• 運営スタッフ
  • HOME
  • 運営スタッフ

Archive for 運営スタッフ

人事

株式会社IDOM 人事チーム チームリーダー 木岡竜一

100年に1度の大変革の時代を、ビジネスチャンスに変える ■プロフィール 2004年に新卒で入社ののち店舗営業にて、店長まで経験。そののち本社へと異動しFC事業推進、海外事業部などを経て、現在は人事チームチームリーダー兼、経営戦略室メンバーとして従事。 ガリバーを始め、全国に約500店舗を展開する自動車販売業最大手のIDOM(いどむ)。2016年に現在の社名に変更して新たなステージを目指す同社に、業界の魅力と学生への期待を伺った。 ■自動車販売業界の特徴と魅力をお聞かせください  現在、自動車業界に「100年に1度の大変革」が起きようとしています。車は購入するという「所有」の時代からカーシェアやサブスクリプションなど、「利用、共有」の時代に広がっていくことが特徴ですね。それは激動の荒波に直面することを意味しますから、そこに対応していくのが業界のこれからの面白さです。 また、この業界は参入企業数がたいへん多く、最大手の当社ですらシェアは一桁です。現状のビジネスにおいてもまだ伸びしろはあるでしょうし、いまはまだ見えていないビジネスの空白領域もあるでしょう。これからは社会、お客様に対して、車にまつわるさまざまな提案をして行きたい。そうすることで選択肢が増え、そこにビジネスチャンスが生まれると思っています。 このように明確な将来像が見えていないということは、つまり自分たちで新しい業界、仕事のあり方を創っていくことができるということです。ですから、働いている人全員が主役になりうるのです。 また販売、小売という仕事はお客様との関係性が深められるのも魅力で、何百万円も支払ったお客様から、逆に「ありがとう」と言われます。お客様に名前を覚えてもらえる、「あなたから買いたい、あなただから買った」と言われる。この嬉しさを知ってしまったらもうやめられません。 ■どのような人材を求めていますか  自主性だけでなく「主体性」を持って、自ら物事に取り組もうとする人材を求めています。それから、自分の可能性を信じている人。 そういった人材になるためにも、大学生の皆さんには今のうちにさまざまなことを経験して欲しいと思います。いろいろなことを経験して、人と人には価値観の違いがあるということを知り、さまざまな価値観を受け止める準備をしておいてほしいと思います。そのことが、お客様への対応やコミュニケーションの質をあげることに繋がります。 当社では、入社時にどんな職種を希望していても、必ず店舗勤務を経験してもらいます。そこでお客様にどのように接したら喜ばれ、どんな提案に興味をもってもらえるか、あるいは何をしたらクレームにつながるのかを知ってもらうなど、まずは実態を捉える機会を提供しています。どんなサービスでも、お客様に受け入れられないものは先がない。店舗勤務を原体験として、次のフェーズに進んでもらいます。 また、社員に対しては「この会社の経営者であるという意識で仕事をしてください」と伝えています。会社は一人ひとりの社員にとって「、自分の場」であるということです。社内の文化として「議論の前では平等」という言葉があります。誰であろうとどんどん提案して、言わなければいけないことは言うといったことを推進するためです。 ■大学生へのメッセージをいただけますか  受験を除けば、就活は初めて社会から諾否を出される難関ですが、就活に成功や失敗といった「結果」はありません。その後の就労あるいは転職など、人生を過ごしていく通過点に過ぎない。就活で何かが決まるとは思わないでください。当社のトップセールスは4年連続女性ですが、たとえば事務志望だった人が営業で大活躍している。自分の可能性を信じ、自分を肯定していただきたいと思います。 学生新聞2020年4月号 文教大学1年 北島麗音

北島麗音

スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社 代表取締役最高経営責任者(C...

人々の生活に活力と潤いと居心地の良いサードプレイスを ■プロフィール 上智大学卒。イタリア ボッコーニ大学経営学修士課程修了(MBA)。LVJ グループ株式会社 ロエベ ジャパンカンパニー プレジデント& CEO を経て、2014 年、スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社入社。最高執行責任者(COO)就任。2016年 6 月より現職に就任し、日本市場をリード。 昨年、全国の店舗数が1500店を超えたスターバックス。人々の暮らしの中に溶 け込み、新しい価値を生み出してきた背景には、人を大切にする文化があった。 グローバル企業のブランド価値を高めることに手腕を発揮してきた水口CEO が、どのような姿勢でスターバックス経営に臨んでいるのか、お話を伺った。  大学の部活は体育会系のゴルフ部に所属していました。就職を間近に控えた時、自分はどんな生き方をしたいのか、といったことを真面目に考えるようになりました。そこで自分を見つめ直すため、アメリカに旅立ったんです。滞在期間は2ヵ月でした。 日本に帰ってきて就職を考えたのですが、日本企業はしがらみがある印象だったので、 外資系のコンサル会社に就職、自分がやりたいことを見つけたくて、夢中になって働きました。そこで思ったのは、「何かを感じたら、一歩踏み出してみる。そこから何かが学べる」ということです。 ■スターバックスの社会性に共感 前の会社に勤めていたとき、そのお客さんだったスターバ ックスの前CEO、関根さんから、「うちの社長にならないか」と誘われたのがスターバックスとの縁の始まりです。 入社を決めた理由は、スターバックスが大事にしている社会性です。 利益はあげていかなければいけないけれど、そこにはステークホルダーがいて、お客様がいて、スタッフがいるという視点がきちんとある。そして、社会貢献が出来ること。各店舗の周辺地域に貢献活動をしていることも魅力だと感じました。 それまでとまったく違う業界に入ることになり、人脈のネットワークがなくて大変でしたが、新しい人脈が次々とできることが楽しかったですね。 ■すばらしいパートナーたちを支えるスキル  この会社はいい人がすごく多いんです。人のために何かをすることに喜びを感じるパートナー(従業員)ばかりなので、とても空間の心地が良いですね。全国1581店舗、約4万人のパートナーが自分のことのように働いてくれています。 1店舗1店舗がそれぞれのビジョンを作っていて、思いを持って仕事をしています。このすばらしい人たちをちゃんとした方向へ導くことに対して責任を感じています。 パートナー全員に伝えている、「スタースキル」と呼んでいるものを紹介しようと思います。①人の話をちゃんと聞く、②自分に自信を持つ、③困ったら助けを求めて聞く。 これはコミュニケーションを円滑にする秘訣で、この3つが揃えば、コミュニケーションはきちんと回ります。 ■自分を持っている人と働きたい  私は、創業者ハワード・シ ュルツの「働く人を大切に、一緒に働いている人たちがどう感じるか?」という考え方に共感しています。パートナーのみんなを引っ張っていく者として、何か意思決定を行わなければならない時は、店舗に行き、パートナーからエネルギーをもらって決めるようにしています。仕事のエネルギーをいちばんもらっているのはパートナーからです。 私は、人間力が高い人と一緒に働きたい。例えば、自分を持っている人、考える力がある人。間違っていてもいいから自分の意見を言える、好奇心旺盛でチャレンジする人に仲間になって欲しい。特に、人として尊敬できる人や、相手のことを考えられる人がいいですね。 商売は一人ではできないし、一人の力は小さい。チームで動いて、その力を大きくすることが大事です。働く人たちが自分の想いをこめながら、どう動けるかという環境作りが必要で、これからはそれを実現するリーダーがもっと必要とされてくるのではないでしょうか。 ■ミッションをどのように実現していくか  私たちのミッションは、毎日全国の店舗に来られる80万人のお客様に寄り添い、出来るだけ多くのお客様に元気になって帰ってもらうことです。ハッピーは人とのつながりで 生まれてくるものだと思います。もちろん、これから OurMission & Values の届け方は変わってきます。デジタルと融合させたサービス展開や、地域に根付いた成長を考えるべきです。また、もっと多様な人に働いて欲しいので、同じ付加価値を提供するにも方法をシンプルにしていかなくてはいけないと思っています。 ■message  今 、自分がやりたいことは何だろうと考えて、分からなかったらそれでもい い。分からない自分を責めないこと。見つからないなら、ちょっとでも自分が興味のあること、やってみたいことに一歩踏み出す。何でもいい、思いっきりやってみて、違ったと思ったら、そこから学んだことを活かしてまた次のことにチャレンジしてみる。何もせずに、踏み出さないことが一番のリスク。立ち止まらずに、やることが大事です。 まだまだこれから何でもできる。自分は何でもできると信じきることができれば、いつでもスタートできる。変化に富んだ面白い時代に生きているのですから、リスクと捉えるのではなく、チャンスだと思って挑戦してみてください。皆さんが無限の可能性を持っていることを感じてほしいと思います。 学生新聞2020年10月号 文教大学2年 北島麗音 / 専修大学4年 石岡慶也

学生新聞インターン

株式会社オークローンマーケティング 代表取締役会長兼社長 ロバート・W...

