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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

医療法人社団 翔友会 品川美容外科 理事⻑ 綿引 ⼀

常に機嫌良く!機嫌をコントロールする 医療法人社団 翔友会 品川美容外科 理事⻑ 綿引 ⼀(わたひき はじめ) 1985年鹿児島大学卒業。1988年品川美容外科を開設。医 療法人社団翔友会理事長として品川美容外科・スキンクリニックを 中心に、レーシック眼科、審美歯科、ストレス治療など、医療をよ り身近に、より多くの方々に提供している。また、医師及びスタッ フの技術水準の向上に取り組み、最高の医療を提供するとともに、 診察費の最適化の両立を目指している。 美容医療の世界では業界最大手である品川美容外科。日本に美容医療が今ほど身近ではなかった時代に、美容医療の可能性にいち早く気付き、品川美容外科を開業。業界の草分的な存在となった。このように先見の明のある綿引理事長に、事業を成功に導くための秘訣や経営手腕についてお話を伺った。 最初、私は北海道大学工学部で原子工学について学んでいました。しかし、医療を学びたいという思いがどうしても強くなり、思い切って鹿児島大学の医学部に入り直し、医師を志すことになりました。大学生時代はどこにでもいるような普通の真面目な学生でした。それなりに楽しい学生生活を過ごせたと思っています。 鹿児島大学卒業後は美容外科の道に進みました。当時は、美容外科への道を志すのは珍しかったのですが、これからの時代は病気といったマイナスのものをなくす医療だけでなく、美容医療のように、プラスに働く医療が伸びていく時代になると直感的に感じていました。 そこで当時美容外科業界で有名だった十仁病院で経験を積むことにしました。その後、満を持して開業したのですが、開業当時は本当に大変でした。当時、日本ではまだまだ美容外科が少なく、美容外科医師自体も日本に100 人もいなかったのです。おかげで患者様のご予約がいっぱいで、連日連夜、朝の10時から夜中の12時まで休む暇もなく働くという日々が、3年間も続きました。 ◾️品川美容外科の成長の秘訣 私と同じ時期に美容外科の分野で開業した仲間は多くいましたが、ほとんどうまくいかなかったと思います。その理由は多店舗展開の失敗です。最初は上手くいくのですが、次第に経営的に行き詰っていったのです。一方、私は派手なことをするのではなく、コツコツと目の前の患者様のために尽くしていました。振り返ってみると、地道に患者様に向き合っていくことが失敗しなかった要因の一つのように感じます。患者様を大事にして、自分たちの提供できる最大限のものを提供し続ければ、気に入ってくださった患者様は、また当院に来てくださるだろうと考えています。このことは美容外科業界だけでなく、どこの業界でも同じです。お客様が何を望んでいるのかを突き詰めていければそのビジネスは伸びていきますし、それができなければ衰退していきます。規模を大きくすることは二の次です。大きな船は安定しますが、小回りが利かなくなってしまうものです。それでは従業員やお客様の声を拾いにくくなってしまい、衰退の一途を辿ることになるでしょう。 一方、みんなが満足してくれるものを提供し続ければ、自然と成長していきます。規模は勢いに任せて大きくするものではなく、自然と大きくなっていくものだと私は考えています。 それともう一つ大事なことは、働いてくれている人たちは何のために働いているのかということを常に考えることです。理由は人それぞれ違うとは思いますが、みんなに共通しているのは自分自身が幸せになりたいからだと思います。患者様が満足して幸せになり、スタッフもやりがいを感じて幸せになり、それを見て私自身も幸せになる。つまり、全員が楽しく幸せになれる会社であり続けたいと思っています。 ◾️自分と向き合い常に機嫌良くあれ 「今は辛いけれど将来は必ず幸せになるんだ」と多くの人が言いますが、その幸せになる将来はいつ来るのでしょうか? 過去からしたら今が将来ですし、将来など気づいたら今になっています。将来幸せになるのではなく、今幸せにならなければいけないと私は思います。今を楽しく生きるため、ひいては人生を楽しむために私が心がけていることが一つあります。それは常に機嫌良くあることです。幸せなときは、どんなときでしょうか? いろいろなシチュエーションがあると思いますが、全てに共通するのは機嫌が良いときだと私は思います。 常に機嫌良くあるためには他の人に機嫌を良くしてもらおうと思うのではなく、自分自身で機嫌を良くすることが必要です。私はと言えば、毎朝お風呂に入り気分を良くし、「人生最高」と3回言うことで朝から機嫌良く過ごすことができます。 これは私が一緒に働く人に求めることでもあります。一緒に働くならばいつも機嫌が良い人と働きたいと誰でも思いますよね。仕事とは100やっても50ぐらいはうまくいきません。たとえうまくいかなくても、自分が興味をもって楽しく機嫌良く仕事をし続けていれば、やがてうまくいくことが増えてくるものです。 ◾️message 機嫌良くすることを大事にしてください。威張ったり自己中心的になっては絶対にいけません。これは仕事中だけでなく、どんなときも意識してください。そうすれば、自然と周りの人たちから好かれます。好かれると自分のいいところを周りの人は見てくれるようになり、やりたいことに協力してくれるようになります。自分の成し遂げたいことを実現するのに周りの人の力はとても大切です。 もう一つはやりたいことにどんどんチャレンジしてください。もし失敗したとしても、日本で食べていけなくなることはそうそうありません。勇気をもって一歩を踏み出してください。きっと今まで見えなかった世界が見えてきますよ。 学生新聞別冊2022年7月1日発刊号 法政大学3年 鈴木悠介

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聖心美容クリニック 統括院長 鎌倉 達郎

目指すゴールに近づくための環境づくりこそが大切 聖心美容クリニック 統括院長 鎌倉 達郎(かまくら たつろう) ■プロフィール 宮崎県出身。日本美容外科学会(JSAS)理事。聖心美容クリ ニック全10院を統括。2007年に世界初の脂肪幹細胞豊胸術を執刀。2016年にアメリカの権威ある形成外科学誌「Plastic and Reconstructive Surgery」のベストペーパーアワードを日 本人美容外科医として初めて受賞。アメリカ・フランス・中国など海外講演も数多くこなす。 「とことん真面目に、美容医療。」をモットーに、1993年の開業から今日まで、上質な医療を提供し続ける聖心美容クリニック。鎌倉統括院長は全員がチームプレーをする意識を持つことが大切だという。この考え方は学生時代にスポーツによって培われたようだ。国内10院を束ねる院長に、仕事の魅力や目指すゴールについてお話を伺った。 1983年、宮崎医科大学医学部(現・宮崎大学医学部)へ入学しましたが、国家試験で忙しくなるまでは、バスケットボールに注力する生活でした。中学時代の経験が功を奏してキャプテンにもなり、大会では二連覇の成績を収めたこともあります。バスケットボールは1人が頑張るだけでは意味がなく、チーム全員が当事者意識と思いやりを持って動くことが求められるスポーツです。この経験を通して「チームとして何かを成し遂げる楽しさ」を学びました。このことがあったからこそ働く上でも一つのチームとして結果にこだわる考え方になったと感じています。 ◾️美容医療でQOL向上に貢献 大学卒業後、九州大学の医局に入った私は、第二外科で6年間勤務をしました。当時、第一外科よりも厳しくて大変と噂のあった第二外科ですが、「どうせ働くなら思いっきり壁にぶつかり悩みながら研鑽していきたい」と思ったのです。結果論ではありますが、そこに所属していたからこそ、後年、美容医療に関心を持つきっかけに出会えたのです。「迷ったらたやすい道ではなく、険しい道を選択する」というマインドをみなさんにもお薦めします。 大学病院で勤務後に、美容外科医として働き始めたわけですが、美容医療には他の診療科との決定的な違いが2つあります。一つ目は、「誰もが見た目で施術の結果を客観視できる」点です。癌を始め内臓系の手術は、専門的な知識を持ち合わせた医者にしか結果の判断はできませんが、その点美容医療は異なります。その手術が成功したかどうかはご本人のみならず、周りの誰もが一目で判断できるのです。分かりやすいからこそ患者さまが抱く「なりたい姿」もどんどん具体的かつ複雑になってきます。だからこそ医療を提供する側は、常にスキルを磨き続けなければなりません。 二つ目は「行きたくて行くのが美容医療」という点です。病院に行く理由の多くは体調がすぐれなかったり、精密検査の結果を聞くためだったりとネガティブな理由がほとんどです。しかし、美容医療に来る患者さまは、「理想の姿になれるかもしれない」「悩みを解決できるかもしれない」と希望を持って来院される方ばかりです。 美容医療を受けようとする動機は人によってそれぞれ違っていたとしても、「ここで生まれ変わって生活のQOLをあげたい」と願う気持ちはみなさん同じです。その期待に応えられる医者でありたいと思っています。施術を受けられたご本人の納得感と満足感が、我々医者のスキルを図るための有効な物差しなのではないでしょうか。 ◾️人材育成を以て業界への貢献を志す 2004年からは統括院長として、国内10医院に属する19名の医師たちを見守る立場にいますが、それぞれの医師が現在に至るまでのバックグラウンドやそこから形成される感性が異なるために、なかなか一筋縄ではいきません。加えて外科医は一種の「職人技」ですから、個々の医師が持つ「こだわり」を生かしつつ、全体的にも常にハイレベルなスキルを保てるように腐心しています。 具体的にはスキルアップ方法や仕事に対する取り組み方の一方的な押し付けはせず、あくまでも一人ひとりの医師たちが目指すゴールに近づけるような環境づくりに徹するということです。お互い価値観の違いを受け入れながら高い視座を持ち、選択に迷ったときは、「患者さまにとってそれがベストな選択なのかどうか」、「聖心美容クリニックのメンバーとしてふさわしい姿かどうか」という基準に立ち返ることができる人材を育てていきたいですね。この達成感は、彼ら・彼女らの飛躍が美容医療業界の発展につながったときに初めて得られるものだと考えているので、まだもう少し先かも知れません(笑)。 1980年代から拡大した美容医療ですが、そこから40年余りで業界は大きく変化しました。「大手組織としてのブランド力」と「医師個人の発信力」が掛け合わされる時代になったのです。今後、ある一つの分野に特化した専門クリニックが増えたり、低価格化にとことんこだわった手軽なクリニックが増えたりするかもしれません。そのような中で、聖心美容クリニックとしては、「ここに来たらどんな悩みも限りなくゼロに近づくことができ、理想を現実に変えられる」という場所であり続けたいです。その実現に欠かせないのは、安心感と信頼感だと考えています。 ◾️message 昨今の風潮を見ていますと、もはや「学生だから」と線引きするのはナンセンスなのではないでしょうか。若いうちから大人と関わる機会を増やし、そこで得た知識は蓄えるのではなく、実践を通してトライアンドエラーを繰り返してみてください。社会に出ると、正解が「決められているもの」から「自分で作るもの」へと変化していることに圧倒されるかもしれません。しかし、立ちはだかる壁に向かって試行錯誤した経験がきっと支えになってくれることでしょう。一瞬一瞬を大切に、探究心を持って行動してください。 学生新聞別冊2022年7月1日発刊号 日本女子大学4年 神田理苑

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レジーナクリニックグループ 総院長 木村 真聡

一流の技術と経営手腕で世の中の人を美しく レジーナクリニックグループ 総院長 木村 真聡(きむら まさと) 大阪大学医学部医学科卒業後、同大学附属病院・一般病院勤務を 経て美容医療に転身。2017年レジーナクリニック総院長に就任。 美容皮膚科医として10年以上のキャリアを持つ。現在はレジーナクリニックを始め、レジーナグループの総院長を務めている。医療 脱毛だけでなく、美肌治療やドクターズコスメの監修を通して、お肌のあらゆる悩みを解決するクリニックを目指している。 思春期に誰もが悩むであろうニキビ。木村医師もその一人だったそうだ。このような自分の体験から医療の道を志したという。そして脱毛の将来性を見抜いて独立開業。木村医師は「感動を与える医療」を多くの人に提供したいと考え、現在、レジーナグループ全体で全国に26院展開し、一流の技術とサービスを提供し続けている。その経営の秘訣を伺った。 美容業界に入る前は内科医をしておりました。やりがいはありましたが、自分が医者になると決めた動機からはかけ離れていました。中学時代、ニキビに悩まされていた私は、父親の勧める薬で綺麗に治すことができました。このことがきっかけで、医療というものに感動し、いつか自分も医者になり、患者様に同じ感動を味わってもらいたいと思うようになったのです。しかし、この感動は内科医でいる限り味わってもらえないのではないか、自分に合っているのは美容医療の方なのではないかと思い、4年目で転向しました。 しかし、やってみると同じ医療でも仕事の内容が全く異なり、解剖や生理などの知識や技術は活かすことができましたが、美容については一から勉強し直すことになりました。中でも1院目の仕組みを作るのが一番大変でした。日日問題点が出てくるのでその都度改善し、マニュアルに落とし込んでいきました。 ◾️感動を与える医療を目指す 患者様の見た目がきれいになり、ポジティブになっていく姿を見るとやっていて良かったなと思います。コンプレックスがなくなっていくと患者様の表情が明るくなっていきます。そのような現場に立ち会えることが嬉しいです。しかし、常に感動を与えられるわけではありません。医療なので100パーセントの効果が期待できるなどと言い切れるものではなく、ごく稀に効果を感じてもらえない方がいます。そのような方とどう向き合い、どう効果を出していくか、工夫の連続です。たとえば、シミ取りであれば機械の設定や種類を変更するなどして対応しますが、性別や肌に合わせた治療は千差万別であり、治療の根拠を見つけ出すのにとても苦労します。 患者様と接する上で大切なのは、施術者本人が美容に興味があり、スキンケアなど綺麗になる努力を毎日続けていることです。また、仕事をルーティン化して右から左へ流してしまい、成長が止まる人がいますが、考える習慣をつけることが大切です。人は常に成長しなければ一流であることを維持できません。レジーナクリニックは高い接遇力を求めております。そのため、接遇研修では、患者様の雰囲気やご要望に応じて、サービスを提供するように指導しております。技術面でも毎回同じようにやるのではなく、患者様の肌質や毛質に合わせて行うようにします。どうすれば患者様にもっと喜んでもらえるかを考え、仕事をブラッシュアップしていくことが大切です。 日本でレーザー脱毛が始まったのは1990年代後半ですが、当時は全身脱毛で80万円近くかかりました。現在は脱毛機の進歩により、20万円ほどで出来るようになりました。その結果、近年脱毛業界では価格競争が起こっております。当院は価格競争には加わらず、いかに付加価値をつけて差別化していくかに重点を置いています。脱毛は医療でありながらもサービス業としての側面が強く、接遇に力を入れているのはそのためです。価格を維持したまま同業者に差をつけるには技術・サービス・空間デザイン・マーケティングの全てにおいて一流でなくてはならないと考えています。そのため、当院ではクリニックに関わる全てのことにこだわりを持っています。TVCMもマスで知ってもらうためには大切な要素であり、「脱毛と言えばレジーナ」というように、興味を持ってもらうことができます。 ◾️美を追求し新しい時代を切り拓く 美しさとは中身も外見も綺麗なことだと思っています。しかし、定義するのはとても難しく、老けない身体作りが美につながるというのが私の見解です。美しさとは年齢によって違い、無理のないマイナス5歳ほどがちょうど良いのではないかと思っています。レジーナクリニックの患者様は20代が中心ですが、どの年代の方も目標は変わらず、その人に合った美を追求しています。 コロナ禍ではマスクをしている間に手術などでイメージチェンジを図りたいと考える方も多く、美容医療は拡大しています。脱毛と聞くとクリニックとエステが混同されがちですが、医療脱毛はれっきとした医療です。昔は脱毛=エステのイメージが強くありましたが、現在では一般の方にも広く浸透してきています。次のステップとして当グループの知見を元に、少しでも美容医療業界の進歩に貢献できればと考えていますが、そのためには日々の積み重ねが大切です。私は今まで積み上げてきたものを学会や論文投稿を通じて同じ志を持つ医師に知ってもらいたいと考えています。 ◾️message 学生のときは思いっきり好きなことをするべきだと思います。遊ぶにしても悩むにしても、モラトリアムの最後の期間を有意義に使ってください。社会人になると皆さんが想像する以上に時間はありません。なんとなく好きだからやるというのではなく、いろいろなところにアンテナを張ることが重要です。やっていることの意味を考え、他人の良いところを見習い、日々観察できる人になってほしいと思います。そして、自分自身を成長させてください。 学生新聞別冊2022年7月1日発刊号 関東鍼灸専門学校3年 竹原孔龍

