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Archive for 運営スタッフ

大野詩織

日本ヒューレット・パッカード合同会社 執行役員 プリセールスエンジニ...

データファーストで変わりゆくITインフラを考えていく 日本ヒューレット・パッカード合同会社 執行役員 プリセールスエンジニアリング 統括本部長 及川 信一郎 (おいかわしんいちろう) ■プロフィール文 主にサーバー技術を中心に、通信業界を始めとした幅広い業種のお客さまを担当。2017年にHPEがセキュリティにフォーカスした、新世代のサーバー製品をリリースした事を端緒に、ハードウェアレイヤーの視点から見たゼロトラストセキュリティについて、開発・運用の現場の方から経営層まで、幅広くご紹介する活動を実施。現在はプリセールスの日本チームをリード。 私たちに身近なインターネットサービスから、私たちの知らない隠れたところまで、幅広いITインフラを支えている日本ヒューレット・パッカード合同会社(HPE)。入社してから26年となり、様々な業務を経験されてきた及川執行役員に、会社の魅力や一緒に働きたいと思う学生像などについて伺った。 私は大学生の時に国際政治と比較文化を学んでいたのですが、その中でも一番関心を惹かれたのがメディアでした。中でも、これから世界を変えていくメタ・メディア、その基盤としてのITに関わる仕事をしたいと思ったのです。幾つかのIT企業を受ける中で、ヒューレット・パッカードはAppleの創業者が働いていた会社であり、元祖シリコンバレーのベンチャーとして評価が非常に高く、「この会社で働けるといいな」と思っていました。当時、外資系ITはあまり文系の学生を採っておらず、内定がとれた時は驚きました。また、企業の選考プロセスや、内定のコミットが書類ではなく人事担当者との握手だったことにも感銘を受け、「他の会社とは違うすごい会社だな」と感じ、1997年、入社を決めました。 ■勝負ができないと分かったら土俵を変える 入社して配属後も暫くは、研修期間のようなもので特に決まった仕事はなく、製品の梱包をよくしていていました。ところが、誰よりも多くの製品に手を触れていた事で、実際のパーツなどにとても詳しくなりました。すごい先輩がたくさんいる中で、既存の商用UNIXの世界では何十年やっても追いつけないと思い、当時、社内ではごく限られた人しかやっていなかったWindowsやLinuxなどのPCサーバーに自分の将来をベットして、x86(エックスはちろく)サーバー事業の立ち上げに関わりました。それから20年以上がたって、今振り返ると、PCサーバーは世界を席巻しています。このように「自分はこれでは勝負ができない」と思ったなら土俵を変えることも大切だと感じます。その後、ナレッジマネジメントという「知識をどうデジタル化して活用するか」というプロジェクトに携わった後、2000年代初期にベンチャーブームに突入したことにより、ベンチャー支援の担当になりました。外から見るのとは違う、起業で成功することの難しさが、いくらかは分かったように思います。また、リスクをとって新しい領域を広げることの面白さも知った1年でした。その後、当時日本のブロードバンドや携帯電話市場が急成長していた背景からテレコム(電話会社)系のお客様担当になりました。ここで約10年間担当していましたが、お客様の要求を元にいろいろなシステムを入れていく面白さに触れたように思います。当時は、フルビジョンハイビジョンの動画配信を、光回線を通じて、どのようにご家庭に届けるか、というトライアルにエンジニアとして参加していました。家庭に動画配信と聞くと、今ではごく当たり前のものですが、当時は一般公衆回線をつかった配信は米国でも前例が無く非常に困難でした。多くの技術者が失敗を積み重ねながら技術を成熟させ、テクノロジーを標準化し、いまでは当たり前のようにご家庭で楽しめるようになっています。この経験を通して、コストやテクノロジー上の問題は、それが本当に必要なサービスであれば、時間と共にやがて解決することに気づきました。これは、未来を考えるときにとても大事な前提だと思います。その後、元々のPCサーバーの部署に移り、部長や本部長を経て執行役員に就任し、現在に至ります。 ■幅広いITインフラを提供する HPEはITインフラを担う、ネットワーク、ストレージ、サーバーとそれに関連するサービスを扱っています。ネットショッピングやコンビニなどの店舗で利用するオンラインサービス、クレジットカードの決済、設計・シミュレーション、医療やAI(人工知能)などに利用されています。例えば、近年はコロナ禍もあり在宅勤務が当たり前になり、ネットワーク基盤の重要性が注目されていると思います。今では、データが生み出される場所はスマホや、監視カメラ、各種IoT機器など、爆発的に増えており、データファーストのモダナイゼーションと言って、「生み出されたデータをどこに置くか」「そのデータをどう利活用するか」ということからインフラを考えることを促進することに注力しています。 ■成功体験におぼれず常に変化をキャッチ 私にとっての仕事のやりがいは、1つの会社にいても、およそ5年ごとにやることが全く変わることです。そのたびに、スタートラインに立って皆と勉強し、競争することになるので、大変でもあり楽しくもありますね。仕事内容は変わりますが、コンピューターの動く原理などの本質は変わらないので、やはり基本は大事だと思います。併せて、成功体験におぼれずに取り組むことが大事だと思っています。どうすればみんなで和気あいあい楽しく働けるか考えて、常に変化をキャッチすることがモチベーションとなっています。 ■興味と学習を結びつける力 一緒に働きたいと思うのは、「この会社で長く働きたい」と言ってくれる人です。外資系と聞くと、キャリアを積んでどんどん場所を変えるというイメージがあるかもしれませんが、やはり会社のフィロソフィーに共感して、長期的に自分に投資できる人がいいかなと思います。また、ちゃんと勉強してきたことも大事な要素です。学校での勉強と業務は違うものの、社会人になっても継続した学習は必須ですし、ものごとをやり続ける力や、興味と学習を結びつける力などは、仕事でも同じように活かせるものだと思います。 ■大学生へのメッセージ 「面接から入社までの期間に何をしたらいいですか」と学生からよく聞かれるのですが、学生でいられるのはその期間だけなので、「学生にしかできないことをやってください」と答えています。先に目を向けるのもいいのですが、今という時間を有効に使って、自分がやりたいことに繋がるものを見つけてもらいたいなと思います。社会人になると「やっぱり勉強って楽しいな」「もっと勉強しておけばよかった」と考える人も多いようです。それと同時に、年齢が上がると好奇心も下がっていくと思うので、学生であるうちに、自分の興味を深掘りしていってもらえるといいかなと思います。 学生新聞オンライン2023年8月9日取材 上智大学短期大学部 2年 大野詩織

イベント・企業紹介

AI & ChatGPT展

開催概要 名称:AI & ChatGPT展 in 竹芝(リアル開催)開催日時:7月24日(月) 15:00~21:00開催場所:東京ポートシティ竹芝 PORT HALL来場者数:400社(見込み) ※450名規模のカクテルパーティーをイベントに実施対象者:課長・マネージャー職以上参加費:10,000円主催:株式会社コミクス AIが拓く新時代。「AI」が拓く未来への扉を、ともに開こう。 7月24日に東京ポートシティ竹芝 PORT HALLでAI & ChatGPT展が開催されました。「AI」が克服できるビジネスの課題や成功事例を紹介するとともに、「AI」の力を直接体験できるデモンストレーションブースなどがありました。 ■生成系AIをテーマにしたリアル展示会に参加の感想 AIの発達が凄まじい現在において仕事をしていく上でいかにAIを活用して、人間にしかできないこと、AIでできることの住み分けを行なっていくことが大事なのかなと感じました。また、AIの可能性は無限にあり、仕事の効率化だけでなく新しいアイデアの創出やビジネスの可能性を引き上げてくれるものだと実感しました。AIの普及において、今の仕事の半分以上がなくなるのではないかという話も聞いたことがあるのですが、自分は逆にAIの普及によって人間の才能や人間にしかできないことに関連した新しい仕事などもたくさん生まれてくるのではないかと思いました。 國學院大學3年 島田大輝 現在、AIやチャットGPTなどのテクノロジーは言語の理解と生成の分野で大きな進展を遂げ、教育現場やカスタマーサポート、コンテンツ生成、情報整理などの広い分野で活用されていますが、その一方で情報の精度の問題や個人情報の悪用などの懸念もあるのが事実です。今後は、それらの問題がエンジニアの方たちによって解決され、より精度の高いAIやチャットGPTを活用した新たなモデルが登場してくると思うので、皆がそれらをしっかりと正しく使いこなせるような教育の機会も確実に作りつつ、教育支援や業務の効率化などでの活用が拡大して、可能性がの幅もっと広がるようになることを期待しています。 法政大学2年 佐伯桜優

イベント・企業紹介

「デル女性起業家ビジネスコンテスト 2023」授賞セレモニー

デル・テクノロジーズ株式会社が2023年3月7日より開催していた事業成長戦路として”テクノロジー”を取り入れている女性起業家を応援するピジネスコンテスト「デル女性起業家 ビジネスコンテスト2023」の最終結果発表が7月12日にThe Grand GINZAで開催された。女性起業家として活躍されているファイナリストの方々にお話を伺った。 ■DWEN について「DWEN(Dell Women’s Entrepreneur Network)」とは、デル・テクノロジーズが女性起業家を支援するために、CSR(企業の社会的責任)活動の一環として実施している女性起業家ネットワークです。全世界から8万人を超える女性起業家が参加し、互いに成長しながら、新たなビジネスチャンスを創出していく取り組みを進めています。日本では2017年に活動がスタートし、現在800人はどのメンバーが登録しており、ネットワーキングイベント、サポート&インベーションピッチなどを行っています。全世界の女性起業家同士が交流する場を設け、ビジネスネットワークを作り、互いに成長しながら、新たなビジネスチャンスを創出していく取り組みをしています。本コンテストの得票数による最終審査結果は以下の通りとなり、合計 500万円のデル製品が商品として贈呈されました。 第1位 株式会社スペース 村井美映氏 物流業界の問題が、一般の方との捉え方に距離があるので、このコンテストが一般投票であるという点に魅力を感じ、応募しました。トラックドライバーの過酷な労働環境が、法改正により改善されようとしている反面、荷物が届かなくなるという課題があります。その問題解決のために、今回物流業界支援サービスを開発しました。社会課題に繋がる問題を、様々な方に認めていただけたことがとても嬉しいです。 第2位 オングリットホールディングス株式会社 森川春菜氏 デル様と同じで、テクノロジーを使って雇用を生み出したり、DXを推進したりしているという点で共通点を感じ、応募しました。今回発表したビジネスは、インフラ点検業務を行いながら、現場でのDXを推進するロボットの開発や未経験者でも使えるツールの開発です。今後は、拠点を全国に展開していくためにより尽力していきたいです。 第3位 株式会社インターホールディングス 成井五久実氏 「日本の技術を世界に」をテーマにしている企業なので、今回のコンテストの目的にとても共感したことがきっかけで応募を決意しました。今回発表した真空特許技術は、地球温暖化とフードロスの課題を解決できる事業です。今後グローバルを目指せる技術だと思っているので、これからも進歩し続けていきたいです。 学生新聞オンライン2023年7月12日取材 立教大学3年 緒方成菜

