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Archive for 運営スタッフ

芸能人

矢島舞美 全力で、楽しむ!

■プロフィール 1992年2月7日生まれ。埼玉県出身。2002年、約3万名の応募からハロー!プロジェクト・キッズに選ばれ、2005年6月11日アイドルグループ『℃-ute』(キュート)を結成し活動するも、2017年6月12日に℃-ute解散。解散後は女優として活動中。主な出演作は、ドラマ『ルパンの娘』『科捜研の女Season 20』、映画『初恋』など。舞台は『銀幕の果てに』『フラガール – dance for smile -』『朗読劇 ラヴ・レターズ』などがある。 アイドルグループ『℃-ute』の元リーダーとして活躍していた矢島舞美さん。『℃-ute』のメンバーの一員として突っ走ってきた彼女が、解散を決意して飛び込んだ新しいソロの世界。グループから個への道へ進んだ彼女の決意と血のにじむような日々……。そんな彼女の仕事に対する思いを取材しました。 ■芸能界を目指したきっかけは、『天才てれびくん』 子どもの頃は、ピアノや習字、英会話、ソフトボールなど、習い事をたくさんしていて、忙しかったですね。「兄がやっているものは自分もやりたい……」という気持ちが強かったので、一時期は少年野球チームにも参加していました。 芸能界に入るきっかけになったのは、小学校5年生のとき。当時、NHKの『天才てれびくん』の新メンバー募集があることを知って、受けようと決めました。芸能界に興味があったというよりは、『天才てれびくん』で同世代の子たちが楽しそうにしているのを見ていて、「私もやってみたい」という感覚が強かったです。あとは、両親が共働きだったので、「私も一緒に働きたい」という気持ちもありましたね。 ただ、肝心の『天才てれびくん』のオーディションには、期日を間違えていたのか応募することができず……。そこで、代わりに当時開催されていた「ハロー! プロジェクト・キッズ オーディション」を受けて、合格し、芸能界の道へと進みました。 ■忙しい日々を支えてくれたのはオーディションで受かった仲間たちの存在 オーディションに受かった後は、学校が終わると地元の埼玉から都内に通って日々レッスンを受けていました。事務所は「義務教育はしっかり卒業しよう!」ということで、仕事は学校が終わってから行くのが原則でした。2007年に℃-uteが芸能業界にデビューした後でも、学校の行事も全部参加して、学業と仕事を両立させていました。 ただ、仕事が始まってからは毎日が忙しくて、友達と遊ぶタイミングが激減しましたね。仕事が休みの日にたまに友達と遊ぶことしかできなくて、「みんなは部活とかを楽しんでいていいな」と羨ましくなることもありました。 ただ、支えられたのは、オーディションで受かった仲間たちがいたからこそ。一緒に受かったメンバーは、全部で15人いたんですが、全員同年代で同じような境遇、同じような条件で頑張っていました。「友達ともっと遊びたいな」という気持ちもありましたが、仲間のおかげで「辞めたい」とか「辛い」という気持ちを抱くこともなく頑張れました。それよりは、本当に日々与えられる課題をどんどんこなしていくことに必死でしたね。 ■リーダーを辞めたいとも思った。だけど…… ℃-ute時代は「自分はリーダーとしてどうやってみんなをまとめていったらいいのか」と仲間のことで悩むことが多かったです。ときにはリーダーを辞めたいと思うこともありましたね。でも、周りの方が「それぞれのやり方でいいんだよ」とアドバイスをしてくれたり、6歳から幼なじみのように過ごしてきた仲間も助けてくれたり。仲間がいたからこそ、諦めずに頑張れたんだなって思います。 芸能活動は興味本位で始めたけど、自分が苦手だった事でも頑張った末に褒められると、「次はもっと大きな目標を達成したい」と思えるんです。次々出てくる新しい目標を1つずつ達成するのは楽しいですよね。あとは、応援してくれる方が増えていくのもうれしかったです。たとえば、ファンレターも最初は全然こなかったのに、イベントやライブなどを続けていくと少しずつファンレターの数が増えていく。そうした変化を感じるたびに、「もっとたくさんの人たちに応援してもらえるようになりたい」と思うようになりました。 ■「とりあえず、全力でやってみる!」がポリシー いま、お芝居のお仕事をさせていただく中で、共演者の演技を参考に、自分の演技の仕方を変えることはあります。主演をやらせていただいた舞台『銀幕の果てに』では、世界観や表現が難しくて、自分自身が何を言っているのか分からなかったこともあります(笑)。 でも、ただ分からないじゃなくて、分からないなりに全力でやってみたら、なんとなく自分なりの答えが出てきました。同じセリフでも全力でやるかやらないかで演技も全く違ってくるし、たとえ全力でやって自分のやり方が間違っていたとしても、それを笑ってくるような人はいなかったですね。 これからもお芝居やモデルなどいろいろなお仕事をいただくと思いますが、そのたびに全力で向き合っていきたいです。そして、「この役、この子にやらせたい」って誰かから必要とされたり、「この人がいるから作品がもっと良くなる」と思ってもらえる存在になりたいです! ■多くのことは、実際にやってみると大したことない 学生時代は、若くて1番エネルギーもパワーもあると思うので、やりたいことに全力でやってみたらいいと思います。もしそれがダメでも、失敗から得られることもあるから、とにかく全力でやることが大事ですね。 「安心できる未来が欲しい」っていう気持ちもわかるし、環境を変えるのは怖いと思うけど、多くのことは「実際にやってみた後に意外と大したことなかったな」って後からケロッと話せるようになることが多いです。また、「自分の悩みなんてちっぽけだったな」って思える時がくるから、肩の力を抜いて、色んなことに挑戦して欲しいと思います。 学生新聞オンライン2021年3月17日取材 立教大学 2年 須藤覚斗

北之原真奈

高田夏帆 過去をいいものにできるように、今を走り続ける

■プロフィール 1996年生まれ。東京都出身。2014年より女優・タレントとして活動。『仮面ライダービルド』ヒロイン(2017年テレビ朝日)、『恋より好きじゃ、ダメですか?』主演(2019年中国放送)、『スナイパー時村正義の働き方改革』ヒロイン(2020年CBCテレビ) 全日本忍者選手権大会優勝、横浜マラソン完走、けん玉道7級など、女優業のみならず、多才な分野で才能を発揮している高田夏帆さん。「さんまのからくりTV」で一瞬ワイプに映ったことを契機に、芸能界へ進出。「人生何が起こるかわからない」ということをリアルに体感しているという高田夏帆さんに、話を伺った。 ■ごく普通の女の子だった学生生活  昔から明るく社交的で、常に笑っているような性格でした。運動神経がいいほうで、ドッジボールは最後までボールを避けて逃げ切れるような、お転婆で活発な女の子でした。小学校の頃はずっとリレーの選手だったこともあり中学校で陸上部に所属し、短距離走と走り幅跳びをしていました。同じグラウンドの隣で練習している野球部を横目にしながら、少し気になっている子を探すような普通の学生生活でしたね。高校では、学校の部活の中で一番厳しいといわれていたダンス部に所属し、先輩後輩の上下関係の重要さや15分前行動、報・連・相(報告・連絡・相談)の基礎を学びました。クラスも部活も同じ仲良しグループがいて、誕生日には、1人1つホールケーキを作って持ってきては、授業の10分間休憩にみんなで食べたりしていました。 印象に残っているのは文化祭です。おそろいのクラスTシャツを着て、推しの先輩と写真を撮るために行列に並ぶようなこともしていました。力を入れていたダンス部の発表では、私が登場した時、「かほちゃ~ん!」という先輩からのコールたくさんいただいて、「人生最大のモテ期かな?」と思ったほどです(笑)。高校時代から芸能活動を始めてはいたものの、こういった普通の学生生活を過ごせたのは、ある意味私の強みでもありますね。 ■人生が180度変わった一瞬のワイプ  芸能界に入ることになったのは、高校2年生の時。制服で友達と原宿を歩いているところで、『さんまのからくりTV』のインタビューに声を掛けられたのがきっかけです。これを機に、番組から出演のオファーがあり、ほかの女の子20人くらいと一緒にひな壇に座って出演したら、私が一瞬ワイプに抜かれたところをたまたま今のマネージャーさんが見て、スカウトしてくれました。スカウトを受けたときは、進路について悩んでいたこともあり、芸能界の道に進むには不安な部分も多かったです。しかし、事務所の方に当時大人気だったAKB48のコンサートに連れて行ってもらい、「芸能界ってこんな素敵な世界なの?」ととても感動し、芸能界に進むことを決めました。 芸能界に入った後、最初の頃はひたすらオーディションを受ける日々でした。そして、私の初めてのお仕事であり、レギュラー番組にもなったのがNHKの『Rの法則』です。この番組は、スタッフさんが愛をもって育てていた番組だったので、毎日がとても楽しかったです。現場には同世代の男女も多く、学生生活とはまた違った青春を送ることができました。今の高田夏帆がいるのは、『Rの法則』があってこそ。とても感謝しています。 ■みんなが楽しいと自分も楽しい  お仕事をしている上では、辛いことも大変なこともあります。でも、私の性格なのか、すべてを珍道中として楽しめてしまいます。たとえば、コロナ禍でお仕事が減ってしまったとき、どうやってプロ意識を保とうかを考えたとき、思いついたのが「メイク」でした。 そこで知り合いのヘアメイクさんやカメラマンさんに、インスタのDMで自分から連絡をして、撮影会を企画しました。自分からみんなに声をかけて動くことは初めてでしたが、それぞれがやりたいテーマやコンセプトを持ち寄って、みんなが好きなことができる場になって、みんな楽しそうでした。みんなが楽しいと自分も楽しい気分になれて、とても思い出に残る撮影会になりました。 ■理想を持たず、自分を信じて上を目指し続ける  日頃から、理想を作らないようにしています。なぜなら、「誰かになろう」と思ったところでなれないものだから。自分の良さは自分が一番よくわかっているので、何かにとらわれないようにしています。動きを止めると死んでしまうマグロのように、常に上を目指して、自分を信じていこうと思いながら過ごしています。 また、常に心掛けているのは、目の前のことを全力でやるというもの。たとえば、全日本忍者選手権大会での優勝や、横浜マラソンの完走、けん玉道7級の取得などは、全部最初はテレビの企画でお声がけいただいたからなんです。まったく未知の領域ではありましたが、根性と努力で乗り切れたのは、自分を信じて、全力で取り組んだおかげだなと思います。 ■次につながったときに、自分を誉めてあげる  ドラマ『恋より好きじゃだめですか?』でカープ女子を演じ、その数か月後に広島銀行のCMに起用された時は、とてもうれしかったです。他にもアーティストデビューをして、レコード大賞をいただいたりと、自分の仕事が次の仕事につながる瞬間がとても嬉しいです。 褒められることが多い世界なので、仮に「また一緒に仕事をしよう」と言われても、本当にそれが実現するのはほんの一握りです。だからこそ、次の仕事につながったときは、自分を褒められるようないい仕事だったんだなと思うようにしています。でも、「失敗だったな」と思うことがあっても、それを糧に目の前のことに全力で取り組んで、過去の反省が生かすようにしています。 ■若いうちは「自分はすごいんだ」と勘違いしてもいい 米米CLUBのカールスモーキー石井さんが「若さは“馬鹿さ”だ。いつ馬鹿になるの? 大人になると、常識に縛られちゃって世界を自分で狭めちゃう」とおっしゃっていて、その言葉がとても響きました。若いうちは、若さにひたひたに甘えて、走ればいいと思います。少しずつ大人になって色々なことに気づいてくると、怖くて動けなくなってしまうので。若いうちこそ、感謝とリスペクト、ユーモアさえ忘れなければ、「自分はすごいんだ」と少しくらい勘違いしてもいいんじゃないでしょうか。 学生新聞オンライン2021年2月16日取材 共立女子大学 3年 北之原真奈

