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Archive for 運営スタッフ

イベント・企業紹介

「藤森慎吾と学ぶサステナブルな備品管理とは?」トークショー

備品管理クラウドのCMに出演中の人気お笑いタレントオリエンタルラジオ 藤森慎吾さん登壇! アストロラボ株式会社(代表取締役CEO 日下ヤスユキ)は、「企業における備品管理のリーディング カンパニー」として、ユーザーのみなさまに“物を大切に使うこと”から生み出される価値体験の提供と、サステナブルな世界の実現を目指しています。アストロラボが提供するクラウドサービス 「備品管理クラウド」は、Amazonが提供する法人個人事業主向けEコマース 「Amazonビジネス」とサービス連携することを発表しました。2月27日(月)新サービスのリリース記者発表が、MONSTER(STUDIO乃木坂 所在地:東京都港区南⻘山1丁目261寿光ビル5F)にて行われました。 当イベントでは、代表取締役CEO 日下ヤスユキ氏と備品管理システムのCMに出演中の人気お笑いタレントのオリエンタルラジオ 藤森慎吾さんによるスペシャルトークショーが行われ、備品管理の大切さやサステナブルな社会の実現について伺いました。 スペシャルトークショーより 備品が多いとどのような問題が起こるでしょうか?藤森:管理や紛失の問題ですかね。 紛失の問題は解決できますか?日下:解決できます。割り当ての際に名前を管理して公にすることで持ち主が大事にする意識を持てますし、悪意ない仮パクを防ぐことができます。 備蓄品は消費期限があるものもありますよね。日下:災害備蓄品は気づかずに消費期限になってしまうことがあります。そこで期限切れアラートを設定すると、無駄を生み出さず交換することができるんです。 どのくらいコスト削減になるのでしょうか?藤森:想像がつかないですが、すごい額になりそうですね。日下:総務としての人件費などで言うと、通常は社員につき20%ほどの無駄が生じています。探すという行為にも時間と人員が必要なことを考えるとかなりコストを削減できますね。藤森:僕も探し物をマネージャーにさせて、時間を無駄にしてしまっているかも。ものを適正に扱うことがサステナブルに繋がっていくのですね。 最後に一言お願い致します。日下:サステナブルと謳われている現代ですが、気づいていても中々できないことが多いですよね。備品管理は会社の中で一番地味な業務ですが、我々が世の中に備品管理をアピールしていくことでサステナブルが浸透し、楽になる企業様が増えれば良いなと思っています。藤森:備品管理は今まで慣れ親しんだことの無い言葉でしたが、無駄を省いて効率を上げることはとても重要です。たくさんの方に知っていただきたいですね。相方にも是非勧めたいサービスですね。 執筆者:佛教大学3年 三浦藍生

和田真帆

株式会社カスミ 代表取締役社長 山本慎一郎

時代の変化と共にサービスの付加価値も変化する 株式会社カスミ 代表取締役社長 山本慎一郎(やまもとしんいちろう) ■プロフィール1959年7月24日生まれ。石川県出身。2013年3月カスミ入社、14年5月常務取締役上席執行役員ロジスティック本部マネジャー、17年3月専務取締役上席執行役員、20年3月代表取締役社長に就任(現任)。22年3月ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス代表取締役副社長就任(現任)。 関東地方でスーパーマーケットを展開し、スマートフォン決済アプリや無人レジなど常に新しいことにチャレンジし続ける株式会社カスミ。時代の流れに合わせてスーパーマーケットの在り方は今後どう変わっていくのか。山本社長にお話しを伺った。 私は大学では法律を学んでいましたが、自分がやりたいことと学んでいる学問にギャップが大きく、そこまで勉学に熱中できなかったのが正直なところです。その代わりに学生時代に熱中していたのが、リズム&ブルースやロックのバンドです。音楽の世界は正解があるわけではないので、意見の食い違いや葛藤もありましたが、今となってはいい思い出です。 ■日本の流通業界のこれからの「可能性」と「自由さ」に開眼 私が大学を卒業する時代は「流通業界=忙しい」というイメージが強く、就職する人は多くありませんでした。実は、このスーパーマーケットという流通産業は元々アメリカで生まれたビジネスです。そのため、アメリカの方が日本に比べて40年ほど長い歴史を持っており、海外ではスーパーマーケット業界は働きたいランキングに入るほどステータスが高い業界です。そうした状況を踏まえ、日本でも、スーパーマーケットの生産性を高めれば、より良い産業にできるのではないかと感じ、その可能性に惹かれてこの業界に入ることを決めました。日本はサービスへの対価があまり認められていないのが現状ですが、時代と共にクラウドサービスや音楽、映像など少しずつ無形のサービスにお金を使う意識が出始めていると感じています。同じようにこの業界でもサービスの付加価値を形にすることが、今後の課題だと思っています。 ■時代とお客さまの層に合わせた付加価値を高める 当社の差別化ポイントは、新しいことをどんどん取り込んで自分達のビジネスを変え続けていく点にあります。例えば、お会計の際にレジに並ぶことなくご自身のスマートフォンで商品登録および決済を行うことができるアプリを利用した決済サービス『Scan&Go ignica』を導入しています。これは従来のリアル店舗の課題だった「お客さまの事前情報のなさ」を解決するため、アプリを使用して不足情報を補い、お客さまの満足のいくお買い物をサポートします。『Scan&Go ignica』は開始してから4年ほど経ちますが、毎月サービスをブラッシュアップし続けています。その他にも取り組んでいることは多々あります。その一つが、ネットで買い物ができない方や一人暮らしで困っている方などに向けて、軽車両に商品を積んで週に何回かその近所を巡回する「移動販売」サービスです。各自治体と連携して現在55台でそのサービスを行っています。高齢者の見守りサービスも兼ねているため、最近販売場所で見かけない方がいれば、家に見に行くなど工夫もしています。最終的には100~200台へと増やしていきたいですね。あと、他社に先駆けて拡大したのが、無人レジの導入です。それは単なる人員削減を目指したものではありません。レジに人を配置するのではなく、例えばワインの試飲(有料)など、お客さまへのサービスに人を配置し、お客さまに良い体験の場を提供することが狙いです。レジではお客さまを待っているのではなく、お客さまの傍らにアテンダントが寄り添って、操作に困ったお客さまをサポートします。このように、新たなサービスを取り入れる中で、お客さまのニーズや立場を考えて付加価値の高いサービスを追加しています。また、最近はBLΛNDEという新しいスーパーマーケットもできました。BLΛNDEは他のスーパーマーケットと異なり、専門性を大事にています。ゴールド会員専用のラウンジをはじめ、そのお店ならではの工夫も導入しています。 ■ポジティブさが新しいものを生み出す 一緒に働く人は、新しいことにチャレンジするポジティブな人がいいですね。過去に捉われずに、新たなチャレンジに熱意を持てることが大切です。また熱意だけでなく、それを行動に結びつけるためには学ぶことが重要です。最近はブランディングも大事にしているので、専門性の高い人も随時募集中です。現在でも物流からデジタルと様々な分野の人達が関わっています。 ■大学生へのメッセージ 学生時代のみならず、社会に出てからも学び続けることは必要です。生きる上で学び続けないと社会から置いていかれてしまいます。社会に出てからの学びは、学生時代と違って、学んだことがすぐ試せる場があります。勉強に終わりはないので、ぜひ何歳になっても学び続けてほしいです。 学生新聞オンライン2023年2月27日取材 日本大学3年 和田真帆

学生新聞インターン

株式会社アイスタイル 代表取締役社長 COO 遠藤宗 

生活者の声に寄り添いたい。そんな想いから生まれたアットコスメ 株式会社アイスタイル 代表取締役社長 COO 遠藤宗 (えんどう はじめ) ■プロフィール (株)船井総合研究所、(株)たしろ薬品などを経て、2007年(株)コスメネクスト設立及び@cosme STORE開業とともに取締役に就任しアイスタイルグループに参画。 その後、店舗・ECの運営を行う(株)アイスタイルリテール代表取締役社長(現任)などを歴任し、アイスタイルグループの国内外のリテール事業全般を統括。2022年9月より(株)アイスタイルの代表取締役社長 COO就任。 コスメ・美容の総合サイト「アットコスメ(@cosme)」などを運営するアイスタイルの代表取締役社長 COOである遠藤宗氏。そんな遠藤氏のこれまでのキャリアや、アイスタイルに対する思いを伺った。 ■最初は営業と決めていた学生時代 学生の頃は普通の学生だったと思います。何か特殊なことをしていたわけでもなく、サッカーのサークルに所属しながら家庭教師のアルバイトをしていました。私は1996年卒なのですが、当時の就活は今のように早いタイミングから始めるものではありませんでした。インターンシップも今のようにメジャーではなく、一部の外資系企業でしか行われていませんでした。当時のインターンシップは1日1万円くらい給料がもらえたので、アルバイト感覚で試験や面接は受けましたね。ただ、全般的に就職活動はさほど熱心にはやっていなかったと思います。入社前から、最初に働く会社では営業をやりたいと思っていました。「モノやサービスを売る」ことがやりたかったんです。この先何をするにしても、ビジネスである以上、誰かに何かのサービスやモノを提供することが必要です。ならば「売る」という経験をした方がいいはずだと考えたからです。基本的には営業ができればどこでもいいなと思って、新卒で車の営業を始めました。当時、車の営業はどん底だったので、顧客基盤もなく、自分で新規開拓する必要がありました。ただ、「昼間に飛び込みで車を売れ」と言われても、なかなか売れません。だから平日の昼間はほどほどにして、土日に集中して車に興味のある人に売ろうと決めました。新卒で車の営業を経験した後、次は経営コンサルトに転身して、5年ほど働きました。この時、「自分はやっぱり実業をやりたい」と思い、知り合いが経営していたIT会社に転職をして、経営企画を2年ほど担当しました。その後、大学のゼミの先輩がやっている化粧品専門店に転職し、化粧品のリテーラーとして働きました。その会社にいる間に、「化粧品のリテーラーがブランド化するのは結構難しい」ということに気が付きました。単独でやるのではなく、どこかと一緒にやったらどうかと考え、アイスタイルと関係を持つようになり、アットコスメストアが生まれました。 ■「生活者中心の市場の創造」のために真摯に向き合うアイスタイル 私が現在代表を務めているアイスタイルは、「生活者中心の市場の創造」というビジョンを掲げています。私はこの言葉が大好きです。「生活者を大事にしよう」とか「お客様を第一に」という会社は数多いですが、本当に生活者を中心に、生活者の声で成り立っている会社はあまり多くありません。一方、アイスタイルは、口コミという生活者の声に真摯に向き合っている会社ですし、生活者の気持ちに寄り添っているのが最大の魅力だと思います。もちろん、口コミの中にはステルスマーケティングのようなものが入り込んでしまうこともあります。そうした不正な口コミが入らないように、私たちは24時間365日システムと人の目で、チェックしています。 ■口コミは店でいうテスターの代わりの存在 化粧品は実際に使ってみないと、肌に合うかわかりませんし、色味を見たい人も多いでしょう。それゆえ、化粧品はネットでは売れないというのが業界の通説でした。そのため、化粧品のECが本格的に始まったのは、意外と遅いのです。今でも化粧品のマーケットが2兆5000億以上ある中で、EC化率は直近で7〜8%ほどにしか達していません。コロナの影響もあってネットでものを買うということが増えたため、一気にEC化が進んだ部分もありますが、日本は圧倒的にリアルなマーケットの方が大きいです。ネットの口コミは店でいうテスターの代わりだと思っています。人が使った感想を、自分が使った感想に置き換えられれば、ある程度、使用した時の想像がつく。その口コミが信ぴょう性のあるものであれば、より購入の後押しとして機能するのではないかと思います。       ■大学生へのメッセージ 以前働いていた船井総合研究所の創業者が、伸びる人の3大条件として、素直、プラス発想、勉強好き、の3つを挙げていて、私自身もその通りだなと思っています。中でも特に「素直」という要素が大事だと思います。凝り固まった思いではなく、いろんな人の話を聞いて吸収することを学生のうちに経験してほしいです。誰しも「早く成功したい」と思いがちですが、いつどうなるのかなんて良くも悪くもわかりません。若いからこそいろんな人がいろんなことを教えてくれるので、それを素直に吸収することが大事なのです。きっとその後に、成功はついてくるんだと思います。私自身も、もともとは大きいビジョンを持っていたわけではありません。ただ目の前にあるやらなければならないことや、自分がやった方がいいものに対して結果を出し、期待してくれている人に喜んでもらおうと頑張ってきただけです。ただ、結果を出すために、多くの人から様々な話を聞き、吸収してきました。若いうちにその訓練ができてよかったと思っています。ときには挫折することもあると思います。でも、大切なのは失敗しないことではなく、次に失敗しないように頑張ろうと思えることです。その想いを忘れず、ぜひいろんなことにチャレンジしてください。 学生新聞オンライン2022年11月10日取材 法政大学2年 佐伯桜優

