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Archive for 運営スタッフ

伊佐茜音

モデルナ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 蘭美

たった5%のチャンスが無限大の成果を生み出す モデルナ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 蘭美(すずき らみ) ■プロフィール1999年英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで医学博士号取得、英国インペリアル・カレッジ・ロンドンでの博士研究員を経て、英国でベンチャーキャピタル事業に従事。その後、エーザイ事業開発執行役、ヤンセンファーマ株式会社にて事業開発本部長やメディカル事業部門本部長、フェリング・ファーマ株式会社最高経営責任者などを経て、21年11月より現職。 コロナ禍には、一躍その名が世界中に知れ渡ったモデルナの日本法人であるモデルナ・ジャパン株式会社。そのトップに立つ鈴木蘭美社長は、3児の母としての顔も併せ持つ。「医療の世界に携わることこそ、私の生まれてきた理由だと思った」と語る鈴木社長のこれまでの軌跡に迫る。 ■単身15歳で英国へ渡った学生時代。そして、医療の道へ。 子どもの頃の自分を、一言でまとめると“ませていた”のだと思います。中学生まではとにかく遊んでばかり。中高一貫校でしたので、「このまま高校生になってはいけない」という気持ちから、全く違う環境に身を投じようと英国への留学を母に申し出ました。「大学からであれば」と言われ、大学検定試験を受けて、15歳で単身英国へ留学しました。しかし想定していたよりも、やはり言葉の壁は厚かったですね。英語を学ぶうちに3年の時が経ち、あっという間に普通の大学生の歳になっていました。大学では薬理学を専攻しました。大学検定を受ける際に、苦手な理系科目に力を入れて勉強するうちにいつしか文系科目よりも理系科目に面白さを感じるようになったことがきっかけでした。その中でも薬理学は、西洋の薬や人類の健康医学の歴史などの数学的要素以外も学べるところに魅力を感じました。修士課程に進んだ頃、同じ大学で二人の友人が癌の宣告を受ける出来事がありました。副作用ばかりが強力で、効果があまり期待できないにもかかわらず、薬が投与される。壮絶な治療を受ける彼らを目の当たりにし、「なんて不条理なのだろう、これを正さないといけない」という強い衝動に駆られました。その後、ある日印象的な夢を見ました。夢の内容は詳しくは覚えていないのですが、朝、ふと目を覚ましたき、「私は癌を完治させるために生まれてきた」という生まれ持った役目があることが腹にストンと落ちていったのです。それがきっかけで、医学博士への道を志すことを決めました。当時の部門長だった教授にその夢の話を伝えたところ、「それなら」と英国の大学で有名な乳がんの外科医の方を紹介されました。さらにその方の紹介から大学院で乳がんの研究もスタートしました。そのご縁や恩を返さねばというプレッシャーを感じながらも、仕事を続けていくなかで今日に至っています。 ■mRNAだけに注力してきたユニークな会社・モデルナの魅力と課題とは モデルナはmRNAだけに注力をしてきた、非常にユニークな存在だと思います。新型コロナウイルスのワクチンを開発する以前から、10年間で、4000億円を超える投資をmRNAの研究開発につぎ込んできました。その当時はmRNAが医薬品になる可能性は低いと言われていました。しかし、赤字が続く中でも、たとえ成功確率が1%でも5%でも、成功した時の計り知れないインパクトに情熱を注ぐ人たちの集団、それこそがモデルナだったのです。モデルナ・ジャパンとしては、現在48の感染症やがん治療などに役立てる新薬候補を持っています。他国と比べても遅延なく、それらの薬を日本で提供していくことが私達の存在意義です。社員のワークライフバランスも考えた上で、その存在意義をどう実現するか。これが今後の私たちの課題であり、仕事に対する魅力だと思います。弊社はmRNAを基軸に、遺伝子編集とステムセルにも取り組んでいます。今年の1月には日本のスタートアップ企業を買収して更にワクチン製造のスピードを加速させるなど、社内外の力を結集して早期実現を目指しています。 ■経営者である理由、その信念とは。 経営者として、私が大切にしているのは、その人の持つ可能性です。私には、その人が持つ可能性が見えます。その人自身が自分について想像している以上の可能性を引き出し、才能をフルに活かせる環境を作ることが、経営者としての私の役割です。そして、個人の能力を組織へと繋げることで、さらなる大きな成果が得られることがあります。そんなときは、まさに経営者冥利に尽きる、非常にやりがいを感じる瞬間です。また、仕事において私がモットーにしていることを1つ挙げるなら「理にかなったことをコツコツと続けること」です。その努力が開花したとき、自分だけではなく誰もの想像を超えるような大きな成果になることがあります。この考えは科学の性質、そして弊社の在り方にも通じます。明日誰かを救うことが出来なくても、理にかなったことをコツコツ続けていれば、それが多くの人の命を救えるような成果を生み出すのです。 ■大学生へのメッセージ この時代に学生として生きる皆さんには、本当に沢山の可能性があります。なぜならAIなどがまだ発展していなかった私の学生時代に比べて、やりたいと思ったことをより早く実現できる環境にいます。ですから、やりたいことにどんどんチャレンジしていって欲しいですね。やって失敗することと、やらずに後悔することではネガティブなインパクトでいうと同じくらいの大きさだと思います。チャレンジしなければ何も得られませんが、失敗からは学ぶことが出来ます。迷ったらやる。この思いこそ、何事にも共通する今後の成長への原動力になるはずです。 学生新聞オンライン2023年2月7日取材 東洋大学4年 伊佐茜音

学生新聞インターン

株式会社エアークローゼット 代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰

時間の価値を高め、常に楽しみを見出す 株式会社エアークローゼット 代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰(あまぬまさとし) ■プロフィール英ロンドン大学卒業後、2003年にアビームコンサルティング株式会社に入社し、IT・戦略系のコンサルタントとして約9年間従事。2011年より楽天株式会社 (現 楽天グループ株式会社)にて、UI/UXに特化したWebのグローバルマネージャーを務めた後、2014年に株式会社エアークローゼットを創業。 会員数80万人を超える、働く女性が選ぶNO.1 のファッションサブスクリプションサービスを提供している株式会社エアークローゼット。サブスクリプションサービスやお洋服 のレンタルサービスが普及していない時代に、どのような想いで創業し、サービスを創り上げたのか。その経緯について、代表取締役社長 兼 CEOの天沼聰氏にお話を伺った。 ■自分の興味や関心を大切にした学生時代 小さいころ、父の友人であるキリスト教の宣教師が、クリスマスパーティーを盛大に行っているのを見たときに、「住む場所や人種、持っているカルチャーによって、価値観や考え方が異なるのだ」と知りました。そのとき、自分にとっての当たり前はほかの人にとっては当たり前じゃないのだということに、面白さを感じました。以来、違う文化の場所で生活してみたいとの思いが強くなり、日本人学校の分校があるアイルランドの高校に進学。その後、人種のるつぼと言われるロンドンの大学に進学を決めました。ロンドンの大学では情報テクノロジーを学びました。小さいころからPCが好きだった一方、まだ世の中にはそこまでテクノロジーが普及していなかったので、余計に興味がありました。当時、インターネットは匿名性で危ない世界という風潮が強かったのですが、場所を問わずに人とコミュニケーションがとれるインターネットは世界を変えると感じていました。一方、インターネットがない時代だからこそ、海外の人たちが話す日本のイメージはかなりあやふやでした。そのため、インターネットを通じてもっと海外の人に日本を知ってほしいなと思うようにもなりました。 ■多様な人と仕事をしたいという想い ロンドンでの大学生活を通じて、改めて自分は日本が好きなんだと知り、卒業後は日本に帰国し、コンサルファームに入社しました。起業したいという漠然とした思いはありましたが、まずはビジネスにおけるベースとなるスキルを身に付けられるのがコンサルだと考えたからです。以前は、プレゼンなど人前に出て話すことが苦手だったのですが、自分の理想とするかっこいいリーダー像に近づくために、コンサルタントになりました。ただ、コンサルのプロジェクトマネジメントは最初と最後が決まっているので、慣れてくるとある程度上手く進められるようになる一方で、終わりのない組織づくりについてはわからないままでした。また、コンサルファームで働く人は、自分とスキルセットが近い人が多いとも感じました。RPGで例えると、魔法使いの人にしか会ってないということ。「魔法使いだけじゃなく、他の職業の人たちにも会いたいし、その人たちについてきてもらう方法を知りたい」と思い、転職を考えました。その後、入社したのが、楽天です。ゼロから創業して世界規模の企業にしている楽天から、いろいろ学ぶことがあるのではないかと思い、入社を決めました。同社では、組織づくりやチームをどう考えていくかを、学ぶことができたと思います。 ■時間の価値を高めることができる会社を そして2013年、コンサル時代の仲間の二人を誘って、2014年に会社を創業しました。ファッションのサブスクリプションを始めた理由は、「時間」がきっかけでした。すべての人が平等にもっているけど、使い方・感じ方によって不平等になるのが時間の価値です。人生において一分一秒の価値を高めることで、ライフスタイルの質も高められるのです。では、どんな時間の価値が高いのかというと、ワクワクしている時間です。そこで、「ワクワクが空気のように当たり前になる世界へ」というビジョンのもと、会社を作り上げていくことに決まりました。時間の価値を高め、ライフスタイルの豊かさにつながるものとして衣食住があり、その中でも最もワクワクを身近かつ持続的に感じられるのがファッションだと考えました。特にライフステージの切り替わりによって、自分に使う時間が変わるのが女性です。中には、忙しさのせいで、ファッションに出会うことを諦めてしまう人もいます。だからこそライフスタイルを変えないでファッションとの出会いを実現するために、どうしたらいいかを考えました。そんな中で「自分には合わないけど、他の人には合うかもしれない」のがお洋服です。シェアの概念からレンタルを用い、日本全国に平等な出会いを与えるためにオンラインのサービスにしました。また、忙しい女性は探す時間がないからこそ、パーソナルスタイリストがそれぞれの方に似合うお洋服を提供することで、新たなファッションとの出会いが広がるサービスも生み出しています。さらに、返却期限を無くし、クリーニングも自社で行うことで、お客様が時間に縛られずに、お洋服を着て楽しむことだけに集中してもらえる設計にしました。サービス開始時、前例となるサービスは世界を見渡してもなく、競合他社がいないからこそ全部ゼロからしくみを考えました。類似サービスができることはありましたが、ゼロから組み立てているからこそ常にパイオニアであり続けることができるのだと感じます。特に物が循環する物流基盤を、他社がゼロから組み立てることには相当な難しさが伴うと思います。最初は数百着からスタートしたのですが、信じてくれた人たちの後押しもあり、現在では300ブランド・35万点以上のお洋服を展開しています。 ■人生を楽しむには仕事を楽しむこと 仕事では大変なことはたくさんありますが、常に楽しいです。仲間と一緒に本気で取り組んで、達成できた瞬間が一番好きです。法人格と書くように「会社にも人格がある」という考えから、弊社には会社の人格を定義する「9hearts」という行動指針があります。その中の一つに「全力で楽しむ」という項目があります。社内のメンバーにもワクワクした時間を過ごしてほしいと思っています。すべての仕事にはその組織が実現したい意義があり、その意義を理解できれば、どんな仕事も楽しむことができるはずです。また、仕事に取り組む際は、常に課題意識を持つことが大事です。その課題を解決するために、変化することや挑戦することを疎かにしてはならないと感じます。成長企業で働く上では、自身が成長していくことで仕事の幅が広がっていきます。より仕事を楽しみたいならば、自分自身が成長するしかありません。スポーツは才能に左右される要素がありますが、仕事については本気で取り組めれば誰でも結果を出すことができると考えています。だからこそ、貪欲に成長していくことが大切だと思います。 ■大学生へのメッセージ 時間をどうやって使うかは、自分の姿勢で決まってきます。自分が持てるすべての時間を納得するように使うために、本気で向き合うことが大切だと思います。人生の時間は有限だからこそ、どう時間を使うのかをしっかり考えること。そして、自分の人生を大切にしてほしいです。 学生新聞オンライン取材2022年10月6日 國學院大學3年 島田大輝

大塚美咲

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長 早川周作

「想い・情熱・志」で結果をみせる! 琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長 早川周作(はやかわしゅうさく) ■プロフィール大学在学中に起業。元首相の秘書として勉強し28歳で衆議院選挙に出馬。その後約90社の顧問の立場でベンチャー企業を指揮する。2018年琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社代表取締役に就任。明治大学MBAビジネススクール講師、国立大学法人琉球大学客員教授に就任。2021年12月Forbes JAPAN「今年の顔100人」に選出された。 「未来を照らす太陽のような存在」を目指す琉球アスティーダ。プロスポーツチーム初の上場を果たし、3年で日本一のチームにするという偉業を成し遂げた早川周作氏。壮絶な学生時代、選手達を熱く奮い立たせる情熱、人生を通じて揺るがない信念とは。驚くほどポジティブな早川氏の人生談、会社の魅力、想いを伺った。 ■新聞配達、学生起業家、国政選挙出馬。がむしゃらに挑戦した熱い学生時代 19歳の時に父親の会社が潰れて蒸発し、学生時代に起業をして国政選挙に出馬するという変わった学生時代を過ごしてきました。元々父親が会社を潰して蒸発し、行政に相談した際、「世の中はなぜ強い者ばかりに光が当たって弱い者には当たらないのだろう」と強く感じたことが国政選挙に出馬しようと思ったきっかけでした。その社会的な構造、仕組み自体を変えていかければと19歳ながらに感じていたんです。挑戦したことが評価される社会でなければいけない。いわば、結果だけで評価する社会はおかしいのだと。みんながチャレンジしやすい、夢を持って前に進める社会を作ることが僕の使命かもしれないと思いました。そこで、20代で選挙に出ると心に決めたのです。家業が潰れた後は、新聞配達の仕事でお金を貯め、一番学費が安くて法律の勉強ができる夜間の明治大学法学部に進学しました。そして大学1年の時から法律事務に勤め、昼間は働いて夜に勉強をするという生活を送っていました。当時働いていた法律事務所が不動産競売を扱っていて、ボスの弁護士から不動産の知識を詰め込まれる日々。そんな中で法律事務所の投資家の方が「お前はサラリーマンをやる人間じゃないから会社をやれ」といって5千万円ほど僕に投資してくれました。母親が地元の秋田に残されていたので、母親と呼んで一緒に暮らすためにも将来は起業することを決めました。 ■「強い人だけでなく弱い人に光を当ていきたい。」自分の信念と重なった、卓球チームとの突然の出会い 大学卒業後、当時稼いだお金は、選挙に出てほとんどなくなってしまいました。そこで企業からお声掛けをいただいて、80社近くのアドバイザーや顧問を行い、「もう十分稼いだな」と思ったタイミングで沖縄に移住しました。その時、沖縄にTリーグという卓球のリーグができたのです。卓球というスポーツは800万人ほど日本にいるにも関わらす、当時はプロリーグがありませんでした。そこで「卓球を国技にしよう」と両国の国技館で立ち上げられたのがTリーグでした。そしてリーグを立ち上げた方が、突然僕に「卓球は5歳で始めても、15歳でメダルが取れる可能性がある。沖縄の貧富の格差がこれだけ拡大する中で、お金をかけずしてチャンスが与えられる球技は卓球しかない」と話してきました。その想いは、僕が常に政治やベンチャー支援でも常に大切にしていた「強い人だけでなく弱い人に光を当てていくんだ」という考え方にどんとハマったんですね。卓球経験は全くなかった僕ですが、たった30分でチームを引き受けることを決意しました。 ■人を突き動かすのは「想い・情熱・志」 しかし、実際に飛び込んでみると、スポーツ業界にすごく違和感を覚えました。なぜかというと、スポーツにお金を出そうとしてくれる企業はとても少なく、スポーツチームで上場している会社は当時一社もなかったからです。夢と感動を与えるスポーツにもっと良い循環モデルを作らなくては日本のスポーツは終わってしまうと思いました。だから自分はチームを引き受けてすぐに、日本で初めてのプロスポーツ上場会社を作ろうと決意したのです。しかし、初めは誰からも相手にされない状況でした。だからこそ結果で見せるしかなかった。僕は最初から人に賛成されるビジネスは絶対にうまく行かないと思っています。競合が入りやすく、誰でもマネできるからです。明らかに周りとの差別化があり、反対されるようなビジネスでないと跳ねることはできない。中でも、強い選手を獲得することは特に大変でした。ファーストシーズンはダントツの最下位で全く勝てませんでした。そこで色々なチームの選手を片っ端から食事に連れていき、「3年以内に日本一のチームを作りたい」「絶対強いチームを作りたいから、そのためにはどうしたらいいんだ」というヒアリングを繰り返しました。張本智和選手にもうちのチームに来てもらうために会う度に話をし、4年越しでやっと入団してもらうことができました。彼が「琉球に移籍した理由は社長の情熱だ」と言ってくれた時はうれしくて涙が出ましたね。やはり、想いや情熱、志というものは人を突き動かす原動力になるのだと痛感し、「プロスポーツをやってよかった」と心の底から思った瞬間でした。 ■仕事は本来楽しいもの。おもしろ楽しく、ご機嫌に働く人間が欲しい! 本社のホームページに「おもしろ楽しく、いつもご機嫌に。諦めずに、やりきり超MAX!」と書いてあります。要は、バカでもいいんです。仕事は本来楽しいものだし、それに対して社会を変えていくことや自分の生きざまを示していくことが本当のやりがいだと思います。だから僕は会社で一回も怒ったことがありません。いつもご機嫌に、面白楽しくできる人間を採用したいです。そのために大切な能力は、忘却力。事業をやっていると良いことも悪いこともあり、常に強運に恵まれることはありません。その波の中で多くの人は悪い方を引きずってしまいますが、反対に僕はプラスの部分だけを引っ張って生きているのでここまでやってこれたと思っています。皆さんも、良いことだけを持ち歩いて楽しく働ける人間になってみてください! ■吸収力は今のうち。時間を味方に、最高の大学生活を! 吸収力がある若い時期をとにかく大切にしてください。今10分勉強すればできるようになることも、10年後には3時間かかってしまうということがあるんです。だからこそ時間を味方につけることはとても重要で、今の頑張りは将来の時間を買うことになります。今の時間を大切に、1日1日を大切に生きて時間にレバレッジをかけて充実した大学生を楽しんでください。 学生新聞オンライン取材2022年11月17日 東海大学4年 大塚美咲