芸能人

段文凝 私が目指すのは日中友好。そのために、今日も発信する

■プロフィール 中国・天津市出身。大学卒業後、天津テレビ局アナを経て来日。2011年4月よりNHK教育テレビ『テレビで中国語』にレギュラー出演。(2017年3月卒業) 2014年早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース卒業。現在、早稲田大学非常勤講師。NHK WORLDの番組出演、著作家、MC、舞台や映画など、女優としても活躍している。 11年前に来日して以来、タレント、社長、講師など幅広いジャンルで活躍する段文凝さん。いまもなお「日本と中国の友好」をテーマに発信を続ける彼女に、日本に来た理由や活動の中でのやりがい、そして日中友好に対する熱い思いを伺った。 ■内気だった子ども時代から一転、日本への留学を決意した大学時代  いまの私を知っている人には信じられないかもしれませんが、小さい頃の私はとても内気でした。どれほど内気かというと、人前に出ると、顔が真っ赤になって話すことができなかったほど。そんな自分自身のことを、当時の私は好きではありませんでした。そこで内気な性格を克服するために、大学では人前で話すことを仕事とするアナウンサーコースに進学しました。その大学生活を通して私の性格は、内気から一転し、とても外交的になります。いま振り返ってみると、私にとってこの大学生活4年間は、大切な期間でしたね。 性格が外交的になるにつれ、次第に外の世界を見てみたくなった私は、留学を決意します。どこに行くかを考えた際、頭に浮かんだのは日本でした。私の父が日本で仕事をしていた関係で、もともと幼少期から私は日本に親近感を持っていました。また、『ドラえもん』などのアニメが好きで日本の文化にも興味があったし、日本だと中国から距離が近くて家族が安心できるなどの理由もあり、私は日本への留学を決意しました。 そうして日本に来た私ですが、来日当初はどこの大学院に通うかも決まっていない状態。さらに言うと、来日時は日本語の勉強をしていませんでした。学校も決まってないし、言葉もわからない。そんな状態で知らない地で一人生きていくことに、当然ながら多少の不安はありました。しかし、それを圧倒的に上回ったのが、経験したことのないことに出会えるワクワク感です。そのワクワク感のおかげで、不安はどこかへと吹っ飛び、留学中はホームシックになることもありませんでした。日本の生活で辛かったことはほとんどありませんが、唯一苦手だったのはゴキブリです(笑)。天津のゴキブリは小さいし飛ばないですが、日本のゴキブリは、大きいし飛ぶ!初めて見た時は本当にびっくりしました。 ■「日中友好の架け橋」に私はなりたい  中国と日本という二つの国が好きだからこそ、私はずっと日中友好をテーマに掲げて活動しています。そして、自分自身が日本人と中国人を繋ぐ架け橋になりたいと強く思っています。まだまだ目標の途中ですが、活動のなかで、自分が架け橋として役に立ったと感じる瞬間は、達成感がありとても嬉しいです。例えば、私は早稲田大学で短期留学の引率をすることがありますが、学生さんから「留学を経験して、もっと中国のことを知りたくなったので、中国に長期留学することを決めた」と言ってもらえた時は、大きな達成感を感じます。他にも、いま中国語を勉強している人たちから、「段さんが昔出演していた『テレビで中国語』は、とても勉強になりました」と言われた時も本当に嬉しかったです。 日中友好をテーマに活動している私ですが、より深く日本と中国に関わりたいと考えた末、昨年6月に「Goodwill Pictures」という会社を設立しました。突然ですがみなさん、北海道のお土産と言われて何を思い浮かべますか?「パッと頭に浮かぶ有名なお菓子もたくさんあります。でも、北海道には他にも沢山の魅力的な商品があります。「Goodwill Pictures」では、日中友好の一環として、地方にある魅力的な商品を、中国と日本にネットで発信、販売しています。これからも日本のことを中国に、中国のことを日本に発信し、日中友好の架け橋になれるように活動を続けていきます! ■人のためではなく、自分のため  仕事をしていく中で、大変だと思ったこともたくさんありました。それでも活動を続けられたのは、誰かのためではなく、私自身が本当にやりたいと思うことをやっているからだと思います。私の親は医者で、私が跡を継ぐことを望んでいました。でも、私は親の跡を継がずに、日本に来てタレントとして活動しています。いまの私があるのは、親のために医者になるという選択肢を取らず、自分がやりたいと思うことを続けた結果です。 また、自分のやりたいことを続けることは、自分にとっての楽しみや続けるモチベーションへと繋がります。いま振り返れば、これまでの人生は「自分が楽しいかどうか」を基準に、仕事をしてきたようにも思います。そのおかげでいままで仕事を続けることができていると思いますし、いまやっている仕事も毎日とても楽しんでいます。 ■何をするにもモチベーションを大切に  生きていれば嫌なことが続く時もあります。そんな時は未来を信じ、諦めない心を忘れないでください。諦めたらそこで終わりです。いまがどんなにダメでも、自分のやりたいことを見つけ、やり続けること。そうすればいつか必ず報われる時は来るはずです。 ここからは中国語を学んでいる方へのメッセージです。「中国語は日本語と漢字が似ているから簡単なのでは」という理由で、中国語の勉強を始める日本人の方は多いです。しかし、途中で挫折してしまう人が多いのも、また事実です。この挫折は学校の単位のためだけに中国語を学んでいる人に起こりやすい気がします。「授業のため」以外に勉強するモチベーションを探してみてください。「『三国志』が好き」「中国人の彼女を作りたい」「現地で生活していくため」でも、モチベーションは何でもいいです。モチベーションさえあれば、どんなことでも続けることができます。私も日本で生きていくために日本語の勉強を頑張りました。辛い時期を乗り越えたら本当にいい景色が見えるはずです。大学生のみなさん、頑張ってください! 学生新聞WEB 2021年2月16日 法政大学1年 鈴木悠介

経営者

株式会社ココナラ 代表取締役社長CEO 鈴木歩

個人が社会と繋がるチャンスを提供する! ■プロフィール 早稲田大学法学部を卒業後、株式会社リクルートに入社し、HR・ブライダル領域での商品企画・営業、アドテク新規事業での事業開発を経験。その後、株式会社リクルートホールディングスにて海外経営企画として、グローバル・ガバナンス・組織体制検討、海外リサーチ、海外グループ会社サポートなどを担当。2016年5月よりココナラに参画。 スキルマッチングプラットフォームで圧倒的な知名度を誇り、今年3月に上場を果たした株式会社ココナラ。代表の鈴木社長は、学生時代からイベントの運営を通して、誰かの将来を後押しするきっかけづくりにやりがいを感じていた。ユーザーの反応を大切に現場の最前線で活躍する姿に迫る。 ■イベントの運営に注力していた学生時代 大学は途中からは最低限でしか通わず、イベント運営をメインに活動していました。もともとDJをしていて、1,2年生の頃は音楽サークルを作ったのですが、もう一段階飛躍したいという思いで、イベントを開催するようになりました。音楽イベントだけでは人が集めづらいので、ファッションショーやヘアショーとコラボしながら1000人くらいのお客さんを集客していましたね。 就活の時期になっても、目の前のイベントに夢中だったので、就活をしなくても特に焦りはありませんでした。しかし、周りがだんだんと企業に内定していく姿を見て、一度企業に入ってビジネス感覚をしっかりと身につけた方が良いのではないかと思い直すようになって。最終的には、自主留年をして就活をする道を選びました。大手を中心にいくつか受けたのですが、その中でも人生の選択肢を提供するリクルートは自分の価値観に一番合っていると思い、就職を決めました。学生時代のイベント活動でも、出会いの場を作ることによって誰かのキャリアの後押しができることにやりがいを感じていたので、後にできた「まだ、ここにない、出会い。」に象徴されるように、魅力的な事業を行っている会社だったので迷いはありませんでした。 ■ユーザーとの距離感が近く、手触り感のある仕事がしたい ココナラに転職したのは、丸10年リクルートで働いた後です。当時は、リクルートで海外の経営企画を担当していたんです。ニューヨークと日本を行ったり来たりしながらグローバル・ガバナンスの検討をするなど、刺激的で面白い仕事をさせてもらっていたのですが、ユーザーとの距離が近い事業の中で手触り感のある仕事をまたいつかやりたいなと思っていました。そんな時にちょうど、ユーザーオリエンテッドで自分の価値観に合ったココナラから声をかけていただいたので、初めての転職に踏み切ったんですよね。 ■小さな会社から上場企業へ成長 5年前は赤字で、このまま運営していったら1年後にはキャッシュが尽きるかもというスタートアップにはよくある状況でした。プロダクトを作るにしてもエンジニアの数が足りず、当時は無名だったので採用も大変でしたね。最初は個々の能力で成果を上げるプロ集団という感じだったのですが、 “one team for mission”というバリューを掲げて、今ではプロダクトと社員のビジョンが一致して、組織として一体感を持って前進できています。大変だったことも今振り返ると全てが今に繋がっている思い出深い出来事ですね。 マーケットプレイスは、取引が発生して初めてスタートするので、立ち上げ時はマッチングしやすいようにあらゆる変数を減らしてスタートさせました。例えば、場所や時間の変数をなくすためにオンライン上での取引に限定したり、価格もワンコイン一律にして購入時のハードルを下げたりするといった工夫です。その後、段階的に価格帯やカテゴリーを増やしていって、今では40万件のサービスと、270万件のレビュー数があり、価格帯は500円から100万円まで出品可能な大きなプラットフォームにまで成長しました。このレビュー数の多さは、目に見えないサービスに対する信頼と安心に繋がり、ユーザーを引き込む一因にもなっています。 ■個人が社会と繋がるチャンスを提供する会社 何かを頑張りたいと思ったときにそのチャンスすらないのは不幸せじゃないですか。必ず成功を約束できるわけではないですが、自分が社会と繋がって頑張りたいと思ったときに、そのバッターボックスに立てる状態をつくりたいという思いがあります。 ココナラはスキル、知識、経験の領域においてホリゾンタルにあらゆるカテゴリーを扱っているという点が一つの強みだと思います。最近ではWEBサイト制作、デザイン、動画制作といったビジネス系のサービスの取引が伸びており、よりビジネス利用の信頼性を担保していく機能開発に力を入れていきたいと考えています。ゆくゆくはサービス版のAmazonとして、“誰かに何かをお願いしたいと思ったときはココナラ”といった信頼あるブランドに成長していきたいですね。 ■現場の最前線で行動 自分自身は本来けっこう適当なタイプだと認識しているので、だからこそ仕事上は計画的に行うように意識していて、今後の施策もあらかじめ常に細かく300近くリストアップしたりしています。普段から現場のメンバーともよくコミュニケーションは取っていて、気軽なディスカッションの場などは毎日たくさんあります。仕事をする上での楽しさも、ユーザーとの距離の近さにあります。プロダクトや機能をリリースしたら、良いも悪いも直接フィードバックを貰えるという点にやりがいを感じますね。 ■ビジョンに共感し、オープンマインドな人と働きたい 一緒に働くうえで一番大事なのはfor missionであることですね。 “一人ひとりが『自分のストーリー』を生きていく世の中をつくる”というビジョンに共感してくれる人と働きたいです。また、社風から言うと、率直でオープンなコミュニケーションが取れる人ですね。「こういう社会をつくりたい!」というビジョンドリブンで動けるひと、そして本音をその場でしっかり伝えて議論をした上で前へ進める人がいいですね。 ■message 学生時代は自分に自信を持つこと、自信を持てるようにアクションを取ることが大切です。100回失敗しても、それは次の成功の糧になると思うので何回でも挑戦して1つでも成功体験を積めると良いですね。社会に出たらイレギュラーな出来事もたくさんありますが、一歩足を踏み出す原動力は経験に基づく根拠のない自信だったりするので、学生時代の頑張りに立ち返って自信を取り戻せるような経験をしておけると良いと思います。 学生新聞オンライン2021年3月31日取材 国際基督教大学 4年 鈴木菜桜