大塚美咲

株式会社CaSy 代表取締役社長 加茂雄一 

ビジネスとは、他者を愛し、力になりたいという想いから生まれる。 株式会社CaSy 代表取締役社長 加茂雄一 (かもゆういち) ■プロフィール早稲田大学商学部在籍中に公認会計士を取得。卒業後、監査法人でキャリアをスタートさせた後、グロービス経営大学院を経て、2014年に家事代行サービスを行う株式会社CaSyを設立。2022年、マザーズ市場(現グロース市場)に上場。 「妊娠中の妻を助けたい」。そんな想いから生まれた、家事代行プラットフォームを運営する株式会社CaSy。IT技術の活用で価格と手間を抑えたサービスを強みとし、2022年に上場を果たした。他社にないITノウハウや社員を愛する想い、家事代行という選択肢を当たり前にするための施策とは。人間愛溢れる加茂雄一社長を取材しました。 華の大学生活から一転、勉強とアルバイトのハードな日々 大学1、2年の頃はフットサルサークルで活動をしたり飲み会をしたりと、とにかく大学生活を楽しんでいました。ただ、商学部だったこともあり、会計士の勉強に熱を注いでいる人が周りに多く、難易度の高い試験だったため自分もチャレンジしたいなと思ったことがきっかけです。また大学の卒業と共に親が定年退職だったため、それなりに収入の高い職に就きたいという想いもありました。そこで、3年の後半頃から専門学校で会計士の勉強を始めました。ただ、深夜のコンビニアルバイトもしていたので、毎日1、2時間しか寝ないような生活を送っていました。この時が一番勉強していましたね。毎日15時間くらい勉強する日々の末、4年の時に会計士の試験に合格することができました。 「一番身近な人を笑顔にしたい」出会ったのは、家事代行サービス 卒業後は、監査法人に就職。会計士の求人は時期によって波があるのですが、僕が就職活動をしていた時はどこもウェルカムな状態でした。また、会計士として自分自身に色を付けるため、グロービス経営大学院にも通い始めました。当時僕は自分の収入を増やすために会計士になりましたが、同世代のベンチャー社長と多く関わるようになり、自分視点ではなく利他の精神で志を持つ人たちから刺激を受けました。グロービスに行こうと決めたのは、この精神を学びたかった部分もありますね。そんな中、誰か身近な人を笑顔にできるサービスを作りたいと思いました。その時に一番身近にいたのが、妊娠中の妻だったんです。当時僕は妻に代わって家事をやっていたのですが、あまり家事が得意ではなかったので、反対に妻にストレスを与えてしまう。そこで家事代行サービスを利用した際、僕も妻もお互いに余裕が生まれて家族に笑顔が戻ってきたように感じました。それと同時に「このサービスにはまだまだ改善点や将来性がある」と感じ、事業開発を決めました。 ネックに感じたのは、価格と手間。ITの活用で忙しい人達も使いやすいサービスへ! 従来の家事代行サービスの課題として気になったのが、価格と手間です。当時の価格相場は1時間4千円から5千円で、継続的に利用するにはかなり高額でした。また手間についても、コールセンターに電話をして日程調整をして営業の方と話し、スタッフとつないでもらう工程があったので、電話してから利用に至るまでは2週間ほどかかったんです。忙しい人が使うサービスにしては時間がかかりすぎると感じました。そこで、当時発展し始めていたメルカリやウーバーなどのシェアリングエコノミーの概念を家事代行サービスに応用できないかと考えたのです。インターネット上でお客様が登録をし、その情報を元にスタッフが応募するというシステムにすることで営業の人件費を削減でき、インターネット上でのマッチングで最短3時間後にスタッフを手配できるようになりました。 高いサービスの質と信頼性、低価格を実現したCaSy サービスの質を高めるためにキャスト(CaSyの家事代行スタッフ) のエンゲージメント 向上にはかなり注力しています。家事代行業務は基本的に直行直帰なのですが、そこに会社が加わっていくため、キャストの書く日報に本部の社員がスタンプを押す仕組みや、お客様からのサービス評価によってキャストのランクが上がって時給 報酬アップやエプロンの色が変わるなど、キャストが成長や貢献を実感できる工夫を凝らしました。また、家事代行サービスは信頼性が要です。会社を上場させたのは、会社の信頼を高めるためでもあります。キャストのサービス品質も信頼を高める上では重要であるため、毎月「CaSyサロン」という定期的な勉強会を開催しキャストに自己研鑽の機会を提供したり、お客様から低評価を頂戴してしまったキャストには本部でのスキルアップのための研修を受講いただく制度も取り入れています。会社が間に入ることでのサービスの質の向上、そしてITを活用したマッチングによって営業の手間と価格を抑えることで他社との差別化を図っているのです。 失敗経験から学んだのは、社員を愛することの大切さ 会社を経営する中で、社員の3分の1くらいが辞めてしまうという経験もありました。ちょうど上場を目指していた頃で、それまでの自由な社風から会社の行動指針をはっきりとさせようとするムードに移行している時期でした。また、僕自身が社員よりも株主に目を向けすぎてしまったということも要因だったと思います。その経験を経て、「社員がキャストやお客様に全力で目を向けられるよう、僕は社員を一番に大切にしよう」と決めました。 目指すのは、「人に頼む」という選択肢が当たり前の世の中 まだまだ家事代行を日常的に利用している人は日本では2~3%程です。家事代行という選択肢が当たり前になるような世の中を創っていきたいです。そのために、「MoNiCa(モニカ)」という家事代行向けのシステムを作っています。これはIT投資がまだできていない家事代行の中小企業に向けて、僕らの強みであるITを開放して業界全体をDX化させ、サービスを利用しやすい世の中を創ろうと試みです。今後、幅広い企業での導入を見込んでいます。 メッセージ 大切なのは、愛することです。僕は会社を経営する中で、人を巻き込むことの大切さを身をもって実感しました。巻き込む相手を愛することが一番大切です。力になりたい。笑顔にしたい。そんな風に目の前の大切な人のために自分がどう役に立てるか「利他」の気持ちで行動すること。そうすれば、社会に出てから多くの人を巻き込み、大きな笑顔を生み出す事を成せる人間になると思います。 学生新聞オンライン2023年2月16日取材 東海大学4年 大塚美咲

和田真帆

MIRARTHホールディングス株式会社 代表取締役/株式会社タカラレーベン ...

「自分の為」が「会社の為」となり、「会社の成長」となる MIRARTHホールディングス株式会社 代表取締役 兼 グループ CEO 兼 グループ COO 兼 社長執行役員/ 株式会社タカラレーベン 代表取締役 兼 CEO 兼 社長執行役員 島田 和一(しまだ かずいち) ■プロフィール1987年 当社入社。 1998年 取締役開発部長、2000年 常務取締役開発本部長 本社開発部長 兼 建築部長、06年 代表取締役副社長 兼 開発本部長、12年 代表取締役副社長 兼 COO 兼 CFO 兼 総合企画本部長を歴任、14年より代表取締役社長 および CEOに就任。2022年10月よりMIRARTHホールディングス 代表取締役 兼 グループ CEO 兼 グループ COO 兼 社長執行役員 および タカラレーベン 代表取締役 兼 CEO 兼 社長執行役員を兼任。 新築分譲マンション事業をコア事業とする不動産総合デベロッパーの株式会社タカラレーベン。昨年9月に創業50年を迎え、10月には持株会社体制へ移行、MIRARTHホールディングス株式会社へ商号を変更し、さらなる成長を続けている。 ■夢のマイホームが今もキーとなっている 私は「大きなお金が動く」、「夢のマイホームを売ったり買ったりすることのサポートができる」、「儲かりやすいという気がした」という3つの理由から、不動産業に興味を持ちました。そのような大きな野望を持って入社しましたが、本当はいつ辞めようかと考えることもあったくらいで、最初はこの会社で長くやっていく自信がありませんでした。当時の不動産業は「売ってなんぼ」という荒っぽい世界で、ガツガツした威勢のいい営業マン集団に慣れることができなかったのです。でも、そんな折に、駅前にある不動産屋さんに何度も通って私の名前を覚えてもらって、運よく物件を仕入れられるという出来事があり、「もう少しやってみよう、あともう少しだけやってみよう」と続けていましたね。こうした小さな出来事の積み重ねで、徐々に昇進し、ありがたいことに今の立場に就きました。 ■価値観の変化に気づく 不動産業界はは経済情勢に連動され、世の中の変化をダイレクトに受ける業態です。ですから、何度も苦しい局面に遭うことがありました。ここ数十年でいえば、1回目はバブル崩壊、2回目はリーマンショックです。1回目と2回目では、私自身の立場と責任が大きく変わっていたので、自分の役割は何かをきちんと判断して会社が潰れないように意識し、危機を乗り越えました。弱気になって「もうダメだな」「会社が潰れる準備をしなくてはいけない」と考えたこともありましたが、経営陣と一緒にやれることを諦めずに全てやってきたからこそ、現在も会社が続いていると感じています。現在まで当社が成長を続けられているのは、「実際に住む方に向けての実需を提供する」ことをブレずに実直にやってきたからだと思います。我々は賃貸マンションやアパート、団地などの賃料と同額程度、もしくは少し高めの賃料水準で、住まいを買えるようにとの信念を念頭に、より多くの方々に住まいを供給していくことを大事にしてきました。また、自社販売にこだわり、お客様にも向き合い、コツコツと積み上げてきたことが、現在の認知度にも繋がっているものと考えています。 ■不動産業界に求める人材 フレッシュな若い人材に、貪欲さを持って社会に出てきてほしいと思います。学生から社会人に切り替わることの決意を持って、奮起してほしいです。また、営業の場合はお客様と対面でお話しする機会が多いので、人と会う楽しみや気づき、発見が生まれ、自分の人格が形成されていくのが、この業界の魅力であると思います。謙虚で素直な気持ちを大切に、出会いに感謝を持てる人が理想的だなと感じます。 ■大学生へのメッセージ 色んなことにチャレンジするのは大事だと思います。そういった環境は我々が作っていかなければいけないものですが、環境に任せるだけでなく、自分はこれを貫き通すのだという信念を持つことが大切だと感じています。私は入社した当初から、「理想の住まいを買いたい人に供給できるようにしたい」という信念は変わっていません。世の中の状況で時代は変化していますが、学生のうちに太い芯となるような自分の軸を見つけられると良いと思います。就職した先でそれが変わることもあろうかと思われますが、一度軸を決めて前に進んでみることも良いと思います。 学生新聞オンライン2022年12月1日取材 日本大学3年 和田真帆

大塚美咲

株式会社テレビ東京ダイレクト 代表取締役社長 兼 テレビ東京ホールデ...

人との出会いは新たな挑戦を生む人生の財産に! 株式会社テレビ東京ダイレクト 代表取締役社長 兼 テレビ東京ホールディングス 専務執行役員 遠藤孝一 (えんどうこういち) ■プロフィール 1959年生まれ東京都出身。82年に大学を卒業後テレビ東京に入社、08年同営業局長、15年取締役アニメ局・営業局担当。17年テレビ東京ダイレクト代表取締役社長に就任。同社はテレビ東京グループの中核会社としてコマース事業全般を担っている。22年にゴルフEC会社の株式会社リアルマックスを傘下に収める。 食品事業、旅行事業、ゴルフ事業など、様々な分野でビジネスを広げていくテレビ東京ダイレクト。代表取締役社長である遠藤氏のテレビ東京営業職時代からのモットーや、生産者の想いを伝えることへの拘り、新たなビジネスへの挑戦を取材しました。 ■人との出会いはアイデアの宝庫 僕は、上智大学の外国語学部ドイツ語学科という少し特殊な学部で勉強していました。周りの人はみんなまじめでしたが、あまり大学生が社会貢献について考える時代ではありませんでした。だから今の学生さんを見ていると、社会貢献に対する意識が高くてすごく感心しますね。僕の場合は、サークル活動をするか勉強をするという大学生活でした。やっと就職について考えるようになったのは、大学4年の頃です。どこを受けようか考え、マスコミに興味があったためテレビ東京に勤めていたサークルの先輩を訪ねて選考を受けようと決めました。当時から社会に情報を伝達していくことに関して非常に面白いと感じていたためです。テレビ東京に入社後は、初めからずっと営業を担当していました。いわゆるテレビ局の華やかな仕事ではありませんでしたが、営業職は様々な人と出会うことができるためとても楽しかったです。人との繋がりができたのが営業職で、それが今の僕の財産になっています。「遠藤は何か新しいことをやってくれそうだ」と思ってもらえたから、テレビ東京ダイレクトの代表取締役社長の機会をいただけたのだと思います。テレビ東京の営業職時代から僕は様々なジャンルの人との出会いを大切にし、人と会って色々な話をしていくことで、新たな価値観やアイデアを生み出してきました。それがここでも活かされてアイデアマンとして評価され、抜擢していただけたのだと思います。 ■生産者の熱意と拘りが消費者の心を動かす いわゆるテレビの通販は、衝動買いのビジネスです。一方で我々は、「この商品がいいですよ、安いですよ」という売り方ではなく、商品の拘りのポイントや作った人の熱意を取材し、テレビを通じて訴求していくことをモットーにしています。なるべく他社と差別化するためにも、生産者の熱意が伝わる商品を取り扱うことに拘っています。テレビショッピングは、視聴者に購買意欲を喚起させて買わせるビジネスですが、今はコロナ禍により巣ごもり消費が高まり、テレビにたくさんの情報が出ても、視聴者は自分で調べてから買うようになりました。その時に我々は生産者の拘りや熱意を示して販売していますので、多くのお客様に納得して購入していただけているのだと思います。 ■地域に眠る魅力を発掘し、新たなビジネスを生み出す 僕は今一つ目指していることは、オリジナル商品を開発していくことです。その開発の原点は地方にあると考えています。今BSテレビ東京で地域の情報を発信する番組を制作運用しています。地域とのコミュニケーションから、その地域に眠っている魅力ある商品を発掘し、こだわりを持った生産者と一緒になって物販の商品開発をしていくことがその目的です。地域の伝統技術にデザインや機能などに我々のノウハウを加え、新たな商品を生み出すことができれば最高ですね。また、我々にはずっと積み上げてきた膨大なシニア層を中心とした顧客リストがあるため、これを活用してシニアをターゲットとした新たなビジネスに力を入れようと思っています。一方若い人達向けには、番組関連グッズを販売するテレ東本舗の事業にも力を入れていくつもりです。僕自身アニメを以前担当していたのでその可能性や面白さを見出していきたいと思っています。 ■「人と人は必ず繋がる」 僕のモットーは、「人と人は必ず繋がる」ということ。出会った人とは、必ずどこかで巡り巡って繋がっていき、新たな商談やビジネスが生まれます。この人と人をマッチングさせるビジネスもありますが、出会った人とお酒を飲みに行き、そこで人を紹介し合ってまた新たな出会いが生まれるといったようにどんどんと輪が広がっていきました。ですので僕はかなり様々な分野の人との繋がりを持っていますし、これは自分の最高の財産だと思っています。その上でも誠実であること、必ずお礼を忘れないことは常に大切にしています。「この人、胡散臭いな」と思われたらおしまいなんです。そして採用する際には、「モノを売る」ということにものすごく敏感に面白いと感じてくれる人を採用していきたいです。例えば、野球のスタジアムでビールを売る売り子さんは本当に優秀だと思いますね。何度も売るうちに馴染みのお客様を掴み、必ず一言声をかけていく。お客様の心を掴む能力が素晴らしいと思います。このように、とにかく外に出て人と会うことを大切にしてほしいです。だからこそ社員には飲みや食事の機会も大切にし、人との出会いの場を増やしてほしいですし、積極的に外に出てコミュニケーションをとる能力が高い人一緒に仕事がしたいと思っています。 ■大学生へメッセージ 弊社の採用では公募をせずに少人数をピックアップして面接を行っているため、もし我が社に興味を持ってくださっている学生がいたらとにかく積極的にアプローチしてほしいです。合わせて、学生時代の様々な人との出会いは必ずかけがえのない財産になります。学生時代から色々な人と出会い、自分の中に蓄積して人と人をマッチングさせてください。 学生新聞オンライン2023年2月10日取材 東海大学4年 大塚美咲