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林遣都 脚本の奥にある、描かれていない部分をいかに読み取り、体現して...

林 遣都 (はやしけんと) 1990年生まれ。滋賀県出身。2007年映画『バッテリー』で俳優デビュー。第31回日本アカデミー賞新人俳優賞等を受賞。今年はドラマ「愛しい嘘〜優しい闇〜」(テレビ朝日)、舞台「セールマンの死」(PARCO)などに出演。日本テレビ新土曜ドラマ「初恋の悪魔」でW主演を務める。 ◆『初恋の悪魔』の見どころを教えてくださいこのドラマは原作がなく、坂元裕二さんの書き下ろしのオリジナル作品であるところが魅力のひとつです。全てを描き切れるのかと思うほど個性豊かなキャラクターたちばかりで、登場する一人ひとりの人物像にも注目してもらいたいです。彼らがどのように交わり、物語を繰り広げて行くのかをぜひ楽しみに観てほしいです。このドラマに参加できることが純粋に嬉しく、絶対に面白い作品になるだろうと確信しています。 ◆俳優業の魅力について教えてください僕は滋賀県で生まれ育ち、中学3年生の修学旅行で東京へ行った際にスカウトしていただきこのお仕事を始めました。最初は人前で演技をすることに対して恥ずかしさもありましたが、作品を通じていろいろな方と関わって仕事をすることにやりがいを感じるようになりました。役作りは、役と向き合いながら、脚本に描かれていない人物の背景を細部に至るまで考えることを大切にしています。お芝居をしているときは本当に楽しくて、一つの作品をみんなで作り上げていくこと、自分が作品の一部になれることがとても幸せです。また、誰かが作品を観て楽しんでくれたり、人の心を動かす可能性を秘めていることは、俳優業の魅力だと思います。仕事がつらいと思ったことはありませんが、人前に立つのはいまだに得意ではありません。でも、仕事は本当に楽しいですよ! ◆大学生へのメッセージをお願いしますコロナ禍で世の中の空気感が変化していますが、大変な時代だからこそ無理をせず自分を肯定してあげてください。悩む時間もあるかと思いますが人に合わせようとせず、自分自身の「好き」を見つけて突き進んでください。 ■取材を終えて林さんのお話を聞いていて役に対して真摯に向き合い、さまざまな視点から役作りをしているのだなと感じました。ただ演じるだけでなく、作品の背景には何があるのかをしっかり自分で考えていることに感銘を受けました。本質を捉えることの大切さを学んだように思います。 国立音楽大学2年 岡部満里阿 初恋の悪魔日本テレビ系 7月期 新土曜ドラマ  7月16日スタート(毎週土曜日よる10時)林遣都&仲野太賀W主演脚本家・坂元裕二による、小洒落てこじれたミステリアスコメディーが誕生。

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生見愛瑠 今やりたいことを全部やる。そして目の前のことに全力で取り組む

生見愛瑠 (ぬくみめる)愛知県出身。20歳。CanCam専属モデル。モデル、としてバラエティ番組に多数出演、めるるの愛称でお茶の間から親しまれている。さらに昨年女優デビューも果たし、女優としても注目を集めている。 ◆学生時代の過ごし方について教えてください名古屋のダンススクールに通っていたときに、今の事務所の方に声をかけていただき、小学4年生からモデルを始めました。最初は不安や怖さもありましたが、挑戦できたのは母が背中を押してくれたおかげです。小学生のときは、「ご褒美で東京に行く」くらいの感覚でモデルをやっていましたが、学校より芸能活動を優先せざるを得ない場面が増えてきた中学生の頃には「お仕事をしている」という意識に切り替わっていきました。またモデル業は服やメイクなどの知識が増えていくのでとても勉強になります。知ることでファッションやメイクをより楽しめるようになりました。 ◆お仕事のやりがいや苦労ついてお聞かせください成長を感じたときやファンの方に温かいメッセージをいただくとモチベーションが上がります。雑誌の表情などもデビュー当時と今では変化があるので、気づいてもらえると嬉しいですね。この数年でテレビ出演の機会が増えるにつれ、良くも悪くもいろんな反響があります。知らない方にネガティブな意見をいただくことは初めての経験で驚きもありましたが、「感じ方は人それぞれ」とある種割り切って捉えることを心がけています。それほど落ち込むことはありませんが、自分に非があると思えば改善しています。嘘をつかず、素の自分でいることを大切にしています。最近では女優業の機会をいただきましたが、実際に演じてみると想像とは全然違いました。日常では使わないセリフを言ったあとに、普段は絶対に抱くことのない感情を味わえるので、1日で2人分の経験ができて得した気分になります。今後もいろんな役に挑戦していきたいです。 ◆大学生へのメッセージをお願いします自分のやりたいことをやって、人生を全力で楽しんでほしいです。「楽しそう」「おもしろそう」という気持ちを抱いたら、まずは口に出して自分に言い聞かせてください。それをすぐに行動に移して、夢中になれることを見つけてください。 日本大学3年 石田耕司 ■取材を終えてお会いしたその瞬間から、終始弾けるような笑顔で接してくださったことがとても印象的です。テレビ越しにも伝わる生見さんのポジティブな空気感は、どの瞬間にもまっすぐに向き合うひたむきから来るものだと感じました。同世代の素敵なお人柄から刺激を受けた時間となりました。(日本女子大学4年 神田理苑) 『 モエカレはオレンジ色 』7月8日(金)全国公開 出演:岩本照(Snow Man) 生見愛瑠鈴木仁 上杉柊平 浮所飛貴(美少年/ジャニーズJr.)・古川雄大配給:松竹株式会社©2022 「モエカレはオレンジ色」製作委員会 © 玉島ノン/講談社

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森崎ウィン 「森崎ウィン」というブランドを多くの人に知ってもらうため...

森崎 ウィン (もりさき うぃん)ミャンマーで生まれ育ち、小学校4年生のときに来日。2018年に「レディ・プレイヤー1」で主要キャストに抜擢され、ハリウッドデビューを果たす。それ以降も俳優、ミュージカル、アーティストと幅広く活躍。5月2日には、新曲「MY Place,Your Place」をリリース。 ◆現在の活動への想いを教えてくださいアーティストとしての魅力は人前で歌うことの気持ち良さ、自分が思い描いた世界を自分の手で作れること、人の心が動く瞬間を体感できることです。しかし、このような芸能の仕事は人に求められなくてはなりません。だから求められる人になるため、「森崎ウィン」というブランドとして自分に出来ることを探し続けています。探していると自分にしかできないことが見えるときもあれば、自分の不足している部分が見えるときもあります。試行錯誤する中で「ウィンにやってもらいたい」、「ウィンだから任せたい」と思って頂けたとき、求められていると感じるので、僕は考え、挑戦し、自分に向き合い続けます。 ◆夢を教えてください将来はアーティストとして「アジアツアー」をするだけでなく、役者としてもアジアの作品に出たいですね。そして世界中を飛び回っていたいです。自分はミャンマーで生まれて日本で育ったので、ルーツはアジアです。そんな自分だからこそアジアを自分のものにしたいです。そして、自分を育ててくれた日本には、日本でエンターテインメントを学んだからこそ世界に出られたという感謝を伝えていきたいです。ミャンマーにはウィンが頑張っているから自分も頑張ろうというような、夢や希望を与えられる人になりたいと思っています。 ◆大学生へのメッセージをお願いします「思ったらすぐ行動せよ!!」、伝えたいのはこれだけです。迷うのではなく、即行動することが大切です。行動することで何かが変わります。自分の心が動いた、「やってみよう!」という感覚を大事にして、行動してください。そして、感謝することを忘れずに。たとえ些細なことであっても感謝をすることで、たくさんの機会が生まれ、世界がもっと広がっていきますよ! ■取材を終えて 気さくで柔らかな空気を放つ森崎ウィンさんからお話をお伺いする貴重な機会でした。ミャンマーと日本という2つのルーツを持つ森崎さんだからこそ話せるお話をたくさん聞くことができた楽しい取材でした。行動と感謝の大切さを実感し、大事にしようと改めて思いました。 明治学院大学卒業 小嶋櫻子 6th Single 「My Place, Your Place」 好評配信中

三上山明里

参議院自由民主党 国会対策副委員長 参議院議員 和田政宗

政治の力で日本経済を活性化。 参議院自由民主党 国会対策副委員長 参議院議員 和田政宗(わだまさむね) ■プロフィール 1974年東京都生まれ。1997年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年、NHKにアナウンサーとして入局、ニュース、スポーツ実況、番組制作に携わる。2013年参議院議員選挙に初当選。2019年2回目の当選。国土交通大臣政務官として、GoToトラベルの立案と制度設計を行う。自民党不妊治療支援拡充議員連盟を立ち上げ、今年4月からの不妊治療保険適用を実現。 元アナウンサー、現政治家として多忙に活動する中で、国民に寄り添い、我が国の発展に尽力する自由民主党の和田政宗議員。不妊治療の保険適用やGoToトラベルといった政策を打ち出してきた。原動力となるのは、身近な疑問。そして、興味。目標を持ち、行動し続ける和田議員の経験と展望を伺った。 ■東日本大震災の経験から、アナウンサーから政治家へ転身 大学時代は、サークルを通して楽しくキャンパスライフを送ろうと思っていたので、放送研究会、ゴルフ、ボクシングと興味を惹かれたことに挑戦していきました。3年生からは、慶應義塾大学法学部政治学科三大エグゼミである池井優教授の下で日本外交史を学びました。高校生の時に外交官にも惹かれていたためです。国を背負って海外で活動する仕事が有意義だと感じていました。当時は、政治そのものというよりも、外交に興味がありました。 1988年、ソウルオリンピック水泳・鈴木大地選手が金メダルを取った際の実況を見たことで、アナウンサーに憧れを抱きました。転機となったのは、1995年の阪神淡路大震災。当時のアナウンサーの災害対応へ疑問を持ったことがきっかけとなりました。もっと人の命を守る為に出来ることがあるのではないか。そこに力を尽くせるアナウンサーになりたいと思い、NHKへ入局しました。 私の名前の「政宗」は伊達政宗に由来してつけられたので、入局後は仙台への赴任地希望を常に出していました。そして12年目に仙台局で勤務できることになりましたが、その後、東日本大震災が発生しました。被災地で多くの人が涙を流す姿を見て、行き届かない政策を行う役割を担いたいという思いが強くなりました。そして、民主党政権時代にみんなの党公認で立候補し、選んでいただいて政治家になることができました。 目標は田中角栄先生です。都市だけではなく、地方での発展も意識していて、日本国民を豊かにしようとした人です。また、安倍元総理の外交力。菅元総理の実行力を参考にしています。総理大臣を目指し、国民が豊かで安全に暮らすことの出来る国家をつくっていきたいですね。 ■不妊治療の保険適用やGoToトラベルなど、革新的な取り組みを実施 不妊治療の保険適用、GoToトラベル。最近取り組んだ大きな政策は行ったのは、この2つです。私自身も、不妊治療を経験しました。かかった費用は総額400万円ほどと高額でした。同じように不妊に悩む方は多くいらっしゃいます。不妊治療は意外と身近な問題なのです。しかし、これまでは不妊は「病気ではない」という扱いから保険が適用されず、お金の心配で妊娠を諦める人がいるという状況だったことから、変える必要があると思いました。一昨年、自民党の中に議員連盟をつくりました。私が事務局長を務め、幹事長に野田聖子議員(現少子化担当大臣)、会長に甘利明議員(前自民党幹事長)を迎えました。そして、当時の菅義偉首相の決断で、わずか1年で制度が形になりました。不妊治療の当事者にとって30年来の課題を動かすことが出来ました。 経済の復活を目指したGoToトラベルでは、旅行代金総額の50%のキャッシュバックを行いました。当初の想定をはるかに上回る総予算額2兆7000億の大規模なキャンペーンでした。コロナ禍で、大打撃を受けた観光業界を支援しようと立案しました。また、地域共通クーポンを組み入れることで、旅館やホテルだけでなく、地域の飲食店や土産物店にも貢献できればと思ったのです。政策を実施した際には、観光業界は地域経済の核ですから大きな波及効果がありました。景気が良くなったことで、車の売れ行きも伸びたのです。9月、国内外でトヨタ・ホンダ・スズキ・スバルが過去最高の生産台数を記録。GoToトラベルは、日本全体の消費活性化に繋がりました。 ■領土なくして国民は守れない イスラエル問題から伺えるように、領土が存在しないと国民は存在することができません。領土と国民の命を守ること、国家の存在意義はそこにあります。しかし、今の日本はロシア・中国に攻め込まれたら安全は保障できません。我が国の国防は、周りに無茶をする国がいないことが大前提になっているのです。「専守防衛」として、日本へ向ってくるミサイルを、全て撃ち落とすことも難しいです。つまり、相手がミサイルを撃とうとした時、反撃できる能力を持たなければ、根本的な抑止にならず、国民の命は守れません。日本国憲法は、軍備を持たない代わりにいざという時は米軍が日本を守る前提でスタートしています。我が国を含め、ニウエ、クック諸島、モナコの憲法には、国民を守る手段が記されていません。世界でたったの4か国です。そのため、他国に攻められやすい状況になってしまっているのです。日本が防衛力を増強すると、逆に影響が出てしまうのではないかと、懸念される方もいるかもしれません。しかし、ロシアや中国は日本とは関係なく、軍事力を増強し続けるので変わりません。だからこそ、国を守ることに力を入れるべきなのです。 ■massage 日本国の自由は、投票による民主主義によるものです。私も、選挙権を持った時から欠かさず投票をしています。民主主義国家である日本の一員として、投票に行っていただけると嬉しいです。たった1票の自分の投票では、世界は何も変わらないと思うかもしれません。しかし、その1票で当落が変わる場合があり、社会を変えるほどに、大きな力をもっています。社会人になると時間がありません。これは、社会人になってから、ようやく実感できることです。大学生のうちに、とことん打ち込めるものを探してください。何でもいいです。部活、学業、バイト、世界放浪、留学。とことん取り組んだものがあると、就活にも生きてくると思います。 次に、目標を持つこと。目標ができると、努力や工夫もついてきます。諦めなければ、夢を叶えることができます。学生の早いうちに、定め行動することで将来に繋げていって下さい。 学生新聞オンライン2022年5月16日 駒澤大学 3年 三上山明里

