• 運営スタッフ
  • HOME
  • 運営スタッフ

Archive for 運営スタッフ

梶間直人

武田真治 失敗は挑戦した人にしか味わえない。諦めない。ずっとやる。

<プロフィール> 俳優 武田真治 (たけだしんじ) 俳優・サックスプレイヤーとして活躍。9月9日には24年ぶりのソロアルバム 「BREATH OF LIFE」(ワーナーミュージック)をリリース。 やりたいことを見据えて、出来ることをする  高校2年生の頃にジュノンスーパーボーイに受かり、地元札幌から都立の定時制の夜間学校に転入しました。大学に行くための受験勉強をするより、自分の若い体に何を覚えさせるか、やりたいことをやることのほうが大事だと判断して決めたことでした。当時はバンドブームで、個性的なバンドがたくさんホコ天で演奏していたのを見て本当に憧れていました。音楽で自由に自己表現してみたかったんでしょうね。人生には紆余曲折・浮き沈みがあることを覚悟できるなら、自分の核にしたいものには、ある時期熱中してみることをオススメします。そういうものや時期があるほうが、新しいことにも思い切ってチャレンジできると思うからです。  音楽を志して始めた活動でしたが出会いに恵まれ、俳優業やバラエティー界にも進出することができました。この3つの異なるフィールドを30年間挑戦し続けてグルグル回っていると、点と点が繋がって線になって、線と線が広がって「面」になり、自分の「ツラ」が出来る。もしかしたら、それを人は「ブランド」と呼ぶのかなと。  だから、なにか始める時に「自分とは何者か」を自問自答しすぎない方が精神的に健康でいられるのかなと思います。これからの時代は特に。自分をブランディングしてから何かを始めるのではなく、歩んだ道を人がブランドと呼ぶんですから。あいつ何やりたいんだって言われるぐらいなんでもチャレンジすればいいと思います。 必要なのは個性よりも特性  ベストを望んでベターを得る。時に逃げたり、無駄に攻めたり、いろいろやってみて初めて自分のバランスが見つかるんだと思います。これはやはり時間のかかることです。  個性的であることばかりにこだわっても、現場で使えないと意味がありません。それはどんなジャンルでも。社会において絶対必要なのは個性より“特性”だと思います。不器用でも実直に生きてきた人は、それが評価される日が来るし、プレゼンが上手い人でも実行する段階でつまずくことはある。個性って趣向でしかないので流行がありますが、特性は時代に流されません。  人生を長い目で見て目標を達成したいと考えているなら、少しずつでも筋トレをオススメします。嫌なことでもプラスに変えられる精神が育つからです。  知っていて欲しいのは「我慢には限界があるけど、努力は習慣になる」ということ。ダイエットは我慢ですが、筋トレは努力ですよね? 自分がしていることが我慢なのか努力なのかがわかると、心や体が壊れるのを予防できます。これはなにをするにしても必要な判断力だと思っています。 大学生へのメッセージ  君たちには、しくじる権利があります! なにをやっても取り返しはつきます。反省したり、怒られたり、いっぱい失敗してください。失敗は挑戦した人だけが味わえる人生の旨味です(笑)何年か経てば、仲間が集まるたびに何度でも笑いあえるいい思い出に変わっているはずです。 学生新聞2020年10月号より(中京大学4年 梶間直人) 写真撮影:プロカメラマン 広田成太

イベント・企業紹介

祖父母と会う機会が少なくなってきたこの時代に「マゴ写レター」で 感謝...

スマホで送れる“往復はがき”でおじいちゃんおばあちゃん孝行 「マゴ写レター」は、日本郵便によって9月17日から開始された、スマートフォンから簡単に送ることができる写真付き往復はがきを通したコミュニケーションサービスです。 今回、このサービスを企画・開発した日本郵便株式会社の中村翔大郎さんと株式会社マッキャンエリクソンの吉富亮介さんにお話を伺った。 マゴ写レターについて  古くからある双方向コミュニケーションツールである“往復はがき”を、孫と祖父母をつなぐ新しいコミュニケーションツールとして活用しました。  送り主となるお孫さんは、公式サイトから簡単にマゴ写レター(往復はがき)を送ることができ、受取人となるおじいちゃんおばあちゃんは、マゴ写レター(往復はがき)を受け取り、印刷されたお孫さんの写真を手元に残しつつ、返事を書いてご返送いただくことができます。 どういう経緯から生まれたのか  健康寿命の重要性が高まる中、祖父母と孫など、家族との気軽なコミュニケーションが取りづらくなっているのではないかという考えから、この度「マゴ写レター」というサービスを考案しました。帰省したくてもできない人も多く、離れて暮らすお孫さんとおじいちゃんおばあちゃん、または親子がコミュニケーションを取る一つのきっかけとして「マゴ写レター」を是非ご活用ください。 登録したメッセージ、写真、その他の情報が印刷された往復はがきが おじいちゃんおばあちゃんの手元に届く 「マゴ写レター」というサービスを知って思うこと 私は、一人暮らしで親とも祖父母とも会えない状態で、なおかつ祖父母は携帯電話を持っていないため連絡がほぼ出来ていませんでした。また、今回のコロナの影響で帰省することもできず、足が遠のいてしまっていました。しかし、今回の「マゴ写レター」というサービスは、なかなか会うことが出来ていなかった祖父母に対してメッセージや画像を送れ、祖父母からも返信が返ってくるため、とても幸せなものだなと思いました。やはり、お手紙や手書きのメッセージを貰うと嬉しく、またデジタルではなくアナログなため飾ることもできるのがすごく魅力的だと感じます。これを機に、祖父母と連絡を取り合っていこうと思います。また、「マゴ写レター」=「敬老の日」というように、新しい習慣になって欲しいなと思います。 駒澤大学 4年 安齋英希 地元を離れて暮らしている人にとって、手軽に「会いに行ける」ような、とても愛情溢れる素敵なものだと思いました。スマホ一つで、送ろうと思ったタイミングですぐに実行に移すことができ、またそれを相手の手元に残る形で送ることができる。祖父母や私たちでは、お互いのコミュニケーション方法に違いがあります。私たちスマートフォン世代のニーズにマッチした使いやすい便利なコミュニケーション方法だと思いました。これをきっかけに普段あまり連絡をとれていなかった祖父母にもっと連絡をとろうとも思えるだろうし、「きっかけ」がなくなってきている今の時代にもぴったりだと思いました。顔を直接見せにいきにくく、連絡を取っていなかったときにサプライズなどで使ってみたいなと思います! 津田塾大学 3年 川浪亜紀 祖父母と会う機会が少なくなってきたこの時代。そんな日本のギャップを埋めるべく、往復はがきを使ってやりとりをする新サービス「マゴ写レター」。日頃手紙離れしている学生が使えるように、ネットで簡単に作成できて写真まではがきに組み込めます。普段なかなか会えない方へ日頃の感謝や近況報告をするきっかけになります。もし自分の孫から写真付きで手紙を貰えたら、祖父母はどれだけ喜ぶのだろう、と想像すると自分まで嬉しくなります。僕はここ数年、親戚に会っていないので、このサービスを真っ先に使いたいなと思いました。特に今の学生は一人暮らしも増えているため、親戚に会う機会が少なくなっている気がします。スマホで完結してしまう世界ですが、物として記憶にも残る「手紙」という手段を使って、感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。 文教大学 2年  北島麗音 私がもっとも最近で、祖父母に連絡したのは、いつのことだったかな。ましてや、手紙を送ったのがいつなのか、思い出すこともできないです。遠くに住む祖父母とは不仲なわけでもないし、お盆などの機会に会うことはあるけど、新型コロナウイルスの影響もあり、長らく会えていないです。「元気?」と一言かければいいだけの電話も、なかなか掛けることができない。そんな中、マゴ写レターは、おじいちゃんやおばあちゃんに元気でいて欲しい、連絡がしたい、だけれども、なかなかコミュニケーションの取れない人にぴったりなサービスだなと感じました。スマートフォン1つで、簡単にはがきを送ることができて、なおかつ返信も返ってくれば、元気なことが確認できて安心です。電話のように時間を気にする必要もないし、返信はがきをきっかけに、また次のお手紙を送ることにつながるかもしれません。少しのきっかけがあれば取れるはずの祖父母とのコミュニケーションを取り戻せる素敵なサービスだと思います。私も、祖父母に送ってみよう! 東洋大学 1年 濱穂乃香