伊東美優

株式会社ユナイテッドアローズ 代表取締役 社長執行役員 CEO 松崎善則

ブレない信念を軸に、新たな”お客様価値”の創造を 株式会社ユナイテッドアローズ 代表取締役 社長執行役員 CEO 松崎善則(まつざきよしのり) ■プロフィール 1974年生まれ、埼玉県出身。1998年4月に入社。ユナイテッドアローズ渋谷店からキャリアをスタートし、販売職や店長職、ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ本部長などを経て、2018年4月に上席執行役員、同年6月に取締役 常務執行役員。複数の主力事業の統括責任者としてグループの成長に貢献した。2020年11月に取締役 副社長執行役員に就任、2021年4月から現職。 セレクトショップ国内最大手、長年老若男女多くの人に愛されるユナイテッドアローズ。そして同社の社長である松崎善則氏は2020年11月の副社長昇格から4ヶ月で社長に就任した。そんな松崎氏に、これまでのキャリアやファッション業界の課題、そして同社のブレない経営理念についてなど、お話を伺った。 正直、高校までは勉強があまり好きではありませんでした。だから、とにかく高校卒業後は、大人からとやかく言われず、早く自立したいと考えていました。高校2年生の時点で大学進学という進路は自分の選択肢にはなく、卒業後すぐに働こうと決めていたのです。ただ、働くといっても世の中には様々な職種があります。どんな仕事が自分に合っているのか?ということはかなり悩みました。1番強かった想いは、何かしら実態のある仕事がしたいということです。自分のやっている仕事が、何らかの形で人から感謝されるような手触り感が欲しかったんですね。となると、目の前のお客様としっかり向き合える仕事が自分に合っているなと考え、サービス業で働くことを決意しました。 接客スタイルに感動したことから、UA入社を決意 結果、ファーストキャリアとして選んだのはホテルでの仕事でした。ただ、高校生の自分にはホテルでの仕事が本当に自分に向いているのか少し自信がなかったので、高校卒業後はホテルの専門学校に通いました。そして専門学校卒業後にホテルマンとして3年間働きましたが、段々と仕事に飽きてきてしまい、退職することになりました。「さて、次はどこで働こう……」と迷っていた時に、ふとユナイテッドアローズの店舗に訪れたのです。思い返せば、これが僕の人生のターニングポイントでしたね。店舗に入ったとき、僕は強い衝撃を受けたと同時に、大きな感動を抱きました。当時、アパレルで働く販売員はお客様を少し上から見たような態度がありました。でもユナイテッドアローズは、むしろ温かさや品の良さを感じさせる接客対応でした。また、顧客のことを「お客」ではなく「お客様」と呼ぶのも、当時の僕からするとかなり珍しく、ホテルでの接客にかなり近いものを感じました。こうした人の良さを肌で感じて、自分もここで働きたいと強く思いました。すぐに求人を探し、まずは店舗のアルバイトスタッフから始め、気づけば次第に社内でキャリアを積み上げていくことになりました。 大事にしているマインドは、「今日より明日を良くしたい」 キャリアを積み上げていく中で、いつしか社長就任という結果になりました。僕自身が役職にこだわったことは一度もないのですが、絶対に「今日より明日を良くしたい」という気持ちは強く持っていたため、仕事をする上での昇進は必要なモチベーションになりました。「3年後に社長になりたい」などの具体的な目標はなかったものの、「いまよりよくなりたい」と思っていたからこそ、日々前向きに仕事に取り組めたし、いつキャリアアップのお話があっても引き受けられる準備をしてきました。なお「今日より明日をよくしたい」というマインドの根底にあったのが、バックキャストという考え方です。これは、月・年単位で将来どうなっていたいかを考えて、そこから逆算して現在何をすべきか考えるというもの。個人としてどうなっていたいかだけではなく、チームとして、そして会社としてどんな姿が理想か、より範囲を広げて考える癖がついていたことが、社長就任の大きな要因になったと思います。 ブレない「お客様ファースト」 ユナイテッドアローズは、とにかく人に優しいチームだと思います。ファッション業界は小売業なので、お客様を第一に考え、親切でいなければなりません。だからこそ、働くスタッフの間でも親切なコミュニケーションが自然と生まれます。あとは定価で買っていただく努力をするというのは一つ重要なことです。セールが絶対悪とは思いませんが、セール商品を販売することはそれ以前に定価で買っていただいたお客様を悲しませることに繋がってしまいます。そうなると、「わざわざ定価で買う必要ないな」と、お客様が離れていくことになりかねません。だからこそ、商品に付加価値をつけることで、定価でも快く買っていただけるような努力をしています。付加価値は大きく、「ヒト・モノ・ウツワ」の3つに分けられると思っています。ヒトは接客、モノは提供する商品・サービス、そしてウツワは内装の設えなど、店舗でお客様が目にするものを指します。 小売業は、いかに細部を見せるかが、大事 「リテール=ディテール」という言葉があるように、小売業はいかに細部までこだわりを見せるかが勝負になります。例えば商品の置き方一つ取っても、角度や見せ方によってお客様一人ひとりの反応は異なります。そしてディテールについて考え続けることが、結果的にお客様と徹底的に向き合うことに繋がるのです。我々はこのディテールへの追求を日々こだわり、そして積み重ねることでお客様に喜んでもらえるよう努力しています。また、ファッション業界の課題として、同質化が挙げられます。これは、多くの企業が、市場でヒットすると思える商品に自社商品を近づけていくことで生まれる課題です。この課題は根が深く、近年では商品だけでなく、販売促進の戦略や方法までも模倣されつつあります。これでは同質化が進んでいく一方です。だからこそ、当社ではお客様第一という基本姿勢は変えずに、他社と差別化を図りながら新たな潮流を作っていける会社に成長させたいと考えています。過去の経験に委ねすぎず、変化を起こし続けることのできる組織でありたいですね。 大学生へのメッセージ しんどい時、辛い時は、これまでにもあったと思うし、これから先もあると思います。ですがその期間が人生の全てではないですし、皆さんには絶対に明るい未来が待っています。そして、これからの時代を創るのは皆さんです。若いうちは誰からも失敗を責められることはないので、何にも臆せず果敢にチャレンジしていってください。 学生新聞オンライン2022年12月28日取材 慶應義塾大学3年 伊東美優

学生新聞インターン

キユーピー株式会社 代表取締役 社長執行役員 髙宮満

社会・仲間・利益を大切に、食を通じた健康への貢献を目指す キユーピー株式会社 代表取締役 社長執行役員 髙宮満(たかみやみつる) ■プロフィール 1961年東京都生まれ。1987年東京水産大学(現・東京海洋大学)大学院を卒業後、キユーピー株式会社に入社。技術研究本部で外食・惣菜のメニュー開発やマヨネーズの開発などの部署を経て、2005年以降は商品開発本部、研究所、マーケティング本部などを担当。2019年上席執行役員、2020年キユーピータマゴ株式会社 代表取締役社長、2022年キユーピー株式会社 代表取締役社長執行役員に就任、現在に至る。 マヨネーズ、ドレッシング、パスタソースなど、気づけば食卓のあちこちで目にするキユーピー商品の数々。技術研究本部で入社してから二度の転機を経て、昨年春に社長へ就任した髙宮満社長に、今後キユーピーが目指す姿や働く上で求めることについて伺った。 東京の浅草で育ち、生き物が好きだった私は、東京水産大学へ進みました。大学では食品加工の授業を受けていましたが、ほとんど勉強せずアルバイトに時間を費やしていました。大学の掲示板で募集を探して、家庭教師や伝票整理、冷凍庫でカニを分ける仕事なんかもしていましたね(笑)。勉強は、入社後に学び直しました。例えば、“缶詰の製造について”。何度の熱をかけると腐らないのか、どのような規定があるのか、そもそも何のために缶詰があるのかなど、学ぶべきことが沢山あります。大学時代は、この「何のために」という目的意識を持って学べていませんでした。皆さんも「この授業がなぜ必要なのか」という目的を意識するとと授業への向き合い方が変わるかもしれません。 二度の転機を経た社長が目指す、キユーピーのあり方 漠然と食べ物に関わる仕事がしたいと思っており、研究室の先生から推薦されたご縁で、キユーピーに入社しました。希望は営業部でしたが、大学院で食品衛生の研究をしていた経験から、入社後配属されたのは技術研究本部。シェフもいる中で研究するのですが、料理の経験がない私はわからないことだらけでしたね。たとえば、「アシェ」という言葉をご存じでしょうか。これは、(玉ねぎなどの)「みじん切り」のことですが、当時の私にはなんのことだかさっぱりわかりませんでした。作業名も分からず、仕事に対してなかなか目的意識が持てずにいました。そんな私に、二度の転機が訪れます。1つ目は、社会人4年目で自分の研究内容について社長プレゼンをした時です。「君の研究は社会に役立つことだ。そして話も面白くて、応援したくなる」と、自分の仕事は価値があると褒めて頂けたことは非常に嬉しく感じました。2つ目は、キユーピー マヨネーズを担当した時です。その当時は、自分が会社の中心にいるという錯覚に陥るほど、仕事にのめり込むようになりました(笑)。その後、新商品開発に携わった40代後半くらいから、自分の仕事に対する喜び以上に、仲間の成長に対する喜びを感じられるようになりました。こうした二度の転機を経て、仕事にやりがいを見出すようになり、お惣菜やファインケミカル、キユーピータマゴなど、あらゆる経験を積んでいきました。そして2022年春、キユーピー株式会社の社長へ就任しました。就任後は、当社が実現したい3つの事について全社員に向けて動画でメッセージを伝えました。1つ目は「お客さまに喜ばれる商品やサービスを通じて社会に貢献しよう」。最も大事なのは誰かの役に立つことです。ありがとう、美味しかったと感じられる食の提供で、社会に貢献していきます。2つ目は、「仕事を通じて成長、悦び合える仲間になろう」。環境が厳しくなると直近の時間軸で判断してしまいますが、仕事を広く長い目で見て成長し、悦び合える仲間意識が大切です。3つ目は、「利益を稼ぐ会社になろう」。利益=商品やサービスの価値を認めていただいた証です。その利益で環境に向きあい、未来へ投資していくことで、さらに世の中の役に立つことができると考えています。現在、仲間である社員たちは苦労しています。マヨネーズは主原料の植物油が高騰し、以前の約3倍の値段になっています。さらに卵も、鳥インフルエンザの影響で厳しい状況です。営業も生産も苦しい中で仕事をしています。でも、幸いキユーピーには確立したブランドと商品があります。私はプライベートで会った人に自分の社名を出して、「何の会社ですか」と尋ねられたことは一度もありません。それだけ強固なブランドと商品を先人達が育ててくれたのだと、いつも感謝しています。食品は、食べ比べて買うことが少ないからこそ、ブランド認知が確立していることは有難いことです。私は社長としてグループの事業所約150カ所を回り、「ブランドと商品を持っているのだから大丈夫だ! 大変な環境だからこそ自信をもって堂々としよう!」と仲間たちを鼓舞しています。俯瞰して全体を見て、皆の不安を払拭することが社長の仕事だと思っています。 新たな食卓の提案へ、自己実現と期待役割を求む キユーピーの役割は「食を通じた健康への貢献」です。創始者の中島董一郎は、欧米人に比べ日本人の体格が貧弱なことを鑑み、美味しさを追求するだけでなく「食を通じて日本人を健康にしたい」という想いを持っていました。今後も食を通じた未病・健康への貢献で、より一層世の中の役に立つことができると考えています。また、当社コーポレートメッセージとして「愛は食卓にある。」を掲げていますが、近年共働き世帯が増え、食卓の概念も変わってきているため、一人で食べてもおいしく健康な食事を届ける必要もあると考えています。「食卓=食べ物と向き合い幸せになる空間」として捉え、時代のニーズに合わせた食卓の提案をしていきたいですね。そのために、キユーピーグループの社員には、意識してほしい事を3つ伝えています。1つ目は、「自己実現」です。グループには1万人を超える社員がいますが、全員に必ず聞くことがあります。それは「あなたは何をしたい?」という質問です。なかなか答えられない人が多い。ところが「小学生の時何になりたかった?」と聞くと、ほとんどの人が答えられるのです。その気持ちを忘れないで持っていてほしいですね。自分は何がしたいのか、自分の存在価値をどこで示すのか。これは仕事においても生活においても一番強く持つべきことです。2つ目は、「期待役割」です。会社に意味のない人、仕事はありません。研究開発部では「玉ねぎのみじん切りを作るのか」と思いましたが、それが私に期待された役割だったわけです。今の自分は何を期待されているのか認識するだけでも違うので、ぜひ意識してほしいですね。3つ目は、「自己実現と期待役割が重なる努力」です。両方かみ合って力を発揮できる状態が理想です。そのためには、やりたいことを叶えつつ、期待に応えられるような努力が必要です。今後は、さらなる海外展開や新たな食生活の提供もしていきます。ぜひ私達キユーピーと食を通じた健康への貢献をしていきましょう! 大学生へのメッセージ とにかくいろいろなことに興味を持って行動してほしいですね。相田みつをさんの言葉に『とにかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答が出るから』という言葉があります。ここ数年、コロナで活動制限されていたからこそ、躊躇しないで、まず行動してみてほしいですね。一歩を踏み出すことが、道を切り開くきっかけになると思います。 学生新聞オンライン2023年1月30日取材 専修大学3年 竹村結