学生新聞インターン

有村架純 自分の核を見つけて大切に、きっと運は自然とやってくる

女優 有村架純 (ありむら かすみ) ■プロフィール 1993年2月13日生まれ。主な出演作品はNHK 連続テレビ小説『ひよっこ』(2017)、映画『花束みたいな恋をした』(2021)、『前科者』(2022)、『石子と羽男』(2022)、『月の満ち欠け』(2022)。現在、NHK 大河ドラマ『どうする家康』に出演中。2 月23 日に映画『ちひろさん』がNetflix&劇場公開された。 2010年のドラマ初出演以来、数々の人気作品に出演し、昨年は日本アカデミー賞も受賞された有村架純さん。今回、人気漫画の映画化であり、2月23日(木・祝)より全国劇場にて公開中。また、Netflixで世界に同時配信中の映画『ちひろさん』の主演を務めた。「元風俗嬢」という従来のイメージを覆す役柄を演じた有村さんに、本作品に込められた想いや見どころを伺った。 心を救ってくれる作品『ちひろさん』 今回のお話をいただいて原作の漫画を読んだとき、私も一ファンになってしまうくらい、主人公のちひろさんに心惹かれました。そして、自分の中のわだかまりをスッと救ってくれるような、今の時代に生きづらさを感じている人にとって救いとなる作品になるに違いないと感じたのを覚えています。とくにコロナ禍において一人で過ごす時間も増えた中で、「一人でいるのは怖いことではなく、むしろ自分の幸福度を上げてくれる時間かもしれない。みんな自信を持って堂々と思いのままに生きてほしい」という思いでこの作品に参加することを決めました。たとえば、作品の中にこんなセリフがあります。「みんなで食べるご飯はおいしいけれど、一人で食べてもおいしいものはおいしい」。人は共感性を求める生き物であり、共感できないと疎外感を感じる。そんな人間関係の駆け引きを肯定してくれる、ちひろさんならではのセリフだなと感じています。ちひろさんは親からの愛を十分にもらえなかった子で、きっと何かを失うことへの恐怖心があるからこそ周りの人と程よい距離感を保っているのだと解釈しました。でもその距離感が心地良かったり、みんながちひろさんに心を開きたくなったりするし、ちひろさん自身もこれまで周りから愛をもらい温かさを知っているからこそ、一人を愛することができるのだと思います。 〝ちひろさん〞という女性 ちひろさんのビジュアルは私ではないという不安があり、喋り方や髪型、艶感なども調べたり話し合ったりしたのですが、あまりやり過ぎたくはなかったので、基本的にはそのままで行こうということになり、この作品の世界に飛び込ませてもらいました。ちひろさんの過去などはたくさん想像して、一社会人として、世間一般にいう普通の女性として社会に踏み出したけれど、人との尺度の違いやうまく交われない何かを感じ、風俗という職業に出会った。達観した、人生を1回終えたような佇まいをどう表現できるのかを考えながら演じる中で、私もちひろさんという人物を追いかけていたように思います。だからこそ自然とちひろさんのことを「ちひろ」ではなく「ちひろさん」と呼んでいたのかもしれません。ちひろを生きているという感覚よりもちひろさんを客観視しているという感覚に近かったです。そのような感覚は初めてだった気がします。それと同時に、相手から飛んでくる棘のようなものに対して、「傷ついてほしいだろうけれど、私は傷つかないよ」という相手と対峙するような強さがある人。そのような中で、ちひろさんのいい意味で物事に干渉しない、人に期待しないカラッとした部分を意識していました。 誰かの心に作品を残すこと 今回、今泉監督とお仕事をさせてもらって感じたのは、監督は好奇心の塊のような人で、自分自身の中に戦い方がある人だと思いました。何かコンプレックスがあったりもがいているものがあったりして、それを撮影することで一つずつ消化しているのかなという印象を受けました。その分、細かなニュアンスまで丁寧に指導してくださり、そこに身を委ねて撮影していました。何か特別なリクエストがあったわけではないのですが、あまり暗くなりすぎず、明るくちひろさんを演じさせてもらいました。監督の作品には日常の温もりを感じさせるものが多いと思うのですが、多くの人にそのことが伝わったら嬉しいですね。女優という仕事をしていて素敵だなと思うのは、すごく綺麗ごとに聞こえるかもしれないですが、一つでもいいので自分の作品を誰かの心に届けられればと思っています。そのために自分はこの仕事を続けているのだなと最近改めて感じています。今のところは演じること以外には挑戦してみたいことはないのですが、いつかは脚本を書いてみたいと思っています。いろんなジャンルの作品があると思うのですが、私は説明の多すぎない、余白を感じられる作品が好きなので、そんな作品を作れたらいいなと思っています。 大学生の皆さんの中には、自分が理想とするものが漠然としすぎていて、本当にやりたいことが何か分からないという人も多いのではないかと思います。そんなときは、まず思い描く理想の根本となる部分を探してみてください。それを見つけることができたら、いろいろなことがとてもスムーズに進んでいくと思います。タイミングとか運のようなものが勝手にやってくるような感覚です。一気に視野が広がると思います。うまく一番の核となる部分を見つけ出していただきたいです。 学生新聞2023年4月号 東洋大学3年 濱穂乃香 『ちひろさん』有村架純豊嶋花 嶋田鉄太 van若葉竜也 佐久間由衣 長澤樹 市川実和子鈴木慶一 根岸季衣 平田満リリー・フランキー 風吹ジュン原作:安田弘之『ちひろさん』(秋田書店「秋田レディース・コミックス・デラックス」刊)監督:今泉力哉脚本:澤井香織 今泉力哉 音楽:岸田繁主題歌:くるり「愛の太陽」(VICTOR ENTERTAINMENT/SPEEDSTAR RECORDS)製作:Netfl ix、アスミック・エース制作プロダクション:アスミック・エース、デジタル・フロンティア配給:アスミック・エース PG12Ⓒ2023 Asmik Ace, Inc. Ⓒ安田弘之(秋田書店)2014 https://chihiro-san.asmik-ace.co.jp/Netflixにて世界配信中&全国劇場にて公開中ヘアメイク:尾曲いずみ スタイリスト:瀬川結美子衣装クレジット:テーロプラン/テーロプランカスタマーサポート 撮影協力:カメラマン 広田成太 <英文記事> Actor Kasumi Arimura Find and care for your core values, and luck will come to you naturally. ■ProfileBorn 13 February 1993. She has acted in the NHK television series’ Hiyokko(ひよっこ)’...

学生新聞インターン

Gigi株式会社 代表取締役 今井了介

Your Happiness is My Happiness  Gigi株式会社 代表取締役 今井了介 (いまいりょうすけ) ■プロフィール 音楽プロデューサー・作詞 作曲家・TinyVoice,Production 代表取締役 「ごちめし」・「さきめし」・「びすめし」「こどもごちめし」運営・Gigi株式会社代表取締役 TEEさんの「ベイビー・アイラブユー」や、安室奈美恵さんの「Hero」の楽曲提供・プロデュースをはじめ、音楽プロデューサーとして数々の作品を手掛ける今井了介さん。実は、音楽活動にとどまらず、フードテック会社の社長という顔も持つ今井さんに、プロデュース業や飲食ビジネスのリアルについて伺った。 小さい頃からずっと、成績表のコメント欄に「協調性が無い」と書かれるような子供でした。共通の目的や趣味が似ている人とは仲良くなれるものの、共通点がない人と仲良くする理由が分からなかったことや流行などの話題に興味がなかったことが要因かも知れません。そんな私はホルン奏者の父、ピアノの先生である母という音楽家のもとに産まれました。両親は感覚を信じ、自分の考えを大切にしている人だったので、私自身も自然とこのような生き方になったのかもしれません。 ■音楽は”やりがい”と”苦労”が表裏一体 元々は絵描きになりたいと思っていました。両親を見ていて、音楽業界は大変そうだが、クリエイティブな仕事がしたいとは思っていたからです。ただ、就職して安定している姿を望む親の思いを感じて一度は大学へ進学しました。せっかく入学しましたが、学びたい科目や、その先の将来がイメージ出来ず「人生の中で感受性が高いこの時期こそ、やりたいことに時間を使いたい」と思って、すぐに退学してしまいました。そこから絵描きとして生きようとしたのですが、生計を立てていくことが困難で諦めかけていた時に、音楽の道を諦めた先輩と出会いました。そのとき、先輩から自分がトライするには高額でハードルの高かった音楽の機材を貸していただいたことから、自分で音楽を作るようになりました。そして、気が付けば作品作りに没頭し、トラックメーカー・リミキサーになっていたのです。音楽は知的財産と呼ばれるように、作詞家・作曲家の名前がすぐに検索でき、良い意味で自分の名前を背負うことになります。結果、「好きなこと」を仕事にできていますが、実際には大変なことも多いです。例えば、ダサいと言われる作品を作ってしまった際にも名前が残ってしまうし、継続的に仕事をもらうためにはやりたくないことを我慢してやらなければならない時もあります。また、関係者の経済活動を支えている以上、締切に間に合わないと周囲に迷惑をかけてしまうので、どんなにアイディアが生まれなくても、期限までになんとか作品を作り上げなければなりません。「やりがい」と「苦労」は表裏一体ですが、これらを踏まえた上で、作品を生み出すことを楽しめる人は向いていると思います。また、影響力の大きい仕事なので、たった1曲でも多くの人の経済活動を動かせることがやりがいのひとつです。プロデュースは、そのアーティストが売れ続けるきっかけになるし、今後の方向性の指針になることもあります。このように、誰かのブレイクスルーする瞬間に携われる可能性があるのは、本当に興味深い仕事だなと思いますね。 ■Your Happiness is My Happiness  学生時代、『We are the world 』の音楽チャリティーを目にし、世界や社会にとって良い活動をしていることは素敵だと思い、私も何か支援が出来たらと思っていました。これまでフィリピンやガーナ、東日本大震災への支援をしてきましたが、衣食住に困っている状態では、スポーツやお笑い、音楽などのエンタメに興味を持つことはできません。そこで衣食住に寄り添ったサービスとして、ギフトとして誰かにご馳走できる「ごちめし」を作りました。他にも街の飲食店が社食になる「びずめし」、先払いでコロナ禍の飲食店を支援する「さきめし」などのサービスも行っています。ギフトとは本来、もらう人のためのものではなく「あげる人のためにある仕組み」だと考えています。「Your Happiness is My Happiness」なのです。顕著な例は音楽のサブスクリプションサービスです。多くの人に聞いてもらえるにつれてインセンティブとしてお金が入ってきますし、気持ちが動くことで経済も動く。今後は、「ごちめし」などのサービスを、日本以外の国へも広めていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 「圧倒的であること」「謙虚であること」「寂しがらないこと」を意識して欲しいです。まず「圧倒的であること」についてですが、プロ野球選手のイチローさんや秋元康さんは圧倒的な練習量、作品数を積み重ねた上で成果を出されています。彼らのように圧倒的である人には人が集まると思いますし、失敗が自分の糧にもなるでしょう。次に「謙虚であること」についてです。人の言うことに見向きもしない、自分勝手な状態になり過ぎてしまうと、大切な言葉も逃してしまう可能性があるので、注意が必要だと思います。最後に「寂しがらないこと」についてですが、物事を成し遂げたいと思った際、都合よくお仲間や支援者が集まるといった、マンガの主人公のような現象は殆ど起き得ません。そのため、「自分は何を貫きたいのか」という自分の柱となるものを見つけ、挑み続けて欲しいと思います。 学生新聞オンライン2023年1月6日取材 中央学院大学 4年 田根颯人