梶間直人

大友花恋 見えない未来にではなく、「今」に全力を尽くす

<プロフィール> 大友 花恋(おおとも かれん) 1999年10月9日生まれ。雑誌「セブンティーン」専属モデル。2016年、若手女優の登竜門と言われる「第95回全国高校サッカー選手権大会」第12代目応援マネージャーに就任。映画「君の膵臓をたべたい」(‘17年)、ドラマ「チア☆ダン」(‘18年・TBS系)「あなたの番です」(‘19年・NTV系)など数々の話題作に出演し、「新米姉妹のふたりごはん」(‘19年・テレビ東京系)では主演を務めた。その他、「王様のブランチ」(TBS系)やラジオ「クラスメイトは大友花恋!」(文化放送)パーソナリティーなど、多方面で活躍している。 インスタグラムアカウント@karen_otomo 中学生で芸能界デビューした後、女優やモデルの仕事と学業をきちんと両立させて、学生時代を過ごした大友花恋さん。どのような青春時代を送っていたのか、どんなことを大切にしているのか、どんな思いで仕事に取り組んでいるのか。そして同年代の大学生への想いと伝えたいことを伺った。 部活に憧れも…でも、仕事が青春だった 小学生の時は、すごく活発なタイプでした。縄跳び大会やマラソン大会、そして運動会など、行事がとても多い学校だったので、それに向けての準備や練習には常に全力を注いでいました。生徒数がそんなに多くなかったので、友達も先生もみんな仲良しの素敵な環境で、学校が大好きでした。  中学生になるタイミングで芸能活動を始め、学校での過ごし方が変わってきました。お仕事でどうしても学校を休まなければならないときもあったので、そういうときに、どうすれば周りのみなさんに迷惑をかけず、勉強も置いていかれずについていけるのか、お仕事と学業の両立に重きをおいて、中学・高校を過ごしました。  部活はできなかったので憧れはありましたが、それよりも撮影が好きだったんです。現場でお仕事している時間が本当に一番の青春でした。 可愛いお洋服を着てみたい!  芸能界に憧れを抱いたのは、テレビに映る可愛いお洋服を着た芸能人のみなさんを見て、「私もこういうお洋服着たいな!」と思ったのが最初でした。  そして小学6年生の頃、本屋さんで偶然見つけた雑誌で読者モデルを知り、応募しました。 初めはお芝居から始めました。その後にモデルのお仕事やバラエティ、ラジオといろんなジャンルへの挑戦がありました。  それらを見てくださった皆さんから、ありがたいコメントをいただくと、やりがいを感じ、モチベーションが上がります。私が好きでやっていたお仕事だけど、それが誰かの心に届いて励ましたというのは凄いことだなと思って、逆に救われています。もっとみなさんのために頑張りたいと思っています。  今は二十歳の女の子としてどう思うのかと質問を受けることが多いので、トレンドも含めて、素敵な場所やものをきちんと発信できるようにいろいろと考えています。 お仕事をする人全員が先生です  お仕事を始めた頃から環境は変わりましたが、私自身はそんなに変わっていないと思います。  新しい環境で振り落とされないように、毎日必死に頑張っているうちに、今に至る気がします。中学1年生の頃からこのお仕事を始めて、プロフェッショナルの人たちとたくさんお仕事させていただきました。それぞれの場所で、その道を極めているみなさんと一緒にやっていくなかで、私の力の足りなさを感じることが多くあります。本当にまだまだなんです。お仕事でご一緒させていただく先輩方は、本当に凄い方ばかりなので、いつも背中を追いかけている感じです。 何があるかわからない出会いを大切に  私自身、やりたいことは意外とないんです。モデル人生をスタートさせたきっかけも、こういうオーディションがあるから受けてきて、というところから始まりました。機会をいただいて挑戦したことで、思いもよらない出会いや発見に巡り合うことがいっぱいあります。やって良かったなと思うことが多いので、これからも一回一回の何があるかわからない出会いを大切にしていきたいなと思っています。  この先何があるかわからないし、「私、このままお仕事続けられるのかなぁ」と不安になるときもよくあります。でもそんなときは、今を見るようにしています。「明日のお仕事でこうしよう」「来週の撮影に向けて、こういう準備をしておこう」と。未来のことは見えないので、現在見えているところだけに、全力を尽くしています。 家族のような仲間との時間  土曜日に放送中の『王様のブランチ』(TBSと一部の系列局)というお昼の番組で、3週に1回、レギュラーで出演させていただいています。それが今年で4年目になるんです。高校3年生の頃のときからなので、高校の卒業や二十歳を迎えるタイミングといった、人生の大事な瞬間にはいつもブランチが側にいました。レギュラーメンバーをブランチファミリーと呼んでいるんですが、その名のとおり、本当の家族のような人たちなんです。先日も誕生日のお祝いで食事会を開いてくださったのですが、そういう関係を築けていることが凄く嬉しいです。また、その関係があるから、土曜日の朝からお昼にかけて、みなさんにホットで温かい時間をお届けできているのだと思います。お休みの日だけど、ダラダラし過ぎず頑張ってみようかなと思っていただけるきっかけになれば嬉しいです。  メインMCの渡部建さんは、レギュラー出演陣はもちろん、スタッフのみなさんにも率先して声を掛け、スタジオの空気を調整してくださる方。佐藤栞里さんは、笑顔で周りを盛り上げてくだる素敵な方です。人として栞里さんみたいになれたらいいなぁと思っています。私の理想の女性像です。 「想い」同世代の大学生のみなさんへ お勉強や就職活動で頑張っている姿というのは、私にとって凄く刺激になっています。私自身、大学の世界は知らないことばかりなんです。どういう授業を受けているのか、そしてどんな将来を見据えて準備しているのか、私は本当に想像出来ないですが、その中で戦っている同年代の姿を見て、私も私の場所で頑張ろうと思えることが多いんです。みなさんと一緒に令和の時代を戦っていけたらな、と思っています。 私はSNSやテレビなど、発信させていたく場所がたくさんあるので、みなさんが素敵な気持ちになってもらえるようなものをお届けできたらいいなと思っています。 学生新聞2020年4月20日号より(中京大学3年 梶間直人) 日本大学3年 鍜治田翔平/文教大学1年 北島麗音/慶應義塾大学4年 山本アンナ/中京大学3年 梶間直人/駒沢大学3年 安齋英希 写真撮影:プロカメラマン 広田成太 <英文記事> Karen Ootomo  ■Profile: Born 9 October 1999. Exclusive model for Seventeen magazine. In 2016, she was selected as the 12th cheering manager for the 95th National High School Football Championship, considered a...

梶間直人

シシド・カフカ 一流のドラマー・打楽器奏者が集うリズム・イベントを主...

<プロフィール> シシド・カフカ ドラムヴォーカルのスタイルで2012年「愛する覚悟」でCDデビュー。モデル・女優としても活動し、NHKドラマ10「ハムラアキラ〜世界で最も不運な探偵」にて初主演。自身がプロデュースするイベント「el tempo(エル・テンポ)」も精力的に開催している。 シシド・カフカさんプロデュースで話題のイベント、「エル・テンポ」について聞かせてください 「エル・テンポ」とは、コンダクターである私が、100種を超えるハンド・サインを駆使して合図を演奏者に送り、リズムを繰り出していく即興セッション・イベントです。演奏者は、日本を代表するパーカッション奏者さん、ドラマーさんに集まっていただいております。  コンダクターも演奏者も、100種以上のハンド・サインを覚えることが、まず大変なんです。即興演奏なので、コンダクターの私は、100種超の中から、どのサインをどういうタイミングで出していくかも、瞬時に決める必要があります。  コンダクターが出したサインひとつで音色が決まるので、おかしな音色になってしまったら、すべて私のせいです。「ステージ上でサインを何も思いつかなかったらどうしよう」と毎回不安になりますが、演奏者も観客も会場が一体になって、みんなが楽しんでくれると、本当にうれしいです。 エル・テンポの楽しみ方とは?  リズムを肌で感じたままに、お酒を飲みながら、自分を解放してほしいです。私たちのほうで、空間に魔法をかけておきますから。  未成年の方はお断りしているのですが、それは早く大人になってあの場所に行きたいと思ってもらえるようなイベントにしたいからです。大人が思いっきり楽しめる遊び場になるといいな、と思っています。 大学生へメッセージをお願いします。  大学という場所は、利用価値のあるものがたくさん転がっていると思っています。大学で勉強したいことがあるなら全部利用したらいいし、もし学外でやりたいことがあっても時間を捻出しやすい環境ですし。世の中には楽しいことはいっぱいありますが、目の前より先を見て、自分が本当に好きなことに全力を尽くしてください。 “好きに素直になる”というのが一番いいと思います。それを叶える手段はたくさんあるはずなので、みなさんそれぞれが模索してほしいなと思っています。 学生新聞2020年4月20日号より(中京大学3年 梶間直人) 写真撮影:プロカメラマン 広田成太

芸能人

前田健太「遠く米国に渡っても、トップアスリートとして疾走し続ける身体...

<プロフィール> 前田 健太 (まえだ けんた) 1988年4月11日大阪生まれ。PL学園高校から2006年高校生ドラフト1巡目で広島東洋カープに入団。10年・15年には沢村賞を受賞。15年まで6年連続2桁勝利を挙げ、数多くのタイトルを手にする。15年オフにポティングシステムを利用しドジャースに移籍。移籍1年目から4年連続でワールドシリーズ進出。2020年ツインズ移籍。 食生活、身体づくりに気をつけていることは?  元々は、そんなに健康に気を遣ってなかったんですよ。水だって普通のものを飲むし、お腹が空いたらジャンクなお菓子を食べるし。しかし、結婚を機に、体に入れるものに気を遣うようになりました。妻がたまたまインナービューティーに関心があり、その影響も大きいです。僕は少しおなかが弱いので、動物性のプロテインをとると調子が悪くなっていたのですが、植物性たんぱく質のものに変えました。それ以来、調子がいいです。  また、遠征先では必要な食事が摂れないことも多いので、水などもお気に入りのものを持参して行くようにしています。体の状態が改善することで、日頃の健康もそうですし、野球にとっても良い影響が出ます。試合中に足をつることなどがほとんどなくなり、疲れもとれやすくなりました。 学生に向けてのメッセージをいただけますか  学生時代はすごく苦しかったですね。プロ野球選手になるためだけに、辛い寮生活や練習に耐える日々でした。でも、あの日々があったからこそ、今の自分がある。学生時代というのはいろいろ吸収できる時期ですから、限られた時間を、各々の分野に無駄なく使って、全力で楽しんでほしいです。友達と授業を受けること、遊ぶこと、時間は戻したいと思っても戻せるものではないので、今しかできないことを全力でやり尽くしてください。 学生新聞2020年4月20日号より (日本大学2年 島滉翼) 写真撮影:プロカメラマン 広田成太

芸能人

テリー伊藤 人生、なめてかかって真面目にやる 好きなことが、人生の「勝...