学生新聞インターン

宮澤佐江 出会いを大切に。焦らず、見つけた夢や希望を将来に繋げて

女優 宮澤佐江(みやざわさえ) ■プロフィール1990年、東京都生まれ。2006年に「AKB48」に加入。「SNH48」、「SKE48」を経て2016年にグループを卒業。AKBグループ時代から映画、TVドラマ、舞台にと俳優として活動を開始、2016年のミュージカル『王家の紋章』以降、『ピーター・パン』(17年~)、『ウエスト・サイド・ストーリー』season2(20年)、『キングアーサー』(23年)などミュージカル作品への出演多数。昨年はテレビ東京「ウルトラマンデッカー」など活躍の場を広げている。 AKB48グループのアイドルとして10年間活動したのち、今は女優として活動の幅を広げている宮澤佐江さん。「好きなことを仕事に」と笑顔で語る彼女に、AKB48に入ったきっかけから、アイドルから女優への転身。さらに久しぶりの映像作品だという映画『犬、回転して、逃げる』の出演について伺った。 ■好きだった「アイドル」を仕事に そこで出会った新しい夢 アイドルのオーディションを受けたのは2005年、中学3年生の頃でした。地元のダンススクールに通ったり、家族で頻繁にカラオケに行ったりしていたので、踊ったり歌ったりすることはもともと好きでした。小中学生のころは特に、アイドルに興味を持ち、追いかけるうちに自然に「自分もアイドルになりたい!」と思うようになったのを覚えています。オーディション雑誌にはカラフルな広告ばかり掲載される中、唯一白黒で掲示していたAKB48になぜか惹かれ、受けることにしました。AKB48在籍中にバラエティや雑誌、ミュージカルなど、様々なお仕事を経験させてもらい、その中で自然と「お芝居」に興味を持つようになりました。AKB48のお仕事ももちろん楽しかったのですが、もっと新しい世界で新しい人々に出会って交流してみたいという気持ちがだんだんと膨らんでいきました。そして、「後輩に教えられることはもうすべて教え切った」と感じたAKB48在籍10年目の節目に、ついに卒業しました。 ■アイドル時代も今も、変わらず魅力なのは「出会い」 私は新しい場所に行ったり、新しいことを始めたりすることが好きなので、AKB48を卒業後に大きなミュージカルの出演が決まったときは「楽しみ!」という気持ちでいっぱいでした。しかし、私はアイドルをきっかけにミュージカルの世界へ入らせていただきましたが、ミュージカル俳優を志してこの世界に飛び込み、キャリアを積んでこられた方もたくさんいらっしゃいます。そのような方々と、「元アイドル」である自分とのレベルの違いを目の当たりにし、ミュージカルを実際に演じていく中で、自分の実力不足を感じることも多々ありました。その実力不足を少しでも埋められるよう、毎日勉強中です。アイドル時代も、アイドルを卒業した今も、変わらずこの仕事の魅力として感じるのは「人と人との出会い」です。演者だけではなく、スタッフさんたちと一緒になって、お金を払って観に来てくださるお客様のために、同じ熱量で一つの作品を作ることはすごく尊いことだと思っています。加えて、そこで出会った方々と、また違う場所でご一緒することが、今の自分がお仕事を続けていくうえでのモチベーションになっています。 ■「なぜ生きているのだろう」という問いを題材とした『犬、回転して、逃げる』 『犬、回転して、逃げる』という映画は、よくあるテーマとは少し違う、すごく独特な作品だと思っています。初めて台本を読んだときは、頭の中にたくさんの「?(ハテナ)」が浮かびましたし、撮影中も「これはどんな作品なのだろう」と常に頭の片隅で考えていました。ナレーションが入る作品だったので、それを計算しつつのお芝居は不安もありました。一方で、舞台やミュージカルで身についた「間を埋める演技」は自分の中で自信がある部分だったので、怖さはありつつも、楽しむことが出来ました。舞台では、自分にセリフがないシーンでもお客様に注目されることもあります。だから、「舞台上では常に役として生きる」という感覚を持っていたのですが、それが今作では非常に役立ったと思います。この映画の題材のひとつは「生きる意味とは?」という大きな問いです。本作では、この問いは明るく捉えられていますが、人間誰しも「なぜ生きているのだろう」と考えてしまうことは多々あります。今回私が演じた眉村ゆずきは、刺激のない日常の中で「早く世界が終わればいいのに。毎日がつまらないな」と思って生きています。私自身も「なぜ生きているのだろう」「誰のためにこの仕事を頑張っているのだろう」と考えることはよくあるので、その部分で彼女にも、この作品にも共感できました。人によっては、「生きる意味とは」という問いへの答えが、些細な出来事で見つかることもあるでしょう。この映画の登場人物も、コミカルに描かれた日常の些細な出来事から生きる意味を見つけます。この映画を通じて、クスクスと笑いながら、「もう少し生きてみようかな」と思ってくれる人が一人でも増えてくれたらいいと考えています。 ■大きな夢や希望を見つけることが、今の自分の目標 私自身、今は新しい夢をつくることが目標です。与えられたお仕事において、ひとつずつ丁寧に自分の役割を果たすことが今の自分にできることだと思って、一生懸命に頑張っています。「こうなりたい」と明確に見えていないことが、時に自分を苦しめることもあるので、早く人生における新しい目標や夢を見つけたいです。「女優」という仕事が本当に自分に合っているのかが、最近はわからなくなることもあります。それでも、舞台やドラマなどを見ていると、「素敵な役者さんがいらっしゃるな」「自分だったらどのように演じるのだろう」と考えます。多分、「自分もそんな風に思われるような役者さんになりたい」という思いが、心のどこかにあるからこそ気になるのだと思うので、今は自分を見つめ直したいです。 ■焦らず、自分の夢を見つけてほしい 大きな夢や目標が見つからず、「この先どうしよう」と何となく悩むことは、私でもあります。大学生の皆さんは焦らないでいいですし、やりたくないことを無理してやる必要もありません。やりたいことが見つかるまで悩めばいいし、自分の心がすり減ってしまうような、自分に合わないことはやらなくていいと思います。何かしらご自身が「楽しい」と思えることが、将来につながってほしいと願っています。人生は長いので、自分に合った人生を見つけるまでに、どうかたくさんの時間を使ってください。 学生新聞オンライン2023年1月30日取材 上智大学2年 勝見文音 映画『犬、回転して、逃げる』 長妻怜央(7ORDER) 宮澤佐江なだぎ武 中村歌昇 三戸杏琉小坂涼太郎 ワタリ119 仁科亜季子/登坂淳一 脚本・監督:西垣匡基配給宣伝:アイエス・フィールド企画・製作:TUFF STUFF 2023年3月17日(金)シネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開 2022年/日本/カラー/82分/ビスタサイズ/5.1ch/G Ⓒ2023映画「犬、回転して、逃げる」製作委員会 公式WEBサイト http://isfield.com/inukaiten_movie/公式Twitter @inukaiten_m スタイリスト:藤井エヴィ  ヘアメイク:伊藤里香

大塚美咲

長妻怜央 “ゴール”が無い世界を、全力で走り続ける

俳優 長妻怜央 (ながつま れお) ■プロフィール1998年、茨城県生まれ。男性グループ「7ORDER」の副リーダー。2019年より「7ORDER project」を始動。2021年にメジャーデビューを果たし、オリコンランキング2位を獲得する。俳優として舞台出演多数。映画の出演は『漆黒天 -終の物語-』(22年)、『ラストサマーウォーズ』(22年)などがある。 興味の無かった芸能界に10代で飛び込み、今日まで全力で走り続けるのが、人気グループ「7ORDER」のメンバーである長妻怜央さんだ。ゴールが無い芸能界の中で、限界を決めずに挑戦を続けた結果、『犬、回転して、逃げる』で映画初主演を掴んでいる。そんな長妻さんに、今回は映画の話や自身の仕事への向き合い方について伺った。 ■大切にしていたのは、己と向き合う探求心 僕は小学生の時に芸能界へ足を踏み入れました。元々、この業界に興味があった訳ではなく、僕のお母さんが勝手に履歴書を送ったんです。僕は小さい頃から恥ずかしがり屋で、みんなの前で話す事も苦手な子供だったのですが、「お小遣いあげるからオーディションに行ってみなさい。」という言葉につられてオーディションを受け、芸能界に入りました。最初はそんなきっかけでしたが、気が付くとこの仕事にどんどんひかれていきました。その理由は“ゴール”が無い点だと思います。例えばダンスや演技には正解がありませんし、これが出来るようになったら終わりという目安もありません。そして「ダンスや演技が上手いこと=人気がある、仕事がある状態」ではない世界です。この無限に探求できる環境、全てにおいてゴールがない点にハマっていったのだと思います。お芝居で言うと、声のトーンや顔の向き、まばたきの回数など、色々な表現で役を演じることが出来る点はもちろんですが、演出家の視点で見たり、物事を全体で見たときにどう演じられているのか、などの選択の連続だったりします。これが非常に難しいですが、俳優の魅力です。 ■自然体で演じること ここ数年では「自分流の演じ方」について深く考えるようになりました。そんな中で、「自分の考え」「演出家の考え」物語全体を見た時の「どう演じるべきか」という様々な方向から考えて選択をすることがとても難しいです。また、一番演技で大切にしているのは、自然体で演じることです。お芝居なのか、自分の素の姿なのかわからないくらい入り込んで演じることが一番の理想です。現場がどんなに非現実的だったとしても、カメラやお客さんが見えなくなるいくらい集中する。そして、自分一人の空間になるときが、一番「お芝居ってたのしい!」と感じる瞬間ですね。いずれは、必要なところにしか力を入れないのに、あっさりと強敵を倒す「仙人」のような俳優になることが目標です。(笑) ■映画『犬、回転して、逃げる』について 本作は、泥棒の青年と婦人警官の周りで起こる数々の事件を犬の視点でとらえるというサスペンスコメディです。主演のオファーを頂いた時に浮かんだのは、正直、「僕にできるのかな?」という感情でした。でも、ここでやらなければ一生このような機会はありませんし、自分がどれくらいできないのかを知ろうという想いで今回の作品に挑みました。この映画は独特な世界観が特徴的ですが、あの世界観を自分が作り出せていたかというとまだまだだなとも思います。なので今回はとにかく求められたことに全力で取り組みました。「全力で上げたものを下げることは簡単だが、上がり切っていないものをマックスまで上げることは難しい」という言葉を昔言われたことがあります。だから僕はまず自分の中でできる120%のことをやり、「少し抑えて」といわれたら少し下げるように心掛けています。「もう少しこうして欲しいのにな」と思われるより、少しやりすぎなくらいの方がプラスの働きが生じると思うんですよね。これは自分の中でのポリシーでもあります。 主人公が最後に女性と話すシーンでは、長妻怜央としてどう演じるのか、キャラクターとしてどういう風に演じるべきかをかなり試行錯誤しました。演じ方の方向性によって映画の印象がガラッと変わる場面だったのでとても難しかったです。演じ方による作品の印象の変化は、演じる側や受け取る側のそれぞれ異なる感性によっても変わるので、改めて「お芝居はゴールがないな」と感じますね。 ■「日常の小さな幸せ」を見つけるきっかけに この映画は、基本的に日常を描いている作品なので、皆さんの日常に当てはまる部分もあるのではないかと思います。皆さんの明日を生きる意味として、何か一つでも普段の小さな幸せを探すきっかけになれば嬉しいです。また、今回は主題歌の作詞・作曲・プロデュースも手掛けさせていただきました。この作品は「日常」がコンセプトになっているので、曲での表現を意識したり、映画の中でパッヘルベルのカノンが何回か出てくるため、それを取り入れてみるなど様々な工夫を凝らしました。かなり文字数の多いギュっとした歌詞になっているので、そこにも注目して聴いてみて頂きたいです。 ■大学生へのメッセージ 大学は必ず行かなければいけない場所ではなく、行きたい人が行く場所なので、好きなことをする場所と言い換えられると思います。好きなことが出来ることは誇らしいことです。また、今の環境は当たり前じゃないことも理解してほしいと思います。この場に居られることは素晴らしい、進路に迷ったとしてもプラスである、と考えられると可能性が無限に広がると思います。ただ、すべてにおいて食事や運動は大切だと思いますので、これらの基礎も大切にしてください。 学生新聞オンライン2022年12月6日取材 中央学院大学4年 田根颯人 / 東海大学4年 大塚美咲 / 国立音楽大学2年 岡部満里阿 映画『犬、回転して、逃げる』 長妻怜央(7ORDER) 宮澤佐江なだぎ武 中村歌昇 三戸杏琉小坂涼太郎 ワタリ119 仁科亜季子/登坂淳一 脚本・監督:西垣匡基配給宣伝:アイエス・フィールド企画・製作:TUFF STUFF 2023年3月17日(金)シネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開 2022年/日本/カラー/82分/ビスタサイズ/5.1ch/G Ⓒ2023映画「犬、回転して、逃げる」製作委員会 公式WEBサイト http://is-field.com/inukaiten_movie/公式Twitter @inukaiten_m

前田蓮峰

森トラスト株式会社 代表取締役社長 伊達 美和子

すべての事象に「なぜ」と問いかけ、成功プロセスに導く 森トラスト株式会社 代表取締役社長 伊達 美和子(だて みわこ) ■プロフィール 1996年慶應義塾大学大学院修了後、総合コンサルティング会社勤務を経て、1998年森トラスト株式会社に入社。2011年には森トラスト・ホテルズ&リゾーツ株式会社代表取締役社長に就任(現任)。2016年6月に森トラスト株式会社代表取締役社長に就任(現任)。また、2011年には公益社団法人経済同友会に入会し、2022年度より副代表幹事に就任(現任)。 不動産事業、ホテル&リゾート事業、投資事業。これら3つの事業を柱としつつ、既存の枠にとらわれない発想で常に新たな領域にチャレンジする森トラスト株式会社。日本経済に左右されやすい業界ながらも、バブルの崩壊やコロナウイルスの影響をどう乗り越えていったのか。伊達社長に、ご自身が現在の地位に至るまでのプロセスや今後の展望について伺った。 学生時代前半はゴルフをしていました。元々体育会に所属していたのですが、自分の時間を作れなくなり、サークル活動に切り替えました。学生時代の後半には就職や将来を意識し始め、家業の不動産事業に携わりたいと考えるようになりました。ただ、不動産業界で働くときにどんなスキルや経験が活用できるのか分からなかったため、最初は不動産の制度について学ぼうと思い、宅地建物取引士の資格を取りました。次に、不動産開発の専門知識を学ぶために大学院に進学し、通常独立した分野である都市計画と建築の双方を学ぶことができるゼミを選択しました。2つの知見を掛け合わせることで、よりよいまちづくりが達成できるという理念に基づいて研究を行ったことが今の自分の基礎になっています。 ■プロセスを考えることの大切さ 大学までの学びは、非常に重要であることが大前提ですが、それらの知識はあくまでも机上のものであり、実社会でそのまま活きるものではありません。実際のビジネスに応用できるノウハウを幅広く効率的に学び、経験できる方法を考えたときに、コンサル会社が最適だと思い、長銀総合研究所の都市開発コンサルティング部門に就職しました。多様な案件を担当し調査する中で、分野の幅が広がり、不動産業の多面的な理解につながりました。その他、東京に限らず地方の実情についても見聞を広げることで、行政から第三セクター、民間におけるそれぞれの考え方、目的の違いを知ることができました。また、その過程で学んだ様々な分析の手法は、後に森トラストでの開発事業で役立ちました。一方で、森トラストのもう1つの柱であるホテル事業についての知識が依然として欠けていたため、ホテル関係の会社に出向しました。運営現場の実情を把握することで、お客様とサービス提供者という2つの立場から見識を深められたことは、建物を設計する上でもホテル運営事業を考える上でも価値ある経験となりました。 実社会において不動産事業とホテル事業とどちらも経験できたことは、私が後に社長として森トラストの中核事業である不動産事業、ホテル&リゾート事業の舵をとる上での糧になりました。 ■常に先をみて実行する 私が森トラストに転じたきっかけは、当社が丸の内の土地を取得したことです。長銀総合研究所で働き始めて3年が経った1998年に、日本国有鉄道清算事業団の民営化に伴って丸の内の土地が民間企業に売却され、その一角(土地面積:12,026.77㎡)を森トラストが1,568億円で落札しました。日本の中心地である丸の内の土地で、これほど大規模な土地を取得することは非常に難しい以上、この土地を開発する機会は大変貴重であり、自分もそこに携わりたいと思いました。 丸の内の土地を開発していく中で、平行して考えていたのがホテル事業です。ホテル業界は、バブル崩壊後の1990年代は国内旅行者が減り続けるなどあまり良い状態ではありませんでした。そのため新規ホテルを開発する決断はハードルが高い状況でしたが、国際都市東京を実現するためにこの場所にグレードの高いホテルをつくることを決め、シャングリ・ラを誘致しました。これが、この後の森トラストのホテル事業の次の展開につながっていきます。 コロナ禍についてもそうですが、何かの影響で産業が衰退することは珍しいことではありません。オリンピック前までホテル産業は成長分野として見られていましたが、コロナの影響でインバウンドが激変しました。しかし、人々は旅行に「行けなくなった」だけで、「行きたくなくなった」わけではありません。故に私たちは常にアフターコロナに目を向け、準備を進めてまいりました。 世界観光機関のデータでは、2018年の全世界における海外旅行者数は14億人であったのに対し、2030年には18億人になると言われています。また、過去と比べると毎年常に2,3%増えています。こうしたデータからも、世界中のインバウンドはコロナ禍によって一時的に衰退しているものの、将来的に必ず増えると予想されます。そのため、私たちはホテル産業が今後も成長分野であると考えています。 なお、コロナ禍においては、ホテル事業は厳しい状況でしたが、不動産事業は好調でした。その結果、会社全体としては中長期ビジョンを前倒しで達成するなど、成長を続けることができました。アフターコロナにおいては、ホテル事業を含む3本の柱をさらに発展させ、次代を見据えた事業を推進していきたいと考えています。 ■message 何事も目標を設定することが大事です。そして、その目標を最後までやり通すには精神力が必要です。そのためには、なぜ自分はそうしたいのかというモチベーションを徹底的に突き詰めることが大切だと思います。様々なことを学ぶ上で得た知識を、ただ知識、つまりファクトとして留まらせずに「なぜそうなるのか、何が成功要因なのか、何が問題でどう改善することができるか」を同時に考える癖をつけましょう。その分析は、必ずしもその瞬間に役立つものとは限りません。しかし、自らの知識の引き出しが増えていき、将来の大きな糧となります。 また、自分の興味の範囲以外のことにも、意識を拡大させてみてください。興味を持ったことがあれば、同じように「この成功プロセスってなんだろう」と疑問を持つのです。どんな事象も分解し、セオリーを見つけ出す。そのセオリーが、自分の業務に応用できないかを考える。その繰り返しが自分の成長につながるはずです。 学生新聞オンライン2023年1月25日取材 中央大学 1年 前田蓮峰