学生新聞インターン

アーティスト・声優 山崎エリイ

枠にとらわれず、大切なファンを、何度でもキュンと。 アーティスト・声優 山崎エリイ(やまざき えりい) ■プロフィール 第36回ホリプロタレントスカウトキャラバン『次世代声優アーティストオーディション』 ファイナリスト。 声優として「Tokyo 7th シスターズ」 などに出演。現在はアーティスト活動をメインにリリースやライブを行なっている。8/9リリースの「トキメキズム」では人生初のショートカットにしビジュアルイメージを一新。2023年、デビュー10周年を迎える。 「この人に喜んでもらうために尽くしたい」。内気な性格からステージへと挑戦し、時を重ねる中で芽生えたファンへの想い。今年デビュー10周年を迎えた山崎さんが、2023年挑戦の一枚として“可愛い”を追求した5thシングル「トキメキズム」とは。自分を出すことを恐れていた彼女だからこそ伝えたい想いや、今後の理想像について伺った。 学生時代は今とは真逆でしたね。本当に内気で、人前に出ることを極力避けるタイプでした。一方で、趣味で習っていたクラシックバレエでは、ステージで表現することを楽しく感じる自分がいました。このギャップの中で、「内気な自分を変えたい」というこの想いが、オーディションに応募したきっかけです。元々松田聖子さんのファンで、歌うことや表現することが大好きでした。オーディション雑誌や情報を見ていてパッと目に入ったのが、『次世代声優オーディション ホリプロタレントスカウトキャラバン』です。最初は、一回だけ受けてみようかなぐらいの気持ちで、ファイナルまでいかないと思っていました。3次審査の後の熱海合宿なんて「絶対ムリだ」と(笑)。当時13歳で、それまでは親元を離れる経験がほとんどなかったので、「これ私、耐えられるかな」とずっとハラハラソワソワしながら終えました。その中で興味を持っていただき、ホリプロに所属することになりました。オーディションも「1回やってみよう」の気持ちで、合否関係なしに挑戦のつもりで出たのですが、あまりの緊張で、自己PRの松田聖子さんの歌は1番だけ歌って終わってしまいました。30秒の計算すらしていなくて、サビまで歌えず強制終了です。「あー、終わった! これはゼッタイ落ちる!」と思いました。帰る気満々のつもりでいたら、なんと自分の番号が呼ばれて!物珍しさで受かったのかなと思っています。(笑) ■「キュン」が詰まった挑戦のシングル 『トキメキズム』は全てがドッキドキの作品です!デビュー10周年を迎え、今までにない新しさを追求しました。まず曲のテーマは「可愛い」に全振り! これまでは世界観やテーマを固定していましたが、今回は何を聞かれても「だって可愛いから!」と言える曲です!私にとって可愛いとはキュンとするもの。MVでは、カメラ越しにパッと目を合わせ、ドキッと心ときめく瞬間をお届けしています。今作では、長年応援して下さるファンの方に「もう一度、新鮮な気持ちで振り向いてほしいな。居心地のいいドキドキを与えたいな」と思い、髪をロングからショートにし、ビジュアルイメージを一新しました! MV撮影の関係で2か月間のウィッグ生活を乗り切り、いよいよ生放送での公開日。最初にミュージックビデオを流して、「これウィッグ? どっち?」とファンの方々が困惑する中、袖から私が「切っちゃいました!」と登場すると「わぁー!」と歓声が上がりました。あの瞬間は、最近の中で一番の興奮でしたね!そして、注目してほしいのがポジティブな歌詞です。可愛いがベースですが、「前向きで私らしく」という表現が盛り込まれています。特に私がグッときた歌詞は『わがままに 全部つめこんでみた。だってそれが一番かわいくなれる魔法』というフレーズ。最近、自分を出すことを恐れる方が多いと感じます。大人になると、わがままも言えなくなりますよね。『トキメキズム』はそんな方々の背中を押し、「私も頑張ってみようかな」と小さなチャレンジに繋がる楽曲です。 ■ファンの心を動かし、応援されるアーティストへ 10代はまず作品の作り方を覚えて、20代は制作側、どういう作品を作りたいか。時を重ねる中で、私、ファンの方、スタッフさんの意見を一つずつ形にしていく楽しさを知りました。私が大切にしているのは「ファンの皆さんへの気持ち」です。ファンになっていただくには、私のことを誰も知らないステージで歌わなければなりません。いわば、0からのスタートです。大好きなはずの歌とステージが怖くなることもありました。でも徐々にファンの方が増え、「この人に喜んでもらうために尽くしたい」と考えるようになりました。そして、初LIVEで自分が作った世界観を披露した時に、ファンの方が同じように楽しんで、共感して、泣いて下さって。この瞬間、「私にも誰かの感情を動かすことができるんだ、感情の繋がりができたんだ!」と気づきました。「この子を応援してよかった」と、ファンの皆さんに思っていただけるような活動を今後もしていきたいです。そのために目指しているのが、“枠にとらわれずマルチに活躍するアーティスト”です。人の熱量には必ず波があり、ずっと同じボルテージで応援することは難しいと思います。だからこそ、私の仕事のモットーは「何度もキュンとしてもらうこと」。皆の感情の波に定期的でもピンポイントにヒットさせたいですね。実際に、音楽面でも作品によってロック・ゴシック・ポップなど様々なジャンルに挑戦しています。声や音楽などラベリングせず、より幅広く自分の可能性を信じてトライし、枠にとらわれないアーティストでありたいです。 ■大学生へのメッセージ 何かに真っ直ぐ一途に取り組んでほしいです。私自身、「あなたが今まで一番取り組んできた事はなんですか?」と聞かれて答えられませんでした。多くの事を広く浅くも大事ですが、一つの事を追求することで独自の強みが生まれると思います。好きな言葉に『雨だれ石を穿つ』ということわざがあります。些細な事でも一つひとつ取組めば、小さな努力の結果が何かを動かすという意味です。「自分はこれが強みだ」と言えるものが一つあると、ピンチの時に助かると思います! 学生新聞オンライン2023年8月8日取材 専修大学4年 竹村結 New Single『トキメキズム』2023年8月9日リリース。【カワイイ】をテーマに、楽曲・映像・アートワーク、全てに【カワイイ】を詰め込んだ作品。ビジュアルイメージも一新し、2023年「挑戦」の一枚となっている。 <収録曲>01.トキメキズム 02.アクマチックシンドローム

コラム

テリー伊藤 コラムVol.9 日本大学アメフト部の処分が甘過ぎませんか

日本大学アメリカンフットボール部部員が大麻と覚醒剤所持の疑いで逮捕され、アメフト部は謹慎となった。しかし処分はすぐに解除。日本大学がアメフト部を無期限活動停止処分にしたのが8月5日、わずか5日後の10日に解除し11日から練習が再開されたのだ。11日夕、東京都世田谷区のグランドで、部員の一部40名が約一時間半パスやタックルの練習に励んだ。これには大学関係者からも「あまりにも早過ぎる。」と疑問視する声が聞かれた。 まさにその通りでは。改めて事件の経緯を顧みると「アメフト部員が大麻を合宿所内で使用している。」との内部通報が発端となった。慌てて大学側が合宿所の調査をしたところ、部員の部屋から違法薬物が発見された。一番重要な事は、逮捕された学生が大麻を「何処で使用していたか」等を調査して、林真理子理事長は大学での記者会見で速やかに発表すべきではなかったか。 過去の大麻使用者の事例をみると、ミュージシャンは作詞作曲活動の前、コンサートやライブの前、メディア出演前に往々にして使用している。芸能関係者の多くは情事の前に使用しているケースが多い。ではスポーツ選手の場合は、というと、先日東京農業大学ボクシング部の部員も大麻所持と販売の疑いで逮捕されたが、実はこの二つの運動部に共通点がある。両部とも「ボディーコンタクト」をする競技という点だ。相手と激しくぶつかり合う、殴り合う、そこに恐怖心も生まれる。試合前に自らを鼓舞するために違法薬物に手を出してしまうことが推測出来るのでは。 いつの時代も若者の心は「自信と不安」が交差している。日本大学、東京農大の関係者は学生ともっと話し合う事が大切ではないか。林真理子理事長も、今回の処分解除は余りにも早過ぎです。会見での「私、スポーツにうとい」発言も通用しません。解除撤回と改めて凛とした会見をお願いしたい。このままでは日本大学のブランドイメージは落ちる一方では。在校生諸君も更なる情報開示を大学側に要求してみてはどうか! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

『ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHI』メディア体験会

アシックスジャパン株式会社(以下、アシックス)は、東京・丸の内に位置する『ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHI 』を8月25日(金)に、リニューアルオープンしました。リニューアル後の『ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHI 』は、ランナーのココロとカラダのコンディションを整え、パフォーマンスアップに繋げる「ランニングエコシステム」を体現したランニングステーションです。「ランニングエコシステム」とは、ファンランナーからシリアスランナーまで、そして、ランニングイベントへ参加したことがないランナーも含め、ランニングイベントへの登録から大会当日、そして、大会後のケアまで、ランナーのパフォーマンスアップに必要な全てが揃う循環型のシステムです。 オープンに先駆けて、施設の見学と皇居から見る東京の夜景を見ながら走るランニングに挑戦してきました。 ■施設の感想スポーツ用品の購入以外にもランニングをサポートする様々なサービスが用意されていました。中でもプロランナーが使う足形やランニングフォームの計測機械を、安い価格で利用できる点に驚きました!さらに、計測結果を元に自分に合ったシューズも提案してもらうことができるので、安心してランニングの準備を始められます!実際にスタッフの方に選んで頂いたシューズは、クッション性が高く、走りやすくて自分にピッタリでした! ■皇居ランの感想『ASICS RUN TOKYO MARUNOUCHI』のランニングイベントでは、初心者向けの完全ウォーキングからプロ向けハイスピードのロングコースまでと幅広く、そして細かくレベルが分けられていました!今回の皇居ランでは、初心者向け3.5kmのコースを走りました!スピードも早歩きで追いつける程度で、他のランナーと会話を楽しみながら完走できます!さらに、その後の施設備え付けのシャワーも最高でした!ここではウェアもシューズも持参する必要がないので、本当に気軽に始められて、僕も月一から始めてみようと思いました 体験者:立教大学 4年 須藤覚斗 ■施設の感想自分の走り方を4方向からのカメラで撮影し多角的に見れるシステムは、タイムの更新を狙いたい選手から疲れにくいフォームを身につけたい初心者の方までおすすめできると思います。またシューズからウェアまで一式貸していただけるので、手ぶらで気軽にランニングを楽しめるのは非常に魅力的です。他にも走り方からその人にピッタリのシューズを選んでもらえるので、初心者から玄人まで安心して靴を選べるのも魅力的に感じました。 ■皇居ランの感想キロメートルを超えるランニングは高校生以来で、しかも1.5kmで酸欠になりかけたぐらいでした。今回のコースは約3kmあり、体力と怪我への不安もありました。しかし夜の皇居とビル群の景色の美しさ、そしてアシックス様の硬い地面でも軽やかに走れるクッション性抜群のシューズのお陰で、楽しく怪我なく完走することができました。これを気にランニングを始めてみようと思います。 体験者:武蔵野大学 4年 西山流生 ■施設の感想ASICSの最新のウェアやシューズが展示しており、発売前のシューズのレンタルも可能です。一番の目玉は、「ASICS RUNNING LAB」による、専門機器を用いたランニングの総合能力の測定です。ランニング時の走行を4方向から撮影し、AIを用いてデータ解析する。また、無料で足形の3D測定や、ランニングのフォームのアドバイスをしてもらえます。この施設はプロだけではなく、ランニング初心者の方にもお勧めできるものだと思います。 ■皇居ランの感想ランニングコースは3つあり、初心者向けのコースを走りました。スタッフの方にお勧めされたレンタルシューズとウェアのおかげで、快適に走ることができました。特にシューズの反発力とクッション性が素晴らしく、今までにないくらい走りやすく感動ものでした!東京の夜景と皇居を見ながら走るのが気持ちよくて、疲労よりも達成感の方が大きかったです。時期によって景色もかなり変わるそうなので、友人と一緒にまた参加したいですね。 体験者:明治大学大学院1年 酒井躍