<プロフィール> テリー伊藤  1949年東京築地出身、演出家。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部に入学。大学卒業後、テレビ番組制作会社IVSテレビに入社。「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などヒット番組を手掛ける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」を総合演出。「サッポロ生搾り」「ユニクロ」「プロピア」「MGローバー」等数々のテレビ番組やCMを演出。 テレビ番組の演出のみならず、タレント、コメンテーターなど様々な顔を持ち、芸能界でマルチに活躍しながら、70歳にして慶應義塾大学大学院に通われているテリー伊藤さん。そんなテリーさんに学生時代のことや人生のコツ、大学生へのメッセージをうかがった。 大学時代の感動体験が仕事に 大学時代の僕は最低でしたね。女の子にうつつを抜かしていて、どうすればモテるようになるかばかり考えていました。卒業後は就職もしないでフラフラしていたので、家族からは「同世代はみんな頑張っているのに、お前は何をやっているんだ」なんて言われていて。初任給やボーナスをもらい始める仲間や、外資系に勤めている友だちに外国人の彼女ができた話を聞いて、焦りました。自分はこのまま人生負け犬で終わっていくのか、参ったなあと途方に暮れていました。これが人生を振り返るきっかけでしたね。 その時、それまでの22年間を思い出して、何かいいことがなかったかを箇条書きにしてみたんです。そうしたら、大学2年の時にコンサートの演出をしたことが浮かびました。自分が手掛けた舞台が終わり、どん帳が下がって行く時に、自然と涙が出たんですよね。過去に何かを見て感動して泣いたことはあったけれど、自分で行動をしたことで涙を流したのは生まれて初めてだったんです。それで、演出の仕事をしよう!と思いました。 みなさんにも、「これは人よりも頑張れる」「これは寝ないでやっても苦じゃない」と思えることを箇条書きにすることをおすすめします。自分の好きなことが、1つでもあればいいじゃないですか。その好きなことが、人生の「勝利の方程式」につながると思います。自分の好きなことを研究して形にできるといいと思います。焦りやコンプレックスを自分の中でどうパワーに変えていくかが大事です。 実は、この業界に入る時に心に決めていたことがあります。それは「人生、なめてかかって真面目にやる」ということです。真面目な性格はいいことだけど、成長するときにそれが歯止めになることがあるわけですよ。逆に、「大したことないや、この世界」という視点を持っていると、難しいことにも果敢に挑めます。なめつつも、一生懸命やる。ぜひこれを、みなさんに参考にしてほしいです。 仕事に苦労は見当たらない 仕事に苦労はないですね。なぜなら、演出の仕事は、自分たちのやっていることが表に出るからです。テレビに自分の名前が出れば、家族や友だちに見てもらえますよね。目に見える結果が出る。表に出れば批判を受けることもあるけど、やりがいがあって面白いです。「忙しくて大変ですね」なんて言われますが、僕たちがスタジオに入った時には既に、照明さんや美術さんが用意をしてくれている。僕たちが帰った後には片付けをしてくれている。いろんな方がいて支えてくれている。それを思ったら、なんで自分が「苦労してる」なんて言えるんでしょう。 自分のポジションをネガティブに捉えようと思えばできますよ。「いやあ、苦労もありましたよ」なんて。そうじゃなくて、プラスの面を探すんです。みなさんも就職した際には、「こんな仕事、嫌だよ」ではなくて「こんな仕事に就けたんだ」って考えることによって学べるものがあると思います。これは、人に対しても同じです。ネットを見ると他人の批判に溢れていますが、「この人がどうやったらもっと素敵になるか」を考える方がポジティブですよね。 打席に立ち続ける生き方を提案したい 僕たちの世代は、若い世代に嫌われていると思うんですよね。なぜなら僕たちの世代がファッションも音楽も大体形づくってしまったので。それ以降の世代に、新しく生み出すものがあまり残っていないんですよ。その責任は、僕ら世代が背負って生きている部分もあるのかなと思います。これから歳をとっていく団塊の世代に、どうしたら幸せになれるかを提案していけたらいいですね。僕らを見て、「ああいうふうに人生生きたら、歳をとっても不安じゃないな」って思わせられるような面白い提案ができるといいなあと思っています。今、ちょっと大学でそんな研究をしているんですよ。なかなか難しいんですけどね。「生き方の方程式」は、いくつもあるよと伝えたいです。 僕、今YouTubeやってるんですよ。テレビで人を批判していても埒があかないなあと思って。YouTubeに出て、自分が批判対象になった方が面白いなあと思ったんです。高齢者にこそYouTubeをすすめたいですね。自分が現役でバッターボックスに立って、三振したら罵声を浴び、ヒットを打ったら拍手をもらうというような、刺激を受けるポジションをとることが大切なんだと思っています。 大学生へのメッセージ 好きなことをやってほしいなあと思いますね。チャンスは何度でもあると思うから、やりたいことやって、学んで、自分の中のよさを世間に見せつけてやるっていうのが大事なことだと思います。挑戦していく中で、「ああ、もうだめだ。」っていう絶望感に駆られることってあるじゃないですか。でも、人生って「51対49の法則」というのがあるんです。49の悪いことがあるでしょう。でも、51のいいこともあるんですよ。51のいいことがあるんだったら、その51にかける人生もあるんですよね。壁にぶつかった時は、「昔の方よかった」と懐古的になるより、「51のいいことがあるから、もうちょっと頑張ってみよう」と思えばいいんじゃないかと思います。 学生新聞2020年4月20日号より (早稲田大学1年 田中智里) 国際基督教大学3年 鈴木菜桜 / 学生新聞アンバサダー 近藤智美 / 慶應義塾大学 4年 山本アンナ / 早稲田大学1年 田中智里 写真撮影:プロカメラマン 広田成太

経営者

株式会社ビーボ 代表取締役社長 武川 克己

効率を度外視したサポートで お客様の心をつかむ 株式会社ビーボ 代表取締役社長 武川 克己(たけがわ かつき) 1984年京都府生まれ。大学在学中、立ち上げ間もないファッション関係のフリーペーパーを発行する会社に参画。大学卒業後も約1年間経営に携わった後、上京し、ウェブマーケティング会社に就職する。2010年、株式会社ウェブタンクジャパン(株式会社ビーボの前身)を設立。現在はD2C事業やキャリア事業をはじめ女性のライフイベントを支援する事業に注力しながら海外展開にも力を入れている。 「顧客ファースト」の理念を組織全体で追及し続ける株式会社ビーボ。「自分の人生をどう世の中に使っていくのか、事業を通してどういう価値を世の中に提供していくのか…」、武川社長は自分に問い続ける。一冊の本との出会いが経営者の道を歩む大きなきっかけになったという社長に話を伺った。 大学に入ってから2年間は大学生らしく遊んで過ごしていました。毎日楽しくはあるのですが、それだけでしかなく、自分の人生についてあまり深く考えていませんでした。そんな中、大学2年の終わりに司馬遼太郎『竜馬がゆく』という小説を読んだことが大きな転換点になりました。『竜馬がゆく』は幕末の志士を描いた小説ですが、彼らは日本のために自分の人生をどう使うのか、いつ殺されてもおかしくない状況で一日を悔いなく生きているのです。その姿を目にしたときに「今の自分は何をやっているんだろう」と、100年ある自分の人生をどう世の中に使って いくのかを考えるようになりました。そういう自分の中で変化があった時期、世の中はちょうど学生起業がブーム。 起業家の活躍する姿と幕末の志士が重なったんです。それが今ビジネスの世界にどっぷりつかることになる最初の大きな出来事です。 決めたら即行動会社を立ち上げる 最初はNPO 法人の起業家支援先で知り合った人と一緒にファッション雑誌を作る会社を立ち上げました。決めたらすぐ動くタイプなので、『竜馬がゆく』を読んでから1〜2ヵ月後の出来事でした。その後、1年ちょっとその事業に携わり、23歳になったときに、「もっと世の中に大きな価値を提供したい。行くなら東京」と思い、大阪から上京しました。東京へ来て何をやろうかなと考えたときに、今後必要不可欠になってくるネットやデジタル分野を仕事にしていきたいと思い、デジタルマーケティングのコンサルティング会社で3年半の間サラリーマンをした後、26歳で現在の株式会社ビーボを設立しました。最初は一人でホームページの立ち上げやサイト集客に関するコンサルティングを1年半くらいやっていました。しかし、「世の中にどんな価値を作っていくか」とか、「自分の人生を使って何をやっていくか」ということを考えたときに、このままでは自分の目指すところに到達できないと思いました。これを機に仲間と一緒にどんなサービスを提供したらいいのかを考えながら、現在まで事業を多展開しています。 一番大切なのは顧客ファースト 苦労しても答えが出ないなと感じるのは人や組織作りです。ここ5〜6年、自分の時間の7割くらいは組織作りに費やしています。ビーボが目指している方向性にみんなが腹の底から共感し、一緒に走っていかなければ思うような結果は出ないし、サービスも生まれません。その方向性として一番大切にしていることは「顧客ファースト」です。対顧客に関しては効率を度外視してとことん追求していこうという姿勢は以前から大切にしていました。初めて作った商品がダイエット目的のドリンクだったのですが、それを販売していく中で、自分たちが提供すべきものはドリンクというモノではないんだということに気づいたのです。お客様はそのモノ自体が欲しいわけではなく、その先にある目的を達成させたいのです。極論を言えばそれが達成できればモノはいらないんです。お客様一人ひとりに担当が付くのですが、時にはお客様1人に3時間電話をしてサポートすることもあります。そういう効率を度外視して自分たちの大切にしていることを追及するという文化がビーボの魅力だと思います。 今後の新しいビジネス 展開について 会社としては現在、D2C事業をはじめ、メディアアプリの運営、キャリア支援、レンタル事業、医療サービスなどを多角的に展開しており、その顧客の半数を占めているのが妊活中、妊娠期間中の女性たちです。まずはその領域の人たちとの接点を大切にしていき、妊活から妊娠期間に留まらず、出産後も子どもの成長にあわせて必要なサービスを展開し、常にライフステージの隣にいる存在でありたいと考えています。そのためには、今後も新たなサービスの展開、サービスを変化させ続けていく必要があります。 *message* 目の前のことに1 2 0パーセントの結果で返すことを大切にしてほしいですね。5年後、10年後の将来を気にするよりも、常に目の前のことを120パーセントで返し続ける人の方が最終的に成長すると思っています。 成長したいという人ほど成長しないのは、成長が目的となってしまっているからだと思います。成長は目指すものではなく、いろいろ経験をした先にある結果です。よく「山の先に何があるのかは山を登ったことのある人にしかわからない」って言いますが、山の向こうに何があるのか先に教えられたら登らないじゃないですか。でも登った人でないと足腰が鍛えられないわけで、それが成長です。 学生新聞2020年4月20日号より(国際基督教大学3年 鈴木菜桜)