仕事を成功させるには 実力と運、そして高い志が必要 株式会社オークローンマーケティング 代表取締役会長兼社長 ロバート・W・ローチ 米国イリノイ州出身。1983年南山大学日本研究センターの交換留学生として来日し、1986年法学部の研究生として再来日。1985年、イリノイ州立大学で経済学、日本学の学士号を取得し、1988年、デンバー大学ロースクールで法学位を取得。1993年、中村規脩と株式会社オークローンマーケティングを共同設立し、現在に至る。 テレビ通販でおなじみの「ショップジャパン」を運営するオークローンマーケティング社。代表取締役会長兼社長のローチ氏は、交換留学生で来日した苦労人だった。しかし、持ち前の柔軟な思考とクリエイティブな発想で会社を大きくしていった。ローチ氏の成功哲学を聞いた。 私はアメリカの州立大学に通い、名古屋にある南山大学の交換留学生として来日しました。そして、州立大学を卒業したのち南山大学に再度来日し、法学の勉強をして、その後、デンバー大学ロースクールを卒業して弁護士になりました。今思えば結構大変な学生生活でした。学費も自分で払っており、大学生になった頃には、自分の力でビジネスを立ち上げることを目指していました。 オークローンマーケティング社は、25年前に創設し、現在は子会社を含め50社以上の企業に携わっています。しかし、ここまで順風満帆にきたわけではなく、初めは失敗も多かったのです。日本でビジネスをスタートしたばかりのころは、口座を持っていないことを理由に取引ができなかったという経験もあります。このようなさまざまな失敗を糧にしながら成長してきました。 私は昔から、日本の良いところとアメリカの良いところを伝える仕事をしたかったので、両者の良いところだけを取り入れ、悪いところは反映させない、ハイブリッド型の会社を築いています。たとえば、社員各自に決まった席はなく、自由にどこに座って仕事をしてもいいというフリーアドレス制を導入したり、社員が最大限のパフォーマンスを発揮できるように、ドメスティックな環境にはしないようにしています。 多様性を受け入れ 共感性を持つことが大切 私が社員として必要とし、一緒に働きたいと思う人は、多様性を認める人です。たとえば、海外への留学経験がある人や外国語が話せる人は、他の国の言葉を勉強することで共感性が高くなり、柔軟な思考の持ち主になります。また、自分の考えを持っており、何故そう思ったのか理由も明確に説明できる人(勘ではなくデータを照らし合わせる人)です。そして、ココぞ! というときに使える実力と運を持っている人が良いですね。成功というのは実力も必要だけれど、ときとして運もなければならない。運を掴むためには、共感性を持つことが大切だと思います。そのためには、日々のいろいろなことを吸収する必要があります。 人生は一度きりだから  自分に合う仕事を探す 若いうちから高い志、目標を持つことをお勧めします。どんな小さなことでも構いません。これは私の息子の話になりますが、彼も大学生の頃、将来の目標が定まっていませんでした。息子には弁護士資格を取れば好きなことをしてもいいと言っていました。それは、アメリカでは弁護士とビジネスが両立するからです。やりたいことが決まっていないのであれば、弁護士資格を持っていると後々ビジネスをする上で有利になると助言しました。 当社の社員には、本人が挑戦したいと思う仕事をできるだけ経験してもらいたいと思っています。当社には、多種多様な部署があり、同じ部署に在籍し続けることもできますが、部署の異動の機会もあります。新入社員の中には、入社後3年で3回部署移動したものもいて、自分に合ったキャリアを探すことができます。このような仕組みにしているのは、人生は一度きりしかないためで、今の仕事に違和感があったり別の仕事に挑戦したいと思ったら次のステージに進んでほしいと思うからです。生活と仕事は一緒ですよ! 今でも私は社内を周り、社員との距離を縮めています。毎年仕事始めに社員と一対一のミーティングをしています。話す内容はさまざまですが、個人のキャリアプランについてアドバイスをすることもあります。たとえば、起業したい人がいれば、私はいつでもアドバイスできる体勢を作っています。これからの時代は、最初に入った会社で生涯働くということ以外に、選択肢がどんどん広がっています。 大学生へのメッセージ 人生100年時代と言われる今、自分の好きなことをした方が良いです。仕事のためのシゴトはしなくていいと思います。そして、第一歩が大事です。これから就職活動をする学生の皆さんには、企業の業務や理念を研究して詳細を知り、入りたいなら全力でアピールをするべきです。人に頼らず、自分の力で自分を売る、ということです。私自身も新たなビジネス展開など、常にチャンレンジしていたいと思っています。 学生新聞2019年10月31日号より(駒沢大学3年 安齋英希/早稲田大学2年 森泉朝陽)

学生新聞インターン

株式会社日能研関東 代表取締役社長 小嶋 隆

空想、創造、妄想力を鍛えよう! 便利な時代の大切な能力 株式会社日能研関東 代表取締役社長 小嶋 隆(こじま たかし) 1968年横浜市生まれ。中学・高校・大学を成城学園に学ぶ。大学卒業後、富士銀行勤務を経て㈱日能研関東取締役副社長に就任。株式会社三和総合研究所に出向し、コンサルティング業務を担当。2006年6月㈱日能研関東代表取締役社長に就任、現在に至る。その後㈱ガウディア・私立学校奨学支援保険サービス㈱・㈱私学妙案研究所を設立し、いずれも代表を務める。 父親が創業した会社にあえて入らず、他社に就職。自分の好きではない分野に挑戦し、その間、培ったアイデアを持ち帰り、本業に活かすことを考える。教育においてはAI化による受験指導を憂い、生徒と教師のつながりを大切にする人間力による教育を説く、小嶋社長の夢と喜びとは――。 学生時代は、バイトと部活のゴルフに明け暮れていました。ちょうど世の中がバブルの時代だったので、羽振りがよかったですね。キャディーをやるだけで結構なアルバイト代がもらえて、そのまま練習もできて、更にゴルフ券までもらえたんです。いい時代を生きましたね。 「好きじゃない方」を選択し、発見を得る  日能研は父が創業した会社ですが、私はファーストキャリアには選びませんでした。もっとも、いつかは戻れると思っていたので、自分のキャラじゃない分野、好きじゃないものに挑戦してみようと思い、銀行に就職しました。8年ほど銀行・総研など金融機関にいて、いろんな業種の話を聞くことで、日能研という会社が、実にいい資産を持っていることに気がつきました。「やる・やらない」「できる・できない」はさておき、物事を考えることが好きで、日能研でこんなことができるのではないか? と日々アイデアを書き留めていました。それで、時期を見て、父に戻りたいと伝えて日能研に戻らせてもらったのです。  私は、最初から日能研へ就職していたら、新しい発見はなかったと思います。たとえば、サークルの飲み会でも、普段あまり接点がない人と話すようにします。好きなものにはいつでもすぐに戻れるから、あえて好きじゃないものを選ぶという発想を大事にしています。  休日はゴルフや筋トレをしていることが多いのですが、その他にも、いわゆる「流行のもの」を体験することも多いです。食べ物、映画、本、アプリ、ライブ、観光スポットなど。世の中で流行っているということは、そこに何かしらの理由があるわけです。そのヒットの秘訣を見つけ出し、「自分が応用するならこうかな」なんて考えたりする。これって、ビジネス上、そして生きていく上でも大事なことだと思っています。  何より、楽しいですしね。私は、考えることが大好きなんですよ。こんな風に(ネタ帳を出しながら)、面白いと感じたことをメモしたり、写真を撮ったり、スクラップしたりして、その脇に「日能研でこうやって応用できる」ってメモを残しているんです。  日能研の特色は、「中学受験しかやっていない」という点です。中学・高校・大学受験の全てに進出する塾が多い中で、我々はこれまで中学受験しかやってきませんでした。今後もやるつもりはありません。  他社は、万が一生徒が中学受験に失敗しても、高校受験・大学受験コースで教え続けることができるのですが、弊社にはそれができません。中学受験一発勝負。そういう意味では、ビジネス的には大きなリスクをとっているのかもしれません。しかし、裏を返せば、それくらいの覚悟で やっているということです。  ではなぜ、そのような決断をしているのか。それは、リソースを分散させたくないからです。いろいろ展開してしまうと、中途半端になる箇所が出てきてしまう。だからこそ、いつまでもシンプルでいたいと思います。  仕事でも何でも、「何をしないか」を決めることが大切だと思います。その方が楽になります。 中学受験塾のAI化は成功しない  子どもたちが喜んでくれた瞬間、それこそが私たちの生きがいです。大きいことだと「行きたかった中学校に合格した!」とか、小さいことだと「難しい問題が解けた!」とか。そういう喜びって、生徒と面と向かって授業をしていなければ生まれないと思うんですよ。特に小学生などは、面と向かって授業して、時には頭を撫でて、大げさにでもほめてやる──。  そうやって授業をしないとダメだと思うんです。そういう意味で言うと、他の年齢・分野の教育はどうか分かりませんが、中学受験塾はAIに取って代わられることはないんじゃないかな。だって、生徒と教師とのつながりが命の業界ですから。 * message * 空想、想像、妄想。この3つのことを特に意識してほしい。便利な時代だからこそ、こういう能力が大切になってくると思うんです。空想、想像、妄想をして考える習慣がある人は、きっと仕事もできるし、人気者になれると思います。人間の考える力というのは凄いものなんですよ! 学生新聞2019年10月31日号より(慶應義塾大学4年 小川淑生)

学生新聞インターン

株式会社エボラブルアジア 代表取締役社長 吉村 英毅

考えるよりも先に行動する その方が最適な答えをつかめる 株式会社エボラブルアジア 代表取締役社長 吉村 英毅(よしむら ひでき) 1982年生まれ。大阪府箕面市出身。東京大学経済学部経営学科卒業。経営管理と金融工学を専攻。大学在学中に株式会社Valcom(2009年10月株式会社エボラブルアジアに吸収合併)を創業。2007年、株式会社エボラブルアジアを共同創業し、当社代表取締役社長に就任。2016年東証マザーズ、2017年東証1部に上場。2018年株式会社エアトリ(旧称、株式会社DeNAトラベル)代表取締役社長に就任。 ビル・ゲイツに憧れて、学生時代に起業した吉村社長。考えることよりも動くことを選び、次々と挑戦し、旅行業にたどり着く。大手にない工夫によって、格安チケットの販売に参入し、自分を取り巻く環境を変えていった。苦労をいとわないその信念について聞いてみた。 私が中学生の頃に、すでにマイクロソフト創業者のビル・ゲイツは時の人になっていました。私は、ビル・ゲイツに対して強い憧れがあったので、ビル・ゲイツ同様、「大学在学中に起業する」と中学生のときに決めていました。 当時は、「このビジネスがやりたい」というより「とにかく起業がしたい」というモチベーションでしたね。大学1~2年生の頃は、友人の会社でビジネスを学び、大学3年生の20歳で起業しました。最初は、学生の人材派遣やセールスプロモーションをやっていました。後に旅行業を始め、それが現在の「エアトリ」につながります。 三つの基準でビジネスを選ぶ  私はビジネスを選ぶ際に3つの基準を持っています。①今はニッチなビジネス。②今参入するとトップになれる。③外的な要因によって今後市場が拡大する可能性がある、この3つです。  たとえばエアトリの場合、この旅行ビジネスを始めた2007年当初、国内線の選択肢はJALとANAの2社しかありませんでした。だから、国内線の料金を比較する必要性が全くなかったのです。これが①と②。ところが、そこにLCC等の格安航空会社が参入にしたことによって、国内線の選択肢が2社から十数社にまで増えてしまい、料金を比較する必要性が生じたわけです。これが③の部分です。  企業買収をする際も、私は同じ基準で会社を見て買収するかどうか決めています。2ヵ月に1社は買収をしていて、買収した子会社は、1年で利益が3倍くらいまで伸びています。今、現在の子会社の数は、60社ぐらいです。  学生時代に起業した会社で一番苦労したことは、会社の資金繰りでしたね。特に、旅行業を始めてからしばらくは、本当に大変で、業種上「3日間だけ、5000万円足りない」みたいなことがよく起こるんです。4日後に入金があるけど、3日以内に払わないといけない、みたいなことが日常茶飯事でしたね。  この世界は、支払いの遅延が1回でもあると、信頼を失ってしまいます。なので、5500万円分の旅行を掛けで仕入れて、代理店に5000万円の現金払いで売る、みたいなことをよくやっていました。500万円の赤字になるんですけど、そこまでしてでも支払い事故は避けたかったんです。あとは、「朝4時まで、そのまま寝袋を使ってオフィスで寝て、朝8時から働く」という生活をしばらくしていました。これは体力的にはきつかったけれど、自分が好きでやっていたことなので、あまり辛いと思ったことはなかったですね。  弊社の戦略の特徴の一つは、OEM(相手先ブランド製造)です。たとえば、アスクルで「アスクル出張サービス」を始めてもらい、その運営はこちらでやるようなビジネスです。飛行機の価格比較サイトは、サイトごとに差別化が図りにくいので結局のところSEO(検索エンジン施策)勝負になってしまいます。なので、大きい会社に莫大なお金を使ってSEO対策をされると、太刀打ちができなくなってしまいます。そこでOEMを取り入れることにしました。具体的には、Tポイントカードと連携した旅行販売です。これが見事に当たりまして、エアトリの知名度が上がりました。 新しい景色が見たい。だから状況を変える  私は新しい景色が見たいのです。日本でいうと、孫正義さんがすごい景色を見ているんじゃないかな。私も孫さんと同じ景色を見てみたい。私にも過去には何回か景色が変わった瞬間がありまして、特に大きく変わったなぁと思ったときが3回あります。1回めは、資金繰りが楽になって金銭的余裕が出てきたとき。2回めは、2016年に上場して社会的に大きな信頼を得られたと実感したとき。3回めは、DeNAトラベルを買収したときです。その時々で、置かれている状況によって最優先事項が変わってくるんですが、そういう意味で、1回めの資金繰りから解放されたときは気持ちよかったです。2回めと3回めの上場、買収の後には、会える人が変わりましたね。それまで会いたくても会えなかった人が会ってくれるようになり、次第に取引先も広がっていきましたね。だから、今後、もっといい景色を見られるように頑張っていきます。 学生へのメッセージ 私は20歳から会社を経営していたため、就職する気はありませんでした。しかし、今の自分の価値を知りたくて、5社ほど就職試験を受けてみたんです。結果は、全社落ちました。そのとき分かったことは、不採用になってもそれは必ずしも能力や人間性を否定するものではないということです。なので、就活生の皆さんは結果が出なくてもめげずに頑張って欲しいですね。学生に一番伝えたいことは「早くやりたいことを見つけること」です。やりたいことを決めて、すぐに行動する。行動すれば成長します。結果的に回り道になってしまっても、それが最適解だと思います。だから、真っ先にやりたいことを見つけてください。 学生新聞2019年10月31日号より (慶應義塾大学4年 小川淑生)

