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Archive for 運営スタッフ

芸能人

空音 ポジティブな言葉で引き寄せた夢で、聴く人に元気や勇気を与えたい

プロフィール 空音(そらね) 2001年生まれの19歳。兵庫県尼崎市出身。 高校生の時から早耳リスナーを中心に注目を集め、2019年12月にリリースした自身初の1st Album『Fantasy club』収録の楽曲「Hug feat. kojikoji (Album ver.)」のMVは、YouTubeで2,000万回再生超えの大ヒットとなる。 そして、2020年6月24日にリリースされた2nd Album『19FACT』は、Apple Musicの「ヒップホップ/ラップ」チャートで1位、「総合」チャートで6位獲得。 リード曲「Fight me feat. yonkey」は”FM802ヘビーローテーション”をはじめ全国各局のローテーションに選出されるなど、大きな話題を呼んだ。 12月16日には3rd Album『TREASURE BOX』をリリース。ヒップホップのジャンルという枠を飛び出し、幅広いリスナーに支持されるアーティスト。 12月16日に3rd Album『TREASURE BOX』をリリースした空音。誰もが予想していなかったクリープハイプとのコラボ楽曲「どうせ、愛だ feat.クリープハイプ」を含む本作は、20歳を目前にした自身の殻を破り、大人になるさまを表現した特別な作品だという。 虹色よりも鮮やかな楽曲の数々が詰め込まれた本作は、まさに宝箱。 いま勢いが止まらない空音に心境を伺った。 ■母から大事なことは教わった、道しるべのような存在 僕は高校3年の時に就職の内定を辞退して音楽の道に進みましたが、高校生の時には想像すらしていなかった毎日を送っています。一緒に仕事をする人たちの力を借りることで、世界が広がりました。 僕の背中を押してくれているのは、母です。音楽や夢に対する向き合い方、誰かに対する接し方のヒントは、母から学ぶことが多いです。生き方や考え方もそうですし、いくつになってもチャレンジする姿勢を尊敬しています。 母から教わったことのなかに「引き寄せの法則」というものがあります。夢は小さな粒子がいっぱい集まっていて、ポジティブな言葉を口にすればするほど、その粒子は大きくなっていき、夢は引き寄せることができる。母に言葉の力を教えてもらってからは、ポジティブな言葉を口にするようにしています。実際それでうまくいっているので、凄いなと思います。 ■自分は元気や勇気を与える立場でいたい だから、僕が母から教わったように、曲を聴いてくれる人には、「誰でも本気でやったらできる、夢が叶う」ということを伝えたいんです。自分を信じる力と、辛い事を乗り越えられるくらいにそれが好きな気持ちがあれば必ず何でもできます。僕も、アーティストとして作詞するときに苦労しますが、裏を返せば好きなことで悩めていることは幸せなことなんですよね。毎日、細かいところで苦労はあるんですけど、楽しいことが目前にあるので苦労に気付いていないかもしれないです。 たとえネガティブになることがあっても、曲ではそれを見せないようにしています。アーティストは元気や勇気を与える立場なのに、聴いてくれる人がなおさら元気を無くしてしまったら意味がないと思うんですよね。だからポジティブな発言をするようにしています。 僕の曲を聴いて生きる希望をもってくれる、そんな曲を作っていきたいと思っています。 ■3rd Album『TREASURE BOX』への想い このアルバムは、鮮やかな曲と僕の好きな私生活の物を集めた宝箱です。こういう大事なアルバムを、20歳前という大事な時期に出せることがとても嬉しいです。ジャケットの猫は、僕が実際に飼っているペットの猫です。リングも実際に持っているもので、自分が大切にしていることばかりを集めているんです。好きな時に聴いて、好きな時におもちゃみたいに扱ってもらえたらいいなと思います。 「only one」は、夢を持つ若い子が何かを始めるきっかけになればいいな、という思いから作りました。この曲は、僕が「scrap and build」で言いたかったことの第2章になっているのですが、僕の中にたった一つしかない音楽に対する思想も、空音という人間も、やりたいことも、声も、歌に込めることができたと思います。歌詞にある「胸を張って自慢出来る事 客演 呼んだぜ クリープハイプ」って、よく考えたらすごいことですよね。  高校の時にカバーしていたクリープハイプさんと一緒にやれることが、数年前まではあり得ないことだったし、みんなも予想していなかったことだと思うので、良い意味で裏切れたと思います。そういう意味でこの曲は特別です。 19歳で3枚のアルバムをリリースしましたが、今回リリースする『TREASURE BOX』の歌詞や表現の仕方、メロディーを聴いていただければ、僕が段階を踏むごとに自分の殻を破り、大人になっていく過程が伝わるのではないかと思います。 ■自分の音楽が、みんなの生活のBGMになったらすごい 僕は奇跡的にここまで来ることができましたが、やろうと思ったら誰でもできることって世の中にたくさんあると思うんです。誰でも夢が持てる時代なので、僕が好きなアーティストを追っていたように、僕の背中を追う子が出てきても面白いなと思います。 今は、20代のうちに大きな会場でライブをすることが目標ですね。おじいちゃんとおばあちゃんが天国に行く前に、色々なところで活躍しているところを見せてあげたいので、早く叶えられるようにチームに協力してもらっていますし、それ以上に自分自身が良い曲を絶やすことなく作り続けることがベストだと思っています。 音楽って、「聴こう!」と思って耳にすることも大切だけど、当たり前のようにそこに流れていることも大事だと思っているんです。鳥のさえずりみたいに。僕の音楽が、いかに生活のBGMになれるかが勝負です。 ■message 2020年は、やりたいことがあっても、新しく友達を作りたかったりしても、それが叶わなかった人が多かったと思います。でも、夢を追うために大学進学できていること自体が、まずすごいことだと思います。寂しい世の中だと感じているかもしれないけど、みんなで切磋琢磨して、何事も諦めずに頑張ってほしいです。そんなみなさんの背中を押せるアーティストになれればいいなと思います。 学生新聞WEB2020年12月11日取材   明治学院大学 3年 菅井七海 《作品情報》 空音『TREASURE BOX』 発売日:2020年12月16日(水) ※配信のみ12月15日(火)リリース scrap and build [Produced by...

伊東美優

株式会社T S Iホールディングス 代表取締役社長 上田谷 真一

先のことは分からない、だからこそ今できる経験に全力を プロフィール 上田谷 真一(うえただに しんいち) 1992年東京大学卒業後、ブーズ・アレン・アンド・ハミルトンへ入社。経営コンサルタントとして従事し、1995年大前・アンド・アソシエーツの設立に参画。2004年には黒田電気へ転じ、取締役に就任。その後、リテイルネットワークス(ディズニーストア)、クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン、バーニーズ ジャパンの代表取締役社長などを経て、2017年5月TSIホールディングス社外取締役に就任。2020年5月より現職。 TSIホールディングスの社長に就任する以前から、多岐に渡る経歴を持つ上田谷社長。これには多くの学生が驚くだろう。しかしこの経歴は、学生時代から多くのことを経験し、考え、時には苦労した結果なのである。そんな社長が今目指す、海外でも通じるブランドビジネスとは。会社への思い、そして大学生へのメッセージまで熱く語ってもらった。 私は1988年に大学へ入学し、1992年に卒業したのですが、当時はまだバブルで今と比較すると世の中も私個人も気楽な学生生活だったと思います。私はというと、テニスサークルや国際交流団体、家庭教師のアルバイトなど、勉強以外で活発に活動していたほうだと思います。たまたま大学3年生になる春休みに、私は友人に誘われ、とあるコンサルティング会社の学生インターンプログラムに参加しました。当時はコンサルタントという職種がメジャーではない時代で、インターンでも興味深いことばかりでした。仕事上で一番楽しかったのが、論理的な思考を養うという点です。今ではロジカルシンキングもPowerPointも当たり前ですが、「物事を事実ベースで分析し、簡潔に伝える」という工程がとても刺激的だったのです。それだけでなく、大学の同級生の多くが官僚や銀行マンとして就職していく中、コンサル企業を選ぶ人っていうのは大体変わった人が多かったので、そのような仲間に出会えたのも楽しかったですね。このインターンでは大学受験勉以来、最大に頭を酷使した大変思い出深い経験です。インターン後、4年生の間もそのままバイトとして働き続け、翌年入社しました。その会社がブーズ・アレン・ハミルトンです。 ■多くの経営者との出会い、ご縁