経営者

株式会社ぐるなび 代表取締役社長 杉原 章郎

食を通じて、世界を良くしたい! “現場主義”社長の思いとは 株式会社ぐるなび 代表取締役社長 杉原 章郎(すぎはら あきお) 1969年広島県生まれ。1996年 慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。 1996年3月 インターネットサービス会社起業。1997年2月 株式会社エム・ディー・エム(現楽天株式会社)の共同創業者として参画。2018年10月 楽天株式会社 常務執行役員 オペレーションディビジョン CHO (Chief Health Officer) シニアディレクター( Operation Division)。2019年6月 株式会社ぐるなび 代表取締役社長に就任。 楽天の共同創業者の一人である杉原氏。数々の新規事業に携わり、楽天経済圏の礎を築く。その後、営業、開発、管理部門などさまざまな経験を経て昨年、ぐるなび社長に就任した。ぐるなびはこれからどう変わっていくのか、新しいぐるなびに求められる人物像とは? 新社長の本音を伺った。 学生時代はアルバイトに明け暮れていましたね。2年目に入ってからは、大学のプロジェクトが面白くなり、学校に入り浸りながら大学の先生の仕事を手伝っていました。 当時はパソコンの黎明期だったので、プレゼンテーションの資料づくりや、パソコンを使ってプランニングができる人が少なかったのです。それが基礎力となって、その後の進路、そして今の自分に繫がっています。 起業したばかりの頃は、仕事の基本がわからなくて苦労しました。きちんと納品したのに、いつまでたってもお金が支払われない。「あの…、代金は…」と聞いたら、「請求書を発行しないと支払いできないよ!」と言われました。そりゃそうですよね(笑)。そんなことすら知らないレベルからのスタートでした。 ネット関係の仕事をする会社だったので、楽天社長となる三木谷浩史氏とは仕事を通じて出会い、後に楽天の創業メンバーとして参画することになったのです。当時の三木谷さんが抱いていた自己実現への強い思いや、「社会を良くしたい」というパワーに触れることができたのはラッキーでしたね。そのパワーに自分も感化され、「楽天をもっと大きくしよう」と、新規事業開発に取り組んでいきました。 ぐるなびの社長になってわかったこと 楽天がぐるなびと資本業務提携したことで、昨年、ぐるなび社長に就任することになりました。同じIT業界とはいえ、飲食店情報サイトを扱うのは、私自身は初めてのことです。そこで、社長になっていちばん最初にした仕事は「現場まわり」です。全国20拠点をすべてまわり、ぐるなびに加盟いただいている飲食店様を訪問し、生の声を聞きにいきました。 これはぐるなびの良いところや悪いところ、他の飲食店情報サイトにあってぐるなびにない点など、率直な意見を聞きたかったのです。飲食店様がぐるなびに期待しているサービス、改善してほしい点など、〝現場〞の声を今後われわれが提供するサービスに生かしていきたいと考えています。 外食産業は競争が激化しており、どこのお店も新しいメニューを開発したりして、お客様にリピートしてもらえるように、日々努力しています。 だからこそ地方の名店や個店の飲食店様の経営を総合的にサポートし、ぐるなびを使ってたくさんの人に知ってもらいたい。これが現場をまわって実感したことです。 ぐるなびで、現場の人といっしょに仕事をすればするほど、今まで働いてきた楽天の理念と似ていると感じました。「地域から全国へ、日本から世界へ」、この思いです。 食が好きで、日本の飲食店を世界に広めたい、お店の価値を高めたいという思いで集まっている人たちでこの会社は満たされています。それがぐるなびの魅力でもあります。しかし、それだけでは他社には勝てません。今はちょっとしたアイデアでもネットを使えばすぐ始めることができるので、飲食に関するサービスはカオス状態です。だからこそ、われわれの強い想いを後世に届けていくためにも、センスを磨き続け、新しいサービスを取り込むようにしています。いち早く新しいことに着手して、世の中に提供していくことが差別化のポイントだと思っています。 根底がひっくり返るようなアイデアを 社長になってからのこの1年間は、食に関することを真剣に考えてきました。「社会をよくするために、ぐるなびは何ができるか」をつきつめて考えると、食を通じて街を活性化することがライフワークに出来そうだとあらためて思います。街中に、単に飲食店を並べるのではなく、毎食、毎食、食を通じて健康や活力を得ることで、人々の生活をサポートする仕組みができないかと考え、ワクワクしています。若い人たちには新しい発想をどんどん出してもらいたい。いろいろなことを根底からひっくり返すくらいの勢いのある人が出てきてくれるといいなと思います。 *message* 多くの体験や経験を大学生の間にしてほしいです。今の日本の大学生は真面目に授業に出て勉強していると聞きますけれど、それでもまだ海外の大学生に比べたら時間がたっぷりあります。なんでも経験できる時期だと思うので、常に新しいことを考えて未来を切り拓くために頭を使ってほしいと思います。 旅行は歳をとってからでもできますが、冒険は若い時にしかできません。私は大学時代、バイト代を貯めて車を買ったのですが、今思えばそのお金を冒険につぎ込めばよかったと後悔しています。ほかの人がしないような経験をすることで、それが自分の強みとなり、さらに成長できます。それが社会で通用する発想力の元になっていくはずです。コツコツ努力できる人、言っていることがブレずに変わらない人は伸びます。 学生新聞2020年4月20日号より(日本大学4年 藤澤歌奈)

経営者

Dell Technologies(デル株式会社)常務執行役員、クライアント・ソリュー...

情報に踊らされることなく 自信をもって突き進んだ人が勝つ! Dell Technologies(デル株式会社)常務執行役員、クライアント・ソリューションズ統括本部長 山田 千代子(やまだ ちよこ) 1995年7月、ラージアカンウトセールスの内勤営業としてデルに入社。その後、数々の役職を歴任し、2015年2月、クライアント・ソリューションズ統括本部長に就任。デルの日本における売上と利益の向上に貢献する。2016年9月に執行役員、2017年 2月に常務執行役員に就任し、現在に至る。 男性社会であったIT業界に就職。「女性じゃ話にならないから担当者を変えろ」とまで言われたという山田常務執行役員。そこからどうやって気持ちを切り替え、生き抜いてきたのか。そこには将来に悩む学生への答えが詰まっている。情報化社会で自分を見失わないための極意を探る! 学生時代は自分の将来についてあまり深くは考えていませんでしたね。毎日楽しく過ごしていましたし、母親も専業主婦だったので、卒業したら家事の手伝いをしていればよいぐらいに思っていました。 最初は家具を扱っている上場会社へ就職。その当時はまだ「女性は結婚や出産があるので、早めに退職する」という風潮がありました。とても良い職場だったのですが、海外に興味があったのですぐに退職し、約1年半、ニュージーランドへ語学留学しました。 帰国後、2度目の就職活動で銀行を受けた際に、たまたま雑誌に載っていた企業にも申し込みました。それがデルです。しかし、銀行の面接がとてもうまくいき、デルの面接の時間が過ぎてしまったのです。長い面接で疲れてもいたのでお断りの電話を入れたら「今からでも来てくれ」と。仕方なく受けに行き、その面接で「デルはまだまだこれからだけどパソコンの流通を変えるのだ」という想いを聞きました。当時は、他社が市場シェアを多く獲得していたので、「後発でシェアを獲得するのは難しいですね」と言って、はっきり断りました。  それなのに、「こんなに意見をはっきり言える人はデルに向いている!」とまで言われてしまって……(笑)。そこまで言うならやってみようかなと思い、デルに入社したのです。 女性じゃ話にならないと取引先に言われた デルでは明確な目標を与えられ、その目標を達成するのがとても楽しく、やりがいを感じました。そして、自分の目標に対する成果もしっかりと評価されますので、とてもすがすがしくも感じました。もちろん未達だとそれに見合った評価をされてしまいますが、自分の責任という自覚が芽生えます。また、先輩に相談したりすることで、自分の引き出しを増やしていけることが楽しかったですね。 もちろん辞めたいと思うことも多々ありました。昔はIT=男性というイメージが強く、他企業に営業に行っても「女姓じゃ話にならないから男性の担当を出してくれ」と言われることがありました。つらかったですし、悔しかったですね。ただ、ものは考えようです。IT=男性というイメージは、文句を言おうと変わらない。いわば期待されていないマイナスからのスタートです。ならば「ちょっとできただけで『君は仕事ができるね』という評価になりやすいんだから、むしろチャンス!」と考えるようにしました。切り替えはとても大事です。 どんな幼稚な意見でも発言したほうがいい  デルの魅力は入社前と入社後のギャップが少ないところです。面接のときに、会社の文化や理念を包み隠さず正直に伝えるようにしています。そうすることで、自分が合うかどうかがチェックできるので離職率も低くなります。面接を受ける人にも心配な点があれば言ってくださいと伝えています。  ストレートにディスカッションできる文化も好きです。入社当時、意見を求められたときに、「ほかの人と同じ意見です」「とくにないです」と答えたら、「それだったら会議から出て行っていいよ」と言われました。どんなに幼稚な意見でも何も考えていないよりは発言したほうがいいのです。また、会社でのキャリアパスを自分の意思で選択できます。海外の部署でも可能です。この制度は、社員の成長のチャンスを広げるためにあります。ほかの企業にはあまりない特長だと思っています。 さらに、マネージャーと部下が一対一で話をする時間を定期的に持つよう推奨されています。私の場合は2週間に1回、45分程度ですが、ここで悩みや今後のキャリアの希望などについて話します。上司とのコミュニケーションもとれ、キャリアを考えるきっかけにもなります。 デルの製品が未来に与える影響  デルの創業者の理念は、「人類の進化を牽引するテクノロジーの創出」です。現在は自動運転、デジタルガバメント、ⅤR、AIなど新しい流れが次々と生まれており、生産性の向上もITの活用で図れる時代です。ITは必要不可欠であり、それをサポートできることが誇らしくやりがいを感じています。デジタルトランスフォーメーションの未来が楽しみですし、自分たちの製品がこれらの未来にどう影響を与えていくのかがとても楽しみです。 *message* 学生には無理に学生時代に目指すべきものを決めなくてもいいんじゃないかと言いたいですね。今は情報が多いために、あれもこれもと考えることが多く、学生が辛そうにみえます。人と比較せず自分の選択に自信を持ってほしいし、働きながらゆっくり見つけていく自分なりのキャリアもあるはずです。情報に踊らされないことと、自分が「これだ!」と思うものを突き詰めることが大切です。「これができれば一生大丈夫」というものはありません。だからこそ自分がやりたいことにチャレンジすれば、道は開けると思います。 学生新聞2020年4月20日号より(日本大学2年 菅田剛志)