山本真人

さんだる

「楽しくお笑いをしている」と思われるような芸人に。 ■プロフィール 2013年結成。2019年第1回ツギクル芸人グランプリ決勝進出、キングオブコント2019準決勝進出、2020年キングオブコント2020準決勝進出。2021年はNTV「ぐるナイおもしろ荘2021」に出演、5月30日には単独ライブを開催。ラジオアプリGERA「さんだるのぴよぴよさんだる」(毎週月曜日更新)に出演中。 同じ養成所に入ったことをきっかけに結成されたお笑いコンビ「さんだる」。結成当初から出場し続けた「キングオブコント」で、準決勝に2年連続進出。今年、800組を超える芸人の中から選出され、テレビ番組『おもしろ荘』にも出演を果たした、お二人の理想の芸人像とは? 現在に至るまでの経験や思い、これからの展望と共に伺った。 ■学生時代から芸人を目指していましたか? 宗:全く考えていなかったです。高校の文化祭で漫才をやったことはあるんですが、中学・高校のときはお笑い番組をほとんど観ていなかったです。でも、大学進学後に、『ダウンタウンのごっつええ感じ』や、ジャルジャルさんなどのお笑いDVDをよく見るようになり、「俺がやりたかったのはこれだ!」と思ったんです。 堀内:僕は反対に、小学生から芸人になることが夢で、卒業文集にも「芸人になりたい!」と書いていたほどでした。そのころから、お笑い番組やネタ番組を相当観ていましたね。特に、『めちゃ×2イケてるッ!』と『内村プロデュース』を観ていて、「芸人さんはふざけてお金をもらえていいなぁ。楽しそうだな。自分も出たい!」と思い、いつからか芸人という仕事を目指していました。 ■お二人が出会ったきっかけや、選んだ理由は何ですか? 宗:お笑い養成所で、同じクラスだったのがきっかけです。クラスの中で、これから一緒にお笑いをやっていく人を探すわけですが、僕には条件がいくつかありました。それは、「年が近いこと」「東京出身であること」です。なぜ「東京出身」という条件を出していたのかというと、さまぁ~ずさん、おぎやはぎさんたちのような東京出身の先輩方に続けという想いがあったからです。また、僕自身、ナインティナインさんみたいに「若いころから売れたい」という思いがあって、できればキレイ目な人と組みたかったので、これらの条件の整っていた堀内ともう一人(のちに脱退)と一緒に、トリオとして「さんだる」を結成しました。 堀内:養成所で最初に自己紹介や一発芸をやるのですが、その後、宗ともう一人のメンバーの3人で、「誰が面白くなかったか」という話を3人でしていて、同じ人を挙げたことをきっかけに仲良くなりました。感受性が近かったのだと思います。僕は、「友達として仲良くなれる人とやりたい」と思っていたので、2人とは養成所時代から楽しく過ごせたのも、よかったんだろうなと思います。 ■印象に残っている仕事はありますか? 宗:印象に残っているのは、「キングオブコント」で初めて準決勝の舞台に立ったときです。「さんだる」はずっと「キングオブコント」に出続けているのですが、結成して6年目までは毎年1回戦敗退でした。挑戦し続けた大会で、準決勝に立った時、その舞台に立つ前までわからなかった感覚や手ごたえを感じられて、「もうひと頑張りしなきゃ」と思ったのを覚えています。 堀内:僕も印象に残っているのは「キングオブコント」ですね。ただ、準決勝に進出したときではなく、その前の年の2回戦での舞台が印象に残っています。今までは「キングオブコント」の舞台でウケたな……手ごたえを感じたことはなかったのですが、初めて凄くお客さんの反応がよくて、強い手ごたえを感じて、ものすごく興奮しました。結局、その年は準々決勝で敗退してしまいましたが、今もその年の2回戦でやったネタはとても大事にしています。 ■ネタはどうつくりますか? 宗:基本は僕が考えています。まずは、ネタの設定だけを相方に伝え、相方も面白いと言ったら、本格的に作りだします。僕は、面白いネタは言葉で伝えた時点で既に面白いと思っているので、相方に設定を伝えて「面白くない」と言われたら、「このネタは50%の人が面白くないと思っているんだな」と考えて、使いません。ネタ作りの際は、自分から意識して「ネタを考えよう」と思った際に生まれたことは1度もないです。映画やドラマなどのほかの作品を見ていて、ふとした瞬間にアイディアが出てくるんです。 ■苦労していることはありますか? 宗:最近、ネタ番組に出演させていただく機会が増えているのですが、その中で感じるのが、コントを中心にやる芸人ならではの難しさです。漫才師は、その芸人自身として舞台に立ちますが、コント師はネタの中の役を演じて、お客さんを笑わせます。しかし、トークするときは芸人本人としてコメントしなければならないので、ネタの中で演じた役の枠から出ることになります。ネタ中とその後のトークでキャラに落差があってはいけないと常々思っているので、この「コント中」と「トーク中」のキャラクターの出し方については、本当に難しいですね。 ■今後の目標やチャレンジしたいことはありますか? 宗:まずは、キングオブコント決勝に進出したいです。あと、僕は映画に出たいですね。ネタは、面白い時期を過ぎると後で見ても笑えないことが多いですが、映画は長い間残ります。エンドロールに自分の名前が載るのが夢ですね(笑)。ちなみに、僕たちのネタで『孤独のグルメ』をモチーフにしたものがあるので、ぜひ『孤独のグルメ』に出演させていただきたいと思います!あとは、単独でもおもしろいと思われる芸人になりたいです。僕たちは、ネタをメインにやってきているのですが、バナナマンさんのように一人ひとりが単独で活躍しても面白いと思われる芸人さんに憧れます。最終的には、「あの人たちは、普通にまったりと話をしているだけで面白いよね」と思ってもらえるような芸人にもなりたいですね。あとはもちろん、ずっと楽しくお笑いをしている芸人でありたいと思います! ■message 宗:芸人をやっていて、様々な知識が必要だということを痛感します。これは芸人だけに限られたものではないと思います。どんなことでも「これやっていてよかった」とふと思うことがあるので、やるかやらないかで迷ったら、確実にやる方を選んだ方が楽しいと思います。 堀内:僕は小学校のときから芸人を目指してきたので、大学に進学することは考えていなかったです。しかし、今思えば、退路を断って「これしかなれない道」を歩むよりも、様々な選択肢の中で選んだ道に進んだ方がいいと思います。大学生を楽しみながら、親を大切に、感謝して過ごしてほしいですね。そして大学生の皆さんが、僕たち「さんだる」を見て、楽しんでほしいと思います。 学生新聞WEB 2021年2月15日取材 明治大学2年 山本真人 <さんだる単独ライブ> 【タイトル】さんだる単独ライブ③すりっぽん 【日程】2021年5月30日(日) 【会場】渋谷ユーロライブ 【時間】開場14:30/開演15:00 【チケット】前売・当日とも¥2500 【チケット販売フォーム】チケット購入は TIGETにて https://tiget.net/events/126904

大学理事長・大使館

セルビア共和国 イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ在京セルビア大使館...

プロフィール イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ 在京セルビア大使館臨時代理大使 1970年9月1日生まれ。 ベオグラード出身。ベオグラード大学法学部卒業。 英語、フランス語、ロシア語を操る。 経歴 1998年 ユーゴスラビア連邦外務省三等書記官 2004年~2007年 在クロアチア・セルビア大使館一等書記官 2008年~2010年 セルビア外務省分析課参事官 2010年~2014年 在キプロス・セルビア大使館参事官 2014年~2018年 セルビア外務省儀典局特権免除課長公使参事官 2018年9月 在京セルビア大使館公使参事官 2020年7月 在京セルビア大使館臨時代理大使(現職) バルカン半島の中心に位置する国、セルビア共和国。今回は、品川にある大使館にお邪魔して、イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ在京セルビア大使館臨時代理大使にお話しをお伺いいたしました。 ■セルビアについて 一般情報 セルビア共和国は民主主義国家です。長い歴史と偉業によって近代国家が築かれました。セルビアには、ヴォイヴォディナとコソヴォ・メトヒヤという2つの自治州があります。人口は約900万人、首都はベオグラード。ベオグラードは行政、経済、文化の中心地で、人口は約160万人です。 地理・面積・気候 セルビアはバルカン半島の中心に位置しており、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝地となっています。面積は約8万8361平方キロメートルで、北海道より少し広いくらいです。標準時は中央ヨーロッパ時間(CET)です(日本との時差はマイナス8時間。サマータイム時はマイナス7時間)。気候は穏やかな大陸性気候で、日本と同様に四季があります。 民族 激動の歴史を辿ってきたセルビアの民族構成は多様性に富んでいます。住民の大部分はセルビア人ですが、他にも37の民族が存在します。すべての民族に自由と平等の権利が保証されています。 スポーツ セルビア出身の有名スポーツ選手は、なんといっても、男子プロテニス選手のノバク・ジョコビッチ選手です。他にも、サッカー、バレー、バスケット、水球など、世界で活躍する選手を次々と輩出しております。リオ五輪では8個のメダルを獲得しました。 参考:セルビア共和国大使館HP ■臨時代理大使のこれまで 臨時代理大使は、ベオグラード大学法学部に入学しました。当時、特にヨーロッパは情勢が不安定で、先行きの見えない時代でした。そして在学中の1989年、ベルリンの壁が崩壊しました。この出来事が世界に与えた衝撃は大きく、自身の「平和主義」「コミュニケーションを大切にしたい」という価値観の形成にも大きな影響を与えました。卒業後、始めは裁判官として働いていました。しかし、「社会を変えたい」「社会に貢献したい」「国をよくしたい」という強い気持ちを実現するには外交が一番の近道だと考え、外務省に入省。現在、外交官としてのキャリアは25年目で、これまで政治、経済、文化などの分野をご担当されてきました。来日したのは2年前で、日本が初のアジア赴任地。日本の印象は「とても美しい国。特に自然の美しさは世界に類を見ないほど」とのことでした。 ■国民性 ーセルビア人と日本人の違いについて教えてください セルビア人は日本人と比べるととても陽気です。それに大らかですね。熱心で、目標に向かって行動する場合、全力で取り組む傾向があります。共通するのは、家族や伝統をとても大切にしていることですね。 ―セルビアと日本の関係について教えてください セルビアと日本は固い友情で結ばれています。セルビア人は日本が好きで、親日家がとても多くいます。今から139年前にセルビアのミラン・オブレノヴィッチ国王と明治天皇が親書を交わし、両国の友好関係が始まりました。長きにわたる友情をとても誇らしく思います。 ■職務 ー大使館でのお仕事について教えてください。 大使館業務はとても幅広く、多忙を極めます。セルビアと日本の関係強化のために、日本の外務省を中心に各省庁との連携を深めています。ほかには在日セルビア人の保護、セルビアの文化や観光の宣伝活動なども重要な公務です。セルビアの外務省との情報交換も大切な仕事ですが、時差は8時間(夏季は7時間)もあるので、やり取りをうまく調整する必要があります。ユーゴスラヴィアの時代から過去の大使が育んできた日本との友情を維持するべく、全身全霊で公務を全うしたいと思っています。 ■パンとラキア ー「フランス人ならチーズとワイン」、「ドイツ人ならソーセージとビール」といったように、セルビアにも、「これを食べてこれを飲めば仲良くなれる」といったものはありますか? セルビアは美しい自然、温かくおもてなしの精神を持つ人々、そして東洋と西洋の特徴を併せ持つおいしい料理を味わうことができる国です。また、古代ローマ時代から生産が続く高品質のワインも楽しめます。中でも果物の蒸留酒「ラキヤ」は特産のプラム、アプリコット、ぶどう、洋ナシなどを原料としており、セルビアの国民酒と言えます。アルコール度数は、製法にもよりますが、40度~60度と非常に高いです。「ラキヤ」は健康に良い影響を与え、気分を高揚させてくれます。 主食はパンで、日常的に食べられます。一方で友情の証でもあります。大切な行事では円形のパンを用意し、友人らと引きちぎるという古い習慣が今でも残っています。また、来客の際は歓迎の表れとして玄関先でパンと塩を提供する習慣もあります。 ■読者に向けてメッセージをいただけますか いつかセルビアを訪れていただき、私たちの国土、人々の魅力を肌で感じてほしいです。セルビアの地形は変化に富み、自然美を堪能できます。セルビア人はとても友好的で温かな人たちが多いです。セルビアに到着したら、まずは首都のベオグラードをお楽しみください。古い歴史を持ち、至る所に公園があります。中でもドナウ川とサヴァ川の合流地点にあるカレメグダン要塞公園はおすすめです。 セルビア中部のシュマディヤ地方、西部のタラ山脈国立公園と保養地のズラボティボル地方も外せません。この地域には「ドゥルヴェングラード」と呼ばれる有名な観光スポットがあり、毎年多くの人たちが押し寄せます。ここはセルビア人映画監督のエミール・クストリッツァ氏が手掛けた観光地としても知られており、大自然に囲まれながらゆったりとした時間を過ごしたり、セルビアの伝統文化を学んだりして、丸一日楽しむことができます。 ほかにも、13~14世紀の中世セルビア時代に建てられた教会や修道院が今でも残っており、ユネスコの世界遺産に登録されています。皆さんのご訪問を心よりお待ちしております。 学生新聞WEB2020年11月16日取材  慶應義塾大学4年 小川淑生 津田塾大学2年 宮田紋子/慶應義塾大学4年 小川淑生/東洋大学1年 濱穂乃香/津田塾大学3年 川浪亜紀/慶應義塾大学1年 伊東美優

