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Archive for 運営スタッフ

伊東美優

動画クリエイター ISSEI / GIVER株式会社 代表取締役 角南仁基

自分の心と向き合うことが、動画制作のヒントになる 動画クリエイター ISSEI(いっせい) ■プロフィール言語の垣根を超えて全世界に笑顔を届けるとショート動画クリエイター。Youtube・TikTok・LINE BOOMを中心に活動。2022年のYoutube再生ランキングでは56億回再生で再生数日本一位を獲得。TikTokのフォロワーも1000万人突破した。最終目標は、世界の英雄になること。 TikTok1000万人フォロワー達成、そして2022年YouTubeチャンネル総再生数ランキングでは見事日本一に輝いたISSEIさん。その回数はなんと、驚異の56億5,732万回再生と信じがたい数字である。そして現在はShort動画中心にグローバルに活躍するISSEIさんだが、この成功の裏には徹底的なリサーチと弛まぬチャレンジがあった。そんな彼が、今目指している先はどこなのか、熱く語っていただいた。 幼少期から人前に立って目指すことが大好きでした。お遊戯会の主役、体育祭の応援団長、委員会の委員長など、とにかく目立つポジションを自ら率先して担当していましたね。そのため、学生の頃からの夢は、とにかく有名になること。周りの友人には「将来ビッグになる」と宣言しまくっていました(笑)。父親が俳優業をしていたこともあり、自分も役者というお仕事にずっと憧れがありました。もちろん俳優のお仕事は演じることがメインになりますが、バラエティ番組やアーティスト活動など、色んな方向性で活躍できるのが魅力的だなと思ったんです。その後、事務所に所属し俳優活動をスタートさせたのですが、なかなかお仕事がいただけない日々が続き……。その時、「お仕事をいただく」という受け身の姿勢ではなく、もっと自分から仕事を取りに行くぞという、攻めの姿勢で活動しなければということを感じました。そんな時に自身の興味を引いたのが、TikTokです。2019年当時は、YouTubeが既に多くの動画クリエイターによって飽和状態となっていました。編集技術など、既にプロフェッショナルと言われるようなクリエイターがチャンネル登録数・再生回数ともに伸ばしているフェーズにあって、アマチュアはなかなか活躍しづらそうだと感じたんです。一方、TikTokはまだまだ認知度も低く、撮影も現在主流のカメラを置く方法ではなく、自撮り形式が一般的でした。「この手段なら自分も有名になれるのでは」、そのような感覚を持って、すぐにTikTokでの活動をスタートさせました。 ■“想い”が自身の背中を押す 正直、SNSの仕事で広告案件が多くもらえるようになるまでは、苦しいことが多かったです。当時は大学に通いながら俳優のレッスンも受けていたので、収入がマイナスの時期が長く、経済的に厳しい生活が続きましたが、それでも辞めようと思ったことは一度もありませんでした。とにかく目の前のことに向き合い、感覚的ではありますが何度も投稿を繰り返す中で、自分の中にノウハウを蓄積していきました。また、どんな動画が伸びていて、こうしたら成果が出るのではと、リサーチしながら思考を巡らせていました。人の動画を視聴する上でも、自分がどんな時にスワイプしたくなるのか、どんな瞬間に心が動かされたかなど、自分の心と向き合うことが動画制作のヒントになったこともしばしば。こうした地道な作業は、多くの人にとって面倒な活動かもしれません。ですが、自分の理想に少しでも近づくためのこの行動は、ずっとプラス思考な僕にとってはワクワクでしかないんです。動画を制作することは、あくまでも僕にとって手段に過ぎない。根底にある目的、そして想いが燃え尽きない限り、人間はどこまでも頑張れるのだと思いますね。 ■ワクワクすることは何でも挑戦 今後は、音楽制作にチャレンジしてみたいという野望があります。以前とあるフリー音源を使った自身の動画がバズって、世界中のクリエイターがその音源を真似して動画を作っていたことがあったんです。当時、ありがたいことに、多くのユーザーに「その音源=ISSEIの動画」というイメージを持っていただけて。大きな影響を世界に与えられたのは素直に嬉しかったのですが、もしこの音源が自身で制作した曲だったら、さらにハッピーだったなと。他にもこういった妄想は日々たくさん膨らませているので、今後の目標はたくさんあります。そして自分がステップアップしていくことで仕事の幅は広がっていくと思うので、今後もワクワクすることには何でも挑戦していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 「わがままに生きてください。」何か成し遂げたいことがある人は、まずは結果が出るまで自分に100%フォーカスしてほしいです。僕自身も、大学生活やアルバイトなどを並行しながらSNS活動をしていたので、とにかく時間とお金の使い方が重要でした。そして「ビッグになる」と周りに宣言した以上、妥協は一切したくなかった。だからこそ、当時はSNS活動に全集中して、遠回りになることは一切しませんでした。周りに迷惑をかけてしまったこともありますが、いつかしっかりとお返しをすれば大丈夫。とにかく、まずは自分にわがままに生きてください。 学生新聞オンライン2023年1月15日取材 慶應義塾大学3年 伊東美優 自分の可能性を見つける旅へ、一歩踏み出す勇気を持とう GIVER株式会社 代表取締役 角南仁基(すなみじんき) ■プロフィール大学1年生の頃からボート競技に所属しており昨年の11月に引退・休学。休学中に映像制作やインフルエンサーマネジメントを行う。休学中に出会った美容液に魅了されRenzo合同会社に携わるようになる。インフルエンサーのISSEIと共に、企業とインフルエンサーを繋ぎ企画や構成まで行う、インフルエンサーマーケティングを主としたGIVER株式会社を設立。最終目標は、ISSEI含め多くのクリエイターが、やりたいことにチャレンジできるような環境を創り上げること。 コミュニケーションが自分の源流である。そう語るのはインフルエンサーマーケティング事業を行う角南さん。多くの人に喜んでもらうコンテンツを提供したいという思いが社名の「GIVER」に反映されている。大学生という立場でありながら二つの会社の経営に携わっている角南さんに話を伺った。 ボートレースで日本一になった兄に憧れ、高校生からボートレースをはじめ、その流れで明治大学に入学しました。ボート競技を引退したと同時に大学を休学。そして、マイナースポーツのボートレースを広める活動の一環として、動画制作をはじめました。さらに、自分の世界を広げるために、いろいろな人と会いはじめたことで、ISEEIに出会いました。ちょうど彼のTik Tokの登録者が1000万人を超え、新しいプロフィール写真に変えたいとお願いされて手伝うことになったのが、出会いのきっかけでした。彼と出会ったことで、自分の中の意識が大きく変わったと思います。例えるなら、私が富士山の頂上を目指しているとすれば、ISSEIはエベレストの頂上を目指すような男。さらなる高みを共に目指し、新しい景色を見たくなりました。その後も彼とコミュニケーションを取っていく中で、意気投合し、一緒にインフルエンサー事業をする流れになりました。 ■「ありがとう」の連鎖を作りたい 私は幼い時から、「ワクワク」と「ありがとう」を生きる指針にしています。人から「ありがとう」をもらうには、まず自分からGIVEすることから始まります。ワクワクするコンテンツを提供して人の心を動かし、「ありがとう」をもらう。この連鎖を実現できるのが映像制作であり、インフルエンサーのマネジメントやマーケティングであると考えています。また、最初に請け負った映像制作の仕事も人とのご縁によるものでした。人との繋がりによって今の自分があるので、上手くコミュニケーションを取るように意識しています。初対面の人に対してこちらから壁を作らず、相手が壁を無くせば、いつでも意気投合できる状態。それを実現するために、しっかりと対話し、相手の素敵な部分を見つけること。それによって自然と仲間が増えていきます。 ■個人の強みを最大限生かすには 自分の使命は、クリエイターがやりたいことをチャレンジしやすい環境作りです。目の前のことに集中できるように、企業に企画を提案し、サポートに専念すること。それによって再生数やフォロワーも伸びると思います。私は提案やコミュニケーションが得意で、ISSEIはリサーチや発信が得意。不得意なことは、他の人に任せ、自分の得意なことに専念した方が結果に出やすいです。それでも再生数が伸び悩むときもありますが、それも大事な経験。失敗から学び、次にどう生かすか考えることが大切だと思います。また、私には将来的に達成したい大きな目標があります。それは今の事業をさらに大きくし、より多くの人に感謝されるビジネスを構築し、SNS業界を変える事です。SNS業界はトレンドが常に変化し、コンサルティングやリサーチが難しくなってきています。コンサルティングに強い企業はありますが、トレンドに関しては、企業よりもクリエイターの方が詳しいです。同業の会社同士を繋ぎ、クリエイターの力も借りることで、できない部分を補い合っていく。そうすればきっとSNS業界に革命を起こせるはずです。 ■大学生へのメッセージ 私から言えることは、とにかく一歩踏み出して行動することです。休学を決意したことで、動画制作に出会い、インフルエンサーのマネジメントへの道が開けました。また、人生は経験の積み重ねで、より重厚になっていくと思います。まず行動し、失敗から学び、経験を積んでいく。それらを繰り返していくことで本質的にやりたいことが見えてきて、自分の不得意な部分をサポートしてくれる仲間も集まってきます。そして、是非いろんな人とコミュニケーションをとってみてください。自分の世界を広げ、新しい価値感や考え方を吸収出来れば、きっと役に立つはずです。 学生新聞オンライン2023年1月15日取材 明治大学4年 酒井躍

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株式会社丸井グループ 上席執行役員、兼、株式会社丸井 代表取締役社長...

時代のニーズを的確に捉え、新たな顧客価値を共創していく 株式会社丸井グループ 上席執行役員、兼、株式会社丸井 代表取締役社長 青野真博(あおのまさひろ) ■プロフィール1984年、㈱丸井(現㈱丸井グループ)に入社。レディス事業部長、事業推進部長等を経験後、2011年に㈱丸井取締役に就任。その後、取締役店舗事業本部長、常務取締役 を経て、2019年専務取締役兼丸井グループ上席執行役員、2020年7月より代表取締役社長(現任)、2021年4月丸井グループ上席執行役員 小売事業担当(現任)。 小売・フィンテック・未来投資の「三位一体」で独自のビジネスモデルを確立している丸井グループ。型にはまらない会社のユニークさに魅かれ、入社時からあらゆる業務を担ってきた青野社長が見る、丸井グループの魅力とは何か。とりわけ、近年取り組みを加速させている「売らない店®」の背景や強みについて伺った。 大学時代は、家庭教師やテイクアウトの寿司屋など様々なアルバイトを経験しました。また、坪田尚子さんという小さい劇団員の女優さんが好きで、よくミュージカルを観劇していました。今でいう「推し活」ですね(笑)。就活時代は、とにかく「面白い会社」を探していました。昔から周りの人を笑わせることが好きなひょうきん者でしてね(笑)。業界を絞らず、会社や事業の「ユニークさ」を軸に説明会などに参加していました。その中で一際面白さを感じたのが、当社丸井のプレゼンでした。仕事の幅の広さにも魅力を感じたため、入社を決めました。入社後は、カードセンターでの集金役や、スーツや浴衣の販売員、商品の仕入れを行うバイヤーなど幅広い業務に携わりました。新入社員の頃から社長のように「自分が丸井なんだ」という気概で仕事をしていましたので、社長となった今もあまりやることは変わりません。 ■「信用の共創」が生み出す独自性 当社はコアバリューとして「信用の共創」を掲げています。「信用の共創」とは、創業者の言葉「信用は私たちがお客さまに与えるものではなく、お客さまと共につくるもの」に由来するものです。創業時の商売は家具の月賦販売でした。当時高額だった家具を幅広いお客さまにご購入いただけるよう、当社が購入代金を一時お貸しして、それを月々の分割払いで返済していただくというものです。現金商売のように一期一会で売ったら縁が切れてしまうという関係ではなく、売った後も、10回、12回、24回払いなど、お客さまとお店とのお付き合いが長く続きます。お支払いの遅れがなければ、ご利用可能金額が増え、ご利用期間が長くなるほどお客さまの信用はだんだんと上がっていきます。こうしたお客さまとのかかわりの中で、「信用はお客さまと共につくるもの」という精神が生まれてきました。このように私たちは、一般的なクレジットカードの審査のように、お客さまの年収や職業、資産の有無などに応じて一方的に信用を与えるのではなく、ご利用実績を通じてお客さまと双方向で信用を共に創っていく、つまり「信用の共創」を積み重ねてきたのです。たしかに、貸し倒れリスクもありますが、間口を広げた上で、ライフタイムバリューを上げることで、どこにも負けない価値の高いカードとなるのです。これは、当社ミッションの「すべての人が『しあわせ』を感じられるインクルーシブで豊かな社会を共に創る」を体現していると思います。“しあわせ”の感じ方は人によって異なりますよね。例えば、コロナ禍で不要不急が制限されましたが、自分の好きなものは不要不急ではないはずです。このように、「信用の共創」のもと、一人ひとりの好きを応援することが我々のビジネスの神髄なのです。 ■目指すのは、新たな選択肢が揃う店 近年、若い人を中心に、価値観が変化してきているので、シェアする、中古品を使うといった顧客ニーズが増えています。また、IT技術の発展やスマホの普及により販売チャネルもオンライン上のECサイトにシフトしています。このようなニーズやチャネルの変化に対し、当社も店の在り方を革新していく必要に迫られました。そこで、近年取り組みを加速させているのが、体験の場を提供する「売らない店®」です。購入のためではなく、商品のデザインや色、使用感などを確認するために来店するお客さまに体験の場を提供するのです。これは、テナント側にとっても良い影響があると思います。一般的に、販売員に対して、「売り込む」イメージを持っている方も多いのではないでしょうか。しかし彼らは、純粋にお客さまのお役に立ちたいという貢献志向を持っている方ばかりです。したがって、無理におすすめするのではなく、まずは、商品やサービスの良さを体験していただくという「売らない店®」の発想は、お客さま側が体験の場として活用できるという良さだけでなく、販売員やテナント側も気持ちよくお客さまの役に立つことができることにもつながります。当社は10年前まで、仕入れて売る百貨店と同じビジネスモデルを取っていました。売上の7割はテナントに払い、3割が百貨店に入る仕組みです。一方、現在の「売らない店®」は、固定家賃をベースに場所を貸しているため、売上は関係なく安定した収入が入る仕組みになっています。どういうことか具体例を挙げて説明します。以前、あるテナントさまから「商品在庫が店頭に無い時、ECサイトですぐに購入できるようにしたい」というニーズを受けました。その条件を承知した上で、出店を承諾すると、そのテナントさまは、こちらの対応にひどく驚かれたのです。詳しくお聞きすると、百貨店はもちろんショッピングセンター、アウトレットからも断られたそうです。それらのお店は店頭で売れたら売れただけ儲かる仕組みであったため、店舗での売上が下がることにつながるネットへの送客は許されなかったのです。その点、当社のビジネスモデルは、店頭での売上の影響が少ない家賃収入が中心のビジネスモデルなので、むしろ「売らない店®」が“強み”と言えると思いますね。既に「売らない店®」として商標登録もしております(笑)。2025年度までには「売らない店®」を完結させ、他にはない新たな選択肢が揃っている店にしたいですね。 ■大学生へのメッセージ 時間がある大学生のうちに、自分の好きなことを見つけて個性を追求してください。上司として多くの部下を育てる中で感じるのは、何でもこなすオールラウンダーよりも一点突破型の方が伸びるということです。様々なことにチャレンジして、自分の「好き」をとことん突き詰めてください。それは社会に出たとき必ず役に立ちます。これは、サステナビリティにも通ずる部分があります。サステナビリティとは持続可能な社会にすること、簡単に言えば社会を良くしていくことです。人は一人では生きられません。支え合いながら生きていくには、社会のため、人のために役立つ必要があります。人の役に立つとは、誰かを笑顔にすることです。そのためにはまず、自分自身がどういうときに笑顔になるかを知ってください。自分が笑顔になることを知っている人は、相手が何に笑顔になるか理解できるようになると思います。 学生新聞オンライン2022年12月23日取材 専修大学3年 竹村結

