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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社W TOKYO 代表取締役社長 村上範義

100年を超えて歴史を創る。そのためにNO.1にこだわり続ける 株式会社W TOKYO 代表取締役社長 村上範義(むらかみ のりよし) ■プロフィール 愛知県出身。早稲田大学社会学部卒業後、大手広告代理店に勤務。その後、キャスティングプロデューサーとして東京ガールズコレクションの立ち上げに参画。2012年、チーフプロデューサーに就任し、全部門を統括。2014年、株式会社F1メディア代表取締役へ就任。その後、2017年、株式会社 W TOKYOへと社名変更し、現在に至る。 「日本のガールズカルチャーを世界へ」をテーマに、2005年から始めた史上最大級のファッションフェスタ「東京ガールズコレクション(TGC)」。まだ日本にファッションショーがなかった時代にいち早く目をつけた村上社長。常に1番になることを目指して歩んできた社長に、TGCの軌跡と今後の展望を伺った。 学生時代は「自分が好きで得意なこと」に没頭していました。当時は雑誌「ViVi」や「CanCam」に広告を出すと瞬く間にモノが売れるような時代で雑誌の全盛期でした。そんな雑誌の影響力に魅せられてメディア業界と深く関わるようになる中で、この業界で活躍するためにはオリジナリティが大切だと感じ、まずは学生という身分を活かして雑誌社に大学生インフルエンサーを紹介するビジネスを始め、起業しました。1年間に3000人以上のインフルエンサーを紹介するなど事業が軌道に乗り、小さな世界ですがNo.1になりました。 ■常に1番を目指す大学卒業後、一度は企業に就職したものの、自分のオリジナリティを発揮できる仕事をしたいと思い、わずか1ヵ月で退社。雑誌関係者とのネットワークを生かして「東京ガールズコレクション(TGC)」を立ち上げました。すでに出来上がっている雑誌マーケットに新たに参入してもトップにはなれないと思ったので、プラットフォームを日本初の『ファッションショー』にしたのです。これは富士山理論と言われるもので、「日本で一番高い山」は答えられても「2番目に高い山」はほとんどの人が答えられません。要はそれだけ1番と2番の差が大きいのです。ファッションショーがまだ日本になかった時代に、ここで1番になることを目指して動いていきました。 ■「ヒト」に価値を見出すTGCの未来を考える中で、「テクノロジー」を武器に勝負をしても勝てないと思ったので、「ヒト」に価値を見出すことにしました。たとえテクノロジーがなくても人気者をおさえていれば、永遠に日本一の舞台を創ることができると思ったからです。3月21日(月・祝)に開催されたTGCで34回目の開催を迎えましたが、シーズンごとに「ヒト」を見直し続けることで、常にフレッシュな状態を保っています。ルール変更が多い今の時代は、これまで「良し」とされていたものがいきなり「悪い」になりかねません。弊社は社員数44人(2022年3月16日時点)という少数精鋭で、時代に合わせて柔軟な対応ができているのも魅力の一つだと思います。 ■変革を起こし続けるTGCは常にアップデートし続けるスマートフォンのようなもので、主に4つの現場で変革を起こし続けています。1つ目はさまざまな体験価値を提供するTGCのリアル会場。2つ目は200万人を超える視聴者に向けたオンライン配信や、TGC公式メタバース「バーチャルTGC」などで、会場に来れない方にも上質な体験を提供しています。3つ目はTGC当日約500名のプレス関係者が入る取材現場。4つ目は人を軸にしたSNS。前回のTGCでは9億を超えるインプレッションを獲得しています。こうした4つの現場で破壊と創造を繰り返しながら、100年以上続くコンテンツを提供したいと考えています。 ■大学生へのメッセージ社会では新しい価値を生み出すことが求められます。新しい価値とはオリジナリティのことで、「好きで得意なこと」をやり続けることで発揮できると考えています。勉強して周りと同じような解を出す次元から脱却して、自分ならではの新たな価値を創造してください。(津田塾大学3年 宮田紋子)

芸能人

日比美思 「逆境」を「可能性」へ

■プロフィール 1998年9月20日生まれ。神奈川県出身。元Dream5のメンバーとして活躍。グループ活動終了後、女優として活動。主な出演作にドラマ『3年A組‐今から皆さんは、人質です‐』『真夏の少年~19452020』、映画「町田くんの世界」「生きちゃった」、舞台『陽だまりの樹』など。 東野圭吾の小説を原作としたオリジナル音楽劇『ガリレオ★CV2』(4月13日(水)~4月17日(日))まで東京・博品館劇場にて上演。 天才てれびくんMaxのオーディションを受け、それから芸能の道を歩んできた日比美思さん。高校卒業と同時にDream5の活動を終了、ゼロから別の仕事をするか、今までと同じような道に進むのかの進路の選択を迫られたという。そんな中、なぜ女優の仕事を選択したのか、ご自身のキャリアについて伺った。 ■芸能活動のきっかけは、天才てれびくんMaxのオーディション 仕事のきっかけとしては、ダンススクールの先生に勧められて天才てれびくんMaxの全国オーディションに応募したことです。昔から歌ったり踊ったり、目立つようなことは好きでした。オーディションに合格し、Dream5としてAAAさんの前座などをやらせていただいて、キャリアを積み、「ようかい体操第一」という曲で紅白歌合戦にも出場させていただきました。2017年にグループが活動休止したことで、進路について初めて考えるようになりました。その時はとにかく、今まで積み上げてきたものが崩れてしまい、まっさらになるのがとにかく不安だったんですよね。そんな中、舞台などを観劇して、「自分もこの物語の登場人物になることができるんだ」と自分の可能性に気づき、女優という仕事に興味を持ちました。親やスタッフさんにも相談して、周りの人には「今まで積み重ねてきたことがなくなって、ゼロからのスタートになるけどいいの?」とは言われましたが、1回きりの自分の人生なのでやりたいことに挑戦してみようと思い、女優の仕事を始めました。 ■女優の大変なところは「ほかの誰かを演じること」 私はあまり自信がないほうなんですけど、役で他人に入ると楽しいし、気持ちがいいです。自分が普通に生きているだけでは体験できないようなシーンも多くあります。そんなシーンに出会うと自分の人生にプラスになったなと感じます。一番思い出に残っている現場は『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』ですね。現場にいられたことがとても幸せだと感じました。教室のスタジオで1日中撮影するので役や物語に交わった気持ちになって、初めて自分と役がわからなくなりました。どんな仕事も大変だと思うんですけど、女優の仕事の大変なところは「自分じゃない誰かを演じること」です。私はメイクや衣装がきりかえのスイッチになることが多いんですけど、女優を始めたころは役の切り替えに慣れず、自分の中で上手く処理ができなくて、お母さんにあたってしまうこともありました。 ■役柄に自分を重ね合わせたドラマ『liar~すれ違う恋~』  dTV オリジナルドラマ『liar~すれ違う恋~』への出演が決まったときは、とてもうれしかったです。 私が演じるナオは、何不自由なく暮らしているお嬢様なんですけど、縛られたくなくて夜な夜なバーに出かけて運命の相手を探しに行くんです。そんなナオも恋愛が絡むといじらしくなってピュアになるので、そういうところに共通点を見出して演じていました。役作りのポイントとしては、「もしかしたら自分に起こるかもしれない」と考えてみて役に歩み寄りました。 また、彼女は、『星の王子様』が好きなショートカットの女性ですが、私も『星の王子様』がすごく好きな上、ちょうどショートカットにしたときにお仕事が決まって、運命を感じました。 ドラマのみどころとしては女性の視点と男性の視点とで、コロコロと視点が変わるところがほかのドラマではないみどころです。第3者の視点から恋愛を見られるのが魅力ですね。台本も各登場人物の目線に立って描かれているので面白かったです。同じシーンでも心の声が違うので何度も台本を読み込みました。熊坂出監督は、作品のアドバイスをくれる一方、みんなの意見も聞いてくださる方だったので、みんなで現場を作り上げていく一体感がありました。 女優として最近大事にしていることは、物語の台本を読む時に嘘をつかないことです。台本を読んでどう感じたかを大事にしていたいと思います。カメラアングルでよく見せようとか、食べ物を美味しくみせたほうがいいかなとかではなく、カメラを意識せず、ありのままの自分がどう感じているかを大事にするべきだと心がけています。この作品を通して視聴者の皆さんに伝えたいことは、このドラマは恋愛に前向きになれなった出野さん、ナオも前向きに終わります。自分が一歩勇気を踏み出した行動はどんな結果でもよかったと思えると思うので、前に踏み出す勇気の一粒になればいいなと思います。 ■いつか石井裕也監督作品にまた出演したい 今後の夢は、もっとたくさんの作品に出演していろいろな役に出会うことです。視野を広げてたくさんの経験と知識を積み、たくさんの人に出会いたいです。女優の仕事を通して自分を信じる気持ちが芽生え、もっといろんなことができるんじゃないかと思えるようになりました。自分のやりたいことにまっすぐな『liar』のナオに背中を押された部分もあると思います。ヘアメイクさんをはじめ役作りに協力してくれる方はたくさんいるけど、現場に出たら撮影は自分で頑張るしかないので、孤独で不安な気持ちになります。でも、撮影はこの瞬間だけなので、今できることを精一杯やるしかないと自分に言い聞かせてがんばっています。いつか大人の恋愛ドラマをやってみたかったので、今回夢がかないました。あとは、以前、映画『町田くんの世界』で、石井裕也監督の作品に出演させていただいたのですが、その現場が忘れられなくて、いつかまた石井監督と作品でご一緒したいと思っています。今は父も母も映画が好きなので、両親が「映画館でみたよ」といえる作品に出ることが目標ですね。これからも女優として頑張りたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 高校を卒業した時に、Dreamの活動が終了して、初めて自分の進路を考えました。はじめはまっさらなところに足を踏み出すのは怖かったです。しかし、その一歩はとても価値のある一歩です。私もまだまだですが、一生懸命生きているので、大学生活の中で進路に悩む方もいると思うけど一緒に頑張っていけたらと思います。私は皆様の明るい未来を応援します。 学生新聞オンライン2022年3月3日取材 武蔵野音楽大学1年 大曲美南子 dTV オリジナルドラマ 「liar~すれ違う恋~」 男女それぞれの視点で描かれる、幅広い世代の女性から支持を得た「liar」のオリジナルエピソードを映像化!主人公に古川雄輝、ヒロイン役に日比美思に迎え、空白の4年間を舞台に起こった、もう一つの恋の物語を描く。お互いに本音を隠したまますれ違う切なさ、男女のリアルな恋の駆け引きなど、大人の恋の難しさに翻弄され、感情が揺さぶられる。交錯した男女の恋愛模様の行く末を描くdTV オリジナルドラマ「liar~すれ違う恋~」はdTVで独占配信中! liar~すれ違う恋~公式HP :https://bit.ly/3IQRTjoYouTube予告編 :https://youtu.be/sZyDGvemn7o