学生新聞インターン

株式会社ミシャジャパン 取締役/支社長 康 寅圭

コスメを韓国と日本を結ぶ架け橋のような存在に 株式会社ミシャジャパン 取締役/支社長 康 寅圭(カン・インギュ) ■プロフィール 康 寅圭(カン インキュウ)取締役支社長韓国済州道生まれ、1993年、留学をきっかけに来日2005年 韓国ABLEC&C・海外事業部入社(現、ミシャジャパン 韓国親会社)2006年 株式会社ミシャジャパン設立に伴い日本市場総括管理および営業本部長務める。2020年 同社 支社長および韓国ABLEC&C海外事業部理事を立て2021年 3月より現職 世界中で大人気のコスメブランドであるMISSHA。そんなMISSHAの日本支社をゼロから立ち上げただけでなく、日本中に瞬く間に展開させ、クッションファンデーション売上3000万個という記録を残した康 寅圭氏に今までの苦労や努力、またMISSHA製品の魅力についてのお話を伺った。 学生時代は、韓国の壮絶な受験戦争を勝ち抜き、理工系の大学へ入学しました。ですが、もっと広い世界を見てみたいという思いが次第に強くなって、入学前に3ヶ月間だけ日本に短期留学をすることにしました。当時の日本はバブル崩壊直後ではありましたが、実際に日本を訪れ、地下鉄や街の外観を見ると、韓国よりも活気に満ち溢れていた姿に衝撃を受けたことを今でも覚えています。そこで「日本で勉強したい」という思いを抱き、韓国の大学への入学を辞退しました。まだ若かったので、後悔を恐れずに挑戦しようと思ったんですね。もう一度、大学受験を日本でやり直し、大学への入学を決めました。大学生活は、とても活発的だったと思います。できることは全て挑戦していましたね。その中でも特に力を入れていたのは、イベントを企画し、制作すること。留学生らと協力し、学祭などのイベントを運営していました。活動している中で、新しいものを立ち上げたり、人のために何かを行ったりすることが好きで、自分に向いていることに気づきイベント制作会社に就職することを決めました。 ■日本との別れと再会。そして、MISSHAとの出会い 多くのイベントの制作、運営を行いましたが、その中でも一番印象的だったのは韓国ドラマ関連のイベント運営です。初めての母国と関わる機会のあった仕事で、とても新鮮でした。この会社で4年間働いた後、一度韓国に帰国しました。自分で事業をやってみたいと思い、飲食店を営み始めました。結果としては、資金がつき6ヶ月で倒産してしまったのですけどね(笑)。その時、改めて日本と関わる仕事がしたいと思いました。その時に出会ったのがMISSHAです。働き始めてから10ヶ月ほど経った時に、日本支社の立ち上げの話が上がりました。立ち上げメンバーに抜擢され、日本人の社長と私の二人三脚で会社を創立しました。その後は、会社の経営のために日本と韓国を行ったり来たりする生活が続きましたね。韓国で、マーケティングやシステムなどを学び、それを日本支社で用いて経営する。それが私の仕事でした。営業やマーケティング、ECなどに多種多様な業務に携わってきましたが、その中で自分の実績が認められ、今の役職につきました。 ■他にはないMISSHAの魅力と強み MISSHA JAPAN の魅力はなんといっても、K-Beautyのパイオニア的な存在であることだと思っています。BBクリームやクッションファンデーションなど、日本で爆発的に売れた商品の先駆けともなっていますからね。これらの商品を作る中でも、学んだことはたくさんありました。マーケティングや在庫管理など。失敗し、学んだ経験があるからこそ今のMISSHA JAPANがあるのだと思っています。この経験を活かして、社員数約30人という少ない社員数の中でもマーケティングや企画に携わる社員を10人近く設け、より良い商品を生み出し、販売することに一番力を入れています。 弊社は、韓国の会社の日本支部であるため、基本的には韓国で作られた商品を販売することが多いのですが、やはりそれだと日本人の肌に合わないこともあります。そのことを改善するためにも、私たちは日本人に合う、日本人のための製品を作るということにも力を入れています。これは、他の韓国のコスメブランドでは行われてないことだと思います。市場調査を行い、日本人の需要にあったリーズナブルで品質の高い商品を製造しています。小売業に向けた専売商品を製造していることもまた、他の韓国の企業はやっていないことなのではないかと思います。 専売商品の販売の利点としては、主に二つあります。一つは、その企業と長く、深い関係でお付き合いできるということ。二つ目は、店舗に専用棚を作れるということ。日本はまだ、オンラインよりもオフラインでの売買が盛んな国です。だからこそ、実店舗を多く持つ企業と関係を築いたり、商品を多く置いたりすることはコスメブランドという競争社会の中で生き残るためにはとても良い戦略でした。多くの世代の方に私たちの商品を知ってもらうだけではなく、使っていただけるためにも専売商品を作ることはとても意味のあることなのです。 ■MISSHA JAPANと国内ブランドの違い 日本の国内ブランドよりもスピーディーに商品を企画、製造できることも私たちMISSHA JAPANの強みの一つだと思っています。日本国内のブランドは、伝統的にも丁寧で緻密なやり方で製品を作り、販売しているように思えます。「信頼、信用」をとても重視しているので、ひとつひとつの工程に時間をかけているのです。だから、一つの製品を販売するのに1年近くかかる。それに比べて韓国は、システムを用いて管理、製造するのでとにかく仕上がりが早く、企画から約2~3ヶ月で製品を製造することが可能です。日本、韓国どちらにも利点があるのでどちらが良いという話ではありませんが、このスピード感は私たちの強みのひとつだと考えています。 ■学生へのメッセージ まずは色々なことに挑戦してほしいです。その中で、好きなことや得意なことが見つかってくると思います。そうしたら、そのことをずっとやり続けてほしい。続けていけば行くほど、そのことに対する知識が段々と高まってくると思います。そのことは自分にとって、大きな生涯の財産になり、他者と関わる中でも役立つと思うのです。だからこそ、まずはたくさんのことに挑戦し、可能性を広げてほしいと思います。 学生新聞オンライン2023年6月15日取材 国際基督教大学 1年 渡邊和花

和田真帆

アンファー株式会社 代表取締役社長 叶屋宏一

お客様を第一に考え、悩みに応じたソリューションを提供する アンファー株式会社 代表取締役社長 叶屋宏一(かなやこういち) ■プロフィール 1989年上智大学経済学部卒業後、株式会社三和銀行(現・株式会社三菱UFJ銀行)へ入行。その後外資系証券会社を経て、2004年にヴィッセル神戸株式会社へ入社。9年間スポーツビジネスに関わり、その後、ヴィッセル神戸のスポンサーであったアンファー株式会社の外部コンサルティングに携わり、2016年に常務として同社入社、2020年に同社の代表取締役社長に就任。 男性用シャンプー「スカルプD」などで有名なアンファー株式会社。化粧品のみならず、睡眠事業や女性健診事業など医師との距離が近いからこそ実現できる“お客様の悩みに合わせた事業展開”を行っている。事業を推進する理由や仕事で大事にしていることなど、代表取締役社長 叶屋宏一氏に伺った。 学生時代はアルバイトやサークル活動に熱中しており、普通の学生生活を過ごしていました。当時の私は安定志向の傾向が強く、ゼミでも金融の勉強をしていたため、当時勢いのあった三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社をしました。当時の日本は間接金融で成り立っているため、経済の中心で働くことで沢山の学びが得られるのではないかと思ったことも入社を決めた一つの理由です。 実際に銀行に入行したことで様々な学びや恩恵を得ることができました。金融を通じて数字に強くなり、多くの人からの信用や信頼を得やすく、現在に至るまでいろいろな場面で活きてきたと思います。 今は自分自身で“選択できる時代”だからこそ、早めに帰って自分の時間を過ごすことが一般的だと思いますが、当時は夜遅くまで会社で残業したり勉強することが当たり前でした。ただ、そのおかげで様々な知見や経験を得られたと感じています。銀行で働いている間に様々なチャレンジも経験しましたが、10年間働いたのち、(当時周りに転職する人はほとんどいなかったのですが)日本企業の雇用システムに疑問を感じたのと、世界というフィールドで戦いたいという決意のもと外資系証券会社へ転職しました。最初の5年間は非常に順調でしたが、その後もう1社転職した外資系企業では事業の縮小の影響で会社を退職することになり、金融の世界から離れることを決断しました。 もう一度企業に就職するべきか悩みましたが、自分の力がどこまで通用するのか挑戦するべく、個人会社を設立し企業コンサルティングなど様々な仕事に携わりました。その後、縁あってヴィッセル神戸に職をいただき、専務・社長としてスポーツビジネスにかかわることができました。9年間在籍したのち、ヴィッセル神戸のスポンサーであったアンファーの外部コンサルタントとして関わることになり、2016年に常務として入社。2020年に社長に就任しました。安定志向の傾向が強かった私が外資系金融、サッカークラブを経て、いま社長をしているとは、学生時代からは想像もつきませんでした。ただ、たくさんの選択肢の中から自分自身で選択をして、目の前のことを一貫して誠実に愚直に頑張り続けてきたからこそ今があると思います。 アンファーグループは人々がいつまでも健康で、愉しく美しく豊かな人生を送るためにお客様の悩みの深度に応じて、医療と結びづいた最適なソリューション(商品やサービス)を提供するグループです。 そのため、一人ひとりに寄り添いながら、最新の医学的知見に基づくサービスやプロダクトをヘアケア・スキンケア事業、睡眠事業、オンライン診療事業、ファストクリニック事業、女性健診事業の5つの事業を通じて、生活のすみずみまで届けています。 医師との距離が近いからこそ、患者様のニーズを把握でき、要望に合わせた商品開発やサービス展開を進めることができます。今までの悩みは男性特有のもの・女性特有のもの・若者特有のもの・高齢者特有のものと分けられてきましたが、女性の社会進出などに伴い、年齢性別に関係なく色々な悩みを持つようになってきました。その悩みに対してソリューションを提供するのが社会課題の解決や問題解決につながると考えています。 そのため、我々はこれまでスカルプDシャンプーやまつ毛美容液で有名でしたが、現在は女性健診事業に力を入れ始めました。女性健診事業は女性が抱える不安や悩みに対して、健やかに美しく年齢を重ねていくためのからだのライフプランニングを一緒に考えていく事業です。まだ世間の関心はそれほど多くはありませんが、認知を広げるためには地道な活動が大事だと感じているので、女性の疾患に対するセミナーを社内外で定期的に開催をしています。こうした地道な啓蒙活動や医師の協力のもと、女性健診を社会に浸透させられたらと思っています。 ■誰と仕事をするかを大事に アンファーは「誰と仕事をするか」を大切にしている会社です。些細な仕事や作業でも、自分事として捉えて責任感をもち、かつ成長意欲・チャレンジ精神のある人を評価しています。 仕事を一緒に続けていくうえでは、アンファーの理念や哲学に共感しているかどうかも一つの指標になります。アンファーは「自分をより“美しく”“健やかに”することを通じ、人生をより“愉しく”したい人を増やすこと」を企業理念にしており、理念を理解しているからこそ同じ目標に向かって仕事をしていけると思います。 そして、これからAIが発展していく世の中では、好奇心や質問力、気遣いといったコミュニケーション能力が、さらに社会で求められると思っています。私自身も、これらの事柄は、どんな職場でも共通して意識していました。勉学には限界があっても、コミュニケーション能力は唯一訓練することができます。素直にお礼を言えるか。自分からチャレンジができるか。そして、誠実に物事に取り組めるかがこれから仕事をしていくうえで非常に大事な要素だと思います。 ■大学生へのメッセージ 以前よりも、自分のキャリアを真剣に考えている若い人が増えたように感じています。それはいいことだと思いますが、自分の求めているキャリアと今やっていることがリンクしないと「今のままやっていいのか?」と考える時間が増えると思います。また、SNSが一般的になり他人のプライベートが見えるようになりました。隣の芝は青く見えがちなので、人によっては、「これでいいのか」と悶々と悩み続け、変化を求めてすぐに会社を退職したりするのだと思います。ただ、私は、仮に他人が羨ましく見えたとしても、人の可能性や選択肢はいくらでもあるし、仕事人生は本当に長いのだから、ある程度、自分の目標を決めたらひとつのことを覚悟して続けるべきだと思います。いろいろなことに興味をもって常に全力で行動の質と量を増やしていけば、偶然の幸運な出会いに巡り合えるはずです。 学生新聞オンライン取材2023年5月8日取材 國學院大學3年 島田大輝 / 日本大学4年 和田真帆

学生新聞映画大賞

学生新聞映画大賞

■学生新聞映画大賞とは2023年に新設した、「大学生がもう一度観たい映画」を選ぶコンテスト ■概要(目的)①映画の価値、素晴らしさを、大学生に伝える。②大学生に人気の映画を、映画製作関係者にお伝えする。 (主催)学生新聞映画大賞 実行委員会 (各賞)男優賞・女優賞(各2名)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞、特別賞(経営者賞) ■受賞対象対象期間中、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品 ■選考方法学生新聞インターン(約50名)が、ノミネート作品10本をセレクト。ノミネート作品から、大学生200名にアンケート実施し、結果集計。※特別賞は経営者にアンケートを実施。 ■対象期間(表彰式)第1回 2023年1月1日~6月30日までに公開(2023年10月)第2回 2023年7月1日~12月31日までに公開(2024年4月)第3回 2024年1月1日~6月30日までに公開(2024年10月)  以降、同様に毎年2回開催。学生新聞発刊パーティ内にて表彰予定 ■結果発表学生新聞発刊パーティ内にて発表および表彰。第1回は2023年10月17日に開催。

コラム

テリー伊藤 コラムVol.8 人生に一度、不良ファッションで決めてみたら!