大塚美咲

オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹

社員クチコミで意思決定のヒントを届ける。ミスマッチがない就職を。 オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹(おおさわはるき) ■プロフィール 東京大学大学院卒業後、リンクアンドモチベーション入社。中小ベンチャー企業向けの組織人事コンサルティング事業のマネジャーを経て、企画室室長、新規事業の立ち上げや経営管理、人事を担当。2019年11月にオープンワーク取締役副社長に就任。2020年4月、代表取締役社長に就任。2022年12月 東証グロース市場に上場。 働き方が多様化し、自身のキャリアに責任を持つことが重要となるこの時代。そんな今、就活生の半数以上が利用しているクチコミサイト「OpenWork」を運営するオープンワーク株式会社には、クチコミの質への拘りと、とことんユーザーを大切にする想いが詰まっていた。飛躍し続けるオープンワークの裏側、就活生への想いを同社の大澤陽樹社長に伺った。 ■人や組織を変えなければ世の中は変わらない 大学生のころは、イギリスに留学をして砂漠の緑化について研究していました。そんな中、法律や倫理観の問題で実現することの難しさを感じたと同時に、世の中を変えるためには人を巻き込むことが大事だと痛感しました。そして、社会や国と連携できる手触り感のある研究がしたいと思うようになったんです。その後、東京大学の大学院に進み、研究の傍ら都市計画のコンサルティング業を受託する会社でアルバイトをしました。この仕事を通じて、机上の空論を創ることは誰にでもできるけれど、人や組織を変えなければ世の中は変わらないなとより一層強く感じました。オープンワークとの出会いは、前職のベンチャーキャピタル事業で新規事業の立ち上げに携わったこときっかけです。携われば携わるほどオープンワークの可能性をひしひしと感じ、中途半端にやるのではなくオープンワークにフルコミットしたいと考え、転職を決めました。最初は営業のマネージャーとして入り、その後人事と広報、経営企画のマネジメントをし、「OpenWorkリクルーティング」という新規事業立ち上げの功績を認めて頂いて、副社長に就任し、今に至ります。 ■自分のキャリアは自分で責任を持つ時代。この時代に必要なのがオープンワークだ。 転職を決めるに至ったオープンワークの魅力を一言でいうならば、ユーザーファーストなサービスを追求し、運営しているという点です。今でもそうですが、ユーザーから毎日感謝の声が届き、「本当にユーザーが欲しているものをつくっているんだ」ということを実感したことが大きいです。多くのサービスが自社利益を追及したようなサービスモデルになっている中、オープンワークは「ユーザーにとっての情報価値があるかどうか」という点を一番に考え、クチコミ情報や評価スコアを審査の上掲載・提供するサイトとして確立しており、これからの時代間違いなく必要なものだと感じるようになりました。今の時代は年功序列を廃止する企業も増えていますし、我慢して同じ会社にいても給料が上がる保障はありません。自分のキャリアを会社に預けるのではなく、自分のキャリアは自分で選んでいかなければならない時代です。こうした状況において、企業にとって優位な情報だけを掲載したサイトではなく、個人が主体的に行きたい会社を自分で選べるような状態をつくるためにも企業の実態をオープンにしていくことは重要だと僕は感じています。 ■誠実な経営をする企業に人が集まる状態を 事業を運営するにあたって最も大事にしているのは、クチコミ情報の「健全性」です。具体的に何をやっているかというと、クチコミの投稿にあたっては、500文字以上を必須としたりコピーアンドペーストを制限するなど投稿のハードルを上げています。また、投稿後はすべての投稿内容に対してAIを活用した機械審査の上、トレーニングを受けた専門スタッフがすべての投稿を目視審査しています。この目視審査時に活用する独自ガイドラインは弁護士も交えた審査専門チームで定期的に改訂を重ねています。もちろんコストはかかりますが、オープンワークにとって、クチコミの健全性は生命線でもあるので、クチコミの健全性に対しては徹底して取り組んでいます。「OpenWorkリクルーティング」という採用サービスも運営しているので、求人を掲載する企業は私たちにとってお客様ではあります。ただ、たとえお客様である企業の方から、その企業にとって都合が悪いクチコミの取り下げや評価スコアの向上依頼などが入ったとしても、対応するようなことはしません。企業優位ではなく、ユーザーのみなさまにとって価値ある情報を届けることを第一としています。こうした取り組みにより、ユーザー数とともにクチコミ件数は年々増え続けています。昔は自社の社員評価が漏れてしまうので企業人事や経営者の方から半ば「煩わしいサービス」とされることもありましたが、取り組みを続けた結果、企業の皆様からも「自社の実情をユーザーに知ってもらえる」とOpenWorkリクルーティングを活用し、求人掲載をいただけるようになりました。自社のクチコミや評価スコアに対して真摯に向き合う企業様が増えてきた実感があります。「クチコミを採用力に」というテーマを掲げて、知名度ではなく社員に評価される誠実な経営をする企業にこそ人が集まる状態を目指したいです。 ■オープンワークで活躍するのは、自学自走の原動力を持つ人材 弊社は、社員数80人ほどの少数精鋭の組織です。上場企業だからといって育成が整っているわけではなく、自学自走できる人が活躍しています。例えば我々のデータサイエンティストのトップは、今でも外部の研究機関や講演に参加しながら研究を続けています。そういう人は誰かから教わらなくとも、自分の作りたい世界観を持っていて自ら学んでいくんですよね。そういったように「楽しい、こうなりたい」という原動力を持っている人と働いていきたいです。 ■他人を知り、納得した就職・キャリア形成を まず、ぜひオープンワークを使ってください!!自分で意思決定をした、納得をした就職活動をしていただきたいからです。就職活動を進めていくと、内定を獲得するためのテクニック論に関する情報がたくさん出てくると思います。もちろんそうした情報も大事ではありますが、そこに囚われすぎると内定獲得がゴールとした就職活動となり、誰かが決めた軸で会社を選び、自分軸ではない就活になってしまいます。ただ、オープンワークに答えがあるわけではなく、そのヒントしか書いてありません。ヒントを元に、自分で意思決定をし、納得した就職活動を送っていただきたいなと思っています。自分を知ることと同じくらい他人を知ることは、就活生にとって大切なことだと考えます。今はコロナ禍で他人との接点が薄くなっていると思いますが、自分の狭い世界に閉じこもっていては、あるはずの選択肢に気づけなくなってしまいます。社員クチコミをひとつの参考に、色々な人の価値観に触れ、「その中で自分はこの選択をしたのだ」という納得した就職活動をしていただけることを願っています。 学生新聞オンライン2023年1月16日取材 東海大学4年 大塚美咲

大塚美咲

一般社団法人全国介護事業者連盟 理事長 斉藤正行

「最高にかっこいい人でありたい」という想いが、原動力に 一般社団法人全国介護事業者連盟 理事長 斉藤正行(さいとうまさゆき) ■プロフィール 1978年に奈良県生駒市で生まれる。2000年3月に立命館大学卒業後、コンサルティング会社に入社し飲食業のコンサルティング、事業再生等を手がける。その後、介護業界に転身し、老人ホーム会社の取締役運営事業本部長、デイサービス会社の取締役副社長を経て、2013年8月に株式会社日本介護ベンチャーコンサルティンググループを設立。2018年6月に法人種別・サービス種別の垣根を超えた介護事業者の横断的組織である一般社団法人全国介護事業者連盟の設立に参画、2020年6月に理事長に就任。そのほか介護団体・法人の要職等を兼任し、介護業界の発展に心血を注いでいる。 法人・サービス種別の垣根を越えて、介護業界の事業者をまとめる団体「全国介護事業者連盟」を運営する斉藤正行さん。ベンチャー企業のコンサルタントから、「人のためになる仕事がしたい」と介護業界へと転身。現在に至るまでのその軌跡と、仕事に取り組む上で大事にしている姿勢について伺いました。 ■井の中の蛙だと思い知った。刺激的な出会いと環境が自分を変える。 20歳の途中くらいまでは学校に行き、バイトをして友達と遊ぶといった至って普通の大学生活を送っていました。通学に2時間弱かかっていたので、その時間でとにかく本をたくさん読んでいましたね。移動中の読書に夢中になるあまり、そのまま大学に行かずに帰るなんてことも(笑)。幅広いジャンルを読んでいたので、それは今の仕事や人生観にも影響を与えてくれたと思います。そして就職活動が迫る中で自身の将来について考えるようになり、議員向けの学生インターンシップに応募し、小池百合子都知事の元でインターンに参加しました。インターン期間が終わった後も小池さんに「しばらくうちで働かないか」と声をかけて頂き、秘書見習いという形で1年間働きました。同時に、 NPOの立ち上げや運営の仕事もしていました。この環境では、自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知らされました。自分は何でもそつなくこなせるタイプだったのですが、ここでは学生でベンチャーの起業をしている先輩や20代で議員として活動しているような人が当たり前にいて、自分との圧倒的な差を身に染みて感じました。この時、僕の負けず嫌い精神が燃え、それからというもの「自分のような凡人が天才に勝つには努力するしかない」という想いでほとんど遊ぶことなく、仕事に打ち込む大学生活となりました。 ■自分の価値観や美意識に照らして、最高にかっこいい人でありたい 大学卒業後は、ベンチャー企業のコンサル会社に入社しました。学生インターン時代の出会いから、僕自身もベンチャーの起業に興味がありました。とはいえ突然起業することはできないため、まずは会社にはいって下積みをしようと、敢えていわゆるブラック企業を選んで入社しました。基本的に休みは月2、3日、平均退社時間は深夜1時といった、筋金入りのブラック企業生活でしたね(笑)。マネジメントやビジネス、コンサルティングの知識全般はもちろんですが、何より仕事への基礎体力は相当身につきました。この時よりしんどいことはほぼその後経験することはなかったので、介護業界に移ってからは自分としては8割くらいの仕事量でも周りからは「働きすぎだ」とドン引きされることも。かなり免疫力が付きましたね。当時の自分を突き動かした原動力は、常に「他の誰でもない自分の価値観や美意識に照らして、最高にかっこいい人でありたい」「世のため人の為になることと、ドデカいことをしたい」という理想像を思い描き続けること。これが自分の生きる目的であり、人生の軸となっています。 ■人の為になりたいと、介護業界へと転職 そして、実務を自分で推進していきたい、経営層に加わっていく環境で仕事をしたい、とアンテナを張っていったところ、僕の「人の為になる」という軸と合致している介護業界と出会いました。はじめに入った介護の会社では26歳で従業員兼取締役という立場でマネジメントの一端を担いました。そして7年間で介護施設を2か所から約150か所にまで増やし、3年で上場も果たすことができました。ここで働いていく中、僕の中で社会の問題が次から次へと見えて来るようになり、どんどんと介護事業にのめり込んでいきましたね。そして介護の在り方について、現場視点で厚労省と協議しながらあるべき姿にしていかなければならないと感じました。しかし、この上場企業の中で活動利益につながりにくい取り組みを進めることは難しい状況・立場でありました。僕は人生の中でこの大きな仕事を絶対に成し遂げるのだと決めていたので、2社目の会社に副社長として移ることを決意しました。 ■声が届きにくい業界。だからこそ、現場視点で改革を続ける。 我々のような介護の業界団体は、実はありすぎるくらいたくさん存在しているんです。法人種別やサービス種別ごとに団体が細分化されていて一つ一つの団体が小さいため、声が国に届かないという実態です。だからこそ、皆が集まって大きな塊になる必要があります。そのために僕らは現場の声を届け続けているのです。同時に、我々は、社会保障制度を持続可能なものとするために、単なる介護報酬の増額を求めるのではなく、生産性の向上や規制改革などを現場視点によるルール見直しを提言し続けており、改革を続けてきています。 ■求める人材は、イノベイティブな人材。 「自ら社会を良くしていきたい」「イノベーションを興していきたい」という人たちと一緒に働いていきたいです。人口構造上、介護職員を増やしていかなければならないことは確かです。その中でも僕は、介護業界でイノベイティブなことができると思っています。1つの軸は、DXやICTの技術を活用し、生産性を高める現場改革をしていくこと。他の業界に比べるとプレイヤーが少ないため、ある意味チャンスでもあります。そういう発想で社会を良くしていきたいという意欲のある人と一緒に働いていきたいですね。 ■Message 介護と聞くと、大学生の皆さんにとって遠い未来の話で関心がないかもしれませんが、いずれ必ずと言っていいほど関わる話ですので是非アンテナを張ってみてほしいです。また、ビジネス的な視点でもチャンスに溢れている業界でもあります。そして、学生のうちにやりたいことはとにかくチャレンジし続けてください。皆さんが思っている以上に世の中は広く、人生は一瞬です。楽しみ方は人それぞれですが、必ず「自分流の軸」を見つけて、他者と比べるのではなく頑張り続けてほしいです。 学生新聞オンライン2022年11月30日取材 東海大学4年 大塚美咲

学生新聞インターン

株式会社ゴルフパートナー 代表取締役社長 石田純哉

業界構造を捉え、他社との差別化を図ることで“世界一”に 株式会社ゴルフパートナー 代表取締役社長 石田純哉(いしだじゅんや) ■プロフィール 法政大学 経営学部卒業後、マルマン、日本スリーエス、ベンチャー・リンクなどを経て2003年に株式会社ゴルフパートナー代表取締役社長に就任。現在はゼビオのグループ企業としてゼビオホールディングス執行役員兼ゴルフパートナー代表取締役社長を務める。 学生時代から社長を目指し、多彩な経験をもとにゴルフパートナーの社長に就任した石田純哉氏。今回は個性的なアルバイトを続けていた学生時代にはじまり、ゴルフパートナーが世界一になれた軌跡について伺った。 ■多彩なアルバイトに挑戦した学生時代 高校時代はキャディのアルバイト、大学時代には銀座のプールで水泳の先生や海浜公園での救助員、毛皮販売の補助、家庭教師など様々なアルバイトをやっていました。ちなみに家庭教師では親御さんに対して「お子さんは頑張れば志望校に行けます!」などと夢を語らず、現実的な指導方針を伝えていたらすぐにクビになってしまいました(笑)。ですが、これらの経験から効率よく稼ぐ方法や様々な仕事のノウハウを吸収できたと思っています。 ■学生時代から“夢“は社長 学生時代から、社長になりたいという夢を持っていました。しかし、当時は友達との飲み会でその話をする度に「社長になんてなれるわけない」とバカにされていました。バカにされても私が社長になりたかった理由は、金銭面で苦労している親の姿を見ていたからです。元々両親は駅前でコンビニサイズのスーパーを運営していました。ですが、カスミなどの郊外型スーパーの登場によって駅前が廃れていき、父親が40歳からサラリーマンに転身し、非常に苦労をする姿を目にしていました。そこでお金に困らない生活をするためにも、社長になろうと考えるようになりました。 ■元気よくハキハキしていれば成功すると思っていた新社会人時代  最初の会社であるマルマンに入社した際は、「東京で働きたい」と思っていましたが、残念ながら仙台支店に配属になりました。最初は仙台で頑張ろうとしていましたが、東京にいないと遅れてしまうのではないかという恐怖心や新幹線での移動が多くて時間がかかることから退職し、東京に帰って来てしまいました。  2社目は相続税に強みのある日本スリーエスに入社し、弁護士や会計士と仕事をする機会を持ちました。ただ、ここでは営業マンとしてハキハキしているだけでは足りず、専門分野を勉強することが重要だと気づきます。そこで簿記の3級と2級を取得し、自身の専門性を高めながら、2年ほど修業させてもらいました。  3社目は牛角やガリバー、タリーズなどを大きくしていったベンチャー・リンクに入社しました。当時のベンチャー・リンクは地銀へのコンサル・ビジネスマッチング事業とベンチャー企業、フランチャイズ会社の営業部隊を代行する事業があり、私は営業代行の事業に配属され、中古車のガリバーの担当になりました。最初は加入者を集める仕事をしていましたが、後にフランチャイズを立ち上げる仕事も代行することになり、どっぷりガリバーにハマっていたので、段々とガリバーで独立したいと思うようになりました。 ■独立の相談をした結果、社長に  ベンチャー・リンク創業者の小林さんに独立の相談をしにいったところ、「やめたほうがいい」と反対されました。大きなポイントは、独立資金が4000万円かかるのに1店舗当たり2000万円しか儲からないことでした。また、店舗数を増やすまでに非常に時間がかかるのもデメリットでした。  実は当時ガリバーとは別に、中古ゴルフクラブという新しいマーケットを開拓する総合ゴルフショップ「ゴルフパートナー」を立ち上げたいという強い想いを持っていました。そこで、小林さんは私のために子会社を作ってくれた上、ガリバーの10店舗の経営を任せてくれました。以来、ガリバーとゴルフパートナー両方の運営をしていましたが、ゴルフパートナーに課題があることを伝え続けた結果、ガリバーなどの他のフランチャイズはほかの人に任せて、私自身はゴルフパートナーの社長に専念させてもらうことができました。 ■業界の構造を理解したことでゴルフパートナーを伸ばした  社長になってから力を入れたのは、直営店の店舗数強化です。直営店の強化に踏み切った理由は、自信があるフランチャイズなら自社で伸ばしていくべきだと思ったからです。結果として、就任2年目で黒字化、銀行からの借入が可能になりました。   ゴルフ業界の魅力は、市場の大きさに加えて、ゴルフクラブの製品力の伸びがあることだと思っています。まず市場規模としては大体3000億円ほどあると言われ、スポーツ業界の中では断トツの存在です。別業界の話になりますが、ガリバーなどの中古車業界が伸びた理由の一つに、製品の寿命が延びたことが挙げられます。これはゴルフクラブでも同様のことが言えます。壊れやすいことで対応回数の増加や世代交代のスパンが早くなってしまうのですが、技術進歩で壊れにくくなったことが業界の伸びに繋がっていきました。  ゴルフパートナーが中古クラブにおいて6割のシェアを取ることが出来た要因は、リスクを取って店舗数を増やしたこともありますが、店舗の在庫システム・査定システムに投資したことが大きいと思っています。査定システムは他社が半年に1回くらい値段を変えるところを週に1回くらいの頻度で変更できる仕組みを整えていました。これらのように業界の構造を理解し、他社との差別化を図ることがシェアを伸ばせた要因だと思います。 ■個性的な人と働きたい  私は採用の時、個性的な人が自分の成功パターンを見つけて欲しいと伝えています。ゴルフパートナーで活躍している店長には明るい店長もいますし、そうでない店長もいて、成功要因は様々です。そのため、この特徴があれば必ず成功するという要素は無いと思っています。自分の個性を活かして仕事ができる人と働きたいと思います。 ■大学生へのメッセージ  昔と比べると、今はグローバルになってきていて、自信を持って日本を先進国だと言いにくくなっていると思います。ちなみにゴルフクラブが世界で一番安いのは日本です。世界でも微妙な立ち位置になっている日本の現状を跳ね返して欲しいです。また、ゴルフパートナーは中古ゴルフクラブの販売本数の多さでギネス世界記録にに認定されたことがありますが、このようなビジネスやまだ広まっていないけれども世界一を取れる可能性のあるビジネスモデルをもっと世の中に広めて、世界で日本の地位を逆転させて欲しいです。 学生新聞オンライン2022年11月7日取材 中央学院大学 4年 田根颯人

