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Archive for 運営スタッフ

学生新聞映画大賞

学生新聞映画大賞

■学生新聞映画大賞とは2023年に新設した、「大学生がもう一度観たい映画」を選ぶコンテスト ■概要(目的)①映画の価値、素晴らしさを、大学生に伝える。②大学生に人気の映画を、映画製作関係者にお伝えする。 (主催)学生新聞映画大賞 実行委員会 (各賞)男優賞・女優賞(各2名)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞、特別賞(経営者賞) ■受賞対象対象期間中、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品 ■選考方法学生新聞インターン(約50名)が、ノミネート作品10本をセレクト。ノミネート作品から、大学生200名にアンケート実施し、結果集計。※特別賞は経営者にアンケートを実施。 ■対象期間(表彰式)第1回 2023年1月1日~6月30日までに公開(2023年10月)第2回 2023年7月1日~12月31日までに公開(2024年4月)第3回 2024年1月1日~6月30日までに公開(2024年10月)  以降、同様に毎年2回開催。学生新聞発刊パーティ内にて表彰予定 ■結果発表学生新聞発刊パーティ内にて発表および表彰。第1回は2023年10月17日に開催。

コラム

テリー伊藤 コラムVol.8 人生に一度、不良ファッションで決めてみたら!

人生のひととき「不良時代」があった方がいいのではないか!最近ふとそんなことを考える。ファションで考えてみよう。今の時代、ほとんどの若者がユニクロ的な洋服か、人気のノースフェイスで代表されるスポーツウエアーを着て、ブランドスニーカーを履いて街に繰り出している。もちろんこんな爽やかないで立ちは女性にも好感を持たれるだろう。しかしなのだ、いつか長い人生を振り返った時、これではつまらなくないか!若い頃の写真がユニクロばかりでは情けなさ過ぎる。味気無さ過ぎる。あの頃あんな格好でデートしていたんだ、俺って突っ張っていたんだ、不良ぶっていたんだ、それがいいのだ! 例えば石原裕次郎、舘ひろし、岩城滉一、宇崎竜童・・・青春時代みんな不良っぽかった。裕次郎は慎太郎刈り、舘や岩城は革ジャンにリーゼント姿でハーレーダビッドソンを走らせ街を回っていた。二人の昔の写真を見るととても傍には近づけない怖い雰囲気を醸し出していた。宇崎竜童だって安い白のツナギとサングラスで決めていた!本当はいい人なのに・・・ ズバリ言います!人生で大事なのは不良の過去があることなのです!! 舘ひろし、岩城滉一、矢沢永吉など、芸能界の中年スターで若い頃遊んでいた人達がみんな輝いて見える。亡くなってしまったが萩原健一、松田優作、ジョニー大倉なんかの暴れん坊だった連中がどう歳をとって行くのか・・・彼らの人生のギャップを見たかった。本当に勿体ない。私だって本当は「俺、若い頃悪かったんだ!あまり過去の事は話したくないな~。」こんなセリフ一度は言ってみたかった。残念ながらズ~とナンパファションを着てきたし、不良になる根性もなかった。そんな自分が情けないのだ。 私の人生の反省から、皆さんには今からでも遅くないので、是非不良スタイルで決めて欲しい!何も暴走族が好んで着ていた特攻服を勧めたりはしません。先ずは初心者コースとして「SCHOTT」のライダースを着てもらいたい。シングルとダブルがあるが、お腹が出ていなければダブルが絶対にお勧め!古着屋に行けば2万円で買える。靴はサイドゴアブーツがいい!次はスカジャンだ。ヴィンテージ物は高すぎて実は格好悪い。そんなものはコレクターに任せておけばいい‼御徒町やアメ横で1万位で良いモノが手に入る。安っぽい虎柄なら尚良い!本物の不良は金が無いので、高価な洋服を着れる訳がない。春になったら明るめなスーツに派手なアロハシャツの着こなしも挑戦して欲しい! 不良ファションの哲学は「さりげない着こなしは絶対にしない!」これなんです。一度挑戦してみてはどうですか!きっと人生変わりますよ! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

シャボン玉石けん株式会社 代表 森田隼人

父の思いを受け継ぎ、無添加石けんで人々の健康と環境を守る シャボン玉石けん株式会社 代表 森田隼人(もりたはやと) ■プロフィール1976年、福岡県生まれ。2000年3月専修大学経営学部経営学科卒。同年4月にシャボン玉石けんへ入社。関東エリアの卸店、百貨店、スーパー、ドラッグストアチェーンなどへの営業に携わる。その後、取締役副社長などを経て、2007年より現職。無添加石けんを通じた現在の環境問題を広く社会に伝えるため、講演活動も積極的に行っている。 「健康な体ときれいな水を守る。」を企業理念に、人にも自然にもやさしい無添加石けんにこだわった商品を展開するシャボン玉石けん株式会社。17年間の赤字を乗り越え、父の事業への思いを受け継ぐ森田隼人社長に、これまでのキャリアや無添加石けんの魅力についてお話を伺った。 ■父の事業に対する見方の変化幼少期の頃から、何となく家業を継ぐのだろうという意識はありましたが、小学生の頃は父がシャボン玉石けんの社長であるということに幾分の気恥ずかしさを感じていました。「お父さんはどんな仕事をしているの?」と聞かれて、「シャボン玉石けん」と答える度にポカンとされるくらい、当時は地元でもほとんど知られていなかったのです。もちろん実家では当社の白い石けんを使っていたので、友人のお宅にお邪魔した時、戦隊モノなどのキャラクターがデザインされた石けんやカラフルな石けんを見て、うちは変わった石けん会社なのだという認識をもっていましたね。ですが、私が中学生の頃、父が「自然流『せっけん』読本」という本を出版したことをきっかけに、翌年から会社は黒字となりました。当時、本の執筆も自宅でしていて、原稿がたくさん置いてあったので、裏紙として勉強用に使用していたのです。勉強の途中で原稿を読み、父の会社は環境に優しい商品を作っているのだと気づき、父の事業に対する見方が変化した時期となりました。 ■シャボン玉石けんをより身近に感じた大学時代大学時代はあまり模範的な学生ではなく、よくお酒を飲んで過ごしていました。今思えばどうしたものかと思うのですが、私は4年間アルバイトを経験しませんでした。将来は70歳を超えても家業を継いで働いているだろうと思っていたので、大学生のうちは働かないと決めていたんです。ただ、大学時代から当社の株主だったので、小冊子や会報誌などの自社の発行物を目にするようになったり、東京の大学に進学して一人暮らしを始めて家事をするようになり、当社の石けんを使ったりするなど、シャボン玉石けんの事業をより身近に感じるようになりました。昔はほとんど知られていなかった会社の商品が店頭に並べられていたり、東京のテレビCMで流れたりしているのを見ると、感慨深いものがありましたね。 ■父の思いを受け継ぐ大学卒業後は、そのままシャボン玉石けんに入社しました。母は何年か他で働くことを提案してくれましたが、父の年齢を考慮し、卒業後すぐの入社を決意したのです。私は父が45歳の時の子供なので、早く事業に携わろうという気持ちで、父の背中を見ながら一緒に事業を進めようと思っていました。初めは工場に入って実際に商品作り、その後各部署を一通り経験したのち、経理や営業職に携わりました。私は入社2年目にして取締役、そして翌年には取締役副社長に任命されたのですが、流石に自分には早すぎると思い、父に相談しました。父から返ってきた言葉は、「いいからやれ」。父は「役職が人を育てる」という信念をもっていて、若くても責任ある役を経験しておくことが成長につながると考えていたんです。そして、私が30歳のときに社長に就任することになり、社長就任半年後に父が他界しました。お客様の期待を裏切らないよう良い商品をお届けし続ける、従業員やその家族の生活を守る、という使命感や重圧が一気にのしかかってきましたね。父は無添加石けんの素晴らしさを伝えるために、年間100回もの講演をしたり、取引先様や一般の方の工場見学を広く受け入れたりするなど、本当に地道な活動を続けていました。「シャボン玉石けん」というキャッチーなネーミングや、キャラクターの登場、赤字の中でもCMを続けるなど、現代でいうブランド展開も行うなど、カリスマ的な経営者でした。私の場合は、一人で全部やるというよりも社員一人ひとりが活躍できる環境づくりを行い、社員と一緒に企業理念の実現を目指して取り組んできました。 ■こだわりぬいた無添加石けん 他社では4~5時間ほどで作る石けんを、当社では1週間かけて作っています。「健康な体ときれいな水を守る。」という企業理念にあるように、肌にやさしく、環境にもやさしい商品づくりにこだわっています。これは当時、父自身が湿疹に悩んでいたことが関係しています。1960年代、高度経済成長期で洗濯機などの家電が多く誕生しましたが、アメリカから入ってきた合成洗剤が急速に普及しました。父もいち早く合成洗剤を取り扱うようになり、業績も順調でしたが、同じ頃から原因不明の湿疹に悩むようになったんです。薬でもなかなか治らなかったのですが、得意先から依頼があって開発した無添加石けんを使ったところ、みるみるうちに湿疹が治りました。父は経営のことを考えて悩んだ末、1974年に「体に悪いと分かった商品を売るわけにはいかない」と一大決心し、無添加石けんのみの製造・販売に切り替えました。無添加石けんに切り替えてからは、売上が1%以下になり、17年間もの赤字が続きましたが、とにかく無添加石けんの魅力を信じて、石けんの良さを広げる取り組みを続けたんです。父の地道な努力もあって、今では多くの人に手に取ってもらえるようになりましたが、そこには長年の苦労がありましたね。 ■無添加石けんの可能性に挑戦現在、一般消費財としての無添加石けんの販売のみならず、新たな事業も進めています。それが、石けんの技術を応用した消火剤の開発です。水に石けん系消火剤を混ぜることで、少ない水で効率よく消火できるだけでなく、環境にやさしいという特徴があります。これは1997年の阪神淡路大震災の火災で多くの人が亡くなったという事例から、少ない水でより迅速な消火活動を目指して北九州市消防局や北九州市立大学と共に産学官連携で開発しました。その他にも、JICAに協力いただきインドネシアの森林・泥炭火災用消火剤の普及にも取り組んでいます。インドネシアでは化石燃料になる前段階のものが土の中で発火することがあるのですが、これらの火災に対して石けん系消火剤の活用・普及を目指しています。今後も、人々の健康や地球環境を守り、社会に貢献できるよう尽力していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、大学生のうちにしかできないことをたくさん経験してほしいと思っています。勉強だけでなく、思う存分遊ぶことも大切です。貴重な大学生活ですので、後悔のないよう過ごしてほしいですね。私の座右の銘は「好信楽」という言葉です。これは、「好きなことを信じ、楽しむ」という意味。もともとは父の座右の銘で、本居宣長の古事記伝に載っています。まずは物事に対する、好きという感情があることが大切です。何事も楽しんでこそ長続きします。皆さんも自分の好きなことを見つけて、大切にしてほしいです。 学生新聞オンライン取材2023年5月15日 上智大学2年 白坂日葵

