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Archive for 運営スタッフ

芸能人

佐久間祥朗 理想は”変わらない自分”でいること〜人との繋が...

■プロフィール 1998年東京都生まれ。主な出演作に映画「のぼる小寺さん」(古厩智之監督/20年)、ドラマ「ネメシス」(入江悠監督/21年) 、ドラマ「ホームルーム」(小林勇貴監督/20年)、MV indigo la End「夜の恋は」主演(内山拓也監督/21年)、MVビッケブランカ「ポニーテイル」主演(加藤マニ監督/21年)、他。公開待機作に映画「衝動」(土井笑生監督/21年公開予定)他多数。 数々の映画、TV、MVに出演中の若手俳優である佐久間祥朗さん。スターへの階段を一歩一歩着実に登り始めている佐久間祥朗さんが考える”理想の自分”や、自身の実体験から振り返る、学生時代にするべきことなど、その温かい人柄が伝わる数々のエピソードを伺いました。 ■芸能活動のきっかけは学生時代の”衝撃” 大学時代、僕は銭湯やアパレルショップ、道路交通整備など、色々な職種のアルバイトを体験しました。大学一年生の時に、意外にもあっけなく単位を取得できてしまったので、手持ち無沙汰な日々に彩りを持たせるため、様々なアルバイトに挑戦していたんです。その一つが、スタイリストのアルバイトです。元々、キラキラした世界に憧れを持っていたのですが、スタイリストの現場は、僕が想像していた以上に魅力ある世界で、衝撃を受けました。スタイリストにスタイリングされ、カメラの前で堂々と振舞うモデルさんの姿は輝いて見えました。「僕もそんな表舞台に立ちたい」と羨ましく思ったことが、芸能活動を始めるきっかけでした。 ■“楽しい”から乗り越えられる 俳優のお仕事は嫌なことが一つも無いくらいに、とても楽しいです。好きなことをやらせてもらっているわけですから、苦労は感じないですね。しかし、不安や悩みはあります。先のことが分からない恐怖だとか。最近では遠くで撮影する大きな役が決まったこともあり、その役柄をどう作り上げていくべきかという恐怖もあります。普段の自分とかけ離れた役柄を演じなくてはならないので、今までになかった苦しみを感じることになるかもしれません。しかし、俳優業は楽しいことの方が大きいですから、乗り越えられると思います。僕以外の人が、僕の活動の応援してくれたり、喜んでくれたりしている姿を見ると本当に嬉しいですね。また、普通の生活をしていたら会えていなかったであろう人たちと、会うことができるのも俳優業の魅力です。今日の取材でお会いした学生新聞の皆さんもそうです。そういう人たちに会えるのも、とても嬉しいことです。たくさんの嬉しいことがあるから、苦しいはずのことも楽しさに変えることができています。 ■理想の自分になるために自分を貫く 僕は芸能界に入ったからといって、今までの自分自身を変えたくないと思っています。自分の置かれる状況が変化したとしても、いつまでも同じ距離感で分け隔てなく人と接することができる人でありたいと思っています。現在の自分を貫き続けることが僕の理想なんです。初心を忘れたくないんですよ。僕は以前までスタイリストとして、モデルさんをスタイリングしていた側でした。それが今では、スタイリングしてもらう側になっています。未だにスタイリング中に洋服を着せてもらうだけで、感慨深い気持ちになります。そんな時「自分も少し成長したなあ」と実感しますが、「この初心の気持ちは忘れないぞ」と強く思っています。また、理想の自分であるために、人との繋がりも大切にしています。例えば、今日取材に来てくれている学生さんたちと、1年後に道でばったり遭遇したとします。その時、僕を覚えていてくれなかったら悲しいです。だから、僕は絶対に今日取材に来てくれた学生さんたちのことを、ずっと覚えています。人との出会いって、奇跡的なものですよね。そういう奇跡やご縁を、僕は大切にしたいんです。つまり僕の考える理想の自分とは、「人との繋がりを大切にしている今の自分を貫いている自分」ですね。 ■message 大学っていっぱい友達がいる人いない人、騒いでいる人や静かな人、色々な人がたくさん集まっている場所ですよね。ついついそんな中でも、いつも一緒にいる人って決まってしまうと思うんですよ。気の合う人と一緒にいれば居心地がいいわけですから。しかし、そこであえて普段話さないような人にも話しかけてみてほしいです。なぜなら、そうすることで自分を更新できるはずなので。僕が大学時代に体験したことなんですが、講義のプリントを忘れてしまい、偶然隣に座っていた人に「ごめん、プリント見せてもらえないかな」と声をかけたことがあります。その人は快くプリントを見せてくれました。そして、プリントを渡してくれた時に、何故か僕に「皇居には10メートルおきに警察が立っているんだよ」と言ったんです。自分はそのことを全く知らなかったので、「そうなんだ」って思いました。この情報って、僕が実際に皇居に行くか調べるかをしなければ、手に入れることができなかったと思います。勇気を出して声をかけたことで、知る由もなかった情報を知ることができたわけです。仮に僕が、「プリント忘れたから諦めよう」と黙っていたら、この情報は一生分からないままだった可能性もあります。これは一例ですが、こんなふうに意外な人とのコミュニケーションを取ることで、新たな発見が待っているかもしれないんです。その発見を後々人生の重要な場面で活かすことができる可能性だってあります。せっかく大学に通っているんですから、色々な人と話して、仲良くなってみてください。それから、「ブルーハーツ」の『青空』を聞いてみてください。僕のお気に入りの歌です。いい歌ですよ、人生が変わります。嫌なことや辛いことがあった時は、『青空』を聴いて元気を出してもらいたいですね。皆さん、楽しい大学生活を過ごしてください。 学生新聞オンライン2021年2月10日取材 津田塾大学1年佐藤心咲

伊東美優

株式会社ファインデックス 代表取締役社長 相原輝夫

「仕方がない」の一歩先へ、問題解決を通して社会をより豊かに ■プロフィール 1966年生まれ。1990年に愛媛大学を卒業後、国内IT企業を経て1993年に起業。翌年に代表取締役社長に就任、現在に至る。2011年3月ジャスダックに上場、2014年11月から東証第一部。ビジネス領域は医療システムとヘルステック。 幼少期からモノ創りが大好きだったという相原社長。大学卒業後は一度企業に就職したものの、起業への道を諦めきれなかった。今回の取材では、相原社長の中にずっとあり続けるモノ創りへの想い、そして医療システム業界でリードし続けるファインデックスの強みについて、熱く語って頂いた。  モノ創りが大好きで、幼少期の将来の夢は大工でした。大学時代はサークル活動が生活の中心でした。所属していた映像研究会で映画の鑑賞や制作に勤しみ、卒業後はクリエイティブな仕事がしたいと漠然と考えていました。当時はバブル絶頂期で、超売り手市場。今では考えられませんが、ちゃんとした就職活動という事もせず、1990年に四国日本電気ソフトウェア(現NECソリューションイノベータ)へ入社しました。学生の頃に卒業論文でデータ圧縮の研究をしていて、プログラミングやコンピューターの世界に魅力を感じていた事が大きかったと思います。 ■起業への想いから現在へ  働き始めた頃は、仕事自体は非常に面白かったです。しかし、学生時代から心のどこかで燻っていた「起業したい」という想いが次第に強くなったと記憶しています。私の場合、何か目的があって事業を起こしたという訳ではなく、起業への準備期間を作るべく、1993年にNECを退職し新たな道へ進みました。 時を同じくして、とある病院長との出会いがあり、これが医療システムの世界へ足を踏み入れるきっかけとなりました。院内のシステムを見て欲しいとの依頼を受け現地へ赴くと、そこには驚くほど大きな汎用コンピューターが置かれていましたが、その用途はレセプト(会計)のみに留まるとのこと。高性能のコンピューターが単純な四則計算にしか利用されていないことを、非常に勿体ないと感じました。他方、コンピューターの得意分野は簡単なことの繰り返しです。人間が行う際に途中で飽きてしまったり、ミスが出たりするところを、コンピューターは絶えず難なく繰り返すことができますが、当時その病院ではまだこのような作業を人間が担っていました。院内の業務効率化を図るべく、院内業務のシステム化をスタートしました。当初は小規模なアプリケーションでしたが、我々の柔軟な業務改善提案が次々と評判を呼び、1998年には本格的に医療システムの開発とコンサルティング業務を開始。現在では、主力である医療システムに加え、マーケットの拡大が著しいヘルステック、そしてオフィスシステムの3事業を柱に、ビジネスを展開しています。当社は日本中にお客様を持つ医療システム会社へと順調に成長を遂げ、全国の国立大学病院における当社製品シェアは約8割にのぼります。最も多くご採用頂いているのは、各診療科の患者検査データの一元管理を可能にした「Claio」というシステムです。また、従来の視野検査の常識を覆すウェラブルデバイス「GAP」は、今最も力を入れている製品のひとつで、一から自社開発し国際特許を取得しました。当機器の導入により、これまで必須だった暗所の確保・検査員による実施が不要となり、検査時間の短縮も実現するだけでなく、自覚症状に乏しい網膜疾患の早期発見率を大幅に改善。本格的な市場投入はこれからですが、社会貢献の面においても、大きな役割を果たすと見込んでいます。 ■誰かの後追いをしても、ビジネスにはならない  私は仕事が大好きです。新しいシステムの構想を考えている時やそれを部下と共有している時は、心の底から楽しいと感じます。困っていることを解決する、誰も手を付けていない領域にチャレンジする。それが我々のビジネスであり、モノ創りを通して達成感を味わえるこの仕事は非常にやりがいがあります。また、組織づくりも仕事の醍醐味のひとつです。上場後の10年間は私の仕事の中心を経営にシフトし、「上場企業としてあるべき組織づくり」に注力してきました。一方で、製品開発に取り組みたい気持ちも捨てきれず、上場後5年ほど経つ頃に直轄の研究開発チームを作り、現在も自ら新製品の開発や企画に携わっています。 ■上場企業のあるべき姿  会社とは、社会に何かを提供する代わりに対価を頂く組織です。価値あるものを提供できなければ対価は頂けませんし、企業の成長も望めないでしょう。その中でも、上場企業は外部への価値提供だけでなく、株主や従業員を大切にするための組織づくりを徹底しなければならず、また、リスクを管理しながら永続的に成長することが求められます。私自身も、上場企業のあるべき姿を常に意識して経営を行なっています。 ■モノ創りへのこだわり  当社の最大の強みは、製品を全て自社開発している点です。もちろん製品を売ることも大切ですが、販売はパートナーである代理店へお任せし注力する範囲を開発に絞ることで、本当にモノ創りや問題解決に熱心なメンバーが集まっています。我々は部署ごと、縦割りという概念は全く持たず、ベンチャー企業のようなクロスファンクショナルな素質がある組織です。このような、社員数は多くなくとも密度の濃い筋肉質な会社として、今後も事業を発展させていきたいと考えています。 また、当社には採用の面でもこだわりがあります。インターネットでの簡単なエントリー方式は採択せず、応募者の方にはまず当社について研究して頂き、手書きの作文を書いて頂きます。ここまで応募のハードルを上げることで、本当に能力とやる気があり当社の仕事を楽しめる人が集まります。今後も、この世の中で改善できることを考え続け、一緒に解決しようという意欲のある方に入って頂きたいですね。 ■message  やはり、「何がやりたいか」を学生時代に見つけられた人は、社会に出てからも力を発揮しやすいです。私自身はこれが就職前に見つからなかったため、起業を経てここに至るまで少し時間がかかってしまいました。昔に比べ、今はどんなことにもチャレンジする環境が整っています。だからこそ、自分のやりたいことを学生時代に明確にしておくことをお勧めします。そして、どんなことにおいても「仕方がない」で済ませるのではなく、「どうすれば改善できるだろうか」という問題解決のマインドを、是非持って頂きたいと思います。 学生新聞オンライン2021年3月31日取材 慶應義塾大学 1年 伊東美優