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女優 穂志もえか 幾度の挑戦で見えてきた女優としてのやりがい

女優 穂志 もえか (ほし もえか) ■プロフィール1995年8月23日生まれ。千葉県出身。上智大文学部卒。特技はバレエ、コンテンポラリーダンス。 2017年に女優デビューし、昨年は映画「窓辺にて」(今泉力哉監督)に出演。2021年は映画「花束みたいな恋をした」(土井裕泰監督)や「街の上で」(今泉力哉監督)でヒロインを好演。ドラマでは「大豆田とわ子と三人の元夫」主人公・大豆田とわ子(松たか子)の勤める住宅建設会社経理部員・羽根子や「#グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ」主人公あかね(松本穂香)の友人・ちこなどキャラクターの強い役を演じた。現在、TBS系金曜ドラマ「100万回言えばよかった」に出演中、主要キャストの一人として真田広之も参加しているアメリカテレビシリーズ「SHOGUN」の放送も控える。 ミスiD2016にてグランプリを受賞し、現在は女優として活躍している穂志もえかさん。映画『生きててごめんなさい』ではヒロインの莉奈を演じた。今回はそんな穂志さんに女優としてのやりがいや映画でのエピソードについて伺った。 ■自己表現との出会い  私が演じることに初めて触れたのは、クラシックバレエでした。バレエは4歳から14歳まで続けていて、小学校高学年の頃には「授業が終わったらすぐバレエのように、」と私の生活に組み込まれていき、そのせいか中学生の頃には、私のバレエへの情熱は燃え尽きてしまいました。ただ、このバレエの経験が私に自己表現の楽しさを教えてくれたきっかけになったと思います。 バレエをやめてからは何をしたらいいのか、私には何が残っているのだろうと模索した結果、バレエをやっていた時から憧れがあった女優業に挑戦したいと気が付きました。当時の私はキラキラしていた女優さんたちに憧れていたのだと思います。高校生で事務所に所属し、そこで受けた演技のレッスンは本当に楽しかったです。しかし、大学受験の時期と被っていたのと、想像していた芸能界のイメージが少しずれていたこともあり、事務所を辞め女優業からも離れました。 そんな私に転機が訪れたのは大学2年生の時です。当時の私は一度離れたとはいえ、まだ女優への憧れがありました。そこで知人からの勧めもあり、講談社主催の「ミスiD2016」に出場を決めたのです。ありがたいことに約4000人の応募者の中からグランプリに選んでいただき、大学4年生の時には、映画「少女邂逅」で初主演を務め、女優業が本格的にスタートしました。現在は良縁にも恵まれ、今の事務所に所属して活動をしています。 ■見えてきたやりがいと展望  元々キラキラとした女優さんたちに憧れて志した女優業。憧れを抱いていた当時と今では自分の中のやりがいがかなり変わったことを感じます。当時はキラキラした芸能界にいられることや、演技をすること自体が楽しくて。もちろん今でも演技をすることは楽しいです。しかし今はそれ以上に、私の演技がお客さんに伝わりリアクションが返ってくることも私のやりがいとなっています。先日、私の出演作を観ていただいた方からDMを頂きました。話したことの無い人にDMを送ることは、みんな多少なりとも緊張すると思います。勇気を出して送ってきてくれたのだなと分かる、彼女からの長文のメッセージはとても嬉しく、モチベーションに繋がりました。今後は舞台での演技にもチャレンジしてみたいです。いい所を切り抜いてもらえる映像に対して、自身の一挙手一投足が観られる舞台。舞台での経験を通して、更に色々なものを伝えられる女優になりたいと思っています。ぜひ積極的にチャレンジしていきたいです。また、海外の作品にももっとチャレンジしていきたいと思っています。以前アメリカテレビシリーズ『SHOGUN』の撮影で約8カ月間カナダに滞在していました。日本と海外では撮影の方式や雰囲気なども違い新鮮で、海外での撮影が楽しかったのもありますが、なにより演技によって国を越えて何かを伝えられるということに魅力を感じました。今後も女優として様々なことにチャレンジしていきたいです。 ■映画『生きててごめんなさい』について 今作のヒロイン莉奈は、みんなと同じことをしようとしているのに、なかなか上手くいかない女の子です。今回私はそんな莉奈を演じさせて頂きました。オーディションの前にはじめて台本を読んだ時から、この子は私が演じたい!と思っていたので、受かったと分かった時は本当に嬉しかったです。『生きててごめんなさい』は、監督との打ち合わせがかなり濃密でした。皆さんにもそれぞれ生い立ちがあるように、映画の登場人物にも描かれていないだけでバックボーンが存在します。監督からいただいた台本には、セリフや動作だけでなく、登場人物の細かな設定が記載されていて、それをもとに、打ち合わせでは私の莉奈のイメージと監督の莉奈のイメージを擦り合わせていきました。これは私自身でも驚いた事なのですが、莉奈を演じている中で台本にない涙やセリフが自然と溢れてくることがあり、私自身が莉奈と重なることができた様に感じました。『生きててごめんなさい』、ひいては映画やドラマを観る時は、ぜひ登場人物のバックボーンに思いを馳せながらご覧下さい。その余白を楽しむことができれば、映画やドラマがまた一段と楽しくなると思います。 ■大学生へのメッセージ 私はバレエをやっていた頃から、女優になりたいという憧れを抱いていました。受験勉強などで忙しく、女優業から離れていた時期もありましたが、今は女優業をやらせていただいてます。何かを始めるのに、遅い・早い、環境が整っている・整っていないもありません。本当に興味のあるものは、いずれチャレンジしてみたくなる日が来ると思います。それならば、興味を持った今がチャンスです。どんどんチャレンジしていきましょう。 学生新聞オンライン 法政大学3年 鈴木悠介 『生きててごめんなさい』(#イキゴメ)黒羽麻璃央   穂志もえか松井玲奈 安井順平 冨手麻妙 安藤聖 春海四方 山崎潤 長村航希 八木アリサ 飯島寛騎監督 山口健人  企画・プロデュース 藤井道人制作プロダクション:スタジオねこ  配給 渋谷プロダクション製作 「イキゴメ」製作委員会  JAPAN/DCP/アメリカンビスタ/5.1ch/107min©2023 ikigome Film Partners 公式サイト:https://ikigome.com/ 公式Twitter:https://twitter.com/ikigome_movie  公式Facebook:https://www.facebook.com/ikigomeシネ・リーブル池袋、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開中 ヘアメイク:川又由紀(HAPP’S)スタイリスト:前田勇弥衣装:ブラウス(¥18,150)、パンツ(¥18,920)グラムトーキョー(LAYMEE) 03-3746-9950

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リビン・テクノロジーズ株式会社 代表取締役社長 川合大無

「世の中にインパクトを与えたい」との想いから創業者へ リビン・テクノロジーズ株式会社 代表取締役社長 川合大無 (かわい だいむ) ■プロフィール1975年生まれ千葉県出身東京農業大学農学部卒剣道3段 (略歴)1998年4月 ニチモウ株式会社入社2000年7月 バリューコマース株式会社入社 2003年2月 株式会社サイバーエージェント入社2004年1月 当社設立 代表取締役社長就任(現任) 消費者のニーズを汲み取り、「住生活領域における社会問題をテクノロジーの力で解決する」を使命にサービスを展開するリビン・テクノロジーズ株式会社。今回は同社の代表取締役社長である川合大無社長に、起業をしようと考えたきっかけや経緯、さらには今後のビジョンや大学生へのメッセージについて伺った。 小学生の頃から剣道をしていて、年上の人には敬語を必ず使うなど礼儀を重んじる習慣が身についていました。そのため、「年下からタメ口で話されることが嫌だ」という理由で、現役で合格した東京農業大学に進学しました。学生時代は、勉強よりも深夜のコンビニや居酒屋などのアルバイトに力を入れていました。将来のビジョンを考えるようになったのは、就職活動を始めてからです。様々な分野の仕事を見始めたものの、実際に自分が働いているイメージが湧かず、自分が何をしたいのか考えるようになりました。せっかく自分の人生の多大な時間を注ぐなら、それに値する大きなことを成し遂げたいと考え、「世の中にインパクトを与えたい」という人生の目標ができました。その目標を達成できそうな職業をいくつか考えた結果、経営者になろうと決め、創業することに決めました。 ■実務経験を求めて、5年間で3社を経験 経営者になるためにはまず実務経験が必要だと考え、ビジネスのノウハウを学べそうな企業を5年間で3社経験してから会社を設立する計画を立てました。1社目のニチモウ株式会社では営業事務を務めたおかげで、営業以外の実務は全て覚えることができました。最初は「楽しい」と思える仕事内容ではありませんでしたが、これも経営者になるためには必要であると考えていたため、モチベーションが下がることはなく、一生懸命仕事を覚えました。その後、2社目ではバリューコマース株式会社というアフェリエイト広告会社で営業を経験し、トップ営業マンになりました。3社目は株式会社サイバーエージェントでインターネット広告代理店の営業として働き、ネットマーケティング全般の知識を身につけました。 ■経験を生かした起業のスタート 勤めていた会社を辞め、起業した時点では、どのような事業をするかは決めていませんでした。最初は企業に心理カウンセラーを派遣するサービスを思いつきましたが、サービスを作ることができませんでした。考えた結果、今までの経験からネット広告代理業ならできると思い、立ち上げました。どのように売上を上げていくか考えたときに、同じようなものが同じような価格で提供されるサービスでは採用力が重要であると気が付きました。ただ、すでに名の知れている大手に採用力で追いつくことはとても難しいと思い、自社でサービスを展開し、他社との差別化を図っていくしかないと考えました。そこから検索数が多く、顧客ニーズも高いにも関わらず、きちんとしたサービスやサイトが少ない分野をリサーチし、不動産の査定サイト、お墓の比較サイト、ホームページを月定額で更新するサービス、アパレルのオンラインショップといった4つの新規サービスを約1年半でスタートさせました。そのうちの1つである不動産査定サイトが今のメイン事業となっています。  ■求めるのは、自主性、創造性、先見性を持つ人材 何かを変えたい、こういうことをやりたい等の思いや意見を自分から発信しているような、自主性のある人がいいですね。そういった思いがないと、先を見据えて動いていけないと思うのです。すぐ目の前のことではなく、一つや二つ長期的な視点を持ち行動していける人、また自らの考えを発信し周りを巻き込み自分の考えを基軸とし、目標達成に向けて仲間とともに実行していくことができる人と仕事をしたいと思っています。当社では意見を出しやすい環境作りに力を入れているため、新卒、中途関係なく意見できるように目安箱のようなものを制度化して設置しています。どんな立場でも、オフィス清掃から新規事業プランまでどんなことでも提案できるようになっています。そこに入ってきたものは毎週の経営会議の際に必ず審議されます。また、新しいことを取り組んでいくために四半期に一回、社内で新しい企画やサービスの新機能、業務改善などを提案するプレゼン大会を実施しています。そこで良いものがあれば採用し、事業として推し進めていきます。実際にリースバックの比較サービス、リノベーションのお問い合わせメニュー案などが採用、リリースされました。 ■今後の展望 まずは東証プライム市場に上場し、ゆくゆくは従業員1000人規模の企業を目指していきたいです。なぜなら、運営に1000人規模の人員を要する事業を展開できれば、世の中の人の行動パターンを変えられる力を持てると思うからです。それこそ私が大学生の時に掲げた、「世の中に大きなインパクトを与える」という目標に近づけたといえるのではと考えています。そのために、既存サービスの拡大に加え、新規サービスの開発やM&Aなどにより、第2、第3の収益の柱の創出に注力しています。 ■Message 大学生のみなさんに伝えたいのは、まずは目標を定めることです。自分が最終的にどんな人になっていたいかを今のうちから思い描くことが大切ですね。目標があることで人はそれに向かって行動していくことができますから。目標がないと迷走したり、周りに流されてしまったり、自分が本当にやりたいことをやれないこともあります。あとは「継続」です。継続して努力し続けることはかなり難しいです。毎日何かをさぼらずに継続することができるのは才能であるのと同時にどこかで必ず何か大きなリターンが返ってきます。若いうちは「柔軟性」があります。最初自分には合わない、無理だと思えたことも継続できたり、新たな発見があるかもしれません。若くて柔軟性と時間があるうちにできることを増やすということは非常に大切だと思います。 学生新聞オンライン2022年11月2日取材 専修大学3年 中島菜摘 / 成蹊大学2年 角田迅斗

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玉元 風海人 やりたいことはやる。直観に従って生きていきたい