学生新聞インターン

たんぽぽ薬局株式会社 代表取締役  松野英子

地域のため、社会のため、そして何よりあなたのための薬局に たんぽぽ薬局株式会社 代表取締役  松野英子(まつの えいこ) ■プロフィール 愛媛県生まれ。京都薬科大学卒業後、薬剤師として病院等に勤務。1996年に、たんぽぽ薬局株式会社(岐阜市本社)に入社し、2017年6月に代表取締役に就任。東海地方を中心に北陸、関西、四国に展開する店舗を束ねる。岐阜県で女性活躍の推進委員や、教育委員会での評価点検会議の委員等務める。趣味は愛犬ゴールデンレトリバーの桃太郎との散歩・園芸・ゴルフ。 地域に根ざした薬局であることを第一に会社経営を行う、たんぽぽ薬局株式会社の松野英子社長。就職、結婚(海外居住)、そして再就職という経験を経て、今の地位を築き上げたという松野社長に、これまでの生き方やその哲学についてお話を伺った。 ■前臨床試験など研究室での実習に熱中した学生時代 薬学部を選んだのは、母親の友人が薬剤師で、その薬局によく遊びに行っていたのがきっかけですね。学校でも理系科目の方が好きで、他の学部の受験もしたのですが、結局薬学部に入りました。私のいた薬学部は授業数が多く、毎日忙しかった記憶があります。クラブ活動ではスポーツに挑戦してみたかったので友達と一緒に卓球部に入り、アルバイトは家庭教師をしたり夏休みに喫茶店で働いていたりしました。でもとにかく研究室にいる時間が長かったです。研究室で諸先輩方との実習が新鮮で面白く、時間を惜しまず没頭していました。しかし、将来や人生設計など全く考えてはいなかった事を覚えており、今となっては反省しています。 ■「ありがとう」と言われる薬剤師になるために、「たんぽぽ薬局」へ就職 研究が面白かったので、当初は卒業も就職をせず、大学に残ろうと考えていました。でも、地元の四国に両親がいることもあり、戻って就職しました。その後、結婚を機に静岡に移住し、いくつかの薬局や病院で仕事を続けていましたが「薬剤師は本当に患者さんの役に立っているのか?」と疑問を抱くようになりました。3年間の海外生活で、人生観が大きく変わった事もあります。自分に合った仕事は何なのかを、考える時期がしばらく続きました。医療において「ありがとう」と言ってもらえるのはお医者さんや看護師さんであることが多い。一度勉強し直して看護師になれるだろうかと考えたこともあります。でもやっぱり自分の経験を生かしたくて、自力で仕事を探そうと考えました。当時の薬剤師業界では紹介で仕事に就くことが多く、人との繋がりだけで仕事が決まることがよくありました。そんな中で初めて自分の意思で、就職したのがこのたんぽぽ薬局でした。 ■自ら仕事を掴み取り、「たんぽぽ薬局」の社長へ たんぽぽ薬局に入ってからはあっという間に毎日が過ぎていきました。体制がまだ整っていなかった業界ということもあり、新しいことに次々と挑戦できたことが良かったですね。調剤薬局のあり方に関して議論したり、患者さんに薬を届けるより良い方法をみんなで考えたりしていると知らぬ間に時間が経っていました。 また一生懸命働いているうちに、おのずと患者さんから「ありがとう」と言ってもらえるようになりました。それが何よりのモチベーションでした。以前より人との交流が増えたことで、仲間と一緒に働く楽しさも感じるようになりました。 ただ同時に大変なことも増えていきました。忙しくてミスをしたり、患者さんに怒られたりして落ち込むこともしばしば。薬は人の命に関わるものなので、今も変わらず、その責任の重さを常に感じながら働いています。 また業務内容だけでなく会社における自分の立場も変化していきました。自分の考えや意見を人に伝える機会が増えたので、いかにして自分の考えを正確に伝えるか、常に試行錯誤する毎日です。社長の大変さも社長になってから知りました(笑)。ただ、忙しい毎日や立場があっても、大切なこと、思いやりの気持ちを見失わないように意識しています。 ■目指すのは、誰もがより働きやすい会社 仕事をしていく上であらゆる女性にチャンスがあるべきだと思っています。家庭環境や子育てなど、各々が抱える事情は違います。それに対応するために、時短勤務や育休の制度はあるけれど、それ以外は十分な体制がまだ整っていないのが実情です。例えば、管理職になると仕事量や負担も増えますが、女性管理職に対応したサポートがまだありません。社内の制度の多くは男性に対応したものが実情です。より良い会社にするには、性別問わず限られた時間の中で生産性を上げる必要があると切実に感じていますし、どんな人でも活躍できる社内環境へと変えていきたいと思っています。 ■今後力を入れていきたいのは、オンライン服薬指導 今注目しているのが、コロナ禍で国の施策としてはじまったオンライン服薬指導です。オンライン服薬指導が浸透すれば、薬局まで足を運ばなくても、立地に関係なく好きな薬局で薬をもらうことができます。オンライン服薬指導専用の相談窓口を設置する薬局も出てきました。実際に富山の人が岐阜の薬局から薬をもらったり、東京の人が愛知の薬局から薬をもらうなど、たんぽぽ薬局でもそんな患者さんがおられます。薬局のあり方も多様化しています。全国の患者さんが対象になることで、薬剤業界の可能性が広がっていくのかなと思っています。 ■薬剤師を目指している学生へ伝えたいこと 薬剤師の仕事は、薬を通して、いかに患者さんや地域の人たちの健康に貢献できるか、に尽きると思います。健康に対する考え方は、一人ひとり違うことを理解し、患者さんの立場になって対応する大切さを感じながら勉強してほしいです。ある人はアスリートとして活躍できるまでの健康を望み、ある人は、その一歩が歩ける事を希望する人もいると思うから。また、より良い医療は、医師や看護師、そのほか多職種の方々との連携の中で生まれます。そのための話す力は大切で、普段から多くの方々と交流が出来る機会を持ってほしいと思います。 ■message 今の学生はコミュニケーション能力が高く行動力もあり、ポテンシャルは自分の頃よりはるかに高い。しかしこの情報社会で多くの知識を持ち、理解はしているが社会人としての経験はまだまだ少ない。経験を積み重ねて失敗することで成長するということをわかった上で頑張ってください。未来は長いです。将来を考えることも大事ですが、それ以上に目の前の課題を丁寧に対処していくことも大切です。一生懸命やった結果、いつの間にか評価されるもの。そこは勘違いせず努力してほしいですね。 学生新聞オンライン 2022年5月30日取材 大阪大学4回生 中辻亮太朗 大阪大学4回生 中辻亮太朗 / 國學院大學3年 島田大輝

伊佐茜音

ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤朋也

「なりたい自分」を見つけて人生を切り開こう ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤朋也(さとう ともなり) ■プロフィール 1963年兵庫県生まれ。1987年関西学院大学商学部卒業後、日興証券株式会社に入社。本郷会計士事務所(現 辻・本郷税理士法人)を経て、1991年11月ザ・ヒューマン株式会社に入社。ヒューマングループ各社の取締役を歴任し2002年8月、ヒューマンホールディングス株式会社代表取締役社長就任(現任)。 「バリュープロミス:SELFing」と掲げ、自分らしい生き方のサポートを行うべく、人に寄り添ったビジネスを軸に多岐にわたる事業を成功に導いてきたヒューマンホールディングス株式会社の佐藤朋也社長。その活躍の裏には、様々な葛藤や思いがあったそうだ。父から受け継いだ会社で社長となり、今日に至るまでの半生と今後の展望を伺った。 ■経験値を高めた学生時代 大学生活は勉学以外に色々な経験を積んでいく、社会人として自立する準備期間として位置づけていましたね。入学当初は受験勉強から解放されて自由な時間が増えたことで、ただ時間だけが過ぎていく日々に危機感を抱きました。そのような時に、大学の中庭で活動していたフルコンタクト空手のサークルに興味が沸き、刺激を求めて入会。外国人を英語でガイドする英会話サークルにも参加し、充実したキャンパスライフを謳歌していました。3年生に進級すると、どのゼミに入るか決めなければならない時期が訪れました。商学部でしたが会計などの科目には苦手意識があったことから、あまり数字に捉われないマーケティングを学ぶゼミを選択しました。さらに授業数が少なくなった4年生では、衆議院議員秘書のアルバイトという貴重な経験をしました。7月に選挙が行われることになり、ちょうど時期が重なる就職活動はそっちのけで手伝いをしていましたね。とはいえ1ヶ月ほど本腰を入れて就職活動に取り組み、最終的には日興証券(現SMBC日興証券)に就職を決めました。 ■大手証券マンからベンチャーへ転身 証券会社に就職したのは、起業をしたいと思っていたからです。そのきっかけの1つは、サラリーマンから起業をした父の存在がありました。しかし仲が良かったかというとむしろその逆で、「早く家を出て独立したい」という思いから自分も起業しようと考えに至りました。また、ゼミで学んだマーケティングを通して、ビジネスへの関心が高まっていきました。そのような中で、証券会社への就職を選んだのは起業で成功するには営業力及び交渉力を身につける必要があると考えたからです。どこでそれを身につけられるのかを調べていくと、ノルマがあるようなシビアな環境で営業ができる会社に入ることが一番だという結論に達しました。それに当てはまるのは証券会社だろうと、そんな単純なイメージからでしたね。実際に証券マンとしてバリバリ仕事に打ち込み、毎日朝駆けをして毎月5000万円・1億円の投資信託を購入いただけるお客様を開拓したこともありました。就職してしばらくしてから、確執のあった父とひとりの人間として、親として向き合えるようになりました。そして当時、ヒューマンホールディングス株式会社の前身である、昭和60年に父が起こしたザ・ヒューマン株式会社は設立4年目。そんなベンチャー企業だからこそ学べることもあると思い、入社を決意しました。 ■机上の空論といわれた働き方の大改革 2004年に社長としてジャスダックに上場した後、2007年に経営の危機があり、子会社の社長として立て直しを任されました。一方で会社として営業力の強化が急務でした。そのころの世の中は、ブラック企業やパワハラ・セクハラという言葉が使われるようになるなど少しずつ働き方に対する意識が変わり始めていました。しかし、社内でも未だに根強く「昭和のスポ根」の営業姿勢が残っていました。例えば、「何を部下に教えてきたか?」と聞いたら、「叱咤激励してきた」と言われたこともありました。まさに、「営業指導=部下を怒るのが仕事」「退職したら採用すればいい」というような認識もありました。そんな職場環境でも部下が辞めなかった時代でしたけどね。 「このままではいけない」という気持ちから、それまでの営業と指導方法、営業プロセスをすべて洗い出し、細かくデータ化する手法に見直していきました。また、できる営業マンのノウハウをデータとして抽出するなど、具体的な根拠に基づいて指導をするように変えました。これまでと全く違うアプローチに上手くいくわけがないと反発する意見もありました。しかしそれでも、ぶれずに地道に続けていくことで成果を出すことができました。 ■教育の原点から世のためのビジネスを 社長になって数年がたったころから、売上1000億円、営業利益50億円企業を1つの目標に設定し、その目標に近づけていくことにやりがいを感じています。当社の強みを強化するため、教育、人材、介護などの各事業が並列していた状態を変え、教育を中心に各事業とのシナジーを意識したビジネスモデルに切り替えも行っています。そして我々の取組む教育とは何かを考えたときに、新規成長産業の人材育成に注力しました。未開拓領域の新規事業を立ち上げると人手不足に陥りやすいため、その事業に携わる人材育成に力を入れました。 すべてのステークホルダーへの提供価値と定義している「バリュープロミス:SELFing」という経営理念のもと、お客様一人ひとりのなりたい自分を発見し、なりたい自分に近づくプロセスを設計し、寄り添いサポートします。同時に仕事は、世のため、人のためになっていることが前提ですが、お客様の「SELFing」をサポートすることが、社員の内的なモチベーションを高めることにもつながると思っています。他社と比較しても、このバリュープロミスは相当作り込んでいると言う自負があります。 ■messeage 理想の自分を見つけられることが出来れば、人生が充実して楽しくなると思っています。大谷翔平選手も活用したマンダラチャートを書いてみてください。中心のマス目に「なりたい自分」を書き、マンダラ模様のようにその周りのマス目には、「なりたい自分になるには、どうすればなれるのか」を書き出します。これは、わが社の社員も取り組んでおり、目標を持つことの重要性を伝えています。ビジネスで活躍し、尊敬できるような方は、明らかな目標を持っています。私自身も、そのような学生さんとぜひ一緒に働きたいですね。 学生新聞オンライン2022年5月2日取材 東洋大学4年 伊佐茜音 東洋大学4年 伊佐茜音 / 東洋大学3年 濱穂乃香 / 成蹊大学4年 岡田美波

