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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

映画監督 白石和彌 映画を撮ることは、観るより2億倍も楽しい

白石和彌(しらいしかずや) 1974年12月17日生まれ、北海道出身。中村幻児監督主催の映像塾に参加。以降、若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として活動。2010年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編デビュー。主な監督作品に、『凶悪』(13)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17)、『凪待ち』(19)、『ひとよ』(19)、『孤狼の血 LEVEL2』(21)など。 2013年に公開された『凶悪』で映画界にその名を轟かせた白石監督。学生時代から映像に触れてきたが、映画監督としてやっていけるという思いはなかったという。監督の作品には常に「人間の多様性」が描かれ、観たものに何かを残す。そんな話題作を世に送り出す白石監督の映画製作における思いとこだわりを伺った。 ■続けてきた好きなこと 札幌の映像系の専門学校を卒業した後、就職をせず映画塾に入りました。その映画塾の関係で、若松プロに入ることになり、助監督として10年以上勤めましたが、映画を撮っていてもいなくても、波乱万丈でとにかく楽しかったです。しかし、30歳を過ぎたあたりで助監督の仕事をやり切ったと感じました。「助監督を辞める」と宣言し、映画製作会社で企画開発の部署で働くようになると、それまでの体を使った仕事から頭で考えて仕事をするようになりました。 そうした中で企画した『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を撮ったのですが、好きなことをやってだめだったら仕方がない、この業界から退こう、という覚悟を持った作品でした。このとき、はっきり監督としてやっていけると思えたわけではありませんでしたが、その後の一つひとつの仕事や人とのつながりから、見える風景が変わり、気持ちも変わっていったように思います。 ■映画をつくる責任 映画を撮る上で、底辺と言 われる人たちの気持ちをいつも忘れないようにしています。 映画は、権力の反対側から物事を見ないといけません。話題になった作品を見てみても、そういった人間の不条理さや反権力を描くことが映画に求められているのだと思います。その中で、人間の多面性を描くことを大切にしています。殺人を犯した人が何かの拍子 におばあちゃんを助けてあげる、そんな多面性を持つのが人間なのだと思います。たと え脇役のワンシーンでもその人のバックボーンを見せられるように、ちょっとした仕草を重要視しています。自分が撮っているのは人間だということを大前提に、エンタテインメントを作らなくてはいけないと思います。そして作品の中に落とし込むだけ落とし込めば、今伝わらなくとも歴史的作品になればいつか伝わると思っています。 ■映画をつくる楽しさ 監督を始めたときから今まで、この一本がだめだったら辞めようという気持ちで挑んでいます。そもそもここまで撮れたことが奇跡であって、観ていただく方にも真摯に向き合ってきました。しかし、映画監督だけが人生ではありません。今は、一つひとつの作品にやりたいことをとことん詰め込んで取り組んでいこうと思っています。ただやはり、この仕事って本当に楽しいんですよね。映画は観ることも楽しいですが、作る方が2億倍楽しいんですよ。楽しみ方を知っちゃっている。いつ辞めてもいいと言いながら、離れられないんだろうと思います(笑)。映画は一人で生み出せない、スペシャリストが集まって作るものです。今は、まだまだ監督として吸収できることがありますし、それをスペシャリストたちに教えてもらいながら撮っている感覚が強いです。そうやって試行錯誤して新しいことにチャレンジしていきながら、今後も映画をつくっていきたいです。 ■massage 今、コロナで大変だと思いますし、学生さんは本当にいろいろ考えているなと思います。しかし、一昔前より少し大人しくなったのではないかとも感じています。学生のときには、学生のときにしかできないことがあります。物事を知らないからこそ突き進めることもあるので、もっと行儀悪く過ごしていいと思います。大学生のうちに簡単に限界を決めず、冒険してほしいなと思います。 学生新聞別冊2022年4月号 津田塾大学4年 川浪亜紀

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建築家 隈研吾 何事にも代えがたい「楽しさ」が仕事の原動力と...

建築家 隈研吾(くまけんご) 1954年生まれ。1990 年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。30を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新 しい関係を切り開く建築を提案。主著に『点・線・面』『負ける建築』『自然な建築』 『小さな建築』『ひとの住処』など多数。 https://kkaa.co.jp/works/architec- ture/great-bamboo-wall/ 小さなころに建築に魅了され、建築の ことだけを考えて過ごしてきたという隈研吾さん。オリンピックのメイン会場である国立競技場をはじめ、数々の建 築物を世界中に生み出している。本紙では今に至る経緯や建築に込めた思いについてお話を伺った。 ■建築の世界に引き込まれてから 僕が建築に初めて興味を持ったのは小学4年生のときで、オリンピックが東京で開催されていました。実際に見に行ったのですが、会場は丹下健三さんが作った代々木体育館で、それを見て一気に建築の世界に引き込まれました。そのときから建築家になることを考え続けて大学に入りまし た。大学も年生になり、建築学科に入ってからは、いろいろな設計事務所でアルバイトをしました。原広司先生、槇文彦先生といった著名な建築家の事務所で働いたことが大学での楽しい思い出です。 卒業後は大手設計事務所に就職した後渡、米してコロンビア大学で勉強し、日本に戻って事務所を立ち上げました。 ■変化をもたらす 立ち上げ当初は順調に仕事が入ってきていたのですが、 1990年にバブル経済が崩し、東京での仕事が一切なくなってしまいました。仕方がないので空いた時間で日本中を旅しながら地方での小さな仕事を受けていくようになりました。その最初の仕事がゆすはら高知県梼原町というところでの仕事でした。この仕事から今では僕の象徴でもある木を使った建築が始まりました。 その後、次第に海外での設計にも参画していき、中国では竹家という建物を作りました。この建築が僕の中でのターニングポイントとなる建築になりました。竹家はすべて竹でできているのですが、竹はとても腐りやすく、すごくリスクがありました。しかし、 思い切って作り上げたからこそこの作品は世界中から認められ、そこから本格的に海外進出が始まりました。結果としてバブルが崩壊してからの10年間が僕にとっては一番実りのある時間だったのです。 ■楽しいから続けられた 建築をしていて一番やりがいを感じるのは、やはり建築物が出来上がった瞬間です。 今まで何百と作ってきましたが、それは今でも変わりませ ん。もちろん作っていく過程での苦労はたくさんありますが、それでも自分が考えているものが実際に立ち上がるという楽しさには勝てません。 この楽しさがあるからこそ僕は建築という仕事を続けてこられたのだと思います。 そしてそれらの建築物は、設計した僕がすべて作り上げているのではなく、僕に依頼してくれたクライアントさんであったり、実際に工事をしてくれた人など、たくさんの方々が関わってくれた結果なのです。だからこそ建築という仕事をしていく上で一番大事なことは、その関わってくれた人たちと同じ気持ちになって作っていくことだと思っています。そうでないと良い建築物はできないと思います。実際に立ち上げる建築物は、みんなが幸せになることを考えて設計しています。幸せになるっていうのは、楽しいと元気になる、リラックスできるということです。だからこそ木が重要になってくるんです。木というのは触っていても温かみがあるし、コンクリートよりもはるかに長い歴史があって人々に昔から愛されてきたものです。昔、人間が森で生まれ、森で過ごしていたことも深く関係しているのではないかと思っています。 ■message 旅をしていろいろな人に出会って、どのように仲良くなるか、自分の気持ちを伝えるかを学んでほしいですね。建築は物だけれども実は人が作るものなので、関わってくれる人とどう付き合うかが大事になってきます。だからこそ時間があるときにたくさん旅をしてほしいですね。 学生新聞別冊2022年4月号 早稲田大学3年 原田紘志 / N高等学校1年 岩井祐樹 早稲田大学3年 原田紘志 / N高等学校1年 岩井祐樹 / 創価大学4年 山内翠 / 日本大学2 年 石田耕司

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岸井 ゆきの 想いを届けるために自分の熱量を大切にし全員が同じ温...

