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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社サンウェルズ 代表取締役社長 苗代亮達

他と違うことをする。それが成功の鍵。 株式会社サンウェルズ 代表取締役社長 苗代亮達(なわしろりょうたつ) ■プロフィール 1973年7月20日 石川県生まれ。2001年に株式会社アイテムを起業。2006年、株式会社ケア・コミュニケーションズ(現:株式会社サンウェルズ)創立し、介護施設の運営を開始。その後2011年介護施設運営会社2社を吸収合併し現在の株式会社サンウェルズへ商号変更、代表取締役社長に就任。2018年に現在運営の軸となる『PDハウス』事業を開始。 従業員1人の小さな会社から上場を果たした株式会社サンウェルズ。その代表である苗代亮達氏は、高校中退からの大学受験を成功させるも腎臓病に罹り、大学中退を迫られた過去を持ちます。しかし、そこから新しい介護のあり方を確立した経緯と介護業界の最先端を伺いました。 高校時代は地元・石川県でサークル活動に明け暮れていました。やんちゃで、勉強もせず、3年の時に高校を中退し、いろいろな仕事を経験しました。18歳か19歳の時に「大学に行きたい」と思うようになり、大検(大学入学資格検定)を取得するため、通信制の高校に通いました。大検を取得した後は、予備校に入り、なんとか埼玉県の大学に入学できました。しかし、入学してすぐ腎臓病に罹ってしまい、治療のため長期で入院することになりました。大学休学の費用もかなり高額だったので、入ったばかりの大学を中退することにしました。高校中退、大学中退と面白い経歴になりましたね(笑)。度重なる入退院と治療を繰り返し、25歳の時に専門家の治療を受け、今ではほとんど症状はありません。手術で摘出したので、腎臓は6割程度しか機能していませんが、ゴルフ、キックボクシング、マリンスポーツなども楽しみ、なんの問題も無く生活しています。 ■周りに迷惑をかけたくなくて起業 25歳まで腎臓病の影響で社会に出ることはできませんでした。病気のことで周りに迷惑をかけたくなかったので、起業して、1人で細々と働くことにしました。どんな分野で起業するかを考えたとき、病気や障害を持つ高齢の方に、自分の長い入院経験が役に立つのではないかと思い、介護を選びました。また、日本には2000年4月に介護保険ができ、介護認定を受けた方のご自宅に手すり設置などのバリアフリー工事を行うと、国が9割負担してくれるようになりました。しかし、工事の上限金額は20万円と少額なので、小さい規模の工事しかできないとの問題もありました。「手すりをつけるくらいなら自分でもできる」と思い、バリアフリー専門の工務店を創業しました。4〜5万円の小さな仕事ばかりを相手にしていられない普通の建築屋さんと差別化するため、小さな工事でも一生懸命やるように心がけた結果、たちまち仕事が増えていきました。そのうち1人では仕事が回らなくなり、最終的に10人くらいまで社員を雇いましたね。 ■人と同じことをやっていては成功できない 事業が大きくなってきたある日、「介護施設もやってみないか」というお話をいただきました。当時の介護施設は収容所のような場所が多かったのですが、たまたま富山県で見学した古民家を利用したデイサービスがアットホームで雰囲気も良かったので、その施設を参考に石川県で初めての古民家デイサービスを開始しました。その後、デイサービスに宿泊やリハビリなど新たな要素を加えたサービスを開始しました。人と同じことをしては成功しない。だから、人がやっていないことが何かを常に考えていました。その時に施設の利用者様の中にパーキンソン病の方が30名ほどいたのですが、どの方も施設に入ると病状が悪化することに疑問を抱きました。そこでパーキンソン病に特化した施設を思い付き、地元で建ててみたら、とても大きな反響がありました。自分が闘病した病気が、腎臓の専門医と出会い回復したことから専門医の重要性を強く意識していました。脳神経内科の専門医が訪問診療してくれるパーキンソン病に特化した施設が国内外になく、世界的に認められる可能性があるなと思い、専門のドクターと一緒にサービスを考え、論文も書いていただきました。さらに、職業として介護業界は不人気の業界なので、上場してブランド力を上げれば、業界を盛り上げることもできます。規模を大きくするためには採用が重要ですが、介護業界は不人気なので人材が集まりにくい。だからこそ、上場して、営業や利益管理まで徹底することで、事業自体を底上げ式に強くすることを意識しています。 ■なぜ介護業界には特化型施設が少ないのか? 2000年に介護保険ができた頃は、高齢化も進み、施設を作れば集客しなくても人が入ってくる状況でした。しかし、最近になり、競争が厳しくなって、倒産する会社まで出てくるようになりました。以前のような状況からこれまでやってきた企業は、差別化の仕方や採用方法が分からず、業界全体としてビジネス面で出遅れているのが業界の現状です。当社の施設運営の方針としては国内で一般の介護施設に入っているパーキンソン病の方は約4万人もいるので、他の病気に特化した施設は今まだ考えてないですね。会社の体制も整えて、出店数も増やしてはいますが、1店舗建てるにも億単位の費用がかかり、60〜70人近い従業員が必要になるので、まずはパーキンソン病の方に一生懸命向き合っていこうと思っています。よりクオリティの高いサービスを届けるため、施設では『ホロメディスン』という3D遠隔治療を可能にする実証実験を始め、多くの人が手軽で正確な診療を受けられるようなサービスづくりに取り組んでいます。 ■大学生へのメッセージ 最近の学生は非常に優秀な人が多いように感じます。それこそ情報がたくさんあるので、知識も得やすいはず。これからはそういった知識を活かして、世界でチャレンジしていってほしいと思いますね。あとは、どんどん稼いでいってほしいですね。「車も服も安くていい」みたいな人が少し増えてきているので、欲を抑えずに、それでいて迷惑をかけずに成功していってほしいと思います。 学生新聞オンライン2023年月日取材 立教大学4年 須藤覚斗

イベント・企業紹介

第49回 ANAオープンゴルフトーナメント

大会名称:第49回ANAオープンゴルフトーナメント開催日程:2023年9月14日(木)~17日(日)の4日間開催場所:札幌ゴルフ倶楽部・輪厚(わっつ)コース〒061-1264 北海道北広島市輪厚77 TEL:011-376-2231主催:全日本空輸株式会社運営協力:ブリヂストンスポーツ株式会社 2023年9月14日から4日間にわたり、北海道北広島市にある札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コースにおいて第49回ANAオープンゴルフトーナメントが開催されました。北海道の自然を雄大に感じながら、ゴルフ界の頂点を争う見どころいっぱいの大会でした。ANA事務局のみなさまへ大会に向けてどのような準備が行われているのか、その裏側についてお聞きしました。 取材協力:ANA事務局 全日本空輸株式会社 CX推進室 業務推進部 総務人事チーム 蓑原 規文(みのはら もとふみ) / 正見 大志(しょうけん たいし) ■ダイナミックで景観豊かなコース1973年よりANAオープンゴルフトーナメントを開催し、今年で第49回目を迎えました。こちらの輪厚コースは、自然あふれる景観美が楽しめる非常に見どころのあるコースです。バラエティ豊かなコースなので、男子プロゴルファーのダイナミックさと多彩なテクニックを感じることができるのではないでしょうか。選手たちがどのように攻略していくのかも興味深いですね。ゴルフの魅力は、雄大な自然の中でプレーできること、そして自然を感じながら、プレーを通して人と交流できるところだと思います。プレーする側だけではなく、観戦者にもベストポジションで見ていただけるように、スタンド席の位置を工夫しています。一人でも多くの方に楽しんでいただければ嬉しいです。 ■北海道北広島市との繋がり私たち事務局では、大会に向けた準備や協賛企業との提携、広報活動などを行っています。今年は記録的な猛暑の影響で芝焼けが多かったのですが、札幌ゴルフ倶楽部様が昼夜問わず懸命に整備してくださったおかげで、無事開催することができました。開催1日目も大雨で中止になるなどハプニングもありましたが、今日は晴れて本当に良かったです。また、ANAオープンゴルフトーナメントでは、地元北海道とのつながりを大切にしています。本大会では、ギャラリープラザというコーナーにおいてふるさと納税等の商品を販売しております。北海道の美味しい料理を堪能することができるだけでなく、地域活性化にも貢献しています。来年は50回目ということで、半世紀を迎えます。一過性では終わらないよう、地元北広島市から優勝者が出ることで世界との繋がりを作ることができることを目標に頑張りたいと思います。 ■大学生へのメッセージ学生の持っている力は無限大です。夢に向かって努力することは、とても素敵なことです。たとえ周りに反対されても、自分で可能性の限界を決めず、夢を全力で追いかけて欲しいです。 特別に選手のみなさまにもゴルフの魅力などを伺いました。 ■選手インタビュー 1位 谷原 秀人(たにはら ひでと) 周りの刺激をうけて、練習に注力するようになり、次第にプロを目指すようになりました。大変なことは、一年をとおしてコンディションを一定に保ち、アップダウンをできるだけ少なくすることです。調子が悪くても、期待しない方がいいし、調子が良い時はそれを抑えるということを意識してプレーしています。ゴルフの魅力は、年代を問わず、子どもとも一緒にプレーできる、そして全世界で出来るという点だと思っています。大学生には、常に目標を見つけ、それに満足せず新しいものを見つける欲を持ち続けて欲しいです。 4位タイ 今平 周吾 (いまひら しゅうご) 父親の影響でゴルフを始めてからというもの、小学生の頃から毎日遊びに行くような感覚で練習場に通っていました。とにかくゴルフが大好きで、せっかくやるからにはプロを目指したいと思うようになりました。飛距離だけではなく、パター等のアプローチの仕方によって自分より強い選手にも勝てるチャンスがある。ここにゴルフの魅力を感じます。もちろん上手くいかずに辛いこともありますが、自分の好きなことを仕事にできることはとても大切なことだと思います。 6位タイ 蝉川 泰果 (せみかわ たいが) ゴルフに触れるようになったのは、1歳半の頃です。ゴルフ好きな父が、アンパンマンのおもちゃのクラブをプレゼントしてくれたことがきっかけでした。初めてクラブを握ってからというもの、保育園生の頃にはすでにプロを夢み、小学校3年生で初めて大会に出場しました。ゴルフは1人で長い時間をかけてプレーする競技なので、上手く飛ばないときは苦労します。しかし、上達するための解決策を考え、練習を重ねてこそ、ボールがカップに入った瞬間はたまりません。私も昨年まで大学生で、プロゴルファーを目指して努力し続けた結果、夢を掴むことができたと思っています。諦めずに頑張れば夢は叶うということを伝えたいです。 16位タイ 金谷 拓実 (かなや たくみ) ゴルフは、両親の影響で始めました。ゴルフの最大の魅力は、年代を問わずに出来ること、そして他人ではなく自分との戦いであるというところだと思います。練習では大変なこともたくさんあります。しかしその辛さや苦しさという経験が、結果として大会に出てくると思っています。大学生活を送る上で、楽しいことも辛いこともあると思います。その感情や思い出はかけがえのないものなので、一日一日を大切に過ごして欲しいです。 20位タイ 堀川 未来夢 (ほりかわ みくむ) 小学生の頃、兄と一緒に父親の練習場に通っていたことがきっかけでした。テニスや水泳などもしていましたが、高校時代に競技ゴルフ部に所属したことが、進学先を考える上で重要な要素となりました。プロへの道を決意したのは大学3年で、プロの中ではかなり遅いスタートでしたね。しかし、1つの事に夢中になって極めたことが、現在の仕事に繋がったのだと思っています。様々なご縁があって積み上げられたこそのゴルフなので、年をとっても続けていきたいです。 44位タイ 池田 勇太 (いけだ ゆうた) ゴルフは祖父の影響で始めました。幼い頃から、ゴルフに対してとても魅力を感じ、始めてすぐにプロを目指そうと思いました。好きなことが仕事になると、楽しいことばかりではありません。身体の調子など様々な壁を乗り越えていくために、その時の気持ちをどのように組み立てていくかということをとても大事にしています。今後もプロとして、飛距離やテクニックがテレビ越しでも伝わるようなプレーをしていきたいです。大学生活は、自分の人生の中でもかけがえのない思い出です。大学生の時のつながりは今でも大切にしているので、皆さんにも素敵な仲間との出会いを大切にして欲しいです。 石坂 友宏 (いしざか ともひろ) 両親の影響でゴルフを始めました。もともと野球をしていたのですが、チームスポーツではなく、大会を通して様々な人と出会えることがとても魅力的だと感じ、惹かれるようになりました。プロを目指したのは、中学生の時に出場した大会での予選落ちがとても悔しかったことがきっかけです。ゴルフは天候やコースで変わってくるので、そこが楽しさであり難しさでもあります。自然の中でできることも大きな魅力ですね。大学生には、これから先様々なことがあると思いますが、何事にもまっすぐ一生懸命に取り組むことが未来につながると思います。頑張ってください。 学生新聞オンライン2023年9月15日取材:立教大学3年 緒方成菜 / 上智大学2年 白坂日葵  