人生のひととき「不良時代」があった方がいいのではないか!最近ふとそんなことを考える。ファションで考えてみよう。今の時代、ほとんどの若者がユニクロ的な洋服か、人気のノースフェイスで代表されるスポーツウエアーを着て、ブランドスニーカーを履いて街に繰り出している。もちろんこんな爽やかないで立ちは女性にも好感を持たれるだろう。しかしなのだ、いつか長い人生を振り返った時、これではつまらなくないか!若い頃の写真がユニクロばかりでは情けなさ過ぎる。味気無さ過ぎる。あの頃あんな格好でデートしていたんだ、俺って突っ張っていたんだ、不良ぶっていたんだ、それがいいのだ! 例えば石原裕次郎、舘ひろし、岩城滉一、宇崎竜童・・・青春時代みんな不良っぽかった。裕次郎は慎太郎刈り、舘や岩城は革ジャンにリーゼント姿でハーレーダビッドソンを走らせ街を回っていた。二人の昔の写真を見るととても傍には近づけない怖い雰囲気を醸し出していた。宇崎竜童だって安い白のツナギとサングラスで決めていた!本当はいい人なのに・・・ ズバリ言います!人生で大事なのは不良の過去があることなのです!! 舘ひろし、岩城滉一、矢沢永吉など、芸能界の中年スターで若い頃遊んでいた人達がみんな輝いて見える。亡くなってしまったが萩原健一、松田優作、ジョニー大倉なんかの暴れん坊だった連中がどう歳をとって行くのか・・・彼らの人生のギャップを見たかった。本当に勿体ない。私だって本当は「俺、若い頃悪かったんだ!あまり過去の事は話したくないな~。」こんなセリフ一度は言ってみたかった。残念ながらズ~とナンパファションを着てきたし、不良になる根性もなかった。そんな自分が情けないのだ。 私の人生の反省から、皆さんには今からでも遅くないので、是非不良スタイルで決めて欲しい!何も暴走族が好んで着ていた特攻服を勧めたりはしません。先ずは初心者コースとして「SCHOTT」のライダースを着てもらいたい。シングルとダブルがあるが、お腹が出ていなければダブルが絶対にお勧め!古着屋に行けば2万円で買える。靴はサイドゴアブーツがいい!次はスカジャンだ。ヴィンテージ物は高すぎて実は格好悪い。そんなものはコレクターに任せておけばいい‼御徒町やアメ横で1万位で良いモノが手に入る。安っぽい虎柄なら尚良い!本物の不良は金が無いので、高価な洋服を着れる訳がない。春になったら明るめなスーツに派手なアロハシャツの着こなしも挑戦して欲しい! 不良ファションの哲学は「さりげない着こなしは絶対にしない!」これなんです。一度挑戦してみてはどうですか!きっと人生変わりますよ! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

シャボン玉石けん株式会社 代表 森田隼人

父の思いを受け継ぎ、無添加石けんで人々の健康と環境を守る シャボン玉石けん株式会社 代表 森田隼人(もりたはやと) ■プロフィール1976年、福岡県生まれ。2000年3月専修大学経営学部経営学科卒。同年4月にシャボン玉石けんへ入社。関東エリアの卸店、百貨店、スーパー、ドラッグストアチェーンなどへの営業に携わる。その後、取締役副社長などを経て、2007年より現職。無添加石けんを通じた現在の環境問題を広く社会に伝えるため、講演活動も積極的に行っている。 「健康な体ときれいな水を守る。」を企業理念に、人にも自然にもやさしい無添加石けんにこだわった商品を展開するシャボン玉石けん株式会社。17年間の赤字を乗り越え、父の事業への思いを受け継ぐ森田隼人社長に、これまでのキャリアや無添加石けんの魅力についてお話を伺った。 ■父の事業に対する見方の変化幼少期の頃から、何となく家業を継ぐのだろうという意識はありましたが、小学生の頃は父がシャボン玉石けんの社長であるということに幾分の気恥ずかしさを感じていました。「お父さんはどんな仕事をしているの?」と聞かれて、「シャボン玉石けん」と答える度にポカンとされるくらい、当時は地元でもほとんど知られていなかったのです。もちろん実家では当社の白い石けんを使っていたので、友人のお宅にお邪魔した時、戦隊モノなどのキャラクターがデザインされた石けんやカラフルな石けんを見て、うちは変わった石けん会社なのだという認識をもっていましたね。ですが、私が中学生の頃、父が「自然流『せっけん』読本」という本を出版したことをきっかけに、翌年から会社は黒字となりました。当時、本の執筆も自宅でしていて、原稿がたくさん置いてあったので、裏紙として勉強用に使用していたのです。勉強の途中で原稿を読み、父の会社は環境に優しい商品を作っているのだと気づき、父の事業に対する見方が変化した時期となりました。 ■シャボン玉石けんをより身近に感じた大学時代大学時代はあまり模範的な学生ではなく、よくお酒を飲んで過ごしていました。今思えばどうしたものかと思うのですが、私は4年間アルバイトを経験しませんでした。将来は70歳を超えても家業を継いで働いているだろうと思っていたので、大学生のうちは働かないと決めていたんです。ただ、大学時代から当社の株主だったので、小冊子や会報誌などの自社の発行物を目にするようになったり、東京の大学に進学して一人暮らしを始めて家事をするようになり、当社の石けんを使ったりするなど、シャボン玉石けんの事業をより身近に感じるようになりました。昔はほとんど知られていなかった会社の商品が店頭に並べられていたり、東京のテレビCMで流れたりしているのを見ると、感慨深いものがありましたね。 ■父の思いを受け継ぐ大学卒業後は、そのままシャボン玉石けんに入社しました。母は何年か他で働くことを提案してくれましたが、父の年齢を考慮し、卒業後すぐの入社を決意したのです。私は父が45歳の時の子供なので、早く事業に携わろうという気持ちで、父の背中を見ながら一緒に事業を進めようと思っていました。初めは工場に入って実際に商品作り、その後各部署を一通り経験したのち、経理や営業職に携わりました。私は入社2年目にして取締役、そして翌年には取締役副社長に任命されたのですが、流石に自分には早すぎると思い、父に相談しました。父から返ってきた言葉は、「いいからやれ」。父は「役職が人を育てる」という信念をもっていて、若くても責任ある役を経験しておくことが成長につながると考えていたんです。そして、私が30歳のときに社長に就任することになり、社長就任半年後に父が他界しました。お客様の期待を裏切らないよう良い商品をお届けし続ける、従業員やその家族の生活を守る、という使命感や重圧が一気にのしかかってきましたね。父は無添加石けんの素晴らしさを伝えるために、年間100回もの講演をしたり、取引先様や一般の方の工場見学を広く受け入れたりするなど、本当に地道な活動を続けていました。「シャボン玉石けん」というキャッチーなネーミングや、キャラクターの登場、赤字の中でもCMを続けるなど、現代でいうブランド展開も行うなど、カリスマ的な経営者でした。私の場合は、一人で全部やるというよりも社員一人ひとりが活躍できる環境づくりを行い、社員と一緒に企業理念の実現を目指して取り組んできました。 ■こだわりぬいた無添加石けん 他社では4~5時間ほどで作る石けんを、当社では1週間かけて作っています。「健康な体ときれいな水を守る。」という企業理念にあるように、肌にやさしく、環境にもやさしい商品づくりにこだわっています。これは当時、父自身が湿疹に悩んでいたことが関係しています。1960年代、高度経済成長期で洗濯機などの家電が多く誕生しましたが、アメリカから入ってきた合成洗剤が急速に普及しました。父もいち早く合成洗剤を取り扱うようになり、業績も順調でしたが、同じ頃から原因不明の湿疹に悩むようになったんです。薬でもなかなか治らなかったのですが、得意先から依頼があって開発した無添加石けんを使ったところ、みるみるうちに湿疹が治りました。父は経営のことを考えて悩んだ末、1974年に「体に悪いと分かった商品を売るわけにはいかない」と一大決心し、無添加石けんのみの製造・販売に切り替えました。無添加石けんに切り替えてからは、売上が1%以下になり、17年間もの赤字が続きましたが、とにかく無添加石けんの魅力を信じて、石けんの良さを広げる取り組みを続けたんです。父の地道な努力もあって、今では多くの人に手に取ってもらえるようになりましたが、そこには長年の苦労がありましたね。 ■無添加石けんの可能性に挑戦現在、一般消費財としての無添加石けんの販売のみならず、新たな事業も進めています。それが、石けんの技術を応用した消火剤の開発です。水に石けん系消火剤を混ぜることで、少ない水で効率よく消火できるだけでなく、環境にやさしいという特徴があります。これは1997年の阪神淡路大震災の火災で多くの人が亡くなったという事例から、少ない水でより迅速な消火活動を目指して北九州市消防局や北九州市立大学と共に産学官連携で開発しました。その他にも、JICAに協力いただきインドネシアの森林・泥炭火災用消火剤の普及にも取り組んでいます。インドネシアでは化石燃料になる前段階のものが土の中で発火することがあるのですが、これらの火災に対して石けん系消火剤の活用・普及を目指しています。今後も、人々の健康や地球環境を守り、社会に貢献できるよう尽力していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、大学生のうちにしかできないことをたくさん経験してほしいと思っています。勉強だけでなく、思う存分遊ぶことも大切です。貴重な大学生活ですので、後悔のないよう過ごしてほしいですね。私の座右の銘は「好信楽」という言葉です。これは、「好きなことを信じ、楽しむ」という意味。もともとは父の座右の銘で、本居宣長の古事記伝に載っています。まずは物事に対する、好きという感情があることが大切です。何事も楽しんでこそ長続きします。皆さんも自分の好きなことを見つけて、大切にしてほしいです。 学生新聞オンライン取材2023年5月15日 上智大学2年 白坂日葵

