑)家族ができて初めて休みたいと思うようになったとき、それを話したら「全然ええんちゃう」と。柔軟に対応してくれて、僕の家族のことも想ってくれるのはありがたいです。コンビは一生続くもので、その辺もズレてたら無理なので、そこはそういう人で良かったなと改めて思いますね。 ■『LIVE STAND 22-23 OSAKA よしもと芸人ツアー』の見どころ 内海:このイベント自体12年ぶりで、前回は出られなかったので今回出演出来て嬉しいです。東京でもかなり盛り上がっていて、大阪は地元なのでさらに盛り上げたいと思っています。関西の熱量を感じてほしいです。 駒場:フェスならではの空気感を味わってほしいです。劇場ではなく大阪城ホールなのでその雰囲気も楽しんでもらえたらと思っています。すぐそこに舞台があって各ブースにも芸人がいて、とても身近に感じられると思いますし、自分の好きなところを選んでまわれるので、今までお笑いにあまり触れてこなかった人も足を運んでもらえたら嬉しいです。 補足:お笑いフェス『LIVE STAND 22-23 OSAKA』が9月17日(土)・18日(日)に開催。会場は、大阪城ホール・COOL JAPAN PARK OSAKA。 ■漫才をし続けるために進化を止めない 内海:ずっと漫才をやり続けていきたいです。続けるというとキープのように捉えられるかもしれませんが、面白くなくなったら続けていけないですし、続けていくということが1番難しいと思いますね。そのためには常にアンテナを張っていなければいけないと思っています。面白いことを見つけるには、とにかく考えるしかないので。考えているときじゃないと思いつかないです。これを何十年も続けるのは、とても大変なことだなと感じています。 駒場:大阪にいる師匠のような色気のある芸人になれたらなというのが夢ですね。今でも進化し続けているし、身近で見ていて格段に違うパワーを肌で感じるので。師匠のツアーやイベントに呼んでもらいやすい環境にいられるというのも、大阪で漫才していて良かったなと思います。BSよしもとののりお・よしお師匠の番組に呼んでいただいたとき、朝8時から10時までの生放送でしゃべり続けていて、記憶もかなり鮮明で、この人達の頭の引き出しはどうなっているんだろうと驚きました。2.30年後自分も同じようにできるかと考えたら怖くなって、とても刺激を受けました。 ■message 内海:人が経験していないことを経験してほしいです。めちゃくちゃ詳しいことを一つでも持っていると、初対面の人の食いつきが違うし覚えてもらえるんですよ。自分の得意なことを伸ばして特化することは大切なことだと思います。 駒場:やりたいことがなくても、好きなことを見つけてください。仕事にならなくてもいいんです。何にもないより自分は何が好きなのかを見つけるといいと思います。 内海:あとは恋をすることです。好きになった人全員に「好き」を伝えておけばよかった (笑)海外に行っておけばよかったという想いもあります。 駒場:もっと昔のことを覚えておけばよかったなと思います。振り返ってみると思い出せないことが多いんです。ひとことだけでも日記をつけるとか、学生時代から癖付けるといいなと思います。 学生新聞オンライン2022年8月29日 上智大学4年 八木彩花 上智大学4年 八木彩花 / 立教大学4年 須藤覚斗 / 東海大学4年 大塚美咲 / 中央学院大学4年 田根颯人 / 津田塾大学4年 宮田紋子 / 慶應義塾大学3年 伊東美優 / 國學院大學3年 島田大輝 / 関東鍼灸専門学校 3年 竹原孔龍 / 法政大学1年 佐伯桜優 <LIVE STAND 22-23 TOKYOの感想> 私は今までお笑いはお茶の間で楽しむもの、というイメージがあり、あまり生でお笑いライブを見ることがありませんでした。しかしライブスタンドに実際行ってみて、生のお笑いに終始圧倒されてしまいました。最も印象的だったのは、その場で起きていることを瞬時にネタに盛り込んで会場を盛り上げている姿です。これはもちろん芸人さんでもスキルが必要なことだと思いますが、自分が同じ空間にいないと共有されない面白さだと思いました。またお笑いはやっぱり1人で観るのももちろん楽しいですが、やはり誰かと一緒に見るとより一層楽しいものだと思います。だからこそ、ライブ会場で周りにお笑い好きの仲間がたくさんいる空間で楽しめたことが凄く嬉しかったです。たくさん笑って、心を動かされて、とても幸せな1日となりました。今後はもっとお笑いライブの会場に足を運びたいと思います。今回は貴重な機会を本当にありがとうございました! 慶應義塾大学3年 伊東美優 小さい頃からお笑いが大好きだったのですが、実際に生で見るのは初めてで芸人さんの生の迫力とトーク・ネタの繊細さに圧巻されました。個人的に大喜利企画が一番面白かったです。短時間で人を笑わせられるネタが思いつく凄さ、そしてそれぞれの芸人さんの個性をいかして大喜利ではないところで笑いの空気を生み出してしまうトークに1時間が本当にあっという間でお腹を抱えてずっと笑ってしまっていました。ネタがおわってはけていく姿が本当にかっこよかったです。 國學院大學3年 島田大輝 laugh に行こうぜがテーマのlive satge を見てきました!日本神話の天岩戸をオマージュした、獅子舞や三味線が織りなす前座としてのパフォーマンスは鳥肌が立つくらい素晴らしかったです。その後、トップバーターの霜降り明星をはじめとする数々の芸人の漫才を見ることができ、思いっきり笑うことができました。彼らはさしずめ、笑いで天照大神を天岩戸から連れ出したアメノウズメのように輝いていました。腹を抱えるくらい笑ったので、コロナ禍による普段のモヤモヤが吹っ飛びました。 明治大学4年 酒井躍 「IKI NA...

Seaside Street Tokyo 2022 開催
2022年8月27日(土)、28日(日)の二日間、お台場エリア一帯に約1,000名の学生たちの歌声が響いた。 会場の中心となるアクアシティ側では二日間の来場者数が12万に達し、屋外のステージだけでも2万人の人出で賑わった。 当初の予想を大きく上回る賑わいに実行委員会一同、感動を隠しきれない様子だった。 募集当初から手応えは感じていた。思えば4月初旬、120組限定で募集を開始したところ予想を大きく超える500組以上の募集メールを前に「みんな表現する場所を求めているんだなぁ」とある実行委員会のメンバーは話す。 初開催のイベントにも関わらず成功した要因は何か?それはアカペラの表現者たちがこのコロナ禍の中でも「歌いたい」という音楽に対する純粋な気持ちを折れずに日々練習してきたことが最大の要因だろう。 来場者の顔ぶれをみてもそれは一目瞭然だった。小さな子供からお年寄り、さらには海外の方まで、みんな足を止めて時には座り込んで、思い思いの楽しみ方で熱唱する学生たちと共に音楽に酔いしれていた。 Seaside Street Tokyo2022実行委員会委員長の東京電機大学 4年 関歩夢氏はこう語る。 ■このイベントを開催しようと思ったきっかけコロナ禍で、大学生のサークルの活動場が限られてしまい自分たちの成果を披露する場所がないと言う声を聞き、それらを解決する場所を作りたかったからです。自分自身も大学1年生から所属していた軽音サークルがコロナを機に活動ができなくなるということがありました。それ以来、サークルの友達と会う機会がなくなり当時仲良くしていたサークル仲間とも疎遠になってしまいました。今回企画したアカペライベントも本番に向けて練習をすることによって、1つの目標を達成しようと仲間と壁を乗り越えたり、楽しいことを分かち合ったりと絆が生まれるものだと思っています。それらを通してできた仲間は今後の人生困っときに必ず支えになってくれると思います。それらの場を作り出すこと、無くさないようにすることを目標としていました。 ■やりがいや苦労実際に当日多くの人に足を運んでいただいて、沢山の笑顔が見れたことがやってよかったなとやりがいを一番感じた部分です。苦労としては、第一回開催ということで実績や予算がない中、ステージ施工や装飾、音響や機材などにかける資金を見出すことが難しかったことです。そんな中でも本イベントの企画趣旨に賛同してくださり、協賛をしてくださった企業様や技術・運営協力をしてくださった方には深く感謝をしております。周りの方々が尽力してくださったこともあり、当日はスムーズに運営を行うことができたので特別苦労という苦労はなかったかもしれません(笑) ■今後の目標本イベントがアカペラサークルの目標となるようにしていきたいです。今回は初開催ながら予想をはるかに超える数の応募があり、出演者を抽選で決めるという形になってしまいました。次回からはステージ数を増やし、より多くの人に出演していただき多くの人にアカペラの魅力を届けれるようなイベントにしたいです。また今回気を配れなかったアカペラサークル同士での交流の機会なども作り、サークル同士の横のつながりも作っていきたいと考えています。 ■大学生へのメッセージ今まではコロナという制約に縛られてきた生活だったと思いますが、これからはまたやりたいことに挑戦していく時代に戻ると思っています。大きくて手が届かなそうなことでも、やりたいと思ったことは周りをうまく巻き込んで仲間を大切に動いていれば必ず道筋は見えてくると思います。今回のイベントもアカペラなどの知識はない状態ではじめましたが、周りの方の助けもあり4000人近くが集まるイベントを作ることができました。自分も皆さんと同じ大学生という立場で良くも悪くも社会を生き抜く難しさを感じることが多々ありますが、自分の中に眠っている「やりたい」ということを叶えるために頑張りましょう!

第35回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2022 AUTUMN/WINTER ~ユニコ...