学生新聞インターン

ミュータントウェーブ。

知らなきゃ!を知りたい!に変える。ポップなジェンダリスト ミュータントウェーブ。大嶋悠生(おおしま ゆう:おおちゃん)・山本朝陽(やまもと あさひ:あさひ)・大川政美(おおかわ まさみ:まさ) ■プロフィール 知らなきゃ!を知りたい!に変える。ポップなジェンダリスト社会に根付く、男らしさや女らしさの枠に縛られず、自分らしさの表現を大切にし、誰もが自分を好きになれる世界を目指しています! https://www.youtube.com/channel/UC8AuY5zhH76XT2KWoug3xsA LGBTを含めた多様な価値観などを、トランスジェンダーのアイコンとしてメディアやエンタメを通して発信している“ミュータントウェーブ。”。なでしこリーグ所属の元女性であり、現在は男性として生きる3人に、トランスジェンダーの当事者としての想いやLGBTの発信活動についてお話を伺った。 ミュータントウェーブ。について:リーダー大嶋悠生さんへインタビュー ■タレントとしてLGBTを伝えようと決心 企業に向けてLGBT研修を行っていく中で、「教科書やマニュアル通りに話すより、LGBTの当事者としてもっと多くのリアルな体験談を話すほうが興味を持ってもらえる」と気が付いたんです。実は、トランスジェンダー男性のロールモデルに当たるタレントがいないんです。だからこそ私たちがロールモデルになり、発信していくことがLGBTの社会問題の解決にもつながると確信しました。そこであさひとまさとYouTubeをはじめました。 ■「情報発信」と「ロールモデル」の2つの活動 現在の活動は、YouTube、テレビやラジオといったメディア出演、企業講演、全国の幼稚園から大学生に向けたジェンダー教育、市や教員向け研修なども行っています。テレビでは、ニュース番組や教育・福祉番組にも出演しています。ポップなジェンダリストを名乗っているので、企業研修もユニークな形でワクワクできるか?を意識しています。例えば、DAZNでの研修では、海外と中継をつなぎながら、NGなしで質問に答える形で知るキッカケを体験してもらいました!またメンバーのまさは、レザーブランドにアーティストとしてデザイン提供をしており、その売上の一部を海外のLFBT団体の寄付に繋げる活動もしています。LGBTや多様性に関するプロジェクトや商品のアンバサダー就任など、情報発信の提供だけではなくロールモデルとしての活動も意識しているんですよね。日本ではまだまだジェンダー平等といった部分の意識や取り組みが遅れているので、「LGBT×○○」のシナジーが生まれやすい環境があります。多岐にわたってのお仕事をいただくことが多いですが、この活動がなくなるくらいの世界になるといいですよね。今後は、緊急性を感じていない方や、興味を持っていない方をどれだけ巻き込んでいけるかが大切なポイントだと思っています。 ■世界で認識されるアイコンへ ミュータントウェーブ。の最終的な目標は、世界のみんなにポップなジェンダリスト・多様性のアイコンとして認識してもらえることです。世界的なアイコンとして知ってもらうことで、我々が発信する情報も届きやすくなります。影響力も大きいでしょう。将来的には、LGBTを公表できる事が当たり前の環境の中で、公表する・しないといった選択ができる社会にしたいです。ジェンダー間の分断をなくし、だれもが自分を好きになれる世界にしていきます!また、自分たちが独自に伝えたいのは、「LGBTという言葉で一括にまとめるのではなく、人それぞれ個性がある、グラデーションがある」ということ。この思いを、より多くの人たちに向けて広めていきたいです。 ミュータントウェーブ。のメンバーへインタビュー ■サッカーを始めたきっかけは? 山本朝陽さん サッカーは小学生一年生の頃からはじめました。当時、自分の姉がドッジボールをしていましたが、あまり興味が湧きませんでした。しかし男子たちがサッカーをやっている姿が、かっこよく映り、その憧れからサッカーを始めました。 大嶋悠生さん 幼稚園年長のときに、兄がやっていたサッカーについていったのがきっかけです。そこでボールを蹴っていくうちに、周囲の男子にも劣らないぐらいに上達して、楽しさも覚えていきました。その頃、周囲の勧めで、本格的にサッカーを始めました。 大川政美さん 僕も幼稚園の年長からはじめました。当時仲が良かった男子の友達がサッカースクールでプレーする姿を見て、「楽しそう!自分もやりたい!」と親に伝えたのを覚えています。当時のサッカースクールのコーチたちはボーイッシュな女性だったこともあり、女子がサッカーをすることに親が抵抗を持つこともなかったです。 ■サッカーへの熱意・高みを目指すきっかけは? 山本朝陽さん 当時、在籍していたチームは練習が少ないところでした。その後、友達が現在の浦和レッズにあたる強豪チームに在籍をしていることを知り、大きく刺激を受けました。そこからサッカーを頑張りたい・上手くなりたいという熱意が生まれました。 大嶋悠生さん 小学生の頃はただサッカーを楽しむだけでした。6年生で埼玉県に引っ越しをして、その先で女子のサッカーチームのスカウトを受けました。最終的には埼玉県の選抜チームにも選ばれましたね。その後、母が勝手に超強豪チームへのセレクションに応募していて、偶然にも最後まで残ることができました。そのチームは サッカーに対する意識が強かったこともあり、熱意というものは自然に身につきました。しかし、高校生のころチームが非常に厳しかったこともあり、高校卒業と同時に熱意と楽しさを失ってサッカーから離れていきました。その後、福祉の道に進もうと考えたとき、改めてボールに触れる機会があったのですが、そこでサッカーの楽しさを再び思い出し、もう一度サッカーをはじめました。 大川政美さん 正直にいうとそこまで熱意はありませんでした。大学1年まではサッカーをしていましたが、監督に自分のサッカースタイルを否定され、腐った時期もありました。そんな中なでしこリーグに進んだのは偶然、当時発足したチームから声がかかったので入団しました。せっかく声がかかったのだからと思い、3年間楽しくサッカーをやり切りました。 ■現在のミュータントウェーブ。の活動でやりがいや大事にしていることは? 山本朝陽さん ジェンダーに関する事での選択肢を増やしたいといった思いを大事にしています。サッカーでは選手やコーチなどの目標になるロールモデルがありますが、ジェンダーのロールモデルはまだ少ない状況です。そこで自分たちがロールモデルとして活躍をして、選択肢の一つとして表現していければと考えています。 大嶋悠生さん 活動をしていく上で喜んでくれる方や共感してくれる人たちがいることが、やりがいになっています。活動を続ける中で、LGBTを通して、考え方や選択肢の幅が広がった、価値観が凄く変化したよ!という声が届きまます。なんか嬉しいですよね。これからも、多くの気付きや知るキッカケをつくり続けていきたいと思っています。 大川政美さん ファンからの応援コメントなどが、モチベーションを上げるきっかけになっています!その中で「ファンの方がどうしてこの言葉を使ってくれたのか?」「どうして応援してくれるのか?」といった「なぜ?」を大事にしています。「なぜ?」を追求することが、自分の足りない部分も勉強できるきっかけにもなると思っています。 ■これからの夢や目標は? 山本朝陽さん 自分たちと関わってくださった人たちとのコミュニティや、多様な価値観がインクルージョンされた会社やコミュニティを生み出していきたいです。 大嶋悠生さん ミュータントウェーブ。を、トランスジェンダー男性グループとして、日本そして世界の多くの人に知っていただく事が一番の目標です。タレントと経営者の2つの軸やバランスを大切にして社会に貢献していきたいです。 大川政美さん グループでトランスジェンダー男性としてのアイコンになることが目標です。アイコンになることで、グループだけではなく、個人でのお仕事で社会課題に貢献できることも増えていくと思っています。まずはしっかりグループとしての土台を固めて行きたいですね。 ■大学生へのメッセージをお願いします。 大嶋悠生さん 社会人になると、時間の制約などで、やりたいこと・できることが少なくなっていくこともあります。今のうちに自分とは違う文化や価値観などを積極的に体感しに行くことで、考え方を現状維持にせず、アップデートしてほしいですね。大人の意見に流されずに、自分が大切にしていることを自分らしく表現することを大事にしてほしいです。 山本朝陽さん 「会社に3年いなければいけない」といった、先人の言葉が全て正しいわけではないと思います。他人の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分が将来なにをやりたいかといった選択や思いを、どの環境になっても大事にしてほしいですね。 大川政美さん 自分の経験も踏まえると、些細な言葉や行動にも、何かしらの意味やメッセージがあると考えています。その考えを持って、いろんなことにチャレンジしていってほしいです。 学生新聞オンライン2023年 1月9日取材 武蔵野大学3年 西山流生