株式会社TMS 振付師 / 演出家 玉元 風海人 (たまもと ふみと) ■プロフィール1999年生まれ2010年にジャニーズ事務所に入所。コンサート、舞台、ドラマなど様々な作品に出演。2019年より振付師 / 演出家として活動を始め、昨年、株式会社TMSを設立。アイドル / タレント育成、振付、演出などのエンターテイメント領域のコンサルティング事業およびキッチンカー、ケータリング、バーなどの飲食事業を展開。 幼少期から培ってきた芸能経験を活かし、アイドルやタレントの振付や育成・ライブの演出を手掛ける一方、大学2年の時にカフェやキッチンカーの経営を始めたという玉元風海人さん。現在、エンタメ業と飲食業の2軸で活動する上で、大切にしているマインドなどを伺った。 ■経験から得た「仕事に何を求めるか」の重要性 僕は湘南育ちで、小学生時代はサッカーとサーフィンに明け暮れる日々でした。5年生の時、親に「笑ってる写真撮るから!」と言われユニフォームを着ながら撮った写真が、芸能事務所への履歴書に使われることに。サッカーの大会の時に、親から「風海人、東京行くから」と言われて、いきなりオーディションで踊ることに。そして気付いたらコンサートに出演していました(笑)。芸能界に元々は興味なかったのですが、当時は目立つことは嫌いではなかったのですぐには辞めなかったです。東京の事務所に通う日々が始まりましたが、小さい時は機関車トーマスや電車が好きだったので、神奈川からの電車通いも辛くなかったですね。小6や中1では様々なキー局のドラマに出演するなど、沢山の経験をさせて頂きました。しかし、舞台やTVで活動する中、心境の変化があり、色々と考えた末に事務所を辞めました。様々な意見が飛び交いましたが、きっと僕はどこかで普通の人になりたかったんだと思います。高校2年生になってからは、周りのみんなが受験勉強に励む中「仕事に何を求めるか」をずっと考え続ける日々を送っていました。そこで出た答えは、お金でも環境でもなく、「誰と働きたいか」だと気が付きました。好きな人と働くには、自分で会社を作った方がいい。そう思い至って、経営を学ぶために大学進学の道を選びました。 ■信頼する友達と働きたい想いを形に 僕はミルクティーを毎日飲むくらい好きなのですが、「自分が好きな物が飲みたい」という想いを込めて、2019年の大学2年生のときに、周囲の友達を誘って「Tea Shop MoN TEA」というカフェを始めました。いま見ると笑ってしまう様な事業計画書ではありましたが、その計画書を持って「カフェやりたいんです!」と周りの社長さんに言いまくる日々を送りました。その結果、「面白いね」と言ってくれた渋谷の飲食店のオーナーさんが定休日の日曜日を使わせてくれることになり、期間限定で営業を行いました。現在は、週1回ではなく、店舗化を目指して物件を探しています!もうひとつ、始めたことはキッチンカーです。友達の「やってみたい」という言葉や、自分の親がやっていたということから、キッチンカーでの販売も始めました。ゆくゆくはキッチンカーを発展させて、舞台のケータリングをはじめ、企業向けビジネスにも力を入れたいと思っています。 ■ステージで輝いて魅せるために ステージの指導を行う上で、僕が心に決めていることは“嫌われ役”になるのを恐れないことです。ステージに立つメンバーがどうしたら1番輝けるか?を常に意識しているので、指導する際は仮に厳しい言葉であっても、思ったことはすぐに言います。表情や歌い方も事細かく指示をしていますね。同時に、メンバーには、自分が舞台を通じて何を伝えたいのかを考えてもらうようにしています。僕自身が演出や振付を考える際は、観客の皆さんが見飽きないように、そして分かりやすいように、歌詞に合わせたストーリー性のある動きや構成を意識します。その意図をメンバーやお客さんが理解してくれた時はやりがいを感じます。また、お客さんから見てよいものを見せたいと思うからこそ、振りや立ち位置の状況に応じて、照明やスモークなどの特効といった演出にもこだわっています。お客さんが「ライブも面白いよね」と思ってくれないと、この業界では長くやっていけません。だからこそ、お客さんの視点を大切にするようにとメンバーには常に伝えています。 ■直感を大切に何事にも挑戦 今後、挑戦してみたいのは、アイドルグループ専用のダンススタジオを作ることです。いまは、大手以外のグループは一般のスタジオをレンタルするところが多いのですが、それだとセキュリティなどにも問題が生じます。セキュリティをしっかり配備したサブスクリプション制のスタジオを運営できれば、多くの人に喜ばれるのではないかと思っています。現在の僕の原動力は家族、会社のメンバーである仲間たちです。彼らを支えるために仕事をしています。ただ、ここまで生きていて人生って面白いなと思うのが、やった分だけ物事は返ってくるし、一見関係のないことでも様々な点を立てることで、どこかのタイミングで線に繋がるということ。今後は、エンタメ業と飲食業の2軸に別々で力を入れていく予定ですが、この2つの軸がどこかで重なる日が来るのを楽しみにしています。 大学生の皆さんに伝えたい言葉としては、「適度に適当に」。いまは情報過多な時代ですが、それぞれの情報をきちんと取捨選択をして、それが本当に自分に必要なものかをよく考えてほしいですね。大学の授業は大切ですが、効率よく時間を使って、自分のための時間を増やして下さい。やりたい事があるのなら、成すためにはどのような能力が必要か分析してほしいです。そして、悩む時間があるなら行動に移しましょう。人生は落ち込んでいる暇があるほど、長くないです。「これがいい!」と思ったら、直感ですぐやってみることを心がけてほしいです。 学生新聞オンライン2022年12月12日取材 国立音楽大学 2年 岡部満里阿

和田真帆

株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長 石原卓児

豊富な品揃えと丁寧な接客で「中古品」に対する抵抗感をなくしたい 株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長 石原卓児(いしはらたくじ) ■プロフィール1972年名古屋市生まれ。 英国暁星国際大学卒業後、大手家電量販会社を経て、1998年株式会社コメ兵に入社。 有楽町店・新宿店店長、営業企画、WEB事業、店舗開発、販売促進、マーケティング業務等に従事。2013年6月に代表取締役社長に就任。2020年10月ホールディングス体制への移行と同時に、株式会社コメ兵ホールディングス代表取締役社長執行役員も兼任。 元々名古屋の地で始まった株式会社コメ兵ホールディングス。2003年に上場企業となり様々な中古ブランド品を扱っている。二次流通市場で成長し続ける理由について、代表取締役社長である石原卓児さんに聞いてみた。 ■アルバイトでお金を貯めて、イギリスの大学へ留学 大学は日本の学校ではなく、イギリスの大学に通っていました。中学から始めたラグビーにのめり込んでいた私は、ラグビー発祥の地であるイギリスに行って、新しいラグビーメンバーと一緒にプレーをしてみたいという思いから現地の大学に行くことを決めました。留学するために親からお金を全て出してもらうのは嫌だったので、名古屋にある花の市場で朝5時から12時までアルバイトで働き、昼過ぎからは英会話スクールに通い、15時から中学生のラグビーコーチをするという生活を高校卒業後の1年間していました。私が小さい頃からコメ兵のCMが流れていた影響もあり、「コメ兵の息子」と言われてきたので、自分の名前で活躍していける海外で、様々なことをチャレンジできたのはとてもいい経験でした。 ■新卒でヨドバシカメラに入社。突然の父の他界でコメ兵へ 小さい頃から会社の跡継ぎだというプレッシャーがあり、「自分はそうなるしかない、その他の選択肢はない」と思っていました。そうは言っても私は接客の経験をしてみたかったので、まずは接客ができるお店で働きたいと思い、仕事選びをしました。就職期間は3年と決め、有限であるその時間をいかに濃く有意義に過ごせるかを考え、株式会社ヨドバシカメラに就職しました。時期的に就職活動は世間では終わっていましたが、自分からその会社に電話をかけて人事の方に直接お話して、入社することになりました。入社後は学びの毎日でしたが、父が病で他界したことがきっかけで「3年間就労する」という期限の前に、ヨドバシカメラを退社することになりました。その後は、父の後を追ってコメ兵で働くことを決めました。副社長であった叔父(父の弟)から、生前の父が常々「いつか戻ることがあった時には社内の人間関係を作らないと裸の王様になってしまう。1年くらいを目安に色んな業務を転々とさせ、下積みも含めて社内の人間関係を作らせたい」と言っていたと聞きました。ヨドバシカメラで学んだことを活かすためにも、カメラ売り場から働き、現場で様々なことを吸収しました。その後、コメ兵は2003年に上場し、名古屋だけでなく全国に店舗を持つことができました。そして、私は2013年に社長に就任しました。 ■商品を最高の品質にして丁寧な接客を コメ兵が注力してきたのは、品質向上、豊富な品揃え、丁寧な接客です。どれだけ豊富な品揃えにできるかは、接客の上手い下手の前に大切だと思っています。5坪の古着屋から始まったコメ兵は、広告宣伝費がなくても「高く買えばものが集まり、安く売れば人が集まる」という創業精神をもってやってきました。だからこそ、品揃えには自信があります。幅広い品揃えのお店での丁寧な接客を通じて、「中古品を選ぶことは、恥ずかしいことではないのだ」と体験して頂き、お客様の抵抗感を下げていくことでリピーターが増えていることを実感しています。また、コメ兵は中古品を扱う会社ですが「買取りをして販売する」だけではなく、買い取った商品を愛知県の商品センターで一度全て集め、そこでルーペや顕微鏡を使い真贋判定をかけて、メンテナンスの必要なものは外注で直し、価値を高めて店舗に並べています。 ■一緒に働きたいと思う人は、チームで働くことができる人 接客は周りの人たちと協調・共生を持ってチームで動けることが大切だと考えています。店舗ごとの目標に向けて、力を合わせて様々な企画を立てたり、プロジェクトを組んだりして、チームで協力しながら仕事をする人と一緒に働きたいですね。変化の激しい社会の中で、個人の能力に頼るよりも、チームで目標に向かっていく方が高いパフォーマンスを発揮できると考えています。また、コメ兵の「中古品の価値を高めて販売する」というリレーユースの仕組みをしっかりと理解し、お客様に喜んでお届けする接客を大切にできる人を求めています。 ■大学生へのメッセージ 遊びでも、アルバイトでも、学生という「今」だから味わえる感度や使える時間を、仲間たちと後悔なく楽しんでほしいと思います。そして、貴重で有限である学生という時間は、それを支えてくれている人がいることを忘れず、感謝の気持ちを持ち続けてください。コロナ禍により今の世の中は苦しいこともありますが、限られた環境の中で最高の思い出を作ってもらえたらと思います。 学生新聞オンライン2022年12月1日取材 日本大学3年 和田真帆

イベント・企業紹介

スペシャルトーク「ウズベキスタンを知ろう」

タレント中山秀征とインフルエンサーねおがウズベキスタン1日PR大使に就任! 1月19日(木)に日本で唯一ウズベキスタンの不動産投資が可能なジオン・インベストメント・トラスト株式会社(代表取締役・山本一之)によるトークイベント「ウズベキスタンを知ろう」が神田明神ホール(所在地:東京都千代田区外神田)にて行われました。冒頭には、代表取締役・山本一之氏と、駐⽇ウズベキスタン共和国特命全権大使・ムクシンクジャ アブドゥラフモノフ氏と、駐日タシケント市役所代理人 / 名古屋ウズベキスタン友好協会理事・イビラギモフ ブニヨドベク氏も登壇され、挨拶とウズベキスタンの熱い想いを語りました。 ■ジオン・インベストメント・トラスト株式会社 代表取締役 山本一之氏21歳の時にシンガポールから始まり、約40年間東南アジアの経済と成長を見てきました。マレーシアの渡航の際に海外事業、不動産に触れ合うきっかけがあり、様々な面で海外の投資家がその国を応援することが大切だなと感じました。それから次に成長する大国はどこかアンテナを張るようになり、そこで出会ったのがウズベキスタンという国です。ウズベキスタンは貿易の自由化が始まったことで、シルクロードの交差点と呼ばれるようになり、モノづくりの拠点として世界から注目をされるようになりました。ロシアから3800社など様々な国から自動車部品・家電などをはじめとした工場経営が進んでいます。一人当たりのGDPを見るとベトナムの半分なのですが、人口増加、インフレ率の増加、若い世代の増加、GDPの成長率が高いなど成長している国との共通点があります。都市化していくことで海外から人が集まり、モノの物価も上がっており、ケンタッキーやスターバックスの出店も始まっています。また、土地の価格が5倍から10倍に、銀行金利も20%あるなど、海外の投資から注目を浴びています。日本人にチャンスを与えたいという思いから、日本人も安心して不動産投資ができるような仕組みづくりを行うようになりました。また、都市開発プロジェクトにも参画することが決まり、ウズベキスタンと日本の交流がさらに深まるようにしていきたいと考えています。 ■駐日ウズベキスタン共和国特命全権⼤使・ムクシンクジャ アブドゥラフモノフ氏日本もウズベキスタンも自分の心を温めてくれます。ウズベキスタンは独立してから32年くらいのまだ若い国なのですが、人口3500万人の中の6割は30歳までの若者で、大統領が変わったこともあり新しいウズベキスタンを創り上げていくことに注力しています。 ■名古屋ウズベキスタン友好協会理事・イビラギモフ ブニヨドベク氏ウズベキスタンは世界で一番親日の国だと思います。その一方で日系企業が少ないのでもっと民間レベルで交流や連携を深めていけたら嬉しいです。自分の目で見て感じるのが一番なのでまずはウズベキスタンのことを知ってもらえるようにしていきたいです。 当イベントでは、「ヒデちゃん」の愛称で親しまれているタレント・中山秀征さんと、ティーンのカリスマとして活躍中のインフルエンサー・ねおさんのおふたりを【ウズベキスタン1日PR大使】に就任したことを発表しました。 ■タレント 中山秀征氏ウズベキスタンと聞くと戦争が多い地域なのかというイメージがありますが、実際は素敵な建造物や多様な民族が暮らす豊かで平和な国だというのが今回のクイズを通して分かりました。今回着用させていただいたウズベキスタンの民族衣装も装飾が繊細でとても綺麗ですし、伝統品のお皿も普段使いできないような豪華さがありますね。私は長年群馬県の観光大使をしており、同じく内陸に位置するという共通点もあって親近感が湧きました。ウズベキスタン1日PR大使に選んでいただいたことで、ウズベキスタンには素敵な観光地がたくさんあって、安全で投資家からも注目されるほど素晴らしい国だということを知ることができました。 ■インフルエンサー ねお氏私もウズベキスタと聞いた時に戦争?というイメージがありましたが、今日のクイズでそのイメージが一変しました!社長がたくさんヒントをくださったり、陶器の置き物ウズベクおじさんもすごく可愛くて、お家に飾ろうと思います。ウズベキスタンにある伝統的な建物も水色とすごく綺麗で、実際にウズベキスタンに行ってたくさん写真を撮りたいなと思いました。ウズベキスタンという国を少しですが知ることができ、とても楽しかったです。

