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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

俳優 尚玄 向かい風を恐れず、目標に向かって歩んでほしい。

■プロフィール 2004年、戦後の沖縄を描いた映画『ハブと拳骨』でデビュー。三線弾きの主役を演じ、第20回東京国際映画祭コンペティション部門にノミネートされる。その後も映画を中心に活動するが、2008年NYで出逢ったリアリズム演劇に感銘を受け、本格的にNYで芝居を学ぶことを決意し渡米。現在は日本を拠点に邦画だけでなく海外の作品にも多数出演している。近年の出演作に『ココロ、オドル』(19)、『Come & Go』(21)、『JOINT』(21)、『Sexual Drive』(22) など。今後『DECEMBER』(23)の公開を控えている。 土山直純という義足のボクサーとの出会いをきっかけに、「土山さんの実話をもとにした作品を作れば勇気をもらえる人がいるのではないか」と8年前から奔走してきた俳優の尚玄さん。そんな彼の努力が実り、生まれたのが映画『義足のボクサーGENSAN PUNCH』だ。尚玄さんが同作に込めた思いやその経緯について伺った。 ■バスケやモデル・留学など充実した大学生活、卒業後はヨーロッパに挑戦 沖縄を出て、東京の大学に進学しました。大学に入ってからは高校までやっていたバスケを続けるつもりはありませんでしたが、勧誘されて、結局体育会のバスケを4年間続けました。もともとモデルに興味があったので、キャスティングディレクターの方を紹介していただいて、モデル業も大学とバスケと並行して行っていました。2年生のときには、交換留学でアメリカにも行きました。そこでは宿題をしっかりやらないと授業についていけない大変な状況だったので、アメリカと日本の大学生の勉強への向き合い方との違いに驚きました。しかし、この経験から勉強のサイクルが身につき、勉強が好きになりましたね。そのため、日本に帰ってからも勉学に集中できるようになりました。 大学卒業後は作品集を持ってヨーロッパに行きました。本当にやりたいことは俳優業だったので、モデルにけじめをつけるため、ヨーロッパで挑戦することを決めました。ミラノ、パリ、ロンドンを一か月ずつまわって、自分がどの場所が向いているか見極めていました。ファッションがもともと好きだったので、刺激的な経験で楽しかったです。そして、お金がたまれば見たことのない風景や新しい出会いを求めて、バックパックで旅に出ていました。好奇心旺盛で、知らない土地を訪れるのが昔から好きでした。旅に行くときはWi-Fiを持たず、プランを決めないことが私のこだわりでした。 ■映画「義足のボクサー」について 映画を作ろうと思ったのは、土山さんとの出会いがきっかけです。出会った当初は気づきませんでしたが、次第に彼が義足だということを知り、彼の困難への向き合い方に感銘を受けました。私だけでなく、他にも彼の話で勇気をもらえる人がいるのではないかと思い、土山さんをモデルに映画を作ることを承諾してもらいました。実現に至るまでには、資金面、撮影地や監督のことなど、大変なことはたくさんありました。また、日本では俳優が企画を立ち上げることは主流でないため、向かい風もありました。ただ、映画を完成させるという一心で、努力ができたのだと思います。また、今作は極端に台詞が少ないということが特徴です。それは逆に、行間や台詞ではないところに思いがたくさん詰まっているということです。言葉を交わさないからこそ伝わる想いを、たくさん描いけたのではないかと感じています。 ■苦労したボクサーとしての役作り まず、ボクサーを演じる上では、ボクシングの技術はもちろん、見た目で説得力がないといけません。ボクシングにリスペクトの意味も込めて、経験者が見ても、納得してもらえるところまで持っていきたいと思っていました。しかし、役作りは終わりがないため、今見れば「もっと準備できたはず」と思い返すこともあります。もちろん、義足のリサーチもしました。普段から右ひざをさする癖をつけて、自分は義足だというマインドセットを作っていました。義足は意識するものの、実際に出来上がった映画を見て、義足を誇張していないところ、特別視していないという監督の描き方にとても好感が持てました。 他にも、コロナの蔓延や追加撮影があり、撮影が延びていたため、体の維持が大変でした。しかし、一番大変だったのは、体の維持よりも精神面の維持でした。本撮影に向けて高めていた熱量をその後の撮影にも維持できるのかが心配でした。「試合が決まらないボクサーはまさにこういう気持ちなのか」と思いながらトレーニングを続けていました。このような状況下でも活動が続けられるのは、まわりの方の支えがあるからこそなので、感謝は絶対に忘れずに、自分の出来ることを粛々とやっていきました。今回、釜山国際映画祭で賞を取れるとは全く思っていませんでしたが、賞をいただくことができて、少しでも恩返しができたのかなと思っています。 ■言葉だけでは表現できない臨場感を味わって 心をオープンにして、思うままに見てほしいです。ボクシングを題材にしていますが、その本質は一人の青年が自分の夢のためにフィリピンにわたるヒューマンドラマだと思っています。父親の愛情や地元で自分を待ってくれている家族への想い、一つの夢の引き際やその先など、言葉が少ない分、いろいろな方に共感してもらえる部分があると感じています。また、商業映画とは少し違って、地元の人が出演したり、トラブルがあったり、台詞が間違っていたりしてもそこを活かすという撮影の仕方でした。カメラも三脚を一切使わずに手持ちで撮影していたため、臨場感があり、すべての瞬間で、生きている感覚を味わえると思います。 今後も、自分発信で映画を作っていきたいですし、いずれは監督も挑戦してみたいです。また、国境は気にせず、広い視野で映画を作っていけたらと思っています。沖縄で育ってきたため、沖縄独特の文化や親から譲り受けたものなどにスポットライトを当てた映画も作ってみたいです。 ■大学生へのメッセージ 映画を観ている間は、スマートフォンの電源をオフにして作品に没頭したり、暗闇で時間を共有したりする、特別な時間です。普段とは違う温かみのある行為だからこそ、ぜひ大学生には直接映画館に足を運んで映画に触れる機会を増やしてほしいと思います。また、時間のある大学時代にこそ、旅に出て、観たことない風景、美しい人々に出会ってほしいです。できれば、旅に行くときはWi-Fiを持たず、プランも決めずにでかけることにも挑戦してほしいですね。 2022年5月19日取材 日本大学 3年 石田耕司 義足のボクサー GENSAN PUNCH 2021年東京国際映画祭ガラ・セレクション部門正式出品作品2021年釜山国際映画祭アジア映画の窓部門キム・ジソク賞受賞 Introduction別に特別なんかじゃない―義足のため日本でプロの夢を絶たれた男がフィリピンでプロボクサーを目指した感動の実話 6月10日(金)より全国公開中 監督:ブリランテ・メンドーサ 出演:尚玄、ロニー・ラザロ、ビューティー・ゴンザレス、南果歩  ©2022 「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会