伊佐茜音

モデルナ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 蘭美

たった5%のチャンスが無限大の成果を生み出す モデルナ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 蘭美(すずき らみ) ■プロフィール1999年英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで医学博士号取得、英国インペリアル・カレッジ・ロンドンでの博士研究員を経て、英国でベンチャーキャピタル事業に従事。その後、エーザイ事業開発執行役、ヤンセンファーマ株式会社にて事業開発本部長やメディカル事業部門本部長、フェリング・ファーマ株式会社最高経営責任者などを経て、21年11月より現職。 コロナ禍には、一躍その名が世界中に知れ渡ったモデルナの日本法人であるモデルナ・ジャパン株式会社。そのトップに立つ鈴木蘭美社長は、3児の母としての顔も併せ持つ。「医療の世界に携わることこそ、私の生まれてきた理由だと思った」と語る鈴木社長のこれまでの軌跡に迫る。 ■単身15歳で英国へ渡った学生時代。そして、医療の道へ。 子どもの頃の自分を、一言でまとめると“ませていた”のだと思います。中学生まではとにかく遊んでばかり。中高一貫校でしたので、「このまま高校生になってはいけない」という気持ちから、全く違う環境に身を投じようと英国への留学を母に申し出ました。「大学からであれば」と言われ、大学検定試験を受けて、15歳で単身英国へ留学しました。しかし想定していたよりも、やはり言葉の壁は厚かったですね。英語を学ぶうちに3年の時が経ち、あっという間に普通の大学生の歳になっていました。大学では薬理学を専攻しました。大学検定を受ける際に、苦手な理系科目に力を入れて勉強するうちにいつしか文系科目よりも理系科目に面白さを感じるようになったことがきっかけでした。その中でも薬理学は、西洋の薬や人類の健康医学の歴史などの数学的要素以外も学べるところに魅力を感じました。修士課程に進んだ頃、同じ大学で二人の友人が癌の宣告を受ける出来事がありました。副作用ばかりが強力で、効果があまり期待できないにもかかわらず、薬が投与される。壮絶な治療を受ける彼らを目の当たりにし、「なんて不条理なのだろう、これを正さないといけない」という強い衝動に駆られました。その後、ある日印象的な夢を見ました。夢の内容は詳しくは覚えていないのですが、朝、ふと目を覚ましたき、「私は癌を完治させるために生まれてきた」という生まれ持った役目があることが腹にストンと落ちていったのです。それがきっかけで、医学博士への道を志すことを決めました。当時の部門長だった教授にその夢の話を伝えたところ、「それなら」と英国の大学で有名な乳がんの外科医の方を紹介されました。さらにその方の紹介から大学院で乳がんの研究もスタートしました。そのご縁や恩を返さねばというプレッシャーを感じながらも、仕事を続けていくなかで今日に至っています。 ■mRNAだけに注力してきたユニークな会社・モデルナの魅力と課題とは モデルナはmRNAだけに注力をしてきた、非常にユニークな存在だと思います。新型コロナウイルスのワクチンを開発する以前から、10年間で、4000億円を超える投資をmRNAの研究開発につぎ込んできました。その当時はmRNAが医薬品になる可能性は低いと言われていました。しかし、赤字が続く中でも、たとえ成功確率が1%でも5%でも、成功した時の計り知れないインパクトに情熱を注ぐ人たちの集団、それこそがモデルナだったのです。モデルナ・ジャパンとしては、現在48の感染症やがん治療などに役立てる新薬候補を持っています。他国と比べても遅延なく、それらの薬を日本で提供していくことが私達の存在意義です。社員のワークライフバランスも考えた上で、その存在意義をどう実現するか。これが今後の私たちの課題であり、仕事に対する魅力だと思います。弊社はmRNAを基軸に、遺伝子編集とステムセルにも取り組んでいます。今年の1月には日本のスタートアップ企業を買収して更にワクチン製造のスピードを加速させるなど、社内外の力を結集して早期実現を目指しています。 ■経営者である理由、その信念とは。 経営者として、私が大切にしているのは、その人の持つ可能性です。私には、その人が持つ可能性が見えます。その人自身が自分について想像している以上の可能性を引き出し、才能をフルに活かせる環境を作ることが、経営者としての私の役割です。そして、個人の能力を組織へと繋げることで、さらなる大きな成果が得られることがあります。そんなときは、まさに経営者冥利に尽きる、非常にやりがいを感じる瞬間です。また、仕事において私がモットーにしていることを1つ挙げるなら「理にかなったことをコツコツと続けること」です。その努力が開花したとき、自分だけではなく誰もの想像を超えるような大きな成果になることがあります。この考えは科学の性質、そして弊社の在り方にも通じます。明日誰かを救うことが出来なくても、理にかなったことをコツコツ続けていれば、それが多くの人の命を救えるような成果を生み出すのです。 ■大学生へのメッセージ この時代に学生として生きる皆さんには、本当に沢山の可能性があります。なぜならAIなどがまだ発展していなかった私の学生時代に比べて、やりたいと思ったことをより早く実現できる環境にいます。ですから、やりたいことにどんどんチャレンジしていって欲しいですね。やって失敗することと、やらずに後悔することではネガティブなインパクトでいうと同じくらいの大きさだと思います。チャレンジしなければ何も得られませんが、失敗からは学ぶことが出来ます。迷ったらやる。この思いこそ、何事にも共通する今後の成長への原動力になるはずです。 学生新聞オンライン2023年2月7日取材 東洋大学4年 伊佐茜音

学生新聞インターン

株式会社エアークローゼット 代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰

時間の価値を高め、常に楽しみを見出す 株式会社エアークローゼット 代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰(あまぬまさとし) ■プロフィール英ロンドン大学卒業後、2003年にアビームコンサルティング株式会社に入社し、IT・戦略系のコンサルタントとして約9年間従事。2011年より楽天株式会社 (現 楽天グループ株式会社)にて、UI/UXに特化したWebのグローバルマネージャーを務めた後、2014年に株式会社エアークローゼットを創業。 会員数80万人を超える、働く女性が選ぶNO.1 のファッションサブスクリプションサービスを提供している株式会社エアークローゼット。サブスクリプションサービスやお洋服 のレンタルサービスが普及していない時代に、どのような想いで創業し、サービスを創り上げたのか。その経緯について、代表取締役社長 兼 CEOの天沼聰氏にお話を伺った。 ■自分の興味や関心を大切にした学生時代 小さいころ、父の友人であるキリスト教の宣教師が、クリスマスパーティーを盛大に行っているのを見たときに、「住む場所や人種、持っているカルチャーによって、価値観や考え方が異なるのだ」と知りました。そのとき、自分にとっての当たり前はほかの人にとっては当たり前じゃないのだということに、面白さを感じました。以来、違う文化の場所で生活してみたいとの思いが強くなり、日本人学校の分校があるアイルランドの高校に進学。その後、人種のるつぼと言われるロンドンの大学に進学を決めました。ロンドンの大学では情報テクノロジーを学びました。小さいころからPCが好きだった一方、まだ世の中にはそこまでテクノロジーが普及していなかったので、余計に興味がありました。当時、インターネットは匿名性で危ない世界という風潮が強かったのですが、場所を問わずに人とコミュニケーションがとれるインターネットは世界を変えると感じていました。一方、インターネットがない時代だからこそ、海外の人たちが話す日本のイメージはかなりあやふやでした。そのため、インターネットを通じてもっと海外の人に日本を知ってほしいなと思うようにもなりました。 ■多様な人と仕事をしたいという想い ロンドンでの大学生活を通じて、改めて自分は日本が好きなんだと知り、卒業後は日本に帰国し、コンサルファームに入社しました。起業したいという漠然とした思いはありましたが、まずはビジネスにおけるベースとなるスキルを身に付けられるのがコンサルだと考えたからです。以前は、プレゼンなど人前に出て話すことが苦手だったのですが、自分の理想とするかっこいいリーダー像に近づくために、コンサルタントになりました。ただ、コンサルのプロジェクトマネジメントは最初と最後が決まっているので、慣れてくるとある程度上手く進められるようになる一方で、終わりのない組織づくりについてはわからないままでした。また、コンサルファームで働く人は、自分とスキルセットが近い人が多いとも感じました。RPGで例えると、魔法使いの人にしか会ってないということ。「魔法使いだけじゃなく、他の職業の人たちにも会いたいし、その人たちについてきてもらう方法を知りたい」と思い、転職を考えました。その後、入社したのが、楽天です。ゼロから創業して世界規模の企業にしている楽天から、いろいろ学ぶことがあるのではないかと思い、入社を決めました。同社では、組織づくりやチームをどう考えていくかを、学ぶことができたと思います。 ■時間の価値を高めることができる会社を そして2013年、コンサル時代の仲間の二人を誘って、2014年に会社を創業しました。ファッションのサブスクリプションを始めた理由は、「時間」がきっかけでした。すべての人が平等にもっているけど、使い方・感じ方によって不平等になるのが時間の価値です。人生において一分一秒の価値を高めることで、ライフスタイルの質も高められるのです。では、どんな時間の価値が高いのかというと、ワクワクしている時間です。そこで、「ワクワクが空気のように当たり前になる世界へ」というビジョンのもと、会社を作り上げていくことに決まりました。時間の価値を高め、ライフスタイルの豊かさにつながるものとして衣食住があり、その中でも最もワクワクを身近かつ持続的に感じられるのがファッションだと考えました。特にライフステージの切り替わりによって、自分に使う時間が変わるのが女性です。中には、忙しさのせいで、ファッションに出会うことを諦めてしまう人もいます。だからこそライフスタイルを変えないでファッションとの出会いを実現するために、どうしたらいいかを考えました。そんな中で「自分には合わないけど、他の人には合うかもしれない」のがお洋服です。シェアの概念からレンタルを用い、日本全国に平等な出会いを与えるためにオンラインのサービスにしました。また、忙しい女性は探す時間がないからこそ、パーソナルスタイリストがそれぞれの方に似合うお洋服を提供することで、新たなファッションとの出会いが広がるサービスも生み出しています。さらに、返却期限を無くし、クリーニングも自社で行うことで、お客様が時間に縛られずに、お洋服を着て楽しむことだけに集中してもらえる設計にしました。サービス開始時、前例となるサービスは世界を見渡してもなく、競合他社がいないからこそ全部ゼロからしくみを考えました。類似サービスができることはありましたが、ゼロから組み立てているからこそ常にパイオニアであり続けることができるのだと感じます。特に物が循環する物流基盤を、他社がゼロから組み立てることには相当な難しさが伴うと思います。最初は数百着からスタートしたのですが、信じてくれた人たちの後押しもあり、現在では300ブランド・35万点以上のお洋服を展開しています。 ■人生を楽しむには仕事を楽しむこと 仕事では大変なことはたくさんありますが、常に楽しいです。仲間と一緒に本気で取り組んで、達成できた瞬間が一番好きです。法人格と書くように「会社にも人格がある」という考えから、弊社には会社の人格を定義する「9hearts」という行動指針があります。その中の一つに「全力で楽しむ」という項目があります。社内のメンバーにもワクワクした時間を過ごしてほしいと思っています。すべての仕事にはその組織が実現したい意義があり、その意義を理解できれば、どんな仕事も楽しむことができるはずです。また、仕事に取り組む際は、常に課題意識を持つことが大事です。その課題を解決するために、変化することや挑戦することを疎かにしてはならないと感じます。成長企業で働く上では、自身が成長していくことで仕事の幅が広がっていきます。より仕事を楽しみたいならば、自分自身が成長するしかありません。スポーツは才能に左右される要素がありますが、仕事については本気で取り組めれば誰でも結果を出すことができると考えています。だからこそ、貪欲に成長していくことが大切だと思います。 ■大学生へのメッセージ 時間をどうやって使うかは、自分の姿勢で決まってきます。自分が持てるすべての時間を納得するように使うために、本気で向き合うことが大切だと思います。人生の時間は有限だからこそ、どう時間を使うのかをしっかり考えること。そして、自分の人生を大切にしてほしいです。 学生新聞オンライン取材2022年10月6日 國學院大學3年 島田大輝