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株式会社グローバルウェイ 取締役会長 各務正人

“使われる”のではなく、“愛される”サービスを10億人に届けたい 株式会社グローバルウェイ 取締役会長 各務正人 (かかむまさと) ■プロフィール 外資系金融機関にシステムアナリストやデリバティブトレーダーとして在籍。2001年にSOA製品のリーディングカンパニー、外資系ソフトウェア企業に入社。リージョナルマネジャーとして世界一の営業成績を達成し、2年連続で日本支社のライセンス売上50%以上に貢献。2005年に同社を退職し、株式会社グローバルウェイを設立。代表取締役に就任。 企業口コミサイト「キャリコネ」、企業のプラットフォーム構築サービス、個人の時間売買サービス「Time Ticket」など多角的な事業を展開するグローバルウェイ・グループ。創業者で現在取締役会長を務めるのが各務正人氏だ。田舎の野球少年だった同氏はアメリカの大学に進学、エンジニアやトレーダー、営業を経験したのち、現在の会社を創業している。今回はこれまでのキャリアや仕事への想いについて伺った。 ■田舎の野球少年がアメリカへ  私は小学校2年生で野球を始めて、いずれはプロ野球選手になりたいと思っていました。高校は野球の特待生として進学し、大学へも野球の推薦で入りました。ただ、私はイチロー選手と同い年で彼と何回か対戦をした経験から「自分はプロへ行くレベルではない。もっと将来を真剣に考えなきゃヤバい!」と思い始めました。私が生まれた岐阜は陶器産業が有名で父と祖父は陶器に関連する会社を経営していたのですが、昔、漠然と私も会社をやりたいと考えていたことを思い出し、実家にある野口英世の本を読みなおしました。そして「アメリカへ行ったら自分を変えることが出来るのではないか」と思い、アメリカ留学を決意しました。アメリカでは試行錯誤を繰り返して答えを導き出すことを学びました。教科書の内容をそのまま勉強することは自分で出来ることなので意味が無く、教科書の内容について「どのように思うのか?」と発展させることの重要性に気づけました。 ■起業を目指し、エンジニア・トレーダー・営業を経験  私が会社経営に興味を持った時、ちょうどマイクロソフトなどが世に出た時代だったのでITの分野で起業を考えていました。そこでお金や知識を得るためにITのレベルが高く給料の良いUBS証券へ入社し、エンジニアとしてトレーダーが使うシステム開発をやらせてもらいました。その際、トレーダーの経験も積みたいと思ったため、ドイツ証券に転職してトレーダーになりました。さらに、会社経営の経験を積むため、小さい会社に転職したいと思い、ゴールドマンサックスのお誘いも断って日本進出してきた10名ほどの小さな会社で営業をやらせてもらいました。その会社に転職したときは600万円ほどの年収でドイツ証券の半分ほどの金額だったので「お前はバカか?」と言われましたが、世界一のトップセールスをあげたとき、年収は7500万円ほどになっていました。そのお金を軍資金にして作った会社がグローバルウェイです。 ■「キャリコネ」で日本を生きやすい国に変える 元々BtoBの経験を積んできたので、その経験をもとに自分たちでソフトウェアを作り、お客さんに導入するシステム開発系の仕事を始めました。最初に始めたのが、ビジネス版のミクシィです。このサービスを作った理由は、私が常々日本は欧米などに比べると、単一民族性が強く生きづらいと感じていたからです。例えば、人を褒めるのではなく、揚げ足を取る文化が強い。そうした単一民族性を打破して、日本中の人々が自由に好きなことが出来るような気づきを与えるために作ったのが、今の「キャリコネ」です。 ■10億人に愛されるサービスを創る 今のキャリコネは8000万人が使用するサイトになりました。そして事業を多角化しているので大手企業・中小企業・個人から仕事をもらうことができ、会社のポートフォリオが悪くなりづらい状況にしています。そのため、今後はインドやインドネシアなど、アジア圏での横展開や関連する事業を創造したいです。また、いずれは10億人に愛されるサービスを創りたいです。重要なのは愛されることで、ただユーザーが10億いればいいというものではありません。それだけの人に「使ってよかった」と思ってもらえる事業にしたいです。これが実現できた瞬間が仕事を辞める時だと思っていますね。他にも若手で才能がある人・努力する人を採用・育成していくことにも取り組みたいです。 ■やりがいは“自己満足” 2016年の株式上場はサービスが認められた感じがして嬉しかったです。ただ、ここまで続けてこられたのは勝手な自己満足だと思っています。「俺がやらないと世の中変わらないんじゃないか」という勝手な責任感ですね。警察官が事件の現場で「俺がやらないで誰がやるんだ」という感覚と似ているように思います。この自己暗示的なもののおかげでここまで続けてこられました。 ■グローバルウェイの魅力 私は合理的ではないことが嫌いなのでコロナ禍になる前から在宅勤務の体制づくりに取り組んでいました。現在は管理部門以外の96%ほどが在宅勤務で仕事をしています。他にも子供が小学校5年生になる時まで時短勤務が出来ます。また、妊娠中から医師などの指導を受けた旨の申し出をしている女性は時短勤務として働けたりします。また、7時から22時のフレキシブルタイムの間であればコアタイムが無く働けるフルフレックス制にするなど、働きやすい環境づくりを心掛けています。ただ、責任を果たして成立する事なので、社員のパフォーマンスが悪くならないように管理して運営しなきゃとは思っています。働いている人は誠実で素直な人、仕事に妥協しない熱量の高い人が多いですし、そういう方々を求めています。そのため、「適当にやっておけばいいんだよ!」という人はダメですね。 ■大学生は自分への財産を作るべき 趣味でも勉強でも何でもいいので自分が誇れるものを1つでも作ること。そして、自分の財産になる友達を作ることに挑戦してほしいです。社会人になると「仕事の役に立つか?」など打算的になっていきます。自分と似た状況にある人と一緒にいることは居心地が良いですが、お金じゃない付き合いの友達、例えばぶつかりながらも野球を一緒に頑張った仲間たちはかけがえのない存在になるのでぜひ大切にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2022年9月21日取材 中央学院大学4年 田根颯人

学生新聞インターン

auじぶん銀行株式会社 代表取締役社長 石月貴史

自分の幸せとは何かを早くに明確化し、その実現に向けて努力を auじぶん銀行株式会社 代表取締役社長 石月貴史(いしづき たかし) ■プロフィール1990年KDDI(旧第二電電株式会社)入社、新規事業統括本部新規ビジネス推進本部事業開発部長、auフィナンシャルサービス代表取締役社長、auカブコム証券代表取締役社長などを経て2022年8月auじぶん銀行代表取締役社長に就任。 2008年にKDDIと三菱UFJ銀行の共同出資により設立されたネット専業銀行である「auじぶん銀行」。主にスマホ向けのフルバンキングサービスを提供し、前例にないサービスを先駆けて提供している。「大切なのは主体性を持って自ら行動することだ」と語る石月貴史社長から大学生へのメッセージとともに、創業についてのお話を伺った。 ■とことんチャレンジする、無鉄砲だった大学生時代 学生時代は今しかできないことを、無鉄砲に、なんでもやろうという思いをもって、自由に過ごしていました。アルバイトは家庭教師や引っ越し屋さん、バーテンダーなど様々なことをやりましたね。お金貯まったらどこかへ行くというスタイルで、当時トム・クルーズ主演の映画『トップガン』が流行っていた影響から、「実際にミラマー海軍基地に行きたい」という思いに駆り立てられてサンディエゴに2ヶ月間滞在したりもしました。現地で仲良くなった人とレンタカー借りてラスベガス行ったりして、かなりエンジョイしていましたね(笑)。一方、就業に際しては、人々を豊かにするサービスや事業を行う会社に入りたいというかねてからの思いもあり、相当真剣に考え、第二電電株式会社(現KDDI株式会社)に入社しました。人々の生活に欠かせないコミュニケーションの土台となる通信ですが、当時はまだ料金がかなり高く問題意識がありました。日本の通話料を安くする会社に入ることで、人々を豊かにできるのではないかというシンプルに思いました。 ■コーポレート部門からau PAYカード事業の立ち上げを経て、auじぶん銀行の代表へ 入社時は広報部に入り、その後、財務部に異動して、いわゆるコーポレート部門で長い間、働いていました。2000年を越え、すでに携帯電話は1人一台持つ時代が到来し、事業部門ではないものの、自分なりに会社の次の成長機会がどこかを考えていた頃、三菱UFJ銀行(当時はUFJ銀行)の担当の方と「KDDIと一緒にインターネットバンクをつくる」という話題で盛り上がり、事業を検討する場をアレンジしました。これが、auじぶん銀行(当時はじぶん銀行)設立のきっかけであり、私が金融に関わるきっかけとなりました。アレンジを契機にauじぶん銀行に出向、創業より6年間働いた後、KDDIに帰任、通信事業に重畳する金融事業の検討がミッションでした。その中で生まれたのがau PAY構想です。構想の実現にはクレジットカード会社が必要であり、auフィナンシャルサービスを設立することとなりました。おおげさでなく、A4用紙1枚からビジネスを考えました。そして、銀行創業の経験から、その会社に対して一番思い入れのある人間が経営すべきと考え、自分が一番であると確信し、社長に自ら手を上げました。今思えば、無鉄砲極まりなく、よくぞ許してもらえたとも思います。auフィナンシャルサービスは創業より6年弱経営し、軌道に乗ったところで後進へバトンタッチしました。その後、auカブコム証券の社長を経て、現在に至ります。新卒の時は、よもや金融関係の会社の社長になるとは考えてもいなかったので、本当に巡り合わせですね。 ■auじぶん銀行の創業について 低廉な手数料だけでなく、手のひらで持ち歩く銀行をコンセプトにしたネットバンクは、間違いなくauじぶん銀行が日本初です。しかも、iPhoneやスマホが普及する前のガラケー時代から、先駆けて考えていたことは今思い返しても先見の明があったと感じます。広告拠点としてauショップを活用した点も、口座獲得において他のネットバンクと比べ、圧倒的に有利だったと思います。 ■auじぶん銀行の魅力 「手のひらの中の銀行」といった前例がないものを先駆けて提供してきたところが、auじぶん銀行の一番の魅力だと思います。また、KDDI、MUFGという強力なバックボーンを持ち、auフィナンシャルグループとして傘下に多様な金融機能を提供するグループ会社があることも魅力です。そのため、ユーザーはその他のサービスとセットで利用することで、様々なメリットを享受できることができます。 ■社長の仕事は方向を定め、環境を整えること 会社には成長のステージがあります。創業期は、社長の構想している、やりたいことを追求し、社員に具現化してもらう、そして事業がスケールしたなら、次のステージは、社長だけでなく、社員のアイデア、みんなの力を集積し、新しい成長軌道を摸索する時期になります。auじぶん銀行は、今、その段階にあたるのかなと思っています。その段階においては、会社が進む方向を定めること、社員が気持ちよくアウトプットできるようその環境を整えること、これが社長の今一番大切な役割だと思っています。 ■一緒に働きたいのは、会社のパーパスに共鳴し、行動できる人 どんなに能力が高くて、自分1人でやれる仕事は限られます。なので、一人で全てをやることが素晴らしいとは思いません。ビジネスにおいても、色々な得意技を持つ各々会社を上手く組み合わせて一つの素晴らしいサービスに昇華させる時代となっています。このような時代だからこそ、一緒に働きたいのは、会社のパーパスに共鳴し、行動できる方です。言い換えると、同じ志のもと、自分の能力をパーパスにシンクロさせられる人、主体性を持って行動できる人と働きたいと思います。 ■大学生へメッセージ 自分の幸せとは何かを早くに明確化してそれに向けて、真っ直ぐ努力をしてください。私が考えた「幸せ」は人々の生活を豊かにすることだったのですが、主体性をもってそれを実現することを自分の仕事とすることができたのは、このうえない幸せです。今、このポジションにあるのもぶれずに自分の「幸せ」を追求したからだと思っています。みなさんも、是非、自分が「幸せだ」と感じられるものを見つけ、実現に向けて歩んで頂けたらと思います。 学生新聞オンライン2022年10月19日取材 川村学園女子大学 4年 岡﨑美諭

学生新聞インターン

わたげ “ぼっち”はマイナスではない。ぼっちを明るいものに。

クリエイター わたげ ■プロフィール10代女子が選ぶ好きなTikToker1位を獲得した経緯を持つぼっち系女子大生クリエイター。TikTokのフォロワーは100万人を突破し、中でも「バレずにTikTok撮ってみた選手権」が大バズりした。YouTubeでも友達がいないことから、自ら一人で外食をしたり、一人で外に出かける”ぼっち活”を発信し、たくさんの共感を得て話題となっている。 高校時代、“ぼっち“になってしまったことを機に、縋ろうと思ってSNSへの投稿を始めた。しかし、今では逆に多くの”ぼっち”に勇気や楽しさなど、影響を与えている存在になっている。そんな「ぼっちプロフェッショナル」に活動のきっかけや今後の展望について伺った。 ■活動のきっかけはSNSの人に縋るため 私は方向性の違いから通信制の高校に転校しています。そして通信制の高校では毎日同じクラスに通うという概念が無いこと、コロナ禍でずっと家の中で誰とも会話が出来ない状況であることから、SNSに縋るしかないという思いからSNSへの投稿を始めました。今でも美容院やネイルサロンなどで話すのは苦手なくらい、人と話すことが苦手ですが、文字だけでのやり取りができ、画面越しで先入観が無い状態でコミュニケーションが取れるので、「陰キャ」な私でも活動が出来ています。ただ、活動当初は“ぼっち“であることを隠した状態で可愛く踊ってみましたが、なかなか伸びませんでした(笑)。そこで自分のコンプレックスを強みにすることで個性になるかなと思い、”ぼっち”であることを公表した結果、今では多くの方にフォローしていただいています。始める前は「地元の友達にどう思われるのか」などを気にしていましたが、バカにされること以上の良い結果を一歩踏み出したことで得られました。また、“ぼっち”の私が大学に進学した理由は、姉が大学に通っていることやサークルなどで孤独になることを避けられるのではないかと思ったことからです。サークルなどに入ることは無理でしたが、グループワークなどでコミュニケーションの場を作ることが出来たので進学して良かったと思っています。もし大学に進学をしていなかったら、私生活では誰とも会話をせずに生活していたかもしれないので(笑)。動画を見てくださる方から、本当は“ぼっち“ではなく「ビジネスぼっち」なのではないかと言われることも多いです。ですが、大学などの日常では“ぼっち”の看板を掲げながら歩いているわけではないので、ネット上に応援してくださる方がいるからこそ、動画やお仕事では話せているのだと思っています。ファンの方、コメントをくださる方には本当に感謝です。 ■“ぼっち“を明るいものにしたい 動画投稿をしてから、ぼっちで悩んでいる方、人間関係で悩んでいる方などから、共感していただいたり、「一人でご飯に行ってみました!」などの原動力になっていたりすると気づけました。過去に1人でユニバーサルスタジオジャパンや東京ディズニーランドに行った動画を投稿したのですが、「マジで行くのか、おもろ!」というコメントや「わたげさんが行けるなら一人でも大丈夫そうだね」といったコメントなど、楽しんで頂けたり、少し勇気を与えられていたりするのだと感じました。動画投稿をする中で私自身も新たな発見があったのですが、それは意外と他人のことを気にしていない人が多いと言うことです。さすがに一人ディズニーは目立つかなと思っていましたが、各々が楽しんでいることから、そこまで見られることはありませんでした。また、転校や不登校に関しても、不登校の方から「動画を見て親に相談しました」という声をいただくこともあるので、誰かの人生に踏み出す勇気を与えるなど、人の人生に影響を与えることが出来ているのは我ながら凄いことだなと思っています。ただ、私もありのままの姿を動画で出していることから学校をサボったときには、お母さんのようなコメントをいただくので、日常に喝を入れてもらっています。ファンのコメントを見て動画が成り立っているので、皆さんのコメントは本当に私の原動力です。今後の活動では次の2つのことにも挑戦していきたいと思っています。1つ目はファンとの交流です。たまに「AIがコメントを打っていたらどうしよう」と不安になることもあるので、何か“ぼっち“の方でも楽しめるイベントを考えて交流が出来たら嬉しいなと思っています。そして2つ目は”ぼっち“をかっこいいものにすることです。最近はソロ活という言葉が流行り、ソロ活はかっこいいイメージを感じる人も多いのではないでしょうか。しかし、”ぼっち”という言葉はどこかマイナスのイメージを持っている人が多いと思います。そこで”ぼっち”を楽しいものであると多くの人に知ってもらい、言葉のイメージを楽しい方向へ持っていくことで、ぼっち活を流行らせたいです。私は「ぼっちプロフェッショナル」と言っているのですが、”ぼっち”のカリスマになって、”ぼっち”の概念を覆した明るいものに変えていこうと思っています。例えば、お店に私のポスターなどが貼ってあると“ぼっち”の人でも入りやすいお店だということを視覚化できる、そんなシンボル的存在になりたいです。ただ、夢としてはスマートフォンなどを捨てた状態で、スイスの山奥などで人と関わりを持たずに暮らしたいと思っていますが(笑)。 ■大学生(同世代)へのメッセージ 人間関係で悩みがある人も多いと思いますが、人との関わりが無くても楽しく生きている人がいることを知ってほしいと思います。最悪の場合、「一人でも大丈夫だよ」と知ってほしいです。そしてコンプレックスは捉え方によっては個性になると思うので、コンプレックスがあったとしても、見方を変えて明るく生きていれば、人生は楽しくなると思います。 学生新聞オンライン2022年12月3日取材 中央学院大学4年 田根颯人