学生新聞インターン

株式会社MS-Japan 代表取締役社長 有本 隆浩

考えている暇はない! 行動しなければ成功しない 株式会社MS-Japan 代表取締役社長 有本 隆浩(ありもと たかひろ) 1961年生まれ。大阪府出身。大学卒業後、株式会社リクルートを経て、28歳で株式会社日本MSセンター(現、株式会社MS-Japan)を設立し、代表取締役(現、代表取締役社長)に就任。1995年、業界ではいち早く人材紹介事業の許認可を取得し、管理部門特化型NO.1エージェントとして業界をリード。2016年12月マザーズに上場し、1年後の2017年12月に東証一部上場を果たす。 遊びまくっていた学生時代から一転、モノを売る営業の楽しさを知り、天性の営業力で人生を切り開いてきた有本社長。今の学生に伝えたいことは、まず行動すること。動いて失敗しても得るものがあり、それは必ず財産になるという。積極果敢な人生を送るための生き方の極意を聞いた。 考えている暇はない! 行動しなければ成功しない 私の学生時代は、とにかく遊びまくっていましたね。要領もよかったもので、2年生までにほとんどの単位を取っていましてね。それで、残りの2年間は遊ぶぞ! ということで、夏はサーフィン、冬はスキー、春と秋はテニス、常に麻雀。そんな日々でした。就職活動はほとんどしませんでしたね。説明会に行ったのは1回きりで、それも友人に連れて行かれたもの。某鉄道グループだったのですが、「うちのグループで上場している子会社を5社あげて」という人事に対して、「上場ってなんですか?」と聞き返していました。それくらい知識はなかったですし、就職意欲もありませんでした。 トップ営業マンと勝負 営業の天才誕生  しかしそんな中、とあるサンドイッチ屋に就職することになりましてね。これが人生の転機でした。まず任されたのが、百貨店でのワゴンセール。夕方に、値引きしたサンドイッチを売る仕事。これ、私の天職でして、山積みのサンドイッチを20分足らずで売り切っていました。どこの百貨店でも即完売となりまして、「すごい新人が来たぞ」と社内で話題になりました。そりゃそうなんですよ。だって、実家が商店でしたから。物心もつかないうちから、大人に物を売っていたんです。営業力じゃ他の連中に負けません。  とまぁ、こんな感じで営業の楽しさに目覚めまして、2社目に選んだのがリクルートでした。「社長に営業できる仕事」というキャッチフレーズに心を打たれ、「いろんな社長から経営のノウハウを学ぼう」という理由で転職しました。あ、そうそう、私、入社した日に勝負を挑んだんです。「この会社で一番売上を上げている営業マンは誰ですか?」と上司に聞き、その営業マンに電話をしました。「これから毎月、僕と売上で勝負しましょう」ってね。20代前半の若造が、日本一の営業会社のトップ営業マンに、入社初日に勝負を挑んだんです。そしてこの勝負、しっかりと勝ちました。あらゆる社内記録を塗り替え、日本一の営業会社のトップ営業マンになりました。  私は、本当に社長にしか会わなかったんですよ。20代前半の若造が、「社長じゃないと会いません」と、部長だろうが役員だろうが、社長じゃなきゃ駄目だと突っぱねる。だって、社長から経営を学ぶためにリクルートに入ったんですから。で、社長にアポがとれたら、夢を語らせるんです。2時間くらいかけて、じっくりと。それで最後に、「その夢を実現させましょう」と、商品を出す。その商品によって社長の夢が実現するという未来図を、明確に描かせるんです。で、最後に「経営者なら、今決断してください」とサインを迫る。これで九割は落ちていました。それでね、もう一つ秘訣があって、他の営業マンが180万円で売っている商品を、僕は1,000万円で売っていたんです。そりゃあトップになれますよね。単価が5倍以上違うんですから。 世界中の頭脳を変える 教育財団を作りたい  今後やりたいことですか……。うーん、財団を作りたいかな。実は、そのために上場したんですよ。人間の頭脳に革命を起こす財団を作りたいんです。人間って、脳みその10パーセントしか使えていないらしく、あのアインシュタインでさえ15パーセントしか使えていなかったとか。これって、教育のせいじゃないかなと思っています。世の中に溢れる知識を詰め込む教育によって、人間の脳みそのポテンシャルは死んでしまっているのではないか、と思うんです。だから、幼少期から徹底的に感性を鍛えて、脳みその20パーセントを使える人間が増えていけば、環境問題、核兵器問題、戦争など、世界レベルの問題が解決するんじゃないかと。最終的にはそういう教育機関を作るために財団を作りたい。そうして、僕の子ども、孫、ひ孫の世代が安心してこの地球に住んでいられるようにしたいですね。あとは、会社はまだ世に出ていないITやAIを駆使した、ビッグビジネスに取り掛かっています。 学生へのメッセージ  今の学生に伝えたいのは、「とにかく行動しろ」ということです。考えている時間なんてもったいない。考えて、頭でっかちになって、結局何も得られない。そんな人間には絶対にならないでください。失敗したっていい、結果的に遠回りになってしまってもいい。とにかく行動してください。そこで得られたものは、何にも代え難い財産になります。 学生新聞2019年10月31日号より(慶応義塾大学4年 小川淑生)

学生新聞インターン

株式会社Wiz 代表取締役社長 山崎 俊

人・企業の課題をITで解決 目指すはITの総合商社 株式会社Wiz 代表取締役社長 山崎 俊(やまざき しゅん) 早稲田大学在学中に大手通信商社でアルバイトを経験。大学卒業後に同社へ部長として入社し、最年少で執行役員となる。2012年、30歳で独立し、株式会社Wizを設立。設立6年で17支社、従業員1,000名を超える規模に成長。「ヒトと企業の課題をITで解決する」を理念に掲げ、「ITの総合商社」として日本全体のデジタルトランスフォーメーションを目指す。 山崎社長率いる株式会社Wizは、「BACCS~20万人が選ぶ働きたい企業50選~」に認定され、創業7年にして従業員は1000名以上。また、ベストベンチャー100にも選出されるなど、現在、とても勢いのある会社だ。「人と企業の課題をITで解決する」をテーマに成長し続けている。 私の学生時代はアルバイトに明け暮れる毎日でした。中学3年生の頃は、時給750円のスーパーのアルバイト。「1年頑張れば時給を10円上げる」と言われましたが、1年たっても750円のまま。それならと時給950円のアルバイトに“転職”。電話でアポイントを取り、教材を売る仕事ですが、この決断が私の将来を決める大きな一歩となりました。  面接に行ったその日から働き始めたのですが、1時間の電話営業でアポを1件獲得。上司からは「天才!」と言われ、褒められました。そのときに、成果型の仕事って素晴らしいなと感じました。高校1年生の頃でしたね。  大学に入ってからは光通信で時給1200円のアルバイト。最初の業務はNTTからKDDIへの携帯電話の切り替えのアポ取りです。周囲は1件しか取れないアポを、私は20件くらい取っていました。以前の教材を売るアポ取りに比べればこちらの方が簡単に見えましたし、取れないわけがないと思っていました。その後も順調に結果を出し、大学在学中に部下を500名持つまでになりました。 なんとか大学は6年で卒業し、そのまま光通信に入社しました。学生時代にどうしてあんなに成果を出せたのか、今考えてみますと、まず、私はチームを意識していたんですね。自分の役目、チームの勝利、チームの一員という意識を持っていました。あとはお客様を信じられるかどうかです。お客様にメリットがあると思えば、信じて伝える。断られたら、「なぜか?」を必ず聞くようにします。NG理由が分かれば、解決のための情報を探せるからです。 この業界を変えたい 他社の模範となりたい  光通信は30歳で退職して、Wizという会社を作りました。東日本大震災があって、配置転換やいろんなことがある中で、自分のことを見つめ直す時期があったんです。今まで何となく走り続けてきたけれど、30歳からの10年間をどう生きようか、と。その中で、「何かを残したい」という想いに気づき、Wizを創業することにしました。  起業時の不安はそれほどありませんでした。ただ、信用できる代理店が少なく、お金が稼げればそれでいいというマインドの人が多い時代だったので、「何とか自分がこの業界を変えてみたい」「業界の模範になれたらいいな」と思ってやっていました。会社自体は、真面目にやれば何とかやっていけるだろうと思っていました。  今後の展望ですが、「デジタルトランスフォーメーション」というキーワードを掲げています。WizをITの総合商社にしたいんです。人と社会の課題をITで解決することを考えています。 1日の密度を上げると成長の加速度が変わる 当社は社員の採用にあたり、2つのことを大切にしています。それはファン力と陽のオーラがあることです。ファン力がある人は、人に興味がある人だと思います。採用の際に、人事担当が「その人を好きになれるかどうか」を大事にします。好かれる力は、努力次第でなんとかなるものです。人に好かれる努力ができるのなら、他のことに対する努力もきっとできると思っています。  社会に出る前にやっておくといいのは1日の密度を上げることです。ゆとりとか自由とかを言いすぎては、自分の器が大きくならないのではないかと思います。また、多くの人と会って話すことも大事ですね。自分より優秀な人にどれだけ会えるかによって、自分の成長の速度が違ってくると思います。是非、そういう人と交わる時間をたくさん作ってください。 大学生へのメッセージ 「目の前のことで結果を出すのが大事」ということでしょうか。いろんな人の格好いい情報がネットを通じて次々と入ってくる時代です。人の上っ面を真似してもうまくいかない。それよりも、まず自分の目の前にあることを成し遂げること。他のものにチラチラ目移りするのではなく、一つのことに集中して結果を出す。やりきって次に行くことが大事ですね。 学生新聞2019年10月31日より(日本大学4年 山下充良太)