学生新聞インターン

俳優・脚本家・プロデューサー 岩瀬顕子 

忘れてはいけない記録を記憶として伝える使命があるから 俳優・脚本家・プロデューサー 岩瀬顕子 (いわせあきこ) ■プロフィール 栃木県出身。企画・脚本・出演する劇団「日穏-bion-」(びおん)主宰。グローバルにも活動し、映画「アースクエイクバード」」、ジョニー・デップ主演映画「MINAMATA」、ドラマ「TOKYO VICE」などの海外作品にも出演。また、ドラマ「特捜9」等の脚本を手掛けるほか、2023年秋公開の映画「シェアの法則」(小野武彦主演)でも、脚本とプロデュースを担っている。 女優として役を演じる一方、脚本家そしてプロデューサーとして作品を創り出す岩瀬顕子さん。「色んなものに挑戦してより良い作品を、自分なりの方法でメッセージを伝え、多くの人に笑顔やエネルギーを与えたい」と語る岩瀬さんに、様々な作品を手掛ける理由や、お仕事に対する想いを伺った。 ■表現することの意味 私は大学生活をアメリカのバージニア州で過ごしました。在学中はミュージカルに出演したり、インターナショナルソサエティという留学生が自分の国の文化を伝える団体で、副部長を務めたりしていました。3年生の夏、バックパッカーとして3ヶ月旅をして様々な物事を吸収し、一度日本へ帰国。その後アメリカに戻り、バージニア州立ウィリアム&メアリー大学に編入しました。レベルの高い大学だったこともあり、あまり遊ぶ暇もなく、日々勉強していましたね。学生時代は授業についていくのに必死で、図書館で過ごした思い出ばかりです。表現をすることが好きになった原点は、幼少期に習っていたバレエです。自分で踊るのも見るのも好きでした。もともと沢山の芸術や文化に触れていた方だったので、自然と表現する事は好きになったのかもしれません。しかし、当時はそれを仕事にしようとは思っていませんでしたね。現在の仕事を選ぶきっかけとなったのは、大学4年生の時にメキシコの養護施設でボランティア活動をしていた際、ある劇団のお芝居を子供たちが見てとても喜んでる姿を見たことです。演劇は人の心に栄養やエネルギーを与えられるものだという事に気づきました。元々は国連やNPOで働きたいと思っていたのですが、それより自分に向いている方法で人に笑顔を与えられる存在になりたいと強く思うようになりました。私自身が小学生の頃に教師からいじめられた経験などもあったことから、現実を忘れられる世界に憧れを持っていた事もあると思います。だからこそ、お芝居を通して違う人間を生きることで、拠り所を見つけていたのかも知れません。 ■役者として、脚本家として 私は女優として演じ、脚本を書き、作品を生み出す仕事を行なっていますが、最初にこの芸能の世界に足を踏み入れたのは役者としてです。役者は”待つ”仕事です。海外作品の場合は基本オーディションで誰にでもチャンスがあるのですが、日本だとオファーが来るのを待つのがほとんどです。お仕事の話が来ても「自分が本当にやりたい作品か?」と自問自答することもあり、待っているだけというのは私の性に合わないなと感じました。でも、演劇は続けたい。それなら自分の思ったものを作ってみようと思い立ちました。実際に脚本を書くことになったのは知り合いに頼まれたからなのですが、意外と評判が良く、脚本の依頼が続くようになりました。演技をしているときは楽しいのですが、やっぱり脚本を書くモノづくりをしている時は大変ですね。でも、書いたものが形となってみなさんが観て、喜んでくれると「嬉しいな、やってよかったな」と強く思います。ある時、私の劇団の舞台を観たテレビドラマのプロデューサーが、終演後にすぐ楽屋へ来て、ドラマの脚本を作ってみないかと言ってくれました。その時はお断りしていたのですが、何度も声を掛けて下さり、やってみるかと思い立ちました。このように知り合いの方などからお話を頂いて、どんどん色んなお仕事に携わらせてもらって、仕事の幅を広げているような気がします。だからこそ出来ないことは、その時その場で調べて勉強しながら、挑戦して作っています。それから、私は役者でいる時も制作側でいる時も共通して、みんなが気持ちよく作品に参加できるように現場を明るくする事を心掛けています。笑顔と「ありがとう」を大切にしています。そして、ハリウッドの映画やドラマにもいくつか出演していますが、これらは全てオーディションで決まりました。海外作品のオーディションは日本での知名度は関係なく、その役に合うかどうかで審査されるので自己PRなどもなく、演技だけを見られます。映画『MINAMATA』のオーディションを受けた時は、舞台設定が熊本の水俣なので、標準語で書かれている台詞を熊本弁にして受けました。水俣病についてリサーチしたり、熊本弁を教わったりして役になりきる努力をして挑戦しました。 ■プロデュース作品の舞台「オミソ」、映画「シェアの法則」について 舞台「オミソ」は、伝統食品であるお味噌の魅力を伝えたいという想いから始まりました。こちらは「みそっかす」と呼ばれるような、のけ者扱いされてしまう息子がいるお味噌屋さんの家族をテーマにした、笑えて泣ける温かい作品です。映画「シェアの法則」のテーマは多様性を認め合うこと。地球は大きなシェアハウスだから、相手をリスペクトし、価値観の違いを受け入れようというお話です。私が作っている「日穏」の作品は、戦争、差別、介護問題、安楽死など、社会問題を背景に描いていることが多く、特に戦争については、20代の頃から取材してきた戦争体験者の話を伝えていく事が使命だと思って続けてきました。エンターテイメントは、伝える事に最も有効な手段です。なぜなら、記録を記憶にすると記憶に残りやすいからです。作品を見て、感情移入の追体験をし、内容に共感した視聴者がその先を考えることができる。それがエンターテインメントの強みだと思います。 ■学生へのメッセージ 「人生はエンドレスだ」と大学生の時は思っているかもしれませんが、人生そんなに長くはありません。これはいつかやろうと思っていたとしても、若いうちにしかできない事もあります。やりたいと思ったことはすぐに行動してやってほしいですね。そして、フットワークの軽いうちに旅に出るのもいいと思います。色んな世界を見て様々な国の価値観を知って、沢山の人と話して自分の視野を広げていってください。 学生新聞オンライン2023年7月3日取材 国立音楽大学3年 岡部満里阿 日穏-bion- オミソ 2023(東京公演) 公演日:2023年8月25日(金)~9月3日(日) 劇場:赤坂レッドシアター チケット:(全席指定)一般前売り 5,000円 当日 5,500円 U-25 3,500円 高校生以下 2,500円(※U-25及び高校生以下は要証明書) 出演:内浦純一、岩瀬顕子、剣持直明(劇団だるま座)、堂免一るこ、伊原 農(劇団ハイリンド)、鈴木朝代、和田慶史朗(演劇集団円)、石井絵理佳、種村 愛、たんじだいご 企画・脚本:岩瀬顕子  2019年に上演して好評を博した作品の再演!バブル時代の地方都市にある老舗味噌屋を舞台に繰り広げられる笑えて泣けるヒューマンドラマ。

学生新聞インターン

フォースタートアップス株式会社 代表取締役社長 志水 雄一郎

誰でもマーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクになれる フォースタートアップス株式会社 代表取締役社長 志水 雄一郎(しみずゆういちろう) ■プロフィール株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)にて転職サイト『doda』立ち上げなどを経て、2016年に成長産業支援事業を推進する株式会社ネットジンザイバンク(現フォースタートアップス株式会社)を創業、代表取締役社長に就任。2016年『Japan Headhunter Awards』にて 国内初『殿堂』入りHeadhunter認定。2019年より日本ベンチャーキャピタル協会ベンチャーエコシステム委員会委員、2020年より経団連スタートアップ委員会企画部会/スタートアップ政策タスクフォース委員に就任。2021年に公益社団法人経済同友会入会。2022年に一般社団法人関西経済同友会入会。 国内最大規模のスタートアップ支援会社・フォースタートアップス株式会社の代表取締役社長である志水雄一郎氏。かつて転職サイト「doda」の立ち上げを経験され、「Headhunter of The Year」で国内初となる殿堂入りを果たされた志水氏に、現在の日本においての新産業の重要性と私たち学生の可能性について伺った。 ■アートとダンスに夢中だった学生時代 元々美術が大好きで、MITのメディアラボでメディアアートを学びたかったのですが、学力が足りずに国内で学べるところを探しました。その結果入ったのが、慶應義塾大学のSFCです。私はアーティスト活動に興味があり、テクノロジーアート作品を約30年前に作っていました。人よりも多くの色を認識する才能があったようで、大学在学中は研究員として大企業と色の研究をご一緒にしてこともあります。ダンスもスクールに通ったり、週に1回以上はクラブに行ってました。将来もクリエイターとして食べていこうと思っていたのですが、それは無理でしたね(笑)。 ■衝撃を受けたある人からのメッセージ 就職浪人して5年通うほど、就職活動に関しては立派に助言ができるような人ではないです(笑)。拾ってもらった会社は、株式会社インテリジェンス(現パーソルホールディングス株式会社)。きっかけは、自分の元に届いた一通のダイレクトメールハガキでした。当時の就職活動は、企業から学生に郵便でダイレクトメールが届き、学生が企業に連絡をするという仕組みでした。そこには「電通とリクルートを超える」というメッセージと、裏面には「インテリジェンス」という会社名だけが書かれていました。何故か興味を持ってしまって、会社説明会に訪問した際に当時30歳だった代表の宇野康秀さんと出会いました。彼が話す学生へのメッセージとその様子が、あまりにもかっこよくて衝撃を受けましたね。そして宇野さんと共に時代を作りたいと思い、入社したのが株式会社インテリジェンスでした。そこで、私は新卒採用のコンサルティングや人材紹介の営業などをして、最終的に「doda」という転職サイトを立ち上げました。 ■自分が知らなかった日本の実態 40歳の時に、気がついたことがあります。日本ではエリートと呼ばれる人々は、年収1000万円から2000万円前後ですが、この年収はシリコンバレーの新卒初任給に過ぎないということです。さらに、日本の平均給与は韓国よりも低く、スペインやリトアニアとほぼ同じなのです。つまり、日本は自分が思っているより貧乏だったのです。それまでの私は「自分の事業を伸ばせば、社会で前向きな未来を作れる」と思っていました。よく「働きすぎだ」と言われる日本人ですが、実は東京よりロンドンやニューヨークの人はもっと働きます。中国のアリババやテンセントはアメリカに勝つために日本人の2倍働き、イーロン・マスクは人類にイノベーションを起こすためにさらに働いています。人間には動物にはない学や書があるからこそ、未来、社会、次世代のために生きられる。でもそれは学校では教えられません。例えば、学校や家で「あなたは優秀でリーダーシップがあるからアマゾンやアップルを作れる。そんなあなたを全面的に応援するから一緒に頑張ろうね」と言われ続けたら、挑戦する人も出てくるでしょう。しかし親から毎日「安定した仕事をしなさい。大企業や公務員になりなさい。」と言われ続けたらそっちに向かってしまいますよね。そんなコミュニケーションが、当たり前のことのようになされてきたからこそ、いまの結果があるのです。 ■挑戦は誰でも平等にできる 「挑戦はアンチエイジング」だと私は思っています。強い意志を持って社会を変えようと思うと、素晴らしい情報と人に触れるようになります。その体験と刺激によって、人は長生きできるのだと思います。日本では大人がいい顔をして生きていないせいで、若者が未来に希望を感じていません。人は誰しも社会や未来を変える権利を平等に持っているのに、それに気づいていせん。では、どうしたら人は変われるのか。それは、自分が生きている社会を物差し化し、環境、経験、情報の3つを高めることです。たとえ社会のなかで自分がちっぽけな存在であることに気がついたとしても、目指す未来との余白を可能性と捉えるのか、到達できない未来と捉えるかが重大な分かれ目になります。この余白に対して、モチベーション高く取り組み、目の前の課題を解決しようと成長していく。それをやり続けたのが、マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクたちだと思うのです。 ■新産業でかつての日本をもう一度作る 世界では新産業が成長した国が富を得るし、競争力を持つようになります。そして富を得た人たちは、子供に良い生活水準と教育を与えて未来に繋げます。昔の日本は戦争に負けた時、ソニーやトヨタなどに人が集い、国を強くし、世界を席巻しました。いま日本がビジネスの戦争で負けている中で、誰かがリーダーとなってイノベーションを起こせば、かつての経済大国としての日本をもう一度再現できるはずです。日本の未来は新産業で変えられる。私はそれに気がついてから、メルカリやスマートニュースなどのさまざまなスタートアップの支援を行ってきました。ただ、1社、2社では意味がなく、数百、数千社は生まれないと日本は変わらないという現実を突きつけられました。私だけでは足りない。そこで、私と同じ想いを持った人を集めて作ったチームが「フォースタートアップス株式会社」です。ここでは日本を代表する起業家や投資家、エコシステムビルダーや政治家と毎日会い、日本の再成長のために行動しています。インターン生たちも、今世界を動かしている人たちを直近で見て、私たちの未来がどうなるのか知り、その未来を変えるために参加してくれています。 ■大学生へのメッセージ 「思いっきり挑戦せよ」と伝えたいです。学生のみなさんにはチャンスと希望しかありません。思いっきり挑戦して、リーダーとして自らが立てる経験と素養をどこかのタイミングで得られたら勝負をしてください。あなたならマーク・ザッカーバーグにでもイーロン・マスクにでもなれる。自分がリーダーとして未来を変えるチームを組成してください。それはきっとあなたにとって、生きていて良かったと思える人生になるはずです。 学生新聞オンライン2023年6月30日取材 国際基督教大学1年 若生真衣