学生新聞インターン

みとゆな 友達だけど、友達じゃない。そんな“みともだち“に。

モデル / タレント みとゆな ■プロフィールAbemaTVが配信している、現役高校生による大人気恋愛リアリティ番組、「今日、好きになりました。」に秋桜編、花梨編、蜜柑編と3シーズンに渡り出演して話題となった、現役高校生モデル/タレント。イメージカラーを緑とし、彼女のファンマークが「🟢」であることから『みとゆなポーズ』と題して手で丸を作って写真を撮る全国の高校生が殺到している。等身大JKとしてティーン世代から多くの共感を集め、今大注目の存在! <インフォメーション>【2023年の流行予想ランキング】タレント編1位、TikToker編3位にランクインさせていただきました!https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000080.000020107.html 元々芸能界に興味があり、ABEMAの『今日、好きになりました。』で大ブレイクしたみとゆなさん。今後はSNSの発信はもちろん、演技へのさらなる挑戦やSDGsなどの取っ付きにくい言葉を多くの世代に届けたいという。今回はファンとの“つながり“や今後の展望について伺った。 幼少期の頃、私の父が「ゆなは将来モデルになるんだよ」と言っていたこと、雑誌を読むことが好きだったことから芸能界という世界に憧れがありました。そこでオーディションを受けようと思ったのですが、身長が足りず諦めていたところ、中学1年生の春に竹下通りで今の事務所にスカウトしていただきました。中学生の時からレッスンなどに参加させてもらっていましたが、高校時代に出させてもらった『今日、好きになりました。』から本格的な芸能界デビューが始まります。出演前は800フォロワーくらいでしたが、出演後は25万フォロワーになりました(笑)。フォロワーが増えてもフォロワーの方とのやり取りを増やすなど、ファンの存在を今後も大切にしていきたいと思っています。 ■ファンとのつながりが何よりも大切 私専用のアカウントを作ってくださっている方や私が1ページしか出ていない雑誌を複数冊買ってくださるファンがいることに、我ながら驚き、ファンの方には非常に感謝していますし、大切な存在です。私はファンの方々のことを「みともだち」と呼んでいるのですが、新しい形の友達関係を目指しています。遊びの約束やDMの返信などは出来ないけれど、「友達と喧嘩した話」や「彼氏に振られてしまった話」など、少したわいもない会話をしてくれるような感じです。 発信活動についてお話しすると、TikTokでは演技系が好評なので、演技系により力を入れていきたいと思っています。ただ、最近はK-POPのダンス系が流行っているのですが、踊るのが難しく、踊りを覚えたときには次の音源が流行っているので、なかなか大変です(笑)。そしてInstagramでは人物が左右バラバラにいると見にくいと思っているので、上下左右に余白を空けるなど、画角を意識した投稿を心掛けています。また、YouTubeでは最近の出来事など、日常の動画を投稿しています。例えば、「Air Podsを無くした!」などの友達に言うような内容も配信していることが特徴です。 ■今後は演技や難しい用語を噛み砕いて広めていきたい 演技の経験はまだまだ少ないので、これからはもっと演技の経験を積ませていただきたいです。経験が少ないこともあると思いますが、モデルのお仕事に比べて、演技などの映像のお仕事は非常に大変だと思っています。例えば、私は神奈川県出身でイントネーションが違っていることは無いと思うのですが、イントネーションの注意を受けてしまうことが度々あったので、アドバイス通りの決まった演技になりすぎないようにする必要がある点は難しいです。私だけかもしれませんけど(笑)。 最近では演技の技術向上を目指し、ドラマを見ることも増えてきました。ただ、仕事でドラマを見ると楽しくなくなってきてしまうので、私の好きなものを見るようにしています。以前SNSドラマをやらせていただいた経験から、1,2秒の映像にも凄くこだわっているのだなと感じるようになりました。私がやらせていただいたものはそこまで長いドラマではありませんでしたが、それでも非常に大変だったので、長尺のドラマには「どのくらいの時間をかけているのだろう」、「この1秒にもどんなこだわりがあるのかな」などと別の視点でも見ています。ドラマの他に意識していることは演技系のTikTokの投稿です。これも捉え方を変えれば演技力向上の練習になっていると信じています(笑)。今後は実現が難しいかもしれませんが、同世代に多く見ていただける恋愛ものへの出演や出演したことが無い、東京ガールズコレクションに出演してみたいです。また、SDGsなどの名前は聞くけど調べてみると少し難しい用語を多くの人に届けることに興味があります。「SDGsってなんだろう?」と興味を持って調べてみても、難しい用語が並べてあって、結局何を言っているのかわからないということが多いと思うんです。そして私が理解できないことは私より下の世代の方にも理解できないことが多いと思っています。私が母親に「これってどういう意味?」と聞いたときにわかりやすく教えてくれたように、そういった取っ付きにくい言葉を私が代わりに理解して私の言葉で多くの人に伝えたいです。 ■大学生(同世代)へのメッセージ まずは何でも経験してみて欲しいと思っています。私はありがたいことに1つ習い事をずっとやるのではなく、たくさんの経験を積ませていただきました。その経験の中で自分のやりたいことが段々と見えてきたので、まずは何でも経験することをおすすめしたいです。 学生新聞オンライン2022年12月3日取材 中央学院大学4年 田根颯人

学生新聞インターン

株式会社福島野球団 代表取締役 岩村明憲(福島レッドホープス 監督)

野球で福島を盛り上げたい。目指すは“サーカス団” 株式会社福島野球団 代表取締役 岩村明憲(福島レッドホープス 監督)(いわむらあきのり) ■プロフィール 1996年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。ゴールデングラブ賞、ベストナイン、日本シリーズ優秀選手賞受賞。WBCにて2006,2009年金メダル獲得。2007年MLBデビルレイズに移籍し、2008年ワールドシリーズ出場に貢献。2011年NPB(楽天)に復帰。以降はヤクルト、BCリーグ福島へ移籍、2017年現役引退。 プロ野球独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグに所属する福島県のプロ野球球団「福島レッドホープス」。球団の運営、監督を務めるのは、ヤクルトスワローズやアメリカ・メジャーリーグでも大活躍した元プロ野球選手の岩村明憲氏だ。今回はプロ野球選手になるまでの過程、球団経営の難しさ、福島への想いについて伺った。 ■バットを振り続けた学生時代 幼少期の頃から、父と3個上の兄の影響を受け、自然にバットとボールを持っている学生でした。そして野球中継を見る中で活躍する選手に憧れて自分もプロ野球選手になりたいと思うようになりました。過去を振り返ってみると、高校時代の練習は二度とやりたくないほど厳しい環境でした。6時間の勉強、6時間の練習、その後の個別練習という日々です。何回か日を跨いで帰宅することもありました(笑)。何度も「辞めたい」と言ったことがありますが、プロ野球選手という夢を叶えるために我慢しないといけないことがある。我慢の先に夢があるからこそ、厳しい練習でも頑張って続けることが出来たと思っています。 ■バット1本で雰囲気を変えたプロ野球選手時代 サヨナラホームランなどをはじめ、バット1本でその場の雰囲気を変え、多くの方に自分のプレーを注目してもらえるNo1の選手になりたいと思っていました。日本と世界といった環境に違いはありましたが、この目標は日々意識していたことです。日本でも海外でも強いチームや強い選手の戦い方を学んだり、自分がどういう立ち位置になるのが最適かなどを探し続けたりしていました。 ■責任が伴う球団経営 「雇われている方が楽だったな」と感じることが頻繁にあるほど、経営は難しいです。売上の8割はスポンサー収入になっていて200社がスポンサーになってくださっています。ただ、監督業も兼業していることからお会いできていないスポンサーさんもいらっしゃるのが現状です。そこで出来る限り食事をする機会を作ったり、共通の趣味であるゴルフでラウンドする時間を設けたりしています。ゴルフでは約6時間を一緒に過ごすので人間性が出ます。そこで自分という人間を理解していただきながら、今期の反省点や来期以降の目標を伝えたりして、納得していただけるように尽力しています。 ■選手の個性に苦戦する監督業 何に興味を持っているのかわからない20代を相手にするのは、正直、難しいことが多いです。ですが、遊びではなくお金をもらい野球をするプロとして、注意されることが少ない世代にも厳しいことを伝えています。わざと1回失敗を経験させ、悔しい感情を向上心に変えさせるタイプ、褒めることでより頑張ってもらうタイプ、あえて厳しく伝え反骨心で頑張ってもらうタイプなど、個性に合わせて指導方法を変えています。もし心が折れてしまった選手が出てしまったならば、主に2つのことを伝えています。1つ目は本当に後悔しないかをきちんと考えてもらうことです。これまで投資してきた時間や周りが応援してくれたことを鑑みて、心の底から後悔が無いと言えるかを考えてもらっています。2つ目はどんな選手もミスをすることはあるということです。最近では大谷選手が凄いと言われていますが、生まれた瞬間から大谷選手として仕上がっているわけではないです。どんなに凄い選手でもミスはしますし、ミスは自分を成長させるチャンスであると伝えています。また、プロ野球の世界では3割打者で凄いと言われています。つまり7回失敗できるのです。これは通常の社会人だとクビになりかねない話だと思っています。そのため1回でも失敗を減らせるように自身の経験談を伝え、指導をしています。 ■福島の魅力を広める“サーカス団“に 福島レッドホープスが拠点としている福島は、東日本大震災の原発事故によって、本来なら受けなくてよい被害を受けてしまいました。愛媛県出身である私が福島レッドホープスの監督をさせていただくことになった理由も震災が関係しています。被災地巡りをしていた際、罹災証明書を保管するクリアファイルにサインをしてほしいと言われたことがありました。「こんな大事なものにサインすることは出来ません」と一度断ったのですが、「あなたのサインで私も頑張れる」という言葉をいただき、野球選手をやっていて良かったと心から思いましたし、何か力になりたいと思いました。そしてご縁があり監督、オーナーになったのですが、今後は福島県内、全国を回りサーカス団のような各地域を盛り上げる存在になりたいと思っています。NPBプロ野球もありますが、基本的に地方へ来るのは年に1回です。そこで福島レッドホープスが地域を回り、娯楽として地域創生の一助になりたいと思っています。ビジター戦で他県に出向く際には、食物などで風評被害を受けてしまった悪いイメージの払拭を引き続き継続していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 学生の時間は人生で何年かしか経験できない貴重な時間だと思っています。そのため、色々な人と出会い、そのご縁を大切にしてほしいです。もちろん何かで失敗してしまうこともあるかと思いますが、それも経験にしてほしいと思います。また、私の座右の銘は、何事も苦しむことが礎になるということを指した「何苦楚魂」です。寝て起きてプロ野球選手、社長になっている人は誰もいないので努力をして苦しむことも必要だと思っています。寝る間を惜しんで努力をしないといけない時期もあるかもしれませんが、歯を食いしばって耐えることが大事です。最後に伝えたいこととしては、是非福島に遊びに来て欲しいです。東京に一極集中して大変な状況になっている現代、地方を盛り上げる要素の一つにスポーツ、娯楽があると思っています。そのため、福島レッドホープスの試合観戦、温泉地巡り、美味しいものを食べに福島へ遊びに来て欲しいです。 学生新聞オンライン取材2022年11月3日 中央学院大学4年 田根颯人 / 武蔵野大学3年 西山流生