岸井 ゆきの(きしいゆきの) ■プロフィール 1992年生まれ、神奈川県出身。2009年に女優 デビュー 。2017年映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞受賞。 映画、ドラマ、舞台とさまざまな作品に出演。 ■映画『やがて海へと届く』で伝えたかったことは何ですか。 私が演じた真奈は、大切な人を突然亡くしたことの現実と上手く付き合えていない。そんな姿がとても切ないと感じました。友情というテ ーマの中で、監督から“壁”を表現したいという話をされました。人には壁があり、わからないという美しさがあるからこそ仲良くなれる。私自身も尊敬する友人にはどこか言及できない部分を感じることがあります。この映画では後ろ姿が印象的なので、そこからも誰かを追いかけているような部分を感じてもらえたらと思います。 ■大切にしていることは何ですか? どんな作品でも自分の熱量を大切にしています。熱量がなければどれだけ良い作品でも人の気持ちを動かすことはできないと思います。監督や役者だけが熱量を持つのではなく、チーム全体が同じ温度感でやれる ことが大切です。今回の映画でも監督とはたくさん話をしましたし、幅広い年代を演じるために、メイクさんなど多くの人に支えてもらいました。誰もが良いものを作りたいと思っています。こうしないといけないというこだわりよりも、熱量を大切にしていけたらと思います。 ■大学生へのメッセージをお願いします やりたいことは全部やってみることです。悩むこともきっと楽しいと思います。また、今まで別れは卒業式のような区切りがあったと思います。しかし、今回の作品で真奈が突然大切な人を失ったように、これからは別れはまるで潮の満ち引きのように突然始まるものになり、人生が枝分かれしていく瞬間にもなると思います。でもどうか怖がらないで進んで行ってください。 ■ 取材を終えて 質問に対して一つひとつ丁寧に答えてくださる岸井さんの姿がとても印象的でした。現場の温度感を大切にされているのが言葉の端々から伝わってくるような取材でした。 学生新聞別冊2022 年4月号 津田塾大学4年 川浪亜紀 津田塾大学4年 川浪亜紀 / 明治学院大学4年 小嶋櫻子  撮影:カメラマン 広田成太 『やがて海へと届く』4月1日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開配給:ビターズ・エンド©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

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奈緒 チャンスをつかむための 準備をし続けることが 夢を叶える一番の近道

奈緒 (なお) ■プロフィール 1995年生まれ、福岡県出身。2021年ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。映画「余命10年」が公開中。NHKドラマ『雪国-SNOW COUNTRY-』(BSプレミアム・BS4k…今春放送 )。また「sunao」名義でカメラマンとしても活動している。 ■お芝居への想いと魅力を教えてください 私が初めて「これでご飯を食べていきたい」と思えたものがお芝居です。お芝居のワークショップを経験し、お芝居はよくわからないと思うと同時に、「もっとやりたい!」と楽しさに引き込まれました。こんなにもやりたいことがあったなんてと思い、お芝居の道を選びました。 お芝居の魅力は、その「わからなさ」にあります。何が正解かはわからないのですが、心を動かされる瞬間があります。また、役を通してさまざまな立場でものごとを考えられるのも面白い点の一つです。心が動く瞬間は自分でもやっていてよかったなと思うので、やりがいがありますね。 ■大切にしていることは何ですか? 「チャンスをつかむ準備をし続けること」です。 20歳の節目に上京し、仕事も知っている人もいない、求められていないという現実に不安な毎日でした。それでもやりたいと思ったので、いつかくるチャンスのために準備をしようと映画を観て、本を読みました。今の自分があるのも、あの頃の自分があったからです。 私は、夢は必ず叶うかどうかはわからないけれども、チャンスは誰にでも訪れるものと思っています。チャンスをつかむ準備をしていれば夢を叶えられるかもしれない。だから準備をなまけず、挑戦し続けたいです。「やらなかった後悔」は、一生心に残ります。後悔をしなくていいように挑戦し続け、楽しい未来に向かって歩き続け、過去の自分にも胸を張って会える自分でありたいです。 ■大学生へのメッセージをお願いします やりたい、好きだなと感じたものを追求し、絶対にくるチャンスに向けて準備をしてください!本気でやったことは無駄にならないので、楽しみながら過ごしてほしいです。そして、日常が退屈なときは是非映画館にきてください。 ■ 取材を終えて 「過去の自分がいつも背中を押してくれる」という言葉がすごく印象的でした。素敵なメッセージが多く、皆さんにお伝えしきれなくて残念です。奈緒さんの柔らかい雰囲気の中にある、熱い思いに触れることが出来て新しい学びと発見があった取材でした。 学生新聞別冊2022年4月号 明治学院大学4年 小嶋櫻子 関東鍼灸専門学校2年 竹原孔龍 / 津田塾大学 4年 川浪亜紀 / 明治学院大学4年 小嶋櫻子  撮影:カメラマン 広田成太

学生新聞インターン

加藤 綾子 作品を最後に届けるのが アナウンサーの仕事。伝えたい 想...

加藤 綾子 (かとうあやこ) ■プロフィール フリーアナウンサー 1985年生まれ。2008年フジテレビに入社し、看板アナウンサーとして活躍。2016年、フリーになり、女優としても活動中。現在は報道番組『Live Newsイット!(』CX)のメインキャスターを務めるほか、『ホンマでっか TV』(CX)のレギュラー出演中。 ■アナウンサーになるきっかけを教えてください 私は学校の教師やピアノの先生に憧れを持っていて、大学では教職を取るために片道2時間かけて通い、授業を受ける日々でした。アナウンサーに興味を持ったのは、当時付き合っていた人に言われた「アナウンサーを目指してみたら?」という一言がきっかけでした。教師もアナウンサーも、人に物事を伝えるお仕事という意味では変わらないと思い、アナウンススクールに入ることにしました。 当時、音大生は就職するような雰囲気があまりなく、アナウンサー試験の情報収集から始めました。迷った末にフジテレビを選んだのは、 職場体験のときの雰囲気が良かったことと、小さな頃からフジテレビのバラエティー番組が好きだったことが決め手になりました。アナウンサーという仕事は、作品をテレビの向こう側に届ける最後の役割です。いろいろな分野の話を 聞くことが出来るのも魅力のひとつです。 ■仕事に取り組む姿勢についてお聞かせください フリーになる前は仕事に対して受け身でしたが、フリーになってからは、私はどんな存在なのだろうかと悩み、自分自身を見つめ直すようになりました。孤独感を感じることもありますが、自分で決断したことなので後悔はしていな いです。 表に出る仕事をしていると、会社員のときは自分のことを大きく感じてしまいそうになりますが、フリーで仕事をするようになると一つひとつの仕事に丁寧に向き合い、感謝しながら目 の前の仕事に集中するようになりました。そして良いパフォーマンスにつなげられるように努力しています。 ■大学生へのメッセージをお願いします アナウンサー試験のときは、音楽大学出身の受験者は私しかいませんでした。音楽大学出身であることを強みにして、アドリブや原稿を読むときの伝え方・表現の仕方は、大学で音楽を学んだことが活きていると思います。 大学生の皆さんも自分自身の強みを見つけて、夢に向かって頑張ってください。 ■取材を終えて 私自身、大学も同じなので憧れの先輩でした。学生時代のことから音楽のお話、現在のお仕事などさまざまな視点でお聞きすることが出来てとても勉強になりました。加藤さんのお話のとおり、強みを活かし、信念を貫き通 していければと強く心に刻み込みました。 学生新聞2022年4月号 国立音楽大学1年 岡部満里阿

北之原真奈

飯豊まりえ 一つひとつの仕事に丁寧に 向き合い、常に正直な自分 であり...

女優 飯豊まりえ (いいとよまりえ) ■プロフィール 女優 1998年1月5日生まれ、千葉県出身。2012年の女優デビュー後、数多くのドラマ・ 映画に出演。2022年度前期連続テレビ小説『ちむどんどん』が控えている。『Oggi』 専属モデル、『MORE』レギュラーモデル。 ■仕事への心構えをお聞かせください 演技の仕事をしていると、初めて会う人に「久しぶり」と声を掛けたり、さまざまな職業に就 いたりと、日常とはおよそかけ離れた経験をします。撮影はリハーサルから始まり、テスト、 本番と続いていきます。一連の出来事はすべてフィックションですが、気持ちの中はノンフィ クションで挑むようにしています。 学生時代と言えば、クラスの友達から課題を教えてもらったり、ノートを借りて写したりと学業についていくのに必死でした。それだけに楽しい思い出が少ない分、こうした職業を選ばなければ決してできない経験をさせてもらっているなと思っています。私は歳からこの業界にいるので芸能人という自覚があまりないのですが、とても不思議な世界にいるのだなという気持ちになります。 ■仕事上で大切にしていることは何ですか この業界にいると、みんながいいと言う方向に進みがちになります。そんなときにありのままでいいんだということを教えてくれる先輩の存在はとても大きいです。模範解答のようなものではなく、普段どおりのありのままの自分でいられるように、自分の軸を戻してくれる先輩や友人にはとても感謝しています。これからも一つひとつの仕事に丁寧に向き合い、本当にいいと思うものを発信し続けたいと思っています。 自分に正直でいないときっと後悔します。すべ ては自分自身に還ってきますので、強い意志を持って進んでいきたいと思います。 ■massage いろいろな方からアドバイスをいただくことはありがたい反面、自分が目指していた夢を忘 れがちになります。時間は有限なので、自分が 本当にやりたいことは何なのかを慎重に考えて行動してほしいと思います。 自分自身としっかり向き合い選択してほしいですね。 ■取材を終えて 自分自身と向き合い、一つひとつ丁寧に仕事をこなしていく飯豊さん。ともすれば流されそうになる芸能界ですが、自分の意見を持つことの大切さを改めて感じました。私も自分と向き合いながら行動したいと思います。 学生新聞2022 年4月号 共立女子大学4年 北之原真奈 慶應義塾大学1年 在原侑希 / 明治学院大学 4年 小嶋櫻子 / 共立女子大学4年 北之原 真奈 / 日本大学4年 辻内海成  撮影協力:カメラマン 広田成太