経営者

JCOM株式会社 特別顧問 石川雄三

「デジタル×フィジカル=パーフェクト」 ■プロフィール 1985年 第二電電株式会社に入社(現在のKDDI株式会社)。KDDI㈱代表取締役執行役員副社長などを経て、2019年6月にジュピターテレコム株式会社 代表取締役会長就任(現在のJCOM株式会社)。2022年4月より特別顧問。 国内最大のケーブルテレビ企業であり、1995年の創業から放送・通信業界を牽引してきたJCOM株式会社(J:COM)。ビジネスにおいて既存の分野の深堀と新しい分野の開拓が重要とおっしゃる石川顧問に、私たち学生が社会に出てからの心構えや、今、行動すべきことを伺った。 ■様々な知識をインプットした学生時代 大学では商学部に進学しました。学生時代はバンド活動には熱心でしたが、決して勉学に熱心な学生ではありませんでした。就職活動についても、周囲が一生懸命活動しているときも、海外旅行に1か月間行ったりと、あまり真面目に就活もしていませんでしたね。また、当時は人前で話すのが得意ではなかったので、面接では苦労しました。 そんな中でも、本はひたすら読んでいました。特によく読んでいたのは、偉人や社会で活躍した人物の本です。「知識」が自分の身を助けると感じていたため、社会人になってからも本は良く読んでいました。 大学卒論のテーマは財閥の解体を扱い、財閥や企業の財政に関する知識も深めていました。この勉強により、「この会社は●●財閥の傘下に入っている」「この会社とこの会社が、同じ財閥だからつながっている」などという企業系列の地図が頭に入っていたので、通信の法人営業をやっていた頃、非常に役立ちました。 ■常に上の環境を目指して成長する 私が新卒で入社したのは、横浜にある不動産・建材系商社の会社でした。ものづくりというよりは「商業をやりたい」という思いが強かったのです。また、「自分が人に勝てるものは何か」を考えたときに、営業なら負けないという根拠のない自信がありました。また、サービスを自分で広めていくことに夢を持っていました。その後、営業以外の仕事にも挑戦したいと考え衣料資材のメーカーに転職をしました。ここでも幸い成果をあげることができ、これからはより会社や自身の成長が見込める夢のある仕事がしたいと思うようになりました。そこで、通信の自由化によって誕生した、電気通信事業者の第二電電(現・KDDI)に入社し、それが今の仕事につながっています。 ■常に新しいことに取り組む 仕事では業績が伸びることが一番のやりがいです。しかし、業績は急に伸びるわけではありません。ときには、従来の枠組みを破って新しい取り組みに挑戦したり、仕事の仕組みを変えたりしないといけません。“既存の部分を深堀するのと、新しい部分を探索する”所謂「両利きの経営」が企業を経営する上では、非常に重要です。 変化することを怖いと思う方もいるかもしれませんが、世の中自体が常に変化しているため、現状にとどまること自体がリスクなのです。次の成長のきっかけを見出し、社員と一緒に取り組んで少しずつ成果が見えてくる、そんな時に、仕事のやりがいや楽しさを感じますね。もっと言えば、進化すること自体が楽しいのかもしれません。 これまでに、たくさん失敗してきましたが、失敗することで沢山のことを学び、次の自分を作っていくと思っています。だから、何度失敗しても、懲りずに挑戦し、幸いにもいくつかのプロジェクトを成功させることができました。 挑戦の例を挙げると、通信会社は膨大なデータを持っていますが、そのデータをお客さまにとって価値あるものに昇華させることはかなり難しく、最初は何度も失敗しました。たとえば、お客さまの情報から、その方が求めるものを導き出すのは、時間と労力を要する作業です。この情報分析自体にまず膨大な時間がかかりました。また、データから導き出した客観的なお客さまのニーズを、社員やパートナーの方々に理解をしてもらうことにも非常に苦労しました。理解してもらうために、目的や理念を共有することと、実際に効果が出ていることを数値で示すことを、何度も繰り返しました。その結果として、デジタルの力を使って効率的にビジネスモデルを変えることが出来、社員やパートナーの方々の賛同を得られるようになったことは、大きな喜びでしたね。 ■フィジカルとデジタルの二つの力を合わせ持つ J:COMの魅力は、様々なビジネスの基盤となるフィジカルな力とデジタルな力を掛け合わせて、お客さまに大きな価値を提供できるということです。amazonやアリババといった会社は非常に大きなデジタルの力は持っていますが、フィジカルな力はあまり持っておらず、その強化に着手し始めています。一方で、J:COMはもともと地域に密着したサポート体制があり、1万人以上の社員が地域で活動する強力なフィジカルの力を持っています。近年はデジタルの力も強化し、顧客データや視聴データなどを活用したレコメンド機能や、放送と通信をシームレスにつなぐデバイスの開発やオンライン診療やMaaS等、デジタルの力で地域の課題を解決する取り組みも進めています。また、弊社は約1,400万世帯に届くコミニティチャンネルを運営し、情報発信するメディアとしての側面もあります。さらに映画製作・配給、テレビ通販事業など、多様なビジネスを展開しています。デジタルとフィジカルの力を軸に、これらの様々な分野を組み合わせていくことで、お客さまにより大きな価値を提供できます。このことがライバルに対して大きな差別化になっていると感じています。 ■一緒に働きたいのは、利他的な人 私が一緒に働きたいと思う方は、能力以前に誠実であって志を高く持っている方。また、取引先の利益までも考えられるような利他の心を持った人と働きたいと思っています。さらに言えば広い視野を持っていることも大事だと思います。多くのことに興味を持って、それに取り組む意欲と勇気を持った方に入社していただきたいと考えています。 ■message 社会に出て過ごす時間は学生時代よりも遥かに長いのです。学業はもちろん大切ですが、会社に入ってからの過ごし方の方がはるかに大事だと思います。どんなに専門的なことを大学で学んでも、社会でそのまま通用するわけではないので、その専門性やコミュニケーション能力などを磨いていく必要があります。逆に言えば、今自信がないことでも、本当にやりたいという意欲があれば実っていきます。夢を持ち努力を続けることでなりたい自分になれる。それは、私自身や周りの人を見ていて実感します。挑戦する意欲を持ち、それを継続することにより人生は実りあるものになると信じています。 学生新聞オンライン2022年2月10日取材 明治大学3年 酒井躍

川浪亜紀

監督 撮影 編集 金子遊・出演 現地コーディネーター 字幕翻訳 伊藤...