学生新聞インターン

坂ノ上茜 自分の軸を大切に、好きなことを全力で

女優 坂ノ上茜(さかのうえあかね)「アミューズ全国オーディション2009 THE PUSH!マン」で俳優・ルックス部門賞を受賞。2015年、テレビ東京「ウルトラマンX」のヒロイン・山瀬アスナ役で女優デビューを果たす。ドラマTBS「チア☆ダン」、月9ドラマ「監察医 朝顔」 、映画「見えない目撃者」、「きみの瞳が問いかけている」などに出演。2022年7月公開の「愛ちゃん物語」にて初主演。バラエティでは、2017年よりTBS系列「王様のブランチ」レポーターを約4年半にわたり担当し、2021年3月に卒業。現在、BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」にレギュラー出演するなど、幅広く活躍している。2021年には1st写真集「あかねいろ」(光文社)を発売。2022年8月にはデジタル版も配信。ヒロインとして出演する「BAD CITY」が公開。 事務所のオーディションでの受賞をきっかけに芸能の世界に足を踏み入れた彼女は、「チア⭐︎ダン」「監察医 朝顔」など女優としての活躍はもちろん、「王様のブランチ」のレポーターや「町中華で飲ろうぜ」のレギュラーなどバラエティ番組にも活躍の幅を広げている。そんな彼女のお仕事への取り組み方と今回初挑戦だというアクション映画「BAD CITY」について伺った。 テレビの世界に憧れて私は熊本県が地元で、小さい頃エンタメに触れる機会といえばほとんどがテレビでした。そんなこともあり、放送されているドラマで曜日を把握するくらいのテレビっ子で、生活の中心がテレビといってもいいくらいでした(笑)。なので、そんな大好きなテレビの世界に入ってみたいという漠然とした夢を持つようになり、13歳のときに現在所属しているアミューズの全国オーディションに母に頼んで応募してもらったことが今のお仕事を始めたきっかけです。ありがたいことに賞をいただくことができ、アミューズに所属することになりました。ただ、高校生までは地元にいて基本的にはいわゆる普通の高校生活を送り、大学進学と同時に上京し本格的にお仕事を始めました。大学では映像メディアなどを学び、お仕事に直結する内容も多かったのでとても楽しかったですし、教授や友達にもとても恵まれていたと思います。それでも、学業とお仕事の両立は簡単ではなく、特に大学4年生の頃は大変でした。「王様のブランチ」のリポーターやドラマと、お仕事が忙しくなってきた頃に、卒論提出や4年生で必須の単位を取らなきゃいけなかったんです。お仕事の移動時間にスマホでwordを開いてレポートを書いていた記憶があります(笑)。友達や教授、事務所など周りの人が助けてくれたり応援してくれたりしたお陰で乗り越えることができました。とてもありがたかったですし、人の温かさに触れることができて嬉しかったです。このお仕事は、撮ってもらった作品を人に見てもらう仕事なので、やはりそれを見てくれた人から反響が返ってきたときが嬉しいですし、やりがいだと思います。特に、CMや地上波に出演して実家で家族が見てくれて、頑張ってるねと言ってもらえると1番励みになります。また、SNSなどを通してファンの方から感想を頂いたり、新しいCMが始まったときに、自分よりも早く見つけて報告してくれることもあって、とてもありがたいです。 初のアクション映画「BAD CITY」今回出演させていただく「BAD CITY」は、ある犯罪都市を舞台に、巨大財閥と、巨大財閥に癒着して悪の限りを尽くす韓国マフィアに立ち向かうために、秘密裏に結成された特捜班が奮闘するお話です。私は特捜班の1メンバーで新人の野原という役を演じています。アクション映画なので、もちろん1番の見どころはアクションや乱闘シーンの迫力です。まばたきする暇もないようなシーンの連続で見逃さずに見てほしいのですが、それだけではなく、キャラクターひとりひとりの個性が立っていて、人間模様も熱く描かれているところもぜひ見ていただけたらと思います。野原も最初は新人刑事でポンコツで怒られてばかりですが、あることをきっかけに強くなり成長していく姿を感じられるストーリーです。私にとって初めてのアクション映画で、錚々たる方々が出ている中、現場でいろいろと教えてもらいながら撮影したので、野原と私自身にも少し似たような部分があったように思います。もともと、デビューの時、特撮の「ウルトラマンX」のヒロインとしてアクションをやったことがあり、アクションって楽しいなという漠然とした思いから、アクション作品に出てみたいと考え、個人でレッスンを受けていました。これから頑張ろうと思っていた矢先、この作品のオーディションがあり、出演させていただけることになりました。気持ちとお仕事が合ういいタイミングでしたし、思ったよりも早くアクション映画に関わることができて嬉しかったです。出演にあたって、週3でアクションレッスンを行いました。監督がスピード感、テンポ感を重視される方で、今まで教わってきたアクションとは違い、アクションにもいろんな型があり奥深いものだと感じました。そんな中、クランクイン2日前の練習中に脱臼してしまったんです。本番では、テーピングしてアクションしたのですが、それがちょっと痛くて大変でしたね。ただ、アクション部の人が痛くないようにとテーピングしてくれたり、主演の小沢仁志さんから声をかけていただいたりと、人に助けられているなと改めて感じることができました。現場は、少し昭和気質というか、「体力・気力・根性」という感じで今のご時世ではなかなかない雰囲気でしたが、経験できてよかったと思います。遊び心がいっぱいで、何よりみんなが映画を愛している素敵な現場でした。 好きを大切に私は興味があること、やりたいことってたくさんあってもいいと思うんです。そして、そんな好きなことや興味があることはどんどん口に出した方がいいと思います。実際、私はアクションやりたいなと思ってトレーニングを受けて準備をして、そんな思いを口にしていたから今回の作品に縁があったと思いますし、取材でお酒が好きと言っていたから、「町中華で飲ろうぜ」というお酒を飲みながら町中華を紹介する番組に出させていただくきっかけに繋がりました。地元が好きだと言い続けていたら、今ではラジオで地元のお酒を飲みながらトークする番組のパーソナリティーをやらせていただいています。シンプルですが、周りがこの子はあれが好き、あれがやりたいと知ってくれていると声をかけてくれるんですよね。そもそも、このお仕事を始めたきっかけもテレビの中の人になりたいと言っていたことからですし、好きが仕事に繋がっていくのだと実感しています。だからこそ、自分が楽しい・好きと思うことを大事にお仕事しています。今後もアクションはもっとやりたいです。アクション映画を作る際、候補に自分の名前があがるようになったら嬉しいですね。あとは、やっぱり地元が大好きで定期的に帰りたいので、地元でレギュラーができるといいな(笑)。熊本でももっと自分を知ってもらえるように頑張っていきます。 大学生へのメッセージ大学生は忙しいかもしれませんが、時間の使い方が自分次第になる時期だと思います。興味があること、好きなことにはチャレンジして極めて欲しいなと思います。同時に、人生の選択肢がたくさんあるからこそ、いろいろなことに悩む期間でもあると思います。でも、悩めるというのは選べるということ。不本意な気持ちじゃなかったら、前向きにアクションを起こしていくとより良い生活になっていくのではないでしょうか。 東洋大学 3年 濱穂乃香 ■インフォメーション 新宿ピカデリーにて、1月20日(金)18:30-の回の舞台挨拶に登壇!登壇(予定):小沢仁志、坂ノ上茜、勝矢、圭叶、山口祥行、加藤雅也、かたせ梨乃、園村健介監督 映画「BAD CITY」小沢仁志坂ノ上茜 勝矢 三元雅芸中野英雄 小沢和義 永倉大輔山口祥行 本宮泰風 波岡一喜 TAK∴壇 蜜 加藤雅也 かたせ梨乃 リリー・フランキー 製作総指揮・脚本:OZAWA × 監督・アクション監督:園村健介主題歌:クレイジーケンバンド「こわもて」(doublejoy international/UNIVERSAL SIGMA)制作プロダクション:ソリッドフィーチャー 配給・宣伝:渋谷プロダクション © 2022「BAD CITY」製作委員会ヘアメイク:塩田勝樹(Sui)スタイリスト:豊島今日子 2023年1月20日~新宿ピカデリー他にて公開 公式サイト:www.badcity2022.comTwitter:www.twitter.com/BADCITYMOVIEFacebook:www.facebook.com/BADCITY2022/

大塚美咲

有限会社秋山木工 代表取締役 秋山利輝

人を喜ばせる、人として一流の職人を育てることが天命 有限会社秋山木工 代表取締役 秋山利輝 (あきやまとしてる) ■プロフィール1943年、奈良県明日香生まれ。中学卒業とともに家具職人への道を歩き始め、1971年に有限会社秋山木工を設立。秋山木工の特注家具は、迎賓館や国会議事堂、宮内庁、有名ホテル、高級ブランド店などでも使われている。2010年に一般社団法人秋山学校を設立、代表理事を務める。人間性を重視した独特の職人育成制度は業界の内外から注目を集め、国内からはもちろん、海外からも見学に訪れている。著書に「丁稚のすすめ」(幻冬舎)、「一流を育てる」(現代書林)、最新刊に「人生を輝かせる親孝行の心得」(PHP研究所)、関連DVDにドキュメンタリー映画「丁稚 わたし家具職人になります」(オルタスジャパン)がある。 人間性を重視した独特の職人育成で知られる、天然木の無垢家具メーカーである秋山木工。『一流を育てる』などの書籍でも与に知られるのが、秋山木工の代表取締役である秋山利輝氏。学生時代から「ものづくりで人を喜ばせることは大好きだった」と語ります。「天命に生きる」とは何か。なぜ人間性を重視することが大切なのか。ものづくりに掛ける人生談を取材しました。 ■勉強は大の苦手。「ものづくり」が当時芽生えた天性の才能だった。 学生時代は本当に何も考えていなかったですね。小学校1年生から中学を卒業するまでの9年間、本当に成績が悪くて赤点続きでした。自分の名前を漢字で書けるようになったのも中学2年生。そんな人見たことないでしょ(笑)。当時中卒で働き始めることはそこまで珍しいことではありませんでしたが、もし私が高校受験をしていたとしても受からなかったと思います。高校進学は全く考えておらず、早く社会に出て家族のために働きたいという想いしかありませんでした。通信簿はボロボロの私でしたが、ものづくりだけは大の得意でした。テーブルや椅子を作り、時には家の修繕をすることも。台風が来たときは近所の修繕に引っ張りだこ。小学生からアルバイトとして修繕の仕事をやっていました。得意な分野で周りから頼られることは嬉しくてたまりませんでしたね。 ■無我夢中に働いた下積み時代。付けられたあだ名は、「吸い取り紙の秋山」。 ものづくりを社会に出てからも本業としてやっていこうと決めたのは、中学2年生の時。村のおじさんやおばさんたちに「指物屋さんになるのよね」と当たり前のように言われたことがきっかけです。「手に職さえつけておけば、どんな時代が来ても困らないからね」という村の人たちからの言葉は今でも忘れません。中学を卒業し、社会人として働き始めた当時から「生きる道はこれしかない」と思っていましたから、とにかく夢中になって働きました。小学生の頃からお金をもらってやっていたほどの仕事ですからね。僕が入った会社は世間から見るといわゆるブラック企業で、朝5時に起きて夜中まで働くような生活でした。下積み時代の3年半はとにかくよく人のことを見ていました。僕は本当に惚れっぽい性格なので、とにかく人の惚れた部分を吸収していました。「吸い取り紙の秋山」なんて言われていたこともあります。ただ、先に人のいい所を見て後から「ここはよくないな」という悪いところを見ることが大切です。まずは人の見習うべき点を見つけて学び、吸収する。しかし誰しもが完璧なわけではありませんから、人の欠点は後から見つけて反面教師にすればよいのです。 ■寝る間も惜しんで働いた日々。会社で1番になり、独立の道へ。 16歳からずっと職人の仕事を続けてきて、26歳の時に文化勲章の授章式などで使われる皇居の大きな衝立を作りました。これは日本一の職人にしかできない名誉ある仕事でした。当時は8時半から17時まで働いて、そのあとデザイン学校に通っていました。そしてそのあと、また他の会社を手伝って働いていました。そんなこんなで夜中の3時頃まで働くんです。ですから当時勤めていた会社はだれよりも退社時間が早かったのですが、誰よりも仕事の出来は良かった。その会社の中で1番になったときにクビになり、退職しました。そして更なる高みをめざしてヨーロッパに行こうと思ったのですが、僕が会社を辞めると、ほかの出来の良い職人2人が「俺たちもやめる」といって辞めてしまったんです。その2人も一緒にヨーロッパに行くわけにはいきませんから、自分で会社を立てることに決めました。 ■「人間として自分を超える10人の職人を育てる」これが天命だと思った。 こんなに勉強が出来なかった自分でも周りの人たちにここまで一人前の職人に育ててもらったのだから、自分も一流の職人を育てていくことが天命だと思ったんです。だからこそ、会社に来た職人には、家具作りの基本をとことん教え、一流に育て上げていきました。そうして育った職人たちを僕が抱えておけばお金はたくさん入りますが、僕は教え子に食わしてもらうのは嫌だったので育った職人には独り立ちさせていました。ただ、僕の会社の最大の特徴は、家具作りの技術を教えるだけではなく、親孝行することの大切さなど、とにかく人間性の部分にこだわって育成することです。僕が今まで見てきた成功している人たちで、親孝行をしていない人はいません。とにかく親を感動させる、親が驚くような偉業を成し遂げることが僕の思う一番の親孝行です。これはお客さんを喜ばせることと同じなのです。またうちの会社では、よく社員をクビにします。というのも、人に気遣いができない人は必要がないからです。職人という職業は人を喜ばせてなんぼ、ただそれだけです。その想いを伝えるため、基本的にうちの職人は寮に住まわせています。共同生活をすれば、自然と人への気遣いができるようになっていきますからね。 ■金儲けだけを追い求めてはいけない。ただ働きでもいいという気持ちで学びなさい。 皆さんは大学に通われていると思いますが、ただ目的もなくダラダラと通うだけになっていませんか? 遊ぶお金を稼ぐだけのアルバイトになっていませんか? 誰にも負けない天性というのは、必ず誰しもが持っています。それを早く活かしてください。そのためには、早く社会経験を積むことです。専門分野を学ぶために大学に通うことはすごく大切ですが、必ず目的意識をもって学んでください。一番学びを吸収しやすい若い時期に、なんとなく大学に通うのはとてももったいない。それなら社会に出て働いた方が良いです。また、アルバイト一つ取っても成長する人としない人とでは大違いです。お金を稼ぐためだけにバイトをしてはいけません。「ただ働きでもこの人から学びたい、成長したい」という意識で、学ぶために取り組んでください。そうすれば、人生の先輩たちは喜んで教えてくれると思います。そして、1日を24時間だと思わず、48時間だと思って目いっぱい過ごしてください。そうして日々努力している人が一流の人間になっていくのです。 学生新聞オンライン取材2022年10月27日 東海大学4年 大塚美咲

大塚美咲

株式会社ブシロードミュージック 代表取締役社長 根本雄貴

感動のクオリティを追求し続け、ファンを魅了し続ける 「BanG Dream!(バンドリ!)」「カードファイト‼ヴァンガード」など、ブシロードグループが誇る作品を中心に音楽事業、ラジオCD販売、イベント事業等を手掛けるブシロードミュージック。高いクオリティでファンを感動させ続けるコンテンツへのこだわり、そして人並み外れた経歴を持つ根本社長の仕事への想いを取材しました。 ■グループが誇る作品から生まれる音楽 当社の事業は、ブシロードが保持しているIP(知的財産)から音楽を制作することがメインになります。例えばアニメでしたら、シナリオを読んで作品に合ったオープニング、エンディングの楽曲制作を依頼します。そして上がってきたものをチェックし、キャラクターのレコーディング手配から音源のミックスという作業、CDにするためのマスタリングという作業を行います。他社の大手音楽会社さんですと、売れてきそうなアーティストと契約し、売れ行きが低迷してきたらまた新しい売れそうな人と契約するといった循環になることが通例だったりします。しかし当社は作品ありきの事業ですので、作品を広めることと同時進行で音楽事業を行います。そしてブシロードグループでは、アニメを作り、アプリゲームやグッズを作り、音楽も制作するところまで一気通貫で行うことができます。そこに当社の音楽事業の強みがあると思っています。 また自社でIPを持つことの最大のメリットとしては、とにかく意思決定が早いという点が挙げられます。他社が原作を保持している場合に生じる、何度も確認をしなければならないといったボトルネックが生じることはありません。しかしこういった利点がある一方で、広告宣伝まで自社で担うリスクもあります。特に、最近の宣伝は非常に難しいです。宣伝の手法としてはCMや交通広告など色々ありますが、近年では口コミの宣伝効果が最も大きいとされています。だからこそ、とにかく良いものを作ってお客様に満足してもらうことを大切にしています。またインフルエンサーの影響力がとても大きくなっている時代ですので、いかに彼らを巻き込んでいけるかも鍵になっています。 ■珠玉のラインナップで常に驚きと感動を追求 ブシロードミュージックの特徴の一つとして、大手レーベルと比べてラインナップが少ないことが挙げられます。その分、しっかりと一つ一つのコンテンツに時間をかけて展開しています。例えば「BanG Dream!(バンドリ!)」というコンテンツを例に挙げると、声優一人一人に楽器の個人レッスンをしていただき全員の楽器演奏を仕上げるということは、少ないラインナップを丁寧に仕上げている当社だからこそ実現可能なものです。このように高いクオリティを追求することにはかなりこだわっています。 ■コロナ禍に苦しんだライブ事業 コロナ禍では、ライブ事業が特に苦しかったですね。もともと当社のコンテンツはゲームやアニメを通じて普段から作品に触れて頂くだけでなく、ライブなどのオフラインイベントでリアルならではの感動を体験していただくことで、さらにコンテンツに対する愛着を深めてもらうことを大切にしていました。ところがオフラインイベントはコロナの流行ですべて封じられてしまったため、その打撃は大きかったですね。しかし最終的には、ライブができないことでファンが離れてしまう可能性を考えて、赤字覚悟で続けるという選択に行きつきました。とは言え一人でもコロナ陽性者が出ると全員が濃厚接触者となるので、その時点で公演は中止です。このような油断できない状況で、役者やスタッフの方々にはかなりのプレッシャーやストレスがのしかかっていたと思います。その一方、「こんな中でもライブを開催してくれるんだ」と応援して下さるお客様もとても多く、それが我々の励みになっていました。そしてリアルイベントだけでなく、同時に動画配信にも力を入れました。コロナの流行は確かに大打撃でしたが、結果的に配信のシステムやサービスが一気に普及していったことはとても良かったと感じます。 ■自分のキャリアのために働けば、会社のためになる。失敗さえも成長の糧に! 僕はこの会社に7年いますが、新卒で入社した頃は「自分のキャリアのためにこの会社で頑張ろう」というマインドで働いていました。ところが入社1年目でアメリカへ半年間の長期出張になった時は、日本にいた時よりも仕事が少なくなってしまいました。頑張ろうにもそもそも仕事のボリュームが少ないので、とにかく自分にできることを探し続けるしかありませんでした。新卒の同期は日本でバリバリ働いているのに、アメリカにいる自分には仕事がないという状況にかなり焦りました。そんな時期を経て、2年目では突然アニメのプロデューサーを担当することになり「とにかく経験し、実績を積まなければ」というモチベーションで仕事と向き合いました。この経験からわかったことは「自分のキャリアのために働いていれば、結果的に会社のためになる」ということです。なので、無理に「会社に貢献しなければ」と思い詰めず、まずは自分のための経験だと思って何でも挑戦してみて下さい。会社に入社すると、希望する部署に行けないことは多々あります。しかし自分が向いていると思っていることの多くは大概向いていないんです。大切なのは、とにかく目の前の与えられた仕事と真摯に向き合うこと。仕事において何が一番楽しいかというと、自分のやりたい仕事ができることではなく、結果を残せることだと僕は思います。色々な経験をして、「これが一番結果を残せる」と思う仕事をぜひ見つけてください。  また、失敗は一番の経験になります。僕は誰よりも失敗している人間です。失敗するとリスクヘッジを図る能力が磨かれるので、部下ができた時に失敗を恐れずに挑戦させたうえで、万が一に備えたフォローもできる人間になるのです。 東海大学 4年 大塚美咲