北之原真奈

白波瀬海来 もっと様々な場で自分を表現していきたい

■プロフィール 1997年9月27日生まれ。千葉県出身。アーティストハウスピラミッド所属。11歳で『千葉美少女図鑑』でモデルデビュー。16歳で『全国美少女図鑑』ベスト4に選ばれスカウトがきっかけで芸能活動を開始。主演映画3本務め、19歳の時に主演映画で『東京国際映画祭2017』のレッドカーペットを歩く。現在はタレント活動とボディーボードを両立し、多方面で活躍を見せる。ボディーボード全国2位。Twitter:@kyra_shirahaseInstagram:@kyra.97 女優からタレント、グラビア、ボディボードと幅広く活躍している白波瀬海来さん。健康的な焼けた肌に白い歯がまぶしく光る笑顔が素敵な彼女は、現状に満足せず自分の可能性を広げていく。0歳からはじめた水泳生活と挫折から、ボディボーダーと女優活動の両立など、多岐にわたって活躍する彼女に話を伺った。 ■水泳生活に明け暮れた学生生活の日々  私の「白波瀬海来(しらはせ・かいら)」という名前は本名なのですが、これはサーフショップを経営してる父とハワイが大好きな母が、ハワイ語で「海が太陽に照らされてキラキラ輝くさま」を意味する「カイラ」に、「海から来た贈り物」という意味を込めた漢字を組み合わせてつけてくれました。この名前を、私はとても気に入っています! 私は喘息持ちの家系に生まれたということもあり、0歳の時から水泳をしていました。学生時代は、朝5時半から7時まで朝練をしたら、学校が終わった後にまた水泳の練習へ行く毎日でした。勉強は苦手だったので、体育だけ一生懸命頑張るような学生だったと思います(笑)。 ボディボードを始めたのは高校卒業後です。高校当時は水泳の日本代表選手を目指していたものの、水泳選手を目指すことに限界を感じ、「次は何をしよう」と迷っていた頃に、ボディボードに出会いました。波に乗る瞬間の爽快感から、一気にボディボードの魅力に引き込まれ、いまでもずっと続けています。 海は私にとってリフレッシュの場であり、同時に元気の源です。ただ、あくまで自然が相手なので、今でも海に入る瞬間は怖さを感じます。でも、この気持ちは、自然を相手にする上ではとても大切なことです。だから、海に入るときはいつも、海に向かって「今日もよろしくね」と心の中で呟いてから入るようにしています。 ■撮られることが好きと気づいた  芸能活動をはじめたきっかけは、私が11歳の時に、父が『千葉美少女図鑑』という地元のフリーペーパーに応募したことです。その後、スカウトされ、モデルとして活動を始めました。当時は水泳をメインにしていたので、モデルとしての活動にはあまり乗り気ではなかったのですが、高校時代ごろからは水泳選手としてやっていくことに限界を感じていたので、次第に「撮られる仕事も悪くないな。むしろ撮影されるのは好きかもしれない」と考えが変わっていきました。 そんな中、映画の主演が決定。とても光栄な話でしたが、全く演技経験がないので非常に大変な想いをしました。演技をする上で一番難しかったのは、台本から作者の気持ちや想いを読み取ることです。演技には正解はないので、分からなくなったら監督に直接相談するようにしていました。19歳の時に映画『写真甲子園0.5秒の夏』に出演して、東京国際映画祭のレッドカーペットを歩いたときには、感動のあまり「これまで芸能活動をやってきてよかった。もっと努力しよう」と強く思いました。次にお芝居に挑戦させてもらえるなら、『万引き家族』のように少しシリアス系の作品や、アクション系の映画に出演してみたいですね。 ■バラエティー番組に出て、浜田さんのツッコミを体験したい!  最近はグラビアのお仕事の機会が増えたのですが、読者が私に求めているものを表現するのは、まだまだ難しいです。実は私は身体が硬いので、様々なポージングをして次の日に筋肉痛になることも多々ありました(笑)。私自身の魅力は「笑顔。そして、健康的なセクシーさ」だと思うので、今後はそこを前面に出していけたらと思っています。以前『1st Impact かいらの日焼け跡 白波瀬海来』というDVDを発売した時は、自分のありのままの姿で撮影をさせていただけたので、とても楽しかったです。 そのほかにも、人とお話することが大好きなので、バラエティー番組にも出たいです! 特に憧れるのは『踊る!さんま御殿‼』や『ダウンタウンDX』です。そして、ファンであるダウンタウンの浜田さんのツッコミを体験したいです(笑)。他にもオードリーの春日さんと水泳対決をするのも夢です。負けず嫌いなので、勝負になったら全力でやります!あとは、クイズ番組にも出てみたいです。こう考えてみると、やりたいことがまだまだたくさんあるなと思いますね。私は欲張りなので、チャンスがあれば、何にでも挑戦して、すべてのことに全力で取り組んでいきたいです。 ■やりたいことにいくらでも迷ったっていい  大学生の皆さんに伝えたいことは、「自分が直感的に思ったことはやってみたらいい」ということです。やるかやらないかを迷ったら、とりあえずはやってみる。その中で、自分がやりたいことを見つけたら、一生懸命取り組んでいければいいと思います。やりたいことをやるほうが後悔は生まれませんから。悩むことも全然悪い事ではないので、たくさん悩めばいいと私は思います。 コロナ禍の影響で、本来なら通えるはずだった学校に行けず、オンラインを強いられ、悩みを抱えている学生さんも多いと思います。いまの時期は、本当に大変だし辛いですよね。仮にリモート授業であっても、友達同士で互いを励ましあって頑張ってほしいと思います。そして、何か自分の中で「これをやるとリフレッシュできる」というようなものを、一つでも探してみると、ぐっと気分も変わると思います。個人的には、海やいろいろなところに行って、気分転換してみるのがおすすめですよ! 学生新聞オンライン2021年2月17日取材  共立女子大学3年 北之原真奈

芸能人

矢島舞美 全力で、楽しむ!

■プロフィール 1992年2月7日生まれ。埼玉県出身。2002年、約3万名の応募からハロー!プロジェクト・キッズに選ばれ、2005年6月11日アイドルグループ『℃-ute』(キュート)を結成し活動するも、2017年6月12日に℃-ute解散。解散後は女優として活動中。主な出演作は、ドラマ『ルパンの娘』『科捜研の女Season 20』、映画『初恋』など。舞台は『銀幕の果てに』『フラガール – dance for smile -』『朗読劇 ラヴ・レターズ』などがある。 アイドルグループ『℃-ute』の元リーダーとして活躍していた矢島舞美さん。『℃-ute』のメンバーの一員として突っ走ってきた彼女が、解散を決意して飛び込んだ新しいソロの世界。グループから個への道へ進んだ彼女の決意と血のにじむような日々……。そんな彼女の仕事に対する思いを取材しました。 ■芸能界を目指したきっかけは、『天才てれびくん』 子どもの頃は、ピアノや習字、英会話、ソフトボールなど、習い事をたくさんしていて、忙しかったですね。「兄がやっているものは自分もやりたい……」という気持ちが強かったので、一時期は少年野球チームにも参加していました。 芸能界に入るきっかけになったのは、小学校5年生のとき。当時、NHKの『天才てれびくん』の新メンバー募集があることを知って、受けようと決めました。芸能界に興味があったというよりは、『天才てれびくん』で同世代の子たちが楽しそうにしているのを見ていて、「私もやってみたい」という感覚が強かったです。あとは、両親が共働きだったので、「私も一緒に働きたい」という気持ちもありましたね。 ただ、肝心の『天才てれびくん』のオーディションには、期日を間違えていたのか応募することができず……。そこで、代わりに当時開催されていた「ハロー! プロジェクト・キッズ オーディション」を受けて、合格し、芸能界の道へと進みました。 ■忙しい日々を支えてくれたのはオーディションで受かった仲間たちの存在 オーディションに受かった後は、学校が終わると地元の埼玉から都内に通って日々レッスンを受けていました。事務所は「義務教育はしっかり卒業しよう!」ということで、仕事は学校が終わってから行くのが原則でした。2007年に℃-uteが芸能業界にデビューした後でも、学校の行事も全部参加して、学業と仕事を両立させていました。 ただ、仕事が始まってからは毎日が忙しくて、友達と遊ぶタイミングが激減しましたね。仕事が休みの日にたまに友達と遊ぶことしかできなくて、「みんなは部活とかを楽しんでいていいな」と羨ましくなることもありました。 ただ、支えられたのは、オーディションで受かった仲間たちがいたからこそ。一緒に受かったメンバーは、全部で15人いたんですが、全員同年代で同じような境遇、同じような条件で頑張っていました。「友達ともっと遊びたいな」という気持ちもありましたが、仲間のおかげで「辞めたい」とか「辛い」という気持ちを抱くこともなく頑張れました。それよりは、本当に日々与えられる課題をどんどんこなしていくことに必死でしたね。 ■リーダーを辞めたいとも思った。だけど…… ℃-ute時代は「自分はリーダーとしてどうやってみんなをまとめていったらいいのか」と仲間のことで悩むことが多かったです。ときにはリーダーを辞めたいと思うこともありましたね。でも、周りの方が「それぞれのやり方でいいんだよ」とアドバイスをしてくれたり、6歳から幼なじみのように過ごしてきた仲間も助けてくれたり。仲間がいたからこそ、諦めずに頑張れたんだなって思います。 芸能活動は興味本位で始めたけど、自分が苦手だった事でも頑張った末に褒められると、「次はもっと大きな目標を達成したい」と思えるんです。次々出てくる新しい目標を1つずつ達成するのは楽しいですよね。あとは、応援してくれる方が増えていくのもうれしかったです。たとえば、ファンレターも最初は全然こなかったのに、イベントやライブなどを続けていくと少しずつファンレターの数が増えていく。そうした変化を感じるたびに、「もっとたくさんの人たちに応援してもらえるようになりたい」と思うようになりました。 ■「とりあえず、全力でやってみる!」がポリシー いま、お芝居のお仕事をさせていただく中で、共演者の演技を参考に、自分の演技の仕方を変えることはあります。主演をやらせていただいた舞台『銀幕の果てに』では、世界観や表現が難しくて、自分自身が何を言っているのか分からなかったこともあります(笑)。 でも、ただ分からないじゃなくて、分からないなりに全力でやってみたら、なんとなく自分なりの答えが出てきました。同じセリフでも全力でやるかやらないかで演技も全く違ってくるし、たとえ全力でやって自分のやり方が間違っていたとしても、それを笑ってくるような人はいなかったですね。 これからもお芝居やモデルなどいろいろなお仕事をいただくと思いますが、そのたびに全力で向き合っていきたいです。そして、「この役、この子にやらせたい」って誰かから必要とされたり、「この人がいるから作品がもっと良くなる」と思ってもらえる存在になりたいです! ■多くのことは、実際にやってみると大したことない 学生時代は、若くて1番エネルギーもパワーもあると思うので、やりたいことに全力でやってみたらいいと思います。もしそれがダメでも、失敗から得られることもあるから、とにかく全力でやることが大事ですね。 「安心できる未来が欲しい」っていう気持ちもわかるし、環境を変えるのは怖いと思うけど、多くのことは「実際にやってみた後に意外と大したことなかったな」って後からケロッと話せるようになることが多いです。また、「自分の悩みなんてちっぽけだったな」って思える時がくるから、肩の力を抜いて、色んなことに挑戦して欲しいと思います。 学生新聞オンライン2021年3月17日取材 立教大学 2年 須藤覚斗