2022年9月3日(土)に『第35回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2022 AUTUMN/WINTER』が開催されました。今回のテーマは「GOING MY RUNWAY」。 9月6日に最終回を迎える連続ドラマ『ユニコーンに乗って』(TBS系、火曜午後10時)の出演者 永野芽郁さん、杉野遥亮さん、青山テルマさん、坂東龍汰さん、前原滉さんが登壇。 最終回の見どころなどお話を伺った。 ■ランウェイを歩いてみての感想を教えてください。 永野さん:久しぶりにペンライトの灯りが輝くキラキラした世界に飛び込んだようで、とても幸せでした。 杉野さん:ランウェイを歩くというのは中々ないことなのでソワソワしましたが、経験できて良かったと感じています。 坂東さん: いやぁ汗だくです。(笑)それこそステージに上がる前は緊張しっぱなしでしたが、実際に歩いてみると知っているファンの方が団扇を振って応援してくれていて…凄く嬉しかったですね。 前原さん:「人生で最初で最後だな」と思いながら、噛み締めて歩きました。(笑) 思い出として、楽しんで歩くことができました。 青山さん:このメンバーで会うのはいつも緑山スタジオ(撮影場所)が多かったので、凄く新鮮でしたね。今年の夏はこのメンバーで過ごした時間が長かったので、こうして最高の締めくくりができて嬉しいです。 ■どんな時に仕事のやりがいを感じますか? 永野さん: 芸能界って理想と現実が入り混じっているようなイメージなんです。例えばステージに立っている時は凄くキラキラした世界に見えるんですけど、でも裏側に目を向けると信じられないくらい多くの人がいて成り立っていることに気付かされるんです。1人の人間では到底できない経験を多くさせてもらえる中で、やりがいや感謝は常々感じますね。 坂東さん: やはりワクワクする瞬間が多いことですね。日々違う役を演じ、違う役の人生を考えて、それが1番僕自身の「楽しい」に繋がってます。だからこそ死ぬまでこの仕事を続けたいと思うし、ずっとワクワクし続けたいなって。 ■ドラマ『ユニコーンに乗って』の撮影を終えて、いかがでしたか? 青山さん:とにかく楽しい撮影現場でした。私は普段アーティスト活動をメインにお仕事しているので、アーティスト業だけをやっていたら出会えないようなメンバーにも出会えて、本当に宝物のような時間でした。また俳優というお仕事を初めて経験して、私自身もっと人として強く成長できたし、本当に幸せな機会を頂けたなと感じています。 前原さん:まずはこのような状況下で無事に撮影を終えられたことに嬉しさを感じますし、多くの関係者の皆さんに感謝しています。今後それぞれ色んな仕事をしていくと思いますが、また別の作品で会えたら嬉しいです。 坂東さん:別れ際「寂しい」って思える人同士は、また必ずどこかで会えるんだって!だからきっと会える! ■9月6日最終回の見どころについて教えてください。 永野さん: 1番の見どころはやはり、佐奈と功の関係性ですね。あとは今まで積み上げてきたドリームポニーという会社がどう終わりを迎えていくのか、ぜひ楽しみにしていて欲しいです。きっとみなさんの背中を押せるような内容になっていると思います! 杉野さん:佐奈と功の結末は、撮影現場でもたくさん話し合いを重ねて詰めていった部分でもあります。2人の感情の変化を意識しながら、ぜひ注目して観ていただきたいです。 ■最後に大学生へのメッセージをお願いします。 永野さん:自分が好きなこと・やりたいこと・出来ることの違いを目の当たりにして、葛藤を抱えている方もいると思います。そういう時こそ、学びのチャンスと前向きにとらえてみてほしいです。やってみないとわからない。まずは一回飛び込んでみたらいかがですか?と言いたいですね。応援しています! 杉野さん:自分の好きをカタチにできている人って、決して自由に楽をしてやってきた訳ではないと思うんです。好きなことをするにはリスクが伴うこともあるし、人にとってはチャレンジングなことだと思います。でもだからこそリスクに怖じけず、まずは果敢に挑戦していって欲しいです。 前原さん:年齢などに制限を設けずに、やりたいことをとことんやって下さい。失敗したって全然いいので、まずは取り組む中で多くの成功体験を積み重ねていって欲しいですね。僕も何歳になっても、そんな風に生きられたらなと思っています。 学生新聞オンライン2022年9月3日取材 慶應義塾大学3年 伊東美優

映画『ブレット・トレイン』
9月1日、ついに日本公開を迎えた『ブレット・トレイン』。ベストセラー作家・伊坂幸太郎氏による「殺し屋シリーズ」の第2作「マリアビートル」を、ブラッド・ピット主演、「デッドプール2」のデビッド・リーチ監督でハリウッド映画化しました。 世界で最も運の悪い殺し屋レディバグ(ブラッド・ピット)に襲い掛かる、<東京発>超高速列車での人生最悪な120分間! 学生新聞インターンが鑑賞した感想をご紹介します。みなさんもぜひ劇場へ! 日本描写が多く、海外から見た日本のイメージや文化の違いを知る良いキッカケになりました。特にネオン街や刀、ヤクザがアジア圏全体と混ざり合い、日本人とは違う感性で新たな進化を遂げていました。また、生々しい表現が洋画特有で日本のドラマや映画に比べてかなりアダルトに感じました。 映像や音楽もとても凝っていました。音楽においては14曲も使われており、とても豪華でした。日本の音楽が流れる場面も多く昭和の音楽と現代の列車が融合し新たな世界を創り出していました。伏線の回収がとても気持ちよく、「まさか!?」の連続でとても楽しむことが出来ました。登場人物が多くとてもテンポの良い映画でした。 関東鍼灸専門学校3年 竹原孔龍 本作の舞台となっているのは日本。 東京駅から出発した新幹線に乗り合わせた10人の殺し屋の予測不可能な展開に圧倒された。ブラッドピット演じる、運が悪すぎる殺し屋レディバグをはじめとする個性的なキャラクターの殺し屋が登場していて、殺し合いというグロテスクの中に笑いのユーモラスも感じられ、あっという間の120分であった。世界最大の犯罪組織のボス、ホワイトデスが待ち受ける静岡駅に新幹線は向かうのだが、レディバグや他の殺し屋、そしてホワイトデスの思惑が複雑に絡み合い、最終的に伏線が回収され、綺麗にまとまった映画となっていた。アクションシーンも目を見張るものがあり、非常に痛快であった。もう一度見返したい程、面白かった。 明治大学4年 酒井躍 どんなに「最悪」なことがあっても決して止まることはできない、前に進むしかない。という点で列車とそれぞれのキャラクターの人生が重なっているように感じました。 注目のアクションシーンでは、カメラワークが人だけでなく物の視点でも動くため、グイグイと『ブレッド・トレイン』の世界に引き込まれていきました。こうしたスリリングなアクション映画としても魅力的でしたが、日米それぞれの文化や感性の違いをユーモアたっぷりに表現している点に着目しても見応えがありました。また、伊坂幸太郎さんの作品の特徴とも言える張り巡らされた伏線が次々に回収されていく点は、今回も「そうきたか」と意外性が感じられました。『ブレッド・トレイン』、必見です。 津田塾大学4年 宮田紋子 とにかく運の悪い殺し屋である主人公、通称レディバグを含む10人乗り合わせた東京から京都までの新幹線が舞台だ。東京の街中でも戦う姿が所々登場するがほとんどが刀で戦う姿であった。外国人が思い描く日本はやはり、サムライジャパン。刀で戦う時代なのかと思いきやネオンの街並みが広がっていたり独特な世界観が広がっていた。 キャラクターの家族やパートナーのそれぞれの物語があり、大切な人を傷つけられ復讐心が生まれ、暴力によって止まらない争いが続く。また、幸運の虫と付けられたレディバグは自分は不運で呪われていると思うが実は他人の幸運に繋がっていたりする。運は考え方次第で良いにも悪いにも捉えることができるのだと考えさせられた。運と家族という親近感のあるテーマが共鳴し物語に深く入り込んで観ることができた。 川村学園女子大学4年 岡﨑美諭 『ブレット・トレイン』は最初から最後まで観てる方も騙される予測不能なアクション映画でした!主人公のレディバグ(ブラット・ピット)を含む10人の刺客たちが繰り広げる頭脳と格闘が入り混じったバトルも圧巻です。中でも、レディバグが刺客たちと戦うシーンでは、コメディな掛け合いがたくさんあり、単純なバトルだけではない面白さが満載でした!さらに、悪運が強いレディバグがみせるおっちょこちょいなミスや遊び心が観てる人を常に笑わせてくれます!逆に彼には笑えないこともたくさん起きて、毒蛇に噛まれてしまうなんてことも、、、。ブラット・ピットと超有名ハリウッド俳優達が演じる新幹線内で繰り広げる奇想天外なアクションストーリー是非観てみてください! 立教大学4年 須藤覚斗 「これでもか!」と度重なる主人公の悪運と繰り広げられる爽快なアクション、思わずクスッと声を出して笑ってしまうようなコメディ!日常生活のうまく行かないこと、嫌なことなど、全て「まあ、人生なんとなるか!」と思えてしまうような「休む暇がない」アクションコメディでした。まず印象的だったのが、日本だけど異国ように見える色鮮やかで独特の雰囲気を醸し出す映像。普段利用している東京駅や品川駅なのに、全くの異世界のように感じられ、終始ドキドキが止まりませんでした。そしてストーリーが展開していくごとに見えていく、“キャラが濃すぎる10人の殺し屋”たちの人間味も見どころ。普段アクション映画はあまり見ない私ですが、これを機にハマってしまいそうです! 東海大学4年 大塚美咲 今までアクション映画を映画館で見る機会がなかったのですが、いざ映画館で見てみると迫力がすごく、電車のスピード感と相まって、ドキドキ感とハラハラ感が止まらなかったです。クライマックスでは様々なキャラクターの過去や心情が重なり合い、目が離せませんでした。舞台が日本ということで、いろいろなシーンにおいて美しい日本の景観が映し出されていて制作側の日本愛も伝わってきました。いろいろな目線から楽しめる映画になっていると思います。 國學院大學3年 島田大輝 ・タイトル:『ブレット・トレイン』(原題: BULLET TRAIN)・日本公開:2022年9月1日(木)全国の映画館で公開中 ・原作:伊坂幸太郎「マリアビートル」(角川文庫刊)・監督:デヴィッド・リーチ・脚本:ザック・オルケウィッツ・キャスト:ブラッド・ピット、ジョーイ・キング、アーロン・テイラー=ジョンソン、ブライアン・タイリー・ヘンリー、アンドリュー・小路、真田広之、マイケル・シャノン、バッド・バニー(ベニート・A・マルティネス・オカシオ)、サンドラ・ブロック・日本語吹替版声優:堀内賢雄(レディバグ)、山本舞香(プリンス)、津田健次郎(タンジェリン)、関智一(レモン)、木村昴(ウルフ)、井上和彦(エルダー)、阪口周平(キムラ)、立川三貴(ホワイト・デス)、フワちゃん(ホーネット)、米倉涼子(マリア)・上映時間:2時間6分・レーティング:R15+
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ソニー銀行株式会社 代表取締役社長 南啓二