経営者

株式会社エイチームライフスタイル 代表取締役社長 間瀬 文雄

みんなで幸せになれる会社にすること 今から100年続く会社にすること 株式会社エイチームライフスタイル 代表取締役社長 間瀬 文雄 (ませ ふみお) 2007年4月、日興コーディアル証券株式会社(現、SMBC日興証券株式会社)入社。2008年11月、株式会社エイチームへ入社。インターネットメディア事業部で比較サイト事業責任者等を経て2013年8月、株式会社エイチームの100%子会社、株式会社エイチームライフスタイルの設立と同時に代表取締役社長に就任(現任)。2018年10月、株式会社エイチーム取締役に就任(現任)。 大学時代は全力で遊んだという。最初に就職した会社は自分には合わなかった。しかし、そのことが自分を見つめ直すきっかけとなり、その後飛躍的に成長する布石となった。自分に合った仕事が見つかれば、あとは楽しく働くだけで、結果はついてくるという間瀬社長に話を伺った。 大学の4年間は人生において最も有意義な時間だと思っていたので、“全力で遊ぶ”という決心をしていました。サークル活動のテニスは、4年間ほぼ休まずに活動していましたね。メンバーは100名ほど。さまざまなタイプの人がいて、話を聞く能力が身に付いたような気がします。  就職は、日興コーディアル証券株式会社にしました。企業規模も大く、知名度も高い。金融業界なので、若手でも給与レンジが高い、というイメージでした。ところが、入社後、個人の営業成績で最下位になってしまった。これは、人生ではじめての挫折経験でした。そこで、改めて自 分のことを考えたんです。すると自分の根底にあるものは、「人気者でいたい」「皆と一体感を味わいたい」「人に嫌われたくない」という性格だということに気が付いたのです。証券会社の営業では、お客様のご要望にお応えできないことも多く、営業活動を通じて辛い思いもたくさんし ました。そのうちに、自分が心から楽しいと思える会社で 働きたいという気持ちがだんだん高まってきたのです。結局、新卒で入社してから1年程度で退職を決意しました。2008年当時、リーマンショックで景気が減退する中でもIT企業は業績を伸ばし、求人も活発だった。そんなとき、「みんなで幸せになれる会社にすること」「今から100年続く会社にすること」という経営理念を掲げるエイチームに出会ったんです。直感的に「この理念は信用できる。エイチームの仲間になりたい!」と強く思ったことを今でもよく覚えています。 自分の成果を周囲が喜んでくれる環境  エイチームは、仕事の裁量が大きく、自由度が高いところが魅力です。アイデアを提案し、良いものは採用され実行される。成果を出すことに よって、周りのみんなに喜んでもらえる。入社当時は、他人の成果を純粋に喜ぶ社員が多い社風に驚きました。その後、比較サイトなどを運営す る事業部の責任者を経て、2013年に新設子会社であるエイチームライフスタイルの社長に抜擢されました。  エイチームは、さまざまな事業領域においてインターネットを通じて多様なビジネスを展開しています。ビジネス領域を限定することなく、スマートデバイス向けゲームアプリ、ゆりかごから墓場まで、人生のイベントや日常生活に寄り添うWebサービスや自転車EC などを手掛けています。  大きな特徴は3つあります。1つめは、事業領域が幅広いため、さまざまな分野においてキャリアを積むことができることです。2つめは、チームで取り組むため、社員同士がとても仲が良いことです。これは、エイチームが「お互いを認め合うこと」というマインドを大切にしていることにも通じます。3つめ、エイチームはひとつの事業で大きく成長している会社ではなく、年商数十億円規模の事業を複数持つ企業体なのです。企業基盤は安定していながらも、ベンチャー精神を大切にしている会社なのです。各サービスでそれぞれ責任者がいるので、責任ある仕事につくチャンスも多い。一緒に働きたいと思う人材は、現状に満足せず成長意欲が高い人です。また、「お互いを認め合うこと」のできる素直な人がいいですね。素直な人は、自分の意見を素直に言うことができ、周りから注意や助言をされた時に感謝の気持ちを伝えることができて、アドバイスから内省し、改善につなげることができます。 いつも笑顔でいること そうすれば運が向く  私は運がいい人間だと豪語しています。その根本には、「いつも笑顔でいること」「仕事は断らない」ということにあるのです。どんな仕事や頼 み事でも断らない、嫌な顔をせずに笑顔で受けることが「チャンス=運」につながる秘訣ですね。  今後の展望としては、ひとりの人がゆりかごから墓場までの人生おいて、何回かはエイチームのサービスを使っている、という状態にしたい。 そして将来的には、グローバルなサービスを提供していき たいと思っています。 *message * 自分自身を知ることが大事ですね。一番大事なことは、学生の時にとにかくいろんな経験をすること。いろんな角度から自分を知る機会を設けることだと思います。 2019年10月31日学生新聞より(慶應義塾大学3 年 樋口翔大)

人事

カゴメ株式会社 常務執行役員CHO 有沢正人

■プロフィール 協和銀行(現りそな銀行)、HOYA、AIU保険を経て2012年1月、カゴメ株式会社に特別顧問として入社し、カゴメの人事面におけるグローバル化の統括責任者となる。2012年10月より現職。社員の「働き方」ではなく、「生き方(人生)」を重視した改革を行い、社長の年収の社内報での公表や会社幹部の休日の過ごし方の公表、東京本社での農園作り、会社説明会に参加した学生の自宅にカゴメ製品を贈るなど他社に見られないユニークな取り組みを行っている。 ■エントリーシートの書き方と上手なPRの仕方を教えてください。 私はチームで働いた経験があるかどうかを一つのポイントにしています。大学生活、アルバイトなど、今までの人生において、みなさん苦労した経験があると思います。その時にどんな解決策を考えて、どういう行動をしたか、これを起承転結を付けて話すことが大事です。苦労や課題を自分なりにどう考えて立て直したか、チームに対してどう活かせたかまでPRできたら満点です。「バイトリーダーをしていました」「サークル長でした」などの自慢話はいりません。それよりもどんな苦労をして何を得たのかが大事であり、個人の力量でチームにどう貢献できたのか、個人のマーケットバリューに興味があります。具体的な数字、たとえばいくら売上が上がったとか部員を何人増やしたとか、数量的に計れるエピソードがあるとなお良いです。経験談は直近のエピソードの方がいいけれど、大学で経験がなければ高校時代の経験談でも問題ないです。人事側も学生のいいところを見つけようと思ってエントリーシートを見ています。 ■企業が欲しい人材とは、どのような人材ですか? 異なる価値観、異なる考え方、異なるバックグラウンドを持っている人を求めています。いろいろな経験をもった人にきてほしいです。飲食店のアルバイト経験がある人は、お客様のクレーム対応をしている可能性が高いため、個人的には期待しています。苦労=経験値でもあるので、遊びでもよいから何でもチャレンジしてほしいですね。自分の人生の枠を広げることにもなるし、特別なことではなくて、普段の自分の生活の延長戦として考えればいいと思います。最低限のマナー、礼儀、相手の目を見て話す、笑顔で接するなどは、普通に出来ていてほしいです。また、仕事は一人ではなく、チームで協力しながら進めていくものなので、リーダーシップや協調性も大事です。 ■良い企業の選び方とは? 自分に合った企業の見つけ方は? 仕事に関する固定観念は捨てた方がいいと思います。学生は未来のパートナーになるかもしれない大事な人であり、同時にカスタマーだと思って接しています。まんべんなく学生を大事に扱ってくれる会社はいい会社だと思います。また、面接で役職の上の人がどんどん疲れてくるような会社は気を付けた方がいいかもしれません。元気にイキイキ働いているかどうかをきちんと見ることです。だからこそ数をこなすことも大事。はじめからこれと絞らずに、いろいろと見てみること、すぐ決めつけないことですね。また、自分がいいなと思っている会社や業界が周りからどう見えているかを聞いてみると新しい発見があるのでおすすめです。自分が行きたい会社が取引先や他業界からどう思われているのかを聞くことで違った見方をすることができ、視野が広がります。また学生しか本音は聞けないケースが多いです。今のうちにたくさん行動し、いろいろな角度からの意見を聞いた方が良いです。就職した後に役に立つ情報もありますから。自分と波長があう会社を見つけることですね。 ■内定がたくさん取れる人と取れない人の差はどこにありますか? ポイントは2つです。1つめは、自分のことを整理して、しっかり話すことができるか否か。短所は悪いことではなく克服すべきことであり、ポジティブに解釈することです。2つめは、相手にきちんと伝えることができるか否か。フェイス・トゥ・フェイスでのコミュニケーションができるかどうかです。SNSが習慣になっていると思いますが、エントリーシートに書いたことを面と向かって論理的に話せるかどうか。苦労している人や挫折した経験がある人は、這い上がる過程で何かをつかんできます。その結果、コミュニケーションに長けている人が多いように思います。経験が差を生むんじゃないかな。だからこそ、いろんな経験をしてほしいですね。 ■学生へのメッセージをお願いします。 可能性をもっていない学生はいない。リーダーシップをもっていない学生もいない。今の自分は、自分で思っている以上に素晴らしいものだから、それを信じて就職活動にあたってください。自信をなくすこともあるかもしれないけれど、決してへこたれることなく、「自分はできる!」と自分を信じること。ただし、慢心につながらないようにね。必ずみんないいところを持っているし、必ず波長の合う会社があるから心配しないことです。最後に、顔色が悪い学生を採用したいとは誰も思いません。健康とスケジュール管理も大事なポイントです。就活するにも仕事するにも、まずは体と心が健康じゃないといけません。 学生新聞2019年10月号 専修大学3年 山崎 蓮/駒澤大学3年 安齋英希