学生新聞インターン

ロゼット株式会社 代表取締役社長 藤井敬二

お客様のお肌と生活をお守りする ロゼット株式会社 代表取締役社長 藤井 敬二 (ふじい けいじ) ■プロフィール神奈川県生まれ。1977年株式会社キスミーコスメチックス(現伊勢半)入社。営業を務めた後、1993年より営業企画へ異動。2000年同社取締役を経て、2006年同社代表取締役社長へ就任。2011年ロゼット株式会社代表取締役社長へ就任。現在、株式会社ナチュラルガーデン代表取締役会長、株式会社pdc代表取締役社長を兼務。 洗顔料をはじめとする化粧品でお客様の肌悩みに寄り添うロゼット株式会社。ロゼット株式会社の看板商品である「ロゼット洗顔パスタ」が今でも多くの人に長年愛される理由には秘密があった…そんな秘密を探るべく、今回は代表取締役社長である藤井敬二氏にお話をお伺いした。 ■一生ものの友人ができたクラブ活動 学生時代はクラブ活動で人間関係の構築に力を注いでいましたね。昼休みに英語のヒアリングを勉強したり、休日は友人たちと旅行にでかけたりしていました。海外で事業をする際に英語のヒアリングは役立っていますし、何より学生時代の友人とは今でも交友があります。その友人たちとはビジネス上の利害関係なく接することができるので、とてもありがたく感じています。アルバイトはクラブの先輩が百貨店の下請けの会社に勤めていて、そこの倉庫で繁忙期に発生した段ボールの処理などをクラブの仲間と団体で行ったりしていましたね。 ■美と健康の業界は廃れないと聞き化粧品業界へ 就活中にアルバイト先である百貨店の下請けの会社の社長から「戦争がない限り美と健康に関する業界は廃れない」という言葉を聞きました。その言葉から安定を求めて化粧品業界一本に絞って会社を探し始めました。 ■ロゼットとのご縁が生まれた社員の結婚式 最初は化粧品会社に営業として入社し、その後のキャリアで営業や企画だけでなく経営にも関わるようになりました。ロゼットと出会ったきっかけは、伊勢半に入社して常務をしていた際に、ロゼットの営業の方と伊勢半の営業担当が結婚したことです。その結婚式で私がスピーチをすることになったところ、そこで当時のロゼットの社長と出会い、ご縁が生まれました。その後、伊勢半を55歳で退職したのですが、丁度当時のロゼットの社長が次の後継者を探していた時期でした。結婚式の時に出会ったご縁から私にお声がけいただき、56歳の時にロゼットの社長に就任しました。私が選ばれたのは、化粧品の店舗販売の知識や営業から運営に関わるところまで知っていたことも大きいのですが、それ以上にご縁があったのも大きいのではないでしょうか。 ■「道徳心」を軸に経営をしていく。 私は「道徳心」を軸に会社を経営しています。代表取締役社長に就任した際に経営していく上で、判断する際の考えの軸が必要だと感じました。そこで稲盛和夫氏の本を読み、自分がやってはいけないと感じること「道徳心」を軸にしようと決めました。 ■ロゼットだけの成分やコンセプトを追求する ロゼットならではの強みは「コンセプト」や「独自の成分」だと思います。コンセプトは時代の流れとともに大きく変化する「肌の悩み」に寄り添ったものを作っています。ニキビや黒ずみといったこれまでの肌悩みに留まらず、さらに細分化の傾向があると思います。そういった多様な悩みをキャッチしてマーケティング部がコンセプトを打ち出していき、商品や成分の研究開発がスタートしていく流れになります。研究や処方開発を行っている研究室があり、そこでは研究員がコンセプトに基づいた化粧品の処方開発や天然セラミドの効果や日焼けの仕組みなどを研究する「基礎研究」も行っています。また、他社の化粧品メーカーではあまり扱っていない“イオウ”など独自の成分という新しい切り口での商品開発にも力を入れています。ただ売れるだけの商品ではなく、基礎研究を行い研究結果などのエビデンスに基づいた商品づくりをこれからも行なっていきたいと考えています。 ■発売される前から勝負をする、そして化粧品業界の技を応用する。 コロナ禍で化粧品業界全体では2年間で75%売上が下がり打撃を受けました。しかしロゼットの売上は好調を維持することができました。在宅時間が多くなり、お肌をケアする時間ができたり、マスクによる肌荒れが増えたというのも一因だと思いますが、SNSなどを駆使して積極的にマーケティングを行った事が一番の要因だと考えます。「商品が発売される前から勝負をする」という心構えを持っており、なおかつ話題性が生まれるように行うようにしています。ブランドイメージにマッチしたイメージキャラクターを起用し、TVCM放映や交通広告の掲出など大型プロモーションも実施しました。また自分がロゼットの社長に就任して始めたマーケティングとして、プロモーションの打ち出しや限定品の販売があります。化粧品業界ではプロモーションや限定品の販売は当然でしたが、以前のロゼットでは行っていませんでした。そこでそれらを導入して商品をたくさんの方に知ってもらうことを始めました。 ■一緒に働きたいのはYesマンではなく自分の軸をしっかり持つ人 自分の軸や意見を持っていてYesマンではない人がいいと思います。例えば若い人向けの商品のデザインやコンセプトを決めるときは、若い人たちの意見のほうが適していると思います。もしデザインを決める会議などがあれば積極的に意見を発信したり、もし社長がズレてる意見を出したら、それは違うとはっきり言ってもらいたいですね。他にも素直な人や一生懸命な人と働きたいですね。新卒の学生の最終面接を担当するのですが、例えば化粧品が好きですという人がきたとします。その時にロゼット以外で好きな商品や嫌いな商品を聞いたりして、本当に好きかどうかを見たり、物事をどのように考えているかを判断します。他にも大学でやっている研究を深掘りする質問をして、どのぐらい物事に没頭できるか、一生懸命にできるかを見ていますね。 ■お客様の視点で「なぜ?」と考える意識と好奇心を持ってほしい。 どの会社でもお客様の目線で物事を考えることがビジネスとして重要になってきます。しかし会社に入って年数が立つと会社側としての目線が強くなっていきます。そのため学生のうちになぜこのパッケージなんだろう、なぜこの商品を手にしたんだろうと「お客様側の視点」を持って考える意識をしてほしいですね。あとは人間関係が将来的に重要になってくるので、学生時代のうちに色んな人と出会って友達を作ってほしいですね。 学生新聞オンライン取材2023年5月15日 武蔵野大学4年 西山流生

コラム

テリー伊藤 コラムVol.7 女子高校で講演をしてきました

先日、慶應女子高校で講演をさせてもらいました。この春私自身がSFC政策・メディア研究科大学院を修了した関係でお声がけいただいた。大変お世話になった先生からの依頼で、快諾させていただいたのだが、さて講演でどんな話をしたら良いものか。仕事柄お笑い養成学校の講師をしているため人前で話すのは慣れていますが、お笑い芸人志望の生徒の場合は下ネタや芸能界の裏話など基本的に何でもOKですが、女子高生の前ではそういう訳にはいきません。生徒達の将来に向けて少しでも役に立つ話でなくてはならない…。私悩みました。 遠い昔の自分の高校時代を思い出しながらテーマを幾つか挙げました。青春時代、私は若さが重荷でした。周りの先輩や親から「君は若いから何でも出来る」「夢に向かって今は進んでみたら」などの言葉を言われ続ける日々でしたが、当時の私は自分が将来何をやったら良いかを決める事も出来ずにいました。気が付けば同級生達の就職先はドンドン決まって行き、一人取り残され人生を彷徨う時間が続きとてもしんどかった。そんな青春体験を先ず話し、そこからどう抜け出したかを聞いてもらい、「人生なめてかかって真面目にやる」を今回のテーマにしようと決めました。 慶應女子高校の生徒さんは真面目で優秀、親の教育もしっかりしている高校生ばかり。おそらく社会に出ても普通に適用出来るポテンシャルを持っています。しかし社会で抜きん出る人材となると、これは別物かもしれません。そこで私からの提案は「人生なめてかかって真面目にやる」こと。新しい職場で仕事に関わった時、先輩から基本を学んだ後、そこからは自分の歩んできた道と自分の感性を信じて、新しい提案を是非してみてくださいと伝え、2時間の講演は終わりました。最後に質疑応答もあり無事終了。 感想としては、今どきの女子高生なので少し派手なのかなと想像していましたが、皆さんとても純朴で驚きました。自分の学生時代の頃の悩みも普通に共感してもらえ、熱心に耳を傾けてくれました。後日受講した生徒さん達から感想文を多数いただき「背中を押してもらえました。」「悩んでいた自分を励ましてくれてありがとうございます。」など、こちらが励ましてもらいました。また呼んでください! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

動物作家・昆虫研究家 篠原かをり

知識はシェアしてはじめて真価が分かるもの 動物作家・昆虫研究家 篠原かをり(しのはらかをり) ■プロフィール幼少の頃より生き物をこよなく愛し、様々な生き物の飼育経験がある。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)の出版をはじめ、『昆虫最強王図鑑』(Gakken)など図鑑監修も行っている。TBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、NTV「嗚呼!!みんなの動物園」動物調査員など、タレントとしても活動中。 幼いころから昆虫を愛し、これまでにタランチュラをはじめとした様々な生き物の飼育経験がある篠原かをりさん。高校生クイズをきっかけにメディアへの露出も増え、今回『雑学×雑談 勝負クイズ100』を出版するに至った。そんな篠原さんの日々大切にしている想いや著書の魅力、見どころなどを伺った。 ■とにかく色んなことを経験したかった学生時代 生物系の研究がしたかったのですが、数学が絶望的にできなかったのでAO入試で受験できて、かつ必修に数学がない大学はないかと探したところ、慶応義塾大学の環境情報学部を選びました。もともとは人の暮らしと繋がりの深い「かいこ」の勉強をするために入学しましたが、その研究で着目していた物質が使用できないことが判明したため、急遽昆虫食の研究にシフトしました。当時は、自分に適性があることもないことも、とにかくなんでもやってみたいタイプだったので、研究以外にもバイトはたくさん掛け持ちしていました。世界を大きいキッザニアだと思いながら、色々な職種を少しずつ経験するのが好きでしたね。週に8個、多いときには1日に3つバイトをはしごすることもありました。その中でも特に塾講師は長く続いていて、現在も趣味として続けている仕事の1つです。 ■高校生クイズをきっかけに広がった世界 テレビに出演したのは『高校生クイズ』が最初で、その後はクイズ番組中心に活動していました。大学2年生のときに出版甲子園という学生のコンペイベントでグランプリを取り、翌年書籍を出して以来、昆虫関係のお仕事もいただけるようになりました。自分で請求書を出すような手続きが本当に苦手で、請求書の送付忘れなど意図せずに誰かに迷惑をかけることが怖かったので、それらの仕事を全てやってくれる今の事務所に大学4年生のときに所属しました。スタジオ収録に参加したり、番組のロケで海外に行ったりしているうちに気が付いたらタレントの仕事が本業になっていました。けれど、現在も日本大学の大学院で研究は続けていて、力を入れる比重は変えながらも、お仕事と学業を同時並行で進めています。 ■目標は決めずに、目の前のことに集中する 両立する上で大切にしていることは「いつまでにこうなりたい」という目標を決めないことです。人は追いつめられることが一番しんどいと思います。人と歩むスピードを比べず、目標を定めることに固執せずに目の前にあることだけをこなしていくことが両立を続ける秘訣ではないでしょうか。目標を決めないことはその他にも利点があると思っています。思い込みで道を1つに決めてしまうと自分が想像した自分の一番上までしか行けないと思います。「何になりたい」とは強く決めず、色々なことに挑戦することで、自然とできることに導かれ、想像以上の結果に繋がることもあります。私自身、タレントに適性があるとは一瞬たりとも思ったことはなかったのですが、自分で可能性を狭めなかったために今の活動ができているのだと思います。とはいえ、二足のわらじを履いていると、研究の方がおろそかになってしまうことが多くて、それがずっと宿題を出していない感覚に思えてつらくなることもあります。毎日少しずつ研究できるタイプではなくて、スイッチが入ると一気に研究するタイプなので、自分がどういう状況だったら一番集中できるのかを把握することは日々心がけています。 ■『雑学×雑談 勝負クイズ100』について 大学時代のクイズ研究会で出会った夫との共著という形で、昔からお世話になっている編集者の方から企画をいただいて出版することになりました。内容としては会話の種になるような所謂「ゆるいクイズ」がテーマになっています。答え自体は一個でもそこから広がる話がたくさんあるので、色んな場所で色んな人と話してほしいと思って作りました。100個のクイズは知識量としては少ないと思うのですが、知識を得るよりはこの本を通してどのように話が膨らんで、どんな感想をシェアできるかがの方が大切だと思っています。私は人見知りで内向的な性格だったので、幼いころは昆虫の知識をいくら貯めても「自分の話なんて誰も興味ない」と思って伝えることを諦めていました。しかし、実際に話してみると、色々な人が興味を持ってくれたり、思ってもいなかった感想を得られたりと、知識はシェアして初めて真価が分かるものだと身をもって体験しました。そのためこの本では知識をシェアする魅力を伝えられたらいいなと思っています。 ■みんなにもっと虫の魅力を伝えたい 都市化が進むと虫や動物に苦手意識をもちやすい環境になります。けれど、同じ地球に住む、同じかけがえのない存在であるし、好きになることで毎日はもっと楽しくなります。是非その楽しさを知ってほしい、そんな想いを持って、研究やタレント活動に取り組んでいます。また、今までは誰かが研究したものを自分なりに解釈して本にすることが多かったのですが、今度は自分自身が研究した内容を本にしたいとも思っています。いずれは大学の非常勤講師としても働いてみたいですね。 ■大学生へのメッセージ ちょっとでも興味を思ったらなんでもやってみてほしいです。やり遂げられないことを恥ずかしいと思わずに、好き放題つまみ食いして楽しく過ごしてください。また、学生のうちに興味のある分野を調べつくすこともおすすめします。大学生までは合わないと思ったら簡単に辞められますが、社会に出たら辞めるハードルは格段に上がります。ちょっとでもかじって、その世界のことを知っておくと、その経験が社会に出てからの決断に役立つと思います。 学生新聞オンライン2023年6月9日取材 日本大学4年 石田耕司 雑学×雑談 勝負クイズ100 家族団らん、飲み会、デート……トークのお供に! 会話のきっかけ作りに!知的雑談力がアップする、とっておきのクイズ100問! 著者はYouTubeチャンネルの登録者数が200万人を超える東大発の知識集団QuizKnockメンバーの河村拓哉さんと『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターや『嗚呼!! みんなの動物園』の動物調査員などテレビ、ラジオでも人気の動物作家・篠原かをりさん。 クイズ本としても、対談本としても楽しめて、会話のタネになるさまざまなジャンルの雑学や、答えを推理するコツが身につく一冊です。