「前例にとらわれない」ソニーの遺伝子を「顧客視点」で体現する ソニー銀行株式会社 代表取締役社長 南啓二(みなみけいじ) ■プロフィール 徳島県出身。早稲田大学大学院理工学研究科修了後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。 2008年ヤフー入社。2010年ソニー銀行入社、マーケティング部長を務めたのち、2011年スマートリンクネットワーク(現ソニーペイメントサービス)取締役。取締役執行役員常務、取締役専務執行役員を務め、2021年6月から現職。 オリコン顧客満足度®調査の「住宅ローン」ランキングで2011年~2021年と長らく一位を獲得してきたソニー銀行。今回お話を伺ったのは、その代表である南啓二社長。11年間という長きにわたって、なぜ顧客満足度1位を維持してきたのか。そこには「前例にとらわれない」というソニーの遺伝子を「顧客視点」で体現する文化があった。 ■やってよかったアルバイトは、マンション工事の雑用とイベントのマネジメント 大学1、2年生の頃は学費のこともあり、アルバイトをしていました。さまざまなアルバイトを経験しましたが、特にやってよかったなと思うものが二つあります。 一つ目はマンションの工事現場の雑用係です。雑用というのは意外と難しいものです。いろいろなことについて知らないとできませんし、決まったマニュアルがないので臨機応変に動かなければなりません。ソニー銀行では住宅ローンも扱っているので、時には不動産会社の方と話し合いをする機会があります。当時はただのアルバイトだったとはいえ、建設現場の経験や知識があるので、工事に関する会話になることもあります。そう思うと、今でもあの経験は活きているなと感じますね。 二つ目は、イベントへの人材派遣のマネジメントです。私は学生を百人ほど集め、商店街のビールイベントの手配をしていました。このアルバイトでは自分が組織の一員として働くだけでなく、学生が来られなくなったと急なキャンセルが生じても欠員を出さないように調整するなど、オペレーションやマネジメントを学ぶことができました。 ■大学院に行くために勉強漬けだった大学3、4年生 しかし、大学3、4年生になるとアルバイト三昧の1、2年生の頃とは打って変わって、大学院に行くためにとにかく勉強しました。毎日1限から6限までずっと勉強していましたね。今振り返ってみてもあそこまで集中して勉強する機会はなかったし、良い経験だったなと思います。その後、無事に大学院に進み、DNAの研究を研究室に篭りきりで行いました。それこそ徹夜で研究することもありましたし、一日十時間は間違いなく研究していました。一つのことをしっかりとやりきる経験を積むことができた、メリハリのある大学生活だったなと思います。 ■夢だった起業を間接的に経験 大学院を卒業した後は、将来起業をしたいと考えていたのでいろいろな業界と関わる機会が多い銀行を目指し、三和銀行に就職しました。数ある銀行の中から三和銀行を選んだのは、上下関係の厳しさと仲の良さのバランスがうまく取れていて、自分の肌に合うと感じたからです。仕事の中身ももちろん大事ですが、上下の雰囲気は大事です。仕事は1人でやることではないですからね。学生の皆さんもOB・OG訪問などの際、先輩後輩の関係性をしっかり見ておくと参考になりますよ。 そうして入社した三和銀行ですが、そこでの日々はとても刺激的でした。ドラマのモデルにもなった三和銀行と東海銀行の合併を経験したり、ブラジルの銀行と業務提携をしたり、新しい会社の立ち上げにも多く携わりました。今振り返ってみると、会社規模の交渉や新しい会社の立ち上げに携わることが多かったなと感じます。 その後、ソニー銀行に移ってからは子会社のソニーペイメントサービスで、変わらず数多くの起業に携わらせていただきました。ソニーグループも出資しているタクシー配車サービスを提供しているS.RIDEの立ち上げや、ネットショップ作成サービスを手がける「BASE」の黎明期にも決済の面で携わりました。 自分自身が起業したわけではありませんが起業のお手伝いをすることで、たくさんの起業体験ができました。自分で起業をすると基本的に一社の立ち上げのみですが、企業のサラリーマンとしてならば色々なことに関与することができて楽しいです。結果的に元々やりたかった起業という夢も間接的に叶えることができましたしね。 ■人の夢を大切にするソニーの文化 私がソニー銀行に来てから感じたこと、それは「前例にとらわれない」というソニーの遺伝子を「徹底的な顧客視点」により体現しているということです。「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」というソニーのパーパス(存在意義)は、ソニーグループ共通の指針です。そして、ソニーグループで金融事業を担う私たちソニーフィナンシャルグループは「心豊かに暮らせる社会を目指し、人に寄り添う力とテクノロジーの力で、一人ひとりの安心と夢を支える金融グループになる」というビジョンを掲げています。ソニー銀行でもお客さまの住宅購入といったライフイベントにおける感動や思い出を金融の面でサポートすることに取り組んでいます。 これは私がソニーペイメントサービスにいたころの話です。ソニーミュージックから、ある日依頼がありました。内容は「炎天下の中2時間以上並んでグッズを買うファンの方達が辛そうだから、もっと楽にグッズを買えるシステムをソニーの技術で作りたい」というものでした。結果、私たちはコンサートグッズの事前決済サービスを新たにリリースし、ファンの方達からも好評でした。 このサービスを作っているとき、あまり儲かるかどうかは考えていませんでした。とにかく、お客様視点で世界をより良く変えたい、と考えていました。「このようにこれをやれば儲かる」ではなく、「赤字になるかもしれないけど、真剣にお客様が喜ぶものを作れば何とかなる」として、本気で思っている人がグループの中には多くいるのだと、このとき実感しました。 ソニー銀行で一緒に働いている人も同じ価値観を持っている人が多いなと感じますし、これから一緒に働くことになる仲間も同じ価値観を持っている人が良いですね。就活の面接はお互いの価値観を擦り合わせていく場だと考えています。学生のみなさんが大切にする価値観と同じ価値観を持つ企業を探すことが大切です。 ■massage 学生新聞の読者の皆さんの多くは大学受験を経験したと思います。大学受験で大切なことはいかに自分の不得意なものを克服できるかでした。皆さんも参考書の間違えた問題を何度も繰り返し解いて苦手を解消したと思います。しかし、社会で必要とされる力は真逆です。自分の得意なもので突き抜けた点数を取れることが大切になってきます。是非大学生のうちに、自分の好きなものと得意なものを見つけられるように頑張ってください。 学生新聞オンライン2022年6月27日取材 法政大学3年 鈴木悠介

「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2022」発表、セレモニー開催!
グローバルビジネス誌『Forbes JAPAN』が発表する、日本発「世界を変える30歳未満」の30人 リンクタイズ株式会社(代表取締役会長:高野 真)が運営する『Forbes JAPAN』は、日本発「世界を変える30歳未満」の30人を選出する「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2022」を、 2022年8月22日(月)に発表しました。授賞セレモニーは、25日(木)、 「WITH HARAJUKU HALL」にて開催いたしました。 セレモニーでは、今回の受賞者30名の中から、大平修蔵さん、江﨑文武さん、げんじさん、長谷川ミラさん、Reiさんの5名が登壇、受賞のコメントが語られました。またミニトークセッションも実施し、次代を担う新たなリーダーが描く未来についてお話をいただきました。 大平 修蔵(モデル・俳優・DJ) ■人生観が広がった瞬間とは?思い返してみると、人生の分岐点となったのは人との「出会い」ですね。今活動させていただいてるTikTokだったり、ランウェイショーだったりっていうのは両親やマネージャー、スタイリスト、友達などの「出会い」とタイミングが重なったからこそ活動できていると思います。僕はそのタイミングがたまたま19〜21歳だっただけで、これから先みなさんもまだまだいろいろなタイミングがあると思います。僕から人生観について話すのは少しおこがましいですけど、それが広がったのは「出会い」かなと思います ■大学生へのメッセージ活動が少し違うだけで同じ志を持っているかもしれないので一緒に頑張りましょう。ただ始めないと何も始まりません。自らアクションを起こすことが大切だと思います。 江﨑文武(音楽家) ■人生観が広がった瞬間とは?自分が表現者として「どう人生を終えたいか」と考える指針となったのは、ブルーノ・ムナーリというデザイナーです。第一線で活躍する彼がキャリアの終わりには、デザインの本質や物の見方を「説教らしくない」形で子供たちに伝えています。僕もいち表現者として次の世代に自分の考えたことを伝えるのは重要なことだと思っています。音楽家としてキャリアを終えるタイミングでは「説教らしくない」形で若い世代に音楽の面白さを伝えられる人生にできればいいなと思っています。 ■大学生へのメッセージ僕は人より長く大学という組織にいました。大学生活を本当に自分が情熱をそそげるものと見つける時間にあててほしいです。 げんじ(YouTuber / MODERN TIMES CEO) ■人生観が広がった瞬間とは?ネガティブな感情は誰にでもあると思っています。というのも高校時代お笑い芸人をやっていた時に、ネガティブな感情をいかにポジティブに変えていくかを考えていました。無理にポジティブになる必要性はないですけど、「世の中明るくなった方がいいじゃん」と思います。ネガティブな人がポジティブになれるように「自分ができることは」と考えたときに始めたのがファッションの楽しさ・素晴らしさを配信することであり、それをやり続けていった結果少しずつ人生観が変化していきました。 ■大学生へのメッセージ一言でまとめるなら『UXEIYO(ウェイヨー)』ですかね。何でもポジティブにかえてしまう言葉なんです。何でも自分から行動したほうがいいと思います。学生のうちは指示されたからということも多いと思いますが、自分からアクションしていけると良いと思います。 長谷川 ミラ(モデル / 『jam』CEO) ■人生観が広がった瞬間とは?ロンドンの大学で留学中に同級生とディスカッションをしていた時に、みんな自分の国で起きている社会問題を深く理解して意見を持っていたんですね。それに対して、当時の自分はソリューションに近づくための考えを持っていなかったので、そこからくる「恥ずかしさ」から現在の発信につながっています。今でこそSDGsやLGBTQは認知されていますが、以前はそれすらも知らない方っていうのは多くいたので、「恥ずかしさ」が自分の人生を大きく変えたのかなというふうに感じています。 ■大学生へのメッセージ『気にすんな』という言葉を送りたいです。特に大学生の時は、色々な情報だったり周りの子と自分を比べてしまう状況も多いと思うんですが、そういったところを気にせずに挑戦を続けることができれば、自分のペースで進めることができると思います。 Rei(シンガー・ソングライター / ギタリスト) ■人生観が広がった瞬間とは?数年前に「Les Eurockeennes」というフランスの大きな音楽フェスに女性のドラマーの方と2人で歌わせていただく機会がありました。フランスではまだまだ知名度がなかったので最初はお客さまもまばらだったんですけど、音楽に引き寄せられるようにお客さまが集まっていきました。次第に歓声やコールをしてくれるようになり、そのステージを通して「音楽の本質」が国境や性別、そして価値観を広げてくれるんだなと感じました。それからは生きがいや愛が大切なんだなと感じるようになりました。 ■大学生へのメッセージエンターテイナーとして本人が楽しむことが如実に表現として現れ、お客さまに伝わります。本人が楽しむこと。パッションや楽しむ力を大切にしてほしいです。 「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2022」セレモニーへ出席した感想 Forbes JAPAN 30 UNDER 30の授賞式は「やりたいことを見つけて、自信を持って取り組む」というような生き方がしたいと強く思えたものでした。今回登壇した5人の受賞者が言葉にした思い、そしてそこに立っているという事実がとても輝かしかったです。質疑応答のセッションでは自分の質問に受賞者それぞれが丁寧に答えてくださり、十人十色でとても筋の通った受賞者らしい価値観でした。こういった体験に多くの人が夢や希望を持てればもっと楽しい人生が待ってるのではないでしょうか! 立教大学 4年 須藤覚斗 受賞者の皆様に共通してらっしゃるのは、責任の範囲を日々広げてらっしゃる点だと思いました。自分だけでなく友人や家族さらには社会、時には国境超えて多くの方に思いを馳せて活動していらしたからです。物事の多くを身近なところで考える傾向にある私は、その未熟さを痛感しました。大人になるとはどういうことかをU30として考える、とても良い機会となりました。ありがとうございました。 津田塾大学4年 宮田紋子 同い年の大平修蔵さんをはじめ、世界的に活躍をしている世代が近い方々を間近で見て、お話を聞くことができモチベーションがとても高まりました。受賞者5人の方に共通していることは自分の幸せだけではなく世界中の人々の幸せを考え、癒したい、愛に溢れる未来に繋がる活動をすることを指針にしていると気が付きました。独自の力強い信念や生き方を備えて夢に向かって活動している姿はとても輝いていました。改めて自分の将来を考える機会となり有意義で大変学びのある時間となりました。 川村学園女子大学 4年 岡﨑美諭 時代をリードしている若い世代の方の姿を生で見ることができて、とても刺激を受けました。今回受賞された方々の発言には、既に重みや色があり、聞いていて引き込まれました。今後どうしていきたいという考えや方法はみなさん違いましたが、根底には世界を良くしたいという想いあり、当事者意識をもって活動されている姿に強く心動かされました。学生へのメッセージでいただいた「始めなきゃなにも起こらない」という言葉を胸に、積極的にアクションを起こしていこうと思いました。 日本大学3年 石田耕司

株式会社ドワンゴ 専務取締役CCO ニコニコ超会議統括プロデューサー 横...