大塚美咲

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長 早川周作

「想い・情熱・志」で結果をみせる! 琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長 早川周作(はやかわしゅうさく) ■プロフィール大学在学中に起業。元首相の秘書として勉強し28歳で衆議院選挙に出馬。その後約90社の顧問の立場でベンチャー企業を指揮する。2018年琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社代表取締役に就任。明治大学MBAビジネススクール講師、国立大学法人琉球大学客員教授に就任。2021年12月Forbes JAPAN「今年の顔100人」に選出された。 「未来を照らす太陽のような存在」を目指す琉球アスティーダ。プロスポーツチーム初の上場を果たし、3年で日本一のチームにするという偉業を成し遂げた早川周作氏。壮絶な学生時代、選手達を熱く奮い立たせる情熱、人生を通じて揺るがない信念とは。驚くほどポジティブな早川氏の人生談、会社の魅力、想いを伺った。 ■新聞配達、学生起業家、国政選挙出馬。がむしゃらに挑戦した熱い学生時代 19歳の時に父親の会社が潰れて蒸発し、学生時代に起業をして国政選挙に出馬するという変わった学生時代を過ごしてきました。元々父親が会社を潰して蒸発し、行政に相談した際、「世の中はなぜ強い者ばかりに光が当たって弱い者には当たらないのだろう」と強く感じたことが国政選挙に出馬しようと思ったきっかけでした。その社会的な構造、仕組み自体を変えていかければと19歳ながらに感じていたんです。挑戦したことが評価される社会でなければいけない。いわば、結果だけで評価する社会はおかしいのだと。みんながチャレンジしやすい、夢を持って前に進める社会を作ることが僕の使命かもしれないと思いました。そこで、20代で選挙に出ると心に決めたのです。家業が潰れた後は、新聞配達の仕事でお金を貯め、一番学費が安くて法律の勉強ができる夜間の明治大学法学部に進学しました。そして大学1年の時から法律事務に勤め、昼間は働いて夜に勉強をするという生活を送っていました。当時働いていた法律事務所が不動産競売を扱っていて、ボスの弁護士から不動産の知識を詰め込まれる日々。そんな中で法律事務所の投資家の方が「お前はサラリーマンをやる人間じゃないから会社をやれ」といって5千万円ほど僕に投資してくれました。母親が地元の秋田に残されていたので、母親と呼んで一緒に暮らすためにも将来は起業することを決めました。 ■「強い人だけでなく弱い人に光を当ていきたい。」自分の信念と重なった、卓球チームとの突然の出会い 大学卒業後、当時稼いだお金は、選挙に出てほとんどなくなってしまいました。そこで企業からお声掛けをいただいて、80社近くのアドバイザーや顧問を行い、「もう十分稼いだな」と思ったタイミングで沖縄に移住しました。その時、沖縄にTリーグという卓球のリーグができたのです。卓球というスポーツは800万人ほど日本にいるにも関わらす、当時はプロリーグがありませんでした。そこで「卓球を国技にしよう」と両国の国技館で立ち上げられたのがTリーグでした。そしてリーグを立ち上げた方が、突然僕に「卓球は5歳で始めても、15歳でメダルが取れる可能性がある。沖縄の貧富の格差がこれだけ拡大する中で、お金をかけずしてチャンスが与えられる球技は卓球しかない」と話してきました。その想いは、僕が常に政治やベンチャー支援でも常に大切にしていた「強い人だけでなく弱い人に光を当てていくんだ」という考え方にどんとハマったんですね。卓球経験は全くなかった僕ですが、たった30分でチームを引き受けることを決意しました。 ■人を突き動かすのは「想い・情熱・志」 しかし、実際に飛び込んでみると、スポーツ業界にすごく違和感を覚えました。なぜかというと、スポーツにお金を出そうとしてくれる企業はとても少なく、スポーツチームで上場している会社は当時一社もなかったからです。夢と感動を与えるスポーツにもっと良い循環モデルを作らなくては日本のスポーツは終わってしまうと思いました。だから自分はチームを引き受けてすぐに、日本で初めてのプロスポーツ上場会社を作ろうと決意したのです。しかし、初めは誰からも相手にされない状況でした。だからこそ結果で見せるしかなかった。僕は最初から人に賛成されるビジネスは絶対にうまく行かないと思っています。競合が入りやすく、誰でもマネできるからです。明らかに周りとの差別化があり、反対されるようなビジネスでないと跳ねることはできない。中でも、強い選手を獲得することは特に大変でした。ファーストシーズンはダントツの最下位で全く勝てませんでした。そこで色々なチームの選手を片っ端から食事に連れていき、「3年以内に日本一のチームを作りたい」「絶対強いチームを作りたいから、そのためにはどうしたらいいんだ」というヒアリングを繰り返しました。張本智和選手にもうちのチームに来てもらうために会う度に話をし、4年越しでやっと入団してもらうことができました。彼が「琉球に移籍した理由は社長の情熱だ」と言ってくれた時はうれしくて涙が出ましたね。やはり、想いや情熱、志というものは人を突き動かす原動力になるのだと痛感し、「プロスポーツをやってよかった」と心の底から思った瞬間でした。 ■仕事は本来楽しいもの。おもしろ楽しく、ご機嫌に働く人間が欲しい! 本社のホームページに「おもしろ楽しく、いつもご機嫌に。諦めずに、やりきり超MAX!」と書いてあります。要は、バカでもいいんです。仕事は本来楽しいものだし、それに対して社会を変えていくことや自分の生きざまを示していくことが本当のやりがいだと思います。だから僕は会社で一回も怒ったことがありません。いつもご機嫌に、面白楽しくできる人間を採用したいです。そのために大切な能力は、忘却力。事業をやっていると良いことも悪いこともあり、常に強運に恵まれることはありません。その波の中で多くの人は悪い方を引きずってしまいますが、反対に僕はプラスの部分だけを引っ張って生きているのでここまでやってこれたと思っています。皆さんも、良いことだけを持ち歩いて楽しく働ける人間になってみてください! ■吸収力は今のうち。時間を味方に、最高の大学生活を! 吸収力がある若い時期をとにかく大切にしてください。今10分勉強すればできるようになることも、10年後には3時間かかってしまうということがあるんです。だからこそ時間を味方につけることはとても重要で、今の頑張りは将来の時間を買うことになります。今の時間を大切に、1日1日を大切に生きて時間にレバレッジをかけて充実した大学生を楽しんでください。 学生新聞オンライン取材2022年11月17日 東海大学4年 大塚美咲

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有村架純 自分の核を見つけて大切に、きっと運は自然とやってくる

女優 有村架純 (ありむら かすみ) ■プロフィール 1993年2月13日生まれ。主な出演作品はNHK 連続テレビ小説『ひよっこ』(2017)、映画『花束みたいな恋をした』(2021)、『前科者』(2022)、『石子と羽男』(2022)、『月の満ち欠け』(2022)。現在、NHK 大河ドラマ『どうする家康』に出演中。2 月23 日に映画『ちひろさん』がNetflix&劇場公開された。 2010年のドラマ初出演以来、数々の人気作品に出演し、昨年は日本アカデミー賞も受賞された有村架純さん。今回、人気漫画の映画化であり、2月23日(木・祝)より全国劇場にて公開中。また、Netflixで世界に同時配信中の映画『ちひろさん』の主演を務めた。「元風俗嬢」という従来のイメージを覆す役柄を演じた有村さんに、本作品に込められた想いや見どころを伺った。 心を救ってくれる作品『ちひろさん』 今回のお話をいただいて原作の漫画を読んだとき、私も一ファンになってしまうくらい、主人公のちひろさんに心惹かれました。そして、自分の中のわだかまりをスッと救ってくれるような、今の時代に生きづらさを感じている人にとって救いとなる作品になるに違いないと感じたのを覚えています。とくにコロナ禍において一人で過ごす時間も増えた中で、「一人でいるのは怖いことではなく、むしろ自分の幸福度を上げてくれる時間かもしれない。みんな自信を持って堂々と思いのままに生きてほしい」という思いでこの作品に参加することを決めました。たとえば、作品の中にこんなセリフがあります。「みんなで食べるご飯はおいしいけれど、一人で食べてもおいしいものはおいしい」。人は共感性を求める生き物であり、共感できないと疎外感を感じる。そんな人間関係の駆け引きを肯定してくれる、ちひろさんならではのセリフだなと感じています。ちひろさんは親からの愛を十分にもらえなかった子で、きっと何かを失うことへの恐怖心があるからこそ周りの人と程よい距離感を保っているのだと解釈しました。でもその距離感が心地良かったり、みんながちひろさんに心を開きたくなったりするし、ちひろさん自身もこれまで周りから愛をもらい温かさを知っているからこそ、一人を愛することができるのだと思います。 〝ちひろさん〞という女性 ちひろさんのビジュアルは私ではないという不安があり、喋り方や髪型、艶感なども調べたり話し合ったりしたのですが、あまりやり過ぎたくはなかったので、基本的にはそのままで行こうということになり、この作品の世界に飛び込ませてもらいました。ちひろさんの過去などはたくさん想像して、一社会人として、世間一般にいう普通の女性として社会に踏み出したけれど、人との尺度の違いやうまく交われない何かを感じ、風俗という職業に出会った。達観した、人生を1回終えたような佇まいをどう表現できるのかを考えながら演じる中で、私もちひろさんという人物を追いかけていたように思います。だからこそ自然とちひろさんのことを「ちひろ」ではなく「ちひろさん」と呼んでいたのかもしれません。ちひろを生きているという感覚よりもちひろさんを客観視しているという感覚に近かったです。そのような感覚は初めてだった気がします。それと同時に、相手から飛んでくる棘のようなものに対して、「傷ついてほしいだろうけれど、私は傷つかないよ」という相手と対峙するような強さがある人。そのような中で、ちひろさんのいい意味で物事に干渉しない、人に期待しないカラッとした部分を意識していました。 誰かの心に作品を残すこと 今回、今泉監督とお仕事をさせてもらって感じたのは、監督は好奇心の塊のような人で、自分自身の中に戦い方がある人だと思いました。何かコンプレックスがあったりもがいているものがあったりして、それを撮影することで一つずつ消化しているのかなという印象を受けました。その分、細かなニュアンスまで丁寧に指導してくださり、そこに身を委ねて撮影していました。何か特別なリクエストがあったわけではないのですが、あまり暗くなりすぎず、明るくちひろさんを演じさせてもらいました。監督の作品には日常の温もりを感じさせるものが多いと思うのですが、多くの人にそのことが伝わったら嬉しいですね。女優という仕事をしていて素敵だなと思うのは、すごく綺麗ごとに聞こえるかもしれないですが、一つでもいいので自分の作品を誰かの心に届けられればと思っています。そのために自分はこの仕事を続けているのだなと最近改めて感じています。今のところは演じること以外には挑戦してみたいことはないのですが、いつかは脚本を書いてみたいと思っています。いろんなジャンルの作品があると思うのですが、私は説明の多すぎない、余白を感じられる作品が好きなので、そんな作品を作れたらいいなと思っています。 大学生の皆さんの中には、自分が理想とするものが漠然としすぎていて、本当にやりたいことが何か分からないという人も多いのではないかと思います。そんなときは、まず思い描く理想の根本となる部分を探してみてください。それを見つけることができたら、いろいろなことがとてもスムーズに進んでいくと思います。タイミングとか運のようなものが勝手にやってくるような感覚です。一気に視野が広がると思います。うまく一番の核となる部分を見つけ出していただきたいです。 学生新聞2023年4月号 東洋大学3年 濱穂乃香 『ちひろさん』有村架純豊嶋花 嶋田鉄太 van若葉竜也 佐久間由衣 長澤樹 市川実和子鈴木慶一 根岸季衣 平田満リリー・フランキー 風吹ジュン原作:安田弘之『ちひろさん』(秋田書店「秋田レディース・コミックス・デラックス」刊)監督:今泉力哉脚本:澤井香織 今泉力哉 音楽:岸田繁主題歌:くるり「愛の太陽」(VICTOR ENTERTAINMENT/SPEEDSTAR RECORDS)製作:Netfl ix、アスミック・エース制作プロダクション:アスミック・エース、デジタル・フロンティア配給:アスミック・エース PG12Ⓒ2023 Asmik Ace, Inc. Ⓒ安田弘之(秋田書店)2014 https://chihiro-san.asmik-ace.co.jp/Netflixにて世界配信中&全国劇場にて公開中ヘアメイク:尾曲いずみ スタイリスト:瀬川結美子衣装クレジット:テーロプラン/テーロプランカスタマーサポート 撮影協力:カメラマン 広田成太 <英文記事> Actor Kasumi Arimura Find and care for your core values, and luck will come to you naturally. ■ProfileBorn 13 February 1993. She has acted in the NHK television series’ Hiyokko(ひよっこ)’...

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Gigi株式会社 代表取締役 今井了介

Your Happiness is My Happiness  Gigi株式会社 代表取締役 今井了介 (いまいりょうすけ) ■プロフィール 音楽プロデューサー・作詞 作曲家・TinyVoice,Production 代表取締役 「ごちめし」・「さきめし」・「びすめし」「こどもごちめし」運営・Gigi株式会社代表取締役 TEEさんの「ベイビー・アイラブユー」や、安室奈美恵さんの「Hero」の楽曲提供・プロデュースをはじめ、音楽プロデューサーとして数々の作品を手掛ける今井了介さん。実は、音楽活動にとどまらず、フードテック会社の社長という顔も持つ今井さんに、プロデュース業や飲食ビジネスのリアルについて伺った。 小さい頃からずっと、成績表のコメント欄に「協調性が無い」と書かれるような子供でした。共通の目的や趣味が似ている人とは仲良くなれるものの、共通点がない人と仲良くする理由が分からなかったことや流行などの話題に興味がなかったことが要因かも知れません。そんな私はホルン奏者の父、ピアノの先生である母という音楽家のもとに産まれました。両親は感覚を信じ、自分の考えを大切にしている人だったので、私自身も自然とこのような生き方になったのかもしれません。 ■音楽は”やりがい”と”苦労”が表裏一体 元々は絵描きになりたいと思っていました。両親を見ていて、音楽業界は大変そうだが、クリエイティブな仕事がしたいとは思っていたからです。ただ、就職して安定している姿を望む親の思いを感じて一度は大学へ進学しました。せっかく入学しましたが、学びたい科目や、その先の将来がイメージ出来ず「人生の中で感受性が高いこの時期こそ、やりたいことに時間を使いたい」と思って、すぐに退学してしまいました。そこから絵描きとして生きようとしたのですが、生計を立てていくことが困難で諦めかけていた時に、音楽の道を諦めた先輩と出会いました。そのとき、先輩から自分がトライするには高額でハードルの高かった音楽の機材を貸していただいたことから、自分で音楽を作るようになりました。そして、気が付けば作品作りに没頭し、トラックメーカー・リミキサーになっていたのです。音楽は知的財産と呼ばれるように、作詞家・作曲家の名前がすぐに検索でき、良い意味で自分の名前を背負うことになります。結果、「好きなこと」を仕事にできていますが、実際には大変なことも多いです。例えば、ダサいと言われる作品を作ってしまった際にも名前が残ってしまうし、継続的に仕事をもらうためにはやりたくないことを我慢してやらなければならない時もあります。また、関係者の経済活動を支えている以上、締切に間に合わないと周囲に迷惑をかけてしまうので、どんなにアイディアが生まれなくても、期限までになんとか作品を作り上げなければなりません。「やりがい」と「苦労」は表裏一体ですが、これらを踏まえた上で、作品を生み出すことを楽しめる人は向いていると思います。また、影響力の大きい仕事なので、たった1曲でも多くの人の経済活動を動かせることがやりがいのひとつです。プロデュースは、そのアーティストが売れ続けるきっかけになるし、今後の方向性の指針になることもあります。このように、誰かのブレイクスルーする瞬間に携われる可能性があるのは、本当に興味深い仕事だなと思いますね。 ■Your Happiness is My Happiness  学生時代、『We are the world 』の音楽チャリティーを目にし、世界や社会にとって良い活動をしていることは素敵だと思い、私も何か支援が出来たらと思っていました。これまでフィリピンやガーナ、東日本大震災への支援をしてきましたが、衣食住に困っている状態では、スポーツやお笑い、音楽などのエンタメに興味を持つことはできません。そこで衣食住に寄り添ったサービスとして、ギフトとして誰かにご馳走できる「ごちめし」を作りました。他にも街の飲食店が社食になる「びずめし」、先払いでコロナ禍の飲食店を支援する「さきめし」などのサービスも行っています。ギフトとは本来、もらう人のためのものではなく「あげる人のためにある仕組み」だと考えています。「Your Happiness is My Happiness」なのです。顕著な例は音楽のサブスクリプションサービスです。多くの人に聞いてもらえるにつれてインセンティブとしてお金が入ってきますし、気持ちが動くことで経済も動く。今後は、「ごちめし」などのサービスを、日本以外の国へも広めていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 「圧倒的であること」「謙虚であること」「寂しがらないこと」を意識して欲しいです。まず「圧倒的であること」についてですが、プロ野球選手のイチローさんや秋元康さんは圧倒的な練習量、作品数を積み重ねた上で成果を出されています。彼らのように圧倒的である人には人が集まると思いますし、失敗が自分の糧にもなるでしょう。次に「謙虚であること」についてです。人の言うことに見向きもしない、自分勝手な状態になり過ぎてしまうと、大切な言葉も逃してしまう可能性があるので、注意が必要だと思います。最後に「寂しがらないこと」についてですが、物事を成し遂げたいと思った際、都合よくお仲間や支援者が集まるといった、マンガの主人公のような現象は殆ど起き得ません。そのため、「自分は何を貫きたいのか」という自分の柱となるものを見つけ、挑み続けて欲しいと思います。 学生新聞オンライン2023年1月6日取材 中央学院大学 4年 田根颯人