学生新聞インターン

俳優・脚本家・プロデューサー 岩瀬顕子 

忘れてはいけない記録を記憶として伝える使命があるから 俳優・脚本家・プロデューサー 岩瀬顕子 (いわせあきこ) ■プロフィール 栃木県出身。企画・脚本・出演する劇団「日穏-bion-」(びおん)主宰。グローバルにも活動し、映画「アースクエイクバード」」、ジョニー・デップ主演映画「MINAMATA」、ドラマ「TOKYO VICE」などの海外作品にも出演。また、ドラマ「特捜9」等の脚本を手掛けるほか、2023年秋公開の映画「シェアの法則」(小野武彦主演)でも、脚本とプロデュースを担っている。 女優として役を演じる一方、脚本家そしてプロデューサーとして作品を創り出す岩瀬顕子さん。「色んなものに挑戦してより良い作品を、自分なりの方法でメッセージを伝え、多くの人に笑顔やエネルギーを与えたい」と語る岩瀬さんに、様々な作品を手掛ける理由や、お仕事に対する想いを伺った。 ■表現することの意味 私は大学生活をアメリカのバージニア州で過ごしました。在学中はミュージカルに出演したり、インターナショナルソサエティという留学生が自分の国の文化を伝える団体で、副部長を務めたりしていました。3年生の夏、バックパッカーとして3ヶ月旅をして様々な物事を吸収し、一度日本へ帰国。その後アメリカに戻り、バージニア州立ウィリアム&メアリー大学に編入しました。レベルの高い大学だったこともあり、あまり遊ぶ暇もなく、日々勉強していましたね。学生時代は授業についていくのに必死で、図書館で過ごした思い出ばかりです。表現をすることが好きになった原点は、幼少期に習っていたバレエです。自分で踊るのも見るのも好きでした。もともと沢山の芸術や文化に触れていた方だったので、自然と表現する事は好きになったのかもしれません。しかし、当時はそれを仕事にしようとは思っていませんでしたね。現在の仕事を選ぶきっかけとなったのは、大学4年生の時にメキシコの養護施設でボランティア活動をしていた際、ある劇団のお芝居を子供たちが見てとても喜んでる姿を見たことです。演劇は人の心に栄養やエネルギーを与えられるものだという事に気づきました。元々は国連やNPOで働きたいと思っていたのですが、それより自分に向いている方法で人に笑顔を与えられる存在になりたいと強く思うようになりました。私自身が小学生の頃に教師からいじめられた経験などもあったことから、現実を忘れられる世界に憧れを持っていた事もあると思います。だからこそ、お芝居を通して違う人間を生きることで、拠り所を見つけていたのかも知れません。 ■役者として、脚本家として 私は女優として演じ、脚本を書き、作品を生み出す仕事を行なっていますが、最初にこの芸能の世界に足を踏み入れたのは役者としてです。役者は”待つ”仕事です。海外作品の場合は基本オーディションで誰にでもチャンスがあるのですが、日本だとオファーが来るのを待つのがほとんどです。お仕事の話が来ても「自分が本当にやりたい作品か?」と自問自答することもあり、待っているだけというのは私の性に合わないなと感じました。でも、演劇は続けたい。それなら自分の思ったものを作ってみようと思い立ちました。実際に脚本を書くことになったのは知り合いに頼まれたからなのですが、意外と評判が良く、脚本の依頼が続くようになりました。演技をしているときは楽しいのですが、やっぱり脚本を書くモノづくりをしている時は大変ですね。でも、書いたものが形となってみなさんが観て、喜んでくれると「嬉しいな、やってよかったな」と強く思います。ある時、私の劇団の舞台を観たテレビドラマのプロデューサーが、終演後にすぐ楽屋へ来て、ドラマの脚本を作ってみないかと言ってくれました。その時はお断りしていたのですが、何度も声を掛けて下さり、やってみるかと思い立ちました。このように知り合いの方などからお話を頂いて、どんどん色んなお仕事に携わらせてもらって、仕事の幅を広げているような気がします。だからこそ出来ないことは、その時その場で調べて勉強しながら、挑戦して作っています。それから、私は役者でいる時も制作側でいる時も共通して、みんなが気持ちよく作品に参加できるように現場を明るくする事を心掛けています。笑顔と「ありがとう」を大切にしています。そして、ハリウッドの映画やドラマにもいくつか出演していますが、これらは全てオーディションで決まりました。海外作品のオーディションは日本での知名度は関係なく、その役に合うかどうかで審査されるので自己PRなどもなく、演技だけを見られます。映画『MINAMATA』のオーディションを受けた時は、舞台設定が熊本の水俣なので、標準語で書かれている台詞を熊本弁にして受けました。水俣病についてリサーチしたり、熊本弁を教わったりして役になりきる努力をして挑戦しました。 ■プロデュース作品の舞台「オミソ」、映画「シェアの法則」について 舞台「オミソ」は、伝統食品であるお味噌の魅力を伝えたいという想いから始まりました。こちらは「みそっかす」と呼ばれるような、のけ者扱いされてしまう息子がいるお味噌屋さんの家族をテーマにした、笑えて泣ける温かい作品です。映画「シェアの法則」のテーマは多様性を認め合うこと。地球は大きなシェアハウスだから、相手をリスペクトし、価値観の違いを受け入れようというお話です。私が作っている「日穏」の作品は、戦争、差別、介護問題、安楽死など、社会問題を背景に描いていることが多く、特に戦争については、20代の頃から取材してきた戦争体験者の話を伝えていく事が使命だと思って続けてきました。エンターテイメントは、伝える事に最も有効な手段です。なぜなら、記録を記憶にすると記憶に残りやすいからです。作品を見て、感情移入の追体験をし、内容に共感した視聴者がその先を考えることができる。それがエンターテインメントの強みだと思います。 ■学生へのメッセージ 「人生はエンドレスだ」と大学生の時は思っているかもしれませんが、人生そんなに長くはありません。これはいつかやろうと思っていたとしても、若いうちにしかできない事もあります。やりたいと思ったことはすぐに行動してやってほしいですね。そして、フットワークの軽いうちに旅に出るのもいいと思います。色んな世界を見て様々な国の価値観を知って、沢山の人と話して自分の視野を広げていってください。 学生新聞オンライン2023年7月3日取材 国立音楽大学3年 岡部満里阿 日穏-bion- オミソ 2023(東京公演) 公演日:2023年8月25日(金)~9月3日(日) 劇場:赤坂レッドシアター チケット:(全席指定)一般前売り 5,000円 当日 5,500円 U-25 3,500円 高校生以下 2,500円(※U-25及び高校生以下は要証明書) 出演:内浦純一、岩瀬顕子、剣持直明(劇団だるま座)、堂免一るこ、伊原 農(劇団ハイリンド)、鈴木朝代、和田慶史朗(演劇集団円)、石井絵理佳、種村 愛、たんじだいご 企画・脚本:岩瀬顕子  2019年に上演して好評を博した作品の再演!バブル時代の地方都市にある老舗味噌屋を舞台に繰り広げられる笑えて泣けるヒューマンドラマ。

学生新聞インターン

フォースタートアップス株式会社 代表取締役社長 志水 雄一郎

誰でもマーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクになれる フォースタートアップス株式会社 代表取締役社長 志水 雄一郎(しみずゆういちろう) ■プロフィール株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)にて転職サイト『doda』立ち上げなどを経て、2016年に成長産業支援事業を推進する株式会社ネットジンザイバンク(現フォースタートアップス株式会社)を創業、代表取締役社長に就任。2016年『Japan Headhunter Awards』にて 国内初『殿堂』入りHeadhunter認定。2019年より日本ベンチャーキャピタル協会ベンチャーエコシステム委員会委員、2020年より経団連スタートアップ委員会企画部会/スタートアップ政策タスクフォース委員に就任。2021年に公益社団法人経済同友会入会。2022年に一般社団法人関西経済同友会入会。 国内最大規模のスタートアップ支援会社・フォースタートアップス株式会社の代表取締役社長である志水雄一郎氏。かつて転職サイト「doda」の立ち上げを経験され、「Headhunter of The Year」で国内初となる殿堂入りを果たされた志水氏に、現在の日本においての新産業の重要性と私たち学生の可能性について伺った。 ■アートとダンスに夢中だった学生時代 元々美術が大好きで、MITのメディアラボでメディアアートを学びたかったのですが、学力が足りずに国内で学べるところを探しました。その結果入ったのが、慶應義塾大学のSFCです。私はアーティスト活動に興味があり、テクノロジーアート作品を約30年前に作っていました。人よりも多くの色を認識する才能があったようで、大学在学中は研究員として大企業と色の研究をご一緒にしてこともあります。ダンスもスクールに通ったり、週に1回以上はクラブに行ってました。将来もクリエイターとして食べていこうと思っていたのですが、それは無理でしたね(笑)。 ■衝撃を受けたある人からのメッセージ 就職浪人して5年通うほど、就職活動に関しては立派に助言ができるような人ではないです(笑)。拾ってもらった会社は、株式会社インテリジェンス(現パーソルホールディングス株式会社)。きっかけは、自分の元に届いた一通のダイレクトメールハガキでした。当時の就職活動は、企業から学生に郵便でダイレクトメールが届き、学生が企業に連絡をするという仕組みでした。そこには「電通とリクルートを超える」というメッセージと、裏面には「インテリジェンス」という会社名だけが書かれていました。何故か興味を持ってしまって、会社説明会に訪問した際に当時30歳だった代表の宇野康秀さんと出会いました。彼が話す学生へのメッセージとその様子が、あまりにもかっこよくて衝撃を受けましたね。そして宇野さんと共に時代を作りたいと思い、入社したのが株式会社インテリジェンスでした。そこで、私は新卒採用のコンサルティングや人材紹介の営業などをして、最終的に「doda」という転職サイトを立ち上げました。 ■自分が知らなかった日本の実態 40歳の時に、気がついたことがあります。日本ではエリートと呼ばれる人々は、年収1000万円から2000万円前後ですが、この年収はシリコンバレーの新卒初任給に過ぎないということです。さらに、日本の平均給与は韓国よりも低く、スペインやリトアニアとほぼ同じなのです。つまり、日本は自分が思っているより貧乏だったのです。それまでの私は「自分の事業を伸ばせば、社会で前向きな未来を作れる」と思っていました。よく「働きすぎだ」と言われる日本人ですが、実は東京よりロンドンやニューヨークの人はもっと働きます。中国のアリババやテンセントはアメリカに勝つために日本人の2倍働き、イーロン・マスクは人類にイノベーションを起こすためにさらに働いています。人間には動物にはない学や書があるからこそ、未来、社会、次世代のために生きられる。でもそれは学校では教えられません。例えば、学校や家で「あなたは優秀でリーダーシップがあるからアマゾンやアップルを作れる。そんなあなたを全面的に応援するから一緒に頑張ろうね」と言われ続けたら、挑戦する人も出てくるでしょう。しかし親から毎日「安定した仕事をしなさい。大企業や公務員になりなさい。」と言われ続けたらそっちに向かってしまいますよね。そんなコミュニケーションが、当たり前のことのようになされてきたからこそ、いまの結果があるのです。 ■挑戦は誰でも平等にできる 「挑戦はアンチエイジング」だと私は思っています。強い意志を持って社会を変えようと思うと、素晴らしい情報と人に触れるようになります。その体験と刺激によって、人は長生きできるのだと思います。日本では大人がいい顔をして生きていないせいで、若者が未来に希望を感じていません。人は誰しも社会や未来を変える権利を平等に持っているのに、それに気づいていせん。では、どうしたら人は変われるのか。それは、自分が生きている社会を物差し化し、環境、経験、情報の3つを高めることです。たとえ社会のなかで自分がちっぽけな存在であることに気がついたとしても、目指す未来との余白を可能性と捉えるのか、到達できない未来と捉えるかが重大な分かれ目になります。この余白に対して、モチベーション高く取り組み、目の前の課題を解決しようと成長していく。それをやり続けたのが、マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクたちだと思うのです。 ■新産業でかつての日本をもう一度作る 世界では新産業が成長した国が富を得るし、競争力を持つようになります。そして富を得た人たちは、子供に良い生活水準と教育を与えて未来に繋げます。昔の日本は戦争に負けた時、ソニーやトヨタなどに人が集い、国を強くし、世界を席巻しました。いま日本がビジネスの戦争で負けている中で、誰かがリーダーとなってイノベーションを起こせば、かつての経済大国としての日本をもう一度再現できるはずです。日本の未来は新産業で変えられる。私はそれに気がついてから、メルカリやスマートニュースなどのさまざまなスタートアップの支援を行ってきました。ただ、1社、2社では意味がなく、数百、数千社は生まれないと日本は変わらないという現実を突きつけられました。私だけでは足りない。そこで、私と同じ想いを持った人を集めて作ったチームが「フォースタートアップス株式会社」です。ここでは日本を代表する起業家や投資家、エコシステムビルダーや政治家と毎日会い、日本の再成長のために行動しています。インターン生たちも、今世界を動かしている人たちを直近で見て、私たちの未来がどうなるのか知り、その未来を変えるために参加してくれています。 ■大学生へのメッセージ 「思いっきり挑戦せよ」と伝えたいです。学生のみなさんにはチャンスと希望しかありません。思いっきり挑戦して、リーダーとして自らが立てる経験と素養をどこかのタイミングで得られたら勝負をしてください。あなたならマーク・ザッカーバーグにでもイーロン・マスクにでもなれる。自分がリーダーとして未来を変えるチームを組成してください。それはきっとあなたにとって、生きていて良かったと思える人生になるはずです。 学生新聞オンライン2023年6月30日取材 国際基督教大学1年 若生真衣