北之原真奈

高田夏帆 過去をいいものにできるように、今を走り続ける

■プロフィール 1996年生まれ。東京都出身。2014年より女優・タレントとして活動。『仮面ライダービルド』ヒロイン(2017年テレビ朝日)、『恋より好きじゃ、ダメですか?』主演(2019年中国放送)、『スナイパー時村正義の働き方改革』ヒロイン(2020年CBCテレビ) 全日本忍者選手権大会優勝、横浜マラソン完走、けん玉道7級など、女優業のみならず、多才な分野で才能を発揮している高田夏帆さん。「さんまのからくりTV」で一瞬ワイプに映ったことを契機に、芸能界へ進出。「人生何が起こるかわからない」ということをリアルに体感しているという高田夏帆さんに、話を伺った。 ■ごく普通の女の子だった学生生活  昔から明るく社交的で、常に笑っているような性格でした。運動神経がいいほうで、ドッジボールは最後までボールを避けて逃げ切れるような、お転婆で活発な女の子でした。小学校の頃はずっとリレーの選手だったこともあり中学校で陸上部に所属し、短距離走と走り幅跳びをしていました。同じグラウンドの隣で練習している野球部を横目にしながら、少し気になっている子を探すような普通の学生生活でしたね。高校では、学校の部活の中で一番厳しいといわれていたダンス部に所属し、先輩後輩の上下関係の重要さや15分前行動、報・連・相(報告・連絡・相談)の基礎を学びました。クラスも部活も同じ仲良しグループがいて、誕生日には、1人1つホールケーキを作って持ってきては、授業の10分間休憩にみんなで食べたりしていました。 印象に残っているのは文化祭です。おそろいのクラスTシャツを着て、推しの先輩と写真を撮るために行列に並ぶようなこともしていました。力を入れていたダンス部の発表では、私が登場した時、「かほちゃ~ん!」という先輩からのコールたくさんいただいて、「人生最大のモテ期かな?」と思ったほどです(笑)。高校時代から芸能活動を始めてはいたものの、こういった普通の学生生活を過ごせたのは、ある意味私の強みでもありますね。 ■人生が180度変わった一瞬のワイプ  芸能界に入ることになったのは、高校2年生の時。制服で友達と原宿を歩いているところで、『さんまのからくりTV』のインタビューに声を掛けられたのがきっかけです。これを機に、番組から出演のオファーがあり、ほかの女の子20人くらいと一緒にひな壇に座って出演したら、私が一瞬ワイプに抜かれたところをたまたま今のマネージャーさんが見て、スカウトしてくれました。スカウトを受けたときは、進路について悩んでいたこともあり、芸能界の道に進むには不安な部分も多かったです。しかし、事務所の方に当時大人気だったAKB48のコンサートに連れて行ってもらい、「芸能界ってこんな素敵な世界なの?」ととても感動し、芸能界に進むことを決めました。 芸能界に入った後、最初の頃はひたすらオーディションを受ける日々でした。そして、私の初めてのお仕事であり、レギュラー番組にもなったのがNHKの『Rの法則』です。この番組は、スタッフさんが愛をもって育てていた番組だったので、毎日がとても楽しかったです。現場には同世代の男女も多く、学生生活とはまた違った青春を送ることができました。今の高田夏帆がいるのは、『Rの法則』があってこそ。とても感謝しています。 ■みんなが楽しいと自分も楽しい  お仕事をしている上では、辛いことも大変なこともあります。でも、私の性格なのか、すべてを珍道中として楽しめてしまいます。たとえば、コロナ禍でお仕事が減ってしまったとき、どうやってプロ意識を保とうかを考えたとき、思いついたのが「メイク」でした。 そこで知り合いのヘアメイクさんやカメラマンさんに、インスタのDMで自分から連絡をして、撮影会を企画しました。自分からみんなに声をかけて動くことは初めてでしたが、それぞれがやりたいテーマやコンセプトを持ち寄って、みんなが好きなことができる場になって、みんな楽しそうでした。みんなが楽しいと自分も楽しい気分になれて、とても思い出に残る撮影会になりました。 ■理想を持たず、自分を信じて上を目指し続ける  日頃から、理想を作らないようにしています。なぜなら、「誰かになろう」と思ったところでなれないものだから。自分の良さは自分が一番よくわかっているので、何かにとらわれないようにしています。動きを止めると死んでしまうマグロのように、常に上を目指して、自分を信じていこうと思いながら過ごしています。 また、常に心掛けているのは、目の前のことを全力でやるというもの。たとえば、全日本忍者選手権大会での優勝や、横浜マラソンの完走、けん玉道7級の取得などは、全部最初はテレビの企画でお声がけいただいたからなんです。まったく未知の領域ではありましたが、根性と努力で乗り切れたのは、自分を信じて、全力で取り組んだおかげだなと思います。 ■次につながったときに、自分を誉めてあげる  ドラマ『恋より好きじゃだめですか?』でカープ女子を演じ、その数か月後に広島銀行のCMに起用された時は、とてもうれしかったです。他にもアーティストデビューをして、レコード大賞をいただいたりと、自分の仕事が次の仕事につながる瞬間がとても嬉しいです。 褒められることが多い世界なので、仮に「また一緒に仕事をしよう」と言われても、本当にそれが実現するのはほんの一握りです。だからこそ、次の仕事につながったときは、自分を褒められるようないい仕事だったんだなと思うようにしています。でも、「失敗だったな」と思うことがあっても、それを糧に目の前のことに全力で取り組んで、過去の反省が生かすようにしています。 ■若いうちは「自分はすごいんだ」と勘違いしてもいい 米米CLUBのカールスモーキー石井さんが「若さは“馬鹿さ”だ。いつ馬鹿になるの? 大人になると、常識に縛られちゃって世界を自分で狭めちゃう」とおっしゃっていて、その言葉がとても響きました。若いうちは、若さにひたひたに甘えて、走ればいいと思います。少しずつ大人になって色々なことに気づいてくると、怖くて動けなくなってしまうので。若いうちこそ、感謝とリスペクト、ユーモアさえ忘れなければ、「自分はすごいんだ」と少しくらい勘違いしてもいいんじゃないでしょうか。 学生新聞オンライン2021年2月16日取材 共立女子大学 3年 北之原真奈

芸能人

段文凝 私が目指すのは日中友好。そのために、今日も発信する

■プロフィール 中国・天津市出身。大学卒業後、天津テレビ局アナを経て来日。2011年4月よりNHK教育テレビ『テレビで中国語』にレギュラー出演。(2017年3月卒業) 2014年早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース卒業。現在、早稲田大学非常勤講師。NHK WORLDの番組出演、著作家、MC、舞台や映画など、女優としても活躍している。 11年前に来日して以来、タレント、社長、講師など幅広いジャンルで活躍する段文凝さん。いまもなお「日本と中国の友好」をテーマに発信を続ける彼女に、日本に来た理由や活動の中でのやりがい、そして日中友好に対する熱い思いを伺った。 ■内気だった子ども時代から一転、日本への留学を決意した大学時代  いまの私を知っている人には信じられないかもしれませんが、小さい頃の私はとても内気でした。どれほど内気かというと、人前に出ると、顔が真っ赤になって話すことができなかったほど。そんな自分自身のことを、当時の私は好きではありませんでした。そこで内気な性格を克服するために、大学では人前で話すことを仕事とするアナウンサーコースに進学しました。その大学生活を通して私の性格は、内気から一転し、とても外交的になります。いま振り返ってみると、私にとってこの大学生活4年間は、大切な期間でしたね。 性格が外交的になるにつれ、次第に外の世界を見てみたくなった私は、留学を決意します。どこに行くかを考えた際、頭に浮かんだのは日本でした。私の父が日本で仕事をしていた関係で、もともと幼少期から私は日本に親近感を持っていました。また、『ドラえもん』などのアニメが好きで日本の文化にも興味があったし、日本だと中国から距離が近くて家族が安心できるなどの理由もあり、私は日本への留学を決意しました。 そうして日本に来た私ですが、来日当初はどこの大学院に通うかも決まっていない状態。さらに言うと、来日時は日本語の勉強をしていませんでした。学校も決まってないし、言葉もわからない。そんな状態で知らない地で一人生きていくことに、当然ながら多少の不安はありました。しかし、それを圧倒的に上回ったのが、経験したことのないことに出会えるワクワク感です。そのワクワク感のおかげで、不安はどこかへと吹っ飛び、留学中はホームシックになることもありませんでした。日本の生活で辛かったことはほとんどありませんが、唯一苦手だったのはゴキブリです(笑)。天津のゴキブリは小さいし飛ばないですが、日本のゴキブリは、大きいし飛ぶ!初めて見た時は本当にびっくりしました。 ■「日中友好の架け橋」に私はなりたい  中国と日本という二つの国が好きだからこそ、私はずっと日中友好をテーマに掲げて活動しています。そして、自分自身が日本人と中国人を繋ぐ架け橋になりたいと強く思っています。まだまだ目標の途中ですが、活動のなかで、自分が架け橋として役に立ったと感じる瞬間は、達成感がありとても嬉しいです。例えば、私は早稲田大学で短期留学の引率をすることがありますが、学生さんから「留学を経験して、もっと中国のことを知りたくなったので、中国に長期留学することを決めた」と言ってもらえた時は、大きな達成感を感じます。他にも、いま中国語を勉強している人たちから、「段さんが昔出演していた『テレビで中国語』は、とても勉強になりました」と言われた時も本当に嬉しかったです。 日中友好をテーマに活動している私ですが、より深く日本と中国に関わりたいと考えた末、昨年6月に「Goodwill Pictures」という会社を設立しました。突然ですがみなさん、北海道のお土産と言われて何を思い浮かべますか?「パッと頭に浮かぶ有名なお菓子もたくさんあります。でも、北海道には他にも沢山の魅力的な商品があります。「Goodwill Pictures」では、日中友好の一環として、地方にある魅力的な商品を、中国と日本にネットで発信、販売しています。これからも日本のことを中国に、中国のことを日本に発信し、日中友好の架け橋になれるように活動を続けていきます! ■人のためではなく、自分のため  仕事をしていく中で、大変だと思ったこともたくさんありました。それでも活動を続けられたのは、誰かのためではなく、私自身が本当にやりたいと思うことをやっているからだと思います。私の親は医者で、私が跡を継ぐことを望んでいました。でも、私は親の跡を継がずに、日本に来てタレントとして活動しています。いまの私があるのは、親のために医者になるという選択肢を取らず、自分がやりたいと思うことを続けた結果です。 また、自分のやりたいことを続けることは、自分にとっての楽しみや続けるモチベーションへと繋がります。いま振り返れば、これまでの人生は「自分が楽しいかどうか」を基準に、仕事をしてきたようにも思います。そのおかげでいままで仕事を続けることができていると思いますし、いまやっている仕事も毎日とても楽しんでいます。 ■何をするにもモチベーションを大切に  生きていれば嫌なことが続く時もあります。そんな時は未来を信じ、諦めない心を忘れないでください。諦めたらそこで終わりです。いまがどんなにダメでも、自分のやりたいことを見つけ、やり続けること。そうすればいつか必ず報われる時は来るはずです。 ここからは中国語を学んでいる方へのメッセージです。「中国語は日本語と漢字が似ているから簡単なのでは」という理由で、中国語の勉強を始める日本人の方は多いです。しかし、途中で挫折してしまう人が多いのも、また事実です。この挫折は学校の単位のためだけに中国語を学んでいる人に起こりやすい気がします。「授業のため」以外に勉強するモチベーションを探してみてください。「『三国志』が好き」「中国人の彼女を作りたい」「現地で生活していくため」でも、モチベーションは何でもいいです。モチベーションさえあれば、どんなことでも続けることができます。私も日本で生きていくために日本語の勉強を頑張りました。辛い時期を乗り越えたら本当にいい景色が見えるはずです。大学生のみなさん、頑張ってください! 学生新聞WEB 2021年2月16日 法政大学1年 鈴木悠介

