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Archive for 運営スタッフ

人事

株式会社NTTデータ 人事本部人事統括部採用担当部長 板屋一嗣

■プロフィール セキュリティエンジニアとして認証技術を専門に、幅広い業種業界のシステム開発に従事。経験を元に技術アナリストとして技術が主導する将来の社会変化を予見し、トレンドとして発信。現在は人事本部にて採用全般の責任者として活動中。 データ通信やシステム構築などの事業を行うシステムインテグレーター。公共、金融、産業分野で、社会インフラとしての情報事業に取り組む、世界的にも有数のIT企業である。 ■現在のIT業界の特徴を教えてください  ITはビジネスから生活まであらゆる分野に浸透し、活用が進んでいます。また、パンデミックの影響もあり、非接触型のサービスに対するニーズの増加など、ITは今まで以上に重要視されています。さらに、変化の激しい社会情勢にいち早く対応するため、さまざまな企業がデジタル技術の導入を推進しており、需要はますます高まっています。 また、さまざまな分野とITを掛け合わせた取り組みが盛んになっています。たとえば「IT×ヘルスケア」における弊社の取り組み例では、健康寿命の延伸に向け、病気が発現する前に兆候を見つけるための研究開発や、衣服に着けた装置でバイタルをリアルタイムで計測できるものなど、新しいサービス、ソリューションを開発、提供しています。 ■どのような学生を求めていますか  経験からしっかりと学びを得て、それを活かせる学生や、チームワークを重視できる学生です。アルバイトでもサークルでもどんな経験でもよいのですが、自身の経験から何を学んだか、それをどう活かしていけるか、自信と熱意を持って伝えることが大切です。さらに言えば、その経験が成功したか失敗にしたかは関係ありません。どのような理由でそのプロセスに臨んだのか、そこから何が学べたのか、次にどう活かせるのかが重要です。 また、弊社ではお客様の課題を解決するために社内でチームを作って対応します。そのため、チームワークを大切にするとともに、お客様のことを第一に考えることができる人財が求められます。自分の考えを熱意を持って相手に伝えることができるかどうかは、こういった点でも重要となります。 ■大学生へのメッセージをお願いします  情報系の学科出身ではないからと不安になったり、遠慮したりしないでください。ITは幅広い分野で社会から必要とされており、可能性も無限です。ただ、その分、自分が何をしたいのかを知り、学んで成長していく意欲は最低限必要です。コロナの影響で日々の生活が一変した世の中を変えていきたい、お客様に貢献したいと思う方と一緒に働いていきたいです。 学生新聞2021年10月号 立教大学3年須藤覚斗

人事

株式会社エポック社 管理本部人事部教育採用室 紀晶仁

■プロフィール 2017年度入社。国内営業部で法人営業を2年間経験した後、人事部へ異動。新卒採用や若手研修を担当。入社のきっかけは、業界の楽しさと若手から経験できる仕事の幅広さに惹かれたため。 シルバニアファミリー、アクアビーズ、野球盤やトレーディングカード、ジグソーパズルなどの製造・販売で知られる玩具メーカー。世界70以上の国と地域で事業を展開するグローバル企業。 ■業界の特徴について教えてください  まず、商品のメインターゲットが子供たちだという点です。これは他の業界にはないものです。玩具は子供たちが家族愛や人間性を育むツールであり、伝えていくべきものを伝える力があります。あらゆる世代に「心が躍る面白さを届けたい」という思いで働く人が多いですね。また機能性や便利さだけではない、プラスアルファが重要だというのも特徴です。単純に高い機能のものではなく、ユーザーの感情を揺り動かすような付加価値、アイデアが玩具には求められます。 ■どのような人材を求めていますか  弊社は世界規模で事業を展開し、シルバニアファミリーは世界70以上の国と地域で販売しています。主要な国には海外販社を持ち、海外駐在も視野に入れた、グローバルな志向を強く持っている人材を求める傾向にあります。語学力も大切ですが、広い視野を持つためのベースとなる「自分で論理的に考え実行し、反省できる」人間性が最も重要でしょう。また、自分たちの商品としておもちゃと向き合えること、商品としての魅力を語れることが肝心です。だからこそ、自分が面白いと思っていることを言葉にできる人は玩具業界に適応できるだろうなと思います。 ■御社の魅力を教えてください  魅力は主に3つあります。1つ目は、同業他社と比べて世界規模で広がっているため、グローバルビジネスを体験したい人には良いチャレンジの場となることです。どの部署でも海外とやりとりをする機会が非常に多く、若手の段階から語学力を活かして活躍することができます。2つ目は職種、業務が幅広いことです。企画から営業まですべて自社で手掛けているため、さまざまな仕事を経験することができます。3つ目は、自分たちの商品で楽しんでくれる人に出会える点です。おもちゃ売り場で商品を手に取り遊んでくれているお客様の姿を目にしたときは本当に嬉しい気持ちになります。 ■大学生へのメッセージをお願いします  興味があるもの、好きなものに真剣に打ち込む時間を作ってください。「行きたい」と思った展示や映画など、興味のあるものは体験して、蓄積してほしいです。 学生新聞2021年10月号 津田塾大学2年佐藤心咲

大学理事長・大使館

学校法人明治学院理事長 山﨑雅男

多様性を受け入れ、社会の中枢を担う人材を育成する ■プロフィール 1949年生まれ。1972年早稲田大学政治経済学部卒業後、東京電力株式会社入社。2010年東京電力株式会社取締役副社長に就任。その後、株式会社世界貿易センタービルディング取締役、労働審判員(東京地裁所属)を歴任。2017年より学校法人明治学院理事長に就任。 「キリスト教に基づく人格教育」を建学の精神とし、創設者ヘボンが生涯貫いた精神“DoforOthers(他者への貢献)”を教育理念に掲げる明治学院大学。創立以来150年以上の歴史ある大学で、次代を担う人材輩出のための教育に力を入れる山﨑理事長に話を伺った。 ■どのような学生時代を過ごされましたか  私の学生時代は、大学紛争の真只中で激動の時代でした。私はクリスチャンだったこともあり、早稲田大学入学後に課外活動としてキリスト教研究会に入り、活動しました。勉強では「日本経済史」を専攻しました。ちょうど高度経済成長期でもあり、日本がアジアにおいて急速にまた自律的に経済発展していた時代でした。そういうことからなぜ日本が明治以降アジアで唯一近代化したのかということに強い興味を抱いたのです。 卒業後は、何か公益的な仕事に携わりたいと考え、電力会社に就職しました。長期にわたり、労務人事部門や人事育成部門で仕事を行い、その後、業務組織の再編をする仕事なども担当しました。大学は日本の経済社会を支える人材を育成する仕事なので大学の理事長の仕事は大変有意義な仕事だと思いましたね。 ■大学経営について理事長として目指すところを教えてください  大学は日本の経済社会を支える人材を養成し、その発展を推進しうる人材を送り出す役割があると思います。日本が高度経済成長期に自律的に経済発展することができたのは、経済的要因に加え、教育の要因、即ち経済社会を担う人材が備えられていたからだと思います。だからその時代は大学はじめ敎育機関はうまく機能したと言えます。しかしその後の経済的停滞を見ると教育への投資の面をはじめ人材育成面で、教育機関も、企業などの組織も問題があったのだと思われます。 その話はさておき、大学は社会の変化を踏まえてより良い教育を進めることが求められているのですから、実際に教育・研究に携わる先生方が行いたいと考えることが実現できるように、支えていくことが大切だと考えています。従って堅実な財政運営、中長期的視点に立った諸計画の策定、それを推進しうる人材確保を大事にして経営にあたることが必要だと思います。 ■大学として重きを置いていることはなんですか  明治学院大学は、キリスト教精神を特に大切にし、「隣人と生きる世界市民の育成」を使命(ミッション)としています。その実現のため教育ビジョンを定めていますが、特にボランティアスピリッツの醸成、グローバルマインドの形成、キャリア教育の充実の三つを大切にしています。ボランティア活動と授業との連携を進める、留学制度を整え多様性の認識や視野の拡大を図る、産業界の人が参加する講義や寄付講座などを通して自らによるキャリア形成を促すなどの取り組みをしています。これらに加え、明治学院大学が長年に渡って築き上げてきた側面〜学生と先生との距離の近さ、充実した図書館、チャペルなどの歴史的建造物など〜を大切にして時代の変化に即した教育を展開していくことが重要だと思います。さらに、本学には「内なる国際化」というプロジェクトがあり、日本の中で進んでいる国際化に目を向け、外国にルーツをもつ子供たちの日本語の教育支援をしたりしています。現在、日本の学生を海外に送る国際化(外向き)の取り組みはあっても、その逆はなかなかないと思います。今の時代にこそ、多様性を受け入れていく環境をさらに整えていきたいですね。 ■大学生へのメッセージをお願いします  大学生で大事なことの一つは勉強です。自分がしたこととして確固とした一つのものを持ってほしいと思います。学生時代に身についた自分の勉強のスタイルや姿勢などの学びの方法論は社会に出てからも大きな力となります。 もう一つは、人間力を身につけてほしい。社会は人と人の繋がりで成り立っています。サークルやその他の活動で、多くの人と話をしさまざまな体験をすることで、視野を広く持って、人間としての深みを持ってほしいと思います。 学生新聞2021年10月号 津田塾大学4年川浪亜紀