和田真帆

株式会社CoCoRo 代表取締役社長 清原正光

「繋がり」「ご縁」が続いて僕の人生があります! 株式会社CoCoRo 代表取締役社長 清原正光(きよはらまさみつ) ■プロフィール1991 年皇學館大學文学部国史学科卒、1992年皇學館大學神道学専攻科修了。神社へ奉職の後、民間会社へ就職。30歳にて起業し、自身も神主の資格を保有するなど神社界への造詣が深く、エンタメ・ビジネスや旅行業にとどまらず、神社とビジネスの垣根を超えた新規事業創出に取り組んでいる。 秋葉原・大手町・神田・日本橋・丸の内と江戸であった現在の東京に、約1300年の歴史がある神田明神。その歴史的な名所で、伝統文化からサブカルチャーまで幅広く広く日本文化を体験・発信する施設「神田明神文化交流館EDOCCO STUDIO」を運営する株式会社CoCoRo。同社の清原正光社長に、文化と現代をつなぐお仕事の意義や学生時代についてお話を伺いました。 ■アルバイトが教えてくれたコミュニケーションの大切さ 大学入学後は野球に明け暮れていました。しかし2年生のときに肩を壊したことをきっかけに、ずっと好きだったモータースポーツにハマっていきました。カートのライセンスを取ったり、レースを見に行ったりと、とにかく車に夢中でした。その際、先輩の紹介でガソリンスタンドのアルバイトを始め、お客様とのやりとりを通じて、コミュニケーション能力を培いました。アルバイトを通して、相手と仲良くなって相手を知ることが営業を成功させる近道であることや、誰かと仲良くなることが自分の将来に影響を与えることも学びました。この時に学んだ「どんな人でも受け入れ、去る者追わず、来るもの拒まず」の精神は、現在でも意識しています。大学卒業時点で教職は取り終えていたのですが、大学生時代に培ったコミュニケーション能力を生かした仕事がしたいと思うようになり、教職ではない道へ進むことにしました。そして、もう一年大学に通い、専攻科で神職の免許を取りました。 ■本を読むことで経営者マインドを学んだ 大学を卒業してから、知り合いの神社から「手伝いに来てくれ」と頼まれて、4年くらいその神社の神主をすることになりました。そして、神社のご創建800年祭という記念事業に関わらせていただきました。そのとき、地域の商工会議所の方と一緒に働いた経験が非常に刺激的だったことから、27歳の時に神職を辞め、ビジネスの世界へ行こうと決断しました。 ビジネスで勝負する場所として選んだのは、商売の難しい日本の都・京都です。京都にある商社に就職し、貿易の勉強から売上・仕入れ・粗利を覚えたり、本を読んだりと、知識をたくさん吸収していきました。ちなみに本を読むようになったのは、その当時働いていた会社の社長に「本を読むと、いろんな経営者の感覚を培える。ぜひ読みなさい」とアドバイスを頂いてからです。本当にこれは役に立ったと感じでいて今でも本を読むことを大切にしています。皆さんも今からいろんな本を読むことをお勧めします! こうして3年間に渡って経営の基礎の下積みをみっちり学び、30歳で独立をすることができました。その後、ご縁があって、今の神田明神文化交流館EDOCCO STUDIOで社長をやらせて頂いております。今思い返してみると人の付き合いの積み重ねで、僕の今の人生があると思います。自分一人だけでできることには限界があるので、まずは人様からの協力を得て、助けてもらうことがビジネスの根本です。そして、相手が思っていることをしっかり聞き、その中で、自分にできることを考えて提案する。まさに、持ちつ持たれつの関係ですね。自分でビジネスを運営する中には当然ストレスもありますが、誰かに指導されるよりも自分の力でやっていくことには、色々とメリットもあり、やりがいも感じます。 ■CoCoRoの魅力は、神社とビジネスというユニークネス 当社の魅力は、神社と様々な体験ができる場が融合された施設であることです。神田明神は、神社の中でも目立つ存在の神社です。このような場所で事業ができるというのは、ホール運営の仕事やイベンターの仕事とも異なります。長い伝統や文化を持つ環境で新しく革新的なことができるのはとても面白いと感じます。また、神主とビジネスという両方の世界を知っているのは、おそらく自分くらいだと思うので、他の方ではできない唯一無二なお仕事を任せて頂いてると感じていますね。 ■自分から積極的に動く人には、惹かれるものがある 明るくてポジティブで、自分で物事を考えられる人と一緒に働きたいです。誰でもスポーツで試合に出たければ監督の前でアピールすると思います。それと同じようにふるまえば、自然と上の人の目につくようになります。そして、アピールする力はコミュニケーション力にもつながると思っているので、どこへ行っても人との繋がりを生むことができます。大学を卒業すれば、みなさんは社会の中で1年生です。全ての人が年上だからこそ、そこでどうアピールするかって本当に重要になってくると思います。ぜひ、ご自身のアピール力を高められるように頑張ってくださいね。 ■大学生へのメッセージ 伝えたいことは主に2つあります。 1つ目は必ず目標を持つことです。自分が人生の中で何歳までに何をやるか。アバウトでもいいので手帳に書いてみてください。後はその目標を達成するためのアクションと努力を続けるのみです。実は僕も30歳で独立すると宣言していました(笑)。その目標に向かって行動し続ければ、きっと叶います。 2つ目はお金をもらって企業で勉強できる環境を大切にすることです。それを生かして独立し、チャレンジできる人は今の時代たくさんいます。先輩方のやっていることを知識として徹底的に学び、ご自身の経験値を増やしていってください! 学生新聞オンライン2022年10月18日取材 日本大学3年 和田真帆

イベント・企業紹介

2022年「今年の一皿 」

⾷を主要テーマにさまざまな調査・ 研究を⾏い 、その成果や提⾔を広く発信する株式会社ぐるなび総研の今年の⽇本の世相を反映し象徴する⾷を発表する2022年 「 今年の⼀⽫ Ⓡ 」 記者発表会に参加させていただいた。 ■「今年の一皿」とは優れた日本の食文化を人々の共通の遺産として記録に残し、保護・継承するためにその年の世相を反映し象徴する食を「今年の一皿」として毎年発表しています。ぐるなび総研は「今年の⼀⽫」の発表を通して、⽇本の優れた⾷⽂化を国内外へ発信するとともに、そのさらなる発展へ貢献できることを願っています。ぐるなびは「食でつなぐ。人を満たす。」という存在意義( PURPOSEのもと、食文化の発展へ寄与することを目指しています。 ■2022年「今年の一皿」 冷凍グルメ 選定理由・コロナ禍で飲食店への急速冷凍機の導入が加速し、レストランのメニューをそのまま再現した冷凍グルメが誕生した。・飲食店でオリジナルの冷凍商品の開発が進んだことでバリエーションが豊富になり、店頭や自動販売機など購入方法も多様化し消費者から支持を得た。・保存性やフードロス削減の観点でも社会変化に対する柔軟性が高く、今後の日本の食文化においてより一層不可欠な存在になると考えられる。 ■トークセッション一般社団法人日本冷凍食品協会広報部長消費生活コンサルタント 三浦佳子 「日本の冷凍食品の歴史について」102年前、北海道森町で魚を凍らせたのが日本の食品冷凍の始まりです。学校給食の開始、東京五輪や大阪万博あたりから外食産業が発展し、家電の普及も進んで冷凍食品が開発されるようになりました。コロナ禍においてますます多くの方にお使いいただいているかと思います。 「2022年人気を集めた本格冷凍グルメについて」三浦:いつでもどこでもどなたでも食べたい時に食べたいものが召し上がれることが好評だった理由ではないでしょうか。あの店のあの味を作りたての状態で保持できることが冷凍の良さだと思います。 Restaurant Sola オーナーシェフ 吉武広樹 「冷凍技術を利用するRestaurant Solaについて」冷凍可能なおせちをご提供しています。初めはネガティブなイメージを持っていたのですが、緊急事態宣言で営業ができなくなった際、食材の保管のために冷凍器具を調べたことで冷凍技術の高さを知り、これで料理をお届けできるのではないかと試作を始めました。 「冷凍技術導入の過程であった苦労について」新鮮なものが食べたいのに冷凍なのかという声を多くいただきました。お店で食べるより驚きがあるようにとにかく試行錯誤を繰り返した結果、多く方から驚きやご好評をいただきました。今後は冷凍技術で美味しさを閉じ込めた商品をより多くの方にお届けしたいですね。                                  ■インタビュー株式会社ぐるなび総研 市川萌乃 「今年の一皿」に選ばれた“冷凍グルメ”は行動宣言の撤廃で飲食店の味がいつでもご自宅で食べられるようになったことを象徴するものだと思っています。急速冷凍機技術の進歩で使用する機会が増えたことも流行るきっかけになったのではないでしょうか。コロナ禍に入り、2020年は“テイクアウトグルメ”、2021年は“アルコールテイスト飲料”というように抽象的なジャンルが続いているので、来年はメニューや食材などが流行することを期待しています。コロナ禍でなかなか外出できないかもしれませんが、大学生のみなさんには色々な国に行き、現地でしか食べられないものを食べるなど、多彩な経験を積んでいただければ嬉しいです。 ■記者会見に参加した感想 テレビ番組を見ている中で技術の進歩により“冷凍グルメ”が増えていることは知っていました。ただ、味が低下するのではないだろうかといったネガティブなイメージを持つ消費者、シェフの方が多くいらっしゃることを知り、事業を継続させていこうと奮闘する飲食店も中々つらい状況であると感じました。今回の取材を通して、食べることは避けて通れないものなので、食に関わるすべての方に感謝し、食の記憶を残していきたいと思います。 中央学院大学 4年 田根颯人 今回オンライン取材に参加し、食と社会の結びつきに気づかされました。外出が制限される環境下にお家で楽しめる本格冷凍グルメが人気を集めたということで、流行や人気には社会との繫がりがあると感じ、興味深かったです。その年に話題になったグルメとしてだけでなく、そうした様々な視点から楽しめるのが『今年の一皿』の面白さのひとつではないでしょうか。また、お二人のトークセッションを通して“冷凍食品の新たな可能性”を感じました。美味しさをそのまま閉じ込められる冷凍技術の広まりに、更に期待が高まりました。 佛教大学3年 三浦藍生

イベント・企業紹介

株式会社タウンハウジング 新CM発表会

首都圏、東海、九州地方を中心に不動産事業を展開しているタウングループ。そのうち賃貸仲介事業を展開する株式会社タウンハウジング(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:新田 泉)は、女優でモデルの久間田琳加さんを新イメージキャラクターに起用したCMを制作し、新CM発表会イベントを行いました。 株式会社ダウンハウジング 代表取締役 新田泉氏はこのCMを通して企業ミッションである『ひとを、まちを、もっと豊かに』できる機会が増えるものと確信しており、経済的な豊かさと共に心の豊かさも大切にしていきたいと挨拶しました。また、仁・義・礼・智・信と「人に思いやりを持ち、利他への社会貢献をする。そして他人を尊敬する気持ちを持ち、偏った知識でなく真理を知り、それを信頼に繋げる」というこの五常を心に置き、これからも社会貢献のために更なる努力をしていくことと今回のCM制作にあたっての感謝の気持ちを述べました。 久間田琳加 今回タウンハウジングのイメージキャラクターとしてCMに出演させていただきました。普段スーツを着る機会があまりないため、とても新鮮でした。パジャマ姿になるシーンはパジャマの着心地が良くてリラックスして臨めました。モデルを始めて9年になりますが、CMやムービーのお仕事は普段の撮影と違うので緊張しましたね。あまり得意ではないダンスやトランペット・腹筋ローラーにも挑戦しているので、ぜひ見ていただきたいです。新CMのテーマであるチャレンジとは少し違うかもしれませんが、自宅ではヨガマットを広げ、ストレッチなどをしてリラックスできる時間を作りたいです。お仕事では引き続き女優業に挑戦していきたいです。よく笑っているイメージが強いので、真逆のキャラクターを演じて、新しい久間田琳加を見せていきたいです。先日、W杯で年齢が近い同世代の選手の活躍を目にして、私も頑張らなきゃと刺激をいただきました。また、作品を撮影している時や多くの方と関わりながらお仕事をしている時はとても心が豊かになりますし、この環境に感謝して頑張っていきたいです。 林芽亜里 雑誌『non-no』の後輩として今回の新CM発表会イベントに出られたことがすごく嬉しいです。私がお部屋を選ぶポイントは、新築でお風呂が綺麗なことが重要ですね。お風呂はすごく好きで1時間以上入ることがよくあります。ソファーの上がお部屋の中で一番好きなので、ソファーの上でゴロゴロゆったりしていたいです。地元の石川県から上京したときは、部屋がコンパクトだったので、必要なものだけを東京に持ってきました。 執筆者:国立音楽大学2年 岡部満里阿 / 日本大学3年 和田真帆 / 立教大学4年 須藤覚斗 新CM発表会に出席した感想 住まいという衣食住の中でも長く付き合うものを通じて、心の豊かさに貢献する。そうした温かい想いを感じられた記者発表でした。今回の記者発表は、第一部が一般的なビジネススタイル、第二部がイメージキャラクターを務める久間田琳加さんやゲストの林芽亜里さんらによるパジャマ姿でのフリートークと2部構成で実施されました。私自身は第一部の内容のみでも問題はないと思っています。しかし、それだけではなくゆったりと寛ぎながら話をするパジャマトークの時間を設けたのは、親しみのあるイメージを持たせたいということに加えて、『自分らしくゆったりできる空間づくり』言い換えれば、『心の豊かさ』に貢献したいという想いがあるからではないかと推察しました。こうした企業理念や社長の想いをベースとした伝え方は、デジタル技術の発達に伴いより高度に、より多様になっていくと思っています。各企業がどのような工夫を凝らして、何を伝えようとしているのか、今後注目していきたいと考えています。明治大学4年 山本真人