イベント・企業紹介

劇場都市TOKYO演劇祭

数多くの劇場が立ち並ぶ東京。しかし、日常的にはその演劇文化は、いまだ浸透しているとはいいがたい部分もあります。そこで、演劇や劇場が、街や社会と大いに融合をしていく機会を作るため、1月10日から3月31日まで開催されたのが「劇場都市TOKYO演劇祭」です。 今回、『学生新聞オンライン』では、同イベントの受賞者たちや『ナビゲーション』の出演者たちにインタビューを決行!それぞれの感想や学生時代の思い出を伺いました。 PART1劇場都市TOKYO演劇祭 受賞式(2022年3月30日開催)にて、受賞者インタビュー 【最優秀主演俳優賞】鳳恵弥『ナビゲーション』主演女優 賞をとった感想としては、「皆で取った賞だ」ということです。共演者はもちろん裏で表で作品を支えてくれる方々がいて成り立つ、最高の舞台でした。舞台芸術で演じさせて頂ける機会自体が本当に貴重で、さらにこのような素晴らしい賞を頂けることは「奇跡なんじゃないか」という想いです。 私の役者人生において大きな転機となる出会いである尊敬する脚本家、江頭美智留先生と、私の憧れである先輩役者、松本梨香さんをお繋げしてスタートしたこの作品は想えば最初から奇跡溢れた作品だったようにも感じます。 そして何と言っても、初めて1等賞を頂けたことが嬉しくてたまりません。幼い頃からずっと2位、3位という結果が多く、今回が人生初の1位でした。 人と深く関われる職業として、俳優業の右に出るものはないと思います。その一方で「儚さ」も感じる業種。作品をつくる数ヵ月間は仲間たちと密に関わりますが、千秋楽を終えるともう一生会わないということも。そんな「儚さ」も魅力の一つかもしれません。 今後の目標として、仲間づくりやまた先輩方から学ばせて頂いたことも次の世代に伝えていくということにも意識を持っていきたいと思います。40歳という人生の折り返しを迎え、世代交代も感じる日々(笑)今後は自分が女優として演じた「軌跡」を残していきたいです。 演劇と聞くと、学生はまだ「未知の世界」という感じる方も多いかもしれません。だからこそ、このような演劇祭が多くの学生にとって演劇に触れる機会になれば嬉しいです。演劇は人生に素敵な影響を与えてくれるもの。身近な人が出ているものから、ぜひ触れてみてください。(取材・文/東海大学 4年 大塚美咲) 【最優秀助演俳優賞】 松本梨香『ナビゲーション』出演女優 賞をいただけて嬉しいのと同時に、「これからはもっと演劇を盛り上げる立場にならなくては」という責任感も強くなりました。これまで呼吸をするように舞台の上に立ってきました。お芝居を通じて誰かの立場になりきり、セリフという言霊を通してファンの方の心の支えになりたいという想いがありました。観る人が「よし、明日もいきてみようかな」と思えるような活力を届けていきたいです。目指すは「みんなの強力ビタミン剤」です! また、この賞は表現者としての私の背中を押してくれる受賞となりました。次の目標はパラリンピックで国家斉唱をすることです。舞台と違って、「歌」という限られた時間の中で、いかに視聴者に元気を届けられるかに挑んでいきたいです。そう思うようになったきっかけは、以前に私が養護学校の生徒さんに向けて歌を歌った際に、その父兄の方がとても喜んでくださったことです。これからも歌を含め「表現者 松本梨香」として自分ができることは全て行なっていこうと思っています。 自分が目指す姿を思い描くだけでなく、行動に移していくことが大切だと感じています。そのための第一歩として私が行なっているのは、自分が成し遂げたいことを10回以上口にしていくことです。「叶える」という字は口に十と書きます。口にすると自分の言ったことに対して責任のある行動を追求するようになるので、よかったら皆さんも実践してみてください。(取材・文/津田塾大学 4年 宮田紋子) 【最優秀新人俳優賞】 吉田知央『トワイライトの涙』主演俳優 最優秀新人俳優賞を受賞出来た事に今、本当にびっくりしています。1月に舞台が始まってから、初主演という事もあり、自分への挑戦でもありました。ご縁があって立たせてもらった舞台で、普段からお世話になっている方と演劇を出来て、純粋に楽しかったです! のびのびと主演を出来たのは周りの方々の支えがあったからこそで、僕だけの力だけではないと思っているので本当に感謝でいっぱいです。これからは新人の枠を超えて頑張っていきたいです。 今回の作品はミステリーコメディーですが、お客さんが笑った中に緊張感を持たせ、どんな展開なんだろうと引き込ませられるのが俳優業の魅力ですね。ストーリの中のセリフを通じて、世の中へ向けて心に刺さる言葉を届けられる特別なお仕事だなと思います。 ドラマや映画なども出演してみたいですが、枠に囚われず、好きな事を仲間と一緒に出来てご飯が食べられる様になりたいですね。もっと演劇を観てもらうために大きな劇場で公演をしたり、主演を演じたりしたいです。 学生の皆さん、このご時世で楽しみや思い出が無くなってしまっても、気が沈んでも何も変わらないので、しんどいと思わずに生きる活力をプラスに考えてみてください。今できる青春を存分に謳歌してほしいです。(取材・文/国立音楽大学 2年 岡部満里阿) ■PART2こけら落とし公演『ナビゲーション』マスコミ公開リハーサル(2022年1月12日開催)実行委員長&出演者インタビュー 劇場都市TOKYO演劇祭 実行委員長 佐山泰三 東京って、世界中のどこよりも一番劇場の数が多いんですよね。そういうツールが揃っているのに、活用できていないのが現状です。 でも、実はこれって日本の他の部分にも言えてしまう。例えば公民館や教会。これらもハードの部分は日本が作っているものの、ハードを活かす中身まで充実できていないのが現実なんです。要は作るだけ作っておいて、「中身がない状態」なんです。 わかりやすく言うならばパソコンですね。パソコンも実際に触れる部分であるハードだけ工場作っても使えないですよね。ハードよりもむしろソフトのほうが実際利用する回数は多いじゃないかってくらいソフトの部分は大事。でもそのソフトの部分は、これまで話したように今の日本には殆どない。だから劇場においては、そのソフトの部分を充実させる演劇祭が必要。演劇の良さっていうのは見た人じゃないと、実際に会場に足を運んで自分の目で見てみないとわからないものなんです。 私も中学時代に演劇に関わって、自分の目で見た、得た感動って今も忘れていない。リアルの感動って一生忘れないんですね。生の感動は人生を通して一生涯残り続けるからこそ、こうした生で見る機会というのをどんどん増やしたい。少しでも良いソフトを作って発信していくのは私たち劇場側の責任。素晴らしい芝居を1人でも多く見てもらって、次の世代へ継承していきたい。今回劇場都市TOKYOを構想するにあたって、東京都の援助もあります。これを毎年できるようにして、自分のやりたいことに自らチャレンジする人たちをどんどん排出していきたいです。 (取材・文/神奈川大学 卒業 竹尾あさと) 『ナビゲーション』脚本家・江頭美智留 3年前から死体を運ぶ話をやりたいと思っていましたが、どんな人が運べばいいのかとずっと考えていました。そんなときに、鳳さんと松本さんとの出会いがあり、この二人なら大好きな「テルマ&ルイーズ」という作品のような二人になれるのではないか。そう思い書いたのがこの作品です。自分で書いたもので泣けるのはとても幸せなことだと思いました。一度観た後に是非とも、もう一度観ていただきたい作品です。 私は大学で脚本を教える授業を受け持っていますが、現在の学生はとにかく真面目で、課題にも熱心に取り組んでいると思います。それと同時に、本当に繊細で、授業や学校に来られなくなってしまうことも多いですね。 学生と話していると、「友達はこうしている、でも自分は出来ない」という子が本当に多くて。私は昔から他人のことは邪魔しないで、自分のやりたいことだけをやればいいと思って生きてきたし、周りにも言ってきましたが、そういう風に生きられない人もいるということを、この数年、学生と接したことでわかってきました。 誰にも話せなくたっていいので、とにかく焦らないこと。私自身も遠回りしたことがたくさんあります。時間をかけて、他人と比べず自分の好きなように生きていいんじゃないかなと思います。 (取材・文/日本大学 3年 柴野桃七) 『ナビゲーション』主演女優・鳳恵弥 リハーサルが終わって楽屋の方にもどったときに江頭先生に「泣けたよ」と言ってもらえて、褒めていただけました。今はそれがすごく幸せです。そして、東京は大きな劇場都市だと再認識できる演劇祭を佐山さんに作っていただきました。その演劇祭という目標に向かってチャレンジできる幸せを噛みしめながら、稽古場での練習や本番を迎えることができました。これは演劇人生の中でも何本指に入るくらい大きな分岐点になっているような気がします。 しかし、どの劇団も同じように切磋琢磨しながら稽古をし、葛藤していると思います。それに負けないように、我々も一つでも多くの賞を取れるようにもっともっと上を目指してやっていきますので、お客様一人ひとりが審査員という気持ちで、厳しい目を持って見ていただきたいです。 そして、今回の作品は伏線が多く張り巡らされていて、小気味いいテンポの作品なのでそうした臨場感を劇場に感じに来てほしいです。また、作品の中では何度も「大丈夫」という言葉がちりばめられていて、みんなを励まし、後押しするような温かい作品になっていると思います。 (取材・文/日本大学 3年 石田耕司) 『ナビゲーション』出演女優・松本梨香 今回、この作品を素敵なキャストとカンパニーでやらせていただけたことが嬉しかったです。この作品には、人間臭さみたいなものがぎゅっと詰まっていて、いま、みんなが忘れかけているようなものが入ってると思います。 私はこの作品の中の「大丈夫」という言葉がすごく好きです。幼い頃、私が迷ったり悩んだりした時に母親が「できるから大丈夫」と言ってくれた事で、コロナ禍で、劇場がどんどん潰れていき、役者の友人が引退したりと、2年間辛いことや苦しいことなど色んなことがありましたが前を向け、大変な事でも乗り越える勇気をもらえたのです。これからもみんなに元気や笑顔を届けていきたいです。そして私たちが全身全霊命を燃やして「役者バカ」でやっていることの想いも伝わったらいいなと思っています。来場されるお客様は私たちの役者としての「命」に繋がっています。 お芝居をやっていてもすごく感じるのは、「生まれてきたこと自体がすごい」ということです。我々はこの世に、自分の意志でしか生まれないのだそうです。生まれるというのは知らない世界に初めて飛び込むということで、恐いことだと思うのです。なので、そんなすごいことを既に成し遂げてきた自分自身のことをもっと信じてあげてください。そして、人は地球に立っているだけでも常に前に動いています。人に後戻りはないのです。自分のペースで一歩一歩ずつ前に向かって歩んでいってください。 (取材・文/津田塾大学 4年 宮田紋子) 『ナビゲーション』出演&音楽担当・パッパラー河合 舞台で演技をすることは初めての経験でした。幾度となく行ってきた音楽のステージは準備無しで挑むことができますが、舞台となると勝手が全く違います。リハーサル中、目に涙を浮かべながら演じている鳳さんの姿が自分にとってはすごく新鮮でした。作品中の楽曲についてはすべて自分が手掛けています。脚本家の方も同じだと思いますが、自分の書いた曲は子どものようなものです。 約2年前からコロナ禍が始まり、オフラインでの活動ができなかったころはライブ配信で音楽を届ける活動もしてきました。ライブ配信は、初めは物珍しさから注目を集めますが、何度も見てもらえることありませんでしたね。やはり、生で届けるエンターテインメントに勝るものはないと、コロナ禍の経験を経て改めて実感しました。 学生時代はやりたいことがたくさんあると思います。しかし、ほとんどのことは上手くいかないという心待ちで挑んでください。私自身学生時代にバンドを始めましたが、売れ出したのは10年後です。何かをやり始めた当初は周りから認められないかもしれませんが、それが当たり前です。失敗は成功のプロセスになるので、そこで気を落とさず努力を続けてください。 (取材・文/東海大学 4年 大塚美咲)

学生新聞インターン

アパグループ 社長兼最高経営責任者(CEO) 元谷一志

原点となったのは、父からの教え「情報の感度を磨け」。 アパグループ 社長兼最高経営責任者(CEO) 元谷一志 (もとやいっし) ■プロフィール1971年4月20日福井県生まれ。石川県出身。1990年石川県立金沢二水高等学校卒業。1995年学習院大学経済学部経営学科卒業。住友銀行にて5年間勤務した後、1999年11月アパホテル株式会社常務取締役として入社。2004年に専務取締役に就任した後、2012年5月にアパグループ株式会社代表取締役社長に就任し、グループ専務取締役最高財務責任者、グローバル事業本部長を歴任。2022年4月アパグループ社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、現在に至る。 ホテルやマンション開発などのリーディングカンパニーとして、誰もが一度は、その名前を目にした事があるであろうアパグループ。そのCEOである元谷一志さんは、常に時代を先取り、数々のイノベーションを起こす経営者としても知られています。そんな元谷さんが、「生まれた瞬間から受け入れてきた」と語る自身が感じる使命や、世の中の動きを俊敏にキャッチするため、日々心掛けていることなどを伺いました。 ■父から学んだ帝王学  昭和46年私が生まれた日、父が独立し、会社設立申請登記をして、いまのアパグループが誕生しました。幼少期から「会社を継げ、継げ」と言われて育ったため、「自分は将来経営者になるのだな」という宿命を受け入れていましたね。私は人生において、宿命と運命があると思います。仕事や結婚は運命で能動的に選べますが、宿命からは逃れられない。小学生の頃、私が21時に寝ても、父の帰宅時23時頃に起こされるんです。そして、その時に、父の身体のマッサージなどをして、今日1日 学校であった話などを話していました。父は恐らくマッサージ中に私と話す事によって、強制的にコミュニケーションを取っていたんですね。父からは、「ひとりの子どもとしてでなく、ひとりの人間として育てる」と言われ、帝王学を沢山学びました。そのとき教わった数々の教えの中でも、特に今でも生きているのは、情報をキャッチする大切さです。 ■「社会勉強」を意識していた大学時代  高校までは金沢で過ごしていて、大学では東京に行きたくて学習院大学の経済学部に入学しました。一浪して入学したのですが、私の世代はベビーブームと言われていて人口が多かったので、受験競争も激しかった。「一浪」と書いて「ひとなみ」と呼ぶほど一般的でしたね。大学生活ではドイツ文化研究会とテニスサークルの2つのサークルに入ったり、家庭教師のアルバイトをしたりしていました。家庭教師のバイトでは、いかに要領よく少ない労力で点を取るかをポイントに教えていました。ただ、大学時代に意識していたのは、社会を知ることです。親からはずっと「テストより社会勉強をしっかりしろ」と教え込まれていました。物事には何事にも理由がある、その理由を「なんで?」と考えるクセをつける様に言われていました。疑問を持たないと「生み出す」という事自体が喪失してしまいますからね。 ■東京の中心で情報感度を磨いてきなさい  「情報の感度を上げろ」これが、父から言われた言葉です。上流の情報をつかめば、それが仕事になるのです。世界で起こっている事に目を向け、いつでも最前線の情報を自ら仕入れれば、ビジネスになります。逆に感度が低い人はビジネスには向いていないです。例えば、東京で流行ったものは地方に遅れてきて流行ります。時差があることは格差になって、ビジネスとなります。日本人には2つの特性があると思います。一つ目は老舗企業へのリスペクト。二つ目は西洋ブランドへの敬慕。こちらも地方の時間軸で成り立っています。アパグループは開業51年で老舗企業ではないですが、世界で部屋数では19番目のホテルチェーンになりました。それは情報の活かし方によって成ったものだと思います。 大学4年生の時に父から「本当に継ぐ気はあるのか?」と問われました。「その気があるなら銀行に行け。継がないのであればどこへ行ってもいいけど、『遺産の遺留分を放棄する』と一筆書いて行け」と言われました。「銀行へ行け」というのは、「お金は人間の血流だからお金のメカニズムを学べ」という事でした。私は会社を継ぐ事を決意して住友銀行へ入行しました。継いだ理由は二つあります。一つ目は親孝行のため。そして二つ目は起業家になるためにゼロから事業を行うのは無理があるが、いまある種を雪だるまのように大きくするのも良いなと思ったからです。当時はまだホテルが地方に四つしかなく、事業を成長させる素地はあると感じました。また、「事業を運営する上では、銀行の心理やテクニックを知らないとダメだ」と感じ。銀行で、の信用審査や税の流れなどを理解した上で家業に戻りました。 ■ITや効率化を進める、アパグループの進化  私たちアパグループでは事前決済を取り入れています。予約の手間がかかる事もありますが、事前決済しておくと、キャンセル率が減るのです。また、お客様にお部屋を選んでいただけるため、いろんな方の用途に沿ってサービスできるメリットもあります。ホテル業界での事前決済の展開は、日本では私たちが業界初となりました。 効率化の点でいえば、バックヤードを極力小さくして、一個ずつの客室スペースを増やしました。従業員の部屋は違うところで借りて、無駄なスペースは客室にして収益化を図っています。 また、アパグループはITに力を入れており、インターネット予約をいち早く取り入れました。新しい企画を一つ出す度に、満足度が低減しないようイノベーションも進化させます。お客様にも成功体験をしていただき、帰宅時間軸でキャッチアップできるよう、自社サイトを充実させ、お客様と直で繋がれるアプリも作りました。 ■日々大変なのは、ONとOFFの切り替えがないこと  日々の経営で大変だと思うのは、サラリーマンと経営者は全く違い、ONとOFFの切り替えが出来ないのです。四六時中、仕事の効率化を考えてしまうのです。私自身、遊びでゴルフに行くのですが、自身でゴルフ場の経営もしているので、運営するための効率をついつい考えてしまいます。このように仕事と遊びが繋がっているからこそ、ヒントがある事もあります。そのため、ヒントを得るため、ときには他のホテルに泊まることも多いですね。 ホテルという存在は体験型ビジネスです。人が死ぬ時に後悔する事は、「見たかった」「食べたかった」「行きたかった」 だと思います。これらはあくなき欲求のど真ん中に位置します。こうした潜在的な体験欲求をホテルは満たします。その中で、どうやって選ばれるかホテルになるかを追求するため、トライ&エラーを繰り返して最善を尽くします。ときにはもちろん失敗することもあります。でも、その要因はタイミングで。実は早過ぎただけかもしれない。そんなミスマッチが起こらないように、常に時代に沿って適応するように心掛けています。 ■学生へのメッセージ アパグループでは、能動的、固定概念を持たず、意欲的な学生を採用したいです。私は最速であり、三角形の重心の皆さんのど真ん中の存在になりたいと思っています。 大学生の皆さんは今、人生の岐路に立っている事だと思います。そんな時に大事な事は迷わずに飛び込む事です。不安に思うことも沢山あると思いますが、まずは体験してから考えてみてください。ためらわずに体験に貪欲になり、物事に取り組んでみてほしいと思います。自分自身で納得できる人生を送ってください。 2022年5月2日学生新聞オンライン取材 国立音楽大学 2年 岡部満里阿