伊東美優

株式会社モバイルファクトリー 代表取締役 宮嶌 裕二

不遇な学生時代からの逆転劇、会社設立までの歩みに迫る プロフィール 宮嶌 裕二(みやじま ゆうじ) 1995年に中央大学卒業後、ソフトバンク株式会社へ入社。 株式会社サイバーエージェントに転職し、事業を立ち上げた後、2001年にモバイルファクトリーを設立。位置情報を使って日本全国約9,000の駅を奪い合う「ステーションメモリーズ!」などのゲームや、月額制で楽曲を提供するサービスを展開。2018年からは、ブロックチェーン技術を用いたサービスの開発をスタートさせ、エンタメのアップデートを目指す。 モバイルファクトリーは、創業20年。時代に合わせてプロダクトを変化させ、常に新たな価値を生み出すためにチャレンジし続けている。だが、「起業のきっかけは?」そう聞くと、フィクション映画を語るかのように10代の経験をお話ししてくれた宮嶌氏。誰もが驚く起業までの道のり、そして熱い想いを語ってもらった。 ■不遇な学生時代、のちの決断 実は私が18歳の時、実家の事業が倒産して。当時は連日取り立て屋が来る、まるでドラマのような生活を送っていました。なんとか親戚から援助をもらい、大学進学ができましたが、家からの仕送りはゼロ。自分で生活費を稼ぐ必要があったため、当時、浦和にあった栃木の県人寮に住み、アルバイトを週3〜5日はしていました。このような日常の中で、私はこう思ったのです。「この世の中窮地に立たされると救いがない、力が欲しい」と。そして、その力とはお金だ、と思ったのです。元々ハートは強い方でしたが、この思いが一気に自身の原動力となりました。こうしてお金持ちに、つまり起業家になることを強く決意し、就活をスタート。企業はすべて、起業家になりやすい証券会社や商社を中心に受けました。そして起業家として孫正義さんにあこがれていたこともあり、当時はまだ上場していなかったソフトバンクに入社を決めました。 ■起業までの道のり 当時のソフトバンクは現在と事業内容が異なります。私が行っていたのは、BtoBの営業としてソフトウェアやハードウェアを、大手システムインテグレーターに提案販売することでした。起業家になることが夢だったので、猛烈に働きながら起業の準備も同時進行でしていました。ソフトバンクに5年勤務した頃、サイバーエージェント初期メンバーの1人から、社長の藤田さんを紹介してもらって、自分がやろうと考えていたサービスを話す機会があったんです。詳細を話したところ、「ウチでやらないか」とお声がけいただいて。1人でやるにはボトルネックが多いビジネスでもあったので、1999年にサイバーエージェントに入社することにしました。この頃はまだ、サイバーエージェントが社員10人程度の規模の時代でした。サイバーエージェントでは広告代理販売、メディア開発に従事しました。しかし2年間勤務後、サイバーエージェント内で立ち上げたオプトインメール事業が、GMO社に売却されることになったのです。今後どうするかとても迷いましたが、30歳になっていたこともあり、独立を決意しました。 ■モバイルゲーム事業の背景 こうして2001年に設立されたのが、今の会社となります。モバイルファクトリーは、最初着メロのシステムをレンタルするという事業を行なっていました。それから、他社でゲームのプラットフォームがオープン化していく情勢を見て、2009年頃に我々もゲームでユーザーを増やしていこうと、ゲーム事業をスタートさせました。当時のモバイルゲームは多くがWeb版だったので、よりユーザー体験が快適なゲームを開発しようと思いました。ただ、社員のアイディアを元にゲームを何本も作りましたが、どれもヒットせず。2013年まで、ゲーム事業に関してはずっと赤字続きでした。しかし、数字を見るとたくさん開発したゲームの中でも唯一、継続率が高いゲームがあったのです。それが、「位置情報連動型ゲーム」でした。今では多くのゲームで利用されていますが、当時はニッチだった位置ゲームに可能性を感じ、使える全てのリソースを注ぎました。すると売り上げは伸び、2015年には上場が決まったのです。数字を分析し投資するべき事業を選択して、一点に集中していく。これは、私がとても大切にしている考え方です。やはり、使えるリソースは限られているので力をかけていく場所は絞った方が良いと思います。 また、他社との差別化と聞かれると、それはジャンルそのものだと考えます。実際モバイルゲームは大量にありますが、電車に乗りながら位置情報で楽しむ、というジャンルのゲームはほとんど存在しません。電車で遊ぶというジャンル内では、モバイルファクトリーのゲームは国内最大規模のユーザーが遊んでくれています。 ■時代に合った「楽しい」を提供 私はモバイルファクトリーをゲームの会社だと思ってはいません。当社は、人をハッピーにすること、楽しませることをミッションとして掲げている会社です。つまり、楽しませることがゴールなので、良い意味でプロダクトが何であるかにこだわりはなし。実際にモバイルファクトリーは、創業から3回事業を変化させてきました。着メロから始まり、広告事業、ゲーム事業、そして現在はブロックチェーンを使ったエンタメをアップデートする事業にもチャレンジしています。このように、時代時代に合わせて事業内容も形を変えている。このようなことを踏まえ、私はまず、人を楽しませることが好きな学生を採用したいです。そしてもう一つは、変化に柔軟である学生。手段にこだわらず、その時代に最もマッチした「楽しい」を提供できる方法を考え、柔軟に選択できる人が弊社には合っています。新型コロナウイルスの影響で変化が激しい時代ですが、変化をポジティブに捉えて、主体的に突き進んでいける方を採用したいですね。 ■モバイルファクトリーのこれからの歩み 今後の日本は、人口減少が懸念されていますね。しかし情報技術、科学技術はますます発展し、仕事における生産性は上がっていくでしょう。そうなると、人々は余暇を楽しむ余裕が出てくるため、エンタメはより求められる存在になると思います。その中でも、比較的低単価で楽しめるモバイルゲームなど、我々のコンテンツは需要が高いと感じます。 今の私の1番の願いは、学生時代に考えていた「お金」を手に入れることではありません。モバイルファクトリーのサービスを通してこの世の中の人にもっと便利に、楽しく、ハッピーになってもらうこと。1億人超のユーザーに使ってもらえるようなサービスをどんどん生み出したいです。 ■大学生へのメッセージ まず一言、言いたいのは「日本に生まれた、それだけでとても幸せなことだ」ということです。他の国に行ってみると、生き方を縛られる国が多い。でもそれに比べて、日本はどんな生き方でもある程度多様性を許容される。そして社会に出れば選択肢が無数にあります。挑戦する生き方、安定を目指す生き方。親の期待に沿う生き方、自分の意思で動く生き方。この国には、選択できる自由があります。今を不安がるのではなく、あまり考えすぎずに、多様性あふれるこの世の中を楽しんでほしいです。 学生新聞WEB2020年12月8日取材   慶應義塾大学1年 伊東美優 慶應義塾大学1年 伊東美優 / 駒澤大学4年 如意太一

経営者

株式会社アイスタイル 代表取締役社長兼CEO 吉松 徹郎

誰よりも考え抜く追究心と行動力が新しい価値を生む プロフィール 吉松 徹郎(よしまつ てつろう) 東京理科大学基礎工学部卒業。 アクセンチュアを経て1999年アイスタイル設立。代表取締役社長就任。同年、コスメ・美容の総合サイト「@cosme」オープン。 現在は自身の設立した公益社団法人アイスタイル芸術スポーツ振興財団を通じた芸術・スポーツ分野への助成支援もおこなう他、経済同友会幹事なども務め、活動の幅を広げている。 化粧品業界のプラットフォーム「@cosme」を運営する株式会社アイスタイル。インターネットビジネスの不確実性が高い時代であったにも関わらず、吉松社長には「@cosme」事業の成功に絶対的確信があった。その根底には物事を考え抜く強い追究心に加え、新しい変化を厭わず、行動し続ける姿勢があった。 ■学生時代 当時は受験が大変だった時代なので、推薦をもらえる東京理科大学に進学しました。生物工学科だったのですが、特にその分野に興味があったわけではなく、いかに授業以外のことを充実させるかに力を入れていましたね。部活でアメフトに打ち込んだり、カラオケやピザデリバリー、家庭教師や塾の講師など色々なアルバイトをしたりして、いかに今と違う環境に行くかを意識していました。 ■数多くの内定をもらいながらも就職浪人を決断 生物工学科だったので、医薬系、食品業界を中心に受けるのですが、そこで働くために勉強してきたわけでもないのに、面接ではそういう自分を演じなければいけないことに矛盾を感じていました。そんな中でも、比較的多くの内定をもらえたのですが、そこから選ぶとなると、その会社の年収や資産、評判を基準に比較するしかないんですよね。でもそういう基準は違うなと感じて、「自分はどんな人とどういう仕事をしたいのか」を決めないまま就職活動をしてしまったことを反省しました。もう一度やり直そうと、もらった内定を全て辞退して、就職浪人をすることを決意しました。 外資のコンサルティング会社は当時マイナーな業界だったんですが、自分を成長させてくれるハードな環境だと感じ、最終的にアクセンチュアに就職することにしました。会社に入って1年目は自分の仕事のできなさや、周りとの能力の差に苦戦しましたね。2、3年経って、ようやく会社で評価されるくらいにはやっていけるなと思えるようになってきた頃、ちょうどインターネットが出始めてきました。インターネットで世の中どうなるのか、それをどう会社に活用していけばいいのか、それに対する自分の答えを40代、50代といった世代に説明するんですが、なかなか伝わらなくて、それにストレスを感じるようになりました。そんな時、@cosmeのビジネスモデルを思いつき、起業に踏み切ることになりました。 ■考え抜くことで確信のもてるビジネスモデルへ Amazonの株価が最低だったような時代で、最初はEコマースの市場で利益を出すのは難しいと感じていました。でもAmazonが出版業界から着手したように、本のような定価販売ができる商品を扱えば、日本でも十分利益が取れるのではないかと考え、たまたまその時のパートナーが化粧品会社で働いていたこともあり、化粧品に注目しました。当時は、今のように口コミサイトやデータベースを活用した事業はほとんどなかったんですが、事業計画書を色々な人に見せて、指摘をもらって、改善することを繰り返すことで、確信の持てるビジネスモデルにしていきました。人からの質問は無限ではなく、必ず飽和するので、それに全て答えられるようにしていくと、「このビジネスモデルについて日本で一番考え抜いたのは私だ!」と確信が持てる瞬間が来ます。そこまでやり切ってからスタートすることが大切ですね。 ■本当の競合を見極め先手を打つ 今はたくさん良いサービスを提供している口コミサイトはありますが、本当のライバルはそこではないと思っています。例えば雑誌だと、その領域でどのブランドが強いかを争っている間に、ウェブやYouTubeが台頭してきてしまうように、私たちの本当の競合はEコマースをしている楽天やAmazonかもしれないと考えたりします。これからの社会がどうなっていくだろうということを考えた上でアクションをとることを意識していますね。いかに先々新しいことをやっていくかが大切で、結果としてそれがネットとリアル店舗、両方に力を入れているという現状に繋がります。 ■フラットな精神と意志を持ち合わせる人と働きたい 会社が大きくなって、社員数が増えていくと一種のカオス状態になってしまうんですよね。ジオラマをいろんな人の手で広げていくような感覚なので、それぞれの担当場所できちんと意志を持って動いてくれる人が大切です。自分でこうしたい、学びたい、作りたいといった強い意志や、出来上がったものに対するこだわりを持てる人ですね。それはプライドではなく、誰かのためを思った利他的なこだわりであってほしいし、そういった意味では感度があって素直であることも大切です。偏見や先入観がないフラットな精神で、いろんなものを見聞きして吸収する姿勢がある人と働きたいですね。 ■今後の夢 コロナですべてがリセットされたと思うんですよね。生き方、考え方が大きく変わって、みんながスタートラインに戻ったような感覚がします。今まで通りだったら、将来を見据えて今できること、考えられることは固定化されていたと思いますが、先が見えない世界だと、20年、30年後にどんなことができるか、どんな新しい一歩があるのかを考えることができるのでワクワクしています。何年後こうなっていたいという明確なビジョンがあるわけではないですが、常に考えて行動し、社会に価値を出し続けられる自分でいたいというのはありますね。 ■message チャンスのある時代になったのではないかと思います。就職で苦しんでいる人もいると思いますが、この混乱の中、一旦就職しなくてもいいという選択肢が増えたことで新しいことに挑戦できる人もいるのではないでしょうか。所属することが大事ではなくて、自分で動ける環境を作ることが大事なので、たゆまず、見聞きをして、動き続けてほしいですね。 学生新聞WEB2020年12月3日取材   国際基督教大学 4年 鈴木菜桜 国際基督教大学4年鈴木菜桜 / 中京大学4年梶間直人 / 駒澤大学4年安齋英希 / 津田塾大学3年松本麗奈 / 明治学院大学3年菅井七海