伊東美優

SHOWROOM株式会社 代表取締役社長 前田裕二

ライブ配信サービスで世界中の人々に幸せを届けたい SHOWROOM株式会社 代表取締役社長 前田裕二(まえだゆうじ) 東京都出身。 早稲田大学政治経済 学部を卒業後、外資系投資銀行に入社。その後、起 業を検討し、南場智子氏に相談したことをきっかけに 2013年DeNAに入社。同年 月に「SHOWROOM」 を立ち上げる。2015年に会社分割により SHOWROOM株式会社設立し、現在に至る。 夢を叶えたい人とそれを応援したい人が集まるライブ配信プ ラットフォーム、SHOWROOM。自分が生きる証を刻みたい、 代替不可能な価値の0→1を実現したいという想いから起業を決 意したという前田社長。そんな社長が残した大学生へのメッセー ジは、「やりたいことがなくてもいい」という意外な一言だった。 ■人一倍本気で取り組んだ大学時代 大学時代、自分で学費を稼ぐ必要があったので、高額な学費を払って得る対価、つまり学びの質について少しずつ考えるようになりました。これだけ必死になって学費を稼いで払っているのだから、それに相当する対価を得なければと、とにかく授業時間あたりの学びの質を向上させたい一心でいろいろなことをしていました。授業も人一倍本気で受けていたと思いますし、ゼミのプレゼンや論文執筆も自ら進んで英語で取り組むなどしていました。当時は周りから変わっているなと思われていたかもしれませんが、ありがたいことに自分に似た感性を持った仲間との出会いもありました。そんな大学時代から付き合いのあるメンバーが活躍している様子を見るとすごく嬉しいですし、あの頃みんなそれぞれに語り合っていた青い志は幻ではなかったんだと実感します。 ■SHOWROOMを起業した理由 就職活動も外資系投資銀行を中心にさまざまな企業を受けましたが、結果的にご縁のあったUBSに入社することになりました。そして入社2年目でニューヨーク支社へ移り、20代で個人的な目標も達成することができました。 一見、理想通りのように見えますが、 給料や肩書が上がっても幸福度は大きく増幅することはありませんでした。そんな折、ごく身近な人が突然亡くなったこともあって、死生観と向き合うことにもなりました。そこで気付いたことは、パラレル世界がもしあるとして、この世界と、パラレル世界で、たいして何も変わらないじゃないか、 ということです。この世界に自分が生きた爪痕が何も残っていないという感覚です。青臭いことではありますが、自分の手によって誰かの人生を大きく変えて、更にそれが多くの人の幸せにつながる、 そんな温かい引っ掻き傷を世界に残したいと思い、SHOWROOMを起業しました。 ■世界にもっと幸せの数を増やしたい ライブ配信サービスを立ち上げてから、今までに数多くの幸せな瞬間がありました。特に配信側として活躍した方から直接言われて嬉しかったのが、「人生でこんなに必要とされたことはない」という言葉です。人間 にとって誰かに必要とされたいという 欲求は最も重要な欲だと思います。日本に住んでいる人の多くは健康的で豊かな生活を送れていて、物質的には満たされているかと思います。そのような状態を前提としたときに、給料などの物理報酬で得られる幸せは、一定ラインを超えるとその先へ広がりにくいと考えます。 つまり、物理報酬には限界がありま す。しかし、感情報酬から得られる幸せには際限がない。配信者の方から言われた一言で明確に、無限に広がる感情的幸福の端緒を世に提供できていることを実感したのです。立ち上げた身としてこんなに嬉しいことはありません。 ■massage 僕がいつも思うことは、やりたいことが見つからない人もいて、そんな人たちが否定されない世の中になればいいな、ということです。もし、will(やりたいこと)が見つからない人は、まずがむしゃらにcan(できること)を増やして、必要とされる機会を増やすことをお勧めします。やりたいことが見つかる人生はもちろん素敵ですが、誰かに必要とされる人生もまた、すごく素敵だと思います。 学生新聞2022年4月号 慶應義塾大学2年 伊東美優 慶應義塾大学2年 伊東美優/津田塾大学 3 年 宮田紋子/早稲田大学 3 年 Nang Honey Aung /国立音楽大学 1 年 岡部満里阿/立教大学 3 年 須藤覚斗/明治学院大学 4 年 小嶋櫻子/関東鍼 灸専門学校 2 年 竹原孔龍/東洋大学 3 年 伊佐 茜音/日本大学...

人事

株式会社ローソン 人事本部 人事企画部 新卒採用担当 村田くるみ

株式会社ローソン 人事本部 人事企画部 新卒採用担当 村田くるみ(むらたくるみ) ■プロフィール2014年に株式会社ローソンへ新卒入社。入社後、地元九州で店舗社員・店長勤務を経て、フランチャイズ加盟店の経営支援業務を行うスーパーバイザーに登用。2018年より新卒採用。 「私たちは“みんなと暮らすマチ”を幸せにします。」の企業理念のもと、お客様の生活をサポートする新たなコンビニエンスストアの実現に向け、変革に取り組んでいる。 ■業界の特徴を教えてください コンビニ業界は10兆円規模の大きな市場です。店舗数は55000店を越えていて飽和状態にあると言われています。しかし、現在も拡大しつつあると同時に、一店舗ごとの「個店」の強化に、より一層力を入れるというフェーズにあります。直営店は全体の2パーセントほどしかなく、残りの98パーセントは、フランチャイズ加盟いただいたオーナーさんによって経営されています。そのような中で弊社では「健康」に力を入れています。世界に先駆けて超高齢化社会を迎え、生活習慣病を抱える患者さんが多い日本で、お客様の身近な「ローソン」だからこそ安心・安全で、健康な食生活を送っていただける世界を実現していきたいと考えています。さらには介護の相談ができるケアローソンや病院に関わるあらゆる人々をサポートする院内店舗「ホスピタルローソン」など、ニーズに合わせたマルチフォーマット戦略をとっています。 ■どのような学生を求めていますか 「多様性」を重視した採用活動を行っており、さまざまなバックグラウンドをもった方々と一緒に働きたいと考えています。そのため、文・理の関係なく採用し、外国籍の留学生採用にも力を入れています。男女比も半々です。特別な資格や知識などは求めておらず、社会の変化にいち早く対応でき、「自ら考え、行動できる」人材を求めています。ローソンのグループ理念である「私たちは“みんなと暮らすマチ”を幸せにします。」の想いに共感していただける方と一緒に次のローソンを創っていきたいです。 ■大学生へのメッセージをお願いします 就職活動をしていると、「自分のやりたい仕事ができないと嫌だ」と、自分で視野を狭めてしまうことがあると思います。しかし、実際には最初から「自分のやりたい仕事」だけを任せてもらえるようなことはなかなかありません。自分のやりたい仕事を「任せてみたい」と周りに思ってもらうためにも、与えられた場所で自分は何ができるのかを考えて、実行することが重要です。チャンスや出会いはどんどん積極的に掴み、たくさん失敗して学んでいってほしいと思います。 学生新聞2022年4月1日発刊号 日本大学2年 石田耕司