映画監督と言語学者という異業種の二人が出会ったことで、実現した映画『森のムラブリ』。本作は、ラオスの密林でノマド生活を送る“ムラブリ族”の撮影に、世界で初めて成功した、映像人類学のドキュメンタリー映画である。人類にとって豊かさとは何か、真に重要なことは何かを見つめた本作の見どころや作品にかける想いを、監督である金子遊氏に伺った。 監督・撮影・編集 金子 遊 ■プロフィール 映像作家、批評家。多摩美術大学准教授。劇場公開映画に『ベオグラード1999』(2009)『ムネオイズム』(2012)『インペリアル』(2014)。近作『映画になった男』(2018)は2022年3月11日より全国で劇場公開。プロデュース作『ガーデンアパート』(2018)はロッテルダム国際映画祭、大阪アジアン映画祭で上映されて劇場公開。『森のムラブリ』(2019)が長編ドキュメンタリー映画の5作目。著書『映像の境域』でサントリー学芸賞<芸術・文学部門>受賞。他の著書に『辺境のフォークロア』『異境の文学』『ドキュメンタリー映画術』『混血列島論』『悦楽のクリティシズム』など。 共編著に『アピチャッポン・ウィーラセタクン』『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』、共訳書にティム・インゴルド著『メイキング』、アルフォンソ・リンギス著『暴力と輝き』など。ドキュメンタリーマガジンneoneo 編集委員、東京ドキュメンタリー映画祭プログラム・ディレクター、芸術人類学研究所所員。 ■「自分の映画を作りたい」との思いで、撮影をスタート  家族が映画好きだったため、小さい頃から自然と数多くの映画に触れてきました。その影響で、幼い頃から「映画に関わるような仕事がしたいな」と漠然と思っていました。大学生の頃、映画ライターとしてデビューしました。その後、30歳までテレビ番組のVTRや企業のPV制作の仕事をしていました。ですが、次第に、その仕事には満足できず、「自分の映画を作りたい」という思いを持つようになり、世界中を旅しながら、8ミリフィルムで作品を作るようになりました。 ■偶然の出会いは逃さない  ドキュメンタリー映画の監督という仕事をしていると、「映画の撮影=冒険である」と感じます。今回の『森のムラブリ』という映画は、タイ北部やラオス西部の山岳地帯で暮らし、400人程度しかいない少数民族であるムラブリ族を撮影したものです。最近まで、男女とも裸に近い姿で、小動物や植物をとって食べる狩猟採集生活を送ってきたノマド民族です。ただ、僕がムラブリ族のドキュメンタリーを撮ることになったのも、まったくの偶然です。  当初は、撮影ではなく、人類学的な本を書こうと思って、タイやカンボジアに行きました。そして、ムラブリ族を訪ねた際にムラブリ語を話せる言語学者の伊藤雄馬さんと偶然会い、伊藤さんから3つの集団に分かれているムラブリ同士を会わせたいという話を聞いたその場で「ドキュメンタリーにしませんか?」と提案しました。常に自分を開いた状態にし、偶然の出会いを決して逃さないようにしています(笑)。このようなスリリングさを感じることができるのは、自分が撮影する側だからだと思います。撮影をする側が、実は1番面白いと僕は思います。何ができていくのか分からないまま、手探りで進んでいくという面白さ。そして、それが完成した時の喜びは、他では味わえないものです。 ■みどころは、タイとラオスに住むムラブリ族の生活の違い  一番の見どころは、タイ側のムラブリ族と、ラオス側のムラブリ族の環境の対比です。タイ側にいたムラブリ族は、文明人に発見され、定住されることを求められました。そして、周りのモン族たちによる焼畑農業で、ムラブリの人が住む領域が失われてしまい、結果、モン族の日雇い労働者になってしまいました。  一方、ラオスは社会主義圏なので、ムラブリ族の方を国家の一部にしようという取り組みがなく、森の自然にもムラブリの人々が生活する場所も残っており、昔ながらのノマド生活を送ることができています。私たちは民主化がすすめば文化は進歩し、環境も大事にされると思いがちです。しかし、民主化が進むタイ側では環境はどんどん壊れて、ムラブリ族はこれまでの生活ができなくなっています。一方、社会主義国家のラオス側では、環境はまだ残っており、彼らはこれまで通りの生活ができています。どちらが進歩なのか、どちらが豊かなのかということを比較してほしいと思います。 ■次にチャレンジしたいのは、映像人類学を広めること  西アフリカのヴォドゥンなど、アフリカで映像作品を創りたいと思っています。また、自分は今まで映像人類学の方法を深めてきました。今後は、映像人類学を研究者などの人たちだけでなく一般の人も観られるようにできないかと考えています。毎年、「東京ドキュメンタリー映画祭」を開催しています。その映画祭では、去年から人類学・民俗映像部門というコンペを立ち上げました。この部門を広めていき、一般の人でも人類学を扱う作品が観られるようにし、ひとつのジャンルとしても広めていきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ  20代の10年間を大切にしてください。大学を卒業して、就職をするという選択肢だけを考えていると、30代・40代になった時に自分が辿り着きたいと思っていたゴールのための基礎を作る時間がなくなってしまいます。いくら苦しくても、20代は「これがやりたいんだ」という自分の気持ちに食らいついた方がいいです。一生に一度の20代の時間を失ってしまうと、一生後悔することになってしまいます。一番大事なことは、自分がやりたいと思っていることの世界に飛び込む勇気です。そのためには若いときに師を見つけたりコンテストで入賞したり、自分に自信をつけることが重要です。 学生新聞オンライン 明治学院大学2年 岡村雛子 出演・現地コーディネーター・字幕翻訳 伊藤雄馬 ■プロフィール 1986 年生まれ。島根県出身。言語学者。2018年より富山国際大学専任講師を勤め、2020年に退職、独立。2022年現在、東京外国語大学特別研究員、横浜市立大学客員研究員。タイ・ラオスを中心に現地に入り込み、言語文化を調査するほか、身体と言語の関係についても研究している。ムラブリ語が母語の次に得意である。論文に「ムラブリ語の 文法スケッチ」(『地球研言語記述論集』)、”The heart’s downward path to happiness: cross-cultural diversity in spatial metaphors of affect.”(Cognitive Linguistics、共著)など。 ■なぜ言語学なのか  大学進学を決めるとき、専門を一つに決めることがしっくりこず、たくさんの領域に関連することを学ぼうと考えた結果、言葉の関わらない領域はないと考えて、言語学を学ぶ事にしました。大学院を卒業した後、研究がしたくて大学教員になりましたが、忙しすぎて研究ができず本末転倒だと違和感を感じ、今は独立して言語学者として活動をしています。 ■言語学者のやりがい  僕は、言語学を仕事と思っていません。ムラブリ語の研究を始めた理由も「響きが素敵だ」という理由でした。好きな事をやっているだけです。好きなことをすると言うと、響きは綺麗ですが、落とし穴もあると思います。ムラブリ語の響きについて研究をしたかったのですが、ムラブリ語は文字がないので、まず語彙を収集し、単語の意味や方言を研究しました。 ■ムラブリと関わる中で大変だった事  食事の味付けは基本、塩味でした。味の違いは濃い塩味が薄い塩味か。飽きますね(笑)でも彼らが食べているものが食べたい、もっと仲良くなりたいと思い、一緒に食べていました。 また、打ち解けるのに時間がかかりました。研究やデータが必要で、お金を渡すから話を聞かせてとせまり嫌がられた経験があります。まずは彼らと話すこと、彼らの生活に興味を持つことが大切だと気付き、そのついでに研究と発想をかえたら、豊かな研究ができるようになりました。 ■『森のムラブリ』の見どころ  同じムラブリでも言語学的に違う集団が出会うシーンが見どころです。100年間も会うことがなかった集団が出会うときに何が起こるか分かりませんでしたが、言葉の使い方でどの集団かを確認するという、話でしか知らなかったことを目の前で見られて感動しました。僕達も、方言や特定のサークルの言葉等でアイデンティティを感じることは無意識にやっています。この場面は一見特殊なことのように感じるけど、僕らも日常でやっている。親近感を感じて観てもらえれば面白いと思います。 ■今後の目標  同じムラブリ語の研究と言っても、生活費を稼ごうとすると、より売れるもの、読んでもらえるものと、マーケティングの発想になっていました。この研究は自分のやりたいことなのかと葛藤があり、僕はやりたいことをやるのが楽しいというより、やりたいことがやれないのが苦しいと感じました。自分のやりたいことを追いかける事が常にできるような自分でありたいです。それを達成するためには生きる事を自分で賄う、つまり「自活」する必要があると思っていて、現在は家に代わりのドームを制作中です。自活をする事で自分のしたいこと、自分の興味をより追求できます。 ■大学生へのメッセージ  孤独になってみる。ひとりでいてみる。 社会に入ると一人の時間がとりにくいです。僕は、しがらみなく生きている方だけど、それでも自分のやりたいことやありたい姿から離れている事が多いです。人の中にいるとありたい自分に気づくのは難しいです。ひとりで考えてみるのもいいのかなと思います。 学生新聞オンライン 立教大学 2年 菅原來佑 映画『森のムラブリ』 出演・現地コーディネーター・字幕翻訳:伊藤雄馬監督・撮影・編集:金子遊配給:オムロ 幻視社  3月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 2019年/85分/ムラブリ語、タイ語、北タイ語、ラオス語、日本語/カラー/デジタル(c)幻視社 公式サイト:muraburi.tumblr.comTwitter:https://www.twitter.com/muraburiFacebook:https://www.facebook.com/muraburi

政治家

衆議院議員 経済財政政策担当大臣 山際大志郎

イノベーションを起こし、生命を大切にできる世の中へ ■プロフィール 山口大学農学部獣医学科卒、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学博士課程修了(獣医学博士)。動物関連企業経営後、2003年に衆議院議員初当選。内閣府大臣政務官、経済産業副大臣、自由民主党政務調査会会長代理等を歴任。岸田内閣では経済財政政策、経済再生、新しい資本主義、新型コロナ対策・健康危機管理、全世代型社会保障改革、TPP等を担当。 2003年に初当選を果たして以来、日本経済の発展に尽力している山際大志郎大臣。大自然の中で世の中の変えるべき課題を見つけた山際大臣の学生時代とは。そして、生き物と自然を愛する政治家である山際大臣が、経済の活性化に全力を尽くす理由に迫りました。 ■大自然と触れ合う中で気づいた自分のやるべきこと  自然や生き物が大好きだった私は、学生時代は獣医を目指していました。そのため、山口大学の農学部獣医学科に通っていたのですが、自然豊かな環境だったこともあり学生生活の初めの頃は友人たちと自然の中で様々なアクティビティをしたり、バックパッカーとなって世界中を歩き回ったりしていました。大学3年生の秋から解剖学の研究室に所属したのですが、なかなか研究に身が入らない私を見かねた教授が、南極で鯨を研究してみてはどうかと勧めてくださいました。南極の大自然に行けるなんてこんなに嬉しい事はないと思い、鯨の研究を始めました。鯨は不思議な動物で大学院でも研究を続けようと決め、東京大学の大学院に進学をするため1日に18時間勉強しました。これだけ勉強に励んだのは、この時が初めてだったと思います。 ■思い込みと情熱から、政治家への道を決意  一方で研究を続けながらも「自分がやらないといけない事は何なのだろうか」と、ずっとモヤモヤとした気持ちを抱えていたのです。そんなある日、南極での船中に田中角栄元総理が亡くなったというFAXニュースが届きました。そのニュースを見たときに「自分が本当にやらなければいけないのは政治なんじゃないか」と直感が走ったのを今でもよく覚えています。  そもそも、私は様々な生き物や自然と関わる中で、人間も生き物の一種類なのに、どうして人間だけが驕っているのだろうと疑問を持っていました。もっと生命に敬意を持ち、生命を大切にする世の中に変わるべきだと思っていたのです。こうした私の中の問題意識はどの道に進めば解決できるのだろうとずっと悩んでいました。そうしたときに南極で田中元総理の訃報に接し、世の中のルールを変えられるのは政治なんだと気づいたのです。「俺がやらなければ誰がやる」という言わば大いなる思い込みのようなものですが、そうした情熱から政治家を目指すようになりました。  しかし、大学院生からすぐに政治家になれるわけではありませんから、獣医学博士号を取得した後、動物病院を開業しました。選挙に出馬するためにも資金が必要ですが、当時の私は企業に献金してもらうと当選した際にはその企業に気を遣いながら活動をしなければいけなくなるというイメージを持っていました。そのため、動物病院を経営して得た資金で選挙に出馬し、2003年に初当選を果たしたのです。安定した職を捨てて不安定な道に進むことに回りから不安の声もありましたが、強い情熱が周りの人たちに伝わり、やがて応援してあげようという声に変っていったと思います。実際には色々と迷惑をかけたと思いますが。 ■経済に新しい価値を創造する  私は政治家としては経済にこだわって活動しています。生命をもっと大切にする世の中にしようと決意した人間が、なぜ経済なのか。それは、衣食足りて礼節を知るという故事があるように、食べていけないと他人のこと、生命のことを考える余裕は出てきません。食べていけるようにする、人を豊かにするのが経済なんです。  経済分野に長く携わってきて分かったのは、日本に一番足りないのは新しい価値をどんどん創り出すイノベーションです。新しい価値が創られるとそれにお金が支払われるようになりビジネスが生まれます。富の源泉となる新しい価値が自律的に生まれる環境を創り出すことが日本経済を再生させることに他ならないのです。しかし、10年以上取り組んでいるものの未だ完成していません。これをぜひとも完成させたいと思っていますが、簡単なことではありません。なぜなら、イノベーションを起こすことができるのは人であり、私たち一人ひとりが新しい価値を生み出そうという意思を持って活動しないと自律的にイノベーションが起きる環境はできません。ともすると人間は惰性の生き物ですから、今日、明日とそのままで生きていけるなら新しい価値は必要ないと思ってしまいます。それでは新しい世の中にはなりません。今よりもう少し良い世の中にしていこうとみんなが思って活動してもらうためには、政治がしっかりと環境を整備しなくてはいけません。これが最も難しいテーマですが、これをやれば世の中が変わるということが最もはっきりしているテーマであり、経済再生担当大臣として取り組んでいるテーマです。 ■大学生へのメッセージ  とにかく、色々なものに興味を持ってみてください。全てはそこから始まるのです。世の中、何でも興味を持って触れてみると、やりたいことや自分がやらなければならないことが見つかってくるでしょう。その中で、やりたいことを見つけることができれば運がいいです。さらに、やらなければならないことがみつかれば、それは天職と言えるでしょう。24時間を自分の時間として自由に使うことができる学生時代は貴重な時間ですよ。何事にも興味を持って生きてみてください。 学生新聞オンライン2022年2月22日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