伊東美優

株式会社ボルテージ 代表取締役 津谷 祐司

独自のストーリーにこだわるコンテンツ作りで、世界へ羽ばたく プロフィール 津谷 祐司(つたに ゆうじ) 福井県生まれ。東京大学工学部卒業後、博報堂に10年勤務。 その間、UCLA映画監督コースへ自主留学し、映画を学ぶ。 36才で株式会社ボルテージを創業し、社長に就任。 創業7年目、女性向け恋愛ゲーム第一弾をリリース。 2010年にボルテージを東証マザーズ、翌年に東証一部に上場させる。 2012年にはサンフランシスコにSFスタジオを設立、本人も移住し米国進出。 2016年に帰国。 創業時からの企業理念である、「アート&ビジネス」。実はこのキャッチフレーズの起源は、津谷社長の大学時代にまで遡る。幼少期から創作活動が大好きで、20代では映画留学を経験。そんな津谷社長だからこそ目指せる、ストーリーにこだわるコンテンツ制作とは。そして、ボルテージの強み、魅力について熱く語ってもらった。 ■学生時代 学生時代はとにかくいろいろ経験を積んでいました。例えばアルバイトは、定番の家庭教師だけでなく、ビアガーデンの店員や本屋の倉庫スタッフなどを経験しました。人とは違うことをしたいという気持ちが強かったのかもしれません。アルバイトは辛いことも多かったですが、「客商売」とはこういうものなのだ、と知ることができました。 そして就活の時期が近づき、一旦自分のやりたいことを整理してみたのです。方法としては、紙にどんどん興味のあることを書き出していきました。自分は何がやりたいのか、根本的に何に興味があるのかなど、思いつく限りペンを走らせました。そしてノート一冊分書き上げたところで、一つのキャッチフレーズに行き着いたのです。それが、「アート×ビジネス」でした。昔から工作などのクリエイティブな活動が好きだったのです。それも、出来合いのものを組み立てるのではなく、一から自分で創作するのです。この自分自身への問いかけ、自分と向き合った時間のおかげで、やりたいことの軸が明確になりました。 ■挫折しかけた、あの瞬間 大学卒業後は広告業界である博報堂に入社しました。順調に仕事をしていましたが、2年目のある週末、大学時代の友人数人と、苗場スキー場へ行った時のことです。夜、友人の一人がいきなり、アメリカへM B A留学をすると話し出したのです。驚きました。しかし話を聞くにつれて、私も海外留学に強い関心を持つようになりました。調べてみると、アメリカの大学院には映画学科というのがありました。元々映画や映像には興味があったため、憧れを抱き、すぐに入学出願しようと決断しました。 ただ、合格するのに5年もかかり、その後、渡米した直後も英語でのコミュニケーションの壁にぶつかり、入学早々ノイローゼっぽくになってしまったのです。このままでは授業についていくことさえできないと、入学2日目には休学したいと主任教授にお願いに行きました。「制作人数が足りなくなるから駄目だ」と言われ途方にくれました。そんな時、学生課で紹介された日本人留学生の先輩にこう言われたのです。「10分間我慢して授業を聞きなさい。それができたら、次に1時間我慢しなさい。それができたら、さらに3時間耐えなさい。」と。苦労や悔しさもたくさんありましたが、とにかく負けちゃいけないと頑張りました。 ■起業、そして苦難への道 無事、映画の大学院も卒業。日本へ帰国後、一旦は広告会社に戻り、社内起業としてインターネット事業を立ち上げました。しかし、大組織での意思決定手続きにエネルギーを浪費し、次第に私は事業を会社内でではなく、個人で好きなようにやっていきたいと思うようになりました。そこで、お世話になった博報堂を辞め自分の会社をスタートさせました。36才でした。事業内容としては、知人に紹介されたS F 小説家とストーリーゲームを作り、携帯で配信するというものでした。これは、現在ボルテージが行う物語ゲーム事業の先駆けと言えます 翌年、「バトル東京23」という携帯電話向け対戦ゲームを作り、賞を頂いたりもしました。その後もコンテンツ作りを続けましたが、やはり当時の自分は事業経営についての見識が十分でなく、最初の4年間はずっと赤字でした。初期から二人三脚で頑張ってきた妻である現取締役にも、何度も辛い思いをさせましたね。今では上場企業となり、大ヒットコンテンツも抱える企業となりましたが、当時を思い出すと苦労の連続でした。 ■ストーリーへのこだわり 現在、ボルテージ社員の男女比は4対6となっています。これは採用の段階で特に決めているわけではなく、結果的に優秀な女性が多く入社してくれるからです。やはり大手企業だと女性が活躍できる環境はまだまだ十分に整っていないですよね。我々の企業では男女関係なく、入社間もない頃からゲーム内のコンテンツやイベントの企画を立ち上げることができます。中には、入社数年の社員の企画が大ヒットということも。確かにコンテンツ事業の競合会社はたくさん存在します。 その中でボルテージの魅力は、第一に物語にこだわっているところで、ゲーム性よりストーリーに重きを置いています。例えば、「偽装結婚」というテーマがあり、主人公の女性一人に複数の男性キャラクターが絡んでくる。ゲームとしての面白さというより、映画のように複雑な人間関係やキャラクターを楽しめる、ストーリーとしての面白さがあるのです。それが他社との差別化かと思います。もう一つが、女性向けが中心というところです。女性はストーリー展開や登場人物のキャラへの思い入れが強く、半端なシナリオでは満足してくれません。弊社では、新しいタイトルを作るたび、舞台や人物の設定、プロットを徹底的に議論し、工夫を凝らしています。一部ですが男性向けもやっていて、同様に練り込んでいます。 そのため企業として求める人材は、コンテンツビジネスに覚悟がある人。作るのが面白いと感じるだけでなく、それをビジネスとして成立させていく覚悟がある人、です。現在もさまざまなタイトルを、アプリだけでなく舞台化、映像化などしていますが、今後もさらに大きく発展させていきたいです。 ■大学生へのメッセージ やりたいことが見つからない、やりたいことが多すぎるなど、色々な悩みがあるかと思います。しかし、結局は何か一つに絞らなくてはいけません。ここで気をつけるべきは、消費活動と生産活動は全く別物だという事です。例えばゲームが好きだからゲーム業界だ、と安直に考えないでください。ゲームをプレイするだけなら消費活動であり、仕事にはなりません。仕事は生産活動なので、物語やゲームを作ることに没頭できなければならない。あなたが社会に対して何を生産し、提供していきたいのか、という視点で考えてください。学生時代に自分の軸を理解することは大変重要です。時間をかけて、じっくり自分自身に問いかけてみてください。 学生新聞WEB2020年11月30日取材  慶應義塾大学1年 伊東美優 慶應義塾大学1年 伊東美優 / 津田塾大学3年 川浪亜紀 / 駒澤大学4年 安齋英希

大橋星南

株式会社マネッジパートナー 代表取締役社長 松井 勝史

「ウザい会社ですよ?(笑)でも、仕事も遊びも全力だからこそ結果がでる」 プロフィール 松井勝史 (まつい かつふみ) 1970年北海道夕張市生まれ。 扶桑レクセル株式会社(株式会社大京グループ)、株式会社歩路運での経験を経て、1997年株式会社松井ビル取締役副社長に就任。翌年、株式会社松井ビルサービス取締役副社長に就任。 2003年株式会社松井ビルサービスから株式会社マネッジパートナーに社名変更するとともに代表取締役社長に就任。ビルオーナー業から不動産管理業へ。2015年株式会社松井ビルグループ設立。代表取締役社長に就任。 ■会社の事業内容を教えてください 札幌に特化した不動産会社です。創業48年になります。地元で長くやっているので、情報量が豊富なことと、お客様からの信頼をいただいている点で、他社には負けない強みがあります。自社ビルが17棟あり、他にも、収益ビル・マンションを保有しているお客様や分譲マンション管理組合様から建物管理のお仕事を受託しております。またリフォームや建物保守点検なども行っています。 不動産業は、お客様の人生の節目に立ち会うことができるすごい仕事、かつ責任重大な仕事ですね。 ■どんな学生時代を過ごされていましたか? 小学校3年生の時から少年野球をずっとしていました。中学校に入った時、野球以外のスポーツをしてみようと思い、バレーボールをはじめました。昔の時代だったので、しごかれたり、叩かれたりもしながら、全国大会に出場しました。長年の体育会系部活動の経験から、ハングリー精神ができましたね。 高校卒業後、東京に上京し専門学校に通っていました。専門学生の時は、本当にずっと遊んでいましたね、勉強なんてしていませんでした。そのため、就活やアルバイトもやったことがありませんでした。学生時代は本当に何も考えていなかったですね(笑)。 ■卒業後は何をされていましたか? 専門学校卒業後は、就職をしました。親の伝手があったので、不動産会社に就職することができました。 社会に出てからいきなり飛び込み営業や電話営業などを経験しました。飛び込み営業の仕事は本当に毎日が嫌でしたね。正直、ブラックなところもあったため、同僚がたくさん辞めていきました。だけど、中途半端に投げ出したくなかったため「やるしかない!」という感じでがむしゃらに働いていました。 とにかくやり続けた結果、社内の営業成績1位に。数字に追い込まれていたので、メンタル面などもかなりやられましたが、たくさん成長できましたよ。 不動産業は、一回の取引で何億もの単位の商品を取り扱うところが、とても楽しいところだと思います。なかには、手を震わせて契約書を書かれるお客様もいらっしゃるので、それだけお客様の人生にとって重要な仕事なことに携われていることに嬉しさを感じました。  その後、親の事業が赤字になっていたため、帰ってくるように言われ、会社の経営に携わるようになりました。その後、株式会社マネッジパートナーを立ち上げ、企業理念の再構築、人脈作りなどの全てをやってきました。 ■マネッジパートナーという会社の魅力ってなんですか? 企業理念を、「社員は家族」というテーマに変えました。社員のことを本当の家族のように思っていますし、普通の人がなかなか経験できないことに、触れさせてあげたいと思っています。 ですから、ラスベガスなど海外旅行を計画したり、社内イベントは進行台本までつくるなど、“ちゃんと”遊びます。仕事も遊びも本気なんです。社員一同が家族のように一致団結しています。今はコロナ禍でなかなか行けなくなりましたが、普段は飲み会も多く、みんな深夜2時3時くらいまで飲んでます。ウザい会社ですよ(笑)。 せっかく仕事で何時間も一緒にいる仲間なんだから、楽しく仲良く過ごしたいですからね。飲み会が盛り上がるのは、社員全員が、会社をよくしていこうと頑張ってくれている証拠です。 ■社長として、やりがいを感じる時は? 社長業って、本当に苦労ばかりです。小さいことから大きいことまで瞬時に見極めて、的確に判断していかないといけないので、苦労の数は本当にキリがないです。  でも、そんな苦労を吹き飛ばしてくれるのが、社員の成長です。 皆が高い目標に向かっていき、そこに達成した時にやりがいや喜びを感じますね。社員が主任に昇格したりだとか、成長を見届けられるのが一番のやりがいです。 これがあるから、社長業は苦労があってもやめられないです。 ■どんな人を右腕にしたいですか? 忙しいので、自分のやり方を理解することができて、気配りや配慮ができる若い人ですね。なかなかこのような学生はいないです。今も優秀な右腕の人たちもいますが、若い人たちの中から、そういう人材が私たちの仲間になってくれたらいいですね。仕事ができる人は世の中にたくさんいます。言われたことをきちんとできる人はたくさんいますが、気配りや配慮ができるような人はなかなかいないんですよね。僕と一緒にいれば、経営者やお客様たちが何を考えていて、何を求めているのかなどの感性や感覚を養うことができます。“うそでしょオンパレード”が始まりますよ。よし、これからアメリカ出張だぞ! とかね(笑)。 あとはやはり、経営者になりたいという意識がある人ですかね。もし、その右腕になる若者が想像以上に優秀だった場合は、どんどん出資したり支援すると思います。どんなジャンルでも応援したいです。もしくは今あるこの会社を引き継がせたいです。 ■大学生へのメッセージをお願いします 「何をやればいいのかわからない」って言う大学生が世の中のほとんどだと思います。それでいいと思いますよ。もし今、何がしたいのかがわからなくて悩んでいる大学生は、わからないまま、なんでもチャレンジするのが一番だと思います。  なにしろ、みなさんには強力な武器がある。それは「若さ」です。挑戦する時間がある、失敗しても挽回する時間があるんです。いくら私がお金を積んでも、若さは買えません。 ですから、なんでもがむしゃらに挑んでください。年齢が上がると、眠たくなっちゃって何もできなくなってしまうので(笑)。家にいても何も進まないので、大学生のうちにいっぱい人と会って、交流して、いろんな経験をしたほうがいいと思います。 悩む時間があるのなら、動いてください! 学生新聞WEB2020年10月30日取材 日本大学 3年 大橋星南 日本大学 3年 大橋星南/東洋大学 2年 小島尚美/Simon Fraser University 2年 村田美穂/日本大学 3年 辻内海成/帝京大学 2年 後藤航琉