大川知

俳優 若葉竜也

人間の多面性を大事に、生々しく演じることで共感を掻き立てる 俳優 若葉 竜也(わかば りゅうや) ■プロフィール1989年生まれ、東京都出身。2016年『葛城事件』でTAMA映画賞・最優秀新進俳優賞を受賞。NHK連続テレビ小説『おちょやん』(20)で注目を集める。主な出演作は『愛がなんだ』(19)、『生きちゃった』(20)『AWAKE』(20)、『街の上で』(21)、『あの頃』(21)、『くれなずめ』(21)、『前科者』(22)、『窓辺にて』(22)、『ちひろさん』(23)など多数。現在、『愛にイナズマ』(23/石井裕也監督)が全国公開中。公開待機作に、『ペナルティループ』(24年3月公開予定/荒木伸二監督) 人間味溢れる演技で、観客に鮮烈な印象を残す若葉さん。映画『市子』では、主人公である市子の恋人・長谷川義則を演じ、恋人の真実を知る過程の心の機微を繊細に表現する。物語の軸を握る長谷川を演じた若葉さんに、役を演じる上で大切にしていることや、『市子』の見どころについて聞いた。 小さい頃から役者をやっていました。ただ、高校生の時は役者をやりたくなくて、アルバイトに明け暮れていました。幼い頃から役のオーディションを受け続けていたこともあり、「俺は人生で何回テストを受ければいいんだ?」という想いから、将来、大学進学は考えていませんでした。卒業後、周囲が就職していく中、学生時代と変わらない生活をしていたのは自分くらいだったので、24、25歳の時は役者である自分に嫌気がさしていました。映画『葛城事件』のオーディションの話をもらったのはちょうどその時期でした。このオーディションに落ちたら俳優を辞めるつもりで受けたところ、合格し、新人賞をいただくことができました。役者としてしっかりやっていこうと思ったのはそこからです。役者としっかり向き合うようになってからは、この仕事には大きな責任があり、求められることに応じなければならないという想いから緊張を感じるようになりました。しかし、毎回作品と向き合って、緊張から逃げずに戦い切ることで、少しずつ自信に繋がっている感覚があります。 ■「そこに生きる」市子と長谷川 オファーが来た時は、既に杉咲花さんが市子を演じることが決まっていて、市子というとんでもない人物を杉咲さんがどう演じるのかに興味がありました。その演技を長谷川として一番近くで見たいと思ったのが、オファーを受けた大きな要因です。実際に共演してみて、「杉咲花という人は別格なんだな」「こんなレベルに到達しているのか」と驚かされました。突飛なことやエキセントリックなこともせず、「そこにただ生きる人」を見事に演じていて、一つひとつの瞬間が嘘ではなく、細胞レベルで表現していると感じました。例えば、僕が声のボリュームを上げて話すと杉咲さんもボリュームを上げて返してくれたり、色々なことを感じとりながら嘘のない表現を自然にやってのけていました。そんな杉咲さんの「市子」という人物への造形の深さもこの映画の見どころの一つだと思います。実は、僕はあまり長谷川に共感するところはないんです。最も共感できなかったのは、長谷川が3年間一緒に暮らしていた市子の過去に介入していかなかった点です。それを優しさからだという人もいますが、僕は大切な人の真実を知るのが怖いから聞かなかった、長谷川の弱さやずるさからきた行動だと思っています。僕はどんどん介入してしまうタイプなので、「役になりきる」というよりは、長谷川という人間の一番近くにいる人・存在として、「一番同情して話を聞いてあげられる人になること」を心がけていました。 ■多面性を大事に、生々しい人間を演じる この作品は観客も一緒に市子の過去を辿ります。どれだけその過去を新鮮に、生々しく見せられるかが試されていると感じ、とても緊張しました。長谷川を演じる上で、何より大事にしたことは「決めつけない」ことでした。形骸的にならないように、「こういう風に演じよう」と決めることはしませんでした。多面的であるのが人間だから、「この人物ならこうする」と決めつけてしまえば嘘っぽいただのキャラクターになって、人間ではなくなってしまうという思いが強かったんです。だから、市子の真実を知る場面の台本もざっとしか読みませんでした。長谷川と市子の時間を中心に考えて、あとは周りの役者さんの声や汗、熱量など現場に委ねました。決めつけないで、鮮度を大切にすることが、人物造形として生々しくなるのかなと思います。 ■観客が共感し心動かされる人間らしさ 一人の視聴者として映画を観ていて、「普段生きていてそんなこと言わないでしょ」とか、「24時間ずっと格好良かったり可愛かったりする人なんかいない」と感じることがありました。例えば、映画の中でわーっと泣く登場人物。泣こうと思って泣いている役者さんを観ても、「映画の中の人」という感覚が強くて、感情移入や共感ができないんですよね。少なくとも、人前で恥ずかしげもなく号泣した経験は僕にはありません。日常生活では怒ることや泣くことを我慢して、なんとか感情を押し殺している人が大半だと思います。だから、人前で号泣してしまう人は、普段から感情を押さえて我慢することができている人で本当は強い人なんじゃないかと思います。そんな風に普段押さえ込んでいるものがドロっと出てしまう瞬間を映画の中に組み込みたいという意識がずっとありますし、そんな瞬間こそが観る側にとっても一番心が動かされるのではないでしょうか。役作りはあまり意識したことがなくて、周りの人とのコミュニケーションから得たヒントを、役として表現している感じに近いです。 ■大学生へのメッセージ 僕が20代の頃、夢ややりたいことがないことをコンプレックスに思っている人が多くいました。夢ややりたいことがある人が立派で、そうじゃない人は不安定だという風潮があったんですね。でも、夢ややりたいことがなくても負い目に感じる必要は全然ありません。僕は昔から抱負や展望が本当になくて、健康にご飯を食べられれば満足です。周りの大切な人たちを優先して、仕事のために生きるのではなく、生きるために仕事をしていきたいと思っています。例えば「好きな人ほしいんだよねー」って、言う人がいるじゃないですか。でも、簡単に好きになれるなら、本当に好きな人とは呼べないかもしれないですよね。それと同じで、「見つけたい」と思っているうちは、本当にやりたいことは見つからないのかもしれません。「あいつ中途半端だな」と思われても良いから、いろんなことに手を出して、挫折をして、琴線に触れるものを見つけることが大事だと思います。 学生新聞オンライン2023年11月6日取材 津田塾大学4年 大川知 『市子』12月8日(金)テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開 杉咲 花若葉竜也森永悠希 倉 悠貴 中田青渚 石川瑠華 大浦千佳渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり監督:戸田彬弘 原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘)脚本:上村奈帆 戸田彬弘 音楽:茂野雅道 ©2023 映画「市子」製作委員会配給:ハピネットファントム・スタジオ https://happinet-phantom.com/ichiko-movie/

大野詩織

monoAI technology株式会社 取締役COO 山下 真輝

メタバースでn対nのコミュニケーションを心がける monoAI technology株式会社 取締役COO 山下 真輝 (やました まさき) ■プロフィール 1981年愛知に生まれ、20歳の時に起業。広告代理業、店舗ビジネスなど複数事業を立ち上げ年商15億まで拡大させたのち売却。その後、SBI証券にて資金調達業務などを行い、イーファクター株式会社(現metaps)に入社。2013年にライヴエイド株式会社を創業。2018年からはエンタメ系メディアなど複数立ち上げ、営業利益1億円を達成。2021年3月に弊社取締役XRCLOUD事業本部長に就任。 クオリティの高いバーチャル空間を提供するメタバースプラットフォームであるXR CLOUDを手掛け、メタバース業界初の上場企業となったmonoAI technology株式会社。取締役COOに就任する前にはさまざまな事業の起業を経験された山下取締役に、現在の仕事に生かされた経験や企業の強みなどを伺った。 高校2年生の時に、大手の音楽事務所にデモテープを送ったことがきっかけで、プロミュージシャンとして3年半ほど活動していました。しかし、音楽の先行きが怪しいと思った頃、叔父が起業する姿を見て「おもしろそうだな」と思い、起業にチャレンジしました。手掛けたのは、メイクサロンや金券ショップ、カレー屋さんなどの店舗ビジネスを立ち上げて、規模を大きくするというビジネスです。その後、店舗ビジネスのMAの仲介がきっかけとなって、「会社組織もおもしろそうだな」と思ったことから、SBI証券へ入社したり、ベンチャー企業の取締役を担当するなど、組織に入る経験もしました。ただ、そこから「もう一度自分で起業してみよう」と思い、それまで手掛けていた事業を売却して新たな会社を作り、IoT、民泊など、いろいろな事業を展開しました。そんな中、知人のベンチャーキャピタルを通して、弊社の代表取締役の本城を紹介されました。彼は当時VR事業を行っていたので意気投合し、自分の会社を社員にお任せしてジョインしました。monoAIに入った一番の動機は、「いまこの会社に自分が入って、上場を果たしたい」という大きな目的があったからです。私が入社した当時は、今の主力ビジネスであるXR CLOUDというメタバースを簡単にできるサービスはまだ試験段階でした。もともと、弊社はクライアントから仕事を受託してゲーム開発を手掛けるエンジニアが多い会社でした。また、営業がいなかったため、新しく営業組織を作るなど、ビジネスや管理体制を整えることに取り組みました。また、株主に対してどのような見せ方をしたら会社の価値を上げられるかなど、上場に向けて必要な作業は、証券会社での勤務経験や起業の経験が役に立っていると思いますね。そうした努力が実り、2年間をかけて2022年10月に上場できました。 ■大人数とクオリティの高いブラウザ 元々ゲーム開発をしていたことを生かして、「モノビットエンジン」というツール上で動くソフトやVRを作るunityのエンジニアが多いため、通信の部分で強みがあります。メタバース空間内に1000人以上が同時に入れるのは、国内でうちだけです。これが大きな差別化ポイントになっています。また、メタバースを使うパターンにはいくつか種類があります。大きく分けるとブラウザとアプリの2種類です。ブラウザではシームレスに入ってもらえるものの、画素数を落とさなければならないというデメリットがあります。一方のアプリは、画像のクオリティが高いもののインストールをしないと利用できません。両者はそれぞれメリットとデメリットがあります。そこで、うちではクラウドゲーミングという機能を使い、ブラウザで入りつつも、アプリと同じクオリティの画像を提供できるという独自性があります。まさに、ブラウザとアプリ両方のいいとこ取りですね。少しコストがかかるのですが、どちらの利点も得たいというクライアントからは好評です。 ■n対nのコミュニケーションを大切に お客様のやりたいことに寄り添いつつ、n対nのコミュニケーションを必ずコンテンツに入れています。日頃から「こういうものがあった方がいいのではないか」という議論をたくさんするように心がけています。例えば、展示会や企業内の納会、医療交流会などでは、ユーザー同士で交流できる仕掛けを作るなど、一方通行の情報発信ではなく、コミュニケーションツールとしても活用されています。基本的にクライアントは企業が多いのですが、最近では地方自治体の案件もあります。XR CLOUDだけではなくFortniteの運用もしていて、渋谷の街をゲーム空間にしてPRを行うという取り組みもあります。1-2年前までは、メタバースは、ライブイベントのような形で活用されることが多かったのですが、n対nのコミュニケーションはほぼ行われないため、興業用にするのが難しい点がありました。しかし、最近はコミュニケーション部分を中心にクライアントの課題解決をする形でメタバースを活用できるので、いい傾向にあるなと感じています。 ■一緒に働きたいのは素直な人 リモートが中心の会社なので、素直な人と一緒に働けたらなと思いますね。やる前から「これはやっても意味がないのではないか」という邪念を持ってしまうのは良くないので、食べず嫌いではなく、言われたことはまずいろいろと自分で取り組んでいった中で自分のオリジナリティを出しつつ、PDCAを回していける人がいいと思います。 ■産業に組み込まれるメタバースを提供 monoAI technologyは、XRというジャンルにおいて、国内で唯一上場している会社です。今後もその軸はぶらさずに、産業に組み込まれるメタバースという強みを生かしていきたいです。XRというジャンルで言うと、ARはAppleなどがビジョンを出したので、今後も伸びていくという印象を持っています。技術者が多いという強みを活用して、メタバースの非現実な部分に加えて、もう1個の軸としてリアルな場にも拡張現実も進めていないかと画策しています。 ■学生へのメッセージ 学生のうちだからと限定せず、何事もいつでもできるのではないかと思っています。一つ挙げるとすると、学生のうちは周りに迷惑をかけられる時期だと思うので、たくさん迷惑をかけてもいいのではと思いますね(笑)。その人がどういう風に生きたいかによってだいぶ変わってくると思いますが、もし起業に興味があれば、大企業ではなく、自分のビジネスに転用できそうな事業を手がける会社にインターンに行き、実際のビジネスの泥臭さなどを味わってみるのもいいかもしれないです。学生時代に事前にやっていると、就職活動の面接などでも、実際は大したことないかもと思えるようになるかもしれないです。 学生新聞オンライン2023年10月13日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