経営者

株式会社Z会エデュース 代表取締役社長 高畠 尚弘

生徒と全力で向き合い 改善策の積み重ねが重要! 株式会社Z会エデュース 代表取締役社長 高畠 尚弘(たかばたけ なおひろ) 1970年石川県生まれ。1993年、早稲田大学政治経済学部を卒業して、株式会社Z会に入社。社歴のほとんどを教室事業のさまざまな業務に従事し、2015年の教室事業分社化に伴い、会社設立とともに株式会社Z会エデュース代表取締役社長に就任。株式会社栄光の役員も兼務し、グループ内のさまざまな教室事業にも関わっている。趣味はサッカー観戦(ゴール裏)と野球観戦(外野席)。 目の前にいる生徒と真摯に向き合い、現状に対しての改善策を模索し続ける高畠社長。今の子どもたちに必要なのは「アウトプット」の力であり、これを養う「書く力」が重要なのだという。常に向上心を持ち、新しいことに果敢にチャレンジする高畠社長が目指す教育とは。 学生時代を振り返ってみますと、学問に打ち込むというよりスポーツやアルバイト、課外活動に明け暮れた毎日を送っていました。 大学時代の専攻は政治学でしたが、塾講師をしていたこともあり、教育にはずっと関心があり、いろんなことにチャレンジできる会社に就職したいと考えていました。Z会は、通信教育、教室、出版など多岐にわたる事業を展開していて、選択肢が多くてとても魅力的でした。就職活動を通して、会社の雰囲気がよく、本質的な指導を重視する教育理念も自分にフィットしているなと感じていました。 たとえば、大手の競合塾はたくさん宿題を出し、週に何回も授業があります。一方、Z会では、1題1題をしっかり考えさせて定着させていく教育方針なので、効率よく学び、成績を伸ばしていくことができます。また、生徒は自主的な学習姿勢を身につけられますので、週に1~2回の通学で力をつけることができます。 これから必要なのはアウトプット力 他社との差別化において重要なのは、やはり「一人ひとりをしっかり見る」ところです。これからの社会では子どもが必要とされる能力は「書く力」だと考えています。インプットさせるだけではなく、「アウトプット」させることが重要であり、これに必要なのが書く力だと考えています。今の子どもは、学校の国語の授業でノートを縦に書くということを教わっていないのでは? と担当授業で感じることがあるぐらい、書くことに対しての意識が低いことに懸念を抱いています。Z会の教室では、もともとが通信教育の会社ということもあり、一人ひとりの答案に時間をかけて添削しています。そのため、どの塾よりも赤ペンを使っているという自負があります。生徒には「ここに理由を入れよう」、「具体例を書いてみよう」など、正しいか正しくないかではなく、どうすれば相手に正確に伝えることができるようになるかを意識させるような指導をしています。  私は「目の前の生徒に全力で向き合うこと」で教育を通した社会貢献が可能になると考えています。よりよい教育を目の前の生徒にどれだけ提供できるかが大事ですね。そしてその結果、社会で活躍する人を増やしていきたいと考えています。だからこそ手のかかる添削にこだわっていますし、先生方にもその姿勢を求めます。彼らの成績を伸ばすことも重要ですが、「社会の中核を担う人材に必要な知性・感性を育む」ことがもっと大切なことであり、Z会の教室は、そこにブレない信念を持っています。また生徒を増やすことは大事ですが、辞めずに続けてもらえるかも重要です。生徒の継続率も評価基準にしています。なぜなら生徒の継続率は、塾として十分なサービス提供が出来ているかどうか、顧客の満足度を測る指標になってきて、塾への長期的な信用につながるからです。 より良い教育を追求しチャレンジし続ける 今後はもっといろんな街に「Z会の教室」を作っていきたいです。そのためには、理念に共感してくれる人、仲間を増やしていきたいです。また常に現場感は大事にしていたいですね。より良い教育を追求していくために新しいことにチャレンジし続けたいと思っています。教える喜びを持ち続けるため、また、実際に生徒に接することでさまざまな新しいアイデアを得られるように、現在も中学受験の授業を週1回、担当をしています。そして、来年はどんな新しいことをしようかと常に意識をしています。10年後というすごく離れた未来を考えるだけではなく、目の前のことで改善できることはないかを常に考えています。教育は人間を相手にする仕事なので、今どうするかという積み重ねが、最終的には将来に繋がり、重要になってくると思っています。 目の前の生徒が社会で必要とされるスキルを身につけ、人間的に成長できるようにサポートをしていく。そして、将来、社会で活躍している教え子が自分のことを覚えていてくれることが一番の喜びです。単純に偏差値をあげる手助けをするのではなく、社会の中核を担う人材に必要な知性・感性を育むことが私たちの使命だと思っています。指導で心がけていることはとにかくほめること、ほめてから注意するようにしています。ほめられたことが自信に繋がり信頼に繋がります。親御さんたちにもお子様の成長を実感していただけると嬉しいですね。 *message* 大学生は、時間があることが最大のポイントだと思うので、それを上手に活用して、さまざまなことにチャレンジして欲しいです。小・中・高・大学とどんどん学年が上がっていくうちに、同質の仲間と付き合うことが多くなっていきます。似たような思考の人ばかりと付き合っても視野は広がりません。アルバイトや旅行などを通して、新鮮な出会いを増やしてほしいですね。井の中の蛙になるのではなく、異なる仲間に出会うことが人間的に成長するために重要だと思います。 学生新聞2020年4月20日号より(慶應義塾大学2年 原田栞奈)

山本アンナ

株式会社FABRIC TOKYO 代表取締役社長 森 雄一郎

ユーザーエクスペリエンスを デザインする会社になる 株式会社FABRIC TOKYO 代表取締役社長 森 雄一郎(もり ゆういちろう) 1986年生まれ、岡山県出身。大学卒業後、ファッションイベントプロデュース会社を経て、不動産ベンチャー、フリマアプリ「メルカリ」の創業期に参画。2014年2月にオーダーメイドのビジネスウェアブランド「FABRIC TOKYO」をリリース。IT×リアルを掛け合わせたサービスを提供し、現在は東京・関西・名古屋・福岡で直営店を19店舗運営中。 子どものころに手に取った一冊の雑誌からファッションの虜に。ファッションメディアの立ち上げ、ファッションイベントプロデュースのアシスタント、ITベンチャーを経て、ECサイトでオーダーメイドスーツを提供する「FABRIC TOKYO」を起業。その想いや大事にしている文化について語ってもらった。 ファッションとの出会いは一冊の雑誌から 私は岡山県の出身で、どこにでもいるゲーム好きの中学生だったのですが、ある日親からそろそろ読んでみたらとファッション雑誌を渡されたのです。開いてみたらすごく衝撃的で興味を持ちました。それがきっかけとなってどんどんファッションにのめり込み、大学生になってからは、WEBでファッションメディアを立ち上げたり、ファッション好きのコミュニティを作ったりしていました。  映画のスターウォーズが大好きなのですが、好きになると自分で作りたくなるんですね。消費者ではなく、作り手に回りたくなる。当初は起業を目指していたわけではなく、いずれ「スターウォーズのようなもの」を作りたいなと思っていたんです。これが実現できる、面白そうな職業がないかと調べていたら、ファッションの演出家という仕事を見つけました。「これだ!」と思い、香川から東京の会社に「働かせてください!」と飛び込みでお願いしに行きました。履歴書を渡した後、毎日「どうですか?」と電話していたら、アルバイトとして雇ってもらえることになり、大学4年の秋ごろに神戸コレクションのアシスタントの仕事のオファーをいただきました。こうしてファッション業界での仕事が始まったのです。  私は当初、アパレル業界とは「未来を示す仕事だ」と思っていました。しかし現実は違っていたのです。ファストファッションの流行とも重なり、業界は不況の真っただ中。新しい風を入れられず、旧態依然とした業界に面白さを感じられなくなり、ファッション業界が嫌いになってしまいました。そんな時にベンチャーを起業した高校からの友人に再会したのですが、彼らがとても輝いて見えて、ITベンチャーは20代でもこんなに活躍できるんだと思い、新鮮な驚きでした。ちょうどその時、不動産ベンチャーの社長直下で学べる機会があったので、思い切って2年くらいマーケティングとセールスの勉強をさせてもらうことにしました。その後に、やっぱり自分で事業をやりたいなと思い、26歳で起業したのです。 ユーザーエクスペリエンスをデザインする会社に ライフスタイルを自由にデザインできる会社になろうとの思いを込め、2012年に「Lifestyle Design」を起業しました(後に、ブランド名に合わせFABRIC TOKYOに社名変更)。服というのは人によって自分の中での「大事さ」が違いますよね。でも、朝気に入ったコーディネートができると、良い気分で出かけられます。ファッションとは自分に自信を与えてくれて、毎日を明るくしてくれるものだと思います。私が店舗にいる社員によくかける言葉に、「FABRIC TOKYOは洋服を売っているのではない」というのがあります。ブランドの語られ方、お店での体験、仕上がった洋服を着る体験、その全てを通して私たちは「ユーザーエクスペリエンス」をデザインしている会社だと考えています。  また、FABRIC TOKYOの特徴はそのカルチャーにあります。組織文化、組織風土がユニークでして、それぞれの役職者が「偉い」という訳ではなく、代表も「役職」であると捉えています。みんなで補い合ってチームができているのです。楕円のように重なり合って真円になっていく形です。 価値観の共通化がお客様の満足度を高める 私たちには大事にしている「3つのバリュー」があります。それは“Vision Driven”、“Always Why, Always Run”、“All For One”です。1つ目は、組織には高いビジョンが必要だと思っています。個人では達成できない目標に対して、実現性をしっかりと示すことがトップの役割でもあり、そのビジョンに基づいて個々が働くことが大事です。2つ目は物事を考える時には理由の深堀が必要だと思っています。3つ目はサービスのクオリティの担保のためにも、全員で一つの事業を作っているという意識が大事です。これらを採用時にも大事にし、3ヵ月に1回の評価面談でも徹底的に「価値観」の擦り合わせをしています。 *message* 学生へのメッセージとしては、2つあります。1つ目は、「行動が早いと学べる時間が増えるよ」ということです。学校では起業も経営もなかなか学べないですよね。過去を振り返ってみても良かったことは、26歳という若さで起業し、行動したことです。その分だけナレッジは蓄積されるし改善もできますからね。2つ目は若いころは資産運用ではなく「自己投資」が大事だということです。中でも最強の自己投資は、今やっていることに全力で取り組むことだと思います。目標を立てて取り組み、結果を見て改善する。この繰り返しの中で、成長ができると思います。頑張ってください! 学生新聞2020年4月20日号より(慶應義塾大学4年 山本アンナ)