経営者

rakumo株式会社 代表取締役 御手洗 大祐

仕事をラクに。オモシロく。便利なサービスを提供していきたい。 プロフィール 御手洗 大祐(みたらいだいすけ) 96年日本電信電話株式会社に入社後、企業間取引システムを提供する米ベンチャーとの共同開発に携わる。その後Webサービス企業の創業、米オンラインメディア企業CNET Networks社への同社売却を経て、同社日本法人の代表に就任。2004年には株式会社日本技芸(現rakumo株式会社)を設立し現在に至る。 常により良い生活を実現する革新的なものが何か考え、世の中に広めようとしている御手洗社長。その彼の考えには、どんなものでも「ラクに。オモシロく。」という企業理念が根底にある。新型コロナウイルスのように、世界規模で大きな困難や変化が起こり続ける中、今後どんな人材が求められるのか、必見である。 ■インターネットへの興味 私の大学時代を思い返すと、もちろん勉強はしていましたが、あまり真面目にはしていませんでした。大学の出身は芸術系で、当時の大学の教授は、大学に来るよりも実際に色々な作品に触れることを優先すべきだ、という考えの方でした。そのため、私自身大学にはあまり行っていませんでした。なので、どちらかというと大学外での活動が多かったように思います。特に外部のコミュニティによく参加し、同じような音楽や映像の趣味を持つ人々と交流していました。 そのようなところに参加し活動していく中で、当時はまだ普及していなかったインターネットのことを知りました。その後は、インターネットを活用して知りたい海外のアーティストについて調べたり、海外に行くようになったりもしました。その中で、だんだんインターネット自体に興味を持つようになりました。 しかし大学の専攻が芸術系であったため、当時は学部内にインターネットに繋がる環境がなく、そもそもあまり触る機会がなく、自分で民間のサービス事業者を利用して苦労してインターネットを利用していました。卒業後の進路は、大学院へ進むか就職するか迷いましたが、結果的にNTTへ就職することに。通信事業者であれば、インターネットの仕事に携わり、存分にインターネットを利用させてもらえるのでは?と思ってのことでした。 ■起業のきっかけ 学生の頃は、自分で事業を始めることや、自ら会社を作ることは全く考えていませんでした。NTTに就職してからは、研究開発と事業をつなげる部署に配属され、Web上にある不定形な価格情報を集約して比較することのできるエージェントの研究や開発に携わることができました。一方で、大手企業ということもあり様々なリソースは潤沢にありましたが、事業を進めるスピード感に疑問を感じることも多く、変化の早いインターネットの産業において有益なサービスをタイムリーに実現していけるのか悩んだ結果、NTTを退職しました。 NTTを退職する際に、様々な知人に挨拶の連絡をしている中で、大学時代にアルバイトでお世話になっていた、元マサチューセッツ工科大学メディアラボ所長で、当時はInfoseek Japanという検索サービス企業の会長をされていた伊藤穰一さんから、伊藤さんの個人会社でいろいろとインターネットのビジネスを学びながら新しいことを一緒にやっていかないか、というお誘いをいただき、仕事を手伝わせていただきました。 そうした中、伊藤さんが米国の投資企業から投資を受け、インキュベーションの会社を運営することになる中、私にも何か新しい事業をやってみないか?というお声がけをいただいたこともあり、長年温めていたレビューサイトの構想を事業化してみようと思い立ったのが、私が会社づくりを始めるきっかけであり、スタートでした。私自身、新しいことが大好きで好奇心旺盛な性格です。自分が興味を持ったことは全て、実証したいと思うため、情熱を持って会社作りに取り組めていました。 ■新しいものを生み出す力 仕事をする上で楽しいことは、やはり新しいものをつくり、それらが世の中に広がることです。そして、お客様に「便利になった」と言ってもらえることです。特にメールなどでお礼やフィードバックがあるのは大変ありがたいですね。それに加えて、会社の成長もやりがいになります。社員を含め、人がどんどん成長していくことが楽しいし、やりがいだと思います。ちなみに求める人材としては、誠実でビジョンがある人。多くの視野を持ち、様々な経験をしている人だと、やはり面白いですよね。または、自分のやりたいことや、好きなこと一つを突き詰めている人が会社にいると、やはり面白いと思います。 弊社は比較的小規模な会社ですが、だからこそ風通しの良さを大事にしています。例えば、役職名では人の名前を呼ばず、フラットに接することができる環境です。つまり、どんな立場の人でも言いたいことが言える雰囲気であり、しっかり社長と社員が近い存在として仕事をできていると感じています。社員数は50名ほどですが、ベトナムにも約40名の社員がいます。ベトナムには、素晴らしいエンジニアや、学びに貪欲な学生がたくさんいます。 我々がエンジニアに求めるものとしては、専門性を持ってお客様のことをしっかり考える力です。よくエンジニアは人と接することに不器用など言われますが、やはり仕事をしていく上で、人間をしっかり理解できる人やコミュニケーションできる人がいいです。他にも教養の重要性から、社員一人一人がプライベートでも学びを深めてもらいたいと思っているのもあり、最近では社内で有志による読書会を行なっております。このように、一人一人が主体性を持って学べる環境があると感じます。 ■地域の問題へフォーカス 会社のビジョンである、「仕事をラクに。オモシロク。」に沿って、まずは日本でしっかりサービスを広げていきます。日本の中でも、首都圏の人たちは情報が得やすく、様々なものに投資できる環境があるのに対し、地方ではそうはいかないといった社会的問題が多くあります。そのような不便さを解決していくため、地方にもアプローチをしていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ これからはリベラルアーツが大事だと思っています。どんな業界で活躍するとしても、やはり教養が必要だと思うので、是非見聞を深めていって欲しいと思います。そしていろんなことに興味を持って、チャレンジしてほしいですね。それから、アイデンティティを確立することは大変重要です。「自分とは何か」を突き詰めてください。そして、どんどんいろんな世界に触れ、多くの人と話し、視野を広げてほしいです。 学生新聞web 2020年11月19日(月) 取材 日本大学3年 辻内海成 日本大学3年 辻内海成 / 日本大学3年 大橋星南 / 慶應義塾大学1年 伊東美優 / 東洋大学1年 濱穂乃香 / 東洋大学2年 小島尚美

経営者

株式会社すららネット 代表取締役社長 湯野川 孝彦

EdTechによる教育事業が社会問題を解決する! プロフィール 湯野川 孝彦(ゆのかわ たかひこ) 大阪大学基礎工学部卒。 東証一部上場企業の事業開発担当役員として多くの新規事業を立ち上げる中、2005年に「すらら」事業を社内起業。2010年にMBOし独立。 日本eラーニング大賞 文部科学大臣賞、日本ベンチャー大賞 社会課題解決賞、SDGsビジネスアワード スケールアウト賞など受賞。 2017年東証マザーズ市場に上場。 学力や所得、地域に関わらず全ての子供が楽しく学習できるEdTech教材を提供するすららネット。その誕生の裏側には、創業者である湯野川社長のアイデアと行動力があった。周りに反対されても、自分のひらめきを形にすることで最終的に社会に求められる価値あるサービスが生まれたと語った。 学生時代は、勉強というより、アルバイトに精を出していました。遊園地や百貨店でなどで開催されるキャラクターショーでアクションものの舞台に出演していましたね。平日はチームの仲間とアクロバットや立ち回りの練習をして、土日はステージで披露するというような部活動に近い形で活動していました。毎回新しいストーリーを考えて、お客さんの反応を見ながら企画を進めていたので、自分たちの頭で考えてことを進めるということの楽しさを知りましたね。 ■当時は珍しかった理系でコンサルティング会社へ就職 大阪大学基礎工学部だったので、大体の人はメーカー業界へ就職するんですよね。私もいくつか受けていたのですが、ある時友達の下宿でコンサルティング会社のパンフレットを見つけたんです。当時は理系でコンサルティング会社は珍しかったのですが「こういう仕事もあるのか、おもしろいな」と思い立ったことがきっかけで日本エル・シー・エーに就職することになりました。 ■自分のアイデアを形にする 中小企業のコンサルティングは何でもやるんですよ。人事制度を作ったり、経営計画の策定や管理者研修をしたり。そこでの経験で一通り何でもできるようになりましたね。そんな中、ある夏の日に「これからはフランチャイズだろう」とふと思いついたんです。フランチャイズシステムに特化したコンサルティングをやろうと一人手を上げました。周りにはあまり関心を持たれなかったですけれど、その方向性が非常に正しくて、翌年にはチームになって、その翌年には課になってという形で最終的には事業部にまで成長しました。 ■やりたいことを粘り強く提案し続ける姿勢 コンサルティングだけでは物足りなくなって、当時の社長に実業をやりたいと提案し始めました。最初は「コンサルが実業をやって失敗したら本業がダメになるからタブーだ」と反対されましたね。そう言われつつも、経営計画書に2,3年書き続けたら、ある日社長に呼び出されて「実業やってみるか?」と声がかかったんです。ダメでも諦めずにやっていると何かのタイミングで通ることがあるんですよね。 その後、イデアリンクという子会社の代表取締役社長も兼務することになって、「銀のさら」関西のエリア本部やオムライス専門店の「オムオム」の立ち上げをしたりしました。 ■実業を通して分析する現場主義 教育系に携わるようになったのは個別指導の塾チェーンの支援を手掛けるようになってからです。自分たちも実際に経営をしてみないとわからないことがたくさんあるので、東京の下町で個別指導塾を一つオープンしました。生徒募集などのマーケティングの部分は上手くいったのですが、唯一生徒の成績を上げるというところだけが上手くいきませんでした。 成績が上がる子もいるけれど、学力の低い子は下がり続ける。教える人によってサービスの質に差が出るんですよね。提供すべきサービスの品質が担保されていないという個別指導塾の根本的な業務課題に気が付きました。それならいっそのこと理想のeラーニングを作ってしまおうと思い、社内に提案したのがきっかけで今の「すらら」が誕生しました。 ■教育事業の問題点に気づく 教育事業は裕福な家庭の子をいい学校へ入れるという所にばかりフォーカスしがちなんですよね。塾の商品力は合格実績なので、あまり低学力の子を入れたがらなかったりします。 そこをカバーするのが低学力に強い「すらら」です。緻密に練られたアニメーションでインタラクティブに学習が進められるので、学校で成績がビリだった子やオール1の子でも効果が出るんですよ。ある日、中1の女の子が「生まれて初めて英語の勉強が楽しいと思った」と言ってくれたことがとても衝撃的でした。これは全国一の焼肉屋さんを作るよりも自分にとっては価値があるなと感じ、自分で「すらら」の事業を買い取って独立しました。 2010年の末に独立して、2011年の決算ではマイナス7千万という最初は大赤字の会社でした。門前払いを食らいながら資金調達に歩いている中、たまたまベンチャーキャピタル界のトップブランドの代表がお会いしてくれて、「すらら」の事業に賛同してくれました。このご縁がなかったら続けられなかったと思いますね。2013年には黒字化して、2017年に上場を果たすまで成長できました。 ■社会問題解決につながるサービスを提供し続ける どんな子でもわかるようにという所にこだわり、2017年には発達障害や学習障害に対応したコンテンツも出しました。また、スリランカやインドネシアといった発展途上国でも「すらら」だけで教える寺子屋を設立したりしています。クラウドサービスでは人件費などのコストが抑えられるので、スラム街などでは日本円で500円から1000円程の月謝で提供することができています。日本でも、人口減少が進んでいる地域に「すらら」を導入することで、人手不足や地理的問題にかかわらず塾の経営が可能になっています。今後も、国内外問わず、教育の力で社会課題の解決をしようという姿勢で事業を進めていきたいですね。 ■message これからどんどんと不確実性が高い世の中になってくると思います。自分の頭で考えて無から有を生み出したり、人が気づいていない課題を見つけて具体的に進めたりするような人材が求められてくるのではないでしょうか。失敗を恐れず、自分から色々とチャレンジしてみてほしいですね。 学生新聞web 2020年11月4日取材 (国際基督教大学 4年 鈴木菜桜) 東洋大学1年 濱穂乃果  / 国際基督教大学4年 鈴木菜桜

山本真人

サントリーマーケティング&コマース株式会社 代表取締役社長     ...