経営者

株式会社ココナラ 代表取締役社長CEO 鈴木歩

個人が社会と繋がるチャンスを提供する! ■プロフィール 早稲田大学法学部を卒業後、株式会社リクルートに入社し、HR・ブライダル領域での商品企画・営業、アドテク新規事業での事業開発を経験。その後、株式会社リクルートホールディングスにて海外経営企画として、グローバル・ガバナンス・組織体制検討、海外リサーチ、海外グループ会社サポートなどを担当。2016年5月よりココナラに参画。 スキルマッチングプラットフォームで圧倒的な知名度を誇り、今年3月に上場を果たした株式会社ココナラ。代表の鈴木社長は、学生時代からイベントの運営を通して、誰かの将来を後押しするきっかけづくりにやりがいを感じていた。ユーザーの反応を大切に現場の最前線で活躍する姿に迫る。 ■イベントの運営に注力していた学生時代 大学は途中からは最低限でしか通わず、イベント運営をメインに活動していました。もともとDJをしていて、1,2年生の頃は音楽サークルを作ったのですが、もう一段階飛躍したいという思いで、イベントを開催するようになりました。音楽イベントだけでは人が集めづらいので、ファッションショーやヘアショーとコラボしながら1000人くらいのお客さんを集客していましたね。 就活の時期になっても、目の前のイベントに夢中だったので、就活をしなくても特に焦りはありませんでした。しかし、周りがだんだんと企業に内定していく姿を見て、一度企業に入ってビジネス感覚をしっかりと身につけた方が良いのではないかと思い直すようになって。最終的には、自主留年をして就活をする道を選びました。大手を中心にいくつか受けたのですが、その中でも人生の選択肢を提供するリクルートは自分の価値観に一番合っていると思い、就職を決めました。学生時代のイベント活動でも、出会いの場を作ることによって誰かのキャリアの後押しができることにやりがいを感じていたので、後にできた「まだ、ここにない、出会い。」に象徴されるように、魅力的な事業を行っている会社だったので迷いはありませんでした。 ■ユーザーとの距離感が近く、手触り感のある仕事がしたい ココナラに転職したのは、丸10年リクルートで働いた後です。当時は、リクルートで海外の経営企画を担当していたんです。ニューヨークと日本を行ったり来たりしながらグローバル・ガバナンスの検討をするなど、刺激的で面白い仕事をさせてもらっていたのですが、ユーザーとの距離が近い事業の中で手触り感のある仕事をまたいつかやりたいなと思っていました。そんな時にちょうど、ユーザーオリエンテッドで自分の価値観に合ったココナラから声をかけていただいたので、初めての転職に踏み切ったんですよね。 ■小さな会社から上場企業へ成長 5年前は赤字で、このまま運営していったら1年後にはキャッシュが尽きるかもというスタートアップにはよくある状況でした。プロダクトを作るにしてもエンジニアの数が足りず、当時は無名だったので採用も大変でしたね。最初は個々の能力で成果を上げるプロ集団という感じだったのですが、 “one team for mission”というバリューを掲げて、今ではプロダクトと社員のビジョンが一致して、組織として一体感を持って前進できています。大変だったことも今振り返ると全てが今に繋がっている思い出深い出来事ですね。 マーケットプレイスは、取引が発生して初めてスタートするので、立ち上げ時はマッチングしやすいようにあらゆる変数を減らしてスタートさせました。例えば、場所や時間の変数をなくすためにオンライン上での取引に限定したり、価格もワンコイン一律にして購入時のハードルを下げたりするといった工夫です。その後、段階的に価格帯やカテゴリーを増やしていって、今では40万件のサービスと、270万件のレビュー数があり、価格帯は500円から100万円まで出品可能な大きなプラットフォームにまで成長しました。このレビュー数の多さは、目に見えないサービスに対する信頼と安心に繋がり、ユーザーを引き込む一因にもなっています。 ■個人が社会と繋がるチャンスを提供する会社 何かを頑張りたいと思ったときにそのチャンスすらないのは不幸せじゃないですか。必ず成功を約束できるわけではないですが、自分が社会と繋がって頑張りたいと思ったときに、そのバッターボックスに立てる状態をつくりたいという思いがあります。 ココナラはスキル、知識、経験の領域においてホリゾンタルにあらゆるカテゴリーを扱っているという点が一つの強みだと思います。最近ではWEBサイト制作、デザイン、動画制作といったビジネス系のサービスの取引が伸びており、よりビジネス利用の信頼性を担保していく機能開発に力を入れていきたいと考えています。ゆくゆくはサービス版のAmazonとして、“誰かに何かをお願いしたいと思ったときはココナラ”といった信頼あるブランドに成長していきたいですね。 ■現場の最前線で行動 自分自身は本来けっこう適当なタイプだと認識しているので、だからこそ仕事上は計画的に行うように意識していて、今後の施策もあらかじめ常に細かく300近くリストアップしたりしています。普段から現場のメンバーともよくコミュニケーションは取っていて、気軽なディスカッションの場などは毎日たくさんあります。仕事をする上での楽しさも、ユーザーとの距離の近さにあります。プロダクトや機能をリリースしたら、良いも悪いも直接フィードバックを貰えるという点にやりがいを感じますね。 ■ビジョンに共感し、オープンマインドな人と働きたい 一緒に働くうえで一番大事なのはfor missionであることですね。 “一人ひとりが『自分のストーリー』を生きていく世の中をつくる”というビジョンに共感してくれる人と働きたいです。また、社風から言うと、率直でオープンなコミュニケーションが取れる人ですね。「こういう社会をつくりたい!」というビジョンドリブンで動けるひと、そして本音をその場でしっかり伝えて議論をした上で前へ進める人がいいですね。 ■message 学生時代は自分に自信を持つこと、自信を持てるようにアクションを取ることが大切です。100回失敗しても、それは次の成功の糧になると思うので何回でも挑戦して1つでも成功体験を積めると良いですね。社会に出たらイレギュラーな出来事もたくさんありますが、一歩足を踏み出す原動力は経験に基づく根拠のない自信だったりするので、学生時代の頑張りに立ち返って自信を取り戻せるような経験をしておけると良いと思います。 学生新聞オンライン2021年3月31日取材 国際基督教大学 4年 鈴木菜桜

山本真人

さんだる

「楽しくお笑いをしている」と思われるような芸人に。 ■プロフィール 2013年結成。2019年第1回ツギクル芸人グランプリ決勝進出、キングオブコント2019準決勝進出、2020年キングオブコント2020準決勝進出。2021年はNTV「ぐるナイおもしろ荘2021」に出演、5月30日には単独ライブを開催。ラジオアプリGERA「さんだるのぴよぴよさんだる」(毎週月曜日更新)に出演中。 同じ養成所に入ったことをきっかけに結成されたお笑いコンビ「さんだる」。結成当初から出場し続けた「キングオブコント」で、準決勝に2年連続進出。今年、800組を超える芸人の中から選出され、テレビ番組『おもしろ荘』にも出演を果たした、お二人の理想の芸人像とは? 現在に至るまでの経験や思い、これからの展望と共に伺った。 ■学生時代から芸人を目指していましたか? 宗:全く考えていなかったです。高校の文化祭で漫才をやったことはあるんですが、中学・高校のときはお笑い番組をほとんど観ていなかったです。でも、大学進学後に、『ダウンタウンのごっつええ感じ』や、ジャルジャルさんなどのお笑いDVDをよく見るようになり、「俺がやりたかったのはこれだ!」と思ったんです。 堀内:僕は反対に、小学生から芸人になることが夢で、卒業文集にも「芸人になりたい!」と書いていたほどでした。そのころから、お笑い番組やネタ番組を相当観ていましたね。特に、『めちゃ×2イケてるッ!』と『内村プロデュース』を観ていて、「芸人さんはふざけてお金をもらえていいなぁ。楽しそうだな。自分も出たい!」と思い、いつからか芸人という仕事を目指していました。 ■お二人が出会ったきっかけや、選んだ理由は何ですか? 宗:お笑い養成所で、同じクラスだったのがきっかけです。クラスの中で、これから一緒にお笑いをやっていく人を探すわけですが、僕には条件がいくつかありました。それは、「年が近いこと」「東京出身であること」です。なぜ「東京出身」という条件を出していたのかというと、さまぁ~ずさん、おぎやはぎさんたちのような東京出身の先輩方に続けという想いがあったからです。また、僕自身、ナインティナインさんみたいに「若いころから売れたい」という思いがあって、できればキレイ目な人と組みたかったので、これらの条件の整っていた堀内ともう一人(のちに脱退)と一緒に、トリオとして「さんだる」を結成しました。 堀内:養成所で最初に自己紹介や一発芸をやるのですが、その後、宗ともう一人のメンバーの3人で、「誰が面白くなかったか」という話を3人でしていて、同じ人を挙げたことをきっかけに仲良くなりました。感受性が近かったのだと思います。僕は、「友達として仲良くなれる人とやりたい」と思っていたので、2人とは養成所時代から楽しく過ごせたのも、よかったんだろうなと思います。 ■印象に残っている仕事はありますか? 宗:印象に残っているのは、「キングオブコント」で初めて準決勝の舞台に立ったときです。「さんだる」はずっと「キングオブコント」に出続けているのですが、結成して6年目までは毎年1回戦敗退でした。挑戦し続けた大会で、準決勝に立った時、その舞台に立つ前までわからなかった感覚や手ごたえを感じられて、「もうひと頑張りしなきゃ」と思ったのを覚えています。 堀内:僕も印象に残っているのは「キングオブコント」ですね。ただ、準決勝に進出したときではなく、その前の年の2回戦での舞台が印象に残っています。今までは「キングオブコント」の舞台でウケたな……手ごたえを感じたことはなかったのですが、初めて凄くお客さんの反応がよくて、強い手ごたえを感じて、ものすごく興奮しました。結局、その年は準々決勝で敗退してしまいましたが、今もその年の2回戦でやったネタはとても大事にしています。 ■ネタはどうつくりますか? 宗:基本は僕が考えています。まずは、ネタの設定だけを相方に伝え、相方も面白いと言ったら、本格的に作りだします。僕は、面白いネタは言葉で伝えた時点で既に面白いと思っているので、相方に設定を伝えて「面白くない」と言われたら、「このネタは50%の人が面白くないと思っているんだな」と考えて、使いません。ネタ作りの際は、自分から意識して「ネタを考えよう」と思った際に生まれたことは1度もないです。映画やドラマなどのほかの作品を見ていて、ふとした瞬間にアイディアが出てくるんです。 ■苦労していることはありますか? 宗:最近、ネタ番組に出演させていただく機会が増えているのですが、その中で感じるのが、コントを中心にやる芸人ならではの難しさです。漫才師は、その芸人自身として舞台に立ちますが、コント師はネタの中の役を演じて、お客さんを笑わせます。しかし、トークするときは芸人本人としてコメントしなければならないので、ネタの中で演じた役の枠から出ることになります。ネタ中とその後のトークでキャラに落差があってはいけないと常々思っているので、この「コント中」と「トーク中」のキャラクターの出し方については、本当に難しいですね。 ■今後の目標やチャレンジしたいことはありますか? 宗:まずは、キングオブコント決勝に進出したいです。あと、僕は映画に出たいですね。ネタは、面白い時期を過ぎると後で見ても笑えないことが多いですが、映画は長い間残ります。エンドロールに自分の名前が載るのが夢ですね(笑)。ちなみに、僕たちのネタで『孤独のグルメ』をモチーフにしたものがあるので、ぜひ『孤独のグルメ』に出演させていただきたいと思います!あとは、単独でもおもしろいと思われる芸人になりたいです。僕たちは、ネタをメインにやってきているのですが、バナナマンさんのように一人ひとりが単独で活躍しても面白いと思われる芸人さんに憧れます。最終的には、「あの人たちは、普通にまったりと話をしているだけで面白いよね」と思ってもらえるような芸人にもなりたいですね。あとはもちろん、ずっと楽しくお笑いをしている芸人でありたいと思います! ■message 宗:芸人をやっていて、様々な知識が必要だということを痛感します。これは芸人だけに限られたものではないと思います。どんなことでも「これやっていてよかった」とふと思うことがあるので、やるかやらないかで迷ったら、確実にやる方を選んだ方が楽しいと思います。 堀内:僕は小学校のときから芸人を目指してきたので、大学に進学することは考えていなかったです。しかし、今思えば、退路を断って「これしかなれない道」を歩むよりも、様々な選択肢の中で選んだ道に進んだ方がいいと思います。大学生を楽しみながら、親を大切に、感謝して過ごしてほしいですね。そして大学生の皆さんが、僕たち「さんだる」を見て、楽しんでほしいと思います。 学生新聞WEB 2021年2月15日取材 明治大学2年 山本真人 <さんだる単独ライブ> 【タイトル】さんだる単独ライブ③すりっぽん 【日程】2021年5月30日(日) 【会場】渋谷ユーロライブ 【時間】開場14:30/開演15:00 【チケット】前売・当日とも¥2500 【チケット販売フォーム】チケット購入は TIGETにて https://tiget.net/events/126904

大学理事長・大使館

セルビア共和国 イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ在京セルビア大使館...