リアルとバーチャルの融合でお客様に新しい遊び方の提案を ■プロフィール 1981年東京都生まれ。株式会社ドワンゴのコンテンツ戦略担当として、2001年よりドワンゴの携帯コンテンツ制作を始め、ニコニコ動画公式生放送や様々なイベント、新規事業を立ち上げる。ニコニコ超会議では統括プロデューサーとして16万人超規模のイベントを手がけ、伝統芸能の歌舞伎とデジタルを融合させたオリジナル新作超歌舞伎「超歌舞伎」の総合プロデューサーを務めている。2000年のニコニコ超会議(春、夏)はオンラインで開催、「ネット総来場者数」は1,773万8,806人となり日本最大級のオンライン参加型イベントを手がけた。今年は、『ニコニコネット超会議2021』と題し、日本に存在する様々なエンターテインメントを集合させた日本最大のインターネットの祭典を8日間に渡って実施させた。 ニコニコ動画やニコニコ超会議で知られる有名IT企業である一方、教育の事業にも力を入れている株式会社ドワンゴ。ネットの中で人間らしさを追求し、お客様に提供するというニコニコ動画の構想を作って実現させた専務取締役CCOの横澤大輔氏に、ドワンゴの強みと複雑化する社会で求められることについてお話を伺った。 ■リアルの良さを伝えるために 私たちドワンゴは4つのメイン事業を通して、バーチャルとリアルの融合を目指しています。一番大きな事業は、ニコニコ動画を中心としたポータル事業です。ここでは、ニコニコ動画やニコニコ生配信の運営、運用、開発を主に行っています。また、それらに付随するニコニコ静画やニコニコニュースなどのサービスの運営、運用も行っています。ネットの進化に伴い、新しいものを取り入れ、デジタルとアナログを組み合わせてよりよいビジネスモデルを作ることを目指しています。 2つ目の事業であるモバイル事業は、以前は着メロや着うたに力を入れていましたが、今は時代にあったコンテンツを模索しています。 3つ目の事業となるのが、ニコニコ超会議などのイベント事業です。サブカルチャーやコスプレ、声優のリアルイベントやネットとリアルを融合したイベントを開催しています。リアルの楽しさをネットで伝えるために見せ方を工夫し、興味を持ってもらえるような面白い企画を沢山考えています。最近では初音ミクと歌舞伎というバーチャルとリアルが融合した超歌舞伎も製作し、上演もしました。歴史がある伝統文化の良さを最新技術で引き出して深められた、画期的な作品となりました。 そして、4つ目の事業として、ドワンゴでは教育事業も行っています。N高等学校、S高等学校はネットと通信制高校の制度を組み合わせた高校で、2万人もの生徒がいます。第一線で活躍する様々なジャンルの講師の授業を自宅で受けることができます。生徒は自分の好きな時に勉強できるので、自分の好きなこと、やってみたいことを探す時間が生まれます。N高のNは「New」や「Next」といった前向きな意味合いを持っています。生徒一人一人が自分のNを見つけて、好きなことに出会えるチャンスを掴んでほしいという思いがあります。 ■ドワンゴは「好きが仕事になる会社」 ドワンゴでは、社員の好きなことがそのまま仕事に繋がることが多いです。仕事をやらされているのではなく、好きなことを仕事にする感覚が強いんですね。自分が心から楽しめることから漏れ出たものこそが、エンターテイメントだと私は思います。ですので、ドワンゴの社員は自分の好きなことが明確で、社員同士で各々の「好き」を共有しています。 ドワンゴでは、アニメ、芸術、将棋、歴史、政治など、様々な分野でコンテンツを発信していますが、その分野が好きな社員がプロジェクトの担当となり、足りないスキルは周りがサポートするケースが多いです。スキルよりもその人の「好き」を大事にしているせいか、ドワンゴから生まれるコンテンツは温かく、人間味があります。組織を超えて仕事が進むこともあり、みんなの「好き」が繋がって仕事になっているとつくづく感じます。 では、自分の「好き」をどうやって仕事にすることができるのか。それは、自分の好きなものを何と組み合わせていくかがだと思います。また、誰もが好きになる大衆向けするものよりは、コアなファンがいるコンテンツや仕掛けづくりにも力を入れています。万人に受け入れられるものよりも、自分しか好きではないかもしれないニッチな分野を、「ほかにも好きな人がいるかもしれない」と思いながら、掘り下げることが得意です。その根底には、一人一人の好きを尊重し、居場所を作ってあげられるようなコンテンツを提供したいという想いがあります。その結果として、ニコニコ動画は8000万人という大勢の会員を抱えているのだと感じます。 今後の展望についてですが、現状では、デジタルとアナログが融合していない分野がまだまだ沢山あります。デジタルの良さである効率化や合理化に、アナログの良さである温もりや曖昧さを掛け合わせる。こういったあるようでないものを、ドワンゴはこれからも生み出していきたいと考えています。 ■複雑化した社会へ対応するには これから、ますます社会は多様化、分散化していくと思います。情報が増え、自分の好きなことや興味のあることは簡単に探せる時代になりました。社会はより複雑化していくので、多岐にわたって才能を伸ばすより、得意な分野を極めることが求められます。ベースとなる総合力は今後も必要ですが、取捨選択することも大切です。自分が苦手なことや出来ないことは周りに頼る勇気を持つこと。不得意なことに時間を割くよりも、自分の強みを伸ばすことに時間を割く方がいい。全員の得意なことを合わせて、役割分担をし、チーム全体で力を発揮できればいいのです。また、努力なしの努力が出来る事を探すことも大切です。周りから見れば大変そうに見えるけれど、自分にとって苦ではないもの。そういったストレスなく出来ることを伸ばし、大きくしていくといいでしょう。色々なことに取り組み、取捨選択し、人に頼る。何か欠けているけれど、好きなことで生きていける人は価値が高いです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、「何をやりたくて大学に通っているのか」を明確にしてほしいです。大学は自分が将来やりたいこと、作りたい世界を逆算して、勉強する場所です。私は大学にいたときよりも、社会に出てからの方が学んだことが多かった。知識をため込むことより、その知識をどう生かすのかを明確にするといいと思います。大学に通うことは目的ではなく、将来やりたいことに繋げる手段です。そのために、まずは好きなものを見つけましょう。今までやってきたことはどんなことであれ無駄にはなりません。色々なことに向き合って、好きなものに出会い、好きなものを組み合わせて新しい価値観を生み出してください。 学生新聞オンライン2022年7月8日取材 明治大学 4年 酒井躍

Seaside Street Tokyo 2022
Seaside Street Tokyo 2022 お台場を舞台に繰り広げられる新しいアカペラフェス 2022年8月27日(土)と28日(日)の二日間、お台場アクアシティを中心に3ステージで構成されたアカペラフェスが新たに開催される。中心となるのは大学生。実行委員会の主要ポストも一部を除いて大学生で構成されている。 コロナ渦の約2年間半、学生たちは思い出を作り出せる空間を奪われ続けてきた。どうかこの夏は彼らに思い出の場所を提供したい。そんな思いから始まったイベントだ。 みんなの思い出の場所にしたい 当初は最大120組枠で予定していたが一旦募集を開始すると想定を大幅に超える応募が殺到し嬉しさと共に「出来る限り多くの学生を参加させてあげたい」という思いが実行委員会内で強くなった。 初年度のフェス作りはすごく難しい。しかしながら精力的に関係各所と調整をおこない出演組数を大幅に拡大し最終的には192組まで出演できる体制も整えてきた。 数年先の未来、出演者や実行委員会に携わった学生たちが友達や恋人、家族とともに一緒に帰って来たくなるような思い出の空間にしたい。 そんな思いが実行委員会を突き動かした。 今までにないアカペラの空間作り これまでのアカペラフェスは比較的質素なステージが多かったが、Seaside Street Tokyoは3ステージすべてにラグジュアリーでフォトジェニックな舞台装飾が入る。 それぞれのステージがコンセプトごとに分けられ夏を感じられる舞台だ。 VINTAGE WHITE STAGE アクアシティ最大のイベントスペース「アクアアリーナ」 ここに白を基調とした海外のHouse Party風な舞台を演出。 植栽やソファーなどを配置しラグジュアリーな舞台でアカペラーが歌う。 OCEAN BRIDGE STAGE アクアシティ5階のデッキスペースはレインボーブリッジを背景に東京の街並みと東京湾を一望できる気持ちのいいステージ。 アメリカンヴィンテージを意識したステージで夜の夜景は格別だ。 LOVE SEASIDE STAGE 台場駅降りて直ぐのウエストプロムナードにはLOVEをテーマにピンクで装飾されたステージが登場する。 真横にはお台場のシンボル自由の女神像があり、開放感たっぷりの舞台となる予定だ。 公式Website、SNS Website : http://seaside-street-tokyo.com/Twitter : https://twitter.com/acappella_SSTInstagram : https://www.instagram.com/seaside_street_tokyo/ 開催概要 名称 Seaside Street Tokyo 2022開催地 アクアシティ お台場 *及びその周辺地域日付 2022年8月27日(土) , 28日(日) 2days開催時間 10:30~18:30出演者 学生バンド(193組程度)、ゲストバンド(3組想定)入場料 無料 主催 Seaside Street Tokyo 2022 実行委員会統括 株式会社OUT LOUD FACTORY制作 株式会社G-STAR.PRO運営 株式会社ネクストドアーズ インターナショナル 協力 お台場観光局後援 東京都港区、東京臨海副都心まちづくり協議会、学生新聞 協賛 BMW Tokyo

株式会社鎌倉新書 代表取締役会長CEO 清水祐孝