与えられたミッションに精一杯取り組む、自分の可能性は自ら閉ざさない。 サントリーマーケティング&コマース株式会社 代表取締役社長 佐藤 隆之 (さとう たかゆき) 1963年東京都生まれ。1987年慶應義塾大学法学部を卒業後、サントリー株式会社入社。2003年神戸大学大学院経営学研究科にてM B Aを取得。入社後は、食品事業部、経営企画、宣伝などさまざまな部署を経て、2017年3月サントリーマーケティング&コマース株式会社代表取締役社長に就任。中小企業診断士、ソムリエの資格も持つ。 角瓶や金麦といった酒類や伊右衛門などの飲料においても人気商品を考案しているサントリーグループ。その一角を担うサントリーマーケティング&コマース株式会社の佐藤社長が、自分を見つめ直して出会った“ものを作る”という仕事。学生時代の不安や、入社後のさまざまな部署での経験を通して感じたことなど、今までの道のりを伺った。 学生時代の不安を経て 学生時代は、家庭教師のアルバイトに精を出していて、友人たちから必殺家庭教師人と呼ばれるほどでした。 家庭教師の日以外はほとんど、誰かとお酒を飲んでいました。バレーボールサークルの練習やゼミの後、そのメンバーや友人との飲み会に参加していました。 私自身、人と楽しく飲むことが好きなこともあり、お酒を飲みに行く機会がとにかく多かったです。お酒は一種のコミュニケーションツールであり、言い換えれば私と友人、仲間をつなぐ架け橋のようなものだったのかもしれません。 楽しい学生時代の一方で、就活を前に将来について不安に思うこともありました。当時、就活は4年生から始める時代で、現在のように大学1年生からインターンや職場見学に参加するということはありませんでした。そのため働くことの実感やイメージがわかず、大学1、2年生の時は「これでやっていけるのだろうか、将来大丈夫だろうか」と感じていました。 その頃、私には特別やりたい職業があるわけではなく、また、自身の力を生かせる仕事が何なのかということも全く分かりませんでした。 そのような不安を抱えながら始めた就活でしたが、当時、金融業や電力関係の仕事が安定していると言われていて、それらの業界のOB訪問を行っていました。しかしある時、そうした業界の仕事は自分のやりたいこととは違うのではないかと思い始めました。なぜかというと、活動を進めていくなかで“メーカー”、いわゆる製造業に魅力を感じ始めたためです。“メーカー”は、商品という実体のあるものを扱います。何かを作るというのは子どものころから好きなことでしたし、そういったこともあり、大きく方向転換し、結果としてサントリー株式会社(現、サントリーホールディングス株式会社)へ入社することとなりました。 サントリーでは、お酒や飲料をはじめ、食品関連の商品を幅広く扱っており、食べ歩きやお酒を飲むことが好きな私にとって、好きなものに接する仕事に関わることができ、やりがいを感じています。 新たなことへ取り組んでいく サントリーに入社し、営業、秘書部、広報部、食品事業部などさまざまな部署に配属され、多種多様な仕事を経験してきました。仕事もそれぞれ全く違うため、異動する度に初めてやる仕事に必死に取り組みました。それは本当に大変で苦労しましたが、そうしたことを精一杯やってきた、という「達成感」と、それぞれの部署において成果を出してきた、という「自信」につながっているのだと思います。 食品事業部時代には、伊右衛門の商品開発や烏龍茶のブランドマネジメントに携わっていました。しかし、新しい商品を生み出すことが出来ても、売れるのは1000ある中の多くて3商品と言われています。僅かなヒット商品を生み出すためには、地道に良いものを作り続けるという強い意志が必要です。同業他社の商品も質が高いため、商品スペックのみで差別化を図ることは難しく、コンセプトメイクとそのコンセプトを伝えるコミュニケーションの統合を図り、ブランドを確立することが求められていると感じます。こうしたブランディングの支援として、今の会社では主にプロモーション領域で貢献しています。 最も重要な、“人と関わる”ということ 仕事に取り組む中で私は“信頼”という言葉を大切にしています。共に仕事に取り組む職場の仲間たちに対し、どのような仕事であったとしても自信をもって任せられる、言い換えれば一人一人を頼りにできる信頼関係の構築を重視していきたいと考えています。 仕事をしていて、「今後の目標などはありますか」と聞かれることがあります。明確な目標と言うより、強いて言うならば、その都度与えられたミッションとも言うべきでしょうか。目の前の与えられた仕事に、誠実に精一杯取り組み、より良い結果を出せるようにする。それが私にとってのモットーに近いのかもしれません。 現在、新型コロナウイルス感染症拡大という未曽有の災禍に見舞われていますが、その状況においてもコミュニケーションは大切にしていきたいと思っています。信頼関係を築いていくために、人と関わることが重要です。在宅勤務などの理由で社員との関わりが例年よりも希薄になっているなかで、社員とオンライン飲み会を行う等、できるかぎり交流の機会を設けるように取り組んでいます。 大学生へのメッセージ 大学生の中には、就活に対しての不安や悩みを持つ人が少なからずいらっしゃると思います。悩みがなくて明確な夢がある人は、その夢にむかって突き進んでいって欲しいです。明確な目標がなくやりたいことが見つからない、というような人は、自分は何が好きなのか、それから自分は何が得意で、何が苦手なのかを見つめ直してみてください。一方で、単純に苦手だからという理由だけで諦めることはもったいないようにも思います。私も学生時代まではレポート等文章を書くことがとても苦痛でしたが、会社に入ってから広報部等で随分と鍛えられ、今では苦手意識はありません。受験勉強や学生時代までの経験は、限られたものです。皆さんは自分の知らない能力を秘めているかもしれない。社会に出て学べることはたくさんあるので、自分の可能性を自ら閉ざさないで欲しいと思います。 学生新聞WEB2020年10月28日取材 (明治大学 2年 山本真人) 駒澤大学4年 安齋英希 / 駒澤大学4年 如意太一 / 明治学院大学3年 小嶋櫻子 / 慶應義塾大学1年 伊東美優 / 明治大学2年 山本真人