学生新聞インターン

株式会社QLSホールディングス 代表取締役社長 雨田武史

Quality of Life 全ての人に質の高い生活を‼ 株式会社QLSホールディングス 代表取締役社長 雨田武史(あめだたけし) ■プロフィール 1977年、千葉県にて産声をあげる。大学時代から就職まで人生の荒波に揉まれながら自信の芯を磨きあげ、2005年に有限会社クオリス(現株式会社クオリス)を設立。その後、株式移転により株式会社QLSホールディングスを設立。時間の経過とともに事業は拡大し、仲間も増え、2023年6月には名古屋証券取引所への上場を果たす。46歳になった今も精力的に活動中。 5つの子会社の経営指導・管理を行う株式会社QLSホールディングス。事業内容は保育、介護・障がい福祉、人材派遣など多岐にわたり、そのベースを支えるのは地域貢献、社会問題の解決といった強い課題意識だ。代表取締役である雨田武史社長に、大学時代から就職、会社の立ち上げ、そして事業拡大までの経緯や想いを伺った。 高校卒業後は、法政大学夜間コースに入学しました。しかし、学べる内容が限られることが窮屈だったため、明治大学昼間コースへの編入を決意しました。その際、昼間コースの試験のためにおこなった勉強が、自分の将来に大きく役に立ちました。当時は、1日10冊のペースで様々な著者の幅広いジャンルの本を読みましたが、多角的な見方を身に付けられた上に、その後の起業や経営につながる基盤が形成され、すごくプラスになったと思います。 学生時代に行ったたくさんのアルバイトも良い経験になりましたね。飲食店のアルバイトではいろいろな背景を持つ人と接する中で、仕事を円滑に進めるためのコミュニケーション能力の重要性を感じました。私は介護や保育の分野で事業を展開しているので、アルバイトで得た「人との関わりの大切さ」という学びは、現在も役立っていると思います。 ■ピンチでも諦めないで挑戦する 就職氷河期世代だったので就職活動にはかなり苦労しました。ご縁があった会社に入社したのですが、しばらく働いてみて、自分の求めている雰囲気とは異なることに気が付きました。会社を辞めようかどうか悩んでいた頃、社内で新規事業立ち上げのための社長募集が行われていたので、せっかくなら挑戦してみようと思い応募したところ、採用され、介護事業の立ち上げ・経営をさせていただくことになりました。ビルの小さな一角から事業を始めたのですが、介護事業に携わったことで地域社会毎に様々な問題やそれに伴うニーズが存在するのだと実感しました。 振り返ると「会社を辞める」のではなく、「社長募集に立候補する」というチャレンジをしてよかったと思っています。その後、会社を辞めて自分自身で起業することになりましたが、介護や保育といった業界を選択したのは、この時の気づきや経験があったからです。 ■5つの子会社を軸に行う幅広い事業 QLSホールディングスは株式会社クオリス・株式会社エルサーブ・株式会社ダウイン・株式会社和み・株式会社ふれあいタウンという5つの子会社の経営指導、管理を行っている会社です。主な業務内容は、保育、介護・障がい福祉、人材派遣の3種類に分類されます。もともとは介護事業を中心に展開をしていたのですが、地域のニーズに応え、より充実したサービスを提供するために事業を拡大しました。手掛ける事業が増えたからこその苦労もありましたが、それぞれに共通点や関連性があるので全体としての利便性や柔軟性が高まったと考えています。 幅広い事業展開を行うメリットのひとつは、業界での生き残りに繋がる点です。利用してくださるお客様がいる以上、経営は常に安定させておく必要がある。これは、コロナ禍を通してひしひしと感じたことです。特に私たちのサービスは、人の生活に密着しているため「安定した経営」は非常に大切です。そのため、どの事業に関してもご利用者様の生活を充実させること・地域社会に貢献することを目標に掲げています。 ■差別化が難しい中での工夫 実は、保育園や介護施設を差別化するのは、非常に難しいです。どちらも制度的な仕組み上、自由度が低いからです。これは施設の特性のためやむをえないことなので、できる範囲内で工夫することを心がけています。例えば、保育園では、地域によってニーズが異なるため、英語教育や美術の時間、小学校受験向けのプログラムなど独自のカリキュラムを用意しています。すべての子どもたちに質の高い教育を提供したいという想いから始めた取り組みですが、もちろん勝手に追加料金を設定することはできないので全額こちらが負担しています。こうした工夫が結果的に自社の強みになっていっていると思います。 また、私たちは“日本一の給食”を目指しています。味覚の幅は児童期にしか広がらないと言われています。そうした貴重な時期をお預かりしているので、できるだけの経験を提供したいと考えています。具体的には、産地にこだわった原材料の使用、親御さんにも情報が伝わるような仕組みの導入などがあります。自分自身が食の大切さを重要視している影響もあって、日本一の給食を目指すために始めました。これらの取り組みについては、利用者様からも高評価をいただいています。 ■従業員の心身の状態にも気を配る そのほか、私たちが力を注いでいるのは、従業員が働きやすい環境作りです。人様の健康を支える保育、介護の現場では、従業員が心身ともに健康であることが最も重要であると考えているからです。いろいろな取り組みを行っていますが、一例として「ビューティー補助」というものがあり、従業員の美容代の補填をしたりしています。美容に充てる時間を意識することで、自分のために割く時間を増やしてほしい、私生活でも幸せな気持ちになってほしいという想いから始めました。子どもは大人の感情を敏感に感じ取ってしまうものです。どれだけ社員教育を充実させても、従業員がポジティブな気持ちで仕事に取り組んでいなければ有意義な信頼関係は築けません。 ■諦めずに挑戦し続ければ、どうにかなる 最後に、学生のみなさんに伝えたいことは、「諦めずに挑戦すること」です。私自身は決して優秀な学生だったわけではありません。就活は思い通りにいかないことの方が多く、会社に入ってからもたくさん悩みました。しかし、出会ったチャンスを逃さないこと、常にやり続けることを意識してきました。学生のみなさんも今後、大変な状況に置かれることがあるかもしれません。とにかくあきらめないでやっていればどうにかなります。その中で自分に何ができるか、よりよい方を目指して努力してみてほしいです。 学生新聞オンライン2023年8月23日取材 上智大学2年 池濱百花

加藤心渚

東京大学 公共政策大学院教授 鈴木 寛

教育改革を起こし若者と共に新たな時代を作る 東京大学 公共政策大学院教授 鈴木 寛(すずき かん) ■プロフィール  東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策・メディア研究科特任教授1964年生まれ。1986年東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾に何度も通い、若者の無限の可能性を実感し、人材育成の大切さに目覚める。通産省勤務の傍ら、大学生などを集めた「すずかんゼミ」を1995年に立上げ、教え子は1000名を超える。慶應義塾大学SFC助教授を経て2001年参議院議員初当選(12年)。 新たな時代の先陣をきる若者を多々輩出し、全国各地から学生の応募が殺到している「すずかんゼミ」。その主宰はすずかん先生の愛称で親しまれる鈴木寛氏だ。通産省勤務や元文部科学副大臣、大学教授などの豊富な経験から培われた知見やすずかんゼミの魅力、これからの教育や若者に対する熱い思いを伺った。 私は昔から政治経済に興味がありました。小学生の時、少年ジャンプに掲載されていた『田中角栄物語』を読んで、田中角栄さんが小学校卒業でも総理大臣まで上り詰めたというお話に衝撃を受けたのがきっかけです。その頃から田中角栄さんや政治経済のニュースが目に留まるようになり、中学高校とそれらに関する活動をしていました。大学生になってからはゼミと課外活動で忙しい毎日でした。2年生までは国際政治学、3年生からは労働法のゼミに入りながら、劇団の音楽監督、東京六大学の合唱連盟の理事、テニスサークルに所属など、楽しくやりがいのある学生生活を送っていました。卒業後は通商産業省(現経済産業省)に就職しました。役人が脚本を書いたり演出をしたりするという意味では、国会も学生時に取り組んだ劇団も同じだという意外な共通点を見つけたからです。学生の頃から憧れていた電子政策課の総括課長補佐のポストにもつくことができ、兼ねてから希望していた情報政策に従事することができました。通産省は2年に1度様々な部署に異動します。山口県に出向した際、関心を持っていた吉田松陰が主宰した「松下村塾」に訪れました。10畳ほどの狭い空間に集められた、選抜されていない地域の子ども達がのちに日本・アジアを変える人材として輩出されていることに非常に感動し、若者には無限の可能性があると感じました。その後、松下村塾に触発され、1995年に東京に戻った際に現在も続けている「すずかんゼミ」を設立しました。 ■日本の教育をより良くするために官僚から助教授、そして参議院議員へ これからは松下村塾で学んだ、若者の可能性を引き出す「教育」を中心に活動していきたいと思い、通産省を退職して慶應義塾大学環境情報学部の助教授になりました。今まで行ってきた情報の分野と新たに教育の分野に専念することにしたのです。その後、金子教授の友人の鳩山由紀夫さんからお誘いいただき、参議院議員になりました。私には「どんな家に生まれても、どんな地域で育っても、すべての子ども・若者に最善の学びを」というライフワークがあったことから、当時興味のあった奨学金制度の充実、コミュニティ・スクール運動の2つの課題に取り組むために、12年の間に2度文部科学副大臣も務め、教育政策に従事しました。任期を終えた際に東京大学と慶應義塾大学からお声がかかり、日本で初めての国立・私立大学のクロスアポイントメントとなりました。 ■学生の成長のために徹する 教授の仕事は楽しいことしかないです。私にとって、若い人の可能性を見守り、時には手助けをすることほど好きなことはない。政治家や役人の時にたくさん苦労してきたからでしょうか(笑)。私はどんな人にも必ず良いところがあると思っています。その若者の良いところはどこなのかを見出し、何か一つその人の真骨頂を作るお手伝いをして寄り添えられればと思います。若者は上から教えて育つものではなく、自発的に成長するものです。そこに濃い仲間がいればお互いに切磋琢磨し、流れに乗っていく。その状況を28年ずっと見てきました。志を持った若者たちが出会う環境づくりに徹するのが今の私の役目です。一方で大学生は多感な時期。心が折れる時だってたくさんありますよね。私はそんな時にいつでも帰ってくることができる場所でありたいと思っています。 ■これから目指すところは「卒近代」 私は28年の間「卒近代」という言葉を言い続けてきました。ポストSDGsと言われているウェルビーイング学会の副代表理事も勤めていますが、いよいよ時代が追いついてきていることを実感しています。今まですずかんゼミから、これからの未来を担うエポックメーカーが続々と巣立っていってくれたことはこの上ない喜びです。新時代でも様々な分野で活躍する若者を輩出できるようなコミュニティにしていきたいと思っています。そのために、すずかんゼミは今年から完全インカレ化しました。どこの大学からでもどの地域からでも気軽に参加できるようになっています。私自身も卒近代を目指す仲間が集まる環境を作るエポックメーカーになりたいと思っています。文部科学大臣補佐官として学習指導要領を改訂した際、「探究」という時間を高校に入れました。これからの時代は各々の関心に対して皆が深く探求できるように教育していくためです。近代ではGDPに貢献できる人材にするためにマニュアルを覚えてそれを正確に迅速に再現できる人を育成していましたが、今ならAIでもできますよね。それから「公共」という教科書も高校生に向けて作成しました。毎年80万人の高校生が公共を学んでくれることは非常に嬉しいです。「卒近代」という時代を作るために今まで様々な取り組みをしてきましたが、これからも日本の教育のために活動していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 一つはやりたいことを思う存分やってほしいということ。やらない後悔よりもやって後悔する方がいいです。もう一つは同じ世代の友人と同志を増やしてほしいということ。SNSが普及した今、知人ならば簡単にできると思います。一晩語り明かすと友人になり、苦楽を共にすると同志になります。社会人になると契約というものが発生します。契約先との契約は守らなければいけないけれど、学生時代は縛られるものが圧倒的に少ない。義務を負っていない最後の時代なのです。人生のラストチャンスに自由を謳歌してください。 学生新聞オンライン2023年7月12日取材 慶應義塾大学2年 加藤心渚

コラム

テリー伊藤 コラムVol.14  古いレンジローバー買いました!

車好きの私、またまた購入してしまった。通称クラシックレンジと呼ばれている1991年式英国レンジローバーです。YouTubeロケで出会い一目惚れ、何か月か迷った末買いました。迷った訳は、お店のオーナーに購入を考えていると言うと「テリーさんこの車苦労しますよ、30年以上前の車だし。イギリス車は基本的にはよく走るのですが、マイナートラブルが多くて。」といきなり盛り上がる気分に水を差すお言葉。とてもお店のオーナーとは思えない返事が返ってきた。少し萎えたが気を取り直して、どの辺が故障になるのかを聞くと「電気系統かな。その他諸々。」の大雑把なお答え。お互い無言。そのまま静かに帰宅した。熟考の日々が続く・・・。 一目惚れしたレンジは普通とは違った。オリジナルを重視した車が多い中、前オーナーがボディーカラーをベントレーの純正ブルーに塗替え、内装も真っ赤な超派手な皮張りに替えている。保守的なレンジファンから眉をひそめられる佇まいなのだが、私にとってそこが良い。問題はトラブル対応が出来るかということ。メカに弱い私には大きな課題だ。現在乗っている国産EV車はよく出来ているのだが面白みに欠ける。決断は早い。「そうだ!もう一度車で苦労をしてみたい。」ここからは早かった。4日後には国産車を売却し、遂に念願のレンジを手にした。 浮き浮き気分の納車日に、店のオーナーから再び「エンジンをかける時にはキーを回して15秒経ってから。冬の暖機運転は忘れずに。パワーウインドウはゆっくりと上げ下げしてください、急にやると壊れる場合が。ドアの開閉も静かにお願いします。電気系統が弱いので冬の雨の日は注意が必要。ヒーター、ワイパー、ライトでバッテリーを大量に消費しますので…。」のお言葉。30年以上前の英国車の納車式、とても晴れやかとは言えない重い空気になったのだが、私めげない。 乗ってしまえば気分爽快!そのまま海に向かって突っ走る!これが至極快適。エンジンも調子良く、レストアされた外観も新車のよう。海沿いの134号線はレンジが似合う。鎌倉の駐車場では車好きのオーナーが声をかけてくる。湘南デビューは大成功となった。 あのオーナーのアドバイスを忘れかけていた3日後、最初のトラブルが。助手席のウインドウが下りないのだ。そして集中ドアロックが効かない。慌ててオーナーに連絡をとったら、落ち着いた声で「テリーさんスイッチを強く何度も押して下さい、動き出しますから。」の指示。しかし直る気配はなく・・・現在車は整備工場に長期の入院中。私とクラシックレンジの生活は始まったばかり。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役 会長兼社長 最高投資責...