経営者

株式会社スプリックス 代表取締役社長 常石 博之

個別指導塾ナンバー1の強さと信頼の秘訣とは! 株式会社スプリックス 代表取締役社長 常石 博之(つねいし ひろゆき) 広島県出身。慶応大学経済学部卒業。1994年4月、株式会社三菱銀行(現株式会社三菱UFJ銀行)入行。2004年3月、株式会社スプリックス取締役就任。2007年12月、株式会社スプリックス取締役副社長就任。2018年12月、株式会社スプリックス代表取締役社長就任(現任)。座右の銘は「仁義」「武士道」。 個別指導塾業界トップの森塾を経営するスプリックスの常石社長にお話を伺った。意外にも特にやりたい仕事もなかったという常石社長だが、人との出会いを通じて向かうべき仕事の方向性を見つけ、いかにして業界No.1の企業のトップになったかを語っていただいた。 はじめに私のパーソナリティについて話しをしますと、実はもともとコミュニケーションが苦手で、劣等感が強かったのです。ただ、その反動でしょうか、人に嫌われたくないとか、誰かの期待に応えたいという気持ちが強かったので、無理してリーダッシップがあるように振る舞っていた学生時代でした。中学で慶應に行くと、経済的な劣等感も加わって、相当無理をしてかっこつけようとして、その結果、文武両道を目指していました。 もともと得意だった勉強だけを前面に出しても好かれないだろうと思ったので、当時花形だったラグビー部に入り、高校、大学ではアメフトに転向し、相応の成績は収めましたが、かなり無理をしていましたね。就職するときは、お恥ずかしい話なのですが、なんとなくかっこいいとか、両親が喜ぶだろうとかいった理由で、当時、就活ランキングでトップだった三菱銀行に入りました。 ビジネススクールでの運命の出会い 銀行員時代、あるビジネススクールで、私は森塾の創業者である平石さんと出会いました。当時は、新潟県で塾をやっている、中小企業の社長という感じの方でした。「生徒の成績が上がらなかったら、授業料返したほうがいいよね?」というようなことを言うピュアな方でしたね。そんな平石さんが、私に、向かうべき目標を示してくれたのです。 当時の私はビジネスを通じて何かを成し遂げようというようなリーダーシップはなくて、銀行で周囲との競争に勝つことしか頭にない人間でした。何かに向かって行くという思いはなかったのですが、平石さんがピュアな「べき論」を語っているのを聞いて、目標を持って、それに向かってやるのはいいなと共感して、ジョイントさせてもらいました。 ただ、残念ながら、塾は優秀な学生が第一志望にする業界ではありません。しかし、教育は素晴らしい仕事なので、鉄鋼や自動車、ITなども大事ですが、教育こそが国家の根幹だと思いますので、優秀な人こそが目指して欲しい業界です。今後は、ビジネスモデルをさらに磨き上げて、働いている人のお給料も十分なものにし、海外にも進出していきます。海外でも、“I Know SPRIX”と言われるような会社にしたいと思っています。 差別化はシンプルに ニーズを追求すること 他塾との差別化については、まずはシンプルにお客様のニーズを追求していくことですね。塾にお子様を通わせる保護者の方のニーズは、「成績を上げてほしい」「楽しく通わせてほしい」の2つです。これがトップだということは、データによって明確にわかっています。 他の塾では、思考力・判断力・表現力の養成といった、お客様の直接的なニーズではない要素に注力するケースもあるのですが、私たちは顕在化している顧客のニーズの「ど真ん中」をシンプルに追求しています。その結果、森塾では一教室平均で300人以上の生徒さんがいます。これは、他の塾の教室の数倍の規模になります。また、顧客のニーズに応えるために、森塾では指導について、教え方の統一が徹底されていて、どこの教室のどの先生でも同じ指導を再現できるようになっています。具体的にはオペレーション・コントロールという手法になります。これにより、マニュアル化せずに、人の動きをコントロールすることができるようになりました。 経営では当事者が本当にそのビジネスが好きであることを大事にしています。ターゲティングや計画がどれだけしっかりしていても、自分たちの「思い」がないと細かい部分で難しくなってきます。そのため、スプリックスでは新規事業すべてについて、その分野でナンバー1にならなければ撤退するという条件があるのですが、たとえいくら儲かるビジネスであっても、「教育」という分野から外れた事業には今後も絶対に参入することはありません。 大学生へのメッセージ すべての学生さんに、「どんまい!!」って言いたいです。今は、学生のうちにやりたいことがないとダメみたいに言われています。教育の世界でも、まず目標を定めて、それに向けてマイルストーンを定めていく、という考え方がありますが、私は、全部がそういった考え方が前提でなくてもよいのかなと思います。もし、私のようにやりたいことが見つかれば、ラッキーだと思うくらいでいいと思っています。 学生新聞2019年10月31日(東京大学3年 三木智弘)

学生新聞インターン

エン・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 孝二

働く人の意識を変えることで 企業が変わり、社会が変わる! エン・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 孝二 (すずき たかつぐ) 1971年愛媛県生まれ。大学卒業後、エン・ジャパンの前身である株式会社日本ブレーンセンターに入社し、採用、教育・評価の各事業ドメインでコンサルティング業務に従事。2000年1月、エン・ジャパン株式会社設立と同時に取締役営業部長に就任。設立1年半での上場や設立以来の増収増益など、会社の急成長を最前線で牽引する。2008年3月、常務取締役、同年6月より現職。 多くの求職者の仕事人生の充実、人材の活躍・定着によるクライアント企業の業績向上を追求するエン・ジャパン。同社代表取締役の鈴木さんは「やりがいを持って仕事に取り組める人が増えれば、社会も変わる」と話す。自身の強烈な原体験から、同社への入社を決意したという鈴木社長に 人材について話を伺った。 大学で気付いた仕事で工夫する面白さ 大学で気付いた仕事で工夫する面白さ大学時代は、映画鑑賞とアルバイトに明け暮れていました。映画は、年に数百本は観ていましたね。特にフランス映画が大好きで、この頃は、映画監督になりたいとさえ 思っていました。 飲食店でのアルバイトには、かなり真剣に取り組んでいました。自分なりに工夫して仕事をするようにしていましたね。たとえば、天気予報を見てビールの仕入れ量を変えたり、おかわりの声がけのタイミングを見計らったり……。ただ作業をこなすのではなく、日々、「売上の記録を作ろう!」と思って、細部にまでこだわったサービスを心がけた。そうしたら、リピートで来てくださるお客様も増え、お店の売上も上がり、社員の人にも認められました。 たとえもらうお給料は変わらなくても、自分で試したことがお客様の笑顔やお店の売上に反映されていくことにやりがいを感じましたね。現在の仕事のマインドにも通じている経験です。 就活で出会った「社会を変える仕事」 最初はマスコミ志望でした。新聞社などを中心に就職活動をしていたのですが、狭き門で、難航していました。そんな中、届いたのがエン・ジャパンの前身、日本ブレーンセンターからの案内でした。参加してみると、当時社長だった越智(現エン・ジャパン会長)本人が大きなビジョンを直接語ってくれました。その姿に感動し、入社を 決意したんです。また、「人材領域の仕事に魅力を感じたから」ということも、大きな理由です。 私の出身地は造船の町なのですが、ある時、不況のあおりで造船業が傾いたことがありました。多くの大人が仕事を失い、町全体が荒んでしまったのです。この強烈な原体験があったので、越智の話は鋭く心に刺さりました。仕事にやりがいを感じる大人が増えれば、その背中を見て育つ子どもたちも、仕事への意識が変わる。そうして、社会も良くなっていく。これは今でも私のモットーとなっています。 意識が変われば人生も社会も変わる 「自分にあった仕事がわからない」と質問をいただくことがあります。私は、何をするかではなく、どんな意識で取り組むかが重要だと考えます。 たとえば弊社では、仕事において大事にしている2つの価値観があります。自身の仕事を通じて、社会をより良くしていこうという〝インナー コーリング〞。そのために一生懸命に仕事に取り組もうという〝ワークハード〞です。この価値観は、実際に当社のサービスにも反映されていま す。それが転職サイト『エン転職』の「貢献検索」。誰に対してどんなふうに役に立ちたいのかで仕事を探せる機能です。業界のトレンドや、世の中の動きは目まぐるしく変わっていきます。だからこそ、自分が人に何を提供できたときに嬉しかったのか、を軸に仕事を考えてみることも必要です。それこそ就活でも、はじめから業界などを絞らず、できるだけ多くの企業を見たほうがいいと思います。 弊社は、人材業界をもっと尊敬される業界にしていきたいと考えています。そのために掲げているのが「入社後活躍」という言葉。転職を繰り返す人を増やすのではなく、本当にその会社で活躍できる人をフィッティングし、多くの仕事人生の充実、企業の発展を応援したいのです。そのために、テクノロジーも活用しながら、より質の高いサービスを社会に提供し続けたいですね。 *message* 今の若い人たちは、デジタル・ネイティブの中で過去の価値観にとらわれず、新しいものを生み出していく発想を持っていると思います。 私は、それはある意味、チャンスだと思います。せっかく先進的なベースがある時代に生きているのですから、若者にしかできない発想とアイデアで、チャレンジしていってほしいですね。「安定していそうだから」とか、「休みが多いから」などの理由で就職を決めるのはもったいないです。世界は広く、すごい人はたくさんいます。今の自分の世界が全てと思わずに、海外へ行ってみるなど、ぜひ学生のうちにさまざまな経験をしてください。 学生新聞2019年10月31日号より(慶應義塾大学4年 小川淑生)

芸能人

深田恭子 一日一日を大切に、充実した日々を送り、それが未来に繋がって...

<プロフィール> 深田 恭子 (ふかだきょうこ) 1982年、東京都生まれ。第21回ホリプロタレントスカウトキャラバングランブリ受賞から芸能界の道へ。ドラマ「FIVE」でデビュー。女優、歌手、タレントとして活躍中。ネイルクイーンやブルーリボン賞など、数々の賞も受賞。 「私と恋におちて」という言葉を発端に展開していく映画『恋愛戯曲~私と恋におちてください。~」。この映画の主演女優として、一人三役をこなし、輝いている深田恭子さん。デビューから14年。女優としてさらに成長された印象を受ける。「学生キャリア新聞」では、学生ならではの視点から深田さんに質問をぶつけてみた。 「私と恋におちて」から始まる恋愛 映画『恋愛戯曲~私と恋におちてください。~』は「恋におちて」というセリフをきっかけに進む異色のラブストーリー。 ファンタジー、コミカルさ、リアリティ……といった要素の高次元でのバランスが映画らしい映画という印象を与える。 深田さん演じる人気脚本家 :谷山真由美が椎名桔平さん演じるテレビ局のドラマ制作担当に冒頭のセリフで仕掛ける “強制恋愛”について深田さん個人は「ナシ、ですね (笑)。この二人にはあった話であって、“強制恋愛”という言葉があると、みなさんに強制してしまう気がして。その言葉からはじまるというと、その言葉通りになってしまうと思うので、後付けでならあっていい言葉だと思います」と語る。 だが “強制恋愛”はやがて本物の恋愛に変わっていく。その過程の描写は印象的だ。 また、劇中で深田恭子さんは、人気脚本家(谷山真由美)、セレブ作家、地味な主婦の三役を演じているのも見所。観ているわれわれは「誰が本当の深田さんに近いのだろうか」と素朴な疑問が湧く。今まで深田さん演じてきた中で、自分本来の性格と似ている役はあるのだろうか? 「いつも役を演じる時は、似ているところを探して演じるのではなく、役をそのまま演じるようにしているので、共通点や共感する部分はなくてもいいかな、と思います」 さすがプロ! 深田さんが三つのキャラクターを演じているのもこの映画の魅力の一つだろう。 “恋”か“仕事”を選ぶなら 普段出演されている映画やドラマでは恋する女性の役が多い印象の深田さん。個人としては“恋”か“仕事”なら、どちらを選ぶのだろうか? 「生活ができるなら “恋”ですね。でも、生活ができるという仮定がないなら、やはり仕事を選びますね。私は自分が一番大事なので、仕事と恋愛、両方に打ち込めるのはうらやましいです。谷山さんは恋をしながらお仕事も、っていう彼女なりのバランスがとれているのかな、と思いました」 人気脚本家・谷山真由美は、恋を自らの仕事のエネルギーに変換するタイプの人間。だが、人気作家ゆえか、周囲は谷山のわがままを容認し、神経をすり減らせる。その谷山真由美のキャラクターについて深田さんは「仕事をする上では、谷山さんのように人にあたったり、大声を張り上げたり、イライラしないことを第一に考えていますね。ストレスは、一回発散しちゃうと我慢できなくなってしまうんじゃないかと思うんです。また、もうひと山乗り越えれば穏やかになれるのかと感じました。私の場合は、なるべく穏やかにいるように心がけて、素敵な30代になろう、と思っています」と、自分の未来に重ね合わせながらのコメントをくださった。 「自分磨き」と「ポジティブ思考」 仕事も恋愛も頑張る女性が増えている中、深田さんが自分磨きのために実践していることは、「悲しい気配がある方向にはなるべく行かないこと」だそうだ。「楽しい人がいる方向、ここに行ったら楽しそう、という方向に行って、自分を笑顔にしてあげるようにしています。悲しいことばかり、嫌なことばかりがあると口角が下がってきてしまうと思うので。笑ってばかりいるとほうれい線ができてしまうとわかってはいるのですが、なるべく日々笑顔でいたいです。立ち向かわなきゃいけないこともありますが、自分から楽しい方向に向かっていくのがいいんじゃないかな、と思いますね」  ちなみに深田さんのヘコんだ時の回復法は、「聞こえはよくないのですが、最初からすべてに諦めることです。期待をしない=ゼロの状態なので、ほんの小さなことでも嬉しく感じたり、何でもプラスにとらえられたりするんです」 学生時代の自分を振り返って 学生にとっては、少し上のお姉さんにあたる深田さん。最後に示唆と愛情にあふれたメッセージをくださった。 「お父さんやお母さんの言うことをよく聞いて、たくさん親孝行してください。また、この映画を通して、お仕事を頑張る女性や恋に臆病になっている人たちに力をわけてあげられたらいいなと思います。この映画はいろいろなエピソードが出てくるので、どこかしらで共感していただけると思います。私自身、目標を作るのはあまり好まないので、あえて作らないようにしています。一日一日を大切に、充実した日々を送り、未来につながっていったらいいなと思います」「日々の充実が未来を作る」自然体の深田恭子さんから出た言葉が私たちの心に深く響いた。 学生新聞2010年10月号より