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株式会社セブン&アイ・フードシステムズ 代表取締役社長 小松雅美

ボトムアップ型で全員が経営に参加できる企業を目指して 株式会社セブン&アイ・フードシステムズ 代表取締役社長 小松雅美(こまつまさみ) ■プロフィール 1960年千葉県生まれ。日本大学文理学部卒業後、1986 年に株式会社デニーズジャパン(現株式会社 セブン&アイ・フードシステムズ)入社。現場の店長や地区担当マネジャーを経験後、営業本部 総括マネジャー や 商品開発 部長、レストラン事業部長などを経て、2017 年 3月に代表取締役社長就任。 「社員やパートの方の成長に関われることが一番の喜び」だと語るのは、株式会社セブン&アイ・フードシステムズの小松雅美社長だ。大学時代に、障がいを持つ人々の介助に関わったことから、社会をどうすればよくできるかを考えるようになったという。現在、自身が運営を担当するファミリーレストランのデニーズだからこそ、お客様に提供できる価値や、今の若者に向けた熱いメッセージを伺った。 ■障がいを持つ人々の介助から学んだこと 大学時代の経験として、一番印象に残っていて、現在でも思考や行動の礎となっているのが、障がいを持つ方が集まる施設で介助をさせて頂いたことです。今でこそ、エレベーターや多目的トイレなど様々なバリアフリーが充実していますが、当時は障がいを持つ方が外出することは難しかった。たとえば、現在では、車いすの方が電車に乗る時に駅員さんが補助をしてくれますが、私の学生時代は、車いすの方が階段を上るときは、周りの人々に声をかけて手伝ってもらうことが多かったです。その介助を通じて、年齢などに関係なく手伝ってくれる方は一定数いることに気が付き、人の優しさを感じましたね。ただ、その一方で、社会の矛盾やゆがみを感じるようにもなりました。 ■人の成長の過程を見ることに楽しさを感じる 当初は教員を目指していましたが、4年生の時に「本当に自分が教師になっていいのか」と悩み、教員になるために必要な単位を1つ取らずに卒業し、卒業後はホテルに入社しました。 ホテルを選んだのは、飲食業でのアルバイト経験があったからです。大学に通う傍ら、介助を週5、6回ほど行っていたため、介助に行くための交通費や日々の食事代を稼ぐためにいろいろなアルバイトをしていました。そのときに、アルバイト先で料理に携わったことから関心を持ち、「コックになりたい」と思いました。 当時、大卒でコックになる人は珍しかったので、周りが私を見る目は懐疑的でした。ただ、一生懸命に働き続けたおかげで、次第に先輩からも認められるようになりましたね。 そんなとき、たまたま友人の務めている学校が規模を拡大し、「教員が不足しているからやってみないか」という話をいただきました。取り残した1単位を通信課程で取れば教員になれるので、仕事をしながら勉強できる環境を求め、デニーズに転職したのです。 しかし、いざ転職したところ、思ったよりもデニーズでの仕事が忙しく、勉強する時間がなかなか取れません。さらに、働いて一年が過ぎたころ体を壊してしまい、「何故私はコックをやめて、デニーズにいるんだろう」と考え、自分の仕事について改めて見つめ直しました。 当時の私は、デニーズで働くアルバイトの方々の教育を通じて、彼らの成長の過程を見ることに楽しさを感じていました。それに気づいたとき、「これは教師よりもやりがいがあるのではないか」という考えに変わり、教師の道ではなく、デニーズで働き続けることを選びました。 ■食を通して人の命や健康を扱っている尊い仕事 仕事のやりがいは、お客様も含めて人と人が出会い、生まれる効果を感じられることです。働き始めたときから、人間の命や健康という人生の根幹に関わる尊い仕事をさせて頂いているという思いはずっと変わっていません。また、この仕事の醍醐味は人の成長だと思います。我々の理念を体現してくれる社員やスタッフは宝物であり、彼らの成長に関われることが本当にありがたいことです。毎日お客様から様々なご意見を頂くのですが、お褒めの言葉をいただいた時は本当に嬉しいです。反対に、お客様からお叱りを受けることもあるので、いただいたご意見を参考に、日々改善に向けた取り組みを進めています。 ただ、頭では「こうしたほうがいい」とわかっていても、その理念を社員やスタッフのみなさんに体現してもらわないと意味がありません。だから、日々、「どうしたら、自分の理想と会社の理念を1万1千人以上の全社員に伝えられるか」を、常に考えています。自分の想いを伝えるため、いろんなことに取り組んでいるのですが、その一つが、毎週全従業員に向けて手紙を書くことです。その手紙には、自分の考える会社の在り方や接客の理想像などを書いています。ありがたいことに、この手紙に対して、社員だけではなくアルバイトやパートの方からも感想文が届くのですが、それを読んだり、返事を書くのも楽しみですね。 ■デニーズの魅力は、親しみやすさとこまやかな変化にも対応できる点 ファミリーレストランであるデニーズの魅力は、地域社会に根付いているため、お客様との距離が近い点だと思います。そのため、日々、フレンドリーサービスを心掛けていて、「いらっしゃいませ、デニーズにようこそ」という挨拶も、お客様に親しみやすく感じてもらえるように考えたものです。常連のお客様によっては「いつもの」という一言でオーダーが通るなど、お客様との距離感や明るさもデニーズの魅力だと思います。また、デニーズはセントラルキッチンを持っていません。ひとつ一つの商品を自社の商品開発部と購買部門だけでなく、メーカーなどお取引先様とタッグを組んで開発している点が、他社との差別化につながっていると思います。技術と情報を一番もっているのはメーカー様なので、メーカー様の知見と私たちの知見を組み合わせることによって、より良い商品を開発することができます。また、お客様の嗜好の変化にも、こまやかに対応できるのがメリットです。 ■時代の変革期ゆえ、自分の意見が言える人がキーパーソンに 私たちの会社は対面での接客業がメインなので、人と人との関係つくりが好きな人や人に関心がある人、元気で明るくチャレンジ精神がある人と一緒に働きたいと思っています。今は大きな変化の時です。変化が激しいため、誰にも経営の正解や活路が分からない状態といえます。そんななか、トップや経営陣だけの経験や知識に基づく方策・施策だけでは、社会の変化に対応ができずにスピードが遅れる可能性があります。だからこそ、会社の理念に共感して共鳴しつつも自分の意見を持ち、活発に議論ができるような方がキーパーソンになると思います。会社の構造自体も、どんな人でも自由に意見が言えるようなボトムアップ型の構造になるように改革中です。実際に、私たちが今やっている取り組みのなかでも、ボトムアップ型で出てきた意見が反映されて、成果が出ているものもあります。今後も、社員1万1千人の経験と知識を総結集し、さまざまなトライ&エラーを繰り返して、この荒波を乗り越えていきたいと思います。 ■message大学生への皆様へ伝えたいことは2つあります。1つ目は失敗を恐れないでほしいということです。失敗を通して自分の中にいろいろな引き出しが増えていき成長につながります。トライ&エラーを繰り返して、どんどんいろんなことにチャレンジしていってほしいですね。2つ目は小さな行動の積み重ねが重要ということです。豊かな明日を作り、守るために、私たちができることは身近にたくさんあります。小さな行動のひとつ一つが社会課題の解決や持続可能な社会の実現につながると思います。 学生新聞オンライン2022年3月24日 明治大学3年 酒井躍

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斎藤工  自分の弱さを認めてこそ強くなれる

俳優 斎藤工(さいとうたくみ) 主演作Netflixオリジナルシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』が4月21日に配信スタート。齊藤 工名義でFILM MAKERとしても活躍し、「Asian Academy Creative Awards 2020」で最優秀監督賞を日本人として初受賞。監督長編最新作、映画『スイート・マイホーム』(主演・窪田正孝)が2023年公開予定。被災地や途上国の子供たちに映画を届ける移動映画館プロジェクト「cinéma bird」主宰や、俳優主導のミニシアター支援プラットフォーム「Mini Theater Park」の発起人など、活動は多岐にわたる。 高校生の頃からモデルとして活動し始め、2001年の公開映画で俳優デビュー。2012年には監督デビューも果たし、活躍の場を広げている。2022年5月公開の映画、「シン・ウルトラマン」との出会いや映画にかける想い、俳優という職業や学生に伝えたいことなど、等身大の斎藤工さんのお話を伺うことができた。 ■俳優という「職人」と向き合う 人間という生物は機能性が一番重要なポイントだと思います。その機能性を発揮して誰かにとって価値あるものを生み出す人が「職人」であり、役者という存在も職人であると考えています。僕はそんな「職人」に対して憧れがあります。ただ、その一方で、その人間の持つ美しさである機能性が自分の中には見当たらないということを20代、30代で感じ、どうしようもない気持ちになりました。自分の作品を見ると、自分の表現の甘さや能力の足りなさに対して打ちのめされます。 当たり前のことですが、俳優は台詞を覚えてカメラの前に立つことを求められます。そんな俳優である僕は、どんなに苦しくてもリアリティのあるものを映像として残すことを常に意識し、試行錯誤しながらより良いものを作り続けていかなくてはなりません。自分の作品を見返して、反省し、何が悪かったのか研究をして、新しく考えたことを実践する。そして、その実践したものを見返してまた反省する。このサイクルを繰り返すことで自分の中にある見えない筋肉を鍛えていきます。それは生まれついた筋肉ではなく、逆境を乗り越えるために生まれた必要な筋肉であり、その筋肉を鍛えることで人間としてはもちろんですが、俳優としても強くなれるのだと思います。 僕は俳優を選択し、下積みを重ねてきた過去の自分は間違っていないと認めながら、未来の見えない何かにどう向き合っていくのかを考えています。今の自分はその「何か」を得るための必要なプロセスの一部であることを常に意識して、演技に励んでいます。その「何か」を得ることは生涯ないのかもしれませんが、それでも人間はもがき、強くなっていくしかないのだと思います。だから僕は弱さや過去と向き合って強くなっていきたいです。 ■「シン・ウルトラマン」への想い この役を頂いたときには、自分の今まで生きてきた人生全てがこの作品につながっていたかのような、今までに感じたことのない不思議な感覚を覚えました。僕は、今まで人間という得体の知れない知的生命体を自分なりに研究してきました。そして、この作品に出会い、自分自身が研究し続けた「人間とは?」と言う問いについて、一つの答えが描かれているような気がしました。だからこそ、この役を頂いたときには見えない何かが伝わったというか、点と点が線でつながった感じがして、緊張や楽しみな気持ちを大きく超えるぐらい興奮しました。それと同時に、学生から今に至るまでやめずに俳優を続けられた理由がこの作品に出演するためだったのかもしれないと思うほど、自分の全てを肯定してくれるかのような出会いでもありました。この「シン・ウルトラマン」との出会いは、今までの人生だけではなく、これからの人生においても特別な出会いであり、また必要だった出会いとして、自分の大きなターニングポイントになったと確信しています。 僕は映画中に神永が言うセリフの「はざまにいるから見えるものがある」という言葉がこの映画のすべてだと考えています。この映画は、誰しもが物心ついたころから存在するキャラクターの「ウルトラマン」を通して、過去と未来、そして現在を同じ目線でつなげることができます。人間についての謎を解き明かす大きな手掛かりとなるような作品です。躍動感とリアリティのある映像を多くの人が楽しんでくれたら幸いです。 ■若いということを最大限に生かす 若さは歳を重ねた人からすれば、何億円出しても買いたいものであるということが、歳を重ねていく上でだんだんとわかってきました。若いうちに成功を収めている方や既にスペックの高い方もいるけれど、それはとんでもなく価値のあるものであり、かけがいのないものです。特に日本は、名前の後ろにかっこで年齢をつけるくらいに年齢というものに最高峰の価値を置いているような気がします。この価値観や考え方は、海外に行くと全くないので、僕は違和感を覚えてしまうほどです。そんな日本という「若さ」により価値がある国で生まれたからには、若さがあるという価値を最大限に活かし、それを勇気に変え、どんどんトライしてください。そして、小さな切り傷や擦り傷をつくって、強くなってください。 今の若い方たちは、スマートでスムーズに生きていて、摩擦を未然に回避することに長けているように見えます。それは今の時代を生きる上で必要な能力なのかもしれないです。しかし、それでも避けすぎてしまったが故に見えなくなってしまうという実態はあるのではないかと思います。コロナ禍で対峙することが難しい世の中だからこそ、対峙する人や物から学ぶだけではなく、自分からも学んでほしいです。一番遠いと思っていたものが一番近かったということがあるように、自分という存在としては一番近いがゆえに考えが及ばぬくらい遠い自分に問い、より深く学んでください。 (明治学院大学 令和4年卒業 小嶋櫻子) 『シン・ウルトラマン』 出演:斎藤 工・長澤まさみ・有岡大貴・早見あかり・田中哲司  / 西島秀俊・山本耕史・岩松 了・嶋田久作・益岡 徹・長塚圭史・山崎 一・和田聰宏 企画・脚本:庵野秀明/監督:樋口真嗣/音楽:鷺巣詩郎/主題歌:「M八七」米津玄師 2022年5月13日(金)全国東宝系公開中 Ⓒ2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©️円谷プロ 撮影協力:カメラマン 広田成太 <英文記事> Actor Takumi Saito Facing ” the craftsmen” of actors. ■ProfileNetflix’s original series “Hiyama Kentaro’s Pregnancy,” in which he plays the lead role, began streaming on 21 April. He...