プロフィール イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ 在京セルビア大使館臨時代理大使 1970年9月1日生まれ。 ベオグラード出身。ベオグラード大学法学部卒業。 英語、フランス語、ロシア語を操る。 経歴 1998年 ユーゴスラビア連邦外務省三等書記官 2004年~2007年 在クロアチア・セルビア大使館一等書記官 2008年~2010年 セルビア外務省分析課参事官 2010年~2014年 在キプロス・セルビア大使館参事官 2014年~2018年 セルビア外務省儀典局特権免除課長公使参事官 2018年9月 在京セルビア大使館公使参事官 2020年7月 在京セルビア大使館臨時代理大使(現職) バルカン半島の中心に位置する国、セルビア共和国。今回は、品川にある大使館にお邪魔して、イヴァナ・ゴルボヴィッチ・ドゥボカ在京セルビア大使館臨時代理大使にお話しをお伺いいたしました。 ■セルビアについて 一般情報 セルビア共和国は民主主義国家です。長い歴史と偉業によって近代国家が築かれました。セルビアには、ヴォイヴォディナとコソヴォ・メトヒヤという2つの自治州があります。人口は約900万人、首都はベオグラード。ベオグラードは行政、経済、文化の中心地で、人口は約160万人です。 地理・面積・気候 セルビアはバルカン半島の中心に位置しており、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝地となっています。面積は約8万8361平方キロメートルで、北海道より少し広いくらいです。標準時は中央ヨーロッパ時間(CET)です(日本との時差はマイナス8時間。サマータイム時はマイナス7時間)。気候は穏やかな大陸性気候で、日本と同様に四季があります。 民族 激動の歴史を辿ってきたセルビアの民族構成は多様性に富んでいます。住民の大部分はセルビア人ですが、他にも37の民族が存在します。すべての民族に自由と平等の権利が保証されています。 スポーツ セルビア出身の有名スポーツ選手は、なんといっても、男子プロテニス選手のノバク・ジョコビッチ選手です。他にも、サッカー、バレー、バスケット、水球など、世界で活躍する選手を次々と輩出しております。リオ五輪では8個のメダルを獲得しました。 参考:セルビア共和国大使館HP ■臨時代理大使のこれまで 臨時代理大使は、ベオグラード大学法学部に入学しました。当時、特にヨーロッパは情勢が不安定で、先行きの見えない時代でした。そして在学中の1989年、ベルリンの壁が崩壊しました。この出来事が世界に与えた衝撃は大きく、自身の「平和主義」「コミュニケーションを大切にしたい」という価値観の形成にも大きな影響を与えました。卒業後、始めは裁判官として働いていました。しかし、「社会を変えたい」「社会に貢献したい」「国をよくしたい」という強い気持ちを実現するには外交が一番の近道だと考え、外務省に入省。現在、外交官としてのキャリアは25年目で、これまで政治、経済、文化などの分野をご担当されてきました。来日したのは2年前で、日本が初のアジア赴任地。日本の印象は「とても美しい国。特に自然の美しさは世界に類を見ないほど」とのことでした。 ■国民性 ーセルビア人と日本人の違いについて教えてください セルビア人は日本人と比べるととても陽気です。それに大らかですね。熱心で、目標に向かって行動する場合、全力で取り組む傾向があります。共通するのは、家族や伝統をとても大切にしていることですね。 ―セルビアと日本の関係について教えてください セルビアと日本は固い友情で結ばれています。セルビア人は日本が好きで、親日家がとても多くいます。今から139年前にセルビアのミラン・オブレノヴィッチ国王と明治天皇が親書を交わし、両国の友好関係が始まりました。長きにわたる友情をとても誇らしく思います。 ■職務 ー大使館でのお仕事について教えてください。 大使館業務はとても幅広く、多忙を極めます。セルビアと日本の関係強化のために、日本の外務省を中心に各省庁との連携を深めています。ほかには在日セルビア人の保護、セルビアの文化や観光の宣伝活動なども重要な公務です。セルビアの外務省との情報交換も大切な仕事ですが、時差は8時間(夏季は7時間)もあるので、やり取りをうまく調整する必要があります。ユーゴスラヴィアの時代から過去の大使が育んできた日本との友情を維持するべく、全身全霊で公務を全うしたいと思っています。 ■パンとラキア ー「フランス人ならチーズとワイン」、「ドイツ人ならソーセージとビール」といったように、セルビアにも、「これを食べてこれを飲めば仲良くなれる」といったものはありますか? セルビアは美しい自然、温かくおもてなしの精神を持つ人々、そして東洋と西洋の特徴を併せ持つおいしい料理を味わうことができる国です。また、古代ローマ時代から生産が続く高品質のワインも楽しめます。中でも果物の蒸留酒「ラキヤ」は特産のプラム、アプリコット、ぶどう、洋ナシなどを原料としており、セルビアの国民酒と言えます。アルコール度数は、製法にもよりますが、40度~60度と非常に高いです。「ラキヤ」は健康に良い影響を与え、気分を高揚させてくれます。 主食はパンで、日常的に食べられます。一方で友情の証でもあります。大切な行事では円形のパンを用意し、友人らと引きちぎるという古い習慣が今でも残っています。また、来客の際は歓迎の表れとして玄関先でパンと塩を提供する習慣もあります。 ■読者に向けてメッセージをいただけますか いつかセルビアを訪れていただき、私たちの国土、人々の魅力を肌で感じてほしいです。セルビアの地形は変化に富み、自然美を堪能できます。セルビア人はとても友好的で温かな人たちが多いです。セルビアに到着したら、まずは首都のベオグラードをお楽しみください。古い歴史を持ち、至る所に公園があります。中でもドナウ川とサヴァ川の合流地点にあるカレメグダン要塞公園はおすすめです。 セルビア中部のシュマディヤ地方、西部のタラ山脈国立公園と保養地のズラボティボル地方も外せません。この地域には「ドゥルヴェングラード」と呼ばれる有名な観光スポットがあり、毎年多くの人たちが押し寄せます。ここはセルビア人映画監督のエミール・クストリッツァ氏が手掛けた観光地としても知られており、大自然に囲まれながらゆったりとした時間を過ごしたり、セルビアの伝統文化を学んだりして、丸一日楽しむことができます。 ほかにも、13~14世紀の中世セルビア時代に建てられた教会や修道院が今でも残っており、ユネスコの世界遺産に登録されています。皆さんのご訪問を心よりお待ちしております。 学生新聞WEB2020年11月16日取材  慶應義塾大学4年 小川淑生 津田塾大学2年 宮田紋子/慶應義塾大学4年 小川淑生/東洋大学1年 濱穂乃香/津田塾大学3年 川浪亜紀/慶應義塾大学1年 伊東美優

宮田紋子

GENIC(ジェニック) 夢を「与えられる側」から「与える側」へ。

■プロフィール avexのDNAを継承する新ダンス&ボーカルグループ育成プロジェクト=a-genic PROJECT(エイジェニック・プロジェクト)から選ばれた男女7人。2019年結成。2020年5月に1st Album『GENEX』でメジャーデビュー!西澤呈 / 小池竜暉 / 宇井優良梨 / 増子敦貴 / 雨宮翔 / 西本茉生 / 金谷鞠杏 日本の音楽シーンをリードしてきたavexから、そのDNAを継承する男女7人組のダンス&ボーカルグループとして誕生したGENIC。異なる経験、武器、バックラウンドを持つ7つの個性が重なり合うことで、どんな化学反応が生まれるのか。そんな彼らの軌跡と最新曲「春うらら」、そして今後の展望について伺った。 ■みなさんがこの業界に入ったきっかけを教えて下さい。 西本茉生(リーダー)歌は物心ついた時から好きで、音楽番組はテレビにかじり付くように観ていました。ダンスを始めたのは、中学生の時に先輩に誘われたのがきっかけ。高校へ上がった時には、友達がダンスオーディションに応募してくれて(笑)。気づいたら今に至っています。 小池竜暉昔から生粋の音楽好きではありましたが、小学校までの夢は料理人でした。その後、歌に強い興味を持ったのは、親の影響でライブに行くようになってからです。次第に、「今度は自分が歌を通じて、人を感動させる側になりたい」と歌手を目指すようになりました。 西澤呈物心ついた時から勉強は苦手だけど、マイケル・ジャクソンが好きな子どもでした。彼がステージに登場しただけで、多くの人が惹きつけられていく。その姿を見て、「ステージの力ってすごいんだな」と憧れを持ち、この業界を目指しました。 増子敦貴僕は小さい頃からサッカーが好きで、高校はサッカー推薦で進学したほどでした。とはいえ、プロになりたいという気持ちもなく、「卒業後は “普通”に働ければいいかな」とすら思っていました。でもある日、いわゆる運試しでオーディションに応募してみたんです。そうしたら、受かってしまって(笑)。それがきっかけで、音楽やダンスを好きになっていきました。 金谷鞠杏私はもともとCAになりたかったんです。でも小学校6年生の時、好きなモデルさんと一緒に雑誌に載れるという企画を見つけて。一種の縁を感じて応募してみたところ、グランプリを受賞することが出来たんです。これをきっかけに、今度は「ランウェイに出たい!」とモデルを目指すようになりました。しかし、東京へ遊びに来ている時にavexさんからスカウトを受けたことで、夢がダンス&ボーカルへと変わっていきました。 宇井優良梨ダンスは小学校1年生の頃から習っていて、6年生になったときに、オーディションでavexさんに「ダンス&ボーカルをやらないか」と声をかけてもらいました。歌も幼少期から好きではあったんですが、仕事にしたいとまで思うようになったのは、a-genic PROJECTがきっかけでした。 雨宮翔ダンスは3歳頃からやっていました。そして、5歳の時には、「将来的にダンサーになりたい」とまで思うようになっていました。きっかけは先輩であるAAAさんのライブを観て憧れを抱いたことです。 ■やりがいになっていることはなんですか? 金谷鞠杏この業界へ入ったのも、誰かに元気や勇気、そして夢を与えられてきたから。今度は自分たちがそれをファンの方へ還元し、心の支えになっていく。これにはとても大きなやりがいを感じています。 西本茉生やはりファンの方の存在です。ライブでのお客さんの反応や僕らの反応、両方のエネルギーによる相乗効果で創り上げていくものです。そのため、同じセットリストであったとしても、ライブごとに色も変わります。僕らにとってもお客さんはとても大きな存在なんです。 西澤呈SNSは場所を越えてコミュニケーションがとれるので、ファンの方から頂く様々なメッセージは、どれも嬉しいし、励みになります。 宇井優良梨特に感動したのは、以前いただいた「GENICになってくれてありがとう」という言葉。この言葉を思い出すたびに「GENICとして活動出来ていることが当たり前ではない」と感謝するようにしています。 ■活動していて辛かったことはありますか? 小池竜暉実は僕らはみんな、過去に別のグループを組み、解散をするという苦い経験を味わってきています。当時はつらいと感じましたが、乗り越えた先にこのメンバーと出会えたからこそ、今になると「苦労も苦労じゃなかった」と思えます。みんな、これまで培ったものを糧に「このステージに立ちたい」か大きな目標の達成に向けて、どんな逆境でも乗り越えてやるという強い気持ちを持っています。 ■メンバー同士についてはどう思われていますか? 増子敦貴運命共同体ですね。ファンの方々との約束を達成しようという強い思いがあるグループです。 西本茉生最初は、お互いに探り探りなところもありました。でも今となっては、メンバー同士で深い話も腹を割ってする仲です。やっぱり7つも頭があると、意見のぶつけ合いになることは多々あるんですよね。それでも、良いものは良いと素直に認め合い譲り合うことで、最終的には折衷案を見つけ出すことが出来ます。ここ一年半で急速に仲が深まったのも、こうした率直な話し合いのおかげです。あとは鞠杏と翔がたまに喧嘩していますが、それは戯れあいの一種ですね(笑)。 宇井優良梨男女混合というメンバー構成なので、パフォーマンス上、女子が男子の力強さに合わせていくという難しい点もあります。でも、混合ならではの表現で奥行きを出せる点は、強みですよね。 ■新曲の「春うらら」の注目どころを教えて下さい! 小池竜暉この曲は4月から放映中のアニメ『フルーツバスケット』The Finalのエンディングテーマソングです。決まった時は嬉しかったですね。作品のテーマである友情や助け合い、その中で生まれる恋愛模様に加えて、自分たちの想いも入れて歌詞を書きました。春らしさを表現した1曲になります。 西澤呈アニメとリンクして聴いてほしい一方、知らない人でも現在新生活を味わっている方や夢に向かって挑んでいる方にも、強く突き刺さる1曲だと思います。あとは恋愛のモヤモヤを抱えている人が聴くと、心がスッキリするかもしれません。 西本茉生僕の推しのフレーズはサビや歌い出しの「歩いてきた道、間違いじゃないよ」の一節ですね。 ■今後、挑戦してみたいことはありますか? 西本茉生7月から始まるファーストツアーが目前に迫っています。初ツアーに向けて、今の高まっている気持ちをさらにパワーアップさせ、準備満タンにしていきたいです。 金谷鞠杏プライベートでは、休日に全員で集まって遊んでみたい! 例えばディズニーランドで思い出作りがしたいですね! ■大学生へのメッセージ 西本茉生大学生になると今までに比べて自由度が増すため、自制心が試されてくるのかなと思います。遊ぶ時はとことん楽しんで、しっかり勉強する時はする。こうしたメリハリを大切に、楽しい4年間を過ごして頂きたいです。そして、これはグループ名にも込めているのですが、みなさんの日常生活における喜怒哀楽に僕らGENICが少しでも彩りを与え、寄り添っていけたらいいなと思います。なので、良かったらGENICの曲を聞いてみてくださいね! 学生新聞オンライン2021年3月3日取材 津田塾大学 2年 宮田紋子 DIGITAL RELEAS 「春うらら」 TVアニメ「フルーツバスケット」The Finalのエンディングテーマ。春の訪れにぴったりなミディアムバラードで、「友情」や「これからのスタート」などを歌った前向きな気持ちにさせてくれる内容で、「フルーツバスケット」のキャラクターたちの前進しようとする姿を後押ししているかのような温かさを感じさせる楽曲となっている。またメンバーの小池竜暉と西澤呈が共作で作詞に参加し、心の揺さぶられる”春”に強く背中を押せる様に、という思いが込められている。