学生新聞インターン

ロゼット株式会社 代表取締役社長 藤井敬二

お客様のお肌と生活をお守りする ロゼット株式会社 代表取締役社長 藤井 敬二 (ふじい けいじ) ■プロフィール神奈川県生まれ。1977年株式会社キスミーコスメチックス(現伊勢半)入社。営業を務めた後、1993年より営業企画へ異動。2000年同社取締役を経て、2006年同社代表取締役社長へ就任。2011年ロゼット株式会社代表取締役社長へ就任。現在、株式会社ナチュラルガーデン代表取締役会長、株式会社pdc代表取締役社長を兼務。 洗顔料をはじめとする化粧品でお客様の肌悩みに寄り添うロゼット株式会社。ロゼット株式会社の看板商品である「ロゼット洗顔パスタ」が今でも多くの人に長年愛される理由には秘密があった…そんな秘密を探るべく、今回は代表取締役社長である藤井敬二氏にお話をお伺いした。 ■一生ものの友人ができたクラブ活動 学生時代はクラブ活動で人間関係の構築に力を注いでいましたね。昼休みに英語のヒアリングを勉強したり、休日は友人たちと旅行にでかけたりしていました。海外で事業をする際に英語のヒアリングは役立っていますし、何より学生時代の友人とは今でも交友があります。その友人たちとはビジネス上の利害関係なく接することができるので、とてもありがたく感じています。アルバイトはクラブの先輩が百貨店の下請けの会社に勤めていて、そこの倉庫で繁忙期に発生した段ボールの処理などをクラブの仲間と団体で行ったりしていましたね。 ■美と健康の業界は廃れないと聞き化粧品業界へ 就活中にアルバイト先である百貨店の下請けの会社の社長から「戦争がない限り美と健康に関する業界は廃れない」という言葉を聞きました。その言葉から安定を求めて化粧品業界一本に絞って会社を探し始めました。 ■ロゼットとのご縁が生まれた社員の結婚式 最初は化粧品会社に営業として入社し、その後のキャリアで営業や企画だけでなく経営にも関わるようになりました。ロゼットと出会ったきっかけは、伊勢半に入社して常務をしていた際に、ロゼットの営業の方と伊勢半の営業担当が結婚したことです。その結婚式で私がスピーチをすることになったところ、そこで当時のロゼットの社長と出会い、ご縁が生まれました。その後、伊勢半を55歳で退職したのですが、丁度当時のロゼットの社長が次の後継者を探していた時期でした。結婚式の時に出会ったご縁から私にお声がけいただき、56歳の時にロゼットの社長に就任しました。私が選ばれたのは、化粧品の店舗販売の知識や営業から運営に関わるところまで知っていたことも大きいのですが、それ以上にご縁があったのも大きいのではないでしょうか。 ■「道徳心」を軸に経営をしていく。 私は「道徳心」を軸に会社を経営しています。代表取締役社長に就任した際に経営していく上で、判断する際の考えの軸が必要だと感じました。そこで稲盛和夫氏の本を読み、自分がやってはいけないと感じること「道徳心」を軸にしようと決めました。 ■ロゼットだけの成分やコンセプトを追求する ロゼットならではの強みは「コンセプト」や「独自の成分」だと思います。コンセプトは時代の流れとともに大きく変化する「肌の悩み」に寄り添ったものを作っています。ニキビや黒ずみといったこれまでの肌悩みに留まらず、さらに細分化の傾向があると思います。そういった多様な悩みをキャッチしてマーケティング部がコンセプトを打ち出していき、商品や成分の研究開発がスタートしていく流れになります。研究や処方開発を行っている研究室があり、そこでは研究員がコンセプトに基づいた化粧品の処方開発や天然セラミドの効果や日焼けの仕組みなどを研究する「基礎研究」も行っています。また、他社の化粧品メーカーではあまり扱っていない“イオウ”など独自の成分という新しい切り口での商品開発にも力を入れています。ただ売れるだけの商品ではなく、基礎研究を行い研究結果などのエビデンスに基づいた商品づくりをこれからも行なっていきたいと考えています。 ■発売される前から勝負をする、そして化粧品業界の技を応用する。 コロナ禍で化粧品業界全体では2年間で75%売上が下がり打撃を受けました。しかしロゼットの売上は好調を維持することができました。在宅時間が多くなり、お肌をケアする時間ができたり、マスクによる肌荒れが増えたというのも一因だと思いますが、SNSなどを駆使して積極的にマーケティングを行った事が一番の要因だと考えます。「商品が発売される前から勝負をする」という心構えを持っており、なおかつ話題性が生まれるように行うようにしています。ブランドイメージにマッチしたイメージキャラクターを起用し、TVCM放映や交通広告の掲出など大型プロモーションも実施しました。また自分がロゼットの社長に就任して始めたマーケティングとして、プロモーションの打ち出しや限定品の販売があります。化粧品業界ではプロモーションや限定品の販売は当然でしたが、以前のロゼットでは行っていませんでした。そこでそれらを導入して商品をたくさんの方に知ってもらうことを始めました。 ■一緒に働きたいのはYesマンではなく自分の軸をしっかり持つ人 自分の軸や意見を持っていてYesマンではない人がいいと思います。例えば若い人向けの商品のデザインやコンセプトを決めるときは、若い人たちの意見のほうが適していると思います。もしデザインを決める会議などがあれば積極的に意見を発信したり、もし社長がズレてる意見を出したら、それは違うとはっきり言ってもらいたいですね。他にも素直な人や一生懸命な人と働きたいですね。新卒の学生の最終面接を担当するのですが、例えば化粧品が好きですという人がきたとします。その時にロゼット以外で好きな商品や嫌いな商品を聞いたりして、本当に好きかどうかを見たり、物事をどのように考えているかを判断します。他にも大学でやっている研究を深掘りする質問をして、どのぐらい物事に没頭できるか、一生懸命にできるかを見ていますね。 ■お客様の視点で「なぜ?」と考える意識と好奇心を持ってほしい。 どの会社でもお客様の目線で物事を考えることがビジネスとして重要になってきます。しかし会社に入って年数が立つと会社側としての目線が強くなっていきます。そのため学生のうちになぜこのパッケージなんだろう、なぜこの商品を手にしたんだろうと「お客様側の視点」を持って考える意識をしてほしいですね。あとは人間関係が将来的に重要になってくるので、学生時代のうちに色んな人と出会って友達を作ってほしいですね。 学生新聞オンライン取材2023年5月15日 武蔵野大学4年 西山流生

コラム

テリー伊藤 コラムVol.7 女子高校で講演をしてきました

先日、慶應女子高校で講演をさせてもらいました。この春私自身がSFC政策・メディア研究科大学院を修了した関係でお声がけいただいた。大変お世話になった先生からの依頼で、快諾させていただいたのだが、さて講演でどんな話をしたら良いものか。仕事柄お笑い養成学校の講師をしているため人前で話すのは慣れていますが、お笑い芸人志望の生徒の場合は下ネタや芸能界の裏話など基本的に何でもOKですが、女子高生の前ではそういう訳にはいきません。生徒達の将来に向けて少しでも役に立つ話でなくてはならない…。私悩みました。 遠い昔の自分の高校時代を思い出しながらテーマを幾つか挙げました。青春時代、私は若さが重荷でした。周りの先輩や親から「君は若いから何でも出来る」「夢に向かって今は進んでみたら」などの言葉を言われ続ける日々でしたが、当時の私は自分が将来何をやったら良いかを決める事も出来ずにいました。気が付けば同級生達の就職先はドンドン決まって行き、一人取り残され人生を彷徨う時間が続きとてもしんどかった。そんな青春体験を先ず話し、そこからどう抜け出したかを聞いてもらい、「人生なめてかかって真面目にやる」を今回のテーマにしようと決めました。 慶應女子高校の生徒さんは真面目で優秀、親の教育もしっかりしている高校生ばかり。おそらく社会に出ても普通に適用出来るポテンシャルを持っています。しかし社会で抜きん出る人材となると、これは別物かもしれません。そこで私からの提案は「人生なめてかかって真面目にやる」こと。新しい職場で仕事に関わった時、先輩から基本を学んだ後、そこからは自分の歩んできた道と自分の感性を信じて、新しい提案を是非してみてくださいと伝え、2時間の講演は終わりました。最後に質疑応答もあり無事終了。 感想としては、今どきの女子高生なので少し派手なのかなと想像していましたが、皆さんとても純朴で驚きました。自分の学生時代の頃の悩みも普通に共感してもらえ、熱心に耳を傾けてくれました。後日受講した生徒さん達から感想文を多数いただき「背中を押してもらえました。」「悩んでいた自分を励ましてくれてありがとうございます。」など、こちらが励ましてもらいました。また呼んでください! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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動物作家・昆虫研究家 篠原かをり