伊東美優

TBCグループ株式会社 代表取締役 手塚圭子

人は変われる。健康的な美しさをお客様、そして従業員にも。 TBCグループ株式会社 代表取締役 手塚圭子(てづかけいこ) ■プロフィール 東京大学医学部保健学科在学中に、ミス日本グランプリ受賞。医学博士、保健学博士。卒業後、TBC グループ株式会社入社、エステティシャン養成校教育部長、その後総合研究所の研究員として大学との共同研究や学会発表を行う。2010 年より現職。コースや商品の開発から採用活動、人材の育成等に力を入れている。 多くの競合企業がひしめくエステティック業界。そんな中、創業47年の伝統を持ち、お客様の美しさと健康を追求し、業界を牽引し続けるのがTBCグループ株式会社だ。主力のエステティックサロンの展開のみならず、近年様々なサービス・商品を生み出し続けている。そんなTBCグループ株式会社について、今回は代表取締役である手塚氏にお話を伺った。 大学時代は理系の学部に通っていたので、実験や実習で忙しい日々を過ごしていました。そんな当時、私は周りから「むっちゃん」と呼ばれていたんです。あだ名の由来を知らずに過ごしていたのですが、ある日男子学生から「ムチムチしているからむっちゃんだよ」と言われて、かなり大きなショックを受けました。その日から自分の外見に自信を失くし、家に引きこもるようになってしまいました。しかし、このままではダメだと痩せることを決心し、結果1年間で10kgの減量に成功したのです。この成功体験が大きな自信となり、私生活は一変、自ら積極的に外に出向き活動するようになりました。その後、姉に誘われて出場した「ミス日本コンテスト」ではなんと、グランプリを受賞することができました。外見が変わると、内面までも変わることができるのだと実感した経験でした。 ■TBCとの出会い 大学卒業後はNHKに入社し、制作業務局に配属となり、庶務兼秘書の仕事をしていました。ただ、一度庶務や秘書の仕事に就くと異動が難しいと知り、元々報道関係の仕事がしたかった私は、NHKを退職しました。その後は日本テレビでフリーのキャスターをし、『ズームイン!! 朝!』という番組の初回放送から、東京のキャスターとして出演していました。他にも国際協力に関する業務に従事するなど、様々な仕事を経験した20代でしたね。 その中で、たまたま知人の紹介で興味を持ったのがTBCでした。元々美容への関心は高かったのですが、美容の中でも飾る美しさではなく、本来の姿そのものを美しくしようというTBCの提供するエステティックに興味を持ったのです。そして実際に、お客さんとしてTBCの脱毛サービスを受けてみることにしました。正直最初は、「毛が生えてこないなんて嘘なんじゃないか」と疑っていたのです(笑)。ただ、脱毛の施術を実際に受けてみると、本当に毛が生えてこなくなって。かなりの衝撃と共に、脱毛についてもっと知りたくなって東京大学の医学図書館で論文を探してみたのです。すると1875年の文献を見つけ、TBCが行なっている脱毛法は米国の医学研究に基づいたもので、エステティック用に改良された美容電気脱毛だと分かったのです。TBCのエステティックが本物であることを確信し、入社を決意しました。 ■1番の魅力は「従業員の働きやすさ」 入社後はまず、エステティシャン養成校の立ち上げを担当する部署に配属されました。その後は研究所へ配属となり、大学との共同研究で論文を執筆し、博士号を取得しました。そして2010年に、当社の代表取締役に就任することとなりました。当社ではこれまで多くの経験を積んできたからこそ、多くの魅力を感じています。特に設立から47年の伝統、そしてトータルビューティーを叶えるエステティックサロンであるという点は、お客様だけでなく多くの企業様からも信頼していただけるポイントだと考えています。 また当社の強みとしては、創業当初から自社で研究所を持ち、研究開発を通してサロンで使用する化粧品や健康食品、美容機器などの製品開発や教育までサロンの舞台裏をサポートしている点です。自社開発だからこそ、品質や安全性の高さに自信があります。近年では一般の方向けに販売する商品も増え、異業種企業とのコラボ商品も多くの方に利用いただいています。 さらに、当社は業界に先駆けて、従業員の働きやすさを追求しています。例えば、再雇用制度を設け、結婚・出産で辞めてしまった従業員の再雇用をサポート、その他勤務間インターバル制度を通して、労務管理の面からも働きやすい環境づくりを行なっています。現在は、業務終了後の休息時間を9時間確保しており、今後は11時間の確保を目指しています。 こうした多くの取り組みを通し、当社は2020年から4年連続で「健康経営優良法人」に認定されています。エステティック業界においては数少ない認定企業ということで、これからも引き続き認定されるよう努力していきたいと思っています。今後も従業員ファーストで、社員が健康的に働ける環境づくりを推進していきます。また、当社の従業員は9割が女性です。今後も業界のリーディングカンパニーとして、女性がライフイベントに大きく左右されず、キャリアを築ける企業でありたいですね。 ■心からお客様を大切にすること エステティックの仕事では、1対1でお客様と向き合い、コミュニケーションを行う必要があります。だからこそ、お客様の気持ちを尊重し、常に共感できる人材が求められています。私共ではエステティック技術の提供に対してお金を頂戴しているので、エステティシャンとその技術なしには成り立たないビジネスなのです。そのくらい当社にとって人材こそが資源であり、源泉なのですね。だからこそ、1人ひとりのお客様と真摯に向き合い、心からお客様を幸せにしたいと思える方に入社して欲しいです。そして今後はエステティックだけでなく、人々のライフスタイルに幅広く貢献できる企業を目指しています。新たな価値を発信していく企業の一員として活躍したい方はぜひ、当社に入って力を発揮して欲しいです。 ■大学生へのメッセージ 社会人になっても学び続けることは大切ですが、学生ほど勉強にコミットできる期間はありません。ぜひ学びの時間は大事にして欲しいです。そして社会に出る前に、自身の適性を知っておくことも非常に重要です。適性を知るには様々な行動や経験が必要となるので、部活動やサークル、旅行など多くの活動を通して自己理解を深めてください。 学生新聞オンライン2023年5月31日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優

イベント・企業紹介

2023 アース・モンダミンカップ プロアマトーナメント

アース製薬株式会社主催「アース・モンダミンカップ2023」がカメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)にて開催された。予選・決勝前のプロアマトーナメントにて、選手の皆様にゴルフを始めたきっかけや魅力についてお話を伺った。 ■概要大会名称:アース・モンダミンカップ主催:アース製薬株式会社公認:一般社団法人日本女子プロゴルフ協会開催日程:2023年6月22日~6月25日開催コース:カメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)賞金:【賞金総額】3億円 【優勝賞金】5,400万円アース・モンダミンカップ公式チャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCZMJgR0t8w_Ley0ba0itrMw 1位 申 ジエ(Jiyai Shin) ※優勝賞金 54,000,000円 子供にはスポーツ選手になってほしいという父の希望が、ゴルフを始めたきっかけです。もともと私はシャイな方だったのですが、ゴルフが上手くなっていくにつれて、自分に自信がつき、人前で喋れるようになりました。今ではゴルフは自己アピールの一つになっているのかもしれません。ゴルフの醍醐味は、自然を感じられることと老若男女みんなができることです。自然の中で色々な世代の人と一緒にできるスポーツはなかなか無いと思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 2位 岩井 明愛(Akie Iwai) ※賞金 26,400,000円 私が小学校2年生くらいの時に、父のゴルフに付いていった時に楽しいと思い、ゴルフを始めました。もともとサッカーが大好きで、小学生の時からクラブチームに入っていたのですが、1番成績を上げられたのがゴルフだったため、高校生の時にゴルフ一本に絞りました。ゴルフは喜怒哀楽、色々な感情を味わうことができ、ミラクルショットやバーディーが出た時に、ファンの方から「ナイスバーディー!」と声をかけられ、一体になって楽しむことができる所が好きです。(法政大学2年 佐伯桜優) 3位 菊地 絵理香(Erika Kikuchi) ※賞金 21,000,000円 父がゴルフのティーチングプロをしており、その流れでゴルフは始めました。物心がついた頃にはゴルフをやっていたため、辞めるという選択肢はあまり考えたことが無いかもしれません。ゴルフは上手くなったと思っても、難しいと思うプレイが無限に出てくるスポーツです。そんな限界が見えない中で高みを目指していくことがゴルフの醍醐味です。この探究心を持てる人であれば、きっとゴルフにハマることができると思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 4位タイ 笠 りつ子(Ritsuko Ryu) ※賞金 12,000,000円 祖父の代から家が練習場を経営していたので、いつのまにかゴルフを始めていました。小学1年生の頃から始め、坂田塾というゴルフのクラブチームに入ってからはプロを目指すようになりました。ゴルフの魅力は若い人からご高齢の人まで、色々な世代の方が一緒になってできるスポーツだということです。ゴルフを通して様々な年代の方と繋がることができたのでやっていて良かったと感じます。(中央大学2年 前田蓮峰) 4位タイ 吉田 優利(Yuri Yoshida) ※賞金 12,000,000円 もともとゴルフが好きだった父に練習へ連れて行ってもらったことがきっかけとなり、ゴルフを始めました。およそ10年ほど続けています。ゴルフは練習すればするほど、必ずその分の成果が出るとは限りません。そのため、日々の練習に無駄が生まれないように心がけています。限られた時間の中で効率良く練習ができるよう、量と質のバランスを考えながら練習するのが、私自身のこだわりです。(佛教大学3年 三浦藍生) 4位タイ 菅沼 菜々(Nana Suganuma) ※賞金 12,000,000円 初めてクラブを握ったのは、父に連れられて行った練習場でした。当時5歳でしたが、ボールを打つのが楽しかったことを覚えています。ジュニア時代は優勝を逃し、悔しい思いも沢山しました。しかし、それでもゴルフを続けてこられたのは、やっぱりゴルフが楽しかったからです。18ホールを回る中で色々な感情が生まれることや、お年寄りになっても続けられる点はゴルフの魅力だと思います。(法政大学3年 鈴木悠介) 4位タイ サイ ペイイン(Pei-Ying Tsai) ※賞金 12,000,000円 父に「いつかは手に職をつけろ」と言われたことがゴルフを始めたきっかけです。ゴルフはスポーツの中でも生涯を通してできる競技で、男女問わず楽しめるところに魅力を感じました。またゴルフは個人競技なので自分一人ですべてが完結することも魅力の一つだと思います。自分のミスは自分で挽回できるというところに惹かれました。(中央大学2年 前田蓮峰) 10位タイ 佐藤 心結(Miyu Sato) ※賞金 4,752,000円 ゴルフを始めたきっかけは祖父にクリスマスプレゼントでジュニア用のゴルフクラブセットをもらったことでした。やり始めた頃はプロになろうとは全く考えていなかったのですが、やっていくうちにプロを目指したいと考えるようになりました。ゴルフは老若男女楽しめるスポーツだと思います。今回のプロアマでも様々な年齢の方とお話しすることができて非常に嬉しく思います。(中央大学2年 前田蓮峰) 10位タイ 岩井 千怜(Chisato Iwai) ※賞金 4,752,000円 子育てで忙しい母の時間を作るために、父が私を打ちっぱなしに連れて行ってくれたことがゴルフを始めたきっかけです。最初はゴルフがなんだかよく分からず、とにかくボールを飛ばそうと打ちまくりました。いい当たりで飛距離が出た時は気持ちがよく、この快感がゴルフを続けている理由だと思います。今もゴルフの醍醐味は、このナイスショットを打った時の快感です。(法政大学3年 鈴木悠介) 16位タイ 福田 真未(Mami Fukuda) ※賞金 3.240,000円 父の勧めで10歳からゴルフを始めました。最初は本格的にやるつもりはなく、たまに練習場にいく程度でした。しかし、中学校でゴルフ部に所属したことをきっかけに、「どうせやるなら一生懸命やってプロを目指したい」と思い、本格的にゴルフに向き合い始めました。ゴルフは本当に自分次第で結果が決まってきます。この自分自身との戦いこそが、ゴルフの醍醐味だと思いますね。(法政大学3年 鈴木悠介) 18位タイ 上田 桃子(Momoko Ueda) ※賞金 2,400,000円 ゴルフを始めたきっかけは、幼い頃から「人と違うことがしたい」という気持ちがあり、ゴルフをしている友達が周りにいなかったからです。「できた」となる日が無いことがゴルフの醍醐味だと思います。「できた」とはならずとも、「こうかもしれない」と、きっかけが掴めたり、自分が思い描いていた玉と体の動きがリンクして良いショットが出たり、「もっとできるかも」と可能性を感じられたりする瞬間が楽しいです。今後も魅せるゴルフができるように頑張ります。(法政大学2年 佐伯桜優) 18位タイ ペ ソンウ(Seonwoo Bae) ※賞金 2,400,000円 家族3世代でゴルフができたらなと、10歳からゴルフを始めました。高校時代から嵐の二宮和也さんのファンで、ゴルフのお陰で日本に来るきっかけを得たので、とても嬉しかったです。日本で試合をする理由は、幼い頃に全美貞選手が日本で活躍する姿を見て、かっこいいと憧れを持ったからです。韓国では、歳を取ったらすぐに引退するため、選手生命が短いのですが、日本にはベテラン選手が沢山活躍していて、リスペクトすることも多く、ゴルフだけに集中することができる環境です。(法政大学2年 佐伯桜優) 23位タイ ささき しょうこ(Shoko Sasaki)...