イベント・企業紹介

「第一生命 D.LEAGUE 20-21」開幕

日本のダンスの発展と普及、ダンスのプロフェッショナルの輩出を目的とする日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE(Dリーグ)」が2021年1月10日に開幕。 それに先駆け11月15日、都内でプレスカンファレンスが開催。株式会社Dリーグの代表取締役CEO・平野岳史氏、チーフクリエイティブアドバイザー・EXILE HIRO氏、代表取締役COO・神田勘太朗氏らが出席し、「D.LEAGUE」に参加する各チームも登場しダンスパフォーマンスを披露。 今回、Dリーグ平野代表はじめ、チームディレクターたちに意気込みを語っていただいた。 株式会社Dリーグ 代表取締役CEO 平野岳史 株式会社フルキャストホールディングス 取締役会長。業界に就職。“会社員を3年間で辞める”と宣言して、予定通り退職。87年に家庭教師派遣サービスを開始、92年10月に株式会社フルキャストを設立。2001年6月にはJASDAQ上場、2004年9月には東証一部上場を果たす。現在は、取締役会長を務める。 持論は「すべての人には輝く場がある」。 このD.LEAGUEはダンサーたちの夢を叶える場を作りたいと思い、発足しました。他のアスリートや、歌手、俳優の方などは自分が主役となり活躍できる場がありますが、ダンサーはありません。世界的に活躍するHIROさんですら、若い頃は苦しんだそうです。 これからはD.LEAGUEで、将来が明確に見える場を作り、スポーツとしてダンサーが集って戦える、夢を見せる場を提供したいです。 ダンスはやっていない人でも、見ている人が楽しめる、勝ち負けではない魅力もあります。私は娘との話題作りのためにダンスを始めたのですが、体を動かすことの気持ちよさ、見た目以上にハードなこと、振り付けを覚えるのに集中力が必要なことなど、次第にダンスの奥深さに惹かれ、のめりこんでいきました。昔は、ダンスをやっている人は少しダークなイメージがあったように思います。しかし時代は変わり、学校教育にも取り入れられたことで、音楽に合わせて身体を動かす楽しさが広がっています。ダンス人口も増えてきたので、その魅力がD.LEAGUEを通してより伝わるといいなと思います。 今後は各地域からもチームを募集して、全国展開していく予定です。 またD.LEAGUEは世界初の取り組みなので、世界展開も視野に入れています。実は、日本はダンスのレベルが高く、ダンス先進国です。協調性・団結力があるため、チーム戦になると日本のパフォーマンスは圧倒的です。しかし現在、日本でダンサーの仕事だけで食べていくことが難しいため、みんな世界に出ていってしまいます。そのため、D.LEAGUEが日本でダンサーとして活躍できる場になればいいなと思います。 今、大学生で本気でダンスをやっている方も多いと思いますが、卒業後にはダンスをやめて就職をしたり、ダンスを仕事にすることを諦めて趣味として考える人もいると思います。 これからは、D.LEAGUEでプロのダンサーを目指し、夢を掴み取る人が増えてほしいです。また、ダンスをやっていない人でも楽しめる内容となっているので、今後のD.LEAGUEに期待してください。(津田塾大学 3年 川浪亜紀) RIEHATA  『avex ROYALBRATS』 1990年8月生まれ。新潟県出身。「RIEHATATOKYO」プロデューサー。小学6年生からダンスレッスンに通う。16歳で単身渡米し、19歳までの多くの時間をアメリカで過ごす中で、様々なジャンルのダンスを習得。帰国後はその圧倒的なグルーヴと多彩な表現力で、日本のダンスシーンに新風を吹き込む。同時に「SWAG」を最先端のスタイルとして発信し、ダンスのみならずスタイルアイコンとしても存在感を放ち絶大な支持を得ている。これまでに世界各国のワークショップのほか、多数のアーティストの振り付けやMV出演、TV出演等、国内外で幅広く活躍している。 コロナの影響で久しぶりに長く日本にいることになり、日本を盛り上げるためにもやってみようと参戦しました。自分のチームであり弟子でもあるRIEHATATOKYOのみんなに新しい景色を見せてあげたいという理由もあります。もちろん参戦するからにはトップになりたいと思いますけど、ダンス界全体で挑戦する大きなプロジェクトですので、私に出来ることは全力でサポートをしたいという気持ちも大きいですね。野球やサッカーと違って、ダンスは一般の方が応援できる場がないと思うんです。クラブイベントなどだと少し怖いイメージがあるかもしれないし、ダンス界全体で見ると、まだまだ認知度が低い。だから、D.LEAGUEのようなお茶の間でも応援できるような大会ができれば、もっとダンスを知ってもらえると思いました。ダンスって、みんな物凄い努力をしてカッコよくなっているすごいスポーツなんです。アスリートとしてダンサーがもっと尊敬されるようになってほしいですね。いくつものことを同時に頑張ろうとすると、 (学生は受験だったり、バイトだったり、怪我のリハビリだったり、、) 何かのために別のことを休まなきゃいけない時が出てくると思います。でもそれをネガティブに捉えないでほしいです。片方を休んでいても、別の何かに一生懸命頑張っている時間は絶対に人として成長しています。それを乗り越えたらもっとかっこいい自分になれるんだって、ポジティブに考えてほしいです。私自身、妊娠してダンスを休む時は「一年もダンスを休んだら周りとすごく差がついちゃう」ととても怖いと感じた経験があります。でも一生懸命子育てを頑張って、いざ久しぶりにダンスをしたら、「なんかオーラがかっこいいね」って言われました。やっぱり人って頑張っていればカッコよくなるし顔つきも変わる。何かを頑張るために休むのは、絶対に悪いことじゃないんです。たとえ別のことでも、一生懸命やっていれば、そこには成長しかない。それを忘れないでほしいです。 (慶應義塾大学     1年 宮田峻輔) KEITA TANAKA 『 KADOKAWA DREAMS』 2000年以降のダンスシーンに革命を起こした張本人。ストリートシーンで無敵を誇ったBASE HEADSを率いニュースタンダードを確立した。これまで国内のあらゆるアーティストとの共演で経験値も非常に豊富で、一般層への知名度も抜群に高い。また数多くのイベントのプロデュース、音楽プロデューサー、映像プロデューサー、自身のアパレルブランドのプロデュースなどその活動は多岐にわたる。ダンス・音楽・ファッションなど様々なカルチャーからの熱い支持も集める非常に貴重な存在。そんな彼が繰り出すであろうD.LEAGUEでの采配には目が離せない。 D.LEAGUEは、KADOKAWA DREAMSを除く8チームの参加が決まっていて、すでにプレスリリースもされていました。僕は急遽、9チーム目のディレクターとしてオファーをいただきました。プレカンファレンスは11月15日、オファーを受けたのが9月末のことでした。こんな短期間でチームを作れるわけがない・・と思いましたが、D.LEAGUEの理念が素晴らしかったこと、そして一緒にチームを創りあげていく企業がKADOKAWAだったことから、オファーを快諾しました。ダンスのプロリーグの設立は歴史上初の試みなので、歴史の扉を開ける作業はすごく魅力的でしたが、それ相応の反発を受ける覚悟が必要でした。ただ素晴らしい理念のもと、日本に大きな功績を残し続けている他チームのディレクターに名を連ねられることは光栄に思います。また、KADOKAWAの企業理念は「不易流行」、歴史がありながらも新しい事にチャレンジするということです。自分のポリシーである「温故知新」を掛け合わせ、KADOKAWAのメディアインフラに乗せていくことで、ダンスの楽しさをまだ認知していない人にローンチできると思いました。いかに視覚、聴覚、手触り感で届けるか。例えば、好きな曲が使用されていたら身近に感じてもらえるかもしれませんね。そんなダンスと人を結ぶ「フック」が作れたら良いと思います。そして、サテライトなドラマも届けていきたいです。2分間の戦いの裏には、レギュラーになれなかった人たちのドラマが隠されています。それをキャッチアップすることも、D.LEAUGEの隠れた面白さですね。大学生のみなさんには大学での学びを大きな社会に出た時に、応用できるようになっていてほしいです。僕自身も大学で身につけた思考回路は、夢に近づくためのロジックになりました。是非多くのことを知って、自分が目指す方向へ向かうための糧にして欲しいです。そのうちの一つにダンスが含まれていたら嬉しいですね。(明治学院大学 3年 菅井七海) ISSEI  『KOSÉ 8ROCKS 』 6歳より福岡にあるダンススクール「STUDIO MJ」へ通うようになり、ダンスを始める。STUDIO MJのブレイキンチーム「九州男児新鮮組」のリーダーでもある。講師であるSHUVANの紹介で「FOUND NATION」に出会い、メンバー入りを果たす。2012年には世界大会のうちの一つである「R16 KOREA」のソロ部門優勝。その後2013年・2014年と3年連続で優勝を勝ち取る快挙を成し遂げる。その後もISSEIの快進撃は続き、2016年にはチームメイトのWINGZERO、RYO-FLOWと共に日本人初の「Freestyle Session World Final」優勝という快挙を成し遂げる。・その翌月、日本人初にして、世界最年少での「Red Bull BC One World Final」優勝という偉業を成し遂げた。 6歳の頃からダンスを始めて、気がついたらダンスで仕事をしたいと思っていました。なので、D.LEAGUEのお話をいただいて、プロのダンスリーグにぜひ参戦してみたい、楽しそうだと感じました。今回参戦しているチームはとても強いと思いますが、なんとしてでも優勝したいですね。また僕達が踊っているブレイキンは、2024年のパリオリンピックの競技種目に暫定的に加わることが決定 しているので、D.LEAGUEを通じて、たくさんの人にブレイキンを知ってもらいたいです。僕はこのチームを作った時から人気のあるチームにしたいと思っていました。近年ストリートダンスは認知度が高まっていると思いますが、ブレイキンというジャンルはまだまだ認知されていないと感じています。D.LEAGUEをきっかけにダンスをやっている人もやっていない人にも、ブレイキンといえばKOSÉ 8ROCKSと言われるようになりたいです。またストリートダンサーはメディア露出の機会が少なかったので、今ダンスをやっている人にもD.LEAGUEというチャレンジする場があるということを知ってほしいです。ダンサーとして、今やりたいことがなければ、シンプルに好きなことを見つけてやってみることが大事だと思います。またその時に1人で考えすぎず、仲間を見つけられるといいですね。僕自身ダンスを始めたきっかけは友達がダンスをやっていて、その踊っている姿に憧れて始めました。続けられているのも友達の影響がとても大きかったです。たくさんの人に支えられながら、ここまでやってこれています。仲間を見つけたら大事にして、一緒にダンスを楽しんでほしいです。何かに打ち込んでいるとき、周りが見えなくなる瞬間があると思いますが、それが自分の好きなことであり、やりたいことにつながっているのではないでしょうか。(文教大学 2年 早乙女太一) FISHBOY 『 CyberAgent Legit 』 十代前半より頭角を表し、black D.O.G.S.として各世代のあらゆる全国的ダンスコンテストで優勝。ソロバトルでも20歳ごろから優勝を重ね、躍進を遂げる。世界大会「JUSTE DEBOUT WORLD FINAL 2009」 優勝、「SDK EUROPE 2011」優勝の経験も持ち、TVなどのメディアに露出しだすとRADIO FISHを結成。1年の活動を経て、“PERFECT...

企業に聞く

アマゾンジャパン Amazon インセンティブ事業部 統括部長 正村 嘉康

地球上でもっともお客様を大切にする企業をめざす 世界的IT企業として、総合オンラインストアを展開するAmazon。 商品購入や贈答用として幅広く活用されているAmazonギフト券に加え、今年3月から種類別商品券であるAmazon図書商品券の提供をスタートさせた。 日々新しいサービスを打ち出し続けるAmazonの今後の展望について、Amazonインセンティブ事業部、正村統括部長に話を伺った。 アマゾンジャパン Amazon インセンティブ事業部 統括部長 正村 嘉康(まさむら よしやす) 早稲田大学理工学部を卒業後、富士通株式会社に入社。法人営業として小売業界を担当。 2015年3月、アマゾンジャパンに入社。Amazonギフト券、Amazonプライムギフトコード、Amazon種類別商品券を取り扱うAmazonインセンティブ事業部でアカウントマネージャーを務め、2019年11月より現職にて法人向けのインセンティブビジネスを統括。 多様性から生まれるイノベーション Amazonは1995年に創業者のジェフ・ベゾスが本のオンラインストアとしてアメリカでスタートさせました。日本では2000年に事業を開始し、今年でちょうど20年になります。 創業当初から「地球上でもっともお客様を大切にする企業になること」という企業理念のもと、事業を進めてきました。 個人の消費者の皆さまだけでなく、商品を販売する事業者様や、本の著者の皆さまなど、多様なお客様の存在を考えていくと、ビジネスが広がり、様々なサービスが生まれてきます。 そういった世界中にいるお客様のために、Amazonはどのようなサービスを提供していけばいいのか、日々追求し続ける会社でありたいと考えています。 それに加えAmazonが非常に大切にしていることはイノベーションです。お客様の代わりにイノベーションを生み出す。これはお客様のためになる、お客様により良い生活を送っていただくために私たちが提供できる価値です。 イノベーションを生み出すために重要になってくるのは社員の多様性、ダイバーシティです。様々な経歴を持った人たちが意見を交わすことがイノベーションに繋がると考えています。 また、集中できるオフィス空間や、在宅勤務をしやすい環境づくりなど、社員が多様性を発揮するための土台となる働く環境も大切にしています。 イノベーションの作り方としては、第一にお客様のニーズがあります。エンドユーザーとしてのお客様のレビューを常日頃意識したり、法人のお客様と直接コミュニケーションをとったりしながら、様々なニーズにお応えするためのアイデアを得ます。 また、海外のチームと定期的にコミュニケーションをとりながら、一緒にビジネスの構想をブレインストーミングすることも大切にしています。 ニーズに合わせた新サービスを 従来からあるAmazonギフト券はAmazon.co.jpで提供している対象商品およびサービスにご利用いただけますが、2020年3月から、種類別商品券としてAmazon図書商品券の提供を開始しました。 これは「本」のカテゴリーに分類されている書籍や雑誌などの購入に限定した商品券です。 種類別商品券提供の背景には、「何でも買えるものではなく、何かに目的を絞った商品券が欲しい」というニーズが、世界中で高まったことにあります。 エンドユーザーである個人のお客様が本を購入するだけでなく、法人のお客様が福利厚生や商品のプロモーションに活用できたりと、様々なお客様のニーズに、より柔軟に応えるものだと考えています。 種類別商品券として、図書商品券を作った理由は、書籍や雑誌はタイトルや著者名でオンラインでもすぐに検索することができるという利便性に加え、数多くの中から好きなものが選べるのでプレゼント用にも使いたいというニーズが大きかったことです。 Amazonの今後の展開 今後はこの図書商品券を日本全体に普及させていくと同時に、お客様のニーズにあった新しい種類別商品券の提供を次のステップとして考えています。 そのために、種類別商品券以外にも、Amazon全体で取り扱う商品の品ぞろえや価格、利便性を追求し続けていきたいです。 Amazonはその時々のお客様のニーズに応えていくことで、世の中の変化に対応してきました。 今Amazonがすべきことは、コロナ以降、新しい生活様式に対応する中で、お客様が自分らしく生活していくために、どのようなサービスを提供できるのかを考えることです。 図書商品券も、ステイホーム中に本を読むことで、自分の知らなかった世界に触れていただくきっかけになればと思います。 大学生のみなさんに望むこと 「人との出会い」「多様性」を大切にしてほしいと思います。日本のAmazonの社員には約50の国や地域の出身者がいます。国が違うと日本では当たり前のことが通じないことがしばしばです。 多様な経歴に裏打ちされた意見を交換する中で刺激を受けて、イノベーションにつながる新しいアイデアが生まれます。 学生生活はもちろん勉強も大切ですが、いろいろな人と出会い、刺激を受け、多様な考えを持って発信していくことも大切にしてほしいと思います。 また、様々な知識やノウハウ、考え方を学べる書籍と出会うことも大切なので、図書商品券が良いきっかけになってくれるとうれしく思います。 学生新聞2020年10月1日号より(国際基督教大学4年 鈴木菜桜)