一つのブランドを大切にし続けることが、信用と信頼に繋がる。 レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役 会長兼社長 最高投資責任者 藤野英人 (ふじの ひでと) ■プロフィール 国内・外資大手資産運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。「ひふみ」シリーズ最高投資責任者(CIO)。投資啓発活動にも注力し、東京理科大学上席特任教授、叡啓大学客員教授、淑徳大学地域創生学部客員教授を務める。一般社団法人投資信託協会理事。近著に『プロ投資家の先の先を読む思考法』(クロスメディア・パブリッシング)、『投資家がパパとママに伝えたい たいせつなお金のはなし』(星海社新書)。 効率的に資産運用ができていない現預金を、少しでも投資に向けること。それにより、将来の国民資産を増やし、日本および世界の明るい未来を作ることを目指すのが、資産運用会社であるレオス・キャピタルワークス。代表を務める藤野英人さんの価値観・考え方の変化、投資信託としての信用と信頼をどのように得たのか伺った。 大学2年生までは志望大学に合格できなかったショックで引きこもり気味になっていて、自宅でピアノをよく弾いていました。引きこもっている時は、「このままで良いのかな」と考えていました。久しぶりに学校に行った時、掲示板に「日中学生会議」という案内を見つけました。「訪中無料!」と書いてあって、参加すれば人生やり直せる良い機会になると参加を決意しました。実際はとても気合が入った団体で、「これから営業に行くぞ」と言われ、驚きました。中国への渡航費無料と書いてあるのに、営業に行くのはなぜだろうと思っていたのですが、訪中したい学生が企業に営業してスポンサーになってもらうことで成り立っているようでした。僕は営業なんてしたことがなかったので、営業周りをしても1件も契約が取れなかったのですが、別の学生はたくさんの契約を取ってきて、実際に無料で中国へ渡航することができました。学生が「契約を取った」と聞いた時、「頭を下げて営業して、プロジェクトを成功させることが大事だったんだ」と気がつきました。 ■価値観が変わる経験をして、人生への捉え方も大きく変わりました。 その後、僕自身も中国に訪問する機会があったのですが、清華大学の数学科の先生との出会いは、私の人生における大きな財産といえます。こ数学教諭なのに筋肉ムキムキの先生でした。あまりにも立派な体格だったので、「なぜそんなに筋肉があるのですか?」と質問をしました。すると、先生は高校時代の写真を僕に見せてくれたのですが、そこには身体がガリガリの人が写っていました。その先生は数学オリンピックで金メダルを取ったものの、文化大革命の時代に西洋資本主義に染まっているとレッテルを貼られ、新疆ウイグル自治区で強制労働に10年間従事することになったそうです。放下期間は数学に触れることを一切禁止され、牛や馬と一緒に荒野を耕し、思想教育を受けたと言います。10年後、解放されてからようやく、数学の研究を再開すことができたそうです。悲惨な経験をしているのに、先生はずっとニコニコ笑顔でいるんですよね。なんでそんなに過酷な経験をしているのに、笑顔でいられるのですかと聞いたら、「君たちが日本から来てくれたことが嬉しいから幸せ」と言ったのです。これを聞いた時、「君が来たから幸せだ」と言えるような人になることが大事だと感じましたね。学生時代のこの経験で、自分の価値観が激変しました。僕は裁判官や検察官になりたくて法学部に進学したのですが、結果として、在学中に司法試験には合格できませんでした。でも、就活浪人はできないと感じていたので、どこかで働かねばならないと思いました。当時は金融業界の景気が良かったので、お金を稼ぐのにはちょうど良いと考えて、一旦、野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)に就職しました。大学を卒業して、また司法試験を受ける予定で就職したんですけど、配属された部署が面白くて、結果、腰掛けで働いていることを忘れていましたね。配属された部署の仕事内容は、中堅中小企業の上場前の社長の調査だったのですが、サラリーマンのような人ばかりではなく、海千山千の粗暴な人が多かったのです。検事を目指していたので、こういう人たちを法で裁いてやろうと考えていた時期もありましたね。でも、その仕事を通して、画期的なアイデアを持った会社や世界のトップクラスの会社、上場して資産家になった人達と出会い、世の中にはいろんな会社があるのだと学ぶことができました。知名度は低い会社でもみんなが日常的に使っている製品を作る会社もあるのだと知るうちに、企業の面白さを感じるようになりました。最初は粗暴だと感じていた上場前の社長も、次第にヒーローのように見えてきたのです。商品は、必ず誰かが企画して作って生まれるもので、情熱や愛なくして存在しません。今、目につくもの全てに創業者がいて、その人が工場を作り、資金調達をし、勝負したから生まれている。多くの人はこれに気がつくことができないんですよね。僕は全ての商品には一つ一つ命が宿っているのだと気がつくことができ、世の中がカラフルに見えるようになりました。そこで、自分も起業に興味を持ちました。でも起業するにはお金も経験も足りないので、外資系の会社を2社経て、36歳で創業しました。 ■商品ブランドを大事にすることが会社を強くする。 起業には信用と信頼が大切なので、創業当初はコンサルティングをやって、次第に、運用事業にシフトしました。現在は、日本で最大級のアクティブ投資信託「ひふみ」シリーズの運用・販売を行っています。お客様は全国でのべ約100万人を超え、日本株のアクティブファンドでは最大級となり、世界株のファンドとしても日本有数の規模になっています。現在のような規模に成長できたのは、一つのブランドを大切に育ててきたからだと思っています。会社のブランドはあるけど、投資信託には商品ブランドがない。だからこそ僕たちは商品ブランドを作ることに注力し、そして「ひふみ」というブランドをずっと伝え続けてきました。最初は「一つのブランドに注力するなんて、藤野くんは分かっていない」と言われ続けたのですが、それは誰も手をつけていないからこそ。逆にチャンスだと思ったんですよね。だからこそ僕たちの会社では商品ブランドとして、「ひふみ」を大切にして事業展開をしてきました。今後の展望として、日本を資産運用立国にしたいのと、成長企業を見出し、長期で支援していくことの面白さを伝えていきたいです。投資はものづくりに関わることでもあるので、そのような投資の魅力を日本の隅々まで行きわたらせたいです。 ■大学生へのメッセージ いろんなことに挑戦してほしいです。「勝つか負けるか」ではなく、「勝つか学ぶか」という考え方が大事です。失敗は学ぶチャンス、失敗を気にして挑戦しないのはもったいないです!あなたの失敗はあなたしか味わうことができないのですから。成功している人は失敗もしています。失敗という投資の先に成功というリターンが隠れていますよ! 学生新聞オンライン2023年10月23日取材 國學院大學1年 寺西詩音

学生新聞インターン

三和酒類株式会社 取締役会長 工学博士 下田雅彦

「体験」を通じて「いいちこ」を全世代・全世界に届ける 三和酒類株式会社 取締役会長 工学博士 下田雅彦(しもだ まさひこ) ■プロフィール 1955年生まれ、大分県出身。大阪大学工学部醗酵工学科卒業後、兵庫県の日本酒メーカーに勤務。1984年にUターンで三和酒類株式会社に入社。専門技術者として焼酎製造技術開発、商品開発、品質管理に従事しながら、1998年に大阪大学工学博士号取得。1999年に取締役に就任後、2017年、オーナー家以外から初の社長に就任。2023年、取締役会長に就任。 下町のナポレオンの愛称で親しまれる本格麦焼酎「いいちこ」を製造・販売する三和酒類株式会社。1979年に発売されたいいちこは40年以上のロングセラーを誇る。今回は取締役会長である下田雅彦様に、長く愛飲されるための秘訣や時代にとらわれないビジネス展開についてお伺いした。 ■発酵に向き合い続け、代表になるまでの道のり 小さい頃、父がお酒好きだったので、私にとってお酒は非常に身近な存在でした。その流れでお酒造りに必要な発酵にも興味を持ちましたね。当時、関西地方で唯一発酵を研究できる国立大学だった大阪大学の工学部に進学しました。発酵学はお酒の醸造以外にも醤油などの調味料を作る工程にも必要なもので汎用性が非常に高いので、将来性を含めて研究に力を入れていました。発酵学を学んでいると、卒業時は日本酒メーカーなどの発酵技術を求められる業界から、いろいろ声をかけられました。その中から灘の日本酒メーカーに入社し、研究所などでお酒を造るために必要な発酵技術の研究や発酵に必要な酵母の研究をするようになりました。その後、27歳の時に高校時代からお付き合いしていた方と結婚をしたのですが、彼女の地元が自分と同じ大分県だったのです。彼女のためにも大分に戻って過ごそうかなと考えていた時に、いいちこ発売4年目の三和酒類から技術職のオファーをいただいたので、Uターン転職しました。三和酒類に入社してからは、研究職を続ける一方で、博士号の取得を目指しました。お酒の発酵の改良のためにというのもありましたが、直属の上司からの指示もありました(笑)。1999年に取締役に就任、2017年より社長を務めた後、2023年10月に取締役会長に就任したのですが、自分は運が良かったのかなと思っています。ただ、ここまでくる大きな要因になったのは、発酵の研究に必要な「選択する」という視点だったように思います。発酵に必要な酵母菌というのは何十億もあり、どの菌が優良な酵母かはわかりません。何十億ある中でいい菌を選び取るという「選択する経験知」を持っていたからかもしれません。 ■いいちこをカジュアルに身近な存在へ 三和酒類のメインの事業は、麦焼酎いいちこの製造と販売で約95%を占めています。三和酒類は4つの蔵元が集まってできた会社なので、焼酎の原酒の豊富さはもちろん、お酒の製造免許を数多く所持しています。ワインや日本酒・スピリッツ(蒸留酒)など色んなお酒を一つの会社で造れるのが強みです。他にも焼酎を蒸留した際の残留液からGABAと呼ばれる成分を発酵生産し、食品メーカーなどへの原料供給も事業として行なっています。いいちこを飲まれているお客さまで1番多いのは60〜70代で、発売当初から飲まれている方々が非常に多いです。ただその方たちは年齢が上がるに連れてお酒を召し上がる量が少なくなる方も出てきます。なので、10年前から30〜40代の世代をターゲットに商品PRを行なっています。その中には焼酎が苦手、飲んだことがない人もいらっしゃるので、いいちこをソーダで割った焼酎ハイボールやお茶割りを提案したり、缶入りのRTDとして販売することで麦焼酎をカジュアルに体験できるようにしています。他にも6年ほど前からフジロックフェスティバルでの出店を行うことで、30〜40代の方たちだけでなく、お酒を飲み始めた20代の方たちや海外のお客様にも体験していただけるようになりました。出店をするたびに提供杯数も増えており、今年は4日間で約9000杯にも到達しました。そのほか、WEBではkoji noteという「麹」や「発酵」についての情報サイトや、Instagramでいいちこの飲み方の提案も行なっています。焼酎はどうしても年齢層が高めのイメージがあるので、音楽などの身近にあるものとコラボして、焼酎も身近な存在と認識してもらえる工夫をしています。 ■いいちこを世界に誇れるお酒へ 現在は30〜40代向けに事業開拓をしていますが、ゆくゆくは世界に誇れるお酒にしたいと考えています。私が入社したときの上司であった和田会長(1991年当時)が「いいちこを世界のお酒にしたい」と仰っていたのがきっかけです。実際にアメリカのバーテンダーさんとコラボをしてバー向けの商品「iichiko彩天」を開発したり、日本国内では[TUMUGI」という焼酎ベースのスピリッツの商品を開発したりしています。他にもボトルのデザインはアートディレクターの河北秀也氏が担当するなど容器にこだわりもありますが、あくまでもお酒ですのでデザインに負けないように三和酒類が誇る多種多様な原酒を用いて魅力的な商品作りを、これからも続けていきたいですね。 ■素直で前向きに、そして謙虚に これから事業を展開していく中で、素直で前向きな人と一緒に働きたいと思っています。先ほどもお伝えしたように、国内・国外問わずに新規事業を展開をしているので、前向きで新しいことへのチャレンジを厭わない人達と働けたら嬉しいですね。また会社の社是に「おかげさまで」という言葉があります。感謝を伝える・謙虚でいることを表しているので、人に感謝をできる人が社風に合っていると思います。 ■成功への道のりは多種多様 今の大学生は自分の将来をしっかり計画している人が多いと思います。ただ、人生は必ずしも思い通りになるわけではありません。目標の達成や成功には多様なルートがあるので、壁にぶつかったら臨機応変に色んな乗り越え方をしてほしいですね。それと自分自身の中で成功体験を反芻して自信につなげてほしいなと思います。成功体験を褒めてくれる人はなかなかいません。なので自分の中で成功体験を繰り返しイメージして、強みに変換しながら自己実現につなげていってほしいです。 学生新聞オンライン2023年9月5日取材 武蔵野大学4年 西山流生

大野詩織

株式会社Globee 代表取締役社長 幾嶋 研三郎 

ビジネスはやってみないと分からない!だからこそ、チャレンジする 株式会社Globee 代表取締役社長 幾嶋 研三郎(いくしま あきさぶろう) ■プロフィール2015年3月に慶應義塾大学法学部卒業。2014年6月、大学在学中に株式会社Globeeを創業。英語学校の運営を通して、IT×英語教育の可能性を感じ、現在は『学習量×学習効率の最大化』をミッションとしたAI英語教材「abceed」と、『学習支援効率の最大化』をミッションとした反転学習プラットフォーム「abceed for school」の開発を行う。 最短での英語力UPを支援する、AI英語学習サービスのabceedを手掛ける株式会社Globee。AIを活用することで、利用者一人一人にパーソナライズされた効果的な英語学習を提供している。前向きで真摯に取り組む姿勢が印象的な幾嶋社長に、大学在学中の起業に関するエピソードや会社の強みを伺った。 受験英語は自信がありましたが、大学に入学してみると、帰国子女や留学生を含む、英語が流暢な非ネイティブスピーカーが多くいることに驚きました。そこではじめて自分のスキル不足を痛感し、大学時代に実践的な英語力を磨くことを志しました。具体的には大学1年生の終わり頃からフィリピンでの短期留学を経験し、国際交流サークルで留学生の友達を作りながら英語学習に取り組んでいましたね。その結果、英語を「話す」・「聞く」能力が飛躍的に向上し、自分の英語力に自信がつくようになり、多くの人から英語力向上の方法を尋ねられました。それが結果的に英語教育に関心を持つきっかけになったと思います。その後、大学3年生から英語教育を広めるために、大学生や社会人向けの国際交流イベントやディスカッショングループの運営などを積極的に展開していきました。それがGlobeeの創業に繋がっています。起業に関してですが、在学中でも会社を立ち上げることは可能であり、制約はなかったので、起業しない理由はありませんでした。しかし、「なんか起業ってかっこいいな」という漠然とした思いがきっかけで会社を作ってしまったので、時折、無名な会社の代表取締役でいることは世の中に大きな影響を与えられているのかという疑問を持つ瞬間もありました。 ■イノベーティブな事業にシフト 最初は国際交流イベントと英会話教室の運営からスタートしました。友達や留学生をアルバイトの講師として雇用し、自らも講師としてレッスンと教室の管理を行っていましたが、色々なトラブルが発生し、思うように授業を進められない日々もありました。その際、自身の時間に依存せず、かつストレスを最小限に抑えながら事業を展開する方法を模索する必要があると感じ、マネジメントコストを削減し、より効率的な事業展開が可能であるソフトウェア開発への転換を選択しました。また、自社の存在意義を考えた際に、他の英語教室との差別化が不十分で、革新的な要素が欠けていることに気付きました。そこから、「英語を習得したい人が実際に英語を習得できていない」という英語教育産業の課題に注目し、AIなどのテクノロジーを活用することで、学習効率を大幅に向上させようというアイデアが生まれました。この英語教室を立ち上げた経験があったからこそ今があると思っています。「ビジネスはやってみないとわからない」ということに気づきましたね。 ■泥臭い努力を積み重ねる abceedの正式ローンチまでの約1年5か月は、本当に大変でした。最初はアプリ開発の方法も分からなかったので、周りのエンジニアの友達に声をかけたり起業した人に話を聞いたりしていました。その中で、会社に入ることで優秀なエンジニアと出会えると思いソフトバンクに一度入社し、そこで現在弊社のCTOを担当する上赤に出会いました。また、abceedの魅力であるAIを作る上で重要視していたのが、コンテンツ、学習ツールとしてのソフトウェア開発、ユーザー獲得の3つの要素です。しかし、コンテンツのライセンス取得の問い合わせを全部断られたり、ローンチ後も1か月に30ダウンロードあるかないかの時期があったりと、苦難の連続でした。その中でも、愚直な努力を積み重ねて1つ1つの課題を解決していったことが、現在に至る大きな要因だったのではないかと思います。abceedの他社との差別化ポイントは、圧倒的なデータ量とコンテンツの質だと自負しています。現在、私たちのデータベースには約15億件分の学習データが蓄積されており、このデータ量の多さを誇りにしています。利用者の年齢層は、学生が全体の約4割を占め、残りの6割は社会人です。中には中高生も利用しており、一部の学校でもabceed for schoolが導入されているため、学校を通じて利用されている方も増えています。 ■英語のハードルを下げたい 受験勉強で一生懸命英語の勉強をしたにもかかわらず、実際に英語を使う場面で自信を持てないという課題を払拭したいと考えています。これまでも小中高校生から大学生、社会人まで、幅広い年齢層の方が必要とする英語スキルを網羅できるようなコンテンツのバリエーションを増やすことに、非常に力を入れて取り組んできました。これからも学生時代からabceedを活用することで、社会に出てからもスムーズに英語を使えるレベルに到達できるよう、英語の壁を低くし、汎用性のある英語力を身に付けられるようなサービスにしていきたいですね。そのためにコンテンツのバリエーションを増やすことや、機能面をブラッシュアップしていくことを続けていきます。また、グローバルに事業を展開し、世界中の人が信用してくれるようなグローバルブランドを作りたいです。そして、現在約10万人弱の有料会員数を、100万人にすることを一つ大きな目標として持っています。新卒採用はまだ行っていませんが、選考の際には、仕事をする上でのプロ意識、つまり責任と誇りを持って自分の仕事に向き合っているかを非常に大事にしています。自分で自分の仕事に価値を見いだせない人が、よい仕事をできるとは考えていないため、役職問わず自分の仕事に対してどういう気持ちで向き合ってきたのかを重要視したいです。 ■大学生へのメッセージ リスクを取ろう、チャレンジしようと伝えたいですね。難しいとは思いますが、大人になると自分のためだけに挑戦することができなくなってくると思いますし、何か大きなことを成し遂げるには、ある程度のリスクを取る必要があると思います。志や自分の追い求める夢などがあるのであれば、ぜひ積極的にチャレンジしてみてほしいです。 学生新聞オンライン2023年9月14日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