学生新聞インターン

書家・芸術家・大阪芸術大学教授 紫舟

書家は天職。自問自答を繰り返す日々で見つけた道 書家・芸術家・大阪芸術大学教授 紫舟(ししゅう) ■プロフィール日本の伝統文化である「書」を絵、彫刻、メディアアートへと昇華させ、文字に内包される感情や理を引き出す。その作品は唯一無二の現代アートであり、日本の思想や文化を世界に発信している。海外では、フランス・ルーヴル美術館地下会場でのフランス国民美術協会展にて、書が絵の中に融合した作品で「金賞」受賞、書が紙や伝統から解放されて三次元となった書の彫刻では「最高位金賞」と日本人初のダブル受賞をし、「北斎は立体を平面にし、紫舟は平面の書を立体にした」と評され(2014)、世界的に注目されている。共通アカウント「: sisyu8」 Facebook/Twitter/Instagram ■書家になったきっかけは ごく普通の大学生でした。自分が何をしたいのかが分からないままに、社会のレールに沿って就職しました。入社後、「ここは自分の居場所ではない」という気持ちが大きくなる一方でした。結局、3年間勤めた後に退社しました。そして、生涯かけて成すべきことは何かを考えるために、内観を始めました。すべてを手放し退路を断った上で、蓋をし続けた自分の本心を見つめました。ちょうど100日目に、おなかの奥底に「書家」という道を見つけました。その瞬間、心がすっと軽くなり平安に包まれました。この感覚を信じ、書家になる覚悟を決めました。 ■書道に対しての思い 私にとって書は、「楽しい」や「好き」というものではありません。「楽しい」や「好き」というのは感情です。確かに人の行動の多くは感情に左右されます。一方で、人の感情はうつろいやすいものです。「楽しい」や「好き」は次の瞬間には、「楽しくない」や「嫌い」に変わるかもしれません。それらをはるかに超越したところに在るのが、私にとっての書道です。書は私の天職です。 ■大学生へのメッセージを 大学時代で一番後悔していることは、同じ学力・同じ年頃の人とばかり話し、「大人と話さなかった」ことです。みなさんの目の前には、無数に拡がる道と無限の可能性があります。当時の私には、どれを選べばよいのかを判断するための「知恵と経験値」がありませんでした。でもそれらは、大人から分けてもらうことができるものなのです。もしアドバイスをもらうことができれば、小さく一度試してみる、それが良かったらもう少し大きく試す。この後が大切です。その結果や感想をその方に報告してください。そうすることで次のステップへの助言をもらうこともできるのです。これを繰り返し、人生を引き上げてもらったり、成長ができたり、未来への無数の道から、善い選択をすることもできるようになります。最後に、夢の話をします。みなさんが目指す夢は、「困難という衣」を纏い近づいてきます。手が届かないほどの高いところにある夢のステージと、現在の自分との大きな差が困難を生みます。言い換えると、目の前にたちはだかる困難は、夢が近づいている証。困難に負けず顔を上げていればチャンスは必ず訪れると信じてみるのもいいかもしれませんね。 学生新聞2022年4月1日発刊号 明治学院大学4年 小嶋櫻子

人事

株式会社バンダイ 人事部戦略チーム チーフ 勝野由麗

株式会社バンダイ 人事部戦略チーム チーフ 勝野由麗(かつのゆり) ■プロフィール2014年に株式会社バンダイへ入社。入社後は日用品事業の部署で大人向け化粧品の企画を担当。5年目にカプセルトイ事業の部署へ異動し、小学生向けガシャポンの企画を担当。6年目より人事部にて新卒採用を担当。 玩具、カプセルトイ、カード、菓子・食品、アパレル、生活用品などの企画・開発・製造・販売をしており、世界中の人々に「夢・遊び・感動」を届けるエンターテインメント企業である。 ■業界の特徴を教えてください バンダイ・BANDAI SPIRITSは玩具業界にカテゴライズされることが多いのですが、玩具・食品・アパレル・生活用品・プラモデル・景品など、幅広い業界の商品・サービスを企画・製造・販売しています。既存の枠にとらわれることなく、世界中の人々に「夢・遊び・感動」を届けるビジネスを展開していますので、エンターテインメント業界と言った方がよいかもしれません。エンターテインメントは生活必需品ではないですが、人々の心を潤すものとして欠かせない存在です。昨今は新型コロナウイルスの影響もあり、プラモデルなど自宅で親子が楽しめるようなイエナカ需要を捉えた商品が国内外から注目されました。また、デジタル分野の成長は目覚ましく、デジタルとフィジカルを融合したような、総合的なアプローチを強化していきたいと思っています。 ■どのような学生を求めていますか 私たちの人材ポリシーは「同魂異才」です。世界中の人々に「夢・遊び・感動」を届けるために、多種多様な社員の能力を活かし、さまざまな角度から遊びを創出しています。そのため、特別なスキルや能力を限定して求めることはしていません。ただ、私たちは「人の心を動かすこと」を仕事にしているため、人の気持ちに寄り添ったり、新しいコト・面白いコトにチャレンジするのが好きな方は、合っているのではと思います。若手であっても裁量権が大きく、新卒1年目から商品の企画を提案・実現することも可能です。そうした点からも自発的に行動できる人であれば楽しい環境だと思います。 ■大学生へのメッセージをお願いします 今、自分自身が熱中していることや興味のあることがそれぞれあると思います。就職活動で自己分析をしていくと、人と比べて自分の経験に優位性があるのかと自信をなくしてしまうこともあるでしょう。しかし、その経験はあなたにしかできないものであり、あなたを形成している大切なものだと思います。自分が選択したもの、大切にしてきたものに自信を持ってください。新型コロナウイルスの影響でできることも限られてくるかと思いますが、やりたいことに一生懸命に取り組んでください。 学生新聞2022年4月1日発刊号 明治大学3年 山本真人

大学理事長・大使館

学校法人関西大学 理事長 芝井 敬司

自分を小さな枠に収めようとせず、でっかい夢を持とう 学校法人関西大学 理事長 芝井 敬司(しばい けいじ) ■プロフィール1984年より関西大学に着任し、’94年文学部教授、2002年文学部長、’06年副学長、’16年学長を歴任。’20年10月から学校法人関西大学理事長に就任。現在、文部科学省大学設置・学校法人審議会特別委員をはじめ、学外の要職を多数務める。 2022年6月に大学昇格100周年を迎える関西大学。私立大学では14番目の開校という長い歴史を持つ大学である。近年はカーボンニュートラルやダイナミックな国際化を図ることを念頭に大学経営を行っているという。この関西大学に40年近く奉職されている芝井理事長にこれからの大学の在り方についてお話を伺った。 ■どのような学生時代を過ごしてこられましたか 高校生のときから興味を持っていた歴史や哲学、思想を学ぶために京都大学文学部に進学しました。1・2年次は教養科目を学び、3年次からは西洋近世・近代を研究できる越智先生のゼミに所属して、仲間や院生とヨーロッパの近世・近代について議論しました。当時はまだ学生紛争が残っている時代で授業が成立しないときもあり、同級生4人で集まって読書会を開いたりと、友人と学問を深める大学生活を送りました。大学卒業後はそのまま京都大学文学研究科に進みました。ドクターは、普通は3年間かかるところを1年目が終わったときに、当時主任教授だった越智先生が「来年から助手を」と言われ、助手をやることになりました。その後、関西大学の先生からのお誘いで西洋史の近代分野の教員として関西大学に移り、それから38年間ずっと関大におります。 ■理事長の役割と取り組みをお聞かせください 私立大学の理事長の役割は法人の代表者として契約したり、経営や財務の面で責任を持ったりすることです。責任が重いのでやりがい以上に苦しいという気持ちが強いですね。特にコロナ禍でどう判断するのかを決断するのがすごく苦しい。一昨年は「遠隔授業になって光熱費を使っていないだろうから返金してほしい」と言ってくる学生を、学長として説得しなければなりませんでした。関西大学は医学部も看護学部もないので大学拠点接種も思うようにはできません。そこで、20年くらい協定を結んで連携・協力している大阪医科薬科大学の学長に協力をお願いしたところ、「頼まれると思っていたよ、お受けしましょう」と言ってもらい、30593人にワクチン接種を実施できました。理事長になってから職員にも呼び掛けているのは、明治時代のジャーナリスト・翻訳家である黒くろ岩いわ涙る い香こうが大切にしていた「簡潔、明瞭、痛快」という仕事のモットー。私もそういう仕事をしていきたいです。 ■目指す大学像についてお聞かせください まずカーボンニュートラル。組織として引き受けるのは当然ですが、大学ですから教育・研究の部分で引き受けることが重要です。カーボンニュートラルのことを理解し議論して、そこから何かを創造することがどこまでできるかが課題だと思っています。そして、ダイナミックな国際化。これは実はずっとやりたいと思っていました。海外とキャンパスを結んだり、海外の学校から指定校で来てもらえるようにするなどです。日本の大学の研究機関のイメージと世界のユニバーシティのイメージのずれがあるのでそこを埋めていきたいです。また、スタートアップ企業も一生懸命支援していきます。現在は1件あたり30万円、100万円、1000万円をスタートアップ用に用意し、支援しています。自分のやりたいことやアイデアがある学生の背中を押すのが大学の大きな役割です。大学に昇格して今年で100年になります。関大は日本で14番目の私立大学で、戦前に設立した長い歴史を持つ大学です。100年前に提唱された「学の実化」(=学理と実際との調和)という建学の精神を軸に人材を育てています。 ■大学生へのメッセージをお願いします 社会や会社がどんな学生を求めているのかを学生は気にする必要はありません。私に対して社会が何を求めるのかではなく、私が何を求めているのか、私がやりたいことは何かを大切にしてください。そしてでっかい夢を持ちましょう。それがすごく大事な時代になりつつあります。もう少しのびやかに自分の人生を描いていってほしいです。人生100年時代ですから自分を枠の中に収めようとせず、学生時代は夢を語り、広げることに時間を使ってください。 学生新聞2021年4月1日発刊号 創価大学4年 山内 翠