伊東美優

動画クリエイター ISSEI / GIVER株式会社 代表取締役 角南仁基

自分の心と向き合うことが、動画制作のヒントになる 動画クリエイター ISSEI(いっせい) ■プロフィール言語の垣根を超えて全世界に笑顔を届けるとショート動画クリエイター。Youtube・TikTok・LINE BOOMを中心に活動。2022年のYoutube再生ランキングでは56億回再生で再生数日本一位を獲得。TikTokのフォロワーも1000万人突破した。最終目標は、世界の英雄になること。 TikTok1000万人フォロワー達成、そして2022年YouTubeチャンネル総再生数ランキングでは見事日本一に輝いたISSEIさん。その回数はなんと、驚異の56億5,732万回再生と信じがたい数字である。そして現在はShort動画中心にグローバルに活躍するISSEIさんだが、この成功の裏には徹底的なリサーチと弛まぬチャレンジがあった。そんな彼が、今目指している先はどこなのか、熱く語っていただいた。 幼少期から人前に立って目指すことが大好きでした。お遊戯会の主役、体育祭の応援団長、委員会の委員長など、とにかく目立つポジションを自ら率先して担当していましたね。そのため、学生の頃からの夢は、とにかく有名になること。周りの友人には「将来ビッグになる」と宣言しまくっていました(笑)。父親が俳優業をしていたこともあり、自分も役者というお仕事にずっと憧れがありました。もちろん俳優のお仕事は演じることがメインになりますが、バラエティ番組やアーティスト活動など、色んな方向性で活躍できるのが魅力的だなと思ったんです。その後、事務所に所属し俳優活動をスタートさせたのですが、なかなかお仕事がいただけない日々が続き……。その時、「お仕事をいただく」という受け身の姿勢ではなく、もっと自分から仕事を取りに行くぞという、攻めの姿勢で活動しなければということを感じました。そんな時に自身の興味を引いたのが、TikTokです。2019年当時は、YouTubeが既に多くの動画クリエイターによって飽和状態となっていました。編集技術など、既にプロフェッショナルと言われるようなクリエイターがチャンネル登録数・再生回数ともに伸ばしているフェーズにあって、アマチュアはなかなか活躍しづらそうだと感じたんです。一方、TikTokはまだまだ認知度も低く、撮影も現在主流のカメラを置く方法ではなく、自撮り形式が一般的でした。「この手段なら自分も有名になれるのでは」、そのような感覚を持って、すぐにTikTokでの活動をスタートさせました。 ■“想い”が自身の背中を押す 正直、SNSの仕事で広告案件が多くもらえるようになるまでは、苦しいことが多かったです。当時は大学に通いながら俳優のレッスンも受けていたので、収入がマイナスの時期が長く、経済的に厳しい生活が続きましたが、それでも辞めようと思ったことは一度もありませんでした。とにかく目の前のことに向き合い、感覚的ではありますが何度も投稿を繰り返す中で、自分の中にノウハウを蓄積していきました。また、どんな動画が伸びていて、こうしたら成果が出るのではと、リサーチしながら思考を巡らせていました。人の動画を視聴する上でも、自分がどんな時にスワイプしたくなるのか、どんな瞬間に心が動かされたかなど、自分の心と向き合うことが動画制作のヒントになったこともしばしば。こうした地道な作業は、多くの人にとって面倒な活動かもしれません。ですが、自分の理想に少しでも近づくためのこの行動は、ずっとプラス思考な僕にとってはワクワクでしかないんです。動画を制作することは、あくまでも僕にとって手段に過ぎない。根底にある目的、そして想いが燃え尽きない限り、人間はどこまでも頑張れるのだと思いますね。 ■ワクワクすることは何でも挑戦 今後は、音楽制作にチャレンジしてみたいという野望があります。以前とあるフリー音源を使った自身の動画がバズって、世界中のクリエイターがその音源を真似して動画を作っていたことがあったんです。当時、ありがたいことに、多くのユーザーに「その音源=ISSEIの動画」というイメージを持っていただけて。大きな影響を世界に与えられたのは素直に嬉しかったのですが、もしこの音源が自身で制作した曲だったら、さらにハッピーだったなと。他にもこういった妄想は日々たくさん膨らませているので、今後の目標はたくさんあります。そして自分がステップアップしていくことで仕事の幅は広がっていくと思うので、今後もワクワクすることには何でも挑戦していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 「わがままに生きてください。」何か成し遂げたいことがある人は、まずは結果が出るまで自分に100%フォーカスしてほしいです。僕自身も、大学生活やアルバイトなどを並行しながらSNS活動をしていたので、とにかく時間とお金の使い方が重要でした。そして「ビッグになる」と周りに宣言した以上、妥協は一切したくなかった。だからこそ、当時はSNS活動に全集中して、遠回りになることは一切しませんでした。周りに迷惑をかけてしまったこともありますが、いつかしっかりとお返しをすれば大丈夫。とにかく、まずは自分にわがままに生きてください。 学生新聞オンライン2023年1月15日取材 慶應義塾大学3年 伊東美優 自分の可能性を見つける旅へ、一歩踏み出す勇気を持とう GIVER株式会社 代表取締役 角南仁基(すなみじんき) ■プロフィール大学1年生の頃からボート競技に所属しており昨年の11月に引退・休学。休学中に映像制作やインフルエンサーマネジメントを行う。休学中に出会った美容液に魅了されRenzo合同会社に携わるようになる。インフルエンサーのISSEIと共に、企業とインフルエンサーを繋ぎ企画や構成まで行う、インフルエンサーマーケティングを主としたGIVER株式会社を設立。最終目標は、ISSEI含め多くのクリエイターが、やりたいことにチャレンジできるような環境を創り上げること。 コミュニケーションが自分の源流である。そう語るのはインフルエンサーマーケティング事業を行う角南さん。多くの人に喜んでもらうコンテンツを提供したいという思いが社名の「GIVER」に反映されている。大学生という立場でありながら二つの会社の経営に携わっている角南さんに話を伺った。 ボートレースで日本一になった兄に憧れ、高校生からボートレースをはじめ、その流れで明治大学に入学しました。ボート競技を引退したと同時に大学を休学。そして、マイナースポーツのボートレースを広める活動の一環として、動画制作をはじめました。さらに、自分の世界を広げるために、いろいろな人と会いはじめたことで、ISEEIに出会いました。ちょうど彼のTik Tokの登録者が1000万人を超え、新しいプロフィール写真に変えたいとお願いされて手伝うことになったのが、出会いのきっかけでした。彼と出会ったことで、自分の中の意識が大きく変わったと思います。例えるなら、私が富士山の頂上を目指しているとすれば、ISSEIはエベレストの頂上を目指すような男。さらなる高みを共に目指し、新しい景色を見たくなりました。その後も彼とコミュニケーションを取っていく中で、意気投合し、一緒にインフルエンサー事業をする流れになりました。 ■「ありがとう」の連鎖を作りたい 私は幼い時から、「ワクワク」と「ありがとう」を生きる指針にしています。人から「ありがとう」をもらうには、まず自分からGIVEすることから始まります。ワクワクするコンテンツを提供して人の心を動かし、「ありがとう」をもらう。この連鎖を実現できるのが映像制作であり、インフルエンサーのマネジメントやマーケティングであると考えています。また、最初に請け負った映像制作の仕事も人とのご縁によるものでした。人との繋がりによって今の自分があるので、上手くコミュニケーションを取るように意識しています。初対面の人に対してこちらから壁を作らず、相手が壁を無くせば、いつでも意気投合できる状態。それを実現するために、しっかりと対話し、相手の素敵な部分を見つけること。それによって自然と仲間が増えていきます。 ■個人の強みを最大限生かすには 自分の使命は、クリエイターがやりたいことをチャレンジしやすい環境作りです。目の前のことに集中できるように、企業に企画を提案し、サポートに専念すること。それによって再生数やフォロワーも伸びると思います。私は提案やコミュニケーションが得意で、ISSEIはリサーチや発信が得意。不得意なことは、他の人に任せ、自分の得意なことに専念した方が結果に出やすいです。それでも再生数が伸び悩むときもありますが、それも大事な経験。失敗から学び、次にどう生かすか考えることが大切だと思います。また、私には将来的に達成したい大きな目標があります。それは今の事業をさらに大きくし、より多くの人に感謝されるビジネスを構築し、SNS業界を変える事です。SNS業界はトレンドが常に変化し、コンサルティングやリサーチが難しくなってきています。コンサルティングに強い企業はありますが、トレンドに関しては、企業よりもクリエイターの方が詳しいです。同業の会社同士を繋ぎ、クリエイターの力も借りることで、できない部分を補い合っていく。そうすればきっとSNS業界に革命を起こせるはずです。 ■大学生へのメッセージ 私から言えることは、とにかく一歩踏み出して行動することです。休学を決意したことで、動画制作に出会い、インフルエンサーのマネジメントへの道が開けました。また、人生は経験の積み重ねで、より重厚になっていくと思います。まず行動し、失敗から学び、経験を積んでいく。それらを繰り返していくことで本質的にやりたいことが見えてきて、自分の不得意な部分をサポートしてくれる仲間も集まってきます。そして、是非いろんな人とコミュニケーションをとってみてください。自分の世界を広げ、新しい価値感や考え方を吸収出来れば、きっと役に立つはずです。 学生新聞オンライン2023年1月15日取材 明治大学4年 酒井躍

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株式会社丸井グループ 上席執行役員、兼、株式会社丸井 代表取締役社長...

時代のニーズを的確に捉え、新たな顧客価値を共創していく 株式会社丸井グループ 上席執行役員、兼、株式会社丸井 代表取締役社長 青野真博(あおのまさひろ) ■プロフィール1984年、㈱丸井(現㈱丸井グループ)に入社。レディス事業部長、事業推進部長等を経験後、2011年に㈱丸井取締役に就任。その後、取締役店舗事業本部長、常務取締役 を経て、2019年専務取締役兼丸井グループ上席執行役員、2020年7月より代表取締役社長(現任)、2021年4月丸井グループ上席執行役員 小売事業担当(現任)。 小売・フィンテック・未来投資の「三位一体」で独自のビジネスモデルを確立している丸井グループ。型にはまらない会社のユニークさに魅かれ、入社時からあらゆる業務を担ってきた青野社長が見る、丸井グループの魅力とは何か。とりわけ、近年取り組みを加速させている「売らない店®」の背景や強みについて伺った。 大学時代は、家庭教師やテイクアウトの寿司屋など様々なアルバイトを経験しました。また、坪田尚子さんという小さい劇団員の女優さんが好きで、よくミュージカルを観劇していました。今でいう「推し活」ですね(笑)。就活時代は、とにかく「面白い会社」を探していました。昔から周りの人を笑わせることが好きなひょうきん者でしてね(笑)。業界を絞らず、会社や事業の「ユニークさ」を軸に説明会などに参加していました。その中で一際面白さを感じたのが、当社丸井のプレゼンでした。仕事の幅の広さにも魅力を感じたため、入社を決めました。入社後は、カードセンターでの集金役や、スーツや浴衣の販売員、商品の仕入れを行うバイヤーなど幅広い業務に携わりました。新入社員の頃から社長のように「自分が丸井なんだ」という気概で仕事をしていましたので、社長となった今もあまりやることは変わりません。 ■「信用の共創」が生み出す独自性 当社はコアバリューとして「信用の共創」を掲げています。「信用の共創」とは、創業者の言葉「信用は私たちがお客さまに与えるものではなく、お客さまと共につくるもの」に由来するものです。創業時の商売は家具の月賦販売でした。当時高額だった家具を幅広いお客さまにご購入いただけるよう、当社が購入代金を一時お貸しして、それを月々の分割払いで返済していただくというものです。現金商売のように一期一会で売ったら縁が切れてしまうという関係ではなく、売った後も、10回、12回、24回払いなど、お客さまとお店とのお付き合いが長く続きます。お支払いの遅れがなければ、ご利用可能金額が増え、ご利用期間が長くなるほどお客さまの信用はだんだんと上がっていきます。こうしたお客さまとのかかわりの中で、「信用はお客さまと共につくるもの」という精神が生まれてきました。このように私たちは、一般的なクレジットカードの審査のように、お客さまの年収や職業、資産の有無などに応じて一方的に信用を与えるのではなく、ご利用実績を通じてお客さまと双方向で信用を共に創っていく、つまり「信用の共創」を積み重ねてきたのです。たしかに、貸し倒れリスクもありますが、間口を広げた上で、ライフタイムバリューを上げることで、どこにも負けない価値の高いカードとなるのです。これは、当社ミッションの「すべての人が『しあわせ』を感じられるインクルーシブで豊かな社会を共に創る」を体現していると思います。“しあわせ”の感じ方は人によって異なりますよね。例えば、コロナ禍で不要不急が制限されましたが、自分の好きなものは不要不急ではないはずです。このように、「信用の共創」のもと、一人ひとりの好きを応援することが我々のビジネスの神髄なのです。 ■目指すのは、新たな選択肢が揃う店 近年、若い人を中心に、価値観が変化してきているので、シェアする、中古品を使うといった顧客ニーズが増えています。また、IT技術の発展やスマホの普及により販売チャネルもオンライン上のECサイトにシフトしています。このようなニーズやチャネルの変化に対し、当社も店の在り方を革新していく必要に迫られました。そこで、近年取り組みを加速させているのが、体験の場を提供する「売らない店®」です。購入のためではなく、商品のデザインや色、使用感などを確認するために来店するお客さまに体験の場を提供するのです。これは、テナント側にとっても良い影響があると思います。一般的に、販売員に対して、「売り込む」イメージを持っている方も多いのではないでしょうか。しかし彼らは、純粋にお客さまのお役に立ちたいという貢献志向を持っている方ばかりです。したがって、無理におすすめするのではなく、まずは、商品やサービスの良さを体験していただくという「売らない店®」の発想は、お客さま側が体験の場として活用できるという良さだけでなく、販売員やテナント側も気持ちよくお客さまの役に立つことができることにもつながります。当社は10年前まで、仕入れて売る百貨店と同じビジネスモデルを取っていました。売上の7割はテナントに払い、3割が百貨店に入る仕組みです。一方、現在の「売らない店®」は、固定家賃をベースに場所を貸しているため、売上は関係なく安定した収入が入る仕組みになっています。どういうことか具体例を挙げて説明します。以前、あるテナントさまから「商品在庫が店頭に無い時、ECサイトですぐに購入できるようにしたい」というニーズを受けました。その条件を承知した上で、出店を承諾すると、そのテナントさまは、こちらの対応にひどく驚かれたのです。詳しくお聞きすると、百貨店はもちろんショッピングセンター、アウトレットからも断られたそうです。それらのお店は店頭で売れたら売れただけ儲かる仕組みであったため、店舗での売上が下がることにつながるネットへの送客は許されなかったのです。その点、当社のビジネスモデルは、店頭での売上の影響が少ない家賃収入が中心のビジネスモデルなので、むしろ「売らない店®」が“強み”と言えると思いますね。既に「売らない店®」として商標登録もしております(笑)。2025年度までには「売らない店®」を完結させ、他にはない新たな選択肢が揃っている店にしたいですね。 ■大学生へのメッセージ 時間がある大学生のうちに、自分の好きなことを見つけて個性を追求してください。上司として多くの部下を育てる中で感じるのは、何でもこなすオールラウンダーよりも一点突破型の方が伸びるということです。様々なことにチャレンジして、自分の「好き」をとことん突き詰めてください。それは社会に出たとき必ず役に立ちます。これは、サステナビリティにも通ずる部分があります。サステナビリティとは持続可能な社会にすること、簡単に言えば社会を良くしていくことです。人は一人では生きられません。支え合いながら生きていくには、社会のため、人のために役立つ必要があります。人の役に立つとは、誰かを笑顔にすることです。そのためにはまず、自分自身がどういうときに笑顔になるかを知ってください。自分が笑顔になることを知っている人は、相手が何に笑顔になるか理解できるようになると思います。 学生新聞オンライン2022年12月23日取材 専修大学3年 竹村結

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女優 穂志もえか 幾度の挑戦で見えてきた女優としてのやりがい

女優 穂志 もえか (ほし もえか) ■プロフィール1995年8月23日生まれ。千葉県出身。上智大文学部卒。特技はバレエ、コンテンポラリーダンス。 2017年に女優デビューし、昨年は映画「窓辺にて」(今泉力哉監督)に出演。2021年は映画「花束みたいな恋をした」(土井裕泰監督)や「街の上で」(今泉力哉監督)でヒロインを好演。ドラマでは「大豆田とわ子と三人の元夫」主人公・大豆田とわ子(松たか子)の勤める住宅建設会社経理部員・羽根子や「#グラップラー刃牙はBLではないかと考え続けた乙女の記録ッッ」主人公あかね(松本穂香)の友人・ちこなどキャラクターの強い役を演じた。現在、TBS系金曜ドラマ「100万回言えばよかった」に出演中、主要キャストの一人として真田広之も参加しているアメリカテレビシリーズ「SHOGUN」の放送も控える。 ミスiD2016にてグランプリを受賞し、現在は女優として活躍している穂志もえかさん。映画『生きててごめんなさい』ではヒロインの莉奈を演じた。今回はそんな穂志さんに女優としてのやりがいや映画でのエピソードについて伺った。 ■自己表現との出会い  私が演じることに初めて触れたのは、クラシックバレエでした。バレエは4歳から14歳まで続けていて、小学校高学年の頃には「授業が終わったらすぐバレエのように、」と私の生活に組み込まれていき、そのせいか中学生の頃には、私のバレエへの情熱は燃え尽きてしまいました。ただ、このバレエの経験が私に自己表現の楽しさを教えてくれたきっかけになったと思います。 バレエをやめてからは何をしたらいいのか、私には何が残っているのだろうと模索した結果、バレエをやっていた時から憧れがあった女優業に挑戦したいと気が付きました。当時の私はキラキラしていた女優さんたちに憧れていたのだと思います。高校生で事務所に所属し、そこで受けた演技のレッスンは本当に楽しかったです。しかし、大学受験の時期と被っていたのと、想像していた芸能界のイメージが少しずれていたこともあり、事務所を辞め女優業からも離れました。 そんな私に転機が訪れたのは大学2年生の時です。当時の私は一度離れたとはいえ、まだ女優への憧れがありました。そこで知人からの勧めもあり、講談社主催の「ミスiD2016」に出場を決めたのです。ありがたいことに約4000人の応募者の中からグランプリに選んでいただき、大学4年生の時には、映画「少女邂逅」で初主演を務め、女優業が本格的にスタートしました。現在は良縁にも恵まれ、今の事務所に所属して活動をしています。 ■見えてきたやりがいと展望  元々キラキラとした女優さんたちに憧れて志した女優業。憧れを抱いていた当時と今では自分の中のやりがいがかなり変わったことを感じます。当時はキラキラした芸能界にいられることや、演技をすること自体が楽しくて。もちろん今でも演技をすることは楽しいです。しかし今はそれ以上に、私の演技がお客さんに伝わりリアクションが返ってくることも私のやりがいとなっています。先日、私の出演作を観ていただいた方からDMを頂きました。話したことの無い人にDMを送ることは、みんな多少なりとも緊張すると思います。勇気を出して送ってきてくれたのだなと分かる、彼女からの長文のメッセージはとても嬉しく、モチベーションに繋がりました。今後は舞台での演技にもチャレンジしてみたいです。いい所を切り抜いてもらえる映像に対して、自身の一挙手一投足が観られる舞台。舞台での経験を通して、更に色々なものを伝えられる女優になりたいと思っています。ぜひ積極的にチャレンジしていきたいです。また、海外の作品にももっとチャレンジしていきたいと思っています。以前アメリカテレビシリーズ『SHOGUN』の撮影で約8カ月間カナダに滞在していました。日本と海外では撮影の方式や雰囲気なども違い新鮮で、海外での撮影が楽しかったのもありますが、なにより演技によって国を越えて何かを伝えられるということに魅力を感じました。今後も女優として様々なことにチャレンジしていきたいです。 ■映画『生きててごめんなさい』について 今作のヒロイン莉奈は、みんなと同じことをしようとしているのに、なかなか上手くいかない女の子です。今回私はそんな莉奈を演じさせて頂きました。オーディションの前にはじめて台本を読んだ時から、この子は私が演じたい!と思っていたので、受かったと分かった時は本当に嬉しかったです。『生きててごめんなさい』は、監督との打ち合わせがかなり濃密でした。皆さんにもそれぞれ生い立ちがあるように、映画の登場人物にも描かれていないだけでバックボーンが存在します。監督からいただいた台本には、セリフや動作だけでなく、登場人物の細かな設定が記載されていて、それをもとに、打ち合わせでは私の莉奈のイメージと監督の莉奈のイメージを擦り合わせていきました。これは私自身でも驚いた事なのですが、莉奈を演じている中で台本にない涙やセリフが自然と溢れてくることがあり、私自身が莉奈と重なることができた様に感じました。『生きててごめんなさい』、ひいては映画やドラマを観る時は、ぜひ登場人物のバックボーンに思いを馳せながらご覧下さい。その余白を楽しむことができれば、映画やドラマがまた一段と楽しくなると思います。 ■大学生へのメッセージ 私はバレエをやっていた頃から、女優になりたいという憧れを抱いていました。受験勉強などで忙しく、女優業から離れていた時期もありましたが、今は女優業をやらせていただいてます。何かを始めるのに、遅い・早い、環境が整っている・整っていないもありません。本当に興味のあるものは、いずれチャレンジしてみたくなる日が来ると思います。それならば、興味を持った今がチャンスです。どんどんチャレンジしていきましょう。 学生新聞オンライン 法政大学3年 鈴木悠介 『生きててごめんなさい』(#イキゴメ)黒羽麻璃央   穂志もえか松井玲奈 安井順平 冨手麻妙 安藤聖 春海四方 山崎潤 長村航希 八木アリサ 飯島寛騎監督 山口健人  企画・プロデュース 藤井道人制作プロダクション:スタジオねこ  配給 渋谷プロダクション製作 「イキゴメ」製作委員会  JAPAN/DCP/アメリカンビスタ/5.1ch/107min©2023 ikigome Film Partners 公式サイト:https://ikigome.com/ 公式Twitter:https://twitter.com/ikigome_movie  公式Facebook:https://www.facebook.com/ikigomeシネ・リーブル池袋、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開中 ヘアメイク:川又由紀(HAPP’S)スタイリスト:前田勇弥衣装:ブラウス(¥18,150)、パンツ(¥18,920)グラムトーキョー(LAYMEE) 03-3746-9950