芸能人

横山 剣 やりたくないことでも、やると決めたら最後までまっとうする

<プロフィール> 横山 剣 クレイジーケンバンド。1960年生まれ。神奈川県出身。クレイジーケンバンドのボーカル。ダブルジョイレコーズ代表取締役。10代の頃よりさまざまにバンドで音楽活動を続け、1997年クレイジーケンバンドを結成。2002年シングルGTで広く注目を集め、同年、タイガー&ドラゴンが大ヒット。‘東洋一のサウンドクリエイター’と称し、さまざまにアーティストへの楽曲提供なども精力的に行っている。キメ台詞は「イイネ!」 さまざまな音楽の要素を盛り込み、色鮮やかな楽曲と、自由奔放かつ独特で、心にグッとくる歌詞でマニアだけでなく多くの人々を魅了するクレイジーケンバンド。懐かしくも新しい音楽を生み出し続けるバンドの中心にいるのは、バンドのボーカルを務め、誰よりも真摯に音楽へと向きあう‘東洋一のサウンドクリエイター’横山剣だ。 文句を言われない自給自足の音楽活動 「結成当初は仕事と並行して活動していましたが、決して楽ではないものの、みなさんが思うほど苦ではなかったんですよ」1997年に本格的な活動がスタートしたクレイジーケンバンド。お話をうかがった横山剣さんを中心に友人や仕事仲間が集まり結成された。 「文句を言われないように、誰にも頼らず、他の仕事をしながら自分たちでバンドを支援して活動していました。でも仕事以外の時間で音楽活動をしていたので、なかなか睡眠時間を確保できなかったですね(笑)。体力的にはきつかったのですが、苦しいというよりもむしろそれを楽しんでいました」しかし苦しいものではなかったとは言うものの、その道は平坦ではなかったと言う。「最初、僕らの音楽はなかなか認められませんでした。やっぱり何をするにしても、甘くはないですよね。音楽っていろいろな言い訳ができると思うんです。全然売れていなくてもとりあえず自分でスタイルを作ってしまえば、それでバンドや曲が確立したと言うことができる。でもスポーツだと、結果が出ないとダメですよね? 音楽も同じです。アスリートのように結果を出すという意識を持って、妥協せずにやっていくのが好きなんです。もちろんアーティストなので、残念ながら思っていたような結果がでなくても、活動を続けていけるのですがそれでも好きでいてくれるファンや支えてくれるスタッフにはいつも感謝しています。その想いにあぐらをかいて天狗になってしまわないように注意しながらね」 横浜と早熟な少年 横浜のイメージが強い横山さんは、ずっと横浜で暮らしていると言う。「高校は、東京にある学校へ通っていたんですが、そこの友人が横浜のことをすごくほめたり、あこがれの眼差しで見ていたんですね。実際に住んでいるとわからないものですが、横浜の外に出るとその良さが改めてわかりました。そうして僕の『浜っ子』意識が強まりました。今も横浜から東京へ通っているんですが、その途中で新しい曲のイメージが沸いたりすることもありますし、横浜が持つ独特の雰囲気から曲ができることもあります。自分にぴったりハマる地元横浜は生活の場としてだけでなく、音楽にも強く影響している場所ですね」高校時代と言えば、横山さんは以前、不良だったという話がありますが? 「そうそう(笑)。でも “非行”少年じゃないよ! 今にして思えば、僕は、早熟だったのかもしれないね。昔から常に目標を持って行動していて、その目標のために学校を休んだりして。やんちゃだったかもしれない。でも、当時の僕は、周りから見ると道を踏み外しているように思われていたけど、それは目標を持って行動している結果であって。言うことを聞かない不良少年だったけど、悪いことをする非行少年ではなかった。この学生時代の経験で、僕はサザエさんに出てくる波平さんのような 真面目な大人”の大変さや難しさを知ることができた。音楽に関わる仕事をしたいと大人に交じっていると、学生の僕も大人と同じく真面目にならなければならない。だから僕は世のお父さんをリスペクトしてるし、そのための曲も作ったんです」 夢はグラミー。挑戦はこれからも続く 「やりたくないものはやらないでもなかなかそうはいかないものですよね」クレイジーケンバンドが結成される前から20年以上にもわたり音楽活動を行ってきた横山さんは、その中で必ず貫き続けていることがあると言う。 「やりたくないことでも、やると決めたら最後までまっとうすること。格好悪い仕事でも、それを格好良いものにするんだ、という意気込みでまっとうすること。アイデアを駆使して車みたいに仕事を改造してしまえばいいんです。格好悪くなるようなことも、アイデアをどんどん提案していけば、その案が通り、結果として格好良い仕事になったこともたくさんありました」 今年で50歳になる横山さんだが、その挑戦はまだまだ続く。 「国民的な大ヒット曲を作りたいですね。誰もが一度は耳にしたことがある名曲を作りたい。そして、これは夢の夢の夢だけど、最終的には、グラミー賞の作曲賞なんて獲れたら最高だよね。そのためには、これからもチャレンジしていかないと」 「学生のみなさんへ。自己中心的にならず、人の痛みが分かる人間になってください。そして未来を憂うことなく、また過去の失敗や栄光に捕らわれないでください。足下を見て、余計なことを考えず、今この瞬間を ‘スパーク”するようにしてください!」 学生新聞2010年4月号より

芸能人

長澤まさみ 演技には正解というものがない。それでも努力して真剣に向き合...

<プロフィール> 長澤 まさみ (ながさわまさみ) 静岡県出身。1987年生まれ。2000年第5回東宝「シンデレラ」オーディションにおいて史上最年少の 12歳でグランプリ受賞。 同年公開の「クロスファイア」で映画デビューを果たす。 代表作には「ロボコン」「世界の中心で愛を叫ぶ」「涙そうそう」「ラストフレンズ」などがあり、日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 話題賞など数々の賞を受賞。 映画のみならず、ドラマ、 CM、 声優など幅広く活動を行っている。現在、NHK大河ドラマ 「天地人」 に出演しており、11月21日には主演を務めた映画「曲がれ!スプーン」が公開される。 明るく元気。いつも笑顔で輝いている-長澤まさみさんにはそんなイメージがある。しかし、実際お会いしてみて印象は180度変わった。若くしてすでに女優としてのキャリア10年を誇る彼女は、まさに「仕事人」。彼女の中に秘められた俳優というキャリアに対する想いが取材をする我々にひしひしと伝わってきて、同年代として、人として、大いに触発される取材となった。 共演した人はお手本であり、憧れ 2000年第5回「東宝シンデレラ」で史上最年少の12歳でグランプリ受賞をした長澤まさみさん。だが、当初から彼女は俳優になりたいと思っていたわけではなかった。 「ファッション誌を見るのが好きで、モデルになることに憧れていました。その当時、受けたオーディションが女優業を中心とする事務所主催のもので、合格した時には作品に出られるという特典がついていたんです。興味本位で初めて映画に出て、『楽しい』という気持ちと『一度始めたら中途半端にできない』という気持ちから続けていこうと思いました」 一度経験してみて、この職業に惹きつけられた長澤さん。俳優という職業は魅力的だったのだろうか? 俳優という仕事の魅力について尋ねてみると…… 「(俳優の魅力は)経験できないことを経験させてもらえることですね。やっぱり普段の生活ではできないことをお芝居の中では実現できるので、いろんな役柄や仕事に挑戦することができる。女優という仕事にはそういう魅力があります」  彼女のマルチな活躍ぶりも納得できる。俳優という仕事を通して、他では絶対にできないことを十分にやろうという気構えがうかがえる。また、演技を磨くうえで共演者から学ぶことも多いようだ。  「今までに共演した俳優さんには、年齢を間わず皆さんがお手本になることがあります。良いところを真似して伸びたいという気持ちが強いので、一緒に共演した人はお手本だし、憧れですね」 自分から行動を起こさないと社会は何もしてくれない。自分でやらなければならないことが増える分、自分で感じられることが多くなる。 これまでの発言で演技を磨くことに対して強い意志がうかがえる彼女。いくつもの作品に出演される中、演技以外にも学ぶことはたくさんあるという。  「人とのつながりを大切にするようになりました。周りの人に支えられているおかげで自分は演技ができるし、映画やドラマでは多くの人が協力して一つの作品を作っている。そのことから日々、家族や友人の大切さを学びました。若い頃から大人の中で生活していくと精神的に強くなります。普通だったら見えないやさしさや周りの人の助けをより直に感じられるようになりました。自分から行動を起こさないと社会は何もしてくれない。自分でやらなければならないことが増える分、自分で感じられることが多くなっています」 俳優としてはもちろん、人間的にも成長を続けている長澤さん。11月21日 (土)には自身が主演を務める映画『曲がれ!スプーン』が公開される。長澤さん扮する超常現象バラエティ番組のAD(桜井米)が、本物のエスパーを探しに全国を旅し、そこで偶然出会った正体を隠して暮らすエスパー達と繰り広げられる「シチュエーションコメディ」だ。長澤さんもこの映画について、「この映画には夢や希望がたくさん詰まっています。子どもには夢を持つきっかけになるといいし、大人にも夢を持ち続ける勇気や大切さを感じてもらいたい」と話す。  今後の目標については、「今まではいろいろなことを経験させてもらいましたが、やはり女優をこれからも続けていくことです。何度も同じ事を繰り返し長い時間をかけて一つの作品を一作り上げていきますが、それを何年も続けてゆくことは大変なこと。そうなれるよう、いつまでも真剣に演技を向き合っていきたいです」と話してくれた。 時間を有意義に使い、自分の興味のあることに突き進んでもらいたい 12歳から芸能界入りし、その後、親元を離れた生活を続けてきた長澤さん。「私は大学に行かなかったのでキャンパスライフに憧れました。学生の方には時間を有意義に使ってもらい、自分の興味のあることに突き進んでもらいたいですね。暇な時間をなるべく作らないようにして、いろいろと勉強してほしいです。私は行動に移す時間の方が多かったので、これからは自分の時間を勉強に当てたい。時間を無駄にせず有意義に過ごしてほしいですね」と学生に向けてのメッセージをくれた。 取材中は常に冷静、淡々とインタビューに応じてくれ、取材中、我々にまで気づかう姿勢を示した長澤さん。その堂々とした姿からは俳優として生半可ではない決意が見て取れる。人一倍、感謝と責任を感じ、演技という果てしないものに真剣に立ち向かっている彼女。笑顔とは対照的に心に秘められた演技への強い意志が感じられた。 学生新聞2009年10月号より