北島麗音

株式会社カカオジャパン 代表取締役社長 金 在龍

日々悩みながら乗り越える 頑張った人が報われる会社に 株式会社カカオジャパン 代表取締役社長 金 在龍(キム ジェヨン) 1976年6月生まれ。2006年からNHN Japan株式会社にてHangame, LINE, comicoのサービスを経験。その後、カカオジャパンでの新規事業立ち上げに携わるため、2015年5月より現職。 2016年4月、電子マンガ・ノベルサービス「ピッコマ」をリリース。 今や1日200万人が利用する電子マンガ・ノベルサービス「ピッコマ」。金社長は学生時代に40ヵ国もの国を旅行し、旅をすることで一人ひとりの違いに気づき、認め合うことの大切さを学んだという。これまで歩んでこられた道のりを伺った。 大学時代は一人でよく旅行に出かけました。40ヵ国ほど行きました。周りからは不思議がられましたが、とにかく楽しかったのです。旅をすることで一人ひとりが違うということを実感しました。世界に出ると文化も違うし感覚も違う。どちらが正しいということではなく、違うということが分かった。旅をすることで違いに気づき、認め合うことの大切さを学びました。アルバイトもよくしましたが、効率の良い仕事は何かということを常に考えていました。悩むのは良いことです。悩み続けていると少しずつ進歩していきます。何かに悩んだり考えたりしていると何かが見つかります。夢を持っている人と持っていない人がいますが、夢を持っていないのもまたいいことです。夢がないのはある意味いろいろな可能性があるとも言えるからです。 ITの広さへの魅力と今の仕事 大学卒業後、スポーツが好きだったのでスポーツ関係の会社に入りました。そこでスポーツマーケティングを学んだのですが、大学1年の時にネットが流行りだし、広告の新しい拡散の仕方に興味を持っていたということもあり、NHN Japan株式会社(現LINE 株式会社)へ転職しました。ITには壁がありません。 50円とか100円で売っているものがたくさん集まれば10億円くらいになる。小さい金額だけど数が集まればものすごい量になる。しかもやすやすと国境を越える広さが 魅力だと思いました。仕事はいつも苦しいものです(笑)。そういう時に思うのは「苦しい時は上り坂」という言葉です。人は成長している時は上り坂を登っているのです。だから苦しいのです。ですので、私は苦しいことに対して嫌だとは思わないのです。もし挙げるとすれば、苦しかったのは、この会社に来てスタートする時でした。NHNにいる時に、カカオの創業者(NHNの創業者でもある)にカカオにこないかと声をかけられたのですが、行くのを迷っていました。環境の変化に対する恐怖があって、ゼロから何かを始めるのが不安でした。ただ、当時、38歳だったのですが、40歳までには何かにチャレンジしたいという思いもありました。何が大事かを改めて問い直したときに、人が大事だと思ってカカオに行くことを決めました。一緒に頑張ってきた仲間がいたのでチャレンジしてみようと思ったのです。 漫画アプリ「ピッコマ」を立ち上げる ゼロからピッコマを始めた。当時、アプリで漫画を出している会社はたくさんあって、周りよりスタートが遅れている中でどうやって挽回すればよいのか悩みました。2015年5月に入社して、翌年の4月に漫画アプリ「ピッコマ」を開始しました。開始当初は、漫画作品は80作品程度でした。1年間準備をして、サービス開始から約2週間後の1日の売上は200円や300円程度でした。そこから作品を1作品増やすごとに少しずつ売上が増えていき、3ヵ月目になって1日利用者は3000人ほどになったのです。 その時に「7月末までに利用者を1日1万人にしたい」と社員の前で公言したのです。その時の社員の顔には無理という言葉が書いてありました。しかし、結果的には7月28日に1万人を達成したのです。この達成することの楽しさを味わった私たちは確実に成長しました。そして、1万人を突破した後、わずか10日で2万人を突破しました。 このように苦労を重ね、達成することの楽しさを知ったのが私たちにとって大きな財産になったと思います。 頑張った人が得する会社に 自分は褒められると伸びるタイプです。認められた時が一番幸せな瞬間です。だから頑張った人が得する会社を作りたい。「勤勉・誠実」の2つは大切にしたいですね。また、人にはそれぞれ強みと弱みがあって、強い部分を組み合わせることでもっと強くなると思うんです。だから弱みを補うより、強みを伸ばしていくことが大切だと思っています。 課題は私たち自身の高齢化です。お客様は10代、20代が中心なのに作っているのは30代。それを承認するのは40代。ユーザーが求めるものをきちんと提供できているかが課題ですね。お客様の当たり前は私たちの当たり前とは違う。だから私たちはその穴を埋めなければならないのです。時代に生き残るのは「力が強いもの」ではなく、「変化に対応できるもの」だと思います。 *message* 人って誰かと比べがちですが、まずは自分を好きになってください。人には必ず良い面がありますので、自分自身に大丈夫と言ってあげてください。自分に自信がある人は大変なことも乗り越えられます。あとは日々悩むことをして欲しいです。悩むことで何かに繋がるからです。 学生新聞2020年4月20日号より(文教大学1年 北島麗音)

安齋英希

国務大臣・衆議院議員 竹本直一

アメリカ留学で見えた世界の中の日本!政治家が見据える日本の未来とは ■プロフィール 1940年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。国家公務員上級職として採用され、のちに政府派遣留学生としてカリフォルニア大学バークレー校大学院、コロンビア大学大学院を修了。建設省に勤務したのち、1996年衆議院議員総選挙に立候補、初当選。2005年財務副大臣。2019年内閣府特命担当大臣(科学技術政策・知的財産戦略・クールジャパン戦略・宇宙政策)、情報通信技術(IT)政策担当大臣。 ■どんな学生時代をすごしていましたか もともと政治家になりたいと思っていました。でも、人前で話すのが苦手だったので、高校時代は弁論部に入り欠点を克服しようと頑張りましたね。一番思い出深いのは、アメリカの留学時代です。6000キロを2週間かけて車で移動したり、英語でスピーチしたりしました。海外では、素直に堂々と話をしなきゃ、きちんと聞いてもらえないということを実感しました。 ■政治家を目指したきっかけ、現在の活動について 社会を動かすことに興味がありました。初めてアメリカ大陸を見たとき、なんで日本はこの国と戦争したのだろうと思いました。当時の日本は、井の中の蛙。外を見ていないと負ける試合をする可能性がある。だからこそ、つねに世界を見て、正しい方向に導かなくてはいけないと思いました。 現在は、2025年開催の大阪万博に、世界中から人を集めて成功させたいと尽力しています。 万博誘致は、最後はロシアとの競争になったんですが、92対62で勝ち取ることができました。人を動かすには、相手のマナーや雰囲気に溶け込み、仲間意識を持っていただくように意識することが大切だと実感しましたね。 また、日本は今世紀に入ってノーベル賞を18個受賞していて、これはアメリカに次いで世界第2位です。 しかし、これからこの数が伸びるかと言われれば伸びないかもしれない。論文を書く人が少なくなっているし、理系に進む学生も少なくっていますよね。だから、大臣賞をつくって表彰したり、ドクターを取った人を企業が積極的に雇用するように働きかけています。 ■どんな学生といっしょに仕事をしたいと思いますか いま、国会でインターンを募集しているのですが、フットワークが軽く、スピードがある学生がいいですね。いまの時代は、時間をかけてやるより、早くできる人を求めています。 今年の成人式で、「若い人は憧れをもってください」と話しました。辛さや厳しい状況になっても憧れがあれば耐え凌げる。頑張れます。 今は、個性の時代。組織の歯車ではなく、個性をいかして活躍する努力を怠らないでください。 学生新聞2020年4月20日号より (駒澤大学3年 安齋英希)

