衆議院議員 法務大臣 古川禎久

夢を追い続けた8年間で心に決めた政治家としてのあり方

衆議院議員 法務大臣  古川 禎久 (ふるかわ よしひさ)

■プロフィール

1965年宮崎県生まれ。東京大学法学部卒業。建設省に入省し、その後、衆議院議員秘書。
2003年衆議院議員選挙に宮崎県第3区から出馬し、初当選。2007年法務大臣政務官、2008年環境大臣政務官、2010年自民党青年局長、衆議院災害対策特別委員会筆頭理事、2012年自民党副幹事長、自民党国会対策委員会副委員長、2013年財務副大臣、2014年衆議院財務金融委員長、自民党税制調査会幹事、2016年自民党司法制度調査会副会長、2018年衆議院東日本大震災復興特別委員長、2019年自民党選挙対策委員会副委員長、自民党沖縄振興調査会副会長、2020年衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長などを歴任し、2021年10月から法務大臣。 

自由民主党の衆議院議員であり、現在の岸田政権では法務大臣を務めている古川禎久大臣。幼い頃から抱き続けた政治家の夢を叶えた古川大臣が、8年間の落選期間に得たものとは。そして、今後政治家として進めていきたい与野党協力の道について迫りました。

■幼い頃から抱き続けた政治家の夢

 私は子供の頃からずっと政治家になりたいという夢を持っていました。正直、きっかけや理由は思い出せないのですが、小学生の時には「将来は総理大臣になる」と宣言していたと周囲の人から言われます。政治家という存在に漠然とした憧れを抱いていたのでしょうね。
 そのため、大学は法学部に進み、卒業後は一度建設省に勤めたこともありましたが、30歳になったのを機に宮崎に帰郷して衆議院議員選挙に立候補する準備を始めました。しかし、私は2回選挙に落選してしまい、当選したのは38歳になってからでした。当選には「地盤(後援会)・看板(知名度)・カバン(資金力)」が必要ですが、いきなり選挙に飛び込んだ私がそれらを最初から持っているわけがありませんでした。そのため、8年間かけて自らの努力で、信頼を築き上げていったのです。

■GDPには表れない田舎のやさしさ

 選挙活動は受験や就活と同じで、何年間かチャレンジすれば必ず報われるという保証はありません。落選期間中には結婚もして、子どもも3人でき、守るべき家庭がある中での選挙活動であったため、私にとってなかなか苦しい時代でした。しかし、お金がなくても家庭を守りながら目標に向かって頑張っている私に対し、地元のみなさんは本当に優しかったのです。東京よりも地元は「大地が近い」ので、取れたてのお米や野菜、卵などを地元の方々は分けてくれたのです。お金はありませんでしたが、地元の方々のご厚意でなんとか選挙活動を続けることができました。また、地元の方のお家に泊めてもらいながら、広い選挙区を活動して回るなど、社会の懐の深さを感じる経験をたくさんしましたね。
 このような地域の絆やあたたかい心は、GDPにはカウントされていません。田舎は東京のように経済や人の流れが活発ではありませんが、田舎にはGDPでは測れない田舎ならではの豊かさがあるのです。地元の方々の助けがなければ、私は8年間もの落選期間を乗り越えることはできなかったでしょう。

■地元の期待に応えた3回目の立候補

 しかし、応援してくれる地元の方々が増えてきた中での2回目の落選は本当に落ち込みました。どんなに真っ暗なトンネルも、米粒ほどでも明かりが見えれば進む方向を見失うことはありませんが、落選に酷く落ち込んだ私は自信も目標も見失い、真っ暗なトンネルに閉じ込められたように絶望してしまいました。お金がないことや、寝る時間がないことは辛くはありませんでしたが、自信や目標を見失うことは本当に辛かったですね。それでも地元の方々が変わらずに私を支えてくれたおかげで、「いつまでもいじけていてはいけない」と自分を奮い立たせた3回目の選挙で、当選することができたのです。当選した時は、嬉しいなどというよりも、「世の中のみなさんは見ていないようで見てくれているんだな」と、この世の中は捨てたもんじゃないと感じました。

■不器用でも真っすぐな生きざまが、人の心を打つ

 最初に立候補した時は、「古川って誰だ?」と相手にすらしてもらえませんでした。しかし、目標に向かって黙々と突き進んでいると、ここ一番というときに、世の中の人々が助けの手を差し伸べてくれるのです。たとえ不器用でも、真っ直ぐに生きる姿を見てくれているのですね。
 人気を得るためのポピュリズムの政治もありますが、本当に国民のためを思ったら、批判を受けてでも決断しなければいけない時が政治にはあります。そのような時は、「恐れず、世の中のために真っ直ぐに訴えていこう」と、私は当選した時に心に決めました。そうすれば、必ず国民の皆さんにも分かってもらうことができると、8年間の経験から学んだのです。

■与野党の協力で国民の信頼を得られる政治を

 議会には与党と野党がありますが、党派を超えて一緒に取り組むべき課題がたくさんあります。与野党はしばしば意見が対立していますが、私は与野党に本来壁はないと感じています。政党が違っていても国のことを心配し、日本をより良い国にしたいという共通の目標を持っているのですからね。緊張感を持って、与野党で論戦を戦わす事は政治機能として大切ですが、災害や国難に直面した時など、課題によっては協力が必要なこともあるでしょう。
 自民党が野党になっていた時代、その時与党であった民主党の野田佳彦総理大臣が、社会保障と税の一体改革として、消費税増税を含む法案を、与野党協力して成立させたことがありました。国民のためを思った政策を、与野党で協力して実現させたのは成熟した議会政治の姿と言えるでしょう。私は今後もこのように与野党が党派を超えて協力し合うために、財政の在り方について、与野党が協力できる場を作りたいと考えています。
 私たち国会議員には、将来、今の若い方にしっかりとした国を手渡さなければならない責任があります。今の政治は信頼を失ってしまっている面もありますから、国民の信頼を得るために与野党とも真っ直ぐな政治を考えることが必要でしょう。

■大学生へのメッセージ

 「小さくなるな」ということですかね。
 時代はどんどん移り変わっていて、価値観も共に変化してきています。人生の先輩たちは頑張って築き上げた経済・産業の成功体験が未だに頭に残っていて、それを今の時代でも実践しようとする人もいるでしょう。しかし、時代は変わっていますから、成功までに築き上げるべきものも昔と今では違うのです。これからの時代は、時代に合った若者の考え方が今後の中心になっていくべきでしょう。今までの価値観に縛られず、型にはまらず、自分の道を生きてください。

学生新聞オンライン2022年2月9日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

津田塾大学2年 佐藤心咲 / 立教大学3年 須藤覚斗

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