学生新聞インターン

衆議院議員 前環境大臣 小泉進次郎

「自分の道は自分で決める」決断により責任が生まれ、大きなエネルギーとなる 衆議院議員 前環境大臣 小泉進次郎(こいずみしんじろう) ■プロフィール1981年神奈川県横須賀市生まれ。関東学院大学経済学部卒業後、2006年米国コロンビア大学院政治学部修士号取得。衆議院議員小泉純一郎氏秘書を務めた後、2009年8月衆議院議員初当選。2011年10月、自民党青年局長に就任。その後さまざまな要職を歴任し、2019年9月、環境大臣 兼 内閣府特命担当大臣(原子力防災)に就任。翌年再任。2021年3月、気候変動担当大臣を兼務。2021年11月、自民党総務会長代理に就任し、現在5期目を迎えて活躍中。 ■政治家になろうとしたきっかけは何ですか 私が政治の道に進んだ理由は「世の中をよりよくする」という自分の決意でしたが、その決め手になったのはやはり父の存在です。私が大学生のとき、父である小泉純一郎が総裁選へ出馬しました。相手は当事の派閥トップであった橋本龍太郎先生で、父は選挙に負けると言われていました。しかし勝ちました。父の勝利は「国民の声で世の中が変わるんだ」と私に実感させてくれた出来事です。また、父は親としても深い愛情を息子である私に注いでくれていて、家の中では優しい父親でした。父の職業が政治家だったから自分も政治家を目指したわけではなく、私に愛情を注いでくれた尊敬できる父の職業だったから政治家になる決意ができたのでしょう。 ■選挙戦についてお聞かせください 13年前、28歳のときに初めて衆議院選挙に出馬しました。当時は自民党が野党に転落したときで、自民党の新人で選挙に勝った人は私を含めて4人だけでした。初選挙は勝利を手中に収めることができましたが、選挙活動中は人前に出るのが怖くなるような毎日で、正直、苦しかったことしか覚えていません。世襲だと叩かれて演説もろくに聞いてもらえず、名刺を受け取ってもらえないばかりか、ペットボトルを投げつけられたこともありました。また、選挙カーであいさつ回りをしていたら、こちらへ向かってくる人がいて、「握手を求めてくれるのだろうか?」と思っていたら、唾を吐かれたこともありました。昨年は選挙活動でビラを配っていたら「くたばれ」と2回続けて罵倒されました。やはり罵倒されれば落ち込みますし、精神的にはきつい出来事でした。しかし、辛いことがあるのを承知で政界に飛び込むことを決意したのは自分だ、という想いが前を向いて歩んで行く力になっていると思います。「自己決定」をすることは大事ですね。 ■大学生へのメッセージをお願いします 一番伝えたいことは、「自分の道は自分で決める」ということです。決断を他人に委ねてしまうと、失敗したときに自分で決めなかったことで、大きな後悔をすることになるでしょう。また、他人に責任転嫁してしまうかもしれません。自分で決めたことには責任が生まれますから、その責任は自分にとって必ずやエネルギーになるはずです。 学生新聞2022年4月1日号 津田塾大学2年 佐藤心咲

経営者

株式会社エニグモ代表取締役CEO 須田将啓

ワンチームで世界に通用するブランドを作る! プロフィール 慶應義塾大学院コンピューターサイエンス修了後、博報堂の戦略プランナーを経て、2004年にエニグモを創業。2005年に「BUYMA」を開始。東証一部に上場。その後、英語版BUYMAを開始、グローバル事業展開。プライベートでは、水戸市活性化のための起業家支援事業・M-Workを設立。アマゾンジャングルマラソン、南極トライアスロン、サハラマラソンを完走。 学生時代から世の中に何かインパクトを残したいと考えていた須田社長。30歳までに起業するという目標を立て、目標どおり29歳で株式会社エニグモを創業した。戦後、日本の会社が世界で名をとどろかせたように、世界に通用するブランドを作って日本を明るくすることが夢だと語った。  学生時代はサークル活動とアルバイトに明け暮れていまただけでも違和感を感じ取れした。20年以上続くイベントプロデュースサークルの10代代表として学園祭の企画運営をし、コンサートにアーティストを呼んだり、チケットを売ったりしていました。アルバイトでは泊りがけで1ヵ月間、漁師の仕事をしたり、ソニーでバーチャル空間の管理人をしたりといろいろな種類の仕事を経験しました。 研究室を決めるときに、将来どうなりたいかを初めて考え始め、何かしら世の中に爪痕を残したいと思いました。博士として新しい発明やテクノロジーを生み出すか、社長としてビジネスでインパクトを残すかのどちらかだと考え、まずその両方を追求できるコンピューターサイエンスの研究室に入りました。最終的に研究よりもビジネスをやった方が展開が早いと気づいたので、将来は起業することを目標に、ビジネスの道を歩む決断をしました。  ■30歳までに起業するという目標を立てる  いきなりベンチャーを作るのではなく、マーケティングやユーザー思考をきちんと学んでから起業しようと思い、ビジネスが学べる就職先として博報堂に入社しました。大きな目標がないと、日々の業務に埋もれてしまうと思ったので、入社するときに30歳までに起業すると心に決め、同期にも公言していました。サラリーマン人生でなるべく多くのことを学ぼうと、上から言われたことは全部イエスと応え、がむしゃらに働きました。そのような中でのちに共同創業者となる田中と出会い、意気投合しました。将来の起業のために2人でアイデアを出し合ううちに、田中が今のBUYMA“バイマ“の原案を提案してきたのです。当時、ヤフオクなどでも海外の人からものを買うという取引を行っている人がいたので需要も明確にあると思い、これはいけるなと確信しました。最終的に29歳10ヵ月で株式会社エニグモを創業し、無事30歳までに起業という入社時の目標を達成することができました。  会社をやっていくうえでこだわったのは、料理だとクックパットやクラシルを思い浮かべるように、ブランドの服と聞いたらBUYMAと言ってもらえるように、人々のマインドシェアをとることです。最初は世界中のものがなんでも買えるようなサイトにしたいと思っていたのですが、売れる商品の傾向を分析すると、安いマスプロダクトではなく、服のような小ロットで多品種なものが売れることがわかりました。最初に売れた商品もアバクロの香水で、そういったニッチな分野でマッチングを作っていくうちに、今のようなブランドもののファッションへと特化していきました。とにかく海外という軸をずらさなかったことが、結果的に他社との差別化になっています。 また、創業当時から海外で通用するブランドを作りたいと思っていました。子供の頃、トヨタやソニーが世界で活躍しているのがうれしくて、それが日本人としての誇りや自己肯定感につながつていました。しかし、ここ30年はそういった会社が出てこなかつたと感じています。夢は社員全員とタイムズスクエアで鐘を鳴らすことです。海外で上場するくらいの会社になって、日本を明るくしていきたいですね。最近では、ハーバード大学のビジネススクールで題材として取り上げられるなど、海外でも認知が広がってきています。まずは海外の売上比率を20パーセントにすることが目標です。今後はデジタル空間が浸透した生活を見据えて、VRを活用した新しいサービスなども積極的に模索していきたいです。 ■社員一丸となってサービスを広げる  やりがいは世界中の人がサービスを使ってくれることです。趣味で釣りに行ったときに、釣りの船で一緒になった人がBUYMAのことを知ってくれていたときは嬉しかったですね。あとは社員が笑っていることです。小さな違和感をおろそかにしないよう、社員のやり取りや雰囲気には気を配つています。以前、広告事業が上手くいかなかつたときに、ワンチームだった組織に軋轢が生じたことがありました。それからは”糸をピンと張る"ということを意識していて、少しものが当たっただけでも違和感を感じ取れるように、メールやSlackのやり取りも全部オープンに見られるようにしています。 まだ会社もプロダクトも生ものの状態で、どうにでも変革できるので、新卒でも思いが強ければ意見を採用します。私利私欲がなく、会社やサービスを第一に考えて変革できる人や熱量の高い人と一緒に働きたいですね。頭の良さや経験ではなく、チャレンジ精神があって熱量が高い人は、たとえ失敗して回り道をしても、最終的に一番結果を出す人になると思っています。 ■message  熱量を高めることが大切です。熱量は行動しないと出てこないと思うので、アルバイトでもサークルでもインターンでも、何でもアクションを起こしてほしいですね。出来ないことは何もないと思うので、自分で高い目標を立ててがむしゃらに頑張ってください。 学生新聞2022年4月号 国際基督教大学4年鈴木菜桜