伊東美優

田中珠里 根底にあるのは、チャレンジャー気質と非現実を体験する楽しさ

女優 田中珠里 (たなか しゅり)1998年12月14日生まれ。京都府出身。2019年、NHK「だから私は推しました」に出演。2020年、MBS/TBS「荒ぶる季節の乙女どもよ。」の本郷ひと葉役では再現度が話題となり、同年配信ドラマ「妖怪人間ベラ〜Episode0〜」では副島かおる役を怪演。今年1月の舞台「BASARA」では主演を務め、活動の幅を広げている。 10代の頃から多くのドラマや舞台に出演し、初主演映画『ディスコーズハイ』では主人公・瓶子撫子役を演じる女優・田中珠里さん。「今まで個性的な役を演じることが多かった」と語る彼女に、女優業の魅力や楽しさ、これまでに成長を感じた部分や今後挑戦したい役柄などについて伺った。 「いろんなことに挑戦したい」という気持ちが原動力に 元々母がアマチュアの歌手をしていて、自分も幼少期から歌うことが大好きでした。また小学2年生の頃から劇団に所属し、自然とお芝居にも興味を持つようになり、将来は歌やお芝居のお仕事がしたいと思うようになりました。そして「第13回全日本国民的美少女コンテスト」でファイナリストに選んでいただいたことを機に、芸能界に入ることになりました。 16歳でドラマに初出演させていただいてから、これまでたくさんの役に挑戦してきました。私自身、これまで頂いた役はかなり個性的なキャラクターが多いと感じているのですが、それがお仕事の楽しさに繋がっています。例えば『妖怪人間ベラ〜Episode 0〜』というドラマでは、気の強いいじめっ子の役をやらせていただいたのですが、今までで1番演じるのが難しく、演じれば演じるほど刺激的でもある役でしたね。全身に血糊を塗って撮影するなど、かなり体当たりのシーンも多かったのですが、非現実世界にいる感覚が個人的に凄く楽しくて。 毎回特殊な役が多いのはなんでなんでしょうね(笑)。もしかしたら、私の根底にあるチャレンジ精神が伝わるのかもしれません。私の中にはいつも「いろんなことに挑戦したい」という想いがあって、異質でユニークなキャラクターを演じられることにいつもワクワクしています。自分の人生だけでは絶対に経験することのない非日常を体験できるのが、女優業の大きな魅力だと感じますね。お芝居をしていて、役を通して自分の殻を破れる瞬間は、本当にやりがいと楽しさを感じます。その瞬間を味わうためにも、お仕事には誠実に向き合います。後悔はしたくないので、自分のできる100%を常に出し切ることを意識しています。台本はお風呂場にまで持って行ってボロボロになるまで読み込んで、どんなに自分と異なる役でも理解しようと努力しています。もし、そんな私の熱意が伝わって、お仕事をいただけるのであれば本当にありがたいです。 とにかく特殊な現場だった『ディスコーズハイ』 『ディスコーズハイ』は、まず現場がとにかく特殊でした(笑)。まず、監督がこんなに動き回る現場は見たことありませんでした。撮影現場ならではのトラブルもありましたが、監督を中心にアットホームな雰囲気があって、私もリラックスしてお芝居ができました。何よりもこの作品に関わるスタッフ全員が「みんなで良いものを作り上げよう!」という士気が本当に高くて、私も「もっと努力しなくちゃ」と刺激をいただきました。 今回私が演じた瓶子撫子(へいし なでこ)は、周りに対して思うことがあってもあえて口に出さず、自分の感情は抑え込むような女性でした。周りには強いように見せるけど、実は少し不器用で弱い部分もある人物で、私自身の性格とリンクする部分もあり、共感できる点も多かったです。だからこそ、真面目に精一杯頑張る撫子の姿は多くの人の心に響くものがあると思います。ぜひ、私と同世代の若い方にも観てほしいですね。 ライバルは常に自分自身 10代の頃から芸能のお仕事をさせていただいて、最近はいい意味で緊張しなくなりました。昔は監督とのコミュニケーションや共演者との距離感など、演技以外での悩みも多かったのですが、今は緊張がなくなった分、現場ではお芝居に集中できるようになりました。それには大きな成長を感じています。 もちろん今でも緊張することはあります。例えば私は元々アイドル活動をしていたこともあり、自分よりも年上の方と接する機会が多かったので、同世代の方とのお仕事は少し緊張します。特に同世代の女優さんとお芝居するときは、「負けたくない!」というライバル心も強くなります。ただ、「誰みたいになりたい」というよりは、「自分に負けたくない」という気持ちが大きいですね。周りを敵だと思うのではなく、常にライバルは自分だと感じています。 一番の目標は唯一無二の女優になること 自分の強みは、なんでも楽しみながらやれること。だから、どんなお仕事にも挑んで、自分の殻をどんどん破っていきたいです。私はチャレンジ気質が強くて、とにかく「誰もやったことないことをやりたい」と思っています。いま一番挑戦してみたいことは、とことん“狂った役”です。行動や言動、すべてが異質と見なされるような人物を演じたいです。例えば、殺人鬼とか……?!なぜなら、自分の性格や価値観とかけ離れていればいるほど、演じることが楽しいと感じるからです。もっとさまざまな作品を経験して、視聴者の方を裏切るようなお芝居がしたいです。いろんな個性をもった素晴らしい女優さんがたくさんいると思いますが、私は「何者か」になるのではなく、自分自身を極めて、唯一無二の女優になりたいです。 大学生へのメッセージ やりたいことはどんどん声に出してみてほしいです。声に出さないとしても、書いて文字にするなど、どんな形でも表現することが大切だと思います。自分の中に閉じ込めず吐き出すことで、誰かが聞いてくれて次のステップに繋がったり、夢が叶ったりすることが、実際にあるからです。少しでも自分がやりたいと思えたことは、恥ずかしがらずに伝えてみてくださいね。 学生新聞オンライン2022年6月14日取材 慶應義塾大学3年 伊東美優 初主演映画 『ディスコーズハイ』 日本芸術センター第13回映像グランプリ発掘賞神戸インディペンデント映画祭2021 奨励賞 その「好き」が才能。目に見えないものに翻弄される音楽業界だからこそ音楽がど真ん中にあるべき 7月8日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにてロードショー キャスト:田中珠里 下京慶子 後藤まりこ監督・脚本・撮影・編集・楽曲制作・整音:岡本崇 公式サイト: https://plisila.wixsite.com/mysiteTwitter: @raidiochandesuFacebook: @discordshigh ©2021コココロ制作

大塚美咲

株式会社Z会エデュース 代表取締役社長 高畠尚弘

コロナ禍もDX化も全てを強みに。守る伝統、進める革新! ■プロフィール 1970年石川県生まれ。1993年、早稲田大学政治経済学部を卒業して、株式会社Z会に入社。社歴のほとんどを教室事業のさまざまな業務に従事し、2015年の教室事業分社化に伴い、会社設立とともに株式会社Z会エデュース代表取締役社長に就任。株式会社栄光の役員も兼務し、グループ内のさまざまな教室事業にも関わっている。趣味はサッカー観戦(ゴール裏)と野球観戦(外野席)。 社会情勢が大きく変化した今。そんな中でもZ会が最も大切にしていることは変わらなかった。今後の教育業界はどう進むのか、DX化が生徒たちに及ぼす影響とは。バブル崩壊直後の就活期を乗り越え社会人になってから今まで、どんな時代も前向きに生きる高畠社長に教育業界の未来を聞いた。 ■教育業界の選考では、ありのままに話せる自分がいた 大学生活は、「勉強より課外活動!」という日々でした。登山サークルに所属していた私は、「20日間くらい山から帰ってこない!」なんてこともありました(笑) 。教育の仕事に就いたきっかけは、塾のアルバイトにとてもやりがいを感じたからです。就職活動では幅広い業界を見ていましたが、教育業界の面接の時は志望理由をありのままに話せている自分に気付き、「やっぱり教育の仕事がしたい!」と確信しました。 ■突如として現れたコロナ禍。その中でも変わらない「Z会が大切にすること」 コロナ前でも、コロナ禍でも、Z会が変わらずに一番大切にしているのは「生徒一人一人と向き合って、記述力を養成するために答案を丁寧に添削すること」です。その一方で、様々な手段が変化していきました。例えばZ会の教室でいえば、入試情報の説明会。今までは全て対面で行っていたため、参加できない生徒・保護者には紙の資料を渡すことしかできませんでしたが、今は動画配信が一般的になったので、より多くの生徒・保護者にリアルな声を届けられるようになりました。結果的に、サービス自体はすごく向上していると思います。映像授業を使って、理解が不十分な内容を復習することもできます。しかし緊急事態宣言下で全く教室での授業が出来なかった時期は、本当にきつかったです。授業の動画配信は行っていたのですが、それをしっかり活用できていない生徒もいたので心配でした。また、安易にオンラインに頼ってしまうことも懸念点です。対面での授業にこそ価値を感じる生徒もいるので、便利だからといってオンラインの授業ばかりを増やすと生徒のやる気が起きず、学力につながらない可能性もあります。そんなこんなで、コロナ禍が始まった当時は毎日のように緊急会議を行っていました。 ■二年間で見えた強みは「既存の通信インフラ」と「先生たちの順応性」 この2年で、Z会の強みだと痛感したのは、元々、オンラインのインフラを持っていたことです。現在の通信教育では、タブレットコース本科の場合、Z会受付後約3日でデジタルで添削した答案が返ってくることがスタンダードになりつつあります。こうした設備がZ会では元から整っていたことが、コロナ禍において、Z会が他社よりも一歩リードできた要因です。また更に強みだと感じたことは、Z会の教室の先生方が1、2ヶ月でスピーディーにオンライン授業に順応してくれたことです。他塾では「先生がオンラインに慣れていなくて生徒が集中できていない」という話も耳にしましたが、Z会の教室ではありがたいことにオンラインにも強い先生に恵まれ、先生方が授業を日々改善したことで、生徒の学力低下もほとんど見られませんでした。この2年は業績としてはかなり大変な期間でしたが、Z会ならではの強みを再発見した期間でもありました。 ■オンライン、対面それぞれの良さを活かし、相乗効果でより質の高い教育へ オンラインと対面のハイブリット型の授業が多くなってきたこの頃。その良さの一つは、お客さんが選択できるという点です。初期はやはりオンラインの比率が高くなりましたが、その後は対面に戻ってきた生徒もいれば、家の方が集中できるという理由でオンラインのまま続けている生徒もいました。結局は、オンライン、対面どちらも質の高いものを用意し、選んでもらうことが最適だと考えています。そしてもう一つは、それぞれの良い面を組み合わせることで、より良いサービスが提供できるようになったことです。さらに、Z会の教室は厳選されたプロの先生が教えているため、教室自体の数が少ないのですが、オンライン授業が普及したことにより全国の生徒に授業を届けられるという利点もあります。結果的には、マーケット自体が広がったという感覚です。 ■進むDX化、変わらない「向き合う添削」 オンライン化が進む中、Z会の教室でどのブランドもやめようとしなかったのが「答案の添削」です。「添削がなかったらZ会じゃない!」というのが社員共通の想いです。今後の課題は、記述に拘りつつも、それをDXでどう叶えていくかだと考えています。ただ最近は、タブレットの手書き認識機能も良いものが普及しているので、技術がどんどん追い越してくる期待感もあります。また、本質に立ち返ったとき、DX化が進みすぎると、生徒たちの表現力が乏しくなってしまうのではないかとの懸念もあります。だからこそ、書くこと、考えることに時間を取るため、他塾に先駆けてAI教材も挿入して、インプットの効率化も行っています。今は、その生徒ごとに、学習状況を分析して、「あなたはこれをやった方がいいですよ」とAIがリコメンドしてくれるシステムもあります。このように、リアルとDXをうまく場面分けして活用しています。 ■「強みを言語化する」デジタルマーケティング 広告宣伝のマーケティング戦略についても、どんどんデジタル化しています。従来は折込チラシとダイレクトメールが主流でしたが、今は多くがWeb広告です。そんな中で痛感しているのは、「強みのない塾は勝ち残れない!」ということ。不特定多数に向けて発信する世界なので、ワード検索で見つけてもらえるように「強みを言語化する」ことが何より重要です。ちなみにZ会の教室では、「受験を通して人間として成長する塾」と掲げています! ■大学生へメッセージ 皆さんの大学生活は、新型コロナウイルスの影響を受けて本当に大変だと思います。しかしその一方で、すごく貴重な体験、学びもあったのではないでしょうか。制限されている中でも手探りで活動の幅を広げ、なんとか工夫して友達とやり取りしていった経験は社会に出た時必ず活きてきます。Z会の教室がオンライン指導でさらに指導の幅を広げたように、何事もあまり後ろ向きに捉えず、前向きに考えて新しい可能性を見出して、これからの社会をより良くするために、経験を活かしてほしいです。 学生新聞オンライン2022年5月13日取材 東海大学4年 大塚美咲