政治家

国家公安委員会委員長 武田 良太

その道を極めようと思ったら、周りが見えなくなるくらい無我夢中になれ! ■ プロフィール 1968年福岡県生まれ。1992年早稲田大学文学部英文学科卒業。1992年衆議院議員亀井静香秘書。2003年衆議院選挙福岡11区にて初当選、以来6期連続当選。2007年衆議院法務委員会理事。2008年防衛大臣政務官。2009年衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会理事。2010年自民党遊説局長。2001年自民党福岡県支部連合会会長。2012年自民党国防部会長。2012年衆議院安全保障委員長。2013年防衛副大臣。2014年衆議院外務委員会理事。2015年自民党スポーツ立国調査会 幹事長。2016年自民党幹事長特別補佐兼副幹事長。2016年衆議院決算行政監視委員会理事。2016年自民党地方創生実行統合本部筆頭副本部長。2017年自民党北朝鮮核実験・ミサイル問題対策本部副本部長。2018年自民党安全保障調査会会長代理。 ■ どんな学生時代を過ごしていましたか あまり大きな声では言えないけれど、大学時代は勉強やサークル活動をした記憶があまりないんですよね。大学卒業後に、会社員や公務員になろうとは考えなかった。旅行したり、仲間との時間を大切にしていました。その過程でいろんな人と出会う事が出来たし、学生時代にしかできない経験ができたと思っています。失敗もあったけど、それもいい経験。 ■ 政治の道に進んだきっかけは  叔父が政治家ということもあって、政治の世界には興味がありました。「よし、この道を目指そう!」と覚悟を決めたきっかけは、亀井静香先生の秘書になったこと。ご縁ですね。初出馬から当選まで10年かかりましたが、私自身は当時を振り返ってみても苦労したというよりも、楽しかったなという思いの方が強いですね。 私は10年間で3回落選しています。しかし、選挙を重ねるたびに支持者が飛躍的に増えている実感があった。当選はできなくても、「政治家に着実に近づいている」と考えると、それだけで楽しかった。充実していましたよ。すべてに体当たりして、体で物事を覚えることができた、貴重な時間でした。 ■ 仕事でのやりがいと苦労は 世の中に同じ意見の人は一人もいません。千差万別、さまざまな意見をまとめて法律を作るのは、政治家が頭を抱えるところです。 私たちは明日のお金、一年後の生活が気になりますよね。でも、政治家としては日本の将来のために、いま取り組むべき課題がある。国民に非難されても、やり続けなくてはいけない。そこに葛藤があります。 一方で、そんな苦労の末、自分のやってきたことが人々に光をあてることができた、と思えることがあります。そんなときは、政治家としての喜びを感じます。 また、政治をやっていると、不要な人はいないということを実感します。政治はいろんな人の力を借りないと出来ません。あらゆる問題を解決するためには、いろんな価値観の人と関わる必要があります。 だから、その人の得意分野や才能、良いところをどうやって見出していくかというのが大事だと思っています。 ■ 大学生へのメッセージ 学生時代は自分のやりたいことができるラストチャンスです。固定観念にとらわれたり、既存のレールに乗っかる必要はないです。だから、外国を一度見てみるのもいいですね。 自分の興味のあるものにトライしてみることが大事なんじゃないかな。将来きっと役に立つと思いますよ。 学生新聞2020年10月1日号より( 駒澤大学2年 野上泰聖 )

人事

株式会社光文社 総務局総務部主任 北岡直美

■プロフィール 就活は苦戦し、新卒で小売業に入社するも早期に退職。その後、仕事で光文社に携わるなかで、コンテンツの魅力と社員の個性の面白さに惹かれ、光文社に転職。2016年より採用を担当。 採用HPに「才能×才能=奇跡」という言葉がある。本や雑誌はさまざまな才能をディレクションすることで形になる。ゼロから奇跡的なコンテンツを生み出す出版の仕事について話を伺った。 ■出版業界の特徴について教えてください  出版社の仕事の特徴を一言でいえば「人の心を揺さぶる仕事」ではないでしょうか。たとえば、我々が出版した本や雑誌を通して、読者の知的好奇心がくすぐられたり、ワクワクしたり、あるときは感動したりなど、誰かの心にアプローチできる仕事だと思っています。 また、光文社では創業当時から「読者調査」に注力しています。これは単にアンケートを取るだけでなく、実際にターゲット層の方に直接お会いして話を聞き、雑談の中で読者の悩みや興味を聞いていきます。この「読者調査」から読者にフックのかかる企画が生まれることも多いため、読者との距離が近い出版社であると言えます。 ■どのような人材を求めていますか  いろいろな学生を見ている中で、留学経験があるなど海外の知識も豊富な学生が多く、凄いなと思います。しかし、その学生自身の人物像が今一つ浮かんでこないことがあります。逆に、些細な経験でも他の人より深くそのことについて考えていて、自分の意見をきちんと言える学生には、また会いたくなります。出版社って世の中に絶対的に必要かと聞かれたら、そうではないです。でも、ないと人々の心が少しカサついてしまう気がします。誰かの心に響かせて、寄り添っていくためには常にアンテナを張りながら考えることを止めないで、自分で気づくことがとても大切なんです。もう一つ大切なのは、何に対しても興味が持てること。やはり出版社は人と会うことが仕事なので、どんなことにも面白がって興味を持てる学生は、光文社で活躍できると思います。 ■大学生へのメッセージをお願いします  自分が何に向いているのかは、学生の段階では分からないと思います。だからこそ本当に自分がやりたいこと、好きなこと、伝えたいことは何だろうと、まずは自分の中で噛み砕いてみてください。その上で、いろいろな会社に行ってみて、自分の目で、耳で、その仕事の面白さを感じてみてはいかがでしょう。自分の言葉で飾らずに伝えることはとても大切です。ぜひ学生のうちにたくさんの人との出会いを重ね、失敗や経験を通じて自分の可能性を広げてください。 学生新聞2020年10月号 慶應義塾大学1年 伊東美優

人事

ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社 取締役人事総務本部長...

■プロフィール 1996年慶応義塾大学卒業後、株式会社パソナ入社。2002年コロンビア大学大学院にて組織心理学修士取得。日本GEにて人事マネジャーを経験。2008年ユニリーバ入社後、2013年4月取締役人事本部長就任。2014年4月取締役人事総務本部長就任、現在に至る。 「Purpose」と「Passion」。この2つの〝P〟は、外資系企業を目指す学生にとって、特に重要なキーワードである。 ■業界の特徴や御社の魅力を教えてください  弊社の特徴は「自分らしくある」ということですね。「BeYourself」という言葉をすごく大切にしており、新入社員でもプロフェッショナルとして自分の意見を言ってもらいます。全員がどんどんアイデアを出し、議論し、自分が良いと思ったことをしっかりと発言する。ユニリーバはグローバル企業なので、宗教、言語、文化など、それぞれ国によって違います。多種多様な社員が自由に意見を言うと、もちろんぶつかることもあります。しかし、「どうしてこの仕事をしているのか」ということを話すと、ゴールに向かって一致団結していけます。世界中の社員が「サステナビリティを暮らしの“あたりまえ”に」というパーパス(目的・存在意義)を実現するために仕事をしているのだという共通認識を持っているからです。 ■どのような人材を求めていますか  「Passion」のある人がいいですね。自分の好きなものに情熱を持っている人。それと次の一歩を踏み出せる人ですね。人生にはいろいろなことが起きます。いつもうまくいくとは限りません。グチを言ったりするのは構わないですが、それでも次の一歩を踏み出せる人です。それがないとユニリーバで働くのはとても大変です。なぜなら、解決策は誰も教えてくれないからです。そのような仕事の仕方はして欲しくないし、そもそも世の中には絶対の「正解」はありません。壁にぶつかって辛い思いをしても、次に向かって「じゃあ、こうしよう!」って思える人。それは「Passion」がないとできないので、この2つを持っている人といっしょに働きたいですね。 ■大学生へ一言メッセージをお願いします  「何かしなきゃ」って思わないで欲しいですね。「就職しなきゃ」とか、「良い会社に入らなきゃ」とか。皆さんの周りには、皆さんに幸せになってもらいたくて「、安定している会社に入って」などとアドバイスしたりする人もいると思います。それももちろん大切なことですが、それを聞きながら、あなた自身は何がいいと思うのか、何が響くのかを自分の心にしっかりと問いかけて欲しいです。大学生活はすごく豊かな4年間です。その4年間を就職のことばかり考えて過ごして欲しくないと思います。大学生活を就活のためではなく、人生を考える場にして欲しいです。そして、自らの力で道を切り開き、人生を楽しんで欲しいなと思います。 学生新聞2020年10月号 日本大学3年 大橋星南

濱穂乃香

HJ ホールディングス株式会社 代表取締役社長  於保浩之

先々に残るものをつくるために止まることなく進み続ける ■プロフィール 1985年青山学院大学卒業後、日本テレビ放送網(株)へ入社。営業局勤務を経て、1994年にスポーツ局でゴルフ中継等スポーツ番組制作を担当。その後は2001年人事局人事部、2004年に再び営業局、2007年編成局制作推進部に勤務。2011年から勤務した社長室企画部でHulu日本事業の買収を担当し、交渉成立の2014年からHJホールディングス勤務。 新型コロナウイルスによるステイホーム期間に、配信コンテンツの一部を無料開放したことでも話題になったHulu。日本テレビの社員として様々な経験を積み、Huluの社長となった於保社長だからこそ感じている、社長としてのあるべき姿とは。社長のこれまでの歩みや考え方、これからを語ってもらった。   学生時代はアルバイトに明け暮れていましたね。スーパーのチーズ売り場で働いていたころはチーズ屋さんに就職しようかと思っていたこともありました。しかし、アルバイトをする中で、偶然、日本テレビの方と縁があり、テレビ局でアルバイトを始めました。それが、この業界で働くようになったきっかけです。 当初は、テレビ業界への興味はなかったのですが、スポーツ中継のアシスタントとして働くうちに、人に様々な影響を与えるテレビの面白さに目覚めて、日本テレビに就職することになりました。 しかし、就職して最初に配属されたのは営業部でした。スポーツ中継がやりたくて入社したわけですから、不満がなかったわけではありません。ただ、人事部の方に「スポーツ部でアルバイトをして、このまま新入社員としてスポーツの担当になっても、アルバイトの延長になってしまう。ほかの仕事も経験してから担当した方がいい」と言われた ことは今でも覚えていますし、今考えてみると、とても良いアドバイスを言ってくださっ たと思います。  営業部でみっちり9年働いた後、スポーツの担当になりました。念願のスポーツ担当として働いた7年は本当に楽しかったですね。その後、人事部、営業部、管理部、社長室、と様々な部署で経験を積ませてもらったのち、放送した番組を外部に販売する部署と一緒に、当時アメリカ資本の Hulu と日本事業の譲渡を交渉することになりました。 無事、交渉が成立した後に、「交渉に携わったのだから」と大久保社長(現会長)に推されて、経営経験のない私が、気が付いたら社長として社員の前で挨拶していたわけです。  ■自分がいなくなってから評価される人でありたい  私の根本にある思いは「先先に物を残したい」ということです。そのためには、短期的に考えた中で、今、一番いいことを選ぶのではなく、将来のことを考えて長い目で見たときに最も良い選択をするべきだと思っています。常にそれを意識して、先に何かが残るように考えて行動しています。それが結果になったときが一番うれしいですね。 例えば、スポーツ担当だった際に、ゴルフトーナメントの運営をやる機会がありました。来場者のほとんどが大人 のゴルフだからこそ、一緒に来ている子供たちに楽しんでもらい、将来のゴルフ人口を増やしたいと考えて、練習グリーン上でのパター体験のゲームを子供専用にしたのです。 周りには猛反対されました。 しかし、「もしかしたら、参加した子供の中からゴルフの面白さを感じてプロになる選手が出てくるかもしれない、こ れは将来のための種蒔きだ」とやらせてもらいました。 先を考えて行動をしているわけですから、今すぐの評価には繋がらないかもしれません。社員からの社長の評価は、私がいなくなってから数年後にわかるものだと思いますし、そうであってほしいです。私が社長でなくなってか ら社員が思い返してみたときに「あのときのあれが今につながったのだな、ありがたいな」と良い評価をされるような社長でありたいと考えています。 ■めざすのは「とりあえずHulu」  今の目標は Huluという会社を大きくし、Hulu のサービスを生活に人々の必要なもの、なくてはならないものにすることです。昔の子供が家に帰ったらまずテレビをつけていたり、大人がとりあえずビー ルを頼んだりするように、みなに「とりあえず Hulu」と思ってもらえるようにしたい。 私たちが提供しているのは 「インターネットを通じた動画配信サービス」という形がない商品なので、売ってしまえば終わりではありません。 永遠に改良のできるものですから、常に止まることなく進み、改善が必要です。だからこそ、一緒に仕事をする人は現状に満足せず、常に向上心を持つ人や、改革心を持って変化できる人であってほしいと思います。私は、しつこくて熱い人、好きですよ!  これからは、オリジナル作品を増やすなどして、他サービスとの差別化をはかり、契約してくださる人にとって、 月額933円(税別)を払う価値があると思っていただけるものに、また、Hulu を使ってハッピーになっていただけるものにしていきたいです。 そして、いつか孫ができたら、「Hulu はおじいちゃんが大きくした会社だ」と自慢出来たらいいですね。 ■message  やりたいことに出会えないという人もいると思いますが、今はそれでもいいと思います。逆に様々なことをやれるチャンスがあると考えて、幅広く挑戦してみてほしいですね。 今は就職が一生を決める時代ではないですし、いろんなことにチャレンジできます。 せっかくなので、それを生かしていってください。そうやって挑戦したことが次の目標に繋がるようないい勉強になっ たり、自分自身の財産になったりしていくのではないでしょうか。 学生新聞2020年10月号 東洋大学 1年 濱穂乃香