学生新聞インターン

国際博覧会担当大臣・内閣府特命担当大臣 井上信治

政治家は天職。良い国を作り、多くの人を幸せに 国際博覧会担当大臣・内閣府特命担当大臣 井上信治(いのうえしんじ) ■プロフィール 1969年10月7日生まれ。学習院初等科、開成中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学修士課程修了。国土交通省・外務省勤務後、衆議院議員当選。環境副大臣、内閣府副大臣、衆議院内閣委員長、自民党団体総局長、副幹事長、青年局長等を歴任。科学技術、イノベーション、宇宙、健康・医療、消費者及び食品安全、クールジャパン戦略、知的財産等を担当。自由民主党衆議院議員(当選6回)、東京25区(青梅市・昭島市・福生市・羽村市・あきる野市・瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村)選出。趣味はお祭り、マラソン、温泉巡り。好きな言葉は「初心忘れるべからず」。 ■政治家を目指すきっかけは良い仲間に出会えたことがきっかけです。中学3年生のころ、友人と一緒になってこれからの日本や世界のこと、自分たちの夢について語り合っていました。皆と話し込んでいるうちに、「一度しかない人生、世の中のためになることをしたい、困っている人を助けたい、多くの方を幸せにしたい!」と思うようになりました。そのとき、良い国を作ればより多くの人が幸せになれると気づき、志高く政治家になろうと思ったのです。大学卒業後は国土交通省に入省しましたが、34歳のときに立候補し、政治家になることができました。中学生時代からの夢がかない、政治家は天職だと思っています。初心を忘れず、一生懸命、良い国を作ろうと頑張っております。 ■大臣として仕事のやりがいは国会議員を17年間続けてきて、一番印象に残っているのは3年間就任した環境副大臣です。当時、私は福島の原発事故、除染問題の担当をしておりました。私はまず地元住民の方との関係を構築することが最優先だと考え、何度も現地へ足を運びました。当初は政治に不信感を持つ方もいましたが、話を聞いているうちに、「あなたが絶えず私たちのところに来て話を聞いてくれるので感謝している」と言って、心を開いてくれるようになりました。この瞬間、人とのつながりこそが「政治の原点」だと再認識しました。2020年9月から国務大臣に就任し、現在は科学技術、宇宙政策、健康医療政策や2025年開催の大阪・関西万博を所管しております。新型コロナウイルス感染症で大変な状況が続きますが、科学技術行政は、いわば未来を切り開く素晴らしい仕事で、夢とロマンのある仕事を任せていただけたと思っております。大臣としての仕事は影響力があり、責任も重く、緊張感もありますが、今の仕事に大変やりがいを感じております。 ■大学生へメッセージをお願いします一生に一度しかない自由で貴重な時間だからこそ、思いっきりいろいろなことをするのが良いと思います。自分のビジョンが明確な人は少なく、悩んでいる人も多いと思いますが、たくさんのことをやるなかで、これが面白い、楽しいと感じるものを、失敗を恐れずにやってほしいです。そして2025年、大阪・関西万博はこれからの未来を見せる万博なので、若い人にぜひ来てほしいと思っています。 学生新聞2021年4月1日号より(日本大学3年 辻内海成)

中高生新聞

中条あやみ 今の自分が限界じゃない、だからこれからも挑戦し続ける

■プロフィール 1997年2月4日生まれ。大阪府出身。 2011年に「ミスセブンティーン2011」グランプリを受賞し、 雑誌「Seventeen」の専属モデルとして活躍後、さまざまな映画、 ドラマに出演。 2018年には、映画「チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで 全米制覇しちゃったホントの話〜」で第41回日本アカデミー賞新人賞を受賞。 現在ドラマ「君と世界が終わる日に」(2021年1月17日より放送)に出演中。 1月よりテレビ「ぐるぐるナインティナイン」「グルメチキンレース ゴチになります!」のレ ギュラー出演も決まる傍ら、雑誌「CanCam」の専属モデルなど、幅広く活躍中。 14歳で芸能界デビューした後、モデル・女優として活躍し、今年は地上波GP帯初となるゾンビアクションドラマに出演する中条あやみさん。なぜこの業界に足を踏み入れたのか、仕事の魅力は何なのか、この作品にはどのような思いで挑んだのか、自らの女優としての思いを伺った。 ■限界も100点満点もない世界、だから常に追求する  最初は、14歳の時に家族で行ったグアム旅行でモデルとしてスカウトされたことがきっかけでした。2011年にファッション雑誌「Seventeen」のオーディションに応募して、専属モデルとしてこの業界に入りました。女優業は、当時Seventeenのモデルの中に武井咲さんや広瀬すずさん、広瀬アリスさんがいて、既に女優として活躍されている方が周りにたくさんいたことに刺激を受け、足を踏み入れました。 今続けることができているのはある飲料のCMがあったからです。このオーディションを受けてダメだったら、今後のお仕事も考え直そうと思っていました。でも採用していただき、初めて自分を必要としてくれていることを実感でき、そこから仕事の幅が広がりました。 CMに出演していたとき、女優というお仕事はすごく体力と忍耐力が必要なんだと感じました。季節とは関係なく撮影があったり、飛んだり走ったりと、やってみて初めて苦労がわかりました。今でも新しい作品や現場に入るときはすごく緊張しますし、失敗することも何回もあります。しかし、絶対に限界も100点満点もないお仕事だと思っています。どうしたらより上手になるか、より楽しくできるか、常に追求することができます。そこがこの仕事の魅力であり、やりがいだと思います。女優というお仕事は特殊で、自分とは違う人になることで、何回も現実の自分とは別の人生を味わうことが出来るのも、大きな魅力だと思います。 ■今回のドラマ出演は貴重な体験でした  今回のドラマは地上波GP帯初のゾンビアクションドラマです。正直、最初に聞いたときは今までのドラマにはない強烈な内容であり、これはキャストが一体となって頑張らないと、と気が引き締まりました。 演じる上で特に難しかったのは、サバイバルな環境の中で、周りには大量のゾンビがいる極限状態を演じなくてはいけなくて、普段の生活からはかけ離れており、メンタル的にも役に入り込むことがとても難しかったです。 この作品に入る前にゾンビ映画も多く見て、自分でもあれこれと想像もしてみたのですが、実際はどのぐらいお風呂に入ってないのかとか、最後のご飯は何にするんだろうとか、いろいろと考えさせられることが多く貴重な経験でした。でももし私がその世界におかれてしまったら、ドラマのように長く生き延びずに早々にゾンビにやられてしまうと思います。 このドラマの見所は、もちろんゾンビアクションドラマですので、ゾンビが襲って来るというスリルもあるのですが、登場人物一人一人が今後この世界でどのようになってしまうのかなど、ミステリー要素にもぜひ注目していただきたいです。極限状態におかれた人間がどのような行動をするのか、本当に恐ろしいのはゾンビではなく人間ではないのかなど、他のゾンビ映画とは一味違ったすごく刺激的な作品になっています。 また、竹内涼真さん演じる間宮響(まみや ひびき)と私が演じる小笠原来美(おがさわら くるみ)が今までの平穏で幸せな生活から一転、極限状態の中で会えそうで会えないという、もどかしいラブストーリーも見所です。 ■悔いのないように、日々挑戦して欲しいです  今はコロナによってできることが制限されている状況ですが、自分に合っていないと感じることがあったり、自分に適していない環境であるならば、それらを探すために海外でもなんでも挑戦するべきだと思います。世界はとても広くて、自分の限界を決めつけずにチャレンジしてください。私も今までモデルのお仕事で海外の方とご一緒させていただくことはあったのですが、女優のお仕事ではありませんでした。でも、海外に好きな監督もいるのでぜひご一緒にお仕事ができるよう、英語にも今まで以上にチャレンジしていこうと思っています。 それとこのドラマのような状況もまさにそうなのですが、いつ自分がどうなるかなどわかりません。だからこそ一日一日を後悔しないように生きて欲しいと思います。学生という時間は今しかありません。二度と帰ってくる時間ではないからこそ、悔いのないよう精一杯楽しんでください。 学生新聞別冊2021年4月1日号 早稲田大学3年 原田紘志 日本テレビ×Hulu共同製作ドラマ『君と世界が終わる日に』 プロポーズ直前、トンネル事故に遭い閉じ込められてしまった青年・間宮 響(竹内涼真)。命からがらトンネルを脱出すると、世界は一変。荒れ果てた街並み、おびただしい数の遺体、街をさまよう“ 生ける屍”たち…。最愛の恋人、来美(中条あやみ)と再会し、絶望的状況を生き抜くことができるのか⁉ Season2はHuluオリジナルで毎週日曜日に新エピソードが配信。 写真撮影:プロカメラマン 広田成太 <英文記事> Ayami Nakajo  I am not limited now, so I will keep challenging  ■Profile: Born 4 February 1997, in Osaka. She has appeared in various films and dramas after winning the Miss Seventeen 2011 Grand Prix 2011 and becoming an...

DX・WEBマーケティング

パナソニック株式会社 コンシューマーマーケティングジャパン本部 デジ...

DX化で進化するお客様との接点 パナソニック株式会社 コンシューマーマーケティングジャパン本部 デジタル戦略担当 木田実(きだみのる) ■プロフィール 1992年新卒で松下電器産業株式会社(現 パナソニック株式会社)入社。北海道地区営業、ネットワーク事業の企画開発部門を経て、2008年より国内家電商品のWEBマスターとして、デジタル顧客接点の改革に取り組む。現在はB2C商品の国内向けデジタルマーケティング企画など組織内横断的な仕組みづくりを担当。消費生活アドバイザー。 日本を代表する企業、パナソニックにおいて、デジタル技術やデータを活用し、商品やサービスにとどまらず、自社の事業構造の変革までを視野に入れ、市場における優位性を追求する部署で活躍する木田さんに、各種メディアを通じた価値の創造について伺った。 私が担当しているのは主にBtoC向けの家電商品のウェブサイトです。「宣伝」は創業以来、当社で重要な位置付けとされています。パナソニックの創業者、松下幸之助はこういう言葉を残しました。「伝わらなければ存在しないのと同じ」。ある商品で世の中が便利になるならば、それを広く早くお伝えすることは社会に対する義務だということです。私たちの仕事の基本です。当社の商品サイトは規模が大きく、各サイトの企画担当者に制作会社の方を加えると数百人が関わっています。この数百人に同じ価値観でサイト作りをしてもらうために新しいシステムを導入し、テンプレート方式を取り入れました。どのサイトを訪問しても基本的に同じ操作感、体験価値が得られます。例えばサポート情報のボタンは全ての商品サイトで同じ位置に置き、トラブルでお困りのお客様がパッと目につくように配慮しています。またこうした「型」の統一が、データの適切な発見、生成へとつながります。お客様のサイト上の行動分析は、現在はページ単位で行いますが、次第にページ内の要素単位に分解するなど、細分化し活用しています。 ■デジタルとパーソナライズ化の重要性現在のお客様の各メディアの接触状況ですが、テレビの比重が下がる一方、スマートフォンの利用時間の伸びが著しく、メディア接触時間は増加しています。しかし投下できる宣伝コストには限界があるため、企画ごとの重要度を判断し、投資を適切に配分、設計していく必要があります。デジタルコミュニケーションが中核ですが、全部デジタルにするのではなく、リアル接点とセットで設計することも大切です。今は、以前のような大量のマス広告からシフトし、いかにお客様一人一人に「私だけの情報だ」と思っていただけるかが重要になりました。こうしたパーソナライズ化を含め、コミュニケーションはデジタルトランスフォーメーションを一番必要としている分野と言えるでしょう。 ■組織の質を高め、お客様に最大の価値を提供大量のデータと最新のシステムだけでは良い企画は生まれません。重要なことは「仮説」です。今日の気温が20度として、それが暖かいか寒いかを語るとき前日や平年など他の日と比較しますよね。気温の数字自体には暖かいとか寒いということを示す意味はないからです。同様に、データの数字に意味を持たせるためには何かとの比較が必要です。過去の事実や限られたデータから推定される比較対象が「仮説」です。「仮説」は思い付きでなく論理的に導き出す必要があります。担当者がデータをもとにした仮説構築のスキルを上げられるよう、デジタルマーケティングやデータ分析などの研修を行い、組織のDNAにしていくような取り組みを行っています。既にあるものは活かし発展させながら、新しいものも取り入れていくのは大変です。ゼロから構築する方が楽な部分もあるかもしれません。「パナソニックのウェブサイトが突然なくなってくれたら、理想的に作り直すのに」と思うことがありますね(笑)。今あるものを継続しながら新しいものに切り替えていく。その上で常にお客様に価値ある情報をお伝えし続けています。 ■創業者による経営の極意「雨が降れば傘をさす」当たり前のことを当たり前にやるのが経営の基本ということを、当社の創業者は「雨が降れば傘をさす」と表現しました。デジタルの世界では技術の進化に沿って否応なしにやるべきことが増えます︒それに向き合って対応し続ける。常に最新化されるデータからお客様を知ろうとし続ける。まさにその営みは『雨が降れば傘をさす』の繰り返しです。デジタル技術の進化に対応し、環境に合わせて変化し続けることが私たちにとってのデジタルトランスフォーメーションかもしれません。 message「本物を見る、実物に触れる」ということを大切にして欲しいですね︒身につけるものや文房具、時計など︑少し無理をしてでも良いものにすると自分の目も養われるし、振る舞いも変化します。また、ネットだけに頼らず、イベントや展示会、あるいは話題の現場に行って自分の五感で確かめることも大切ですね。そういう経験の蓄積が社会に出たときに自分の「柱」ともいえる判断基準になります。(津田塾大学2年 宮田紋子)