超高齢化社会に「メディア」として有益な情報を与え続ける 株式会社鎌倉新書 代表取締役会長CEO 清水祐孝(しみず ひろたか) ■プロフィール 1963年生まれ、東京都出身。慶応義塾大学卒業後証券会社勤務を経て、父の経営する株式会社鎌倉新書に入社。同社を仏教書から葬儀や墓石等の業界へ向けた出版社へと転換。さらに「出版業」を「情報加工業」と定義、セミナーやコンサルティング、インターネットサービスへと事業を転換。現在、終活関連のポータルサイトを運営し、高齢者の課題解決へ向けたサービスを提供。 新卒で証券会社に入社。その後、父から託された鎌倉新書とその想いを引き継いできた、清水祐孝会長。鎌倉新書の経営者として超高齢化社会に有益な情報を届けることで「終活」をサポートし、社会に還元してきた清水会長の思いと、日頃から大切にしているマインドについてお伺いした。 ■現実の恐ろしさを知った大学時代 大学では企画や事業を行うサークルに入り、学生起業家のようなことを行なっていました。活動自体は非常に楽しかったのですが、在学中、とある事件が勃発します。そのサークルによく出入りしていた品の良いおじさんに仲間が騙されてしまうという出来事があったのです。この事件から、私は世の中の恐ろしさを知り、「もっと勉強して知見を広めなければ」と思うようになりました。 ■鎌倉新書に入社するまでの経緯 大学では商学部に属していたこともあり、新卒で証券会社に勤めました。証券会社はセールス力が必要で、高額所得者のリストを元に毎日200件ほど営業電話を掛け続けていました。100件電話をかけても、契約を取れるのは2、3件ほど。知識を増やすために、日経新聞やエコノミスト、週刊ダイヤモンドなどあらゆる新聞や雑誌を読んでいました。自分とはあまり接点のないことでも世の中の感覚を知るために、意識的に情報収集していたように思います。当時はバブル経済で、業績も給与もとても良い状況でした。そのため会社を辞める必要性は全くなかったのですが、ある時、父親から鎌倉新書が倒産の危機に陥っていることを知らされ、受け継ぐことにしました。もっとも、証券会社を辞めて鎌倉新書に再就職する間に、証券会社で知り合った方が運営する海外のゴルフ場に行きたいという下心も、少しはあったかもしれません(笑)。 ■役割は「終活に関する有益な情報を提供すること」 鎌倉新書という会社は、超高齢化社会のなかで高齢者が明るく前向きに生きていくことに貢献する会社です。「鎌倉新書」という名前の通り、最初は出版社としてスタートしましたが、現在ではインターネットを通じた情報提供を主な事業としています。今もなお鎌倉新書という名前を変えないのは、「求める人に有益な情報を届ける」という点でメディアであると考えているからです。例えば出版社の中にも漫画の版権を売買してテレビアニメを作る会社があるように、昔とビジネスモデルが様変わりしているメディアも多く存在しています。最初の情報提供の領域は葬儀やお墓といった「供養」の分野のみでしたが、次第に人が亡くなる前後で初めて直面する課題、つまり「終活」と呼ばれる領域における課題を解決するお手伝いを行うようにもなりました。一度きりの人生を充実したものにするために、やっておくべき全ての活動を行う支援をしているのです。超高齢化社会に有益な情報を提供することは、鎌倉新書の社会における重要な努めであると考えています。 ■儲けより社会還元を優先させるべし すべての企業の本質は、社会に利益を還元し、社会を活性化させることだと思います。社会に還元するためには、儲けがないとやっていくことはできません。車で目的地にいくためにはガソリンがないと行けないのと同じように、社会に還元するという目的のためには社員のお給料を維持しなければならないのです。崇高な理念の大前提として、売り上げがないとやっていけないのです。しかし、稼ぐことを、社会に還元することよりも優先してはなりません。それに気が付いたきっかけは、若い頃に京セラの創業者である稲盛和夫さんの講演会に足を運んだことです。儲かる方法を知るために参加したのですが、そこで言われたのは「親を大切にしないさい、神仏を敬いなさい」ということでした。当時は「やっぱり成功者というのは本当のことを教えてはくれないのだな」と思いましたが、今から思うとあれは正しかったのだなと思います。生まれてきたからにはそれぞれの役割があり、世の中に貢献できるのだと感じます。自分だけが得するのではなく周りの人にもいい影響を与えることで、成功はつかめるのだと思います。 ■稼ぎと成長の副産物である 私は若い時、お金がなかったので稼ぐことを目的に生きていました。しかし、いろんな本を読んだり講演会を聞いたりするうちに40代のころに気がついたのは、稼ぎは、自分が学び、成長した時の副産物として生まれるということです。一緒に働く人にもこのことに腹落ち感を持って気がついてくれるといいなと思います。余談ですが、私は毎日神社に行くようにしています。信心深い訳ではありません。確かに最初は「会社が潰れませんように」と向こう側にいるであろう神様に向かって神頼みをしていました。しかし、これは長年やっていて分かったことなのですが、向こうにいるのは神様ではなく祈願している自分自身の存在なのです。願い事が叶うのも神様が聞いているからではなく、その願い事を自分の脳みそが覚えていて、それを叶えるために必要な情報を収集するようにと潜在意識が働くからだと思うのです。科学的なことではないので証明はできませんが、経験としては生きてくると思います。そして何故かはわからないですが、古くから続いているものには意味があると思います。どんな慣習や伝統も、何かしらよいことがなければ廃れてなくなってしまうと思うからです。宗教チックなものを「宗教だ」と揶揄するのではなく、潜在的な力を発揮させるために活用してみるのもいいと思います。 ■大学生へのメッセージ 社会に出てからこそ学びは加速化されると思います。そしてその基礎固めをするのが大学までの学びだと思います。社会人になると学生の時とは違い、長期的な学びが必要になるので、中長期的に学びを本格化させる意識を持ち続けてください。そして、歳をとると自分の責任の範囲は広がっていきます。若い時は自分のため。結婚したら子どもや家族のため。さらに歳をとると、地域あるいは社会のため……など自分の責任の範囲が広がっていくのです。色々な経験を積むことでどこまで自分の責任範囲を広げられるかがチャレンジになってくると思います。 学生新聞オンライン2022年6月16日取材 津田塾大学 4年 宮田紋子

東武トップツアーズ株式会社 代表取締役社長執行役員 百木田康二
「リアル」な価値観を通して、一生残る思い出に喜びを。 東武トップツアーズ株式会社 代表取締役社長執行役員 百木田康二 (からきたやすし) ■プロフィール 1964年生まれ、東京都出身。明治大学商学部を卒業後、1987年東急観光(現、東武トップツアーズ)に入社。1997年ヴィータU.S.A.CO.HAWAIIに出向し、帰任後は2007年よりトップツアー(現、東武トップツアーズ)社長室長、経営企画部長を歴任。2014年取締役に就任、東武トップツアーズ発足後の2016年からは営業統括本部を管掌し、2020年取締役常務執行役員営業統括本部長を経て2021年7月より現職。 2015年、東武トラベル株式会社とトップツアー株式会社が合併して誕生したのが、東武トップツアーズ株式会社。その経営理念である「ありがとうの連鎖」は、旅行事業にかける強い想いがこもっていることを感じさせる。コロナ禍で旅行業界が大きな打撃を受けるなか、どのような経験をもとに会社経営に携わってきたのかについて、先の見えない時代を生きる大学生に向けたメッセージとともに、百木田社長に伺った。 ■アルバイトに学業に。全力で楽しんだ大学生活 大学生の時は、私も皆さんと同じく、いろんなアルバイトや学業に勤しんでいました。3年間、居酒屋で働きつつも、甲子園の宣伝でグラビアを撮るために多摩川沿いのグランドをひたすら走るといった一風変わったアルバイトもやりました。また、実家の家業が原木を製材する木工業だったことから、居酒屋のアルバイトが終わった後に、浅草から越谷まで木材の運搬作業をすることもありました。 もちろん学業もおろそかにはしませんでしたよ。大学のゼミのテーマに選んだのは「交通論」で、当時名古屋にできたバスレーンを見に行き、研究課題にしました。ゼミは自由奔放な雰囲気でとても楽しかったです。ゼミのメンバーと一緒に、明治大学のラグビーや野球の観戦によく行きました。真冬の時期に一週間徹夜で並んでチケットを取った大雪の中の早明戦は、いまだに強く思い出に残っています。 ■直観に従って飛び込んだ、旅行業の世界 このご時世ですから皆さんも就活は大変だと思いますが、私が大学生の時も就活は楽ではありませんでした。就活は周りの友人の様子をみてから始めたのでスタートも遅かったです。就活中、私がフィーリングで心惹かれたのは旅行業界でした。在籍する商学部では、就職先として金融業界が人気でしたが、私は自分の直観を信じて、就職活動も旅行業界に絞って行い、たった4社しか受けませんでした。 受けた中の1社として内定をもらったのが、東武トップツアーズ(当時は東急観光)です。ただ、いざ入社して思ったのは「形がない“旅行”を売るのは大変だ」ということです。 仮に、旅行の内容が同じだった場合、当社を選んでいただくためには、ほかの旅行会社との差別化を図って、何かしらの価値をお客様に提供することが重要です。例えば、ツアー担当者が人としてお客様に信頼されたり、企画力を上げ面白さや価値を伝えたりすることが大切であり、大事なのは旅行の中身よりも、人柄や企画内容、面白さなのです。 また、私たち旅行業界は個人プレーでは成り立ちません。航空会社・旅館・ホテル・お土産屋などとも連携し、チーム一丸となって協力しあうことで「旅行」という商品が生まれます。「旅行」を通じてお客様に喜んでもらい、「ありがとう」という言葉をいただくことが、社員一人一人の励みになりますし、お客様に感謝されるような体験を提供し続けることで、自分たちも成長していく。こうしたお客様とのリレーションシップが、旅行業界の醍醐味だと思います。 ■大変な時代だからこそ「地域を元気に、日本を元気に」 東武トップツアーズは、主に団体・法人様向けのB to Bでの旅行事業を展開していました。しかし、コロナ禍以降は、修学旅行の延期や海外旅行が中止になるなど、旅行需要が激減しました。 そこで私たちが目を向けたのは、旅行以外の新たなニーズです。東武トップツアーズならではの、人のために動くホスピタリティ精神やコーディネート力を生かして社会貢献をしたいという思いで、ワクチンの接種事業や困窮する飲食店の助成金の申請、安心安全のための合格マークを認定する事業などを新たにスタートさせ、国・自治体と企業を結び付ける役割を果たしました。 今後に向けては「地域を元気に、日本を元気に」をテーマに掲げ、地域ごとの課題の解決を目指しています。大きな視点で見ると、日本は毎年60万人ものペースで人口が減少していますが、地域によってその課題は様々です。当社は47都道府県すべてに店舗があるので、地域に根差した課題解決の提案が可能です。ワクチンの接種事業は、その引き出しの一つにすぎません。それぞれの地域の課題に柔軟に対応できるよう、さらに引き出しを増やしていきたいと思います。 また、この2年間、「旅行」の必要性が何度となく問われました。旅行の移動手段も飛行機や電車から車にシフトし、少人数で動くようになりました。リモートの良さもありますが、お客様の間でも旅行を通じたリアルな体験の良さに気づく方が増えています。そういう意味ではこの2年間は悪いことばかりではなく、旅行が持つ大切なことに気づくきっかけになったのではないかとも思います。私たちはこうした「リアル」の場を提供し、お客様の一生の思い出を作れるように、日々新しいことに挑戦していこうと思います。 ■ほしい人材は、好奇心を持ってアンテナを張り巡らせる人 東武トップツアーズで成功している社員の特徴は、3つあります。それは、「(1)強い信念を持って仕事に取り組み」、「(2)今の社会で何が求められるのかをキャッチでき」、「(3)間違えたときや失敗したときは素直に謝れる誠実な人」です。 旅行という商品は形がないので、こういった人柄で他社との差別化を図っていくことが重要です。目まぐるしく変わる環境の移り変わりを察知し、その変化に対応でき、広くアンテナを張り巡らせられるような、好奇心旺盛な人を求めています。 ■message 学生さんから「(弊社に)入社するまでに何を準備すればいいですか?」とよく聞かれるのですが、その答えは「何もやらなくていい」です。学生の皆さんには、今しかできないことが沢山あります。年齢を重ねてから後悔するのはもったいない。学生だからこそできることを見つけ、時間がある今のうちにやり抜いて卒業を迎えてほしいです。また、入社してから皆さんが不安にならないよう、弊社では研修を充実させています。何も心配せず、弊社に飛び込んできてください。 あと、もう一つ大切なのが、健康です。大学生活の中で、ときにはストレスを感じることもあると思います。私たち旅行業界も、答えがない商品を取り扱っているためトラブルもあります。ただ、逆に言えば、こうしたトラブルに対応して解決できれば、次に繋げることが出来ます。大学生の皆さんにも、トラブルや失敗を糧にして、強い信念をもって前に進んでいって欲しいです。 学生新聞オンライン2022年6月24日取材(学生新聞2022年10月号) 明治大学 4年 酒井躍

株式会社イノベーション 代表取締役社長 富田直人