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アートアクアリウム美術館GINZA

「アートアクアリウム美術館 GINZA」が2022年5月3日(火・祝)、銀座三越新館8階にオープンしました。「百華繚乱~進化するアート~」をテーマに掲げ、15年目を迎えるアートアクアリウムの更なる進化とこれまで以上に華やかな空間で私たちを迎えてくれます。 ■アートアクアリウム美術館GINZA の見どころアートアクアリウム美術館GINZA では、多数の新作公開のほか、これまでに展示してきた人気作品も展示予定です。オープン時は、光り輝き立ち並ぶ水柱の中を圧倒的な数の金魚が舞う「金魚の回廊」、金魚という生きるアートをコレクションとして、沢山の品種を一作品ずつ鑑賞していただく「金魚コレクション」を新しい演出とともに展示予定です。 ■施設概要施設名称  アートアクアリウム美術館 GINZA (英語表記:ART AQUARIUM MUSEUM GINZA)開業日   2022年5月3日(火・祝)所在地   銀座三越新館8階 (東京都中央区銀座4-6-16)営業時間  10:00~19:00(変更になる場合がございます)休館日   銀座三越の休館日に準ずる(加えて、メンテナンス等により不定期で休館の場合がございます。詳しくは公式サイトをご確認ください。)公式HP   http://artaquarium.jp/ ■内覧会に参加しての感想(2022年5月2日) アートアクアリウム自体は友人のインスタグラムなどで見たことがあったので知っていました。しかし、恥ずかしいことに珍しい金魚が数十匹いる程度だと勘違いしていました。 暖簾をくぐった瞬間に数えきれない程の金魚に迎えられ、あまりの美しさにシャッターを押すのが忙しかったです。 なんと言っても金魚の美しさを引き出すための演出が素晴らしく、音楽は日本の和を象徴するかの様な太鼓や弦楽器が響きわたっていました。その音楽に合わせ、光が水槽を屈折していく絵は実際に目で見ることでしか得られない喜びです。色鮮やかな装飾の中にサンゴが入っていたことも驚きでした。お花とサンゴと角材を合わせようという発想に感激しました。 関東鍼灸専門学校3年 竹原孔龍 どの展示作品にもインパクトがあって、すべての作品に魅了されました。その中でも特に、新金魚品評という展示がお気に入りです。これは今までの円形の水槽とは違い、四角型の水槽で、それが何個も並んでいるという作品です。作品それぞれでコンセプトが違っていて、光の強さや色も違います。それが暗闇の中にポット浮かび上がるように配置されている光景はとても神秘的で、金魚の種類もそれぞれ違うので見ていて飽きませんでした。また、全体を通して、光の色が順番に変わっていき、色によって作品の様相が全く違うものになるのも見ていて楽しかったです。光の色によってこんなに捉え方が変わることに驚きました。 日本大学3年 石田耕司 今回初めて観覧して、色彩や反射によって様々な視点を持ち、自らの想像力を掻き立てる空間だと思いました。ひとつ一つのコンセプトの意味を感じて、考えながら歩いていると「何を表現したいのだろう」と深く脳の中で駆け巡り始めます。 金魚が映し出す生命の美しさは一瞬の儚さにも感じました。ライトが赤い時は燃えるような情熱、青い時は洗練された命のように直感的に思いました。多方面の角度から見ると水の反射によってとても大きい金魚に見えたりして、科学的にも面白いものがたくさんありました。 提灯リウムのゾーンではまるで異世界に飛び込む門の様な雰囲気を感じ、好奇心を凄く刺激されました。物語の中に入ったような気分になり非現実の世界を想像できました。 視覚での色彩だけでなく香りや音楽も一体となったアートアクアリウムの世界観は絶妙に美しく、アートの力は人間の心に訴えかける強い力があると感じました。 国立音楽大学2年 岡部満里阿 展示されている作品を見て、美しく舞う金魚の展示だけでなく、光、音、香の演出で空間全体がとても幻想的であったことに感動しました。様々な色の照明に彩られた水槽の中で,優雅に泳ぐ金魚たちを見てとても心が癒されたと同時に、雄大な音楽と素敵な香りで非日常を味わえました。 また、灯篭や提灯のほかに、江の島の中津宮や日本庭園を彷彿させる、水琴窟に反響するような音も聞こえ、体全体で「和」を感じることができました。時間の流れを忘れられるような、とても素敵な美術館でした。 立教大学2年 福田さくら 協力:アートアクアリウム美術館GINZA(銀座三越)

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コカ・コーラ カスタマー マーケティング株式会社 代表取締役副社長 藤原義樹

常に持つのは、現場の今を見る「眼」と前向きに挑戦する「心」 ■プロフィール 1985年関西大学文学部卒業後、同年近畿コカ・コーラボトリング㈱へ入社。2010年コカ・コーラウエスト㈱執行役員を経て、2013年同社の取締役就任。2019年コカ・コーラ ボトラーズジャパン㈱ベンディング事業統括本部長に就任後、2022年3月コカ・コーラ カスタマー マーケティング㈱代表取締役副社長に就任。現在に至る。 世界有数の規模を誇り、日々の生活に寄り添ったコカ・コーラ社製品を扱うコカ・コーラ ボトラーズジャパングループ。同グループにおいてコカ・コーラ カスタマー マーケティング株式会社は全国チェーンなどを専門に、戦略的なマーケティング活動を行っている。3年で辞めようと考え入社したはずが、37年もの間、「コカ・コーラ」と共に歩んできた、同社副社長を務める藤原さんに仕事におけるやりがいやこだわりまで様々なお話を伺った。 ■根底にあった商売への憧れ 学生時代、本心では大学に進学するのではなく、自分で商売をしてみたいという考えがありました。ですが、親からは大学にだけは行ってほしいと言われていて、最後の最後まで粘りましたが結局は進学することに決めました。大学生活ではあまり熱心に勉強せず、よく遊びバイトをする日々でした。卒業後は、飲食業を東南アジアやハワイで経営したいという夢がありましたが、親は反対していたし、元手もありませんでした。それなら、まずは何年間かどこかで働きお金を貯めるのが良いと思い、当時ピザレストランでアルバイトをしていました。長く働くうちに責任者の方が認めてくださり、ビザレストランがグループ会社であったこともあり近畿コカ・コーラボトリング(現在のコカ・コーラ ボトラーズジャパンの前身ボトラー社のひとつ)を就職先として勧めてくださったんです。その出来事がきっかけで、この会社で働くことになりました。その頃はお金を貯めたら会社を辞めて、飲食店で独立するための修行をしようと考えていましたね。 ■こだわりは現場主義 入社してからは自動販売機部門に配属されました。その業務ではトラックを運転し、自動販売機まで製品を運び補充することに加えて、契約更新の営業と新しい自動販売機設置場所の新規開拓もしていました。そのうちに、取引はなくても自動販売機脇のリサイクルボックスの空容器を回収しに行くようになりました。お客さまの空容器を回収し、営業所に帰って広げてみて、何が売れているかを調べるうちに、どのような頻度、場所、職種で、どんな製品が売れているのか、自分の頭の中にデータが蓄積されるようになっていったのです。「実際にあったリサイクルボックスからこういう物が出ているので、この製品がこれくらい売れる。」自分の眼で見てきた根拠があったので、お客さまに対しての設置場所の提案も説得力が出てきました。その結果、成果が出てきて、やがて社内でも評価されるようになりました。辞める気でいましたから、プレッシャーや失うものは無かったのです。そして給料も良かった。それに目がくらんだのでしょうね(笑)。飲食業の夢は引き続きありましたが、段々と「この仕事が面白い、続けてみたい」と感じるようになりました。3年程で退職しようと思っていたはずが、気付けば7年もの間、この業務を続けていました。この時の経験から、「自分で見たものこそが事実だ」と考える癖がつきました。今でも現地・現物・現状を軸に、営業所や売り場にも視察に行き、お客さまからお話を伺うことが数多くあります。消費者と接点の多い商売なので、仕事をする環境からパッケージデザインまで、消費者からは何を求められているのか、我々には何が出来るのかを常に考え、現場の声をヒントに変えるべきところは改善するようにしています。 ■先を見据えた人材育成 人の成長を見るのは、何よりのやりがいです。こだわっているのは、自分より二代後の人をしっかりと育てること。自分の代わりは育てられたとしても、その部下が上司を支えられる能力を持っているのかがとても重要だからです。実際に自分が若い年齢で抜擢され、上司との年齢差が15歳あり悩んだことがありました。上司も大変だったでしょうね、迷惑をかけました。自分がリタイアする時には、そのようなことなく企画でも営業でも、きっちりと求められるレベルの仕事が出来るように育てられていたのならとても嬉しいですね。こんな風に、自分がいなくなった先々まで見据えることを心掛けています。 ■貫くのは挑戦し続ける前向きな姿勢 自動販売機市場は年々縮小しており、業績を達成することは厳しくなってきています。コロナ禍ということも加わり、人々が先を見通せない不安を感じながら仕事をしていることが伝わってきていました。そこで、モチベーションを上げて仕事に取り組んでもらうために、役職を与えて抜擢したり、奨励や報奨制度を作るように変えていきました。コカ・コーラ ボトラーズジャパンでは成果を上げたら評価する加点式を取り入れています。人は誰しも、良いところを見つけてもらって褒められると嬉しいですよね。減点式では新しいことに消極的になってしまうので、失敗したとしても責めることはしない。当社で大切にしているのは「お客さまに喜んでもらう」「市場で勝つ」ことなので、タブー視されているものへの挑戦もオープンです。僕が会社に務めてから37年の時が流れましたが、この精神は変わっていません。失敗を恐れず何にでも挑戦出来る姿勢が当社の魅力です。だからこそ、好奇心旺盛で前向きに仕事していただける方と一緒に働きたいです。「好奇心」と「前向き」この二つは大事なキーワードです! ■時代と共に移り変わる、これからの姿 最近では「Coke ON®」という自動販売機がオトクに楽しくなるアプリを展開しています。3400万ダウンロード(2022年3月現在)を突破するなど、多くの方にご利用していただき、サービス面での当社の強みになったと実感しています。「Coke ON®」があるからコカ・コーラ社の自動販売機を選んだと言っていただけることも増えてきました。将来的にデジタルに強い会社が我々の領域に入ってきても太刀打ち出来るようにしていきたいです。これからは環境面や多様性などのSDGsにもこれまで以上に取り組んでいきます。特に当社では清涼飲料水を売るために、エネルギーや資源を使っています。例えば、コカ・コーラ社製品の中身以外にも、洗浄用や加熱用の水など、様々な工程で水を使っていることが挙げられます。そこで我々は、製品の製造に使用した水と同じ量の水を自然に還すための活動を実施しています。また、自動販売機の消費電力を削減することで二酸化炭素の排出量を削減することや、車両の排出ガスをいかに減らすか、といったことを、私たちが事業活動を行う上で果たすべき責務として取り組んでいます。 ■学生へのメッセージ 今の時代は自分の将来に対して夢が持ちにくい、閉塞感が漂っているように感じます。これからも経済や政治などの分野で様々なことが起こり、右肩上がりのやさしい時代ではないかもしれません。しかし、大きなイノベーションで世の中が変わっていって、これまでの年功序列や学歴など関係なく勝負出来るチャンスの時代がやって来ると思います。自分自身が志を高く持ち、好奇心旺盛に色々な事に取り組んでいくと、企業に勤めても自分で起業してみても夢があるのではないでしょうか。僕も、もう一度やり直してチャレンジしてみたいくらいです。前向きに生きていきましょう! 学生新聞オンライン2022年4月4日取材 日本大学3年 柴野桃七