宮田紋子

GENIC(ジェニック) 夢を「与えられる側」から「与える側」へ。

■プロフィール avexのDNAを継承する新ダンス&ボーカルグループ育成プロジェクト=a-genic PROJECT(エイジェニック・プロジェクト)から選ばれた男女7人。2019年結成。2020年5月に1st Album『GENEX』でメジャーデビュー!西澤呈 / 小池竜暉 / 宇井優良梨 / 増子敦貴 / 雨宮翔 / 西本茉生 / 金谷鞠杏 日本の音楽シーンをリードしてきたavexから、そのDNAを継承する男女7人組のダンス&ボーカルグループとして誕生したGENIC。異なる経験、武器、バックラウンドを持つ7つの個性が重なり合うことで、どんな化学反応が生まれるのか。そんな彼らの軌跡と最新曲「春うらら」、そして今後の展望について伺った。 ■みなさんがこの業界に入ったきっかけを教えて下さい。 西本茉生(リーダー)歌は物心ついた時から好きで、音楽番組はテレビにかじり付くように観ていました。ダンスを始めたのは、中学生の時に先輩に誘われたのがきっかけ。高校へ上がった時には、友達がダンスオーディションに応募してくれて(笑)。気づいたら今に至っています。 小池竜暉昔から生粋の音楽好きではありましたが、小学校までの夢は料理人でした。その後、歌に強い興味を持ったのは、親の影響でライブに行くようになってからです。次第に、「今度は自分が歌を通じて、人を感動させる側になりたい」と歌手を目指すようになりました。 西澤呈物心ついた時から勉強は苦手だけど、マイケル・ジャクソンが好きな子どもでした。彼がステージに登場しただけで、多くの人が惹きつけられていく。その姿を見て、「ステージの力ってすごいんだな」と憧れを持ち、この業界を目指しました。 増子敦貴僕は小さい頃からサッカーが好きで、高校はサッカー推薦で進学したほどでした。とはいえ、プロになりたいという気持ちもなく、「卒業後は “普通”に働ければいいかな」とすら思っていました。でもある日、いわゆる運試しでオーディションに応募してみたんです。そうしたら、受かってしまって(笑)。それがきっかけで、音楽やダンスを好きになっていきました。 金谷鞠杏私はもともとCAになりたかったんです。でも小学校6年生の時、好きなモデルさんと一緒に雑誌に載れるという企画を見つけて。一種の縁を感じて応募してみたところ、グランプリを受賞することが出来たんです。これをきっかけに、今度は「ランウェイに出たい!」とモデルを目指すようになりました。しかし、東京へ遊びに来ている時にavexさんからスカウトを受けたことで、夢がダンス&ボーカルへと変わっていきました。 宇井優良梨ダンスは小学校1年生の頃から習っていて、6年生になったときに、オーディションでavexさんに「ダンス&ボーカルをやらないか」と声をかけてもらいました。歌も幼少期から好きではあったんですが、仕事にしたいとまで思うようになったのは、a-genic PROJECTがきっかけでした。 雨宮翔ダンスは3歳頃からやっていました。そして、5歳の時には、「将来的にダンサーになりたい」とまで思うようになっていました。きっかけは先輩であるAAAさんのライブを観て憧れを抱いたことです。 ■やりがいになっていることはなんですか? 金谷鞠杏この業界へ入ったのも、誰かに元気や勇気、そして夢を与えられてきたから。今度は自分たちがそれをファンの方へ還元し、心の支えになっていく。これにはとても大きなやりがいを感じています。 西本茉生やはりファンの方の存在です。ライブでのお客さんの反応や僕らの反応、両方のエネルギーによる相乗効果で創り上げていくものです。そのため、同じセットリストであったとしても、ライブごとに色も変わります。僕らにとってもお客さんはとても大きな存在なんです。 西澤呈SNSは場所を越えてコミュニケーションがとれるので、ファンの方から頂く様々なメッセージは、どれも嬉しいし、励みになります。 宇井優良梨特に感動したのは、以前いただいた「GENICになってくれてありがとう」という言葉。この言葉を思い出すたびに「GENICとして活動出来ていることが当たり前ではない」と感謝するようにしています。 ■活動していて辛かったことはありますか? 小池竜暉実は僕らはみんな、過去に別のグループを組み、解散をするという苦い経験を味わってきています。当時はつらいと感じましたが、乗り越えた先にこのメンバーと出会えたからこそ、今になると「苦労も苦労じゃなかった」と思えます。みんな、これまで培ったものを糧に「このステージに立ちたい」か大きな目標の達成に向けて、どんな逆境でも乗り越えてやるという強い気持ちを持っています。 ■メンバー同士についてはどう思われていますか? 増子敦貴運命共同体ですね。ファンの方々との約束を達成しようという強い思いがあるグループです。 西本茉生最初は、お互いに探り探りなところもありました。でも今となっては、メンバー同士で深い話も腹を割ってする仲です。やっぱり7つも頭があると、意見のぶつけ合いになることは多々あるんですよね。それでも、良いものは良いと素直に認め合い譲り合うことで、最終的には折衷案を見つけ出すことが出来ます。ここ一年半で急速に仲が深まったのも、こうした率直な話し合いのおかげです。あとは鞠杏と翔がたまに喧嘩していますが、それは戯れあいの一種ですね(笑)。 宇井優良梨男女混合というメンバー構成なので、パフォーマンス上、女子が男子の力強さに合わせていくという難しい点もあります。でも、混合ならではの表現で奥行きを出せる点は、強みですよね。 ■新曲の「春うらら」の注目どころを教えて下さい! 小池竜暉この曲は4月から放映中のアニメ『フルーツバスケット』The Finalのエンディングテーマソングです。決まった時は嬉しかったですね。作品のテーマである友情や助け合い、その中で生まれる恋愛模様に加えて、自分たちの想いも入れて歌詞を書きました。春らしさを表現した1曲になります。 西澤呈アニメとリンクして聴いてほしい一方、知らない人でも現在新生活を味わっている方や夢に向かって挑んでいる方にも、強く突き刺さる1曲だと思います。あとは恋愛のモヤモヤを抱えている人が聴くと、心がスッキリするかもしれません。 西本茉生僕の推しのフレーズはサビや歌い出しの「歩いてきた道、間違いじゃないよ」の一節ですね。 ■今後、挑戦してみたいことはありますか? 西本茉生7月から始まるファーストツアーが目前に迫っています。初ツアーに向けて、今の高まっている気持ちをさらにパワーアップさせ、準備満タンにしていきたいです。 金谷鞠杏プライベートでは、休日に全員で集まって遊んでみたい! 例えばディズニーランドで思い出作りがしたいですね! ■大学生へのメッセージ 西本茉生大学生になると今までに比べて自由度が増すため、自制心が試されてくるのかなと思います。遊ぶ時はとことん楽しんで、しっかり勉強する時はする。こうしたメリハリを大切に、楽しい4年間を過ごして頂きたいです。そして、これはグループ名にも込めているのですが、みなさんの日常生活における喜怒哀楽に僕らGENICが少しでも彩りを与え、寄り添っていけたらいいなと思います。なので、良かったらGENICの曲を聞いてみてくださいね! 学生新聞オンライン2021年3月3日取材 津田塾大学 2年 宮田紋子 DIGITAL RELEAS 「春うらら」 TVアニメ「フルーツバスケット」The Finalのエンディングテーマ。春の訪れにぴったりなミディアムバラードで、「友情」や「これからのスタート」などを歌った前向きな気持ちにさせてくれる内容で、「フルーツバスケット」のキャラクターたちの前進しようとする姿を後押ししているかのような温かさを感じさせる楽曲となっている。またメンバーの小池竜暉と西澤呈が共作で作詞に参加し、心の揺さぶられる”春”に強く背中を押せる様に、という思いが込められている。

学生新聞インターン

国際博覧会担当大臣・内閣府特命担当大臣 井上信治

政治家は天職。良い国を作り、多くの人を幸せに 国際博覧会担当大臣・内閣府特命担当大臣 井上信治(いのうえしんじ) ■プロフィール 1969年10月7日生まれ。学習院初等科、開成中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学修士課程修了。国土交通省・外務省勤務後、衆議院議員当選。環境副大臣、内閣府副大臣、衆議院内閣委員長、自民党団体総局長、副幹事長、青年局長等を歴任。科学技術、イノベーション、宇宙、健康・医療、消費者及び食品安全、クールジャパン戦略、知的財産等を担当。自由民主党衆議院議員(当選6回)、東京25区(青梅市・昭島市・福生市・羽村市・あきる野市・瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村)選出。趣味はお祭り、マラソン、温泉巡り。好きな言葉は「初心忘れるべからず」。 ■政治家を目指すきっかけは良い仲間に出会えたことがきっかけです。中学3年生のころ、友人と一緒になってこれからの日本や世界のこと、自分たちの夢について語り合っていました。皆と話し込んでいるうちに、「一度しかない人生、世の中のためになることをしたい、困っている人を助けたい、多くの方を幸せにしたい!」と思うようになりました。そのとき、良い国を作ればより多くの人が幸せになれると気づき、志高く政治家になろうと思ったのです。大学卒業後は国土交通省に入省しましたが、34歳のときに立候補し、政治家になることができました。中学生時代からの夢がかない、政治家は天職だと思っています。初心を忘れず、一生懸命、良い国を作ろうと頑張っております。 ■大臣として仕事のやりがいは国会議員を17年間続けてきて、一番印象に残っているのは3年間就任した環境副大臣です。当時、私は福島の原発事故、除染問題の担当をしておりました。私はまず地元住民の方との関係を構築することが最優先だと考え、何度も現地へ足を運びました。当初は政治に不信感を持つ方もいましたが、話を聞いているうちに、「あなたが絶えず私たちのところに来て話を聞いてくれるので感謝している」と言って、心を開いてくれるようになりました。この瞬間、人とのつながりこそが「政治の原点」だと再認識しました。2020年9月から国務大臣に就任し、現在は科学技術、宇宙政策、健康医療政策や2025年開催の大阪・関西万博を所管しております。新型コロナウイルス感染症で大変な状況が続きますが、科学技術行政は、いわば未来を切り開く素晴らしい仕事で、夢とロマンのある仕事を任せていただけたと思っております。大臣としての仕事は影響力があり、責任も重く、緊張感もありますが、今の仕事に大変やりがいを感じております。 ■大学生へメッセージをお願いします一生に一度しかない自由で貴重な時間だからこそ、思いっきりいろいろなことをするのが良いと思います。自分のビジョンが明確な人は少なく、悩んでいる人も多いと思いますが、たくさんのことをやるなかで、これが面白い、楽しいと感じるものを、失敗を恐れずにやってほしいです。そして2025年、大阪・関西万博はこれからの未来を見せる万博なので、若い人にぜひ来てほしいと思っています。 学生新聞2021年4月1日号より(日本大学3年 辻内海成)