政治家

衆議院議員 復興大臣 西銘恒三郎

復興大臣として福島の今を届け、福島を世界に冠たるものに ■プロフィール 1954年生まれ。上智大学経済学部卒業。沖縄振興開発金融公庫に入社後、米国Tulane大学院留学。その後、沖縄県知事秘書、沖縄県議会議員を経て、衆議院議員当選5回。これまでに総務副大臣、経済産業副大臣、自由民主党副幹事長等を歴任し、2021年10月から復興大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)。 復興大臣として被災地に寄り添い、現状課題の解決に日々尽力している衆議院議員の西銘恒三郎大臣。西銘大臣自身の思い出深い大学時代の青春や、被災地に向ける思いに迫りました。また、設置が10年延長された復興庁が期待を込めて今後設置を試みる「福島国際研究教育機構」の目標とは。 ■勤勉で、男の絆を深めた学生時代 大学では柔道に明け暮れていて、大学を卒業したというよりか柔道部を卒業したようなものです。中高時代は野球少年だった私は、柔道は大学から始めたので、中高と柔道をやってきた仲間に混ざって練習をするのは大変でした。厳しい練習の日々で柔道部に入ったことを後悔した日もありましたが、柔道部の男友達と友情を深めることのできた良い経験でしたね。 しかし、毎日柔道部の仲間と共に学校生活を過ごしていたことで、女性とは4年間で全く関わりを持つことができませんでした。私が通っていた大学は上智大学だったので、女性が多い大学ではあったのですが、本当に一度も女性と会話をしたことがなかったのではないかと思うくらいに、女性と過ごした大学時代の思い出がないのです。 しかし、気になった女性に自らアタックは、何度か試みたことがありましたね。1人目は私が応援団をしていた時に、チアガールとして踊っていた先輩の女性でした。当時は携帯電話がなく、連絡先も聞くことができなかったのですが、その先輩の卒業式に花を渡しました。会話もすることができず、花を渡して去っただけですが、良い思い出です。2人目は授業に遅れて教室に入ってきた女性でした。とても美しい女性で興味が湧いた私は、想いを手紙に書き留めて渡したのです。お手紙でお返事をもらうことができたのですが、「お友達でいましょう」という内容で、残念ながら恋が実ることはありませんでした。しかし、どちらの思い出も、大学時代の素敵な思い出になっていますよ。 また、私は大学時代勉強にもよく励んでいました。3年生の頃には単位をほとんど取り終わって、4年生ではゼミしか残っていなかったくらいに、授業には熱心に取り組んでいました。勉強に励むことができたのは、いつかアメリカかフィリピンに留学したいという気持ちを持っていたからでしょう。その夢は学生時代には実現することができませんでしたが、社会に出てからも勉強を続け、アメリカ留学の機会を得ることができました。しかし、留学先でも勉強をする日々が続き、毎日図書館と学校の往復で、夢が叶ったものの正直苦痛ではありましたね。ですが、この経験は現在の自分の土台となっている経験でもあったと今は思っています。 ■復興大臣として福島の今を世界に届ける 復興大臣としてなによりも大切な事は、現場主義に徹し、被災者に寄り添った仕事をすることです。震災を受けた現場に何度も赴き、現場を見て、現場で生の声を聞くことによって、被災者に寄り添った課題解決ができるよう務めています。東日本大震災はこの3月で、被災から11年を迎えますよね。しかし、福島では現在3.4万人ほどの方々が、まだ避難生活を余儀なくされている状態です。震災から11年という月日は経ちましたが、震災の爪跡はまだ被災地に残っているのです。だからこそ、当初震災から10年という期間で内閣に設置された復興庁は、期間を延長して2031年まで設置されることになりました。 令和4年度の復興事業に係る予算案は5790億円となりますが、そのうち原子力災害からの復興・再生のために使われる予算として4452億円を計上しています。被災地にはまだ除染作業が済んでいない地域や、一時的な避難によって人口が減ってしまった地域、インフラや住宅設備が整っていない地域など、それぞれの市町村ごとの課題は違います。現場主義に徹し、市町村ごとの課題を見極め、限られた予算の中でどれだけ被災者に寄り添った課題解決ができるかが要でしょう。 また、福島にロボットなどの国内外の専門家を集め、研究と教育の拠点を造るための「福島国際研究教育機構」を置くことで、福島の復興により近づいていくのではないかと期待しています。3月までに枠組みを作り、法律を国会で通すことが直近の目標になるでしょう。私は、この「福島国際研究教育機構」を世界に冠たるものにしなければいけないと思っています。 現在、福島県産の食品等は14の国・地域から輸入規制をかけられています。最近では、台湾が規制緩和案を発表する等、各国・地域で規制の撤廃や緩和に関する動きもあります。今後、規制が残る中国や韓国等での輸入規制撤廃にもねばり強く取り組んでいかなければならないのですが、未だに世界において福島の食品等へのイメージは改善されていません。データで見れば被災地の食品等が安全ということがわかるのですが、なかなか世界にそのことが届いていないのが現状と言えるでしょう。「福島国際研究教育機構」を置くことで、福島の現状が世界に届くことを私は切に願っているのです。 ■学生へのメッセージ 67歳になった私が今人生で一番大切であると思う事はコツコツと努力することと、歯の健康を守ることだと思っています、アメリカに留学するときに、私は「アメリカで虫歯になったら大変だ」と思い、事前に歯を治療してから日本を出ました。歯は食事をするのに欠かせないものであり、食事は毎日とる必要がありますよね。私はアメリカ留学へ行った26歳の時にそのことに気が付き、人生は歯が一番大事だと思いました。朝昼晩の食事をする前の5分間で、何か一つでも自分のためになる学びをしてみるだけでも、目標に近づくのではないでしょうか。実際、その5分を毎日続けるのは難しいと思いますが、コツコツ努力を続ける事は必ず皆さんの力となります。コツコツとした努力と丈夫な歯を大切に、4年間の大学生活を有意義なものにしてください。 学生新聞オンライン2022年2月14日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

学生新聞インターン

映画監督 永井和男 決定権を持つこと。それは、プレッシャーでもあり、...

■プロフィール 1990年9月22日生まれ。大阪府出身。テレビ制作会社を経てフリーに。初監督作『くさいけど「愛してる」』は、国内外20以上の映画祭にて上映され、したまちコメディ大賞2015勝手にサポーター&観客賞、京都国際映画祭2015クリエイターズファクトリー劇映画部門優秀賞等を受賞。2018年、『霞立つ』が第1回滋賀国際映画祭グランプリ等を受賞。磯部鉄平監督作品では『予定は未定』『ミは未来のミ』等で脚本を担当している。 3月4日より公開される映画『この街と私』。同作の監督を務めたのが、テレビ制作会社を経て、フリーの映像作家になった永井和男さんだ。23歳のADを主人公にした今作は、ご自身の会社員時代の経験が大きく反映されているという。AD時代の苦労や学生時代から今に至る経緯、そして作品の背景や見どころについてお話を伺った。 ■学生時代の大きな決断  高校時代から物理に興味を持って、大学では物理学科に進学しました。しかし、卒業後に物理に関する仕事をしたいという気持ちはなく、「お笑い番組が好きだから、テレビ制作会社でディレクターになりたい」という漠然とした気持ちを持っていました。 大学では、1個だけ単位が足りず、留年をしました。それをきっかけに、脚本スクールに週1回ぐらいのペースで通い始めました。翌年度、前期に卒業に必要な単位を取り、残りの半年は休学することに。その間に、脚本の勉強をしたり、イベントのお手伝いをしたりするなかで、脚本を書くことが楽しくなって、脚本家を目指すようになりました。しかし、いきなり脚本家にはなれないので、お笑い番組を作っているテレビ局や制作会社を受け、内定をもらえた会社へ入社しました。しかし、いざ入社すると、雑用に追われ、自分のやりたいことがどんどん見えなくなりました。「脚本をやりたい」という気持ちが捨てきれず、ADをやめ、脚本スクールに通っていたメンバーと一緒に映画を作り始めました。 ADを辞めることについては、あまり怖いとは思いませんでした。それよりは、大学卒業時、物理を勉強したくせに、1人だけ物理と関係ないテレビの制作会社に就職するほうが大きな決断だったからです。むしろ、制作会社にいる当時は「このままADを続けていて大丈夫か?」という不安のほうが大きかったので、そこから脱却できるという気持ちが強かったです。 ■影響力を持つということ  監督という仕事の一番のやりがいは、決定権があることだと感じています。ADは仕事を与えられる役回りが多いですが、監督は自分が指示を仰がれる立場になります。自分がひとつひとつを判断し、どう決定していくかで、作品の内容が大きく変わります。そこに、監督としてやりがいを感じます。 ただ、監督業は、自分で決める作業だからこそ責任も伴いますし、作品の評価がそのまま自分の評価へと反映されます。プレッシャーはもちろんありますが、その部分がやりがいにもつながっています。脚本を作ることも楽しいです。個人的に面白いと思うのは、実際に役者さんに演じてもらうことで、内容が変わっていく点です。もちろん失敗もありますが、現場で新たなアイデアが生まれるところも、映像作品を作る面白味だと思います。 ■『この街と私』は、自分の葛藤の物語でもある  『この街と私』を撮影することになったのは、前作の映画が映画祭で入選して、その映画祭に来ていた映画のプロデューサーさんに「吉本興業の葛飾の地域発信映画の企画で、監督ができる人を探しているからやらないか」とお誘いを受けたことがきっかけです。打ち合わせの際は、「監督の自由にやっていいですよ」と言われたので、もともと自分が温めていた企画を出してみました。すると、先方から「もう少し葛飾や吉本の要素を取り入れられないか」という声があってはじめて、それまで、自分が吉本興業や葛飾区でやる意味をまったく考えていなかったという事実に気づきました。企画を練り直すため、もう一度葛飾区を巡り歩きながら、吉本らしさを考えたなかで、当時のAD時代の思い出が蘇ってきました。当時の葛藤と、いま目の前に与えられた企画を形にしないといけないという葛藤がリンクした末に生まれたのが、『この街と私』という作品です。 ■見どころは、リアルに描かれたテレビの世界  撮影で、特に記憶に残っているのは、クライマックスシーンの撮影です。撮影前日に、登場人物の感情の流れを考え直したら、まだまだ全然人物描写を客観視できていないことに気がつき、感情の流れを全部書き出して、整理しました。そして、撮影当日、スタッフが撤収している時間やつかの間の休憩時間を使って、そのメモをもとに新たにセリフを書き上げました。この間はほとんど眠れず、体力的にはきつかったです。でも、番組が続くAD時代の終わりの見えない日々とは違い、終わりが見えている撮影だからこそ頑張れた気がします。 この作品を観た方々からは、いろんな声をもらいました。特にテレビ業界関係の方からは、「すごく嫌な記憶を思い出しました」と言われたり、「主演の人は本物のADですか?」などと驚かれたりしました。それくらいリアルに描けたのだと思っています。 また、葛飾の切り取り方にも着目してほしいです。単なる地域のPR映画とは違って、自分なりの葛飾が撮れたと思っています。自分としては「この作品は、なぜ葛飾であるべきなのか」を深く追求したつもりなので、それが結果的にPRになればうれしいです。 ■ゼロから自分発信の映画を作りたい  これまでに今作と、今回併映される2本の自主映画を作りました。友達とその彼女の話(『くさいけど「愛してる」』)、YouTuberの話(『霞立つ』)、そして、既に「吉本興業の葛飾の地域発信映画」と決まっていた今作です。これまでは、すべて話の元ネタがあったので、次は長編映画で、ゼロから自分発信の映画を作ってみたいと思っています。自分が抱える葛藤や想いを、初めて作る長編映画の中で表現したいです。また、映画や映像の仕事に関わりつつ、やはり軸となる仕事は監督をメインにしていきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ  大学時代は物理を勉強しながらADになりたいと思っていて、周囲からの視線が痛い……と思うことばかりでした。自分がやりたいことと自分がいる環境が違うというような状況にある人は、ほかにもたくさんいると思います。しかし、大切なのは、自分がやりたいことを貫くこと。悩んだら、自分が思ったように一歩を踏み出してほしいです。そして踏み出せなかったときには、ぜひ『この街と私』を見てほしいです。 学生新聞オンライン2022年1月24日取材 日本大学2年 石田耕司 映画「この街と私」 キャスト:上原実矩 佐野弘樹 宮田佳典 伊藤慶徳 LiLiCo 川原克己(天竺鼠) ですよ。 大西ライオン 大溝清人(バッドボーイズ) 監督・脚本・編集:永井和男 制作:よしもとクリエイティブ・エージェンシー 配給:アルミード 公式サイト:http://konomachitowatashi.com/ Twitter:https://twitter.com/thiscityandme Facebook:https://www.facebook.com/thiscityandme 3月4日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開 (c)2019地域発信型映画「この街と私」製作委員会 