学生新聞インターン

株式会社 資さん 代表取締役社長 佐藤崇史

大切なものを守りながら絶えず進化させていく 株式会社 資さん 代表取締役社長 佐藤崇史(さとう たかふみ) ■プロフィール 広島県出身。1997年慶應義塾大学環境情報学部卒業。ソニー株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て、2006年株式会社ファーストリテイリングに入社。経営変革/人事/店舗運営/社長室等の責任者を歴任し、変革を推し進めた。2018年3月北九州のソウルフード「資さんうどん」を運営する株式会社資さんの代表取締役社長に就任。同社の第二創業をけん引する。 「資さんうどん」は1976年に北九州で誕生し、絶大な人気を誇るうどんチェーン店。現在は九州・山口・岡山で64店舗を展開しており、11月には関西1号店を大阪市内に出店する予定だ。経営理念である「幸せを一杯に。」という使命のもと、常に美味しさへの挑戦と進化を続けている。「北九州のソウルフード」とも呼ばれるまでに、多くの人に愛されている「資さんうどん」。運営会社である「株式会社資さん」の佐藤崇史社長に、これまでの経歴や「資さんうどん」の魅力についてお話を伺った。 幼少時代は広島で過ごし、中学は慶應義塾普通部に入学。高校はエスカレーターで慶應義塾高校に、大学は当時新設されたばかりの慶應義塾大学環境情報学部に進学しました。大学では、2年でケガをして早めの引退をするまでは高校からはじめたアメフトに、後半はゼミの活動に没頭することになるのですが、その中でも様々なアルバイトも経験しました。人材会社で営業の仕事をしたり、引越し、某放送局等、とにかくいろんなことに挑戦していましたね(笑)。様々な経験は、その後の仕事にも活きていると感じます。当時の私は、アメフトの経験を通じて、チームで戦略を立てることや組織作りに興味を持つようになり、組織・人事論がテーマのゼミに所属していました。その中のプロジェクトでソニーの方と関わる機会があったのですが、お話を聞く中で、ソニーの方が目を輝かせながら言われた「ソニーでの仕事を通じて世界を変えていきたい」という熱い言葉に魅力を感じたことがきっかけで、大学卒業後はソニーに就職しました。ネットが普及し始めて変革する時代の中で、様々なことに挑戦できたことはとても楽しく、刺激的な毎日だったと記憶しています。しかし、働いている中で、自分は期待に十分に応えられているのかという葛藤と共に、仕事をしながら勉強できる環境で、さらに成長したいという思いが生まれてくるようになりました。ソニーで4年間働いた後、もっと世の中に貢献できる人材になりたいと決意し、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に転職しました。世界を舞台にトップ企業の優秀なお客さまや仲間たちと過ごした日々は、とてもやりがいを感じるものであり、自分の成長にも繋がった6年間だったと思います。BCGで働く中で、日本がかつてのように世界の経済をけん引するような勢いを取り戻すことが出来ないかと考えるようになりました。そして、これまで経験したことや学んだことを活かし、日本発の企業にコミットして、日本の成長に貢献したいという思いを持つようになりました。その気持ちを、ファーストリテイリングの柳井さんに直談判しに行き、熱意が認められてファーストリテイリングで働き始めます。以来、10年間、様々な仕事に取り組ませて貰いました。ユニクロ時代に九州へ出張する機会があり、同僚から「美味しいうどんがある」と教えてもらって食べに行ったのが「資さんうどん」でした。これが「資さんうどん」との初めての出会いでしたね。「こんなに美味しいうどんがあるのか!」と感動したことを今でも覚えています。うどんだけではなく、他のメニューもとても美味しかったです。お店の中は活気と暖かさであふれており、今まで味わったことのない美味しさとその雰囲気がとても魅力的でしたね。その後、「資さんうどん」の経営者になってくれないかというお話を頂いたときには、とても嬉しかったです。このうどんの魅力は日本の財産であり、その宝をもっとたくさんの人に知っていただきたいという思いがあったからです。 ■愛される「資さんうどん」をこれからも守り続ける 「資さんうどん」は北九州のソウルフードであり、多くのお客さまに本当に深く愛されています。資さんうどんを食べに行くことを「スケる」という造語も生まれているほどです(笑)。従業員さんも、お客さまも、深い愛情を持ってくれています。「資さんうどん」に関わってくれる方たちを笑顔にしたいという思いが、今、仕事を頑張れる原動力になっていますね。より多くのお客さまに、より深く「資さんうどん」を好きになってもらうためには、お客さまの声を知ることが必要です。日々、お店や本社に寄せられるお客さまの声はもとより、SNS等で発信されているご意見ももちろんですが、実際に、新しくお店がオープンした際には店頭に立ち、直接感想を聞くことも心掛けています。また、今年の7月には、新たな取り組みとして、お客さまと直接コミュニケーションが出来る場を持とうと初の「ファンミーティング」を実施しました。お客さまから伺った生のお声を、商品開発や店舗運営に活かしていければと思っています。また、お客さまだけでなく、従業員さんの声を聞くことも大切にしています。働いている理由や、「資さんうどん」に感じる魅力、気になっていること等を定期的に聞いて、取り入れられることがないかを常に意識しています。みんなの考えていることを知ることが、愛される理由を突き詰めていけるコツかもしれません。創業者がお客さまに喜んでもらえるようにと、味やメニューにこだわり続け、お客さまの期待に応えてきた結果として、今の味や雰囲気が作られています。今ではメニューも100種類以上に増えました。長い間愛されているうどんには沢山のこだわりが込められています。出汁は鯖節や昆布、椎茸等の素材の旨味を強く感じることができる味わいで、表面はなめらかで、中はモチモチとした食感の麺も、他にはない特徴だと思います。うどんだけではなくカツとじ丼やぼた餅も、資さんうどんの名物として知られています。これから、九州以外の地域にも店舗展開を拡げていこうという動きの中、商品のへのこだわりや味がぶれない様に、そして創業からの思いが薄れていかないように、我々が大切にしていることが経営理念です。全員が同じ軸を持ち、経営理念の体現に取り組んでいくことで、出店エリアが広がっても、創業からの歴史や成り立ちを知らない従業員さんが増えたとしても、「資さんうどん」であり続けられると思いますし、これまで培った伝統をさらに進化させ続けることができると思います。大切なことは残しつつ、変わりゆく時代やニーズに応えられるように、進化し続けていきたいと思っています。今後の目標は、「北九州の資さんうどん」から「九州の資さんうどん」、ひいては「日本の資さんうどん」にしていくことです。そのためにも少しずつですが、着実にエリアを拡大していきます。私たちの自慢の味を、ひとりでも多くのお客さまにお届けし、多くのお客さまに愛されるうどんチェーンを目指します。 ■学生へのメッセージ 今しか出来ないことに沢山チャレンジしてください。無理して背伸びする必要はありません。今の環境の中で自分が出来ることに一生懸命に取り組むことは、必ず将来に繋がるし、一生懸命にやったことは誰かが見ています。毎日を全力で過ごすことで結果はついてきます。いざチャンスが来たときにそれをつかめる人になってください。そのチャンスをつかむことが、自分の大きな成長に繋がります。 学生新聞オンライン2023年8月17日取材 立教大学3年 緒方成菜

学生新聞インターン

株式会社リアルゲイト 代表取締役 岩本裕

古い不動産に新しい価値を 株式会社リアルゲイト 代表取締役 岩本 裕(いわもと ゆたか) ■プロフィール 一級建築士、東京都市大学(旧武蔵工業大学)工学部建築学科卒業後、大手ゼネコンで、現場監督とアメフト選手として活動、その後デベロッパーにて土地の仕入れから企画販売を一貫して経験。2009年8月、「the SOHO」の運営を機に当社設立。代表取締役就任、2021年7月サイバーエージェントグループに参画、現在に至る。趣味はバスフィッシングと筋トレ(ベンチプレスは150㎏) 小さなシェアオフィスから始まった、遊休不動産の再生事業を行う株式会社リアルゲイト。ゼネコンやデベロッパーなどの経験を経てスタートした岩本裕代表に、ご自身が起業して上場するまでに至った経緯と仕事への思いを伺いました。 高校生の頃から大学は建築の道へ進もうと考えていました。当時は理系の勉強が好きで、同時に画家である母の影響を受けて絵を描くことも好きでした。次第に「理系分野が好きで、絵を描くことも好きならば、将来は建築が合っているのではないか」と思うようになります。さらに、せっかく大学に行くなら大学らしいスポーツがしたいと思い、小さい頃よく見ていたプロレスや格闘技を思い出して、体を張って競技するアメフトをやりたいと思うようになりました。そこで、建築学科があり、なおかつアメフトができる大学はどこかと考え、東京都市大学(旧武蔵工業大学)に進みました。ただ、大学時代はスポーツに夢中になってしまって、ほとんど勉強しませんでした(笑)。その影響もあり、建築学科で一番人気がなかった材料系の分野に進みました ■ビジネスマンとして負けたくない 当時はアメフトやラグビーのチームを作っているゼネコンがいくつかあり、その中の1つである大手ゼネコンに就職しました。建設現場の現場監督をしていましたが、土日出勤は当たり前でした。朝8時から職人さんたちをまとめてラジオ体操をし、夜の5時からは製図などを行います。水曜の夜や、週末にアメフトの練習もしていたので、本当に過酷な日々でした。でも、現場において、鉄筋や型枠、内装工など様々な職種の職人さんをまとめて1つのものを作っていく経験は本当に役に立ちました。当時は、仕事とアメフトを両立できていたので、「自分は仕事ができる人間だ」と勘違いしていました。入社から3,4年経って、アメフトの有名な選手が入ってくると、試合の出番も次第に無くなっていきました。仕事だけになると、できる方でもなかったので、「もう一度社会人として、ビジネスマンとして負けないようにレベルアップしよう」と思って転職を決意しました。 ■自分で作った物を売りたい 転職活動をしたのは、余っていた有給期間を消化していたときです。並行して宅建士や一級建築士の資格も取り、大手マンションデベロッパーに就職しました。資格を取ったからといって、図面を書けるわけでも、実務ができるわけでもないですが、資格を取ったことでなんとなく自信が持てるようになりました。転職先では施主としての工事監理もやりましたが、評価されやすいのは営業部門です。自分自身も評価される仕事がしたいと思っていたので、入社2年目に自ら志願して営業部門に移りました。すると、これまで技術的な部分の仕事をしていたこともあって、人よりも説明が明確にでき、営業で結果を出すことができたのです。人よりも圧倒的に売れて評価されることが面白くて、夢中になって営業をしていました。しかし、だんだんと仕事がつまらなくなっていってしまったのです。一級建築士の資格を持った上で、技術面や営業面もある程度理解できるようになってきたことで、いつしか「自分で土地を仕入れて、販売したい」と思うようになりました。そこで2度目の転職をすることになります。 ■迫り来る世界恐慌とリアルゲイトの創設 次の転職先は少し規模が小さい会社だったので、自分のやりたいことをやりやすい環境でした。自分の描いた通り自分で土地を仕入れて、それを販売して、利益を得る、正に自分が主体となってできる会社でした。しかし、2008年のリーマンショックによって、当時勤めていた会社が民事再生の対象になってしまいました。その時に再転職も考えましたが、独立するチャンスだと思い、リアルゲイトを創設しました。最初の事業はスモールシェアオフィスビジネスでした。いまから約15年前で、不動産の法人登記も1円からできるようになっていました。そのこともあってマンション内で法人登記をしたいという人が急増し、分譲マンションでは法的に法人登記ができないので、気軽に法人登記ができる小さなシェアオフィスを作ればニーズがあると思い、起業にいたりました。今では「古いものに価値を 不動産にクリエイティブを 働き方に自由を」という理念のもとに、古い不動産を収益性の高い不動産に再生する事業を展開しています。 ■ワンチームで作り上げる楽しさ リアルゲイトの強みは、不動産再生の企画から設計・建設、その後の運営までを一気通貫で行う点が挙げられます。これは各分野の専門家が1つのチームとなって、ほぼ社内完結で再生事業ができるからこそのものだと思っています。さらに、作りたいものをお互いに提案しあって、一つのものを作り上げることは、本当に楽しい作業だと思います。新卒で入社した社員もチームの一員として自分なりの意見をぶつけて、主体性を持って取り組んでいける環境になっているのではないでしょうか。 ■大学生へのメッセージ 将来の仕事に対して、「安定していて、自分に向いている仕事をしたい」と思う人も多いかもしれません。でも、恐らく自分に向いている仕事はないと思います。「向いている仕事はないかな」と探すことは、「どこかにお金が落ちてないかな」と探すことと同じで、なかなか見つかりません。ただ、どこかの企業に就職して、自分にできることが増えていくと、自分の向き・不向きがわかってきます。なので、とにかくチャレンジをして、トライしてから考えて、また実行するということが大切だと感じます。その繰り返しで本当の実力をつけることが、世の中でいう「安定」につながるのではないでしょうか。 学生新聞オンライン2023年9月20日取材 立教大学4年 須藤覚斗