川浪亜紀

小池徹平 大変なときだからこそ「挑戦を忘れず」人を楽しませたい。

■プロフィール 俳優、歌手。2002年俳優デビュー。ミュージカル『1789-バスティーユの恋人たち』『KinKy Boots』で第42回菊田一夫演劇賞を受賞。近年はドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と~』『ギルティ~この恋は罪ですか?~』『書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない⽣活~』『青天を衝け』、映画『半径1メートルの君』に出演。 「第14回ジュノンボーイ」で芸能界に入り、役者・歌手として活躍する中、2020年にはYouTubeで「小池さん家のてっちゃんねる」も開設し、活躍の幅を広げる小池徹平さん。また一方ではコロナ禍で主演舞台が中止になり苦しんだ1年でもあった。今回の舞台、『魔界転生』やコロナ禍での仕事への想いなどを伺った。 ■人生経験がそのまま出る刺激的なお仕事  高校1年生のときに、新聞に載っていた映画のオーディションがきっかけで芸能界に興味を持ちました。当時、ほんの軽い気持ちでオーディションを受けに行ったのですが、本気で映画に出たい人がたくさんいて、同世代でこんなに夢を持っている人がいるのだということに衝撃を受けました。それでも運よく大阪代表に選ばれたのですが、東京での最終審査に落ちてしまいました。そのときに、これまでの人生で感じたことのない悔しさを感じました。この経験がきっかけとなって、自分はこの仕事に興味があるのかもしれないと思い、芸能界に入ろうと決意しました。  この業界に入って感じることは、仕事をしていることが楽しいから続けられているなと思います。個性ある俳優さんがたくさんいらっしゃる中で、自分はいろいろな役をこなせる役者になりたい。その方が出会える作品も多いはずだと思っています。経験を積む中で、新しい一面を見せていったり、それをどう発信していくかを考えるのは難しいことだと思っています。周りから良かった、楽しかったと言ってもらうために、努力の積み重ねが必要で、大変なこともあります。年を重ねるごとに役も変わっていきます。人生経験を積んで、勉強をしていくことで自分の引き出しも徐々に増えていきます。そしてその引き出しは何個あってもいいと思っていますので、新しいことに対してもアンテナを立ててどんどん取り入れていきたいと思っています。それは大変でもありますが、本当に楽しいことでもあります。そして取り入れたものが仕事に反映され、うまくいったときはさらに嬉しいなと思います。  2020年はコロナに大きく揺さぶられた1年でしたが、趣味が仕事につながるきっかけを得た1年でもあったと思っています。皆さんもコロナ禍で不満や不安がたくさんあると思いますが、何とか楽しさを見つけてやっていこうともがいているはずです。それは僕たちも同じです。自分でなんとか切り開いていかなくてはいけないという気持ちがありました。そして今回、「小池さん家のてっちゃんねる」をYouTubeで配信するという機会をいただくことができたのです。もともと自分で動画を回すことが好きだったし、趣味でやっているダイビングなどの動画もアップし、皆さんと共有しながら楽しんでいけたらいいなと思います。このような、自分の好きなものや生活を自分で配信できるようになったのは本当に良かったです。何でも挑戦することが大事です。もっと自分の人間性を知ってもらえたらいいなとも思っています。役者以外のこともやっている、この人面白いなと思われる仕事もやっていきたいです。  少しずつですがコロナ禍でも演劇界は動き始めています。皆さんもドラマを見たりするかと思うのですが、やはり「役者」という仕事はなくならないなと改めて思いました。役者は元気を与えることができる仕事だと思います。これからも頑張っていきたいです。 ■生で演じる空気を感じてほしい  去年の12月ごろに、たまたまいろいろな仕事が重なっていたのですが、それぞれの現場でそれぞれの色があります。たとえば、舞台は一度始まったら止められない、一発勝負の緊張感がすごいあって、そこを乗り越えたときの達成感はたまらないものがあります。また一方でドラマは、映像として残るということや、何度も同じ演技をするということもあって、本当に集中力がいります。どちらも楽しいですね。  『魔界転生』も写真撮影や取材を受けている中で、気持ちが入っていって気分も高まっています。今回、前回公演の映像を観させてもらったのですが、舞台は時代劇なのにプロジェクションマッピングといったような現代技術がすごく駆使されていて、SFチックなエンターテインメント性の強い舞台になっているんです。ここ数年、僕自身はミュージカルの仕事が多くて、歌のない舞台は本当に久しぶりです。それだけに今回のお話は本当に嬉しかったです。  コロナ禍で今まで通りにいかないところはありますが、皆さんにもぜひ生のお芝居の良さを知ってもらいたいなと思っています。映像も素敵ですが、こんな時だからこそお芝居を肉眼で見て、空気感を感じてほしいと思います。ぜひ舞台に足を運んでみてください。その上で演劇がもっと身近なものになって、皆さんに遊びに来てもらえる劇場づくりができたらいいなと思っています。 ■心に残る一生の思い出を共有してほしい  周りの人との思い出をどんどん増やしてほしいです。そしてどんどん本音でぶつかっていってほしいなと思います。コミュニケーションがとれる機会があるというのは大事なことです。暗い気持ちになったときはお互いに励まし合ったり、馬鹿なことして楽しんだり。どんな過ごし方をしていても思い出として残るんですよね。勉強とかはぼんやりとしか覚えていないのですが、どんな遊びをしたかとかは心で覚えています。今は直接会える機会は少ないけれど、オンラインで顔を合わせることもできるようになったし、そういうことがモチベーションにもつながるし、本当に楽しい。どんな形でも仲間とぶつかり合って、嬉しいとか楽しいと思うことをどんどん共有してほしいなと思います。その一つに演劇が加わってくれればと思っています! 学生新聞 2021年4月1日号より 津田塾大学3年 川浪亜紀 『魔界転生』 18年初演で大ヒットしたエンターテインメント時代劇の再演。天草四郎をはじめ、名だたる剣豪たちが妖術で蘇り、徳川幕府と対決する。原作/山田風太郎(角川文庫刊) 脚本/マキノノゾミ 演出/堤 幸彦 出演/上川隆也 小池徹平 藤原紀香 ほか 4/7~4/11愛知・刈谷市総合文化センター4/16~4/28福岡・博多座5/4~5/28東京・明治座6/2~6/10大阪・新歌舞伎座 写真撮影:プロカメラマン 広田成太 <英文記事> Teppei Koike  I want to make people enjoy “without forgetting the challenge,” especially in difficult situations.  ■Profile: Actor, singer. Debuted as an actor in 2002. He won the 42nd Kazuo Kikuta Theatre Award for...

経営者

大塚食品株式会社代表取締役社長 白石耕一

「おいしさ+α」にこだわり続け、健康の先にある幸せ・喜びに貢献する ■プロフィール 1968年福岡県生まれ。1990年大塚製薬株式会社入社。2005年、韓国東亜大塚株式会社マーケティング担当理事(出向)。2014年、大塚製薬株式会社ニュートラシューティカルズ事業部広島支店支店長。2017年、同事業部製品部長。2020年3月、大塚食品株式会社代表取締役社長に就任。 世界初のレトルト食品“ボンカレー”や大豆ミートを使用した“ゼロミート”など、常に食品業界にイノベーションを起こしてきた大塚食品。健康や環境など、「おいしさ+α」を追求し続ける姿勢はすばらしく、それをさらに極めようとする白石社長の展望を伺った。  体育会で野球ばかりしていた学生時代でした。プロを目指していたのですが、結局、そこまでの実力はなく、大学3年生のときに就職を考え始めました。受けたのはものづくり企業ばかりですが、それはアイデアをすぐに形にできると思ったからです。それと平行して当時は獣医になりたいという思いもありました。動物行動学などは図書館に行って自分で勉強しました。そこで得た学びは今でも生きています。実は、人間も動物も行動の理由はほとんど変わりません。 獣医になりたいと思って読んだ本は今でも鮮明に覚えています。いろいろなものに興味を持って、一生懸命それに向かっていました。そうして見聞を広げることで知識も深まり、話題も多くなっていきました。興味の湧いたことを、その根拠にたどり着くまで好奇心を持って深掘りしていく。そうやって表面的ではないインプットができれば、自然とアウトプットもできるようになっていきます。 ■理不尽さは前向きに、失敗は深く掘り下げる  1990年、大塚製薬に入社しました。大塚は身の回りにたくさんの製品が存在する企業なので、街で自社製品を持っている人を見かけるとすごく嬉しいものです。製品を通じて人々が喜んでくれる。そこに関われているということにとても満足感がありました。 入社後は営業に明け暮れていましたが、中でも今の自分の考え方に影響を与えているのは韓国への出向経験です。言葉も文化も違う中で、同じ人間同士、共に仕事をしていく。そこにはさまざまなコミュニケーションの形がありました。言葉が通じないので、表情や仕草で相手の気持ちを読み取るしかなく、苦労しました。それ以来、人と話すときには言葉以上のものを感じ取れるようになりました。それと同時に、改めて「大切なのは人だ」と強く認識することができました。組織はやはり人です。人で作られるものです。 そうした経験を経て、大塚食品に来ました。苦労はたくさんありましたが、常にポジティブに考え、理不尽なことがあってもこれはゲームなのだと思うようにしていました。失敗したときは周りのせいにせず、自分に原因があるのだと考えて、その理由を深く掘り下げる。そうすることで失敗を成長の糧にしてきました。 ■「おいしさ+α」で必要とされる製品を  食品会社なので、おいしく作るのは当たり前です。おいしさ以外にどんな良さがあるのかが大切で、われわれはその良さをきちんとした根拠に基づいて説明できる製品づくりをしています。 弊社製品の原材料名は裏面を見ていただければわかると思いますが、添加物は極力使っていません。また、一般的なレトルト食品では事前に処理された冷凍野菜を使うことが多いのですが、ボンカレーは違います。生の国産野菜を使い、手作業で皮をむいたり、芽取りをするなどしています。それはお母さんの手作りの味をコンセプトに製造しており、より深く健康にこだわった製品づくりをしているからです。 さらにこだわりは健康だけではありません。たとえば、ミネラルウォーターの「クリスタルガイザー」ですが、キャップはどうしてあのような薄い形をしているのかわかりますか?薄くすることでプラスチックの使用量が激減するからです。ビンやカンに比べ、プラスチックは環境への負荷が大きい。今後はペットボトル自体も再生樹脂に変えていこうとしています。おいしいのは食品企業として当たり前です。それ以上に、どのような+αの貢献ができるのかを常に考えています。 われわれは生活者である皆様のお役に立ちたい。この製品がないと困る、必要だと言われたいと思っています。今は日本国内がメインですが、将来はアジア、さらに世界へと活躍の場を広げていきたいです。世界の人たちの健康にこのブランドを通して応えていきたいと思っております。そして社員みんなに幸せになってほしいですね。 ■人間力のある人と一緒に働きたい  一緒に働きたいと思うのは、まずは大塚食品を好きだと思ってくれる人ですね。私自身大塚の製品が好きで、日々自分で食べたり飲んだりしていますが、改良点などはそうやって製品と接する中で見えてくるものです。だから、会社を好きなことが一番なのです。それと同時に、コミュニケーション能力があり、考え方がポジティブな方。そのような方は、誰からも魅力的だなと感じてもらえると思います。 ■message  興味のあることは、その根拠にたどり着くまで深掘りしてほしいですね。勉強だけではなく、あらゆることに好奇心を持って、後悔しないように全力で取り組んでほしいと思います。学生時代はそれができる時間も環境もあります。音楽、読書、スポーツ観戦など何でもいいのでとにかくいろいろなものに触れて、興味が出たものは深掘りする。「なんで?」という視点で考えてみて、疑問点を追求していく。そういった経験や知識が心の引き出しを増やしていって、人間力につながっていくのだと思います。 学生新聞2021年4月号 慶應義塾大学1年 宮田峻輔