人事

株式会社ドーム タレント&カルチャー部 花田悠太

スポーツを通じて社会を豊かにする ■プロフィール 新卒で川崎汽船株式会社に入社し、株式会社ドームに転職。アメリカンフットボールのコーチをしていたことで、「人材育成」や「チームづくり」に興味を持ち始める。今は人事として、ドーム社員が活躍し、成長していける環境創りに挑戦中。 ■業界の特徴と将来性について教えてください。 株式会社ドームはアンダーアーマーの日本総代理店です。スポーツアパレルやフットウェアなどを展開しています。すべてのお客様をアスリートと定義して、今より良くなりたいと思っているすべての方のサポートをブランドのミッションに掲げています。スポーツは、身体的にも精神的にもプラスの影響を与えるもので、そのスポーツをする全ての人に貢献できるのが特徴です。近年では新型コロナウイルス感染症の流行もあり、健康志向やスポーツの必要性が再認識されています。「スポーツ」の新たな価値を作ることができる、まだまだ成長段階の業界です。 ■業界の魅力について教えてください。 一番の魅力は、スポーツが身近にあるということです。実際、社員のほとんどがスポーツ経験者であり、スポーツが人格形成や成長の一端を担っていると感じることが多いです。働く立場になったときにその環境を守り、子供たちに提供していける、そして「好き」や「得意」をダイレクトに生かせる場である、というのが特徴であり魅力です。そして、仕事を通じて誰かの成長を支え、成長の可能性を拡げられることが一番のやりがいです。次に、なくても困らないものを商材にしているという点も魅力の一つだと考えています。「なくてもいいけど、あったらその人がよりよくなる」、その価値を突き詰めていき、いかに伝えて買ってもらうかは自分たち次第です。これはやりがいでもあり、難しいところでもあります。 ■求める人材を教えてください  第一前提として、「スポーツを通じて社会を豊かにする」という理念に共感をもてる人があげられます。近年では専門性が注目されていますが、求めているのは自分で考えて行動できる人です。何が起こるかわからないからこそ、その場その場で考え行動し、それを周りに発信する力が必要になってきます。正しくきれいに伝えることも当然大切ではありますが、自分の言葉で正直に話しているかは重視しているポイントです。そして基本ですが、素直で正直なことは大切です。 ■大学生へのメッセージ  できること、やれることの選択肢は無限大に存在します。最近はどうあるべきかという情報がSNS等を通して溢れています。目立つ人の影響に流されての判断ではなく、自分がどうしたいのか、どうありたいのか、を判断の基準においてください。最終的に決めるのは自分ですし、その決定に自分が納得するためには、自分で自分のことを知っておくことが大切です。学生のうちに自分を知る機会をつくれるといいと思います。どこでプレーするかより、どういったプレーをしたいかを考える、そしてそれに沿うような形でたくさんの挑戦などをしてみてはどうでしょうか。 学生新聞オンライン 東京理科大学2年 伊藤陽萌

政治家

衆議院議員 法務大臣 古川禎久

夢を追い続けた8年間で心に決めた政治家としてのあり方 ■プロフィール 1965年宮崎県生まれ。東京大学法学部卒業。建設省に入省し、その後、衆議院議員秘書。2003年衆議院議員選挙に宮崎県第3区から出馬し、初当選。2007年法務大臣政務官、2008年環境大臣政務官、2010年自民党青年局長、衆議院災害対策特別委員会筆頭理事、2012年自民党副幹事長、自民党国会対策委員会副委員長、2013年財務副大臣、2014年衆議院財務金融委員長、自民党税制調査会幹事、2016年自民党司法制度調査会副会長、2018年衆議院東日本大震災復興特別委員長、2019年自民党選挙対策委員会副委員長、自民党沖縄振興調査会副会長、2020年衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長などを歴任し、2021年10月から法務大臣。  自由民主党の衆議院議員であり、現在の岸田政権では法務大臣を務めている古川禎久大臣。幼い頃から抱き続けた政治家の夢を叶えた古川大臣が、8年間の落選期間に得たものとは。そして、今後政治家として進めていきたい与野党協力の道について迫りました。 ■幼い頃から抱き続けた政治家の夢  私は子供の頃からずっと政治家になりたいという夢を持っていました。正直、きっかけや理由は思い出せないのですが、小学生の時には「将来は総理大臣になる」と宣言していたと周囲の人から言われます。政治家という存在に漠然とした憧れを抱いていたのでしょうね。 そのため、大学は法学部に進み、卒業後は一度建設省に勤めたこともありましたが、30歳になったのを機に宮崎に帰郷して衆議院議員選挙に立候補する準備を始めました。しかし、私は2回選挙に落選してしまい、当選したのは38歳になってからでした。当選には「地盤(後援会)・看板(知名度)・カバン(資金力)」が必要ですが、いきなり選挙に飛び込んだ私がそれらを最初から持っているわけがありませんでした。そのため、8年間かけて自らの努力で、信頼を築き上げていったのです。 ■GDPには表れない田舎のやさしさ  選挙活動は受験や就活と同じで、何年間かチャレンジすれば必ず報われるという保証はありません。落選期間中には結婚もして、子どもも3人でき、守るべき家庭がある中での選挙活動であったため、私にとってなかなか苦しい時代でした。しかし、お金がなくても家庭を守りながら目標に向かって頑張っている私に対し、地元のみなさんは本当に優しかったのです。東京よりも地元は「大地が近い」ので、取れたてのお米や野菜、卵などを地元の方々は分けてくれたのです。お金はありませんでしたが、地元の方々のご厚意でなんとか選挙活動を続けることができました。また、地元の方のお家に泊めてもらいながら、広い選挙区を活動して回るなど、社会の懐の深さを感じる経験をたくさんしましたね。 このような地域の絆やあたたかい心は、GDPにはカウントされていません。田舎は東京のように経済や人の流れが活発ではありませんが、田舎にはGDPでは測れない田舎ならではの豊かさがあるのです。地元の方々の助けがなければ、私は8年間もの落選期間を乗り越えることはできなかったでしょう。 ■地元の期待に応えた3回目の立候補  しかし、応援してくれる地元の方々が増えてきた中での2回目の落選は本当に落ち込みました。どんなに真っ暗なトンネルも、米粒ほどでも明かりが見えれば進む方向を見失うことはありませんが、落選に酷く落ち込んだ私は自信も目標も見失い、真っ暗なトンネルに閉じ込められたように絶望してしまいました。お金がないことや、寝る時間がないことは辛くはありませんでしたが、自信や目標を見失うことは本当に辛かったですね。それでも地元の方々が変わらずに私を支えてくれたおかげで、「いつまでもいじけていてはいけない」と自分を奮い立たせた3回目の選挙で、当選することができたのです。当選した時は、嬉しいなどというよりも、「世の中のみなさんは見ていないようで見てくれているんだな」と、この世の中は捨てたもんじゃないと感じました。 ■不器用でも真っすぐな生きざまが、人の心を打つ  最初に立候補した時は、「古川って誰だ?」と相手にすらしてもらえませんでした。しかし、目標に向かって黙々と突き進んでいると、ここ一番というときに、世の中の人々が助けの手を差し伸べてくれるのです。たとえ不器用でも、真っ直ぐに生きる姿を見てくれているのですね。 人気を得るためのポピュリズムの政治もありますが、本当に国民のためを思ったら、批判を受けてでも決断しなければいけない時が政治にはあります。そのような時は、「恐れず、世の中のために真っ直ぐに訴えていこう」と、私は当選した時に心に決めました。そうすれば、必ず国民の皆さんにも分かってもらうことができると、8年間の経験から学んだのです。 ■与野党の協力で国民の信頼を得られる政治を  議会には与党と野党がありますが、党派を超えて一緒に取り組むべき課題がたくさんあります。与野党はしばしば意見が対立していますが、私は与野党に本来壁はないと感じています。政党が違っていても国のことを心配し、日本をより良い国にしたいという共通の目標を持っているのですからね。緊張感を持って、与野党で論戦を戦わす事は政治機能として大切ですが、災害や国難に直面した時など、課題によっては協力が必要なこともあるでしょう。 自民党が野党になっていた時代、その時与党であった民主党の野田佳彦総理大臣が、社会保障と税の一体改革として、消費税増税を含む法案を、与野党協力して成立させたことがありました。国民のためを思った政策を、与野党で協力して実現させたのは成熟した議会政治の姿と言えるでしょう。私は今後もこのように与野党が党派を超えて協力し合うために、財政の在り方について、与野党が協力できる場を作りたいと考えています。 私たち国会議員には、将来、今の若い方にしっかりとした国を手渡さなければならない責任があります。今の政治は信頼を失ってしまっている面もありますから、国民の信頼を得るために与野党とも真っ直ぐな政治を考えることが必要でしょう。 ■大学生へのメッセージ  「小さくなるな」ということですかね。 時代はどんどん移り変わっていて、価値観も共に変化してきています。人生の先輩たちは頑張って築き上げた経済・産業の成功体験が未だに頭に残っていて、それを今の時代でも実践しようとする人もいるでしょう。しかし、時代は変わっていますから、成功までに築き上げるべきものも昔と今では違うのです。これからの時代は、時代に合った若者の考え方が今後の中心になっていくべきでしょう。今までの価値観に縛られず、型にはまらず、自分の道を生きてください。 学生新聞オンライン2022年2月9日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