学生新聞映画大賞

第1回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第1回 学生新聞映画大賞」表彰式を2023年10月17日(火)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・小学生新聞発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第1回 学生新聞映画大賞とは> 2023年1月1日~6月30日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。10作品の中から上位3作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品> ■怪物■東京リベンジャーズ2血のハロウィン編-運命-/-決戦-■劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』■わたしの幸せな結婚■岸辺露伴ルーヴルへ行く■レジェンド&バタフライ■なのに、千輝くんが甘すぎる■湯道■ネメシス黄金螺旋の謎■水は海に向かって流れる ©2023「怪物」製作委員会 / ©和久井健/講談社 ©2023 フジテレビジョン ワーナー・ブラザース映画 講談社 / ©2023劇場版「TOKYO MER」製作委員会 / ©2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会 / © 2023「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社 / © 2023「THE LEGEND & BUTTERFLY」製作委員会 / ©2023「なのに、千輝くんが甘すぎる。」製作委員会 ©亜南くじら/講談社 / ©2023 映画「湯道」製作委員会 / ©2023映画「ネメシス」製作委員会 / ©2023映画「水は海に向かって流れる」製作委員会 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ / タマノイ酢 / ニューバランス / アデランス / アンファー / 杉本食肉産業 / マルハン...

大野詩織

ワーナー ブラザース ジャパン合同会社 社長兼日本代表 高橋 雅美

新しい価値で日本を世界のクリエイティブセンターに ワーナー ブラザース ジャパン 合同会社 社長兼日本代表ワーナーブラザース・ディスカバリー・ジャパン カントリーマネージャー高橋 雅美(たかはし まさみ) ■プロフィール 広告会社、コカ・コーラを経て、2000年よりエンタテインメントビジネスに従事。ディズニー時代は『アナと雪の女王』『ベイマックス』等のディズニーアニメーションビジネスの再構築をリード。2015年ワーナーブラザースジャパンに参加。2016年社長兼日本代表に就任。360度ビジネスを標榜し、ハリー・ポッタースタジオツアーやゲーム等、エクスペリエンスビジネスを含む『ハリー・ポッター/魔法ワールド』フランチャイズビジネスの構築及び邦画、アニメ等ローカルコンテンツ制作の強化、世界に向けての発信等に取り組んでいる。1959年東京生まれ。 数多くのヒット作を手掛けるワーナー ブラザース ジャパン合同会社(以下、ワーナー)。近年は、日本発の映像作品を世界に出していきたいという思いから邦画の製作にも力を入れている。また今年オープンしたハリー・ポッター スタジオツアー東京等フランチャイズビジネスの構築を進めている。様々なキャリアを経験されてきた高橋社長 兼 日本代表に、多くの人に映画を楽しんでもらうための工夫やこれからの展望について伺った。 大学では海外に興味があったことから国際政治を学びました。ポリティックスから精神分析学が好きになり、自分で本を読んで勉強もしました。また、時間がたくさんあったことや、好きなようにしなさいという親の考えもあったので、いろいろなアルバイトや雑誌を読む、好きな映画・音楽鑑賞、スポーツ観戦などをしていました。これらは、結果的に将来に役立っていると思います。 ■映画会社で働けるとは思っていなかった 大学卒業後は、好きなアートの世界で活躍したいと思っていました。海外が好きだったこともあり、外資系の広告会社に入社しました。仕事内容がとても面白く、13年の間に海外のマーケティングや広告的目線を意識したものづくり、英語など必要なことをすべて教えてもらったと思います。ずっと広告会社で働くつもりだったのですが、30代後半に日本コカ・コーラに誘われ、クリエイティブディレクターとして広告制作の責任者になり、CM撮影や新商品の広告制作を行いました。アメリカにCM撮影に行った時に、隣のスタジオではものすごい規模の映画を撮っていました。見学をさせてもらった時に「すごいな、自分もこういうところで働けたらいいな」と思ったのを覚えています。ただ、映画はずっと好きでしたが、映画会社で働けるとは正直思っていませんでした。その次に、今でいうeスポーツがやりたくてEAというFIFAサッカーなどのスポーツゲームを製作している会社に入りました。時期尚早という感じで思ったほど普及はしませんでしたが、個人的にはとても良い経験になりました。その後、ディズニーで11年働き、映画やホームエンターテインメントなど色々な仕事を学びました。そして映画製作をしたいと思いワーナーに入り、今年で8年になります。撮影時などにスタジオに行くと自分の好きなことをやらせてもらっている幸運を感じます。映画の製作に関わる大きな決定をいくつもする立場なので、素晴らしい映画を多くのお客様に良い形でお届けできるよう全体で考えた経営を心掛けています。 ■映画のメッセージでお客様を包み込む 今一番大きなビジネスなのは、ビックスクリーン&デジタルと言う、映画館とSVODと呼ばれる配信サービスです。そして、他社との違いは邦画と洋画の両方を取り扱っている点や、テレビドラマやアニメもしている点です。そのほかにも、商品やカフェなどのタッチポイントを増やすことで、映画のメッセージで多角的に消費者を包み込みフランチャイズを構築する360度ビジネスを展開しています。ハリー・ポッターのスタジオツアーや赤坂のハリー・ポッターカフェやショップなどの街づくりがその一例です。昔は洋画が7割ほどだったのですが、今では弊社で取り扱う作品は邦画が半分以上になっています。これは邦画を観る方が増えたことを受けて、ポートフォリオのバランスを考える必要があると思ったことと、日本の作品を世界に出していきたいということが理由として挙げられます。映画を製作する際は、いろいろな観点から考えています。過去にどのような作品がヒットしたのか、世の中がどのように動いているのかなどを参考にしつつ、エンターテインメントならではのユニークさも必要です。ヒットする作品を作るのは、総合的な視点は欠かせないなと思います。ワーナーの素晴らしいところは、会社全体に「良い映画を作りたい」というDNAがあることと、ピンチをチャンスに変えることです。会社として何がしたいかがはっきりしていて、うまくいかないかもしれないけどみんなで頑張ってみようという共通認識があります。ワーナーの100年の歴史を見ていくと、ヒット作に恵まれないなど厳しい時代は何度かありましたが、『マトリックス』など今までとは違う映画を製作するなど、新しいことに挑戦して、そのたびに道を切り開いてきたように思います。 ■ユニークな視点が必要 弊社で働く方には、ユニークな人に来てほしいと思います。優秀な方には、人と同じことが人よりもできる人と、人とは違うことができる人の両方がいると思います。しかし、今までと同じことはせず、新しい価値を作っていく必要があるので、事務能力の高さというよりは、新たな企画や戦略、ビジネスモデルの考案など新しい価値を作ってくれる人が必要です。外資系の会社で働いてきたこともあり、やはりユニークな視点が必要ですね。私の目指している新しい価値は、日本を世界のクリエイティブセンターにすることです。アメリカの素晴らしい映画を日本で紹介するというコアのビジネスを大きくするのはもちろん、事業を発展させるにはコアのビジネスと新しいことの組み合わせが大切だと思っているので、新しいビジネスにもいろいろと取り組んでいけたらと思っています。コアのビジネスに関しては、私どもはバラエティの会社と呼んでいます。一つのジャンルだけを追求するのではなく、これからもいろいろなジャンルに挑戦していきたいですね。 ■学生へのメッセージ 好きなことにチャレンジされる方が力を出せると思うので、ご自身の好きなことをやってほしいと思っています。今からご自分が情熱を傾けられるもの、得意だなと思うことを探してほしいと思います。それは必ずしも大学生のうちに見つかるとは限りません。20代でも30代でもいいと思います。パッションを持てることを見つけられたら、それに一生懸命に取り組んでみてください。 学生新聞オンライン2023年9月4日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

コラム

テリー伊藤 コラムVol.13  英国紹介の古い本見つけました

押入れを探っていたら25年前の本が出てきた。『英国の一流品The BRITISH BEST』(読売新聞社1998年発行)。綺麗な写真構成のカタログ本になっている。英国王室御用達ブランドから始まりWEDGWOOD、ROYAL DOULTONなどイギリスが世界に誇る陶磁器類や、花柄でお馴染みのLAURA ASHULEYのカーテンやソファー、超高級車ロールスロイスの革張りシートで知られているCONNOLLY社のバッグなどの逸品が頁を埋めている。ファッション界ではVIVIENNE WESTWOODやKATHARINE HAMNETT。全く古く感じないデザインのPAUL SMITH、Burberrysも紹介されている。自動車界ではロールスロイスからミニまで網羅されているのだ。もちろんイギリス人が最も好むアフタヌーンティーの、格調高い紅茶の数々も。押入れ掃除の途中にも関わらず時間を忘れて古本に釘付けになってしまった。 私が一番驚いたのは25年前の商品だというのに全く色褪せて感じないことだ。普通古い日本のファッションカタログ誌を見た場合、なんとなく時代遅れの感じがするが、それが全くない。それどころか伝統を今に継承しているスタイルにホッとした気分と憧れ感が沸いてくるのだ!これって凄すぎる。日本もイギリスと同じくらい伝統はあるのに。私は流行りの物も大好きだが、この本を読んでいて「伝統を次の世代に伝える意識」が羨ましくなった。 何故なんだろう。日本でイギリス的ライフスタイルができないのは、残念ながら生活環境が違い過ぎるからなのでは。例えば洋服やカフェひとつにしても、ユニクロやスターバックスは大人気でどこのお店も混雑しているが、ジェームスロックの帽子を傍らに置いて優雅に花柄のカップ&ソーサ―で紅茶を飲んでいる人を昼時全く見かけない。私が大好きだった日比谷にあったスコーンが美味しく、紅茶ポットが冷めないようにキルト製ティーポットウォーマーをかぶせてくれた、街の素敵なティールームも無くなってしまった。寂しい。 こんな時代だからこそ伝統を感じる英国スタイルが必要なのでは。価値観を変えるトップファッションも人類の進歩には必要な事だけど、温故知新のことわざを省みることで実は新たなビジネスチャンスが眠っているのでは! 私、人間の感性は意外と進んでいないのではと最近思う。世界中で大人気の新型ミニも初代ミニのスタイルを限りなく継承している。実は統計学的にも世界の80パーセント以上の高額購買者は保守的という数字が出ているんです。イギリス人は古臭い、保守的などと揶揄されますが、もしかしたら世界で一番人間の本質を掴んでいるのかも。そんなことを押入れの前で考えていました!それにしてもポールスミスの細身の黒のタキシード欲しいな~!着ていく所ないけど! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