芸能人

矢沢永吉 衝撃に出会えるかどうかで人生は決まる。

<プロフィール> ミュージシャン 矢沢永吉(やざわえいきち) 広島県出身。1949年生まれ。 「I LOVE YOU.OK」でデビュー。プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がける。俳優として映画やドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼる。デビュー以来毎年続けていたライブツアーを、昨年36年日にして初めて封印したが、今年9月に60歳を迎えるにあたり、その記念企画の一環として東京ドームでライブを行う。公演タイトルは直球勝負の「ROCK’N‘ ROLL IN TOKYO DOME」。その後、2ヶ月に及ぶツアーが始まる。「学生も1回見に来た方が良いよ」と矢沢。 「泣いてしまうくらいの衝撃を受けた。『これだ!』って思った」大物ロックスターと言われる「矢沢永吉」の歴史は、ビートルズに出会った7歳の時から始まった。「この出会いはチャンスで、その先にはダイヤモンドがあると思った。高校3年生の時にはもうアーティストになるつもりだった」。夢をがむしゃらに追いかけ実現し、常に輝きを放つ大物に話を聞いた。 「(仕事は)働くという感覚でやっていない。ただ、ひたすら上に行きたかった。毎日必死でずっと走っていた」。矢沢さんにとって働くとは?”という問いに対して、少し考えてからこう話した。「“働く”って何?」と言わんばかりの表情で。 ずっと走り続けてふと後ろを振り返った時、ゴール地点はすでに後ろにあった ロックシンガーという夢を抱いた矢沢は、高校を卒業すると夜汽車に乗って上京した。 オーディションは絶対受けよう。人前で歌ったら度胸がつくし練習になる」そう考えた矢沢は、仲間が出来るとすぐにディスコのオーディションを受けた。一回目は失敗に終わったが悔しさから猛練習。二回目、クラブのオーディションで一ヶ月契約を交わした。「5曲しかレパートリーがなかったのに『俺たちハマ(横浜)でパリバリやってるんです!』と言って受けさせてもらった(笑)ガタガタのバンドだったし、嘘をついたのはばれていたね。でも、エネルギーに惚れてくれた」さらにその時、交通費として一万円をもらった。ロックシンガーとして初めてもらったギャラに喜びを隠せなかったという。余ったお金でコカコーラとインスタントラーメンを買って仲間と祝った矢沢。「あの時の味は今でも忘れられない。『ここから始まるんだ!』と思った」 常に本気で走っていた。レーコードデビューをしても、「ずっと不安で、俺はどうなっちゃうんだろう?と思っていた」。だからこそ走り続けた。スタートし出した20歳の頃、当時付き合っていた女性に、「そんなに走らないで。私も一緒に行くから」と言われても。次第に彼女の声が聞こえなくなっても、走り続けた。とにかくがむしゃらで周囲の人に、「もう大丈夫、安全な位置にいるよ」と言われても信じなかった。 やがてその声さえも聞こえなくなり、ふと立ち止まって後ろを振り返った時、「誰もいなかった」と矢沢は言う。「ゴール地点はすでに後ろにあった。自分の夢を通過していた」。大物ロックスターはその時、「ゆっくりあぜ道を見ながら、自分の音楽をかみ締めるのも良いな」と感じたという。 ビートルズに出会い、大きな一衝撃を受けた矢沢は、子どものような生き生きとした目で話す。「衝撃に出会えるかどうかで人それぞれ人生が決まる。僕はスコーン!と抜けるような衝撃を7歳のときに感じられた。こんなに素敵なことはない」 “繰り返し“が矢沢ライブを確立させた。繰り返すことが大切なのはどの仕事でも同じ 矢沢にとってステージ(ライブ)とは「表現する場所」だという。「どうやったら一万人の観客をぶっとばせるか、常にアレンジや演出を考えている。だからこそ自分の予想通りに観客がはまった時は嬉しい」。さらに矢沢独特の表現でこう付け加えた。「一番幸せに感じるときは、最高のステージをした後のシャワー。その繰り返しで矢沢ライブが確立した。繰り返すことが大切なのはどの仕事でも 同じ。『繰り返し is GREAT』!『GREATなマンネリ』!」 矢沢は “繰り返し“を重ね、気づけば今年、ロック歌手5年目を迎えた。 8月5日には 4年ぶりのアルバム、ROCK’N’ROLL、 を出す。このタイトルにした理由は「敢えて直球で行きたかったから」。「これまで俺は日本でも世界でもバカバカやりまくった。やるだけやって5、6年前、『何か大事なものを忘れてきたんじゃないか?』と思った。それで一旦レコード作るのを止めたんだ」。 今、答えは見つかった。「作り手は、良いドラマーやギターリストに先に目が行くけどリスナーはそうじゃない。大事なのは直球。わかりやすいロックをしたいね、直球で行きたい」 60歳を迎える9月には、20年ぶりに東京ドームで公演。そしてその後は2ヶ月に及ぶツアーが待っている。今後の目標を問うと、「12月に(ライブを終えて)ものすごく気分良くクリスマスを迎えること」と、遠くを眺めながらもはっきりと答えた。 大学は社会に出るための予行練習 高校卒業後、ロック歌手を目指してすぐ社会に飛び込んだ矢沢。「大学は社会人になるための予行練習。社会と大学は全く別の顔をしていると言っても過言ではない」と言い、こう学生にメッセージを残した。「大学4年間、大いに謳歌してもらいたい。でも卒業後、社会とのギャップを後で感じないように覚悟決めて、ふんどし締めて4年間ばっちりやりなさい」 近寄りがたい印象があった「矢沢永吉」だが、今回の取材でそれは一掃された。大物ロックスターにも関わらず学生相手に終始、対等に話をしてくれ、また体全体で感情を表現しながら質問に答える姿からは、誰よりもまっすぐで熱い心を持った人なのだと感じられた。 還暦を迎えようとしても、ビートルズに出会った時の感動を今なお持ち続けている男のパワーは衰えることを知らない。 学生新聞2009年7月号より      

芸能人

松任谷由実 目の前のことを一生懸命にクリアしていく。 若い時に培った姿...

<プロフィール> 松任谷由実 (まつとうやゆみ) 東京都生まれ。1972年、多摩美術大学在学中、シングル 「返事はいらない」で旧姓荒井由実としてデビュー。1976年、松任谷正隆と結婚し、松任谷由実に。 代表作に「卒業写真」 「Hello,my friend」 「春よ、 来い」 他多数。 2007年、シリーズ最終章であり最高傑作となる 「SHANGRILA I」(全国6大都市 38 公演 30万人動員) を開催。 「SHANGRILA」史上最高と賞賛された。 「ユーミンって呼んでね」という一言で、和やかなムードから始まった取材。マリンルックが可愛らしくて、パワーと表現力の豊かさを肌で感じさせてくれる。常に第一線で輝き続ける彼女の秘訣とは。 どういうルートを通っても”表現”ということでは一緒 14歳でプロとして活動を開始、7歳の時にシングル『返事はいらない』で旧姓·荒井由実としてデビュー。一方で、 当時は多摩美術大学で日本画を専攻する大学1年生だった。 「絵か音楽の道に進むだろう」。幼い頃から、そう思っていた。普通にOLになって、結婚して、主婦になって…ということが、子どもの頃から全く想像できなかったんです」。 中学生になり洋楽に本格的に目覚めると、イギリスのロックバンドであるブロコル ハルムの影響を受け「自分で曲を作ってみたい」と強く思った。当時のイギリスのロックバンドは、驚くほどアートスクール出身の人が多い。「絵の学校へ行って音楽やるのってカッコイイ!」と感じた。だが、両親は音楽をやることに反対。「クラシックをやって音大に行くのならいいけれど、訳のわからない音楽はダメだと。ただ、絵だったら、家が染色業を営んでいたこともあり、日本画での進学は許されたんです」 学業と仕事の両立は大変だった。「週に1度は、作品の公表会というのがあって、月に1度は、教授も来られての教授会というものもありました。なかなか提出できないことも多かったのですが、友達の力を借りてなんとか単位を取る事はできました。先生から見たら、自分で書いてないことはバレバレでしょうけど (笑)」。ただ、この時に教授だった日本画家の加山又造先生の言葉が、後々 “表現者”である彼女の力になっている。 「当時から巨匠であった加山先生でしたが、さすが言うことが一違うなと感じました。『荒井さんはレコードを出したみたいだけど、それも”表現”だから。次の公表会では、そのレコードを持ってきなさい』と言ってくれたんです。自分の中で、どういうルートを通っても”表現”ということでは一緒なんだと感じました」 変化した自分が、また新しいモノに出会うことで、新しい境地に行ける作品を作る際は、”意識”して書くことと “無意識”で書くこと、どちらも平行している。「ただの街歩きもすごく好きです心の中に入っているものを引き出して、目にしたものを組み合わせて形にしています」と、ユーミンらしい “表現”で答えてくれる。「なるべく言葉に置き換えようとしています。そうすると自分でも覚えておけるから」。きれいな夕日を見たら誰かと共有したい、そうするともっと美しく感じる。「そんな気持ちが一番の“書きたいというモチべーション”に繋がっているんじゃないかな」。 常に変化を求めて作品を作り続ける。「未だにしょっちゅう納得するんです。言葉とも限らず人物とも限らず、本や映画……接するもの全てがちょっとずつ自分に変化を与えてくれています。そんな変化した自分が、また新しいモノに出会うことで、新しい境地に行くことができるんです」。 その都度”抜けた”から。このエネルギーで走り続けてきた そんな彼女の、輝き続ける秘訣とは。「今まで色んな局面がありました。訳のわからないうちに売れてブームになって、そのまま20代ですぐに結婚。必死になって曲を作ってツアーをやってという時期と、少しだけ見晴らしがよくなって、冒険してみた時期もあります。まだ誰もチャレンジしていない演出にも作品にも常に挑戦してきました」。 ありとあらゆる作品を世に出してきた。もうこれ以上のことをしなくても、誰からも文句は言われない。「ただ、作らないと腐っちゃう。 生きてはいけない人間なんです」と言う。「ここまでやってこられたのは、その都度 “抜けた”から。この“抜けた”エネルギーで走り続けてきた。毎回ハードルを倒していたら、走れなかったかもしれない。今回のアルバムでは、特に抜け感。を感じられたんです。これが一つの転機になり、これからもっとやっていけるな、そう自信になりました」。音楽、そして学生時代を通して、わかったことがある「部活でも、単位を取ることでも、目の前にあることを一生懸命クリアすることじゃないかな。その時は、将来の自分と違うところにいるように思うかもしれない。でも、そうすることで価値観は変わっても、若い時に培った姿勢は変わらないもの。社会や今の自分がどんな位置にいようと、何事も前傾姿勢を保って取り組むことが大切だと思います」。 学生新聞2009年4月号より