コラム

テリー伊藤 コラムVol.6 楽しい古着は面白い!

私の楽しみは仕事帰りに古着屋さんに寄ることだ。お酒好きの人なら帰りに一杯と行きつけのお店に行くところだが、お酒の飲めない私は古着屋さんに夜な夜な出没する。会社のある恵比寿から、中目黒の「ジャンテーク」に向かうのがルーティン。この辺りは洋服屋さんが乱立しているが、ここは別格!他のお店では絶対に手に入らない商品がたくさんある。オーナーの内田さんが変態過ぎるほどマニアック。2ヶ月に一度買い付けのためロサンゼルスからニューヨークまで飛び回ってくる。 商品がとにかく楽しい。例えばブロードウェーの舞台で使用していた西部開拓時代のカーボーイ衣装、貴婦の衣装、更にはピエロや囚人服、牧師の衣装、炭鉱で働く労働者のヘルメットまであるのだ。普通の古着店は格好良く着こなせるアイテムをディスプレーするものだが、このお店は飾ってない。勿論一般受けする洋服も売っているが、私のお目当ては唯一無二の服、あまりに奇抜過ぎて街で着れないため売れ残っている商品だ。そうなると私の出番!心得たもので、担当の大塚さんが「テリーさん!抑えて置きました!」と出してきたのは童話の王子様が着ていそうなジャケット。確かにこれは誰も買わないだろう。しかし私、一瞬で気に入りました。「70歳過ぎてなに着ているんだ!」の声も聞こえてきそうだが気にならない。最高に面白い!そうなんです、歳を重ねるたびに「変で、面白くて、楽しい服」がどんどん好きになってくる。カッコイイ服、女性に好感度が高い服、ブランド服に全く興味がないのです! それより、時にはニューヨークで冬を過ごすホームレス、ある時はアラブの謎の大富豪、関西の怪しいおっさんになって街を歩きたいのだ。先日も2サイズ大きな古着のツイードジャケットを購入して、いきなり洗濯機と乾燥機に放り込むこと3回。ボロボロになったジャケットを着てお出かけ!これが実にいいのだ。刑事コロンボのヨレヨレコートみたいで哀愁がある。調子に乗って、結婚式の定番、燕尾服も洗濯機にぶち込んでみた。これまた最高の出来上がり。自分でもビックリ。後ろのクチャクシャになったペンギンテールが渋い。ヨレヨレ燕尾服姿はロンドンのパンクファッションを彷彿させる仕上がりになった!襟にユニオンジャックのワッペンを付ければ完璧! 私の勢いは止まらない。今後は各国の民族衣装を着たい。まずはドイツの山岳地帯の衣装から。英国、フランス、イタリアの民族衣装も楽しそう。パイレーツ・オブ・カリビアンでお馴染みの海賊ファションを絶対に着こなしたい。当分古着屋さん巡りはやめられそうもないね! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

和田真帆

国民民主党 衆議院議員 古川元久

明日の社会が良くなるか悪くなるかは私たち次第 国民民主党 衆議院議員 古川元久(ふるかわもとひさ) ■プロフィール 1965年愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高校・東京大学法学部卒。米国コロンビア大学大学院留学。1988年大蔵省(現財務省)に入省し、1994年に退官。1996年衆議院選挙で初当選し、現在9期目(愛知2区)。この間、内閣官房副長官、国家戦略担当大臣、経済財政政策担当大臣等を歴任。現在は国民民主党国会対策委員長を務める。 国民民主党に所属する衆議院議員として活動される古川元久さん。政治家の道を選んだきっかけから、実現したいと思っていることについて伺った。 私の父は真面目だけれども出世とは一切無縁の万年平社員。家の生活は楽ではなく、母が内職をしてなんとか家計を支えていました。そんな家庭に育った私は「真面目に働く人が報われる社会にしたい」と思うようになり、その思いを官僚になって実現しようと考え、当時、官僚になるには東大に入るのが最も近道だったので、東大をめざして必死に勉強し、なんとか合格することができました。しかし大学に入ってしばらくして弁護士になって世の中をよくしようと思うようになりました。ただ経済的事情から留年や浪人してまで試験勉強を続けられるような状況ではなかったので、大学図書館に閉館までこもって勉強する毎日を過ごしました。勉強漬けでつらい毎日でしたが、こうした生活から早く抜け出したい一心で頑張ったおかげで在学中に試験に合格することができ、また忍耐力も養われました。でも司法試験合格後、やはり初心に戻って官僚になることにし、大蔵省(現財務省)に入省しました。 ■アメリカ留学が政治家としての道を選ぶきっかけに 私が政治家をめざすきっかけは27歳の時のアメリカ留学です。当時は円の価値が高く、同じ給料でも日本よりずいぶんいい生活ができました。一方、当時の日本はバブルが崩壊して、多くの人が「これから日本は悪くなる」と感じていました。そこで私も「日本に帰らず、このままアメリカに残ろうかな」と思っていました。そんな時にふと、霞が関ビルなどを設計した建築家の方から聞いた言葉を思い出したのです。その方は戦後の占領時代にアメリカ留学し、豊かで安全なアメリカ社会を見て「いつか日本もこうした社会にしたいと思って、日本に帰ってきて努力したんだ」という話を、私の留学をお祝いする会でしてくれました。その言葉を思い出し、「いま自分がこうしていい暮らしをしていられるのは、こうした先人の努力のおかげで、もしいま自分たちの世代が『これから日本は悪くなる』と日本を捨ててしまったら、間違いなく日本は悪くなるのではないか。それでは血の滲むような努力をしてくれた先人たちに申し訳ない。『これから日本は悪くなる』なんて他人事のように思うのではなく、悪くならないよう自分たちが頑張らなければならない」ということに気づきました。私は政治家と官僚の役割の違いは、政治家の役割はレールを敷くことで、官僚の役割は敷かれたレールの上を列車を脱線させず、時刻表通りに運転することだと考えています。当時、官僚として仕事をしていて、「いま必要なのはこれまでのレールに替わって新しいレールを敷くことだ」と感じていたので、私は官僚をやめて政治家の道をめざすことを決断しました。 ■「居住面積倍増」でピンチをチャンスに 人間の基本的ニーズと言われるのが「衣食住」。このうち日本の「衣」と「食」はほぼ満たされています。しかし「住」はどうかというと、お世辞にも満たされているとは言い難い。かつては「こんな狭い国土に1億を超える人がいるんだから仕方ない」と言われて、住環境の改善は諦められていました。しかしいま日本は人口減少に伴い空き家がどんどん増えており、「空き家問題」が大きな社会問題になっています。ならばこの状況を活かして、この機会に日本人の住環境を劇的に改善する、具体的には一人当たりの居住面積を倍増させる「居住面積倍増」を実現したいと考えています。この人口減少に限らず、日本はいまさまざまな困難に直面しています。でも「ピンチはチャンス」。この機会を逆に活かして、私たちの暮らしをよくするチャンスにするのです。それがいまの時代を生きている私たちに課せられた使命だと思います。 ■大学生へのメッセージ いつの時代も次の時代の主人公は皆さんのような若い世代です。自分たちで自分たちの未来はよくするんだとの自覚と自信を持って、いま自分ができることに全力で取り組んで下さい。そうすれば未来は必ず明るくなるはずです。 学生新聞オンライン2022年12月14日取材 日本大学4年 和田真帆

前田蓮峰

女優 花瀬琴音

自分ができることをただひたすら一生懸命に 女優 花瀬琴音 (はなせことね) ■プロフィール2002年生まれ。主な出演作は 映画「すずめの戸締まり」海部千果役(2022/声優)、TOKYO MX「異物-アナザーストーリー-」(2023)、MV 優里「恋人じゃなくなった日」(2023)などがある。 「安室奈美恵さんに憧れ、小学生のときに芸能の世界に足を踏み入れた」と語るのは、女優の花瀬琴音さん。今では映画『すずめの戸締まり』の海部千果役や『遠いところ』の主人公・アオイ役など様々な場所で活躍している。若くして芸能界へ入った彼女の今後の展望や、映画『遠いところ』の見所についてお話を伺った。 ■安室奈美恵に憧れ芸能界へ 私が芸能界を本気で意識し始めたのは、小学生の頃です。きっかけは、歌手の安室奈美恵さんの存在でした。小さい頃に彼女の歌声に魅了され、「将来は歌を職業にしよう」と思い、芸能スクールに入ったのです。しかし、早い段階で「自分には歌の才能がない、安室ちゃんになれない」と思い知らされました。その瞬間に歌の道は断念し、女優の道に進むことを決意しました。デビューするまでは舞台を通じて様々な経験を積みました。 ■仕事を辞めたいと思ったことは一度もない 映画、テレビ、ドラマなど、全ての映像の中に残るのは私ですが、その裏側には両親をはじめ、監督やアシスタントさん、メイクさんなどいろんな方々のサポートがあり、それなくして素晴らしい作品ができないと感じています。一方で多くの人に支えられているからこそ、「絶対に自分がミスしてはいけない」とプレッシャーを感じることもあります。毎回、本番で最大限のパフォーマンスをするため、何回も練習に練習を重ね、撮影が終わり完成を見るまで安心できません。このようにお仕事をしていて責任感を感じる場面は多々ありますが、それでもこの仕事を辞めたいと思ったことは一度もありません。多くの方に支えられているという強い思いに加えて、小さい頃に思い描いた「なりたい自分」になれていることが、私の中で大きな原動力となっています。もはや、自分にはこの職業しかないと感じています。今後も、長い間支えてくれた親に恩返しをしつつ、携わってくれた人たちと一緒に笑うために、作品を背負って成長していきたいと思っています。 ■映画『遠いところ』について 映画『遠いところ』への出演が決まったときは全く実感が湧きませんでした。作品の舞台が沖縄だったのですが、「私、本当に沖縄にいくの!?」とも思いましたね(笑)。アオイは若い頃から子供を育てたり、旦那に暴力を振るわれたりと自分では想像ができない様々な苦労を経験してきた非常に強い女性です。私の日常とはかけ離れている中、どうやって演じたらよいのか悩みました。撮影の1ヶ月半前から沖縄で役作りをさせていただいたのですが、沖縄に入ってから驚いたのは習慣、方言、食生活、コミュニケーション方法、すべてが私の中の常識と全く違うことです。夜が東京と比べて明るかったり。撮影に入る前に、アオイのような境遇の方に会うことができ、お話しさせていただいたことで、ようやく役柄に対する実感も湧きました。撮影前の沖縄での1ヶ月半は本当に有意義だったなと思います。撮影現場では、実は撮影に入る直前まで台本をもらうことができませんでした。これは監督の「作品というよりはリアルを届けたい」という意向でした。初めは非常に不安でしたが、撮影前の沖縄滞在の経験をそのまま活かすことができ、嬉しかったです。流れに身を任せ、「演じる」よりは「表現する」ことを意識して撮影に臨んでいました。演じる中で難しかったのは、やはりアオイと私の間に共通点が全くない事です。私の中では非日常だけど、アオイにとっては当たり前の環境。否定はせず、全てを取り入れ、受け入れ、彼女の思いに壁を作らないように努力し、常にアオイへリスペクトの気持ちを忘れずに演じていました。 ■この作品で描いている問題は、自分のそばにある問題 この作品を観て「これはフィクションではなく、現実世界で実は自分のすぐそばにある問題なのだ」と感じてもらえれば、嬉しいです。また、舞台である沖縄にしかない独特の雰囲気、空気感やきれいな海など、その美しい風景に心に残っていただけるのではと思います。余談になりますが、作中にアオイのトイレでのシーンがありますが、監督に「トイレでのシーンは撮らして欲しい」と熱量高く言われました。私の中では「どうしてそこまでトイレのシーンにこだわるのだろう」と疑問に思っていたのですが、作品が完成したときに初めてそのシーンが「ありのままの日常」を表現する重要な役割を担っていることに気付きました。その場面があることで、この映画を観る人がこれは「映画のために作られた映像」ではなく「今もどこかで起こっている現実」であることを認識することができるのだと感じました。このように細部までこだわって作られた作品ですので、是非劇場で見て頂けると嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 映画『遠いところ』は私と同世代の若い人たちに一番見てもらいたいです。これからの未来を作っていくのは今の学生の方たちです。映画を通して、今まで先人たちが目を背けてきた現実を見つめ、今日本が抱えている問題を知ることで、「なにか自分にできることはないかな」と考えるきっかけになって欲しいなと思います。 学生新聞オンライン2023年6月15日取材 中央大学2年 前田蓮峰 <作品紹介>タイトル:『遠いところ』公開日:7月7日(金)全国順次公開6月9日(金)沖縄先行公開中監督・脚本:工藤 将亮キャスト:花瀬 琴⾳石田夢実、佐久間祥朗、長谷川月起/松岡依都美主題歌:“Thanks” by 唾奇製作:Allen、ザフール【作品公式サイト】 https://afarshore.jp【公式 SNS】https://twitter.com/afarshore_jp【配給】ラビットハウス https://usaginoie.jp/©2022 「遠いところ」フィルムパートナーズ