中高生新聞

中条あやみ 今の自分が限界じゃない、だからこれからも挑戦し続ける

■プロフィール 1997年2月4日生まれ。大阪府出身。 2011年に「ミスセブンティーン2011」グランプリを受賞し、 雑誌「Seventeen」の専属モデルとして活躍後、さまざまな映画、 ドラマに出演。 2018年には、映画「チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで 全米制覇しちゃったホントの話〜」で第41回日本アカデミー賞新人賞を受賞。 現在ドラマ「君と世界が終わる日に」(2021年1月17日より放送)に出演中。 1月よりテレビ「ぐるぐるナインティナイン」「グルメチキンレース ゴチになります!」のレ ギュラー出演も決まる傍ら、雑誌「CanCam」の専属モデルなど、幅広く活躍中。 14歳で芸能界デビューした後、モデル・女優として活躍し、今年は地上波GP帯初となるゾンビアクションドラマに出演する中条あやみさん。なぜこの業界に足を踏み入れたのか、仕事の魅力は何なのか、この作品にはどのような思いで挑んだのか、自らの女優としての思いを伺った。 ■限界も100点満点もない世界、だから常に追求する  最初は、14歳の時に家族で行ったグアム旅行でモデルとしてスカウトされたことがきっかけでした。2011年にファッション雑誌「Seventeen」のオーディションに応募して、専属モデルとしてこの業界に入りました。女優業は、当時Seventeenのモデルの中に武井咲さんや広瀬すずさん、広瀬アリスさんがいて、既に女優として活躍されている方が周りにたくさんいたことに刺激を受け、足を踏み入れました。 今続けることができているのはある飲料のCMがあったからです。このオーディションを受けてダメだったら、今後のお仕事も考え直そうと思っていました。でも採用していただき、初めて自分を必要としてくれていることを実感でき、そこから仕事の幅が広がりました。 CMに出演していたとき、女優というお仕事はすごく体力と忍耐力が必要なんだと感じました。季節とは関係なく撮影があったり、飛んだり走ったりと、やってみて初めて苦労がわかりました。今でも新しい作品や現場に入るときはすごく緊張しますし、失敗することも何回もあります。しかし、絶対に限界も100点満点もないお仕事だと思っています。どうしたらより上手になるか、より楽しくできるか、常に追求することができます。そこがこの仕事の魅力であり、やりがいだと思います。女優というお仕事は特殊で、自分とは違う人になることで、何回も現実の自分とは別の人生を味わうことが出来るのも、大きな魅力だと思います。 ■今回のドラマ出演は貴重な体験でした  今回のドラマは地上波GP帯初のゾンビアクションドラマです。正直、最初に聞いたときは今までのドラマにはない強烈な内容であり、これはキャストが一体となって頑張らないと、と気が引き締まりました。 演じる上で特に難しかったのは、サバイバルな環境の中で、周りには大量のゾンビがいる極限状態を演じなくてはいけなくて、普段の生活からはかけ離れており、メンタル的にも役に入り込むことがとても難しかったです。 この作品に入る前にゾンビ映画も多く見て、自分でもあれこれと想像もしてみたのですが、実際はどのぐらいお風呂に入ってないのかとか、最後のご飯は何にするんだろうとか、いろいろと考えさせられることが多く貴重な経験でした。でももし私がその世界におかれてしまったら、ドラマのように長く生き延びずに早々にゾンビにやられてしまうと思います。 このドラマの見所は、もちろんゾンビアクションドラマですので、ゾンビが襲って来るというスリルもあるのですが、登場人物一人一人が今後この世界でどのようになってしまうのかなど、ミステリー要素にもぜひ注目していただきたいです。極限状態におかれた人間がどのような行動をするのか、本当に恐ろしいのはゾンビではなく人間ではないのかなど、他のゾンビ映画とは一味違ったすごく刺激的な作品になっています。 また、竹内涼真さん演じる間宮響(まみや ひびき)と私が演じる小笠原来美(おがさわら くるみ)が今までの平穏で幸せな生活から一転、極限状態の中で会えそうで会えないという、もどかしいラブストーリーも見所です。 ■悔いのないように、日々挑戦して欲しいです  今はコロナによってできることが制限されている状況ですが、自分に合っていないと感じることがあったり、自分に適していない環境であるならば、それらを探すために海外でもなんでも挑戦するべきだと思います。世界はとても広くて、自分の限界を決めつけずにチャレンジしてください。私も今までモデルのお仕事で海外の方とご一緒させていただくことはあったのですが、女優のお仕事ではありませんでした。でも、海外に好きな監督もいるのでぜひご一緒にお仕事ができるよう、英語にも今まで以上にチャレンジしていこうと思っています。 それとこのドラマのような状況もまさにそうなのですが、いつ自分がどうなるかなどわかりません。だからこそ一日一日を後悔しないように生きて欲しいと思います。学生という時間は今しかありません。二度と帰ってくる時間ではないからこそ、悔いのないよう精一杯楽しんでください。 学生新聞別冊2021年4月1日号 早稲田大学3年 原田紘志 日本テレビ×Hulu共同製作ドラマ『君と世界が終わる日に』 プロポーズ直前、トンネル事故に遭い閉じ込められてしまった青年・間宮 響(竹内涼真)。命からがらトンネルを脱出すると、世界は一変。荒れ果てた街並み、おびただしい数の遺体、街をさまよう“ 生ける屍”たち…。最愛の恋人、来美(中条あやみ)と再会し、絶望的状況を生き抜くことができるのか⁉ Season2はHuluオリジナルで毎週日曜日に新エピソードが配信。 写真撮影:プロカメラマン 広田成太 <英文記事> Ayami Nakajo  I am not limited now, so I will keep challenging  ■Profile: Born 4 February 1997, in Osaka. She has appeared in various films and dramas after winning the Miss Seventeen 2011 Grand Prix 2011 and becoming an...

DX・WEBマーケティング

パナソニック株式会社 コンシューマーマーケティングジャパン本部 デジ...

DX化で進化するお客様との接点 パナソニック株式会社 コンシューマーマーケティングジャパン本部 デジタル戦略担当 木田実(きだみのる) ■プロフィール 1992年新卒で松下電器産業株式会社(現 パナソニック株式会社)入社。北海道地区営業、ネットワーク事業の企画開発部門を経て、2008年より国内家電商品のWEBマスターとして、デジタル顧客接点の改革に取り組む。現在はB2C商品の国内向けデジタルマーケティング企画など組織内横断的な仕組みづくりを担当。消費生活アドバイザー。 日本を代表する企業、パナソニックにおいて、デジタル技術やデータを活用し、商品やサービスにとどまらず、自社の事業構造の変革までを視野に入れ、市場における優位性を追求する部署で活躍する木田さんに、各種メディアを通じた価値の創造について伺った。 私が担当しているのは主にBtoC向けの家電商品のウェブサイトです。「宣伝」は創業以来、当社で重要な位置付けとされています。パナソニックの創業者、松下幸之助はこういう言葉を残しました。「伝わらなければ存在しないのと同じ」。ある商品で世の中が便利になるならば、それを広く早くお伝えすることは社会に対する義務だということです。私たちの仕事の基本です。当社の商品サイトは規模が大きく、各サイトの企画担当者に制作会社の方を加えると数百人が関わっています。この数百人に同じ価値観でサイト作りをしてもらうために新しいシステムを導入し、テンプレート方式を取り入れました。どのサイトを訪問しても基本的に同じ操作感、体験価値が得られます。例えばサポート情報のボタンは全ての商品サイトで同じ位置に置き、トラブルでお困りのお客様がパッと目につくように配慮しています。またこうした「型」の統一が、データの適切な発見、生成へとつながります。お客様のサイト上の行動分析は、現在はページ単位で行いますが、次第にページ内の要素単位に分解するなど、細分化し活用しています。 ■デジタルとパーソナライズ化の重要性現在のお客様の各メディアの接触状況ですが、テレビの比重が下がる一方、スマートフォンの利用時間の伸びが著しく、メディア接触時間は増加しています。しかし投下できる宣伝コストには限界があるため、企画ごとの重要度を判断し、投資を適切に配分、設計していく必要があります。デジタルコミュニケーションが中核ですが、全部デジタルにするのではなく、リアル接点とセットで設計することも大切です。今は、以前のような大量のマス広告からシフトし、いかにお客様一人一人に「私だけの情報だ」と思っていただけるかが重要になりました。こうしたパーソナライズ化を含め、コミュニケーションはデジタルトランスフォーメーションを一番必要としている分野と言えるでしょう。 ■組織の質を高め、お客様に最大の価値を提供大量のデータと最新のシステムだけでは良い企画は生まれません。重要なことは「仮説」です。今日の気温が20度として、それが暖かいか寒いかを語るとき前日や平年など他の日と比較しますよね。気温の数字自体には暖かいとか寒いということを示す意味はないからです。同様に、データの数字に意味を持たせるためには何かとの比較が必要です。過去の事実や限られたデータから推定される比較対象が「仮説」です。「仮説」は思い付きでなく論理的に導き出す必要があります。担当者がデータをもとにした仮説構築のスキルを上げられるよう、デジタルマーケティングやデータ分析などの研修を行い、組織のDNAにしていくような取り組みを行っています。既にあるものは活かし発展させながら、新しいものも取り入れていくのは大変です。ゼロから構築する方が楽な部分もあるかもしれません。「パナソニックのウェブサイトが突然なくなってくれたら、理想的に作り直すのに」と思うことがありますね(笑)。今あるものを継続しながら新しいものに切り替えていく。その上で常にお客様に価値ある情報をお伝えし続けています。 ■創業者による経営の極意「雨が降れば傘をさす」当たり前のことを当たり前にやるのが経営の基本ということを、当社の創業者は「雨が降れば傘をさす」と表現しました。デジタルの世界では技術の進化に沿って否応なしにやるべきことが増えます︒それに向き合って対応し続ける。常に最新化されるデータからお客様を知ろうとし続ける。まさにその営みは『雨が降れば傘をさす』の繰り返しです。デジタル技術の進化に対応し、環境に合わせて変化し続けることが私たちにとってのデジタルトランスフォーメーションかもしれません。 message「本物を見る、実物に触れる」ということを大切にして欲しいですね︒身につけるものや文房具、時計など︑少し無理をしてでも良いものにすると自分の目も養われるし、振る舞いも変化します。また、ネットだけに頼らず、イベントや展示会、あるいは話題の現場に行って自分の五感で確かめることも大切ですね。そういう経験の蓄積が社会に出たときに自分の「柱」ともいえる判断基準になります。(津田塾大学2年 宮田紋子)