大塚美咲

オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹

社員クチコミで意思決定のヒントを届ける。ミスマッチがない就職を。 オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹(おおさわはるき) ■プロフィール 東京大学大学院卒業後、リンクアンドモチベーション入社。中小ベンチャー企業向けの組織人事コンサルティング事業のマネジャーを経て、企画室室長、新規事業の立ち上げや経営管理、人事を担当。2019年11月にオープンワーク取締役副社長に就任。2020年4月、代表取締役社長に就任。2022年12月 東証グロース市場に上場。 働き方が多様化し、自身のキャリアに責任を持つことが重要となるこの時代。そんな今、就活生の半数以上が利用しているクチコミサイト「OpenWork」を運営するオープンワーク株式会社には、クチコミの質への拘りと、とことんユーザーを大切にする想いが詰まっていた。飛躍し続けるオープンワークの裏側、就活生への想いを同社の大澤陽樹社長に伺った。 ■人や組織を変えなければ世の中は変わらない 大学生のころは、イギリスに留学をして砂漠の緑化について研究していました。そんな中、法律や倫理観の問題で実現することの難しさを感じたと同時に、世の中を変えるためには人を巻き込むことが大事だと痛感しました。そして、社会や国と連携できる手触り感のある研究がしたいと思うようになったんです。その後、東京大学の大学院に進み、研究の傍ら都市計画のコンサルティング業を受託する会社でアルバイトをしました。この仕事を通じて、机上の空論を創ることは誰にでもできるけれど、人や組織を変えなければ世の中は変わらないなとより一層強く感じました。オープンワークとの出会いは、前職のベンチャーキャピタル事業で新規事業の立ち上げに携わったこときっかけです。携われば携わるほどオープンワークの可能性をひしひしと感じ、中途半端にやるのではなくオープンワークにフルコミットしたいと考え、転職を決めました。最初は営業のマネージャーとして入り、その後人事と広報、経営企画のマネジメントをし、「OpenWorkリクルーティング」という新規事業立ち上げの功績を認めて頂いて、副社長に就任し、今に至ります。 ■自分のキャリアは自分で責任を持つ時代。この時代に必要なのがオープンワークだ。 転職を決めるに至ったオープンワークの魅力を一言でいうならば、ユーザーファーストなサービスを追求し、運営しているという点です。今でもそうですが、ユーザーから毎日感謝の声が届き、「本当にユーザーが欲しているものをつくっているんだ」ということを実感したことが大きいです。多くのサービスが自社利益を追及したようなサービスモデルになっている中、オープンワークは「ユーザーにとっての情報価値があるかどうか」という点を一番に考え、クチコミ情報や評価スコアを審査の上掲載・提供するサイトとして確立しており、これからの時代間違いなく必要なものだと感じるようになりました。今の時代は年功序列を廃止する企業も増えていますし、我慢して同じ会社にいても給料が上がる保障はありません。自分のキャリアを会社に預けるのではなく、自分のキャリアは自分で選んでいかなければならない時代です。こうした状況において、企業にとって優位な情報だけを掲載したサイトではなく、個人が主体的に行きたい会社を自分で選べるような状態をつくるためにも企業の実態をオープンにしていくことは重要だと僕は感じています。 ■誠実な経営をする企業に人が集まる状態を 事業を運営するにあたって最も大事にしているのは、クチコミ情報の「健全性」です。具体的に何をやっているかというと、クチコミの投稿にあたっては、500文字以上を必須としたりコピーアンドペーストを制限するなど投稿のハードルを上げています。また、投稿後はすべての投稿内容に対してAIを活用した機械審査の上、トレーニングを受けた専門スタッフがすべての投稿を目視審査しています。この目視審査時に活用する独自ガイドラインは弁護士も交えた審査専門チームで定期的に改訂を重ねています。もちろんコストはかかりますが、オープンワークにとって、クチコミの健全性は生命線でもあるので、クチコミの健全性に対しては徹底して取り組んでいます。「OpenWorkリクルーティング」という採用サービスも運営しているので、求人を掲載する企業は私たちにとってお客様ではあります。ただ、たとえお客様である企業の方から、その企業にとって都合が悪いクチコミの取り下げや評価スコアの向上依頼などが入ったとしても、対応するようなことはしません。企業優位ではなく、ユーザーのみなさまにとって価値ある情報を届けることを第一としています。こうした取り組みにより、ユーザー数とともにクチコミ件数は年々増え続けています。昔は自社の社員評価が漏れてしまうので企業人事や経営者の方から半ば「煩わしいサービス」とされることもありましたが、取り組みを続けた結果、企業の皆様からも「自社の実情をユーザーに知ってもらえる」とOpenWorkリクルーティングを活用し、求人掲載をいただけるようになりました。自社のクチコミや評価スコアに対して真摯に向き合う企業様が増えてきた実感があります。「クチコミを採用力に」というテーマを掲げて、知名度ではなく社員に評価される誠実な経営をする企業にこそ人が集まる状態を目指したいです。 ■オープンワークで活躍するのは、自学自走の原動力を持つ人材 弊社は、社員数80人ほどの少数精鋭の組織です。上場企業だからといって育成が整っているわけではなく、自学自走できる人が活躍しています。例えば我々のデータサイエンティストのトップは、今でも外部の研究機関や講演に参加しながら研究を続けています。そういう人は誰かから教わらなくとも、自分の作りたい世界観を持っていて自ら学んでいくんですよね。そういったように「楽しい、こうなりたい」という原動力を持っている人と働いていきたいです。 ■他人を知り、納得した就職・キャリア形成を まず、ぜひオープンワークを使ってください!!自分で意思決定をした、納得をした就職活動をしていただきたいからです。就職活動を進めていくと、内定を獲得するためのテクニック論に関する情報がたくさん出てくると思います。もちろんそうした情報も大事ではありますが、そこに囚われすぎると内定獲得がゴールとした就職活動となり、誰かが決めた軸で会社を選び、自分軸ではない就活になってしまいます。ただ、オープンワークに答えがあるわけではなく、そのヒントしか書いてありません。ヒントを元に、自分で意思決定をし、納得した就職活動を送っていただきたいなと思っています。自分を知ることと同じくらい他人を知ることは、就活生にとって大切なことだと考えます。今はコロナ禍で他人との接点が薄くなっていると思いますが、自分の狭い世界に閉じこもっていては、あるはずの選択肢に気づけなくなってしまいます。社員クチコミをひとつの参考に、色々な人の価値観に触れ、「その中で自分はこの選択をしたのだ」という納得した就職活動をしていただけることを願っています。 学生新聞オンライン2023年1月16日取材 東海大学4年 大塚美咲

大塚美咲

一般社団法人全国介護事業者連盟 理事長 斉藤正行

「最高にかっこいい人でありたい」という想いが、原動力に 一般社団法人全国介護事業者連盟 理事長 斉藤正行(さいとうまさゆき) ■プロフィール 1978年に奈良県生駒市で生まれる。2000年3月に立命館大学卒業後、コンサルティング会社に入社し飲食業のコンサルティング、事業再生等を手がける。その後、介護業界に転身し、老人ホーム会社の取締役運営事業本部長、デイサービス会社の取締役副社長を経て、2013年8月に株式会社日本介護ベンチャーコンサルティンググループを設立。2018年6月に法人種別・サービス種別の垣根を超えた介護事業者の横断的組織である一般社団法人全国介護事業者連盟の設立に参画、2020年6月に理事長に就任。そのほか介護団体・法人の要職等を兼任し、介護業界の発展に心血を注いでいる。 法人・サービス種別の垣根を越えて、介護業界の事業者をまとめる団体「全国介護事業者連盟」を運営する斉藤正行さん。ベンチャー企業のコンサルタントから、「人のためになる仕事がしたい」と介護業界へと転身。現在に至るまでのその軌跡と、仕事に取り組む上で大事にしている姿勢について伺いました。 ■井の中の蛙だと思い知った。刺激的な出会いと環境が自分を変える。 20歳の途中くらいまでは学校に行き、バイトをして友達と遊ぶといった至って普通の大学生活を送っていました。通学に2時間弱かかっていたので、その時間でとにかく本をたくさん読んでいましたね。移動中の読書に夢中になるあまり、そのまま大学に行かずに帰るなんてことも(笑)。幅広いジャンルを読んでいたので、それは今の仕事や人生観にも影響を与えてくれたと思います。そして就職活動が迫る中で自身の将来について考えるようになり、議員向けの学生インターンシップに応募し、小池百合子都知事の元でインターンに参加しました。インターン期間が終わった後も小池さんに「しばらくうちで働かないか」と声をかけて頂き、秘書見習いという形で1年間働きました。同時に、 NPOの立ち上げや運営の仕事もしていました。この環境では、自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知らされました。自分は何でもそつなくこなせるタイプだったのですが、ここでは学生でベンチャーの起業をしている先輩や20代で議員として活動しているような人が当たり前にいて、自分との圧倒的な差を身に染みて感じました。この時、僕の負けず嫌い精神が燃え、それからというもの「自分のような凡人が天才に勝つには努力するしかない」という想いでほとんど遊ぶことなく、仕事に打ち込む大学生活となりました。 ■自分の価値観や美意識に照らして、最高にかっこいい人でありたい 大学卒業後は、ベンチャー企業のコンサル会社に入社しました。学生インターン時代の出会いから、僕自身もベンチャーの起業に興味がありました。とはいえ突然起業することはできないため、まずは会社にはいって下積みをしようと、敢えていわゆるブラック企業を選んで入社しました。基本的に休みは月2、3日、平均退社時間は深夜1時といった、筋金入りのブラック企業生活でしたね(笑)。マネジメントやビジネス、コンサルティングの知識全般はもちろんですが、何より仕事への基礎体力は相当身につきました。この時よりしんどいことはほぼその後経験することはなかったので、介護業界に移ってからは自分としては8割くらいの仕事量でも周りからは「働きすぎだ」とドン引きされることも。かなり免疫力が付きましたね。当時の自分を突き動かした原動力は、常に「他の誰でもない自分の価値観や美意識に照らして、最高にかっこいい人でありたい」「世のため人の為になることと、ドデカいことをしたい」という理想像を思い描き続けること。これが自分の生きる目的であり、人生の軸となっています。 ■人の為になりたいと、介護業界へと転職 そして、実務を自分で推進していきたい、経営層に加わっていく環境で仕事をしたい、とアンテナを張っていったところ、僕の「人の為になる」という軸と合致している介護業界と出会いました。はじめに入った介護の会社では26歳で従業員兼取締役という立場でマネジメントの一端を担いました。そして7年間で介護施設を2か所から約150か所にまで増やし、3年で上場も果たすことができました。ここで働いていく中、僕の中で社会の問題が次から次へと見えて来るようになり、どんどんと介護事業にのめり込んでいきましたね。そして介護の在り方について、現場視点で厚労省と協議しながらあるべき姿にしていかなければならないと感じました。しかし、この上場企業の中で活動利益につながりにくい取り組みを進めることは難しい状況・立場でありました。僕は人生の中でこの大きな仕事を絶対に成し遂げるのだと決めていたので、2社目の会社に副社長として移ることを決意しました。 ■声が届きにくい業界。だからこそ、現場視点で改革を続ける。 我々のような介護の業界団体は、実はありすぎるくらいたくさん存在しているんです。法人種別やサービス種別ごとに団体が細分化されていて一つ一つの団体が小さいため、声が国に届かないという実態です。だからこそ、皆が集まって大きな塊になる必要があります。そのために僕らは現場の声を届け続けているのです。同時に、我々は、社会保障制度を持続可能なものとするために、単なる介護報酬の増額を求めるのではなく、生産性の向上や規制改革などを現場視点によるルール見直しを提言し続けており、改革を続けてきています。 ■求める人材は、イノベイティブな人材。 「自ら社会を良くしていきたい」「イノベーションを興していきたい」という人たちと一緒に働いていきたいです。人口構造上、介護職員を増やしていかなければならないことは確かです。その中でも僕は、介護業界でイノベイティブなことができると思っています。1つの軸は、DXやICTの技術を活用し、生産性を高める現場改革をしていくこと。他の業界に比べるとプレイヤーが少ないため、ある意味チャンスでもあります。そういう発想で社会を良くしていきたいという意欲のある人と一緒に働いていきたいですね。 ■Message 介護と聞くと、大学生の皆さんにとって遠い未来の話で関心がないかもしれませんが、いずれ必ずと言っていいほど関わる話ですので是非アンテナを張ってみてほしいです。また、ビジネス的な視点でもチャンスに溢れている業界でもあります。そして、学生のうちにやりたいことはとにかくチャレンジし続けてください。皆さんが思っている以上に世の中は広く、人生は一瞬です。楽しみ方は人それぞれですが、必ず「自分流の軸」を見つけて、他者と比べるのではなく頑張り続けてほしいです。 学生新聞オンライン2022年11月30日取材 東海大学4年 大塚美咲