濱穂乃香

LINE DigitalFrontier株式会社 執行役員COO 平井漠

人々に楽しんでもらえるサービスを提供する ■プロフィール 大学卒業後、電子写真集などの制作に携わった後、携帯キャリア公式電子漫画サービスの企画を担当。2013年、LINE株式会社に入社し「LINEマンガ」を担当。2018年、分社化に伴いLINEDigitalFrontier株式会社へ出向。2019年2月、同社執行役員に就任。2020年、COOに就任。 多くの人が「LINEマンガ」というアプリで漫画を読んだことがあるのではないだろうか。電子コミックサービスとして日本でもトップシェアを誇り、マンガをスマホで読むという習慣を作ったサービスの一つと言っても過言ではないだろう。そんな「LINEマンガ」のサービスを提供している平井COOに、業界トップだからこそ語れる魅力や夢を伺った。  大学生のときは、正直あまり真面目な学生ではなかったです。授業もそこそこにバンドをやって、アルバイトをして、という感じで自由な学生生活を送っており、卒業式の日には広島でバンドのライブをしていました(笑)。そんな感じだったので、就職活動もしておらずそのまま音楽を続けていました。大学卒業後は、音楽をしながら編集プロダクションでアルバイトをして、企業年鑑の制作やひたすら電話取材をしていました。 しかし、26歳になったときにバンドが解散することになりました。音楽を完全にやめるつもりはなかったのですが、きちんと働こうと思い、出版社のモバイルサービスを作っているIT系の会社に入りました。入社理由はもともとエンタメが好きだったことや、出版業界に興味があったこと、そしてモバイルという当時これから成長していくであろう業界だったので、楽しそうだと思ったからです。その後、いくつかの会社に転職をし、携わるものが電子コミックになったりという変化はありましたが、私自身はサービスを作ることが好きで、今を含めてずっと“サービス作り”に携わっています。 ■みんなが楽しめるサービスを提供する  昔はガラケー、今はスマートフォンとIT技術は革新していますが、どれだけいいサービスを作ることができるかという核の部分はずっと変わっていません。みんなが楽しめる、盛り上がれるサービスを作りたい、そのように思いながら、常にさまざまなアイデアを考えている気がします。電子コミックにおいても、単に紙が電子におきかえられたということだけではなく、オンラインサービスになったからこそ出来ることがあります。それを見つけて、より楽しめるものを提供していきたいと思っています。 マンガ文化が世界に広がり、作り方自体も少しずつ変わってきている変革期にあって、マンガが発展していくところを、自分たちがこの業界の中でイニシアティブをとって関わっていけることにやりがいを感じています。技術や時代の変化は苦労だとは思っていませんし、逆に、変化があるからこそ楽しいと言えます。 ■マンガをもっとグローバルに展開  現在、「LINEマンガ」では70万点以上を配信し、オリジナルや独占・先行配信作品も700以上あります(’22.1現在)。これからも新しい作品が生まれて、ユーザーにも作家さんにも事業者にもメリットがあるプラットフォームとして発展していきたいです。 特に、世界的に見たときに、我々の会社はその中心で動くことのできるポテンシャルのある会社だと思っています。オリジナル作品を海外へ発信したり、逆に海外の作品を日本で配信することもできます。というのも、「LINEマンガ」が所属する電子コミックプラットフォームのグローバルグループ“WEBTOONworldwideservice”は、アプリのダウンロード数は全体で2億ダウンロードを超えていて、この業界において圧倒的な1位です。そのようなグローバルに活躍できる立場だからこそ、今後もどんどん世界展開し、マンガというコンテンツのパフォーマンスをもっと上げ、ユーザーにとっても作家にとっても良い環境を提供していきたいです。そして、ユーザーに選ばれるNo1のサービスを提供している会社になりたいですね。これは私自身の夢でもあって、「やったな」と思う成果を残すことができたら嬉しいです。 ■求めるものはチームワーク  一緒に働くならやっぱりマンガが好きな人がいいですね。そして、サービスを考えるのが好きであったり、自分でこの仕事が向いているって思えたりする人の方がいいと思います。ただ、サービスを作るうえで、一人でできることは限られていて、チームワークが大切になります。そのため、チームワークが発揮できる人と一緒に働きたいですね。 また、自分が作った機能やサービスがユーザーに受け入れられるといった成功体験はモチベーションが上がり、やりがいにつながります。以前、「LINEマンガ」をリニューアルしたときに、売上が倍くらいになるなど明確に結果が出たことがあって、とても印象に残っています。もちろん、失敗の中にも学びはたくさんあって、一つひとつが大事なことです。そうやってみんなでサービスを作り上げていけるといいですね。 ■message  私は学生のときに音楽にはまり、いろいろなアルバイトもしてきました。振り返ってみるとそういったさまざまな経験が今の仕事に役立っていると思います。一番時間があったなと思うのは学生時代ですし、働き始めるとやりたくてもやれないことがたくさん出てきます。学生時代はやりたいことをやって欲しいです。後々の人生で経験として生きてくることがたくさんあります。ぜひやりたいことに挑戦してみてください。 学生新聞2022年4月号 東洋大学2年 濱穂乃香

川浪亜紀

株式会社バスクリン 代表取締役社長 三枚堂正悟

90年という歴史の積み重ねで日本中を健康にする ■プロフィール 1963年岩手県に生まれ、千葉県で育つ。学生時代に打ち込んだサッカーでは、インターハイベスト8にまで進出した。日本大学文理学部を卒業後、アース製薬株式会社へ入社。2014年、役員待遇管理本部経営企画部部長に就任後、同社取締役経営統括部統括部長・バスクリン社外取締役を経て、2020年2月、バスクリン代表取締役社長に就任。 健やかで心地よい生活を提供することを社是とする株式会社バスクリン。明治時代から続く長い歴史の中で、入浴剤を使うことを一般化させることに成功。在宅ワークが増え、ますます入浴剤の需要が高まる中で、バスクリンはさらにどんな高みを目指していくのか。三枚堂社長にお話を伺った。  大学時代は、小学生から続けてきたサッカーに打ち込みました。寮にも入り、寮生活とサッカー部を中心に活動していました。サッカー部の練習が授業と重なり、授業に出られず、単位は2年生になってから必死にとるということもありました。4時半に起きて朝ごはんを作ったり、寮では4学年が一緒に住んでいるので一種の緊張感がありましたね。当時の仲間は、今でも連絡を取り合い、一生付き合える大切な仲間ですね。心の支えになっている存在です。 当時は小学校、高校のときに出会った先生の影響が大きく、サッカーの指導者になりたいと考えていました。そのため、教員を目指し、就活はあまりしていませんでした。しかし、教育実習に行ったとき、「自分は本当に教師を一生続けたいのか?」と考えるようになりました。実際は教育者ではなく、「指導者」になりたかったんだなと実感し、教員を目指すことをやめ、アース製薬に中途入社しました。 ■人とつながることの喜び  アース製薬に入社後、初めは営業として働き、そして会社の上場のための準備に携わりました。この経験は今の自分の自信につながっています。その後、異動もあり今の会社で3年になります。 やはり、人と出会えることがこの仕事の楽しみだと感じます。もともと生活に密着した商品を取り扱いたいという思いもあったので、今の仕事には本当にやりがいを感じています。また、私たちメーカーは、商品を手に取ってもらった方に喜んでいただく機会があります。「この商品を使っていて良かった」と感謝を伝えていただくこともあり、そこに至るまでにいろいろな人が関わっていると考えると、この一言が聞きたくて仕事をしているんだ、と思うことができます。また、会社に入っていろいろなことを学び、人と出会って成長し、ここまで来れたと思いますし、本当に今楽しいと感じます。また、経営する中で考えるのはあまり気負いすぎないことです。自分がだめだったら他の人がいます。変化は見過ごさずチャレンジし、とにかく今やれることを精一杯やる。そして、失敗したらそのときに考える。そうした気持ちを大切にするようにしています。 ■どこにも負けない歴史ある商品を扱う  弊社は、真面目でコツコツ働く人たちが多い会社です。バスクリンという商品は誕生から90年以上経っています。その年月は、やはり簡単に打ち立てられるものではなく、入浴剤のパイオニアと言えます。健康や癒しという習慣を根付かせている商品は他にはないと思います。また、その年月の積み重ねによるデータやエビデンスに自信を持っています。専門性が高く、知見においてはどこよりもあると思います。これをいかにわかりやすく提供していくか、ということが大切かと思います。 コロナ禍で在宅率が高まり、入浴剤の需要も大きくなりました。常に誰かと一緒に家にいることが多い中で、入浴の時間はリラックスできる貴重な時間なんですね。その入浴の時間に香りを楽しめたり、就寝前の入浴でよく眠れるようになったりするなど、入浴の時間をより充実させるお手伝いができたらと思います。 また、弊社には「日本の名湯シリーズ」という人気商品があります。全国の温泉地とタイアップした商品ですが、家で全国の温泉に行った気分を味わえるというシリーズです。この秋から、その売上の一部は温泉地に寄与させていただいています。そのため、熱海の震災の後には、お客様からこの支援に賛同が得られ、この商品を買っていただいたこともありました。こうしたこともお客様に受け入れられてきているのではないかと思います。今後も女性向けの美容関係の商品や、子どもと親が一緒に過ごす時間を楽しくする商品など、さまざまな角度から商品を開発していきたいですね。 毎日入浴し、身体を綺麗にして温めるという習慣は、日本独自の文化です。この入浴の文化を若い世代にももっと浸透させ、良い習慣であることを伝えていきたいと思っています。現在、お風呂でお湯に浸かる人は日本で約パーセントと言われています。その中で、入浴剤を使う人はさらに限られています。そのため、日本国内でもより入浴剤を使っていただけるような努力をし続けていきたいと思っていますし、さらには、世界の人にも入浴剤を使っていただけるようなフィールドを広げていけたらと思います。外国の人が日本に来ると温泉に入りますよね。そうした入浴の文化を世界にも輸出し、バスクリンを世界中へ発信していけたらと思っています。 ■message  人生の中で、大学生の時間はとても楽しいと思います。その時間が、コロナ禍で制限があるというのは本当に切なくなります。しかし、その中で工夫する力はどの世代よりもついていると思います。制限されている中で何ができるか、楽しみ方、家での過ごし方など、工夫できることはあります。貴重な経験を大切にして、決して後ろ向きにならず、新しい土壌を築いたと考え、その中でしっかりと楽しんでほしいです。私は、「頑張って」とは言いたくありません。しかし、工夫して「楽しむ」ことは全力で頑張ってほしいなと思います。 学生新聞2022年4月号 津田塾大学4年 川浪亜紀