山下充良太

株式会社北の達人コーポレーション 代表取締役社長 木下 勝寿

時価総額1000億円企業を 一代で築いたその原点とは 株式会社北の達人コーポレーション 代表取締役社長 木下 勝寿(きのした かつひさ) 1968年神戸生まれ。大学在学中に学生起業を経験。卒業後は株式会社リクルートで勤務。その後、コネもツテも無い状況から起業し、17年連続増収。5年で売上18億円→83億円。同業5倍の利益率。と、急成長を遂げ一代で東証一部上場企業にまで押し上げた。Forbesアジア「Asia‘s 200 Best Under A Billion賞」受賞。日本国政府より紺綬褒章受章。 お客様の“悩みを解消する方法を提供する”という考え方に基づき、化粧品・健康食品をインターネット上で販売している北の達人コーポレーション。お客様の悩みが解消されたときの喜びの声が原動力であると語ってくれた木下社長。“自分たちが自信を持って家族や友人にすすめられる商品を販売する”その原点を忘れずに成長し続ける同社。今後は世界を見据え、デジタルから生まれた消費財のグローバルブランドを目指すという。その熱い思いを伺った。 大学生の頃から起業をすることを決めていました。その当時から、遊びの延長線上や社会人の真似事ではなく、本気でビジネスがやりたいと思っていたので、起業意識の高いメンバーが多く在籍している“リョーマ”という関西の学生企業に入りました。 “リョーマ”では、サークル情報や合宿免許情報を紹介する「サークルカタログ」というものを作っていましたが、それはごく一部の仕事で、私は、大手広告代理店から回ってくる案件の企画書や提案書を書いたりしていました。その当時は、ほぼ毎日スーツを着て出社し、そこから授業を受けに行き、終わったらまた会社に帰ってくるというような生活をしていましたが、忙しくも非常に充実した日々でした。私が在籍していたときは“リョーマ“には20〜30人のメンバーがいたのですが、今はそのほとんどが経営者になっていて、半分くらいは上場しています。今も定期的に同窓会があり、その度に良い刺激をもらっています。 いったんは就職しそののちに起業 “リョーマ”出身の人たちは、大学を卒業したら自分で起業するか、もしくはリクルートで修行して起業を目指すかのどちらかの流れがありました。私の場合は、起業をする前に一般企業で修行をしたいと思っていたので、一旦リクルートに入社することを選びました。また、その当時、まだインターネットが普及していなかったのですが、近い将来デジタル化の流れが来て、マルチメディアで世の中が全て繋がっていくと想像をしていました。そうなったときにコンテンツが圧倒的に足りないことと、通販事業が伸びることを分かっていました。将来性の高いコンテンツビジネスと通販事業、どちらの道に進むべきか考えたときに、コンテンツビジネスを選択しました。リクルートに決めたのも、コンテンツビジネスが学べるというのも決め手のひとつでした。そして、営業として入社し5年が経ったころ、インターネットが急激に普及しはじめ、自分の中で起業のタイミングが来たと思い、すぐに退社を決意。当時住んでいた大阪で起業し、カニやメロンなど、北海道の特産品を取り扱う通販事業を始めました。 資金ゼロからのスタートだったので、自分でホームページを作り、注文も自分で受けていました。そして、ある程度軌道に乗ったタイミングで北海道に移り住みました。 北海道で本格的に通販事業を開始 北海道の特産品の一つに「てんさい」という砂糖の原料になる植物があります。これを原料にしたオリゴ糖食品を販売したところ、“便秘が治った”と、多くの声をいただくようになりました。それがまたたく間に口コミで広がり、記録的なヒット商品となりました。カニやメロンなどの美味しい特産品ももちろんお喜びの声はいただけますが、悩みが解消されたときのお客様の喜びの度合いは全く違ったものでした。そこから、おいしい商品だけではなく、「お客様のお悩みを解消できる商品をもっと増やしていこう」と思い、悩み解消型の美容・健康食品に注力するようになりました。 その当時は仕入れた商品を販売していたので、全国各地の様々な悩み解消型商品を探し回りました。そこで気づいたのは、世の中に出回っている商品の多くが「理論上効く」ものであって、「本当に効く」かどうかはわからないものでした。私たちの信条は、“自分たちが自信を持って家族や友人に勧められる商品を販売する”ことです。世の中に、おすすめできる商品がないのであれば「自分たちで作ってしまおう!」というところから、オリジナル商品の開発へと舵を切りました。今は、健康食品、化粧品、一部雑貨含め、約30商品を展開しています。 私たちは、ただ単純に健康食品、化粧品を作って売ろうという考え方は持っておらず、人の悩みを解消する方法を提供しようという考え方をしています。例えば、『アイキララ』というアイクリームを販売していますが、アイクリームを売ろうと思って作ったのではなく、目の下のクマや加齢によるたるみの悩みをなんとかしたいと思ったことが商品開発のスタートでした。解決さえすれば、口から摂取する健康食品、肌に付ける化粧品どちらでも良かったのです。様々な種類のものを色々な方向性から多数試作品を作ってモニターしてみた結果、一番実感度が高かったのが結果的に“クリームタイプのアイクリーム”でした。対外的にはわかりやすく健康食品、化粧品を販売していることにしていますが、お客様に対しては“悩みを解消する方法を提供する”という考え方で向き合っています。 デジタルから生まれたグローバルブランドに 20年前からインターネットが普及してきたことによって、世の中はいったんリセットされたと思っています。メディアに関しては完全にテレビや雑誌からネットに変わってきていますし、流通もほぼネットに変わってきています。しかし、メーカーブランドに関しては、まだリアルの流通の方が強いと思っています。今、徐々にDtoCという流れが出てきていますが、われわれ自身はデジタルネイティブの消費財のグローバルブランドになっていきたいと考えています。今は日本と台湾だけですが、今後、世界に向けて展開して行き、デジタルから生まれた第二の花王だとかP&Gになって行けたらいいなと思っています。 *message* 社会に出てからは学ぶ機会がないようなことを、大学の間でどれだけ学べるかということが重要だと思っています。そのためによく学生の皆さんにおすすめしていることは、アルバイトをするならクレームの多いサービス業を選ぶことです。クレームというものは価値観が違うときに生まれるものです。クレームの多い仕事に携わることで、色んな価値観を持った人と接することができ、なぜそのような考え方をしているのかを知ることができます。立場、年齢、環境の違いによっての多方面の考え方を知ることによって、社会人なって理不尽だと感じることも、「自分の価値観の幅が狭いだけかもしれない」ことに気づけるのです。社会に出てからクレームの多いバイトはできないので、大学のうちに色々な価値観を知る経験をしておくことをおすすめしたいです。 学生新聞2020年4月20日号より(日本大学4年 山下充良太)

小川淑生

株式会社アデランス 代表取締役社長 津村 佳宏

毛髪に悩むすべての人を幸せにしたい そのための社員ファースト 株式会社アデランス 代表取締役社長 津村 佳宏(つむら よしひろ) 1963年生まれ。広島県出身。早稲田大学人間科学部卒業。1982年3月、株式会社アデランス入社。2017年3月、代表取締役社長兼グループCEO就任(現任)。内閣府認定公認社団法人 日本毛髪科学協会 毛髪診断士認定指導講師、早稲田大学マーケティングイノベーション研究会所属、金沢工業大学 客員研究員、看護理工学会 評議員。 技術者に憧れてアデランスに入社した津村社長。毎日、懸命に技術を磨いたその先にたどりついたのは、技術と知識、そして、おもてなしの心、すべてを兼ね備えた「プロフェッショナル」になること。目標を持つことは大事、でも成長するにはもっと大切なことがあるという。それは何かを伺った。 理容師や美容師など、手に職を持った技術者に憧れていたんです。学生時代はあまり勉強しなかったので、社会に出てから頑張ろうと(笑)。そして、アデランスに入社。最初に待っていたのは、通信の理容師学校で学びながら、ヘアカットなどの技術研修。特に、パーマのロットを上手く巻くことができず、ここで自分の不器用さに初めて気がつきました。技術試験では、同期生80人中5人が不合格だったのですが、そのうちの一人が私。それはもう悔しかったですね。街中でカットモデルを探して練習させてもらう、という日々を経て迎えた追試。なんとか合格することができました。  これがきっかけで学習意欲に火がついたんです。「技術大会で優勝するぞ」という目標を立て、毎日、技術練習に明け暮れ、なんと優勝。とにかく技術を磨きました。 本当のプロフェッショナルになる  その後店舗に配属され、お客様の髪の毛と向き合う毎日が続きました。そこで気づいたのは、「まずはお客様のニーズを引き出さなければいけない」ということでした。自分が勧めたいものを無理に勧めてもお客様は満足してくれません。まずはお客様のお話をしっかり聞いて、お客様の悩みを解決する。そのうえでサービスを提供する。  これを実践するためには、自分自身が本当の「プロ」になる必要がありました。お客様に寄り添う気持ち、豊富な知識、確かな技術、そして最高の商品を兼ね備えたプロフェッショナルにならなければなりません。  ここでの気づきが「最高の商品」「最高の技術と知識」「心からのおもてなし」という、現在のアデランスの経営理念に繋がっているんです。  こうやって根本を徹底していかないと、結局、なにごとも遠回りになってしまうんです。たとえば、見せかけだけのテクニックをいくら磨いたとしても、お客様は商品を買ってはくれません。まず技術や知識を磨き上げ、お客様のニーズに合った最高の接客をする。そうして初めて、「この人がお勧めするなら買ってみようかな」となる。 社員の幸せがお客様や社会へ連鎖する  私が一緒に働きたいと思う社員は、前向きで「これがやりたい」ときちんと言葉にできる人です。そして、「これがやりたい」と言われたら、よほどのことがない限り、やらせます。管理職の社員にも「部下をバッターボックスに立たせなさい」と言っています。  私や管理職の人たちが、自分の経験則だけで判断をしてはいけないのです。やってみないと何も新しいことは生まれません。それに、そうすることで社員がやりがいを感じてくれるんです。  アデランスでは社員と社員の家族の幸せを第一に考えています。社員がやりがいを感じてくれたら家族も幸せですし、家族が幸せだと社員も幸せだからです。そして、取引先の方にもいい仕事をしていただき、家族全員で幸せになってもらう。これらが全部揃うとお互いにいい仕事ができてお客様も喜んでくれる。そうすると地域社会にも株主にも貢献できる。このように、足元から固めてみんなが笑顔になるサイクルを作ることが、一番大事なのではないかと思います。 毛髪で悩む世界中の人々を幸せにしたい  アデランスは当初、毛髪に悩む男性向けにオーダーメイド・ウィッグ事業を始めました。しかし、病気やケガなどの理由で脱毛に悩みを抱えているお子様もいらっしゃることを知り、1978年から、オーダーメイド・ウィッグの無償提供(4歳から15歳までのお子様を対象)を始めました。技術者が実際に病室まで行き、頭の形を図り、ウィッグを製作。出来上がったら直接患者さんに届けるんです。すると、ご本人はもちろんのこと、ご家族の方々も大変喜んでくれるんですよ。  あの笑顔を見たときに、「人様のお役に立てているなぁ」としみじみ思いましたね。こういう現場を実際に見たからこそ、「毛髪に悩む世界中の人々を幸せにしたい」とより一層強く思うようになりました。 *messege* 学生のみなさんには、目標を持って頑張ってほしいです。語学や文化を学び、世界で活躍できるグローバル人材になってください。アデランスも売上の51パーセントは海外での売上です。今後、どこの企業でもグローバル化が進んでいくでしょう。年功序列よりも能力主義、そして年齢・国籍・性別に関係なく活躍できる、ダイバーシティがさらに進んでいきます。つまり、誰でも頑張ればチャンスをつかめるようになる。頑張った学生がこれからの日本を支えていくと思います。  頑張るにあたって、目標と同時に欲も持ってほしいです。欲がなければ成長できません。「これが上手くなりたい」とか「あれが欲しい」とか、本当になんでもいいんです。強烈な欲を持って、その欲を充足させることに貪欲になってください。 学生新聞2020年4月20日号より (慶応義塾大学4年 小川淑生)