神田理苑

株式会社インフォマート 代表取締役社長 中島 健

本気になって挑戦すれば、「仕事」は「感動」を生む ■プロフィール 1988年、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。システム部、海外駐在、法人新規営業、本部にて新規事業開発等を歴任し、2010年にインフォマート入社。取締役兼経営企画本部長に就任し、「BtoBプラットフォーム 請求書」の立ち上げや、戦略人事等を担当。2019年、常務取締役に就任。2022年より現職。 飲食業界の受発注システムに革命をもたらした株式会社インフォマート。クラウドを活用したこのビジネスモデルは、今や他業界や他のシステムにも応用され、会社の成長はとどまるところを知らない。本紙では、この急成長中のインフォマートの中島社長に、会社の魅力とトップとしての熱い想いを伺った。  高校、大学とひたすらラグビーに打ち込む毎日を送っていました。絶対に日本一を獲るという高い目標があったので、どんなに苦しくて辛くても前に進むことができました。このラグビーに全力投球をした経験は、その後の人生の指針にもなっています。それはラグビーによって「困難」「本気」「達成」の「感動の三要件」を手に入れたことです。その意味するところは、自分の能力や周りからの期待をはるかに超える難しいことに本気で取り組み、それを達成したときに、人は本当の感動体験を得られるという意味です。ラグビー一筋の時代、下馬評では不利と言われ、限界まで練習した後の勝利からくる感動は、余裕の勝利とは比べものにならないかけがえのないものでした。あれほど体の底からゾクゾクするような成功体験は、他にないと言っても過言ではありません。 社会人となり、自分の在り方や物事の選択に迷う中でふと頭をよぎったのが「もう一度あの感動を経験したい」という思いでした。振り返って考えてみると、「身震いするほどのあの感動は、ラグビーでしか得られない」と勝手に思い込んでいたのです。人生の目標に「仕事で本当の感動を味わうこと」を掲げたときから、私の仕事に対する姿勢は180度変わりました。どのような仕事でも本気で挑戦したいと今でも思い続けています。働く上ではお金も地位も名誉ももちろん大切ですが、達成感からくる感動はその何倍も価値があると確信しています。なんと言っても、あの高揚感は忘れられず、やみつきになりますからね。 ■自分の成長に他人も巻き込む  ラグビー経験から得たもののうち、もう一つ特筆すべきことがあります。それは、「自分自身だけではなく、他人も成長させる技術が身についた」ということです。チームプレーの質が問われるラグビーにおいて、自分一人だけが高いモチベーションとハイレベルな技術を持っていても良い結果は生まれません。チーム全員がそう思っていないと結果が出ないのは言うまでもありません。このことはスポーツに限った話ではなく、会社という組織にも当てはまると私は強く思うのです。 人は「何かを達成して感動した、またあの感動を体験したいからもっと頑張ろう」というプラス思考のサイクルに入ることができればもう無敵です。誰にも負けません。しかし、中には本気で頑張ったり悔しがったりする人に対して、素直になれずに見下すような態度をとる人がいます。私自身は頑張ることにポジティブになれないのは格好悪いと思うので、もし周囲にそのような仲間がいれば全力でこちら側に引き込みます。今までも皆で一緒に感動を味わいたいという思いで先導し、グッドサイクルを回してきたので、今後も継続して私のような「感動中毒者」を増やしたいと思っています(笑)。 ■圧倒的な導入実績で信用を得る  私たちインフォマートは、8つのサービスを展開していますが、主力事業は「飲食業界向けの受発注サービス」と「請求書の電子化サービス」の2つです。特に前者は、おかげさまで全国にある飲食店チェーンの約半数に導入いただいております。24時間いつでもどこからでも発注ができ納品ミスや入力作業を削減できる点が人気の理由です。クラウドシステムを活用することによって、初期費用を極限まで抑えられるという点も導入までのハードルを下げることができた一因です。  「クラウドサービスの提供」という昨今注目されている分野なので同業他社も多いのですが、弊社の強みは稼働のノウハウがトップクラスだということです。「受発注」ですので、お店側が導入してくれただけではサービスとして成り立ちません。つまり、一人ひとりのお客様の先にある取引相手にまで「導入したい」と思ってもらえるようなアプローチが求められるのです。システムに関する説明会や地道な営業を繰り返しながら、導入後の一貫したサポート体制を整えることでより気軽に安心感を持って使える環境を生み出しています。 ■message  社会人になってからしか経験できないことがたくさんあるように、学生のうちにしか経験できないこともたくさんあります。その一つを挙げるとすればリーダー経験です。それはバイトリーダーやゼミ長、サークル長などと言ったように、皆に一目置かれるような存在の話でなくても構いません。友達との旅行の計画を先頭に立ってまとめる、というようなことでもいいんです。人の意見や関心が多方向に向く中で、ストレスを感じながらも一つの方向に集団を動かす、という経験を積んでおくだけで人との関わり方やコミュニケーションの取り方が身に付くものです。それは社会においても必ず役に立ちます。 世の中を変える感動を味わいたい方は是非、インフォマートに来てください。どんなことでも本気でやるのが大好きな私が待っています。最高の景色を一緒に見ましょう! 学生新聞2022年4月号 日本女子大学3年 神田理苑

川浪亜紀

監督、脚本、プロデューサー、主演 崔哲浩    作品を通じて、自分にし...

■プロフィール 1979年生。大阪府出身。様々な映画、ドラマ、舞台で幅広く活躍する。2007年に劇団野良犬弾を旗揚げ、主宰を務める。劇団の傍ら大規模な商業演劇において出演、プロデュースを行う。 2021年 ワールドムービーアソシエイション設立。 主な代表作に「ホタル-HOTARU-」(降旗康男監督)、「陽はまた昇る」(佐々部清監督)、「半落ち」(佐々部清監督)、「グラスホッパー」 (瀧本智行監督)など。 劇団野良犬弾主宰を務め、舞台・テレビ・オリジナルビデオなどジャンルを問わず幅広く活躍する崔哲浩さん。俳優を極めた先の挑戦として、今回「北風アウトサイダー」で自ら監督、脚本、主演を務めた。俳優という仕事への思いとともに、崔さん自身の半生をもとに描いた本作への思いや見どころを伺った。 映画を通じて知った「広い世界」  小さい頃からとにかく目立ちたがりでした。ミーハーで、有名になりたいという気持ちを常に持っていたと思います。自分は在日3世という環境で、皆さんとは少し違う世界で生きてきました。そのため、映画からは自分の知らないこんなに広い世界があるという希望をもらっていたんですよね。また、中学の頃には自分の学校に地方劇団が来てくれて、その舞台に大変感動しました。自分の荒れている中学とは全く違う、こんなに華やかな世界があるということにひたすら「すごい!」と思いました。映画に救われていたこともあわせて、この業界に身を置きたいと思い、高校を卒業した日に上京し、役者を目指しました。 役者は苦労の先に歓喜がある仕事  現在42歳ですが、実は30歳までは役者を続けるか迷っていました。25歳で家庭を持ったのですが、役者として食べていけるのはほんの一握りで、これで家族を養っていけるのか、男としての自分の一生の仕事はこれでいいのだろうかと悩みました。しかし、それでも一生かけてやりたいと思った仕事でもありました。自分は飽き性で、それでも唯一続いたのがこのものづくりの世界の役者という仕事だったんですよね。また、苦しい思いをしたあとに、見た人に何かを与えることができるという、苦労の先の歓喜がある仕事でもあります。平坦で当たり障りのない人生よりも、厳しい世界でやっていくことのほうが好きですし、人を触発することのできるエンタメの仕事は本当にやりがいがあると思います。当初は「有名になりたい」というミーハーな思いから始まりましたが、見事に鼻を折られてきました。しかし、その中で好きという気持ちが自分を動かし、またその好きという気持ちを超えた良さも感じてきました。やりきって、さらに新たなことに挑戦して、一生このエンタメのお仕事を続けていきたいなと思っています。 「北風アウトサイダー」は自分だけが作ることのできる作品  俳優というお仕事をもっと極めていくために、30代の頃から映画を作ってみたいと思っていました。一方で、どこか遠慮している部分があったのですが、コロナによって状況が変わり、自分の人生を考え、自問自答を繰り返しました。すでに41歳だったのもあり、もう作っていいのではないかと思い映画を作ろうと腹をくくりました。テーマを決めるときに、自分は在日3世であり、このテーマに関してリアルに描けるのは自分だけなのではと思ったんです。私自身、本当は在日3世ということにこだわりはありません。しかし、そういう環境で育ってきたのは事実ですし、監督という立場で太刀打ちするにはこのテーマなのではと思い、在日3世というテーマで描くことを決めました。  今回の作品では、自分が伝えたいと思うことをたくさん散りばめました。その中でも、「人間とは?」「愛とは?」「時代の継承」「血流」という4つのテーマを中心に描いています。地球の裏側の人が見ても同じ人間としてわかることを意識しました。世界中でみると、在日コリアンに関わらず同じような問題はありますよね。そのうちの一つである問題をリアルに描けるのではないかと思ったんです。  オモニ(母)のセリフの中に、「朝鮮人も日本人もみんな人間だから、仲良くできる時代が必ず来る」というセリフがあります。自分は朝鮮学校に通っていたのですが、小学校6年生からは日本の学校に通いました。そのため両方の立場から物事を考えられるようになったのですが、実際に壁を作っているのは誰なのかと考えたことがありました。自分が生きてきた中で、在日コリアンも日本人も同じ人間だという思いがあり、このオモニのセリフは必ずいれたいと思いました。 とことんこだわったのは、リアリティの追求  映画の方向性については、何十回も話し合いました。見世物にはしたくないが、エンタメ要素もいれたい。最終的に、ドキュメンタリーのような臨場感で撮ろうと決めました。在日コリアンである自分や周りの人の身に実際に起きたことをちりばめ、とことんリアリティを追求しています。自分の出身地である大阪を舞台にし、暮らした家が映っていたり、オモニの特殊な性格も実体験で、言っていたことがセリフになったりもしています。あるシーンでは、全ての小道具を役者たち自身で手作りすることで、より想いが前面に表れるように意識しました。  この映画を観た人には、ぜひ「人生っていいな」と感じてほしいです。自分の理念として、映画は娯楽なので、観ている人の気持ちを楽しくさせるものでありたいと思うんです。4つのテーマとハッピーな部分を拾って、家族や人間、人生っていいなと思ってくれたら嬉しいです。また、観た方からの感想として「在日コリアン役の役者さんたちがみんな本当の在日コリアンの人かと思った」と言われることがあります。本当はみなさん日本人の役者さんたちですが、そう見えるようにとことんリアルを追求しています。そのとことん追求した人生のリアルなところも堪能してほしいなと思います。 一生学び続け、挑戦してほしい  一生「学生」でいてほしいと思います。社会に出たら、学生という枠はなくなるけれど、勉強は続きます。学生時代は、自分が意識して学ぶことのできる最後の場所です。それは過ぎ去ってから重要性がわかってくるものです。だからこそ、とにかく今学生のときに学んでほしいなと思います。  また、誰でも自分が何に向いているのか迷う時期があると思います。しかし、どの業界にでも自分にとってやりがいとなることがあるはずです。やってみたいと興味を持ったことに思い切って飛び込んでいくと、その好きか嫌いかをはるかに超える良さを感じられます。俳優というお仕事は本当に辛いことが多く、僕は実際何百・何千もの名前のつかないエキストラの役をやってきました。しかし、その辛いことはどの分野でも同じで、それを超えるやりがいを見つけられると思います。やりたいと思ったことを思い切りやることは、変革期である今の世界を生きる術にもなります。とにかく興味のあることに飛び込んで、やりきってほしいなと思います。 学生新聞オンライン 津田塾大学4年 川浪亜紀 ■映画『北風アウトサイダー』 出演:崔哲浩  櫂作真帆  伊藤航  上田和光永倉大輔  松浦健城  竜崎祐優識  並樹史朗  岡崎二朗 監督・脚本・プロデューサー:崔哲浩制作:ワールドムービーアソシエーション 配給:渋谷プロダクション 2021/JAPAN/5.1ch/DCP/150min2021 ワールドムービーアソシエーション 公式サイト:https://www.kitakaze-movie.com/公式ツイッター:https://twitter.com/kitakaze_movie公式facebook:https://www.facebook.com/kitakazeoutsider/公式インスタグラム:https://www.instagram.com/kitakaze_movie/ 2月11日(金・祝)よりシネマート新宿ほか全国順次公開

大塚美咲

映画プロデューサー 芥川志帆 「想い」から生まれる映画制作という名の...