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リビン・テクノロジーズ株式会社 代表取締役社長 川合大無

「世の中にインパクトを与えたい」との想いから創業者へ リビン・テクノロジーズ株式会社 代表取締役社長 川合大無 (かわい だいむ) ■プロフィール1975年生まれ千葉県出身東京農業大学農学部卒剣道3段 (略歴)1998年4月 ニチモウ株式会社入社2000年7月 バリューコマース株式会社入社 2003年2月 株式会社サイバーエージェント入社2004年1月 当社設立 代表取締役社長就任(現任) 消費者のニーズを汲み取り、「住生活領域における社会問題をテクノロジーの力で解決する」を使命にサービスを展開するリビン・テクノロジーズ株式会社。今回は同社の代表取締役社長である川合大無社長に、起業をしようと考えたきっかけや経緯、さらには今後のビジョンや大学生へのメッセージについて伺った。 小学生の頃から剣道をしていて、年上の人には敬語を必ず使うなど礼儀を重んじる習慣が身についていました。そのため、「年下からタメ口で話されることが嫌だ」という理由で、現役で合格した東京農業大学に進学しました。学生時代は、勉強よりも深夜のコンビニや居酒屋などのアルバイトに力を入れていました。将来のビジョンを考えるようになったのは、就職活動を始めてからです。様々な分野の仕事を見始めたものの、実際に自分が働いているイメージが湧かず、自分が何をしたいのか考えるようになりました。せっかく自分の人生の多大な時間を注ぐなら、それに値する大きなことを成し遂げたいと考え、「世の中にインパクトを与えたい」という人生の目標ができました。その目標を達成できそうな職業をいくつか考えた結果、経営者になろうと決め、創業することに決めました。 ■実務経験を求めて、5年間で3社を経験 経営者になるためにはまず実務経験が必要だと考え、ビジネスのノウハウを学べそうな企業を5年間で3社経験してから会社を設立する計画を立てました。1社目のニチモウ株式会社では営業事務を務めたおかげで、営業以外の実務は全て覚えることができました。最初は「楽しい」と思える仕事内容ではありませんでしたが、これも経営者になるためには必要であると考えていたため、モチベーションが下がることはなく、一生懸命仕事を覚えました。その後、2社目ではバリューコマース株式会社というアフェリエイト広告会社で営業を経験し、トップ営業マンになりました。3社目は株式会社サイバーエージェントでインターネット広告代理店の営業として働き、ネットマーケティング全般の知識を身につけました。 ■経験を生かした起業のスタート 勤めていた会社を辞め、起業した時点では、どのような事業をするかは決めていませんでした。最初は企業に心理カウンセラーを派遣するサービスを思いつきましたが、サービスを作ることができませんでした。考えた結果、今までの経験からネット広告代理業ならできると思い、立ち上げました。どのように売上を上げていくか考えたときに、同じようなものが同じような価格で提供されるサービスでは採用力が重要であると気が付きました。ただ、すでに名の知れている大手に採用力で追いつくことはとても難しいと思い、自社でサービスを展開し、他社との差別化を図っていくしかないと考えました。そこから検索数が多く、顧客ニーズも高いにも関わらず、きちんとしたサービスやサイトが少ない分野をリサーチし、不動産の査定サイト、お墓の比較サイト、ホームページを月定額で更新するサービス、アパレルのオンラインショップといった4つの新規サービスを約1年半でスタートさせました。そのうちの1つである不動産査定サイトが今のメイン事業となっています。  ■求めるのは、自主性、創造性、先見性を持つ人材 何かを変えたい、こういうことをやりたい等の思いや意見を自分から発信しているような、自主性のある人がいいですね。そういった思いがないと、先を見据えて動いていけないと思うのです。すぐ目の前のことではなく、一つや二つ長期的な視点を持ち行動していける人、また自らの考えを発信し周りを巻き込み自分の考えを基軸とし、目標達成に向けて仲間とともに実行していくことができる人と仕事をしたいと思っています。当社では意見を出しやすい環境作りに力を入れているため、新卒、中途関係なく意見できるように目安箱のようなものを制度化して設置しています。どんな立場でも、オフィス清掃から新規事業プランまでどんなことでも提案できるようになっています。そこに入ってきたものは毎週の経営会議の際に必ず審議されます。また、新しいことを取り組んでいくために四半期に一回、社内で新しい企画やサービスの新機能、業務改善などを提案するプレゼン大会を実施しています。そこで良いものがあれば採用し、事業として推し進めていきます。実際にリースバックの比較サービス、リノベーションのお問い合わせメニュー案などが採用、リリースされました。 ■今後の展望 まずは東証プライム市場に上場し、ゆくゆくは従業員1000人規模の企業を目指していきたいです。なぜなら、運営に1000人規模の人員を要する事業を展開できれば、世の中の人の行動パターンを変えられる力を持てると思うからです。それこそ私が大学生の時に掲げた、「世の中に大きなインパクトを与える」という目標に近づけたといえるのではと考えています。そのために、既存サービスの拡大に加え、新規サービスの開発やM&Aなどにより、第2、第3の収益の柱の創出に注力しています。 ■Message 大学生のみなさんに伝えたいのは、まずは目標を定めることです。自分が最終的にどんな人になっていたいかを今のうちから思い描くことが大切ですね。目標があることで人はそれに向かって行動していくことができますから。目標がないと迷走したり、周りに流されてしまったり、自分が本当にやりたいことをやれないこともあります。あとは「継続」です。継続して努力し続けることはかなり難しいです。毎日何かをさぼらずに継続することができるのは才能であるのと同時にどこかで必ず何か大きなリターンが返ってきます。若いうちは「柔軟性」があります。最初自分には合わない、無理だと思えたことも継続できたり、新たな発見があるかもしれません。若くて柔軟性と時間があるうちにできることを増やすということは非常に大切だと思います。 学生新聞オンライン2022年11月2日取材 専修大学3年 中島菜摘 / 成蹊大学2年 角田迅斗

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玉元 風海人 やりたいことはやる。直観に従って生きていきたい

株式会社TMS 振付師 / 演出家 玉元 風海人 (たまもと ふみと) ■プロフィール1999年生まれ2010年にジャニーズ事務所に入所。コンサート、舞台、ドラマなど様々な作品に出演。2019年より振付師 / 演出家として活動を始め、昨年、株式会社TMSを設立。アイドル / タレント育成、振付、演出などのエンターテイメント領域のコンサルティング事業およびキッチンカー、ケータリング、バーなどの飲食事業を展開。 幼少期から培ってきた芸能経験を活かし、アイドルやタレントの振付や育成・ライブの演出を手掛ける一方、大学2年の時にカフェやキッチンカーの経営を始めたという玉元風海人さん。現在、エンタメ業と飲食業の2軸で活動する上で、大切にしているマインドなどを伺った。 ■経験から得た「仕事に何を求めるか」の重要性 僕は湘南育ちで、小学生時代はサッカーとサーフィンに明け暮れる日々でした。5年生の時、親に「笑ってる写真撮るから!」と言われユニフォームを着ながら撮った写真が、芸能事務所への履歴書に使われることに。サッカーの大会の時に、親から「風海人、東京行くから」と言われて、いきなりオーディションで踊ることに。そして気付いたらコンサートに出演していました(笑)。芸能界に元々は興味なかったのですが、当時は目立つことは嫌いではなかったのですぐには辞めなかったです。東京の事務所に通う日々が始まりましたが、小さい時は機関車トーマスや電車が好きだったので、神奈川からの電車通いも辛くなかったですね。小6や中1では様々なキー局のドラマに出演するなど、沢山の経験をさせて頂きました。しかし、舞台やTVで活動する中、心境の変化があり、色々と考えた末に事務所を辞めました。様々な意見が飛び交いましたが、きっと僕はどこかで普通の人になりたかったんだと思います。高校2年生になってからは、周りのみんなが受験勉強に励む中「仕事に何を求めるか」をずっと考え続ける日々を送っていました。そこで出た答えは、お金でも環境でもなく、「誰と働きたいか」だと気が付きました。好きな人と働くには、自分で会社を作った方がいい。そう思い至って、経営を学ぶために大学進学の道を選びました。 ■信頼する友達と働きたい想いを形に 僕はミルクティーを毎日飲むくらい好きなのですが、「自分が好きな物が飲みたい」という想いを込めて、2019年の大学2年生のときに、周囲の友達を誘って「Tea Shop MoN TEA」というカフェを始めました。いま見ると笑ってしまう様な事業計画書ではありましたが、その計画書を持って「カフェやりたいんです!」と周りの社長さんに言いまくる日々を送りました。その結果、「面白いね」と言ってくれた渋谷の飲食店のオーナーさんが定休日の日曜日を使わせてくれることになり、期間限定で営業を行いました。現在は、週1回ではなく、店舗化を目指して物件を探しています!もうひとつ、始めたことはキッチンカーです。友達の「やってみたい」という言葉や、自分の親がやっていたということから、キッチンカーでの販売も始めました。ゆくゆくはキッチンカーを発展させて、舞台のケータリングをはじめ、企業向けビジネスにも力を入れたいと思っています。 ■ステージで輝いて魅せるために ステージの指導を行う上で、僕が心に決めていることは“嫌われ役”になるのを恐れないことです。ステージに立つメンバーがどうしたら1番輝けるか?を常に意識しているので、指導する際は仮に厳しい言葉であっても、思ったことはすぐに言います。表情や歌い方も事細かく指示をしていますね。同時に、メンバーには、自分が舞台を通じて何を伝えたいのかを考えてもらうようにしています。僕自身が演出や振付を考える際は、観客の皆さんが見飽きないように、そして分かりやすいように、歌詞に合わせたストーリー性のある動きや構成を意識します。その意図をメンバーやお客さんが理解してくれた時はやりがいを感じます。また、お客さんから見てよいものを見せたいと思うからこそ、振りや立ち位置の状況に応じて、照明やスモークなどの特効といった演出にもこだわっています。お客さんが「ライブも面白いよね」と思ってくれないと、この業界では長くやっていけません。だからこそ、お客さんの視点を大切にするようにとメンバーには常に伝えています。 ■直感を大切に何事にも挑戦 今後、挑戦してみたいのは、アイドルグループ専用のダンススタジオを作ることです。いまは、大手以外のグループは一般のスタジオをレンタルするところが多いのですが、それだとセキュリティなどにも問題が生じます。セキュリティをしっかり配備したサブスクリプション制のスタジオを運営できれば、多くの人に喜ばれるのではないかと思っています。現在の僕の原動力は家族、会社のメンバーである仲間たちです。彼らを支えるために仕事をしています。ただ、ここまで生きていて人生って面白いなと思うのが、やった分だけ物事は返ってくるし、一見関係のないことでも様々な点を立てることで、どこかのタイミングで線に繋がるということ。今後は、エンタメ業と飲食業の2軸に別々で力を入れていく予定ですが、この2つの軸がどこかで重なる日が来るのを楽しみにしています。 大学生の皆さんに伝えたい言葉としては、「適度に適当に」。いまは情報過多な時代ですが、それぞれの情報をきちんと取捨選択をして、それが本当に自分に必要なものかをよく考えてほしいですね。大学の授業は大切ですが、効率よく時間を使って、自分のための時間を増やして下さい。やりたい事があるのなら、成すためにはどのような能力が必要か分析してほしいです。そして、悩む時間があるなら行動に移しましょう。人生は落ち込んでいる暇があるほど、長くないです。「これがいい!」と思ったら、直感ですぐやってみることを心がけてほしいです。 学生新聞オンライン2022年12月12日取材 国立音楽大学 2年 岡部満里阿