川浪亜紀

小池徹平 大変なときだからこそ「挑戦を忘れず」人を楽しませたい。

■プロフィール 俳優、歌手。2002年俳優デビュー。ミュージカル『1789-バスティーユの恋人たち』『KinKy Boots』で第42回菊田一夫演劇賞を受賞。近年はドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と~』『ギルティ~この恋は罪ですか?~』『書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない⽣活~』『青天を衝け』、映画『半径1メートルの君』に出演。 「第14回ジュノンボーイ」で芸能界に入り、役者・歌手として活躍する中、2020年にはYouTubeで「小池さん家のてっちゃんねる」も開設し、活躍の幅を広げる小池徹平さん。また一方ではコロナ禍で主演舞台が中止になり苦しんだ1年でもあった。今回の舞台、『魔界転生』やコロナ禍での仕事への想いなどを伺った。 ■人生経験がそのまま出る刺激的なお仕事  高校1年生のときに、新聞に載っていた映画のオーディションがきっかけで芸能界に興味を持ちました。当時、ほんの軽い気持ちでオーディションを受けに行ったのですが、本気で映画に出たい人がたくさんいて、同世代でこんなに夢を持っている人がいるのだということに衝撃を受けました。それでも運よく大阪代表に選ばれたのですが、東京での最終審査に落ちてしまいました。そのときに、これまでの人生で感じたことのない悔しさを感じました。この経験がきっかけとなって、自分はこの仕事に興味があるのかもしれないと思い、芸能界に入ろうと決意しました。  この業界に入って感じることは、仕事をしていることが楽しいから続けられているなと思います。個性ある俳優さんがたくさんいらっしゃる中で、自分はいろいろな役をこなせる役者になりたい。その方が出会える作品も多いはずだと思っています。経験を積む中で、新しい一面を見せていったり、それをどう発信していくかを考えるのは難しいことだと思っています。周りから良かった、楽しかったと言ってもらうために、努力の積み重ねが必要で、大変なこともあります。年を重ねるごとに役も変わっていきます。人生経験を積んで、勉強をしていくことで自分の引き出しも徐々に増えていきます。そしてその引き出しは何個あってもいいと思っていますので、新しいことに対してもアンテナを立ててどんどん取り入れていきたいと思っています。それは大変でもありますが、本当に楽しいことでもあります。そして取り入れたものが仕事に反映され、うまくいったときはさらに嬉しいなと思います。  2020年はコロナに大きく揺さぶられた1年でしたが、趣味が仕事につながるきっかけを得た1年でもあったと思っています。皆さんもコロナ禍で不満や不安がたくさんあると思いますが、何とか楽しさを見つけてやっていこうともがいているはずです。それは僕たちも同じです。自分でなんとか切り開いていかなくてはいけないという気持ちがありました。そして今回、「小池さん家のてっちゃんねる」をYouTubeで配信するという機会をいただくことができたのです。もともと自分で動画を回すことが好きだったし、趣味でやっているダイビングなどの動画もアップし、皆さんと共有しながら楽しんでいけたらいいなと思います。このような、自分の好きなものや生活を自分で配信できるようになったのは本当に良かったです。何でも挑戦することが大事です。もっと自分の人間性を知ってもらえたらいいなとも思っています。役者以外のこともやっている、この人面白いなと思われる仕事もやっていきたいです。  少しずつですがコロナ禍でも演劇界は動き始めています。皆さんもドラマを見たりするかと思うのですが、やはり「役者」という仕事はなくならないなと改めて思いました。役者は元気を与えることができる仕事だと思います。これからも頑張っていきたいです。 ■生で演じる空気を感じてほしい  去年の12月ごろに、たまたまいろいろな仕事が重なっていたのですが、それぞれの現場でそれぞれの色があります。たとえば、舞台は一度始まったら止められない、一発勝負の緊張感がすごいあって、そこを乗り越えたときの達成感はたまらないものがあります。また一方でドラマは、映像として残るということや、何度も同じ演技をするということもあって、本当に集中力がいります。どちらも楽しいですね。  『魔界転生』も写真撮影や取材を受けている中で、気持ちが入っていって気分も高まっています。今回、前回公演の映像を観させてもらったのですが、舞台は時代劇なのにプロジェクションマッピングといったような現代技術がすごく駆使されていて、SFチックなエンターテインメント性の強い舞台になっているんです。ここ数年、僕自身はミュージカルの仕事が多くて、歌のない舞台は本当に久しぶりです。それだけに今回のお話は本当に嬉しかったです。  コロナ禍で今まで通りにいかないところはありますが、皆さんにもぜひ生のお芝居の良さを知ってもらいたいなと思っています。映像も素敵ですが、こんな時だからこそお芝居を肉眼で見て、空気感を感じてほしいと思います。ぜひ舞台に足を運んでみてください。その上で演劇がもっと身近なものになって、皆さんに遊びに来てもらえる劇場づくりができたらいいなと思っています。 ■心に残る一生の思い出を共有してほしい  周りの人との思い出をどんどん増やしてほしいです。そしてどんどん本音でぶつかっていってほしいなと思います。コミュニケーションがとれる機会があるというのは大事なことです。暗い気持ちになったときはお互いに励まし合ったり、馬鹿なことして楽しんだり。どんな過ごし方をしていても思い出として残るんですよね。勉強とかはぼんやりとしか覚えていないのですが、どんな遊びをしたかとかは心で覚えています。今は直接会える機会は少ないけれど、オンラインで顔を合わせることもできるようになったし、そういうことがモチベーションにもつながるし、本当に楽しい。どんな形でも仲間とぶつかり合って、嬉しいとか楽しいと思うことをどんどん共有してほしいなと思います。その一つに演劇が加わってくれればと思っています! 学生新聞 2021年4月1日号より 津田塾大学3年 川浪亜紀 『魔界転生』 18年初演で大ヒットしたエンターテインメント時代劇の再演。天草四郎をはじめ、名だたる剣豪たちが妖術で蘇り、徳川幕府と対決する。原作/山田風太郎(角川文庫刊) 脚本/マキノノゾミ 演出/堤 幸彦 出演/上川隆也 小池徹平 藤原紀香 ほか 4/7~4/11愛知・刈谷市総合文化センター4/16~4/28福岡・博多座5/4~5/28東京・明治座6/2~6/10大阪・新歌舞伎座 写真撮影:プロカメラマン 広田成太 <英文記事> Teppei Koike  I want to make people enjoy “without forgetting the challenge,” especially in difficult situations.  ■Profile: Actor, singer. Debuted as an actor in 2002. He won the 42nd Kazuo Kikuta Theatre Award for...

経営者

株式会社 VOYAGE SYNC GAMES 代表取締役 / 株式会社 VOYAGE GAMES 代表...

チャレンジ精神を持ち、世の中を驚かせたい ■プロフィール 2011年4月、(株)ECナビ〈現・(株)VOYAGEGROUP〉に入社。2014年8月、ゲームパブリッシング事業を手掛ける(株)VOYAGESYNCGAMESを設立、取締役に就任。2016年10月、代表取締役に就任。2017年11月、VOYAGEGAMES社を設立、代表取締役に就任。2018年4月、韓国法人Infraware,Inc.とVOYAGEGROUPの合弁会社、SelvasM(現I&Vgames,Inc.)を設立、取締役に就任。日本・中国・韓国地域のゲーム関連事業を統括。 若いときから情報感度を高く持ち、さまざまなことにチャレンジしてきた岡庭社長。現在の海外のスマホゲームを輸入し、日本向けにローカライズして発信する事業にはどのような背景や仕事に対する思いがあったのか。アジアナンバーワンを目指すという社長に話を伺った。 ■運命的な出会いを感じて入社した会社  大学時代はアルバイトをいくつかやっていましたが、大学4年生のころにVOYAGEGROUPから内定をもらっていたので、内定者インターンとしてアルバイトをしていました。仕事内容は学生が中心となって運営しているクーポン系のサービスを行う新規事業で、飲食店やエステサロンなどにクーポン発行を依頼する営業をひたすらやっていました。競合他社もどんどん増えていた状況で、競争が激しくなって体力勝負のような様相になってきて入社前に事業は撤退。しかし、そのまま4月にVOYAGEGROUPに入社しました。 私は漠然とインターネット業界に行きたいと考えていたのですが、それと同時に昔から社長になるのが夢だったので、早い時期にチャンスがありそうな会社を探していました。入社の決め手となったのは、当時、Twitterが流行り始めていた時期で、いろいろな会社を見ていく中で、VOYAGEGROUPが日本初のTwitter採用を行うという投稿を見つけ、雰囲気や距離感が近い気がして運命的な出会いを感じたことです。 入社後も新規事業をやりたいと思っていたところ、2014年7月ごろだったと思いますが、当時の取締役から「こういう事業をやりたいと思っているけどどう思う?」と聞かれて、「いいんじゃないですか」と答えたら、「じゃあお前やってみろ」と言われ、今の事業を任されることになりました。 ■独自の事業を手掛け、社内の雰囲気を大切に  弊社はスマートフォンのゲームを提供していますが、主に海外で作られているゲームを輸入し、日本向けにローカライズして日本で配信している会社です。ローカライズでは、日本語への翻訳だけではなく、キャラクターを日本人向けにアレンジしたりもしています。中国と韓国に支社があり、実感するのはやはり言語が話せるといいなということですね。通訳を介すと微妙なニュアンスが伝わりづらくなるので。 VOYAGEGROUPは広告・マーケティング分野に強みがあり、事業の柱となっています。そのため、他社と比べてマーケティングがしやすく、事業シナジーを生みやすい環境にあり、それが他社との差別化にもつながっていると思います。ただ、海外の企業とのやりとりが多いため、国によってビジネス慣習が異なっていたり、法律が違うので、予想外のこともたくさん起きます。お互いの目標は同じでも、国の制度の問題が壁になり、なかなか前に進まないことも多くあります。そのとき、相談する相手がなかなかいなく、自分たちで一つずつ解決していかなければならないのが本当に大変でした。 しかし、弊社は非常に風通しの良い会社で、皆が自由に集まって話せる場もあります。コミュニケーションが生まれやすい環境になっていることで、相談しやすかったり、新しいアイデアやサービスが生まれるきっかけにもなっています。 ■チャレンジすることを恐れずに進んでいく  チャレンジすることは楽しいと思います。インターネット業界は前例がなく悩むことも多いのですが、自分たちで考えて成果が出ると本当に嬉しいです。やっていて良かったと思えます。一緒に働く仲間は、素直で誠実、何事にも貪欲な人、成長意欲がある人がいいですね。弊社は能力重視です。しがらみもなく、やりたい人にはチャンスを与え、若いうちからどんどんチャレンジできます。モチベーションの高い人には多くのチャンスが回ってきます。 私もこのゲーム事業を始めるときに、ゲームについてあまり詳しくありませんでした。周りからも無理ではないかという厳しい声も多かったのですが、無理と思われるほうが燃えるタイプなので、見返してやろうという気持ちで取り組んでいった結果、今があるので成長意欲は大事だと思います。 今後の目標は、アジアナンバーワンになることです。ハードルは高いと思っていますが、仕事に対するモチベーションになるからです。またゲームだけでなく、いろいろなことにチャレンジしていきたいです。そして世の中を驚かせたいと思っています。 ■message  大学生はまとまった時間が取れる唯一のときなので、好きなことを徹底的にやるべきです。社会人になるとどうしても時間のコントロールが難しくなり、1週間の休みを取るのも大変になります。好きなことをやった経験が将来どこかで役に立つと思います。 好きなことをするにしても難しく考えないことです。普段楽しいと思うことを冷静に考えてみるといいです。無理に見つけようとするとそれがプレッシャーとなってしまいます。とにかく考えすぎないこと。私も大学生のころはゲームに関わる仕事をするとは思ってもみませんでした。いろいろなことにチャレンジしてその中で面白いと思ったことを深堀りしていくといいと思います。だから、すぐに面白いことが見つからなくてもそんなに心配することはないです。 学生新聞2021年4月号 文教大学2年 早乙女太一

脇山真悠

白石聖 流されるのってそんなに悪くない⁉︎思いがけない人生の出会...