感度の高い人に会えば成長できる|社会で活躍する人に自分から会いに行こう 株式会社イノベーション 代表取締役社長 富田直人 (Naoto Tomida) ■プロフィール 静岡県浜松市出身。実家が電気工事会社を経営していたこともあり、大学は横浜国立大学工学部電気工学科に進む。卒業後、父の会社を継ぐ前に社会勉強をしようとリクルートに入社。新規開拓営業を経験した後、2000年にイノベーションを設立し、現職。法人営業の新しいスタイルを創造すべく、法人向けにインターネットマーケティング支援事業をおこなう。2016年12月、東証グロース上場を果たす。 企業詳細:コーポレートサイト / 採用ページSNS:Twitter / Facebook ■就職先の条件は、家業を継ぐ前提の「3年で辞められる会社」 父親が電気工事業を営んでおり長男だったこともあり、小さい頃から家業を継ぐことは当たり前のことだと思っていました。将来に備えて、学生時代から夏休み、冬休み、春休みには家の仕事を手伝うのはごく当たり前という環境で育ちました。 家業を継ぐという道は、私にとっては既定路線だったのです。 大学も工学部電気工学科を志望しました。親元を離れたいという想いもあり、家計的にも負担の少ない国立大学を選び、横浜国立大学へ進学することを決めました。 実力より上の大学でしたが、とにかく東京で華々しいキャンパスライフを楽しむことだけを夢見て猛勉強。晴れて合格した後は、もう解放感で一杯。将来のことなど深く考えないまま就職活動の時期となりました。 学生時代に唯一熱中したのが、ツアーサークルでの活動です。学生向けスキーバスツアーの企画を中心に、企業にスポンサーになってもらいイベントを開催するなど、ベンチャー企業で働くまねごとのような体験をさせてもらいました。 家業を継ぐ前に、社会経験を積んだ方が良いだろうから、という理由で就職活動を始めました。当時は、バブル景気前の空前の売り手市場。理系学部ということもあり、教授の推薦があればどこにでも入れるような状況だったので、何となくかっこよさそうだからとソニーかIBMがいいなと安易に考えていました。 でも、私の場合は「3年限定」の就職です。OB・OG訪問の際にそれを素直に伝えてみると、「3年で辞めるなんてもったいない。そういう価値観ではうちには来ないほうがいい」という反応ばかりでした。今考えれば、大企業が3年で辞める学生を雇うはずがないですよね。 理系出身者が配属されるような研究分野であればなおさら、定年まで働き続けるのが当たり前の世界でした。そんな風潮を感じ取った私は、良くも悪くも「3年で辞めるなら大手企業行くのはちょっと違うかも」と考えるようになりました。 「3年で実家に戻って家業を継ごう」と考えていた私が最終的に選んだ会社は、当時の理系出身者は選ぶことがなかったであろう、リクルートでした。 「定年まで働くのが前提の会社には入社できない」「それなら、ほかの業界もいろいろと見てみよう」と考えて、商社や金融といった文系の学生が進む業界を見るようになりました。その延長線上で出会ったのが、リクルートです。 当時、インターネットはない中、通信やコンピュータ事業に乗り出したり、新しいビジネスモデルで成長していたリクルートには他にはない、起業家精神を感じました。業界や仕事内容よりも、若い社員が多く新しいことに挑戦して急成長している企業で、とにかくアグレッシブな会社でした。さらに魅力的だったのは、技術系の採用をスタートさせたばかりだったこと、そして「3年で辞めてもいいよ」と言われたことです。 「3年で実家に戻って家業を継ごう」と考えていた私は、3年で辞められるという条件を満たしたリクルートに入社することを決めました。ところが、そのリクルートで結局10年も働き、おまけに父親の家業を継ぐことなく、自分で一から起業するという想像もしていなかった道へと進むこととなりました。 ■先入観は覆されるもの。嫌で仕方がなかった新規営業の楽しさに目覚める リクルートにエンジニアとして採用されたはずの私の最初の配属先は、なんと営業でした。当時の私にとっての営業とは、飛び込み、ノルマ、グラフによる数字争いそして人に嫌がられるという、とにかく最悪のイメージをもっていました。 さらに、入社早々、飛び込み訪問をしてできるだけたくさんの名刺をもらってくる「名刺獲得キャンペーン」が始まったのです。自分に最も向いていないと思っていたし、実際、獲得できた名刺の数はダントツにビリでした。辛くて辛くて、ゴールデンウィーク前には半分鬱状態でした。 成績は悪いし、半分鬱状態になっていた私を見るに見かねたのか?ゴールデンウィーク明けに異動を命じられました。異動先は、人事の理系学生の採用担当です。ほっとしたのはたしかですが、この異動を機に、二度とごめんだと思っていた新規営業の楽しさに目覚めることとなったのです。 与えられた任務は、関東の上位大学から5人採用すること。しかし、インターネットのない時代です。試行錯誤しながらあらゆる手段を使ってリクルートの魅力を伝えていきました。 学生リストのようなものを片手にひたすら自宅に電話をかける、大学に出向いて直接学生にアプローチするなど必死に頑張った結果、ノルマであった5人を採用することができたのです。とてもやりがいを感じた仕事でした。と同時に気づいたのが「これって営業と同じではないか?」ということ。 そこで、営業という仕事に勝手な先入観をもっていただけだったことを気づかされました。 営業という職種のことを良く理解しておらず、何となくのイメージで「嫌だ」「向いていない」と決めつけてしまっていましたが、自分に合っている仕事かどうか、自分が興味をもてる仕事かどうかなんて、やってみないとわからないものなんだと心から思いました。 これから社会に出る皆さんにも、先入観で判断しないでほしい、と伝えたいです。とにかく、何事もまずは一生懸命取り組んでみるべきだと私は学びました。目の前のことに全力を尽くせば必ず道が開けると信じて、ぜひ頑張ってほしいと思っています。 ■20代後半、起業家との出会いをきっかけに経営者の道へ 営業が嫌で半分鬱状態になっていた私が、人事部への異動をきっかけに新規開拓営業の醍醐味を知ることとなり、今後は自らの希望で元の営業部に戻ることとなりました。 新規営業は大変そうだと思っている人もいるかと思いますが、新規開拓の営業は、一番フロントに立って顧客がまだ気づいていない課題を解決するという社会的に意義がある仕事です。 新規営業がいなければ、その商品やサービスが売れないばかりか顧客の課題が解決されないわけですから、課題に気づくというきっかけをつくる大変やりがいのある仕事なのです。 すっかり営業の魅力にはまってしまい、3年で辞めて家業を継ぐはずが、結局10年もリクルートで営業を続けました。 最初は、1番をとることを目標にひたすら頑張りました。「ここで1番にならなければ実家に帰ってもうまくいくはずがない。絶対に1番をとって、自信をつけてから家業を継ごう」と心に決めていたのです。 次第に、部署内で何度も表彰されるような存在となり、昇進もして大きな自信も得ることができました。仕事はおもしろくなる一方で、家業を継ぐタイミングはなかなかつかめずにいました。 そのころは気がつくといつも、「リクルートで働き続けるか、家業を継ぐか、どちらが自分の成長につながるか」を天秤にかけていたように思います。 ターニングポイントとなったのは、20代後半の若手起業家との出会いです。自分よりずっと先を走る同世代の起業家と会ったことで、自ら起業するという新たなキャリアを意識するようになりました。人材もお金もサービスにも恵まれていて、給与もしっかりいただけるリクルートという居心地の良い会社にいることで「ずっとこの環境にいては、この先大きく成長できない」と限界を感じるようになりました。 起業が実現したもう一つの要因は、家業がうまくいかなくなって、いつかは継がなくてはいけないという役割自体がなくなったことです。 家業を継ぐ必要もなくなり、もっと成長したいという強い想いが沸いてきたことからリクルートの退職を決意しました。実はその時点でどういう事業で起業するかは決めていませんでしたが、これまでのキャリアを振り返って改めて「私の強みは何か?」を整理し、BtoBマーケティングの事業で起業することを決めました。 リクルートで働きながら常に感じていたこと、それは会社員として給料をもらうことにどこかずるい気がしていたことです。人が作った会社や事業、組織のレールの上に乗っかって成果を出しているだけ、、こんな甘い世界は続かないと・・ 今振り返ると、親戚も含めて小さい頃から事業を経営する環境で育ってきたので、やはり私にとっては雇われる側でなく経営者として生きていく道が自然だったのだなと感じています。 ■先入観をもたず、さまざまな業界・職種を見に行こう 自分に合った業界や仕事に出会うためには、とにかくいろいろな会社に足を運ぶことです。 人事の人はもちろん、さまざまな業界で働く社会人と話をするだけでたくさんの気づきがあるでしょう。多くの人と交流する中で、自分が好きなこと、得意なことが少しずつ見えてくるため、自分自身とよく向き合い、本当に自分が興味があることは何なのか? を追求していってほしいと思います。 私自身、悪いイメージしかなかった営業という仕事に魅了されてしまったように、想像していた仕事内容とは全然違うということもよくあることです。就職活動の最初の段階で絞り込んだりせず、できるだけ多くの業界、職種を見て回ってほしいと思っています。 大切にしてほしいのは、会社のビジョンやミッションを良く確認することです。「これは、具体的にはどういうことでしょうか?」と質問して、ぜひ噛み砕いて教えてもらってください。しっかりと話を聞いていいなと思ったのであれば、その感覚を大事にしてください。これだと思った会社を選んだあとは、もう運に任せましょう。 「営業だけは嫌だ」と思っていたのに営業に配属されることもありますし、どの部署に配属されるかは人事が決める。これはどうにもできません。 できることは、目の前に与えられた仕事をとにかく精一杯頑張ってみることです。そうすることで、必ず次のキャリアへとつながっていくはずだと信じてほしいと思います。 ■ベンチャー企業への就職の際は、必ず社長に会って確認しよう 会社のミッションやビジョンに共感できるかは、とても大事なポイントだと考えます。 たとえ希望していない職種に配属されることとなっても、そこさえ間違っていなければ次のチャンスを待てるのではないでしょうか。とにかく目の前の仕事を頑張ろうといっても、会社のビジョンやミッションに納得ができていなければ頑張ることは難しいと思います。 大企業の場合は社長と直接話をするのは難しいですが、ベンチャー企業であれば社長に会って実際に話を聞いてみることを強くおすすめします。 個人的な感覚では、従業員が500人くらいまでの規模の会社であれば社長に会えると思います。 経営者と実際に会うことで、自分に合う会社かどうかがわかることも多いです。ベンチャー企業の場合は、ぜひ社長の言葉や人となりからその会社の本質を判断してください。 ■今後もとめられるのは、変化に対応できる人・自家発電機を中に持っている人 変化が極端に激しい時代ですから、今後は「変化に対応できる人材」が求められると考えています。具体的には、変化に対応できるよう意識的にアンテナを張っている人です。 また、多くの企業においてこの先余裕がなくなり、新人とはいえ丁寧に寄り添って面倒を見ていくのは難しくなるはずです。となると、充電しなくても自ら発電できる「自家発電機をもっている人」が求められるはずです。何が起きても、自分で考えて自分の意思で動く力のある人が、結局は「変化に対応できる人材」になると思います。 そのためにできるのは、社会で活躍している人と会って話をする機会を自らつくることです。 私自身、20代後半で起業家の集まりに参加したことをきっかけに刺激を受けてもっと上を目指したい、成長したいと思うようになりました。感度の高い人に積極的に会いにいくことが大切です。逆に、ぼーっとしている人たちの側にいるといつまでたってもぼーっとした人のままです。...