大橋星南

株式会社出前館 代表取締役社長 CEO 藤井英雄

フードデリバリーサービスで圧倒的なNO.1に! ■プロフィール 2006年、楽天株式会社に入社。札幌支社の立ち上げに従事した後、事業戦略や海外戦略を担当。2015年、楽天子会社の楽天マート株式会社取締役副社長に就任。事業計画の再設計や物流/MDの改革に取り組み、売上を成長軌道に乗せる。2016年、LINE株式会社にコマース事業責任者として入社。2017年、同社執行役員に就任し、コマース事業、O2O事業の責任者として組織の立ち上げに従事。2020年6月、株式会社出前館の代表取締役社長に就任。 コロナ禍での巣ごもり需要もあって、フードデリバリーサービスが大きく伸びている。その中でも出前館は日本最大級の出前サイトだ。全国80000店舗以上の中から簡単に検索・注文・配達が可能だ。藤井社長は「日本で成功するためには、いかにローカライズさせるかだ」と語る。これまで歩んで来られた道のりを伺った。  親が縫製工場の会社を経営しており、「社長は大変だから公務員になれ」と言われていました。学生の頃は子どもが好きだったため、教員免許をとって先生になることを目標にしていました。社会について学び始めたのは大学でのアルバイトでした。レンタルビデオ屋と家庭教師のアルバイトを通じて、チームでお金を稼ぐことや社会について勉強しました。そのときに働くことの楽しさや、働いたことによって対価がもらえる“社会 の仕組み”のようなものに気づきました。 大学卒業後は給料が安定している公務員ではなく、小売業に就きました。 ■IT業界への転職とヘッドハンティング  小売業はとても楽しく、上司にも気に入られ、人気だった企画部に配属されました。 しかし、もっと自分の力で稼ぎたいと思ったため、プログラマーに転職しました。エンジニアは需要が多く、給料も高かったために個人事業主として仕事をするようになりました。そんな中、父が急死してしまいます。社長不在となった親の会社を潰すわけもいかず、2年半経営に携わりました。 その後、会社が軌道に乗ったタイミングで、ITを学ぶため楽天に転職しました。楽天では新規事業や食品の責任者、ネットスーパー事業などを任されました。楽天マートの取締役副社長として経営に参画できたため、たくさんの経験を積むことができました。その後、ネットスーパーが軌道に乗ったときにLINEからヘッドハンティングを受 け、39歳のときにLINEに入社しました。 LINEでは新規事業の立ち上げを任され、3年の間に5つの事業を立ち上げました。その中の一つに、後に出前館と統合するLINEデリマというサービスがありました。当時、中国ではフードデリバ リーが流行っていたため、日本でも流行がくると予想されていました。そこでLINEグループでは出前館がその役目を担うことになり、LINEでコマース事業の責任者をしていた私が社長に就任しました。 以前は、45歳で仕事を辞めることを目標にしていたのですが、上場会社の社長の経験ができる機会などなかなかないと思い、43歳のときですが決断をしました。 ■日本のフードデリバリーサービスでNO1に  私たちフードデリバリーサービス事業では、競合他社はほぼ全て海外の会社です。海外の大きな企業に勝つためには、ローカライズがキーになっていきます。日本人は「食」に対しての感度が非常に高いため、海外のビジネスモデルをそのまま持ってくるより、日本の企業である私たちがサービスを展開する方がローカライズできます。これまで配達は全員自社のアルバイトスタッフでしたが、昨年からは本格的に個人事業主の配達員を受け入れ、面接や配達に関する交通ルールなどのテストを通してしっかりとした教育を行い、質の担保と向上を目指し、他社との差別化を図っていく予定です。 人材については、意思を持っている人がいいですね。「将来は安定したい」とか、あるいは「主婦になって幸せになりたい」などでも構いまん。 明確な意思があれば、会社は成長のための手助けができると思います。また、向上心がある学生を採用したいですね。「業界トップのセールスマンになりたい」などと言えるような、有言実行の人がいいです。 私たちが相手にする競合他社は、私たちの年商の何十倍もの売上を上げる世界的な企業です。そんなダイナミックな環境に意思を持って参加し、 楽しみながら成長できる人と一緒に働きたいです。 会社の目標としては、まずは日本で圧倒的なNO1になることです。今は他のデリバリーの会社とも一緒になって業界全体で課題を考え、教育や採用など業界としての統一化を図っています。デリバリーという業界が広がれば、必然的に私たちの会社も発展していきます。展望としては、デリバリーを日常化することを目標にしています。日本人が朝食、昼食、夕食、夜食を選ぶときに、デリバリーというものが自然と選択肢に入ってくる状態になると嬉しいで すね。日常化すれば、アジアや欧米で活躍している会社と同じ規模の会社まで発展することができると思います。 ■message  仮説でもいいので自分の将来像を考えるといいと思います。自分の将来像にたどり着くために、時間軸を考えた設計図を早めに準備してください。目標は逆算しないとなかなか達成できないと思います。 「〇歳までに何をするか」だったり、「ということは〇歳までに何をしなくてはいけない」というように、将来像から逆算して時間と目標を明確化してみてください。あとから目標や時間軸は修正できます。 目標と意志を明確にして、今から何をやるべきかを考え、その目標を周りの人に公言してください。公言すると周りが応援してくれます。 学生新聞2021年10月号 日本大学3年 大橋星南

伊東美優

株式会社AOKIホールディングス 代表取締役社長 青木 彰宏

多くの人に「心地よさを感じさせる服装」を提案していきたい ■プロフィール 1970年、東京都生まれ。紳士服チェーン、AOKIの創業者である青木拡憲(あおきひろのり)氏の次男として生まれる。成城大学経済学部卒業後、1994年アオキインターナショナル(現AOKIホールディングス)入社。2003年オリヒカ事業創業。2010年から現職。 ファッションだけでなく、時代の変化に応じて常に新たな事業を創出するAOKIホールディングス。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のオフィシャルサポーター(ビジネス・フォーマル)としても活動。東京2020大会の日本代表選手団公式服装(開会式用・式典用)も担当した。そんなAOKIホールディングスは今、どのような価値創造を目指しているのか。青木社長にお話をお聞きした。  大学時代は興味を持ったことをとことんやっていました。いろいろなところに旅をしましたし、AOKIの店舗でアルバイトもしていました。  当時は、店舗スタッフとして一から学ぶことはもちろん、全国の店舗を回り、皆さんがどんな視点で仕事をしているのかを知ることが凄く勉強になり、楽しかったです。商品開発研修へも同行させてもらい、ニューヨークを訪れたこともありました。海外での様子を垣間見ることで、日本の未来を想像することが自分にとって大きなワクワクでした。 大学生の頃は、明確な目標はありませんでしたが、今までにない新しいものを生み出したい、という思いをずっと持っていました。大学卒業後は、それまでの経験からファッション業界、AOKIの業態に強く関心を持ち、そのまま入社しました。 ■印象的だった 新規事業の立ち上げ  入社後は、すぐに大阪の店舗で勤務をすることになりました。その後も新店のオープン準備や副店長など、若いうちから多くのことを経験させてもらいました。一番印象に残っているのは24歳のときに、 キッズ事業の立ち上げメンバーとなったことです。開業までのリサーチからビジネスプランの作成、店舗作りからマネジメントまで、何もない状態からつくりあげることの大 変さとやりがいを感じました。特にリサーチは時間と手間がかかり、新規事業を立ち上げる難しさを思い知りました。 1990年代後半、紳士服 市場全体は飽和状態となっていました。そこで、スーツとは別の業態で企業を拡大させ、社員の活躍の場を広げる必要があると考え、多角化経営をスタートさせました。私が担当したキッズ事業もその一つです。そして同時期に現在も事業の柱となるブライダル事業やエンターテイメント事業も新しく始めました。 ■みんなで「協力」することの重要性を学ぶ  店舗でのマネジメントを担当していた際は、売上などの目標を設定し、スタッフと役割を決め、綿密なコミュニケーションを大切にしながら運営をしていました。特に、私がマネジメントで心掛けていたのは、店舗スタッフ全員に協力してもらうことです。年齢やキャリアに関係なく、同じ土俵に立って全員を巻き込んでいくのです。全員が同じベクトルを向いて走る。それを導くのがマネジメントする側の役割だと考えています。  私自身が弊社の代表取締役社長に就任し、会社全体の経営を始めてからも、この店舗マネジメントの経験は大いに活かされています。  AOKIの仕事には、コミュニケーションスキルは、必要不可欠です。スーツを作るにもお客様のニーズやウォンツをヒアリングする必要がありますし、AOKIを選んでご購入いただくためにも、お客様との会話を通じ、お客様をコーディネートし、お客様に合った最高の1着を届けなければなりません。そこで重要になるのは、やはりコミュニケーション。AOKIでは、お客様に心地よいと思っていただけるコミュニケーションスキルを持っている方と一緒に仕事をしたいと考えます。 ■周りにも心地よさを感じさせることが大切  近年、服装の自由化という言葉もよく耳にしますが、どれだけニューノーマルな時代となっても、やはり社会人として服装が周りに与える影響は考えるべきだと私自身思っています。弊社は、東京2020大会の日本代表選手団が着用する公式服装を担当させていただいたのですが、とにかくお一人おひとりに合ったスーツを直接スタッフが採寸して提供することにこだわりました。  確かに、現代はAIを使って簡単にその人に合ったサイズを測定できる時代でもありますが、我々はスタッフが対面で約1600人の皆さまを採寸し、お一人おひとりのご要望を丁寧にヒアリングしながらご提供しました。それは、その方が一番輝くスタイルへの徹底的な追求、そして開会式でそれを見た視聴者に与える影響、その重要性を加味した上での我々の答えでした。スーツは200年ほど続く歴史あるスタイルです。どんなに時代が変化しても周囲の人にも心地よさを感じさせる服装を提案し続けたいです。 ■message 先行き不透明な時代だからこそチャンスが溢れています。しかし、チャンスは自分で探すものです。まずはそのチャンスを見つけ出すためにもチャレンジし続けてください。失敗は挑戦した人間にしか起こりません。失敗してもめげずにリカバリーし、たくさんの経験を通して多くの可能性を広げてください。  学生新聞2021年10月号 慶應義塾大学 2年 伊東美優

経営者

ソースネクスト株式会社 代表取締役社長兼 COO 小嶋 智彰

常識に捉われない、開発者とユーザーを結ぶ製品を開発 ■プロフィール 1977年東京都生まれ。2000年に京都大学文学部卒業、カリフォルニア大学にてマーケティングを学び、帰国後2001年にソースネクスト入社。BitDefender社、SunMicrosystems社(現オラクル社)などの大型提携のプロデュースや筆まめ、筆王、B’sRecorderなどの買収案件を手がける。ヨーロッパやアジアでの販売責任者、SourcenextB.V.(オランダ)CEOなどを経て現在に至る。 AI通訳機で有名なPOCKETALKを筆頭に、優れた商品を生み出し続けているソースネクスト株式会社。昨年発売のリモート会議に対応した360度会議室用ウェブカメラ、MeetingOWLは、コロナ禍のニーズに見事にマッチし、ヒット商品になったという。この販売に至るまでのスピード感の秘訣や小嶋社長の価値観・今後のビジョンについて伺った。  塾の講師や家庭教師などを週に7日行うほどのアルバイト漬けの毎日でした。卒論で経済戦争の歴史を取り上げたことから、経済・経営学に興味を持ち始めました。そこで3年生からやり直し、経営学を専攻することに。英語の資格が1点不足し取得できなかった悔しさから即座にカリフォルニア大学に留学を決めました。留学先の隣の大学では、ピーター・ドラッカーさんが講義をしていて何度か参加したことがあるのですが、授業後には学生が質問のために列を連ね、主体的に参加している姿が非常に印象に残っています。当時ドラッカーさんは90歳を超えているにも関わらず、若者に自分の人生経験や夢を与えていることに、非常に感動しました。普通の人生経験では味わえないことをしている姿に魅かれ、自分もそ んなふうに経験や人生を伝える人になりたいと感じたのです。そのためには経営の道を歩むのが最適だと考え、経営者を志すようになりました。 帰国後は、若いうちから経営に携わることができる企業を選びました。当時の弊社は、タイピングをゲーム感覚で覚えるソフトを提供していたのですが、既存の枠にとらわれない面白い発想だと感じたことも選考を受けたきっかけの一つです。最終面接の内定後、会社のトップと話すことも会社を理解するうえで大事であると感じ、社長に会いたいと伝えました。すると即座に面談の機会を提供してくれたのです。社長の人柄にも魅かれて入社を決めました。 ■徹底した実力主義の社風  入社後は、海外製品を商品開発に取り入れる仕事を担当し、入社4年目には会社の上場に立ち会う仕事も経験しました。海外交渉の際、海外企業のCEOと直にお話しする機会は貴重でしたし、仕事外の経験談を聞くことができた のも楽しさの一つでした。これまでいろいろな部署を経験してきましたが、苦労したと感じたことはありません。もちろん契約した商品の売れ行きが悪いなど多くの失敗を重ねてきましたが、失敗は次に活かせると思い、長期的な視 点で取り組んでいました。28歳のときには役員となり、自分が社長の立場ならどうするのかを常に考えていました。  今後の事業展開ですが、現在、売り上げの9割が国内販売であり、海外は割しかありません。この売上比率が5:5となるように、グローバル展開を図っていきたいと考えています。そのためには自分自身も海外に飛び出していこうと思っておりますので、次の世代に繋げられる体制を構築することが今後の課題であると考えています。  今後の事業展開ですが、現在、売り上げの9割が国内販売であり、海外は1割しかありません。この売上比率が5:5となるように、グローバル展開を図っていきたいと考えています。そのためには自分自身も海外に飛び出していこうと思っておりますので、次の世代に繋げられる体制を構築することが今後の課題であると考えています。  弊社は、POCKETALK を筆頭に、筆まめ・筆王など製品の名前が会社の名前以上に認知されていますが、社員は140名と少数精鋭です。実力主義の社風で名前も上下関係なしに、「さん」付けで呼び合うようにしています。マイルドで呼びやすいということに加え、実は立場が逆転してもこれまでどおりの呼び名でいいため、互いに気を使う必要がないことからもそのようにしています。そこには実力主義が大前提であることを社員が常に意識できるようにという意図があります。社員の男女比は6:4です。管理職も同じ比率となっており、性別に関係なく、実力をもとに評価しており、徹底しています。   ■お客様に寄り添う 製品づくり  年間約20〜30の新製品を生み出すためには100にも及ぶ失敗があります。その失敗が新規製品を生み出すことにもつながっています。私たちの役割は、この商品開発者側とユーザー側とを結び付けることです。そのためには、企画やマーケターのみが商品企画や販売促進に関わるのではなく、社員全員がお客様に寄り添うことのできる製品企画に携わる環境の構築を心掛けています。具体的な取り組みとしては、社員一人ひとりがマーケティングアイデアを提案するMI制度というものがあります。社長に就任後、これまで日報で行っていたものをSlack活用に変え、秒単位でアイデアを発信できるようMI制度を加速させています。 ■変化を楽しみ、スピード感を重視  IT業界はスピード感が重要です。弊社の事業がパソコンソフト、スマホアプリ、IoTと変化を遂げていることからも分かるように、世の中は常に変化し、それにともない事業内容も変化していきます。変化は当たり前としてスピード感を重視し、楽しめる人が適しています。また、企業理念を重視することも必要です。製品は永続的ではありません。製品に魅かれたから志望するというだけではなく、自分はその企業理念に共感できるかどうかを考えてみてください。 ■message  学生時代に大切なのは、引き出しを多く作ることだと思います。留学や他大学の人と話すなどを通じて、多様な価値観を持つことが大切です。そうすることで、常識にとらわれていないかどうかなど、物事に取り掛かる際に考えることができるようになります。いつもと違う視点で物事を捉えるという経験を積むことで、客観的な物の見方が身に付くようになります。 学生新聞2021年10月号 横浜市立大学 4年 小熊結菜