衆院議員

衆議院議員 環境大臣政務官 内閣府大臣政務官 穂坂泰

若い力で変えていく、強くやさしい日本へ ■プロフィール 1974年2月17日埼玉県志木市生まれ。家族は妻、3人の子、犬。青山学院大学理工学部卒業後、会計事務所へ勤務。その後、療養病院老人保健施設や特別養護老人ホーム、リハビリ病院、予備校や専門学校など中小企業の経営に従事。関東信越税理士会会員。2017年10月の総選挙で当選。現在2期目、環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官。 衆議院議員二期生でありながら、前回の衆議院議員選挙では開票率0%の状態で当選確実が報じられるなど高い支持率を誇る穂坂泰衆議院議員。環境大臣政務官と内閣府大臣政務官を兼任しながらも、スローガンとして掲げている「強く優しい日本」とはどのような国であるのか。ご自身の考える日本で変えていくべき社会の仕組みについて迫りました。 ■社会を幸せにするために政治家へ 私は昔から政治家になろうとは思っていたわけではありませんでした。私の父が政治家をやっていたので、政治は幼い頃から身近なものではあったのですが、自分が将来政治家になるとは思ってもいませんでした。政治家になると色々な面で家族を巻き込んでしまうし、ドラマや映画では悪役として描かれることも多く、良いイメージはなかったのです。大学時代は政治家や公務員には興味がなく、いつか会社を経営したいと思っていたことから青山学院大学の理工学部で会計学を学んでいました。社会に出てすぐ会計事務所に入所しましたが、平成12年に介護保険制度が確立したことをきっかけに、介護の仕事をするようになりました。介護の仕事は直接たくさんの「ありがとう」を言っていただける仕事で、とてもやりがいを感じていましたね。 しかし、介護の仕事をする中で「この社会は本当に幸せなのか?」という疑問を持つようになったのです。介護をする際、悲しいですが高齢の方の最後を看取る時があります。高齢の方が危篤状態にある時、ご家族にそのことを連絡するのですが、「処理が終わったら呼んでください」と言われ、最後を見取りにきてくれないご家族の方がいらっしゃいました。自分の家族が危篤状態にあるというのに会いにきてくれることもなく、最後の瞬間を「処理」と見做してしまうことに私は本当に悲しくなりました。このようなことが普通に起こってしまう社会は本当に幸せと言えるのでしょうか。言えませんよね? そこで、「この社会の仕組みを変え、日本の社会を本当に幸せにしたい」と思い、政治家を目指したのです。 ■環境大臣政務官としての役目 環境省の仕事は主に二つで、一つ目は、不変の原点の追求です。環境省は水俣病の問題がきっかけで厚生労働省から切り離して設立された省でした。公害病などの問題を解決し、地球の自然環境や生態系を守り、暮らしやすい環境を維持していくことが仕事です。そして、二つ目は気候変動問題の対応です。CO2の削減のための脱炭素化、プラスチックの再利用などの資源循環社会の形成、各地で分散してエネルギーを作り、その地域で社会が成り立つようにするための地域分散型社会の創造がメインとなる気候変動問題の対処法です。地域分散型社会の創造には供給側と需要側の二つの面があります。供給側は二酸化炭素を減らすことなど抜本的な解決を目指すため、経済産業省が主に活動することになるでしょう。一方で、環境省が主に力を注ぐことになるのは、需要側である国民の取り組みを促していくような政策を考えることです。最近有料になった使い捨てビニール袋が代表的な例になります。使い捨てビニール袋が有料になったことで、エコバックを持って買い物に行くようになった人が増えましたよね。このように、国民に環境に配慮した活動を促すような仕組みを考えることが環境省の一員としての役割でしょう。 ■経済力で日本を強く優しい国に 「若い力で変えていく、強くやさしい日本へ」。これは、私が前回の衆議院議員選挙から掲げているスローガンです。若者の中には、政治は何も変えてくれないと諦めてしまっているように見える人もいますが、実際はそんなことはないんですよ。菅政権で取り組まれた携帯電話料金の値下げや、現在進んでいる不妊治療保険制度の制定などは若者の声から実現に至った政策でした。若者には政治は声を挙げれば変わるということを知ってほしいと思っています。そのために、学生を集めて対談を行ったり、国会議事堂見学会を開催したりと若者との交流活動にも取り組んでいます。また、今の若者は海外をみている人が多いと感じているので、若者がグローバルに活躍できる環境を整えていきたいと思っています。教育を自由に受けられるよう、学校の無償化や奨学金の範囲を広くするなどの政策を考えています。金銭面で学校を辞めざるを得ない若者が出てしまわないよう、誰でも安心して教育をうけられるようにしたいのです。また、私のスローガンにある「強くやさしい日本」とは、弱い人が安心して暮らせる社会のことであると思っています。そのためには、強い国家、経済力、意思をもった国民が必要でしょう。その中でも特に重要なのが強い経済力です。政治において気持ちのいい言葉を並べても意味がありません。経済力向上のために、教育費や建設費など将来的にリターンがあるものに対しては、国債発行してもよいのではないかと私は思っています。 お金というものは不思議なことに、借金をして増えるものなのです。例えば、高度経済成長期に景気が良くなったのは、民間人が借金をし始めたことによりお金の量が増え賃金がアップしたのです。お金の使い手は、個人、企業、政府の三つです。今は個人と企業は投資をしない状況ですので、経済成長のためには国が借金をし、投資をすることで経済を成長軌道に乗せることが必要です。強い経済力で日本社会を支えていける仕組みを築いていくことが、私の今後やるべきことなのです。 ■大学生へのメッセージ 自分の可能性を信じてください。若い皆さんは今からなら何でもできますよ。皆さん一人一人に素晴らしいものが備わっていることを忘れないでください。自分が持っているものを認め、それを磨いていけば花を咲かせることができるでしょう。今すぐに花を咲かせることができなくても、強い根を生やしてみてください。自己肯定感を上げ、自分の可能性を信じてください。 学生新聞オンライン2022年3月7日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

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モデル・女優 嵐莉菜 自分のルーツを最大限に活かして、好きな仕事を突き...

■プロフィール 2004年5月3日生まれ、埼玉県出身。「ミスiD2020」でグランプリ&ViVi賞のW受賞。2020年よりViViで専属モデルとして活躍中。日本とドイツにルーツを持つ母親とイラン、イラク、ロシアのミックスで日本国籍を取得している父親がいる。本作が映画初出演にして初主演となる。 モデルとして活躍し、映画『マイスモールランド』で初めて本格的な演技に挑戦した女優・嵐莉菜さん。本作では初主演をつとめたが、その役柄は自身の想いと重なる部分も多かったそうです。繊細な心の動きが描写された本作に出演した感想や、現在に至るまでのキャリアなどを伺いました。 ■モデルの道へのチャンス 小さい頃からキッズモデルをしていたため、再現ドラマなどに出演したことはありました。幼少期から可愛い服を着て写真に撮られる事が好きだったので、モデルに憧れを抱いていました。実際にモデルの仕事を始めたのは、中学2年生の時にTikTokの動画が500万回くらい再生されて、バズったのがきっかけです。その動画を観た現在のマネージャーさんが私を見つけてくれ、今の事務所に声を掛けていただきました。「モデルをやりたい」という気持ちが強かったので。それ以来、本格的に活動を始めました。 事務所の先輩には憧れの方である中条あやみさんもいて、毎日仕事への興味にあふれています。現在『ViVi』の専属モデルをやっているので、プロの方々のお仕事を見ながら、「もっと頑張ろう」と勉強する日々です。 ■スタッフさんに支えられてこそ、成り立つモデル業の魅力 モデルをする上で最大のモチベーションとなるのは「可愛い」と言っていただけること。そして、私を支えてくれるスタッフさんへの感謝です。 マネージャーさんはもちろん、フォトグラファーさんやメイクさんなど多くの、いろんな方が撮影に携わってくれています。お世話になっているみなさんにいつか恩返しをしたいという想いが、モデル活動の原動力や生き甲斐になっています。 しかし、撮影などで上手くお洋服を着こなせないと、悔しくて、ネガティブ思考になってしまう事があります。そんな時は、家族と音楽に助けられています。家族は私の居場所であって、嫌なことを忘れられて心地よい空間なんです。本当に大事な存在ですね。また、悲しい時は音楽を聴くことで、誰かに寄り添ってもらっているように感じます。曲を聴くときは、「自分が後悔した事を今後どうしていけばいいのか」を考える時間にしています。ですが、大好きを詰め込んだお仕事なので乗り越えられます。 ■初主演での映画『マイスモールランド』 今回主人公のサーリャ役を演じるにあたって、とてもプレッシャーを感じました。オーディションを受ける際に「絶対にこの役を演じたい」と思っていましたが、実際に合格した時は幸せの反面、心配もありました。ですが、私が今出せるものを精一杯出し尽くす事に集中して撮影に挑みました。 サーリャという人物への役作りでは意識することが沢山ありました。1つ目はルーツを隠す為に表情が顔に出ないようにする事。2つ目はサーリャが心を開いている聡太に対しては、表情を出すようにしたことです。モデルとしての役作りとは全然違うものだったので、一ヶ月前からワークショップに参加しました。クルド人の家族に話を聞いたり、トルコ語を習ったり。何度も監督と話し合って理解を深めて撮影に挑みました。 役になりきるのは初めてだったので、自分でサーリャになりきれたと感じたのは完成したものを観てからでした。クランクアップの時には、花束を頂いて涙が止まりませんでした。それは演じる事、そして作品に一緒に携わっていた家族のような皆さんとの時間が終わってしまう事への涙でした。 ■葛藤の中にあった ’’サーリャ’’ と ’’私’’ この映画『マイスモールランド』は現代社会の複雑な矛盾がテーマとなっている作品です。全体的にはシリアスなトーンですが、恋愛、家族などの描写もありほっこりも出来ます。作品を通して色んな感情になる映画です。国籍関係なく、誰にとっても共通の問題で、誰しもが共感できると思います。 主人公サーリャと私には葛藤する共通点があります。それは『日本人』と言いたいという事です。見た目で判断されてなかなか言えないという経験は、幼少期の私自身にもありました。 サーリャとは立場は違うけど、私には5カ国のルーツがあります。日本に生まれ育っても「どこから来たの?」と言われる事があります。でも、その何気無い一言で悩む人もいるかもしれない。世の中には同じ人はいなくて、色んな捉え方があります。なので、相手の人の事を考えながら、言葉をかけることが大事だなと。 撮影期間中は演技の大先輩の方々に、自分から話しかけるなどして、たくさんの方々とかかわらせていただきました。先輩方は普段と本番とのギャップがおおきくて、とても勉強になり、「足を引っ張らないようにしなきゃ」と強く思いました。また、出番を待っている時にスタッフさんが日傘を持って来てくれるなど、皆さんの優しい支えがあったからこそ撮影できたと思います。 今後、私は進化し続けていきたいと思っています。リアルな自分と真逆の役も演じるなどして、新しい道を開いていきたいです。私自身の強みである5カ国のルーツを武器に、いろんなことに挑戦していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 私は芸能のお仕事と学業を行なっていますが、きっと皆さんもバイトなどとの学業の両立をしていると思います。その中で壁にぶつかる事もあるかもしれません。そんな時には、アニメや音楽、何でも良いですが、自分の居場所をひとつでも見つけてください。「勉強しなくちゃいけない」ではなく「頑張るために息抜きしなきゃ」というスタンスでいて欲しいなと思います。私は息抜きする時は戦闘系のゲームをしています(笑)。自分ひとりの現実逃避の時間も大切にして、好きなものと一緒に楽しい時間を過ごしてください! 学生新聞オンライン2022年3月23日取材 国立音楽大学1年 岡部満里阿 「マイスモールランド」 5月6日(金)新宿ピカデリーほか全国公開 出演:嵐莉菜、奥平大兼、平泉成、藤井隆、池脇千鶴、アラシ・カーフィザデー リリ・カーフィザデー リオン・カーフィザデー、韓英恵、サヘル・ローズほか監督・脚本:川和田恵真 主題歌:ROTH BART BARON 「N e w M o r n i n g」©︎2022「マイスモールランド」製作委員会公式HP mysmallland.jp   公式twitter @mysmallland

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<ELECTRON(エレクトロン)> デンキバリブラシ® 2.0+ボディ 新製品発売...