経営者

アース製薬株式会社代表取締役社長CEO兼グループ各社取締役会長 川端克宜

コミュニケーションと人間力でコミュニケーションと人間力で プロフィール 1971年兵庫県生まれ。1994年近畿大学商経学部(現・経営学部)卒業後、アース製薬株式会社入社。流通営業を担当後、2006年広島支店長、2009年大阪支店長を務める。2012年に役員待遇ガーデニング戦略本部本部長、翌年に取締役ガーデニング戦略本部長に就任。2014年、同社代表取締役社長に就任。2021年、同社代表取締役社長CEO兼グループ各社取締役会長に就任。 社員の幸せを第一に、良い会社であり続けることを目標に会社運営を行うアース製薬株式会社の川端社長。社長は人の御縁によって導かれ、アース製薬に就職したのだという。そんな就職活動の体験やアース製薬の強み、今後も魅力のある会社であり続けるための経営努力についてお話を伺った。  私は漠然と昔から医者になりたいと思っていたのですが、大学は文系の商経学部(現・経営学部)に入学しました。医者のように手に職をつけることはできず、「自分は何ができるのだろう」と考えるようになり、あるときふと「歳を取ったときに格好いい大人になりたい」と思いました。いつまでも格好いい大人でいることができる業界はアパレルだと自分の中で結論付け、最初はアパレル業界で就職活動をして、内定をいくつかもらうことができました。就活がいち段落し、当時お付き合いをしていた彼女とデートに行く約束をしていたのですが、待ち合わせ時間が時だったのか、午後6時だったのか判然としなくて困ったときがありました。当時は携帯電話がなかったため、連絡して時間を聞き直すことができず、16時に彼女の家に行くことにしました。しかし、どうやら待ち合わせ時間は午後6時だったようで、彼女は不在で、お父さんと遭遇してしまいました。お父さんは私を家にあげてくれて、2人で彼女を待つことになりました。そのとき、会話の中で就職の話になり、アパレル企業から内定をもらった話をしました。そのこと自体、全く問題ないと思っていましたが、後日、彼女からお父さんは私がアパレル業界に進むことを快く思っていなかったことを聞き、一から就職活動をし直すことに決めました。求人雑誌のア行から会社を探したところ最初に「アース製薬」の名前があり、面接を受けました。私の就職活動は全て御縁だったのです。もし彼女との約束の時間があいまいでなければ、お父さんに遭遇していなければ、求人雑誌でア行から会社を探していなければ今の私はいなかったです。全て良い御縁に巡り合えた結果です。 ■コミュニケーションによる人間力が魅力  私はとても負けず嫌いで、アース製薬に勤めてからは同期の中で常に1番を目指していました。初めは営業を担当し、売上目標金額を落としたことはなかったと思います。「物理的に無理なこと以外は何でもやろう」という心意気で仕事に励んでいました。そうやって仕事と向き合っている中で周りから評価いただき、今は社長としてアース製薬を支えています。さまざまな立場を経て社長になった私ですから、各部署や人について身近な場所から観察をしてきました。だからこそいらない部署や人はなく、どれが欠けても成り立たないということを深く理解しています。私は日々、社員とのコミュニケーションを大切にしています。 また、わが社の最終面接に参加される学生とは一対一で話をし、御縁があるなと思った学生を採用します。私たちから質問をしているだけではフィフティーフィフティーの関係にはならないので、最後は質問を受ける側に回ります。わが社を受けに来られた学生たちと本音で語り合いたいのです。アース製薬はそうやってコミュニケーションを取り合う仲間で構成された会社ですから、本当にいい人たちで溢れています。人と人の触れ合いによる人間力がわが社の魅力であり、強みです。 ■お客様にとって良い会社であり続ける  アース製薬は、未来永劫良い会社と思ってもらえる企業であり続けたいと思っています。アースグループには約4000人の社員がいます。会社を存続させないと、この社員を守ることができません。そのために、主力事業の進むべき方向が間違っていないかを常にチェックすることが最も大切です。目まぐるしく変化する時代においていかれることなく、適応していくことも重要だと思っています。極端な話、年後にアース製薬が殺虫剤や消臭剤などを売っていなくて、八百屋になって野菜を売っていてもいいと思っています。今と全く違う姿に変化したとしても、時代の変化とともに適応し、お客様に求められる良い会社であることが一番大切なのです。 ■message  就職面接で「残りの大学生活でやっておくべきことはありますか?」と大学生から質問を受けることがよくあります。私はその質問に対し、「学生時代はとにかく遊んでください」と答えています。学生の強みは時間があることです。人間は後悔する生き物なので、「あのときやっておけばよかった」と後悔しないような毎日を送ってほしいです。入社してからも勉強することはありますから、今はとにかく遊ぶことが大切です。人生は思っているよりも長いので、学生生活でしかできないことを思いっきり楽しんでくださいね。たくさん遊んで、元気な体で卒業してさえくれれば十分だと私は思っています。 学生新聞2022年4月号 津田塾大学2年 佐藤心咲