経営者

ニチコン株式会社  代表取締役社長(COO) 吉田茂雄

みんなで喜びを分かち合い、成長できる企業に ■プロフィール 関西大学卒業。ニチコン株式会社に入社後、シンガポールや香港など海外での駐在を経て、2009年取締役執行役員、2013年6月に代表取締役社長に就任。電子・電気機器に欠かせないコンデンサや、蓄電システム、V2Hシステム、EV・PHV用急速充電器などエネルギー・環境関連ビジネスを展開中。  私は商店街の真ん中で育ったので自然と商学部を選んだのですが、当時は何を学びたいのかはっきりしていませんでした。友達の誘いで入ったクラブ活動の会計学研究会では、結果としてゼミの選択や社会人スタートのきっかけとなりましたが、今では論文発表会、合宿の企画で苦労したことやクラブ伝統のアルバイトをしたことがなつかしいです。 ニチコンを知ったきっかけは、就職活動の終盤にゼミへ卒業生がリクルートにきたことで、そこからすぐに会社訪問、即面接でした。当時はPCやCDなど新しいものが次々と発売されていた時代でした。私はモノづくりに関わる仕事をしたいと思っていて、電気や電子にも興味があり、入社を決めました。友達やゼミの教授、会社の先輩とのつながりでこの会社に出会えたので、人とのつながりは非常に大切だと思います。 ■仕事で目指すものは何ですか  製品を通して社会に貢献し、世の中で認められることが一番嬉しいです。会社では上司も部下も同じチームで働いているので、成果が出て「いい会社だね」と言われると従業員全員で喜びを分かち合えます。だから、どのようにチームを成功に導き、社会とつながるかを常に考えています。今後も最先端の製品を出し続け、「ニチコンは次に何を出してくるのかな」と楽しみにしてもらえるような会社にしたいです。 また、思いを共有できる仲間と一緒に働きたいと思っています。私自身、武田会長の『誠心誠意』『今日を真剣に生きる』という言葉やその実行力に感銘を受け、そのような会長が憧れでもありました。だから、決して諦めない、という強い思いを持った積極的な人を求めています。 ■message  いろいろな人や文化と接点を持ち、たくさんの経験をしてほしいです。一つの分野にこだわらず、文学や音楽などさまざまな分野に興味を持ってください。親や教授、先輩から話を聞くのもひとつだし、本を読むのも良いです。そして、知ったことを皆で話し合い、意見をぶつけ合ってください。自分と他人との違いを知り、新しい発想を学ぶことで、さまざまな角度から話ができるようになります。自分にできることを探して、決して諦めないでください。そして自分の信じることにチャレンジし続けてください。 学生新聞2021年4月号 京都府立大学2年鵜川紗和子

DX・WEBマーケティング

カルビー株式会社 マーケティング本部デジタルマーケティング担当マネー...

デジタルならではのコミュニケーションを探る挑戦 ■プロフィール 大学卒業後、SIerにて通信やウェブシステムの設計、構築に従事。その後ナビゲーションサービスの運営会社にて、大規模なデータベースや検索エンジン、音声操作UI等の開発をリード。2017年5月にカルビー株式会社に入社。事業開発本部にてアンテナショップ等のデジタル化を推進。2019年4月よりデジタルマーケティングを担当。 ポテトチップスの国内シェア7割を誇り、スナックフードのリーディングカンパニーであるカルビー。そのカルビーのマーケティング部門に在籍している関口さんに、デジタルマーケティングの役割やお菓子業界ならではの取り組み、消費者との関係性構築についてお話を伺った。  私は前職までずっとIT業界にいました。しかしIT、特にソフトウェアやサービスは有形のモノを作ることはできません。もっと人の本質に近いところで仕事をしたいと考えて、食品業界へ転職しました。なぜカルビーを選んだか?カルビーには新しいことにチャレンジできる風土があることが大きかったですね。 新しい商品やサービスを作ったりするには、なんといってもお客様に寄り添い、お客様を知ることが大切です。当社のお客様相談室にお寄せいただく声のなかから、商品開発につながることも少なくありません。 ■デジタルの仕組みで何を実現するのか  当社はスナックフードを中心とした会社です。商品は店頭で実際に手に取って購買されるものですから、お客様との最大の接点は売り場です。そして商品のパッケージが重要な要素のひとつです。デジタルで単発的に広告を出すことによって、消費者の行動変容まで結びつけるのは相当難しいと考えていますし、お客様が望んでいるとも思えません。 デジタルマーケティングというと、広告の展開や検索順位という点に注目が集まりやすいのですが、われわれはそれだけを追い求めることはしません。 広告をするための手法ではなく、お客様のことをどのように知るのか、お客様にわれわれのメッセージをどう届けることでファンになってもらうか。お客様との距離を縮めるための仕組みに、デジタルの仕組みを使えないか、という考え方です。 ■お客様をより知るためにアプリやSNSを活用  当社では、2020年9月にスマホアプリを公開しました。食べ終わった商品のパッケージを特定の方法で折り、写真撮影することで、ポイントがもらえる仕組みです。そのポイントを貯めて、工場見学などの体験賞品に応募できます。環境のことを考えながらお客様と一緒につくりあげていくアプリになっています。 そして購入した商品をお客様が登録するため、どのような商品を手に取られたかもわかるようになりました。従来、小売店までに留まっていたデータが、われわれメーカーも活用できるようになったのです。これは大きな一歩です。 ■お客様への提案も大切な要素  カルビーにはロングセラーブランドの「ポテトチップス」や「サッポロポテト」、「かっぱえびせん」があります。どれも皆さんがご存じの商品だと思います。ご両親がお子さんのために購入するのは「かっぱえびせん」や「サッポロポテト」が多いと聞きます。一方で学生の皆さんがコンビニで手に取るのは何でしょうか。恐らくこの2つのブランドを選ぶ方は少ないのではないでしょうか。 子どものころから食べ慣れて親しんだスナックであるにも関わらず、いつの日か遠のいてしまう。でもまたライフステージが変わると戻ってきていただける。とても面白いブランドだと思います。 喫食タイミングや場所、シーンによって選ばれるお菓子は変わります。そのシーンとわれわれが提案する商品のイメージがうまくマッチして、お客様の記憶に残っているときに購買につながります。われわれがお客様を理解せずしてその提案ができるとは思えませんし、その理解のためにSNSも有用です。無理にブームを起こそうとしたりせず、また作り手の押し付けにならないようなコミュニケーションが理想です。 何よりもお客様に楽しんでいただきたいですし、運営するわれわれも楽しみたい。バランスが大事ですね。 ■Message  社会では、ときに自分の希望とは異なるタスクに出会うこともあります。そのような場面でも、きちんと取り組むと、やりたい仕事に対峙した際に活用できる発想力を養うことができます。本当にやりたい仕事が出てきたときに活かせるよう、実力をためておく姿勢を大事にしてください。 また、大学生活ならではの経験や知識を蓄えましょう。何より考えること、気づくことが大切です。 学生新聞別冊2021年4月号 駒澤大学4年 安齋英希

安齋英希

株式会社プレミアムウォーターホールディングス代表取締役社長 萩尾陽平

日本のおいしい水を世界へ届ける 1978年福岡県生まれ。高校卒業後、アメリカの大学へ留学。大学院進学を前に一時休学し、23歳でエフエルシーグループの前身となる会社を起業。2004年、株式会社エフエルシー設立。2016年、経営統合により株式会社プレミアムウォーターホールディングスの代表取締役社長に就任。趣味はトライアスロン、ゴルフ、水泳。 保有契約件数115万件を突破、業界シェアNo.1を誇る、プレミアムウォーターHD。ユニークな生き方や考え方を持ち、営業一筋で走り続ける萩尾社長。世界一と言われる国の経済・歴史を現地で体感し、皮膚感覚でつかむ社長だからこそ伝えられる、社会で大切なことは何かを伺った。  高校卒業後、すぐにアメリカの大学に進学したのですが、ネイティブと比べると語学力にかなり差があり、授業内容を理解するだけでも苦労しました。私は18歳の頃から、なぜこの国の経済が強いのかなどを考えることに興味があり、若いうちにアメリカに行き世界一の場所を肌で感じたいと思っていました。 当時、現地で感じたことや経験したことが、いま会社を経営する際の会社をどう強くしていくかや組織論に活かされていると感じます。国の歴史を学び、国がどう強くなってきたかは、会社をどう大きくしていくかと共通していると思うからです。 在学中に医学を志し、大学院を目指しましたが、親の収入だけでは学費が足りず、1年休学し日本へ一時帰国しました。そして資金を貯め、アメリカへ戻ろうと思いました。 日本では朝から晩までアルバイトに励み、歳の時に独立し、いまの前身である会社を作りました。会社が成長していくにつれ、結果が出ることに喜びを感じ、アメリカには戻らない選択をしました。 当時の仲間と何気ない会話から上場しようと決めましたが、調べるうちに1つの商材だけでは上場できないことがわかり、取り扱う商品を増やそうと考え、そのときに出会ったのがウォーターサーバーです。サーバー販売は、アウトバウンド営業で獲得したわりには他商材と比べ解約率が非常に低く、需要と供給のバランスが合う商品だと気づきました。また、自社の営業力で差別化が図れるビジネスモデルであったため、急速にウォーターサーバーのビジネスにのめり込んでいきました。はじめは代理店という形で、さまざまな会社のウォーターサーバーを販売し、その後、より良い製品を販売したいという気持ちから、メーカーにオリジナルブランドを製造してもらう「OEM」という形をスタートさせましたが、せっかく販売するのであれば、自社で工場を持つメーカーになりたいという気持ちが日々高まってきました。当時、国内最大の天然水の品質と生産能力を持ったウォーターダイレクト社と、国内最大の営業力を有する弊社が統合することで、さらに業界のシェアを拡大することができると思い、現在のプレミアムウォーターホールディングスが誕生しました。 ■会社の価値を最大化させるのが一番のやりがい  水は「安心・安全・おいしい」が重視されますが、安心・安全な水だけでは差別化は図れません。私たちは、ユーザーを増やすことで水源を増やし、製造コストを下げ、配送効率を上げることで、業界での優位性を創出しています。開発からアフターサービスまで一貫して手掛けることができるからこそ、より魅力的な商品・サービスを提供できると感じます。とはいえ、日本でのウォーターサーバーの普及率は、業界全体でも8パーセントほどです。まだまだ成長できる環境はありますので、自社で20パーセントまで伸ばし、1000万ユーザーを目指したいと考えています。 上場しているため、会社への投資をどれだけ最大化できるかに尽きると思います。株価をあげることも大事ですが、企業価値の最大化が一番の責任であり、そこにやりがいを感じます。 ■共感できて自分の道標がはっきりしている人  一緒に働きたいと考えるのは、『自社の活動を通じて人々の生活を豊かにし、そして世界で一番愛される会社へ』というビジョン、『社会的意義を果たし、地方創生を実現する』というミッション、弊社をもっとも象徴させる『自由と責任』というPWHDスタイルに共感できる人です。 雇われているという感覚ではなく、自分自身を成長させ、自分の価値を高めることで高給と好待遇を常に求めていける人材が集まってくれたら嬉しいと思います。 従業員持株会も、自分の頑張りが会社の企業価値に繋がっていると感じられることが大切です。社員が会社に投資したいと思える会社にしていかないといけません。みんなの努力の結果が株価に現れ、結果として社員の資産を増やすことができれば、皆の人生がより良いものになっていくと思います。 私自身はアポイントがあるときにだけ出社し、予定を入れすぎないようにしています。時間に追われるのではなく、経営においては考え、創造する時間が大切だと考えるからです。結果を出すことは最低限のことであり、空いた時間を自分で作り、よりクリエイティブな仕事ができるかが、トップに求められていると思います。 水という資源は、世界においても大変貴重な天然資源であります。日本の天然水の良さを、まずは日本の人にわかっていただくこと。そして、日本の天然水をこれまで以上に、世界に発信していけるよう、価値と信頼性の確立をしていければと思います。 ■message  自分たちは学生だからと言って可能性を狭める必要はありません。生まれたときから社会の一員です。いつかはみんな親を守らないといけないし、家族を持ったら子どもの成長も見守らないといけない。みんなとのレースはすでに始まっています。学生だからという言葉に甘えず、さまざまなことにチャレンジし、たくさん失敗することで、社会の一員として経験を積んでいってもらいたいです。 学生新聞2021年4月号 駒澤大学4年 安齋英希