有限会社GM CORPORATION(本社:大阪市、代表:岡村祐子)は、厳しい目を持った美容のプロの世界で培った美容メーカーとして、「ELECTRON(エレクトロン)」ブランドを展開しています。この度、 販売から13年を迎えるロングセラー商品のブラシ型美容機器「デンキバリブラシ®」の新モデル「デンキバリブラシ® 2.0 +ボディ」のPRイベントが2022年4月12日(火)に開催されました。 ■「デンキバリブラシ® 2.0 +ボディ」について フェイス用とボディ用のアタッチメントの交換で顔や頭皮だけでなく、全身ケアを実現。今回新登場したボディアタッチメントは身体の曲線部分へフィットする形状で、効率的に低周波の電気刺激により全身をときほぐします。新たなモードも搭載され、心地よさもグレードアップした他に類を見ない製品となります。「ELECTRON(エレクトロン)」ブランドは “すべての肌に、驚きを。” をコンセプトに、結果が出なければ選ばれない、美容機器メーカーとしてのこだわりやノウハウと、独自のテクノロジーとサイエンスの調和から生まれました。活性電子水™をベースに、独自の加工を施した新感覚のスキンケア「ELECTRON COSMETICS(エレクトロン コスメティクス)」と、微弱な電流と量子波に着目して、美容体験を追求した「ELECTRON LAB(エレクトロン ラボ)」の2ラインで展開。今までにないほどの美の実感を、年齢・性別を超えてお届けしています。 ■一日PR大使EXITより 「実際に体験してみての感想は?」 りんたろー。 初代デンキバリブラシから愛用しています。新モデルは全身に使えるということで、休憩中楽屋でサッと取り出して使えそうなのが嬉しいです。自分のニーズに合わせてレベルやモード調整が可能なので、毎日の状態に合わせてケアをカスタマイズできるのもサロンにはない魅力ですね。 兼近大樹 僕は初体験でしたが、全く痛みはなく、むしろ心地よさを感じますね。電気刺激に苦手意識のある方でも、ぜひ一度体験してみてほしいです。 「デンキバリブラシを大学生などの若い世代に向けてPRするとしたら?」 りんたろー。 誰にだってコンプレックスがあると思うけれど、それを少しでもなくすことができれば学業・恋愛などもっとポジティブになれると思います。環境が変わるタイミングなどで、自分に自信を持つためにもぜひ使ってみてほしいです。 兼近大樹 いろんなことに刺激を受ける学生時代だからこそ、デンキバリブラシで表面上の刺激も当てるといいのでは?(笑) 「もし学生時代に戻れるとしたら?」 りんたろー。 自分も紫外線アレルギーで学生時代は湿疹に悩んでいました。でも、30代になって美容に興味を持ち始めてから、当時はコンプレックスで隠していた肌を凄く褒めてもらえるようになって。それが本当に嬉しかったんです。美容品一つとっても世の中には本当にたくさんいいものが溢れているので、悩んでいる方はまず手に取って試してみてほしいです。 兼近大樹 あわよくば高校生になりたいですね。自分が15歳くらいの時は、同世代の高校生の男女が青春している姿が本当に羨ましかった!なので今学生の皆さんは青春を楽しんで、そして青春の片隅にデンキバリブラシを! ■「取材を通して」  今回のイベントでは、「35歳の男性がこうして綺麗になろうとチャレンジすることで、もっと美容が性別や年齢の垣根を超えて浸透していったら嬉しい。」というりんたろー。さんの言葉が大変印象的でした。ぜひ学生の皆さんも身近なところから、美容や健康に興味を持ってトライしてみてください。 学生新聞オンライン 慶應義塾大学3年 伊東美優

イベント・企業紹介

「ミライかけはしプロジェクト オープニングセレモニー」(2022年4月2日開...

「ミライかけはしプロジェクト」は、「お買い物を『未来をかえる』きっかけに」をテーマに、いま世界が抱える地球温暖化、資源、食糧問題などの社会課題に向き合った、イトーヨーカ堂の新たな取り組みである。今回のオープニングセレモニーは、キリンビバレッジ、江崎グリコ、キユーピー、小岩井乳業、東洋水産、日本製紙クレシア、ハウス食品、マルハニチロ、Mizkan、メルシャンといった協賛企業と行政機関の協力を得て、実施された。 セレモニーでは、以前から実施している「衣料品回収キャンペーン」から生まれた環境配慮商品や未来を担う子ども達と取り組んだ開発商品などを紹介された。それと共に、「お客様と一緒に取り組む SDGs」をコンセプトに、イトーヨーカ堂がこれまでに行ってきたSDGsの地域拠点としての軌跡に加え、今後定期的に、協賛企業と新たに取り組む「ミライかけはしプロジェクト」についても紹介された。 その後は、10年間で累計1500万点にも及ぶ寄付を実施してきたイトーヨーカ堂に、公益財団法人ベルマーク教育助成財団から感謝状を贈呈する「ベルマーク協定締結式」も実施。感謝状は山本哲也社長へと渡された。それに加えて、子供の貧困対策に向けた官民連携プロジェクトのひとつである「子供の未来応援基金 寄付贈呈式」も行われた。 ■持続可能な社会を目指して 山本社長は、セレモニーの挨拶の中で「『ミライかけはしプロジェクト』を通して、日々のお買い物の未来を変えるアクションの提案をしたい」と語る。 イトーヨーカ堂では、プラスチックの削減、衣料品の再利用やフードロス対策などといった8つのアクションを通して、持続可能な社会の実現を目指している。この8つのアクションの中でも、衣料品のリサイクルとプラスチックの削減に対し、イトーヨーカ堂・衣料雑貨部の加藤氏は、「今の世の中に対応していて何が必要かを考えたとき、衣料品のリサイクルとプラスチックの削減に行きついた」と語る。 この取り組みでは、ビジネスシャツの襟の部分の付属品などをプラスチックからファイバー紙に変えることで、大幅なプラスチックの削減を実現。また、「今まで廃棄していた衣料品を回収・リサイクルし、再生糸としてよみがえらせるとこで、資源の無駄を削減できた」とも続けている。 ■食糧問題の解決のために そのほか、8つのアクションの1つとして、イトーヨーカ堂が実践するのが、お客様の安心安全につながる“顔が見える食品。”の取り扱いだ。“顔が見える食品。”は、「美味しくて安全な食品をしっかりとお届けし、お客様にご理解頂く」との想いの下、生産・流通・販売の各段階に配慮し、安全な食材を届けることを目的としている。 また、農作物や畜産品、水産物といったジャンルごとに、安心安全な食の提供に必要不可欠な要素として定めているのが「5つの約束」だ。さらに、環境や安全に配慮している日本国内の生産者と連携し、作り手の名前やこだわりを可視化し、販売を実施しているという。 セレモニー後、イトーヨーカ堂CSR・SDGs推進部統括マネジャーの小山遊子氏に、「ミライかけはしプロジェクト」にかける想いやビジョンを語っていただいた。 ■地域のお客様に喜んでもらえるために 若い世代の方々に、幸せで健康な人生を送ってもらうため、現在の環境や資源を大切に残したい。そう考えたとき、我々も何か一歩を踏み出すべきだと感じました。 しかし、今後の未来を創っていくには、イトーヨーカ堂だけでは、出来ることが限られています。私たち小売業は地域に根付いた生活インフラなので、メーカー様に協力いただきつつ、行政とも連携を取っていくことで、地域社会に貢献できるより大きな一歩を踏み出せると思い、本プロジェクトを立ち上げました。 現在、弊社商品の中には、環境に配慮した商品が少しずつ増えているので、こうした商品を知っていただき、お客様から選んでいただくためにも、より幅広いプロジェクトの認知を広げていきたいです。また、お客様の声にもしっかりと耳を傾け、ご意見をもとに検証を重ねることも大切だと考えています。そして、イトーヨーカ堂に来てくださったお客様の生活のみならず、お客様が住む“地域”にも寄り添い、伴走することで、明るい未来づくりに貢献していきたいです。 ■大学生に一言! イトーヨーカ堂は、まだまだ若い方の意見を十分に取り入れられていない部分があります。大学生の皆さんとの対話をよりすすめていくことで、これからの未来に直結する環境問題への取り組みを進めていきたいと思います。 学生新聞オンライン2022年4月2日取材 明治大学4年 酒井躍 /  明治大学4年 山本真人

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映画監督 白石和彌 映画を撮ることは、観るより2億倍も楽しい

白石和彌(しらいしかずや) 1974年12月17日生まれ、北海道出身。中村幻児監督主催の映像塾に参加。以降、若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として活動。2010年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編デビュー。主な監督作品に、『凶悪』(13)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17)、『凪待ち』(19)、『ひとよ』(19)、『孤狼の血 LEVEL2』(21)など。 2013年に公開された『凶悪』で映画界にその名を轟かせた白石監督。学生時代から映像に触れてきたが、映画監督としてやっていけるという思いはなかったという。監督の作品には常に「人間の多様性」が描かれ、観たものに何かを残す。そんな話題作を世に送り出す白石監督の映画製作における思いとこだわりを伺った。 ■続けてきた好きなこと 札幌の映像系の専門学校を卒業した後、就職をせず映画塾に入りました。その映画塾の関係で、若松プロに入ることになり、助監督として10年以上勤めましたが、映画を撮っていてもいなくても、波乱万丈でとにかく楽しかったです。しかし、30歳を過ぎたあたりで助監督の仕事をやり切ったと感じました。「助監督を辞める」と宣言し、映画製作会社で企画開発の部署で働くようになると、それまでの体を使った仕事から頭で考えて仕事をするようになりました。 そうした中で企画した『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を撮ったのですが、好きなことをやってだめだったら仕方がない、この業界から退こう、という覚悟を持った作品でした。このとき、はっきり監督としてやっていけると思えたわけではありませんでしたが、その後の一つひとつの仕事や人とのつながりから、見える風景が変わり、気持ちも変わっていったように思います。 ■映画をつくる責任 映画を撮る上で、底辺と言 われる人たちの気持ちをいつも忘れないようにしています。 映画は、権力の反対側から物事を見ないといけません。話題になった作品を見てみても、そういった人間の不条理さや反権力を描くことが映画に求められているのだと思います。その中で、人間の多面性を描くことを大切にしています。殺人を犯した人が何かの拍子 におばあちゃんを助けてあげる、そんな多面性を持つのが人間なのだと思います。たと え脇役のワンシーンでもその人のバックボーンを見せられるように、ちょっとした仕草を重要視しています。自分が撮っているのは人間だということを大前提に、エンタテインメントを作らなくてはいけないと思います。そして作品の中に落とし込むだけ落とし込めば、今伝わらなくとも歴史的作品になればいつか伝わると思っています。 ■映画をつくる楽しさ 監督を始めたときから今まで、この一本がだめだったら辞めようという気持ちで挑んでいます。そもそもここまで撮れたことが奇跡であって、観ていただく方にも真摯に向き合ってきました。しかし、映画監督だけが人生ではありません。今は、一つひとつの作品にやりたいことをとことん詰め込んで取り組んでいこうと思っています。ただやはり、この仕事って本当に楽しいんですよね。映画は観ることも楽しいですが、作る方が2億倍楽しいんですよ。楽しみ方を知っちゃっている。いつ辞めてもいいと言いながら、離れられないんだろうと思います(笑)。映画は一人で生み出せない、スペシャリストが集まって作るものです。今は、まだまだ監督として吸収できることがありますし、それをスペシャリストたちに教えてもらいながら撮っている感覚が強いです。そうやって試行錯誤して新しいことにチャレンジしていきながら、今後も映画をつくっていきたいです。 ■massage 今、コロナで大変だと思いますし、学生さんは本当にいろいろ考えているなと思います。しかし、一昔前より少し大人しくなったのではないかとも感じています。学生のときには、学生のときにしかできないことがあります。物事を知らないからこそ突き進めることもあるので、もっと行儀悪く過ごしていいと思います。大学生のうちに簡単に限界を決めず、冒険してほしいなと思います。 学生新聞別冊2022年4月号 津田塾大学4年 川浪亜紀

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建築家 隈研吾 何事にも代えがたい「楽しさ」が仕事の原動力と...