川浪亜紀

山田孝之 常に刺激を求めた自分の人生、道は無限に広がる

山田孝之(やまだたかゆき) 1983年生まれ。99年に俳優デビュー。『世界の中心で、愛をさけぶ』『電車男』『闇金ウシジマくん』シリーズ、『勇者ヨシヒコ』シリーズ、『全裸監督』など、多くの作品で主演を務める。また、クリエイターの発掘・育成を目的とする映画プロジェクト『MIRRORLIAR FILMS』のプロデューサーや監督など、活動は多岐にわたる。 シリアス、ハードボイルド、コメディなどさまざま役柄を演じ、日本のドラマや映画界になくてはならない存在である山田孝之さん。デビューしてから23年、今では俳優だけでなくプロデュース業や監督も務める。そんな山田さんの原点にはどんな思いがあるのか、役に対してのこだわりや、ここまでの歩みを伺った。 ■新しいものを得ることへの楽しさ 昔から好奇心旺盛な子どもでした。学校からの帰り道は、新しい道を知りたいという気 持ちで、同じ道ではなくわざと遠回りをして帰りました。いつもとは違う知らない道があり、思わぬところに出るという、新しいことを体験するのを楽しんでいました。何があるのかを自分の目で見たい、知りたいという好奇心があったんですよね。それは今も同じで知らない居酒屋に入ったり、入った先で知らない人と喋ったりすることを楽しんでいます。誰かといる時間は好きですが、一人で出かける時間も大切にしているんです。昔からの友人とのいつもの会話も楽しいけれど、刺激がないですよね。一人で新しい環境に飛び込んでいくと、年齢や性別、職業も違う人と話すことになり、全く自分が考えないようなことが出てくるときがあります。また、それが役へのヒントになることもあり、相手に気まずい気持ちが生まれる間の使い方、上から目線に感じる表情の作り方など、演じるときに相手の気持ちを動かす一つのアイデアになることもあるんです。そんな刺激を常に求め、楽しんでいます。 ■〝演じる〟ことは人の人生を〝生きる〟こと 芸能への道は姉の影響が大きいです。姉が雑誌の表紙を飾るのを見ていて、田舎では反響も大きく、なりたい夢や職業もなかったので自分も東京に行って「芸能人」になろうかなと思ったんです。しかし、俳優という仕事について真剣に考えたことはありませんでした。とりあえずで受けた演技レッスンでは、「カメラの前に立っているときは君は君でいてはいけない」というざっくりとした言葉をもらい、混乱しました(笑)。本当によくわからないまま俳優になったのですが、お芝居を始めて2年目で朝ドラに参加させていただきました。毎日芝居をして、へとへとになりながら帰るその道でふと「芝居って楽しいかも」と思ったんです。その楽しさから、俳優を続けてみようと思いました。自分にとってのお芝居は「お芝居をする」という感覚ではなく、役として「その人の人生を生きる」という感覚です。 撮影期間で役に入っているときに、ただ集中して気持ちを作っているわけではなく、どの状態のときでも“山田孝之”として生きてきた38年間はなかったものにしているのです。山田孝之としての経験や記憶をどこかに置いてくる。もちろん、それらすべてが消せるわけではないですが、その人の気持ちになってその人として物事を考え、役として生きています。 そのため、自分はどんなにひどい役でもその役のことを嫌いになりません。演じているときは、その人が生きてきた人生に歩み寄ってその人になっているのです。だからこそ、どれだけひどいことをしていても、そこには必ずなぜそうなったのかという理由があります。あるとき、撮影が終わってすぐに別の撮影に入ったことがありました。性格も全く違う役だったのですが、台本を開いてセリフを覚える、という同じ作業をしているうちに、ブワッと前の役柄が蘇ってきたことがあったんです。そこの切り替えは大変でしたが、前の撮影で終わったはずのその役は自分の中ではまだ生きていて、そこまで役と一体になれたのだという喜びを感じました。20代の頃、俳優という仕事は自分の中で全て喜びであり、全てストレスでした。オファーがきて、それに喜んで役に入るためにストレスをかけて、そして皆で作ることに喜びを感じながら、思ったのとは違う対応にさらに考えて動いて、お客さんに見てもらっていろいろな反応をもらう。全ての過程で嬉しさとストレスが表裏一体となり、それに左右されてきました。しかし、今は、生まれたストレスはその現場でしか解消できないとわかっていますし、100点満点を目指さなくていいとも思えるようになりました。だからこそ、この仕事をやめられないなとも感じています。ただ、飽きっぽい自分がもう23年も俳優という同じ仕事を続けている。演じるという同じことをやっているけれど、スタッフや脚本、共演者など、全く同じときがないからこそワクワクできる、そんな面白さも実感しています。 ■一つのことを続けることで見える人生がある 学生の皆さんには、とにかく一つのことを続けてみてほしいと思います。今は辞めるために理由にできることが増えましたよね。しかし、本当の良さを見出す前に辞めることはもったいないと思います。始めたということ自体も経験にはなりますが、どうせなら良いことを見出してから辞めた方がその後につながると思います。嫌いなことはたくさんあると思いますが、どんなことでも最低でも2年は続けてみるといいのではないかと思います。 また、今やっていることがベストと思わなくても良いと思います。自分はなんとなく俳優になって芝居が好きで続けてくることができました。俳優をやり続けると決めて、そのために我慢しなきゃと思うのではなく、もっとやりたいことが見つかるまで俳優をやっていようと架空の逃げ道を作ってきたことで、自分のペースで楽しむことができたのだと思います。そうやって自分なりの逃げ道を作って、ある意味で無責任になり、背負いすぎずにやってほしいです。自分のペースで、できるだけ続けてみると人生はなんとかなります。そういった気持ちでこれからのことに挑んでほしいと思います。 (津田塾大学4年 川浪亜紀) 撮影協力:カメラマン 広田成太 <英文記事> Takayuki Yamada My life, always looking for stimulation, the road is endless ■ProfileBorn in 1983, debuted as an actor in 1999. He has starred in many films, such as Crying Out Love in the Center of the World(世界の中心で、愛をさけぶ),’ Densha Otoko (Train Man),’ Ushijima the Loan Shark (闇金ウシジマくん)’...

中高生新聞

冨永愛 チャンスが来たときにそれをつかめる自分であれ

冨永愛(とみながあい) 17歳でNYコレクションにてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルの他、テレビ・ラジオ・イベントのパーソナリティ、女優などさまざまな分野にも精力的に挑戦し、社会貢献活動も行うなど、その活躍の場をクリエイティブに広げている。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、エシカルライフスタイルSDGs アンバサダー(消費者庁)、ITOCHUSDGs STUDIO エバンジェリスト。 10代からファッションモデルとして世界を舞台に活躍する冨永さん。彼女の活動はモデルだけにとどまらず、女優、SDGsアンバサダーなど多岐にわたっている。しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。どんな高い壁にも挑み続ける彼女の人生哲学や今後の展望、母となって始めたエシカルな取り組みについてお話を伺った。 ■コンプレックスも他の長所で補える 私は背が高いことがコンプレックスでした。中学・高校時代は、周りの多くの子が「かわいい」を求める風潮にありました。男の子にモテるのも比較的背の低い小柄なタイプの子でした。でも私はその逆です。当初はそんな自分が大嫌いで「生まれ変わりたい」とさえ思っていました。ところがファッションモデルという職業に出会い、初めてニューヨークに行ったときのことです。自分がこれまで限られた世界にいたことに気づきました。多種多様な「美」のあり方を目の当たりにしたのです。自分と同じくらい、あるいはそれ以上に背の高い人もいて、やっと同じ土俵に立てたと感じました。日本で「巨人だ」「宇宙人だ」と揶揄されて疎外感を覚えていた高身長さえも武器になったのです。自分が周りと違うと感じることでも別の世界に行けばそれが当たり前になることがあり、世界は広いのだと実感しました。「ここで戦っていきたい」、そう強く思いました。こうしてモデルとなって今日に至るわけですが、できることなら今でも「身長155センチになりたいな」と思います。でも、そういうコンプレックスというのは「他の長所で補っていける」と考えています。他の長所に磨きをかけて自信を積み重ねていくうちに、ふと振り返ると気にならなくなっていると思うのです。コンプレックスをなくしてしまうことは難しいけれど、自信を持つことによって小さくすることはできると思います。 ■挑戦し続けることで道は開ける 17歳のときにニューヨークコレクションに初めて出演できると決まったときは本当に嬉しかったです。その日に向けて10センチ以上もある高いヒールを履きこなす練習をしたりと、出演に向けて全力を注いでいました。しかし、当日になって私に用意されたのは華やかな衣装ではなく、スニーカーとメンズテイストの衣装だったのです。当時の私はアジア人だから差別を受けていると感じ、屈辱でした。しかしこのときに味わった「悔しい」という思いや「絶対に負けない」という強い怒りの感情が、その後の私のモデル人生における苦難を乗り越える上で欠かせない原動力となっていきました。海外で働き始めて間もない頃、辛くてどうしようもないときがありました。そんなときによく思い出していたのが「チャンスが来たときに、つかめる自分であること」という言葉です。何かの雑誌に載っていた言葉ですが、突然オファーが来たときでも万全であるために、普段から努力を怠らずに準備をする大切さを教えてもらった気がします。私の最近の挑戦は10年ぶりのパリコレ復帰です。実績は関係なく、本当に求められなければ出演できない世界。だからこそ、やる意味があると思うし、やる意義があるんですよね。不安はありましたが、その不安とずっと戦って乗り越えて踏ん張ったからこそ、再びランウェイを歩くことができました。久しぶりに歩いてみたら何も変わっていなくて、やっぱりここが私の生きる場所だなって思いました。 ■エシカルなライフスタイルが心の豊かさに モデルの仕事以外にも〝エシカルライフスタイルSDGsアンバサダー(消費者庁)〞を務めるなど、サステナブルな取り組みにも注力しています。そもそもSDGsを意識し始めたのは子どもを授かってからです。23歳で息子を生んだのですが、自分以外のもう一つの命を持つことの責任について考えるようになったことがきっかけです。自分が食べたものはお腹の中の息子に届きます。私は少しでも安心・安全なものをという思いからオーガニックな食品を摂ることを心掛けるようになったのです。また、普段から購入する品は出来るだけ長く使えるものにするなど、エシカルなライフスタイルを意識するようになりました。日々の生活の中で自分たちにできるサステナブルな取り組みを探すことが心の豊かさ、ひいては人生の豊かさにつながっていくと考えています。コロナ禍で先行きが見えず、不安な日々を過ごしている学生の方も多いのではないでしょうか。私も高校生の息子がいますので、今の学生がどんな思いで学生生活を過ごしているのかと考えることがよくあります。しかし、きっと学校の先生方も学生の皆さんのために今この状況でできることを一生懸命にやってくださっていると思います。皆さんは今の自分に出来ることから一つずつやっていき、短い学生生活を楽しく過ごしていただけたらと思います。 (津田塾大学3年 宮田紋子) INFORMATION 世界的トップモデルがすすめる美しい身体になるための美の食習慣世界的トップモデルは何を食べ、何を食べないのか。 20年以上第一線で活躍するモデルの冨永愛さんが、日々実践している美しい人になるための食事術を大公開しました。 食べることは美しく生きる知恵なのです。 冨永愛 美をつくる食事 冨永愛著 定価:1650円(税込)  発売日:2021年12月1日 発行:ダイヤモンド社 <英文記事> Ai Tominaga  Be yourself to grab opportunities when they come  ■Profile: Debuted at 17 at the New York Collections, it became a hot topic. Since then, she has been a top model at the global forefront of the fashion world. In addition...