大学理事長・大使館

学校法人五島育英会 (東京都市大学)理事長 高橋遠  

健康、熱誠をもって社会で活躍する人材を育てる ■プロフィール 1950年東京都生まれ。1974年東京大学経済学 部卒業後、東京急行電鉄入社。2011年専務取締 役就任。その後、東急ホテルズ、東急総合研究所 の代表取締役社長を歴任。2017年日本秘書協会 理事長、2018年五島育英会理事長に就任。 東京都市大学をはじめとする「都市大グループ」を運営する学校法人五島育英会の高橋遠理事長に、これからの社会で求められる人物像を伺ってきました。 ■学生時代から就職後のお話を聞かせてください  私の親族には医学関係者が多く私自身も高校3年生までは医者を目指していました。ただ高校時代に文科系に進学する人が多いクラスだった影響もあり、最終的には文科系の大学に進学しました。スポーツに熱心に取り組んでいたこともあり、アルバイトは家庭教師くらいでしたね。 就職活動に関しては、外交官を目指していましたが、東急電鉄に就職しました。外交官試験のために就職浪人も考えましたがいろんな人に相談をして、早く社会に出たほうが良いとアドバイスをうけて就職することにしました。今回もコロナで就活が様変わりしたと思いますが、一日で世の中ががらりと変わってしまうこともあるので、できることはしっかりやっておくことが大事です。やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい。 東急では、まずは現場を知るということで駅員などを経験したのちに海外部へ配属されました。まだできたばかりの部署で日本の土地開発のノウハウを海外へ持ち込んで展開するという取り組みでしたが、かなり苦労しました。その後はアメリカでMBAを取得し、財務、秘書などの業務に就きました。東急ホテルズの会長を務めたのち、2年前に今の職につきました。 ■どんな学生が社会に求められていると思いますか  人は社会に出たら、決断力、判断力、主体性などいろいろな能力が求められますが、世の中は変化するものなので、変化を人よりも早く察知し、それに対してどう対応するかが特に大事です。 そして、何事も人に伝えられないと始まらないので、かみ砕いて説明できる能力、相手に受け入れられる能力、いかにコミュニケーションがとれるかも大事です。また、これからグローバル化がさらに進み、少子化の影響で世界における日本の立場も変わってくるだろうと思います。それを踏まえて、海外で仕事ができる力をつけるといいのではないでしょうか。英語を学ぶこと。そしてそれだけではなく、英語で日本の文化を語り、自分の意見を言えるかどうかということも大事です。 ■重点を置いている教育はどのようなものですか  データサイエンス教育、グローバル教育の2つが力を入れていきたい教育です。ビッグデータ、AI、IOTなどが深く関わる社会が構築されつつある以上、こうした教育は必要になっていくと思います。そのため、現在は全学生を対象に、基礎的なデータサイエンスを学ぶ授業を取り入れています。 グローバル教育としては、オーストラリアへの4ヵ月間留学などがあり、毎年300名ほどが留学しています。TOEICのレベルが高い人はニュージーランドで学べるプログラムがあり、年間名までが参加できます。 海外でのインターンシップにも力を入れていましてね。東急グループの会社や取引先、OG、OBのネットワークを駆使して、3週間ほど行けるようなプログラムがあるんですよ。このインターンシップの仕組みは、本年、文部科学大臣賞を受賞しました。 ■大学生へのメッセージをお願いします  初代理事長の五島慶太が大切にしていた言葉として「熱誠(情熱、誠実)」というものがあります。失敗と成功の分かれ目において健康、熱誠があれば必ず成功するということを表しています。 学生の皆さんにはこの言葉を咀嚼して、新型コロナウイルスによる社会の変化に負けることなく、物事に対して情熱をもって誠実に取り組んでほしいと思います。 このような生活態度をとっていれば自らの成長をしっかりと自覚できるはずです。 学生新聞2020年10月号 武蔵大学4年 飯岡樹生

如意太一

株式会社ブシロード 代表取締役社長 橋本 義賢

感謝と笑顔を世界に届けたい日本のエンターテインメントを世界へ発信 ■プロフィール 慶応大学理工学部を卒業後、日本IBM株式会社を経て、1995年に株式会社コスパを設立、代表取締役社長に就任。2006年タブリエ・コミュニケーションズ株式会社(現コスパグループホールディングス株式会社)の代表取締役社長に就任。2012年1月から株式会社ブシロード顧問、2015年9月同社取締役、2017年10月同社代表取締役社長就任。 すべての人に“楽しい”という喜びを届けることを目標に掲げ、日本の強みであるアニメコンテンツを世界へと発信しているブシロード。商品の提供だけでなく、お客様を楽しませるイベントを提供し、「笑顔」と「ありがとう」がやりがいだという橋本社長。そのアニメ業界への熱い思いを伺った。  大学生の頃は社会経験を深めたいという思いが強かったため、イベントの企画やプロデュース、広告などを中心としたサークルに所属していました。学園祭で企画やビジネス、スポンサー営業などをやってきましたが、チケットを売らないと収益が出ないこと、スポンサーをつけることによって収益を増やせることなど、さまざまな活動を通して世の中の仕組みやお金の稼ぎ方を学び、実践することの大事さを感じました。 ■始まりはヨーロッパで聴いた日本のアニメソング  私はいつか独立したいと考えていました。どんなモノやサービスを提供したいかということよりも、とりあえず起業したいという考えが先でしたが、まずは社会を学ぼうと思って日本IBMに入社しました。  独立するなら輸出できるものをビジネスにしたいと考えていたのですが、車のようなハードは資金がかかり、ベンチャー企業にとってはなかなか大変です。日本の強みを活かしたものをと考えていたこともあり、ソフト産業のアニメに行き着きました。ヨーロッパ旅行をしたとき、ロンドンでもパリでも日本のゲーム キャラクターはすでに人気だったし、聴いたことのあるアニメソングが流れており、現地の人たちが楽しんでいたのです。日本のアニメ、コミックというジャン ルにポテンシャルを感じました。そこでコスプレを楽しむ場としてのイベントを開催する事業を始め、その後、コスプレ衣装の事業も手がけました。 ■お客様からの感謝と社員の成長がやりがいに  独立というのは、良くも悪くもやったことすべてがそのまま返ってきます。売上をあげればその分が手元に入りますが、在庫もすべて自分に跳ね返ってきます。しかし、それ自体が得難い体験です。イベントに参加したお客様から「ありがとう」と言われたり、差し入れをいただくことがあり、お客様たちが楽しむ姿や 笑顔を作り出す環境を提供できることに喜びを感じました。 社員数が400名を超えたことから、現場を任せること も多くなりました。すると、これを君たちだけで仕上げた の?と聞きたくなるような見事な成果を見せてくれることがあります。若い社員たちが 私の想像を超えた結果を出したり、私には思いつかないアイデアを生んで、成長している姿を見ることは、私にとってのやりがいとなっています。 ■信頼される人、利他主義の人と仕事をしたい  社員や取引先、友人など周りの人から信頼されている人はすばらしいと思います。信 頼を集めることには長い時間がかかることもありますし、相手にとってメリットのあるものを提供しなければなりません。向上心がある人や、利己主義ではなく利他主義という考えを持つ人は周りから信頼も集まり、結果として仕事 も成功します。 社会に出ると自ら稼ぐ力を持たなければなりません。自分の手で仕事を作り上げ、協力した人に対価を払い、売上を生むというサイクルを構築できる人は尊敬に値します。 大事な点はお客様や同僚に対して付加価値を提供することが先で、自分が対価を得るのはその後ということです。親からお金を払ってもらっている立場から考えを切り替えられる人と働きたいです。採用を考えるときはそうしたところを見ています。 ■伸びている業界からコンテンツを世界へ発信  ブシロードグループでは文系、理系を問わず、巻き込む力、プロモーション力、プロデュース力や企画力などにたけている人材を採用したいと考えています。  コンテンツ事業はメディア業界と表裏一体です。世の中はアナログからデジタルへの変化が加速しており、一般の方のライフスタイルもかつてアキバ系といわれたようなオンライン中心のコミュニケー ションに移り変わってきています。生活のオンライン化が進んだことは業界への追い風 になっています。 これからは2世代で楽しめるコンテンツや、お客様に飽きられないために新しいコンテンツ、サプライズを組み入れ、半永久的なモノを作っていきたい。また、日本のコンテンツが海外に受け入れられ、世界中にアニメファンが増えているため、グローバル化に重きを置き、IP(知的財産) を生み出して世界へ供給して いきたいと思っています。 ■message  コンテンツ業界は若くないとできない仕事です。コアターゲットが10〜20代で、大学生は若者の情報や何が欲しいかわかるため、優位性が高い。しかしビジネスに変える力が足りない。この業界は作家やイラストレーターなどいろいろな職種の人と関わるため、人を巻き込む力が特に必要です。積極的に人と話し、相手にメリットを提供できる、利他的考えを持てるように頑張ってください。 学生新聞2020年10月号 駒澤大学 4年 如意太一

梶間直人

ハラミちゃん

■プロフィール YouTubeを中心に活躍しているポップスピアニスト。YouTubeでの動画総再生数1億5000万回以上、チャンネル登録者数60万人(2020年9月現在)。キャッチフレーズは“絶対音感でお肉が大好きなピアノ弾き”。  ピアニストは固いというイメージを壊すために「ポップスピアニスト」として活動しています。技術よりも感情をあらわすような演奏を心掛け、寄り添うことをテーマにしています。カメラ目線を意識して、目が合った感覚というか、高揚感をファンの皆さんに与えて、ちょっとドキッとするような要素も入れて定着させています。 ■大学生へのメッセージ  自己ブランディングとは自分を知り続けることだと思います。「明るい」「活発」など、ふわっと捉えているとブランディングは難しい。例えば「癒し」といっても、いろんな種類があります。細かいレベルで、自分はどういう存在なのか分析してみてください。自分を知ることを恐れずに、人からもどう見られているか聞いてみてほしいです。 学生新聞2020年10月号 中京大学4年 梶間直人