■プロフィール 女優。1998年、神奈川県生まれ。2016年にデビュー。2019年『ゼクシィ』12代目CMガールに抜擢される。2020年にフジテレビ系ドラマ『恐怖新聞』で連続ドラマ初主演。現在、NHKBSプレミアム『やっぱりおしい刑事』に出演中。さらにMBSテレビ『ガールガンレディ』に主演予定。2021年6月4日公開予定!『胸が鳴るのは君のせい』 ■どのような学生時代でしたか  高校2年生のときにスカウトされたのですが、実は表に出るようなタイプではありませんでした。ただ、なぜか声に出して何かを読むことには抵抗がなかったんです。母の読み聞かせが好きだったことや、好きなアニメの声優さんに影響を受けたこともあり、スカウトされる前は声優のお仕事に興味がありました。 ■このお仕事をやろうと思われた理由は  実は、スカウト先の事務所(業務提携)に私の好きな声優さんがいらっしゃったんです。当時、特にやりたいこともなかったので、このお仕事にかけてみてもいいかなと思いました。声優さんの世界は私には難しいかもしれないとも思いましたし……。今思えば、自分の殻を破りたかったのかもしれませんね。 考えすぎてしまう性格なので、役作りに悩むこともありますが、監督から気持ちの良いOKが貰えたり、演技を褒められたり、ファンの方と交流できたりして今のお仕事はとても楽しいです。でも、もしチャンスがあるなら、声のお仕事にもチャレンジしてみたいですね(笑)。 ■大学生へのメッセージをお願いします  コロナの中で、学生の方、特に就活生の皆さんは大変だと思います。実際、私の友達も進路に悩んでいるみたいです。私は皆さんと同世代なので、アドバイスできることは多くないとは思いますが、強いていうならば「流されるのって実は悪くない」ということでしょうか。 私はもともと声優志望でしたが、いい意味で流される形で魅力的な人に支えてもらえ、今のお仕事をさせていただいています。自分の意思がないのは良くありませんが、流れの中できちんと道を選択すれば流されるのも悪くないです。焦らずに、自分を責めずに、楽しみながらこれからの人生を選んでください! ■取材を終えて  とにかく可愛かったです。白石さんとは歳が近いのですが、ご活躍なだけあって豊富な経験をされていて、非常にためになるお話をたくさん聞かせていただきました。皆さんも私と同様に白石さんのお話から何か刺激を得られれば嬉しく思います。 学生新聞2021年4月号 津田塾大学3年 脇山真悠

DX・WEBマーケティング

株式会社山田養蜂場 営業統括部統括部長 井筒雅之 

お客様の健康のためウェブの可能性に挑戦する ■プロフィール 2004年入社。法学部卒業。入社から7年で販売促進部門の部長に抜擢され、その後、事業部長を経て2018年にテレマーケティングを含む通販営業本部の副本部長に就任。翌年、店舗や流通部門も含む現在のポジションへ昇進。アグレッシブな手法で、山田養蜂場の現在の「販促の基軸」を築いてきた立役者である。 「病気の娘の健康回復のために」という創業者の素朴な家族愛から生まれた山田養蜂場。「ひとりの人の健康を守るために」という強い想いで、お客様一人ひとりと向き合いながら商品を届けている。通信販売主体で事業を行っている山田養蜂場のウェブ戦略について、営業統括部統括部長の井筒さんに伺った。  学生の時は「健康に関する仕事で人や社会に貢献したい」と思い、就職活動をしていました。友人や父親の病気を目の当たりにして、老化や病気は避けられないものだと感じ、人にとって欠かせないテーマである「『健康』のために何かできたら」と考えたことがきっかけです。母が私にローヤルゼリーをくれたことがあったのですが、そのメーカーである山田養蜂場について調べていくなかで「娘の病気を治すために、何の文献も資料もないなか研究を始めた」という創業者の話に感銘を受け、採用試験を受けました。企業理念はその会社の羅針盤である、と就職活動の時は重要視しており、山田養蜂場の企業理念はお飾りではなく本物だと感じ、心打たれました。 ■ウェブの可能性にチャレンジ  弊社のお客様は年齢層が高いため、情報が届きやすいよう、これまではテレビ、新聞、折込チラシを中心にメディア展開をしてきました。  しかし、今はウェブの割合が年々増えており、年齢が高い方もスマートフォンを持ち、ウェブを見るようになってきています。ウェブの多くのメリットのなかでも、特に、たくさんの情報を伝えることができる点、即時性がある点が挙げられます。私たちは商品づくりに自信と誇りを持っているので、商品の背景を十分に伝えることができる点はウェブの良さですね。紙広告だと掲載できる情報量が制限され、掲載日を待つ必要がありますが、ウェブでは伝えたいときに伝えたいことをすべて伝えることができます。サイトに訪れる方の属性(年齢や性別などの情報)がわかりますし、紙メディアよりもターゲットが絞りやすい。  弊社は元々通信販売事業をしているので、購入者の属性や購買履歴がわかり、お客様一人ひとりに合った情報をお届けできるという通信販売の強みも生かすことができています。まだまだ開拓中ではありますが、ウェブでの展開は健康食品の販売にマッチしていると考えています。ウェブは商品や素材の研究過程、エビデンス、商品開発に関する私たちの考え方やサービスにかかわるポリシーなどさまざまな手法を使って伝えることができるメディアなので、いろいろなことができるのではないかとワクワクしています。 ■モノを売るのは難しい、だけど面白い  私が最初にマーケティングに携わったのは、地方紙の新聞記事体広告を書いた時でした。その時は、1件のご注文があり、自分が書いた広告で商品を買ってくれた方がいたことにとても喜びを感じました。同時に、1件しか注文が来なかったことで、モノを売ることの難しさを感じました。  ウェブは情報を発信できる範囲が広く、多くの技術があってそれもどんどん変わっていくので、関わっていてとても楽しく、魅力的です。今の時代ウェブとリアルは切り離せないものですが、連動させるべき部分と切り離すべき部分があるとも感じています。  山田養蜂場のウェブマーケティングは業界標準より少し後ろを走っていて、まだ独自性や強みは少ないと考えています。しかし、ウェブは日本中、そして世界中の方に買っていただくチャンスを与えてくれます。どんな方がどんな場所でファンになってくださるかわからず、ウェブマーケティングに正解はありませんが、どんどんチャレンジしていきたいと思います。  本社は自然環境の豊かな田舎にありますが、常に新しいことをしていこうという気概と、通販というテクニカルな仕事をしている環境が、会社の中にはあります。そのギャップが山田養蜂場の魅力の一つです。これからも、皆さん一人一人の健康を支えていく社会的使命感とやりがいを持って、商品やサービスを提供していきたいです。 ■message  学生のうちに、思いっきり話して、読んで、感じて、考えて、好きなところに行って欲しいですね。社会人になっていろいろな仕事の状況、人の言葉、環境に触れていくなかで、日々考え、日々悩みます。考え悩む時に、今まで経験した体験や考え、実感がとても役に立つからです。私は大学時代、法律を勉強していました。その勉強が今、直接役に立っているわけではないですが、勉強した時の思考方法はとても役立っています。思いっきり経験を積んで、感じて、自分の幅を広げて欲しいと思います。 学生新聞2021年4月号別冊 津田塾大学3年松本麗奈

人事

株式会社パルコ 人事戦略部 木佐瑞紀

■プロフィール 2012年に入社。仙台店でプロモーション業務(広報・媒体・催事出店交渉など)を経験後、2020年3月から人事戦略部で採用を担当。コロナで自粛生活を余儀なくされる中で、お風呂でのリラックスタイムでストレスを解消している。 ディベロッパーとして商業施設のプロデュースが主な仕事である。ただし、それだけではなく、新規事業への取り組みや、エンタテインメント事業部があるといった、他社にはない独自の魅力を持つ会社。 ■業界の特徴と魅力についてお聞かせください  PARCOは商業施設のイメージが強く、よく百貨店と誤解されますが、実は不動産業です。主に商業ディベロッパーという仕事をしています。お客様と直接かかわる小売業とは違い、商業施設の開発からマーケティングまで行い、テナント様とミーティングを重ねながらコミュニケーションをとり、情報を共有してアドバイスする役割を担っています。 弊社の特徴の一つに「インキュベーション」があります。これは新進気鋭のクリエイターや路面店しか経験のないテナント様を発掘し、支援しています。加えて、業界ではめずらしいエンタテインメント事業部があり、流行をいち早くつかむために役立っています。 また、新卒5年目までの離職率は1パーセントと低く、弊社の大きな強みとなっています。これは弊社の社風が関係していると思いますが、お客様目線に立った社員の意見が取り上げられやすく、若い社員の思いを形にできる環境が整っています。この風通しの良さが大きな要因かと思います。 ■どのような学生を求めていますか  大学名や文系・理系、資格の有無は重要視していません。それよりも、自分の好きなことや学生時代の経験を自分の言葉でしっかりと相手に伝えられる人を求めています。入社すると各人が各フロアを担当しますが、その中でディスプレイ広告を始め、多種多様なさまざまな仕事を経験します。そのため、多くのジャンルに幅広く興味を持つ方、人とコミュニケーションを取ることが好きな方は当社に向いていると思います。 ■大学生へのメッセージをお願いします  就職活動はもちろん重要ですが、そればかりではもったいないと思います。大学時代は好きなことをとことんやって、楽しむことができる最後の時間です。その貴重な時間を使っていろいろなことに挑戦し、何かを感じ取ってほしいと思います。また、学年があがるにつれて、プレゼンテーションやエントリーシートを書く機会が増えてきます。そうしたときに気を付けたいことは、伝えるだけでなく「伝わる」を意識することです。聞く人、読む人など相手の目線に立つことがとても大切です。 学生新聞2021年4月号 明治大学2年山本真人

DX・WEBマーケティング

三菱地所レジデンス株式会社 ...

目指すべきは顧客体験の向上であり、DXはその手段に過ぎない ■プロフィール マンション販売業務を約10年経験した後、三菱地所グループ内のマンション管理会社とインテリア会社に出向、2019年4月より三菱地所レジデンスに復職し広告企画を担当、2020年4月より全社的なデジタルトランスフォーメーションを推進するDX推進室DX推進グループが設立され現在の職務を担当するに至る。 DX(デジタルトランスフォーメーション)というとデジタル導入が注目されがちであるが、大切なことは単なるデジタル導入ではなく、より良い顧客体験を追求し、既存の業務の在り方を再構築することである。デジタル導入はその手段に過ぎない。DXという前例のない取組に挑み、事業の成長や新たな未来の可能性の探索を担うDX推進室の使命を伺った。 三菱地所にはDX専任部署が2018年からあったのですが、三菱地所グループ内で住宅事業を担う弊社のDX専任部署は2020年4月から立ち上がったばかりの新設部署です。現在は主なプロジェクトとして1スマートホームプロジェクト、2データ活用プロジェクト、3契約者様手続きのオンライン化、4顧客体験の再定義の4つが挙げられます。 1のスマートホームプロジェクトでは、住宅内のIoT機器をアプリや音声で操作できるというお客様の利便性を一時的に提供できるだけではなく、われわれ企業にとって住宅という大事な商品をお客様がどのようにお使いになられているかをデータで取得して商品企画や、ご入居後のより良い生活のご提案に活かす新たな機会を得ることにより、さらに顧客体験を向上させることができるチャンスだとも捉えています。もちろん住宅というプライバシー保護が大切な商品ですので、お客様の生活状況をデータで取得するというわけではなく住宅設備機器の使用状況をデータで把握して、お客様にとって価値ある住宅設備とは何かを把握し商品企画に活かすことや、住宅設備の故障前に異常を検知して修理/交換をご提案するということも将来的にはできるようになる可能性があると思っております。 2は、社内で部署ごとに保管されている顧客データを統合してマーケティングに活かそうという取り組みです。顧客データを一元集約して顧客IDで各データを紐づけることにより、一人ひとりのお客様のカスタマージャーニーが一気通貫して把握することができます。そうなると、一人ひとりのお客様のニーズやお困りごと等が部署横断して把握して対応ができるようになり、マンション分譲の商談だけでなく、鍵のお引き渡し、ご入居後のアフターサービスまでシームレスに顧客体験を向上させることができることを目指しております。 3は今まで紙や郵送といったアナログな手法で行っていた契約やその後の事務手続きをオンライン化しようという取り組みです。これはDXというような変革の取り組みではありませんが、お客様にご入居までの手続きをスムーズに行っていただくための重要なプロジェクトです。 ■DXは既存の仕事を見つめ直すこと 4はこれまで我々がお客様にご提供してきたマンション分譲の在り方を再定義し、あるべき姿を再構築するというビジョン駆動型のアプローチです。マンション分譲という業務フローは、デジタル技術の進化が著しい現代においても従来とは大きく変わらず、広告をご覧になったお客様にモデルルームにお越しいただき、ご契約に至るまで数回ご来場のうえ商談をさせていただくというスタイルが半世紀程度続いています。もちろん、ウェブ広告/ウェブサイト/リモート商談等にデジタル導入は行っておりますが、根本的に顧客体験を再構築するような活用ではありませんでした。よって、これからのさらなるデジタル技術進化を見据えて、われわれが目指す最良の顧客体験を提供するマンション分譲の在り方とは何かを再定義する必要があると思うに至り取り組んでおります。 ■誰も正解を知らない未知の領域への挑戦 DXのような変革プロジェクトは社内に前例のないものです。つまりは誰も正解を知らない未知の領域への挑戦とも言えるわけで、そこに大きな魅力を感じております。 誰も正解を知らないとはいえ、世の中には先進事例がすでに多くありますし、社内にも知見のある人材がおりますので、外部と内部から情報収集すればヒントは見えてきます。そのヒントをさらに、外部と内部の情報収集からカタチにしていき、小さく試して早く成功体験を積み重ねることにより、それを繰り返す先にDX後の姿に至ることができると信じています。 ■message DXのような変革の主役はワカモノ/ヨソモノという例えがあります。これは従来の価値観にとらわれずあるべきビジョンを見出し実現できるマインドとスキルを指しています。日本企業にDXという変革が求められている今、まさにワカモノである学生の皆さんのマインドとスキルを活かすべき世の中だと言えるのではないでしょうか。 学生新聞2021年4月号別冊 国際基督教大学4年鈴木菜桜