経営者

株式会社 DD ホールディングス 代表取締役社長 グループ CEO 松村 厚久

飲食業という枠にとらわれず、フィールドを越えて新たに挑戦を ■プロフィール 1967年高知県出身。(株)ダイヤモンドダイニング創業者。東証一部上場企業社長。高知県観光特使。2001年飲食業に参入。都内を中心にエンターテイメント性に溢れる個性的な店舗を展開し、2010年業界初の“100店舗100業態”を達成。その後、業態ポートフォリオを広げ、アミューズメント事業やウエディング事業も行っている。2017年9月より持株会社体制に移行し「DDホールディングス」を設立、グループCEOに就任。 「100店舗、100業態」という飲食業界の想像を超える偉業を成し遂げたDDホールディングス。ここに至るまでの道のりはどうであったのか。何をモットーとしているのか。次に求めるものは何だろうか。全身全霊で将来に向けて取り組む松村社長にその意気込みを伺った。  東京への憧れがあって東京目指して進学しましたが、進んだ先は千葉県でした。生活の中心は、授業以外は主にアルバイトでした。バイト先はサイゼリヤの前身、マリア―ヌ商会。ここでの仕事が今の自分を作っているといっても過言ではないと思います。かつてのサイゼリヤ(マリアーヌ商会)は、ファミレスではなくイタリア料理店という感じでした。当時からコーヒーゼリー、ミートドリアが人気でコーヒーゼリーはビーカーを用いて作ったコーヒーの残りを利用し、ミートドリアは余ったご飯を利用していました。この体験がコストカットについての学びとなり、そこから飲食業界への興味が広がっていきました。サイゼリヤでは仕事がこなせたこともあって時給もどんどん上がり、社員にならないかと打診もされたのですが、もっとお金が動いている業界を見てみたいと思い、別の業界に行くことにしたのです。 学業では今の仕事とは全く関係のない生物の研究をしていました。親が自営業だったので、自分もやがて独立したいと常に思っていました。 ■異業種の経験が 今の事業に生きている  大学卒業後はディスコを経営の柱に置いている日拓エンタープライズという会社に就職しました。当時、エンターテイメントに関わりたいと思って就職したのですが、そこではPRの重要性を学びました。しかし、バブルが崩壊してディスコブームも陰りが見えてきたときに、このままここで働くことに疑問を持ち始め、退職しました。 これを機に独立を考え、飲食店経営をしようと動き出しましたが、肝心の資金がなく、お金を借りることもできませんでした。そこでお金を貯めるために自分がよく通っていた日焼けサロンの経営を思い立ち、始めることにしたのです。それは他店でおろそかになっているサービス、つまりホスピタリティをしっかりやれば必ず当たると考えていたからです。結果は見事に予想が的中し、大爆発!すぐに飲食店経営への目処が立ち始めました。そんなときに世界一恐いと言われているアメリカにあるお化け屋敷を訪れ、本物の武器を持って追いかけてくるお化けにとてつもない恐怖を覚え、ここまでリアルに細かくこだわるのかと感動しました。  こういった経験もあり、私は“ワクワク”をコンセプトとした楽しいレストランを作りたいと考えるようになりました。そして銀座にオープンしたのが『VAMPIRE CAFE』です。これこそが自分の飲食店経営のたどり着いた先であり、ここがスタート地点でした。正直、このときはこんなに大きくなるとは思ってもいなかったのですが、 号店目のときにベンチャーキャピタルがやってきて、上場しないかと持ち掛けられ、意識をし始めました。翌年の8店舗目のときに、「100店舗、100業態」という目標が生まれました。目標に到達するまでたくさんの苦労がありましたが、よくよく考えてみると通過点に過ぎなかったと感じます。たとえばリーマンショック。弊社も影響は受けましたが、逆にライバル企業が守りに入っているからこその攻めの精神で飛躍につなげられました。苦労の中での上場であり、「100店舗、100業態」の達成であったとも思います。 ■やる気のある社員は どんどんフォローする  社員たちには好きなことをやりたいようにさせるのが基本です。もちろん徹底した指導は行いますが、頑張っている人には仕事を任せていきたいと思っています。大事なのは気合と根性です。やる気のある社員はどんどんフォローしてあげたいですね。そのような方針もあり、他の企業から声がかかってもここがいいからと言って働き続けてくれる社員がいます。それは純粋にうれしいですね。  また、仕事だけでなく仲間どうしでも楽しんでもらいたいので、社員たちで「よさこい」を作り、高知の大会に参加したりしています。  新卒採用の人たちはインターンや合宿などのカリキュラムを通してDDホールディングスの理念をしっかりと受け取ってもらえるようにしています。その中でチームワークも生まれているようです。最近はコロナの影響で小規模になっているのが残念ですね。 ■フィールドを越えて仕事がしたい  弊社はエンターテイメント性を大事にしている企業ですので、他の外食産業とは少し立ち位置が違います。今は他の業界への進出を考えていて、ダーツや卓球、ビリヤードなどの遊びやスポーツを意識したビジネスもあります。異業種の人たちとも一緒に仕事をしたいと思っていますので、やはり“フィールドを越えた”というのがキーワードになってくると思います。 また、新しい事業を展開していくなかでは客層に合わせたサービス提供が重要になってくると思いますので、情報集めは大事です。自分自身でアンテナを張って、一般の方の意見を聞き、流行りもの、トレンドには敏感でありたいですね。 ■message  大学生っていいですよね。恋愛を含めてキャンパスライフを楽しんでほしいです。自由に生きるのが一番です。「親はなくても子は育つ」というのを私自身実感しています。 学生新聞2021年10月号 埼玉大学 2年 成田裕樹

経営者

株式会社ニトリホールディングス 代表取締役社長 白井 俊之

完成されたものは面白くない、常に成長し続けること ■プロフィール 1955年生まれ。北海道出身。1979年、株式会社ニトリ入社。店長や物流部・人事部のゼネラルマネジャーなどを務めた後、2014年、株式会社ニトリ代表取締役に就任。2016年株式会社ニトリホールディングス代表取締役社長に就任。2020年北海道大学(数理・データサイエンス教育研究センター)の客員教授に就任し、全学のデータサイエンスに関する講義なども行う。 「お、ねだん以上。」と言えばニトリ。それくらい耳に馴染んでいるフレーズであり、見事に実践していて絶大な人気を誇るニトリホールディングス。代表を務める白井社長に、ニトリが時代とともに成長してきた秘訣、ニトリが選ばれる理由についてお話を伺った。  今と昔では、社会は大きな変化を遂げたと感じます。直近年の変化は、数百年分ほどの変化に相当するのではないでしょうか。私の学生時代は携帯電話もなければインターネットもなくすべてがアナログでした。また、当時は長時間働くことが当たり前で、残業がなくて早く家に帰ってくるとかえって家族に心配されるような時代でした。 ■ニトリの成長とともに歩んできた道  私がニトリに入社した当時は、100人規模の小さな会社でした。私たちの就職活動は、「リクルートブック」という就活雑誌に載っている情報から面接に行く会社を選んでいました。「働くならば、変化のある面白い会社がいい!」と思っていた私は、「完成されたものほど、つまらないものはない」といった夢を語るような言葉がたくさん書かれていたニトリの会社情報が目に留まり、面接を受けに行くことに決めたのです。面接に行ったらその場で内定をもらい、就職活動はニトリの一社だけで終わってしまいました。その場で採用か不採用かがすぐに決まるというところも、今の就職活動とは大きく違いますよね。先ほども言いましたとおり、当時はあまり会社の情報を知る手段がなかったため、「これから大きく成長するんだ」という強い想いを持つニトリに惹かれ、規模のことは考えもせずに入社しました。しかし、新入社員歓迎会の席で、新入社員を含めても100人ほどの会社であったことに気が付きました。実際に仕事を始めてみて「自分たちも主力として仕事を積極的に進めていこう」という覚悟が日に日に強まりました。そして、入社して3年が経ち、1店舗の店長を任されるようになった私は、新入社員から頼られる経験も増え、責任感から仕事が面白くなっていきました。店舗も順調に増え、売り上げも好調になり、目指すところに向かっているのかなと感じるようになっていました。その後は物流部のマネジャー、新設店舗のプロジェクトリーダー、店舗運営部や商品部の責任者、人事部責任者、専務などを経て、2016年にニトリホールディングスの社長に就任したのです。その頃には、すでにニトリはお客様に頼りにされる、大きな会社に成長していました。 ■ニトリがお客様に選ばれる理由  ニトリがお客様に選ばれてきた理由の一つに、常に「お客様の立場に立った商品を提供しよう」という気持ちを持っていることがあげられると思っています。ニトリはお客様に対して正直な会社を目指しており、ブランド名ではなく、商品そのものの価値をお客様に伝えることを愚直に続けている会社です。重要なのは、その商品をお客様が良いと思っていただけるのかどうかです。商品の良し悪しはお客様が判断することで、企業側がどれだけの手間暇をかけていようが、お客様にとってはあまり関係のないことです。我々から見た良いものではなく、お客様にとって良いものを作ることを我々は大事にしています。そのため、商品一つひとつが、より適正な品質で、よりお求めやすいお値段でお客様に提供できる会社になるように、常に成長しようと心がけています。  一般的な会社では、人気のヒット商品はそのままで、人気のない商品を改良しようと試みると思います。しかしニトリでは、ヒット商品をさらに改良し続けています。たとえば、わが社のヒット商品のひとつに枕があります。5〜6年前、2990円で提供していたのですが、あるときセールとして1990円で販売したところ、とても多くお買い求めいただけたのです。そこでもっとお求めやすくご提供できれば、さらに多くのお客様にお買い求めいただけるはずだと考え、全く同じ品質で値段を下げたところ、4倍以上もお買い求めいただけました。これは、4倍のお客様がニトリの商品を気に入ってくださり、商品を利用してくださったということで、お客様の評価を可視化することができたということでもありました。このように本当に価値のあるものをお客様へ提供することが、我が社の誇りなのです。人気の商品をさらに改善し、成長させようという向上心を持ち、それを今まで続けてきていることが、ニトリの魅力、原動力なのだと思っています。 ■message  目標を持ち、自分自身がその目標に向けて努力し続けることが大切です。ニトリでは「年計画」という、達成したい目標を年ごとに掲げています。今は、第2期30年計画達成に向けて社員一同、一丸となって頑張っています。誰にでも容易に実現できそうに見えるものは、実は競争が激しく、したがってチャンスも得にくいものです。一方、一見不可能に思われる目標であっても、努力していれば、応援してくれる人も増え、チャンスも広がるということです。目標は実現の可能性の高低で設定するのではなく、達成したいと思うものを掲げ、まずは果敢に挑戦すること。失敗してもいいのです。まずは挑戦してみましょう。自分に合う仕事は、自分がまだ知らない分野の仕事の中にあるかもしれません。自分の新たな興味や可能性に向けて、得意分野を切り開いて行ってください。 学生新聞2021年10月号 津田塾大学 2年 佐藤心咲