和田真帆

株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長 石原卓児

豊富な品揃えと丁寧な接客で「中古品」に対する抵抗感をなくしたい 株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長 石原卓児(いしはらたくじ) ■プロフィール1972年名古屋市生まれ。 英国暁星国際大学卒業後、大手家電量販会社を経て、1998年株式会社コメ兵に入社。 有楽町店・新宿店店長、営業企画、WEB事業、店舗開発、販売促進、マーケティング業務等に従事。2013年6月に代表取締役社長に就任。2020年10月ホールディングス体制への移行と同時に、株式会社コメ兵ホールディングス代表取締役社長執行役員も兼任。 元々名古屋の地で始まった株式会社コメ兵ホールディングス。2003年に上場企業となり様々な中古ブランド品を扱っている。二次流通市場で成長し続ける理由について、代表取締役社長である石原卓児さんに聞いてみた。 ■アルバイトでお金を貯めて、イギリスの大学へ留学 大学は日本の学校ではなく、イギリスの大学に通っていました。中学から始めたラグビーにのめり込んでいた私は、ラグビー発祥の地であるイギリスに行って、新しいラグビーメンバーと一緒にプレーをしてみたいという思いから現地の大学に行くことを決めました。留学するために親からお金を全て出してもらうのは嫌だったので、名古屋にある花の市場で朝5時から12時までアルバイトで働き、昼過ぎからは英会話スクールに通い、15時から中学生のラグビーコーチをするという生活を高校卒業後の1年間していました。私が小さい頃からコメ兵のCMが流れていた影響もあり、「コメ兵の息子」と言われてきたので、自分の名前で活躍していける海外で、様々なことをチャレンジできたのはとてもいい経験でした。 ■新卒でヨドバシカメラに入社。突然の父の他界でコメ兵へ 小さい頃から会社の跡継ぎだというプレッシャーがあり、「自分はそうなるしかない、その他の選択肢はない」と思っていました。そうは言っても私は接客の経験をしてみたかったので、まずは接客ができるお店で働きたいと思い、仕事選びをしました。就職期間は3年と決め、有限であるその時間をいかに濃く有意義に過ごせるかを考え、株式会社ヨドバシカメラに就職しました。時期的に就職活動は世間では終わっていましたが、自分からその会社に電話をかけて人事の方に直接お話して、入社することになりました。入社後は学びの毎日でしたが、父が病で他界したことがきっかけで「3年間就労する」という期限の前に、ヨドバシカメラを退社することになりました。その後は、父の後を追ってコメ兵で働くことを決めました。副社長であった叔父(父の弟)から、生前の父が常々「いつか戻ることがあった時には社内の人間関係を作らないと裸の王様になってしまう。1年くらいを目安に色んな業務を転々とさせ、下積みも含めて社内の人間関係を作らせたい」と言っていたと聞きました。ヨドバシカメラで学んだことを活かすためにも、カメラ売り場から働き、現場で様々なことを吸収しました。その後、コメ兵は2003年に上場し、名古屋だけでなく全国に店舗を持つことができました。そして、私は2013年に社長に就任しました。 ■商品を最高の品質にして丁寧な接客を コメ兵が注力してきたのは、品質向上、豊富な品揃え、丁寧な接客です。どれだけ豊富な品揃えにできるかは、接客の上手い下手の前に大切だと思っています。5坪の古着屋から始まったコメ兵は、広告宣伝費がなくても「高く買えばものが集まり、安く売れば人が集まる」という創業精神をもってやってきました。だからこそ、品揃えには自信があります。幅広い品揃えのお店での丁寧な接客を通じて、「中古品を選ぶことは、恥ずかしいことではないのだ」と体験して頂き、お客様の抵抗感を下げていくことでリピーターが増えていることを実感しています。また、コメ兵は中古品を扱う会社ですが「買取りをして販売する」だけではなく、買い取った商品を愛知県の商品センターで一度全て集め、そこでルーペや顕微鏡を使い真贋判定をかけて、メンテナンスの必要なものは外注で直し、価値を高めて店舗に並べています。 ■一緒に働きたいと思う人は、チームで働くことができる人 接客は周りの人たちと協調・共生を持ってチームで動けることが大切だと考えています。店舗ごとの目標に向けて、力を合わせて様々な企画を立てたり、プロジェクトを組んだりして、チームで協力しながら仕事をする人と一緒に働きたいですね。変化の激しい社会の中で、個人の能力に頼るよりも、チームで目標に向かっていく方が高いパフォーマンスを発揮できると考えています。また、コメ兵の「中古品の価値を高めて販売する」というリレーユースの仕組みをしっかりと理解し、お客様に喜んでお届けする接客を大切にできる人を求めています。 ■大学生へのメッセージ 遊びでも、アルバイトでも、学生という「今」だから味わえる感度や使える時間を、仲間たちと後悔なく楽しんでほしいと思います。そして、貴重で有限である学生という時間は、それを支えてくれている人がいることを忘れず、感謝の気持ちを持ち続けてください。コロナ禍により今の世の中は苦しいこともありますが、限られた環境の中で最高の思い出を作ってもらえたらと思います。 学生新聞オンライン2022年12月1日取材 日本大学3年 和田真帆

イベント・企業紹介

スペシャルトーク「ウズベキスタンを知ろう」

タレント中山秀征とインフルエンサーねおがウズベキスタン1日PR大使に就任! 1月19日(木)に日本で唯一ウズベキスタンの不動産投資が可能なジオン・インベストメント・トラスト株式会社(代表取締役・山本一之)によるトークイベント「ウズベキスタンを知ろう」が神田明神ホール(所在地:東京都千代田区外神田)にて行われました。冒頭には、代表取締役・山本一之氏と、駐⽇ウズベキスタン共和国特命全権大使・ムクシンクジャ アブドゥラフモノフ氏と、駐日タシケント市役所代理人 / 名古屋ウズベキスタン友好協会理事・イビラギモフ ブニヨドベク氏も登壇され、挨拶とウズベキスタンの熱い想いを語りました。 ■ジオン・インベストメント・トラスト株式会社 代表取締役 山本一之氏21歳の時にシンガポールから始まり、約40年間東南アジアの経済と成長を見てきました。マレーシアの渡航の際に海外事業、不動産に触れ合うきっかけがあり、様々な面で海外の投資家がその国を応援することが大切だなと感じました。それから次に成長する大国はどこかアンテナを張るようになり、そこで出会ったのがウズベキスタンという国です。ウズベキスタンは貿易の自由化が始まったことで、シルクロードの交差点と呼ばれるようになり、モノづくりの拠点として世界から注目をされるようになりました。ロシアから3800社など様々な国から自動車部品・家電などをはじめとした工場経営が進んでいます。一人当たりのGDPを見るとベトナムの半分なのですが、人口増加、インフレ率の増加、若い世代の増加、GDPの成長率が高いなど成長している国との共通点があります。都市化していくことで海外から人が集まり、モノの物価も上がっており、ケンタッキーやスターバックスの出店も始まっています。また、土地の価格が5倍から10倍に、銀行金利も20%あるなど、海外の投資から注目を浴びています。日本人にチャンスを与えたいという思いから、日本人も安心して不動産投資ができるような仕組みづくりを行うようになりました。また、都市開発プロジェクトにも参画することが決まり、ウズベキスタンと日本の交流がさらに深まるようにしていきたいと考えています。 ■駐日ウズベキスタン共和国特命全権⼤使・ムクシンクジャ アブドゥラフモノフ氏日本もウズベキスタンも自分の心を温めてくれます。ウズベキスタンは独立してから32年くらいのまだ若い国なのですが、人口3500万人の中の6割は30歳までの若者で、大統領が変わったこともあり新しいウズベキスタンを創り上げていくことに注力しています。 ■名古屋ウズベキスタン友好協会理事・イビラギモフ ブニヨドベク氏ウズベキスタンは世界で一番親日の国だと思います。その一方で日系企業が少ないのでもっと民間レベルで交流や連携を深めていけたら嬉しいです。自分の目で見て感じるのが一番なのでまずはウズベキスタンのことを知ってもらえるようにしていきたいです。 当イベントでは、「ヒデちゃん」の愛称で親しまれているタレント・中山秀征さんと、ティーンのカリスマとして活躍中のインフルエンサー・ねおさんのおふたりを【ウズベキスタン1日PR大使】に就任したことを発表しました。 ■タレント 中山秀征氏ウズベキスタンと聞くと戦争が多い地域なのかというイメージがありますが、実際は素敵な建造物や多様な民族が暮らす豊かで平和な国だというのが今回のクイズを通して分かりました。今回着用させていただいたウズベキスタンの民族衣装も装飾が繊細でとても綺麗ですし、伝統品のお皿も普段使いできないような豪華さがありますね。私は長年群馬県の観光大使をしており、同じく内陸に位置するという共通点もあって親近感が湧きました。ウズベキスタン1日PR大使に選んでいただいたことで、ウズベキスタンには素敵な観光地がたくさんあって、安全で投資家からも注目されるほど素晴らしい国だということを知ることができました。 ■インフルエンサー ねお氏私もウズベキスタと聞いた時に戦争?というイメージがありましたが、今日のクイズでそのイメージが一変しました!社長がたくさんヒントをくださったり、陶器の置き物ウズベクおじさんもすごく可愛くて、お家に飾ろうと思います。ウズベキスタンにある伝統的な建物も水色とすごく綺麗で、実際にウズベキスタンに行ってたくさん写真を撮りたいなと思いました。ウズベキスタンという国を少しですが知ることができ、とても楽しかったです。

学生新聞インターン

株式会社グローバルウェイ 取締役会長 各務正人

“使われる”のではなく、“愛される”サービスを10億人に届けたい 株式会社グローバルウェイ 取締役会長 各務正人 (かかむまさと) ■プロフィール 外資系金融機関にシステムアナリストやデリバティブトレーダーとして在籍。2001年にSOA製品のリーディングカンパニー、外資系ソフトウェア企業に入社。リージョナルマネジャーとして世界一の営業成績を達成し、2年連続で日本支社のライセンス売上50%以上に貢献。2005年に同社を退職し、株式会社グローバルウェイを設立。代表取締役に就任。 企業口コミサイト「キャリコネ」、企業のプラットフォーム構築サービス、個人の時間売買サービス「Time Ticket」など多角的な事業を展開するグローバルウェイ・グループ。創業者で現在取締役会長を務めるのが各務正人氏だ。田舎の野球少年だった同氏はアメリカの大学に進学、エンジニアやトレーダー、営業を経験したのち、現在の会社を創業している。今回はこれまでのキャリアや仕事への想いについて伺った。 ■田舎の野球少年がアメリカへ  私は小学校2年生で野球を始めて、いずれはプロ野球選手になりたいと思っていました。高校は野球の特待生として進学し、大学へも野球の推薦で入りました。ただ、私はイチロー選手と同い年で彼と何回か対戦をした経験から「自分はプロへ行くレベルではない。もっと将来を真剣に考えなきゃヤバい!」と思い始めました。私が生まれた岐阜は陶器産業が有名で父と祖父は陶器に関連する会社を経営していたのですが、昔、漠然と私も会社をやりたいと考えていたことを思い出し、実家にある野口英世の本を読みなおしました。そして「アメリカへ行ったら自分を変えることが出来るのではないか」と思い、アメリカ留学を決意しました。アメリカでは試行錯誤を繰り返して答えを導き出すことを学びました。教科書の内容をそのまま勉強することは自分で出来ることなので意味が無く、教科書の内容について「どのように思うのか?」と発展させることの重要性に気づけました。 ■起業を目指し、エンジニア・トレーダー・営業を経験  私が会社経営に興味を持った時、ちょうどマイクロソフトなどが世に出た時代だったのでITの分野で起業を考えていました。そこでお金や知識を得るためにITのレベルが高く給料の良いUBS証券へ入社し、エンジニアとしてトレーダーが使うシステム開発をやらせてもらいました。その際、トレーダーの経験も積みたいと思ったため、ドイツ証券に転職してトレーダーになりました。さらに、会社経営の経験を積むため、小さい会社に転職したいと思い、ゴールドマンサックスのお誘いも断って日本進出してきた10名ほどの小さな会社で営業をやらせてもらいました。その会社に転職したときは600万円ほどの年収でドイツ証券の半分ほどの金額だったので「お前はバカか?」と言われましたが、世界一のトップセールスをあげたとき、年収は7500万円ほどになっていました。そのお金を軍資金にして作った会社がグローバルウェイです。 ■「キャリコネ」で日本を生きやすい国に変える 元々BtoBの経験を積んできたので、その経験をもとに自分たちでソフトウェアを作り、お客さんに導入するシステム開発系の仕事を始めました。最初に始めたのが、ビジネス版のミクシィです。このサービスを作った理由は、私が常々日本は欧米などに比べると、単一民族性が強く生きづらいと感じていたからです。例えば、人を褒めるのではなく、揚げ足を取る文化が強い。そうした単一民族性を打破して、日本中の人々が自由に好きなことが出来るような気づきを与えるために作ったのが、今の「キャリコネ」です。 ■10億人に愛されるサービスを創る 今のキャリコネは8000万人が使用するサイトになりました。そして事業を多角化しているので大手企業・中小企業・個人から仕事をもらうことができ、会社のポートフォリオが悪くなりづらい状況にしています。そのため、今後はインドやインドネシアなど、アジア圏での横展開や関連する事業を創造したいです。また、いずれは10億人に愛されるサービスを創りたいです。重要なのは愛されることで、ただユーザーが10億いればいいというものではありません。それだけの人に「使ってよかった」と思ってもらえる事業にしたいです。これが実現できた瞬間が仕事を辞める時だと思っていますね。他にも若手で才能がある人・努力する人を採用・育成していくことにも取り組みたいです。 ■やりがいは“自己満足” 2016年の株式上場はサービスが認められた感じがして嬉しかったです。ただ、ここまで続けてこられたのは勝手な自己満足だと思っています。「俺がやらないと世の中変わらないんじゃないか」という勝手な責任感ですね。警察官が事件の現場で「俺がやらないで誰がやるんだ」という感覚と似ているように思います。この自己暗示的なもののおかげでここまで続けてこられました。 ■グローバルウェイの魅力 私は合理的ではないことが嫌いなのでコロナ禍になる前から在宅勤務の体制づくりに取り組んでいました。現在は管理部門以外の96%ほどが在宅勤務で仕事をしています。他にも子供が小学校5年生になる時まで時短勤務が出来ます。また、妊娠中から医師などの指導を受けた旨の申し出をしている女性は時短勤務として働けたりします。また、7時から22時のフレキシブルタイムの間であればコアタイムが無く働けるフルフレックス制にするなど、働きやすい環境づくりを心掛けています。ただ、責任を果たして成立する事なので、社員のパフォーマンスが悪くならないように管理して運営しなきゃとは思っています。働いている人は誠実で素直な人、仕事に妥協しない熱量の高い人が多いですし、そういう方々を求めています。そのため、「適当にやっておけばいいんだよ!」という人はダメですね。 ■大学生は自分への財産を作るべき 趣味でも勉強でも何でもいいので自分が誇れるものを1つでも作ること。そして、自分の財産になる友達を作ることに挑戦してほしいです。社会人になると「仕事の役に立つか?」など打算的になっていきます。自分と似た状況にある人と一緒にいることは居心地が良いですが、お金じゃない付き合いの友達、例えばぶつかりながらも野球を一緒に頑張った仲間たちはかけがえのない存在になるのでぜひ大切にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2022年9月21日取材 中央学院大学4年 田根颯人