DX・WEBマーケティング

DAZNJapanInvestment合同会社 日本社長&マネージングディレクター ...

好きなことに全力で、パッションを持ち続ける! ■プロフィール 海外も含め、15年以上の幅広い分野での事業経営経験を持つ。Perform在籍前は、再生可能エネルギー事業を推進する上場会社で社長兼CEOを務めていた。東京で三菱商事株式会社からキャリアを始め、11年後シリコンバレーへ移り、17年間の米国在住期間中にヒューレット・パッカード等さまざまな企業で勤務。 いつでも、どこでもスポーツ中継が観られる動画配信サービスDAZN(ダゾーン)。その日本社長を務めるのが中村俊氏だ。オーストラリアで学生時代を過ごした後、三菱商事などを経て、DAZN日本社長に就任した中村社長に、同サービスが始まった経緯や日本での展開、そしてずっと持ち続ける想いについて伺った。  父親の仕事の関係で、高校1年生のときに家族でオーストラリアのシドニーに引っ越して、現地の学校に通いました。日本に戻ってきたのは、シドニー大学でエンジニアリング学び、卒業した後です。新卒で総合商社の三菱商事に入社しました。当初は、「商社なのだから、海外を飛び回るような仕事ができるだろう」と想像していたのですが、これが全く違っていて、「これでは自分の思い描くような働き方はできないな」と徐々に感じるようになりました。そんな折に、知り合いからヘッドハンティングを受けたことを契機に、年間勤めた会社を辞め、アメリカのシリコンバレーへと拠点を移しました。  その後、17年間に渡って、アメリカでヒューレット・パッカードをはじめとした企業で勤務したり、仲間と一緒に事業を立ち上げたりと、様々なことをやった後、日本へと帰国して、事業再生などを手掛けるようになりました。ある日、広告代理店でスポーツ事業の統括責任者をやっていた弟からDAZNの紹介を受け、スポーツの仕事はやったことがなかったのですが、「未経験のことに挑戦したい」と、引き受けることにしました。 ■ファンニーズに合わせてマーケティングを変更  事業そのものの準備は2015年9月にスタートしたのですが、当時はまだ会社の名前も決まっていなければ、会社もできていませんでした。最初は「DAZN」の発音すら認知されていませんでした。  DAZNの最大の強みは、動画配信サービスとしてスポーツに特化していること。そして、ファンが自分で好きな番組を選べるところです。地上波やケーブルテレビでもスポーツ配信は行われていますが、テレビ局が放映する番組を選ぶので視聴者は試合を選べない。でも、われわれのようにネットを使った中継サービスの場合は、開催されている無数の試合の中から、スポーツファンの方が自分で観たい試合を選べます。それが大きな特徴です。  しかし、すでにさまざまな動画配信サービスがあるなかで、認知度を上げるのは簡単ではありませんでした。そこで最初は、移動中でも居酒屋でもスマホなどで映像を見ることができるという利点を知ってもらうため、「いつでもどこでも試合が観られる」という点をアピールしていました。ただ、逆にそのアピールが「スマホやタブレットじゃないと観られない」という誤解を与えてしまい、認知度が高まるにつれて、スポーツ中継を大画面で観たいという人から、「早くテレビでも見られるようにしてほしい」という問い合わせが増えていきました。そこで、「自宅の大画面で好きなスポーツ中継がいつでも見られます!」という方向性へとマーケティングを変えていきました。 ■忘れられない「DAZNありがとう!」の声援  いまだに忘れられないのが、約2年前にJリーグアウォーズというそのシーズンに活躍した選手や監督、クラブ、審判などを表彰するイベントのときの出来事です。私たちもフィールドにいて、表彰式に参加していたのですが、その際、観客席からファンの方の1人が「DAZN、ありがとう!」という声援をかけてくれたんですね。そのときは、「ああ、DAZNをやっていて良かったな」と強く感じました。  今後のDAZNの目標は、DAZNを「毎日観てもらえるサービス」に変えることです。現在は試合中継の際にDAZNを利用する人が大半だと思いますが、今後は、スポーツ関連のドキュメンタリーを作ったり、スポーツのニュース番組を作ったりするなどオリジナルのコンテンツを作ることで、より多くの人に、毎日DAZNというサービスに触れてもらえるようにしていきたいですね。 ■message  近年の大学生は、就職する企業を選ぶ際に安定した仕事を選ぶ傾向が強まっていると聞きます。しかし、最初から「安定したい」といった考え方だと「、人生それで面白いのかな?」と私などは思ってしまいます。自分の人生の中で仕事に費やす時間は非常に長い。だからこそ、若いうちからリスクや失敗を恐れずに、自分の好きなことや、やりたいことにパッションを持って立ち向かうことを大切にしてほしいですね。そして私自身も、そうしたパッションを持った方とともに働きたいと考えています。 学生新聞2021年4月号別冊 日本大学3年 辻内海成

経営者

株式会社サマンサグローバル ブランディング&リーサチインスティチュ...

ピンチだなと思ったときが大きなチャンスである ■プロフィール 広島県福山市出身。駒澤大学経営学部卒業。 1991年 海外ブランド輸入代理会社設立 1994年 株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド 設立 2019年 代表取締役社長を退任。 2020年 株式会社サマンサグローバルブランディング&リサーチインスティチュート設立 人を喜ばせたいという想いの強い寺田社長。人とのつながりの大切さ、その根本にある「感謝と尊敬」、ピンチをチャンスと捉えることによって生まれる「運と縁」。これらのことを大事にすることで活路が開けるという。その心構えを創業者ならではの視点で語っていただいた。  私の父は広島にある鉄工所の5代目の社長で、非常に格好よく、憧れの人でした。子ども心に会社を継ぎたいと思っていましたが、中学2年の冬に、2つ上の兄が継ぐことを知りました。私はがっかりしましたが、次男なので仕方がないと思い直し、それからは自分で起業しようと思い、一生懸命会社を作るための勉強をしました。 私は次男に生まれて会社を継げないと分かったとき、なんて運が悪いのだろうと思いました。しかし、ピンチだなと思ったときにどうチャンスに変えていくのかが大事です。長男に生まれなかったからこそ今の会社があるのだし、今では父親の会社を継ぐよりも自分の作った会社の方が自分にとって良かったと思っています。ピンチのときこそチャンスであり、チャンスと捉えることで運が開けるのです。 ■会社を作るために何をすればいいのか  大学2年のときですが、起業をするには英語が必要だと感じ、留学を決意しました。しかし、当時は英語を話す機会もなく、人前で英語を話すのは恥ずかしいとさえ感じるような時代でした。そこで中学生に英語を教えることを思い立ちました。塾講師なら生徒に英語を教えながら英語を話すことができますし、文法を基礎から学ぶこともできてとても勉強になりました。 大学3年のときに休学してカナダに留学するのですが、ここでもまたピンチが訪れます。留学の間際に父親が倒れてしまい、自分で留学費用を捻出しなければならなくなったのです。このピンチをチャンスに変えるために、カナダで2つのビジネスを始めました。一つはカナダ人を英会話の先生として日本に派遣するビジネスです。もう一つは、カナダ産の革のジャンパーを日本に輸出し、知り合いの商社が開催する催事で販売するビジネスです。この革ジャンのブランドビジネスは上手くいったのですが、英会話の先生の派遣ビジネスは上手くいきませんでした。人の管理が思うようにいかず、やはり人を扱うビジネスは難しいと実感しました。しかし、この経験から人とのつながりがビジネスを生んでいくのだということを実感しました。 ■仕事をしていく上での大事なこと  その後、大学4年になってもカナダにいることが多く、カナダの毛皮ビジネスも順調でした。このまま会社を立ち上げ、起業しようかと思ったのですが「、こんなに上手くいくわけがない」と思い、考え直しました。 会社経営をするためにも一度会社勤めをしないとサラリーマンの気持ちがわからないと思い、ある商社で2年間働きました。そのときに実感したのは、人は「やりがいがあっても給与が悪いと文句を言う」「プライドがあるほどやりがいがないと文句を言う」「給与が良くてもやりがいがないと文句を言う」ことです。自分が会社を作るときは、やりがいがあり、プライドが持てて、良い給与を出せる、そういう仕事をやりたいなと思いました。 ■ブランドもので起業する  この経験で学んだことを生かして起業するには「ブランド」だと思いました。ブランドといっても、お金がないので車や時計は作れないなと感じていました。また、洋服とは違い、バッグは持っているとどこのブランドかがわかりやすいことにも気づいたのです。そのとき、「バッグが一番作りやすい」と直感的に思いました。 しかし、私はファッション自体わからないし、ファッション系の知り合いは一人もいなく、ピンチだと思いました。当時は雑誌が流行を決める、それをテレビが追いかけるという時代でした。雑誌に取り上げてもらうだけでビジネスとして成り立つくらいの勢いがありました。しかし、雑誌で取り上げてもらうのは至難の業です。それだけ雑誌は敷居が高かったのです。 当時、4人で会社を経営していたのですが、雑誌社に電話をかけることに全員が反対しました。しかし、反対されたことで私はむしろチャンスだと感じました。運良く会ってくれる雑誌社の方がいて、少しずつ関係を築きながらお付き合いをしていくうちに、次に来る流行の情報を教えてくれるようになったのです。仲良くしていただきながら常に心がけていたのは、相手が求めていることを先読みし、行動することでした。人との出会いをいかに活かすかが大切なのです。 ■message ピンチを感じないとチャンスは生まれません。コロナで大変ですが、こういうときだからこそ人と同じことはしない、人がやっていないことをしないと勝つことはできません。今はチャンスの時代なのでピンチを楽しんでチャンスをつかんでほしいと思います。 人間は「~したい」か「~しなきゃ」の2つの感情で動きます。おいしいものを食べたいと思う感情、学校に行かなきゃと思う感情のことです。いやなことでもしないといけないもの、「~しなきゃ」を「~したい」に変えていくことが大切です。そのためには明確な目標と目的をしっかりと持つことです。ここをきちんと決められると半分くらいは目標を達成したようなものではないでしょうか。 学生新聞2021年4月号 日本大学3年 辻内海成