学生新聞インターン

武本悠佑  無駄な努力はない。やり続けることに意味がある。

■プロフィール 1998年5月1日生まれ/佐賀県出身。特技のダンスを生かした TikTokの投稿がバズり話題に。現在TikTokのフォロワーは110万人越え。2020年にミュージカル『新テニスの王子様』白石蔵ノ介役で俳優デビュー。2022年ミュージカル『刀剣乱舞』~江水散花雪~南泉一文字役として出演し、さらにドラマ「さよなら、ハイスクール」などにも出演し活動の幅を広げている。 現在は2.5次元作品を中心に活躍し、2020年12月にはミュージカル『新テニスの王子様』白石蔵ノ介役を演じている武本悠佑さん。今年開演したミュージカル『刀剣乱舞〜 江水散花雪〜』でも南泉一文字を演じるなど、活躍の場を広げている。そんな武本さんの舞台に対する思いや学生に伝えたいことなどを伺った。 ■Kis-My-Ft2 玉森裕太さんに憧れて目指した芸能界 僕は佐賀県出身なんですけど、少し田舎だったので、「都会の子は学校終わったらきっとゲームとかをしているんだろうな」と思いながらも、自然をアスレチックにして外で遊んだり、部活でボルダリングをしたりなど、アクティブな幼少期を過ごしていましたね。 芸能の世界には全く興味がなかったのですが、高校生の時に、家族と一緒にKis-My-Ft2のコンサートに連れて行ってもらい、玉森裕太さんを見て、「ステージの上で歌って踊り、いろんな人を幸せにできる仕事っていいな。自分もこんな風に表現できたらいいな」「夢ややりがいがあるな」と思ったことから、芸能の世界を目指し始めました。 コンサートに行っていなかったら、今この業界に僕は居なかったかもしれないですね。 ■お手本にしたい人を探したらあとは走るだけ。 「東京までは行けないなぁ、どうしよう」と考えていたときに、ダンスボーカルグループの募集していたので、まずは何か始めてみようとオーディションを受けました。事務所から送られてくる先輩の動画を見て、それぞれが個人でフリを覚え、その中からオーディションを通じてメンバーが選ばれるという形でした。ステージに出られるかどうかは努力次第でした。その事がきっかけで今こうして歌やダンスに生かされていると思います。 僕は何かをしたい時に、お手本にしたい人を探すようにしています。今はお芝居を中心にやらせてもらっていますが、すごい人の真似から始めるのが近道だと思っています。真似したなかに、自分の色を足すことで、すごくいい形になると思います。芸能活動を始めた当時は、周りは経験者で僕だけ未経験という環境だったので、毎晩寝ずに鏡の前で朝まで踊り、そのまま劇場へ行くような生活もしていました。「やろう」と思ったことは行動に移すタイプなので、今までガムシャラに走ってきたのがよかったのかもしれません。 ■ファンの方の意見で頑張れる 応援してくださる方の「こういう部分が成長したね」とか「歌が良くなった」「あの時に比べてこうだった」などの意見を、参考にしています。自分の成長過程を一緒に過ごしてくださるファンがいて、その方々に意見をもらえることは、自分にとって大きなモチベーションになっています。 ■舞台は「生もの」である 舞台って「生もの」なんです。舞台の公演回数はたくさんの数を繰り返します。毎回見に来てくれる方もいます。毎回同じだとチケット代をいただくのも申し訳ないですし、見ている側もつまらないじゃないですか。なので、舞台上では毎日違う工夫をしています。それこそ、歌って踊ってお芝居して……と全部やるので、どれか一つでも毎回変化を付けると、また違ったものになります。 ダンスや表情、歌のアレンジも含め、舞台はチャレンジの選択肢がたくさんあるのも面白みの一つだと思っていて、歌が好きなお客様でも、ダンスが好きなお客様でも、どんな人が見ても楽しんでもらえるコンテンツなのかなと思っています。また、後々映像作品にもチャレンジしたいと思っています。映像の場合は、眉毛の動かし方や、瞬き一つで表現も変わりますし、またどれだけオーバーにやるのかなどもすごく重要です。映像でいつか演じてみたいのは、昔から憧れていた特撮作品です。いつか絶対挑戦したいです!! ■BTSジョングクから学ぶステージ 僕は韓国アイドルが好きで、特にBTSのジョングクが好きです。彼のすごいところは、絶対にステージ上では手を抜かないことだと思っています。すごくストイックで、「自分と同い年の人が遊んでいても自分は努力していた」という歌詞の曲を出しているくらいです。僕は手抜きをしない人が好きなので、本当に尊敬しています。舞台の本番期間は作品の曲しか基本聞けませんが、たまにジョングクさんの曲を聴いて励まされつつ、ステージ上での見せ方を勉強しています。 ■何事も、やり続けることに意味がある。 「報われない努力はあっても、無駄な努力はない」という言葉が、僕はすごく好きです。正直、努力したら絶対に報われるなんて甘ったるい世の中ではないと思っていて、色々な人が出てくる中で、選ばれる人はほんの一握りだと思っています。僕はもともと7年間ボルダリングを続けていましたが、このスポーツは体幹が鍛えられるので、今のダンスでもそれが生きて、褒めてもらうことも多いです。長い間継続していた努力が、今に繋がっているのだなと思います。報われなくてもとにかく継続することに意味があると思うので、学生のみなさんも一緒に頑張りましょう! 学生新聞オンライン2022年5月29日取材 法政大学1年 佐伯桜優 法政大学1年 佐伯桜優 / 日本女子大学4年 神田理苑 / 中央学院大学4年 田根颯人  撮影協力:カメラマン 広田成太

学生新聞インターン

映画監督 岡本崇  一つでも「好き」を見つけることが、人生を楽しむ秘訣

映画監督 岡本崇(おかもとたかし) ■プロフィール奈良県出身。2008年頃からインディーズバンド界のMV制作黎明期を支える。2017年より本格的に映画制作を始め、短編映画『ロック未遂』が福井駅前短編映画祭2018でベストアクトレス賞を受賞。2021年、『ディスコーズハイ』では神戸IFFにて奨励賞、日本芸術センター映像グランプリにて発掘賞を受賞。その他多数の入選作を持つ。 7月8日より公開される映画『ディスコーズハイ』。同作の監督を務めたのがインディーズバンドのMV制作を支える岡本崇さんだ。自らが音楽活動する中で、「才能や口約束のような目に見えないものに翻弄される音楽業界において、音楽がど真ん中にあるべきだ」という気持ちを込めて制作したという。そんな岡本監督に、これまでの苦悩や作品の見どころについてお話を伺った。 ■元々音楽に興味はなかった今はバンド活動、MV制作、スチール撮りをメインに行っています。しかし、実は、もともとは音楽が好きという気持ちは全くと言っていいほどありませんでした。音楽を始めるきっかけは、高校時代に友人から「バンドをやろうぜ」と言われてバンドを組んだことです。ここではバンドを組んだだけで、全く活動せず、楽器すら買いませんでした(笑)。ですが「なぜかバンドってええな」と思い、段々とギターが好きになり、音楽を専門的に学びたいと思って音楽の専門学校に通いました。そして学生時代からギタリストとしてツアーを回る仕事につきましたが、段々と地盤を固めていく難しさを感じるようになりました。その後、バンドで色々なところを回っている際に、仲良くなったカメラマンと交流を深めていく中で、カメラに興味を持ちました。それがきっかけで舞台の映像制作などを行う会社に入社しました。その後、自分でもバンドもやりつつ、MVが今よりも盛んではない時代から、軽い気持ちでインディーズバンドのMV制作に携わってきました。 ■MV制作での苦悩スポンサーがいる企業案件の場合はお金も時間も十分にあるし、きちんとスケジュールも管理されていますが、インディーズバンドの場合は、お金も無いし、バンドの人々も意識が低くて、しょっちゅう遅刻します。最初は「自分の作品を撮っているとは思えないくらいのテンションじゃない?」と驚きました。ですが、自分もバンドをやっていたので、「何とかして一緒に大きくなりたい」という気持ちで制作を続けています。そして段々と撮影の際には遅刻の時間などを見越してロケ地を押さえるようになりました(笑)。そういった部分、僕も含めて愛すべき奴らなんです。いや、もちろんそんな人ばかりではありません、意識の高いバンドマンも大勢いるということをお伝えさせてください。また、MVがバンドの方のPRに繋がって喜んでもらったり、MVの再生数が多かったり、「○○のMVを作ったのって岡本さんですよね?」と周囲の人から言われるとやっぱり嬉しいですね。 ■音楽とMV制作の共通点とはMV制作には「このように作ってほしい」と先方から依頼がある場合と「お任せ」でお願いされる場合、このどちらかになることが多いです。音楽で伝えることとMVで伝えることは同じだと考えているので、曲を聴き込んだうえで「この曲のテーマは何か」を考えるようにしています。これは僕の場合になりますが、歌詞の固有名詞をそのまま用いるような、形通りに作るのはあまり好きではないので、少し外した感じで歌詞を映像で言い換えるように心がけています。 ■当初の企画からシフトチェンジして作った映画『ディスコーズハイ』については、元々は40分くらいで「MVあるある」のような映画を撮りたいと思っていました。ですが、自分の好きな俳優さんやアーティストさんにキャスティングオファーをしていたら、予想以上にしっかりとしたキャストが決まったので、「もっとしっかりしたものを作らなければ」とシフトチェンジしていきました。特に冒頭とクライマックスの歌唱シーンは、僕が作詞作曲した歌を自分の好きな方々に歌っていただいたので、是非注目して欲しいですね。また、冒頭のライブシーンに関してはよくある当て振り(口パクのように楽曲に動作を合わせるもの)でいいと伝えていましたが、楽曲を実際に演奏していただけたので、撮影中、監督である僕もテンションが上がりました。 ■警察沙汰になりかけた撮影驚いたのは、作中、大声で叫ぶシーンを木造の建築物で撮影していたとき、本当の事件だと勘違いされ、近所の方に警察に通報されそうになったことです。もちろんちゃんと許可を取っていたので、大事には至りませんでした。他にも2020年のコロナ禍で大変だった時の撮影だったので、楽器を持っているだけで白い目で見られることもありました。コロナを機に解散しようとしているバンドもいたので「映画が公開されるまで解散しないでくれ」とお願いをしたり、ロケ地を確保したりするのが大変でした。もちろん遅刻が多い方もいましたが、過去の経験から入り時間を早く設定するなど、対策をして撮影しました(笑)。 ■今後もインディーズにチャンスを与えたい今後もMV制作をやりつつ、映画制作にも取り組んでいきたいと思っています。僕はわかりやすいアクションが好きなので、「大げさなアクション」「わかりやすい山場」を多く含んだ映画を撮ってみたいです。もちろん僕自身もミュージシャンを諦めているわけではないですが、知られていないだけで、実はすごくよいバンドやよい歌はたくさんあると思っています。いまは知られていないけれども、才能が埋もれているインディーズバンドの方々をより多くの人に見てもらえる機会を、1つでも増やしていきたいです。自分が売れるのも嬉しいのですが、仲の良い人たちが売れると自分事のように嬉しいし、その方々の中に僕も混ざりたいと思います。 ■大学生へのメッセージとにかく1つでも自分の核となるような「好き」を見つけて欲しいです。僕は自分がやりたくて、自分が好きで楽しいことを、一番の優先順位にあげる人生を歩んできました。「夢」と呼ぶほどの大きなことではなくて、ただ「好き」な状態ことでも良いと思います、「でっかい好き」を見つけられると、楽しく人生を歩んでいけます。僕は元々漫画家を目指して挫折しましたが、音楽などの「別の好き」を見つけ、今は楽しい人生です。まぁ、なんとかなるで! 学生新聞オンライン2022年5月18日取材 中央学院大学4年 田根颯人 『ディスコーズハイ』 日本芸術センター第13回映像グランプリ発掘賞神戸インディペンデント映画祭2021 奨励賞 その「好き」が才能。目に見えないものに翻弄される音楽業界だからこそ音楽がど真ん中にあるべき 7月8日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにてロードショー キャスト:田中珠里 下京慶子 後藤まりこ監督・脚本・撮影・編集・楽曲制作・整音:岡本崇 公式サイト: https://plisila.wixsite.com/mysiteTwitter: @raidiochandesuFacebook: @discordshigh ©2021コココロ制作