G-STAR.PRO 特別インタビュー yunocy / 白石優愛 / 西銘駿
yunocy(ゆのしー) SNS総フォロワー80万人。世界的デバイスメーカー「RAZER」と日本人女性として初のパートナーシップ締結。ゲームを愛しゲームを楽しむ“ゲームライフ”という新しいライフスタイルを確立、ファッション・メイク・音楽・インテリア. トータルコーディネートとしてゲームライフ / ゲーマーファッションの楽しさを伝えていく存在。 公式Twitter:https://twitter.com/mizuyuno_ 中学では吹奏楽部でパーカッションを担当していました。入学当時は、部活に積極的に入ろうとはしていなかったですが、同じ中学に進学した幼馴染4人が吹奏楽部に入部すると聞き、私も興味を持ちました。しかし、入部しようにも吹奏楽部は部費が高く母からは反対されましたが、一番お金のかからないパーカッションを担当することになり、母は安心してました。高校では帰宅部だったこともあり、ゲームセンターに通い始め、音楽ゲームに夢中になっていきました。 ゲームにハマっている中で、好きな配信者であるデトネーター(日本で活躍するプロゲーミングチーム)と、同じ配信のプラットフォームでゲームをやってみたいと考えるようになりました。そんな時に偶然、ゲームデバイスメーカーの方からお声がけ頂いたこともあって、ゲーム主軸に活動するストリーマーをやろうとなりました。 現在は「ゲーム」という幼少期から好きな事を仕事にしていますが、楽しい事がすべてではないです。”苦手なゲーム”と”好きなゲーム”の両立をしていくという難しさや、誹謗中傷をされる事も少なくはない為、ゲームを辞めたいと思う時期もありました。それでも、やっぱり昔から好きなゲームに携われる事や、ゲームを通して沢山の友達ができる事が楽しいため続けています。ゲームを嫌いにならないように“好き”と“苦手”な仕事のバランスを考えながら、仕事をお受けするように意識しています。 今後の夢としてはもう一度beatmaniaという大会に出ることです。この大会はチーム戦で、今まで個人戦がメインの音楽ゲーム大会と大きく違い、とても刺激的でした。何ヶ月もチームメンバーとのミーティングをはじめ、ゲームセンターに集まって活動するのがとても楽しく思い出になっています。そうした思い入れのあるこの大会にもう一度出たいと思っています。 心が折れそうなときもあると思いますが、今好きなことを諦めずに貫いてほしいです。それが必ずなにかに繋がると思うので、ぜひ頑張ってください。 (立教大学4年 肥後橋優斗) 白石優愛(しらいし ゆあ) 2001年7月1日生まれ、大阪府出身。連続テレビ小説『ごちそうさん』(‘13年/NHK)でドラマデビューし、映画『たまえのスーパーはらわた』(’18)、『思い、思われ、ふり、ふられ』(’20)、『レンタル×ファミリー』(‘23年公開予定)、ドラマ「ドゲンジャーズ〜ハイスクール〜」(’22/KBC)になど出演。5月15日より恋愛番組「恋愛ドラマな恋がしたい〜Kiss me like a princess〜」(’22年/ABEMA)に出演中。 公式Twitter:https://twitter.com/yua_shiraishi 10代は自分の席にいることが多く、大人しい学生でした。その頃、愛読書だった湊かなえさんの『母性』は、ふとした時に読み返したくなります。 幼少期に安室奈美恵さんに憧れ、芸能界に入りました。特に、芝居をすることに魅力を感じ、俳優として活動しています。 台詞・シーンが多い群像劇では、役者同士のアドリブ合戦に発展することも。皆が同じ目標に向かい、レベルの高い作品を作ろうとする空間が好きです。そこに混ざることに、やりがいと生きがいを感じます。 「もう19歳」と言われた昨年。20歳になり、キャリアだけではなく知名度も必要だと気付く機会が増えました。そんな中、AbemaTVの『恋愛ドラマな恋がしたい』という番組に出演する機会に恵まれました。フォロワー何十万人というメンバーの中で、場違いに感じることもありますが、新しい仕事に挑戦する姿勢を持ち続けていきたいです。 幼少期に抱いた「自分が一番可愛い」という気持ちだけでは、芸能界を続けられません。有名な女優さんは、努力に加え魅力や才能があります。そのため、一般的な役だと敵が多いのです。あるとき芸能界にいる誰もが凄いからこそ、普通で競うと回り道になると感じました。それなら、変な方に行った方が良いのではと。今まで演じてきた中で、ポジティブすぎる役は難しかったです。ご飯を一口食べただけで「おいしー!」と叫ぶ破天荒な役でした。次は、宇宙人とか面白そうですね。こうやって変わった役を求めてしまう自分がいます。誰がやればいいのか分からない役が、全部回って来てほしいです。様々な役を演じながら自分を俯瞰して見ることで、輝ける居場所を見つけていきたいです。 毎日を過ごす上で自ら行動することは難しいと思います。なぜ勉強するのか、なぜ大学にいるのかと悩んでいる方もいるかもしれません。しかし、行動することで選択肢が広がります。勢いで上京した私は、場数を踏むことで、目指すべき姿を見つけました。数年前より制限がある“今”だからこそ、チャンスは掴みましょう。私も一緒に頑張ります。 (駒澤大学3年 三上山明里) 西銘駿(にしめ しゅん) 1998年2月20日生まれ、沖縄県出身。‘14 年にジュノン・スーパーボーイ・コンテストにてグランプリを受賞。 ’15 年平成仮面ライダーシリーズ第17 作 「仮面ライダーゴースト」の主人公・天空寺タケル/ 仮面ライダーゴースト役』でデビュー。映画『劇場版リケ恋~理系が恋に落ちたので証明してみた。~』(’19)、ドラマ「グッドモーニング、眠れる獅子」(’22/ひかりTV)などに出演。 公式Twitter:https://twitter.com/shun_nishime 中学生まで、沖縄の自然に囲まれて学生時代を過ごし、泥だらけになるまで遊んでいました。芸能関係のお仕事に興味を持ったのは中学3年生の時で、きっかけは、ふと見たテレビに映っていたジャニーズの方たちがとてもキラキラしていて「僕もやってみたいな」と思ったことです。高校生で上京し1年間で方言を直し東京の生活に慣れ、その後芸能活動を始めようと、決断しました。 お仕事をしていてやりがいを感じることは、自分の演じた作品が映像になり、形として残ること。そしてそれがファンの方たちなど、多くの人に認めていただき、反応を頂けることです。お芝居がとても好きで、普段の生活からお芝居に通ずるものを研究し、「感情」「動き」などを切り取って自分の演技に活かしています。プライベートの生活からインプットしたものを実際に演技に活かせるという部分がとても楽しいなと感じています。 役者のお仕事で落ち込んだ時は、好きなアニメを見ています。もともと実写の作品が好きだったのですが、役者を始めてから、「作品の内容」より「作品の構成」に注目してしまうので、演技からいったん離れるために、好きなアニメを見て気分転換をしています。 将来の目標は、いい意味で「ライダー俳優」を払拭することです。ライダーシリーズに出させていただいたのでその印象が強いですが、今後は様々な役や舞台に挑戦して、自分の持てる役者としての色をどんどん増やして行きたいです。そのために、自分のやってみたいこと、挑戦してみたいことを見つけられたら、すぐに行動に移すことを心掛けています。 大学生の皆さんにも自分の本当に好きなことや、挑戦したいことを見つけたらすぐに行動に移していただきたいなと思います。 (立教大学2年 福田さくら) 明治大学4年 山本真人 / 立教大学4年 肥後橋優斗 / 駒澤大学3年 三上山明里 / 立教大学2年 福田さくら / 国立音楽大学2年 岡部満里阿 / 国立音楽大学2年 宮嶋優有

株式会社BS日本 代表取締役社長 中山良夫
“人生のバックボーン”を築け 1つの事の継続から多様な学びを ■プロフィール 1958年生まれ。筑波大学大学院修了後、1983年に日本テレビ放送網株式会社に入社。制作、報道、スポーツの実務経験後、スポーツ・情報局スポーツセンター長、報道局次長、事業局長、取締役 執行役員を経て、2018年に株式会社BS日本の代表取締役社長に就任。 現在若年層への視聴者層拡大に注力した施策を数々行うのが、BS日テレです。その代表取締役である中山良夫社長が、自身の学生時代に築いた“人生のバックボーン”について。また、BS日テレの経営方針や、社員の方々を「BS日テレファン」と呼ぶ中山社長の会社にかける想い。そして「BS日テレファン」に向いている学生についてお伺いしました。 私は中学から大学まで、学生時代はずっとサッカーに打ち込んでいましたね。中学からサッカーを始め、高校はサッカーの強豪校に入学しました。高校ではチームのゴールキーパーを務め、国体の選手に選ばれたこともありましたよ。さらに、高校3年生の時にはアンダー18の日本代表にも選ばれるほど、サッカーは得意でもあったのです。 大学でもほとんどの時間をサッカーに費やし、年に3〜4ヶ月ほどしか授業を受けていなかったのではないでしょうか。それだけサッカーに熱中していたのです。 大学卒業後は親から就職をするように言われていたのですが、サッカーしか今までやってこなかったので、別の道からサッカーのことや人生のことを考え直したいと思い、筑波の大学院に進学することに決めました。大学院へは東京ヴェルディ1969の前身となった読売サッカークラブに所属しながら通うことになりました。クラブが学費を出してくださっていたので、伸び伸びとサッカーも学びもできた大学院生時代を過ごしました。 そして、そのような日々の中で「サッカーを卒業後は続けなくてもいいかな」と思うようになっていた矢先、読売サッカークラブの方から読売新聞に就職しないかというお誘いがあったのです。当初、新聞社は真面目な学生が就職するイメージがあると断ったところ、現在の日本テレビへ就職活動をし、入社することになりました。サッカーを続けてきたことがご縁で、日本テレビに出会うこととなったのです。 ■BS日テレの視聴者拡大に向けて、アニメに注力 BSデジタル放送の主な視聴者は50代から60代の高年齢者層であるため、もっと若い世代の人にも興味を持ってもらうことで、視聴者年齢層の幅を拡大したいと思っています。若者のテレビ離れとも世間で言われている時代。テレビ局の存続のために若者の視聴者層拡大は急務と言えるでしょう。 そのために、現在は若者からの支持が高いアニメ事業に力を入れて取り組んでいます。深夜帯には現在人気のアニメを放送し、若者にBS放送を視聴してもらえるよう工夫しています。アニメの再放送は30代から40代の層からも「懐かしい」と支持があり、好評を得ていますね。また、アニメだけでなく、放送以外の事業にも着手しています。例えば、アニメ関連のイベント運営や、アニメのキャラクターの商品化です。アニメの商品はイベントでの販売やネット販売、TSUTAYAさんとの連携販売などで皆さんにお届けしています。テレビ放送のみでは、なかなか新たな視聴者層を引き込むことは難しいので、放送と放送外の両方の事業展開が必要でしょう。今後も二つの事業展開を軸に、視聴者層拡大を目指します。 ■会話が増える、イキイキとした社内環境づくりを実践 BS日テレはさらに良いサービスを提供できるよう、私が代表取締役に就任してから変えたことがいくつかあります。 まず、BS日テレのオフィス環境です。以前はあまり社員同士の話し声がなく、静かなオフィスでした。しかし、社員同士が雑談をする中で生まれるアイデアは、非常に熱量があり大切なもの。そのため、机や椅子の配置を社員がコミュニケーションを取りやすい配置に変更しました。結果、今では至る所で社員の会話が生まれ、オフィスは賑やかですね。 また、絆が深まるように社員の方々を「BS日テレファン」と呼ぶようにしていています。そして「ハッピー7」というBS日テレファンを豊かに幸せにする7つの項目を立てています。その項目のうちの一つは、社員7人が集まっての食事会は、業務に関連があれば会社が負担するというものです。これは社員同士のコミュニケーションを図り、仲を深めてほしいという私の願いがこもっているのです。その他、個人表彰やキャリアアップ、ライフワークバランスに関する項目もあります。 学生の皆さんも是非「BS日テレファン」になってみてはどうでしょうか。BS日テレは人生のバックボーンをしっかりと築いている、生き生きとした個性をお持ちの学生を求めています。根は真面目だけれど常識にとらわれすぎない学生は「BS日テレファン」に向いていると思いますよ。 ■社会に出て働くということは、その道のプロになるということ 大学生は色々な経験を積んでほしいですね。体験の種類を多く増やしてほしいということではないんです。一つのことを取り組む中で色々な経験に出会い、人生のバックボーンを作ってほしいのです。 例えば、私ならばサッカー続けていた中で多くのことを学びました。ボランティアをたくさんやっている学生や、海外に留学をしたことがあるという学生はたくさんいますが、その経験から学びがなければ意味はないでしょう。 社会に出て働くということは、その道のプロになるということです。プロは厳しいですよ。学生のうちに(何度もお話しして恐縮ですが)“人生のバックボーン”を作り上げ、プロになる意識を持って社会に飛び立ってください。 学生新聞オンライン2022年4月20日取材 津田塾大学3年 佐藤心咲

アートアクアリウム美術館GINZA オーナーインタビュー
(株式会社マル...