芸能人

HIRO 日々のやりたいこと・想いの詰まった1年… それが PERFECT YEAR

<プロフィール> HIRO (ひろ) 1969年6月1日生まれのAB型。1990年ZOOとしてシングル「ケアレス・ダンス」でデビュー。 1996年ZOO解散後、1997年「J Soul Brothers」を結成。2001年夏、「J Soul Brothers」から「EXILE」と改名する。 2001年9月27日「Your eyes only〜曖昧な僕の輪郭〜」でデビュー。 EXILEのパフォーマーでありリーダーとしてグループを引っ張る傍ら、所属事務所LDHの社長としても活躍。 今年はEXILE PERFECT YEAR 2008と題し、ベストアルバム3枚リリースなどの企画を盛り込んだEXILE色満載の1年となっている。 7月23日にはベストアルバムの2枚目にあたる「EXILE ENTERTAINMENT BEST」が発売。 パフォーマー、リーダー、そして社長である自分。 EXILEのパフォーマーリーダーであり、事務所社長でもあるHIROさん。同時に複数の役割をこなす上で難しい事はありますか? 「自分たちの好きなことを突き詰めてく中で今に至っているので、いろんな人に出会っていろんな事を経験して、スタッフも僕も一緒に成長してきた感じですね。辛さの乗り越え方もわかるので。辛いというよりそれをエネルギーに変えて前に進んでいっている感じです。だからパフォーマー、リーダー、社長という分け方はあまりしていません。 PERFECT YEARと題し、ベストアルバム3枚リリース・劇団EXILE・アニメエグザムライ・月刊EXILE創刊・そして5大ドームツアーと盛り上がっていますが、これらの企画のきっかけは何ですか? 「常にEXILEの事を考えていく日々の中で、エンターテインメントの幅を更に広げて、新たな可能性にも挑戦していきたかったからです。また多くの人達に数々のエンターテインメントを通じて、一年中楽しんでもらいたい。PERFECT YEARにはそんな思いがいっぱい詰まっています」 その他の内容に関してはどうですか? 「どのコンテンツもその分野のプロフェッショナルとの出会いがありました。各分野のプロと一緒になってEXILEプランドを輝かせていこうと。多くの偶然の出会いがありましたが、常にアンテナは張っていて、人とのコミュニケーションを大事にしているので、必然といえば必然でもある出会いでした」 今のところ、 PERFECT YEARはPERFECTに進んでいますね。 「僕らの目指している事は順調にできていると思います。みなさんに喜んでもらってこそPERFECT YEARなので、今のEXILEは想像以上にファンのみなさんに喜んでもらえてすごく嬉しいです。もっと楽しく喜んでもらえるように、EXILEをさらに加速させていって盛り上げたいです」 今年7月23日発売の2枚目のベスト「EXILE ENTERTAINMENT BEST」の内容は? 「アニメの『エグザムライ』の本編もあったり、また第一章の楽曲をATSUSHIとTAKAHIROで歌い直してアレンジも新しくしたり、新曲を様々な企画で作品にしたりと、本当にネタがいっぱい詰まっているベストアルバムなので、聴いても見ても幅の広がったEXILEを、世代を超えて楽しんでもらえると思います」 未来の自分、そして学生へ。 これから挑戦してみたい分野はありますか? 「分野というより、これからも今までのぶれない自分で、より多くの人に元気になってもらえるような影響力のある存在でいたいです。僕らもみんなから元気や自信をもらっているので、まだまだインパクトを求めて世の中の人を良い意味で驚かせていきたいと思います」 最後に学生に向けてメッセージをお願いします。 「まぁ偉そうに言えないんですけどね(笑)。今自分がこうしているのは多くの出会いのおかげなので、一つ一つの出会いを大切に一日一日を一生懸命生きていけば、きっと素敵な人生になれるかなと。日々を大切に、これからも人に思いやりを持って頑張っていってください」 学生新聞2008年8月号より 

芸能人

藤井フミヤ 自分の作っている音楽は、 10年前に出しても後に出しても変わ...

<プロフィール> アーティスト 藤井フミヤ (ふじいふみや) 1962年7月11日、福岡県生まれ。 1983年、「チェッカーズ」にてデビュー。1993年、1stソロシングル「TRUELOVE」が200万枚を超えるセールスを記録。容楽だけでなく、アートなど多方面に活躍の場を広げ、2005年の「愛.地球博」(愛知万博)では、名古屋市バビリオンの総合プロデューサーとして世界最大の万葉鍵「大地の塔」をプロデュースした。2008年、デビュー25周年という大きな節目を迎えるにあたり、弟·尚芝との兄弟ユニット「EBLOODを約10年ぶりに本格再始動、2枚目となるオリジナルアルバム『Ants』を1月23日リリース。5月下旬には、 待望のアニバサリーベスト盤が発売予定。 デビューのきっかけと幅広い活動にかける思い まずは、音楽を始めたきっかけや、デビューまでの経緯を教えてください。 「当時、矢沢永吉さんが組んでいたキャロルというバンドがあったのですが、その音楽を聴いて、自分もやってみたいと思い、中学1年生のときに初めてバンドを組みました。当時は、エレキギターを持っている人は学年に2、3人くらいで、持っているだけで、不良だというイメージがありました。『チェッカーズ」というバンドでアマチュアバンドの大会で優勝して、デビューをしたのですが、自分でも想定外のスーパーアイドルになってしまいました。当時から、「頂点に上りたい」といった野望はありませんでした。東京に出るのも、大学に進学する形で出てきたかったのですが、若干不良だったこともあって、周りも勉強していなかったから、自分もしなくなって、地元で就職しました。 でも、当時の彼女が上 京して、自分も東京に遊びに行くようになり、町を見て、とにかく東京に住みたいと思いましたね。今では、東京も福岡も大阪もそれほど違わないのですが、物流とか情報が昔は全然違いました。そういうこともあって、東京に行きたいと思いましたね。それに、東京に出るきっかけが欲しかった。音楽1本に絞る気もなかったのですが、デビューさせてくれると いうことだったので、東京に行ってしまおうと思いました。今思うと、若さゆえのパワーですね。デビューしてからは、あまりの人気のすごさに途中で道を変えよう思わなかったです」 ディズニーのヘラクレスやドラマ、CMなど音楽の中だけでも幅広く楽曲を提供されているだけでなく、自身も声優や役者として、また個展を展開されていたりと、活躍されていますね。 「基本的に何でもやります。 今、やりたいと思っていることは、本を書くこと。小説を書きたいです。映画はあまり見ないのですが、本は普段からよく読みます。本は映画のように、 まとまった時間を空けなくていいし、かばんに入るし、場所を決めなくても、どこでも読めますしね」 その時々の時代背景や、自分のやりたい音楽によって、作る音楽や歌い方にも若干たりとも変化が現れていると思いますが、逆に音から変わらないものはありますか? 「自分の作っている音楽は、10年前に出しても10年後に出しても変わらないと思っています。音楽業界では、制作で使用するソフトやハードは変化していますが、出来上がる作品に関して大きな変化はなく、実は真新しいものってそんなにないんです」 音楽を作るときは、どうやって作られますか? 「作り方には、大きく分けて2タイプあります。 暇な時にお酒を飲みながらでも作る人と、「さあ、作るぞ!と集中して作る人と。 自分は後者のタイプで、タイムリミットがないと作れないです。「すべての作品はタイムリミットが作る」という風に感じていますどんな仕事もそうですよね。作品を作るのに、自分にとって一番いい理境はホテルです。 電話が鳴らないし途中で作業が停止することがないからです。作業が止まると思考も一旦止まるから、一人がよくて、まっさらな環境で、携帯も自分から掛けるとき以外は切っています」 藤井さんにとって、唄とはどのようなものですか? 「仕事ですね。家で歌うことは、鼻歌でさえないです。仕事以外でのどを使うことはないです」 もしミュージシャンじゃなかったら、何をしていると思いますか? 「ミュージシャンというものは、夢を形にしている職業だと思います。自分には、昔からサラリーマンになって会社に行っているというビジョンがありませんでした。でも、ミュージシャンになっていなかったら、元々クリエイター志望だったこともあって、デザイン事務 所に入って就職していたと思います。でも大学に行ってみたかったですね」 藤井フミヤさんから大学生へのアドバイス 10代後半から20代前半の学生にアドバイスをお願いします 「学生の本業ということもあるし、勉強をしてほしいですね。学生としてしっかり勉強していれば、社会ではその勉強が関係なくても何に対しても吸収力が良くなると感じます。本を 読んだり、文章を読んだり書いたりする事が苦ではないのでしょうね。物事を良く知っているし、知識欲があるように感じます。何になりたいかっていう、目的は早く定めるといいですよ。そのための勉強をしているから、もしその通りにならなくても良くて、違うことにずれても平気なんです。一つ夢を持ってそれを追求していけば、それに付随した何かになれます。ミュージシャンになれなくても、バックミュージシャンになれるかもしれないし、プロデューサーやレコード会社の人間になれるかもしれないですよね。自分が好きなものを思って、知識欲を持っていればいいんです。まさしく「好きこそものの上手なれ」ですね。何も考えたくないときは、パラエティー番組を見ています。文章を書いたり、作詞をするといった職業をしていると、雑誌や本を読んでいても、若干仕事が入っていますね。 常にアンテナが立っている状態です」 学生に向けてメッセージをお願いします。 「夢を持つこと。人間は常に二つの選択があります。 AとBを選んで進むと、また二つ選択肢が出てきます。ういった時に、道しるべが必要です。迷ったら、人に聞けばいいんです。聞いても、最後は自分で決めるのだけど、常に道しるべとなる夢が必要です。」 学生新聞2008年6月より