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都民ファーストの会 代表 荒木ちはる

政治は、誰かの「不可能」を「可能」にするもの。 都民ファーストの会 代表 荒木ちはる (あらき ちはる) ■プロフィール 1982年3月1日生まれ、熊本県出身。小池百合子衆議院議員公設第一秘書(秘書歴6年)を務め、2017年都議会議員選挙初当選、現在2期目。現在、都民ファーストの会代表、ファーストの会代表。東京都議会議員(中野区選出)・参議院東京都選挙区第一支部長・警察消防委員会副委員長保有資格:行政書士、宅地建物取引士、防災士 2017年都議会議員院トップ当選を果たして以来、5000件の政策を打ち出してきたのが、都民ファーストの会に所属する都議会議員である荒木ちはるさん。30代女性都議会議員は、果たしてどんな学生時代を過ごしてきたのか。「荒木ちはるは3体いる!」と周囲からささやかれるほど活動的な荒木さんの秘密に迫りました。 ■先輩への恩義から始めた新入生チューター 大学は、資格を沢山取りましたね。資格を取ろうと思ったのは、学生は時間が沢山あるからです。遊ぶ時間も大切ですが、学生だからこそ出来ることを優先しました。1年目は宅建に挑戦しました。最初の試験は、落ちてしまいましたが、2年目で無事合格することができました。そのほか、行政書士や中国語検定の資格も取りました。 資格以外には、新入生チューターを4年間務めました。新入生チューターとは、簡単に言うと新入生のお世話をする係です。私自身、新入生の時、先輩方にハウステンボスに連れて行ってもらい、カリキュラムを説明してもらい、「大学とは何をするのか」を教えて頂きました。先輩方のおかげで、大学生活を最初から楽しむことができたため、「自分も後輩たちに何かできないか」と思い、立候補しました。4年生の時には、リーダーを務めるようにもなりました。 ■幼い頃の夢は、検察官 大学は、政治学部ではなく、法学部に進学しました。その理由は、実は女性の検察官になりたいと思っていたからです。きっかけは、大学で強姦罪について学んだ時です。状況が似ている事件でも、男性が裁くのと女性が裁くのでは、全く判決が違うことを知りました。また、「痴漢などを防ぐために、私が鉄道警察隊になって、悪い人を捕まえたい」とも思っていました。法律を学びたい思いが強く、大学院まで行きました。 ■小池さんの秘書を6年間しようと思った理由 きっかけは、テレビで小池百合子さんを見たからです。当時、女性初の環境大臣として、彼女の存在は、テレビでよく取り上げられていました。小池さんの人間の心理の核心をついている政策を見て、憧れていました。 例えば、エコバッグ、クールビズについても、小池さんは、「会社のトップから始めなさい」と政策を打ち出しました。社会構造を理解しているからこその発言だと思い、感銘を受けたのを覚えています。また、小池さんには、発信力がありました。当時の私は、発信力が大切だと考えていましたので、小池さんのもとで働きたいと考えました。政治家になりたいと決めた時、履歴書一枚持ち、小池さんのもとに「弟子にしてください」と言いにいきました。 ■政治家の仕事とは『人がやらないことをやる』 小池さんからは、様々な政治家の仕事について教えて頂きました。人がやることをしても、意味がない。だからこそ、声なき声に耳を傾けることが重要だと、小池さんは何度も言い続けてくださいました。日本には、困っている人が沢山います。声を上げられない人、声を上げても伝わりにくい人、声なき声に耳を傾けることが私たちの仕事です。 そのひとつが、若者の性教育です。スウェーデンでは、子供たちの秘密を守って、問題悩みを解消できる環境が整っています。妊娠した時、性病になった時、親には相談しにくいですよね。誰かが代弁してくれないけど、大切なこと。その問題解決をしていくのが私たちの仕事です。小池さんの秘書をしている時に、「声なき声に気づき、誰もやらないことをやる」という大切な事を教えて頂きました。その経験が、今の政策に繋がっていると言います。 実現するために、私はどこでも行きます。防災訓練も中野区中のイベントにはほぼ全部参加しています。皆さんから「荒木さんは3人いるのでは?」と言われるほど動いています(笑)。 ■日本の政治は、スピード感の遅さが課題 都議会は非常に重要な存在なのに、残念ながら、あまり注目されていません。委員会のテレビ中継もされていません。議事録を見たいと言っても、取り寄せるまでに1ヶ月かかる状況です。正直、すべてが遅いのです。必要なときには、もうその時には終わっていて、国民の皆さんと話を進めることができません。だからこそ、私は「古い議会を新しく変えよう」と訴え続けています。都議会委員は60代の方が多く、30代女性は珍しいです。だからこそ、私には、「いまの体制は古い。だから、新しいことが必要だ」と声を上げる役割があると考えています。 ■政治とは、「不可能を可能にできるもの」 私は、今までで5000件以上の政策を出しています。なぜなら、困っている人が「制度だから」と諦めているケースが多いからです。でも、「変えることは不可能だ」と思うことが、東京と日本の可能性を狭めてしまいます。最近の事例だと、都立高校に通える学生の条件の緩和が挙げられるでしょう。 最近、障害児を育てる方々など、子どもたちに自然を体験させたいと思い、伊豆大島などの島に引っ越す動きが増えています。しかしながら、都立高校は都内在住者しか通うことができません。島に住みたい人たちの障壁を取り除くべきだと考えて、県外の人でも都立高校に通えるようにという要望を出しました。知事に伝えると、すぐさまに変えてくれました。これからも困っている人の声に気づき、素早く解決できるように動いていきます。 ■大学生へメッセージ 18歳選挙権を大いに活かして政治に参加してください。政治は生活です。暮らしや命や健康を守るものだから、政治家を見て選んでください。学生視点から日本の50年後、100年後を見て、「自分たちが生きていく将来を、今の政治家たちに預けられるのか?」を考えてほしいです。政治に参加する事で、社会の一員として生きている事を体験できます。また、自分の声が現実になることもあります。だからこそ、社会の事柄に当事者意識を持ち、生活することが大切なのです。ぜひ、みなさんにはそれを意識してほしいと思います。 学生新聞オンライン2022年4月26日取材 成蹊大学4年 岡田美波

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俳優 尚玄 向かい風を恐れず、目標に向かって歩んでほしい。

■プロフィール 2004年、戦後の沖縄を描いた映画『ハブと拳骨』でデビュー。三線弾きの主役を演じ、第20回東京国際映画祭コンペティション部門にノミネートされる。その後も映画を中心に活動するが、2008年NYで出逢ったリアリズム演劇に感銘を受け、本格的にNYで芝居を学ぶことを決意し渡米。現在は日本を拠点に邦画だけでなく海外の作品にも多数出演している。近年の出演作に『ココロ、オドル』(19)、『Come & Go』(21)、『JOINT』(21)、『Sexual Drive』(22) など。今後『DECEMBER』(23)の公開を控えている。 土山直純という義足のボクサーとの出会いをきっかけに、「土山さんの実話をもとにした作品を作れば勇気をもらえる人がいるのではないか」と8年前から奔走してきた俳優の尚玄さん。そんな彼の努力が実り、生まれたのが映画『義足のボクサーGENSAN PUNCH』だ。尚玄さんが同作に込めた思いやその経緯について伺った。 ■バスケやモデル・留学など充実した大学生活、卒業後はヨーロッパに挑戦 沖縄を出て、東京の大学に進学しました。大学に入ってからは高校までやっていたバスケを続けるつもりはありませんでしたが、勧誘されて、結局体育会のバスケを4年間続けました。もともとモデルに興味があったので、キャスティングディレクターの方を紹介していただいて、モデル業も大学とバスケと並行して行っていました。2年生のときには、交換留学でアメリカにも行きました。そこでは宿題をしっかりやらないと授業についていけない大変な状況だったので、アメリカと日本の大学生の勉強への向き合い方との違いに驚きました。しかし、この経験から勉強のサイクルが身につき、勉強が好きになりましたね。そのため、日本に帰ってからも勉学に集中できるようになりました。 大学卒業後は作品集を持ってヨーロッパに行きました。本当にやりたいことは俳優業だったので、モデルにけじめをつけるため、ヨーロッパで挑戦することを決めました。ミラノ、パリ、ロンドンを一か月ずつまわって、自分がどの場所が向いているか見極めていました。ファッションがもともと好きだったので、刺激的な経験で楽しかったです。そして、お金がたまれば見たことのない風景や新しい出会いを求めて、バックパックで旅に出ていました。好奇心旺盛で、知らない土地を訪れるのが昔から好きでした。旅に行くときはWi-Fiを持たず、プランを決めないことが私のこだわりでした。 ■映画「義足のボクサー」について 映画を作ろうと思ったのは、土山さんとの出会いがきっかけです。出会った当初は気づきませんでしたが、次第に彼が義足だということを知り、彼の困難への向き合い方に感銘を受けました。私だけでなく、他にも彼の話で勇気をもらえる人がいるのではないかと思い、土山さんをモデルに映画を作ることを承諾してもらいました。実現に至るまでには、資金面、撮影地や監督のことなど、大変なことはたくさんありました。また、日本では俳優が企画を立ち上げることは主流でないため、向かい風もありました。ただ、映画を完成させるという一心で、努力ができたのだと思います。また、今作は極端に台詞が少ないということが特徴です。それは逆に、行間や台詞ではないところに思いがたくさん詰まっているということです。言葉を交わさないからこそ伝わる想いを、たくさん描いけたのではないかと感じています。 ■苦労したボクサーとしての役作り まず、ボクサーを演じる上では、ボクシングの技術はもちろん、見た目で説得力がないといけません。ボクシングにリスペクトの意味も込めて、経験者が見ても、納得してもらえるところまで持っていきたいと思っていました。しかし、役作りは終わりがないため、今見れば「もっと準備できたはず」と思い返すこともあります。もちろん、義足のリサーチもしました。普段から右ひざをさする癖をつけて、自分は義足だというマインドセットを作っていました。義足は意識するものの、実際に出来上がった映画を見て、義足を誇張していないところ、特別視していないという監督の描き方にとても好感が持てました。 他にも、コロナの蔓延や追加撮影があり、撮影が延びていたため、体の維持が大変でした。しかし、一番大変だったのは、体の維持よりも精神面の維持でした。本撮影に向けて高めていた熱量をその後の撮影にも維持できるのかが心配でした。「試合が決まらないボクサーはまさにこういう気持ちなのか」と思いながらトレーニングを続けていました。このような状況下でも活動が続けられるのは、まわりの方の支えがあるからこそなので、感謝は絶対に忘れずに、自分の出来ることを粛々とやっていきました。今回、釜山国際映画祭で賞を取れるとは全く思っていませんでしたが、賞をいただくことができて、少しでも恩返しができたのかなと思っています。 ■言葉だけでは表現できない臨場感を味わって 心をオープンにして、思うままに見てほしいです。ボクシングを題材にしていますが、その本質は一人の青年が自分の夢のためにフィリピンにわたるヒューマンドラマだと思っています。父親の愛情や地元で自分を待ってくれている家族への想い、一つの夢の引き際やその先など、言葉が少ない分、いろいろな方に共感してもらえる部分があると感じています。また、商業映画とは少し違って、地元の人が出演したり、トラブルがあったり、台詞が間違っていたりしてもそこを活かすという撮影の仕方でした。カメラも三脚を一切使わずに手持ちで撮影していたため、臨場感があり、すべての瞬間で、生きている感覚を味わえると思います。 今後も、自分発信で映画を作っていきたいですし、いずれは監督も挑戦してみたいです。また、国境は気にせず、広い視野で映画を作っていけたらと思っています。沖縄で育ってきたため、沖縄独特の文化や親から譲り受けたものなどにスポットライトを当てた映画も作ってみたいです。 ■大学生へのメッセージ 映画を観ている間は、スマートフォンの電源をオフにして作品に没頭したり、暗闇で時間を共有したりする、特別な時間です。普段とは違う温かみのある行為だからこそ、ぜひ大学生には直接映画館に足を運んで映画に触れる機会を増やしてほしいと思います。また、時間のある大学時代にこそ、旅に出て、観たことない風景、美しい人々に出会ってほしいです。できれば、旅に行くときはWi-Fiを持たず、プランも決めずにでかけることにも挑戦してほしいですね。 2022年5月19日取材 日本大学 3年 石田耕司 義足のボクサー GENSAN PUNCH 2021年東京国際映画祭ガラ・セレクション部門正式出品作品2021年釜山国際映画祭アジア映画の窓部門キム・ジソク賞受賞 Introduction別に特別なんかじゃない―義足のため日本でプロの夢を絶たれた男がフィリピンでプロボクサーを目指した感動の実話 6月10日(金)より全国公開中 監督:ブリランテ・メンドーサ 出演:尚玄、ロニー・ラザロ、ビューティー・ゴンザレス、南果歩  ©2022 「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会