建築家 隈研吾(くまけんご) 1954年生まれ。1990 年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。30を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新 しい関係を切り開く建築を提案。主著に『点・線・面』『負ける建築』『自然な建築』 『小さな建築』『ひとの住処』など多数。 https://kkaa.co.jp/works/architec- ture/great-bamboo-wall/ 小さなころに建築に魅了され、建築の ことだけを考えて過ごしてきたという隈研吾さん。オリンピックのメイン会場である国立競技場をはじめ、数々の建 築物を世界中に生み出している。本紙では今に至る経緯や建築に込めた思いについてお話を伺った。 ■建築の世界に引き込まれてから 僕が建築に初めて興味を持ったのは小学4年生のときで、オリンピックが東京で開催されていました。実際に見に行ったのですが、会場は丹下健三さんが作った代々木体育館で、それを見て一気に建築の世界に引き込まれました。そのときから建築家になることを考え続けて大学に入りまし た。大学も年生になり、建築学科に入ってからは、いろいろな設計事務所でアルバイトをしました。原広司先生、槇文彦先生といった著名な建築家の事務所で働いたことが大学での楽しい思い出です。 卒業後は大手設計事務所に就職した後渡、米してコロンビア大学で勉強し、日本に戻って事務所を立ち上げました。 ■変化をもたらす 立ち上げ当初は順調に仕事が入ってきていたのですが、 1990年にバブル経済が崩し、東京での仕事が一切なくなってしまいました。仕方がないので空いた時間で日本中を旅しながら地方での小さな仕事を受けていくようになりました。その最初の仕事がゆすはら高知県梼原町というところでの仕事でした。この仕事から今では僕の象徴でもある木を使った建築が始まりました。 その後、次第に海外での設計にも参画していき、中国では竹家という建物を作りました。この建築が僕の中でのターニングポイントとなる建築になりました。竹家はすべて竹でできているのですが、竹はとても腐りやすく、すごくリスクがありました。しかし、 思い切って作り上げたからこそこの作品は世界中から認められ、そこから本格的に海外進出が始まりました。結果としてバブルが崩壊してからの10年間が僕にとっては一番実りのある時間だったのです。 ■楽しいから続けられた 建築をしていて一番やりがいを感じるのは、やはり建築物が出来上がった瞬間です。 今まで何百と作ってきましたが、それは今でも変わりませ ん。もちろん作っていく過程での苦労はたくさんありますが、それでも自分が考えているものが実際に立ち上がるという楽しさには勝てません。 この楽しさがあるからこそ僕は建築という仕事を続けてこられたのだと思います。 そしてそれらの建築物は、設計した僕がすべて作り上げているのではなく、僕に依頼してくれたクライアントさんであったり、実際に工事をしてくれた人など、たくさんの方々が関わってくれた結果なのです。だからこそ建築という仕事をしていく上で一番大事なことは、その関わってくれた人たちと同じ気持ちになって作っていくことだと思っています。そうでないと良い建築物はできないと思います。実際に立ち上げる建築物は、みんなが幸せになることを考えて設計しています。幸せになるっていうのは、楽しいと元気になる、リラックスできるということです。だからこそ木が重要になってくるんです。木というのは触っていても温かみがあるし、コンクリートよりもはるかに長い歴史があって人々に昔から愛されてきたものです。昔、人間が森で生まれ、森で過ごしていたことも深く関係しているのではないかと思っています。 ■message 旅をしていろいろな人に出会って、どのように仲良くなるか、自分の気持ちを伝えるかを学んでほしいですね。建築は物だけれども実は人が作るものなので、関わってくれる人とどう付き合うかが大事になってきます。だからこそ時間があるときにたくさん旅をしてほしいですね。 学生新聞別冊2022年4月号 早稲田大学3年 原田紘志 / N高等学校1年 岩井祐樹 早稲田大学3年 原田紘志 / N高等学校1年 岩井祐樹 / 創価大学4年 山内翠 / 日本大学2 年 石田耕司

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岸井 ゆきの 想いを届けるために自分の熱量を大切にし全員が同じ温...

岸井 ゆきの(きしいゆきの) ■プロフィール 1992年生まれ、神奈川県出身。2009年に女優 デビュー 。2017年映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞受賞。 映画、ドラマ、舞台とさまざまな作品に出演。 ■映画『やがて海へと届く』で伝えたかったことは何ですか。 私が演じた真奈は、大切な人を突然亡くしたことの現実と上手く付き合えていない。そんな姿がとても切ないと感じました。友情というテ ーマの中で、監督から“壁”を表現したいという話をされました。人には壁があり、わからないという美しさがあるからこそ仲良くなれる。私自身も尊敬する友人にはどこか言及できない部分を感じることがあります。この映画では後ろ姿が印象的なので、そこからも誰かを追いかけているような部分を感じてもらえたらと思います。 ■大切にしていることは何ですか? どんな作品でも自分の熱量を大切にしています。熱量がなければどれだけ良い作品でも人の気持ちを動かすことはできないと思います。監督や役者だけが熱量を持つのではなく、チーム全体が同じ温度感でやれる ことが大切です。今回の映画でも監督とはたくさん話をしましたし、幅広い年代を演じるために、メイクさんなど多くの人に支えてもらいました。誰もが良いものを作りたいと思っています。こうしないといけないというこだわりよりも、熱量を大切にしていけたらと思います。 ■大学生へのメッセージをお願いします やりたいことは全部やってみることです。悩むこともきっと楽しいと思います。また、今まで別れは卒業式のような区切りがあったと思います。しかし、今回の作品で真奈が突然大切な人を失ったように、これからは別れはまるで潮の満ち引きのように突然始まるものになり、人生が枝分かれしていく瞬間にもなると思います。でもどうか怖がらないで進んで行ってください。 ■ 取材を終えて 質問に対して一つひとつ丁寧に答えてくださる岸井さんの姿がとても印象的でした。現場の温度感を大切にされているのが言葉の端々から伝わってくるような取材でした。 学生新聞別冊2022 年4月号 津田塾大学4年 川浪亜紀 津田塾大学4年 川浪亜紀 / 明治学院大学4年 小嶋櫻子  撮影:カメラマン 広田成太 『やがて海へと届く』4月1日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開配給:ビターズ・エンド©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

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奈緒 チャンスをつかむための 準備をし続けることが 夢を叶える一番の近道

奈緒 (なお) ■プロフィール 1995年生まれ、福岡県出身。2021年ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。映画「余命10年」が公開中。NHKドラマ『雪国-SNOW COUNTRY-』(BSプレミアム・BS4k…今春放送 )。また「sunao」名義でカメラマンとしても活動している。 ■お芝居への想いと魅力を教えてください 私が初めて「これでご飯を食べていきたい」と思えたものがお芝居です。お芝居のワークショップを経験し、お芝居はよくわからないと思うと同時に、「もっとやりたい!」と楽しさに引き込まれました。こんなにもやりたいことがあったなんてと思い、お芝居の道を選びました。 お芝居の魅力は、その「わからなさ」にあります。何が正解かはわからないのですが、心を動かされる瞬間があります。また、役を通してさまざまな立場でものごとを考えられるのも面白い点の一つです。心が動く瞬間は自分でもやっていてよかったなと思うので、やりがいがありますね。 ■大切にしていることは何ですか? 「チャンスをつかむ準備をし続けること」です。 20歳の節目に上京し、仕事も知っている人もいない、求められていないという現実に不安な毎日でした。それでもやりたいと思ったので、いつかくるチャンスのために準備をしようと映画を観て、本を読みました。今の自分があるのも、あの頃の自分があったからです。 私は、夢は必ず叶うかどうかはわからないけれども、チャンスは誰にでも訪れるものと思っています。チャンスをつかむ準備をしていれば夢を叶えられるかもしれない。だから準備をなまけず、挑戦し続けたいです。「やらなかった後悔」は、一生心に残ります。後悔をしなくていいように挑戦し続け、楽しい未来に向かって歩き続け、過去の自分にも胸を張って会える自分でありたいです。 ■大学生へのメッセージをお願いします やりたい、好きだなと感じたものを追求し、絶対にくるチャンスに向けて準備をしてください!本気でやったことは無駄にならないので、楽しみながら過ごしてほしいです。そして、日常が退屈なときは是非映画館にきてください。 ■ 取材を終えて 「過去の自分がいつも背中を押してくれる」という言葉がすごく印象的でした。素敵なメッセージが多く、皆さんにお伝えしきれなくて残念です。奈緒さんの柔らかい雰囲気の中にある、熱い思いに触れることが出来て新しい学びと発見があった取材でした。 学生新聞別冊2022年4月号 明治学院大学4年 小嶋櫻子 関東鍼灸専門学校2年 竹原孔龍 / 津田塾大学 4年 川浪亜紀 / 明治学院大学4年 小嶋櫻子  撮影:カメラマン 広田成太

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加藤 綾子 作品を最後に届けるのが アナウンサーの仕事。伝えたい 想...

加藤 綾子 (かとうあやこ) ■プロフィール フリーアナウンサー 1985年生まれ。2008年フジテレビに入社し、看板アナウンサーとして活躍。2016年、フリーになり、女優としても活動中。現在は報道番組『Live Newsイット!(』CX)のメインキャスターを務めるほか、『ホンマでっか TV』(CX)のレギュラー出演中。 ■アナウンサーになるきっかけを教えてください 私は学校の教師やピアノの先生に憧れを持っていて、大学では教職を取るために片道2時間かけて通い、授業を受ける日々でした。アナウンサーに興味を持ったのは、当時付き合っていた人に言われた「アナウンサーを目指してみたら?」という一言がきっかけでした。教師もアナウンサーも、人に物事を伝えるお仕事という意味では変わらないと思い、アナウンススクールに入ることにしました。 当時、音大生は就職するような雰囲気があまりなく、アナウンサー試験の情報収集から始めました。迷った末にフジテレビを選んだのは、 職場体験のときの雰囲気が良かったことと、小さな頃からフジテレビのバラエティー番組が好きだったことが決め手になりました。アナウンサーという仕事は、作品をテレビの向こう側に届ける最後の役割です。いろいろな分野の話を 聞くことが出来るのも魅力のひとつです。 ■仕事に取り組む姿勢についてお聞かせください フリーになる前は仕事に対して受け身でしたが、フリーになってからは、私はどんな存在なのだろうかと悩み、自分自身を見つめ直すようになりました。孤独感を感じることもありますが、自分で決断したことなので後悔はしていな いです。 表に出る仕事をしていると、会社員のときは自分のことを大きく感じてしまいそうになりますが、フリーで仕事をするようになると一つひとつの仕事に丁寧に向き合い、感謝しながら目 の前の仕事に集中するようになりました。そして良いパフォーマンスにつなげられるように努力しています。 ■大学生へのメッセージをお願いします アナウンサー試験のときは、音楽大学出身の受験者は私しかいませんでした。音楽大学出身であることを強みにして、アドリブや原稿を読むときの伝え方・表現の仕方は、大学で音楽を学んだことが活きていると思います。 大学生の皆さんも自分自身の強みを見つけて、夢に向かって頑張ってください。 ■取材を終えて 私自身、大学も同じなので憧れの先輩でした。学生時代のことから音楽のお話、現在のお仕事などさまざまな視点でお聞きすることが出来てとても勉強になりました。加藤さんのお話のとおり、強みを活かし、信念を貫き通 していければと強く心に刻み込みました。 学生新聞2022年4月号 国立音楽大学1年 岡部満里阿

北之原真奈

飯豊まりえ 一つひとつの仕事に丁寧に 向き合い、常に正直な自分 であり...