芸能人

映画監督 川添ビイラル 作品を通して「ハーフ」、アイデンティティを考...

■プロフィール 大阪ビジュアルアーツ専門学校放送映画学科での卒業制作『波と共に』(’16)が、なら国際映画祭NARA-waveと第38回ぴあフィルムフェスティバルに入選し、第69回カンヌ国際映画祭ショートフィルムコーナーに選出される。短編第2作目『WHOLE/ホール』(’19)は、第14回大阪アジアン映画祭インディー・フォーラム部門にてJAPAN CUTS賞 スペシャル・メンションを受賞し、北米最大の日本映画祭であるニューヨークのJAPAN CUTS 2019へ正式出品される。現在はフリーランスとして河瀨直美監督や世界的に活躍する監督の元で映画制作に携わる。 10月15日よりロードショーとなる『WHOLE/ホール』の映画監督を務めた川添ビイラルさん。映画監督としての苦悩や喜びや、普段あまり取り扱われない「ハーフ」という存在のアイデンティティを取り扱った本作の見どころ。そして、映画監督としてのこれからの展望について伺った。 ■見つかったやりたいこと 私は小学生の頃は勉強が得意だったわけでもなく、やりたいことも特にはありませんでした。映像に関わる進路を決めたのは、小学6年生か中学1年生の頃にあった「メディアクラス」という授業を受講したときです。この授業では、学生が主体となり、カメラで動画撮影から編集まで行い1つの映像作品を作るのですが、講義を受けるなかで、「自分のやりたいことはこれだ!」と思いました。 もともと私の父が映画好きで、『ゴッドファーザー』などの有名な作品をリビングで見ているのを、父の背後から弟と一緒によく見ていました。その影響で、私自身も映画がずっと好きだったので映画に関わりたいと思っていました。 その後、大阪ビジュアルアーツ専門学校に進学した後は、映画に関わるもの全てを学びました。専門学校の卒業作品では難民を題材にした作品を作りました。福島原子力発電所の事故による国内の避難民と、自国の迫害から逃げ日本に留まる国外からの難民のストーリーを描きました。この頃から、社会に対して問題提起をするような作品を作るようになりました。 ■苦労とやりがいは表裏一体 私は映像とは1つの言語であると考えています。作品を作るときは、その作品を通して1つのメッセージを伝えることを大切にしています。映画を作るのは非常に大変で本当にしんどいですが、その時間こそが生きている感じがします。 作品は、人に見てもらって初めて意味を持ちます。そのため、自分では「いい作品だ」と思っても、たくさんの方に見てもらえるような、よりいい作品を作り続けるよう頑張らないといけないといけません。 私が映画作りで一番大変だと思うのは脚本作りです。脚本作りは他の作業と異なり、基本的には孤独な作業なので、精神的に辛いことが多いです。さらに、映画は映像作品であって劇ではないので、セリフだけに頼らず、映像で伝えないといけません。従って、自然なシチュエーションに合うセリフを作ることには、毎回苦労します。また意見を押し付けないような脚本作りも意識しないといけないため、その点でも非常に難しさを感じます。 ■弟との共同作業で生まれた『WHOLE/ホール』について 私の弟が、ハーフのアイデンティティに関する作品を作ろうと考えていたことから『WHOLE/ホール』が生まれました。この作品は弟の経験をベースにしたもので、弟が考えた脚本を修正するプロセスが長くなってしまい、非常に大変でした。 また、「自分の居場所がない」と感じる主人公のハーフの春樹の役に適している人を探すのも大変でした。そんな中、サンディー海さんの演技をはじめて見たときに、「彼は春樹だ!」と思ったのを覚えています。彼と何度も何度も話し合いや脚本の読み合わせを通して役作りをしていきました。もう一人のハーフの主人公・誠役の私の弟を含め、今でも3人で仲がいいです。むしろ弟と海さんが仲良くなりすぎて、撮影中にふざけていたため、少し大変でした。 ■ハーフやダブルについて考える機会に 作品が完成した今が、一番嬉しい瞬間です。これから多くの人に自分の作品を見てもらえると思うとやはり嬉しいです。本作は「ハーフ」や「ダブル」という、普段あまり考えることはないテーマについて扱った作品です。物語の中では、自分のアイデンティティを深く捉え日本に居場所を感じられない春樹と、「自分は日本人」と考え、出自についてあまり考えず生活している誠という正反対の二人が、お互いとの邂逅により、それぞれ自分のアイデンティティを探し求めるようになります。これらのテーマは難しく答えのない問題です。そのため映画内で答えを完全には出さず、自分の意見を押し付けない、観客の皆さんに考えてもらえるような作品を意識して作りました。他の作品にはない面白さがある、と私は考えています。私自身、自分がハーフでありながら、自分のアイデンティティについてはあまり考えたことがなかったですが、この映画を通して考えるようになりました。 ■どの考え方も自由で、どの考え方も間違ってない また世界にはいろんな人がいて、ハーフの中にも「ハーフ」と呼ばれても問題ない人もいれば、「ダブル」と呼んで欲しい人、「ミックス」と呼ばれたい人など、さまざまな人がいます。しかし、どの考えも自由であり、決して間違っていないと思います。そのようなメッセージも込められた作品になっています。映画を通して普段はあまり考えることのないこの問題について、深く考えてみてください。 ■今後作っていきたいもの 私は自分自身まだまだ未熟であり、まだ自分では映画監督であるとは胸を張って言えません。なので、胸を張って映画監督と言えるようになりたいという夢に向かってこれからも頑張りたいと思います。私はメッセージがあって、社会に何かを投げかけるような映画をつくりたいと考えています。今作っているのが昨今問題になっている「#ME TOO」を題材にした作品です。この作品を通じて、性暴力・それに関する社会問題を社会に問いかけたいと思っています。こちらの作品も非常に考えさせられるものとなっていますので、そちらも楽しみにしていただけると幸いです。あと、今作っている作品の多くが短編映画なので、いつかは長編映画を撮りたいなと考えています。 ■大学生へのメッセージ 大学生という期間は悩んだり、色々考えたりする時期だと思います。アイデンティティや個性について悩みがある方は、ぜひこの映画をみてください。本作を通して、あなたの生活がより豊かになると思います。 学生新聞オンライン2021年9月6日取材 慶應義塾大学 1年 在原侑希 『WHOLE/ホール』俺は日本人や“ハーフ”と呼ばれる青年2人の、欠けていた半分を満たす出会い 10月15日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにてロードショー公式HP:https://www.whole-movie.com/ 日本のメディアで活躍するポジティブな印象のハーフタレントとは裏腹に、「ハーフ」という言葉をネガティブな意味で受け止め、自らのアイデンティティーに戸惑い、苦しむ若者も存在する。 日本生まれ、日本育ちで日本のパスポートしか持っていない、監督の川添ビイラルと脚本・主演の川添ウスマン兄弟は、日頃からハーフの偏ったイメージに違和感を感じていて、タレントでもない、日本で普通に暮らしているハーフを主人公にした映画を作ることを決意。知り合いの紹介で、同じく日本生まれ、日本育ちのサンディー 海に出会い、春樹役に抜擢した。 純粋な目線で、どこにでも居るハーフの日々の生活を通して、アイデンティティーや日本社会に対する複雑な気持ちを誠実に描いた。多様性を目指す現在の日本社会に語りかける本作は、第14回大阪アジアン映画祭でJAPAN CUTS Award スペシャル・メンションを受賞し、北米最大の日本映画祭であるニューヨークのJAPAN CUTS及びソウル国際映画祭に正式出品された。

川浪亜紀

Club_A所属 大森歩 誰がどんな感想を言っているのか、それを見るのが映...