学生新聞インターン

株式会社サクラクレパス 代表取締役社長 西村 彦四郎

過去の100年に負けない100年を築いていきたい 株式会社サクラクレパス 代表取締役社長 西村 彦四郎 (にしむら ひこしろう) ■プロフィール 1979年3月 成蹊大学法学部卒業、1980年4月 (株)サクラクレパスに入社。1996年9月より営業企画本部長に就任、2003年12月に常務取締役、2010年3月専務取締役 営業本部長を経て、2014年6月に代表取締役社長に就任、現在に至る。 クレパスやクーピーなど、誰もがみな幼い頃から触れてきたサクラクレパス。どのような意識のもとで魅力的な商品が生み出されているのか、100年以上の歴史を持つ企業の展望を西村社長に伺った。 大学時代は理系の学部ではなかったので、正直単位を取れたら良いという考えが強くて、スキー同好会の活動や、友人と遊ぶことが多かったです 。大学時代ほとんどなかった勉強意欲は、社会人になってから少し遅れて湧いてきました。 入社後、20代半ばで病気を患い数ヶ月間寝たきりが続いたのですが、この時期に1日1、2冊本を読むことが習慣に。それから「あれも知りたい」「これも知りたい」と知識欲がでてきて勉強に前向きになっていきました。実際に夜に社会人向けの講座を受けるようになり、学ぶ姿勢には興味が重要で、興味があると勉強は楽しく 、身に付くものなのだと感じましたね。    ■誇りある歴史を未来へ繋ぐ サクラクレパスは1900年代前半、手本の絵を鉛筆でそのまま描きうつす臨画教育から、思ったこと、感じたことを自由に描く自由画運動が起こったことに合わせて、安くて品質の良いクレヨンを作り始めたことが会社のはじまりです。学校に出向いて、商品を勧めるのではなく自由画運動を広めることに力を入れ、子供たちが絵を描く文化を築いてきました。私自身はアメリカに行ってみたい気持ちが強く 、卒業後はアメリカ留学に。アメリカで大学に通いながら一年過ごした後、親の勧めもあってサクラクレパスに就職しました。この時点で会社の歴史など、知識がほとんどなかったので入社後に学ぶことは多かったです。就職前から企業に対して熱意があったわけではないですが、今ではサクラクレパスの歴史を誇りに思っています。 ■100年の歴史を持つ会社に就職して43年、社長を勤めて9年 私が社長に就任した時、社員には会社の使命について二つのことを伝えました。「人々の心を豊かに育み社会に貢献すること」、そして「社員のみんなが幸せになること」です。社会に貢献できる会社になるためには、それを実現させる社員が幸せで充実していなければなりません。経済的な幸せはもちろんのこと、仕事にやりがいを持って成長できる精神的な要素も非常に重要です。そのために、新入社員から社長の私まで参加する会議であっても自由で平等に意見を言い合える環境を作り、反対意見であっても積極的に発言するように常々伝えています。 ■新しい価値を生み出す 商品やサービスを企画する上で、世の中にない新しい価値を作ることを最も大切にしています。これはある研究に基づいていて、この研究ではシェアトップの商品の半分が先発商品である、という結果が出ています。つまり最初に商品を出せば、二分の一の確率でシェアトップになることができ、後から類似商品を販売するよりも遥かにロングセラーを打ち出せる確率が高いということです。新たな価値を生み出すため、サクラクレパスでは「お客様のニーズを知ること」、「世の中に全くないものを開発すること」という二つの方向性から商品を作っています。特に後者は容易にできることではなく、社員には常日頃から意識的に考えるように言っています。例えば、文具以外の他業界に着目することも効果的で、事業者向け通販のアスクルを参考にして教育施設向けに始めた通販のエデュースは国内の売り上げの約半分を占めています。一見関連性のない事柄から着想を得られることも多くあるので、常に考えるということが発想力を鍛えることにも繋がります。今後の目標は、筆記具におけるサクラブランドの確立です。サクラクレパスはどうしても子供向け画材のイメージが強くあると思います。実際には筆記具も同じくらいの売り上げを出していることから、今後は皆さんの印象にも強いサクラのロゴを大きく印字するなど、筆記具におけるサクラブランドに力を入れていきたいです。そして、大人の方の絵を描きたい、というニーズに応えた大人向けの趣味としての描画を広めていきたいですね。コロナ禍で油絵具セットがたくさん売れたように、大人の方からのニーズも多いと考えています。 ■長期的な目で見ることの必要性 私が最終面接をする時に最も重視しているのは、誠実さと努力し続けられる力、この二つです。誠実な人は上司、部下問わず人望がありますし、良いことも悪いことも乗り越え、努力を続ける力がないと良い仕事はできないですよね。おとなしかったり、明るかったり、短所でも長所でも生まれ持った個性を排除することはありません。それぞれが適したところで個性を活かせることが重要だと思っています。 学生の間は是非色々なことを経験してください。私は病気を患った際、周りがバリバリ働いたり遊んだりしている中、思うように動けず、「どうして私だけ」ととてもネガティブになっていました。しかし今振り返ると本を好きになって読むようになり、あの時期は自分にとって本当にプラスになっています。どんな失敗も長期的な目で見れば必ずプラスに思える日が来るので、恐れずやりたいことに挑戦してください! 学生新聞オンライン2023年5月18日 取材 上智大学 3年 川端百桃

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株式会社リンクアカデミー 代表取締役社長 横山丈二

限界を決めずに、お客様の可能性を誰よりも信じる 株式会社リンクアカデミー 代表取締役社長 横山丈二(よこやまじょうじ) ◾️プロフィール 1976年生まれ 広島県出身1999年 株式会社アビバ(現リンクアカデミー)入社2011年 株式会社アビバ(現リンクアカデミー)取締役就任2014年 株式会社リンクアカデミー取締役就任2022年 株式会社リンクアカデミー代表取締役社長就任 PCスキルや資格獲得をワンストップでサポートし、個人のキャリアアップを支援する株式会社リンクアカデミー。リンクアンドモチベーショングループが保有する技術を用いて、年間約15,000人のキャリア創りをサポートしている。お客様の無限の可能性を一番に信じる横山社長に、会社の魅力や一緒に働きたい人物像などを伺った。 幼少期は貧しい家庭で育ちました。父の会社が倒産し、残った多くの負債を引き継ぐわけにもいかず、両親は離婚。母が、朝から夜まで働いて育ててくれました。そんな姿を見ていたので、なんとか母を助けたいと思い、高校卒業後は就職するつもりでした。ところが、入学した高校が進学校だったこともあり、受験勉強をしている周りの生徒の姿を見て、進学と就職で揺れ動くようになっていきました。悩んだ末、「家庭環境で大学をあきらめさせるのはつらい」という母の言葉によって、大学に行くことを決めました。 しかし、就職しか考えていなかった私の成績は学年最下位。中学生の勉強からやり直し、なんとか地元の私立大学に入学できました。ただ、まだ金銭面の問題はあったので、学費は奨学金を借りながらなんとか自分で支払いました。そのときのしんどさや母の苦労を忘れたくなかったので、奨学金は毎月少しずつ返済し、完済したのは40歳になったころでした。大学卒業後は、リンクアカデミーの前身であるアビバに入社。先んじてPCスクールをはじめた会社で、平均年齢も若く、裁量権も早い段階で得られることに魅力を感じ、入社を決めました。 ◾️お客様自身で主体的にキャリアを描けるように リンクアカデミーでは、「i-Company」という概念をとても大事にしています。「i-Company」とは、自分自身を一つの株式会社に見立て、その経営者として自立的に自らのキャリアを形成していく考え方です。資格取得をゴールとせずに、主体的に将来のキャリアをどう描くかというところにアプローチしている点が、他社との大きな違いだと考えています。 なぜこのような考え方が大事になるかというと、個人の資質と企業において大きな変化がフォーカスされる時代になってきて求められているからです。時代の変化に伴い、価値の主体は「業界」から「企業」へと変化していきました。そして現在は、「どこに属しているか」ではなく「何をしている人か」という「個人」そのものに注目が集まるようになってきています。さらに、企業においては、商品のライフサイクルの短期化に伴い、毎年売上ランキングが入れ変わるように、競争はますます激化しています。このような変化の激しい時代を生き抜くために重要になるのが、「i-Company」の概念です。つまり、個人が主役となって、スキルをアップデートし続けながら自分自身でキャリア形成をしていくことが大切になってきているのです。 ◾️丁寧な診断によって明確になる現在地 PCスキルや資格取得などをワンストップで、かつこの規模感で提供している教育サービス事業はほとんどないと思います。お客様は、ダブルスクールをすることなく、さまざまなスキルをワンストップで獲得することができます。 また、リンクアカデミーは人の介在価値も大事にしています。私は、まだAIは本質的に人を変えることはできないと考えています。人が介入することで、もちろん手間やコストがかかりますが、効率を追求するだけでは人は変われません。人は人でしか磨けないと信じているので、リンクアカデミーでは、お客様のキャリア創りに徹底的に寄り添っています。具体的には、「診断」と「変革」に力を入れています。地図上でゴールを決めたところで、現在地が分からないと辿り着けないのと同様、今の自分の能力やスキルを見誤ると、自分の目指したい方向へスキルアップができない可能性があります。そうならないために、リンクアンドモチベーショングループが保有する「モチベーションエンジニアリング」という技術を用いた丁寧な診断を行い、どのように変革のステップを踏むべきかをお客様と一緒に考えています。私は、こんなに時間をかけて一人のお客様に向き合う会社は他にないと自負しています。 ◾️お客様の可能性を誰よりも信じる お客様に真の価値を提供するためには、社員も勉強し続けなければなりません。他のスクールと比較して、資格の取得数やインプット数も圧倒的に多いと思いますが、成長するための研修やトレーニング環境はしっかり整備しています。今では、約3年で10~15個程度の資格を取得する社員も多くいます。 しかし、これは必須条件ではありません。それよりも、「相手が変われる」と信じられる素養を持っていることの方がよっぽど大切です。つまり、お客様の可能性を信じ抜ける人。サービスを提供する側が可能性を決めてしまうことは、絶対にやってはいけません。お客様の無限の可能性を信じて、ブレずに仕事をしてくれる人と一緒に働きたいですね。 また、スクールでは語学指導もしていることから、インターナショナルな職場でもあります。多様性に適応できなければ企業として生き残れない時代になっているからこそ、多様な価値観の中で、どう一つの集合体として共通の目的を達成できるかが重要です。また、いつどんなときでも、さまざまなところに間口が広がる可能性を持っておくことも大切だと思います。 ◾️message 今の大学生は、コロナネイティブの世代です。大学での活動経験が少ないとマイナスに思う方もいるかもしれませんが、捉え方を変えればその年代の人しか経験できないことがたくさんあったと思います。大学に普通に通えていれば、関わることのなかったであろう人との繋がりもそうです。これまでとは全く異なる観点で、さまざまな人との関係構築が自然にできる年代だと思います。大学が全てではありません。過去の大学生にはなかった視点や関係創りをもっと突き詰めて、もっと尖らせてほしいです。 学生新聞オンライン2023年4月5日取材 日本大学 4年 石田耕司 立教大学3年 緒方成菜 / 上智大学短期大学部2年 大野詩織 / 専修大学4年 竹村結 / 日本大学4年 石田耕司