全国信用協同組合連合会 理事長 北村信

信用組合の要として全国の地域と人々をサポート 全国信用協同組合連合会 理事長 北村信(きたむらまこと) ■プロフィール 1984年3月 早稲田大学政治経済学部卒業、同年4月 大蔵省(現財務省)入省。2019年7月 関東財務局長、2021年7月 全国信用金庫協会 専務理事を経て、2023年6月 全国信用協同組合連合会 理事長に就任。 全国に145ある信用組合の系統中央機関として、日本の金融の一翼を担う全国信用協同組合連合会。その理事長である北村信氏は、金融・財政・震災復興など様々な行政分野に携わり、関東財務局長などを務められた経験がある。信用組合が社会で果たしている役割や信用組合がなくてはいけない理由、そして、信用組合の今後について北村氏に話を伺った。 ■今に繋がるきっかけは行政学 大学時代は、政治や経済などを学びたいと考え、法律を学んでいました。より見聞を広めたいと思い、学内で行われていた著名な方の講演会にも積極的に参加していましたね。様々な勉強を続ける中で、特に関心を抱いたのは、政治学や経済学、社会学的な面を持ち合わせている行政学でした。大学3年生の時には行政学のゼミを取って、より深く学ぶようになったため、その頃から行政を職業の一つとして考えるようになったのだと思います。同じ年に公務員試験に合格したことから、官庁訪問をして、全ての役所を自分の目で見ることができました。その中でとりわけ惹かれたのは大蔵省(現財務省)と警察庁でしたね。一時は警察庁に行くことを決めていましたが、大蔵省の方から強い誘いがあったことで大蔵省への入省を決めました。2020年に財務省を退官してからは、農林中金総合研究所や全国信用金庫協会で働いていました。偶然ですが、どちらも「協同組織金融機関」と呼ばれる金融組織だったんです(笑)。 ■信用組合のサポートを通じて、地域を支える 現在、私が理事長を務める全国信用協同組合連合会(以下略 :全信組連)や我々全信組連がサポートする信用組合も協同組織金融機関の一つです。銀行と同じように預金や融資などの役割を担っていますが、最大の違いは組合員(お客さま)の利益を第一に考えているということ。一般的な銀行は株主の投資で成り立つ株式会社であり、営利を目的としていますが、信用組合は組合員をサポートすることが一番の目的です。そして組合員のサポートを通じて地域社会に貢献するという役割を持っています。私は、最も地域密着な金融機関は信用組合だと考えています。地域に密着しないと、信用組合としての役割を果たすことができないからです。信用組合は全国に145ありますが、それぞれの営業地域や、対象となる組合員はすべて異なります。例えば一定の地域の中で事業者や生活者を組合員とする“地域信用組合”のほか、警視庁や警察庁などの職員たちを組合員として一つの信用組合をつくっている警視庁信用組合のような“職域信用組合”など、様々な金融機関があります。このため、各信用組合が組合員に望まれるサービスはそれぞれ異なるものです。全ての信用組合の違いを認識し、それに相応しいサポートを考えることが、我々にとって最も重要な役割だと考えています。営業地域が限られた個別の信用組合だけで組合員へのサポートを考える際に、知見が足りないことも稀ではありません。そこで様々な情報を集めている系統中央機関である全信組連が、他信用組合の事例を紹介したり、あるいは全信組連の職員が信用組合に出向したりと、人的な支援も行っているのです。 ■社会の変化と共に変わる 財務省在籍時に、信用金庫や信用組合の監督を務める財務局の局長を2回経験したことは、地域金融機関の役割や課題をよく知る良い機会だったと思っています。現在、理事長という立場に就いたからにはこれからその経験を存分に生かしていきたいと考えています。地域社会にとってコロナは非常に大きなショックであり、地域の中小事業者の方たちにとっても売り上げが激しく落ち込むなど大きな変化を経験しました。そんな中、地域や職域などのコミュニティが求めるものに的確に応えられる信用組合は、なくてはならないものです。コロナだけでなく、少子高齢化やSDGsなど様々な変化がこの社会に訪れており、その中で信用組合に求められるものは何か、それをサポートする我々の役割はどうあるべきかを全国の信用組合と共に考え、取り組んでいきたいと考えています。学生からの認知度はあまり高くはないですが、全信組連では新卒採用も行っています。私たちは145の信用組合が何を一体求めていて、彼らの抱える課題は何かということを認識し、必要なサポートを提供しなければなりません。そして個別の信用組合とのコミュニケーションも重要です。だからこそ、一緒に働く方は、コミュニケーション能力と知的好奇心、そして金融機関としての業務に対する興味や理解がある方が望ましいですね。 ■大学生へのメッセージ    私が大学生の時には会社での出世を仕事における目標とする人がほとんどでしたが、皆さんの世代には自分が果たすべき役割を探し求めながら、社会貢献を目指している人が多い気がします。そんな皆さんの活躍に期待するとともに、是非国外にも目を向けていただきたいと思っています。昔に比べて我々を取り巻く環境は、ますますグローバル化してきています。そんな変革期にこそ、変化のスピードが一段と早い外国の事情にも精通していなければなりません。世界には日本と違う成り立ちの国々があり、多様な人たちによってこの社会が成り立っているのだと認識しなければならないのです。コロナウイルスの影響で国内に目が行きがちですが、できるだけ広い視野を持ち、グローバルな社会の中で自分たちは生きているという意識を若い皆さんに持っていただきたいです。我々の世代では出来なかったことでも、今の若者は達成できます。大谷翔平選手のように、アメリカで大活躍するスポーツ選手もいるのです。今までとは違い、様々な分野で活躍できる世界が広がってきている証拠です。ぜひ皆さんも果敢に挑戦を続けてください。 学生新聞オンライン2023年8月22日取材 国際基督教大学1年 若生真衣

大野詩織

デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社 代表取締役社長 斎藤 祐馬

グローバルなプロジェクトを通して新たな会社を生み出す デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社 代表取締役社長 斎藤 祐馬 (さいとう ゆうま) ■プロフィール慶応義塾大学卒業。2006年、公認会計士試験に合格し、監査法人トーマツ(現・有限責任監査法人トーマツ)入社。2010年よりトーマツ ベンチャーサポート株式会社(現 デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社)の事業立ち上げに参画。2019年デロイト トーマツ ベンチャーサポート 代表取締役社長に就任。公認会計士。 国内最大級の規模でベンチャー企業への支援を行っているデロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社。会計士としての知識と数多くの経営者との会話やグローバルな視点で、ベンチャー企業の成長支援と日本経済の発展に取り組んでいる。早い段階で進路決定を行い、事業の立ち上げも行った斎藤祐馬社長に、新たな取り組みや今後の展望などを伺った。 中学生の時に父が脱サラして事業を始めたことや、高校1年生の時に公認会計士について書かれた本を読んだことなどがきっかけで、将来は経営者の支援をしようと決めていました。そこで、まずは公認会計士を目指すため、当時会計士の輩出が多かった慶応義塾大学経済学部に入学しました。将来の進路を決めたのは早かったかなと思います。大学在学中は公認会計士試験合格に向けて勉強に専念し、在学中に試験にチャレンジしましたが合格できませんでした。卒業後に3回目の試験を受けたものの受からず、3回分の奨学金を使い果たす一方で、コンサルティングファームで内定をもらったため、一度はこの会社に入社しようと思っていました。すると、母親が「もう一年頑張りなさい」と貯めたお金を差し出してくれました。それをきっかけに、コンサルティングファームの入社はとりやめ、アルバイトをしつつ平日1日15~16時間猛勉強をして、やっと公認会計士試験に合格することができました。試験には全く自信がなく合格発表も見に行かなかったほどでしたが、合格者にだけかかってくる監査法人からオファーの電話を夕方に受け、その場で泣き崩れたことを今でもよく覚えています。この2年間は大変でしたが、自分にとってよりやりたいことがクリアになりましたね。監査法人トーマツ(現・有限責任監査法人トーマツ)に入社後は、仕事が終わった夜や土日に業務外で多くの経営者と会いニーズを聞いてはできることをするという形でベンチャー支援を始めました。その後、4年の準備期間を経て、社内新規事業として社内で休眠していたトーマツ ベンチャー サポート株式会社(現・デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社、以下DTVS)の再立ち上げに参画し、自分がやりたかったことを社内の新規事業として形にしていきました。2006年当時はベンチャー企業が一番苦しい時期だった一方、経営者のビジョンを聞き、支援を行うことが面白かったです。この時期に生まれた会社は今も活躍している会社が多いですね。 ■新しい会社を生み出していく 日本では時価総額トップ10、トップ100の企業の顔ぶれは30年以上変わっていないのですが、アメリカや中国を見てみると、30年前にはなかった会社が現在上位を占めています。今までにない会社が誕生し成長していくことが原動力となり、社会全体が成長しています。そのため、2030年までに日本の時価相場トップ10,トップ100の会社を塗り替えていくような、新しい会社を生み出す手伝いがしたいと思っています。当社は、現在、ベンチャー支援の会社の中では日本一の規模を誇っていますが、2030年までに1000人規模の会社となりアジアNo.1のイノベーションファームになることを目指しています。会社の業務としては、ベンチャーの成長支援、大企業の新規事業コンサルティング、政府のイノベーション政策実行を3つの柱としています。スタートアップ支援に関しては、資金調達支援や大企業との提携、PR、採用、システム開発など、様々な支援を行っています。大企業に向けたコンサルでは、大企業のベンチャー投資を行うCVCの立ち上げ支援などを通じて、ベンチャー投資や大企業の資本力やアセットとベンチャー企業の新技術や斬新なアイデアでオープンイノベーションを行うなど新規事業開発支援に取り組んでいます。以前は、大企業にベンチャーと関わる役割の部署がなく、ベンチャーへの投資や協業に関する相談をもちかけても相手にしてもらえない状況でした。そうした現状を変えるために、毎週木曜日の朝7時、大企業に向けてベンチャー企業がピッチを行うイベントを10年ほど続けています。オーディエンスがたった10名からスタートしたイベントも今では400名にまで成長しました。行政に関しては、ベンチャー支援の政策提言を行ったり、政策実行の受託を行ったりすることによって、挑戦できる環境作りを行っています。今年の2月に東京都が主催したアジア最大級の国内スタートアップが出展するイノベーションカンファレンスの実行サポートもさせてもらい、世界中から2万6千人ものの企業家や投資家に参加いただくなど成果を上げています。 ■起業家を輩出する企業に 当社の仕事を通して起業家の方と会う中で、自分で事業を立ち上げ成長させていくためのネットワークやグローバルで仕事をできる力、コンサルティング力を身に付けることができます。そして、3~5年経つと自分で起業しようというマインドになる人も多く、実際に当社の卒業生の中には起業家やベンチャー企業のCXOクラスで活躍する人も多いです。こうやって、ベンチャー業界で活躍する元DTVSメンバーがいると、様々な面で補完しあいながら仕事がすすみますし、実は採用力も上がっています。「起業家を輩出する企業」として、循環させていく方が上手くいくと、この何年かで感じています。新卒はポテンシャル採用のため、自分でこんなことがやりたい、という強い想いを持っている人を採用しています。また、行政などと一緒に仕事をすることも多いため、社会を良くしたいなどと、社会に気持ちが向いている人の方がフィットしているかなと思います。そして逆算して自分で考える行動力があることも大切ですね。 ■若手の社長を輩出する ベンチャー企業などの伸びている会社は大変なこともありますが、明るい雰囲気があります。そのため、スタートアップ企業を伸ばすために規制改革などいろいろな意味の支援をしていきたいですし、起業家教育の推進を行って起業家を目指す人を増やしていきたいです。短期では、大企業のやる気のある30代中心の若手の方々に対して社内ベンチャーを行う支援を行い、大企業の子会社の30代社長を300人輩出することに取り組んでいます。その結果生まれた30代社長は100人にのぼります。大企業の中に意思決定のできる若い人がいると、事業の展開のスピードが速いので、さらに成長も早くなります。 ■メッセージ こんなことがやりたい、などのビジョンや自身の存在意義が早く決まれば決まるほど、それが羅針盤となって、実現の可能性が高まると思います。また、自分だけでは解決できないことがあっても励まし合える仲間がいると心が折れずに取り組めるので、会うとポジティブになれる仲間も大切です。この2つを学生のうちに身に付けておくといいですね。 学生新聞オンライン2023年9月6日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織 Information ~ UPDATE EARTH コンペティションについて ~  UPDATE EARTH コンペティション対象者は全国民!破天荒解なビジネスアイデアや事業計画を募集。 デロイト トーマツ グループは、日本国内の起業家予備群や起業家、スタートアップなどを対象に、ビジネスアイデアや事業計画を表彰する「UPDATE EARTHコンペティション」を開催します。応募受付は、2023年10月16日(月)から12月15日(金)までとし、2024年3月2日(土)に表彰式の開催を予定しています。 詳細はWEBサイトをご覧ください。https://update-earth.com/ UPDATE EARTH とは?本プロジェクトは、日本全国の児童・学生(小・中・高・高専・大)から社会人までを対象に起業家育成講座を行い、起業に向けた裾野を広げるとともに、さまざまなイノベーションアワードやビジネスコンテストなどと連携し、ビジネスアイデアを全国から多数集め、支援対象となる起業家の発掘を行います。発掘活動から選抜されたスタートアップや起業家(予備軍も含む、以下「起業家」)のビジネスプランの事業化、海外展開を視野に入れた事業拡大を支援します。これまで、起業家の育成、発掘、成長支援はさまざまな機関や組織が個別に行っていました。本プロジェクトはこれらを全国規模、一気通貫で行うことを目的にした挑戦的な取り組みです。日本から世界を席巻する企業を生み出し、より良い社会に変革していくことを目指し、プロジェクトを「UPDATE EARTH」と命名しています。

イベント・企業紹介

FRAGRANCE DAY 2023

フレグランス業界全体をより一層盛り上げていくため、株式会社フィッツコーポレーションが主催した「FRAGRANCE DAY 2023」。イベント内では、フレグランスアドバイザーのMAHOさんが、レディース・ユニセックス・メンズの三部門において、ユーザー投票で選出されたトップ3のフレグランスを発表、表彰した。また、自身がプロデュースするフレグランスブランド「プア ナナラ」を立ち上げ、フレグランス業界に貢献した人に贈られる『FRAGRANCE Person of the Year』を受賞した池田美優さん、自身初となるフレグランスブランド「bgm」の誕生を発表したEXILE TAKAHIROさんも登壇し、商品の魅力や香りへのこだわりについて語った。 ■主催挨拶 株式会社フィッツコーポレーション 取締役 新野 裕信さん 弊社の企業理念である「豊かさが香るものづくり」をもとに、1人でも多くの人に豊かな香りのある生活を届けたいという思いで、このイベントの開催を決定しました。コロナ禍で外出が制限される中、日常での香りに興味を持つ方が増えてフレグランスに注目が集まりました。今、フレグランスの可能性と価値を改めて感じています。「香り」に関わる全ての関係者の方と手を取り合って、日本をより豊かな香りのある世界にすることを目指して、今後もフレグランス業界を盛り上げていきたいと思っています。 ■FRAGRANCE Person of the Year 受賞 池田 美優さん 私は、香りに対するこだわりがとても強いんです。そんな細かなこだわりを追求して生まれた「プア ナナラ」が、ブランドの立ち上げから2年ほど経った今、このような賞を受賞できて嬉しいです。 「プア ナナラ」のコンセプトは「ナチュラル&エフォートネス」。飾らない自然体な「私っぽさ」を表現したくて、みなさんが日常的に使える香りを目指しました。50個以上の試作品を通して、性別も年代も問わず使える親しみと、私らしい個性を両立させたものができたと思っています。最近では、フレグランスとは別の新しい香りのシャンプーとトリートメントを発売しています。香水シリーズから作ったヘアケア商品で香りもしっかりとするので、ハイブランドみたいだと好評です。ぜひ手に取ってみてください。 「プア ナナラ」の第一弾は、海をイメージしたナチュラルな甘さの「サニーモア二」と、ジャスミンのようなフローラルな香りの「モーニングピカケ」でした。その後、少し大人っぽくて落ち着いた香りの「メティルアナ」を新商品として含め、現在は三種類を販売しています。私にとって香水はもはや身体の一部。いつもバックに「ミニ ナナラ」と呼んでいる小さい容量の香水を入れて、仕事前に気合を入れるときに使っていますね。また、部屋やファッション、その日の気分によって香りを使い分けたりもします。甘めのスカートを履いたときにはサニーモアニ、大人っぽい服を着た時はメティルアナ、みたいに…。欲張らないナチュラルさがある「プア ナナラ」の香りを楽しんでもらえると嬉しいです。 ■新ブランド「bgm」発表 EXILE TAKAHIROさん 小学生の頃から母親の香水を勝手につけていたほど、昔から香りを身近に感じていたので、ようやく自分に「どタイプ」な香りを作ることができて、とても嬉しいです。長い時間をかけて香りを制作しているうちに、自分の香りの好みについて再認識できた点も新鮮でしたね。 「bgm」というブランド名には、自分が音楽活動をしていることもあり、BGMのように日々のライフスタイルにそっと寄り添いたいという思いを込めました。音楽も香りも当時の情景を思い出すきっかけになる点が似ていると思います。だから、香水のボトルにある波形のデザインも、音楽をイメージしたものにしました。それぞれの商品によって、異なる楽曲の波形を用いているところも小さなこだわりです。 今回は、しっとりとした優しい香りの「041(SEA)」、太陽をイメージした清潔感のある「003(SUN)」、ほんのり甘めで女性におすすめの「087(ハワイ語でオハナ)」の三種類を作りました。僕は、TPOに合わせて使い分けたり、041をベースとして、003や087を重ね付けしたりするなど、自分なりに香りを楽しんでいます。フレグランスは、日々の思い出を少し贅沢にしてくれるものだと思います。みなさんの心を少しでも明るくし、寄り添いたいと思うので、ぜひ、12月8日の発売を楽しみにしていてください。 ■FRAGRANCE DAY 2023に出席した感想 (立命館大学2年 大澤硝希) 目に見えるものに対して意識を向けてしまいがちな私にとって、目に見えない「香り」の良さを売りにする香水をテーマとしたイベントはとても新鮮でした!香水のモチーフになっているお花などが飾られており、視覚からも楽しめるようにしていたので香水についての知識が全くない私でも楽しめました。「プア ナナラ」の調香をする際、トレンドの香りを入れてしまうことに疑問を感じたお話など、香りに限らず、制作過程から池田美優さんらしさの詰まった製品なのだなと感じました。また、TAKAHIROさんが新製品「bgm」を重ね付けしているとおっしゃっていたので、ぜひ自分も真似してみたいです! 学生新聞オンライン2023年11月7日取材(執筆・構成) 上智大学2年 吉川みなみ