■プロフィール 1985年10月24日生まれ。東京生まれ。愛知県の大森牧場で育ち、実家は骨董屋を経営。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。Club_A所属、CMディレクター。ダイワハウス「かぞくの群像」、ミルボン「美容室の帰り道」、ケアリーヴ「僕は、ばんそうこう」、ラインクリスマス、など。本作『春』が映画初監督作となる。2021年公開作に【SSFF & ASIA 2020 クリエイターズ支援プロジェクト】の短編映画『卵と彩子』(出演:剛力彩芽、岡山天音)がある。 実家が愛知県の大森牧場で骨董屋、という美術や自然に囲まれて育った大森歩監督。古川琴音さん主演の『春』では初の映画監督を務めた。自分自身を貫く強さを持つそのルーツや、自分自身の経験を重ねた祖父との物語や、リアルな感情を正面から捉えた今回の作品について、想いを伺った。 ■ビートルズの『イエロー・サブマリン』で上京を決めた 私は、もともと運動ができるタイプではありませんでした。地元が田舎なので、部活の選択肢が少なく、なんとなく美術を始めたという気持ちです。でも、骨董屋を営んでいたの父の影響で、映画には多く触れてきましたし、両親ともに絵を描いていたので、自分にとって絵を描くことは日常の延長線上にあるものでした。その中で、ビートルズのアニメ映画『イエロー・サブマリン』を観たことから、「自分もこういうものを作りたい」と思い、アートアニメの監督を多く輩出している多摩美術大学に進学を決め、上京しました。当時はアニメーターになりたい思いがあり、グラフィックデザイン科のアニメーションを専攻していました。そのため、広告にはあまり興味がありませんでしたが、就活でCM制作をするAOI Pro.に内定をいただき、広告に携わることになりました。そこから8年ほどCM制作に携わり、3年前に、自分自身で1から物語を作りだすことをやりたいと思い、幼い頃から好きだった映画をに、自主制作で挑みました。 ■自分と祖父の物語 今回の映画は、自分自身や自分の周りにいた友人をモデルに制作しました。自分のやりたいことが決まっている人や、好きなことで就活をしたいと考えて悩む人、自分の将来を決めずに就活をする人など多くの迷いを書き起こしました。また、撮影の2年前に、私の祖父が亡くなったことは、この映画を撮る大きなきっかけとなりました。祖父とは、予備校時代と大学時代の間、一緒に暮らしていたこともあったので、亡くなったときはすごくショックを受けました。初めて、一緒に住んでいた人が目の前で亡くなって、魂が抜けるのを見て「おじいちゃんは入れ物になった」と感じました。このときに、「人は死んでしまうんだ」と思いましたね。ちょうどその時、仕事がすごく忙しくて、鬱々とした自分の気持ちを形にしたいと考えることも多くて。実際に祖父の死を目の当たりにして、自分のやりたいことと照らし合わせたときに、自分とおじいちゃんの話を描きたいと思ったんです。そこから、当時の私と祖父の暮らしを綴った、当時のmixiを見直して、脚本を書きました。 ■とことんこだわった脚本と題名  私は、映画やドラマを見るとき、脚本が一番気になります。だから、今回の映画制作でも脚本にはこだわり、100回以上脚本を直して人に見せました。自分にとって嫌な部分がないか、というのを何回も確認しました。今回の物語では美大生の孫と祖父が二人で暮らしています。最初はその二人の関係性も映画の中で説明しようとしました。でも、短編ということもあって、説明をなくした方が、二人がどういう関係なのか、手掛かりや答えを探しながら、集中して見てくれるんじゃないかと思ったんです。設定でなく心情にフォーカスすることで、よりドキュメンタリー的に、リアルに二人を見てもらえるとも思いました。最初は作品タイトルは「家」にしようと思っていました。でも、祖父と孫の関係性を見ていく中で、これは祖父と孫の家族という関係に縛り付けていいのか?と思ったんです。家族で暮らしているとそれぞれがお互いの役割を「演じている」ので、祖父と孫も祖父と孫の関係そのままです。でも、実際に二人で暮らしているとその役割がなくなって、家族ではなく人として一緒に暮らす「同棲」の感覚に近くなったんですよね。だからこそ、おじいちゃんは私に自分のトイレを見せたくないというプライドがあったりする。「家」という役割がある言葉より、アミとジィちゃんの一対一の心の機微を感じて欲しいと思いました。だから題名の「春」は、生命が育ち出したり、思春期だったり、色々な意味があって…これからの希望が見える作品になって欲しいと思って付けました。 ■他人の意見を聞きたいから、映画を撮っているのかもしれない 他人が見てどう思うのか、という部分はすごく気にして作りました。感想もすごく見ます。自分が作ったものに対して引け目はないので、純粋にどう思ったのかが気になるんですよね。悪いコメントを見て、その人は普段どんなことをつぶやいているのかとか、アイコンでどういう人なのか想像するのもすごく楽しいです。もともと人に何を言われても気にしない性格なので。幼少期の頃、父の骨董屋を見て近所の人から「呪いの館」などとバカにされることもあったのですが、それもユーモアの一つと思って特に気にしていませんでした。「なにか面白さがあるから言っているんだろう」くらいにしか感じていなかったですね。映画でも、まず見てくれたことに対して嬉しさがありますし、人がどう思っているのか、良いと思ったシーンや、なぜそう思ったのか、その感想からその人自身を知りたい、話してみたいなと思います。酷評の中にも図星だなと思うことはありますし。むしろそういうコメントをみたいがために映画を撮ったかもしれませんね(笑)。この仕事は、撮影が本当に楽しいです。いつも自分の想像を超える演技を、俳優さんたちが繰り広げてくれます。今回の映画も、デビューしたての古川琴音さんの演技をぜひ堪能していただきたいなと思います。今作が初主演とは思えないくらい、オーラがすごかったのを覚えています。主人公のアミは、周りの空気に合わせるけど、優しく、迷っていることも人に言えないような子です。そんな、感受性豊かで、噛み砕きながら話すアミを見事に演じていただきました。その演技をぜひスクリーンで見ていただければと思います。 ■大学生へのメッセージ 今、コロナのニュースを聞くたびに本当に胸が痛みます。大学生という、人生で一番青春を楽しめて、ワクワクできる時期に、なんでマスクなんかしなくてはいけないのかと。本当に辛いだろうと思います。だからこそ、きたる数年後のために、本や映画をたくさん見たり感性を磨いて欲しいです。今は近い人間関係の人にしか会えないかもしれませんが、自分の中の「悪魔」だったり面白い部分を育てて、多くの人に出会う準備をしてほしいと思います。今以上に楽しいことはたくさんあります。そして、たくさん恋をしてほしいです! □学生新聞オンライン2021年8月30日取材 津田塾大学 4年 川浪亜紀 ■インフォメーション 祖父の家に居候をする、美大生のアミ。大人になるアミとは反対に、どんどんボケていき子供返りするおじいさん。やがて、二人の感受性が重なる。 認知症の祖父と二人暮らしをする美大生の、1年間の物語。 京都国際映画祭2018クリエイターズ・ファクトリーほか9つの映画祭にてグランプリを受賞した他、文化庁メディア芸術祭2019 新人賞(大森歩)、TAMA NEW WAVE ベスト女優賞(古川琴音)も受賞した短編映画『春』が、大森歩監督の新作『リッちゃん、健ちゃんの夏。』と同時上映されることが決定した。 『春』は、3年間祖父と二人暮らしをし、美術大学を卒業し、現在CMなどのディレクターとして活躍する大森監督自身の経験を元に、祖父を介護する美大生の心情を繊細に描いた秀作。認知症が進む祖父に、イライラが募った主人公が思わずしてしまう行動など、監督が過去に抱いたであろう、他人には見せたくないような汚い感情も逃げずに描いたリアリティが、観る者に突き刺さる。 主人公・アミを演じ、初主演を飾ったのは、NHK連続テレビ小説「エール」の主人公夫婦の一人娘役、「コントが始まる」の有村架純の妹役や『泣く子はいねぇが』、『街の上で』などで注目を集める古川琴音。 20年間劇団東京ヴォードヴィルショーの中心メンバーとして活躍し、舞台を中心に活動をしている花王おさむが祖父を、『海辺の映画館-キネマの玉手箱』(監督:大林宣彦)で被曝ピアノを演奏した加藤才紀子がアミのアニメオタクの同級生・橋本を演じている。 『春』[キャスト]古川琴音 花王おさむ 加藤才紀子  監督・脚本:大森歩 製作:AOI Pro. × 第8回きりゅう映画祭制作作品配給:アルミードAOI Pro.  2018/ 日本/ カラー/ 16:9/ DCP/ 27min公式サイト:http://haru-natsu-movie.jp/haru 10月1日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開 『リッちゃん、健ちゃんの夏。』[キャスト]武イリヤ 笈川健太大國千緒奈 藤原隆介 [スタッフ]脚本・監督:大森歩主題歌:「あの日」寺尾紗穂 P-VINE RECORDS (c)渋谷TANPEN映画祭CLIMAXat佐世保2019 AOI Pro. 渋谷TANPEN映画祭CLIMAXat佐世保 オリジナル短編映画 第3弾渋谷センター商店街・させぼ四ヶ町商店街プロジェクト 長崎県若者アート「LOVE♡ながさき」創造プロジェクト  配給:アルミード2019/ 日本/ カラー/ 2Kビスタ/ DCP/ 30min 公式サイト:http://haru-natsu-movie.jp/natsuTwitter:https://twitter.com/natsuharujyoueiFacebook:https://www.facebook.com/natsuharujyoueiInstagram:http://instagram.com/haru_natsu_jyouei 10月1日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開

経営者

サインポスト株式会社 代表取締役社長 蒲原寧 

事業とは新しい価値を創造し、社員と社会を幸せにする事 ■プロフィール 1988年、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。最先端の技術を駆使した次期システムの構築や三菱UFJ銀行の合併に伴うシステム統合などの大型プロジェクトを手掛ける。2007年、社会に新たな価値を創出することを目的にサインポスト株式会社を設立。各企業様の経営・業務課題や社会問題の解決に道しるべを示し、実際に解決するIT関連ソリューションを提供。 小売業の人手不足を解決するのではと注目されている無人AIレジを開発したサインポスト。その背景には、先人からいただいた日本という豊かな国を次の世代に引き継ぐために残された人生を費やすという蒲原社長の決意があった。お客様の課題を徹底的に解決し、新たな価値を創造し続けるための姿勢、事業のあり方を伺った。 大学生活はサッカーとパチンコ、ビリヤード、そして数学の勉強に費やしました。サッカーは監督兼キャプテンを務め、サッカーの戦法や戦術を熱心に勉強して、万年最下位のサッカー部を同率一位まで強くしました。僕は小1から小4まで、死ぬ可能性のある病で入院していました。運動を禁止されていた分、病院の娯楽室に夜中に忍び込んで見たワールドカップに強く憧れ、運動ができるようになったらサッカーを極めようと思っていました。大学生になってそれを実現したのです。サッカーの練習をしながら、数学の勉強にかなりの時間を費やしました。その知識が今でもとても役立っています。経営者は数学を知っていないと、見通しや予測ができません。数学がどれほど僕の役に立っているかを語ったら夜があけて朝になっても足りません。しかし、数学の勉強自体は、将来のことを考えて行なっていたわけではありません。「こういう就職をしたいからこういう勉強をする」というのは、ある意味、危険な考えだと思っています。将来何をしているのか誰もわからないのに、現時点で「この知識は役に立たない」と判断してはいけません。 ■人生は何が起こるか分からない 大学時代にはシステム関係を学んでいました。就職時は「ITシステムは単なる手段だ」と考え、その分野での就職を躊躇していました。そして、大学卒業後は、素晴らしい事業に対する融資という形で我が国に貢献しようと思い、三和銀行に就職しました。ただ、大学時代に専攻していたという理由で、三和銀行のシステム部に配属になっていました。当初の想いとは違うものの「逃げるのは嫌だ。一流になってからシステム部をやめよう」と決意し、努力した結果、辞めることができないほどの金融IT界の有名人になってしまいました。そして、結果的に、今もシステムの仕事を行なっています。人生は本当に何が起こるかわかりません。 ■豊かな我が国を後世に引き継ぐ 僕は人生で2回生死の境を彷徨ったものの、生き伸びた経験があります。以来、自分は「生かされているのだ」と思うようになりました。銀行員として働きつつも、「生かされた貴重な人生を、くだらない私利私欲のために費やしてはいけない。この先代、先々代からいただいた豊かな国を少しでも後世に引き継ぐために役立てたい」と思うようになりました。当初は政治家になろうと考えていたのですが、自分が60歳で死ぬと考えた場合、残された時間では総理大臣になれないと思い、経済界から貢献しようと起業を目標にしました。当初は資金もなく、経営理念だけがありました。まだ、子供も小さく、起業すれば無一文になるかもしれないという状況でした。そんな状況でも、妻の後押しや銀行時代の先輩、同僚の資金援助などがあり、事業をスタートさせることができました。 ■事業とは世の中を良くする事 サインポストの経営理念は三つあります。一つは「社会に新たな価値を創出する」ということです。事業とはお客さんを幸せにすることであり、世の中を良くすることであり、新しい価値を創出するということです。そのため、必然的に他社との差別化になっています。お客さまの真の問題を徹底的に解決し、その中で世にないものがあれば作る。前人未踏の問題解決を見つけて、実現化させる。そこにまたビジネスの面白さがあるのです。2つ目は、「お客様と社会に感謝される仕事を」です。それができない企業は、残ることはできません。3つ目は、「社員が仕事を通じて成長するのを支援し、社員とその家族を幸せに」です。社員たちには、20歳から70歳くらいに渡る人生の一番いい所の大事な時間をうちで働いてもらうのだから、人間として、職業人として成長してもらわなければいけません。いいお客さんといい仕事をする。いい社員を採用する。そうするといい仲間ができて、それ自体が人生の喜びになります。また、いい仕事をすると職業人としての訓練になり、社員の能力が高まる、そうすると経済的にも利益が高まり、社員に分配することができる。そして社員の家族も幸せに出来る。このような理念だけで事業を始めました。仕事をしていて楽しいことは何かと言われれば、毎日全てが楽しいです。BBQ大会を主催し、社員やその家族の交流ができること。自筆の本を社員が読み込んでは「バイブルです」と言ってくれること。今日、大学生のみなさんとお話しすることも、全て楽しいのです。 ■一緒に働きたいのは「誠実な人」 僕が一緒に働きたいのは、誠実な人です。誠実とは、表面的な性格ではなく、生まれてから今までに作りあがった性質だと思っています。誠実な人は、嘘をつかず、人のせいにしません。だから、自然と仕事ができるようになっていきます。大学生は、ぜひしっかり勉強してください。なんでもいいから得意なことを作ってください。現在、国民の三大義務は「納税、勤労、教育」です。この中で大学生ができるのは、教育だけ、だから勉強に励みなさい。あれこれ手を出して全科目80点を目指すのではなく、一科目120点を目指してください。環境が許すなら、バイトもせず、しっかり勉強してください。もしバイトをするとしても、自分の人生に役に立つバイトを選んでほしいです。やってはいけないことは、他人を見下すことです。自分が優位に立つ方法は2種類しかありません。一つは自分が努力して上に行くこと、もう一つは他人を下げること、二つ目は、努力しなくていいから楽ですが、それ以上は成長できません。意外と世の中は単純なものです。ただ、単純ですが、非常に深いのです。 学生新聞オンライン2021年6月10日 青山学院大学 3年 鈴木理梨子