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株式会社キッズライン 代表取締役社長 経沢香保子

今がある理由は、どんなに周囲から反対されても、ただ「諦めなかった」こと。 株式会社キッズライン 代表取締役社長 経沢香保子(つねざわかほこ) ■プロフィール 桜蔭高校・慶應義塾大学卒業。リクルート、楽天を経て26歳で「トレンダーズ」を設立し、2012年、当時女性最年少で東証マザーズ上場。2014年に再びベビーシッター・家事代行サービスを展開する「キッズライン」を創業。日本にベビーシッターの文化を広め、女性が輝く社会の実現を目指す。著書に「すべての女は、自由である。」等。 「日本にベビーシッターの文化を」「家事代行をあたりまえに」をビジョンに、女性が輝ける社会を目指して、子育て中の家庭を支える株式会社キッズライン。2014年にサービスを開始して以来、サービス提供は累計150万件を超え、3300人を超えるサポーターが在籍。共働き世代の増加や女性の社会進出が課題となる現代において、ベビーシッターや家事代行の意義とこれまでの経沢さんのキャリアについてお話を伺った。 中学・高校は女子校だったので、俗にいう世間知らずだったかもしれません。大学に入ってからは、高校時代にはできなかった、スポーツとアルバイトに打ち込んでみたいと考えました。そこで、せっかくやるなら一番を目指したいと、大学から始める人が多いスカッシュに打ち込みました。部活が忙しかったので、効率よく収入を得るために、自分の特技を活かしてアルバイトする方法を考え、家庭教師を選びました。中学受験で鍛えた算数の力が、中学受験を控える算数の苦手なお嬢さんを持つご家庭から大人気で、口コミで広まりました。算数の苦手な女の子にとって、男性の先生よりはロールモデルになるような女性の先生の方が受け入れやすいと考えるようで、女性ならではの立場を生かして、たくさんの生徒さんに恵まれました。 ■女性としてどう生きていくのか 学生時代の頃から、大学を卒業したら自分はどのように生きていくのかずっと考えていました。将来どんな職業につけば、仕事と育児が両立できるのか?私が就職したのは、就職氷河期と言われる1997年ごろでしたので、当時は、女性が家庭と仕事を両立するという考え方が企業側にも、女性側にもなかったので、どうしていいのか全くわかりませんでした。であれば、たくさんのOB訪問をして、男女関わらず実力で勝負できる環境に入社したいと考え、新卒でリクルートに入社しました。営業1年目でも5年目の実績が出せればシンプルに評価されるのではないかと思い、仕事に打ち込みました。入社直後、配属されたチームの同僚や上司に新人の私が強く喜んでもらえることはないかと考え、新人の関門である名刺集めで1位になろうと決めました。先輩に名刺集めのコツやペースを相談したり、自分の顔とプロフィールを載せたチラシを配ったりして、1日100枚、1時間で20枚など小刻みに目標設定し、ただひたすら頑張っていました。そんな努力の成果もあって、名刺集めで関東No.1に輝くことができ、チームにも喜んでもらえたと思います。 ■女性も社会に進出できるように その後、インターネットのブームがやってきて、自分の持っている「営業力」という武器をIT業界で活かすことを考え、創業間もない楽天に転職しました。楽天ではまだ社員が17人くらいしかいなかったので、社長のそばで、新規事業の立ち上げなどをどんどん任せていただきました。その経験が、「社長という人間の頭の中身をインストール」できた貴重な機会となりました。楽天ではMBAホルダーも多く、私も30歳になるまでに何者かになりたいと思った際、選択肢の一つとして「留学」があるのではと考えるようになり、その後楽天を退職し、留学することにしました。しかし、会社を辞めて留学準備をするつもりが、自宅にいることでただのニートのようになってしまいました。そのうち知り合いの社長さんたちに「新しい女性向けビジネスを考えているのでリサーチして欲しい」など、個人事業主としてさまざまな仕事を任されるようになりました。そこで初めて「女性という視点が世の中に必要とされている」と実感しました。世の中の95%は男性社長だけれど、消費の中心は女性。だからこそ、女性ならではの立場を生かしたマーケティングをしようと考えたんです。最初は一人で女性向けのリサーチなどの仕事を受けていたところ、「取引するのなら会社にしてほしい」と依頼を受け、26歳で初めて起業しました。その時は、自室のマンションで、まさに何もないところからのスタートでした。ネット上で無料の求人広告を出し、ポツポツとメンバーを集め、そして1社目の「トレンダーズ」が軌道に乗り始めました。すると、次は、妊娠が発覚。社長が出産することも珍しかった時代だったので、出産することを周囲に特には言わずに、普通通り出産の直前まで働いていましたし、生んだ後も変わらずに働くつもりでした。しかし、生まれた子に障がいが見つかり、24時間看護が必要なことが分かって、私の人生は一変しました。社長を辞めることも考えましたが、社員の人生も抱える責任があります。どうにか助けてもらえる人はいないかと、看護ができるベビーシッターを必死に探しました。当時、ベビーシッターは富裕層だけが利用できるもの、そんな時代でした。ベビーシッターを雇うには、電話やFAXでやり取りが必要で、コーディネーターが自宅に来るなど、手間も多くかかります。自分の収入以上の費用をベビーシッターさんに払いながら、仕事に向き合う日々が続きました。ある日、ベビーシッターさんに聞いてみると、自分が払っている時給よりもずっと少ない額しか受け取っていなかったんですね。双方にとってまだまだ課題があるシステムだと感じました。世の中の全ての人が使いやすく、働く方も幸せになるベビーシッターサービスはなんだろうかと考えました。そのような出来事や、経営者をしながら3人の子育てをした経験を経て、私が2度目の起業したのが、株式会社キッズラインです。キッズラインは、インターネットを通して、スマホでベビーシッターや家事代行を依頼できるシステムです。ベビーシッターや家事代行として働く側の人も、自分で時給を設定できたり、好きな時間にだけ働けるなど、依頼する側と働く側双方の希望が叶えられるようになっています。実際に自分が子育てを経験したからこそ、生まれたビジネスモデルだと自負しています。 ■自分の信念を貫くことが成功へ繋がる 「キッズライン」を創業する前に周囲に相談すると、多くの方に反対されました。「日本にはベビーシッターは広まらないよ」とか、一度起業して大変な思いをしたからこそ、自分の親にも「大人しく子育てに専念するのはどう?」など言われたこともあります。今思うと、当時は誰しもが、育児は女性がするものという観念があり、「ベビーシッターなんて海外では広まっているかもしれないけれど、日本には広まらないでしょ」と、みんなが思い込んでいたと思います。そんな状況だったので、当時は理解してもらうのがなかなか難しかったのかもしれません。それでも、とにかく失敗してもいいから、まずは一人でやってみようと考え、ただひたすら、女性の出産や育児の負担を減らすため、必死に動きました。でも、サービスがスタートしても実際はなかなか社会的信用が得られず、「まだ使ったことがない」というハードルの高さを感じました。そこで私は「男性経営者に訴えかけてみてはどうか?」と、視点を変えてみました。その時チャレンジしたのが、企業の社長さんたちが多く集まるサービスのピッチイベントで、ベビーシッターの必要性をプレゼンすることでした。当時は、今よりもベビーシッターという概念が世に浸透しておらず、人に子供を預けるという考えが受け入れられていませんでした。そこで多くの女性社員を抱える社長に「あなた方の会社でも、出産や育児で、女性が辞めてしまって大変ではないですか」と訴えました。それから徐々にベビーシッターを利用してくださる方が増え、今では、「日本にベビーシッター」のみならず「家事代行をあたりまえに」をビジョンに掲げ、たくさんのお客様から支持をいただいていることを、とても嬉しく思っています。そして創業した10年前に比べると、随分「ベビーシッター」が育児の選択肢の一つに入ってきていると実感しています。とはいえ事業としてはまだまだなので、これからも精一杯頑張ります。 ■大学生へのメッセージ 今の大学生は、昔に比べて授業も忙しく、とても大変だと思います。特に現代はSNSなどの普及によって様々な情報が入ってくる分、選択肢がとても多い。数ある選択肢の中から、自分のやりたいことを信じて貫いてほしいと思っています。たとえ周りに反対されても、心折れずに立ち向かっていってほしいです。自分に自信を持つことは難しいことですが、失敗してもいいからやってみようという気持ちで、行動に移すことが大切です。私が今このような立場にいるのは、「自分は諦めなかった」「自分の信じたことをただただ行動に移した」それだけです。人生の中で信念を持って、自分の信じた道を、オンリーワンの道を生きることで、社会の役に立てることが、自分にとっても周囲にとっても何より大切だと感じています。 学生新聞オンライン2023年5月10日取材 上智大学2年 白坂日葵

コラム

テリー伊藤 コラムVol.5 LAで出会った素敵な日本人女性

ロサンゼルスに行って来ました。久しぶりの海外です。現地の日本人向けフリーペーパー「LALALA USA」の原稿を13年前から書かせてもらっている関係で、創刊20周年イベントに招待されました!「LALALA祭り」と称してのイベントでしたが、驚くほどの人出と活気でした。会場にはラーメン村と題した10軒を超える名店が出店されていて、何から食べて良いやら迷うところ。日本から持ち込んだ立派なお神輿が威勢良く場内を練り歩いたり、メインステージでは美川憲一さんのワンマンショーや日本人初のロサンゼルス美人婦人警官が登場したり、ハワイで人気No.1のイケメンダンスグループのショータイムには黄色い歓声が飛びかったり。そうなんです、本当に物凄い盛り上がりだったのです!因みに私はトークショーをやらせてもらいました。 現在LAには10万人の日本人が居ると言われていますが、何と1万人が来場!予想を大きく超える数で、会場に入るのに1時間待ち。それにも拘らず皆さん笑顔のオンパレード!久しぶりのイベントを心待ちしてくれていたのです!制作スタッフも事前準備はもちろん、現場でも頑張っていました!若い女性スタッフが多く活気に満ちていました。ひとりに話を聞くと「東京ではリクルートに務めていました。どうしてもアメリカで仕事がしたくて来米し、今はアメリカ人と結婚してイリノイの牧場で牛を育てて市場に出荷しています。」と。彼女曰く、名前も付けて大事に育てた牛が売られて行くのが忍びなく、仕事を始めた頃は毎晩泣いていたそう。ある日、夫から「育てる牛に名前を付けてはいけません、情が移ってしまう。割り切ってやらないと。この牧場で畜産業が出来るから今の生活があり、君とも出会えた。泣くのではなく、牛たちに感謝しながら頑張ろう!」と言われ、その言葉を聞いてから心機一転、仕事に楽しく励めるようになったそうです。今の時代、留学や観光で世界各国に旅することは出来るかもしれないが、こんな形でアメリカの田舎町で頑張っている日本人がいるのを知り嬉しくなりました。現地の人と恋愛とか結婚はハードルが高いが、仕事をするのは面白そう。できれば都会のレストランなどのサービス業ではなく、カントリー仕事に興味がそそられる。思い立ったらフリーペーパー「LALALA」を見てみてください!ネット検索で簡単に見つけられますよ。お早めに! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

伊東美優

株式会社うるる 代表取締役社長 星 知也

好奇心をエネルギー源に、世界へ向けて挑戦し続ける。 株式会社うるる 代表取締役社長 星 知也(ほし ともや) 在宅ワーカーを活用したビジネスで成長を遂げている株式会社うるる。「労働力不足解決」をビジョンに掲げ、現在複数のSaaSを展開する注目企業だ。しかし創業までには、星社長の数多くの経験や困難が背景にあった。今回はそんな異色の経歴を持つ星社長に、うるるの強みや魅力について熱くお話いただいた。 高校時代から新聞配達を中心に多くのアルバイトを経験し、お金を稼ぐ大変さを身に沁みて感じていました。面白そうなアルバイトにはどんどん挑戦していたので、当時から好奇心旺盛な人間だったとは思います。そして、早く社会に出たいという気持ちが強くあったので、大学進学はせずに、高校を卒業することになります。その後時給の良さに惹かれてビルの窓拭き清掃の仕事を始めたのですが、だんだんとスーツで働くことに憧れを持ち始めて(笑)。求人誌で次の職を探し始め、見つけた先が営業会社でした。 社名の由来となったワーキングホリデーでの出会い 入社した企業は、訪問販売を行う営業会社で、「売れば給与や階級が上がる」というとにかくシンプルな昇級方法でした。結果、当時19歳で次長にまで昇格し、関わる人や仕事の幅も広がっていきました。また好奇心のまま赴いたワーキングホリデーでは、非常に刺激的な経験をしました。私はオーストラリアに 1年間滞在したのですが、中でもエアーズロックの景色は今でも忘れられません。オーストラリア大陸の中心に位置するエアーズロック。実はオーストラリアの先住民であるアボリジナルの聖地であり、彼らはこの場所のことを「ウルル(※ウルル(Uluru)はアボリジナルによる呼び名(ピチャンチャチャラ語)で、イギリスの探検家によって名付けられたエアーズロック(英: Ayers Rock)も広く知られた名称です–引用:Wikipedia」と呼ぶのです。「自分たちの会社も、世界の中心のような存在になっていきたい」。その想いから、当社を「うるる」という社名にしました。 20代で選択したMBOという決断 帰国後は、主婦に教材を販売する会社へ就職することになりました。当時、その事業は単に教材を販売するだけだったのですが、私は販売するだけでなく、顧客にプラスαの付加価値を与えたいと考え、商品を購入した方々のアフターフォローという位置づけで仕事の斡旋を始めました。ただ、会社全体の業績が振るわず、既存事業の存続が危ぶまれてしまったのです。そこで私が選択肢として選んだのが、MBO(自社買収)をして独立することでした。もちろん客観的に見ても、他の選択肢の方が妥当で現実的だったかもしれません。しかし、いくつか選択肢のある中で最も困難な道を選ぼう、そう決めていました。ここでも持ち前の好奇心が働いたのかもしれませんね。結果、会社経営をする中で多くの苦労や困難もありましたが、2017年には東証マザーズ上場も果たし、当社は成長し続けることができています。 変化し続けながら辿り着いた、CGSというビジネスモデル MBOをする前から、事業については構想を練っていました。特に、2007年当時は団塊世代の定年退職が叫ばれ、今後の労働力不足が問題となっていたのです。また当時はインターネットサービスが増え始め、ビジネスでも活用しようという動きがありました。社会課題である「労働力不足」、生産性向上に今後欠かせない「インターネット」、そして既存事業のターゲットであり、今後の労働力創出の対象ともなる「主婦」。この3つのキーワードを掛け合わせてスタートしたのが、主婦の労働力(在宅ワーカー)を活用したBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)事業です。BPO事業では企業から受託したデータ入力等の業務を在宅ワーカーへ委託していたのですが、利益率が低いこと、何より社員が疲弊してしまうことが1番の問題でした。業務委託まではスムーズなものの、企業が満足のいくクオリティを担保するために、委託した業務を完璧にチェックするなど、当社側が行うべきことが非常に多かった。「これでは労働力不足解消どころか、自分たちが壊れてしまう」。そう思い、次にクラウドソーシングを始めました。しかし、在宅ワーカーと企業のマッチング事業を当社が行うものだったのですが、実際在宅ワーカーを積極的に活用しようという企業が当時少なく、上手くいきませんでした。そして最終的にたどり着いたのが、BPO事業とクラウドソーシング事業を掛け合わせた「CGS(Crowd Generated Service)事業」です。これまでは在宅ワーカーの労働力をそのまま企業へ提供していたのですが、簡単にいえばCGSとは当社の在宅ワーカーを活用し、SaaSサービスを多くの企業で利用してもらい、利益を拡大するというビジネスモデルです。その結果、入札情報を一括検索する「NJSS」や幼稚園や保育園向けのオンライン写真販売サービスの「えんフォト」、会社・事務所の電話の一次取次を代行する「fondesk」など、様々なビジネスが生まれました。こうした試みは、在宅ワーカーを多く保有し、その活用ノウハウをBPO事業にて蓄積している当社だからこそできたと自負しています。また、在宅ワーカーを活用することは労働力のコスト削減にも繋がっています。例えば、終日多くの派遣アルバイトを活用すると、彼らに給料以外の手当、具体的には交通費、そして働く場所を提供しなくてはなりませんよね。しかし在宅ワーカーはオフィスに出社する必要がなく固定費がかからないため、その分のコスト削減が叶います。人間の仕事がAIやロボットに取って変わると言われて久しいですが、ITが進化する度に、人力だからこそ価値が高まる仕事というのも増えていきます。今後は主婦以外の労働力創出の仕組み化も促進し、労働力不足解消にますます寄与していきたいです。 大学生へのメッセージ 当社はとにかく企業カルチャーを大切にしている会社です。社員をファミリーだと捉えているからこそ、指摘しづらいことも指摘し合ったり、包み隠さずノウハウを共有したりすることで、ビジョンの達成を目指しています。会社にはそれぞれのカルチャーがあり、会社の数だけその色が異なると思っています。だからこそ、しっかりとカルチャーフィットした人材を求めていますし、ぜひ学生さんには本気でフィットする会社を選んで欲しいです。ビジネスの世界で成功したいと思っている学生さんがどれほどいらっしゃるか分かりませんが、断言できるのは「学歴」は全く関係ないということ。この通り、私が証明していますから(笑)。学生時代はインプットの多い期間だと思いますが、社会に出たら知らないこと、やったことないことも、とにかくアウトプットの連続です。そのエネルギー源はきっと好奇心だと思うので、色んなセンサーを働かせて、楽しみながら成長してくださいね。 学生新聞オンライン2023年5月24日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優