伊東美優

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 菅井敦

「文化をプロモートする」基礎はマネジメント力にあり。 株式会社ホリプロ 代表取締役社長 菅井敦(すがいあつし) ■プロフィール 生年月日  1961年12月7日学  歴  1984年3月  明治大学 商学部 卒業職  歴  1984年4月  株式会社ホリプロダクション(現・株式会社ホリプロ) 入社1995年4月  プロダクション本部 プロダクション一部 課長2000年6月  マネージメント事業部 プロダクション一部 部長2003年4月  メディア事業部執行役員2010年6月  取締役 映像事業部執行役員2013年6月  取締役 マネージメント第一事業部執行役員2016年6月  常務取締役 マネージメント第一事業部執行役員 就任2022年6月  代表取締役社長 就任 これまで数多くの人気タレントを輩出してきた大手芸能プロダクション、ホリプロ。名実ともに、日本のエンターテインメント業界を牽引する企業の一つだ。そして本日お話を伺ったのは、大学卒業後に新卒でホリプロへ入社し、昨年6月に晴れて社長就任となった菅井氏。今回は菅井氏のこれまでのキャリア、そしてホリプロの強みや魅力について詳しく語っていただいた。 大学時代は、どこにでもいるごく普通の学生でしたね。キャンパス近くで一人暮らしをしていて、学校にはほぼ毎日行っていましたが、仲間を見つけては授業をサボって麻雀に行ったりして。それでも要領良く立ち振る舞って成績は悪くありませんでした。実は、私が大学1年生の時に松田聖子がデビューしたんですね。私が通っていた明治大学は大半の学部の1、2年生が和泉キャンパスで過ごすのですが、なんと私が1年生の年の和泉祭に、松田聖子がステージ出演していたんです。当時は一般的な大学生らしくアイドルが好きだったので、とても印象に残っています。また、私が大学生だった当時は、バブルが膨らむ前でわりと景気が良かったんですね。大学生に人気な業界は商社や金融などで、私も周りと同じようにそれらの業界を受けていました。結果、山一證券という会社に内定をいただいたんです。しかしある日、学校の掲示板を通りかかると、採用情報の書かれた1枚のビラが目に止まったんです。なんだか私を呼んでいるような、そんな気がしました。それが、何を隠そうホリプロの募集要項だったんです(笑)。青春の記念にでも受けてみようかと、選考を受けてみたところ、なんとトントン拍子で最終面接まで進んでしまって。その時、仮に自分がホリプロを選んだ場合の未来を想像してみたんです。「想像もできない人生になるんじゃないか」と、一気にワクワクが止まらなくなりました。このことがきっかけで、山一證券はお断りして、新卒でホリプロへ入社することを決めました。 ■1年目は「できない社員」だった 入社してすぐ、若い女性タレントのマネージャーを担当することになりました。とはいえ、新卒の学生がすぐに1人のタレントをマネジメントできないため、先輩の担当マネージャーの下で勉強しながら、サブマネージャーという立ち位置で仕事をしていました。そんなマネージャー業ですが、当時はかなり苦戦したんです。担当していたのは、芸能界に入ったばかりの10代半ばの女の子。しかし芸能界では花が咲かないまま、彼女は3年後に事務所を去ることになりました。マネージャーとしても、コミュニケーションが全然上手く取れず、結局お互い最後まで心を開いて対話をすることができませんでした。私自身、当時はかなり落ち込みましたね。しかし当社の創業者であり、私が入社した当時の代表だった堀さんが、そんな時声をかけてくれて。「タレントが売れないからって暗くなるな。お前のせいな訳ない。そんなにお前は偉いのか」という言葉でした。この言葉を聞いたとき、スッと気持ちが楽になったんですね。それと同時に、仕事に対してより前向きになれたんです。その日からマネージャー業の捉え方や、仕事へのマインドセットが変わっていき、任せてもらえる仕事の幅も次第に広がっていきました。転機となったのは、数ある事業部の中でプロダクション1部という主に俳優をマネジメントする部署の部長を務めたこと。ホリプロという会社は、元々音楽事業に強い芸能プロダクションだったのですが、私が責任者になってから、ドラマや映画に力を入れるようになり、いまではホリプロといえば、ドラマ・映画の主演俳優たちがたくさんいるプロダクションへと成長しました。昨年代表取締役社長への就任が決まったのは、この点が評価されたのかなと思います。 ■芸能界だからと言って、特別なことはない 当社は「文化をプロモートする人間産業」という企業理念を掲げる中、数多くのタレントを輩出し、映像・音楽・舞台など様々なコンテンツを生み出してきました。生み出す力を最大化できるのは、当社がマネジメント力を基礎としているからだと思います。創業以来、蓄積してきたノウハウを、新しく入社してくれた社員はもちろん、所属する全タレントへも浸透させています。また多くの芸能プロダクションが存在する中で、当社の魅力は組織のクリーンさにあると考えています。学生さんはともかくその親御さんの中には、昨今のニュースなどを通じて、芸能界にマイナスイメージを持っている方もいると思います。しかし、当社はこれまで一度も信頼を削ぐような問題は起こしていません。これは創業者の堀威夫が語ってきた「社会人としてあるべき姿」が、長く受け継がれているからに他なりません。道に反したことは、芸能界だからといって許されることではありません。今後も多くの方から信頼されるホワイトな会社であり続けたいですね。 ■マネジメント力はすべての基礎 精神的にも肉体的にもタフであることは、当社で活躍するために第一に必要です。私たちの仕事は、タレントをマネジメントすることが基礎となるため、ここに辛さを感じてしまう人は向かないかもしれません。マネージャーとして求められるのは、客観的かつ長期的にタレントの才能を見いだし、伸ばしていくことです。タレントの才能は千差万別でマネージャーの仕事にはマニュアルがなく、向き合い方はタレントによって変わってきます。こういった点を面白がって仕事する学生さんに、ぜひ私達の仲間になってほしいですね。 ■大学生へのメッセージ 最近は転職サービスのCMなどを目にすることも増えましたが、現代社会はどこか「リセットボタンを押して何度もやり直せる」と思っている人が多いように感じます。ですが、最初は上手くいかないことがたくさんあって当たり前なんですよね。私も新卒で当社に入社したときは、1番できない社員だったのでよくわかります(笑)。だからこそ、学生の皆さんにはリセットボタンを押したくなった一歩手前で、「もう少し頑張ってみよう」と踏みとどまってほしいです。継続が新たな可能性を生み出すことも大いにありますよ。 学生新聞オンライン2023年10月5日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優

学生新聞インターン

特定非営利活動法人 ITコーディネータ協会 会長 野村真実

DXで需要が高まるITコーディネータ。現場視点でIT経営支援 特定非営利活動法人 ITコーディネータ協会 会長 野村真実(のむらまさみ) ■プロフィール年齢61歳(2023年10月現在)鹿児島県出身。鹿児島大学理学部卒業。日本ユニシス㈱にて17年、金融機関向けSE、PM業務に従事後、社内ベンチャー第1号案件で3年間新サービスを企画・実行。独立後15年、中小企業の現場で経営と情報化を支援。2022年6月より現職。 近年のDXブームに伴い、注目度が高まっているITコーディネータ。DXを推進したい中小企業や自治体では、現場視点でその役割を担う人材確保は切実な課題となっている。そのような役割を持つ専門家として、20年前からITコーディネータプロセスに先見の明を見出していた野村会長に、協会の取り組みや今後の展望についてお話いただいた。 学生時代は、大学前にできたリンガーハット鹿児島1号店でのバイトや塾講師、バンド活動など、様々な経験をしましたね。特に刺激的だった経験は、大学内で設立されたIT会社のメンバーとして携わった鹿児島県庁の仕事です。私はオペレーターとして、県庁のサーバールームでプログラムを実行する役割を担いました。まだ個人向けのパソコンが世に出始めた時代に、学生として最先端技術に触れる経験はとても面白かったですね。その後、日本ユニシス株式会社に就職して、金融機関向けシステムの主管部に入り、SEやプロジェクトマネジメントを担いました。仕事を通じて、「金融機関は地域の中小企業に対してIT化支援もすべきではないか、その際はITコーディネータプロセスを活用すべきだろう」という仮説を抱き、社内ベンチャーを立上げ、その後独立しました。中小企業支援現場での経験を活かし、ITコーディネータ向けツールの開発や人材育成の仕事を担い、2022年6月より当協会会長に就任しました。 ■“IT経営におけるプロフェッショナル”の育成組織 ITコーディネータとは経済産業省が推進する資格で、2001年の制度創設以降、資格取得者は右肩上がりで増加し、現在では7千人を超えています。ITコーディネータの仕事は主にIT戦略作成とRFP(Request For Proposal)を使った調達です。まず、経営者へのヒアリングや業務フローの可視化を行い、どのようなIT化が必要か整理をします。そして、システム会社の見積もりと提案をもらい、経営者と共に比較検討して最適なIT導入を支援します。つまり、ITコーディネータとは「現場視点で中立的に動き、情報を整理して、あるべき姿を一緒に考えるIT経営のプロフェッショナル」なのです。2001年に特定非営利活動法人として設立された当協会では、「ITコーディネータによる中小企業支援」を大きな柱とした様々な取り組みを行っています。まず、ITコーディネータの育成及び資格の認定です。世に役立つITコーディネータを育成するために、どのような試験や研修がよいか喧々諤々な議論を行い、研修や試験などのコンテンツ作成をしています。次に、ビジネスマッチングです。現場経験を積みたいITコーディネータと経営支援をしてほしい事業者を繋ぐための公募やIT経営カンファレンスを開催しています。そして、継続学習のサポートです。時代の変化に応じて、IT知識をアップデートする研修や交流会を開催しています。 現在の採用については、中途採用のみで、人材が足りない分野ごとにメンバーを集めています。ゆくゆくは新卒採用も行う予定ですが、未だ協会自体に新卒の育成ステップがありません。どこを目指し、どのように育成していくのか、ステップを描くことは非常に大事です。今は、過渡期の段階ですね。 ■DXの波、鍵は“成長のループ” 全ての資格はあくまで入口ですが、こうした継続学習やビジネスマッチングの仕組み自体が必要不可欠になりつつあります。特に近年は、金融機関の資格者がぐっと増え、一段と増加傾向にあります。背景には金融庁の「リレーションシップバンキング」指向が強まり、金融機関における地域企業に対する継続的な支援の必要性が高まったためです。地方銀行では、全行員がITパスポートを取り、そのうち中小企業支援を行う方はITコーディネータも取得する流れが起きています。例えば、茨城の地方銀行様は、ITコーディネータ400名を目指す計画を立てています。また、自治体のIT支援も増えています。河野デジタル大臣が行政DXを掲げているように、自治体のIT化は急務と言えるでしょう。協会としては、自治体向けのDX人材を育てる研修を始め、未経験者でも自治体支援ができるようなスキームを作成しています。こうした金融機関や自治体DXの流れに伴い、ITコーディネータは今後ますます価値が高まるでしょう。組織の展望としては「成長のループ」を構築していきたいと考えています。「自治体はこうで、中小企業はこうすればよい」というように、ぐるぐると同じループを回し続けることでスパイラルアップしていく仕組みです。参考にしたい例が、アマゾンのジェフ・ベゾスが創業前に描いた「ダブルループ」です。この絵を見た時に、組織が成長するためには良いループを持つことが重要だと気づかされました。ITコーディネータ全員にこの価値観を広め、中小企業を支援する際は「成長のループ」をイメージしながら指導にあたってほしいと考えています。ITコーディネータといえど、全てのIT技術を知る必要はありません。ノーコードやセキュリティーなど各自の得意分野を育て、興味を追求し、共に成長し続ける組織を築いていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 一番大事なことは興味を持つことです。大人たちは多くの知識が必要と言いますが、それは理想論であって、本当に組織で求められる人材とは、仕事に興味を持ち、さらに深掘りして研究できる人だと思います。また、学生時代のうちに「工夫の意識」を身に着けてほしいですね。ボランティアやアルバイト、部活など何でも構いません。従来のやり方に固執せず、何か工夫できることはないか考えてみてください。「興味と工夫」は、組織で活躍するカギになると思います。 学生新聞オンライン2023年9月27日取材 専修大学4年 竹村結