経営者

株式会社コパ・コーポレーション 代表取締役社長 吉村泰助

大学時代での演劇との出会いが人生を変えた! ■プロフィール 1968年新潟県生まれ。國學院大學文学部卒業後、日本シール株式会社の宣伝販売員として所属。独立後、1998年に有限会社コパ・コーポレーションを設立。2020年6月に東京証券取引所マザーズ市場に上場し、実演販売の文化の継承と業界の発展に貢献している。 大学で演劇研究会に入ったことをきっかけに実演販売に出会い、そのままプロの道へ進んだ吉村社長。好きなことを続ける中で沸き起こってきた問題意識から会社を立ち上げ、実演販売兼卸売業という独自の形態で事業を拡大させてきた。周りに流されず自分の経験で突き進んでいく吉村社長にお話を伺った。 ■毎日演劇の稽古に励んでいた大学時代 大学には一浪をして國學院大學に入りました。サークルは文芸部か映画研究会に入ろうとしていたのですが、たまたま模擬店を見に行ったときに隣のブースにあった演劇研究会の先輩と意気投合してしまい、そのまま入部することになりました。演劇研究会といっても、野球部より運動していたんじゃないかというくらい、毎日稽古とテントづくりで忙しくしていました。大学にはほぼ毎日行っていましたが、ずっと演劇をしていたので、大学1年の時は4単位しか取れませんでしたね。(笑)  ■アルバイトで実演販売と出会う アルバイトは、演劇研究会が代々引き継いでいた秋葉原デパートで行われる実演販売の手伝いをしていました。普段は在庫を出すといった裏方の仕事をしていたのですが、実演販売の人が休憩に入って店番を頼まれたときに、ボーっと立っているだけではつまらないので自分なりに喋ったりもしていました。お客さんにバッシングされることもありましたが、路上演劇だと思うとモチベーションが上がり、実演販売の面白さにはまっていきましたね。 ■就職はせず、実演販売のプロへ 当時はバブル絶頂の時代だったので、学生は会社から手厚い接待を受けて入社するといった超売り手市場でした。私はせっかく大学で演劇と実演販売の経験を積んだならそのまま実演販売のプロを目指したほうが面白いと思い、就職活動はしませんでした。実演販売のプロは歩合制で、当時頑張れば2週間で初任給くらいは稼げていたので、就職しないことに抵抗はありませんでしたね。その後バブルが崩壊して、就職した人たちの苦労話を聞くと、周りに流されず実演販売のプロになって良かったなと感じています。 ■俳優たちが舞台をしながら食べていけるように 26歳の頃に当時所属していた日本シール株式会社の宣伝販売員から独立し、30歳でコパ・コーポレーションを立ち上げました。起業のきっかけは、当時続けていた演劇で俳優仲間が就職したいと言い始めたことです。舞台をしながら俳優たちが食べていけるような環境を作りたいと思い、演劇興行と実演販売卸業の2つの事業を展開する会社としてスタートしました。今では実演販売のできる卸売業に特化していますが、昔の名残で、俳優や芸人、歌手といった芸能活動の経験がある社員も多いです。また、実演販売を会社組織として運営することで社会的な信用力をつけたいという思いもありました。昔、実演販売はテキ屋といったイメージや、人から見下される傾向がありました。「嘘言って売ってるんでしょ」と言われることもあり、そういったイメージを払拭しなければ良い商品が回ってこないと思いました。今では上場も果たし、少しでも実演販売が社会に求められ、価値を生み出せればいいなと思っています。 ■“売る”がキーワードの会社 商品は売れなければ意味がありません。実演販売士を送り込んで販促活動をすることは、サッカーで言うフォワードがゴールを決めるのと同じように、最終的に商品に価値を生み出す大切な役割があると思っています。だから、私たちが力を入れるのは実演トークの開発です。「換気扇の汚れ気になってますね?」「ダイエットに困ってますよね?」とお客さんの抱える問題意識を明確化し、アッと驚く手段で解決する。実演販売はコンテンツ作りなので、何を話したいかで扱う商品を選定したりもします。物語に合わせてキャストや舞台装置を決め、お客さんを感動させる。実演販売は演劇とあまり変わらないですね。 ■社会に出てからわかるラポール形成の大切さ いい実演トークができても、お客さんが聞いてくれなければ意味がありません。実際に実演販売の現場に立つと、お客さんは3m以上離れて見ていることがほとんどです。なぜなら人間は生存本能から警戒心があるので、いつでも逃げられる状態にしておきたいからです。だから本当の意味で言葉が通じるというのは、日本語をいかに正しく使うかではなく、ラポール=信頼の架け橋を築いた上で話すということです。これは実演販売に限らず、社会に出たら誰しもが経験することだと思います。「どこの馬の骨が来たんだ」と警戒されるところから始まるので、最初に相手に対して安心、安全、親近感を与えることは大切なことです。 ■自分自身が好きな人は伸びる 一緒に働きたい人として、まず第一に自分嫌いな人はダメですね。自己嫌悪に陥っている人はいくら褒めても自分で自分を否定してしまうので手の施しようがありません。一方、自分のことが好きな人はどんな環境でもエネルギーを自家発電することができるので成長スピードが速いと思います。特に実演販売士は少しナルシストぐらいのほうがいいです。アウェイの現場で働かなければならない状況も多いので、いつでも自分を肯定的に捉えられるストレス耐久性があると強いですね。 ■message 世の中を変えるのは“若者の力”以外の何者でもないと思っています。大学時代は、何かしらの夢や目標を持って、エンジョイしながらそれに向かっていってほしいです。同じ夢を貫き続けることも良いし、コロコロ変わったっていい。学生に限ったことではないですが若いうちはトライアンドゴーを繰り返して、社会をよりよく変えていける人になってほしいですね。 学生新聞オンライン2021年8月17日取材 日本大学4年 辻内海成

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「私たちの小さな一歩〜世界中の家庭で笑顔が咲くために〜」

第3回世界環境学生サミットグラプリ受賞者  慶應義塾大学 1年 鈴木華子(すずきはなこ) プロフィール 慶應義塾大学法学部法律学科1年生。児童虐待に課題意識を感じ、高校時代に学生団体リトルオレンジを設立し、「専門家と中高生が虐待防止を考えるシンポジウム」を主催。参加者の満足度は100%と、充実した会となった。その後、実践的な保育教育の実現可能性について模索しつつ、活動を継続している。趣味は読書や料理、映画鑑賞。 登壇したきっかけ 友人が出場したことをきっかけに、自身も登壇を決めました。登壇した理由は主に三つあります。まず第一に、日本の虐待に関わる現状について多くの方々に知っていただきたかったからです。現在、児童相談所の人手不足や虐待を受けている子供が自発的に助けを求めることができない現状があります。また、アメリカでは、アルバイトでベビーシッターが経験できる等、若いうちから子育ての方法を学ぶ仕組みが整っています。しかし、日本では中高生を始めとして、全国民に対しての実践的な保育児童教育が不足しているため、保護者になり、いきなり子育てをしようとしても難しい部分があります。これらの日本の問題を多くの人に伝え、自分のできることから行動に移します。 次に、自身の目標や、達成するための手順に対し、客観的な意見が欲しかったからです。実際に登壇した結果、日本には実践的な育児教育がないことに関して不安を感じている同年代の意見を得ました。これからも多くの方々に動画を視聴していただきたいです。 最後に、自分の活動に協力してくださる方を見つけたいからです。その結果、“現状を変えたい”という私の思いに熱く共感してくれた友人や、暖かく応援してくれた運営の方々がいたのでとても励みになりました。 中高生へ実践的児童教育を届けたい プレゼンの内容は SDGsの「質の高い教育をみんなに」をテーマに、自身が社会に対して課題意識を抱えている児童虐待の解決策として、中高生を中心に実践的な児童教育を届けるための提案でした。その中で、そもそも虐待がなぜ問題なのか、虐待の根底にある問題は何かなどを、具体的な数字を基にお話させていただきました。 具体的には、実践的な児童教育として一ヶ月間のプログラムを考えています。そのプログラムは一か月に計4回開催され、育児に関する知識や経験を積むことができます。4回の内容をご紹介すると、1回目は児童相談所の児童心理士さんが子供の心境を教えてくれるプログラム、2回目は実際に子育てをした経験のある保護者の方を講師として招き、大変だったエピソードや、その乗り越え方を教えていただきます。そして、3回目は保育士さんをお呼びして、育児に必要な事前準備や注意事項の確認をし、4回目では実際に保育園へ訪問して子供の面倒を見る機会を提供したいと思っています。全世代、全性別を対象としておりますが、特に中高生や妊娠を公表できない方にもいらっしゃっていただきたいです。というのも、妊娠を公表していれば、ファミリー学級で子育ての仕方を教わりますが、公表していなければ、教わりません。よって、様々な背景を持った多くの方々に開かれた場でありたいです。 活動に関するやりがいや苦労虐待問題をみんなで一緒に考える機会を作ったことに非常にやりがいを感じました。高校時代に、学生団体リトルオレンジを設立し、「専門家と中高生が虐待防止を考えるシンポジウム」を主催しました。その会では、中高生だけではなく、専門家の意見も交えて虐待問題のどこが問題なのかを探ることができ、中高生からは「詳しく学べて良かった」、専門家からは「中高生の意見や考えが聞けて嬉しかった」という声が上がりました。 苦労したことは、自分自身に子育ての経験がないため、保護者の気持ちへの寄り添い方を追求したことです。以前、MAKERS UNIVERSITY U-18という、現状に課題意識を感じ、活動を起こす若者の集まりにていただいた、「実体験のない人こそ現状を変えることができる」という言葉に支えられています。それから、「今変えるという決意が重要だ」と思いながら行動しています。 今後の展望 実践的な保育教育を行い、各地に広げていきたいと考えています。そのために、協力者を見つけ、積極的に活動していきます。 そして、自分が親になった際、子供が望むことを伸び伸びと行うことを応援したいです。何においてもそうですが、自分の正しさを押し付けないことが一番重要だと考えています。 message 私は、困難に直面した際には、一度過去から離れ、0から仕切り直すことを心掛けています。そうやって、自分自身が信じていること、望んでいることを考え直すことが大切だと考えています。 学生新聞WEB2021年7月2日取材 早稲田大学3 年 Nang Honey Aung 世界環境学生サミット 統括 山形航汰  世界環境学生サミットは、中学生〜大学生が7分間のプレゼンテーションを行い、世界へ発信する場です。学生の学生による学生のためのサミットをコンセプトに開催された第1回から第3回を経て、世界6か国。全地方から学生が参加し、のべ65名のエントリーとなりました。     この世界環境学生サミットは大小関わらず、自分達の取り組みやSDGsへの想いを発信したい学生達のためにどこからでも参加できるオンライン完結の場として開催しております。     そこで、僕が学生に知って欲しいことは「子供だから」「大人だから」という制限を外して自分のやりたいこと・想いに向けて前に進んで欲しいという想いがあります。     例えば、インドでは環境活動家リシプリア・カングジャムさんがわずか9歳の内から大人達に環境問題を訴えかけているのです。     今日本でもSDGsの認知度は高まってきてますが、知るだけではなく行動に移さないと人が住めない環境へと歩むことになりかねません。この熱い想いを持つ学生がまだまだたくさんいることを僕自身感じています。そんな素晴らしい学生達がもっと発信しやすい環境を作っていきますので、共に発信し、かけがえのない仲間を作り、誰ひとり取り残さない世界を築く一歩になって欲しいと思っております。 ■運営メンバーの紹介 山路はるかさん高校3年https://youtu.be/HE-X1G0bH-k 平井鈴音菜さん大学2年https://youtu.be/w8rM2aqBP9E