■プロフィール 神奈川県横浜市出身。幼少期は劇団ひまわりに所属し、映画などに出演。大学時代はヒラタオフィスへ所属しモデル・女優として活動。2012年アパレル会社に入社し、EC運営やイベントコンテンツの企画などを手がけた後、2015年11月より映画プロデューサーとして活動をはじめる。2022年、株式会社CUPRO ENTERTAINMENT設立。主な作品は映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』エグゼクティブプロデューサー(監督:森ガキ侑大)、Twitterドラマ プロデューサー、映画「STAND STRONG」宣伝プロデューサーなど。現在2023年公開予定作品の企画製作を進行中。 「映画にすることで伝わる作品、メッセージがあります」。たった一人で企画から、打診、スポンサー集めまでこなす女性映画プロデューサー。なぜ女優業、アパレルから映画プロデューサーになったのか。子供のころから活動してきた彼女が学生に伝えたいこととは。そんな女性の子供時代から話を伺った。 ■学生時代の過ごし方 幼稚園から小学校低学年くらいまで、子役養成事務所の劇団ひまわりに入っていました。当時は自分の意志ではなく親の勧めで入っていたため、自分から学ぼうとしておらず、「自分には演技は向いていない」と思っていました。しかし大学生になってから自分の意志で「演技がしたい」と思うようになり、自ら選んだ芸能事務所に入り、女優やモデルの活動をしていました。学生時代は「今しかできないこと」に時間を捧げたいと思い、芸能活動の他にも様々な国に足を運ぶなど、自由な時間を満喫していました。 ■新卒で入社したアパレル業界 当初は芸能活動をしていたため、就職することは考えていませんでした。しかし、芸能の仕事をプロとしてやっていく志はないと感じたこと。そして、人生に一度しかない新卒入社を経験した方がいいと考えたため、悩んだ結果、アパレルのベンチャー企業に入社しました。アパレルという業界にこだわりがあったというよりは、3年で社会人としてのすべを習得したかったため、年齢や経験値ではなく、実力主義で様々なことにチャレンジができそうなアパレルベンチャー企業を選びました。 ■25歳で映画プロデューサーへの道を決意 子どもの頃から映画などの撮影現場を多く見てきて、その世界には夢があり、とても魅力を感じていました。女優業や、アパレル企業でのさまざまな仕事を経験したからこそ、やはり私は演じる側ではなく、「映画を作る仕事がしたい」という意志が固まっていきました。女性として、結婚・出産などプライベートなどに対する夢もある中、30歳で新しいことに挑戦するのは遅いと思い、25歳の時に映画プロデューサーの道へ進むことを直感で決心しました。勤めていた会社が上場し、一区切りついたタイミングでもあり、「今だな」と思いました。 ■映画を0から作るプロデューサー 映画を作るときは、まずは「こういうストーリーやメッセージを届けたい」「こういう企画を作りたい」「この監督と映画を作りたい」など、ゼロから企画を構想します。そして企画、予算組み、資金集め、キャスティング、配給会社の選定、撮影といった流れで進めていき、撮影現場でのクリエイティブ以外の製作関連はすべて携わります。既に漫画やアニメなどで大ヒットしているものを映画化することは大手の制作会社が行っているので、私はオリジナル原作やまだ世に出回っていないもの、原作があるものであっても、映画として初めて映像化されることでより多くの人に届けられるもの、届けるべきメッセージがあるものを映画化したいと思っています。その作品をどの監督とどのような脚本で作るのかなどの座組を整え、キャスティングイメージを固めたら芸能事務所へ打診します。それと同時に配給会社への営業、スポンサー営業も行います。しかし、ある程度座組が決まり資金が集まっていないと芸能事務所や配給会社との話は進行できず、逆にキャスティングや配給先が決まっていないとスポンサー営業も難しいため、卵が先か鶏が先か、どこから固めていくかが毎回難しい点です。その中でも最も苦労する仕事は、やはりスポンサー集めです。日本は海外に比べて、映画などの文化・芸術に資金を出してくれる企業が少なく、特にまだ何も経歴のない出始めの頃は、なかなか企業に信用して貰えないこともありました。本来ならばすべてのスポンサー企業が決まってから撮影に入らなければなりませんが、撮影が始まってもなおスポンサーが集まりできず、撮影現場に入りながらようやく資金を出してもらえたという経験もあります。 ■人との繋がり・想いから生まれる映画制作のやりがい 人と人とのたくさんの繋がりによって一つの作品がつくられることが、一番のやりがいです。映画は人対人で完成するものなので、協力をしていただける関係者の方達・スポンサー企業の方々に「いかに思いを伝えるか」が重要になります。そのため広告のような受注・発注の仕事ではなく、企画ごとにマッチするスポンサーを探します。もちろんビジネスではありますが、興行などの「利益」ではなく「作品への思い」を受け取ってくださった方が、結果スポンサーとして協力してくれるのだと実感しました。そんな中、協賛してくださった方々やロケ地で協力してくださる地元の方達は、まるで親戚のようなあたたかい存在でした。予算ギリギリで映画を制作することも多く、費用を削減しなければならない場面も多々あります。そんな時に、ロケ地の飲食店や旅館組合の方々が協力してくださることもありました。こうした、たくさんの方々の温かい支えがあるなか、みんなでひとつの作品を作れることに、強くやりがいと幸せを感じます。撮影がクランクアップした時には、地元のみなさんと一緒に泣いて喜んだことも印象に残っています。これまでお世話になった方々のなかには、映画製作が終わった後も長年連絡を取り合っている方もいます。また、自分の作った作品が日本全国で放映され、さらに海外映画祭などで海を渡り、自分の行ったことのない国にまで届いて評価されることも映画製作ならではのやりがいだと感じます。 ■1人の女性として社会に届けたいもの 前作の頃は独身だったのですが、現在は結婚、出産を経て1児の母となりました。これがきっかけとなり、女性だからこそ、母親だからこそ作れる「母と子の物語」のような作品を手掛けたいと考えています。映画業界では今なお古い考え方が染みついていることも多く、歴史のある文化ももちろん素敵ですが、面白いエンターテインメントを届ける上では変えていきたい面もあります。いまの私自身の立場だからこそプロデュースできる作品を手がけていきたいです。 ■大学生へのメッセージ リスクを考えすぎず、何でも挑戦してみてください。私自身、10年前にリスクを考えて怖くなっていたことでも、今思うとたいしたことではないケースがほとんどです。例え借金を抱えたとしても、死にはしません。学生という自由な時間は本当に貴重ですので、とにかくチャレンジしてみてください。いくら失敗しても、リスクを負っても、絶対に挑戦した方が幸せだと思います。そして、実現したいことの成功ストーリーを常に頭で思い浮かべるようにしてください。私自身、成功ストーリーをよりリアルにイメージすることができたことほど、実際に実現できていると感じます。 学生新聞オンライン 東海大学3年 大塚美咲

学生新聞インターン

主演 仲本愛美 ・ 監督 片山拓 基本ふざけているコメディ要素満載の映...