知識はシェアしてはじめて真価が分かるもの 動物作家・昆虫研究家 篠原かをり(しのはらかをり) ■プロフィール幼少の頃より生き物をこよなく愛し、様々な生き物の飼育経験がある。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)の出版をはじめ、『昆虫最強王図鑑』(Gakken)など図鑑監修も行っている。TBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、NTV「嗚呼!!みんなの動物園」動物調査員など、タレントとしても活動中。 幼いころから昆虫を愛し、これまでにタランチュラをはじめとした様々な生き物の飼育経験がある篠原かをりさん。高校生クイズをきっかけにメディアへの露出も増え、今回『雑学×雑談 勝負クイズ100』を出版するに至った。そんな篠原さんの日々大切にしている想いや著書の魅力、見どころなどを伺った。 ■とにかく色んなことを経験したかった学生時代 生物系の研究がしたかったのですが、数学が絶望的にできなかったのでAO入試で受験できて、かつ必修に数学がない大学はないかと探したところ、慶応義塾大学の環境情報学部を選びました。もともとは人の暮らしと繋がりの深い「かいこ」の勉強をするために入学しましたが、その研究で着目していた物質が使用できないことが判明したため、急遽昆虫食の研究にシフトしました。当時は、自分に適性があることもないことも、とにかくなんでもやってみたいタイプだったので、研究以外にもバイトはたくさん掛け持ちしていました。世界を大きいキッザニアだと思いながら、色々な職種を少しずつ経験するのが好きでしたね。週に8個、多いときには1日に3つバイトをはしごすることもありました。その中でも特に塾講師は長く続いていて、現在も趣味として続けている仕事の1つです。 ■高校生クイズをきっかけに広がった世界 テレビに出演したのは『高校生クイズ』が最初で、その後はクイズ番組中心に活動していました。大学2年生のときに出版甲子園という学生のコンペイベントでグランプリを取り、翌年書籍を出して以来、昆虫関係のお仕事もいただけるようになりました。自分で請求書を出すような手続きが本当に苦手で、請求書の送付忘れなど意図せずに誰かに迷惑をかけることが怖かったので、それらの仕事を全てやってくれる今の事務所に大学4年生のときに所属しました。スタジオ収録に参加したり、番組のロケで海外に行ったりしているうちに気が付いたらタレントの仕事が本業になっていました。けれど、現在も日本大学の大学院で研究は続けていて、力を入れる比重は変えながらも、お仕事と学業を同時並行で進めています。 ■目標は決めずに、目の前のことに集中する 両立する上で大切にしていることは「いつまでにこうなりたい」という目標を決めないことです。人は追いつめられることが一番しんどいと思います。人と歩むスピードを比べず、目標を定めることに固執せずに目の前にあることだけをこなしていくことが両立を続ける秘訣ではないでしょうか。目標を決めないことはその他にも利点があると思っています。思い込みで道を1つに決めてしまうと自分が想像した自分の一番上までしか行けないと思います。「何になりたい」とは強く決めず、色々なことに挑戦することで、自然とできることに導かれ、想像以上の結果に繋がることもあります。私自身、タレントに適性があるとは一瞬たりとも思ったことはなかったのですが、自分で可能性を狭めなかったために今の活動ができているのだと思います。とはいえ、二足のわらじを履いていると、研究の方がおろそかになってしまうことが多くて、それがずっと宿題を出していない感覚に思えてつらくなることもあります。毎日少しずつ研究できるタイプではなくて、スイッチが入ると一気に研究するタイプなので、自分がどういう状況だったら一番集中できるのかを把握することは日々心がけています。 ■『雑学×雑談 勝負クイズ100』について 大学時代のクイズ研究会で出会った夫との共著という形で、昔からお世話になっている編集者の方から企画をいただいて出版することになりました。内容としては会話の種になるような所謂「ゆるいクイズ」がテーマになっています。答え自体は一個でもそこから広がる話がたくさんあるので、色んな場所で色んな人と話してほしいと思って作りました。100個のクイズは知識量としては少ないと思うのですが、知識を得るよりはこの本を通してどのように話が膨らんで、どんな感想をシェアできるかがの方が大切だと思っています。私は人見知りで内向的な性格だったので、幼いころは昆虫の知識をいくら貯めても「自分の話なんて誰も興味ない」と思って伝えることを諦めていました。しかし、実際に話してみると、色々な人が興味を持ってくれたり、思ってもいなかった感想を得られたりと、知識はシェアして初めて真価が分かるものだと身をもって体験しました。そのためこの本では知識をシェアする魅力を伝えられたらいいなと思っています。 ■みんなにもっと虫の魅力を伝えたい 都市化が進むと虫や動物に苦手意識をもちやすい環境になります。けれど、同じ地球に住む、同じかけがえのない存在であるし、好きになることで毎日はもっと楽しくなります。是非その楽しさを知ってほしい、そんな想いを持って、研究やタレント活動に取り組んでいます。また、今までは誰かが研究したものを自分なりに解釈して本にすることが多かったのですが、今度は自分自身が研究した内容を本にしたいとも思っています。いずれは大学の非常勤講師としても働いてみたいですね。 ■大学生へのメッセージ ちょっとでも興味を思ったらなんでもやってみてほしいです。やり遂げられないことを恥ずかしいと思わずに、好き放題つまみ食いして楽しく過ごしてください。また、学生のうちに興味のある分野を調べつくすこともおすすめします。大学生までは合わないと思ったら簡単に辞められますが、社会に出たら辞めるハードルは格段に上がります。ちょっとでもかじって、その世界のことを知っておくと、その経験が社会に出てからの決断に役立つと思います。 学生新聞オンライン2023年6月9日取材 日本大学4年 石田耕司 雑学×雑談 勝負クイズ100 家族団らん、飲み会、デート……トークのお供に! 会話のきっかけ作りに!知的雑談力がアップする、とっておきのクイズ100問! 著者はYouTubeチャンネルの登録者数が200万人を超える東大発の知識集団QuizKnockメンバーの河村拓哉さんと『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターや『嗚呼!! みんなの動物園』の動物調査員などテレビ、ラジオでも人気の動物作家・篠原かをりさん。 クイズ本としても、対談本としても楽しめて、会話のタネになるさまざまなジャンルの雑学や、答えを推理するコツが身につく一冊です。

伊東美優

TBCグループ株式会社 代表取締役 手塚圭子

人は変われる。健康的な美しさをお客様、そして従業員にも。 TBCグループ株式会社 代表取締役 手塚圭子(てづかけいこ) ■プロフィール 東京大学医学部保健学科在学中に、ミス日本グランプリ受賞。医学博士、保健学博士。卒業後、TBC グループ株式会社入社、エステティシャン養成校教育部長、その後総合研究所の研究員として大学との共同研究や学会発表を行う。2010 年より現職。コースや商品の開発から採用活動、人材の育成等に力を入れている。 多くの競合企業がひしめくエステティック業界。そんな中、創業47年の伝統を持ち、お客様の美しさと健康を追求し、業界を牽引し続けるのがTBCグループ株式会社だ。主力のエステティックサロンの展開のみならず、近年様々なサービス・商品を生み出し続けている。そんなTBCグループ株式会社について、今回は代表取締役である手塚氏にお話を伺った。 大学時代は理系の学部に通っていたので、実験や実習で忙しい日々を過ごしていました。そんな当時、私は周りから「むっちゃん」と呼ばれていたんです。あだ名の由来を知らずに過ごしていたのですが、ある日男子学生から「ムチムチしているからむっちゃんだよ」と言われて、かなり大きなショックを受けました。その日から自分の外見に自信を失くし、家に引きこもるようになってしまいました。しかし、このままではダメだと痩せることを決心し、結果1年間で10kgの減量に成功したのです。この成功体験が大きな自信となり、私生活は一変、自ら積極的に外に出向き活動するようになりました。その後、姉に誘われて出場した「ミス日本コンテスト」ではなんと、グランプリを受賞することができました。外見が変わると、内面までも変わることができるのだと実感した経験でした。 ■TBCとの出会い 大学卒業後はNHKに入社し、制作業務局に配属となり、庶務兼秘書の仕事をしていました。ただ、一度庶務や秘書の仕事に就くと異動が難しいと知り、元々報道関係の仕事がしたかった私は、NHKを退職しました。その後は日本テレビでフリーのキャスターをし、『ズームイン!! 朝!』という番組の初回放送から、東京のキャスターとして出演していました。他にも国際協力に関する業務に従事するなど、様々な仕事を経験した20代でしたね。 その中で、たまたま知人の紹介で興味を持ったのがTBCでした。元々美容への関心は高かったのですが、美容の中でも飾る美しさではなく、本来の姿そのものを美しくしようというTBCの提供するエステティックに興味を持ったのです。そして実際に、お客さんとしてTBCの脱毛サービスを受けてみることにしました。正直最初は、「毛が生えてこないなんて嘘なんじゃないか」と疑っていたのです(笑)。ただ、脱毛の施術を実際に受けてみると、本当に毛が生えてこなくなって。かなりの衝撃と共に、脱毛についてもっと知りたくなって東京大学の医学図書館で論文を探してみたのです。すると1875年の文献を見つけ、TBCが行なっている脱毛法は米国の医学研究に基づいたもので、エステティック用に改良された美容電気脱毛だと分かったのです。TBCのエステティックが本物であることを確信し、入社を決意しました。 ■1番の魅力は「従業員の働きやすさ」 入社後はまず、エステティシャン養成校の立ち上げを担当する部署に配属されました。その後は研究所へ配属となり、大学との共同研究で論文を執筆し、博士号を取得しました。そして2010年に、当社の代表取締役に就任することとなりました。当社ではこれまで多くの経験を積んできたからこそ、多くの魅力を感じています。特に設立から47年の伝統、そしてトータルビューティーを叶えるエステティックサロンであるという点は、お客様だけでなく多くの企業様からも信頼していただけるポイントだと考えています。 また当社の強みとしては、創業当初から自社で研究所を持ち、研究開発を通してサロンで使用する化粧品や健康食品、美容機器などの製品開発や教育までサロンの舞台裏をサポートしている点です。自社開発だからこそ、品質や安全性の高さに自信があります。近年では一般の方向けに販売する商品も増え、異業種企業とのコラボ商品も多くの方に利用いただいています。 さらに、当社は業界に先駆けて、従業員の働きやすさを追求しています。例えば、再雇用制度を設け、結婚・出産で辞めてしまった従業員の再雇用をサポート、その他勤務間インターバル制度を通して、労務管理の面からも働きやすい環境づくりを行なっています。現在は、業務終了後の休息時間を9時間確保しており、今後は11時間の確保を目指しています。 こうした多くの取り組みを通し、当社は2020年から4年連続で「健康経営優良法人」に認定されています。エステティック業界においては数少ない認定企業ということで、これからも引き続き認定されるよう努力していきたいと思っています。今後も従業員ファーストで、社員が健康的に働ける環境づくりを推進していきます。また、当社の従業員は9割が女性です。今後も業界のリーディングカンパニーとして、女性がライフイベントに大きく左右されず、キャリアを築ける企業でありたいですね。 ■心からお客様を大切にすること エステティックの仕事では、1対1でお客様と向き合い、コミュニケーションを行う必要があります。だからこそ、お客様の気持ちを尊重し、常に共感できる人材が求められています。私共ではエステティック技術の提供に対してお金を頂戴しているので、エステティシャンとその技術なしには成り立たないビジネスなのです。そのくらい当社にとって人材こそが資源であり、源泉なのですね。だからこそ、1人ひとりのお客様と真摯に向き合い、心からお客様を幸せにしたいと思える方に入社して欲しいです。そして今後はエステティックだけでなく、人々のライフスタイルに幅広く貢献できる企業を目指しています。新たな価値を発信していく企業の一員として活躍したい方はぜひ、当社に入って力を発揮して欲しいです。 ■大学生へのメッセージ 社会人になっても学び続けることは大切ですが、学生ほど勉強にコミットできる期間はありません。ぜひ学びの時間は大事にして欲しいです。そして社会に出る前に、自身の適性を知っておくことも非常に重要です。適性を知るには様々な行動や経験が必要となるので、部活動やサークル、旅行など多くの活動を通して自己理解を深めてください。 学生新聞オンライン2023年5月31日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優