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劇場都市TOKYO演劇祭

数多くの劇場が立ち並ぶ東京。しかし、日常的にはその演劇文化は、いまだ浸透しているとはいいがたい部分もあります。そこで、演劇や劇場が、街や社会と大いに融合をしていく機会を作るため、1月10日から3月31日まで開催されたのが「劇場都市TOKYO演劇祭」です。 今回、『学生新聞オンライン』では、同イベントの受賞者たちや『ナビゲーション』の出演者たちにインタビューを決行!それぞれの感想や学生時代の思い出を伺いました。 PART1劇場都市TOKYO演劇祭 受賞式(2022年3月30日開催)にて、受賞者インタビュー 【最優秀主演俳優賞】鳳恵弥『ナビゲーション』主演女優 賞をとった感想としては、「皆で取った賞だ」ということです。共演者はもちろん裏で表で作品を支えてくれる方々がいて成り立つ、最高の舞台でした。舞台芸術で演じさせて頂ける機会自体が本当に貴重で、さらにこのような素晴らしい賞を頂けることは「奇跡なんじゃないか」という想いです。 私の役者人生において大きな転機となる出会いである尊敬する脚本家、江頭美智留先生と、私の憧れである先輩役者、松本梨香さんをお繋げしてスタートしたこの作品は想えば最初から奇跡溢れた作品だったようにも感じます。 そして何と言っても、初めて1等賞を頂けたことが嬉しくてたまりません。幼い頃からずっと2位、3位という結果が多く、今回が人生初の1位でした。 人と深く関われる職業として、俳優業の右に出るものはないと思います。その一方で「儚さ」も感じる業種。作品をつくる数ヵ月間は仲間たちと密に関わりますが、千秋楽を終えるともう一生会わないということも。そんな「儚さ」も魅力の一つかもしれません。 今後の目標として、仲間づくりやまた先輩方から学ばせて頂いたことも次の世代に伝えていくということにも意識を持っていきたいと思います。40歳という人生の折り返しを迎え、世代交代も感じる日々(笑)今後は自分が女優として演じた「軌跡」を残していきたいです。 演劇と聞くと、学生はまだ「未知の世界」という感じる方も多いかもしれません。だからこそ、このような演劇祭が多くの学生にとって演劇に触れる機会になれば嬉しいです。演劇は人生に素敵な影響を与えてくれるもの。身近な人が出ているものから、ぜひ触れてみてください。(取材・文/東海大学 4年 大塚美咲) 【最優秀助演俳優賞】 松本梨香『ナビゲーション』出演女優 賞をいただけて嬉しいのと同時に、「これからはもっと演劇を盛り上げる立場にならなくては」という責任感も強くなりました。これまで呼吸をするように舞台の上に立ってきました。お芝居を通じて誰かの立場になりきり、セリフという言霊を通してファンの方の心の支えになりたいという想いがありました。観る人が「よし、明日もいきてみようかな」と思えるような活力を届けていきたいです。目指すは「みんなの強力ビタミン剤」です! また、この賞は表現者としての私の背中を押してくれる受賞となりました。次の目標はパラリンピックで国家斉唱をすることです。舞台と違って、「歌」という限られた時間の中で、いかに視聴者に元気を届けられるかに挑んでいきたいです。そう思うようになったきっかけは、以前に私が養護学校の生徒さんに向けて歌を歌った際に、その父兄の方がとても喜んでくださったことです。これからも歌を含め「表現者 松本梨香」として自分ができることは全て行なっていこうと思っています。 自分が目指す姿を思い描くだけでなく、行動に移していくことが大切だと感じています。そのための第一歩として私が行なっているのは、自分が成し遂げたいことを10回以上口にしていくことです。「叶える」という字は口に十と書きます。口にすると自分の言ったことに対して責任のある行動を追求するようになるので、よかったら皆さんも実践してみてください。(取材・文/津田塾大学 4年 宮田紋子) 【最優秀新人俳優賞】 吉田知央『トワイライトの涙』主演俳優 最優秀新人俳優賞を受賞出来た事に今、本当にびっくりしています。1月に舞台が始まってから、初主演という事もあり、自分への挑戦でもありました。ご縁があって立たせてもらった舞台で、普段からお世話になっている方と演劇を出来て、純粋に楽しかったです! のびのびと主演を出来たのは周りの方々の支えがあったからこそで、僕だけの力だけではないと思っているので本当に感謝でいっぱいです。これからは新人の枠を超えて頑張っていきたいです。 今回の作品はミステリーコメディーですが、お客さんが笑った中に緊張感を持たせ、どんな展開なんだろうと引き込ませられるのが俳優業の魅力ですね。ストーリの中のセリフを通じて、世の中へ向けて心に刺さる言葉を届けられる特別なお仕事だなと思います。 ドラマや映画なども出演してみたいですが、枠に囚われず、好きな事を仲間と一緒に出来てご飯が食べられる様になりたいですね。もっと演劇を観てもらうために大きな劇場で公演をしたり、主演を演じたりしたいです。 学生の皆さん、このご時世で楽しみや思い出が無くなってしまっても、気が沈んでも何も変わらないので、しんどいと思わずに生きる活力をプラスに考えてみてください。今できる青春を存分に謳歌してほしいです。(取材・文/国立音楽大学 2年 岡部満里阿) ■PART2こけら落とし公演『ナビゲーション』マスコミ公開リハーサル(2022年1月12日開催)実行委員長&出演者インタビュー 劇場都市TOKYO演劇祭 実行委員長 佐山泰三 東京って、世界中のどこよりも一番劇場の数が多いんですよね。そういうツールが揃っているのに、活用できていないのが現状です。 でも、実はこれって日本の他の部分にも言えてしまう。例えば公民館や教会。これらもハードの部分は日本が作っているものの、ハードを活かす中身まで充実できていないのが現実なんです。要は作るだけ作っておいて、「中身がない状態」なんです。 わかりやすく言うならばパソコンですね。パソコンも実際に触れる部分であるハードだけ工場作っても使えないですよね。ハードよりもむしろソフトのほうが実際利用する回数は多いじゃないかってくらいソフトの部分は大事。でもそのソフトの部分は、これまで話したように今の日本には殆どない。だから劇場においては、そのソフトの部分を充実させる演劇祭が必要。演劇の良さっていうのは見た人じゃないと、実際に会場に足を運んで自分の目で見てみないとわからないものなんです。 私も中学時代に演劇に関わって、自分の目で見た、得た感動って今も忘れていない。リアルの感動って一生忘れないんですね。生の感動は人生を通して一生涯残り続けるからこそ、こうした生で見る機会というのをどんどん増やしたい。少しでも良いソフトを作って発信していくのは私たち劇場側の責任。素晴らしい芝居を1人でも多く見てもらって、次の世代へ継承していきたい。今回劇場都市TOKYOを構想するにあたって、東京都の援助もあります。これを毎年できるようにして、自分のやりたいことに自らチャレンジする人たちをどんどん排出していきたいです。 (取材・文/神奈川大学 卒業 竹尾あさと) 『ナビゲーション』脚本家・江頭美智留 3年前から死体を運ぶ話をやりたいと思っていましたが、どんな人が運べばいいのかとずっと考えていました。そんなときに、鳳さんと松本さんとの出会いがあり、この二人なら大好きな「テルマ&ルイーズ」という作品のような二人になれるのではないか。そう思い書いたのがこの作品です。自分で書いたもので泣けるのはとても幸せなことだと思いました。一度観た後に是非とも、もう一度観ていただきたい作品です。 私は大学で脚本を教える授業を受け持っていますが、現在の学生はとにかく真面目で、課題にも熱心に取り組んでいると思います。それと同時に、本当に繊細で、授業や学校に来られなくなってしまうことも多いですね。 学生と話していると、「友達はこうしている、でも自分は出来ない」という子が本当に多くて。私は昔から他人のことは邪魔しないで、自分のやりたいことだけをやればいいと思って生きてきたし、周りにも言ってきましたが、そういう風に生きられない人もいるということを、この数年、学生と接したことでわかってきました。 誰にも話せなくたっていいので、とにかく焦らないこと。私自身も遠回りしたことがたくさんあります。時間をかけて、他人と比べず自分の好きなように生きていいんじゃないかなと思います。 (取材・文/日本大学 3年 柴野桃七) 『ナビゲーション』主演女優・鳳恵弥 リハーサルが終わって楽屋の方にもどったときに江頭先生に「泣けたよ」と言ってもらえて、褒めていただけました。今はそれがすごく幸せです。そして、東京は大きな劇場都市だと再認識できる演劇祭を佐山さんに作っていただきました。その演劇祭という目標に向かってチャレンジできる幸せを噛みしめながら、稽古場での練習や本番を迎えることができました。これは演劇人生の中でも何本指に入るくらい大きな分岐点になっているような気がします。 しかし、どの劇団も同じように切磋琢磨しながら稽古をし、葛藤していると思います。それに負けないように、我々も一つでも多くの賞を取れるようにもっともっと上を目指してやっていきますので、お客様一人ひとりが審査員という気持ちで、厳しい目を持って見ていただきたいです。 そして、今回の作品は伏線が多く張り巡らされていて、小気味いいテンポの作品なのでそうした臨場感を劇場に感じに来てほしいです。また、作品の中では何度も「大丈夫」という言葉がちりばめられていて、みんなを励まし、後押しするような温かい作品になっていると思います。 (取材・文/日本大学 3年 石田耕司) 『ナビゲーション』出演女優・松本梨香 今回、この作品を素敵なキャストとカンパニーでやらせていただけたことが嬉しかったです。この作品には、人間臭さみたいなものがぎゅっと詰まっていて、いま、みんなが忘れかけているようなものが入ってると思います。 私はこの作品の中の「大丈夫」という言葉がすごく好きです。幼い頃、私が迷ったり悩んだりした時に母親が「できるから大丈夫」と言ってくれた事で、コロナ禍で、劇場がどんどん潰れていき、役者の友人が引退したりと、2年間辛いことや苦しいことなど色んなことがありましたが前を向け、大変な事でも乗り越える勇気をもらえたのです。これからもみんなに元気や笑顔を届けていきたいです。そして私たちが全身全霊命を燃やして「役者バカ」でやっていることの想いも伝わったらいいなと思っています。来場されるお客様は私たちの役者としての「命」に繋がっています。 お芝居をやっていてもすごく感じるのは、「生まれてきたこと自体がすごい」ということです。我々はこの世に、自分の意志でしか生まれないのだそうです。生まれるというのは知らない世界に初めて飛び込むということで、恐いことだと思うのです。なので、そんなすごいことを既に成し遂げてきた自分自身のことをもっと信じてあげてください。そして、人は地球に立っているだけでも常に前に動いています。人に後戻りはないのです。自分のペースで一歩一歩ずつ前に向かって歩んでいってください。 (取材・文/津田塾大学 4年 宮田紋子) 『ナビゲーション』出演&音楽担当・パッパラー河合 舞台で演技をすることは初めての経験でした。幾度となく行ってきた音楽のステージは準備無しで挑むことができますが、舞台となると勝手が全く違います。リハーサル中、目に涙を浮かべながら演じている鳳さんの姿が自分にとってはすごく新鮮でした。作品中の楽曲についてはすべて自分が手掛けています。脚本家の方も同じだと思いますが、自分の書いた曲は子どものようなものです。 約2年前からコロナ禍が始まり、オフラインでの活動ができなかったころはライブ配信で音楽を届ける活動もしてきました。ライブ配信は、初めは物珍しさから注目を集めますが、何度も見てもらえることありませんでしたね。やはり、生で届けるエンターテインメントに勝るものはないと、コロナ禍の経験を経て改めて実感しました。 学生時代はやりたいことがたくさんあると思います。しかし、ほとんどのことは上手くいかないという心待ちで挑んでください。私自身学生時代にバンドを始めましたが、売れ出したのは10年後です。何かをやり始めた当初は周りから認められないかもしれませんが、それが当たり前です。失敗は成功のプロセスになるので、そこで気を落とさず努力を続けてください。 (取材・文/東海大学 4年 大塚美咲)

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アパグループ 社長兼最高経営責任者(CEO) 元谷一志

原点となったのは、父からの教え「情報の感度を磨け」。 アパグループ 社長兼最高経営責任者(CEO) 元谷一志 (もとやいっし) ■プロフィール1971年4月20日福井県生まれ。石川県出身。1990年石川県立金沢二水高等学校卒業。1995年学習院大学経済学部経営学科卒業。住友銀行にて5年間勤務した後、1999年11月アパホテル株式会社常務取締役として入社。2004年に専務取締役に就任した後、2012年5月にアパグループ株式会社代表取締役社長に就任し、グループ専務取締役最高財務責任者、グローバル事業本部長を歴任。2022年4月アパグループ社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、現在に至る。 ホテルやマンション開発などのリーディングカンパニーとして、誰もが一度は、その名前を目にした事があるであろうアパグループ。そのCEOである元谷一志さんは、常に時代を先取り、数々のイノベーションを起こす経営者としても知られています。そんな元谷さんが、「生まれた瞬間から受け入れてきた」と語る自身が感じる使命や、世の中の動きを俊敏にキャッチするため、日々心掛けていることなどを伺いました。 ■父から学んだ帝王学  昭和46年私が生まれた日、父が独立し、会社設立申請登記をして、いまのアパグループが誕生しました。幼少期から「会社を継げ、継げ」と言われて育ったため、「自分は将来経営者になるのだな」という宿命を受け入れていましたね。私は人生において、宿命と運命があると思います。仕事や結婚は運命で能動的に選べますが、宿命からは逃れられない。小学生の頃、私が21時に寝ても、父の帰宅時23時頃に起こされるんです。そして、その時に、父の身体のマッサージなどをして、今日1日 学校であった話などを話していました。父は恐らくマッサージ中に私と話す事によって、強制的にコミュニケーションを取っていたんですね。父からは、「ひとりの子どもとしてでなく、ひとりの人間として育てる」と言われ、帝王学を沢山学びました。そのとき教わった数々の教えの中でも、特に今でも生きているのは、情報をキャッチする大切さです。 ■「社会勉強」を意識していた大学時代  高校までは金沢で過ごしていて、大学では東京に行きたくて学習院大学の経済学部に入学しました。一浪して入学したのですが、私の世代はベビーブームと言われていて人口が多かったので、受験競争も激しかった。「一浪」と書いて「ひとなみ」と呼ぶほど一般的でしたね。大学生活ではドイツ文化研究会とテニスサークルの2つのサークルに入ったり、家庭教師のアルバイトをしたりしていました。家庭教師のバイトでは、いかに要領よく少ない労力で点を取るかをポイントに教えていました。ただ、大学時代に意識していたのは、社会を知ることです。親からはずっと「テストより社会勉強をしっかりしろ」と教え込まれていました。物事には何事にも理由がある、その理由を「なんで?」と考えるクセをつける様に言われていました。疑問を持たないと「生み出す」という事自体が喪失してしまいますからね。 ■東京の中心で情報感度を磨いてきなさい  「情報の感度を上げろ」これが、父から言われた言葉です。上流の情報をつかめば、それが仕事になるのです。世界で起こっている事に目を向け、いつでも最前線の情報を自ら仕入れれば、ビジネスになります。逆に感度が低い人はビジネスには向いていないです。例えば、東京で流行ったものは地方に遅れてきて流行ります。時差があることは格差になって、ビジネスとなります。日本人には2つの特性があると思います。一つ目は老舗企業へのリスペクト。二つ目は西洋ブランドへの敬慕。こちらも地方の時間軸で成り立っています。アパグループは開業51年で老舗企業ではないですが、世界で部屋数では19番目のホテルチェーンになりました。それは情報の活かし方によって成ったものだと思います。 大学4年生の時に父から「本当に継ぐ気はあるのか?」と問われました。「その気があるなら銀行に行け。継がないのであればどこへ行ってもいいけど、『遺産の遺留分を放棄する』と一筆書いて行け」と言われました。「銀行へ行け」というのは、「お金は人間の血流だからお金のメカニズムを学べ」という事でした。私は会社を継ぐ事を決意して住友銀行へ入行しました。継いだ理由は二つあります。一つ目は親孝行のため。そして二つ目は起業家になるためにゼロから事業を行うのは無理があるが、いまある種を雪だるまのように大きくするのも良いなと思ったからです。当時はまだホテルが地方に四つしかなく、事業を成長させる素地はあると感じました。また、「事業を運営する上では、銀行の心理やテクニックを知らないとダメだ」と感じ。銀行で、の信用審査や税の流れなどを理解した上で家業に戻りました。 ■ITや効率化を進める、アパグループの進化  私たちアパグループでは事前決済を取り入れています。予約の手間がかかる事もありますが、事前決済しておくと、キャンセル率が減るのです。また、お客様にお部屋を選んでいただけるため、いろんな方の用途に沿ってサービスできるメリットもあります。ホテル業界での事前決済の展開は、日本では私たちが業界初となりました。 効率化の点でいえば、バックヤードを極力小さくして、一個ずつの客室スペースを増やしました。従業員の部屋は違うところで借りて、無駄なスペースは客室にして収益化を図っています。 また、アパグループはITに力を入れており、インターネット予約をいち早く取り入れました。新しい企画を一つ出す度に、満足度が低減しないようイノベーションも進化させます。お客様にも成功体験をしていただき、帰宅時間軸でキャッチアップできるよう、自社サイトを充実させ、お客様と直で繋がれるアプリも作りました。 ■日々大変なのは、ONとOFFの切り替えがないこと  日々の経営で大変だと思うのは、サラリーマンと経営者は全く違い、ONとOFFの切り替えが出来ないのです。四六時中、仕事の効率化を考えてしまうのです。私自身、遊びでゴルフに行くのですが、自身でゴルフ場の経営もしているので、運営するための効率をついつい考えてしまいます。このように仕事と遊びが繋がっているからこそ、ヒントがある事もあります。そのため、ヒントを得るため、ときには他のホテルに泊まることも多いですね。 ホテルという存在は体験型ビジネスです。人が死ぬ時に後悔する事は、「見たかった」「食べたかった」「行きたかった」 だと思います。これらはあくなき欲求のど真ん中に位置します。こうした潜在的な体験欲求をホテルは満たします。その中で、どうやって選ばれるかホテルになるかを追求するため、トライ&エラーを繰り返して最善を尽くします。ときにはもちろん失敗することもあります。でも、その要因はタイミングで。実は早過ぎただけかもしれない。そんなミスマッチが起こらないように、常に時代に沿って適応するように心掛けています。 ■学生へのメッセージ アパグループでは、能動的、固定概念を持たず、意欲的な学生を採用したいです。私は最速であり、三角形の重心の皆さんのど真ん中の存在になりたいと思っています。 大学生の皆さんは今、人生の岐路に立っている事だと思います。そんな時に大事な事は迷わずに飛び込む事です。不安に思うことも沢山あると思いますが、まずは体験してから考えてみてください。ためらわずに体験に貪欲になり、物事に取り組んでみてほしいと思います。自分自身で納得できる人生を送ってください。 2022年5月2日学生新聞オンライン取材 国立音楽大学 2年 岡部満里阿