女優 飯豊まりえ (いいとよまりえ) ■プロフィール 女優 1998年1月5日生まれ、千葉県出身。2012年の女優デビュー後、数多くのドラマ・ 映画に出演。2022年度前期連続テレビ小説『ちむどんどん』が控えている。『Oggi』 専属モデル、『MORE』レギュラーモデル。 ■仕事への心構えをお聞かせください 演技の仕事をしていると、初めて会う人に「久しぶり」と声を掛けたり、さまざまな職業に就 いたりと、日常とはおよそかけ離れた経験をします。撮影はリハーサルから始まり、テスト、 本番と続いていきます。一連の出来事はすべてフィックションですが、気持ちの中はノンフィ クションで挑むようにしています。 学生時代と言えば、クラスの友達から課題を教えてもらったり、ノートを借りて写したりと学業についていくのに必死でした。それだけに楽しい思い出が少ない分、こうした職業を選ばなければ決してできない経験をさせてもらっているなと思っています。私は歳からこの業界にいるので芸能人という自覚があまりないのですが、とても不思議な世界にいるのだなという気持ちになります。 ■仕事上で大切にしていることは何ですか この業界にいると、みんながいいと言う方向に進みがちになります。そんなときにありのままでいいんだということを教えてくれる先輩の存在はとても大きいです。模範解答のようなものではなく、普段どおりのありのままの自分でいられるように、自分の軸を戻してくれる先輩や友人にはとても感謝しています。これからも一つひとつの仕事に丁寧に向き合い、本当にいいと思うものを発信し続けたいと思っています。 自分に正直でいないときっと後悔します。すべ ては自分自身に還ってきますので、強い意志を持って進んでいきたいと思います。 ■massage いろいろな方からアドバイスをいただくことはありがたい反面、自分が目指していた夢を忘 れがちになります。時間は有限なので、自分が 本当にやりたいことは何なのかを慎重に考えて行動してほしいと思います。 自分自身としっかり向き合い選択してほしいですね。 ■取材を終えて 自分自身と向き合い、一つひとつ丁寧に仕事をこなしていく飯豊さん。ともすれば流されそうになる芸能界ですが、自分の意見を持つことの大切さを改めて感じました。私も自分と向き合いながら行動したいと思います。 学生新聞2022 年4月号 共立女子大学4年 北之原真奈 慶應義塾大学1年 在原侑希 / 明治学院大学 4年 小嶋櫻子 / 共立女子大学4年 北之原 真奈 / 日本大学4年 辻内海成  撮影協力:カメラマン 広田成太

伊東美優

SHOWROOM株式会社 代表取締役社長 前田裕二

ライブ配信サービスで世界中の人々に幸せを届けたい SHOWROOM株式会社 代表取締役社長 前田裕二(まえだゆうじ) 東京都出身。 早稲田大学政治経済 学部を卒業後、外資系投資銀行に入社。その後、起 業を検討し、南場智子氏に相談したことをきっかけに 2013年DeNAに入社。同年 月に「SHOWROOM」 を立ち上げる。2015年に会社分割により SHOWROOM株式会社設立し、現在に至る。 夢を叶えたい人とそれを応援したい人が集まるライブ配信プ ラットフォーム、SHOWROOM。自分が生きる証を刻みたい、 代替不可能な価値の0→1を実現したいという想いから起業を決 意したという前田社長。そんな社長が残した大学生へのメッセー ジは、「やりたいことがなくてもいい」という意外な一言だった。 ■人一倍本気で取り組んだ大学時代 大学時代、自分で学費を稼ぐ必要があったので、高額な学費を払って得る対価、つまり学びの質について少しずつ考えるようになりました。これだけ必死になって学費を稼いで払っているのだから、それに相当する対価を得なければと、とにかく授業時間あたりの学びの質を向上させたい一心でいろいろなことをしていました。授業も人一倍本気で受けていたと思いますし、ゼミのプレゼンや論文執筆も自ら進んで英語で取り組むなどしていました。当時は周りから変わっているなと思われていたかもしれませんが、ありがたいことに自分に似た感性を持った仲間との出会いもありました。そんな大学時代から付き合いのあるメンバーが活躍している様子を見るとすごく嬉しいですし、あの頃みんなそれぞれに語り合っていた青い志は幻ではなかったんだと実感します。 ■SHOWROOMを起業した理由 就職活動も外資系投資銀行を中心にさまざまな企業を受けましたが、結果的にご縁のあったUBSに入社することになりました。そして入社2年目でニューヨーク支社へ移り、20代で個人的な目標も達成することができました。 一見、理想通りのように見えますが、 給料や肩書が上がっても幸福度は大きく増幅することはありませんでした。そんな折、ごく身近な人が突然亡くなったこともあって、死生観と向き合うことにもなりました。そこで気付いたことは、パラレル世界がもしあるとして、この世界と、パラレル世界で、たいして何も変わらないじゃないか、 ということです。この世界に自分が生きた爪痕が何も残っていないという感覚です。青臭いことではありますが、自分の手によって誰かの人生を大きく変えて、更にそれが多くの人の幸せにつながる、 そんな温かい引っ掻き傷を世界に残したいと思い、SHOWROOMを起業しました。 ■世界にもっと幸せの数を増やしたい ライブ配信サービスを立ち上げてから、今までに数多くの幸せな瞬間がありました。特に配信側として活躍した方から直接言われて嬉しかったのが、「人生でこんなに必要とされたことはない」という言葉です。人間 にとって誰かに必要とされたいという 欲求は最も重要な欲だと思います。日本に住んでいる人の多くは健康的で豊かな生活を送れていて、物質的には満たされているかと思います。そのような状態を前提としたときに、給料などの物理報酬で得られる幸せは、一定ラインを超えるとその先へ広がりにくいと考えます。 つまり、物理報酬には限界がありま す。しかし、感情報酬から得られる幸せには際限がない。配信者の方から言われた一言で明確に、無限に広がる感情的幸福の端緒を世に提供できていることを実感したのです。立ち上げた身としてこんなに嬉しいことはありません。 ■massage 僕がいつも思うことは、やりたいことが見つからない人もいて、そんな人たちが否定されない世の中になればいいな、ということです。もし、will(やりたいこと)が見つからない人は、まずがむしゃらにcan(できること)を増やして、必要とされる機会を増やすことをお勧めします。やりたいことが見つかる人生はもちろん素敵ですが、誰かに必要とされる人生もまた、すごく素敵だと思います。 学生新聞2022年4月号 慶應義塾大学2年 伊東美優 慶應義塾大学2年 伊東美優/津田塾大学 3 年 宮田紋子/早稲田大学 3 年 Nang Honey Aung /国立音楽大学 1 年 岡部満里阿/立教大学 3 年 須藤覚斗/明治学院大学 4 年 小嶋櫻子/関東鍼 灸専門学校 2 年 竹原孔龍/東洋大学 3 年 伊佐 茜音/日本大学...

人事

株式会社ローソン 人事本部 人事企画部 新卒採用担当 村田くるみ

株式会社ローソン 人事本部 人事企画部 新卒採用担当 村田くるみ(むらたくるみ) ■プロフィール2014年に株式会社ローソンへ新卒入社。入社後、地元九州で店舗社員・店長勤務を経て、フランチャイズ加盟店の経営支援業務を行うスーパーバイザーに登用。2018年より新卒採用。 「私たちは“みんなと暮らすマチ”を幸せにします。」の企業理念のもと、お客様の生活をサポートする新たなコンビニエンスストアの実現に向け、変革に取り組んでいる。 ■業界の特徴を教えてください コンビニ業界は10兆円規模の大きな市場です。店舗数は55000店を越えていて飽和状態にあると言われています。しかし、現在も拡大しつつあると同時に、一店舗ごとの「個店」の強化に、より一層力を入れるというフェーズにあります。直営店は全体の2パーセントほどしかなく、残りの98パーセントは、フランチャイズ加盟いただいたオーナーさんによって経営されています。そのような中で弊社では「健康」に力を入れています。世界に先駆けて超高齢化社会を迎え、生活習慣病を抱える患者さんが多い日本で、お客様の身近な「ローソン」だからこそ安心・安全で、健康な食生活を送っていただける世界を実現していきたいと考えています。さらには介護の相談ができるケアローソンや病院に関わるあらゆる人々をサポートする院内店舗「ホスピタルローソン」など、ニーズに合わせたマルチフォーマット戦略をとっています。 ■どのような学生を求めていますか 「多様性」を重視した採用活動を行っており、さまざまなバックグラウンドをもった方々と一緒に働きたいと考えています。そのため、文・理の関係なく採用し、外国籍の留学生採用にも力を入れています。男女比も半々です。特別な資格や知識などは求めておらず、社会の変化にいち早く対応でき、「自ら考え、行動できる」人材を求めています。ローソンのグループ理念である「私たちは“みんなと暮らすマチ”を幸せにします。」の想いに共感していただける方と一緒に次のローソンを創っていきたいです。 ■大学生へのメッセージをお願いします 就職活動をしていると、「自分のやりたい仕事ができないと嫌だ」と、自分で視野を狭めてしまうことがあると思います。しかし、実際には最初から「自分のやりたい仕事」だけを任せてもらえるようなことはなかなかありません。自分のやりたい仕事を「任せてみたい」と周りに思ってもらうためにも、与えられた場所で自分は何ができるのかを考えて、実行することが重要です。チャンスや出会いはどんどん積極的に掴み、たくさん失敗して学んでいってほしいと思います。 学生新聞2022年4月1日発刊号 日本大学2年 石田耕司

学生新聞インターン

書家・芸術家・大阪芸術大学教授 紫舟

書家は天職。自問自答を繰り返す日々で見つけた道 書家・芸術家・大阪芸術大学教授 紫舟(ししゅう) ■プロフィール日本の伝統文化である「書」を絵、彫刻、メディアアートへと昇華させ、文字に内包される感情や理を引き出す。その作品は唯一無二の現代アートであり、日本の思想や文化を世界に発信している。海外では、フランス・ルーヴル美術館地下会場でのフランス国民美術協会展にて、書が絵の中に融合した作品で「金賞」受賞、書が紙や伝統から解放されて三次元となった書の彫刻では「最高位金賞」と日本人初のダブル受賞をし、「北斎は立体を平面にし、紫舟は平面の書を立体にした」と評され(2014)、世界的に注目されている。共通アカウント「: sisyu8」 Facebook/Twitter/Instagram ■書家になったきっかけは ごく普通の大学生でした。自分が何をしたいのかが分からないままに、社会のレールに沿って就職しました。入社後、「ここは自分の居場所ではない」という気持ちが大きくなる一方でした。結局、3年間勤めた後に退社しました。そして、生涯かけて成すべきことは何かを考えるために、内観を始めました。すべてを手放し退路を断った上で、蓋をし続けた自分の本心を見つめました。ちょうど100日目に、おなかの奥底に「書家」という道を見つけました。その瞬間、心がすっと軽くなり平安に包まれました。この感覚を信じ、書家になる覚悟を決めました。 ■書道に対しての思い 私にとって書は、「楽しい」や「好き」というものではありません。「楽しい」や「好き」というのは感情です。確かに人の行動の多くは感情に左右されます。一方で、人の感情はうつろいやすいものです。「楽しい」や「好き」は次の瞬間には、「楽しくない」や「嫌い」に変わるかもしれません。それらをはるかに超越したところに在るのが、私にとっての書道です。書は私の天職です。 ■大学生へのメッセージを 大学時代で一番後悔していることは、同じ学力・同じ年頃の人とばかり話し、「大人と話さなかった」ことです。みなさんの目の前には、無数に拡がる道と無限の可能性があります。当時の私には、どれを選べばよいのかを判断するための「知恵と経験値」がありませんでした。でもそれらは、大人から分けてもらうことができるものなのです。もしアドバイスをもらうことができれば、小さく一度試してみる、それが良かったらもう少し大きく試す。この後が大切です。その結果や感想をその方に報告してください。そうすることで次のステップへの助言をもらうこともできるのです。これを繰り返し、人生を引き上げてもらったり、成長ができたり、未来への無数の道から、善い選択をすることもできるようになります。最後に、夢の話をします。みなさんが目指す夢は、「困難という衣」を纏い近づいてきます。手が届かないほどの高いところにある夢のステージと、現在の自分との大きな差が困難を生みます。言い換えると、目の前にたちはだかる困難は、夢が近づいている証。困難に負けず顔を上げていればチャンスは必ず訪れると信じてみるのもいいかもしれませんね。 学生新聞2022年4月1日発刊号 明治学院大学4年 小嶋櫻子