川浪亜紀

株式会社Mマート 代表取締役社長 村橋孝嶺

慢心せず、上質な商品を安い価格で提供する ■プロフィール 1936年生まれ。20歳から飲食店の商売を始め20店舗ほど経営。2000年に株式会社Mマートを起業し、64歳のネットベンチャー誕生となる。起業のきっかけは、食材の仕入先発見が困難で、PCやネットも初めてだったが自分でやるしかないと思ったため。2018年、81歳で東証マザーズに上場。アントレプレナー最年長組として名を馳せる。 2000年にインターネットでの卸市場として設立し、2018年に上場を果たした株式会社Mマート。ネットビジネスの黎明期に代表である村橋社長を突き動かしたのは、食の流通を支えたいとの想いだったという。現在でも、常により良いものを求めて前進し、先頭に立ち続ける村橋社長の仕事や人材に関する考え方を伺った。 ■経済的な理由から、高校を中退 小さい頃からガキ大将でした。海のないところに住んでいたので、プールへの憧れがあったんですね。そこで、近所の川をせき止めて、プールのようにして皆で泳いだことがあります。近所のお百姓さんには怒られましたね。ただ、昔から自分の意思でやるタイプだったんでしょうね。経済的な理由から、家の手伝いで学校を休まなくてはならない状況にあったのですが、それも苦労とは思いませんでした。本を読むのが好きで、寺から本を借りてきてよく読んでいましたね。私が高校に入学したときは、まだ戦後間もない時で、左翼的思想が強い時代でした。そんな時代背景から、私が高校に入学して一ヶ月でストライキが行われ、学校が閉鎖されることになったのです。私は、高校に勉強したくて入りましたし、真面目な性格であったので、そのことに大変憤りを感じました。そこで、一人で校長室に乗り込んで、「学校は校長先生のためのものではない、生徒のためのものだ」と校長先生に直接訴えかけたのです。そこで、うまく交渉したおかげで、ストライキもなくなりました。その後、一年生で新聞部の部長となり、また全日本学生新聞連盟の議長団の一人にもなりました。年上の高校生や大人に混ざっていたものの、もともと物おじしないタイプだったので、本当に色々なことを体験させてもらいました。ただ、経済的な面から、高校は中退することになりました。学校の勉強は一番でしたが、学校を辞めることは仕方ないなと思っていました。ただ、非常に充実した高校生活で、普通に3年間通って得られる以上の経験をさせてもらったと思っています。 ■人間関係が左右する面白い仕事 高校を中退したあとは、父親の会社に入社させられました。給料は全て父親のものとなりましたね(笑)。その後、自分の何を見込んでもらったのかわかりませんが、神田にある東京の支社に転勤になりました。そして、夜学にも半年間ほど通いました。ただ、社会に出てからは、勉強よりももっと仕事をしたいという思いが強くなっていきました。その後、勤めていた鉱山会社が倒産してしまうという出来事が起こりました。どうしようかと考えていたら、たまたま友人の母親がスナックをやっていて、アルバイトをさせてもらうことになりました。そこで、商品やサービスだけを求めて来客するのではなく、元手がなくても「人間関係」によって客が集まるという飲食業界におもしろさを感じて、のめり込みました。 ■読書から得られる先見の明 その後、飲食店の再建や飲食店経営などを手掛ける中、一番難しさを感じたのは「仕入れ」です。時として、仕入れた商品が注文と違ったり、混ざりものだったりすることもあります。それを自分で全部掌握できるわけではなかったですし、変えることもできない。また、競争が激しい飲食業界の中で新しいメニューを考案したくても、配達してきた人が商品を把握しているわけでもありません。「このままではこの業界は大変だ、ベテランの自分が困っているのだから、きっと色々な人が困っているのだろう」と、思いました。そんな中で思い浮かんだのが「インターネットで行う卸売り」というアイデアでした。私は読書好きなので、本を通じて「これからの時代はインターネットの時代になるだろう」とわかっていました。インターネットで卸売りが出来れば、若い人たちも助かるはず。そう考えて、息子に「パソコンを持っているか」と聞き、その時に初めて、パソコンとインターネットの世界に触れました。ただ、飲食業界に関する知識は十分にあったので、新規事業ではあるものの、全く不安は感じませんでしたね。 ■迅速な自己変革が生き残りのカギである インターネットの世界では、同じビジネスをしている会社は、たった2社程度しか生き残れません。また、変化の速い世界なので、常に自己変革を行って、自分たちを成長させていくしかありません。当社の強みは、全てのシステムを自前で運営していることです。当社がこの業界に参入した時、既に10社以上の会社がインターネットの卸売業に参入していました。しかし、システムを自前で運営していたのは当社だけだったのです。なぜ、当社が自前でシステムを作ったかというと、外部の会社に委託してシステム構築をしようとすると、何千万円もの初期費用がかかるうえ、修正と改善を行うには時間がかかり、また何百万円もの追加費用が発生するからです。そうなれば、外注費にコストがかかり、結局黒字化が難しくなります。その点、当社のシステム運営は全て自前で行っていたため、様々な改善もコストをかけず迅速に対応できた。それが、大きな強みだったと思います。 ■「正しい心」を大切に 目の前にある障害を一つ一つ乗り越えるのは、本当に大変です。しかし、私は楽観的な人間なので、「人の世で起こったことは、人の世で解決できる」と思っています。そう考えれば、どんな障害も乗り越えられます。その障害を乗り越えた先に得られる達成感こそ、やりがいであり、仕事が楽しいと感じられるのです。また、「正しい心を持つ」という教育も大切です。素直でまっすぐな人は成長します。人間はうぬぼれるとすぐだめになります。その思いは、Mマートの社訓である「謙虚・素直・感謝」に表れています。上場に5年や10年もかかる会社もありますが、当社は、上場の本格的準備から1年半で上場しました。それは、当社が常に「正しい心」を大切にしてきたからです。どんな経営も正しくやらなくてはなりません。上場時の審査がスムーズに終了したのは、正しい心で経営をしてきた積み重ねだと思っています。また、上場したことで、社会的信頼はさらに上がりました。 ■message 若い人にはもっと政治に関心を持って欲しいと思っています。現在は、平和な世の中だからこそ「自分さえ良ければいい」という風潮が強い。しかし、この平和は政治によって作られたものです。政治を見つめることにより、今後の世の中をどうしたらいいのかをもっと考えて欲しいですね。社会に出てからも、学生時代と同様に勉強は大事です。社会に出て勉強してもインセンティブがないと思っている人が多いですが、社会人になって勉強すれば、その分大きな報酬を得ることができます。自分を変えたければ習慣から変えるしかありません。政治に関心を持ち、今の世の中にあぐらをかかず、「自分はどんな世の中を作っていきたいのか」を常に考えることを習慣化して欲しいです。 学生新聞オンライン2021年7月27日取材 津田塾大学 4年 川浪亜紀

川浪亜紀

三重県知事 鈴木英敬 「寂しがりの自分だからこそできる、共感される政...