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株式会社セブン&アイ・フードシステムズ 代表取締役社長 小松雅美

ボトムアップ型で全員が経営に参加できる企業を目指して 株式会社セブン&アイ・フードシステムズ 代表取締役社長 小松雅美(こまつまさみ) ■プロフィール 1960年千葉県生まれ。日本大学文理学部卒業後、1986 年に株式会社デニーズジャパン(現株式会社 セブン&アイ・フードシステムズ)入社。現場の店長や地区担当マネジャーを経験後、営業本部 総括マネジャー や 商品開発 部長、レストラン事業部長などを経て、2017 年 3月に代表取締役社長就任。 「社員やパートの方の成長に関われることが一番の喜び」だと語るのは、株式会社セブン&アイ・フードシステムズの小松雅美社長だ。大学時代に、障がいを持つ人々の介助に関わったことから、社会をどうすればよくできるかを考えるようになったという。現在、自身が運営を担当するファミリーレストランのデニーズだからこそ、お客様に提供できる価値や、今の若者に向けた熱いメッセージを伺った。 ■障がいを持つ人々の介助から学んだこと 大学時代の経験として、一番印象に残っていて、現在でも思考や行動の礎となっているのが、障がいを持つ方が集まる施設で介助をさせて頂いたことです。今でこそ、エレベーターや多目的トイレなど様々なバリアフリーが充実していますが、当時は障がいを持つ方が外出することは難しかった。たとえば、現在では、車いすの方が電車に乗る時に駅員さんが補助をしてくれますが、私の学生時代は、車いすの方が階段を上るときは、周りの人々に声をかけて手伝ってもらうことが多かったです。その介助を通じて、年齢などに関係なく手伝ってくれる方は一定数いることに気が付き、人の優しさを感じましたね。ただ、その一方で、社会の矛盾やゆがみを感じるようにもなりました。 ■人の成長の過程を見ることに楽しさを感じる 当初は教員を目指していましたが、4年生の時に「本当に自分が教師になっていいのか」と悩み、教員になるために必要な単位を1つ取らずに卒業し、卒業後はホテルに入社しました。 ホテルを選んだのは、飲食業でのアルバイト経験があったからです。大学に通う傍ら、介助を週5、6回ほど行っていたため、介助に行くための交通費や日々の食事代を稼ぐためにいろいろなアルバイトをしていました。そのときに、アルバイト先で料理に携わったことから関心を持ち、「コックになりたい」と思いました。 当時、大卒でコックになる人は珍しかったので、周りが私を見る目は懐疑的でした。ただ、一生懸命に働き続けたおかげで、次第に先輩からも認められるようになりましたね。 そんなとき、たまたま友人の務めている学校が規模を拡大し、「教員が不足しているからやってみないか」という話をいただきました。取り残した1単位を通信課程で取れば教員になれるので、仕事をしながら勉強できる環境を求め、デニーズに転職したのです。 しかし、いざ転職したところ、思ったよりもデニーズでの仕事が忙しく、勉強する時間がなかなか取れません。さらに、働いて一年が過ぎたころ体を壊してしまい、「何故私はコックをやめて、デニーズにいるんだろう」と考え、自分の仕事について改めて見つめ直しました。 当時の私は、デニーズで働くアルバイトの方々の教育を通じて、彼らの成長の過程を見ることに楽しさを感じていました。それに気づいたとき、「これは教師よりもやりがいがあるのではないか」という考えに変わり、教師の道ではなく、デニーズで働き続けることを選びました。 ■食を通して人の命や健康を扱っている尊い仕事 仕事のやりがいは、お客様も含めて人と人が出会い、生まれる効果を感じられることです。働き始めたときから、人間の命や健康という人生の根幹に関わる尊い仕事をさせて頂いているという思いはずっと変わっていません。また、この仕事の醍醐味は人の成長だと思います。我々の理念を体現してくれる社員やスタッフは宝物であり、彼らの成長に関われることが本当にありがたいことです。毎日お客様から様々なご意見を頂くのですが、お褒めの言葉をいただいた時は本当に嬉しいです。反対に、お客様からお叱りを受けることもあるので、いただいたご意見を参考に、日々改善に向けた取り組みを進めています。 ただ、頭では「こうしたほうがいい」とわかっていても、その理念を社員やスタッフのみなさんに体現してもらわないと意味がありません。だから、日々、「どうしたら、自分の理想と会社の理念を1万1千人以上の全社員に伝えられるか」を、常に考えています。自分の想いを伝えるため、いろんなことに取り組んでいるのですが、その一つが、毎週全従業員に向けて手紙を書くことです。その手紙には、自分の考える会社の在り方や接客の理想像などを書いています。ありがたいことに、この手紙に対して、社員だけではなくアルバイトやパートの方からも感想文が届くのですが、それを読んだり、返事を書くのも楽しみですね。 ■デニーズの魅力は、親しみやすさとこまやかな変化にも対応できる点 ファミリーレストランであるデニーズの魅力は、地域社会に根付いているため、お客様との距離が近い点だと思います。そのため、日々、フレンドリーサービスを心掛けていて、「いらっしゃいませ、デニーズにようこそ」という挨拶も、お客様に親しみやすく感じてもらえるように考えたものです。常連のお客様によっては「いつもの」という一言でオーダーが通るなど、お客様との距離感や明るさもデニーズの魅力だと思います。また、デニーズはセントラルキッチンを持っていません。ひとつ一つの商品を自社の商品開発部と購買部門だけでなく、メーカーなどお取引先様とタッグを組んで開発している点が、他社との差別化につながっていると思います。技術と情報を一番もっているのはメーカー様なので、メーカー様の知見と私たちの知見を組み合わせることによって、より良い商品を開発することができます。また、お客様の嗜好の変化にも、こまやかに対応できるのがメリットです。 ■時代の変革期ゆえ、自分の意見が言える人がキーパーソンに 私たちの会社は対面での接客業がメインなので、人と人との関係つくりが好きな人や人に関心がある人、元気で明るくチャレンジ精神がある人と一緒に働きたいと思っています。今は大きな変化の時です。変化が激しいため、誰にも経営の正解や活路が分からない状態といえます。そんななか、トップや経営陣だけの経験や知識に基づく方策・施策だけでは、社会の変化に対応ができずにスピードが遅れる可能性があります。だからこそ、会社の理念に共感して共鳴しつつも自分の意見を持ち、活発に議論ができるような方がキーパーソンになると思います。会社の構造自体も、どんな人でも自由に意見が言えるようなボトムアップ型の構造になるように改革中です。実際に、私たちが今やっている取り組みのなかでも、ボトムアップ型で出てきた意見が反映されて、成果が出ているものもあります。今後も、社員1万1千人の経験と知識を総結集し、さまざまなトライ&エラーを繰り返して、この荒波を乗り越えていきたいと思います。 ■message大学生への皆様へ伝えたいことは2つあります。1つ目は失敗を恐れないでほしいということです。失敗を通して自分の中にいろいろな引き出しが増えていき成長につながります。トライ&エラーを繰り返して、どんどんいろんなことにチャレンジしていってほしいですね。2つ目は小さな行動の積み重ねが重要ということです。豊かな明日を作り、守るために、私たちができることは身近にたくさんあります。小さな行動のひとつ一つが社会課題の解決や持続可能な社会の実現につながると思います。 学生新聞オンライン2022年3月24日 明治大学3年 酒井躍

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斎藤工  自分の弱さを認めてこそ強くなれる

俳優 斎藤工(さいとうたくみ) 主演作Netflixオリジナルシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』が4月21日に配信スタート。齊藤 工名義でFILM MAKERとしても活躍し、「Asian Academy Creative Awards 2020」で最優秀監督賞を日本人として初受賞。監督長編最新作、映画『スイート・マイホーム』(主演・窪田正孝)が2023年公開予定。被災地や途上国の子供たちに映画を届ける移動映画館プロジェクト「cinéma bird」主宰や、俳優主導のミニシアター支援プラットフォーム「Mini Theater Park」の発起人など、活動は多岐にわたる。 高校生の頃からモデルとして活動し始め、2001年の公開映画で俳優デビュー。2012年には監督デビューも果たし、活躍の場を広げている。2022年5月公開の映画、「シン・ウルトラマン」との出会いや映画にかける想い、俳優という職業や学生に伝えたいことなど、等身大の斎藤工さんのお話を伺うことができた。 ■俳優という「職人」と向き合う 人間という生物は機能性が一番重要なポイントだと思います。その機能性を発揮して誰かにとって価値あるものを生み出す人が「職人」であり、役者という存在も職人であると考えています。僕はそんな「職人」に対して憧れがあります。ただ、その一方で、その人間の持つ美しさである機能性が自分の中には見当たらないということを20代、30代で感じ、どうしようもない気持ちになりました。自分の作品を見ると、自分の表現の甘さや能力の足りなさに対して打ちのめされます。 当たり前のことですが、俳優は台詞を覚えてカメラの前に立つことを求められます。そんな俳優である僕は、どんなに苦しくてもリアリティのあるものを映像として残すことを常に意識し、試行錯誤しながらより良いものを作り続けていかなくてはなりません。自分の作品を見返して、反省し、何が悪かったのか研究をして、新しく考えたことを実践する。そして、その実践したものを見返してまた反省する。このサイクルを繰り返すことで自分の中にある見えない筋肉を鍛えていきます。それは生まれついた筋肉ではなく、逆境を乗り越えるために生まれた必要な筋肉であり、その筋肉を鍛えることで人間としてはもちろんですが、俳優としても強くなれるのだと思います。 僕は俳優を選択し、下積みを重ねてきた過去の自分は間違っていないと認めながら、未来の見えない何かにどう向き合っていくのかを考えています。今の自分はその「何か」を得るための必要なプロセスの一部であることを常に意識して、演技に励んでいます。その「何か」を得ることは生涯ないのかもしれませんが、それでも人間はもがき、強くなっていくしかないのだと思います。だから僕は弱さや過去と向き合って強くなっていきたいです。 ■「シン・ウルトラマン」への想い この役を頂いたときには、自分の今まで生きてきた人生全てがこの作品につながっていたかのような、今までに感じたことのない不思議な感覚を覚えました。僕は、今まで人間という得体の知れない知的生命体を自分なりに研究してきました。そして、この作品に出会い、自分自身が研究し続けた「人間とは?」と言う問いについて、一つの答えが描かれているような気がしました。だからこそ、この役を頂いたときには見えない何かが伝わったというか、点と点が線でつながった感じがして、緊張や楽しみな気持ちを大きく超えるぐらい興奮しました。それと同時に、学生から今に至るまでやめずに俳優を続けられた理由がこの作品に出演するためだったのかもしれないと思うほど、自分の全てを肯定してくれるかのような出会いでもありました。この「シン・ウルトラマン」との出会いは、今までの人生だけではなく、これからの人生においても特別な出会いであり、また必要だった出会いとして、自分の大きなターニングポイントになったと確信しています。 僕は映画中に神永が言うセリフの「はざまにいるから見えるものがある」という言葉がこの映画のすべてだと考えています。この映画は、誰しもが物心ついたころから存在するキャラクターの「ウルトラマン」を通して、過去と未来、そして現在を同じ目線でつなげることができます。人間についての謎を解き明かす大きな手掛かりとなるような作品です。躍動感とリアリティのある映像を多くの人が楽しんでくれたら幸いです。 ■若いということを最大限に生かす 若さは歳を重ねた人からすれば、何億円出しても買いたいものであるということが、歳を重ねていく上でだんだんとわかってきました。若いうちに成功を収めている方や既にスペックの高い方もいるけれど、それはとんでもなく価値のあるものであり、かけがいのないものです。特に日本は、名前の後ろにかっこで年齢をつけるくらいに年齢というものに最高峰の価値を置いているような気がします。この価値観や考え方は、海外に行くと全くないので、僕は違和感を覚えてしまうほどです。そんな日本という「若さ」により価値がある国で生まれたからには、若さがあるという価値を最大限に活かし、それを勇気に変え、どんどんトライしてください。そして、小さな切り傷や擦り傷をつくって、強くなってください。 今の若い方たちは、スマートでスムーズに生きていて、摩擦を未然に回避することに長けているように見えます。それは今の時代を生きる上で必要な能力なのかもしれないです。しかし、それでも避けすぎてしまったが故に見えなくなってしまうという実態はあるのではないかと思います。コロナ禍で対峙することが難しい世の中だからこそ、対峙する人や物から学ぶだけではなく、自分からも学んでほしいです。一番遠いと思っていたものが一番近かったということがあるように、自分という存在としては一番近いがゆえに考えが及ばぬくらい遠い自分に問い、より深く学んでください。 (明治学院大学 令和4年卒業 小嶋櫻子) 『シン・ウルトラマン』 出演:斎藤 工・長澤まさみ・有岡大貴・早見あかり・田中哲司  / 西島秀俊・山本耕史・岩松 了・嶋田久作・益岡 徹・長塚圭史・山崎 一・和田聰宏 企画・脚本:庵野秀明/監督:樋口真嗣/音楽:鷺巣詩郎/主題歌:「M八七」米津玄師 2022年5月13日(金)全国東宝系公開中 Ⓒ2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©️円谷プロ 撮影協力:カメラマン 広田成太 <英文記事> Actor Takumi Saito Facing ” the craftsmen” of actors. ■ProfileNetflix’s original series “Hiyama Kentaro’s Pregnancy,” in which he plays the lead role, began streaming on 21 April. He...