イベント・企業紹介

映画「魔女の香水」舞台挨拶

6月16日より公開されている映画「魔女の香水」。6月8日に、映画の公開を記念した完成披露上映会が行われ、主演を務める黒木瞳さん、共演の桜井日奈子さん、平岡祐太さん、川崎鷹也さん、宮武由衣監督、制作統括の菅原智美さんが登壇した。香水をテーマに女性の成長を描く本作では、黒木瞳さん演じる’’魔女さん”と呼ばれる女性のつくる香水が、香りや言葉で、希望を失った人たちを華やかな未来へと導きます。運命を切り開く勇気をもらえる言葉が数多くあり、見る人の背中を押してくれます。終始明るい雰囲気で行われたイベントの中で、映画の見どころや、撮影の裏側について伺いました。 ■監督・脚本 宮武由衣さん香りというのは難しいテーマでしたが、今回映画に挑戦しました。モチーフになった方の持っている香水はとても貴重な物であり、作品の中でもその方を忠実に再現したいという思いから、高い物では一つ100万円するものも実際に登場しています。ヴィンテージ物の瓶にはこだわりがたくさん込められているので、そこにも注目して観ていただきたいです。映画の中で、魔女さんが香りとともに伝える言葉は、必ず皆さんにも当てはまっていると思います。どんな人にも可能性があり、自分の中にある才能を見つけて情熱を持って生きれば、きっと未来は切り開かれます。映画を観て、明日から生きる活力にしてもらえたらいいなと思います。 ■製作統括 菅原智美さんこの映画は、女性を応援したい!という思いから誕生しました。女性だけではなく、男性にも共感してもらえる作品になっています。この映画をきっかけに、観てくださる人の気持ちを後押しできたらとても嬉しいです。映画の中には、魔女さんの作った9種類の香水が登場します。香りにはそれぞれメッセージが込められていて、恵麻はその香りの力で気持ちが変わり、行動が変わり、そして人生までもが変わって成功していきます。映画を観た後、きっとその香りを嗅ぎたくなると思います。そこで、映画のキーワードと関連した香りを劇場とオンラインショップで4種類発売します。ぜひ、皆さんにも映画を観た時の勇気づけられた気持ちや、香りに込められた言葉を思い出してもらいたいです。 ■黒木瞳さん私は魔法ではなく、香水の力を使って魔法をかける『魔女』を演じましたが、魔女という役を演じたのは初めてでしたね。この役を演じる上で、容姿を特に意識していました。白髪のウィッグを被ることを通じてミステリアスな雰囲気を醸し出し、監督の魔女のイメージに近づけたのではないかと思います。また、私の演じた白石弥生は70代でしたが、回想シーンの中では30代の頃も演じることがあったので、こういった年齢を感じさせないところも一種の魔女らしさなのではないでしょうか。(笑)香水の力を通じて、自分の中に眠っている思いや生き方を変えてくれるような作品を作ることができてとても嬉しいです。この作品を通じて、皆様の明日が少しでも変わることを願っています。 ■桜井日奈子さん黒木瞳さん演じた弥生さんとのシーンの中で、背中を押してもらえるような素敵なセリフがたくさんありました。その中でも特に印象に残っているのは、『社会を憎んでも仕方がない、変われるのは自分だけ』という言葉です。この言葉は、以前から大切にしていた言葉の1つで、実生活の中でもその通りだと考えていました。だからこそ、このセリフがわたしの心により深く響いたのではないかと思っています。また、蓮さんとのシーンの前後は、私も蓮さんが普段から愛用していた金木犀の香水をつけていました。エマにも蓮さんの金木犀の香りがうつっているような気がして。ちょっとした撮影の裏話ですね(笑) ■平岡裕太さん私の演じた横山蓮は、経営者の役でした。経営者の方は、弱い姿を見せない。だから私も外面がいいように演じていました。しかしどんな人にも弱い部分は必ずあると思うのです。そのことを意識しつつも、社長として気丈に振る舞えるよう心がけていました。この作品の中には、背中を押してくれるような名言がたくさん出てきます。それらの名言や映画自体がこれから新しいことを始めようとしている人達に良い影響を与えられるような存在になることを心から願っています。 ■川崎鷹也さん私は、この作品で初めて演技に挑戦しました。わからないことが多く、不慣れではありましたが、メンバー達が支えてくれたおかげでとても楽しく、自然に演技ができたと思います。主題歌のオファーがきっかけとなってこの作品に携わることになったのですが、監督に演技もしてみませんか?とお声がけを頂きました。少しだけ出演させていただくのかなと思っていましたが、いざ脚本を見てみるとはセリフがとても多くて驚きました。主題歌の『オレンジ』は金木犀をイメージした楽曲となっています。桜井さんの演技や現場の雰囲気を感じながら曲を作りたいと思い、撮影二日目にギターを持参して、作曲した思い入れのある曲です! 取材者:立教大学 3年 緒方成菜/国際基督教大学 1年 渡邊和花 映画「魔女の香水」 香りがもたらす不思議な力―― 香りをテーマにした最も美しく、最も香しい映画が誕生しました。 出演 黒木瞳 桜井日奈子 平岡祐太監督・脚本 宮武由衣製作統括 菅原智美TOHOシネマズ 日比谷 他全国ロードショー公開中 配給:アークエンタテインメント (C)2023映画『魔女の香水』製作委員会

イベント・企業紹介

舞台「てっちゃんの写真館」マスコミ公開リハーサル

6月21日に舞台「てっちゃんの写真館」のマスコミ公開リハーサルが行われた。プロデューサー、出演者の皆様に囲み取材を行った。 <出演者・関係者よりコメント> ■演出・脚本 穴吹一朗前回この作品を公演した時のメンバーが、私以外全員違うだけでなく、初めて参加するカンパニーでもあったので少し不安はありました。お互いの良い部分を融合して、さらにパワーアップした作品を作ろうと取り組んできました。舞台は、お客様に観てもらうことを通じて育っていくものだと思っています。この作品もこれからどのように成長していくのかと思うと楽しみで、ワクワクしています。 ■演出補佐 鳳恵弥私は、この作品にお話をいただいた初めから関わらせていただいていますが、多くの方々の心に響く、評価されるような作品になるのではないかと期待しています。千秋楽には、椅子だけではなく、皆様の心も動かせるよう頑張っていきますので、人脈が織りなすハートフルコメディを是非見にきてください。 ■プロデューサー 内田雅章(TOP CONNECT株式会社 代表取締役)この作品のテーマは“親孝行”です。親孝行は、私自身の人生のテーマでもあります。このテーマに対する思いを形に残したいと以前から思っていました。今回、舞台を通じて、生の演技でこの意思を伝えることができとても嬉しく思っています。今後も家族愛や親孝行をテーマにしている舞台を応援していきたいと、この作品のプロデュースをして改めて感じました。 ■プロデューサー 佐山泰三今回の“家族愛”というテーマに、過去に公演して印象に残っていた穴吹さんの作品である『てっちゃんの写真館』を選ばせていただきました。舞台は、映像作品と違って内容を伝えるのが難しいと思います。しかしこの作品は誰が見ても分かりやすく、心に染み渡っていくような作品であると思います。改めて、この作品を選んでよかったと思っています。 ■亀吉最近、家族に感謝の気持ちを伝えることが少なくなっているように感じます。親子の絆をはじめたくさんの家族愛のあり方が感じられるこの作品を通して、感謝の気持ちを伝えることの大切さが伝わるといいなと思っています。観劇後に、皆様が少しでも温かい気持ちになってくれると嬉しいです。 ■佐藤杏奈この舞台には、商店街メンバーをはじめとする個性豊かなキャラクターがたくさん出てきます。この人いいなと思える人や自分にあっていると感じるキャラクターに皆様が出会えると嬉しいです。ぜひ、観にきてください!! ■山川璃恩観劇していただいた後に、皆様が目を合わせてクスッと笑いあえたり、温かい気持ちに包み込まれるような作品になればいいなと思っています。喫茶店に訪れる商店街の方々や私たち家族3人の間にあるたくさんの形の愛情を感じていただきたいです。 <作品の見どころはどこですか?> ■穴吹一朗家族愛も見どころですが、勘違いから勘違いの連続ドタバタ劇が1番の売りです。 ■鳳恵弥急激に前半と後半の色が変わるところです。そこが凄く引き込まれるのではないかなと思います。その色の違いを肌で感じて頂きたいです。 <舞台をつくりあげる上で苦労したことは何ですか?> ■亀吉僕自身、独り身なので自分の子供にどういう愛情を持って接するのかを考えるのに苦労しました。あとは、どうやったら穴吹さんのように笑いが取れるのか今も試行錯誤しています! ■佐藤杏奈生と死を考える上で、背負いこみすぎず、自分がるみだったらということを凄く考えました。 ■山川璃恩生死に関わる体験をしたことがないので、気持ちづくりが大変でしたし、愛情のかけ方の違いに対応するのが難しかったです。 <リハーサルを終えての手応えと本番に向けての意気込み> ■穴吹一朗初めて接するお客様が、どれだけリラックスして笑ってもらえる雰囲気を作れるかが、これからの課題です。一人一人の役者さんが何か見つけてくれる舞台になればいいと思っています。みんなで頑張ります。 ■鳳恵弥通しで演じてみて、俯瞰的に見た時にこれはコンサートに似ているなと感じました。途中で何人もが入れ替わり立ち替わりで出てきてバレエを踊る。この盛り上がりが、いろんなものを積み上げていって山になったあと、静かになるという音楽のような調和を感じたんです。このようなハーモニーを奏でられるようにブラッシュアップしていけば良いハートフルコメディになるのではないかと思います。 舞台「てっちゃんの写真館」公演期間:2023/06/22 (木) ~ 2023/06/25 (日)場所:サンモールスタジオ東京都新宿区新宿1-19-10 サンモール第3M-B1チケット案内:https://ticket.corich.jp/apply/262046/005/ ■企画概要人脈の達人こと内田雅章がプロデュースする舞台第二弾。本企画では前作から引き続き内田の信条である『親孝行』を元に、家族愛をテーマとした作品として東京AZARASHI団の人気作【てっちゃんの写真館】を令和バージョンとして公演。演出、脚本を担当するのは日本テレビ≪親バカ青春白書≫、TBS≪Dr.DMAT≫などの人気ドラマ脚本や大河ドラマ≪軍師官兵衛≫も多数担当する演劇人穴吹一朗。更に俳優としても活躍する穴吹とドラマ≪警視庁アウトサイダー≫などでも注目を集める亀吉がダブルキャストでそれぞれ主演、哲也を演じる。また、その妻でてっちゃんこと照子の娘、美佐子役は、劇場都市TOKYO演劇祭で最優秀俳優賞を受賞、他にも多くの舞台で主演を務める鳳恵弥、その娘、ヒロイン留美を佐藤杏奈と山川璃恩が演じる。 取材者:上智大学2年 網江ひなた / 国際基督教大学1年 渡邊和花