■プロフィール 1974年、兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現、経済産業省)入省。2011年、三重県知事就任、現在3期目。家族は、妻と子ども2人。尊敬する人物は、坂本龍馬。座右の銘は、「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし ゆえに夢なき者に成功なし」(吉田松陰)。 2011年に三重県知事に初当選し、36歳の全国最年少現職知事となった鈴木英敬知事。自身もイクメン・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、あらゆる面で積極的な改革に挑んできた。三重県を住みやすい町にするために邁進し、愛され、信頼される関係性を築いてきたその根源はどこにあるのか、お話を伺った。 ■「みんなを巻き込みたい」との強い想い 小さい頃から、楽しいことをするのが好きでした。学級委員や、生徒会長を率先してやるタイプでしたね。なぜかというと、楽しいことを自分で考えて、みんなを巻き込んでやってみたい、という気持ちが強かったからです。多分、すごく寂しがり屋なんです。楽しいことをやって、みんなと一緒にいたかったんですよね。それは、大学でも一緒でした。大学で上京したのですが、寂しがり屋の一人暮らしの家には毎日誰かが遊びに来ていました(笑)。大学時代は、大半の時間をテニスサークルで過ごしました。アルバイトも、家庭教師やオペレーター、ヤマト運輸のスタッフなど本当に色々なことを経験して、本当に楽しかったです。そうして経験する中で、たくさんの人と出会いました。今も続く、価値観を共有できる仲間がたくさんできました。すごく充実していましたね。 ■就活は自分のものさしで考える 大学3年の夏に、「自分は将来、何になりたいのか」をじっくり考えてみました。その結果、たどり着いた結論が「何をやりたいかはわからない、ただ面白い人がいる場所で働きたい」というもの。そのため、就活は、「一般企業の会社員」や「公務員」などとジャンルを絞らず、幅広く行いました。今振り返ってみると、就活で大切だったのは、自分のものさしをどこに置くかだったと思います。早く就活を終えて、大企業に就職したからと言って、それが自分にとって良い企業とは限りません。人気だからと言う理由で大企業に進むよりも、自分が就職した後、どんな風に働いているのかを真剣に考えることの方が、就活では重要なことだと思います。なぜなら、自分の人生は自分で責任を取るしかないからです。だからこそ、周りを見るのではなく、自分のものさしを信じて就活をするべきだと思います。僕の場合は、自分が就職した後にどんな風に働きたいかを見定めるべく、色々なところでお話を聞いて、どんな面白い人がいるのか聞きまくりました。官庁も10省庁くらい回って話を聞きました。その結果、面白い人が多くて、たくさんの経験を積める場所だと耳にした、通産省(現在の経済産業省)への入省を決めました。 ■共感して信頼してもらって物事を進めたい もともと政治に興味を持っていましたが、通産省に入ってからますますその思いは強くなりました。安倍総理のスタッフになったときに強く感じたのが、行政で論理的に選択肢を作るよりは、国民に信頼されて物事を進めていく人間になりたいという想いです。今の政治には共感が足りない。ならば、自分はもっと国民のみなさんの気持ちに寄り添い、納得や共感がうまれるような政治を目指したいと思いました。そして、官僚を辞め、政治に主体的に携わるため、父方の本籍地である三重県で選挙活動を行うことを決意しました。そして、最初の選挙の後に入った青年会議所で、三重県のPRに携わることがありました。そこで感じたのは、「三重にはいいところがたくさんあるのに、うまくそれが伝わっていないのではないか。もったいない」との強い想いです。この「地域の魅力をもっと発信したい」という気持ちから、知事への立候補を決めました。 ■知事の仕事は「決めること」と「説明すること」 知事の仕事は、大きく分けて二つあると思っています。一つ目が決めること、二つ目が説明することです。僕は、令和2年度の一年間で275回の会見を行いました。知事の職に就いてから、10年間で1,482回記者会見をしています。危機の時だけではなく、日頃から会見などの機会を通じて人々に説明し、共感してもらうことを大切にしている。だからこそ、コロナ禍でも県民の皆様に信頼され、協力いただける関係ができたのだと思います。 ■三重県をより魅力的な町にする 自分が携わった三重県知事としての仕事で印象に残っているのは、G7伊勢志摩サミットです。日本で最初に開催されたG7サミットは1979年の東京ですが、伊勢志摩での開催を迎えるまでの日本の首脳会合開催地は東京、沖縄、北海道のみでした。その次に選ばれたのが、「普通」の県である三重県であることは大変誇らしいです。このサミット開催にあたって強く意識したのは、「市民の手で町を良くする」ということです。これは知事として職務に就く中で常に大切にしていることでもあります。行政のみで盛り上がるのではなく、県民が自分たち自身で考えて、納得して、一緒に頑張る。そうすることで、他人事ではなく、愛着が湧くまちづくりができるのだと思います。そこで、伊勢志摩サミット開催前には、全29市町でお花を植えて、みんなでおもてなしをしたり、「サミット給食」という取り組みを通じて、小中学生にサミットについて勉強する機会を持ってもらったりもしました。また、三重県は日本酒が有名です。現在、日本では日本酒の消費量が減っていますが、そんな中、三重県はサミット開催前と比較すると、酒蔵の売り上げが増加しています。これは、酒蔵の人たちが自分たちで考えて努力してきたからです。この伊勢志摩サミットを通じて、多くの県民の方々が、自らの手でイノベーションを起こす方法を知り、また実際にイノベーションを起こしたことで自分たちのプライドを確立できたのではないでしょうか。そのため、この2016年の伊勢志摩サミットは、県全体を良くするための大きなきっかけになったのではないかと感じています。 ■誰もが望む土地に生きられる時代へ 今、僕自身が目指すのは、「誰もが住みたいと願ったところに住み続けられるような社会」です。住みたいと思った場所があっても、交通機関が整っていなかったり、病院や学校がなかったりすると居住地にそこを選択することができません。だからこそ、医療・教育・子育て・防災などに率先して取り組んできました。防災施設の整備や、子育て環境を整えて男性のイクボス全国一位を獲得したのもその一環です。また、この10年間で増えた医師の数は、全国で11番目になっています。現在の日本では、若者が出稼ぎのために都会へ、高齢者は田舎に残り、美しい風景が保てなくなる事態が発生しています。これは、日本にとって本当に良いことなのでしょうか。地方でも環境の整備が進むことで、東京一極集中である必要はなくなります。人々のライフサイクルは様々です。こうした自分自身のライフサイクルを、それぞれに選択できる方が多くの人が幸せになれるはずです。だからこそ、誰もが住みたいと思った場所に住み続けられる、そんな日本を目指して、「令和の日本列島改造論」を進めていきたいと思っています。 ■大学時代こそ、異なる価値観に触れる 自分自身の大学生活は、本当に楽しかった。それは同じ考えとか同じ価値観を持っている人と出会えたことが大きいです。十分いろんな人に出会えた学生時代だとは思うものの、「もっと多様な価値観の人と話してみたら良かった」と思うこともあります。人間は意識しなくては、どうしても楽な方に流れます。異なる価値観の人に触れることはときに苦しいことではありますが、それは将来自分自身が多様性の社会の中で生きていくためには必要なことだと思います。社会に出たら、全く違う価値観を受け入れて前に進んでいかなくてはならない場面がたくさんあります。苦手だと思っても、そこで人間関係をシャットアウトせず、好き嫌いをせずに多くの人と向き合うことも成長のために大切だと思います。自分にとって、価値観の合う仲間は大切にしつつ、色々な人と触れ合って、将来に向かってほしいなと思います。 学生新聞オンライン2021年7月14日取材 津田塾大学4年 川浪亜紀

経営者

スターティアホールディングス株式会社 代表取締役社長兼グループ最高経営...

地頭の良い若手を磨き、次世代の経営者へ育てる ■プロフィール 熊本県出身。29歳で有限会社テレコムネット(現・スターティアホールディングス株式会社 )を創業。現在は指原莉乃さんのTVCMでもお馴染みのデジタルマーケティングツール「Cloud CIRCUS(クラウドサーカス)」を主軸とするデジタルマーケティング事業を積極展開。また、中小企業向けのオフィスのITインフラ事業やDX化推進支援事業も行っている。 企業をITの力でサポートするスターティアホールディングスを設立し、日本の中小企業の生産性向上のために力を注がれている本郷秀之社長。専門学校卒業後から就職を経て、起業された本郷社長の人生とは? そして、日本の未来をより良くするために、本郷社長が若手に求める力と、若手への想いについて迫りました。 ■ホテルマンになって知った「学歴」の重要性 私は熊本県で進学塾を経営している父に、「勉強をしなさい。」と幼い頃からずっと言われながら育てられてきました。私は天邪鬼な性格でしたから、父の言葉に反発していてあまり真面目に勉強はしていませんでした。そのため、周りからは「本郷先生のバカ息子」だなんて言われたものです。学生時代の私は、「将来海外に行ってみたい」という夢を持っていて、将来は海外と関わりが多そうなホテルマンになりたいと思っていました。海外に行きたいと思ったのは、きっと口うるさい父と何もない田舎から離れ、別の世界に飛び込みたいと望んでいたからでしょう。父からは「勉強して東京大学や京都大学に進学しなさい」と言われていましたが、東京大学を出たからといって必ず成功するわけではありません。もともと「学歴なんて必要ない!」と考えていた私は、父の期待をよそに専門学校に進学しました。父に反発した選択をしましたから、専門学校時代は仕送りもなく、ベルボーイをしながら勉強をしていましたね。苦学生ながらなんとか専門学校に通う傍ら、ホテルマンとして働き始めたのです。ただ、ホテルマンとして働きながら「ずっと必要ないと思っていたけれども、実は社会とは学歴がものをいう世界なのだ」ということに気が付きました。頑張って受験期に努力した人たちはやっぱりすごいと感じますし、高学歴な大学を卒業したいわゆる“キャリア”と呼ばれる人たちはすぐに出世していき、初任給も専門学校卒の人よりも多くもらっていました。また、東京大学など名門を卒業した人たちは「やっぱり頭いいなあ」と尊敬する面も多かったですね。 ■インチキしない正しい会社を作ろう ホテルマンとして働いた二年間で学歴社会を思い知らされ、その後、寝具会社の営業を経て、通信関係の会社に営業として就職しました。寝具の営業を経験した私からすると、通信関係の営業の方がやり甲斐があり、営業成績もかなり伸ばすことができました。「営業部長くらいにはなれるのでは?」と期待を胸に仕事に打ち込んでいましたね。しかし、そんな順調な毎日を過ごしていたある日、社長の乱脈経営によって会社が突然潰れてしまったのです。どんなに社員が頑張って働いていても、その会社のトップが良くないと社員がバカを見てしまうと言うことを学びました。「だったら自分が社員想いでインチキをしない、正しい会社を作ろう!」と決意し、当時の部下たちと共にスターティアホールディングスの前身となる会社を立ち上げたのです。部下から「本郷さんについていきたい」と後押しをもらい、消去法的な選択での起業でしたが、今までこうしてやってくることができました。 ■若手の成長が会社の成長 今年で会社を立ち上げて26年目なのですが、最初の頃と少しずつ会社にかける想いに変化が出てきました。創立当初は「一発当ててやる!」なんて気持ちが強かったのですが、今は日本の中小企業の生産性向上の手助けになりたいという気持ちで会社と向き合っていますね。社長になってから日本の中小企業の生産性が低いことに気が付き、日本の未来に危機感を抱くようになりました。消費者や日本の企業が全て良くならなければ、日本の未来を良いものにはできないでしょう。そのために、我が社ではDX(デジタルトランスフォーメーション)化することにより、顧客企業が業務の効率化や売り上げの拡大をできるように支援を行っています。また、創業者の私が引退しても成長できる次世代の経営者を育てていくため、若手に積極的に権限のある役職に就かせる取り組みを行っているのです。高学歴で勉強のできる若手もいいのですが、私は学歴がなくても地頭の良い若手を発掘していきたいと考えています。だから、我が社では採用方法の一つに“麻雀採用”というものも行っています。毎年この採用枠で8〜10人程採用しています。「麻雀好き集まれ!」と告知をし、我が社に入社したいかどうかはひとまず置いておいて、集まった若い人たちと麻雀を楽しむのです。麻雀をすると色々なことが分かるんですよ。「この人は気が短いな」だとか、「この人は勘が鋭いな」など、その人の本質が見極められます。また、麻雀が強い人は空気が読めて周りを観察できる人ですから、地頭が良いのでしょう。このようにできる若手を集めてどんどん重要な役職を任せ、自由にやりたいことができるようにしています。その方が若手の成長も速く、会社も大きく成長するのです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんはとても頭が良く、優秀なのですから、是非ITを学ぶことで日本の問題点を改善していってほしいです。ITを駆使して一次産業や二次産業を活性化させ、未来に向けて日本の産業をより高めていってください。この先、何百年後における日本の未来は、一見自分に関係がないように感じている人もいるかと思います。しかし、皆さんの子供や孫には大きく影響してきますから、日本の未来は今生きる全ての人に関係することでしょう。若い頃は果敢に挑み、未来の日本を救う力を身につけてくださいね。 学生新聞オンライン2021年7月20日取材 津田塾大学 2年 佐藤心咲