学生新聞インターン

auじぶん銀行株式会社 代表取締役社長 石月貴史

自分の幸せとは何かを早くに明確化し、その実現に向けて努力を auじぶん銀行株式会社 代表取締役社長 石月貴史(いしづき たかし) ■プロフィール1990年KDDI(旧第二電電株式会社)入社、新規事業統括本部新規ビジネス推進本部事業開発部長、auフィナンシャルサービス代表取締役社長、auカブコム証券代表取締役社長などを経て2022年8月auじぶん銀行代表取締役社長に就任。 2008年にKDDIと三菱UFJ銀行の共同出資により設立されたネット専業銀行である「auじぶん銀行」。主にスマホ向けのフルバンキングサービスを提供し、前例にないサービスを先駆けて提供している。「大切なのは主体性を持って自ら行動することだ」と語る石月貴史社長から大学生へのメッセージとともに、創業についてのお話を伺った。 ■とことんチャレンジする、無鉄砲だった大学生時代 学生時代は今しかできないことを、無鉄砲に、なんでもやろうという思いをもって、自由に過ごしていました。アルバイトは家庭教師や引っ越し屋さん、バーテンダーなど様々なことをやりましたね。お金貯まったらどこかへ行くというスタイルで、当時トム・クルーズ主演の映画『トップガン』が流行っていた影響から、「実際にミラマー海軍基地に行きたい」という思いに駆り立てられてサンディエゴに2ヶ月間滞在したりもしました。現地で仲良くなった人とレンタカー借りてラスベガス行ったりして、かなりエンジョイしていましたね(笑)。一方、就業に際しては、人々を豊かにするサービスや事業を行う会社に入りたいというかねてからの思いもあり、相当真剣に考え、第二電電株式会社(現KDDI株式会社)に入社しました。人々の生活に欠かせないコミュニケーションの土台となる通信ですが、当時はまだ料金がかなり高く問題意識がありました。日本の通話料を安くする会社に入ることで、人々を豊かにできるのではないかというシンプルに思いました。 ■コーポレート部門からau PAYカード事業の立ち上げを経て、auじぶん銀行の代表へ 入社時は広報部に入り、その後、財務部に異動して、いわゆるコーポレート部門で長い間、働いていました。2000年を越え、すでに携帯電話は1人一台持つ時代が到来し、事業部門ではないものの、自分なりに会社の次の成長機会がどこかを考えていた頃、三菱UFJ銀行(当時はUFJ銀行)の担当の方と「KDDIと一緒にインターネットバンクをつくる」という話題で盛り上がり、事業を検討する場をアレンジしました。これが、auじぶん銀行(当時はじぶん銀行)設立のきっかけであり、私が金融に関わるきっかけとなりました。アレンジを契機にauじぶん銀行に出向、創業より6年間働いた後、KDDIに帰任、通信事業に重畳する金融事業の検討がミッションでした。その中で生まれたのがau PAY構想です。構想の実現にはクレジットカード会社が必要であり、auフィナンシャルサービスを設立することとなりました。おおげさでなく、A4用紙1枚からビジネスを考えました。そして、銀行創業の経験から、その会社に対して一番思い入れのある人間が経営すべきと考え、自分が一番であると確信し、社長に自ら手を上げました。今思えば、無鉄砲極まりなく、よくぞ許してもらえたとも思います。auフィナンシャルサービスは創業より6年弱経営し、軌道に乗ったところで後進へバトンタッチしました。その後、auカブコム証券の社長を経て、現在に至ります。新卒の時は、よもや金融関係の会社の社長になるとは考えてもいなかったので、本当に巡り合わせですね。 ■auじぶん銀行の創業について 低廉な手数料だけでなく、手のひらで持ち歩く銀行をコンセプトにしたネットバンクは、間違いなくauじぶん銀行が日本初です。しかも、iPhoneやスマホが普及する前のガラケー時代から、先駆けて考えていたことは今思い返しても先見の明があったと感じます。広告拠点としてauショップを活用した点も、口座獲得において他のネットバンクと比べ、圧倒的に有利だったと思います。 ■auじぶん銀行の魅力 「手のひらの中の銀行」といった前例がないものを先駆けて提供してきたところが、auじぶん銀行の一番の魅力だと思います。また、KDDI、MUFGという強力なバックボーンを持ち、auフィナンシャルグループとして傘下に多様な金融機能を提供するグループ会社があることも魅力です。そのため、ユーザーはその他のサービスとセットで利用することで、様々なメリットを享受できることができます。 ■社長の仕事は方向を定め、環境を整えること 会社には成長のステージがあります。創業期は、社長の構想している、やりたいことを追求し、社員に具現化してもらう、そして事業がスケールしたなら、次のステージは、社長だけでなく、社員のアイデア、みんなの力を集積し、新しい成長軌道を摸索する時期になります。auじぶん銀行は、今、その段階にあたるのかなと思っています。その段階においては、会社が進む方向を定めること、社員が気持ちよくアウトプットできるようその環境を整えること、これが社長の今一番大切な役割だと思っています。 ■一緒に働きたいのは、会社のパーパスに共鳴し、行動できる人 どんなに能力が高くて、自分1人でやれる仕事は限られます。なので、一人で全てをやることが素晴らしいとは思いません。ビジネスにおいても、色々な得意技を持つ各々会社を上手く組み合わせて一つの素晴らしいサービスに昇華させる時代となっています。このような時代だからこそ、一緒に働きたいのは、会社のパーパスに共鳴し、行動できる方です。言い換えると、同じ志のもと、自分の能力をパーパスにシンクロさせられる人、主体性を持って行動できる人と働きたいと思います。 ■大学生へメッセージ 自分の幸せとは何かを早くに明確化してそれに向けて、真っ直ぐ努力をしてください。私が考えた「幸せ」は人々の生活を豊かにすることだったのですが、主体性をもってそれを実現することを自分の仕事とすることができたのは、このうえない幸せです。今、このポジションにあるのもぶれずに自分の「幸せ」を追求したからだと思っています。みなさんも、是非、自分が「幸せだ」と感じられるものを見つけ、実現に向けて歩んで頂けたらと思います。 学生新聞オンライン2022年10月19日取材 川村学園女子大学 4年 岡﨑美諭

学生新聞インターン

わたげ “ぼっち”はマイナスではない。ぼっちを明るいものに。

クリエイター わたげ ■プロフィール10代女子が選ぶ好きなTikToker1位を獲得した経緯を持つぼっち系女子大生クリエイター。TikTokのフォロワーは100万人を突破し、中でも「バレずにTikTok撮ってみた選手権」が大バズりした。YouTubeでも友達がいないことから、自ら一人で外食をしたり、一人で外に出かける”ぼっち活”を発信し、たくさんの共感を得て話題となっている。 高校時代、“ぼっち“になってしまったことを機に、縋ろうと思ってSNSへの投稿を始めた。しかし、今では逆に多くの”ぼっち”に勇気や楽しさなど、影響を与えている存在になっている。そんな「ぼっちプロフェッショナル」に活動のきっかけや今後の展望について伺った。 ■活動のきっかけはSNSの人に縋るため 私は方向性の違いから通信制の高校に転校しています。そして通信制の高校では毎日同じクラスに通うという概念が無いこと、コロナ禍でずっと家の中で誰とも会話が出来ない状況であることから、SNSに縋るしかないという思いからSNSへの投稿を始めました。今でも美容院やネイルサロンなどで話すのは苦手なくらい、人と話すことが苦手ですが、文字だけでのやり取りができ、画面越しで先入観が無い状態でコミュニケーションが取れるので、「陰キャ」な私でも活動が出来ています。ただ、活動当初は“ぼっち“であることを隠した状態で可愛く踊ってみましたが、なかなか伸びませんでした(笑)。そこで自分のコンプレックスを強みにすることで個性になるかなと思い、”ぼっち”であることを公表した結果、今では多くの方にフォローしていただいています。始める前は「地元の友達にどう思われるのか」などを気にしていましたが、バカにされること以上の良い結果を一歩踏み出したことで得られました。また、“ぼっち”の私が大学に進学した理由は、姉が大学に通っていることやサークルなどで孤独になることを避けられるのではないかと思ったことからです。サークルなどに入ることは無理でしたが、グループワークなどでコミュニケーションの場を作ることが出来たので進学して良かったと思っています。もし大学に進学をしていなかったら、私生活では誰とも会話をせずに生活していたかもしれないので(笑)。動画を見てくださる方から、本当は“ぼっち“ではなく「ビジネスぼっち」なのではないかと言われることも多いです。ですが、大学などの日常では“ぼっち”の看板を掲げながら歩いているわけではないので、ネット上に応援してくださる方がいるからこそ、動画やお仕事では話せているのだと思っています。ファンの方、コメントをくださる方には本当に感謝です。 ■“ぼっち“を明るいものにしたい 動画投稿をしてから、ぼっちで悩んでいる方、人間関係で悩んでいる方などから、共感していただいたり、「一人でご飯に行ってみました!」などの原動力になっていたりすると気づけました。過去に1人でユニバーサルスタジオジャパンや東京ディズニーランドに行った動画を投稿したのですが、「マジで行くのか、おもろ!」というコメントや「わたげさんが行けるなら一人でも大丈夫そうだね」といったコメントなど、楽しんで頂けたり、少し勇気を与えられていたりするのだと感じました。動画投稿をする中で私自身も新たな発見があったのですが、それは意外と他人のことを気にしていない人が多いと言うことです。さすがに一人ディズニーは目立つかなと思っていましたが、各々が楽しんでいることから、そこまで見られることはありませんでした。また、転校や不登校に関しても、不登校の方から「動画を見て親に相談しました」という声をいただくこともあるので、誰かの人生に踏み出す勇気を与えるなど、人の人生に影響を与えることが出来ているのは我ながら凄いことだなと思っています。ただ、私もありのままの姿を動画で出していることから学校をサボったときには、お母さんのようなコメントをいただくので、日常に喝を入れてもらっています。ファンのコメントを見て動画が成り立っているので、皆さんのコメントは本当に私の原動力です。今後の活動では次の2つのことにも挑戦していきたいと思っています。1つ目はファンとの交流です。たまに「AIがコメントを打っていたらどうしよう」と不安になることもあるので、何か“ぼっち“の方でも楽しめるイベントを考えて交流が出来たら嬉しいなと思っています。そして2つ目は”ぼっち“をかっこいいものにすることです。最近はソロ活という言葉が流行り、ソロ活はかっこいいイメージを感じる人も多いのではないでしょうか。しかし、”ぼっち”という言葉はどこかマイナスのイメージを持っている人が多いと思います。そこで”ぼっち”を楽しいものであると多くの人に知ってもらい、言葉のイメージを楽しい方向へ持っていくことで、ぼっち活を流行らせたいです。私は「ぼっちプロフェッショナル」と言っているのですが、”ぼっち”のカリスマになって、”ぼっち”の概念を覆した明るいものに変えていこうと思っています。例えば、お店に私のポスターなどが貼ってあると“ぼっち”の人でも入りやすいお店だということを視覚化できる、そんなシンボル的存在になりたいです。ただ、夢としてはスマートフォンなどを捨てた状態で、スイスの山奥などで人と関わりを持たずに暮らしたいと思っていますが(笑)。 ■大学生(同世代)へのメッセージ 人間関係で悩みがある人も多いと思いますが、人との関わりが無くても楽しく生きている人がいることを知ってほしいと思います。最悪の場合、「一人でも大丈夫だよ」と知ってほしいです。そしてコンプレックスは捉え方によっては個性になると思うので、コンプレックスがあったとしても、見方を変えて明るく生きていれば、人生は楽しくなると思います。 学生新聞オンライン2022年12月3日取材 中央学院大学4年 田根颯人

学生新聞インターン

みとゆな 友達だけど、友達じゃない。そんな“みともだち“に。

モデル / タレント みとゆな ■プロフィールAbemaTVが配信している、現役高校生による大人気恋愛リアリティ番組、「今日、好きになりました。」に秋桜編、花梨編、蜜柑編と3シーズンに渡り出演して話題となった、現役高校生モデル/タレント。イメージカラーを緑とし、彼女のファンマークが「🟢」であることから『みとゆなポーズ』と題して手で丸を作って写真を撮る全国の高校生が殺到している。等身大JKとしてティーン世代から多くの共感を集め、今大注目の存在! <インフォメーション>【2023年の流行予想ランキング】タレント編1位、TikToker編3位にランクインさせていただきました!https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000080.000020107.html 元々芸能界に興味があり、ABEMAの『今日、好きになりました。』で大ブレイクしたみとゆなさん。今後はSNSの発信はもちろん、演技へのさらなる挑戦やSDGsなどの取っ付きにくい言葉を多くの世代に届けたいという。今回はファンとの“つながり“や今後の展望について伺った。 幼少期の頃、私の父が「ゆなは将来モデルになるんだよ」と言っていたこと、雑誌を読むことが好きだったことから芸能界という世界に憧れがありました。そこでオーディションを受けようと思ったのですが、身長が足りず諦めていたところ、中学1年生の春に竹下通りで今の事務所にスカウトしていただきました。中学生の時からレッスンなどに参加させてもらっていましたが、高校時代に出させてもらった『今日、好きになりました。』から本格的な芸能界デビューが始まります。出演前は800フォロワーくらいでしたが、出演後は25万フォロワーになりました(笑)。フォロワーが増えてもフォロワーの方とのやり取りを増やすなど、ファンの存在を今後も大切にしていきたいと思っています。 ■ファンとのつながりが何よりも大切 私専用のアカウントを作ってくださっている方や私が1ページしか出ていない雑誌を複数冊買ってくださるファンがいることに、我ながら驚き、ファンの方には非常に感謝していますし、大切な存在です。私はファンの方々のことを「みともだち」と呼んでいるのですが、新しい形の友達関係を目指しています。遊びの約束やDMの返信などは出来ないけれど、「友達と喧嘩した話」や「彼氏に振られてしまった話」など、少したわいもない会話をしてくれるような感じです。 発信活動についてお話しすると、TikTokでは演技系が好評なので、演技系により力を入れていきたいと思っています。ただ、最近はK-POPのダンス系が流行っているのですが、踊るのが難しく、踊りを覚えたときには次の音源が流行っているので、なかなか大変です(笑)。そしてInstagramでは人物が左右バラバラにいると見にくいと思っているので、上下左右に余白を空けるなど、画角を意識した投稿を心掛けています。また、YouTubeでは最近の出来事など、日常の動画を投稿しています。例えば、「Air Podsを無くした!」などの友達に言うような内容も配信していることが特徴です。 ■今後は演技や難しい用語を噛み砕いて広めていきたい 演技の経験はまだまだ少ないので、これからはもっと演技の経験を積ませていただきたいです。経験が少ないこともあると思いますが、モデルのお仕事に比べて、演技などの映像のお仕事は非常に大変だと思っています。例えば、私は神奈川県出身でイントネーションが違っていることは無いと思うのですが、イントネーションの注意を受けてしまうことが度々あったので、アドバイス通りの決まった演技になりすぎないようにする必要がある点は難しいです。私だけかもしれませんけど(笑)。 最近では演技の技術向上を目指し、ドラマを見ることも増えてきました。ただ、仕事でドラマを見ると楽しくなくなってきてしまうので、私の好きなものを見るようにしています。以前SNSドラマをやらせていただいた経験から、1,2秒の映像にも凄くこだわっているのだなと感じるようになりました。私がやらせていただいたものはそこまで長いドラマではありませんでしたが、それでも非常に大変だったので、長尺のドラマには「どのくらいの時間をかけているのだろう」、「この1秒にもどんなこだわりがあるのかな」などと別の視点でも見ています。ドラマの他に意識していることは演技系のTikTokの投稿です。これも捉え方を変えれば演技力向上の練習になっていると信じています(笑)。今後は実現が難しいかもしれませんが、同世代に多く見ていただける恋愛ものへの出演や出演したことが無い、東京ガールズコレクションに出演してみたいです。また、SDGsなどの名前は聞くけど調べてみると少し難しい用語を多くの人に届けることに興味があります。「SDGsってなんだろう?」と興味を持って調べてみても、難しい用語が並べてあって、結局何を言っているのかわからないということが多いと思うんです。そして私が理解できないことは私より下の世代の方にも理解できないことが多いと思っています。私が母親に「これってどういう意味?」と聞いたときにわかりやすく教えてくれたように、そういった取っ付きにくい言葉を私が代わりに理解して私の言葉で多くの人に伝えたいです。 ■大学生(同世代)へのメッセージ まずは何でも経験してみて欲しいと思っています。私はありがたいことに1つ習い事をずっとやるのではなく、たくさんの経験を積ませていただきました。その経験の中で自分のやりたいことが段々と見えてきたので、まずは何でも経験することをおすすめしたいです。 学生新聞オンライン2022年12月3日取材 中央学院大学4年 田根颯人