イベント・企業紹介

2023 アース・モンダミンカップ プロアマトーナメント

アース製薬株式会社主催「アース・モンダミンカップ2023」がカメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)にて開催された。予選・決勝前のプロアマトーナメントにて、選手の皆様にゴルフを始めたきっかけや魅力についてお話を伺った。 ■概要大会名称:アース・モンダミンカップ主催:アース製薬株式会社公認:一般社団法人日本女子プロゴルフ協会開催日程:2023年6月22日~6月25日開催コース:カメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)賞金:【賞金総額】3億円 【優勝賞金】5,400万円アース・モンダミンカップ公式チャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCZMJgR0t8w_Ley0ba0itrMw 1位 申 ジエ(Jiyai Shin) ※優勝賞金 54,000,000円 子供にはスポーツ選手になってほしいという父の希望が、ゴルフを始めたきっかけです。もともと私はシャイな方だったのですが、ゴルフが上手くなっていくにつれて、自分に自信がつき、人前で喋れるようになりました。今ではゴルフは自己アピールの一つになっているのかもしれません。ゴルフの醍醐味は、自然を感じられることと老若男女みんなができることです。自然の中で色々な世代の人と一緒にできるスポーツはなかなか無いと思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 2位 岩井 明愛(Akie Iwai) ※賞金 26,400,000円 私が小学校2年生くらいの時に、父のゴルフに付いていった時に楽しいと思い、ゴルフを始めました。もともとサッカーが大好きで、小学生の時からクラブチームに入っていたのですが、1番成績を上げられたのがゴルフだったため、高校生の時にゴルフ一本に絞りました。ゴルフは喜怒哀楽、色々な感情を味わうことができ、ミラクルショットやバーディーが出た時に、ファンの方から「ナイスバーディー!」と声をかけられ、一体になって楽しむことができる所が好きです。(法政大学2年 佐伯桜優) 3位 菊地 絵理香(Erika Kikuchi) ※賞金 21,000,000円 父がゴルフのティーチングプロをしており、その流れでゴルフは始めました。物心がついた頃にはゴルフをやっていたため、辞めるという選択肢はあまり考えたことが無いかもしれません。ゴルフは上手くなったと思っても、難しいと思うプレイが無限に出てくるスポーツです。そんな限界が見えない中で高みを目指していくことがゴルフの醍醐味です。この探究心を持てる人であれば、きっとゴルフにハマることができると思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 4位タイ 笠 りつ子(Ritsuko Ryu) ※賞金 12,000,000円 祖父の代から家が練習場を経営していたので、いつのまにかゴルフを始めていました。小学1年生の頃から始め、坂田塾というゴルフのクラブチームに入ってからはプロを目指すようになりました。ゴルフの魅力は若い人からご高齢の人まで、色々な世代の方が一緒になってできるスポーツだということです。ゴルフを通して様々な年代の方と繋がることができたのでやっていて良かったと感じます。(中央大学2年 前田蓮峰) 4位タイ 吉田 優利(Yuri Yoshida) ※賞金 12,000,000円 もともとゴルフが好きだった父に練習へ連れて行ってもらったことがきっかけとなり、ゴルフを始めました。およそ10年ほど続けています。ゴルフは練習すればするほど、必ずその分の成果が出るとは限りません。そのため、日々の練習に無駄が生まれないように心がけています。限られた時間の中で効率良く練習ができるよう、量と質のバランスを考えながら練習するのが、私自身のこだわりです。(佛教大学3年 三浦藍生) 4位タイ 菅沼 菜々(Nana Suganuma) ※賞金 12,000,000円 初めてクラブを握ったのは、父に連れられて行った練習場でした。当時5歳でしたが、ボールを打つのが楽しかったことを覚えています。ジュニア時代は優勝を逃し、悔しい思いも沢山しました。しかし、それでもゴルフを続けてこられたのは、やっぱりゴルフが楽しかったからです。18ホールを回る中で色々な感情が生まれることや、お年寄りになっても続けられる点はゴルフの魅力だと思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 4位タイ サイ ペイイン(Pei-Ying Tsai) ※賞金 12,000,000円 父に「いつかは手に職をつけろ」と言われたことがゴルフを始めたきっかけです。ゴルフはスポーツの中でも生涯を通してできる競技で、男女問わず楽しめるところに魅力を感じました。またゴルフは個人競技なので自分一人ですべてが完結することも魅力の一つだと思います。自分のミスは自分で挽回できるというところに惹かれました。(中央大学2年 前田蓮峰) 10位タイ 佐藤 心結(Miyu Sato) ※賞金 4,752,000円 ゴルフを始めたきっかけは祖父にクリスマスプレゼントでジュニア用のゴルフクラブセットをもらったことでした。やり始めた頃はプロになろうとは全く考えていなかったのですが、やっていくうちにプロを目指したいと考えるようになりました。ゴルフは老若男女楽しめるスポーツだと思います。今回のプロアマでも様々な年齢の方とお話しすることができて非常に嬉しく思います。(中央大学2年 前田蓮峰) 10位タイ 岩井 千怜(Chisato Iwai) ※賞金 4,752,000円 子育てで忙しい母の時間を作るために、父が私を打ちっぱなしに連れて行ってくれたことがゴルフを始めたきっかけです。最初はゴルフがなんだかよく分からず、とにかくボールを飛ばそうと打ちまくりました。いい当たりで飛距離が出た時は気持ちがよく、この快感がゴルフを続けている理由だと思います。今もゴルフの醍醐味は、このナイスショットを打った時の快感です。(法政大学3年 鈴木悠介) 16位タイ 福田 真未(Mami Fukuda) ※賞金 3.240,000円 父の勧めで10歳からゴルフを始めました。最初は本格的にやるつもりはなく、たまに練習場にいく程度でした。しかし、中学校でゴルフ部に所属したことをきっかけに、「どうせやるなら一生懸命やってプロを目指したい」と思い、本格的にゴルフに向き合い始めました。ゴルフは本当に自分次第で結果が決まってきます。この自分自身との戦いこそが、ゴルフの醍醐味だと思いますね。(法政大学3年 鈴木悠介) 18位タイ 上田 桃子(Momoko Ueda) ※賞金 2,400,000円 ゴルフを始めたきっかけは、幼い頃から「人と違うことがしたい」という気持ちがあり、ゴルフをしている友達が周りにいなかったからです。「できた」となる日が無いことがゴルフの醍醐味だと思います。「できた」とはならずとも、「こうかもしれない」と、きっかけが掴めたり、自分が思い描いていた玉と体の動きがリンクして良いショットが出たり、「もっとできるかも」と可能性を感じられたりする瞬間が楽しいです。今後も魅せるゴルフができるように頑張ります。(法政大学2年 佐伯桜優) 18位タイ ペ ソンウ(Seonwoo Bae) ※賞金 2,400,000円 家族3世代でゴルフができたらなと、10歳からゴルフを始めました。高校時代から嵐の二宮和也さんのファンで、ゴルフのお陰で日本に来るきっかけを得たので、とても嬉しかったです。日本で試合をする理由は、幼い頃に全美貞選手が日本で活躍する姿を見て、かっこいいと憧れを持ったからです。韓国では、歳を取ったらすぐに引退するため、選手生命が短いのですが、日本にはベテラン選手が沢山活躍していて、リスペクトすることも多く、ゴルフだけに集中することができる環境です。(法政大学2年 佐伯桜優) 23位タイ ささき しょうこ(Shoko Sasaki)...

コラム

テリー伊藤 コラムVol.6 楽しい古着は面白い!

私の楽しみは仕事帰りに古着屋さんに寄ることだ。お酒好きの人なら帰りに一杯と行きつけのお店に行くところだが、お酒の飲めない私は古着屋さんに夜な夜な出没する。会社のある恵比寿から、中目黒の「ジャンテーク」に向かうのがルーティン。この辺りは洋服屋さんが乱立しているが、ここは別格!他のお店では絶対に手に入らない商品がたくさんある。オーナーの内田さんが変態過ぎるほどマニアック。2ヶ月に一度買い付けのためロサンゼルスからニューヨークまで飛び回ってくる。 商品がとにかく楽しい。例えばブロードウェーの舞台で使用していた西部開拓時代のカーボーイ衣装、貴婦の衣装、更にはピエロや囚人服、牧師の衣装、炭鉱で働く労働者のヘルメットまであるのだ。普通の古着店は格好良く着こなせるアイテムをディスプレーするものだが、このお店は飾ってない。勿論一般受けする洋服も売っているが、私のお目当ては唯一無二の服、あまりに奇抜過ぎて街で着れないため売れ残っている商品だ。そうなると私の出番!心得たもので、担当の大塚さんが「テリーさん!抑えて置きました!」と出してきたのは童話の王子様が着ていそうなジャケット。確かにこれは誰も買わないだろう。しかし私、一瞬で気に入りました。「70歳過ぎてなに着ているんだ!」の声も聞こえてきそうだが気にならない。最高に面白い!そうなんです、歳を重ねるたびに「変で、面白くて、楽しい服」がどんどん好きになってくる。カッコイイ服、女性に好感度が高い服、ブランド服に全く興味がないのです! それより、時にはニューヨークで冬を過ごすホームレス、ある時はアラブの謎の大富豪、関西の怪しいおっさんになって街を歩きたいのだ。先日も2サイズ大きな古着のツイードジャケットを購入して、いきなり洗濯機と乾燥機に放り込むこと3回。ボロボロになったジャケットを着てお出かけ!これが実にいいのだ。刑事コロンボのヨレヨレコートみたいで哀愁がある。調子に乗って、結婚式の定番、燕尾服も洗濯機にぶち込んでみた。これまた最高の出来上がり。自分でもビックリ。後ろのクチャクシャになったペンギンテールが渋い。ヨレヨレ燕尾服姿はロンドンのパンクファッションを彷彿させる仕上がりになった!襟にユニオンジャックのワッペンを付ければ完璧! 私の勢いは止まらない。今後は各国の民族衣装を着たい。まずはドイツの山岳地帯の衣装から。英国、フランス、イタリアの民族衣装も楽しそう。パイレーツ・オブ・カリビアンでお馴染みの海賊ファションを絶対に着こなしたい。当分古着屋さん巡りはやめられそうもないね! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

和田真帆

国民民主党 衆議院議員 古川元久

明日の社会が良くなるか悪くなるかは私たち次第 国民民主党 衆議院議員 古川元久(ふるかわもとひさ) ■プロフィール 1965年愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高校・東京大学法学部卒。米国コロンビア大学大学院留学。1988年大蔵省(現財務省)に入省し、1994年に退官。1996年衆議院選挙で初当選し、現在9期目(愛知2区)。この間、内閣官房副長官、国家戦略担当大臣、経済財政政策担当大臣等を歴任。現在は国民民主党国会対策委員長を務める。 国民民主党に所属する衆議院議員として活動される古川元久さん。政治家の道を選んだきっかけから、実現したいと思っていることについて伺った。 私の父は真面目だけれども出世とは一切無縁の万年平社員。家の生活は楽ではなく、母が内職をしてなんとか家計を支えていました。そんな家庭に育った私は「真面目に働く人が報われる社会にしたい」と思うようになり、その思いを官僚になって実現しようと考え、当時、官僚になるには東大に入るのが最も近道だったので、東大をめざして必死に勉強し、なんとか合格することができました。しかし大学に入ってしばらくして弁護士になって世の中をよくしようと思うようになりました。ただ経済的事情から留年や浪人してまで試験勉強を続けられるような状況ではなかったので、大学図書館に閉館までこもって勉強する毎日を過ごしました。勉強漬けでつらい毎日でしたが、こうした生活から早く抜け出したい一心で頑張ったおかげで在学中に試験に合格することができ、また忍耐力も養われました。でも司法試験合格後、やはり初心に戻って官僚になることにし、大蔵省(現財務省)に入省しました。 ■アメリカ留学が政治家としての道を選ぶきっかけに 私が政治家をめざすきっかけは27歳の時のアメリカ留学です。当時は円の価値が高く、同じ給料でも日本よりずいぶんいい生活ができました。一方、当時の日本はバブルが崩壊して、多くの人が「これから日本は悪くなる」と感じていました。そこで私も「日本に帰らず、このままアメリカに残ろうかな」と思っていました。そんな時にふと、霞が関ビルなどを設計した建築家の方から聞いた言葉を思い出したのです。その方は戦後の占領時代にアメリカ留学し、豊かで安全なアメリカ社会を見て「いつか日本もこうした社会にしたいと思って、日本に帰ってきて努力したんだ」という話を、私の留学をお祝いする会でしてくれました。その言葉を思い出し、「いま自分がこうしていい暮らしをしていられるのは、こうした先人の努力のおかげで、もしいま自分たちの世代が『これから日本は悪くなる』と日本を捨ててしまったら、間違いなく日本は悪くなるのではないか。それでは血の滲むような努力をしてくれた先人たちに申し訳ない。『これから日本は悪くなる』なんて他人事のように思うのではなく、悪くならないよう自分たちが頑張らなければならない」ということに気づきました。私は政治家と官僚の役割の違いは、政治家の役割はレールを敷くことで、官僚の役割は敷かれたレールの上を列車を脱線させず、時刻表通りに運転することだと考えています。当時、官僚として仕事をしていて、「いま必要なのはこれまでのレールに替わって新しいレールを敷くことだ」と感じていたので、私は官僚をやめて政治家の道をめざすことを決断しました。 ■「居住面積倍増」でピンチをチャンスに 人間の基本的ニーズと言われるのが「衣食住」。このうち日本の「衣」と「食」はほぼ満たされています。しかし「住」はどうかというと、お世辞にも満たされているとは言い難い。かつては「こんな狭い国土に1億を超える人がいるんだから仕方ない」と言われて、住環境の改善は諦められていました。しかしいま日本は人口減少に伴い空き家がどんどん増えており、「空き家問題」が大きな社会問題になっています。ならばこの状況を活かして、この機会に日本人の住環境を劇的に改善する、具体的には一人当たりの居住面積を倍増させる「居住面積倍増」を実現したいと考えています。この人口減少に限らず、日本はいまさまざまな困難に直面しています。でも「ピンチはチャンス」。この機会を逆に活かして、私たちの暮らしをよくするチャンスにするのです。それがいまの時代を生きている私たちに課せられた使命だと思います。 ■大学生へのメッセージ いつの時代も次の時代の主人公は皆さんのような若い世代です。自分たちで自分たちの未来はよくするんだとの自覚と自信を持って、いま自分ができることに全力で取り組んで下さい。そうすれば未来は必ず明るくなるはずです。 学生新聞オンライン2022年12月14日取材 日本大学4年 和田真帆