経営者

株式会社ドトールコーヒー代表取締役社長 星野正則

コーヒーだけを売っているのではない。「ホッとする、幸せだな」という感情を生み出すのが仕事です ■プロフィール  1959年新潟県生まれ。大学卒業後、ドトールコーヒーに入社。一般卸営業職を経て、店舗開発業務に従事。2000年6月に取締役に就任し、2017年4月より現職。2008年5月よりドトール・日レスホールディングスの代表取締役社長も兼務。 セルフコーヒーショップのパイオニアとして業界を牽引し続けるドトールコーヒー。コーヒー豆の生産から卸、ショップ展開まで一貫して行う日本最大級のコーヒーチェーンの星野社長に、仕事の意義や学生に求めるものを伺った。 ■ドトールコーヒーに就職したきっかけを教えてください  大学時代は、褒められた学生ではなかったんですよ(笑)。少林寺拳法の部活や、自立のためのアルバイトばかりに精を出して、なんと5年も通いました。 就職の内定もギリギリまで決まらず、教授から「何か好きなことはないのか」と聞かれ、「そういえば喫茶店に行くことが好きだから、コーヒー業界に就職しよう」と。 ドトールコーヒーに電話して、会社に行ってみたらいきなり社長面接でした。 私の成績表を見た鳥羽社長(当時)が、ひと言「勉強嫌いだったんだね」と(笑)。 「なんで大学に行ったのか」と社長に聞かれたので「、友達をつくろうと思いました」と答えたら、「素晴らしい!一緒に頑張っていこう」と突然握手されました。 私のことをわかってくれた気がして、こういう社長と仕事がしたいと思いましたね。 ■就職した頃の思い出をお聞かせください  新人時代の私の仕事は、ドトールのお店を全国に増やすことでした。フランチャイズのオーナーになってくれる人を探し、事業計画を練り、出店をフォローします。 あるオーナーに出店してもらって店をオープンさせたのですが、業績不振の状況が続きました。 私も何かできることはないかと模索し、人件費を浮かすために土日はそのお店で働いたりして協力しましたが、どうにもなりませんでした。 とうとうオーナーさんから「出店時の6000万円の借金も返せないし、手の打ちようがない」と言われてしまった。 そこで、鳥羽社長に相談したところ、「オーナーから店を買い取って、閉店しよう」と言うのです。 オーナーの借金は無くなりますが、会社の損失につながるわけですから、この回答はとても意外でした。 でも鳥羽社長は「家族、オーナー、お客様…。ドトールコーヒーに関わる人を、不幸にしてはいけない」と言ったんです。 誰かの不幸の上に成り立つ商売は間違いです。そして、もしも間違いを犯してしまったら、謝り、自分たちで正していくこと。そんなことを教えてもらいました。それ以降は、出店もより慎重に、熟考するようになりましたね。 ■どのような点にコーヒー業界で働く意義を感じますか  コーヒーが飲みたければ、家庭でも飲めます。でもお客様はドトールコーヒーのお店に来てくれる。これは、単にコーヒーを飲みに来ているだけではなく、ホッと安心できる場を求めて来られているのだと思います。 外食産業は、「食べる」ことで空腹を満たす時代から、コミュニケーションの場、憩いの場としての要素が大きくなってきています。 ですから、私は「外食産業は幸福創造業」だと思っているんです。「美味しい」だけでなく、「幸せだな」という感情をつくる仕事です。 人が求めているものは幸せです。それを提供できる私たちも幸せ。これが外食産業の醍醐味だと思うんです。 創業者の言葉は、「ドトールコーヒーに関わる人全員を、幸せにしなくてはいけない」と言いかえることができるかもしれませんね。 だからこそ、お客様の目線に立つことができる人と一緒に、会社を育てていきたいと思っています。 礼儀正しく、身だしなみが整い、謙虚で誠実な学生は多いです。でも、これは当たり前のこと。相手(お客様)が何を考えているのか、何を求めているのかを理解できる人。お客様と幸せを共有できる人を求めています。 ■大学生たちへのメッセージをお願いします  学生時代はとにかく勉強してください!勉強といっても、大学の授業や資格の勉強だけではありません。本当の「知」に触れてほしい。 本を読んだり、音楽を聴いたり、英語の勉強もいいですね。人生の幅が広がります。少しでも興味を持ったことにはチャレンジして、自分の好きなことを見つけてほしいです。学ぶ楽しさを知った人は、社会人になっても強いです。 社会にでると、理不尽なことがたくさんあるし、時間の制約もできる。いまある自由な時間を存分に活かして、大学生だからこその楽しみを謳歌してほしい。そうすることで、自分だけの唯一無二の感性が磨かれるのだと思います。 学生新聞2020年4月号 立正大学2年 後藤秀貴

山本アンナ

株式会社プロラボホールディングス代表取締役会長・グループ代表兼CEO 佐...

働くこと、仕事をすることの目的を突き詰めていく ■プロフィール 早稲田大学卒業後、一部上場企業勤務を経て、1998年総合マーケティング会社を設立。ブランディング戦略やPR企画などの企業コンサルティングを手掛ける。その後、2002年に株式会社エステプロ・ラボ(現・株式会社プロラボホールディングス)を設立し、代表取締役に就任。ブランド立ち上げから15年で、国内約13,500店の美容・健康施設と海外9ヵ国に展開するサロン専売ブランドに成長させる。 インナービューティプロダクツを国内外に展開しているのが、プロラボホールディングス。「経営者になりたい」という思いから起業した佐々木社長の身の上に次々に起こったトラブル…。詐欺被害にまで遭って、とことん自分を見つめ直した末に見えてきた経営の本質とは?熱いトークを伺ってきました! ■経営者になりたいと思い続けた学生時代  学生時代から「いつか経営者になろう」と心に決めていました。田中角栄氏、マクドナルドの藤田田氏などに憧れ、彼らの本をよく読んでいましたね。だから「就職」という選択肢は自分にはないと思っていたのですが、友人の就活に付き合って、1社だけ受けたところ、たまたま内定をいただきました。それでも気が進まなかったのですが、社会人の先輩から「とりあえず経験を積んだら」と助言を受け就職しました。 ■30歳で起業したものの、受注ゼロが続く日々…  その後、「自分で何かやりたい!」という思いから、30歳のときに独立しました。起業の資金は川崎市創業支援制度を活用し、1100万円の融資を受けて、フリーペーパーの広告ビジネスを始めました。田園都市線沿線で新聞への折り込み情報誌として20万部のペーパーを発行したのですが、6ヵ月の間、1日120件まわっても1件も受注できず…。 また、紙面も広告がベタベタとただ掲載されているだけだったため「、読みづらい」といったクレームも多くありましたね。何のノウハウも実績もなく、楽観的な見通しで始めたため、今考えればうまくいくはずがないのですが、お金をもらって仕事を取るにはこんなにも「信用」が大事なのか、と痛感しました。 6ヵ月が過ぎたころ、知り合いの社長が広告掲載してくれたことを契機に、少しずつ案件が増えていきました。そして紙面のクオリティを上げるために、デザインや校正などプロの方を募集し採用したところ、ぐっと良い紙面になり、クレームも減ったんです。 素直に助けを求め、学びを請うことの大切さを知りました。 ■やっと成功したと思った矢先の急展開  紙面リニューアルを担い、私を助けてくれたのは、多くの女性でした。「かつてバリバリと働き、スキルと経験を豊富に持った女性」にたくさん出会ったんです。 そこで、主婦の空き時間で得意な仕事をしていただく「ミセス人材バンク」のアイデアを思いつきました「。田園都市ミセス1万人ネット」と銘打ってサービスを始めると、政治家や不動産などの広告が集まり始めました。やがて女性の集客やマーケティングに強い会社のような存在になってきた。ビジネスはどんどん軌道にのり、社員も30名くらいに増えていったんです。 そんな時でしたね。詐欺で7000万円を騙し取られてしまったんです。 銀行の借入金が返せなくなり、自分の給料も2年間ゼロ、社会保険も払えず、保険証も取り上げられてしまいました。子どもが風邪をひいても、(保険が効かなくて)高額だから病院に行けない。働いている人たちも不安に駆られ、続々と退社…。35歳の頃のこの時期が、いちばん苦しかったです。 ■どん底の経験が教えてくれたことは  こんなに一生懸命取り組んでいるのに、なぜ上手くいかないのだろう…と考えました。考えて考えて、どんな結論に至ったと思いますか? それは、受注ゼロやクレームも、そして詐欺被害も「すべての原因は自分にあった」ということでした。環境のせい、タイミングのせい、詐欺のせい…と、いろいろなことに責任を転嫁してきたけれど、それを招いたのはまぎれもなく私自身、自分の「思い」がそうさせていたことに気づいたんです。自分の成功、自分の幸せしか考えていない一生懸命は、偽りなんですよね。 良い思想の種を植えて、人格を造り、良い運命が創られていく。この時の気づきは、今の当社の社員教育内容の大きな根幹をなしています。 ■会社は誰のために存在しているのか  先ほどの自分原因説に加えて、「目的経営」を最重要視しています。会社には目的がないと長続きしません。目標の先にある、目的。つまり何のために、誰のために会社は存在しているのか、ということです。 単なる金儲けを目指す経営をすると、必ず会社は崩れてしまいます。何のために?誰のために?そう自問自答していくと、やがて会社の存在意義──目的が見えてきます。この自分と真摯に向き合う工程は、楽なものではありませんが、欠かせないものであり、「自分に向き合う」姿勢を持つことは、社員にも徹底的に教育しています。 プロラボホールディングスの目的は、仕事を通じて人格を高め、家族が豊かに存在すること、そしてお客様に幸せになってもらうこと、世界中の人を健康にすることです。目的の軸を「他人を幸せにすること」に置くと、ベクトルの合う良い人材が集まってきます。人に喜んでもらいたい、自分だけ良ければいいのではなく、社会を良くしたい。そんな利他の心がある社員とともに、会社を成長させていきたいのです。 ■message  いまは情報がたくさん集まる時代です。でも、情報に振りまわされない力を育ててください。本質を見抜く感性を身につけてください。 興味があることは、レールから逸脱してもいいからチャレンジ精神をもって実際にやってみる。失敗してもやり直しはきく。私みたいにね(笑)。 人生において、その情報は本当に必要なのか。社会に出てからも、もまれながら考えていってほしい。本当の幸せは、目標の先にある目的を自問自答していくことで見えてくるんじゃないかな。 学生新聞2020年4月号 慶應義塾大学4年 山本アンナ