2022年春公開予定の映画『味噌カレー牛乳ラーメンってめぇ~の?』は、10代を中心に人気を集めるモデル・インフルエンサー仲本愛美(まなまな)が主演を務め、写真家、映像作家の片山拓が監督を務めている。今回、お二人に映画の見どころを伺った。 モデル 仲本愛美  ■プロフィール モデル/インフルエンサーでYouTubeチャンネルでの活動から編集作業も自ら行う。昨今では雑誌でのグラビア活動、アーティストプロデュースなど活動の幅を拡大している。Bemata恋愛リアリティーショー 『今日、好きになりました。』第9弾,14弾、そして2021年8月には『今日好き』卒業メンバーたちが再び旅に出かける新企画『明日も好きでいて、いいですか?』に出演した。 ■出演が決まったときの気持ちは?  素直にびっくりしました。なんとなく話は聞いていたのですが、まさか自分に決まるとは思っていませんでした。それと同時に不安と楽しみとワクワクが一気に押し寄せてきました。主演として映画に出られることは楽しみでもありましたが、「その日が来てほしくない」という緊張もあり、もどかしい日々が、撮影中も含めてしばらくは続きました。あと、自分がメインで出演するという大役を任され、期待に応えたいという気持ちと不安が入り混じっていたと思います。 ■役作りについてはどう感じていますか?  周りの友達や女子高校生のしぐさを真似することを意識しました。自分の演じる役をイメージして、それに合わせて、友達のちょっとしたくせ、雰囲気などを取り入れました。普段から周りにいる友達を観察するタイプだったので、その経験を参考にしたところが多いと思います。また、主人公「二本柳うつつ」がすごくしゃべるキャラクターで、普段思っていても口に出せないことをズバッと話す役柄だったので、私だけじゃなく見ている方も共感できる部分があるのではないかと思います。その一方で、うつつは世間とズレてるイメージがあったので、クセがあるキャラクターと思ってもらえるような役作りも意識しました。 コメディ要素の強い、ふざけたシーンが多いのですが、真剣に考えるシーンもあり、その場面では一言ひとことの言葉の重みを意識しました。しかし、全体を通して、作っているというよりは、素の感じで表現できたと思います。 ユメ役とのやりとりでは相手の台詞を完全に覚えていないとこちらの感情も動かないので、相手に話しかける感覚でやりました。その点イメージがしやすかったので、スムーズに楽しくできました。ただ、CGシーンで目線や間を合わせるのは本当に大変でした……! ■本作のみどころは?  主人公・うつつの感情が変化していくところです。もともと何に対しても興味のない性格の子なのですが、クライマックスに向けて、表情などの感情表現がどんどん増えていくところに着目してほしいです。つらい状況でも次は乗り越えていけると元気をもらえると思います。また、はっきりと感情を伝えられる子なので、普通であれば「なんでこうなの?」などとモヤモヤしがちな部分も、きちんと表現できる姿には、見ていてグッとくるところがあります。 それから、最初のうつつが歌いながら走っていくシーンでは「主人公のうつつは、こういう子です!」ということがわかる大事なシーンなので、全力を出しました。 ■今後の夢やチャレンジしてみたいことは?  映画初主演という形でやらせていただいて、ちゃんと演技をしたのは今回が初めてでした。ただ、「やっぱり演技はいいな!」と強く思いました。それと同時に、また演技をやりたい、もっと追求したいと思うぐらい、これまでやってきたお仕事の中でも、一番心に残るものでした。 ■大学生へのメッセージをお願いします!  改めてこの作品を通して素直が一番大切だと感じました。私たちの年代は早く大人になりたくて、取り繕った言葉を発してしまう人もいると思います。ですが、それはすごくもったいないことだと、この作品で気づかされました。素直に伝える、言葉にすることの重要性を再認識したので、そうしたことをぜひ感じてほしいと思います。 写真家・映像作家 片山拓 ■プロフィール 年間200本以上の依頼を手掛け、大手芸能事務所や音楽レーベル、Web〜紙メディアまであらゆるクラアントを抱える。作品の特徴としては、北欧調の淡い色合い、純文学的なプロット構成定評があり、ヴィルヘルム・ハンマースホイのような、画面上から滲み出る孤独やどこか青春を描くことを得意とする。 ■この作品をつくろうと思ったきっかけは?  今回の映画の挿入歌まわりに携わってくれている友達と、「何か作りたい」と話していたのがきっかけです。初めは、何かしらカルチャーとサブカルチャーを融合させたものを作りたいと思って調べていました。そうしたら、下北半島があることを知り、下北半島と下北沢という言葉遊びから入りました。また、下北半島には恐山があるため、「いたこ」と「痛い子」などと言葉をつなげていき、最終的には数珠つなぎのような感じで作品ができていきました。本作の題名は、実際に青森にあるご当地グルメ「味噌カレー牛乳ラーメン」というタイトルですが、「いたこ」「下北」「恐山」「サブカルチャー」などとテーマをごちゃ混ぜにした本作に似ている食べ物だなと思い、ここから名前を取りました。 ■映画ができるまでの苦悩や葛藤、感動や喜びは?  撮影前「どういう作品にするか」というイメージの共有が大変でしたね。脚本家とのニュアンスなどの擦り合わせは抽象的なものなので、なかなか難しい作業でした。撮影に入ると、今度は体力的な面が大変でした。青森に行ったのは5月でしたが、雪が降ったり快晴だったりと寒暖差が激しいんですね。そんななか、たった6日間で青森のシーンを撮影しなくてはならなかったため、スケジュール的にもハードでした。しかし、クランクアップしたときや、出来上がったときの感動は大きかったです。 ■本作のみどころは?  今回はバディが一緒に問題を解決していくようなイメージで作っているので、問題を解決していくうちに、やりとりのなかで成長や気づきがあるような作品になっているので、そういう部分に着目していただければと思います。しかし、基本はばかばかしく、気負わずに、みてほしいです。「なにやってんだこいつ」くらいの感覚が、ちょうどいいかもしれません(笑)。 ■大学生へのメッセージをお願いします!  なんでも否定はしない方が良いと思います。物事や人の意見、やっていることに対して、否定することは簡単ですが、一旦受け入れてやってみることは難しいです。そのため、相容れない考えでも、一回は「これ、どういう意味なんだろう?」と受け入れてみることも大切だと思います。 学生新聞オンライン 日本大学2年 石田耕司 映画「味噌カレー牛乳ラーメンってめぇ~の?」 青森県のご当地グルメ「味噌カレー牛乳ラーメン」をタイトルに冠しながら、日本の北東北で口寄せを行う巫女である「イタコ」を題材とした、異色の青春コメディ映画の製作が決定! 2022年春劇場公開予定Ⓒ2022 映画「味噌カレー牛乳ラーメンってめぇ~の?」製作委員会 株式会社440Project 【クレジット】スタイリスト RYUSEI MORIヘアメイク 齋藤美幸

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ライバー 勇者べろくん 1日20時間を費やして、ライブに人生を賭ける!

■プロフィール 1994年生まれ。ライバー歴2年、最高ランクのS帯を継続中。3年間社会人を経験し事務所に所属しないフリーライバーとしてPococha一本での生活をスタート。現在はQQQ事務所を立ち上げ約50人の所属ライバーのサポートをしつつ自身もライバーとして活躍中。 普通の一般人だった男性が、たった2年でトップライバーとして駆け上がっていく。それを実現したのが、ライバーの勇者べろくんです。彼がどのようにしてトップに上り詰め、どんな生活を送っていたのか。また1日20時間ライブに向き合い、見えてきた景色の先にあったものとは。知られざるライバーの実態をご紹介します。 ■収入が安定しないまま3ヶ月で無職ライバーに! ライブ配信との出会いは、コロナで飲み会が潰れ、時間ができたことがキッカケです。初めは友人がリスナーとしてコメントし、私が配信するという話だったんですが、当日友人は現れず、初回から知らない人とお話しすることになりました。ライブで稼げることを知り、とりあえず3ヶ月間やってみることにしました。しかし、学生のバイト代よりも稼げない日々が続きました。それまでは会社とライブを両立させていましたが、「背水の陣で挑まなければ」と思い、会社を辞める決断をしました。「コロナ禍でライブを見る人が増えていたので、やっていける」という謎の自信があったんですね。 ■ライバーを極め、サポートする立場へ 仕事を辞めてからの1ヶ月間は、寝る時間以外は1日20時間ライブをしていました。「俺はこれ一本でいくから、ニートの下剋上に付き合ってくれ!」と宣言し、リスナーに本気度合いを伝えました。基本的には雑談なので流れてくる質問に対して1つずつ丁寧に答えていきます。質問を飛ばさないよう、何時間も画面を見続けていました。お給料がなく、冷凍食品やたばこをプレゼントとしてもらい、家から出ない生活を送っていました。そして、ライブを始めて4ヶ月目にして、アプリ内の最高ランクに到達しました。そこから少し経ち、自分の経験を活かして何かできないかと考えて、ライバーを支援する事務所を作りました。今では、他人にアドバイスをする立場となりましたが、いまでも配信は1日7時間は継続しています。 ■ライブを続けていたら、飲み会を回せるようになった ライブはやった分だけ何かしらの形で返ってくるので、毎日もう少し頑張ろうと思えます。また、リスナーの層は、年代は中学生から70歳のおばあちゃんまで。職業の幅もとても広いので、ライブをすればするほど自分の価値観が変化していくのも魅力です。 ライブを続けてきて感じた変化は、飲み会で場を回せるようになったこと。反対に、対面だと相手のリアクションがわかるので、自分の言動にみんながどんな反応を示すのかをリサーチする良い機会です。このように、普段の生活の一コマも、ライブ配信に役立てています。今一番の目標は、所属してくれているライバーたちに成功してもらうこと。また成功した人たちには次のステップとしての活躍の場をつくり、所属しているライバーに恩返しをしたいですね。 ■大学生へのメッセージ 就職活動をしていくにあたり、やりたいことを見つけて、自分の選択肢を増やしてください。生きていく上で失敗は必ずあります。失敗を恐れては何も始まりません、そんな時に選択肢が多い人は心に余裕があるので目の前のことに全力で挑めます。ここまでやってダメなら仕方がないと思うまで、とことんやってください。 学生新聞オンライン 関東鍼灸専門学校 2年 竹原孔龍

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ライバー おしゅん 「話が得意」ではなかった僕が、配信をはじめたワケ 

■プロフィール 1999年生まれ。ライバー歴2年。最高ランクS帯。大学を卒業し、就職活動を行わずPocochaライバーとして活躍中。現在はQQQ事務所の広報兼マネジメントライバーとして宣伝活動や所属ライバーのサポートを行っている。ライバーの他にTikTokやYouTubeでの活動も行っている。 ライブ配信アプリPocochaで活躍するおしゅんさんは、毎日10時間の配信を欠かさない。「一人一人とちゃんと喋って、コメントを全部読んで返答する。」そう語る姿からは、リスナーへのまっすぐな熱いハートが感じられた。 ■偶然が重なって、新たな道が拓けた 大学生の頃は、授業を受け、サークル活動をしてからアルバイトに行き、その後、家に帰って寝る……といった、いわゆる普通の学生生活を送っていました。ですが、コロナウイルスの流行によって生活が一変しましたね。友達に会えず、バイトにも入れなくなってしまいました。「何か自分に出来ることはないか」と調べ始め、偶然見つけたのが、ライブ配信でした。“これ…、就活せんでええやん!” 会社に入って働きたいというより、Youtuberのような自ら情報発信をするインフルエンサーの道に進みたいという考えを持っていた自分にぴったりで、「これをきっかけにライブ配信をやってみようかな」という気持ちになりました。 ■ライブ配信に出会って、だいぶ人生が変わった 普通じゃ嫌だ、人と違っていたいという思いがあったので、以前からインフルエンサーになりたいと密かに夢見ていました。ですが、ライブ配信を始める前までは、自分にインフルエンサーは無理やなという気持ちが大半を占めていました。ライブ配信を始めた頃は、何が正解か分からなくて、とりあえず配信をつけて喋っているだけでした。ですが、継続していくうちに、自分から前に出るタイプでもなく、話がとりわけ得意というわけではなかった僕が、10時間も話続けられていることに気付きました。プライベートでも喋ろうっていう意識を以前よりも持つようになりましたし、人に見られるお仕事なので、マッサージも始めたりして顔つきも変わりました。今ではすっかり配信中心の生活になっています。 ■楽しみにしてくれている人がいるということ 普段の配信では多くのリスナーの方々とコミュニケーションをとりたいので、毎日10時間配信をしながら、雑談をしたり、相談に乗ったりしています。すぐに配信をやめたりといった、リスナーの方の応援を裏切るようなことは絶対に出来ません。有名人ではない、一般人である僕の配信を楽しみにしてくれている人がいるということは、本当にありがたいことなので。毎日、配信して喋る。僕からリスナーの方々に出来ることはそれくらいかなと思っています。 ■コメントには「認める優しさ」を持つ リスナーの方々と交流するうえで大切にしていることは、一人一人とコミュニケーションをとることです。一人一人とちゃんと喋って、コメントを全部読んで、返答する。つながりを大事にしたいです。また、最近コメントがない方には、「〇〇、何しているの?」のように自分から声を掛けるようにしています。僕から喋りかけることで、「自分のことをちゃんと気にかけてくれているんだ」と感じてもらえたら嬉しいです。 そしてコメントに対しては、基本的に否定せず、認める優しさを持つようにしています。さすがに変やなと思ったら、「それはちゃうんじゃない?」って言うんですけどね。基本的にはライブ配信の価値って、悩み相談なをはじめ、日常で経験出来ないことを経験してもらうってことだと思うんですよ。 現在は、ライブ配信に加えて新人ライバーの育成を担当しています。これからはライブ配信だけでなく、YouTubeやTikTokなど様々な媒体で活躍できるインフルエンサーになっていきたいです。あと、「面白い人だ」って言われたいですね。大学が関西だったからっていうのもあると思うんですけど(笑)どんどん自分に価値をつけていきたいです。 ■大学生へのメッセージ チャレンジしまくってほしいです。僕自身も、ライバーとして活動することは結構なチャレンジでした。失敗しても大丈夫です。人生は一度きり、何でも自分がやりたいことにチャレンジしてください。 学生新聞オンライン2022年1月6日取材 日本大学 2年 柴野桃七