三上山明里

野村ホールディングス株式会社 グループ人事部長 上嶋基寛

信用を築き、人間性を磨く。お客様と経済のために。 ■プロフィール 2001年入社。リテール(豊田支店)で4年間の個人営業を経て、投資銀行の部門(上場企業カバレッジ)へと異動。その後、投資銀行TMTセクター部署で16年間勤務。2022年4月から現職。 金融業界を牽引する野村ホールディングス。「お客様とのお付き合いを通して、人として鍛えてもらった」、同社人事部長の上嶋基寛さんは語る。証券会社に立ちはだかる壁を乗り越え、会社の利益を捨ててでも、お客様の安心できる未来を優先させる姿勢は、グループがValues として掲げる「挑戦」「協働」「誠実」を体現している。 ■上嶋さんの経歴を教えてください 2001年に入社してから、リテールで4年間の個人営業を経て、上場企業カバレッジへと異動になりました。その後、投資銀行TMTセクター部署に16年間勤めました。そして、この4月から人事部へと配属になりました。 元々、私自身は大学で教育学部に所属していて、経済に詳しくはありませんでした。そして、実は大学は4年間では卒業することはできず、人としてしっかりしていたとは言えなかったです。(笑)そんな私が、証券会社を目指したのは、買った後が大切な変動商品を扱う営業職に惹かれたからです。また、常に知識をアップデートすることが求められる刺激的な職場だという部分も魅力でしたね。 ■業界の特徴は何ですか? よく「金融はとっつきにくいイメージがある」と言われます。でも、私からすれば「みんな、なんで金融に興味がないのかな?」と思います(笑)。金融は、経済に密接にかかわるので、経済全般の興味とイコールだと思いますね。  たとえば、証券会社の仕事には、リスクマネーを必要とする人と投資家をマッチングさせ、結びつける仕事もあります。どの会社も、事業を拡大する時には資金が必要になるので、企業と投資家の間に入るサービスがなければ、企業は成長できません。我々が直接企業の価値向上の活動に協力しつつ、その証券が投資家の運用商品にもなるところも醍醐味です。  私は過去、日系企業が米国の企業を買収する大型案件に関わった事があります。そのM&Aをする際、企業の買収金額があまりに巨額のため銀行からの融資だけでは資金調達が困難な状況が発生しました。なぜかと言いますと、銀行の場合は、一社に対していくら貸せるのかというエクスポージャーが限られているからです。そこで、必要な資金について、私たちは直接個人投資家を募ることを模索しました。リテール債として3000億円です。10年国債でも0.6%ほどしか金利がつかない世の中で、4年債で1%超えという高いクーポンだったので、個人投資家からも大変喜ばれました。 しかし、個人投資家の場合には機関投資家と比べて一人当たりの投資金額が小さいので必要金額を達成するためには、何万という投資家数を集めなければなりませんでした。難しい挑戦でしたが、何とか道が開け、必要金額を調達することができました。  これから、大きく動くポテンシャルがあると考えられるのは個人金融資産です。個人が有する金融資産は、現金で約1000兆円は眠っていると言われています。また、個人投資家に届ける運用商品も変わっていく必要があります。今後は、「ユニコーン」と呼ばれる企業価値が10億ドル(日本円にして約1250億円)以上の非上場会社に対する資金調達サポートも充実させていきたいです。 ■野村グループの特徴は何ですか? 経済の担い手として、どんな人とでもお付き合いができるところが魅力です。 人生100年時代と言われています。賃金は上がらず老後が心配されます。そこで、今あるお金をどう適切に運用すべきか、という金融教育が求められます。 運用は悪いものと思われやすいですが、やり方さえ学べば正しく扱えます。また、金融の本質は「信用創造」にあると考えており、サービスを提供する人間が信頼に足る人間なのかが重視されます。そのためには、コミュニケーション力やソリューション力も必要です。 ところが、私自身振り返ってみると、最初からお客様の約束を全て守れていたのかというと、そうではありません。私は、より自分を知ってもらうためにお客様のもとに何度も通い対話し、その中でお客様に鍛えてもらうことで、人間性が磨かれていったと思います。人とお付き合いをする中で自分の人間性についても学ぶことが出来ること。これが証券会社の良さだと思います。  弊社では、私たちのvaluesとして「挑戦」「協働」「誠実」を掲げています。例えば、M&Aのアドバイザーになった際、「誠実」について考えさせられたことがあります。そのM&A案件では、契約成立間近になったものの、このまま続けてはお客様に不利益になってしまう可能性が生じました。成功すれば私たちに大きな成功報酬が入ります。一方で仮に途中でやめてしまえばその報酬は入りません。私自身迷いましたが、誠実にお客様と向き合い、全てをお話しすることにしました。お客様も中止の決断を迷われましたが、お客様の利益にならないのであればやめるべきだと私は進言し、そしてお客様のご理解を頂くことが出来ました。この決断の前に社内に相談したところ、メンバーの誰一人案件の中止に対して反対しませんでした。この時は、改めて自分のいる会社は誠実な会社だなと嬉しくなりましたね。 加えて、私たちは「スキル」「スピード」「スピリッツ」を体現することを掲げています。専門性を高め続けること、ニーズが絶え間なく変化する市場に迅速に対応し、新しい事を成し遂げることが求められます。どれか一つでも欠けてはいけません。 野村は、加点主義の会社です。失敗を恐れずに挑戦したことが称賛される文化があります。頑張っている人には一つ上のランクの仕事を任せます。文系・理系は問わないですし、体育会のイメージと中身は大きく異なります。現在では、新卒・キャリア採用と比率は半々で、転職されてきた方々の元の業界も多種多様です。多様性が認められた会社です。また、社長や役員とも壁がなく、風通しが良い会社だと感じています。 ■これからどのような人材が求められるのでしょうか? 近年は、成長志向の矢印が自分にだけ向いている人が多いと感じます。もちろん、成長への意識が高いことは素晴らしい事です。しかし、あくまでも社会の成長を後押しすることに、私たちの存在意義があります。野村の仕事はチームで戦う仕事なので、自分中心になってしまうと、会社やお客様をなおざりにしてしまう恐れがあります。これは、実際働いている私たちでもわからなくなってしまうこともあると思います。自戒の念も込めて言いますが、「お客様」「経済」のために、というところを大切にしていく事が我々の存在価値そのものなのです。 会社も、社会に合わせて変わっていかなければなりません。私たちも努力していますが、今いる人だけでその期待に応えていくのは難しいです。だからこそ、若く新しい力に期待しています。野村グループは、今年で97周年を迎えました。次の100年を一緒に引っ張っていける人を、心から期待しています。 ■大学生へのメッセージ 自分らしいの価値観を見つけてください。就活をしていると、どうしても会社の名前やブランドに惹かれてしまうと思います。難しいですが、経験を通して、自分が大切にしたいものを見つけて下さい。実際にやってみないと、わからないことがあります。まずは触れてみて、そこから分かることを探してみてください。その上で、自分らしい価値観を追求できる場所として弊社を選んでいただけたら嬉しいです。 学生新聞オンライン2022年9月26日取材 駒澤大学3年 三上山明里

イベント・企業紹介

BEYOND STADIUM 2022 開催

東京都のパラスポーツ応援プロジェクト「TEAM BEYOND 」は、音楽やお笑いなどのエンタメ、アート、子育てなど、日常生活の中にあるさまざまな“好き”とパラスポーツの魅力をつなぐ体験型イベント 『 BEYOND STADIUM 2022 』 が2022年11月5日(土)に東京体育館にて開催されました。木梨憲武さんと AK-69 さんが共同制作した応援ソングも初公開されました。 今回は木梨憲武さん、ウンパルンパさん、豊島英さんの3名にBEYOND STADIUM 2022の感想やパラアスリートへの想い、「好き」なことなど、お話を伺いました。 ■タレント・歌手・画家 木梨憲武(きなしのりたけ) 今回、AK-69さんと応援ソングを共同制作させていただきました。この歌を起点に障害があってもなくても東京都、日本、世界中の全員をチームにしていきたいと思っています。 またパラアスリートのみなさんと関わることで、障害を持っているからと悲観的になるのではなく、圧倒的なパワーを持っていると感じました。以前から視覚障害を持っている落合啓士さんなどのパラスポーツ選手と食事に行くこともありましたが、一緒にご飯を食べる時は電車を乗り継いでお店まで来てくれますし、ブラインドサッカーでは鈴の音とゴールの後ろからの指示だけでボールを操っているので、本当にすごいと思っています。 また目が見えなくても、僕の絵の展示会に足を運んでくれて、アートを感じにきてくれました。今後は触って楽しめる作品など、いろんな方が参加できるアートにも挑戦してみたいですね。アートと障害を掛け合わせた展示会などを開催したいです。 自分だけではなく、みんなで協力して、団体の力でパラスポーツも盛り上げていきたいと思います。 大学生へのメッセージ 「あなたと一緒に何かをしたい!」と思われる人を目指してほしいです。僕は若い年代のみなさんと一緒にいろんなことをやりたいなと思っています。明るい雰囲気の方が近づきやすいかなと思うので、元気でいることを意識しています。若者が知っていることを教えてもらって、経験がある大人から提案させてもらって、それがマッチして大勢の方がより参加してくれれば、いいものが出来るから負けはないと思うんです。一緒にやることで、見えないものでも見えてくるかもしれないし、なかったものも形が出来てくるはずです。一緒に新しい世界を創っていきましょう! 中央学院大学4年 田根颯人 ■TikToker ウンパルンパ(うんぱるんぱ) 今回、ブラインドサッカーに初挑戦しました。ブラインドサッカーとは、いわゆる「見えないサッカー」。ゴールキーパー以外が全盲の選手で、アイマスクを装着し、音の出るボールを用いてプレーします。僕は「WINNER’S」というチームで普段からサッカーを練習しているのですが、実際にブラインドになると想像以上に難しくて、でも面白さ・奥深さを感じました。視覚情報を当てにできない分、普段使わない感覚、神経を研ぎ澄ますことでいつも以上に五感を強化することができて得るものが多いなと思いました。 このイベントは「好き」が一つのテーマでしたが、今熱中しているのはサッカーとモノマネです。人間観察や真似をすることが好きで、これまで監督や先生などになりきってきました。しかしモノマネというのは扱うのが難しいコンテンツだなと思います。やり方を間違えると「本人を小馬鹿にしている」と思われかねないからです。しかし、しっかりとブランディングを確立することで視聴者の方の気持ちを晴らすことも可能ですし、そこにやりがいを感じています。実際に視聴者の方から「ウンパさんの動画を見たら勇気が出て、学校に行くことができた」と言っていただいた時は、とても嬉しかったです。モノマネを通して、パラスポーツを世に広めていきたいですね。 大学生へのメッセージ もし今、人生の岐路で迷っている学生がいたら、「自分を信じて突き進んでいってください」と伝えたいです。実は僕は去年まで大学で教員を目指していました。しかしいざ進路を選択する時に、周囲の反対を押し切ってまでして選んだのは教員ではなく、その時夢中になっていたSNSでの活動でした。自分で選んだ道なら、人のせいにせずにどんなことがあっても自分の責任で発展していけると思ったのです。迷った時は自分を信じて好きなことを大切にして欲しいなと思います。 津田塾大学4年 宮田紋子 ■車いすバスケットボール 豊島英(とよしまあきら) パラスポーツでこれほど大規模なイベントを開催できるようになったこと、そしてその場にアスリートとして関われたことが素直に嬉しいです。今回のイベントは東京2020パラリンピックに紐づいた一過性の盛り上がりという位置付けではなく、いわゆる定期的に開催する文化祭のような大型祭典として開催できたと思います。そこに大きな意義を感じていますし、パラスポーツが着実に確立された存在になってきていると感じています。 1日を通して印象深かったのは「誰でも簡単に競技体験ができるブースがたくさんあった」という点です。私が長年携わっている車いすバスケットボールは、比較的認知されている競技だと思いますが、まだまだ浸透していない競技は多くあります。認知拡大を進める方法は多々ある中で、効果的なのは「身近なものであることをいかに感じてもらえるか」です。今回のイベントで体験した皆さんに、パラスポーツの魅力を感じてもらい、もっともっと関心を寄せていただきたいです。また、そこから得たワクワク感を一人でも多くの方に共有していただけたら、それほど嬉しいことはありません。どれほど些細なきっかけで知ったとしても、おそらく気がついた頃にはパラスポーツの奥深さの虜になっているはずです。 大学生へのメッセージ 皆さんが持つ高い吸収力と大きな発信力で、パラスポーツの魅力を存分に伝えてもらえたらなと思います。私たちも子どもたちや皆さんの世代を中心にパラスポーツと触れ合う機会を積極的に創出していくので、新しいものを受容する柔軟性を持っていて欲しいですね。 日本女子大学4年 神田理苑 ■BEYOND STADIUM 2022に参加した感想 今回のイベントで初めてパラスポーツの車椅子バスケットボールを体験させていただきました。同じバスケットボールでもパラスポーツは全く別のスポーツであると気がつき、また体験したことで新たな魅力を知り今までとは別の視点から観戦することができると思いました。イベント最後のTEAM BEYOND応援ソングでは木梨憲武さんの魂でみんなを応援するための曲を歌いたい気持ちとAK-69さんのHIPHOPのリズムが一体化し心に響きました。「限界はないという、生きてて壁にぶち当たることはあっても、同じ人間として立ち向かう」という歌に込められたメッセージに勇気をもらったと同時にパラスポーツの魅力や楽しさをさらに広めていきたいと強く思いました。スポーツをする人も、観る人も、支える人も、あらゆるメンバーがひとつのチームとなって盛り上げるTEAM BEYONDとして私も今後パラスポーツの新たな魅力と楽しさを見つけていきたいです。 川村学園女子大学4年 岡﨑美諭 「障がいのある方々のための、自分には関係のないもの」というこれまでのパラスポーツへのイメージが覆されるイベントでした。車椅子バスケの体験ブースでは、ジャンプができない故の腕の力だけでシュートを決める難しさや、ちょっとした車椅子の位置によってボールの飛び方が変わる面白さを始めて実感しました。タレント、パラスポーツ選手によるトークセッションのコーナーでは、パラスポーツならではの心動かされる熱いエピソード、会場全体が笑いで包まれるような面白いエピソードが盛りだくさん。今まであまり注目したことがなかったパラスポーツですが、これをきっかけに注目の選手を見つけて応援してみたい!という気持ちになりました。また今回のようなイベントは、参加目的が好きなタレントやライブを見るためだったとしても、それをきっかけにパラスポーツへの関心が少しでも高まる人が増えれば、障がいの有無による心の壁をなくすことに繋がるのではないでしょうか! 東海大学4年 大塚美咲