「ありたい姿」を大切に、地域社会から愛される会社へ 株式会社マルハン 代表取締役 東日本カンパニー社長 韓 裕 ■プロフィール 1963年生まれ、京都府峰山町出身。京都商業高校進学後、3年夏に甲子園出場。準優勝に輝く。法政大学卒業後、ホテル、ゴルフ、不動産事業を展開する企業を経て、90年マルハンに入社。営業本部長として売上高1兆円企業への舵取り役を担う。06年代表取締役副社長、08年代表取締役、21年東日本カンパニー社長就任。 パチンコホールを中心に総合エンターテインメント事業を展開する株式会社マルハンの新会社「株式会社AQUA ART RELATIONS」(運営:マルハン東日本カンパニー)が銀座三越で「アートアクアリウム美術館GINZA」を主催している。今回は「株式会社AQUA ART RELATIONS」がアートアクアリウム美術館を開くに至った経緯や開館に対する想い、さらには美術館の見どころについて伺った。 ■新会社「株式会社 AQUA ART RELATIONS 」設立の経緯について 日本橋にあるアートアクアリウム美術館に訪れる機会がありました。その際にアートアクアリウム美術館 運営会社の亀井会長に直接ご案内いただき、作品だけでなく美術館の歴史や事業についてお話くださいました。常設展とイベント事業の2軸で展開し、2007年にスタート、コロナ前までに累計で1080万人のお客様がご来場と伺いました。しかし、近年はコロナの影響で人が集まらず厳しい状況にあるため、イベント事業だけを残し、常設展を切り離して他社に売却を検討、常設展は銀座三越に移転が決定するも、再構築が必要という状況にありました。当時コロナの影響で屋内型娯楽施設であるパチンコの成績が低迷していたため、事業の分散の必要性が社内で重要視され始めているところでした。そのタイミングもあり、エンターテインメント事業の拡大という意味でも、常設展の権利を引き継ぐことを決意しました。 ■「アートアクアリウム美術館GINZA」開館の想い コロナ禍によりさまざまな事業がダメージを受け、銀座も人がいなくなり、百貨店業界も厳しい状態を経験しました。その中で銀座や百貨店をもう一度元気にする、アートアクアリウム美術館を起爆剤にもう一度経済を盛り上げようという気運がありました。マルハン東日本カンパニーとしても新しい事業が認知されること、非日常空間を感じて頂きたいという想いと新しい事業を成功させるという期待感をもってオープンに至りました。 企業名「RELATIONS」とあるように、アートをきっかけに人と人との繋がりを築いていきたいという想いもあります。マルハン東日本カンパニーでは、10年ビジョンを掲げるうえで、リレーションシップ戦略というものがあります。①従業員 ②お客様 ③パートナー(お取引先様) ④社会 これら4つの領域とのリレーション、関係性を深めていく・拡げていくというものです。マルハン東日本カンパニーは会社と従業員との絆や信頼関係が良好で、エンゲージメントが常に高いことが強みです。それをお客様やお取引先様、社会に対しても同じように強めていくことでシナジーを生み出し、活性化していくことが大事だと考えています。そういう意味では今まで全く接点のなかった三越様とご縁ができたことはこの考え方のおかげだと思います。 社会とのリレーションについては、これまでも、従業員が地域のごみ拾いをしたり、地元のお祭りに協賛し、従業員も実際に参加したりするなどの取り組みを率先してやってきました。パートナー(お取引先様)とのリレーションでは、取引先は使ってやっているという考えになりがちだからこそ、対等な関係性を意識し、業者ではなく、しっかりご担当者様の名前を呼んで関係性を築くなども意識しています。このように4つの領域を中心に関係性を作り、愛される企業になるという想いを大事にしています。企業としての「ありたい姿」を共有して私たちにできることに取り組む姿勢をモットーにしています。実際に現場でもそういう小さなことがかけ算になって会社の原動力になっていると感じています。 ■「アートアクアリウム美術館GINZA」の見どころ、楽しみ方 日本橋と銀座の違いは百貨店内なので、スペースが少しコンパクトになり、天井高がとれないことです。その分、会場内をまわりやすく、ストーリーを感じられるような形になっています。金魚は中国の鮒がルーツで400~500年前に日本に入ってきたと言われており、鑑賞として多くの品種が生み出されています。私たちにとって馴染み深い金魚ですが、上下左右前後と見る位置によって見え方が異なり、色の鮮やかさ、色合い体形と様々な表情が見られる面白さがあります。和の空間で、水族館とはまた違う作品体験を味わって頂きたいと思います。アーティストや企業様とのコラボなども視野に入れながら話題性を保ち、つい載せたくなる、教えたくなる空間を創っていきたいと考えています。 ■今後の取り組みについて GWには多くのお客様にご来場いただきました。月日の経過で自身の見方が変わることや、一緒に行く人が変わることによって感じ方や捉え方も変わると思います。そういうことも含めてここに携わる一人ひとりが情熱を注ぐことが、この非日常空間を多くのお客様に長く楽しんで頂き愛される場所になるのだと信じています。 ■大学生へのメッセージ いつの時代においても若い人が世界を創っていきます。「若い人は〇〇だ。」というネガティブなメッセージにめげずに、ビジョン・世界観をもって進んでください。新しい道を創るのは皆さん自身です。私自身昔やっていた野球は半分以上やらされている状態でした。しかし、それはまったく自分のためになりません。他者から「やれ!」「やりなさい!」と言われても、自分が「こうしたい」という想いがない限りエネルギーは生まれません。「こうなりたい」「こうしたい」というものを探すことはとても大切で、そういうものを見つけて、希望をもってチャレンジしてください。やりたいことが見つからなくても、まずは見つけようとすることが大事です。人は描く以上のものにはなれません。そして次に重要になるのが、行動することです。行動しないと何も生まれません。ワクワクしながら自分がなりたい姿をイメージして、臆することなく進んでください。 学生新聞オンライン2022年5月9日取材 日本大学 3年 石田耕司 ■施設概要施設名称 アートアクアリウム美術館 GINZA (英語表記:ART AQUARIUM MUSEUM GINZA)開業日 2022年5月3日(火・祝)所在地 銀座三越新館8階 (東京都中央区銀座4-6-16)営業時間 10:00~19:00(変更になる場合がございます)休館日 銀座三越の休館日に準ずる(加えて、メンテナンス等により不定期で休館の場合がございます。詳しくは公式サイトをご確認ください。)公式HP http://artaquarium.jp/

SBCメディカルグループ(湘南美容外科)代表 ...
説得力を持たせるには常に結果を出すことが大切 SBCメディカルグループ(湘南美容外科) 代表 相川 佳之 (あいかわ よしゆき) ◼️プロフィール 1970年、神奈川県生まれ。日本大学医学部卒業。日本美容外科学会学会長(2015年)。日本美容外科学会理事。先進医療医師会参与。日本再生医療学会理事長補佐。パッションリーダーズ理事。大学を卒業後、大手美容外科に勤務。2000年に独立し、神奈川県藤沢市で湘南美容外科クリニックを開業。現在は国内外に118院を構え、美容医療や再生医療など 以上の診療科目を展開している。 全国に118院を展開し、従業員数は5500人にも上るSBCメディカル グループ。日本だけでなく海外にも医療を通じたサービスを提供してい る。なぜこのようにトップを走り続けることができるのか。院長が考える サービスとは、リーダーシップとは何か。人々の生活に輝きを与え続ける 相川代表にお話を伺った。 学生時代はテニスに没頭する毎日でした。中高生のときは軟式テニスをしており、県でも3番目くらいの成績だったため、大学に行っても楽勝だろうとたかをくくっていたのです。しかし、大学で硬式テニスを始めてからは、勝ち続けることは容易ではなくなりました。そのため、個人戦で優勝しようという目標を立て、毎日必死に練習し、努力するようになりました。その結果、大学4年生のときに優勝することができたのです。優勝したことで自信が付き、努力は必ず報われる。努力すれば目標は達成できるという確信に変わったのです。テニスを通して頑張る基準が上がり、やればできるという概念が生まれるようになりました。このことがなければ今も頑張れていないと思います。 ◼️伝説のメディカルグループへ 療は直接その人の人生に関わったり、悩みを解決することができます。こんなにもお客様から感謝される仕事はないと思います。伝説のクリニックと呼ばれる「メイヨー・クリニック」という病院があります。美容医療でナンバーワンを目指そうと思っていたころに読んだ本の中に、伝説のサービスという本があるのですが、そこいう本があるのですが、そこで紹介されていた病院です。この病院は世界中からお客様が押し寄せるというのです。美容医療でナンバーワンになるという目標からこのようなクリニックを作りたいという具体的な目標に変わった瞬間です。 この頃の日本は病院を選ぶという感覚だったのですが、アメリカでは先生を選ぶのが当たり前になっていました。やがて日本もこうなるだろうなと感じ、ドクター一人ひとりにブログを書いてもらうようにしました。患者さんのビフォー・アフターなどについて、それぞれのドクターにブログを書いてもらうことで先生を選ぶという感覚に近づけていきました。また、美容医療を始めた頃は価格が高く、裕福な人しか利用できないようなところがありました。しかし、美容医療はしっかり結果が出るのでいろいろな人に利用してほしいと思っていて、特に主婦の方には月に1回通って美を維持していただきたいなと思っていました。そこでホームページに価格を載せたり、CMで白衣を着た医者が出てきて治療費の話をしたりして価格を明確化したのです。広告は季節に合わせて出しますが、このような価格を前面に出した広告は、業界初だったと思います。SBCはお客様の満足度を第一にしており、そのために治療ごとに満足度調査をしています。満足度が低い場合、その原因を数値化することによりメニューの見直しを行います。数値化を愚直に行うことで改善点がはっきり見えてくるのです。 ◼️結果を出し続けることにこだわる ドクターありきの仕事のため、いかにして優秀なドクターを集め、そのドクターたちが成長できる場所と教育制度を作るかという仕組みづくりが大切です。美容医療が初めてというドクターもいますので、そのようなドクターでもしっかり教育できる制度を作っています。今後は美容医療においては日本だけでなくアジア全体に進出して行きたと考えており、また、美容だけでなく不妊治療を含め、男性患者も意識した展開を図っていきたいと思っております。リーダーとして意識していることは、当たり前ではありますが、嘘をつかないことや自分が間違っていると思ったら素直に謝ることを大切にしています。あとは結果を出していくしかないと思います。何を言うかよりも誰が言っているかの方が大事であり、言う人によって説得力はまるっきり違ってきます。たとえ正しいことを言っていたとして、結果を出していない人が いくら言っても耳に入ってき ませんが、結果を出している 人の言葉は人を動かす力を持っていると思います。だからこそ結果を出すことにこだわっています。 ◼️message 明るくて前向きな人、誠実な人がいいですね。明るくて前向きな性格は何にも代え難い才能だと思います。素直さに欠ける人は得てして 後ろ向きでネガティブだった りします。外見は変えられる けれども中身はなかなか変えられないものです。 また、リーダーシップも大切だと思います。自分の人生の責任を取れない人は、人の人生の責任は取れません。自分が勉強してきたことと努力 の結果が今の年収と地位を決めています。どういう生活・運動をしてきたかで今の体型と容姿があります。 10年後の自分もこれからの10年間でどういう運動をして何を食べたかで外見が決まり、どういう勉強をして誰と知り合い、何をしたかで収入や地位が決ま ると思います。性格は顔に出て、生活は体に出ます。習慣を管理すれば未来を管理できます。中身の美しさというものは外見に出てきます。 学生新聞 別冊 2022年7月1日発刊号 國學院大學3年 島田大輝