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株式会社ゴルフパートナー 代表取締役社長 石田純哉

業界構造を捉え、他社との差別化を図ることで“世界一”に 株式会社ゴルフパートナー 代表取締役社長 石田純哉(いしだじゅんや) ■プロフィール 法政大学 経営学部卒業後、マルマン、日本スリーエス、ベンチャー・リンクなどを経て2003年に株式会社ゴルフパートナー代表取締役社長に就任。現在はゼビオのグループ企業としてゼビオホールディングス執行役員兼ゴルフパートナー代表取締役社長を務める。 学生時代から社長を目指し、多彩な経験をもとにゴルフパートナーの社長に就任した石田純哉氏。今回は個性的なアルバイトを続けていた学生時代にはじまり、ゴルフパートナーが世界一になれた軌跡について伺った。 ■多彩なアルバイトに挑戦した学生時代 高校時代はキャディのアルバイト、大学時代には銀座のプールで水泳の先生や海浜公園での救助員、毛皮販売の補助、家庭教師など様々なアルバイトをやっていました。ちなみに家庭教師では親御さんに対して「お子さんは頑張れば志望校に行けます!」などと夢を語らず、現実的な指導方針を伝えていたらすぐにクビになってしまいました(笑)。ですが、これらの経験から効率よく稼ぐ方法や様々な仕事のノウハウを吸収できたと思っています。 ■学生時代から“夢“は社長 学生時代から、社長になりたいという夢を持っていました。しかし、当時は友達との飲み会でその話をする度に「社長になんてなれるわけない」とバカにされていました。バカにされても私が社長になりたかった理由は、金銭面で苦労している親の姿を見ていたからです。元々両親は駅前でコンビニサイズのスーパーを運営していました。ですが、カスミなどの郊外型スーパーの登場によって駅前が廃れていき、父親が40歳からサラリーマンに転身し、非常に苦労をする姿を目にしていました。そこでお金に困らない生活をするためにも、社長になろうと考えるようになりました。 ■元気よくハキハキしていれば成功すると思っていた新社会人時代  最初の会社であるマルマンに入社した際は、「東京で働きたい」と思っていましたが、残念ながら仙台支店に配属になりました。最初は仙台で頑張ろうとしていましたが、東京にいないと遅れてしまうのではないかという恐怖心や新幹線での移動が多くて時間がかかることから退職し、東京に帰って来てしまいました。  2社目は相続税に強みのある日本スリーエスに入社し、弁護士や会計士と仕事をする機会を持ちました。ただ、ここでは営業マンとしてハキハキしているだけでは足りず、専門分野を勉強することが重要だと気づきます。そこで簿記の3級と2級を取得し、自身の専門性を高めながら、2年ほど修業させてもらいました。  3社目は牛角やガリバー、タリーズなどを大きくしていったベンチャー・リンクに入社しました。当時のベンチャー・リンクは地銀へのコンサル・ビジネスマッチング事業とベンチャー企業、フランチャイズ会社の営業部隊を代行する事業があり、私は営業代行の事業に配属され、中古車のガリバーの担当になりました。最初は加入者を集める仕事をしていましたが、後にフランチャイズを立ち上げる仕事も代行することになり、どっぷりガリバーにハマっていたので、段々とガリバーで独立したいと思うようになりました。 ■独立の相談をした結果、社長に  ベンチャー・リンク創業者の小林さんに独立の相談をしにいったところ、「やめたほうがいい」と反対されました。大きなポイントは、独立資金が4000万円かかるのに1店舗当たり2000万円しか儲からないことでした。また、店舗数を増やすまでに非常に時間がかかるのもデメリットでした。  実は当時ガリバーとは別に、中古ゴルフクラブという新しいマーケットを開拓する総合ゴルフショップ「ゴルフパートナー」を立ち上げたいという強い想いを持っていました。そこで、小林さんは私のために子会社を作ってくれた上、ガリバーの10店舗の経営を任せてくれました。以来、ガリバーとゴルフパートナー両方の運営をしていましたが、ゴルフパートナーに課題があることを伝え続けた結果、ガリバーなどの他のフランチャイズはほかの人に任せて、私自身はゴルフパートナーの社長に専念させてもらうことができました。 ■業界の構造を理解したことでゴルフパートナーを伸ばした  社長になってから力を入れたのは、直営店の店舗数強化です。直営店の強化に踏み切った理由は、自信があるフランチャイズなら自社で伸ばしていくべきだと思ったからです。結果として、就任2年目で黒字化、銀行からの借入が可能になりました。   ゴルフ業界の魅力は、市場の大きさに加えて、ゴルフクラブの製品力の伸びがあることだと思っています。まず市場規模としては大体3000億円ほどあると言われ、スポーツ業界の中では断トツの存在です。別業界の話になりますが、ガリバーなどの中古車業界が伸びた理由の一つに、製品の寿命が延びたことが挙げられます。これはゴルフクラブでも同様のことが言えます。壊れやすいことで対応回数の増加や世代交代のスパンが早くなってしまうのですが、技術進歩で壊れにくくなったことが業界の伸びに繋がっていきました。  ゴルフパートナーが中古クラブにおいて6割のシェアを取ることが出来た要因は、リスクを取って店舗数を増やしたこともありますが、店舗の在庫システム・査定システムに投資したことが大きいと思っています。査定システムは他社が半年に1回くらい値段を変えるところを週に1回くらいの頻度で変更できる仕組みを整えていました。これらのように業界の構造を理解し、他社との差別化を図ることがシェアを伸ばせた要因だと思います。 ■個性的な人と働きたい  私は採用の時、個性的な人が自分の成功パターンを見つけて欲しいと伝えています。ゴルフパートナーで活躍している店長には明るい店長もいますし、そうでない店長もいて、成功要因は様々です。そのため、この特徴があれば必ず成功するという要素は無いと思っています。自分の個性を活かして仕事ができる人と働きたいと思います。 ■大学生へのメッセージ  昔と比べると、今はグローバルになってきていて、自信を持って日本を先進国だと言いにくくなっていると思います。ちなみにゴルフクラブが世界で一番安いのは日本です。世界でも微妙な立ち位置になっている日本の現状を跳ね返して欲しいです。また、ゴルフパートナーは中古ゴルフクラブの販売本数の多さでギネス世界記録にに認定されたことがありますが、このようなビジネスやまだ広まっていないけれども世界一を取れる可能性のあるビジネスモデルをもっと世の中に広めて、世界で日本の地位を逆転させて欲しいです。 学生新聞オンライン2022年11月7日取材 中央学院大学 4年 田根颯人

学生新聞インターン

ミュータントウェーブ。

知らなきゃ!を知りたい!に変える。ポップなジェンダリスト ミュータントウェーブ。大嶋悠生(おおしま ゆう:おおちゃん)・山本朝陽(やまもと あさひ:あさひ)・大川政美(おおかわ まさみ:まさ) ■プロフィール 知らなきゃ!を知りたい!に変える。ポップなジェンダリスト社会に根付く、男らしさや女らしさの枠に縛られず、自分らしさの表現を大切にし、誰もが自分を好きになれる世界を目指しています! https://www.youtube.com/channel/UC8AuY5zhH76XT2KWoug3xsA LGBTを含めた多様な価値観などを、トランスジェンダーのアイコンとしてメディアやエンタメを通して発信している“ミュータントウェーブ。”。なでしこリーグ所属の元女性であり、現在は男性として生きる3人に、トランスジェンダーの当事者としての想いやLGBTの発信活動についてお話を伺った。 ミュータントウェーブ。について:リーダー大嶋悠生さんへインタビュー ■タレントとしてLGBTを伝えようと決心 企業に向けてLGBT研修を行っていく中で、「教科書やマニュアル通りに話すより、LGBTの当事者としてもっと多くのリアルな体験談を話すほうが興味を持ってもらえる」と気が付いたんです。実は、トランスジェンダー男性のロールモデルに当たるタレントがいないんです。だからこそ私たちがロールモデルになり、発信していくことがLGBTの社会問題の解決にもつながると確信しました。そこであさひとまさとYouTubeをはじめました。 ■「情報発信」と「ロールモデル」の2つの活動 現在の活動は、YouTube、テレビやラジオといったメディア出演、企業講演、全国の幼稚園から大学生に向けたジェンダー教育、市や教員向け研修なども行っています。テレビでは、ニュース番組や教育・福祉番組にも出演しています。ポップなジェンダリストを名乗っているので、企業研修もユニークな形でワクワクできるか?を意識しています。例えば、DAZNでの研修では、海外と中継をつなぎながら、NGなしで質問に答える形で知るキッカケを体験してもらいました!またメンバーのまさは、レザーブランドにアーティストとしてデザイン提供をしており、その売上の一部を海外のLFBT団体の寄付に繋げる活動もしています。LGBTや多様性に関するプロジェクトや商品のアンバサダー就任など、情報発信の提供だけではなくロールモデルとしての活動も意識しているんですよね。日本ではまだまだジェンダー平等といった部分の意識や取り組みが遅れているので、「LGBT×○○」のシナジーが生まれやすい環境があります。多岐にわたってのお仕事をいただくことが多いですが、この活動がなくなるくらいの世界になるといいですよね。今後は、緊急性を感じていない方や、興味を持っていない方をどれだけ巻き込んでいけるかが大切なポイントだと思っています。 ■世界で認識されるアイコンへ ミュータントウェーブ。の最終的な目標は、世界のみんなにポップなジェンダリスト・多様性のアイコンとして認識してもらえることです。世界的なアイコンとして知ってもらうことで、我々が発信する情報も届きやすくなります。影響力も大きいでしょう。将来的には、LGBTを公表できる事が当たり前の環境の中で、公表する・しないといった選択ができる社会にしたいです。ジェンダー間の分断をなくし、だれもが自分を好きになれる世界にしていきます!また、自分たちが独自に伝えたいのは、「LGBTという言葉で一括にまとめるのではなく、人それぞれ個性がある、グラデーションがある」ということ。この思いを、より多くの人たちに向けて広めていきたいです。 ミュータントウェーブ。のメンバーへインタビュー ■サッカーを始めたきっかけは? 山本朝陽さん サッカーは小学生一年生の頃からはじめました。当時、自分の姉がドッジボールをしていましたが、あまり興味が湧きませんでした。しかし男子たちがサッカーをやっている姿が、かっこよく映り、その憧れからサッカーを始めました。 大嶋悠生さん 幼稚園年長のときに、兄がやっていたサッカーについていったのがきっかけです。そこでボールを蹴っていくうちに、周囲の男子にも劣らないぐらいに上達して、楽しさも覚えていきました。その頃、周囲の勧めで、本格的にサッカーを始めました。 大川政美さん 僕も幼稚園の年長からはじめました。当時仲が良かった男子の友達がサッカースクールでプレーする姿を見て、「楽しそう!自分もやりたい!」と親に伝えたのを覚えています。当時のサッカースクールのコーチたちはボーイッシュな女性だったこともあり、女子がサッカーをすることに親が抵抗を持つこともなかったです。 ■サッカーへの熱意・高みを目指すきっかけは? 山本朝陽さん 当時、在籍していたチームは練習が少ないところでした。その後、友達が現在の浦和レッズにあたる強豪チームに在籍をしていることを知り、大きく刺激を受けました。そこからサッカーを頑張りたい・上手くなりたいという熱意が生まれました。 大嶋悠生さん 小学生の頃はただサッカーを楽しむだけでした。6年生で埼玉県に引っ越しをして、その先で女子のサッカーチームのスカウトを受けました。最終的には埼玉県の選抜チームにも選ばれましたね。その後、母が勝手に超強豪チームへのセレクションに応募していて、偶然にも最後まで残ることができました。そのチームは サッカーに対する意識が強かったこともあり、熱意というものは自然に身につきました。しかし、高校生のころチームが非常に厳しかったこともあり、高校卒業と同時に熱意と楽しさを失ってサッカーから離れていきました。その後、福祉の道に進もうと考えたとき、改めてボールに触れる機会があったのですが、そこでサッカーの楽しさを再び思い出し、もう一度サッカーをはじめました。 大川政美さん 正直にいうとそこまで熱意はありませんでした。大学1年まではサッカーをしていましたが、監督に自分のサッカースタイルを否定され、腐った時期もありました。そんな中なでしこリーグに進んだのは偶然、当時発足したチームから声がかかったので入団しました。せっかく声がかかったのだからと思い、3年間楽しくサッカーをやり切りました。 ■現在のミュータントウェーブ。の活動でやりがいや大事にしていることは? 山本朝陽さん ジェンダーに関する事での選択肢を増やしたいといった思いを大事にしています。サッカーでは選手やコーチなどの目標になるロールモデルがありますが、ジェンダーのロールモデルはまだ少ない状況です。そこで自分たちがロールモデルとして活躍をして、選択肢の一つとして表現していければと考えています。 大嶋悠生さん 活動をしていく上で喜んでくれる方や共感してくれる人たちがいることが、やりがいになっています。活動を続ける中で、LGBTを通して、考え方や選択肢の幅が広がった、価値観が凄く変化したよ!という声が届きまます。なんか嬉しいですよね。これからも、多くの気付きや知るキッカケをつくり続けていきたいと思っています。 大川政美さん ファンからの応援コメントなどが、モチベーションを上げるきっかけになっています!その中で「ファンの方がどうしてこの言葉を使ってくれたのか?」「どうして応援してくれるのか?」といった「なぜ?」を大事にしています。「なぜ?」を追求することが、自分の足りない部分も勉強できるきっかけにもなると思っています。 ■これからの夢や目標は? 山本朝陽さん 自分たちと関わってくださった人たちとのコミュニティや、多様な価値観がインクルージョンされた会社やコミュニティを生み出していきたいです。 大嶋悠生さん ミュータントウェーブ。を、トランスジェンダー男性グループとして、日本そして世界の多くの人に知っていただく事が一番の目標です。タレントと経営者の2つの軸やバランスを大切にして社会に貢献していきたいです。 大川政美さん グループでトランスジェンダー男性としてのアイコンになることが目標です。アイコンになることで、グループだけではなく、個人でのお仕事で社会課題に貢献できることも増えていくと思っています。まずはしっかりグループとしての土台を固めて行きたいですね。 ■大学生へのメッセージをお願いします。 大嶋悠生さん 社会人になると、時間の制約などで、やりたいこと・できることが少なくなっていくこともあります。今のうちに自分とは違う文化や価値観などを積極的に体感しに行くことで、考え方を現状維持にせず、アップデートしてほしいですね。大人の意見に流されずに、自分が大切にしていることを自分らしく表現することを大事にしてほしいです。 山本朝陽さん 「会社に3年いなければいけない」といった、先人の言葉が全て正しいわけではないと思います。他人の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分が将来なにをやりたいかといった選択や思いを、どの環境になっても大事にしてほしいですね。 大川政美さん 自分の経験も踏まえると、些細な言葉や行動にも、何かしらの意味やメッセージがあると考えています。その考えを持って、いろんなことにチャレンジしていってほしいです。 学生新聞オンライン2023年 1月9日取材 武蔵野大学3年 西山流生